賣藥ファン

古川緑波




 先に言つて置く。僕は、賣藥ファンといふ奴、それも、ミーちやんハーちやん的のファンで、理窟も何もない、たゞ、いろんな藥を服みたくつてしようがない性分である。
 たとへば、錠劑の、眞つ赤な色が氣に入つたとか、グリーンが美しいから、好きだとか言つて、愛用するといふくちだ。
 隨分、幼稚で、お話にならない。
 今でも、毎日五六種類から、十種類ぐらゐの賣藥を服む。
 何時頃から、かういふ癖がついたのか。
 幼少の頃は、實父が醫者で、賣藥といふものは一切服ませないし、買ふことも禁じられてゐた。
 その反動で、小さい時から、懷中良藥仁丹、ゼム、カオール、清心丹の類から、寶丹などといふ藥を、そつと買つて、内證で服んでゐた。
 これは、隱れて煙草をのむやうな、よろこびがあつたやうである。
 尤も、それらの、懷中良藥は、藥といふよりも、お菓子のやうなもので、いまの、チュウインガムの役目を果してゐたのだと思ふが――
 それから段々大人になつてから、胃の藥、何の藥と、新藥の廣告を見ると、買はずにはゐられなくなるやうになり、友人たちも、「頭が痛いが、何を服んだらいゝか」とか「何といふ藥が効くか」といふ風に、僕に訊くやうになつて來た。
 その賣藥ファンも、一番強く活動したのは、戰爭中だ。
 藥なども、段々無くなるといふ頃、地方へ旅でもすると、僕は自ら藥屋へ行つて、藥の買ひ溜めをした。
 僕は、不眠症なので、一番主な狙ひは、催眠藥であつたが、その他何でも、珍らしいものがあれば買つた。
 例へば、痔の藥でも、こつちは痔など患つてゐないのに、買つてしまふのだ。
 地方へ行くと、藥屋さんの奧の間へ上り込んで、あれもこれもと買ひ込む。戰爭中にして、百圓以上の買ひものは、ザラだつた。
 そして、買ひ溜めた藥は、本棚の一つを空けて、藥棚とし、色々な藥を並べて、眺めて喜んでゐた。
 藥が古くなれば、効かなくなつてしまふとか、何とかさういふことはおかまひなしの、全く、無邪氣なものだつた。
 そんな風だから、ヒロポンなんかを知つたのも、一番早い方だらう。注射ではなく、錠劑の奴だ。確か、海軍へ慰問に行つた時に、貰つたのが始めだつたと思ふ。
 まだ誰も知らない頃なので、徹夜の麻雀の時など、ひそかに服んで、大いに勝つた記憶がある。
 然し、後年ヒロポン大流行となつても、僕は全然、その害を受けなかつたのは、注射つてものが嫌ひだつたおかげだと思ふ。
 僕の賣藥ファンは、專ら服みぐすりなので、注射は痛いから、嫌ひだつたので、注射藥といふものは、インシュリン以外買ひ溜めしなかつた。
 インシュリンは、糖尿病患者だから、要心のために買つて置いたのである。
 糖尿病の藥も、最近では、色々と現はれたので、勿論いろ/\服んでゐる。
 然し、食ふことの養生が出來ないので、一向治らない。
 戰後は、糖尿病の藥ばかりではなく、新藥の洪水で、殊にヴィタミン劑の多いこと、實に應接に暇がない。
 色々な藥の會社から、見本を送つて來る。
 ヴィタミンAから何まで、いろいろだ。
 効能書を讀むと、AからZまで、何十種類みんな服みたくなつて來る。
 そこへ又、肝臟だとか、何臟だとか、今まで、氣にしなかつたやうな内臟の部分のための、藥が、あとからあとから出て來る。
 かうなると、賣藥ファンは、忙しい。
 でも、先つき言つたやうに、僕のは、藥の効き目よりも、藥を服むことのファンなのだから、藥の色や、箱のデザインなんかも好みがあつて、好きな奴だけ服んでゐる。
 一日に、何十種類と錠劑を服んだことがあるが、まだそれで、腹が一杯になつたといふ經驗は無い。
 何十種の中には、消化劑も入つてゐたからかも知れない。
 と、書き來つて、此の一文に、藥の名前を書かないやうに努力して來たので、疲れた。
 スポンサー無しの、これは、サスプロだから、わざ/\藥の名を避けたのである。
 ヘンなことで、苦勞するものだ。
(俳優)





底本:「文藝春秋 昭和三十年二月號」文藝春秋新社
   1955(昭和30)年2月1日発行
初出:「文藝春秋 昭和三十年二月號」文藝春秋新社
   1955(昭和30)年2月1日発行
入力:sogo
校正:岡崎麻衣
2022年7月27日作成
青空文庫作成ファイル:
このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(https://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。




●表記について


●図書カード