親鸞

吉川英治








歎異鈔たんいしょう旅にもち来て虫の声――
 わたくしのふるまずい句である。こんな月並にふけっていた青年ごろから、自分の思索にはおぼろげながら親鸞しんらんがすでにあった。親鸞の教義を味解みかいしてというよりも――親鸞自身が告白している死ぬまで愚痴鈍根ぐちどんこんのたちきれない人間として彼が――直ちに好きだったのである。
 とかくわたくし達には正直に人へも対世間的にも見せきれない自己の愚悪ぐあく凡痴ぼんちを、親鸞はいとも自然に「それはお互いさまですよ、この親鸞だって」と何のかざりもなくやすやすといってくれているので、あのひとですらそうだったかとおもい、以後どれほど、自分という厄介者やっかいものに、また人生という複雑なものにも、気がらくになったことかしれない。

 もっともそのころ一時文壇にも親鸞が思潮の大きな対象となり、若い文学心と若き親鸞の求道心とが、幾世紀もおいた後世で生々とふれあい、現実の社会を鐘とし親鸞を撞木しゅもくとして、どんなひびきを近代人のこころに生むか? ――をしきりに書かれたり演劇化されたりしたことがある。大正十年前後のことだ。あきらかに私なども、その文芸梵鐘ぼんしょうにひきつけられていたものに違いなく、有名な遺文の中の――「善人なおもて往生をとぐ、いかにいわんや悪人をや。」とか「親鸞は父母の孝養のためとて、念仏一返にてももうしたることいまだそうらわず。そのゆえは、一切の有情うじょうはみなもて世々生々せせしょうじょうの父母兄弟なり。」とか、また「親鸞は弟子ひとりももたずそうろう。」などという語は、わたくし達には、七世紀も前の古人の言というような気はしない。むしろ最も官能の正しくひろく澄みきった近代人の声として常に新しい反省と若い思索しさくをよび起されるのである。
 そして親鸞の生涯したそのころの時代苦をおもい、今もかわらない人間のすがたをかえりみると、みずか下根げこんの凡夫といい愚禿ぐとくと称した彼の安心の住みかは、求めればいまでもたれの目の前にもあるのだという事実をずにいられないのだった。けれどわたくしの場合はそれも信仰のかたちでなく憧憬の中にいつも育っていた。親鸞といえばすぐ青年時代の文芸梵鐘が同時にひびいてくるせいかもしれない。事実また親鸞ほど詩人的な肌あいをもった宗教人も世界に稀れであろう。

 わたくしの作家生活と親鸞とは忘れ得ないものがある。いまおもえば恥かしい限りだが、私が初めて小説というものを書いた最初の一作が親鸞だったのである。当時わたくしはT新聞社の駈け出しの学芸部記者だった。三上於菟吉氏去り尾崎士郎氏退社し、そのあとへ入ったばかりで編輯の仕事すらろくにのみこめていなかった。その私へどうしたことか連載小説として親鸞伝を書けという社命なのである。いいつけた社も社であるがひきうけた私も私だ。知らないということほど気のつよいものはない。私は毎朝、他の同僚たちより二時間も早く出勤し、社用のザラ紙へ鉛筆書きで毎日の掲載分をその日その日書いた。下版げはんの時間が迫ると、工場の植字さんがやって来て私の肩越しに原稿をのぞきこみ「そこんとこは会話にしておきなさいよ」とか、ひどく時間がつまると「もう今日はこれでいい」と、まだ書いてるものを後ろから持って行ってしまったりした。
 連載中もよく本願寺関係のひとや篤学家などに社へやって来られて、堂々たる親鸞論を以てばくされるには閉口した。こと信仰にかかわるので読者の投書も痛烈だった。社内でも時代考証や文学論にやかましいのがいてゲラ刷りの出るたび手きびしくやッつけられた。何分、社では参考書も見ていられないので、途中からは帰宅後、家で夜半よなかに書いて行ったが、それでも思わぬ誤謬や不備を指摘されてきゅうきゅういわせられたことが幾度あったことかしれない。ついには社に行くこと屠所としょの羊のごときものがあった。でもようやく何とか一年半余の連載を果した。それが「親鸞記」として社から出版の運びになったところで関東大震災が来た。かくて私の処女作は世間へ出ずに製本されたまま社屋とともに焼けてしまった。わたくしの出発にとっては意義のあるまた有難い業火ごうかであった。

 中年になってふたたび親鸞を書いた。台日たいにち、福岡、名古屋、北海タイムス等、地方紙五社の連合掲載のために書きおろしたのであり、昭和十三年に刊行された講談社版の「親鸞」がそれである。新聞紙上の連載は三年近くにも及んだかとおもう。
 十余年まえにいちど書いた基礎はあるが、わたくしはいろはの習い直しをやる気でそれをつづけた。こんどは作家生活の中でやれたので参考書も自由にえらび見ることができた。そしてこんどはつつがなく出版もされた。――だが自分の胸には依然T新聞社時代の痛い批判が消されることなくそのまま自省じせいのうちに残っていた。以後、わたくしの通ってきた人生も決して平坦ではなかったが、かえりみて自分がどれほど人間として成人したかをこの作品でみるとわれながら恥かしいと思わぬわけにゆかなかった。で、講談社刊行の一巻の序文にはこんな意味のことをしるした。
 三十歳だいに書いた親鸞は、めくら蛇にじずだったが、四十台になるとなまなか人生や人間をるにも、うす目のあいてきたせいか、深嶽しんがくに足をふみ入れたようなもので、かえって迷いにとらわれがちだった。正直にいえば親鸞をかくにはまだ自分が力不足だし何よりも人間がそこに至っていない。五十台になったらもう一ぺん書きあらためたい。

 いまこの書が講談社から再刊となるにあたって、私は初版の序文に約した自己の良心にたいして、どうしてももくしているわけにゆかない。私の年齢はすでにさきの公約の時期に来ているからである。
 ところが私はまだ三度めの親鸞をかいていない。いつかはと意欲は決して失っていないが、機に会わずにいるのである。また自分の成長も依然たる未熟にとどまっていることを知ってるからでもある。――が、出版社側のすすめとしては、それは将来の課題としておいて、現在の読書子にこの書を再刊する意義は充分にある。――おたがいがすでに痲痺を怖れあうほどにまで眼に見、肉体に知り、耳にききあいている敗戦後のひどい世相の転変とすさんだ虚無感にたいし、またその中にもなお何か求めてやまぬ人たちへたいしても――と熱意をかえない希望なのである。著者としてはさきの序文の公約もあるし、さまでには――と青年時代の山を見ぬ猟夫の意気にもなれない躊躇ちゅうちょをなお持つのだったが、終戦以後、出ずべくして出でない宗教小説ないし宗教面の書のこれが一投石ともなれば再刊もまた多少の意義にはなろうかなどとも思い直してみた。その結果、多少の加筆校訂をする程度でついに出すことにしたわけである。諸子のご諒恕りょうじょを仰いでおく。

 内容についても、一言附しておきたい。
 親鸞の出現は、その時代にあっては、実に宗教の世界ばかりでなく、思想の上にも、庶民生活にも劃期的な変革をよび起した先駆者の炬火そのものだった。
 久しいあいだの貴族宗教のへいや門閥教団の害を彼は打ちやぶった。法悦の楽土を殿堂の神秘から庶民社会へひき下ろした。また秘仏の壮厳しょうごんよりも赤裸な人間のなかに菩提の因子いんしを求めて、これにいつわりのない平明な教義を附したのも彼だった。いわば平民主義新宗教の宣布者であり、日本では前後に見ない民主的な教義をひっさげて出た革新児であった。
 だが、その親鸞においてすら、伝記の史料となると、偶像の瑤珞ようらく粉飾ふんしょくとひとしく、余りに常套的な奇蹟や伝説が織りまぜられていて、これの科学的な分解と小説的調整は決して容易なことではない。
 月の世界に兎がいるとしていた時代には、事実、月の世界に兎が見えていたのであるから、それらの奇蹟伝説も、かつては一価値のものであったにはちがいないが、現代人にはそのままうけ入れられるはずもない。当然、わたくしの小説構成の上ではそうした既成構造がかなり変更され、また敢て無視した箇所もあり、創意も加えられてあることをはばかりなくいっておく。そしてただ著者のおそれるのは、旧著の不備と、菲才にして懶惰らんだ、まだ十年の約を果していない罪とである。ふかくお詫びするのほかはない。
昭和二三・初冬 吉野村菴にて
著者
[#改丁]

乱国篇




第一の声




 朱雀すじゃくの辻に、れいを鳴らして、今朝から、わめいている男があった。
 はちにでもさされたのか、陽にやけた顔が、くさった柘榴ざくろみたいに凸凹でこぼこにゆがんでいる。大きな鼻と、強情ごうじょうらしい唇を持ち、栗のイガみたいに、ぼうぼうと伸びた坊主頭には、白いほこりがたかっていた。
 年ごろは、そんな風なので、見当がつかない。三十とも見えるし、四十かとも思われる。身は、やぶれごろもに、なわおび一つ。そして、くつよりは丈夫らしい素裸足すはだしで、ぬっと、大地からえているというかたちである。
 りいん! りいん! 振り鳴らすれいも、なみな力ではないのだった。群衆は、取りまいて、
「何じゃ」
「どこの山法師かよ」とささやき合った。
 残暑の往来を、牛車ぎっしゃが、ほこりをたててきしる。貴人の輿こしが通って行く。
 また、清盛入道の飛耳張目ひじちょうもく――六波羅童ろくはらわっぱと呼んで市人まちびとに恐れられている赤い直垂ひたたれを着た十四、五歳の少年らが、なにか、平相国へいしょうこくの悪口でも演じているのではないかと、こましゃくれた眼を、きょろきょろさせ、手にむちを持って、群れの蔭からのぞいている。
 だが、男は、はばからない大声で、自分のシャがれ声に熱し切ると、われを忘れたように、右手のれいを、ちゅうにあげて、
清聴せいちょうっ、清聴っ――」と呶鳴った。
「――沙弥文覚しゃみもんがくうやまって、路傍の大衆だいしゅに申す。それ、いますがたを見るに、雲上の月は、絶えまなく政権まつりの争奪と、逸楽の妖雲にたわむれ下天げてんの草々は、野望の武士の弓矢をつつむ。法城は呪詛じゅその炎に焼かれざるはなく、百姓、商人、工匠たくみたちの凡下ぼんげは、住むべき家にもまどい、飢寒きかんに泣く。――まず、そうした世の中じゃ。――そうした世に生きる人間どもは、必然、功利に溺れ、猜疑さいぎ深く、骨肉相食あいはみ、自己をかえりみず、利をれば身をほろぼし、貧に落つれば、人のみをのろう。富者も餓鬼がき! 貧者も餓鬼! そして、滔々とうとうと、この人の世を濁流にする――」ひたいに汗をして、そこまで、一息にいった。
 そして、りいん! とさらに、鈴を振りかけると、
乞食こじき法師、待てっ」誰か、呶鳴った。
 赤い直垂ひたたれが、人垣を掻きわけて、前へ出てきた。
(六波羅小僧)人々は、眼と眼で、ささやき合った。不安な顔をして、法師の鈴と、少年のむちとを、見較みくらべた。法師は、傲然ごうぜんと、
「何かっ」と、いった。
 平家のちょうの威光をかさに着て、いかにも、小生意気こなまいきらしい町隠密の少年は、鞭で、大地をたたきながら、
「おのれは今、――富者も餓鬼、――貧者も餓鬼、――そして、雲上は政権まつりの争奪と、逸楽の妖雲におおわれていると」
「ははは……人の話は、仕舞いまで聞け、それは、昨日きのうの源氏の世をいうたのだ。……これから、今日のことをいう。だまって、そこにいて、聞いておれ!」
 れいを、ふところに入れて、その懐中ふところから、文覚もんがくは、何やら、紙屋紙かみやがみに書いた一連の反故ほごを取り出した。


「これは、勧進かんじんの状」文覚は、群衆へいって、それから、おもむろに書付をひろげだした。
 眼の隅から、はじばされたように、六波羅わっぱは、手もちぶさたに、人混みの中へ、引っ込んでしまう。
(ざまを見ろ)というように、人々は、赤い直垂ひたたれの尻を、眼でわらった。
 文覚は、勧進のふみをひろげ、胸をのばして、さてまた、大声を揚げ直した。
「――今、いったは、昨日のこと。さても明日の世はまた、冥々めいめいとしてわからない。今日が、平和というたとて、生死流転しょうじるてん、三界苦海、色に、酒に、金に、跳猿ちょうえんの迷いからめぬものは、やがて、思い知る時があろうというもの。白拍子しらびょうしの、祇王ぎおうですらも歌うたではないか――
いずるも
枯るるも同じ
野辺の草
いずれか
秋にあわで果つべき
 心し給え、大衆だいしゅ。いずれか秋にあわで果つべきじゃ。ここに不肖ふしょう文覚、いささか思いをいたし、かくは路傍に立って、われらの同血に告ぐるゆえん。ねがわくは、貴賤きせん道俗の助成によって、高雄山たかおさんの霊地に、一院を建立こんりゅうし二世安楽の勤行ごんぎょう成就じょうじゅさせ給え」とひとみをあげた。
 燃えるような眸である。人間同志の今の不安を見過し得ない憂世ゆうせいの血が、その底を流れている。がい一咳いちがいして、
「よって、勧進の状」と、手にひろげていた文を高々と読みはじめた。
それおもんみれば
真如しんにょ広大なり
法性随妄ほっしょうずいもうの雲
あつくおおって
十二因縁じゅうにいんねんの峯にたなびきしより
この以降かた
本有ほんう心蓮の月のひかり
かすかにして
まだ、三毒四曼さんどくしまん太虚たいきょ
あらわれず
悲しいかな
仏日はやく没して
生死流転のちまた冥々めいめいたり
ただ色にふけり、酒にふける
いたずらに人をぼう
また世を毒す
あに閻羅えんら獄卒の責めをまぬがれんや
ここにたまたま、文覚もんがく
俗を払い法衣ほうえを飾るといえども
悪行なお心にはびこり
善苗ぜんびょう[#ルビの「ぜんびょう」は底本では「ぜんぴょう」]、耳にさから
いたましいかな
再び三途さんず火坑かこうめぐ
四生ししょう苦輪くりんを廻らんことを
故に、われ
無常の観門に涙し
上下の真俗をすすめて
菩提ぼだいの悲願に結縁けちえんのため
ひとつの霊場を建てんとなり
それ、高雄は山高うして
鷲峯山しゅうほうざんこずえに表し……
 声かぎり読んでゆくうち、汗はだくだくと彼の赤黒い顔に筋を描いているのだった。群衆は一人去り、二人去って、誰も、懸命な彼の声に、たれている者はなかった。
(なんじゃ、また勧進か)大衆は、銭乞いに、りている。しげなく、彼を残して、散ってしまう。ただ一人、立ち残って、
「おい、盛遠殿もりとおどの」と呼びかけた旅商人たびあきゅうどがある。


「盛遠殿」旅商人はまた、辻の柳樹やなぎの蔭から声をかけて、
「もう誰も、お身のまわりに聞いている者はないぞ。――盛遠殿」文覚は、はっと、勧進のふみから顔を離して、いつのまにか、犬もいない辺りの空地に、舌うちをした。そして、腹だたしげに、
「やんぬるかな!」つぶやいて、勧進の文をぐるぐると巻き、ふところに突っ込んで、歩みかけた。
 すると、日除笠ひよけがさで顔をしばった旅人は、ついと、彼のそばへ寄ってきて、文覚の肩をたたいた。文覚は、じろりと眼を向けて、
「おう。堀井弥太ほりいやたか」初めて、驚いたらしい顔をして手をのばした。
 弥太と呼ばれた旅の男は、なつかしげに、握り合った手を、なぜか急に離して、
(しっ……)と、眼じらせをしながら、路傍みちばたへわかれた。
 さっきの赤直垂あかひたたれの小僧が、ちんと、手洟てばなをかみながら、二人のあいだを、威張って通って行った。そして、小馬鹿にしたような眼を振向けて、ヘヘラ笑いを投げた。
 旅商人は、その眼へ、わざと見せるように、ふところ紙を出して、銭をつつんでいた。そして、文覚の手へ、
「御寄進――」といって、渡した。
「や」文覚は、真面目に受けとって、押しいただいた。
「一紙半銭のご奉加も、今の文覚には、かたじけない。路傍にさけんでも、人は、耳をかさず、院の御所へ、合力ごうりきをとて願いに参れば、犬でも、来たかのように、つまみ出される……」
 旅商人たびあきゅうどの堀井弥太やたは、先へ、足を早めながら、
かわらへ」と、あごをしゃくって、見せた。
 うなずきながら、文覚は、てくてくと後からついてゆく。牛のふんと、白い土が、ぽくぽくと乾いて、足の裏をくような、京の大路であった。
 だが、加茂かもの堤に出ると、咸陽宮かんようきゅう唐画からえにでもありそうな柳樹やなぎの並木に、清冽せいれつな水がながめられて、ひやりと、顔へ、がみのような風があたる。
「ここらでよかろう」二人はどてに坐った。汗くさい文覚のごろもに、女郎花おみなえしの黄いろい穂がしなだれる。
「しばらくだなあ」弥太がいうと、
「無事か」と、文覚もいう。
「いや、俗身はそこもとのように、なかなか無事ではない」
「俺とても、同じことだ」からからと、文覚は、笑って、
「聞かぬか、近頃のうわさを」
「今日、京都みやこへついたばかり。何のうわさも聞いておらぬ」
「そうか。……実は、神護建立じんごこんりゅう勧進かんじんのため、院の御所へ踏み入って、折から、琵琶びわや朗詠に酒宴さかもりしていた大臣おとどどもに、下々しもじもの困苦ののろい、迷路のうめきなど、世の実相さまを、一席講じて、この呆痴輩たわけばら一喝いっかつした所、武者所の侍どもに、襟がみ取ってほうり出され、それ、その時の傷やこぶが、まだこの頭から消えておるまいが……」イガ栗の頭をでて、笑いながら示すのだった。顔の凸凹にがっているのも、その時の棒傷ぼうきずであったらしい。


 文覚は、まだ十九の頃に、若いもとどりを切って、大峰おおみね葛城かつらぎ粉河こかわ戸隠とがくし、羽黒、そしてまた那智なち千日籠せんにちごもりと、諸山の荒行を踏んできた、その昔の遠藤武者えんどうむしゃ盛遠が成れの果てであった。どこかに、面影がある。
 いや、ありすぎる――と旅商人たびあきゅうどの堀井弥太は、そう思いながら、彼の磊落らいらくな話しぶりに、誘いこまれて、腹をかかえた。
「はははは。――道理で、疱瘡神ほうそうがみのように、顔も頭も、れておる」
「まだ、いたい」
りたがよい」
「何の、懲りる男じゃない」
法衣ころもはきても相かわらずの武者魂むしゃだましい、それでこそ、生きている人間らしい」
「生れ変ってこぬうちは、その魂というやつ、氷の上に坐らせても、滝に打たせても、たやすくは、変らぬものじゃて」
「わけて弓矢にきたえられた根性は。――したが一別以来、お互いに、変らぬ身こそ、まずめでたい」
「いや、おぬしの身装みなりは、ひどう変っておるぞよ。初めは、誰かと見違えた」
「これは砂金売かねうりの旅商人たびあきゅうど、よも、侍と見るものはあるまい」
陸奥守藤原秀衡むつのかみふじわらのひでひらが身うち、堀井弥太ともある者が、いつの間に、落魄おちぶれて、砂金商人かねあきゅうどにはなりつるか、やはりおぬしも、無常の木々の葉――。こずえから、何かの風に、誘われたな」
「何の」と、弥太は手を振った。
「これは、世をしのぶ、仮の姿じゃ」
「さては、京都みやこへ、密使にでも来たという筋あいか」
「ま、そんなもの」
「俺の身の上ばかりたださいで、その後のおぬしの消息、さ、聞こう。――それとも、旧友文覚にも、洩らせぬほどの大事か」
「ちと、言いにくい」
「では聞くまい」
「怒ったか」
「ム、怒った」文覚は、わざと、むっとして見せたが、すぐ白い歯をきだして、
「そういわずと、話せ。法衣ころもは着ても、性根は遠藤盛遠、決して、他言はせぬ」
「…………」弥太は、立って、堤のあなたこなたを、見まわしていた。頭に物を乗せた大原女おはらめが通る。河原の瀬を、市女笠いちめがさの女が、使童わらべに、何やら持たせて、濡れた草履で、舎人町とねりまちの方へ、上がってゆく。
 ほかには、せみと、水のせせらぎと、そして白い水鳥の影が、だるく、よどに居眠っているだけである。
「盛遠」坐り直すと、
「わしの名は、文覚。盛遠は、十年も前に捨てた名まえ、文覚と呼んでくれい」
「つい、口癖が出てならぬ。ならばついでに、俺の変名かえなも、おぼえておいて、もらおうか」
「ほ。名を変えたか」
旅商人たびあきゅうどが、堀井弥太では、おかしかろう。――一年に一度ずつ京都みやこ顧客とくい廻りに来る、奥州者の砂金売かねう吉次きちじとは、実は、この弥太の、ふたつ名前だ」
「え。吉次」
「そう聞いたら、何か、思いだしはせぬか」
「思いだした。……おぬし、鞍馬くらま遮那王しゃなおう様へ、ひそかに、近づいているな」


 鞍馬の遮那王しゃなおうずばと、そういったのである。
 この金的は、よもはずれてはいまい――というように、自信をもったひとみで、文覚もんがくは、じいっと、相手の顔いろを見る。
「……うむ」堀井弥太やた砂金売かねうり吉次は、えくぼをたたえて、うなずいた。ふとい――大きな息で、
「……そうか」文覚も、うなずき返した。
 遮那王といえば、源家の嫡男ちゃくなん前左馬頭義朝さきのさまのかみよしともの末子で、幼名おさななを、牛若といった御曹子おんぞうしのことだ。常磐ときわとよぶ母の乳ぶさから※(「てへん+宛」、第3水準1-84-80)はなされて、鞍馬寺へ追い上げられてから、もう、十年の余になる。
「…………」文覚は、黙って、指を繰っていた。弥太の吉次も、黙然もくねんと、大文字山の雲を見ていた。
「今年は、承安じょうあん三年だな」
「さよう――」
「すると、遮那王様には、お幾歳いくつになられるか」
「十五歳」吉次が、答えると、
「ほ……。はやいものじゃ。もう、あの乳くさい源家の和子わこが、お十五にも相成ったか」
「文覚、おぬしもまれには、お会いなさるか」
「いや、一昨年おととし書写山しょしゃざんもうでた折、東光房の阿闍梨あじゃりを訪ねて、その折、給仕に出た稚子ちごが、後で、それと聞かされて、勿体ない茶をんだわと、涙がこぼれた。――噂によれば、僧正そうじょうだにや、貴船きぶね里人さとびとどもも、もてあましている暴れン坊とか」
「さればさ、寺でも、困っておるらしい」
「その困り者へ、眼をつけて、はるばる奥州路から年ごとの鞍馬もうでは……。ははあ、読めた」小膝を打って、
「――奥州平泉ひらいずみの豪族が、おごり振舞う平氏の世を憎んで、やがて源家へ加担かたんの下地でなくて何であろう。これは、世の中が、ちと面白くなりそうだの」それには答えないで、
「おや」吉次は、空を仰向あおむいた。ポツ、と雨が顔にあたる。
 加茂の水には、小さな波紋へ、波紋が、無数に重なった。東山連峰の肩が、墨の虹を吐き流すと、蒼空あおぞらは、見るまに狭められて、平安の都の辻々や、橋や、柳樹やなぎや、石を載せた民家の屋根が、暮色ぼしょくのような薄暗い底によどんでゆく。
「ひと雨来るな」文覚も、立ちあがって、
「弥太。――いや奥州の吉次殿、して、宿は」
「いつも、あてなしじゃ。ねぐらを定めぬほうが、渡り鳥には、無事でもあるし……」
「高雄の神護寺じんごじへ参らぬか」
「いや、さし当って、日野ひのの里まで参らねばならぬ」
「日野へ。何しに?」
遮那王しゃなおう様のお従姉いとこがいらせられて、いつも、鞍馬へのおことづてを聞いてゆくのだ」
「はて、誰だろう?」
「また、会おう。――そのうちに」
「うむ、気をつけて行くがいいぞ」
「おぬしこそ」二人は、別れ別れに、駈けだした。楊柳かわやなぎの並木が、白い雨に打ち叩かれて、大きく揺れている中を。


「雨は、やんだかよ」
「やんだらしいぞ」どこかで、誰か、つぶやいた。
 兵燹へいせんで、半焼けになったまま、建ち腐れになっているおおきな伽藍がらんである。そこの山門へ駈けこんで雨宿りをしていた砂金売かねう吉次きちじは、そっと首を出してみた。
 町は、もう、たそがれている。濡れた屋根の石が、夕星ゆうずつの光に魚みたいにあおく光る。どこかで、ぱちぱちと火のハゼる音がするのだった。赤い火光が、山門の裏からしてくる。そこから、がやがやと、
阿女あま、何を、うまそうに、さっきから、ぴちゃぴちゃと、ねぶっているだ、俺にも、分前わけまえをよこせ」
だよう」
しみッたれめ、よこさぬか」
とりの骨だに、分けようがないだよ。なあ、菰僧こもそうさん」
にわとりを盗んできて、この阿女あまめ一人で腹をこやしてくさる」
「その、味噌餅くれれば、とりの片股をくれてやるだ」
「ふざけるな」
「だって、おら、子持ちだから。他人ひとよりは、腹がすくのは、当りめえだに。……あれっ、だっていうに、傀儡師くぐつしさんよ、その、とりの骨、り返してくんな」餓鬼のように何か争っているのである。のぞいてみると、女のおこもだの、業病ごうびょう乞食こつじきだの、尺八を持った骸骨がいこつみたいな菰僧こもそうだの、傀儡師だの、年老いた顔に白いものを塗っている辻君だの、何して喰べ何しに生きているのやら分らない浮浪人の徒が、仁王におうのいない仁王門の一廓いっかくを領して、火をいたり着物を干したり、寝そべったり、物を食ったり、えんとして、一つの餓鬼国がきこくを作っている。
 院の御所とか、六波羅ろくはらやかたとかまた平家の門葉もんよう第宅ていたくには、夜となれば月、昼となれば花や紅葉、催馬楽さいばらの管絃のに、美酒と、恋歌こいうた女性たおやめが、平安の夢をって、戦いと戦いとの、一瞬の間を、あわただしく、享楽しているのであったが、一皮ひとかわいた京洛みやこの内部には、こうした、えと飢えとの寄り合い家族と、家なき浮浪人が、空寺あきでら、神社、辻堂、石垣、およそ屋根と壁の形さえあれば――そして住むぬしさえいなければ――巣を作って、虫螻むしけらのごとく、けだもののごとく、生きていた。
(噂より、ひどい)吉次は、異臭に、顔をひそめながら、たれて、見ていた。
(――五穀ごこくにも、風土にも、また唐土の文化にも恵まれぬ奥州みちのくでさえ、こんな図はない)
 憮然ぶぜんとして、吉次は、見ていた。まざまざと、悪政の皮膚病がここにもうみを出しているのである。平家の門閥もんばつが、民をかえりみるいとまもなく、民の衣食を奪って、享楽の油に燃し、自己の栄耀えようにのみ汲々きゅうきゅうとしている実相さまが、ここに立てば、眼にもわかる。
(これでいいのか)天に問いたい気がした。
(どうかしなければならない。――神の力でも、仏の力でも駄目だ、兵燹へいせんは、神をも、仏をも、焼いてしまったではないか。――人の世を正しくべるものは、人の力だ、真実の人間だ。ほんとうの人間こそ、今の時世に、待たれるものだ)
 そう考えて、彼は、鞍馬の遮那王しゃなおうに近づきつつある自身の使命に重大な任務と、張合いを感じた。
「やいっ、誰だ」すると、一人の乞食こつじきが、彼を見つけて、とがめた。


 去りかけるとまた、
「やいっ、何だわりゃあ?」傀儡師くぐつしだの、菰僧こもそうだのが、って来そうにしたので、
「へい」吉次は、戻って、
「雨宿りをしていた旅人でございます」
旅鴉たびがらすか」
「やみましたから、出かけたいと思いますが、日野の里へは、まだ、だいぶございましょうか」
「日野なら、近いが、日野のどこへ行くのだ」
藤原有範ふじわらのありのり様のお館まで。はい、使いに参りますので」
「あ、あのお慈悲ぶかい吉光御前きっこうごぜん様のお住居すまいだよ」頓狂とんきょうな声をして、女のおこもが立った。
 すると、浮浪たちも、にわかに丁寧になって、
「吉光御前様のところへ行かっしゃるなら、誰か、案内してあげやい」
「おらが行こう」竹の棒を持った河童かっぱみたいな小僧が、吉次の側へ寄ってきて、
「旅人、案内しよう」
「すまないな」
「なあに、吉光御前様には、おらたち、どれほど救われているかしれないのだ。あのおやかたは、そういっちゃ悪いが、落魄おちぶ藤家とうけの、貧乏公卿くげで、ご全盛の平家とちがい、築地ついじくずれも修築つくろえぬくらいだが、それでいて、俺たちが、お台所へ物乞いに行っても、嫌な顔をなされたことはない……」
 一人がいうと、女のおこもも、
「冬が来れば、寒かろうとて、わしらばかりでなく、東寺とうじや、八坂やさかの床下にむ子らにまで、古いお着物は恵んで下さるしの」口をそろえて、その他の浮浪たちもいうのであった。
化粧けわいに浮身をやつすおしゃれ女や、身の安楽ばかり考えている慾ばり女は、お館という厳めしい築地の中にうんといるが、あんなやさしい女性にょしょうが、今の世のどこにいるかよ。――あのお方こそ、ほんとうの、観世音菩薩かんぜおんぼさつというものだろう」
「そういえば、如意輪にょいりん観世音がご信仰で、月ごとに、ご参詣に見えておいでだが、この春ごろからお姿を見たことがない。――もしや、お病褥いたつきではないかと、わしらは、案じているのじゃ」
 とりの骨をねぶりながら、女のお菰は、そういって、山門の外まで、送ってくる。
 吉次は、心のうちで、うれしかった。その吉光御前というお方こそ、自分が主命をうけて、機会さえあれば世に出そうと苦心している鞍馬の稚子ちご遮那王しゃなおう従姉いとこにあたる人なのであった。
水溜みずたまりがあるぜ、小父さん」河童かっぱは、竹の棒で、真っ暗な地をたたいて、先に歩いていく。
 鼻をつままれてもわからない小路こうじの闇に、野良犬が、えぬいている。犬すら、飢えているように、しゃがれた声に聞えた。
 小川がある、土橋を越える。やや広い草原をよぎると、河童は、竹の先っぽで、
「あそこに、大銀杏おおいちょうが見えるだろう」と、していった。
「……あの銀杏のそばの土塀が、正親町おおぎまち様だよ。藤原有範ありのり様のおやかたは、あそこを曲がると、すぐさ」
「や、ありがと」道をすすんで、二人は目じるしの大銀杏を横に曲がりかけた。すると河童は、何かに、驚いたように、
「おやっ?」と、立ちすくんでしまった。


「なんだ? ……、なんだろう……あれは?」河童は、眼を大きくしたまま、おびえたように、そうつぶやいた。
「あ――」吉次も、その前に、足をとめていたのだった。
 二人とも、呼吸いきをのんだ。そこの大銀杏から小半町先の一廓ひとかこいに、館構やかたがまえが見え、古びた殿作とのづくりの屋根が、墨でいたように、赤松のこずえと、築地ついじの蔭に、沈んでいる。それはいい。
 それはさっき河童がいった有範朝臣あそんの館にちがいないのである。しかし、二人は、そのほかに、なものを見たのであった。
 異なものというのは、そこを曲がった途端に、眼を射た光である。およそ、夜といえば、光に乏しい世界に住んでいる人間にとって、光ほど、尊く、有難く、また、あやしく考えられるものはなかった。
 その光だった。白い虹といおうか、彗星ほうきぼしの尾のような光が、有範朝臣あそんむねとおぼしい辺りから燿々ようようして、二人が、(あっ?)といった間に、眼をぬぐってみれば、何事にも思えない元の闇なのであった。
「見たか、お前も」
「見た」と、答えて、河童かっぱは急に、
「小父さん、おら、ここで帰るよ」尻ごみをした。
「ご苦労だった」吉次は、銭を与えて、
「――今の光ものを、お前は何だと思う?」
「わかんない」
「俺にもわからぬ。ふしぎなこともあるものだ」
「皆んなに、話してやろう」
「こらこら、うかつなことを、言い触らしてはいけないぞ」
「ああ!」河童は、からすみたいな返辞を投げて、一目散に、もとの道へ、駈けて行った。
 砂金かね売りの吉次は、築地ついじの外に立った。どこを眺めても、盲目めくらのように門が閉まっている。雑草が、ほとんど、門の腰を埋めているのである。野良犬ならば、すぐ跳び越えられるように、崩れている所もある。かずらからんでいるむくの樹の上で、キチキチと、栗鼠りすが啼いた。
変遷かわるなあ……世の中は」しみじみと、彼は、思う。
 藤原氏の一門といえば、人間のなしうる豪華な生活図を地上に描き尽したものである。それが、武家同士の興亡となり、武家政治となり、今の平家の全盛になってからは「落魄おちぶ藤家とうけ」とあざけられて、面影もない存在になってしまった。狐狸こりでも住みそうな、この古館ふるやかたのしいんとしていることはどうだ。も見えぬし、犬すらもここにはいないとみえる。
 とん、とん、とん……試みに、裏門とおぼしい所を、吉次は、そっと叩いてみた。そして、低声こごえで、
「こん晩は――」何度か、訪れてみた。
「駄目だ」考えていたが、やがて、小石をひろって、侍部屋らしい屋根を目あてに、投げつけた。
 しとみを上げる音がした。――間もなく、つぼのうちで、あかりが揺らぐ、そして、木履ぼくりの音が、カタ、カタ、と近づいてきた。


「誰じゃ」姿は見えない。門をへだてて、中にいる侍がたずねた。
砂金かね売りの吉次きちじと申しまする。おやかた様か、御奥おんおくかたに、さよう、おつたえ下されば、おわかりでございまする」
「吉次?」考えているらしい。
 雨あがりの草叢くさむらに、虫がきぬれている。吉次はまた、ことばをして、
「――奥州の堀井弥太やたと仰っしゃってくだされば、なおよくお分りのはずでございます。かねがね、ご書状をもちまして」いいかけると、ガタンと、門のがうごいて、
秀衡ひでひら殿のお身内人みうちびと、堀井殿か」
「いかにも」
「それは、失礼を――」すぐ開けて、
「拙者はいつも、おん奥の御代筆を申し上げ、また、そちらよりの御書面にも、拙者の宛名で御状をいただいておる、当家の家来、侍従介じじゅうのすけでござる」と二十歳はたちぐらいな若侍が顔を出した。
「や、そこもとが」
「初めて、御意を――」二人は、旧知のように、あいさつを交わした。
「おん奥の方には、先つ頃、上洛のぼりました節、清水きよみず御堂みどうのほとりで、よそながらお姿を拝したことがござりますが、おやかたには、今宵が初めて」
「よう御座った、まず」と、内に入れて、侍従介は、門を閉めた。
 壺の内も外も、境のないほど、秋葉がいしげっている。まだ、萩に早く、桔梗ききょうも咲かぬが、雨後の夜気は、仲秋のように冷々ひえびえと感じる。
 召使も、極めて少ないらしい。さむらい部屋へ通されて、吉次は、畏まっていたが、しょくを運ぶのも、茶を煮てくるのも、みな侍従介だった。しかし、ここに入ってから感じたことは、外から見たようすとはちがって、なにか、藹々あいあいとしたなごやかな家庭味とでもいうものが、さすがに教養の高い藤原氏の住居すまいらしく、身をくるんでくれることだった。あら削りな武人の家庭や、でなければ、浮浪の餓鬼がきの生活にしか接してない吉次には、
(やはり、ゆかしいものがある……)とそこらの調度や、どこかでくゆらしている香木こうぼくのかおりにも、そう思えた。
「失礼いたした」侍従介は、座に着いて、
「実は、ちと、お館におとり混みがござるので」
「ほ」吉次は、途中で耳にした噂を想いだして、
「どなたか、ご病人でも」
「なんの」と笑った。その侍従介の顔の明るさに、彼は、むしろ意外な気持がした。
「およろこびごとでござる。――この春、承安じょうあんの三年弥生やよい朔日ついたちたまのようなお子様がお生れ遊ばしたのでござる。それがため御当家は百年の春がめぐったように、お館様も、おん奥の方も、御一門の若狭守わかさのかみ様も、宗業むねなり様も、朝に夜に、お越しなされて、あのとおり、奥でのお団欒まどい。折から今宵は、お喰べめとやら、お内輪の祝いでな」
 吉次は、そう聞くと、とたんに、ここへ来る前に見た、むねの光を想いだしていた。


「で……お目通りはなりかねるが、貴所の来られたこと、お取次ぎはしておいた」侍従介じじゅうのすけは、そういった。
 しかし、吉次の用件よりは、彼自身、一緒になって、主家の慶事にほくほくしていて、すぐ、そのほうに、話題をもどすのだった。
 お子は、いとすこやかで、貴相気高く、珠のような男子おのこであること。
 また、おん名は、母御前ごぜんの君が、胎養たいようのうちに、五葉の松を夢見られたというので、十八公麿まつまろ君と名づけられたということ。また、十二ヵ月も、御胎内にあったということ。
 それから――母の吉光きっこう御前が、なみならぬご信仰であったせいか、御入胎ごじゅたいのまえに、如意輪観世音にょいりんかんぜおんのお夢をみられたり、そのほかにも、いろいろな奇瑞きずいがあったということ。
 そしてまた、さるひじりが、わざわざ訪ねてきていうようには、今年は、釈尊しゃくそん滅後二千一百二十二年にあたる、あるいは、霊夢やもしれぬ。松は十八公と書く、弥陀正因本願みだしょういんほんがんの数につうじる。この嬰児ややこそ、西方弥陀如来さいほうみだにょらいのご化身けしんぞとおもうて、よくよくいつくしまれたがよい――と、母体の君の枕べを、数珠じゅずをもんで伏し拝んで去ったということ。
 彼の話は尽きない。吉次も、耳よりな話と、心にとめて、聞いていた。
 鞍馬の御曹子おんぞうしに告げたらば、さだめし、一人の源家の味方がふえたと、力づよくも思われよう。すると、奥まった東のおくで、
侍従介じじゅうのすけ」と、誰やらが呼ぶ。
「はい」会釈えしゃくして、彼は、立って行った。
 この次、遮那王しゃなおうに会う時には、ちと、渡して欲しい物があるゆえ、立ちよってもらいたい――と、かねて、吉光きっこう御前からの書面の約束で、吉次は、来たのであった。
(お従弟いとこへ、渡してくれとは、一体、何かな)吉次は、しびれた足を、少しくずして、待っていた。そして、吉光御前の、初産ういざんの美を、そっと、まぶたで想像した。
 一、二度、清水きよみずのあたりで、姿はよそながら見たことがある。まだ、年もお若いはずだ。人妻でこそあるが、まことに、清純な麗人でおわした印象が今もふかい。気品においては、源家の正統、鎮守府将軍義家ちんじゅふしょうぐんよしいえ嫡男ちゃくなん対馬守義親つしまのかみよしちかの息女、云い分のあろうわけはない。
 同じ、義家将軍を祖父として、源義朝よしともは、いうまでもなく、彼女の従兄いとこにあたるが、その義朝こそは、平相国清盛へいしょうこくきよもりの憎悪そのものであった。
 幸いといおうか、不幸といおうか、彼女は、見るかげもない不遇な藤家とうけに、十五の年からかたづいていたので、まさしく相国の仇敵義朝の従妹いとこではあったが、清盛の眼には、そのために、無視されて、無事のうちに暮して来られたのであった。
 無視の中から、十八公麿まつまろは生れた。――のちの親鸞聖人しょうにんである。
 もし、彼女の良人である有範朝臣ありのりあそんが、時めく才人であるか、政権をめぐる時人であったらば、十八公麿まつまろは、生れていなかったかも知れない。
 なぜならば――その前に、吉光御前の血統ちすじは六波羅のむところとなって、義朝の子たちである――頼朝よりとも遮那王しゃなおう(義経)のような厳しい追放をうけないまでも、何らかの監視と、束縛に、家庭はのろわれずにいなかったに違いないからである。
「や。お待たせした」侍従介は、やがて何やら、小筥こばこを持って入ってきた。

十一

「これを、鞍馬くらまの遮那王様へ、さし上げてくれいと、おん奥の方のお伝えでござる」
 小筥を前に、侍従介がいう。平たい塗筥ぬりばこである。ゆるしをうけて、吉次は、そっと、ふたをとって見た。伽羅きゃらの香が、煙かのように、身をくるむ。
 白絹でつつんで、さらに、ちつで抱いた愛らしい一帖いちじょう経本きょうほんがはいっていた。紺紙に金泥きんでいの細かい文字が、一字一字、精緻せいちな仏身のように、端厳たんげんな気と、精進しょうじんの念をこめて、書かれてあった。
「どなたの、ご写経でございまするな」吉次がいうと、
「されば」侍従介は、改まった。
「お従弟いとこにあたる遮那王様の孤独を、人知れず、おいとしがられて、吉光御前様が、日頃から、心にかけて遊ばされたもの。……その由、鞍馬へ、おつたえして賜われ」吉次は、ちょっと、不満な顔いろを見せたが、押しいただいて、ふところに納めながら、
「そのほかには?」
「おことばでよいが――くれぐれも、亡き義朝公、源家ご一門のため、回向えこうおこたらずご自身も、朝暮あけくれに仏道をお励みあって、あっぱれ碩学せきがくとおなりあるようにと……。おん奥の方、また、おやかた様からも、ご伝言にござりまする」
「承知つかまつりました。では、これで……」吉次は、辞して、元の裏門から外に出た。
 宵よりも、星明りが冴えていた。夜は通る人もない日野の里だった。
「なんのこった……」苦労して、訪ねてきただけに、期待がはずれて、彼は、がっかりした。
 吉光御前の思いやりと、自分や自分の主人あるじ秀衡ひでひらが考えている思いやりとは、同じ遮那王しゃなおうにもつ好意にしても、まるで、性質がちがっていたことを、はっきり、今、知った。
 自分の主人あるじ秀衡ひでひらは、遮那王を、仏界から下ろして、源氏再興の旗挙げをもくろんでいるのであるし、吉光御前や、有範朝臣ありのりあそんは、あべこべに、遮那王が身の終るまで、鞍馬寺に、抹香弄まっこういじりをしていることを、祈っているのだ。
 なるほど、それは、遮那王の身にも、彼の従姉いとこにも、無事な世渡りにちがいない。だが、そうして、源家のわずかな血脈が、一身の安立ばかり願っていたら、源氏はどうなる。平家をいつまでも、ああさせておくのか。また、路傍の飢民きみんをどうするかである。
 彼はもちまえの東北武士らしい血をあらだたせて、さりげなく、預かって出た写経の塗筥ぬりばこを、手につかんで、つばをした。
「こんなもの! 遮那王様に渡しては、ご立志のさまたげだ」
 築地ついじの下のみぞへ向って、砕けろとばかり、たたきつけた。
 汚水にそれを叩きつけたが、とたんに彼はふと、吉光御前のやさしい姿をまぶたに見た。光りある人間のあたたかな魂へ、土足をかけたような、おそれに襲われた。
 むくの葉のしずくが、背にこぼれた。ぶるっと、何げなく、築地のうちの屋根の棟を振り向いた。しかし、さっきの光りものも見えない、何の異も見出せなかった。
 だが、その時、彼の耳をつよくったものがある。生れて間のない嬰児えいじの声だ。十八公麿まつまろが泣くのだった。その声は、ただごとでない、地殻を割って、万象ばんしょうの芽が、春へのび出すような力のある、そして、朗かな、生命の誕生を、世に告げるような声だった。
「あっ……」吉次は何ということもなく、すくみあがった。両手で耳をおおって、暗い野を、後ろも見ずに駈けていた。

おし




 空地が半分以上もめている六条の延寿院えんじゅいん附近は、千種町ちぐさまちというのが正しいのであるが、京の者は、源氏町と俗にんだり、また、平家方の雑人ぞうにんたちになると、
牛糞町うしぐそまち」などといって、振わない門族の果てを、住宅地の呼び名にまで嘲侮ちょうぶすることを忘れなかった。
 若狭守範綱わかさのかみのりつなは、そこに住んでいた。源氏ではないが、院の歌所の寄人よりゅうどたちの官舎は、昔からその地域内にあるのだからしかたがなかった。
 なぜ、この辺を牛糞町というかというに、人間の住む地域に、
「六条お牛場うしば」というのが割り込んでいて、汚い牛飼長屋だの、牛小屋だのが、部落みたいに散在している上に、空地には野放しの牛が、白いのだの、ぶちだの、茶だの、随所に草を喰っていて、うッかり歩くと、文字どおり、豊富な牛糞を踏みつけるからであった。
 だから、秋になっても、なかなかはえが減らなかった。歌人である範綱朝臣のりつなあそんは、永く住み馴れたいえではあったが、それでも時々、
(蠅のいないところに住んでみたい――)と、つくづく思うくらいだった。
 しかし保元、平治以来このかたの戦つづきに、歌人などは、まったく、無用の長物と忘れ去られて、ことに、為政者いせいしゃの眼からは、
(歌よみか。歌よみなら、牛糞町に住ませて置くのが、ちょうどよろしいのだ)と、られているかのようであった。
 生活力のない歌所の歌人うたよみたちは、それに対して、不平の不の字もつぶやけなかった。
「ちっ」範綱は、机をわきに寄せた。
 すずりに、紙に、たかっていた秋の蠅が、彼と共に、うるさく、起つ。
奥所おく――」妻をよんで、
粟田口あわたぐち慈円じえん様へ、久しゅう、ごぶさた申し上げているで、おあずかりの歌の草稿、お届けいたしながら、ご機嫌をうかがってくる」
「きょうは、ご舎弟様が、お見え遊ばしはしませぬか」
「御所の戻りに、寄るとはいうたが……。よいわ、いずれ、帰りには、日野の有範ありのりやしきへ立ち寄るほどに、そこで、会おう」
 日野へ寄るというと、彼の妻は、
(またか)というように、微笑んだ。
 子のない彼は、弟夫婦のいえに、子が生れてからというもの、三日に一度は、どうしても、訪れてみねば気がすまないらしかった。
「行っていらっしゃいませ」妻の声をうしろに、まがき菊花きくに眼をやりながら、我がの門を出ると、
「やあ、兄上」末弟の宗業朝臣むねなりあそんが、ちょうど、門前に来あわせて、
「どこへ、お出かけですか」と、肩をならべた。


「弟か、よいところへ」と範綱のりつなは、もう宗業むねなりが同行するものと独りぎめに決めて、歩みだしていた。
粟田口あわたぐちの大僧正のもとへ、添削てんさく詠草えいそうを、持って参ろうと思う。そちも来ぬか」
「参りましょう」
「そして、帰りには、日野へ立ち寄って、十八公麿まつまろの笑顔を見よう」
「見るたびに、大きゅう育って参りますな」
「ははは。嬰児あかごじゃもの、育つは、当りまえだ」
「でも、十日も見ぬと、まるで変っているから驚く」
「おまえも、こしらえたらどうだ」
「なかなか」宗業は、首を振って、
「平家といえば、平家のはしくれでも嫁に来てがあるが、落魄おちぶれ藤家の、それも、御所の書記などの小役人へは、今の女性おんなは、嫁にも来ないからなあ」とかこった。
「――といって、従四位藤原朝臣あそんと、痩せても枯れても、位階があれば、雑人ぞうにんや、凡下ぼんげの娘を、妻にも持てず……」
 空地の牛が、晩秋の長閑のどかな陽なたに寝そべって、悠長な声を曳いて、いていた。
 弟のかこごとに、範綱のりつなは、同情をもって、うなずいた。
 けれどまた、妻をもち、沢山な子をもち、位階と貧乏の板ばさみになって、老いさらぼっている同族の誰彼よりは、まだまだ独り身が気楽なのだ――とは、いつも、彼が弟をなだめる言葉の一つであった。
 範綱、有範ありのり宗業むねなり。こういう順に、男のみの三人兄弟ではあるが、長兄うえの範綱は歌人だし、中の有範は、皇后大進だいしんという役名で、一時は御所と内裏だいりとに重要な地位を占めていたが、今は洛外らくがいにああして隠遁いんとん的にくすぶっているし、末弟すえの宗業は、書記局の役人で、どれもこれも時勢に恵まれない、そして生活力に弱い公卿くげぞろいなのである。
 そのくせ、当代、和歌では、藤原範綱といえば、五指のうちに数えられるほど著名な人物であるし、また末弟すえの宗業も、天才的な名筆で、早くから、写経生しゃきょうせいの試験には合格し、十七歳のころには、万葉集全巻を、たった十日で写したというので、後白河帝の御感ぎょかんにもあずかったほどな、秀才なのであった。
 だが、どんな天才でも秀才でも、歌人うたよみや、書家では、今日の社会が、その天稟てんぴんたたえもせず、用いもしないのである。それが、藤氏や源氏の家系の者の場合は、なおさらのことで、むしろ、自分を不幸にする才能とすらいえないことはない。
 しかし、そうした生き難い世に生きても、兄弟は、心まで貧しくなかった。眺めやる七条、五条の大路には、糸毛のくるま八葉はちようの輦、輿こしや牛車が、紅葉もみじをかざして、打たせているし、宏壮な辻々の第宅ていたくには、昼間から、催馬楽さいばらの笛が洩れ、加茂川にのぞむ六波羅ろくはら薔薇園しょうびえんには、きょうも、小松殿か、平相国へいしょうこくかが、人招きをしているらしく、蝟集いしゅうする顕官のくるまから、眼もあやなばかり、黄金こがねの太刀や、むらさきの大口袴おおぐちや、ぴかぴかするくつや、ろうやかな麗人がこぼれて薔薇園のにわと亭にあふれているのが、五条橋から眺められたが、
うらやましい)とは、感じもしなかったし、なおのこと、(不都合な平家)などとは、思いもしなかった。
 平家を憎悪する気力すらないのが、今の藤原氏であり、源氏の果てであった。
「オ。……ここじゃ」いつか、粟田口あわたぐちへ、二人は来ていた。十禅師じゅうぜんじの辻まで来ると、範綱は、足をとめて、
「弟、御門外で、待っているか、それとも入るか」と宗業に訊いた。


「私は、外で待っていましょう」と、宗業はいった。
「そうか」範綱は、ちょっと、考えていたが、眼の前の、青蓮院しょうれんいんの小門を片手で押しながら、
「じゃあ、今日は、わし一人で、ご拝謁はいえつをしてこよう。すぐに、戻ってくるからな」と、中へ隠れた。
 宗業は、塀の外をしばらくぶらぶらしていたが、やがて、鍛冶かじいけのそばへ行って、雑草の中の石に、腰をおろし、ふなかなにか、水面みなもをさわがしている魚紋に見恍みとれていた。時々、顔を上げて、
(まだか)というように、青蓮院の方を、振向いた。
 そこから見ると、青蓮院の長い土塀と、土塀の中の鬱蒼うっそうとした樹林は、一城ほどもあって、どこに伽藍がらんがあるのか、どこに人間が住んでいるのか、わからなかった。
和歌うたの話になると兄上は好きな道だし、大僧正も、わけてご熱心だから、つかまると、すぐには帰れまいて」宗業は、退屈のやり場をさがしながら、兄と、慈円じえん僧正とが、世事を忘れて、風雅ふうがを談じている姿を、まぶたにえがいた。
 僧正はまだ若かったが、山門六十二世の座主ざすであり、法性寺関白忠通ほっしょうじかんぱくただみち[#「法性寺関白忠通の」は底本では「法性寺関白忠道の」]第三子で、月輪禅定兼実つきのわぜんじょうかねざねとは兄弟でもあるので、粟田口の僧正といえば、天台の法門にも、院や内裏だいりの方面にも、格別な重さをもっていた。
 案のじょう、兄は、入ったきりなかなか戻ってこなかった。魚紋のたわむれにも見飽いて、宗業は、退屈な足をあてなくそこらの草原に彷徨さまよわせていた。
 テーン、カーン、
 つちの音がする。
 白い尾花の中に、屋根へ石を乗せた鍛冶かじ小屋が見えた。
 尾花の中から痩せ犬が、野鼠をくわえて駈けて行く。犬は、一軒の鍛冶の床下へもぐりこんで、わん! わん! 遠くから、宗業へ向って吠えるのだった。
 この野原の部落には、三条小鍛冶さんじょうこかじという名工がひところ住んでいて、それから、ここの池の水が、刀をつのによいというので、諸国から、刀鍛冶が集まって、いつのまにか、一つの鍛冶聚落ぶらくができていた。そして、下手くそな雑工までが、粟田口なにがしだの、三条小鍛冶某こかじなにがしだのと、めいを切って、六波羅武者に、売りつけていた。
「なるほど……。今の世には、書をかくより、歌をよむより、刀をつ人間のほうが、求められているとみえる」一軒の鍛冶かじ小屋の前に立って、宗業は、漠然と、鍛冶のする仕事を眺めていた。真っ黒な小屋の中には、あら金のような、男たちが、※(「韋+備のつくり」、第3水準1-93-84)ふいごをかけたり、炭をいたり、つちを振ったり、そして、
 テーン! カアーン! 火花を、鉄敷かなしきから走らせていた。
 あっちの小屋でも、こっちの仕事場でも、無数の刀が、こうして作られている。――やがて、この刀が、何につかわれるのかを考えると、気の弱い宗業は、怖ろしくなって、そこに立っていられなかった。
「おウい」振向くと、兄の範綱が、青蓮院の方から、駈けてくるのが見えた。宗業は、救われたように、
「御用は、済みましたか」
「いや、やっと、おいとまを告げてきた。ひるにもなるゆえ、食事をして行けと、仰せられてな、弱った」と、範綱は、貴人の前にひれ伏していた窮屈さから解かれて、伸び伸びと、晩秋の明るい野を、見まわした。


「僧正は、おすこやかですか」
「ウム、お変りない」
和歌うたも、おすすみでしょうな」
「ご上達だ。われらにも、およばぬお歌が時々ある」
「しかし、俗衆の中に生活くらしている吾々のうたうのと違って、ああして、名門にいでて、深堂しんどう座主ざすとなられていては、花鳥風月の心はわかっても、ほんとに、人間の悩みとか、涙とか、迷いとか、そういう歌は、お分りにならぬでしょう」
「いや」範綱のりつなは、首を振った。山萩の寝ている野道を曲がって、狭いだらだら坂を先へ降りて行きながら、
「そうでないな」
「そうでしょうか」
「世間のことも、実によう知っておられる。武家達の行動、政治の策謀、院のお出入り。……ただ、知らん顔をしておられるだけじゃよ」
「ははあ」
「知った顔をせぬことが、今の時代には、賢明な、君子の常識じゃ。まして、名門のお子はな」
「なるほど」
「こんな事も仰せられた。――この坂下の吉水よしみずに、ちかごろ、年四十ばかりの、ひょんな法師があらわれて、念仏専修の教義をしきりと説いておるが、凡僧の月並つきなみとちがって、たまたま、よいことばがある。――参内さんだいのせつ、おうわさ申し上げたことじゃったが、武権争奪、武門栄華の世ばかりつづいて、助からぬは民衆ばかり。その民衆のために、民衆の魂を、心から、救うてとらすようなひじりが出てくれねば、仏法の浄土とは、嘘になる。――そうした折に、吉水の法師は、待たれていたひでりの雲じゃ。帰途かえりに、一度、そちたちも聴聞ちょうもんしてゆくがよいと、いわれたがの」
「ほ。……そんなことまで、ご存じでしたか」
「おしのびで、御門を、お出ましになるのであろう」
「吉水のあたりに、このごろ、熱心な念仏行者が出て、雨の日も、風の日も、説法しているという噂は聞きましたが」
「道のついでじゃ、廻ってみようか」
「さよう――」たいして、心をひかれるのでもなかったが、二人は、粟田口の僧正が、それほど、たたえる僧とあれば、どんな法師か、姿だけでも、見ておいてもいいというくらいな気持で、立ち寄った。
 歌の中山や、清水きよみずの丘や、花頂山かちょうざんの峰々に抱かれて、そこは、京の町を見下ろした静かな盆地になっていた。
「お……なるほど……たいへんな人群ひとむれだ」吉水の近くへ来ると、祇園林ぎおんばやしや五条の坂や、また、四方よもの道を遠しとも思わないで、ぞろぞろと、集まってくる往来に、二人は、顔を見あわせた。
 仕事の隙間に駈けてきたような百姓や、木挽こびきや、赤子の手を引ッぱったかみさんや、頭へ荷を乗せている物売りや旅人。――またやや反感を眼にもってまぎれこんでいる他宗の法師とか、被衣かずきで顔をかくしている武家の娘とか、下婢かひとか、侍とか、雑多な階級が、一色になって、そこの小さい三間みまばかりの禅室へ、ひしひしと、集まって行くのだった。
「……何という勢いだろう」宗業も、範綱も、唖然あぜんとして、このすさまじい人間の群れにたれていた。
 すり切れた草履に、ほこりを立て、わらわら、ここへ群れてくる人々の眼には、一滴の水でもいい、何ものでもいい、心のやすみばを――心の息づきを――干乾ひからびきった魂のかてとなるものならばと、必死に求めているような顔つきに見えた。


 丘一つむこうでは、鍛冶聚落かじむらの刀鍛冶たちが、戦国の招来を謳歌するように、鎚音つちおとこだまさせているし、ここでは、迷える民衆が、
「なむあみだぶ――」
「なむあみだぶ」一人の念仏行者をかこんで、えた子のごとく、群れ寄って、救われようとしているのである。
「兄上、こちらへ来たら、少しは聞えるかも知れませぬ」宗業は、人々に押されながら、禅室の横へ迫った。
 混雑するはずである。禅室の庭は、二十坪ほどしかない。柴垣も破れ、庭の内にも外にも、群集が、笠を敷いたり、むしろをひろげたりして、いっぱいに、坐りこんでいる。後ろの方にも、三重四重に人間が立っているのである。
 八畳、六畳、小部屋が一つ。わずか三間みましかない禅室も、明り障子をとり払って、縁や、土間の隅にまで、坐れるだけの人間が坐っていた。
 その、真ん中の一室に、うわさの人、法然房源空ほうねんぼうげんくうは、坐っていた。
 高壇もない。金色の仏具などもない。
 ただ、畳台たたみだいを一じょう、少し奥のほうへ引き下げて、古びた経机きょうづくえを一つ置き、それを前に、法然は、坐っているのである。朽葉色のころもに白い木綿を下に着て、そう高くはないが、よくとおる声で「念仏往生義おうじょうぎ」の心を、子どもにも、老人にもわかる程度に、噛みくだいて話しているのであった。
「ウーム……」範綱は、何を感じたのか、宗業の耳のそばで、うめいていた。やがて宗業へ、
「あの僧、なるほど、異相をそなえておる。……慈円じえん僧正は、さすがに、お眼がたかい」と、ささやいた。
 兄は、相学そうがく造詣ぞうけいがあるので、そういわれてから、宗業も法然ほうねんの横顔に注意を向け直した。見るとなるほど、なか凹高くぼだかな頭のかたちからして、凡僧とはちがっているし、ひとみが、眉毛の奥に、ふかく隠れこんで、烱々けいけいと、射るものを、うける。ながらにして、社会の裏まで、人類の千年先までを見とおしているような、こわい光にも見えるし、ふとまた、そこらにいる赤子にでも慕われそうな、やさしいまなざしに、思われる時もある。
疑われるなよ人々
浄土じょうどはあり、浄土はやすし
源空げんくうが、九年の苦学に
得たるは一つにそうろう
ただ念仏往生の一義に
候なり
 朗詠でもするように、法然の声は、澄んでいた。さわぎ立っている無数のたましいの波が、やがてしいんと、のりこえに、耳を傾けだしたころに、彼の声は、熱をおび、信念そのものとなって、ぐいぐいと、民衆をつかんで説く。
「――疑うな!」法然は、第一にいうのである。
「まず、念仏を先に唱え候え。――自分の有智うち、無智、悪行、善行、職業、骨肉、すべての碍障げしょうはばめられず、ひたすら、仏光に向って、一念十念、称名しょうみょうあること浄土の一歩にて候ぞや」
 ――何事が起ったのか、その時後ろの方で、がやがや騒ぎだす者があって、
「え、文覚もんがくが」
「文覚が、どうしたと?」
「行ってみい、行って見い」崩れだして、十人、二十人ずつ、わらわらと四条の方へ、駈け降りて行った。


 水にうつされた月のように、澄みきっていた法話のむしろも、風がたったように掻きみだされた。
「なにや」
「なんじゃと」
 振り向く。起つ。そして、次々に、「行ってみい」と、崩れては、走り去る。もうこうなっては、何ものも映らない大衆だいしゅの心理を法然は、知っていた。
「きょうは、これまでにしておきましょうぞ」
 経机きょうづくえに、指をかけて、頭を、人々のほうへすこし下げた。
 残り惜しげな顔もある。また、なお何か、質疑をしている老人もあるし、
「ふん……」せせら笑って去る他宗の法師もあったりしたが、多くは、わらわらと、まいして、ふもとへ散った。
 範綱のりつなと、宗業むねなりとが、そこへ降りてきたころには、六波羅大路ろくはらおおじから、志賀山道への並木へかけて、
「わあっ――」
「あれじゃ」人の波であった。ほこりがひどい。その中を、
「寄るなっ」
凡下ぼんげども!」竹や、棒を持ったわらじばきの役人が、汗によごれながら、群衆を、叱ってゆく。
 見ると――人間のつなみに押しもまれながら、一台の檻車かんしゃが、ぐわらぐわらとくぼの多い道を揺られてゆく。
 くのは、まだらの牛、護るのは、眼をひからした刑吏けいり雑兵ぞうひょうであった。
文覚もんがく文覚」追っても、叱っても、群衆はついてゆくのである。そのほこりと、うしおに巻きこまれて、範綱、宗業のふたりも、いつか、檻車のまぢかに押されて、共にあるいている。
 丸太か石材でも運ぶような、ふつうの牛車のうえに、四方尺角ばかりの太柱ふとばしらをたて、あらい格子組こうしぐみに木材を横たえて、そのなかに、腕をしばられた文覚は、見世物の熊のように、乗せられているのだった。
 よろめくので、彼は、脚をふんばって、突っ立っていた。役人が、なにかいうと、
「だまれっ」と、呶鳴ったり、
「ぶち壊すぞっ」と、檻車のなかで、暴れたりするのである。
(手がつけられん)というように、役人たちが、見ぬふりをしてゆくと、
「俺たちの、同胞はらからよ」文覚は、おりのなかから、いつもの元気な声をもって、呼びかけた。
「この檻車は、あずまを指してゆくのだぞ。日出ひいずあずまの果てを指して――。俺は、伊豆にながされてゆく。だが、そこから必ず窮民の曙光しょこうが、遠からぬうちに、さし昇って、この世の妖雲をはらうだろう」
「しゃべってはいかん」刑吏が、ささらになった竹の棒で、檻車かんしゃをたたくと、彼は、雷のような声で、
「おれは、おしじゃないっ」
「だまれ」
「だまらんっ。――この世は唖になろうとも、この文覚の口はふさげぬぞ」


 それからまた、
「天に口なし、人をもっていわしむ」文覚は、よけいに声を張って、いてくる群衆へ、朗々と歌って聞かせた。
宝財永劫とわたまならず
位冠栄衣いかんえいいも何かせん
民の膏血あぶらともして
おごりの華ぞあやうけれ
明日あすにしもあれひとあらし
あらじと誰か知るべきや
「こらッ」竹棒は檻車かんしゃなぐって、
「歌をやめんと、水をかけるぞっ」
「かけろ」文覚は、動じもしない。
「――俺を捕えて、伊豆へながすなどとは、野に、虎を放つものだ。あわれや、平家の末路は見えたっ」
「走れ」役人は、牛飼うしかいへいって、牛を走らせた。
 わだちが、すさまじい地ひびきを立て、そして、漠々ばくばくと、黄いろい土ぼこりを、群衆の上へ舞わせた。
「――この世に、無限の栄華はない。いわんや、平家においてをや。民よ、大衆よ、気を落さずに、世の変るのを待てっ!」
「わあっ」民衆は、どよめいて、
「変れっ、改革あらたまれ」発狂したようにさけんだ。
 びし、びし、とむちわれて、檻車を曳いてゆくまだらの牛は、尾をふって、狂奔きょうほんしてゆく。
 文覚は、遠ざかる人々へ、
「おさらば」群衆も、眼に涙をためて、
「おさらば――」ほこりで、くらくなった。
「ああ」と、力なく、草いきれのような嘆息ためいきが、そこやここに聞える。そして、人々が見聞みききしたうわさを持って町の方へながれて行くと、その間を、例の六波羅わっぱが、しきりと、小賢こざかしい眼をして、罪をいであるく。
「どこへ、お出でたのか」
「こっちでもないらしい」三人の寺侍てらざむらいだった。
 いちど、鳥居大路へ、群衆と一緒に、もどって行ったが、また引っかえしてきて、
「これだから困る」
「あの御曹子おんぞうしには、まったく、手を焼いてしまう。外出そとでは、禁物だ」誰をさがしているのか、きょろきょろと、走ってきて、
「あいや、卒爾そつじでござるが――」と、並木の下で、ばったりと会った範綱のりつな宗業むねなりの兄弟に、すこし息をきって、唐突に、たずねた。
「なんですか」宗業は、足をとめた。
「このあたりで、十四、五歳の御曹子を、お見かけになりませんか」
「さ?」兄を、ふりかえって、
「見ましたか」
「いや」範綱が、かぶりを振ると、三名の寺侍は、彼の方を見て、また、言葉の不足をつぎたした。
「――御曹子おんぞうしと申しても、実は、鞍馬寺の預かり稚子ちごでござるゆえ、ちと、身装みなりにも、特徴があるし、体は、年ごろよりは小つぶで、一見いっけん、きかないお顔をしているのですが」
「知らぬの」兄弟ふたりとも、そう答えた。


「いやどうも」会釈えしゃくも、そこそこ、寺侍たちは、彼方かなたへ駈けて行った。宗業むねなりは、見送って、
「兄上、今の侍どもは、鞍馬寺の者と申しましたな」
「そういうた」
「もしや……」小首をかしげていうのである。
「あの者たちが、見うしなった御曹子と申すのは、遮那王しゃなおうではありますまいか」
「遮那王とは」
「義朝の遺子わすれがたみ――幼名牛若ともうす稚子です」
「ははあ」
「どうも、そんな気がする」血縁はあらそわれない、血が知らせるのである、宗業は足をとめたまましきりと見まわしていた。
 すると、すぐ後ろの、源頼政みなもとのよりまさのある中山堂の丘に、白い尾花おばなを折り敷いて、にこにこ笑っている稚子髷ちごまげの顔が、ちらと見えた。
「あっ、る……」兄の袖をひくと、範綱も、見あげていた。そこは、さっき、文覚護送の檻車かんしゃが通った時、たくさん、見物がいた所である。稚子は、背がひくいので、そこへ登って眺めていたものと思われる。
 すぐ、彼のそばの尾花の中に、もう一人、誰かかがみこんでいた。旅商人たびあきゅうど砂金かね売り吉次だった。
 何かささやいているらしい。しかし、遮那王は、吉次のほうへは顔を向けないで、いかにもうつろなひとみをしているように、真っすぐに、雲を見ていた。ただ、時々うなずきながら微笑するのである。
「――疑ぐられてはいけませぬ。はやく、お帰りなさいませ」吉次がいう。遮那王は、首をふる。
「いいよ」
「でも」
「いいというのに」
「まだ、時機が熟しませぬ。――今日のところは、山へお帰りあって」
「わかったよ」
「では」
「いいと申すに。ふだん、わしを、うるさく見張ってばかりおるゆえ、あの三人に、すこし、窮命させて、探させてやるのじゃ、あれ見い、阿呆顔あほうがおして、れておるわ」並木を、四、五町も先へ行って、寺侍たちは、つかれた顔をして、また、こっちへもどってくる。それを、おかしげに、遮那王しゃなおうの小さいあごがさして笑う。やがて、
「やっ、あんな所に」見つけたとみえて、寺侍たちは、わらわらと丘の下へ駈けてきた。そして、
「遮那王さま!」手を振って、呼びたてる。吉次は、とっさに、
「ではまた」と、一言ひとことのこして、野狐のように、中山堂のうしろへ、隠れこんでしまった。
 けろりとした顔で、遮那王は立っていた。なるほど、十五歳にしては小つぶである。指で突いたように、頬にはふかい笑靨えくぼがある。歯が細かくて、味噌ッ歯のたちだった。なつめのように、くるりとしてよくうごく眼は、いかにも、かん気と、情熱と、そして、やはり源家の家系に生れた精悍せいかんな血潮とを示して、それが、稚子ちごであるために、単純化されて、ただものが何気なく見ては、悪戯いたずらッぽい駄々っ子としか見えないであろうほど、無邪気な眸であった。


「そんな所に、何をしておいでなされましたか」附人つけびとの寺侍は、叱るように、丘を仰向あおむいていった。稚子の遮那王は、
「何もしておりはせん」首を振って、
「おまえ達を、探していたんだ」と、あべこべにいう。下の者は、あきがおをして、
「早く、下りておいでなさい」
「行くぞっ」遮那王は、たこのように、両袖をひろげて、丘の上から姿勢をとって、
「ぶつかっても、知らないぞ――」丘のうえから、まりをころがすように、駈け下りてきた。
「あっ――」身をよけるまに、一人の寺侍へ、わざとのように、遮那王は、どんと、ぶつかった。大きな体が仰向けざまに転がった。小さい遮那王は、それを踏んづけて、彼方かなたへ、跳びこえた。
「ハハハハ。ハハハハ」手を打って、笑いこける。
「おろかなお人じゃ。だから、断っておいたのに」
 見向きもしないで、もう、すたすたと先へ行く。――足のはやさ。寺侍たちは、息をきって、その小さくて颯爽さっそうたる姿を追ってゆくのであった。宗業むねなりは、見送って、
「兄上、やはり、鞍馬寺の牛若でございますな」
「ウム」範綱のりつなも呆れ顔であった。
「よう、成人したものだ。……常磐ときわのふところに抱かれて、ほかの幼い和子わこたちと、六波羅ろくはら殿に捕われたといううわさに、京の人々が涙をしぼった保元ほうげんの昔は、つい昨日きのうのようだが」
義朝よしとも殿に似て、なかなか、暴れンぼらしゅうござります」
「附人も、あれでは、手を焼こう」
「いや、手を焼くのは、附人よりも、やがて六波羅の平家衆ではございますまいか。伊豆には、兄の頼朝が、もうよい年ごろ」
「しっ……」たしなめるように、範綱は顔を振った。並木のうしろを、誰か、通ったからである。
「われらの知ったことではない。歌人うたよみ文書ふみかきには、平家の世であろうが、源氏の世であろうが、春にかわりはなし、秋に変りはなし、いつの世にも、楽しもうと思えば楽しめる」
「けれど」宗業は声をひそめて、
「なんとなく、ぶきみな暴風雨あらしが、京洛みやこの花を真っ黒に打ちたたきそうな気がしてなりませぬ、――高雄の文覚もんがくがさけんだ予言といい、そちこち、源氏のともがらが、何やら動きだした気配といい……」
「いうな」と二度も、たしなめて、
おしになれ。ものいうことは、罪科つみとがになるぞ」
文覚もんがくもいいました。唖の世だと」
「……そう」と、範綱は、何かべつなことを思いだしたように、
「唖といえば、有範ありのりの和子、十八公麿まつまろは、生れてからもう半歳にもなるに、ものをいわぬと、吉光のまえが、心をいためているが」
「それは、無理です、半歳はんとしの乳のみ児では、ものをいうはずがありません」
「でも、意志で、くちぐらいは、うごかそうに」
「ははは、取越し苦労というものですよ。吉光の前も、日野の兄君も、余りに愛しすぎるから」


 露と、虫の音ばかりである。日野の里は、相かわらず、草ぶかい。
 藤原有範が子飼こがいの家来、侍従介じじゅうのすけは、築地ついじの外の流れが、草にうもって、下水が吐けないので、めずらしく、熊手をもって、掃除をし、落葉焼おちばやきをやっていた。
「おや?」何を見つけたのであろうか、そのうちに、水草のなかへ手を突っこんで、
「オ、これは、いつぞや奥の御方おんかたが、鞍馬の遮那王しゃなおう様へ贈るといって、心をこめて、お書きあそばした写経じゃないかな。――吉次のやつ、かような所へ捨ておって、鞍馬へは持って行かなんだとみえる」水びたしになった塗筥ぬりばこや、かんをひろいあげた。そして、
「憎いやつめ」腹だたしげに、踏み折れている草の足痕あしあとを、めつけている。
 そこへ、範綱、宗業むねなりの二人が、連れだって姿をみせた。昂奮した顔つきで、侍従介が写経のことを訴えると、
「ふむ……捨てて行ったか」二人はそれを見つめて、しばらく考えこんでいた。けれど、範綱も宗業も、べつだん不快な顔いろは出さなかった。捨て去る者には捨て去るものの心がまえがあるのであろう、浄土のさちは人にうべきものではないし、また、この社会よのなかには、浄土をねがうよりも、すすんで地獄の炎をあびようとすら願う者もあるのである。――たとえば、文覚のように。
 二人は、そう考えた。そして、遮那王の将来ゆくすえを心のうちでうらなった。中山堂の丘に、ちらと見えた野狐のような男の影は、ことによると、先ごろの夜、この日野を訪れた吉次であったかもしれぬと、それをも、同時に、さとっていた。
「よいわ、どこぞ、人が足をふまぬところへ、そっと、めておけ」
「勿体ない、畜生じゃ」侍従介は、腹がえないように、まだののしっていた。
「おやかたはおらるるか」
「はい、おいで遊ばします」
「取次いでくれい」
「どうぞ」と、熊手を引いて、先に立つ。わがも同じようにしている館なので、わざと、式台にはかからずに、網代垣あじろがきをめぐって、東のおくにわへはいると、
「まあ」ゆくりなく、そこの南縁のだまりに、乳のみ児を抱いた吉光きっこうまえと、有範ありのりとの夫婦が、むつまじく、児をあやして、くつろいでいた。
 よく、女性の美は初産ういざんに高調するというが、吉光御前のこのごろのやつれあがりのおもざしや、姿は、真夏を越えた秋草の花のように、しなやかで、清楚せいそで、常に見なれている二人にも、その※(「藹」の「言」に代えて「月」、第3水準1-91-26)ろうやかさが、時に、まばゆくさえ見えた。
「おそろいで、ようこそお越し……。さ、こちらの室へ」
十八公麿まつまろは」
「よう、眠っておりまする」
「どれどれ」何よりも先にというように、範綱は吉光の前のかいなのうちをのぞきこむのであった。
 たまが珠を産むとは、これをいうのではあるまいか。母の麗質をそのままにうけている。すやすやと小さい鼻腔からやすらかな呼吸をしている。甘い乳の香と、母性の愛を思わすにおいが、この故郷ふるさとからはすでに遠く人生を歩んできた範綱や宗業の心をもやわらげて、何がな、自分たちの生命いのちの発生にも、ふかしぎなものを考えさせるのであった。

十一

 ここには、諸悪の魔も、ひそむ蔭がない。明るさで、いっぱいだ。
「どれ、私にすこし」宗業が、抱きとると、
「わしにも、抱かせてみい」眠っている十八公麿まつまろを、手移しに、膝へ取って、
「重うなったの」父の有範ありのりは、
「そうじゃろう、なみよりは、ずんとすこやかじゃ」と、自慢気である。するとまた、吉光の前は、
「もう、何か、ものをいうてもよいころではございませぬか」案じ顔にいった。
「ははは、今も兄上と、途々みちみち話したことですが、まだまだ」
「まだでしょうか」
「ご心配はない」
「でも、かたことぐらいは」
「泣けば、よいのです、泣くことは、泣くでしょう」
「時々、耳のひしげるような大声で、泣きまする」
「それでいい」有範はべつに気にはしていなかった。何よりも、膝にのせると、ずっと重いものを感じるこの子の健康さに信頼ができる。親ごころに、おしかと案じれば唖のようにも思えるほどきちりと結んでいる唇は、なかなかあかなかったけれど、ひとみは、つぶらで、よく澄んで、青空のような白眼のうちに耀かがやきをもって、この世への意志を※(「目+爭」、第3水準1-88-85)みひらきかけている、そして、眠る時は、ふかぶかと、濃い睫毛まつげをふせているのだった。
「大丈夫じゃ」父みずからが、こう、折紙をつけていた。
 けれど――やがて、翌年になった。まる一年の誕生日がくる。かぞえ年では、二歳ふたつになったのだ。夏もすぎ、秋にもなった。
 ところが、それにもかかわらず、十八公麿はまだ、ものらしいことくちからもらしたことがない。
 乳母は、ようやく不安らしい眉をひそめて、侍従介じじゅうのすけへ、
和子わこさまは、やはり、おしでいらっしゃるかもしれません」そっと、洩らしたというし、父の有範も、
「よいわ、五体さえ、そろうていれば」と、かなしいあきらめをもちかけて、妻に気を落させまいとした。誰ともなく、出入りする雑人のあいだにも、
「日野のお館に生れた嬰児ややは、唖子おしこじゃそうな」と、噂された。
 母性の人には、それが、冷たく聞えた。彼女もまた、そう信じて、
「なんの因果」と、悲しみ沈んだが、子のない不幸をなげいて、如意輪観世音にょいりんかんぜおんに、
(どうぞ、夫婦に子を)と、祈願をこめたことを忘れて、授かった珠に、わずかな、きずがあったからというて、不平をいうのは慾のふかさというものであると思った。
 ことには、自分の血液というものも考えだされた。源家の戦人いくさびとである祖先たちは、どれほど、この世に修羅しゅらを作ったかしれない。父の義親よしちかや、従兄いとこ義朝よしともが殺した人間の数だけでも、千塔万塔を建ててもおよばぬくらいな罪業であろう。その血統ちすじの末に、ひとりのおしの子が産れるぐらいは、諸行応報のさばきからのがれ得ない人間の子としては、むしろ慈悲のおむくいと、有難く思っていいのではないか。彼女は、そう考え直した。
 だが、母性としての悲しみは、依然として、悲しみであり、世間へも良人おっとへも、いいしれないを感じて、その憂いはぬぐうことができなかった。

十二

 ともあれ今の吉光の前自身なり、有範ありのりの家庭というものは、謙譲にして清楚な、足るを知って不平を思わない生活を持して、ひたすら、精神こころの位置を、信仰と、そして、夫婦愛と、子の愛育とに置いて、いわゆる世間の名聞みょうもん利慾からは遠く離れて住み澄ましていたのであった。
 で――あしたにも夕べにも、このやかたの持仏堂には、一刻いっときのあいだ、有範夫婦のたのしげな念仏の唱名しょうみょうがもれる。
 また、それにならって、若い郎党の侍従介じじゅうのすけも、顔をあらい、口をそそぐと、太陽を礼拝して、
「…………」黙然と念仏する。
 下婢かひも、そうであった。乳母うばも、そうであった。水をみ、使いに走る童僕わっぱまでがそれを習うようにいたって、この古館ふるやかたは何か、燦然さんぜんたる和楽につつまれているかのように、他人からもうらやましく見えるのであった。事実、六波羅殿の栄耀えようも、小松殿の豪華も、この草間がくれの夫婦の生活にくらべれば、その平和さにおいて、幸福さにおいて、遥かに、およばなかったに違いない。
 かりがわたる――秋は深み行く。仲秋の夜だった。
「兄上、ちとばかり、酒瓶さけがめ美酒うまざけさげて参りました」宗業むねなりが訪れた。
 やがて、範綱のりつなも見える。十五夜ではあり、こう三名の兄弟がそろうと、ぜひとも、一献いっこんなければなるまい。吉光の前は、高坏たかつきや、膳のものを用意させて、自分も十八公麿まつまろを抱いて、まどかな月見の席につらなっている。
 わざと、しょくともさずにある。すすきの穂の影が、縁や、そこここにうごいている。ひさしからし入る月は燈火ともしびよりは遥かに明るかった。
 さかずきのめぐるままに、人々の顔には微醺びくんがただよう。――詩の話、和歌うたの朗詠、興に入って尽きないのである。と、思い出したように、
「そうそう」吉光の前へ向って、宗業がいった。
六波羅ろくはら探題たんだいから、なんぞ、お許様もとさまへ、やかましい詮議せんぎだては、ありませんでしたか」
「いいえ……」吉光の前は、顔を横に振って、
「べつに、六波羅役人から、さようなことは申して参りませんが? ……何ぞそのような噂でもあるのでございまするか」
「いや何、私の取越し苦労です。――というわけは、お従弟いとこの鞍馬の遮那王しゃなおうどの、とうとう、山を下りて、関東へと、身をかくしてしまわれたということです」
「えっ……遮那王殿が」
「油断をしていたため、だしぬかれたと、平家の人たちは、地団駄をふんでおります。そうでしょう、謀叛気むほんぎがなければ逃げるはずはありません。忽然こつぜんと、あの稚子ちごが、姿をかくしたのは、まだ、少年ではありますが、明らかに源家の挑戦と見られる」
「でも、まだ十六歳の小冠者こかんじゃが、どうして、逃げおおせましょう。……いたましいことでございます」
 彼女は、ふと、月にかかる雲を見た。ひそかに心のうちでいのっていた従弟いとこの失踪に、また幾人いくたりの血につながる者たちがくのではないかと戦慄した。
 そして、気がつくと、自分の膝に戯れていた十八公麿まつまろが、いつのまにか、月の光の中を、他愛たわいなく這いまわって、縁へ出ていた。

十三

「あぶない」と、有範は、彼女が起つまえに立って、十八公麿を抱きとってきた。そして、自分の膝へのせて、
「近ごろは、もう、眼が離せぬわい」と、わらった。宗業や、範綱は、こもごもに、十八公麿を、あやしながら、
「今のうちに眼の離せぬのはまだよいが、やがて、遮那王のように成人してからが、子をもつ親は一苦労じゃ」
「いや、あの冠者のようにはなるまい、なぜならば、この子は、おしじゃ。――ものいえば罪科とがになる唖の世に、唖と生れてくれたのは、これも、われら夫婦が信心のおかげであろう」有範は、膝の子を、上からのぞいて、そういった。
 十八公麿は、仲秋の月よりも澄んだひとみをして、じいっと、まるい月を見つめていた。
(この子は、将来、どうなるであろう?)と、母である者も、叔父である人々も、今、鞍馬の冠者のうわさが出たところだけに、ひとしく、同じことを、考えていたらしくあった。
 誰もが、十八公麿のその無心なひとみを、無心になって、見合っていた。
 十八公麿は、ふたつの小さいを、ぱちとあわせて、笑くぼをうかべた。子どもの掌は、菩薩ぼさつ御手みてのように丸ッこいものである。人々は、思わずにこと微笑をつりこまれた。すると――
「な、む、あ、み、だ仏」誰か、いった。
 低音で、聞きとれなかったのであるが、すぐ次に、かたことで、はっきりと、
「――南無阿弥陀仏」と、つづいて唱えた。
 十八公麿を膝にのせていた父の有範が、その時、
「あっ?」愕然がくぜんとして、
「十八公麿が、ものをいうたぞ。十八公麿が、ものをいうた!」と、絶叫した。吉光の前も、さけんだ。
「十八公麿じゃ。ほんに、今いうたのは、十八公麿じゃ」うれしさに、狂いそうな表情をして、宗業むねなりに告げ、範綱に告げた。
「? ……」だが、そのふたりは、茫然と自失していた。なぜならば、今の無心に出た十八公麿の声は、ただの嬰児あかご初声うぶごえではない。あきらかに六字の名号を唱えたのである。のあたりの奇蹟にうたれて、慄然りつぜんと、体がしびれてしまったかのように、沈黙しているのであった。
「ふしぎだ……」
「そも、何の菩薩ぼさつ御化身ごけしんか」と、ふたりは、後になってまで、解けないことのように首ばかりかたげていたが、有範は、それはなんらの奇瑞きずいでもふしぎでもないといった。
真如しんにょを映すものは、真如である。――妻のまごころは、胎養たいようのうちに、十八公麿の心をつちかっていた。また、生れては、この家の和楽や、この家にあふるるのりの感謝に、いつとなく、幼いたましいまでが、溶和されていたのは当然なこと。なんの奇蹟であろうぞ」
 そう説明したが、ありがたさに彼も、彼の妻も、をあわせて、真如しんにょの大空に、
南無なむ――」と、思わず大きく唱えて、泣きぬれた。
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紅玉篇




かげろう記




 承安じょうあん四年は、仏法ぶっぽう日本にとって、わけて念仏道にとって、忘れがたい春秋であった。
 誕生して、まだ、まる二つにならない日野の十八公麿まつまろが、十五夜の名月に心のひとみをひらいて、無心のうちに、南無――の六音を唱えたということが、いつか隠れもない噂ばなしと伝えられる前に、洛東らくとう吉水禅房よしみずぜんぼうでは、期せずして同じ年に、法然上人ほうねんしょうにんが、専修念仏の新教義を唱道となえだしていたのである。
 後に思うと――法然上人の第一声と、幼い親鸞しんらんの第一声とは、ゆくりなくも、生るべき時代に――約束のない約束のもとに――ときを同じゅうして世に出たともいえる。浅からぬ因縁いんねんといえる。
 法然の堂には、毎日、求法ぐほうの民衆が、草のなびくように、寄って行った。
 宮廷からも、お招きがあった。関白兼実かねざねも、聴聞した。はなはだしい平家の跋扈ばっこと、暴政と、いつそれがくずれて火をふくかもわからない危険な地熱とが感じられる一方に、そよと、ひややかな泉声せんせいでも流るるように、それは、民衆の不安とかわいた心に、争って、汲まれるのであった。
 六条上皇が崩ぜられた。
 改元して安元二年。吉光の前は、一年おいて、また一人の男の子をもうけた。――十八公麿まつまろの弟、朝麿あさまろである。
 その朝麿が二歳ふたつ、十八公麿が四歳よっつとなった。乳人めのとにだかれている弟を、
「あさ殿、お目あけ……」と、もう幼い兄ぶりを示す彼であった。その兄弟のために召抱かかえ入れた乳母うばが、ある時、
すけどの、介どの」侍従介じじゅうのすけを、よびたてて、二人して、仏間のふすまの間から、中をのぞき合っていた。
 そして、笑いさざめいているので、吉光の前は、自分の居間を出て、
和子わこたち、何を見ておりますか?」と、後ろから訊ねた。乳母は、
「まあ、ごろうじませ、あのように、十八公麿さまが、小さいお手へ、数珠じゅずをかけて、御像みぞうを拝んでおいでなされます。誰も、教えもせぬに、何というしおらしい――」と眼をほそめて告げるのであった。
「ほんに……」と、吉光の前のひとみにも、思わず微笑がただよう。
 子は、母の鏡であった。黒業こくごう白業びゃくごうも、自分たちのなすことはすぐうつしてみせるのである。彼女は、おそろしい気がした。
「お母さま」人々の気配に気づくと、十八公麿まつまろはふりかえって、数珠じゅずをすてて彼女の膝へすがった。壇のまえに坐って、拝んでいたすがたには、無邪無心の光があって、仏の再生でもあるように、何か尊いものに心を打たれたが、そうして、母の膝にからみついて、母の乳に戯れた十八公麿の容子ようすは、やはり世間の誰の子とも変りのない子どもであった。
 翌年の春のことであったが、一家を挙げて、たまともいつくしんでいるその十八公麿が、ふと、家のうちから見えなくなって、乳母や侍従介や、召使たちは、色を失って、騒ぎまわっていた。


「ここにも、お見えがない」侍従介は、いつもの持仏堂をのぞいて、乳母を、責めた。
「おぬしが、よくない。朝麿さまを抱いておれば、朝麿さまにのみ気をとられているから、かようなことになるのだ」
「今しがたまで、そこの前栽せんざいに、おひとりで遊んでおいでなされたので、つい、気をゆるしている間に……」乳母は、自責に駆られながら、おろおろといった。
「――裏の竹叢たけむらへでも」とつぶやきながら、走って行った。
 侍従介は、眉をひそめながら、草履を突っかけて、ふたたび、庭へ下りた。――そして邸内の畑だの、竹林だの、小山だのを、
和子わこさま――」呼びたてつつ、そしてまた、奥のおん方やおやかたの耳へは入れたくないように、心をつかいながら、血眼ちまなこで、十八公麿のすがたを探しまわっていた。
 ちょうど、折もわるく。
 東のおくの一室に、あるじの有範ありのりは、この安元二年の正月からやまいにかかって臥せ籠っていたのである。そのために吉光の前も良人の病室から一歩も出たことがないような有様であったので、それも一つは、こういう間違いの起る原因でもあった。
 で、召使たちは、よけいに心をいためて、病室にこの過失を知らすまいと努めたのであったが、ひとつ館のうちの出来事ではあるし、そこへ呼ばれてきた侍女こしもと素振そぶりにも不審が見えたので、母である彼女がさとらないはずはなかった。
「十八公麿のすがたが見えぬとて、そう、さわぎたてることはない」侍女のことばをたしなめて、彼女は、静かに良人の枕元を離れた。彼女もまた、それを知るとすぐ、病人の心づかいをおそれたからであった。廊下へ出て、
「まさか、築地ついじをこえて、館の外へ走り出はすまい。池の中の渡殿わたどのを見てか?」
「はい、あそこも、探したようでございます」
「池の亀を、面白がって、ようみぎわで遊んでいることもあるが、よも、水へ落ちたような様子はないでしょうね」
「そんなことは……」侍女こしもとも、落着かない、そして自信のないことばつきで、答えるのである。
穿物はきものを、だしてください」沈着に、静かなことばで、そういうのであったが、さすがに心のうちでは胸が痛いほど案じられているらしい。廊下のきざはしに立って、侍女が、穿物はきものをもってくるまも、もどかしげにその眉が見えた。すると、
「姉君、どちらへ?」前栽せんざいの木蔭から、誰か、そういって、近づいてくる者が見える。
 橡色つるばみいろ直衣のうしに、烏帽子えぼしをつけた笑顔が、欄干おばしまの彼女を見あげて、
「ひどく、お顔いろがわるいが? ……。それに、すけも見えず、裏の木戸も、開け放しになっているではありませんか」
宗業むねなり様、よい所へ来てくださいました。……今、十八公麿が見えぬというて、すけ乳母うばも、出て行ったところでございます」
「えっ、和子わこの姿が、見えなくなったと申すのですか」
「このごろ、陸奥みちのくの方から、人買いとやら、人攫ひとさらいとやらが、たくさん、京都みやこへ来て徘徊うろついているそうな、もしものことがあっては、良人のやまいにもさわりますし、私とても、生きたそらはありません」といううちに彼女のひとみは、もう、いっぱいにうるんでしまう。


 まるい丘と丘が重なりあっている。丘の赤松の蔭からは、かわら焼きのかまの煙が、まっすぐに立ち昇っていた。それを見ても、風のないのがわかる。
 蝶の群れが、逃げてきた。キキキ、キッ、とわだちの音がどこからかしてくる。見ると、日永ひなが遊山ゆさんに飽いたような牛が、一台のくるまを曳いてのろのろと日野の里を横に過ぎて行く。
「七郎っ。――七郎よっ」くるまの中で、少年の声がした。武家の息子であろう、ばらっと、乱暴に、れんをあげて、首を外へ出した。
「どこへ行った、七郎は?」牛飼は、足をとめて、後ろの道をふり向いた。郎党ていの青侍が三名、何かふざけながら、遠く遅れて歩いてくるのが見える。
「ちッ」と、くるまの上の少年は、大人おとなびた舌打ちをした。赤い頬と、悪戯いたずらッぽい眼をもって、
「――わしを、子どもと思うて、供の侍どもまで、馬鹿にしおる」両方の手を、口のはたにかざして、おうーいっと、大声で呼んだ。その声に、初めて、気がついたように、郎党たちは、くるまのそばへ駈けてきた。
「馬鹿っ、馬鹿っ、何をしてじゃっ」少年は、頭から怒りつけて、それからいった。
「あれ、あの丘のすそに、うずくまっている小童こわっぱがあろう。――怪しげなことをしておるぞ。何をしてるのか、すぐ見てこい」
「え? ……どこでございますか」七郎とよばれた郎党は、少年の指さす先をきょろきょろ見まわした。
「見えぬのか、眼がないのか。呆痴うつけた奴のう。……あそこの、梅か、あんずか、白い花のさいておる樹の下に」
「わかりました」
「見えたか」
「なるほど、わらべがおります」
「さっきから、ああやって、じっと、うずくまったままだぞ。たいなやつ。何しているのか、見とどけてこい」
「はいっ」七郎は、駈けて行った。
 白い花は、梅だった。後ろからそっと近づいて見ると、まだ、四、五歳ぐらいな童子どうじが、梅の老樹の下に坐って余念なく、土いじりをしているのである。
(や?)七郎は、眼をみはった。
 童子の前には、童子の手で作られた三体の仏像ができている。まぎれもない弥陀如来みだにょらいのすがただ。もちろん、精巧ではないが、童心そく仏心である。どんな名匠の技術でも生むことのできないものがこもっている。
 それだけなら七郎はまだそう驚きはしなかったろう。――だが、やがて、童子は、土にまみれたをあわせて何か、念誦ねんずしはじめた。
 その作法なり、態度なりが、いかにも自然で、そしてだかかった。ひら、ひら――と童子のうない髪にちりかかる梅の白さが、何か、燦々さんさんと光りものでも降るように七郎の眸には見えた。
凡人ただびとの子ではない)こう感じたので、彼は、気づかれぬうちにと、足をめぐらして、腕白な主人の待ちかまえているくるまのほうへ、いそいで、引っ返してきた。
「やい、どうあったぞ?」まるッこい眼をかがやかせて、少年は、くるまの上から、片足をぶら下げて、すぐ訊いた。


「べつに、面白いことではございません」七郎がいうと、
「でも、なんじゃ」と、腕白少年は、しつこい。
くるまりながら話しましょう」
「待て待て」少年は、首を振って、
「話を先にせい」
「ちと、驚きましたので、落着きませぬと、お話ができません。……七郎めも、たくさんなわらべを知っておりますが、あんな童は、見たことがありません」
「それみい。面白うないというが、庄司しょうじの七郎ほどな侍を、そう驚かしたことなら面白いにちがいない。――何じゃ一体、あのわっぱは?」
「どこぞ、この辺りの麿まろでござりましょう。私が、近づいてうかがっているのも知らず、一念に、三体の弥陀みだの像を土で作っているのでございます」
「なアンじゃ」少年は、赤い口で嘲笑あざわらった。
「馬鹿よのう、そんなことに、驚いたのか」
「いえいえ、さようなことに、庄司七郎は、驚きはしませぬ。……やがて、誦念ずねんいたしている姿の気だかさに驚きました。たれたのでございます。何か、こう五体がしびれるように思いました。ちる梅花うめも、樹洩こもも、土の香から燃える陽炎かげろうも、まこと御仏みほとけをつつむ後光のように見えました」
「ふむ……」
ただ和子わこではございません。作られている三体の御像みぞうの非凡さ、容子ようすのつつましさ」
「ふーむ……」
「世の中に、あんな和子もあるものかと、ほとほと感服いたしました」腕白な主人の顔がおそろしく不機嫌なものに変っているのに気がついて、七郎は、ちとめすぎたかなと後悔して口をつぐんでしまった。案のじょうである。
小賢こざかしいチビめ」くるまのうえから、少年はつばをして、ののしりだした。
「そんな、利巧者ぶるやつに、ろくなわっぱはないぞよ。第一、まだ乳くさいくせに、仏いじりなどする餓鬼がきは、この寿童丸じゅどうまる、大ッ嫌いじゃ」家来たちの顔を、じろじろ見まわして、どうだというように、待っていたが、誰も、雷同しないので、寿童丸は、いよいよ不機嫌になった。
「やい、やいっ。あの餓鬼めの作ったとかいうその土偶像でくってきて、わしの前で、蹴つぶして見せい」
「滅相もないことを」一人の侍がとめると、
「嫌か?」
「でも」
「主命だぞっ」この腕白者は、身装なりこそ小さいが、口は大人を負かしそうであった。主命といわれて、家来たちは、持てあました。
 七郎は、扱い馴れているらしく、かりそめにも、仏の像に、そんな真似まねをしたら、ばちがあたって、脚も曲がろうと、なだめたり、説いたりした。
「罰?」寿童丸は、かえって、罰ということばに、反感を燃やしたらしく、
「右大将小松殿の御内みうちでも、成田兵衛為成なりたのひょうえためなりと、弓矢にしられた父をもつ寿童丸だぞ。――罰がなんじゃ。あたらばあたってみるがよい。おぬしら、臆病かぜにふかれて、それしきのことができぬなら、わしが行って、踏みつぶして見せる」と、くるまながえに片足をかけて、ぽんと飛び下りた。


 七郎は、驚いて、
「まま、待たせられい」だだっ子の寿童丸を、他の家来たちとともに、無理やりに、輦の上へ、抱いて、押し上げようとする。
「嫌だっ、嫌だっ」小暴君は、轅へ、足を突っ張って、家来の頭をぽかぽか打ったり、七郎の顔を爪で引っ掻いた。
「離せっ、こらっ、馬鹿っ」
「お待ち遊ばせ。成田兵衛の若様ともあるものが、さような、泥足になって、人が笑います」
「笑ってもよいわ。わしは、侍の子だ。いちどいったことは、後へ退くのはきらいだ。わしが行って、小賢こざかしのわっぱめの土偶仏でくぼとけを、蹴砕いて見せるのじゃ。ばちがあたるか、あたらぬか、そち達は、見ておれ」
「さような、つまらぬ真似は、するものではございませぬ」
「何が、つまらぬ」寿童丸は、家来たちの肩と手にささえられながら、足を宙にばたばたさせた。持てあまして、
「それほど、仰っしゃるなら、やむを得ません、七郎が参りましょう」
「行くか」
「主命なれば――」
「それみい。どうせ、行かねばならぬもの、なぜ早く、わしのいいつけに従わぬのだ」やっと、小暴君は、くるまの中に納まって、けろりという。
「――はやく、奪ってこい」愚昧ぐまいな若君だが、こんな懸け引きは上手である。七郎は、いくら主人の子でもと、ちょっと小憎く思ったが、泣く子と地頭だった。
「承知いたしました」気のすすまない足を急がせて、丘の下へ、戻ってきた。
(まだいるかどうか?)むしろ、立ち去っていることを祈りながら、七郎は梅花うめ樹蔭こかげをのぞいた。見ると、自身で作った三体の土の御像をそこにすえたまま、あのうないがみの童子は、合掌がっしょうしたまま、さっきと寸分もたがわぬ姿をそこにじっとさせていた。
 あぶのかすかな羽うなりも鼓膜こまくにひびくような春昼しゅんちゅうである。七郎は、跫音あしおとをぬすませて、童子のうしろへ近づいた。――近づくにつれて、その童子のくちびるから洩れる念仏の低唱が耳にはいった。怖ろしい強兵つわものにでも迫ってゆく時のように、七郎は、脚のつがいがふるえてきた。どうにも、脚がある程度を越えられない気がした。いっそのことやめて引っ返そうかとまどった。
 寿童じゅどうの呼ぶ声が、おうウいと、彼方かなたで聞えた。彼は、主人のやしきへ帰ったあとたたりを考えて眼をつぶった。
(そうだ、人の来ぬ間に!)七郎は、跳びかかった。
 無想になって合掌している童子の肩ごしに、むずと手をのばした。一体の像を左の小脇にかかえた。そして、もう一体の弥陀如来みだにょらいをつかみかけると、童子は、びっくりしたように起って、
「あれっ? ――」愛らしい叫びをあげた。そして幼子おさなごらしく、手ばなしで、わあっと、泣くのであった。
 二つの像をかかえて、もう一体の像を七郎がとばしたせつなである。
「おのれッ、この下司げす!」ぐわんと、彼の耳たぶを、烈しいのひらがかわのようにうなって打った。
「あっ――」耳を抑えながら、七郎は、横にもんどり打った。仏陀の像は、また一つ彼の手から離れ、粉々になって、元の土にかえった。


「大人げない奴めっ」叱咤しったが、頭のうえで聞えた。
 七郎は、起き上がって、自分をった相手を見た。
 十九か、二十歳はたちか、せいぜいそんな年頃の若党である。腕をまくって、右の肩をすこしげ、左の手に、泣いているうないがみの童子を抱きよせていた。
「何処の青侍か知らぬが、よい年をして、なんで、おさない和子様のお作りなされた弥陀みだの像を足蹴にして砕いたのじゃ。それへ、両手をついて、あやまれっ」こう正面を切ってののしられると、庄司七郎も陪臣ばいしんでこそあれ時めく平家の郎党である。尾を垂れて退くわけにはゆかなくなった。
「おのれ、このほうをったな」
った!」昂然こうぜんと、若者は、いってはばからなかった。
「人もあろうに、わしの主人の和子様に、無礼を働いたゆえ、打ちのめしたのだ。それが、どうしたっ」
「おのれは、どこの若党か」
さき皇后大進こうごうのだいしん藤原有範卿ふじわらのありのりきょうに仕える侍従介じじゅうのすけというものじゃ」
落魄おちぶれ藤家の雑人ぞうにんか」
「なんであろうと、この身にとれば、天地無二の御主君。……ささ、和子様、もうお泣きあそばすな」と、侍従介は泣きじゃくる十八公麿まつまろをなだめながら、手の泥や衣服の塵を払って、
「おはは様も、叔父様も、乳母も和子様のおすがたが見えぬとて、どんなに、お探し申しているかしれませぬ。泣き顔をおふき遊ばして、すけと一緒に、はよう、お館へもどりましょう」肩を叩いて、歩みかけると、七郎は、跳び寄って、
「待てっ。用は済まぬ」と、すけの刀のこじりをつかんだ。介は、振り向いて、
「何か、文句があるか」
「おうっ、今の返報を」いきなり、こぶしをかためて、すけの頬骨をくだけよとなぐりかかった。
 しかし、予期していた介は、巧者に、半身をすばやく沈めて、七郎の小手を抱きこむように手繰たぐったと思うと、
「何をさらすっ――」どさっと、草むらへほうり捨てた。草むらには、狭い野川が這っていたとみえて、七郎が腰を打った下から、泥水がねあがった。
「や、や。あの若党めが、七郎を投げつけたぞよっ。七郎のかたきじゃ、おいかけて、ぶちのめせ」
 むちを打たせて走ってくるくるまの上から寿童じゅどうがわめいた。介は、それを眺めて、
「和子様、はよう、介の背なかに、おすがりあそばせ。……相手が悪い。逃げましょう」
 平家の御家人ごけにんと見て、彼は、無事な策をとった。
 と――もう小石のつぶてが、そちらへ、飛んできた。くるまをとび下りた寿童が、石をひろって、ぶつけているのである。そして、
「あやつら、藤家とうけの者じゃないか。平家のお身内に、指一本でも傷つけたら、相国しょうこくのおとがめがあることを知らぬのか。逃がしては、なるまいぞっ。捕まえろ、牛の背にひっくくって、六波羅の探題たんだいへ、突き出してくれる」と、遠くからわめいた。
 そして、介の逃げ走る方へ、牛飼や、侍たちと共に、先廻りして陣をいた。介は、背中の十八公麿まつまろへ、手をのばした牛飼の男の腰ぼねを、
慮外者りょがいものっ」と、蹴って、また走った。


 下婢かひも、下僕しもべも、仕事が手につかないように、くりやからにして外へ出ていた。
 箭四郎やしろうは、牛小屋の牛を世話したり、厨や湯殿の水汲みをする雑人ぞうにんだったが、やはり心配になって、井口のかけひに、水桶を置きはなしたまま、
於久里おくりどん、和子様は、見つかったかい」
 築地ついじのそとを、うろうろしていた下婢の於久里は、首をふって、
「どこにも――」と、くらい顔をした。
「見えぬのか」
「うん……」
「ふしぎだなあ」箭四郎は、於久里とならんで、腕ぐみをしていた。
 この頃、しきりと、洛外らくがいのさびしい里をおびやかしている風説が胸の底にさわいでくる。それは、洛外ばかりでなく、どうかすると、白昼、玄武や朱雀すじゃくの繁華なちまたでも行われる「稚子攫ちごさらい」のうわさである。
 巷の説によると、稚子攫いを職業にする悪者は、男の子ならばむろ唐船からふねへ売りわたし、眉目みめよい女子おなごだと京の人々が、千里もあるように考えているあずまの国から那須野なすのの原をさらに越えて、陸奥みちのくのあらえびすどもが、京都みやこの風をまねて文化をつくっている奥州平泉の城下へ遠く売りとばされてゆくのだという。それを思い出して、
「もしや、稚子さらいの手にかかったのじゃあるまいかなあ」箭四郎がつぶやくと、
「そうかも知れない」於久里も、かなしい眼をした。だが、すぐに二人のひとみが、
「おやっ」と、かがやいた。
すけだ!」箭四郎が、突然さけぶと、
「おっ、和子様がっ」於久里は、ころぶように、木戸のうちへ、駈けこんで行った。
「和子様がもどった」
「和子様」
「和子様」やかたのうちにつたわる狂喜の声が、外まできこえた。
「介ッ。介ッ」箭四郎は、両手をあげて、呼んでいた。十八公麿まつまろを背に負って、野をななめに、草を蹴って駈けてきた侍従介じじゅうのすけの顔には、すこしばかり血がにじんで、水に突っこんだようにえりくびにまで汗がながれていた。
箭四やしっ。うしろを閉めてくれっ」あえぎ声でいって、築地ついじの中へ飛びこんだ。
 箭四郎は、介にいわれた通り、そこを閉めた。西の木戸も、表門のくぐりも、堅く閉めておくようにと介はいいつけながら、奥の庭へ駈けて行った。
「おお」階梯きざはしのうえに見えた吉光きっこうまえは、介が、十八公麿を下ろすのも待たないで、駈け下りて、わが子を抱きとった。そのまま廻廊の上に戻って抱きしめたまま暫くはうれしいのとりつめた心のゆるみで、泣きぬれているのであった。
「和子」やがて、頬ずりの顔を離すと、母は、心のうちとは反対に、すこしきびしい眼をして、
「この母も、叔父様も、どのように案じていたことか。つねづね、よう教えてありますのに、なぜ、一人で外へなど出ましたか」と、叱った。


「あ、もし」すけはあわてて、吉光の前のことばをさえぎった。
「――おしかり遊ばすな。和子様のは、世間のいたずらわっぱが、飛びまわるのとは違いまする」
「でも、こういう時には」
「ごもっともです。けれど、すけのぞんじますには、おそらく、和子様は、お父君のお病気いたつきに、小さな胸をおいためあそばして、それを、お祈りしていたのではないかと思われます」
「ほ……どうして?」
「介が、諸方をお探しして行きますと、いつか、和子様をおぶって粘土こねつちを取りに参りました丘の蔭にこう、坐っておいであそばしました」介は、庭へ坐って、十八公麿まつまろがしていたとおりに真似まねをして合掌した。
 そして、三体の弥陀如来みだにょらいの像を作っていたこと、一心に何か祈念していたこと、それがとても幼い者の振舞ふるまいとは思われないほど端厳たんげんな居ずまいであったことなど、目撃したままを、つぶさに話した。
「まあ……和子が……」母のひとみには、涙がいっぱいで、それが笑顔えがおにかわるとたんに、ぽろりと、白いすじが頬に光った。
「では……そなたは、お父君のおいたつきがなおるようにと、その小さい手で、御仏みほとけかたちを作っていたのですか。……そうかや?」頭髪つむりをなでると十八公麿は、母の睫毛まつげを見あげて、おさなごころにも、なにか、すまないものを感じるようにそっと、うなずいて見せた。
 らせを聞いて、宗業むねなりも戻ってくる、乳母うばも、眉をひらいて駈けてくる。
 侍女こしもとや、下婢しもべまでが、そこへかたまって、口々に、十八公麿の孝心をたたえた。それに、粘土こねつち仏陀ぶっだの像を作っていたということが、大人たちの驚異であった。
 宗業だけは、そう口に出して、めそやしたりたたえはしなかったが、家族たちの手にかわるがわる抱き上げられて※(「口+喜」、第3水準1-15-18)ききとしている十八公麿の姿に、まったく、心を奪われたように見入っていた。そして、
(この子は――)と、将来のまばゆさを感じ、ひざまずいて、礼拝したいような気もちにたれた。
 すると、築地の外に、黄いろい砂ほこりが舞って、がやがやと、口ぎたないわめごえがきこえた。
「ここじゃな、貧乏公卿くげ有範ありのりやしきは」すけの後を追ってきた寿童丸じゅどうまると、その家来たちらしかった。
「やいっ、今の若党、出てうせいっ。ようも、わしが家来を、投げおったな。出てうせねば、討ち入るぞよ。こんな、古土塀の一重ひとえ二重ふたえ、蹴つぶして通るに、なんの雑作ぞうさもないわ」そしてまた、
「臆病者っ、いらえをせぬか。寿童冠者かじゃが勢いにじて、も出さぬとみえる。――皆の者、石をほうれっ、石を抛れっ」声がやむとすぐ、ばらばらっと、石つぶてが、やかたひさしや、縁に落ちてくる。一つは、宗業の肩を打った。
「なんじゃ、あの業態ぎょうていは?」介は、めつけて、
「おのれ」と、口走った。そして太刀のりを打たせて、
「おうっ、たった今、出会うてやるほどに、そこ、うごくなっ」


 血相を変えて、すけが、出て行こうとする様子に、宗業むねなりは驚いて、彼の太刀のさやをとらえた。
「これっ、どこへ参る」
「あの悪口がお耳には入りませぬか。最前は、十八公麿まつまろ様にお怪我けがをさせてはならぬと、じっとこらえて、お館の内へ逃げこんでは参りましたものの、もう堪忍はなりませぬ。介は、斬って出て、斬りまくってくれまする」
「逆上したか、相手は、平家の侍の子じゃぞ」
「あのくちばしの黄いろい小冠者までを、思いあがらせている平家の横暴さが憎うござります。素ッ首斬って、すけが、斬り死にしましたら、少しは、見せしめになって、世間の人が助かりましょう」
「用もない生命いのちを捨てるな。はえ小癪こしゃくにさわるとて、一匹二匹の蠅をたたいたら、数万の蠅がうるさいしぐさをやめるであろうか。まして、お館も御病中、こらえておれ、黙っておれ」
「ええ、いかに、何でも」
「ならぬぞ、決して、築地ついじの外へ出てはならぬぞ。おしになれ、耳をないと思え」
「耳も眼も、血もある人間に、それはご無理。――おのれっ、成田兵衛なりたのひょうえ小伜こせがれに、雑人ばら、今日のこと、覚えておれよ」築地越しに、呶鳴ると、どっと外で嘲笑あざわらう声がした。牛糞や、棒切れが、ばらばらと庭の内へ落ちた。
 介ばかりではない。くりやの召使たちも、歯がみをしてくやしがった。けれど、宗業もなだめるし、吉光きっこうまえもおののきふるえて、
こらえても。相手になることはなりませぬぞ」頼むばかりにいうので、涙を溜めながら、つんぼのようにりをしずめていた。
 すると、奥の小者が、あわただしく廊下を駈けてきて、
「おん方様、宗業様、すぐおこし下さいませ、すぐに」語気のふるえに、二人は、ぎょっとして、
「どうしやった?」
「お館様の御容体が、にわかに変でござります。唇のいろも、お眸も、急に変って……」
「えっ、お悪いとな」宗業むねなりは、走りこんだ。吉光の前も、すそをすべらせて、良人の病間へかくれたが、やがてすぐ、宗業が沈痛な眉をして、そこから出てきた。そして早口に、
「介っ、介――」と、呼んだ。介は、階段の下に、黙然もくねんと浮かない顔で腕ぐみに沈んでいたが、
「はいっ、介は、これにおりますが……」
「オオ、急いで、お医師の所と、その足ですぐに、六条の兄君のところへ、おらせに走ってくれい」
「では、お病状が……」
「ウム、もはや望みがないかも知れぬ。いそいでゆけよ」
「はいっ、はいっ」木戸へと、駈けて行くと、
「介っ――」と、宗業はもいちど、声をかけた。
「くれぐれも、六波羅衆の息子などにかまうなよ。何とののしられても、耳をおさえて、走って行くのだぞよ。よいか」
「はいっ」
「頼むぞ、はやく」すけは、築地の木戸を開けて、夢中で外へおどり出した。


 洛内のほうへ向って、すけが、わき目もふらずに急いでゆくと、寿童丸じゅどうまるとその家来たちは早くも彼の姿を見つけて、
「犬が行く、痩せ犬が、尾をたれて行くぞ」
「さっきの広言こうげん、何としたぞ」
「腰ぬけっ」またしても、あくたれや小石を、後ろから浴びせるのであったが、介は宗業のことばを思いだして耳の穴をふさぎながら、
「――堪忍、堪忍、堪忍」と口のうちとなえて、後ろも見ずに洛中へ急いで行った。
 そうして、六条の範綱のりつなやかたまで、一息に来たが、折わるく範綱は後白河法皇の院の御所へまかり出ていて、まだお退がりにならないという。
 院へは、法皇のまわりに、平家の人々がたくさん取り巻いて、閥外ばつがいの人間を遠ざけるから、範綱などは、めったに伺候しこうすることはなかったのであるが、近ごろはまた、法皇のお心もちが少し変って、あまりな平家ばつに、眉をひそめられることが多く、ときどき、範綱にもお招きがある。むろん政治上の事にかかわる範綱ではないから、和歌のお相手や、稀に、御宴ぎょえんの端につらなるくらいの程度であった。
「いつも、お帰りは、遅うございますか」介が、当惑そうにくと、やかたの者が、
「お出ましの時は、たいがい遅くなるのが常でございます」と答えた。
「それは困った」介は、院の御所へ行って、衛士えじに取次ぎを頼んでみようと思った。で、そこを辞して、また駈けだして行くと、途中で、範綱に会った。
「介ではないか」呼びとめられて、
「おおよい所でした、六条様、たいへんです。有範様の御容体がにわかにわるうござりまして、医師薬師くすしも、むずかしいという仰せ。奥のおん方様も、宗業様も、お枕べに、付ききりです。すぐ、お越しくださいませ」
「や……有範が」そんな予感があったように、範綱は、すぐに、牛輦くるまを引っ返して、日野の里へいそがせた。病室は、しいんとしていた。胸さわぎが先に立った。だが有範はよいあんばいに小康を得て、すこし落着いていたのだ。
 しかし、医師は、決してよい状態ではないから油断をしてはいけないといった。そのことばを裏切って、四月になると、有範はたいへんくなった。そして自分はいつ死んでも心のこりはないが、こんな激しい社会の中に、生活力のない女や幼子おさなごをのこしてゆくだけが心がかりであるなどと、それが冗談に聞えるくらい明るい顔をしていった。範綱もまた、戯れのように、
「そんなことは、心配には及ばぬ。微力でも、わしというものがいるではないか」といった。有範は、にことして、うなずいた。冗談ではなかったのである。それが生涯中の重大な一言であったのである。五月にはいると、やがて病があらたまって、藤原有範は、美しい妻と、二人の子をおいて、帰らない人になってしまった。
(生活力のないおんなども。――流転るてん闘争の激しい社会には、それのみが心配だ)といった彼の遺言をまもって、範綱は、やがて、未亡人と二人の遺子を、六条の館のほうへ引きとって、自分には子のないところから、十八公麿まつまろ朝麿あさまろは、養子として、院へお届けの手続きをした。

北面乱星ほくめんらんせい




 草の育つ夜の雨であった。乳のようにしとしととしとみにしたたる雨だれの宵――
 範綱のりつなは、すこし疲れた筆をおいて、しょく丁字ちょうじった。どこからか入る濡れた風には若葉のにおいがして、この雨上りの後に来る初夏が思われる。
「はやいの――。もう一年になる」机に、ひじをやすめて、範綱は弟の死をおもかえした。
 有範ありのりの世を去ったのが、ちょうど去年の五月である。それから間もなく、二人の遺子と、若後家とを、この六条の家にひき取ったが、自分にそれだけの生活力がにわかに増したわけではないので、範綱は、院のお手当のほかに、何か収入を計らなければならなかった。色紙や懐紙に歌を書いたとて、それは足しにもならないし、大きな寺院から写経の仕事をひそかにもらって、筆耕に等しい夜業よなべをしたりしていた。
 だが、それもむ。倦むと時々、
「時勢が時勢なら――」と、平家の世をのろわしく思うてもみるが、結局、無力なものの愚痴と自嘲して、子どもの顔でも見て忘れようと思うのであった。今も、
「……もう寝たか」自分のへやを出て、渡り廊下をこえた一棟のうちをのぞくと、
「おお、入らせられませ」若後家の吉光きっこうまえは、とばりの蔭に、添寝そいねして寝かしつけていた朝麿あさまろのそばからそっと起きてきて、敷物をすすめた。
「この二、三日は、朝麿の泣き声が、ひどう、むずかるようだが……」
「ちと、虫気むしけでございましょう」
十八公麿まつまろは」
「あれにおりまする」
「まだ、起きているか」次の狭い室をのぞくと、なるほど、ほたる火のような淡暗い燈心を立てて、今年五歳になる十八公麿は、小机へ坐って、手習いをしていた。
「勉強か。えらい」めながら、立って行って、墨に濡れた草紙をのぞきこんだ。
「うーむ、以呂波いろは歌か。……その手本は、誰がいたした」十八公麿は、ふりかえって、
「叔父さまに」と答えた。
宗業むねなりが、そちのために、書いたのか。……これほどの仮名かなの名手は、探してもそう数はない。よい師を持っていて、おことは、しあわせ者だ」
「お父様も、おうたを書いてくださいませ」
「書にかけては、宗業にはかなわぬ。わしは、今におことがもっと大きゅうなったら、和歌の道を教えよう。和歌は日本人やまとびとの心のかなでじゃ。成人して、何になろうと、たしなみほどはあってもよい」
 誰か、その時、渡殿わたどのの廊下を、みしみしと歩いてきた。
「――誰じゃ」
箭四郎やしろうでございます」日野の家を移る時からいてきた下僕しもべは、この箭四郎と、若党のすけだけであった。介は、先ごろ故郷くににのこしてある老母の病があついというらせで、田舎いなかへ帰っていてこの二月ふたつきほどいなかった。
吉光きっこう様へといって、ただいま、かような文を投げ入れて参った者がございますので――」と、箭四郎は、雨によごれた一通の書状を、彼女の前へさし出した。


「はての?」彼女は首をかしげた。
 名も告げずに、投げこんで行った文とは、一体誰からよこしたものであろう。さし当たって、思いあたる人もかばないように、封を解いた。
 しょくを寄せて、読みかえしていたが、やがて、吉光の前は、ほっと嘆息ためいきをもらして、つぶやいた。
「まあ、とうとう、鞍馬を下山おりてしまわれたか。――あの稚子ちごばかりは父御の末路を踏ましとうないと祈っていたが」範綱は、さしのぞいて、
「誰からじゃ?」と、たずねた。
「めずらしくも、鞍馬の遮那王しゃなおうから――」
「なんというて?」
「どうして、あれほどきびしい平家の付人つけびとの眼をくらましたか、関東へのがれて、身をひそめ、今では、奥州みちのくの藤原秀衡ひでひら懸人かかりゅうどになっているとやら……」
「では、噂は嘘ではなかったとみえる。ひところ、鞍馬の遮那王が逃げたと、やかましい沙汰さたであったが」
「よもやと疑っていましたが……これを見れば、元服して、名も源九郎義経よしつねと改めたと書いてありまする」
「血はあらそえぬもの」
「野心のある豪族に、利用されるのでございましょう。……それにつけても十八公麿まつまろ将来ゆくすえが案じられます。十八公麿のどこかにも、源氏の血がひそんでいるのではないかと」
「そう取越し苦労はせまいものじゃ。また、源家の血が、のろわれた末路を踏むものとばかりは限らぬ。白いか、紅いか、咲いてみねばわからぬ」
「どうか、平和で、静かで、風にも散らぬ樹となり、花を結ぶよう――」母性のうれいを眸にこめて、隣の室のすみをながめた。
 燈心の光の下に、十八公麿は、眠るのを忘れて、まだ草紙に文字を書いていた。
まろよ」
「はい」
「もう、お寝みなさい」
「はい」
「また、あしたにしたがよい」侍女こしもとが来て、彼の衣服をぬがせた。そして、十八公麿がすなおにとばりの蔭のふすまにかくれると、間もなくであった。小侍が、足早に、
「おやかた様」と、よんだ。
「なんじゃ」
「新大納言様からのお使者がみえられて、ぜひ、お目にかかりたいと仰せられます」
「お使者が」
「お通し申しますか」
「この深夜に、成親卿なりちかきょうのお使いとは……」いぶかしげに、考えていたが、
「ま、ともあれ、ご鄭重ていちょうに」
「かしこまりました」小侍が去ると、すぐ立って、範綱は、客室へ出て行った。
 客室には、二人の侍が、威儀をただして待っていた。あるじ会釈えしゃくをうけると、
「てまえは、北面の兵衛所ひょうえどころに詰めておりまする多田蔵人ただのくろうどと申す者です」次席の侍も、それに次いで、おごそかに、
「同じく、北面の武士、近藤右衛門尉師高こんどううえもんのじょうもろたか」と名乗った。


 沈湎ちんめんとして青じろいおもてに、どこか策士的なふうのある多田蔵人ただのくろうどと、北面の侍所にごうの者として聞えのある近藤右衛門尉との訪れは、この二人の組みあわせを考えただけでも、時節がら、漫然たる用向きでないことは想像されるのであった。
 まして、深夜。その深夜をおかし、雨を冒して来た客の二人は、二人とも、直垂ひたたれからはかまごし、太刀の緒まで、片袖ずつ、ぐっしょり濡れて坐っていた。
「時に……」と蔵人は、果たして声をひくめた。
「ちと、折入って、密々にお話し申しとう存ずるが」
「ご心配なく」と範綱はいった。
「――ここへは、許しなくば下僕しもべの者も参りませぬ。見らるる通り塗籠ぬりごめ一間ひとま、外にお声のもれることもない」
「うむ……」近藤と、うなずきあわせて、
「ほかではないが、新大納言の君の御発意ごほついで、この月十三日ごろ鹿ししたに俊寛僧都しゅんかんそうずいおりに、同気のともがらがうちつどうて、何かと、お談じ申したいとのことであるが、貴公にも、げてもご出席あらるるようにとのお伝えでござる。――ご都合は、どうお座ろうか」
「さ……」範綱は、返辞をためらった。
 院を中心にして、先ごろから、思いあわされることがないでもない。相国しょうこく清盛に対して、瞋恚しんいを燃やしておらるるという噂がもっぱらにある。原因は、相国の嫡子ちゃくしの小松重盛しげもりが左大将に、次男の宗盛むねもりが右大将に昇官して、徳大寺、花山院の諸卿をも超え、自分の上にも坐ったということが、何としても新大納言成親なりちかには、虫のおさまらない不平であるらしい。
 院の内政はいうまでもなく、叙位じょい除目じもくのことまで、清盛父子のためにこう自由にされては、やがて、自分たちの官位もいつ剥奪はくだつされて、平家の門葉もんようの端くれへけられてしまうかも知れない――という疑心暗鬼ぎしんあんきも手つだってくる。
 法皇にも、近ごろは、平家のこの専横ぶりを憎くおぼされている容子ようすがあると見てとると、成親の謀心ぼうしんは、油がそそがれた。北面の武士といわれる侍所さむらいどころにも、同じような不平分子がたくさんいる。また、民衆も平家の顛覆てんぷくするのをひでりに雲を待つように望んでいるときである。今、策を立てれば、必ず成功するにちがいない。いわゆる時期到来だ。
 こうした考えの人々がいつのまにか院のうちに、秘密結社をつくって、暗躍しているらしいことを、範綱は、あぶない火悪戯ひいたずらを見るように察していたので、
(――それだな)とは早くも察していたのであるが、わざと、何もしらない顔をして、
「十三日……」考えこんでいた。蔵人は、膝をすすめて、
「ぜひ、おりあわせをつけて欲しいが」
「して、当日の集りに見えらるる方々は」
「されば」と、右衛門尉うえもんのじょうは、ふところをさぐって、燭の下に、連名の一巻をひろげながら、
「――近江おうみの中将蓮浄れんじょうどの、法勝寺ほっしょうじ執行しゅぎょう俊寛僧都しゅんかんそうず山城守基兼やましろのかみもとかねどの、式部大輔正綱しきぶだいふまさつなどの、平判官康頼へいほうがんやすよりどの、また、新判官資行しんほうがんすけゆきどのを始めとして、かく申す右衛門尉うえもんのじょう、ならびに、蔵人行綱くろうどゆきつな」と、読んだ。


 院の文官と、北面の武士と、ものものしく連判してあるのである。
 範綱は、眼をそらした。そして蔵人くろうどの眼をみると、蔵人は、じっと自分の眼を見つめて、こう秘密をうちあけた以上は、是が非でも加盟させずにはおかない、こばめば即座に左の手によせている太刀にものいわせても――という殺気のあるひとみをかがやかしていた。
「なるほど」範綱は、すこし後へ退がった。そのあいだに、彼は思案を決めていた。
「――では僧都そうずいおりにあつまると申しても、歌、猿楽などいたして、半日を、風雅に遊ぼうというわけでもないですな」
「もとより、表面は――そういうていにしてあるが、まことは……」右衛門尉は、深沈しんちんけてゆく燭の蔭を、見まわした。
「――まことは、北面の侍ども、また、ただいま読み申した連判のともがらが、血をすすりあって、院の法皇を仰ぎ奉り、新大納言の君を盟主として、暴悪な平氏を一挙に、くつがえさんと思うのでござる。洛内らくないにては、人目もあるゆえ、鹿ししたにへ集った当日、万端おちあわせする考え。――ついては、源家に御縁の浅からぬお家であり、わけても、法皇の御信任もふかい貴公のこと、むろん、おこばみのあろうはずはないが、改めて、御加盟のことおすすめに、一党の使者として、わざと夜中やちゅう推参すいさんしたわけでござる」蔵人が、一息にいうと、右衛門尉も、
「範綱どの。ご返辞は――」と、つめよった。
「…………」眼を閉じて考えている範綱の眉を、二人は左右から射るように見つめた。返辞によっては、太刀にものをいわせかねない気色であった。
(何と答えたらいいのか?)範綱は、当惑した。
 平家がどうあろうと、政治がどう動こうと、自分は、歌人である、武士でも政客でもない、また高位栄職をのぞんでもいない、歌に文学に、自分の分を守っておればよいのであると、常に、そうした渦中に巻きこまれることは避けるように努めているのだったが、周囲は遂にそれをゆるさないことになってしまった。
 一言いちごんでも、大事の秘密を聞かれた時は、秘密にくみすか、秘密に殺されるかどっちか二つに一つを選ばなければならない――。範綱はそれに迫られて、自身の窮地を感じるとともに、かみは、法皇の御危険なお立場と、小さくは、奥の北殿に、はや平和に眠ったであろう幼い二人の者と、薄命な弟の若後家の境遇を、考えずにはいられない。
「……ご返辞のこと、一両日、お待ちねがわれまいか」
「ご即答は、できぬとか」蔵人の手は、太刀をにぎっていた。ただの握りかたではない、かすかなふるえすら現しているのである。
「法皇に仕え奉つる身、法皇のおこころのほども臣として――」いいかけると、
「あいや、六条どの、その儀ならばご懸念はいらぬ。秘中の秘、いいのこしたが、実は、当日の謀議には、上皇にも、おしのびにて院をお出ましある手筈……」その時、家の外で、樹の枝でも踏み折ったような音が、ばりっとしずかな夜気をやぶって、この三人の耳を驚かした。
「やっ? ……」右衛門尉うえもんのじょうは、太刀のこじりを立てて、中腰になった。


 一瞬のまをおいて、
曲者くせものっ――)と、ふたたび遠い所で誰やらの声がした。
 ばたばたと屋外そとで――今度はやや間近な窓の下あたり、烈しい跫音あしおとが駈けた。
 暗い雨の音が、さあっと、その跫音を前栽せんざいの木立のそよぎと追うらしい。
(曲者っ)つづいて、
(お出合いなされっ――)追いつめて、組みついたか、烈しい物音がする。わめく、打つ、そして、
(逃がすなっ)と、声が割れた。
 蔵人くろうども、右衛門尉も、またあるじの範綱も、思わず立ち上がっていた。そして、廊下のしとみを開け放って、
「何事じゃっ」雨に向って、範綱がいった。
 しかし、それに答えるいとまもないように、木蔭やていのまわりを、逃げる者と追う者の黒い影がみだれ合っていた。そのうちには、蔵人の供人ともびともまじっているらしかった。
 いつのまにか、右衛門尉ははかまをくくり上げていた。武人らしく、さっと雨のなかへ躍り出て、築地ついじを越えて出ようとしている曲者くせものをひっ捕えた。そして範綱と蔵人のあきれ顔をしている前へ、ずるずると引き摺ってくるのであった。
 室内の明りは、吹きこむ風に消されていた。範綱は奥へ向って、
紙燭ししょく紙燭ししょく――」と、どなった。
 ふすまや、几帳きちょうの蔭から、小さい燈火ともしびの光が、かばわれながらそこへ運ばれてきた。雨の打つ階梯きざはしの下に、曲者はねじ伏せられている。右衛門尉は、直垂ひたたれの胸紐をひき抜いて、曲者の両の手くびを背にまわして縛りつけていた。
おもてを上げい」泥土によごれた革足袋かわたびが、曲者の肩を蹴った。曲者は横に倒れたが、すぐに坐り直して、剛毅ごうきな態度をとった。しかし俯向うつむいたきりで、顔を見せないのである。
 蔵人は、ひさしの下にかたまった自分の供人と、このうちの召使たちを眺めて、
「こやつは、やかたの者でござるか」
「いえ、当家には、かような者はおりませぬ」と、中にまじっていた箭四郎やしろうが答えた。
「すると、外から忍び入ってきたものじゃな」
「察するところ、おあと尾行つけてきて、なお、去りやらず、築地ついじを越えて入りこんだものと思われます」
「立ち聞きしていたか」
「されば、ちょうど、お客間の窓の下あたりにたたずんで――」
「うぬっ」蔵人は、憎そうに、めつけて、
「さては平家の諜者いぬじゃ。右衛門尉うえもんのじょう、打ちすえて、口をお開かせなされ」
諜者いぬか、おのれは」右衛門尉は、曲者くせものの耳を引っ張っていった。痛さに顔をしかめた曲者の顔が斜めに長く伸びた。その顔には誰も見覚えがなかったが、りりしい身支度や度胸をすえこんでいる態度を見ると、決して雑人ぞうにん凡下ぼんげの輩ではない。平家のうちでも、相当な家の郎党にちがいなかった。
「おのれ、誰にたのまれたっ。いえっ、いわぬかっ――」右衛門尉のこぶしが、曲者の頭蓋骨ずがいこつを、三つ四つなぐった。


 見ている者すらおもてをそむけるほど烈しい折檻せっかんを加えられたが、曲者は、頑として口をあけなかった。
「主人の名を申せっ」
「…………」
「頼まれたものの名をぬかせ」
「…………」
「何のために、立ち聞きしたっ。六波羅ろくはらのまわし者とは分っているが、誰のさしがねで、ここへは忍びこんだか」
「…………」
 いくら拷問ごうもんしてみたところで、石にものを訊くようなものであった。
 そのうちに、曲者は、うめいたまま、気を失ってしまった。夜も更けてくるし、大きな声をだしているのは、近隣のやかたに対しても、考えなければならなかった。
忌々いまいましいやつ……」と、右衛門尉は、手をやいたようにつぶやいた。そして、この曲者を、充分に調べあげるまで、どこか邸内の仮牢かりろうに預かっておいてくれという。
「承知いたしました」範綱のりつなは迷惑した。しかしこんな縄付なわつきを、二人の使者が曳いて歩けないことは分りきっている。平家の眼の光っている京の往来では――。
「箭四郎、この曲者を、裏庭の納屋へでも入れて、縛っておけ」
「かしこまりました」気を失った曲者の体を、二、三人して雨の闇へ運んで行くと、右衛門尉は、足を洗って、席へもどった。そして蔵人とともに、ふたたび、新大納言のだいそれた謀叛むほんの思いたちを、熱心に説いて、範綱にも加盟をするようにすすめて、やがて、やっと立ち帰った。
 範綱は寝所にはいっても、まんじりとも眠られなかった。自分は自分の分というものを知っている。不平をいだく北面の武士や、院の政客と聯脈をとって、栄権を夢みるような野望はさらさら持ったことがない。決して、明るい御世みよとは思わないけれど、歌人として自然を相手に生きている分には、これでも不足とは思っておらぬし、また、弟ののこした二人の幼子おさなごや若後家の将来ゆくすえなどを思えば、なおさら自分の進退は自分だけの運命を決しるものではない。
 考えは決まっているのである。そう初めから決している範綱であった。
 だが、後白河法皇も、新大納言の私怨しえんにひとしいたくらみにお心が傾いているというのは、彼として、自身以上の危惧きぐであった。万が一にも法皇が御加担となれば、臣として眺めているわけにはゆかないことは当然である。おんみずから業火のうちへ、平家膺懲ようちょうのお名宣なのりをあげて、院の政庁を武人の甲冑かっちゅううずめるような事態にでもなったならば、それこそ怖ろしいことである。
(ああ、どうしたものか)悪夢のなかに、範綱はもだえた。あかねいろの都の空にまたしても悪鬼あっき羅刹らせつのよろこび声が聞える時の迫りつつあるのではないかと戦慄した。
 夜明けごろ、北の寝屋ねやの奥に、朝麿あさまろがむずかるのであろう、幼子おさなごの泣き声がしばらく洩れていた。
(そうだ……。何よりは、法皇のおこころが第一、法皇さえおうごきにならなければ――)
 うとうとと眠りぎわに彼は何か心の落着きを見つけていた。とたんに眠りに入ったのである。
 眼がさめたのは従って常よりも遅かった。雨あがりのが強烈にひとみを刺し、空はあおく、五月の若葉は、新鮮であった。


 院の御座所をさがってくると、範綱はすこし眉をひらいた。法皇の御けしきによっては、随分、おもてをおかしても御諫言ごかんげんするつもりであったが、
(さすがは、老練でいらせられる、あの御烱眼ごけいがんならば――)と、まずまず、安心して、いわんとすることは、暗示ぐらいな程度にとめて、御簾所みすどころを退がってきたところであった。
 院を中心にして、策動し、流言し、暗中飛躍をする無数の政客や、武人や、策士を、法皇はやはり高い御座みくらのうえからよく観ておられると、今さら心服するのであった。もっとも、平治、保元の動乱期にあって、法皇ほど、御苦労もなされ、また、人間の表裏反覆と、烈しい権力の争奪を眺められたお方はない。
 そういう法皇を奉じて、まだまだ、衰兆すいちょうの見えない平家を廟堂びょうどうから追い落そうなどとしても、所詮しょせん、躍るもの自身の自滅以外、何らの運動となるわけのものではない。まして、それが私怨と私慾の不平から結ばれた策動であるにおいては、言語に絶した不忠な悪謀わるだくみである。法皇の御運命がそういう野望家のために決しられるようなことでもあっては断じてならない。
 範綱の意志は、そこに決まっていた。――だが、それを極言するまでもなく、法皇御自身が、院の内外にうずいている野心家の空気と、野心家の性格とを、ことごとく知り抜かれているようなので、
(このぶんなら――)と、彼は、自分の取越し苦労を、むしろ恥じて、
(くれぐれも、御自重)と、ばかり奏して、あとは、いつもの和歌の話などして、心までが、はればれとしていた。
 南苑なんえんたちばなには、春のよごれを降りながした雨あがりの陽が強く照りかえしていた。伶人れいじんたちが、院の楽寮がくりょうで、器楽をしらべているし、舎人とねりたちは、厩舎うまやの前にかたまって、白馬に水を飼っていた。
「六条どの」後ろで呼ぶ者がある。廻廊の曲がり角に、待っていたようにたたずんでいた男だった。
「――おおこれは」見ると、少納言信西しんぜいの息子、浄憲法師じょうけんほうしという、才子で、人あたりがよくて、そして院のうちの切れ者といわるる人物だった。
 時々、歌の詠草えいそうなどを届けてよこして、評を求めるので、そのつど、歌はみてやるけれど、範綱とは、べつな世界に生きている人間であって、いくら永く知ってはいても、ほんとの知己にはなれないでいる男だった。
 にやりと、浄憲は寄ってきた。何ということもなく、らんへ誘って丸柱に、背をもたせながら、
「何か、御内奏でもあって、御伺候ごしこうかの?」と、そろりと探りを入れる。
「いや、相かわらず、歌よみは、歌よりほかにはお相手のしようものうて……」範綱も、そっと、逃げると、浄憲はねちねちとした眼で、ぶしつけな正視を相手へ与えながら、
「ほ……。それにしては、だいぶ、お永い話であったの」
「きょうは、御興ごきょうにいったとみえて――」
「歌の話に、お人ばらいまでせらるるとは、ご入念なことだ」
「…………」
「ときに」と浄憲は、すり寄ってきた。そして、範綱の耳のそばで、
「新大納言の君から、なんぞ、そこもとにも、耳うちがあったはずだが……」


「ゆうべの使者から、あらましのことは、お聞き取りと思うが――」浄憲の眼は、しきりと、廻廊や南苑の人影へうごく。
 人が来ないとみると、小声で、早口にことばをついで、
「どうじゃ、何とみらるる、平家の暴状、しゃくではおざらぬか、忌々いまいましゅうは思われぬか、小松重盛しげもりを左大将に、これは、まあ我慢もなるとして、その次男坊の宗盛むねもり――木偶でくかんむりじゃ――猿にくつじゃ。それを、一躍、徳大寺や花山院の諸卿をとび超えて、右大将に任ずるとは、なんと、阿呆あほらしい――」白馬が、遠くでいなないた。浄憲は、眸の小さい眼で、ぎらりと、あたりを見た。
「――この手で、まだまだ、勝手気ままに、清盛入道は、叙位じょい除目じもくわたくしするじゃろう。おそれ多いが、おかみも、あるやなしの振舞、いわんや、吾々輩われわれはいをや」
「……ちと、今日は館に、約束の客を待たしてもあれば」
「まあ」と、浄憲は、範綱の袖をとらえて、
「それと、これとは、事の大きさが違いましょう。貴所も、院の御信任あさからぬ臣下の御一名ではないか」
「こういう所では」
「いや、改まった場所では、すぐ、平氏の者がうるさい。……ではご一言、伺っておこう。新大納言のお考えに、そこもとは、ご加担か、お断りの肚かを」
「今は、申しかねる」
「二心おもちか」
「いや」
「さなくば、仰せられても、さしつかえおざるまい。かほどまで、平家の門葉もんようばらに、みにじられ、無視されても、腹のたたぬやつは、うつけか、畜類ちくるいでおざろうぞよ」
「…………」
「法皇とても、おなじお気持でいらせられる。御気みけしきにこそ出されぬが、お憤りはどんなにか、鬱積していらるるのじゃ。さものうては、新大納言はじめ、われらどう歯ぎしりしたところで、うごきはせぬ。……」
「…………」
「加盟におこばみあることは、せんずるところ、法皇の御意にそむき奉ることにもなる。……それでも、ご不承か」
「考えておきます」
「ゆうべも、そう仰せられたままと聞く」
「大事の儀は、大事に考えねば、ご返答はなりませぬ」
「賢いの……六条どの」
「さようか」
「ふ、ふ、ふ、ふ」
 浄憲法師は、あざむがごとく笑って、ついと、背を向けた。
「では、いずれ再度――」すたすたと奥へきぬさばきを切って行った。
 ほっと、虎口をのがれた気もちである。範綱は、誰にも会いたくない気がして、いそいで、院の門を出た。
 車寄くるまよせには、誰彼の参内の諸卿しょけい牛輦くるまが、雑鬧ざっとうしていた。舎人とねりや、牛飼たちが、口ぎたなく、あたりの下に争っている。
箭四郎やしろう、箭四郎」供待ちへ、こう呼びたてて、範綱は、あわただしく牛輦くるまの裡へかくれた。そして、揺られゆく途々みちみちに、ふとまた、不安なものを感じてきた。法皇のおことばに、もしや表裏があるのではないかという点だった。浄憲法師には浄憲へいうように、また自分には自分に対して下されるように、あしらわれているのではないかという疑念である。
 なぜならば、策士にかこまれている法皇御自身がまた、ひとかどの策略家でいらせられるからであった。


 それ以来、範綱は、病気といって引き籠っていた。
 一室に閉じ籠っていても、世間の物音は、ごうごうと、聞えてくる。
(また、山法師の強訴ごうそじゃ)
(白山の僧が、神輿しんよをかついで、延暦寺えんりゃくじへ押しかけたそうな)
 そんな噂は、もう珍らしくもない。政治好きな法皇でさえ、山門政策には手を焼かれて、
双六すごろくさいと、山法師ばかりは、ちんの心のままにならぬ)と、嘆じられたという。
 その僧徒たちが、示威運動をやったり、延暦寺の座主ざすが、そのために流されたり、院の政務も、洛内も、騒擾そうじょうを極めていたので、新大納言一派の暗躍も、五月中は、ついに、法皇へはたらきかける機会がなくて、過ぎてしまった。範綱は、ひそかに、
(いずれも、一時の不平の寄り集まりじゃ、このまま、自壊してしまうかも知れぬし、そうなれば、かえって法皇のおんためというものだが)近ごろ、どことなく鬱結うっけつしているものが、院のほかから炎をいて出ることが祈られた。
 だが、最初に、密使としてここへ訪れた多田蔵人ただのくろうどは、洛中の騒擾にまぎれて、あれからも、しきりと一人でこっそりとってきた。
「――お不快なそうじゃが、だいじにせられい。いやなに、ってお目にかからいでもよろしい。拙者は、お預け申してある平家のまわものめを、調べて立ち帰る」そういって、家人に裏庭へ案内をさせた。
 いつぞやの雨の夜、大騒ぎをやって捕えた曲者くせものは、一時、納屋なやへ押し籠めておいたが、家人が物を出し入れするごとに不安だし、もし逃げられて、六波羅へ、あだ口をきかれたらばお館の御運命にもかかわるといって、箭四郎が、急ごしらえの牢を作った。空いているうまやへ、材木を組み立てて、その中へほうりこんでおいたのである。
「見るからに、強情そうなつらがまえよ。きょうこそ肉をたたき破っても、口を割らせてくれるぞ」蔵人は、牢の外から宣言して、曲者を、縄目のまま、外へ出させた。馬を打つ革鞭かわむちを持って、
「こらっ、下司げす
「…………」
「六波羅のまわし者とは分っているが、誰にたのまれたかっ。何を探れと、いいつけられたのか」
「…………」
「いわぬかっ」ぴしいっと、鞭が一つ鳴る。
「ぬかせっ」
「…………」
「ぬかさぬかっ」二つめが唸る。鞭のうなるたびに、曲者くせものの顔に赤いすじが一つずつれあがった。そして、しまいには、紫いろになり、耳や、唇や、いたる所から、血しおが流れた。
「ううーむ……ううーむ……」ついには、大きなうめき声と、鞭の音とが、根くらべをするだけであった。蔵人くろうどは、精をきらして、
「よしっ、きょうはこれで、帰るとするが、また来るぞ。生命いのちが惜しくば、口をあくことだ。考えておけ」いいすてて、帰ってしまった。
 やかたの者たちは、眼をふさぎ耳をふさいでいた。しかし、こんな程度のことは、今の京洛みやこの内には、ざらに行われていることだ。見馴れている蔵人などは、まだまだ手ぬるいと思って帰った様子なのである。


 意地になって、蔵人はそれから後も、たびたびやって来ては、厩牢うまやろうの曲者を拷問ごうもんした。
 曲者の体は、そのために業病ごうびょうのように腫れあがって、やぶれた傷口は柘榴ざくろの如くみ、そこから白い骨が見えるほどだった。
「ころせ」曲者はいった。
 そしてまた、打てば打つほど、あざ笑って、
「これくらいな折檻せっかんで、口を割るような男に、なんで大事な役目を主人が申しつけるものか。無益なことをせずに、ひと思いに、この首を落せ」むしろ自分の克己心こっきしんを誇るかのように彼は屈しなかった。
 ついには、蔵人の方が、根気も尽き、不気味にもなって、だんだんに足が遠くなっていた。
 六月に入った。葉ざくらの葉蔭に、珊瑚さんごいろのあかが、いて血のように見える。れきった桜の実は、地にもこぼれていた。
 十八公麿まつまろは、それを、小さなにひろい集めていた。すると、裏庭の奥で、
和子様わこさま――」と、誰か呼ぶ。
「和子様……」何度目かの声に、十八公麿はやっと気がついたように、無邪気な目をやって、辺りを見まわした。
 誰も、人影はなかった。だが、ややおびえたらしい童心は、急に、白昼まひるの庭の広さが怖くなったらしく、あわてて、やかたの方へもどりかけた。と――また、
「和子様、ここですよ」
「? ……」十八公麿はふりかえって、じいっと、厩牢うまやろうの中にみえる人間の影をふしぎそうに見つめていたが、やがて、怖々こわごわと寄って行って、
「おまえは、誰?」
「わたくしは、お館にしのび込んで捕まった曲者くせものですよ」
「曲者さん?」
「名まえではありません、いわゆる曲者です。けれど、和子様には何も悪いことはしませんから、安心して、少しここで遊んで行ってください」
「? ……」
「わたしは、淋しくてたまらないのです。いま、和子様のすがたを見たら、この胸が張り裂けるようになりました。私にも、ちょうど和子様ぐらいな子があります。また私の御主人の息子様も、和子様よりすこし年上ですが、やはり無邪気な少年です」
「曲者さん、おまえは、どうしてこんな所へ入っているの」
「忠義のためです」
「忠義のためなら、よい侍と皆がめてくれるでしょう」
「そうは行きません、味方に忠義な侍は、敵にとれば憎むべき悪魔に見えます」
「では、曲者さんは、悪魔なの?」
「ここに捕われている間は」
「外へ出れば」
「善人です。少なくも、悪人ではありません。その証拠には、和子様は私とこうして話していてもちっとも恐いことはないでしょう。あなたに危害は加えませんから――」
「初めは、怖ろしかったが、もう何ともないよ」
 そういって、その言葉を証拠だてるように、十八公麿まつまろは、牢の隙間からを差し入れて、
「曲者さん、桜んぼを、上げようか」

十一

 にこと笑って、
「――これは甘そうですね」曲者は、桜の一顆ひとつぶを口にいれて、ぽつりと噛んだ。
 永い牢獄の飢えと苦熱にかわいた舌に、一顆の桜の実の汁が、何ともいわれない物の味を走らせた。思わず、四顆よつぶ、五つ顆。
「これは、うまい」むさぼるように、のうえの紅玉を口へ入れて、胚子たねを吐きちらした。
 食物にも、人情にも、かわき切っているらしい曲者のよろこびかたを見ると、十八公麿は、どこかへ走って行った。やがてまた、そこへ戻ってきた彼の手には、草紙の反古ほごにつつんだ麦菓子がつつまれていた。
「お食べ。――お菓子」
「えっ」牢格子の隙間からそれを見た曲者くせものの眼は飛びつくように光っていた。
「私に菓子を下さるのですか。ありがとう! こういう所に永く押し込まれていると、気が狂うほど、甘い物が、欲しくなります。……ああ、ありがとう!」おののく手にそれを取ると、けものが人の跫音あしおとはばかるように、四辺あたりを見まわして、口の中へ一つを押しこんで、残りを懐中ふところへかくしてしまった。
 十八公麿は、去りがてに、その前へしゃがみこんで、
「曲者さん、おいしいの」
「はい、これで、死んでもようございます。食物に飽いている平常ふだんの頭では考えられないほど、食物の尊さがわかりました。ああうまかった」舌つづみを打って、
「慾には、これで、うちにいる妻子つまこの顔を一目見て死にたいと思いますが、それは煩悩ぼんのうと申すものですからあきらめています」
「…………」
「和子様、私が首を斬られたら、どうぞ、私の髪の毛を一すじ切って、御門の外へ捨ててください。――西風のふく日に、私の髪の毛は、妻子のいる家へ帰ってゆきます」
「おまえは、そんなに、妻子の顔が見たいのかい」
「それは、和子様でもお分りになるでしょう。もし、和子様のお父上が、よそへ行ったまま、いつまでも帰らなかったら、和子様はどうお思いあそばすか」
「…………」十八公麿は、突然、牢格子へ手をかけて、そこを押した。しかし牢は開くはずもなかった。
「和子様、和子様、何をするのですか」
「おまえを、ここから、出してあげようと思って――」
「飛んでもない」曲者は、首を振った。
「私が、牢を破って逃げたらば、新院の大納言や北面の武士たちから、あなたのお父上は、裏切者と睨まれて、お生命いのちがありません」
「では、おまえは、ここを出たくはないの」
「出たいのは山々です。……けれど、私が助かれば、和子様のお父上に迷惑がかかると思うと、逃げる気にもなりません」曲者は、そういって寂然じゃくねんと首をたれていたが、やがて首を上げると、発狂したように、牢の外へ向って呶鳴った。
「おやかたのうちへ申し入れる。どなたなりと、お出でください。火急申しあげたいことがござる! どなたなりと、お出合ください!」

十二

 厩牢うまやろうからのわめき声に、
「なぜ騒ぐかっ」箭四郎やしろうがまず駈けだしてきて、曲者くせものを叱った。
 何事かと、範綱のりつなも、奥から姿をあらわした。曲者は、牢格子にすがって、
「お館へ、申しあげたいのでござる。今日までは、骨を砕かれ、肉をやぶられても、この口はくまいと、心を夜叉やしゃにし、固く誓っておりましたが、十八公麿まつまろ様のやさしさに、あわれこの夜叉やしゃも、弱い人間の親にかえりました。いわずにはおれぬ気持が急なのでござる。お聞きとり下さい。それがしの自白を――」と、叫ぶのだった。その声には真実がある。その顔には涙がながれている。範綱はいった。
箭四やし、牢から出してやれ」
「えっ、出しても仔細はございませぬか」
「縄も解いてやれ」箭四郎は、いわれる通りにした。縄を解くのだけは不安な気もしたが、曲者は神妙だった。範綱の足もとに両手をついたまま、しばらく、男泣きに泣いているのであった。
 わけをただすと、曲者は、十八公麿のやさしい童心に対して、醜悪な自己の姿がたまらないほど恥かしくなったのだという。奉公のためとはいえ、呪詛じゅそと虚偽の仮面をかぶって、牢獄につながれている自分の浅ましい姿も恥かしいし、また、家にのこしてある妻子に対する思慕にも耐えられなくなったというのである。
「もう何をかくしましょう、わたくしは小松殿の御内人みうちびとです。成田兵衛なりたのひょうえの郎党で庄司七郎しょうじのしちろうという者です。先年はまだ和子様が日野の里においでのころ、無礼を働いたこともあるので、うすうす、和子様のお顔は存じ上げておりました」
「ではやはり、蔵人殿のご推察どおり、六波羅方のまわし者じゃな」
「いかにも」と七郎は、きっぱりいった。
「新院大納言が、相国しょうこくに不満をいだいて、何やら密謀のあるらしい気配、く、それがしの主人成田兵衛が感づいて、あの衆の後を尾行つけよというおいいつけなのです。すでに、小松殿も、それをお気づきある以上は、もはや、事を挙げても、成就じょうじゅせぬことは、火をみるよりも、あきらかです。決して、お館には、さような暴挙にご加担なされぬように……。申しあげたいといったのは、その一事です」
「ほう、それでは、すでに小松殿を初め六波羅では、新大納言の策謀を感づいておられるのか」
「一兵なりと動かしたらばと、手具脛てぐすねひいて、待ちかまえているのです」範綱は心のうちで、
(あぶない!)と、思わず大息につぶやいた。さしあたって不安になるのは、法皇のおん身であった。あれほど、仰せられたことであるから、新大納言一味のにのせられることはばんあるまいとは思うが、
(もしかして? ……)という気もしないではなかった。
「よう教えてくれた。――箭四郎、この曲者を、裏門から放してつかわせ」範綱は、そういいすてて、あわただしく自分の室へかくれた。

十三

 やがて、玄関のほうで、
箭四やしっ、箭四っ」と呼ぶ声がした。
 箭四郎は、曲者の七郎を、裏門からそっと放してやったところだった。
「はいっ」駈けてゆくと、玄関の式台には、範綱が直垂ひたたれを改めて立っていた。
「馬をっ――。急いで」
「はっ」箭四郎は、うまやから馬を曳きだしたが、病気と偽ってひき籠っている主人が、何でにわかに外出を思い立ったのか、そしてまた、世間の耳目にもはばかりはないのかと、ひとりで危惧きぐしていた。
「いそげよ」門の外へ出ると、範綱は、鞍の上から再びいった。
 あぶみの側へ寄って、馬と共に駈けながら、箭四郎が、
「おやかた様」
「なんじゃ」
「世間へ仮病けびょうが知れても大事ございませんか。裏道を通りましょうか」
「それには及ばん」
「して、お行く先は」
仙洞せんとう――」さては参内さんだいであったのかと彼は初めて気がついた。仙洞というのは、後白河法皇の離宮である院の別名なのである。六条からはそう遠くはない。しかし本道ほんみちの五条大橋を越えてゆくと、橋の東に小松殿の薔薇園しょうびえんがあり、その向い側には入道相国の六波羅の北門ほくもんがあって、その間を往来するのはいつも何となく小気味がよくないし、肩身の狭い気がするのであった。
 わけても、今日は主人が何かつよい決心を眉宇びうにもって、にわかに参内するらしい途中でもあるので、箭四郎はいそげといわれながら、道を迂回うかいして、三条のかわらから仮橋を越えて、十禅師じゅうぜんじの坂へかかった。
「箭四」
「はい」
「きょうは、たしか二日じゃの」
「六月二日でございます」
「…………」範綱は、時刻を考えるように、を仰いだ。陽はずっと加茂川の末のほうへ傾いている。
「駈けるぞ」一鞭ひとむちあてると、箭四郎は坂道にとり残された。やっと、追いついてみると、もう仙洞御所せんとうごしょの東門に、主人の姿はそこになかった。
 範綱は、院の中門へ、駈けるように急いで行った。そして、
「あっ……」と、立ちすくんでいる。
 北の中門の外に、お微行しのび鳳輦くるまが横づけになっているではないか。法皇は、ひそかにお出御でましになろうとしている。
 いずこへ? それは範綱には分っていた。六月二日の参会さんえということは、いつか多田蔵人くろうどの口から聞いていたのである。それを思い出したれば急いで来たのであるが、ここへ来るまでは、よもや、法皇がいつかのお言葉をひるがえして、新大納言や北面の不平武者にそそのかされて、そんな会合へ敢てお微行しのびをなさろうなどとは、十中の八、九まで、ないことと信じていた。
 けれど、事実は、範綱の正直な考え方とはあべこべだった。やがて、薄暮のころになると、武者所の人々がひそかに支度をととのえて、法皇の出御をうながした。
 範綱は、樹蔭に身をひそめて、そこの動静を、じっとうかがっていた。

十四

 藍草あいくさの汁をしぼったように、水っぽい夕闇が四囲あたりをこめてきた。しょくの影が、深殿の奥から揺れてきた。法皇のおすがたらしい影が、側近の人々の黒い影にかこまれて、おくつ御足みあしをかけている。
「しばらくっ――」そんな大きな声を出すつもりはなかったが、範綱は思わず大声でさけびながら、驚く人々を割って、法皇のまえに、平伏した。
「誰ぞ」法皇は、いちど、おくつへかけられた足を引いて、廻廊の上へ、立たれた。
「六条の朝臣あそんらしゅうござります」側近がささやくと、
「範綱か」
「はっ」
「病気と聞いていたが……」
仮病けびょうでござりました。かみを、いつわりました罪、いくえにも、お罰し下さりませ」範綱は、そういって、さらに、語気をあらためて諫奏かんそうした。
「きょうは六月二日とあれば、さだめし、鹿ししたに俊寛僧都しゅんかんそうずいおり衆会しゅうえのお催しあることと存じまするが、院の御深みふかくにわしてすら、道聴途説どうちょうとせつ、とかく、世上のうるさい折から、さような集まりの席へ、しかも夜中やちゅうのお出ましはいかがなものかと存ぜられまする。――それについて、折り入っておん耳に入れたいこともござりますゆえ、しばらく、お見あわせ遊ばして、お人ばらいの儀願わしゅう存じまする」
 法皇は、黙っておられた。
 先に、範綱へ仰せられた言質もあるので、やや気まり悪く思われたようなお顔いろでもあった。
 新大納言に同心の側近の者や、侍所の人々は、一文官の、しかも歌よみの範綱が、何を、かような大事に、くちばしをだすかと、憎むように、めつけていた。
 法皇は、板ばさみになったお顔つきで、ちょっと、当惑していられたが、範綱がくつのまえに死をして坐りこんでいる姿をみると、むげに、退しりぞけられなかった。
「しばしの間、遠慮せい」側近は、お声のもとに、無言のかしらを下げて、去るよりほかなかった。
 範綱は、その人々が去るのを待ってから、すでに、新大納言に謀叛むほんの下ごころがあることを、平家方では、察知しているということを、今日の庄司七郎の言葉を例証として、つぶさに、内奏した。
 法皇は、さすがに、顔いろを変えられた。御自身が、謀主ぼうしゅになってもほろぼしたいほど憎悪する平家ではあるが、それほどにまた、怖ろしい平家でもあるのだった。わけて、法皇は清盛入道が感情的に激発したらどんなことでもやりかねない男であるということを、幾つもの実例で骨身にこたえて御承知なのであった。
「やめよう」すぐ、こういわれた。
 たちまち、鹿ししたにへの行幸みゆきは、沙汰やめになった。武者所の人々は、
「いらざる諫言かんげんだてをする歌よみめ」と、範綱を憎み、
「このままでは、味方の気勢にかかわる」といって、調ととのえた御輦みくるまを、からのまますすめて、松明たいまつをともし、暗い道を鹿ししたにの集まりへと急いで行った。
 だが、その列の中にいた多田蔵人ただのくろうどだけは、途中から闇にまぎれてただ一人どこかへ姿を消してしまった。

十五

 法皇の行幸みゆきはなかったが、すでに、暮れる前から、鹿ヶ谷の俊寛しゅんかんの山荘には、新大納言以下、不平組の文官や武官が、おのおの、微行しのびのすがたで集まっていた。
「六条の範綱のりつなめが、いらざるさしで口を――」と、人々は、空御輦からみくるまをながめて口々に怒ったが、
「なに、法皇のお心変りは、時雨しぐれのようなもの、降ると思えば照る、照ると思えば降る――。明日あすにてもまた、麿まろが参内して御心を励ませば、必ず次の集まりには、御参会ごさんえあるにちがいない」
 大納言成親だいなごんなりちかは、自信をもって、席の人々へいった。浄憲じょうけん法師も、相槌あいづちを打って、
「ようたとえられた。まことに、法皇の御気色みけしきは、照り降り雨、われらが側近にあれば、また変る。お案じあるな」席には、近江おうみの入道蓮浄、山城守基兼もとかね平判官へいほうがん康頼、その他の人々がいた。
 あるじの俊寛は、折角すすみかけた平氏顛覆てんぷくの相談が、法皇のおすがたの見えないために、やや出鼻の白けたような様子を見て、
軍立いくさだてのことは、次の会に改めてはかるといたして、今宵は、盟約の酒もりとしよう。ご異議ないか」
「よかろう」新大納言は、虚勢を張って、
「祝おうではないか」と、音頭をとった。やがて、酒杯さかずきがまわされると、
「亭主殿――、ご馳走をなされ」と、俊寛へ向って、浄憲法師がよびかけた。
「馳走とは?」
猿楽さるがくなと」
「心得申した」俊寛は立って、おどけた手振りをしながら舞った。笙鼓しょうこを鳴らして、人々は歌う。
住吉すみよし四所よとこのおん前には
顔よき女体にょたいぞおわします
男は誰ぞとたずぬれば
松ヶ崎なるすき男
「ようできた、ようなされた。――次には、新大納言の君こそ、遊ばされい」
「そのこと、そのこと」手を引き出されて、
「さらば、舞い申す」と大納言はゆかを一つふんで、
この時、都に流行はやるもの――
「やんや、やんや」
流行はやるもの――
肩当かたあて腰当こしあて烏帽子えぼしとどめ
えりの立つ、片さび烏帽子
布打ぬのうちの下のはかま
四幅よの指貫さしぬき
武者むさの好むもの
紺よ、くれない
山吹、濃い蘇芳すおう
あかね寄生樹ほやすり
よき弓、※(「竹かんむり/祿」、第3水準1-89-76)やなぐい馬鞍太刀くらたち
遊女あそびめの好むもの
雑芸、つづみ、小端舟こはしぶね
大笠かざして
とも取り
「あっ!」酒の瓶子へいしを踏んで大納言がよろめくと、人々は、歌の調子をそのままつづけて、
「たおれた! たおれた!」
瓶子へいしがわれた」
「瓶子がたおれた」
「わはははは」
「はははは」そして、めでたいと、はしゃいでいい合った。

ほのおつじ




 叡山えいざん騒擾そうじょうはその後もつづいていた。院政の威光も、平家の権力も、山門の大衆だいしゅだけには及ばない有様なのである。
 天台千年の法城ほうじょうは、帝室や、国家からの破格な待遇たいぐうれて、仏徒は思い上がっていた。平家一門が、人臣の分を忘れて、
 この世をば我が世とぞ思う――といったような思い上がりと同様に、仏徒もまた、仏弟子のぶんをわすれて、政治を持ち、武力をすら持って、社会を仏徒の社会と思い違えているかのように傲慢ごうまんで、理窟ッぽくて、特権意識のみがさかんだった。
(山門を討て)という声は、その前から北面の侍たちの間に起っていた輿論よろんであった。新大納言や、浄憲法師じょうけんほうしや、鹿ししたにに集まった人々は、その政機を利用して、にわかに、山門討伐の院宣いんぜんを名として、軍馬の令をくだした。
 物の具を着けた武者たちは、夕方までに、数千騎、御所のまわりに集まった。武臣のうちでも、重要な数名の将のほかは、院宣のとおりに思って、叡山を攻めるのだとばかり思っていたらしい。
「今宵こそ、山法師ばらに、一泡ふかせてくれねば――」と、弓弦ゆづるを試し、太刀のかわを巻いて、夜を待っていた。
 だが、院の中枢部の人々の肚は、敵は叡山にはなくて、六波羅にあった。山法師を討つと見せて、平家一門へ私怨と公憤の火ぶたを切ろうとする密策なのであって、刻々と、夜の迫るのを、待っていた。
 そこの仙洞御所せんとうごしょと、清盛のいる西八条のやかたとは、目と鼻の先だった。物々しい弓馬のうごきは、すぐ六波羅の御家人ごけにんから、
「何事か、院の内外に、侍どもがただならぬ軍支度いくさじたくにござりますぞ」と注進されたが、すぐ、次々に来る物見の者からは、
「あれは、先ごろからの強訴ごうそ一件で、院のおさばきにたてつく山門の衆を捕り抑えよと令せられて、それで御発向ごはっこうの兵馬と申されておりまする」と、訂正した報告が、一致していた。
 清盛は、聞くと、
「さもあるはず」と、うなずいた。
 誰が、自分のすぐ足許あしもとから、平家の今の権勢に対して、弓をひくほどな不敵な行動をしようと、安心しきっているのであった。ところが、
「お取次ぎねがいたい。折入って、火急、相国しょうこくへお目どおりの上で、一大事を、お耳に達したいと駆けつけてきた者でござる」と、息をきって、西八条のていに訴え出た者があった。侍たちが、
「名は?」と問うと、
「院の北面につかえまつる多田蔵人行綱ただのくろうどゆきつなでござる」と、いった。驚いて、その由を、主馬判官盛国しゅめのほうがんもりくにまで取次ぐと、
「なに、蔵人が」不審顔をして、平盛国は、奥から出てきた。蔵人は、彼を見るとすぐ、
「お人伝ひとづてには、ちと申し兼ねる大事です。相国しょうこく直々じきじきに、お会わせ下さるならば申しのべるし、さもなくば、このまま立ち戻る所存でござる」と、昂奮した声でいった。


 蔵人は、庭へまわされた。庭には、侍たちが、きびしい眼をして、彼の姿を、一歩一歩監視していた。
「坐れっ!」大喝だいかつされて、蔵人は、
「はっ」思わず、敷物も求めずに、大地へひざまずいてしまった。
 ふと見ると、相国しょうこく清盛は、中門のろうまで出て、立っていたのである。五尺二、三寸の中背な人物で、体も肥満質なほうではない、むしろ肩がとがっているし、頬骨は高く痩せているといったが近いであろう。それでいて、ろうの天井へいっぱいになるほど、おおきく見えるのであった。左右の足もとに、ずらりと並んだ近侍たちのが低いためもあるし、また、彼の一身にかがやいている勢威というものが、そう見せるのでもあろう。
 色は白く鼻ばしらが鋭いほど通っている。平家一門の多くの者がそうであるように、彼もどこか貴族的な美男型の容貌をそなえているが、きかない気性は大きな唇元くちもとにあらわれているし、武士らしい睨みは、ややくぼんでいる眼と、毛のこわい眉毛まゆげにあり余っていた。
「蔵人行綱というか」清盛はいった。
「はっ」
「――めずらしい者が舞い込む……」と、これはひとごとのように笑いながらつぶやいて、
「院に仕える武将が、忍びやかに、この西八条へは、何しに来たか」
「されば……」蔵人の声はかわいていた。
「きょうの昼中より、あわただしゅう、院の内外に軍兵を催されておる仙洞せんとうのさまを、相国には、なんと御覧ごろうぜられまするか」清盛は事もなげに、
「山攻めと聞くが」といった。
「滅相もない偽りざたです」
「なに、嘘じゃと」
「まことは、真夜半まよなかのころを計って、この西八条のていを取り巻かんとするいくさの催しでござる」
「わはははは」清盛は、扇子せんすで膝を打ちながら肩を揺すぶって、哄笑こうしょうした。
「こやつ、なにをさかしげに、訴えるかと思えば、夢でも見てきたような囈言たわごと。この清盛に弓をひく者はおろか、西八条の邸に小石一つ投げつけ得るほどの者が、天下にあろうか」
「その御油断こそ、院中の不平ものばらうかがう隙でござります」
「院中の不平者とは、誰をさしていうか」
「新大納言を初め、浄憲法師、その他、北面の侍ども、こぞって、世を不平といたし、相国の御一門をば、のろっております」
「まったくか」
「なんで、かような大事に、虚言きょげんを構えましょうや。山攻めとは、怖れながら、間近の敵をいつわ詭計きけいにござりまする」
「法皇は、それを、ご存じか」
「俊寛法師の鹿ししたに山荘にも、ひそかに、行幸みゆきましまして、このたびの盟約には、ひとしお、お力を入れているようにうけたまわりまする」
 清盛は、入道頭を、ついと横へ向けた。そして眼下の蔵人くろうどはもうその眼の隅にもないように、侍部屋の廊へ向って、
「筑後っ。筑後やあるっ」と、呶鳴った。
 その声に威圧されて、蔵人は、白洲しらすに居たたまれなくなった。思わず腰をうかして、挨拶あいさつもせずに、こそこそと中門の方へ走って消えようとすると、清盛が手の扇子せんすを上げて、背後うしろから叱咤した。
「しゃつ! 捕えて置けっ」


 侍たちが、跳びかかって、彼のきき腕をねじ上げると、
「あっ、それがしに、なんのおとがめをっ」蔵人は、もがいた。
 清盛は、答えもしない。筑後守貞能ちくごのかみさだよしに向って、何事かいいつけていた。貞能が去ると、左馬頭行盛さまのかみゆきもりが呼ばれ、行盛があわただしく廊を駈けてゆくころには、もう右大将宗盛うだいしょうむねもりや、中将重衡ちゅうじょうしげひらなどが、庭や、侍部屋に姿をあらわして、何事かさけんでいた。
 一瞬のまに、西八条のやしきは、兵の殺気にみちていた。甲冑かっちゅう弓箭きゅうせんを、身によろって、またたく間に、兵に、兵の数が加わって、えてゆく。
 こういう空気はまた、清盛の最も好むことらしかった。彼の眼は、別人のようにかがやいて、奥の間を閉じこめた。
 そこへ召された安倍資成あべのすけなりは、二十騎ばかりをれて、仙洞御所せんとうごしょへ、急使として駈けて行った。
 また、烏丸の新大納言の宿所へも、これは、平服を着た身分のひくい者が、書面をもって、使いに行った。
 大納言は、何食わぬ顔をして、真夜半まよなかの火の手を自身の住居すまいから待っていたのである。そこへ、相国からの使いが来て、
(即刻、お出でを乞う)とあるので、
「ははあ、これは、山攻めの結構を聞いて、相国が、法皇を申しなだめようとするはらとみえる」
 そうつぶやいたことだった。
 行かなければ、疑われる。大納言は、常のとおり、布衣ほいかんむり婀娜たおやかに着なして、鮮やかなくるまに乗った。雑色ぞうしき、牛飼、侍十人以上をつれて、すぐに、西八条へと行った。
「や?」夜のちまたは、真っ赤だった。
 諸方に、篝火かがりびが立っている。暗い小路こうじには、松明たいまつがいぶっていた。道に捨てられてある武器や、人間の首や、胴などを、幾つも見た。
「あらわれたか」と、大納言は、狼狽した。そして、
「返せっ。くるまを、もどせっ」にわかに、さけんだ。
 しかし、もうそこは、五条の平家のちょうに近くもあったし、いつのまにか、辻々からついてきた甲冑かっちゅうの兵が、道の前後を取り巻いているのであった。
「新大納言のきみにおわすか」兵の中から、一人の将が、薙刀なぎなたをもって、みすねあげた。大納言は、おののいて、虚勢も張れなかった。部将は、
「それっ、お迎え申せっ」
「あっ――」と、兵は、くるまにたかって、牛を打ち、ながえをつかみ、また輦の後を押して、
牛頭ごず馬頭めずだ」
「地獄車だ」
「押せっ」
「曳けっ」わあっと、声を揚げながら、くるまのまま、西八条の邸の中門のきわまで、ぐわらぐわらと引っ張りこんだ。
 武者の手が、大納言を地にり下ろした。
「縄をかけまするかっ」問うと、廊のうえで、
「縄目には及ぶまい」清盛の声である。大納言の顔いろはもう生きた人間のようではなかった。


 辻々で、小戦こぜりあいが始まった。不意に逆襲さかよせをくった院の兵はもろかった。
 一群れ、一団ずつ、武器をりあげられて、降人こうにんとなる組があるし、反抗して、大薙刀おおなぎなたで、首を打ち落されている者や、組み敷かれて、
「斬れっ、おれの首は宙をとんで、西八条の入道に、噛みついてやるぞっ」と、呪いを、絶叫しながら、あけになってすぐ路傍の死骸になる者もある。
 その中を、首魁しゅかいの浄憲法師が、素裸足すはだしのまま、院の内から縄がらめになって突き出されてきた。
 近江中将蓮浄おうみのちゅうじょうれんじょう山城守基兼やましろのかみもとかね、その他の文官や武官も、ぞくぞくと衣冠いかんや太刀をがれて、西八条へ召し捕られてゆくし、また、鹿ヶ谷の俊寛も、手あらい雑兵にいましめられ、犬か牛のように、むちで打たれながら、引っ立てられてきた。
 清盛が、その人々を、どんな憎悪と怒りの眼をもって見たかは、想像にかたくない。
 浄憲法師に向っては、
「この畜類めらが首、滅多には斬るな。手足を、かせませ、糺問きゅうもんに糺問した上で、河原にひき出して、かしらねい」と、ののしった。
 浄憲は、自暴自棄になって、白洲しらすから口を裂いて吠えた。
「やよ清盛、そもそも、ごへんは、刑部忠盛ぎょうぶただもり嫡子ちゃくしであったが、十四、五の頃まで出仕にもならず、京童きょうわらんべは、高平太たかへいたの、すがめのといっておった。さるを保延ほうえんのころ、海賊兵二十人ほどからめ捕った恩賞に、四位の左兵衛佐さひょうえのすけとなったのですら、その当時、人は過分なと沙汰してあったに、その後は、とんとん拍子に、殿上のまじわりもなり、今は太政だいじょう大臣の高位におすこと、自身にても、不思議な冥加みょうがとは思わぬかっ。それを、なおこの上にも一門の栄達ばかりを計り、すこしの善政も施さないでは、やがて、この西八条の大棟おおむねに、怨嗟えんさの炎が燃えつかずにはおるまいぞよ。……ははは、平家の亡ぶ日が、眼に見えるようだっ。おぬしの入道首がかわらの烏についばまれる日が、眼に見ゆるわ!」清盛は、あおい眉間みけんをして、
「しゃつ! その口を八裂きにしてくるるぞよっ。侍ども、この人非人めの皮膚かわいで、焼けたる金鞭かなむちをもって打ちすえろ」ろうからつばをして、奥にかくれた。
 空いている物の具部屋の板敷の上には、大納言が泣きぬれて、人心地もなくたおれていた。入道は、跫音あしおとあらく、そこの障子を開けて、彼へも、いった。
「大納言、大納言。恩を知るをもって、人は人間とこそいえ、恩を知らいでは、畜生にひとしい。ご辺は、平治のころにも、すでにちゅうせられる所であったのを、小松内府こまつないふが、身に代えて、その首をつないでやったのではないか。さるを、その恩を忘れて、当家を傾けんとは、憎い為打しうち。見せしめには、こうして進ぜる」大口袴おおぐちの片脚をあげて、つよく蹴った。そして、
「まだ、かようなことでは、腹はえぬ。誰ぞある! この恩知らずめを、もっと、もっと、わめかせいっ」具足をつけた兵が、板敷へ踏みこんで、大納言の手足をつかんだ。大納言成親は、清盛の望みどおりに、ひいっ――と声をあげて、もがきわめいた。


 憎む者というと、その髪の毛を抜き、肉を裂いても、清盛の怒りは、容易に解けないのであった。余憤よふんは、院の法皇にすら向けられて、西八条は、夜明けにかけて、いよいよ兵気がさかんになる。
 薔薇園しょうびえんの邸にいる子息の小松重盛しげもりは、それを聞くと、悲壮な決意をもって、父の清盛を訪ずれた。そして、面をおかして、重盛は、聖徳太子の古言をひいて、憤怒ふんぬの父をいさめた。
 それは、聖徳太子の憲法十七条のうちにあるおことばだった。
人、みな心あり
心、各※(二の字点、1-2-22)しゅうあり
彼を
我れを
我れを是し
彼を非す
是非の理、誰か定むべき
相共あいともに賢愚なり
たまのごとくはしなし
たとえ、人怒るとも
わがとがをこそ恐れよ
 清盛はうつ向いて、内府の声を聞いていた。大納言を殺すことは、思いとまったらしい。しかし、怒りが解けたのではない。
 やがて、囚人車めしゅうどぐるまに乗せられて、都から遠国へ差し立てられてゆく流人るにんが毎日あった。京の辻は、日ごとに、それを見物する者で雑鬧ざっとうした。
 新大納言は、備前の児島へ。
 近江の蓮浄れんじょう、山城守基兼、式部正綱、等々々、一介いっかい平人ひらびとになって、無数の檻車かんしゃが、八方の遠国へ、生けるしかばねを送って行った。
 わけても、極刑にひとしい厳罰をうけたのは、鹿ししたに俊寛しゅんかんであった。流されて行く先が、鬼界ヶ島と聞いただけでも、人々は魂をおののかせた。
 六条の範綱は法皇の御行動を、あやうい業火のふちからおすくいした心地がした。もしあの時、西八条へ一筋の矢でもいてから法皇が、その軍勢のうしろにおいでになると分ったら、清盛の手は、院中にまでのびて、勢い、法皇のおん身にまで、どんなわざわいを及ぼしたか分らない。
「おそろしい世の中だ」と、今さらに思うのだった。
 つとめて、身を慎しみ、処世の一歩一歩に、細心な自適を心がけるよりほかはない。
箭四やし、箭四はいるか」ふと、思いついて呼ぶと、ほかの召使が、
「箭四郎どのは、今しがた、和子わこ様を背に負って、流人るにん檻車くるまを、見物に参りました」やがてその箭四郎が、十八公麿まつまろを負って、帰ってくると、範綱は、
「和子に、さようなものを見せてはならぬ」と、いって叱った。
 しかし、十八公麿は見たがるのである。六条のやかたは、以前の日野の里とはちがって、都の町中である。眼をふさぎ、耳をふさいでも、ごうごうと騒がしい世態の物音や、恟々きょうきょうおびえる人々のうわさなどが、敏感な童心のかがみに映らないはずはなかった。
 母の病気のために、久しく郷里に帰っていた侍従介じじゅうのすけも、やがて、帰ってきたが、わずかな間に激変した都のさまや、人間の栄枯盛衰えいこせいすいにおどろいて、
「こんなふうに、世の中が、三年も経ったら、一体、どう変るのでございましょうな」しみじみと、無常のつぶやきを洩らしていた。

貧乏びんぼうぐるま




 壁は、墨汁すみによごれていた。四側よかわに並んだ机には、約二十人ほどの学童が、いて姿勢を正して、師の講義を聞いていた。
孝経こうきょう」であった。日野民部ひのみんぶの講学が終ると、
「先生……」と、次の部屋に待っていた学僕が、側へすすんでいった。
「ただ今、御入門したいと申す児童が、二人の随身を供に連れて、お玄関に控えておりまするが」
「そうか。通しておくがよい。――しかし何家どこのお子だ」
「まだ伺っておりませぬ」学僕が去る間に、児童たちは、もう机の書物を、あわただしく仕舞って、立ち騒いでいた。
「これっ」民部は叱って、
「誰が、立てといいましたか、まだ、書物を仕舞ってはなりませぬ。今、先生が、読み解いた一節を、声をそろえて、復習するのじゃ」すぐ静粛になる。
 児童たちは、ほんを両手にもって、孝経の一節を、高らかに、読んだ。
「よろしい」ばたばたと、また騒ぎかける。
「――よろしいが、まだ、学課はおしまいではありませぬぞ。すずりに、水をおいれなさい、そして、草紙を出す」命じられるままに、手習てならいが始まった。よしと見て、民部は、ほかの室へ立って行った。
 その室には、何もなかった。儒学者の家らしい唐机からづくえが一脚と、書物の箱が、隅にあるだけである。
 そこの板縁を後ろにして、一人の少年が、さっきから待たされて控えていた。民部は、そこへ何気なく入って行ったが、足をふみ入れるとすぐに、はっと思った。
 この学舎がくしゃには、堀河、京極、五条、烏丸などの、権門けんもんの子をはじめ、下は六、七歳から十五、六歳の子弟を預かっていて、民部は今日までずいぶん多くの少年を手にかけてきているが、まだこんな感じを初対面の時にうけたためしはなかった。
ただではない)すぐ、感じたのである。
 永年の体験で、教育者として直感したのではあるが、べつに、その少年の容貌かおだちとか、身装みなりとかに変った点があるわけではない。少年は、手を膝にかさねて、入ってきた民部を、ちらと見上げている。そして、すこしあと退がって両手をつかえた。
 良家の子ならば、これくらいな作法は、どこの子弟でも仕込まれている。だのに、民部は、そのあたりまえな動作のうちに、やはり感じるのであった。
(はてな? ……何家どこの子だろうか。これは、鳳凰ほうおうひなだ)そう思いながら、
「入門したいというのは、そこもとか」
「はい」すずやかな返辞である。
「お年は」
八歳やつになりました」
「おん名は」
十八公麿まつまろと申します」
「お父君は、武家か」
「いいえ」
「どなたで、何といわるる」
「六条源氏町の藤原範綱のりつなの子でございます」
「や、範綱うじの、御猶子ごゆうしか。……ウーム、道理で」


 自分の眼が間違っていなかったことに、民部は、膝を打って、
「道理で――」と、何度も、うなずいた。
「六条どのは、和学、歌道の方では、当代での指折りである。その御猶子とあれば、なるほど、あらそえぬ」
「お父上か、叔父様が、共に参って、おねがい申すところですが、学問の徒になるには、自分で参って、ひとりで、おねがいするのが、ほんとだと教えられて、こうして、参りました」
「お気持が、ようわかる」
「先生、どうか、私を、今日から儒学のお弟子にしてくださいませ」
「お家庭うちにいるあいだは何を学んでおられたか」
「お父上から和歌を、また、叔父様から、書道や、やさしい和学を、教えていただきました」
「よろしい、明日から、お通いなさい。民部が、学び得たかぎりの学問を、おつたえいたしましょう」
「ありがとうございます」十八公麿の頬には、希望のいろが、あかくかがやいた。やはり、少年である。そう聞くと、いそいそと、玄関へ駈けて、
すけ」と、はずんで呼んだ。侍従介じじゅうのすけと、箭四郎やしろうは、式台のすみに、うずくまっていたが、
「お、和子様、どうなされました」
「おゆるしを受けた」
「それは!」と、二人も胸を伸ばして、よろこんだ。
「上出来でございました。はやく、お父君にも、このことを」穿物はきものをそろえて、ぬりげた貧しいくるまながえを向ける。彼が、それに乗ると、学舎の窓から、
「やあ、どこの子だ」と、師の見えない隙をぬすんで暴れていた悪童たちが、墨だらけな顔や、悪戯いたずらッぽい眼を外へのぞかせて、
「貧乏ぐるま
「ぼろ車」
「なんぼ、くるくる廻っても」
「貧乏車は、ぼろ車」と、うたって、はやした。箭四郎は、窓のそばへ駈けて、
「雀ッ。何をいうぞ」
「わっ」と、笑いながら、いちどに、窓の首は引っ込んだ。
「箭四、大人気おとなげないぞ、行こう」すけは、牛の手綱をとった。
「わしがく」と、箭四郎は手綱を彼の手から取って、まだ、腹だたしげに、窓をふりかえりながら、
「こんな、悪さのいる学舎へ、大事な和子様をかよわせても、よいものかの」
「それも、ご修業だ」
「朱にまじわればということもあるではないか――」
「染まるようなご素質であったら、それは、ご素質がわるいのじゃ」
「いまいましい、わっぱどもだ」
「だが、貧乏車とは、童も嘘は歌っていない。このお粗末な車を見て、たれが、貧乏でないといおうか。……ああ、なんぼ、くるくる廻っても、貧乏車は、ぼろ車。世の中がまわらぬうちは、どうもならん」
 牛飼も、雑色ぞうしきも持たない古車は、わだちの音さえも、がたことと、道の凸凹でこぼこを揺れてゆく。


 次の日から、十八公麿まつまろのすがたは、雨の日も、風の日も、欠かさずに、学舎に見えた。
 師の日野民部忠経ただつねは、元南家なんけ儒生じゅせいで、儒学においては、ちょう陰陽師おんみょうじの安倍泰親やすちかに日野民部といわれるほどであったが、磊落らいらくたちで、名利を求めず、里にかくれて、児童たちの教育を、自分の天分としていた。
 民部は、十八公麿を、愛した。日のたつに従って、その天稟てんぴんを認めてきた。
(これこそ、双葉ふたば栴檀せんだんだ)まったく、十八公麿の才能は、群をぬいていた。むしろ、余りにも、ほかの児童と、かけ離れ過ぎているくらいなのである。で児童のうちにも、嫉妬しっとはある。
がたがた車
がたぐるま
貧乏ぐるまの
音がする――
 学舎の往き帰りに、さかんに、そんな歌がうたわれた。
 まったく、十八公麿のような古車で通ってくる者は一人もない。家の近い者は、従者に、唐傘をささせて来たり、綺羅きらびやかなくつをはいて通うし、遠い者は、蒔絵まきえ車や螺鈿らでん車を打たせて、牛飼にも衣裳をかざらせ、
「おれの牛は、こんなに毛艶けつやがよいぞ」と、牛までを誇った。
 そうした中に、学舎のうちでも最も年上な一人の生徒がいた。十八公麿はわすれていたが、お供のすけは見覚えていた。小松殿の御家人、成田兵衛なりたのひょうえの子である。まだ十八公麿が日野のやかたにいたころ、したたかな仇をした小暴君の寿童丸じゅどうまるなのである。
 寿童は、知っていた。
 虫が好かないというのか、いまだに、あのことを根にもっているのか、とかく、意地がわるい。そして、
 貧乏車の音がする――という歌を流行はやらせた発頭人ほっとうにんも彼であることが、後にわかった。
すけ、あの悪童が、張本ちょうぼんじゃ、和子様のため、何とかせねばいかぬ」
「うむ、らしてくれたいとは思うが」
「一つ、この拳固こぶしを、馳走してやろうか」
「よせよせ」
 箭四郎が、しきりとはやるのを、介はあぶながった。
 介も、当然、憎々しくは思っているが、いかんせん、平家のうちでも、時めいている権門の子だ、侍の子だ、それに、学舎に通ってくるのでも、毎日五、六人ずつの郎党が車についてやってくる、なぐりなどしたら、自分の首があぶないし、第一に主人の身にも災難のかかるのは知れている。
 また、寿童丸の郎党たちも、傍若無人である。主人の子の学業が終るのを待っている間には、近所の里の女をからかったり、石つぶてで、雀を打ち落して、供待部屋ともまちべやあぶって喰いちらしたり、はなはだしい時は、こっそり、酒などをのんでいる。そして、
「おい、すけ公卿くげ奉公もよいが、りに選ってお牛場の落魄おちぶ藤家とうけなどへ、なんで、物好きに住みこんだのだ。おれの主人のやしきへ来い、うまや掃除をしても、もうちっと、身ぎれいにしていられるぞ」などと、無礼をいう。
(よせ。かまうな)と、介は、そのたびに、箭四郎を眼で抑えていた。箭四郎の方が、年上であるけれど、介がいつも止め役だった。若い血気さにおいては、当然、介の方が先にはやるべきであるが、彼には、以前の苦い経験があるので、じっと虫を抑えているのであった。

燎原りょうげん




 朝だった。奥の御用で、何か町まで買物に出た箭四郎やしろうが、
すけっ、大変だぞっ」と、その買物も持たずに戻ってきていった。
「どうした?」
いくさだっ」
「またか」めずらしくもないように介はつぶやく。箭四郎は、昂奮して、
「いや、こんどの火の手は、ほんものらしい。源氏の一類が、いよいよ我慢がならずに、起ったらしい」
「ふーむ」介も、そう聞くと、若い眼をかがやかした。
「うわさか、見てか」
「五条、四条、出陣の六波羅ろくはらの軍馬で、通れるどころではない。――聞けば、高倉の宮をいただいて、源氏の老強者ふるつわもの三位頼政さんみよりまさが、渡辺党や、三井寺みいでら法師の一類をかたらって、一門宇治平等院びょうどういんにたてこもって、やがて、都押しと聞いた」
「ほう、それは、六波羅もあわてたろう」
「勝たせたいものだ」
「…………」すけは、何か考えこんでいたが、やがて、吉光きっこうまえの住む北殿きたどのへ走って、そこで、彼女としばらく何か話していた。範綱も、やがて知って、
「その様子では、洛中らくちゅうのさわぎも、ただごとであるまい。怪我けがしてはならぬゆえ、十八公麿まつまろも、きょうは、学舎をやすんだがよいぞ」と、いった。十八公麿は、聞くと、
「気をつけて参ります。決して、あやうい所へは寄りませぬから、学舎へ、やって下さいませ」
 と、すがった。泣かないばかりに熱心なのである。心もとない気もするが、
「では、気をつけて。――軍馬で通れぬようであったら、戻ってくるのじゃ」注意して、ゆるした。
 箭四郎が見てきた通り、洛中は、大路も小路こうじも、鎧武者よろいむしゃと、馬と、弓と長刀なぎなたとに、うずまっていた。
 心棒のゆるんだわだちが、その中を、十八公麿をのせて、ぐらぐらと、かしいで通った。車の前に、薙刀なぎなたたおれかかったり、あらくれた武者が、とがめたりしたが、十八公麿は、その中で、孝経を読んでいた。
「箭四、見たか。和子様の、なんという大胆な……」すけでさえ、舌を巻いた。そして思わず、
「やはり、和子様にも、どこかに、源氏武者の血があるとみえる」と、つぶやいた。箭四郎は、袖をひいて、
「しっ」と、たしなめた。
 平家の武者の眼が道には充満しているのである。けれど、その日は、無事だった。次の日も、無事だった。
 源三位げんざんみ頼政が旗をあげたという沙汰は、洛内はおろか、全国の人心に、
(やったな!)という衝撃をつよくあたえた。
 だが、うしおのように、宇治川を破り、平等院をかこんだ平家の大軍は、数日のうちに、三位頼政父子の首、そのほか、渡辺党、三井寺法師の一類のしるしを、剣頭にかけて、凱旋がいせんしてきた。その首数、二千の余といい触らされ、血によごれた具足の侍が、勝ち祝の酒に酔っぱらって、洛中を、はしゃいで歩いた。


 一敗地にまみれて、壮烈な死をとげた源三位頼政の軍に、民心は同情と、失望をもった。
 そして心のうちで、
「どこまで、悪運がつよいのか」といよいよ、おごさかえる平家を憎んだ。石の上の雑草みたいな、うだつの上がらない自分たちの生活に、また当分、があたらないあきらめを嘆いた。
 だが、頼政の死は、犬死でなかった。彼の悲壮な一戦は、むしろ老後の花だった。
(あの源氏の老武者おいむしゃですら、これほどのことを、やったではないか)ということは、諸国に潜伏している源氏の者を、はなはだしく強くった。
 彼の挙兵に刺戟された源家の血統は、永い冬眠からさめて起ち上がったように、諸方から、兵をうごかし始めた。
 まず、八月七日には、関東の伊豆に、頼朝よりとも義朝よしとも滅亡以来、絶えて久しく、このあめしたに見なかった白旗を半島にひるがえす。
 その飛報が、京の六波羅を驚かして、まだ、軍備も整わないうちに、第二報は、彼らの思いもしなかった木曾の検非違使けびいしから来て、
「木曾の冠者かじゃ義仲よしなか近江おうみ以北の諸源氏をかたらって、伊豆の頼朝に応じて候」とある。愕然がくぜんと、六波羅の人心は、揺れうごいた。
 折もわるく、清盛は、このころから、不快で、大殿ごもりの陰鬱いんうつな気にみたされている時である。夜ごとに、悪夢をみるらしく、宿直とのいの者に、不気味をおぼえさせた。大熱を発して、昼も、どうかすると大廂おおびさしに、三位頼政の首がぶら下がっているの、屋根のうえを、義朝の軍馬がけるの、閻王えんおうを呼べの、青鬼、赤鬼どもが、炎の車について、厩舎門うまやもんの外に来ているのと、変なうわ言ばかりを洩らすのであった。
 だが、宗盛をはじめ、平家の親族は、かたく、清盛の病気を秘して、
「口外無用」と、宿直とのいや、典医や、出入りする将へも言いわたしていた。
 頼朝の兵は、枯れ野の火のように、武蔵むさしを焼き、常陸ひたちへ入る。
 義仲は、近江路おうみじへと、はや、軍馬をすすめていると聞えた。
 そうした、眼まぐるしい、一刻の落着きもない都のなかを、毎日、十八公麿まつまろは、がたがた車で、日野の学舎へ一日も怠らずに通いつづけているのである。
 すると、ある日、悪童組の寿童丸じゅどうまるや、ほかの年上の生徒が五、六名、民部の留守を見すまして、
「やい、牛糞うしぐそ町のわっぱ」と、十八公麿をとりまいていった。
「おまえの父親は、六条の範綱のりつなではあるまい。ほんとは、日野の有範ありのりの子じゃろう」
 それは十八公麿も、知っているので、かなしくはなかった。黙って、澄んだ、まるい眼をして、そういう悪太郎達の顔をながめていた。
 寿童は、おびやかすように、
「よいか。まだ、おまえの知らないことがあるぞ。教えてやろうか――それはな、おまえの実の父、藤原有範は、世間には、病死といいふらしてあるが、まことは、こっそり館をぬけだして、数年前から、源三位頼政の一類と一緒に謀叛むほんをたくらんでおったのじゃ。そして、頼政入道や、その他の者と、宇治河原で、首を打たれたのだ。……どうだ知るまい。知っているのは、わしの父、成田兵衛なりたのひょうえだけだ。わしの父はな、宇治の平等院で、源氏武者の首、七つも挙げたのだぞ」


 今の父は、のちの養父だと人がいう。
 どうして自分には真の父がないのか。寿童丸のことばをそのまま、信じはしないでも、十八公麿まつまろは、しきりと、それを考えるようになった。母に、訊ねると、
「お父君は、和子が四歳よつの年の春に、お亡くなり遊ばされたのじゃ」
 吉光の前は、そう明らかに教えた後で、いいたした。
「けれど、和子は、そのために、この六条の伯父君の手にそだてられて、御猶子ごゆうしとなられたのです。世のことわざにも、生みの親よりは育ての親という、御養父様の恩は大きい。忘れてはなりませぬぞ」
「はい」
 十八公麿は、うなずいたが、すぐ次の問いに、母を驚かせた。
「父君は、戦に出て、死んだのですか」
「いいえ、お病気いたつきで」
「でも、源三位げんざんみ頼政のいくさに加わって、討死したのじゃという人がありました」
「世間というものは、種々さまざまに、人の生活たつきを臆測してみるものじゃ。そんなことはありません。母も、伯父さまも、すけも、その折のご臨終の時には、お枕元にかしずいていたのじゃもの」
「どうして、世間は、そんなことをいうのでしょう」
「いわれのないことでもない。――それは、この母の従姉弟いとこに、今は、奥州みちのくの藤原秀衡ひでひらのもとにひそんでいる源九郎義経よしつねがあり、また、近ごろ、伊豆で旗挙げをしたと沙汰する頼朝がある。――それで、亡きおもとの父も、必ずや、頼政の軍にでも加担して果てたのであろうと、邪推じゃすいするのでしょう」そして、十八公麿まつまろつむりをなでた。
「そなたは、大きゅうなっても、頼朝、義経たちのように、血のちまたに、やいばをとって、功名をしようなどと思うてはなりませぬぞ」
ははさま」
「なんじゃ」
「人が死ぬと、どこへ行くのでございますか」
「さあ?」吉光の前は、常には、分りきっているようなことが、子に、そう訊かれると、すぐ答えができなかった。
「行くとて、行く姿はありませぬ。無にかえるだけです。ただ、人の心だけが、残ります。心のごうだけが残ります。ですから、生ける間に、よい事をしたものは、よい名をのこし、悪業をしたものは千載ののちまでも、悪の名をたましいに持って、死しての後は、それをき改めることもできません」
 死を考えることは、生を考えることである。十八公麿の眼は、うっすらと、そのころから、実社会のすがたに、みひらいてきた。
 路傍に、えて、こもをかぶっている人間のすがたにも、刀槍をきらめかせて、六波羅大路おおじを練り歩く武将にも、新たな、観る眼があいて世の中を考えだした。
 そして、こういう人々の種々さまざまな仮のすがたが、一様に、死の無にかえって、そのたましいの名だけが、宇宙にのこる。
 無限に死に、無限に生れ、無限のたましいの名だけが、不滅にある。
「ふしぎな? ……」と、彼は、つぶらな眼をじっとこらして、見ても見ても見飽かぬように、深碧しんぺきな、そして深く澄んだ、空に見入っていることがあった。
 そういうあいだも、日野民部の学舎に通うことは、日々怠らなかった。


 孟子、老子、五経、論語と、十八公麿の学業が目ざましい進み方で上がってゆくのを見て、寿童丸じゅどうまる餓鬼がき大将にする学舎の悪童連は、
「あいつ、生意気じゃ」と、いよいよ、仇敵視して、
「びんぼう車の机は、このガタ机でたくさんじゃ」と、脚の曲がった机とすりかえたり、草紙筥そうしばこの中に、蛙をひそませて置いたり、襟元へ、松葉をそっと落したり、墨や筆をかくしたり、あらゆる悪戯いたずらをもって、挑戦しかけた。
 だが、十八公麿は相手にならなかった。
「こいつ、おしか」と寿童は、いった。
 二歳まで、ものをいわなかった十八公麿は、今でも時々、そのころのように、唖になった。どんな声にとり巻かれても知覚がないように澄ましていることがある。
 いよいよ、悪童たちは、莫迦ばかにした。
「おい、きょうは、あいつを慰さんでやろう」発議ほつぎは、いつも、寿童丸であった。
「どうするのじゃ」
「帰りは、いつも、ただすはらで日が暮れる。あの辺を、びんぼう車の通るのを待ち伏せして、四方から、野火焼きしてやるのじゃ」
「おもしろい」

 乾いた風が、北山から吹きなぐって、屋根の石に、ときどき、あられのような音が走り、冬の雲が、たそがれの空をおそろしくはやけている。
「和子様、お風邪かぜを召されまするな。何ぞ、車のうちで、かずいておいでなさいませ」供は、すけが一人だった。牛曳きが一人。
 日野の学舎を出て、ぐわらぐわらと、夕霜の白い草原を走らせてきた。
 車のうちでは、れんをあげて、書を読む声が聞える。往きと、帰りと、十八公麿は、書を読んでいた。もう、星が白く、地は暗かった。それでも、寒風さむかぜに顔を出して、書を手から離さないのであった。
「あっ……」牛飼は、すくんだ。
 行くてに当って、大きな炎が、真っ赤に、大地をいていた。この風であるし、萱原かやはらであるし、まるで、油をそそがれたように火はまわる。
「牛飼」
「へい」
「横へ曲がれ。少し、遠くはあるが、道はあろう」すけは、煙にせながらいった。
 車は、すこし戻って、石ころの多い萱原かやはらの小道を西へ駈けた。するとまた、
「駄目だっ」
「なぜ」問うまでもない、介の眼にも、すぐわかった。そこら一面も、焼けているのだ、あとへ戻ると、そこにも火、あちらにも火、車は、みるまに十方の炎につつまれて、立ち往生してしまった。
「わはははは」
「あはははは」どこかで、わらこえがした。
 真っ黒な煙を、※(「風にょう+(犬/(犬+犬))」、第4水準2-92-41)てんぴょうから、たたきつけてくる。十八公麿は、車の中で、しきりと、咳声せきをして苦しがっていた。
「さては、成田兵衛ひょうえの小せがれだな」介は、もう許せないというように、太刀のつかをにぎって、笑い声のしたかやの波へ躍って行った。


 そこのかやむらから十名ほどの悪童が、ばったのように逃げだした。
 中に、寿童丸じゅどうまるの姿も見えた。すけは、眼をいからせて、
「おのれっ、今日こそ、もうゆるさん」
 追いかけると、寿童は、半泣きに叫びながら、たずさえていた竹のむちふるって、介を打とうとした。
小癪こしゃくなっ」介は、むちをもぎって、寿童丸の顔を、平手で、はたいた。
 枯れ草の燃えているなかへ、寿童は尻もちをついて、何かわめいた。すると、そこらの草むらから、
「やっ、若殿を」
「うぬ、よくも」子どもの背後には、大人が隠れていた。叫びあって、太刀や長刀なぎなたを構えながら、成田家の郎党たちが、
「うごくなっ」と、介を取り巻いて、斬りつけてきた。
 介は、驚いた。ここまでたくらんである悪戯わるさとは思わなかったのである。
「なにをッ」彼も太刀のさやを払った。
 ばちばちと、枯れ草を焼く火や、かやの吐く黒い煙が、そのつるぎをくるむ。
 平氏の家人けにんとは、構えて事を争うなとは、常々、口がくなるほど、主人からいましめられていることではあるが、かくなっては、相手をたおさねば、自分が斃されるのである。生をまもることは、人間の絶対だ。介は、なじりをつりあげて、闘かった。
 しかし、成田の郎党たちは、常に、こういう、あらわざには馴れている侍どもだし、人数も多いので、介は、見るまに、斬りたてられた。袖はやぶれ、小手は血に染んだ。頬から耳の辺へかけて、薄傷うすでを負うと、血のすじが、顔中にちらかって、悽惨せいさんな二つの眼だけが、穴みたいに光っている。
 肩で、あらい呼吸いきをつきながら、介は、一歩一歩と、後ずさった。
(和子様は、どうしたか?)それが気にかかる。
 十八公麿まつまろの車は、萱叢かやむら彼方かなたに、位置も変えずに見えるが、そこへ行こうと思っても、炎と煙と、そして相手の刃とがさまたげて、近よれないのであった。
「和子さまあっ――」介は、ついにさけんだ。
 すると、ひーっという声が、車の方で聞えた。思わず、炎を見ずに、介は駈けだした。
「逃がすなっ」と、刃は追う。
「あっ」と、介は、仰天ぎょうてんした。
 もう、十八公麿の車は、炎々と紅蓮ぐれんを上げて、燃えているのだ。わだちも、車蓋おいも。
 うわうーっ。地が揺るぎだすように、牛がえた。牛は、炎の車を背負って、突然、ぐわらぐわらと狂奔した。
 八方に、かくれていた悪童たちは、怖れて、きゃっと、逃げ廻った。うろたえて、みずから火の方へ走って、火の海から逃げられなくなった子供もある。
「助けてーっ」自分でけた火におぼれて、寿童丸も悲鳴をあげていた。しかし、怒りだした火牛は、仮借かしゃくがなかった。悪童たちを蹴ちらし、郎党たちのやいばいて、暗い野末へ、団々たる火のかたまりを負ってけて行く。
「和子さまっ。――和子様あっ」すけは、夢中で、それを追った。


 火に狂った奔牛ほんぎゅうは、三、四町ほど駈けて行って、忽然こつぜんと横にたおれてしまった。
 牛が仆れると、燃えていた車蓋は、紅い花車はなぐるまが崩れるように、ぐわらぐわらと響きを立てて、ほぐれてしまった。そして、おいも、御簾みすも、ながえも、一つ一つになって、めらめらと地上に美しい炎の流れを描いた。介は、発狂したように、
「和子様ッ」と、飛んで行った。
 そして、必死になって、崩れた炎の板や柱を、ばらばらと、手で退けてみた。何らの熱さも感じなかった。
 当然、その中にいる十八公麿まつまろは、彼の想像では、もう焼け死んでいるはずだった。けれど、車の下に何ものもなかった。
「あっ……。途中で?」介は、不安とよろこびと、二つの中に立って、そういった。
「……途中で、振り落されたか、ご自身で飛び降りたかなされたであろう、ああ、よかった」
 見ると、牛は、もう焼け死んでいた。おおきな横っ腹をふくらませて、足を曲げたまま、真っ黒になっていた。
 まだ多少の呼息いきをしているらしく、唇から白い泡が煮えていた。介は、思わず眼をそらした。
 曠野こうやは、真っ赤に染まっている。誰か来て消さない以上、この火は、あしたの朝までつづくかも知れない。
 それにしても、十八公麿が、こちらに見えないのはまだ不安である。安心するには早すぎる。一人で、六条まで帰れるはずはないし、さだめし、どこかで泣いて、自分の姿をさがしているにちがいない――
「おうっ――いッ」介は、両手を唇のはたに当てて、全身の声で呼んでみた。
「和子さまあッ――」返辞はなく、声は、いたずらに、野末のあらしになって、真っ暗に、消えてゆく。
「…………」呼ぼうとして、涙が、眼につきあげてきた。もしものことがあったらどうしよう、腹を切って、おわびをしても済まないことだ。
 さっきの牛よりも、狼狽して、狂気じみた彼の影が、それから脱兎のように、野を駈けまわったが、十八公麿は見えないのである。
「どこへおいで遊ばしたぞ。――すけはここにおりますぞ。十八公麿様っ」声も、おろおろとしてくるのであった。
 すると、河岸へ寄ったどての上を一人の男が、誰やら、背に負って走って行くのが見えた。堤の下まで、炎は這っていたし、空が赤いので、黒い人影が、はっきりと介の眼に映じた。
「やっ、和子様ではないか。――そうだ、和子様にちがいない。おのれ、成田の郎党めが」
 夜叉やしゃのように、介は、どてを目がけて飛んで行ったが、枯れ芦の沼がいちめんに、そこを隔てているので、遠く迂回まわらなければ、堤にはのぼれなかった。
 気がくし、足は自由にならない。沼水はかなり深かった。介は膝まで濡れた足をもどして、半町ほど後ろから、堤へ這い上がった。
 もう、さっき見た人影は、遠く去って、わからなかった。介は、地だんだを踏んで、
「畜生」と、さけんだ。
 そして、堤の上を、鬼のように髪を後ろへなびかせて走った。烏帽子えぼしは背へ落ちて、躍っていた。


「また、空が赤い」
「どこぞのおやかたへ、盗賊が押しこんだのではないか」往来へ出て、町の者は、首を空に上げて見ていた。
 戦いに次ぐ恐怖は、強盗ごうとうだった。
 こそこそと出没するのではない。十人、二十人、多い時には五十人も手下をつれて、どこへでも堂々と押しこむのであった。少し、きかない家来などがいると、忠義だてしてあらそうので、邸宅やしきはたちまち火をけられて焼かれてしまう。
「貧乏人には、盗賊の心配だけはない」町の人々は、赤い空をながめて、せめての慰さめのように、つぶやき合った。
 その往来を、向う見ずに、駈けて行った男がある。すけであった。
「待てっ」と、京極の辻でさけんだ。
 先へ走ってゆく影も、これまた、おそろしくはしっこい。ちらと、近くで見たところでは、それは、河原や枯れ野などによく寝ている物乞いか、菰僧こもそうたぐいであるらしかった。
 初めは、てっきり、成田の郎党と見て追いかけてきた介は、いよいよ、狼狽した。
 十八公麿まつまろさまを誘拐かどわかして、遠国へでも売ろうとする野盗か人買いにちがいあるまい、と今度は考えた。
「待てツ、待てッ」叫べば、叫ぶほど、先の男は、背中に十八公麿を負っているにかかわらず魔のように迅くなる。
 そして、どう抜けてきたか、六条のお牛場へと駈けこんだ。
「おおここだ」男は、築地ついじを見上げて、たたずんだ。そして裏門をどんどんと叩く。
 誰か、けた。開けると同時に、男は、背に負ってきた十八公麿を、ほうりこむように、門の中へ渡して、さっさと、元の道へ、かえした。
「この乞食めっ、和子さまを、どこへやった」いきなり組みついてきたのは介である。
「あっ」よろめいたが、男は、何もいわなかった。身をねじって、介の体を、勢よく振りとばした。
 介は、男の足をつかんだ。男は前へのめって転んだ。得たりと、介はのしかかって、拳固で、ぽかぽかとなぐりつけた。
 初めの勢いは、どこへやら、菰僧こもそうていの男は、両手で顔をおおって、痛いとも叫ばなかった。介は、腹が癒えないように、なおも、打って打って、打ちすえた。
 すると、築地のそばから走って来た十八公麿まつまろが、それを見ると、わっと大声で泣いた。滅多に、泣いたことなどない十八公麿が、しかも、異様な感情をあらわして泣いたので、介は、びっくりした。
「和子様、こいつは、野盗か、人買いか、悪党です。なぜお泣きなさるのです」
 十八公麿は、そういって、肩で息をしている介を、うらめしげに見ていった。
「その人を、わしは覚えている、悪党ではない」
「えっ、和子様の知っている人ですって」
やかたのおうまやに、縛られていたことがある……。そうそう、もと成田兵衛なりたのひょうえの家来であった庄司七郎しょうじのしちろうというのじゃ」
「げっ」介は意外な顔をして、
「あの寿童丸に付いていた成田兵衛の家人けにん、庄司七郎が、その男ですか」振りかえって、見直すと、菰僧こもそうは両手で顔をかくしたまま、不意に起って、恥かしそうに逃げてしまった。


 十八公麿の手をひいて、館のつぼの内へ入ると、養父の範綱のりつなも、吉光の前も、
「おお、無事か」
怪我けがはなかったか」一家が、こぞって転ぶように縁先へ出てきた。
 先に逃げ帰った車の牛飼から、途中の変を聞いて、おろおろと案じていたところだった。
 その危うい野火の中から、十八公麿を救って、ここまでおぶってきてくれた男が、以前、成田兵衛の郎党だった庄司七郎であったと話すと、範綱は、
「さてこそ……」と、思いあわして、うなずいた。
「ここの厩舎うまやひとやから、縄を解いて、放ってやった七郎というあの侍は、その後、主家の兵衛から、役に立たぬ不届き者と、家をも扶持ふちをも奪われて牢人となり、菰僧に落ちれていると聞いたが……。それでは、当時の和子の情けや、当家の恩義を忘れかねて、あやういおりに、働いてくれたとみえる。人には情けをかけておくものじゃ、ありがたいお人ではある」
 彼が、介や箭四郎やしろうたちに、そう語っているあいだに、吉光の前は、十八公麿をつれて、つぼの石井戸のそばに立たせ、下碑かひの手もからずに、自身で水を汲みあげて、よごれている足や手を洗ってやっていた。
 そして奥の部屋へ、抱き上げてくると、衣服を出して、着かえさせたり、きずをあらためて、薬をけたりして、
「和子よ」と、涙ぐんだ。
「――今日のわざわいは、幸いに怪我もなくすぎたが、この後とも、一身を大事にまもらねばなりませぬぞ。心に、油断があってはならぬぞ。そなたの身に、もしものことがあったら、この母は、どうしましょう」それから、夜のけるまで、いろいろと、十八公麿のゆく末のことを案じて、いいきかせた。
 それが、母と子との、最もしみじみと心で抱き合った最後の夜であった。
 石井戸に立って、水づかいをしていた時に、寒気がするとつぶやいていた彼女は、その夜から、寝間を出ずに、幾日も閉じこもった。
 良人おっとにわかれてから、とかく、病みがちであった彼女には、病気以外に、二人の遺子を抱えて、また、範綱の苦しい家計や、世難せなんの悩みをながめて、共々に、やすらかな日を味わう暇もなく暮してきた。
 風邪かぜ気味と、かろく自分でも考えていた数日のあいだに、彼女の若さも、肌も、病魔のかんなに削られて、眼にも驚かれるばかり、痩せ細ってしまった。
「オオ……何やら美しい……蓮花はちすがにおう……妙なあのは、しょうの音か、頻伽びんがの声か。……蓮華れんげが降る、皆さま、蓮華が降って、私の顔にかかります」信仰のふかい彼女は、熱がたかくなると、うわごとをいって、細いろうのような手を、うごかした。
(これはいけない――)範綱は、暗然として、枕もとに泣いている十八公麿と、朝麿、二人の幼い者のすがたを見た。
「六条さま、どうぞ、お慈愛をおかけくださいませ。……その二人のものを」衰えた眼が、かなしげに、枕からじっと仰いだ。そして、何ものかに命じられたように、白いを合せて、にこと、微笑んだ。

はな夜風よかぜって




 雨あがりの大路おおじの黒い土は、胡粉ごふんをこぼしたように白いで描かれている。キリ、キリ、とさびしいわだちの音が、粟田口あわたぐちあたりの閑寂かんじゃくな土塀や竹垣、生垣の桜花はなの下蔭を通ってゆく――
「ああ」牛と並んで歩きながら、侍従介じじゅうのすけは、鼻さきの涙を指さきで、そっと拭いた。
「――昼間だが、なんとなく、夜を歩いているような気がするなあ」独り語につぶやいたのを、
「そのはずじゃ」と、牛飼が、答えた。
「――なんとこの正月は正月も早々からじゃて。さきには、高倉上皇さまがおかくれあそばされたと思うと、――つづいて去年から大熱をわずろうていた平相国へいしょうこく清盛公が、忽然こつぜんと、あの世へ去っておしまいなされた……。それでのうても、おやかたさまや、和子さまには、吉光御前さまをおくしなされて、さびしい年を越えられたのじゃものなあ」
空虚うつろな……とは、今の御主人さまや、俺たちの心だ」
「ひっそりとして、蝶も舞わぬ。堂上堂下、悲しみに沈んでいるこの春の御諒闇ごりょうあんに、虫けらまでも、さびしさが、わかるとみえます」
「夜だ、どうしても、昼間とは思えない――」すけは、道を曲がる。
 その道もまた、しいんと、ひややかで、人影がなかった。
 明けて――十八公麿まつまろが九歳になった春の三月中旬のことだった。
 牛車のうちには、墨のごとく、沈んだ人影がみえる。養父範綱のりつなの膝にだかれた十八公麿であった。母をうしなってからの十八公麿はさらにちがってきた。面ざしすらにわかに吉光の前に似かようてきたかに見えて端麗たんれいを加えたのも変り方の一つであったし、さらに、範綱さえ、介さえ、ときどき、驚かされることは、彼の眸であった。黒く、飽くまで黒く、そして湖のごとく澄んでいる眼であった。
 星を見――雲を見――風を仰ぎ――そして地上の人間が描く修羅遊戯の種々さまざまな事象に、じっと、いつも、不審をだいて考えこんでいるような彼の双眸そうぼうであった。
 久しく、書を教えていた叔父の宗業むねなりは、はやくも、筆を投げて、
「もう十八公麿には、あまり教えぬほうがいい」と、いったほどである。
「怖い才だ」といった人もあった。また、
「こういう、麒麟児きりんじは悪うすると若死をしますでな」と注意した老人もある。
 どっちにせよ、不安であった。周囲の大人たちは、ちょっと、戯れかねた。まだおさない九歳ここのつの子ではあるが、軽く抱いて、置き換えられないようなおおきさというか、気品というか、威というか、そんな気持をうけた。
 しかしさすがに、範綱だけにはよく、甘えるし、範綱も、人がいうほどにも思っていなかった。ただ、なぜか、
容貌かおは、母御前ははごぜに似よ。血は父に似よ」と、口ぐせにいった。
 母系の源氏の血が、この子にうずくことを彼は極度に、怖ろしく思った。
 それでなくとも、平家の眼は、近ごろ急に、十八公麿まつまろの母系と、十八公麿の身について、警戒を怠らないのみか、何か、あわやという機会さえあれば、虎狼ころうの爪が、跳びかかってきそうに思えてならないのである。


 古びた青銅がわらの山門を仰いで、
「ここでよい」すけは、牛飼に、車を止めさせた。そして、間近う、
「おやかたさま、青蓮院しょうれんいんでございまする」と、箱のにささやいた。
 ながえには、鷺脚さぎあしとうを据え、前すだれの下には、沓台くつだいを置く。
「先へ」
「はい」と、十八公麿が、片脚をそっと下ろした。藤むらさきのはかまに、うす紅梅の袖を垂れる。介は、抱き下ろして、美しい塗靴をその足にはかせた。
 家計のくるしい養父の範綱が、きょうばかりは、車も飾らせ、十八公麿の小袖もくつも何から何まで、清浄で新しいものを身につけさせた。
(きょうが、この子の俗世の最後の日――)と思うてのことである。
 介が、門を訪れて、僧正の在否を問うと、
「おいで遊ばします」と、寺侍が、山門から、内玄関へと、走ってゆく。
「よいお寺――」と、十八公麿は、しきりと、そこらを見まわして、他愛がない。
「よかろう、僧院は」
「ええ」うなずいて、たたずんでいるそばへ、鶺鴒せきれいが下りて、花の散っている泥土の水に戯れている。
「六条どの、お通りあれ」廻廊のきざはしに、寺僧や、侍たちが、立迎える。誰も彼も、十八公麿の愛くるしさに、微笑をもった。
「おいくつ?」と、ささやく者がある。
九歳ここのつです」青蓮院の廻廊は長かった。そこからまた、橋廊下をこえると、さらに、じゃくとした僧正の院住がある。むら竹の葉がどこからからんしとみに青い光を投げている。うぐいすがしきりと啼くのである。せんかんと泉声せんせいが聞えて、床をふむ足の裏が冷々ひえびえとする。僧正とは、天台六十二世の座主ざす慈円和尚じえんおしょうのことである。月輪関白つきのわかんぱく御子みこであり、また連枝れんしであった。すけは、廊下の端に坐る。
 範綱のりつなと、十八公麿まつまろとは、大柱の客間をもう一間ひとまこえて、東向きのいつも、拝謁はいえつする小間まで通って平伏していた。粟田あわた山の春は、その部屋いっぱいににおって、微風が、がんか、瓔珞ようらくか、どこかのれいをかすかに鳴らした。
「六条どのか」声に、おそるおそる、つむりを上げると、慈円じえん僧正は、そこのふすまを払っていた。
 若い、まだ二十七歳の座主ざすであった。あいさつをのべると、
「ほ……」すぐに、眼をみはっていうのである。
「きょうは、お子連れか」
「お見知りおき下さいませ。猶子ゆうし、十八公麿と申しまする」
「ふーム」にこやかに、くちで笑う。範綱は、十八公麿の水干すいかんの袖をそっとひいて、
「僧正さまですぞ。ごあいさつを申しあげなさい」
「はい」十八公麿は手をついて、貝のような肌の白い顔をあげた。慈円と彼と、師弟の縁をむすんだ初めてのひとみである。


「よい、童形どうぎょうじゃ」慈円僧正は、しげしげと見入っていたが、卓に手をのばして、そこにある銅鈴を、しずかに振った。鈴の音を聞くと、
「お召しでございますか」執事の高松衛門えもんが、次の間まで来て、手をつかえた。
「衛門か。この和子に点心てんしん(菓子)を与えてください」慈円がいうと、
「かしこまりました」衛門は、やがて、高盆に白紙を敷き、その上に、紅白の花形をした捻頭むぎかた餅餤べいだんとよぶ菓子をたくさんに盛ってきて、
「よい和子、僧正さまの賜わり物、召し上がれ」と、十八公麿にすすめた。そして、範綱には、古雅なうつわに汲んだ緑色の飲みものを供えた。
 器からのぼる香りに、範綱は、かつをおぼえて、喫してみようかと思ったが、どうして飲む物かがわからなかった。
 青蓮院しょうれんいんを訪れると、時々、こういう目馴れない食味や、什器じゅうきを見せられて、僧正の知識に驚かされるのであった。
「ぶしつけなことをうかがいまするが、この、緑いろの湯は、何というものでございますか。――よい香りがいたしますが」範綱が、問うと、僧正はわらって、
「茶というものだ」と、教えた。
「ははあ」これも唐から舶載はくさいしてきたものにちがいないと範綱はうつわを手にとって、
「このまま、いただくのでございますか」
「そうじゃ」
「頂戴いたしまする」辞儀をして、範綱はひとくち、口へ含んで、
(苦い……)と思ったが、かろい甘味が、舌頭にわいてくると、何か、さわやかな気分をおぼえた。
「どうじゃ、味は」
「けっこうに存じまする」
「うまくは、なかろう」
(はい)ともいえないので、範綱は、なにか、爽やかになると答えた。慈円は笑いながら、
「近ごろ、仏書と共に、わずかばかり手に入れたので、試みておるが、なかなか捨てがたい風味がある。聞けば、茶の木の胚子たねは、はやくから舶載はくさいされて、日本にも来ているそうな。どんな花か、花が見たいと思う……」
 などと、かたりで、中華ではしんのころから紳士のあいだで愛飲されだして、唐の陸羽りくうは、茶経さきょうという書物しょもつさえあらわしている。また、鬱気うつきを散じるによく、血滞けったいを解くによろしい。医家でも、用いているし、栽培もすすんでいる。日本でもぜひ胚子たねを植えて、上下の民衆に、用いさせてみたいものだ――などと若い知識をもつ僧正の話はなかなか該博がいはくで、経世的けいせいてきであった。
 ことにまた、慈円は、僧院の奥ふかい所にいるが、政治にも、社会のうごきにも、なかなか達眼があって、時事にも、通じている。それとなく、世間ばなしのようにする話のうちには、熱があった。
「それについて、今日、折入って、僧正にお願いの儀があって、うかがいましたが」と、範綱は、やっと話のすきを見つけて、いいだした。
 十八公麿まつまろをつれてきたことや、衣服の改まって見えることや、座談のあいだに、慈円も、今日の彼の訪問が、いつもの和歌うたの遊びや、閑談でないことは、察していた。


「いうてみい」慈円はいった。
「――身にかなうことならば、ほかならぬ六条どのの頼み。――してどういうことな?」
「……実は、この十八公麿に、お得度とくどを賜わりまして、末ながくお弟子の端にお加えくださるわけには、参りますまいか」
「ほ……」慈円は、眼をみはって、
「この端麗な童形どうぎょうを、あたら、りこぼちて、僧院へ入れたいと、仰せらるるか」
「されば、幼少からの仏心のさがとみえて、常に、御寺みてらを慕うています」
「さあ、それだけでは」
「ことに、母をうしのうてから、なおさらに……」
「あいや、六条どの、それはおさな心というものではないか。母に仏心あれば、子に仏心のうつること当然、うちに仏音あれば、子の声に仏韻ぶついんの生じることまた当然。――すべておさは、澄んだ水でござる。それを、奇瑞きずいの、奇童のと、見るのはすでにわれら凡俗の眼があやまっている。――あらゆる童心はすべて仏性ぶっしょうでござろうぞよ、おわかりか」
「は……」
「それを、老成の者が、この子、仏者の縁がふかいなど思いすごして、僧院の沙弥しゃみになされたら、成人の後、どう恨めしく思うやも知れぬ」
「御意に相違ありませぬ」
「せめて、自身を自身で考えられる年ごろまでお待ちなされ。得度とくどと申しても、まだ九歳ここのつでは」
「――御訓誡ごくんかい、ありがとう存じまする。……にもかかわらず、慈悲の御袖みそでにすがって、おねがい申さねばならぬ儀は」ここならば、どんなことを口外しても大事はないと思いながらも、範綱は、あたりを、つい見て、
十八公麿まつまろの一身、仏陀ぶっだのお膝のほかには、置きようがないのでござります」
「なぜ」
「源氏の人々、諸国に興って、平家を勦滅そうめつせよの声、ちまたを、おののかせておりまする……。血まようた平家の衆は、源氏のもの憎しの一図いちずで、およそ、源家の係累けいるいのものと聞けば、婦女子でも、引っからげて、なにかの口実をとって必ず斬りまする」
「…………」だまって、慈円僧正はうなずきを見せる。
「すでに、お聞き及びでもござりましょうが、この子の生みの母は、源系げんけい義家の孫、義朝の従兄妹いとこにてさいつころから、大軍を糾合きゅうごうして、関東より攻めのぼるであろうと怖れられている頼朝、義経よしつねは、この十八公麿には、復従兄弟またいとこにあたるのでございます」
「ム。なるほど」
「母は、みまかりました。子はまだ九歳、ことに、私の猶子ゆうしとなっておりますゆえ、いかな平家のあらくれ武士も、よもやと思ってはおりますが、私に、恨みをふくむ者もあって、十八公麿の実父有範ありのりこそは、源三位げんざんみ頼政公の謀叛むほんに加担して、宇治川のいくさの折に、討死したものであるなどと、あらぬ沙汰さたきちらされ、ゆく末、怖ろしい気がいたすのでございます」
 じっと、僧正は、考えこむのであったが、ややあって、
「いさい、わかった。頼みのこと、いてとらそう」意を決めて、きっぱりと答えた。


衛門えもん――」ふたたび僧正は呼んだ。ふすまのさかいに、
「はいっ」高松衛門はすぐ手をついて、
「お召しでございますか」
「火急に使いを立ててもらいたい。中務省なかつかさしょうへ」
かしこまりました。――して御口上は」
前若狭守範綱さきのわかさのかみのりつなどのの御猶子ごゆうし、十八公麿どのが望みにまかせ、今宵、得度の式を当院において仕る由を――」
「え」衛門は、耳を疑うように、
「まいちど、うかがいまするが、お得度あるおん方は? ……」
「ここにおられる、十八公麿どのである」
「や、その和子様が……。して、お幾歳いくつでござりまする」
九歳ここのつです」と、範綱が答えた。
「それでは、まだ童形どうぎょうでご修行あるはずの法規おきてでございます。古来からの山門の伝習をお破りあそばしては、恐れながら、一山のものが、不法を鳴らして、うるそう騒ぎはいたしませぬか」
慈円じえんが、身にひきうけたと申せ。しかし、中務省の役人から、なにかの、諮問しもんはあろう」
「その折は、なんと、申したものでございましょうか」
「ただ、こういえ。不肖ふしょうながら、天台六十二世の座主、覚快法親王かくかいほうしんのうより三昧さんまい奥儀おうぎをうけて、青蓮院しょうれんいんの伝燈をあずかり申す慈円が、身にかえての儀と」
「はっ」
「一山三塔さんとうものへは慈円より、あらためて道理ことわりを明白に申し伝うびょう候と。――わかったか」
「わかりました」
「使者の帰りを、待つのじゃ。いそいで」
「はいっ」高松衛門えもんは、わたりを、つつつと小走りに退がった。
 範綱は、幾度となく、僧正の好意に、感涙をのんだ。そして、十八公麿まつまろつむりをなでて、
「うれしいか」
「はい」十八公麿は、無心にいう。
 しかし、慈円僧正が、身にひきうけてとまでいいきって、官へ印可いんかをとりにやったのは一朝の決断ではなかった。先刻からの座談のうちに、烱眼けいがん、はやくも、十八公麿の挙止きょしを見て、
(この子、凡にあらず)と見ていたに、ちがいないのである。
 これとよく似た話が、後に十八公麿が師とあおいだ黒谷の法然ほうねん上人にもある。
 法然房の君が、まだ勢至丸せいしまるといったおさないころ、父をうしなってひとり故郷ふるさと美作国みまさかのくにから京へのぼってくる道すがら、さる貴人が、白馬の上から彼の姿を見かけて、
(あの童子は、凡者ただものともおぼえない。どこへ参るのか、身の上を聞いてやれ)と、従者にいった。
 従者がなぜですかと、問うと、白馬の貴人は、こういった。
(おまえ達には、わからぬか。あの童子の眸は、褐色かっしょくをおびて、に向うと、さながら瑪瑙めのうのように光る。なんで、凡人の子であろうぞ)と、いったという。
 果たせるかな、勢至丸は、やがて後の法然上人となった。
 その時の白馬の貴人は、九条関白忠通ただみち公で、縁といおうか、不思議といおうか、慈円じえん僧正の父君であった。


 中務なかつかさ省へ、使に走った者は、省の役人から、むずかしい法規と諮問しもんをうけて、手間どっているのであろうか、なかなか、戻ってこなかった。
 青蓮院のひろい内殿は、どこかのかけひの水の音が、寒い夕風を生み、塗籠ぬりごめからは、黄昏たそがれの色が、湧いてくる。
 供の侍従介じじゅうのすけは、さっきから、廊の端に、坐ったまま、苑面にわもにちりしく白い桜花はなをじっと見入っていた。
「おそいのう」慈円僧正は、気の毒そうにこうつぶやいた。
 ゆらゆらと、短檠たんけいの灯が、運ばれてくる。
「官の小役人には、法にしばられて、法の精神を知らぬものがまま多い……。こう遅うては、みずから参って、説かねばならぬかも知れぬ」
「なんの、待ちどおしいことがございましょうぞ。お案じなく」と、範綱はいった。
「したが、あまりにおそい――。こうしてはどうじゃ」
「はい」
明日あすか、明後日あさって、まいらば、十八公麿をとものうてござれ。それまでには、官のこと、一切、御印可をいただいておくが」
「では、そう願いましょうか」範綱が、答えて、立ちかけると、
「お父さま」十八公麿が、いう。
「僧正さまの仰せじゃ。帰ろうぞ」
「いいえ」かぶりを振って――
「いつまでも私は、待っていとうござります」
「わからぬ駄々をいうではない、さ……」うながすと、十八公麿は、父が、朗詠する時の節をそのまま真似まねて、
あすありと
おもうこころの
あだざくら
夜半よわにあらしの
ふかぬものかは……
 愛らしい唇で、童歌のようにうたった。
「おお」慈円じえん僧正は、背を寒くしたように、その声に打たれた。
「よういった。……六条どの、待たねばなるまい、夜が明くるとも」
「はい」ほろりと、範綱のりつなはいった。
 うれしいのである。この子の才智のひらめきが。同時におそろしい。
 こんなに光る珠を、なんで、平家の者が、眼をつけずにおくものか。待とう。
 ――夜半よわにあらしのない限りもない。すけは、今の童歌の声に、
「ああ、あのお可愛らしいお姿も、今宵かぎりか」と、はなをすすった。
 夕闇にちる花は、白い虫のように、美しく、気味わるく、光のように明滅している。
 と――そこへ、
「お使いの者、もどりました」高松衛門えもんが、あわただしく、告げてきた。待ちかねて、
「どうあった?」と、僧正がたずねると、使者は、次の間にぬかずいて、
中務なかつかさ省の御印可、無事、がりましてござります」と、復命した。


 人々の顔に、喜色が、かがやいた。
「そうか、ではすぐに、得度の式をしてとらそうぞ。衛門、用意を」僧正の一令に、
「はっ」と、衛門は立つ。やがて、どっぷりと墨いろに暮れた御堂みどう棟木むなぎをつたわって、梵鐘ぼんしょうの音が、ひびいてくる。
 廊には、がんの灯が、ほのかにともる。勤行ごんぎょうの僧たちの姿が、かなたの本堂で、赤くやけて見えた。
「どうぞ、こなたへ――」と一人の僧が、それへ来て、用意のできたことを告げると、範綱は、十八公麿まつまろの手をとって、静々と、橋廊下をわたって行った。
 供の侍従介じじゅうのすけも、影に添って、おそるおそる、二人のうしろからいてゆく。
 伽藍がらんには、一山の僧が、居ならんで、しゅくとしていた。
 座談の時とはちがって、慈円僧正は、やや恐いようなおごそかな顔をもって、七条の袈裟けさを、きちっとさばいて正面に坐っていた。その前にある経机きょうづくえには香炉こうろと、水瓶すいびょうをのせ、やや退がって、阿闍梨性範あじゃりしょうはんの席、左右には、式僧が、七名ずつ、これも、眼たたきもせずに、それへ入ってくる九歳ここのつ発心者ほっしんしゃを、じっと、見つめていた。僧が、そっとわきへきて、
「和子、お召し物を、かえられい」と、教えた。
「はい」十八公麿は、すらり、と水干すいかんを脱いだ。
 冷やかな、木綿の素服が、その前へ、与えられる。――範綱はふと、胸がせまった。
「こちらへ」
 僧が手をひいて、だんの前へ、坐らせた。小さな彼の手は、彼がするともなく、また、人が教えるともなく、ひたと、合掌して、つむりをすこし下げた。
流転三界中るてんさんがいちゅう
恩愛不能断おんないふのうだん……
 むらさきの糸がのぼるように、縷々るると、香炉こうろの中から、においが立って、同時に、列座の衆僧の声が朗々と、唱和した。
帰依大世尊きえだいせそん
能度三有苦のうどさんうく
 十八公麿のくちびるも、共に、かすかにうごいていた。彼の姿は、この天井のたかい大伽藍だいがらんの底にすわると、よけいに、小さく見えるのであった。
「…………」慈円僧正は、座を立った。
 僧が二人、左右から、紙燭ししょくを捧げる。
 一人の僧はまた、盤のうえに、剃刀かみそりをささげ、また、一人は十八公麿のそばに寄って、水瓶すいびょうを捧げていた。
 僧正の法衣ころもの袖が、ふわりと、十八公麿の肩にかぶさった。その手には、剃刀かみそりが執られている。剃刀は、水瓶の水に濡らされて、きらりと、青く光った。
「…………」範綱は、思わず、横の方へ、体をまわしてにじり出していた。
(どんな顔して――)と、十八公麿のすがたが、僧正や、他の僧のために見えないのが、もどかしいのであった。
 しゃくっ……と、後ろで、誰かしのび泣きをもらした者がある。はっと思って、範綱はふり返った。板床の方に離れて控えた侍従介じじゅうのすけである。まだ、十八公麿が、乳もふくまないうちから、あやしたり、負ったり、抱いたりしていた介としては、たまらない感情がこみあげていたに違いない。


(不作法者め!)声には、出さなかったが、範綱は、はたと、睨みつけた。
 はっと、すけは、自分の腕くびに、噛みついて、顔をせた。
 介を、叱りはしたものの範綱自身こそ、まぶたのものが、あやうく、こぼれそうだった。
(凡夫――)われをあざけりつつ、彼は、つい眼をそらしていた。あの、小さいつむりがと想像すると、たまらないのである。――見たら、泣けてしまうだろうと思った。すると、
「ご得度の式、すみました」と、式僧がいった。
 見ると、十八公麿のつむりは、もう、あのふさふさしている若木の黒髪をり落して、うりのように、愛らしい青さになっていた。
「もしっ……僧正様ッ、おねがいでござりますっ」突然、一人の男が壇の前へ飛びだしてきて、べたっと、手をつかえた。
「あっ」範綱は、驚いた。
 僧正の足もとへ来て、泣いているのは、介であった。
「ぶしつけなっ、退がれっ」範綱が、叱りつけると、
「あ、いや」やさしく、僧正はささえて、
「なんじゃ」と、介へたずねた。介は、肩をふるわせて、
「お願いの儀、ほかではござりませぬが、永年、お乳の香のするころより、おもりの役、いたしました私、今、その和子様が、御得度あそばしますのを、なんで、このままよそにながめて、俗界にもどられましょう。……どうぞ、いやしい雑人ではござりますが、この私も今宵の式のおついでに、お剃刀かみそりをいただかせて、くださいませ」
「ふーむ、そちも、しゅうに従って僧籍に入りたいというのか」
「はい」
「しおらしいことを」僧正は、にこと、うなずいて、
「主従の情、そうもあろう――六条どの、この者の望み、かなえて取らせたいが、おもとには」
「さしつかえござりませぬ」
「では」と、僧正は、ふたたび剃刀を執った。
 花は、夜の風にのって、御堂みどうの廊に、雪のように吹きこむ。音誦朗々おんずろうろう――衆僧の読経もまたつづく。
(主従は三世さんぜ――)と、すけはうれしかった。
 十八公麿は、もう、成りすました道心のように、彼の、られてゆく、つむりをながめていた。
 ※(「火+(麈−鹿)」、第3水準1-87-40)いっしゅ、また一※(「火+(麈−鹿)」、第3水準1-87-40)こうは、春の夜を、現世を、夢ぞと教えるように立ちのぼる。
 式は、済んだ。白衣びゃくえ円顱えんろのふたりのために、僧正は、法名をつけてくれた。
 十八公麿は、範宴少納言はんえんしょうなごん。介は、性善坊しょうぜんぼう
「ありがとうぞんじまする」二人は、手をつかえて、寒々としたつむりを下げた。

       *

 その夜――、更けてから。キリ、キリ、と牛車のわだちは、ただひとり、黙然と、袖を掻きあわせてさし俯向うつむいた六条の範綱をのせて、青蓮院しょうれんいんから粟田口あわたぐちの、さびしい、花吹雪の中を、帰ってゆくのであった。
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登岳篇




くろかみ




 銀杏いちょうが、黄ばんでくる――
 秋となると、うるさいほどなもずこえであった。
 コウン、コウン、コン――青蓮院しょうれんいんの山門には、足場がかかっていた。夏の暴風あらしで破損した欄間彫らんまぼりへ二人の塗師ぬりしと三人の彫刻師ほりしとが来て、修繕していた。
「おい、祥雲しょううん」ひとりが、のみを休めていう。
「なんだ」
「可愛らしい子じゃないか」
「ム、あの新発意しぼちか」
「どこかで、見たような気がするが……」
「おれも、そう思っている」塗師が、
「飯にしようぜ」足場を下りて行った。
「もう、ひるか」木屑を払いながら、彫刻師ほりしたちも、下へすべった。
 秋蝉あきぜみが、啼いている。石井戸のそばに、坐りこんで、工匠たくみたちは弁当をひらき初めた。
 すると、院の廊下を、噂していた小さな新発意しぼちが、ちょこちょこと通って行った。
「もし、もし」光斎こうさいという彫刻師ほりしがよびとめた廊下のうえで、範宴はんえん少納言はにこと笑った。
「なあに、おじさん」
「あなたは、お幾歳いくつ
九歳ここのつ
「ヘエ、それでは、お小さいわけだ、いつから、この青蓮院へおいでになりました」
「春ごろから」
「じゃあ、半年にしかなりませんね」
「え、え」
「おっ母さんの乳がのみたいでしょう」
「ううん……」範宴は、首を振った。
「おやしきは、どこですか」
「六条」
「では、源氏町のご近所で」
「え」
「ご両親が、いくさに出て、討死にでもしたのですか」
「いいえ」
「どうして、お坊さんなぞに、なったんですか」
「知らない……」
「ご存知ない?」
「はい」
「お父様は、どなた」
「六条の朝臣あそん範綱」
「え、六条さま。――道理で」光斎こうさいは、仲間の祥雲しょううんと、何かささやき合っていたが、やがて、
範宴はんえんさん」
「はい」
「じゃ、あなたは、日野の里で、お生れなさったでしょう。私たちは日野のご実家の方へ、半月ほど、仕事に参ったことがありましたっけ――大きくおなりになった」
「では、日野のやかたの仏間は、おまえたちがこしらえたの」
「あの中のご仏像を、やはり、修繕なおしにゆきました」
「おじさんたちは、仏像を彫るのがお仕事なの」
「そうです」光斎は、しげしげと、らんにもたれている範宴をながめて、
「その顔を、そのまま彫ると、ほんとに、いい作ができるがなあ」と、つぶやいた。
「じゃあ、彫ってもいいよ」範宴は、すぐにでもできるように、そういって笑った。


「彫らしてくれますか」光斎と、祥雲の二人は、顔を見あわせた。
(彫りたい)
(彫ろう)という創作慾にそそられて、
「じゃあ、明日あしたから、飯やすみのたびに、ここへ来てください」と、約束した。
 ひるになると、二人は、足場を下りてきた。範宴は、欄の上に立った。
 材は、かなり大きな木を用いた。三尺ぐらいな坐像に仕上げるつもりらしい。二人の仏師は、飯を噛みながら毎日、のみを持って、範宴の輪郭を少しずつ写して行った。
 すけ性善坊しょうぜんぼうは、それを知ってから、毎日、側へ来て見ていた。
 山門の足場に、白い霜が下りるころになると、その足場はこわされて、仏師や塗師ぬりしたちも来なくなった。
 すると、初冬のある日、
「ごめん下さい」範宴のいる僧院の外で、聞き馴れない声がした。次の間にいた性善坊が、
「どなた?」障子をあけると、
「おお! 介じゃないか」
箭四郎やしろうか」
「変ったのう」
「まあ、上がれ」
「山門のうちも、なかなか広くて、諸所に、僧房があるので、さんざん迷うた」
「達者か」
「おぬしも」
「六条のお館は、和子様が、青蓮院しょうれんいんにお入りあそばしてから、まるで、冬枯れのうちのようにおさびしくてな」
「そうだろう。――して、おやかた様にも、おかわりないか」
「む……まず、ご無事と申そうか」
「して、今日は」
「この近くまで、お使いに来たので、そっと立ち寄って、和子様のご様子を聞いて帰ろうかと……」
「そうか、よく寄ってくれた。世間を去ると、世間が恋しい」ふたりは、手をとり合って、涙ぐんでいた。性善坊しょうぜんぼうは、やがて立って、
範宴はんえんさま」
「はい」範宴は、書を読んでいた。
「――誰が見えたの」
箭四やしが、参りました」
「おお」と、さすがに、なつかしそうに、縁のほうへ走ってきた。
「和子様か」変った彼のすがたに、箭四郎は、はなをすすった。
「お養父様とうさまは」
「おかわりもございませぬ」
朝麿あさまろは」
「おげん気で、日にまして、ご成人でございまする」
「わしのこと、問うか」
「はい……。このごろは、やっとすこし、お忘れのようでございますが」
「さびしがっておろうの」範宴は、庭へ下りて、まがきに咲いていた白菊しらぎくった。
「これ、朝麿に、持って行っても。――わしの土産みやげに」そういうと、性善坊が、
「よい土産がある。範宴さま、あれを箭四に持たせておつかわしなされてはいかがですか」


「おお、ほんに」範宴は、箭四郎の手をとって、
「よいものがある」
「なんでございますか」
「まあ、来てみやい」自分の居間へれて行った。
「あ……」箭四郎は、ぺたんと、部屋のまん中に坐って、一隅にある木彫きぼりの坐像にまろい眼をみはった。
 それは、得度をうける前の十八公麿まつまろのすがたのままであった。つむりには、黒髪まで、ふさふさと植えられてあるのである。
「これは、どうしたものでございますな」
「されば」と、性善坊は、側から、その坐像のできた由来わけを話すのに、つぶさであった。
 光斎こうさいと、祥雲しょううんの二人の仏師は、十八公麿のおもざしを見て、よほど、心をひかれたらしい。生ける菩薩ぼさつのようだといって、慾も得もなく、彫ったのである。そして、彫りあがると、
(よい勉強をいたしました)と、坐像は礼に置いて行ったのであるという。
「ははあ……」箭四は、見恍みとれて、
「そういわれれば、生きうつしでござりますな。して、黒髪は」
「和子さまが、得度の時の黒髪を、そっくり、仏師たちが、植えこんでくれたのじゃ」
「道理で……。ウウム、ようできている」
「箭四よ」
「はい」
「これを、お養父ちち君と、弟の朝麿あさまろとに、十八公麿のかたみじゃと申して、そなたが、負うて帰ってくれぬか」
「なによりの儀にござります。これを、おやかたにお置き遊ばしたら、すこしは、おさびしさが、まぎれましょうに」
「もう、二度と、この身にないすがたじゃ。――御恩のほどは、この像に、たましいをこめて、朝夕に、忘れずにおりますと、よう、お伝え申しての」
「しおらしいことを仰せあそばす……」箭四郎は、それから、少し話していたが、日が暮れると、近ごろは気味がわるいといって、あわてて、坐像を帯で背に負って、もどって行った。そして、山門まで送ってくる二人へ、
「ここにいては、町のことは、見も、お聞きも、遊ばしますまいが、いやもう、この夏のひでりやら、木曾勢を討つつもりで出かけた宗盛卿むねもりきょうが、さんざんに敗れて、都へ逃げもどって来るやらで、京は、ひどい騒ぎの渦でござります」歩きながら、尽きない話を、喋舌しゃべっていた。
「――そんなかのう」
「現世で、地獄の風のふかない所は、まず、御所にもなし、お寺の庭だけでございましょうよ。――昨夜ゆうべあたり、五条の近くまで、用たしに出ると、かわらに、斬られたか、飢え死にしている死骸の着ているものを、あさましや、野武士か、菰僧こもそうか、ようわかりませぬが、二、三人して、あばき合って、果てはつかみかかって争っているではございませんか。まったく、眼をおおうてでなければ、町は歩いていられませぬ」山門には、からすが啼いていた。
「ああ、暮れる……」と、つぶやいて、袖門そでもんくぐりを出て、箭四郎は、もいちど、振りかえった。
「では――ごきげんよろしゅう、和子さま、いや範宴はんえん様、これから寒くなりますから、おからだをな……すけどの、さようなら」

雪千丈




 粟田口あわたぐちの雑木の葉がすっかり落ちきって、冬日の射す山肌やまはだに、とうらんが赤く見える。
 霜は、朝ごとに、白さを増した。
 範宴少納言はんえんしょうなごんは、暗いうちに起きて、他の僧たちといっしょに、氷のような廻廊を、水で拭く、庭を掃く、水を汲む。
 それから勤行ごんぎょうの座にすわる。
 やっと、南天の赤いに、陽のあたるころとなって、くりやの一仕事をいいつけられる。それが済むと、学寮に入って、師の坊の講義だの、僧たちの討論をきいて、やっと、自分のからだになって、机に坐るのが、もうひるであった。
「おいたわしい」と、性善坊は、範宴のかわりに、水を汲んだり、拭き掃除をしようとしたが、他の僧に見つかると、
「ばか者、なんで寺へ入れた」といわれる。慈円じえん僧正もまた、
かばうことはならぬ」と、叱った。
 以来、見て見ぬふりをしているが、時折、「ああ手がれていらっしゃる……」と、彼のあかぎれを見ても、胸が迫った。
 こういう、世間なみの人情を、寺では、凡情ぼんじょうとわらう。もっと、ほんとうの愛をもてという。
「そうかなあ」彼自身もまた、自身の勉強にせわしかった。
 十二月に入ると初旬の三日には、慈円僧正が叡山えいざんにのぼるということを、範宴はんえんは、弟子でし僧から聞いた。
 叡山の座主ざすであり、慈円僧正の師でもある覚快かくかい法親王が、世を去られたために、その後にのぞんで、一山の大衆だいしゅを導くことになったのである。
 だが、慈円は、そんな身辺の変化が、明日あしたに迫っているとも知らないように、一室で、例の支那から渡来した茶の葉を、独りで、煮ている。
「お師さま」範宴は、そっと手をついた。
「なにか」
「おねがいがあります」
「ほ……。菓子でもほしいか」
「いいえ、ちがいます。――お師さまは、明日、叡山えいざんへおのぼりになると聞きました」
「うむ」
「私を、連れて行って下さい」慈円は、笑った。
「叡山を、知っているか」
朝夕ちょうせき、ながめています」
「うららかな日は、慈母のように、やさしく見える。だが、あのお山のふところには、どんな苦行があるか、それを、おまえは知るまい」
「聞いています。修行は、苦しいものだと、皆さまが申します」
「でも、登る気か」
「一人では、ゆかれません、お師様のお供をしてなら、どんな、苦しいところへでも、いてゆける気がします」
「もののふの戦よりも、もっと、辛いぞ」
「そういう、苦難とやらに、この身をためしてみたいのです」
「それほどに、決心してか」
「はい」ぱちりと、範宴は、眼をみはっていった。
 じっと、僧正を見つめていた。うっかり、下ろし忘れた茶瓶ちゃびんのふたが、かたかたと、おどった。そっと、火鉢から下ろして、
「よろしい」慈円は、うなずいた。
 それまで、恐いものの前に坐っているように硬くなっていた範宴は、
「ほんとですか」よろこんで、小さいを、ぱちっと叩いた。


 ばたばたと、廊下を走ってきて、
性善坊しょうぜんぼう」範宴が、部屋をのぞいた。
「はい」
「お師さまのおゆるしが出た。明日は、早う立つぞ。脚絆きゃはんや、笠の支度をしてたも」
「どこへ、お立ちでございますな」
「そなた、知らぬのか。お師さまは叡山の座主におなりなされたのではないか」
「それは、存じていますが」
「だから、わしも、叡山へ登って、苦行と学問をするのだ」
「ははは」
「なにを笑う?」
「お得度をうけたことでも、お師の僧正さまは、天台の宗規しゅうきを破ったとか、横暴だとか、世間からも中務省なかつかさしょうの役人からも、非難されているのですから、とても、叡山えいざんなどへ、範宴はんえんさまを、お連れくださるわけはありません」
「だって、ゆるすと仰っしゃった。仏につかえる師の君が、うそを仰っしゃるはずはない」
「でも、だめでございます。まだ、九歳ここのつのお弟子に、登岳とうがくをおゆるしになるはずがあるものですか」性善坊は、ほんとにしないのである。山の苦行にたえられるはずもなし、山のおきてというものは、町の寺院とはちがって、峻厳しゅんげんにして犯すべからざるものであるから、それを破っては、座主ざすとして、一山の示しもつかないというのである。
「そうかしら?」範宴は、不安になった。
 寝床へ入っても、範宴は、眼をぱちぱちさせていた。夜半よなかごろから、窓の小障子に、さらさらと雪のさわる音がしていた。
 範宴は、起きだして、そっと庫裡くりの方へあるいて行った。雨戸のない濡れ縁には、雪がまるくたまっていた。
 慈円じえん僧正は、未明のうちに、脚絆きゃはんをつけて身支度を済ましていた。供にいて行く者と、後に残って見送る者とが、山門の両側にならんで、列を作っていた。
 夜来の雪は、明け方にかけて、風を加えて降りしきっている。僧正は、笠のふちに手をかけて、
「さらば――」と、一同へ訣別わかれを告げた。
 三人の弟子は、かいがいしく身をかためて、師僧の供について歩きだした。すると、山門を降りた所の木蔭から、思いがけない範宴が、藁沓わらぐつをはき、竹の杖を持って、ふいに横から出て、供の僧のいちばん後にいてあるきだした。弟子僧たちは驚いて、
「おや、おまえは、どこへ行くつもりだね?」
叡山えいざんへ、お供して参ります」
「冗談じゃない。叡山というところは、お小僧なぞの行けるところではなし、また、おきてとして、年端としはもゆかぬ者や、入室して、半年や一年にしかならぬ者の登岳とうがくはゆるされぬ」
「でも、参ります」
「叱られるぞよ」
「叱られても参ります」
「帰れ」
「こいつ、剛情なやつ」と、弟子僧たちが、止めているのを、振りかえって、慈円僧正は、困り顔をしながらも、苦笑をうかべて、眺めていた。
 範宴は、弟子僧たちの間を、くぐり抜けてきて、師のたもとをつかまえて、訴えるような眼をした。


「お師さま。きのう仰っしゃったおことばは、嘘ですか」慈円は、笑いながら、首を横にふった。範宴はたたみかけて、
「――でも、きのうは、供をゆるすと仰っしゃりながら、今朝は、知らぬ顔して、お山へ立って行こうとなさるではございませんか」
「…………」慈円はまた顔を振った。
「では、どうなんですか」
「忘れたのじゃよ」やむなく、僧正はこういって、範宴をつれてゆくことに、肚をすえてしまったようであった。
 しばらく行くと、雪の中に、性善坊が立っていた。彼は、ゆうべからの範宴のすることを知っていたが、自分がなまなかことばを挟んでは、かえって、範宴の意志が徹らぬようなことになるであろうと、わざと知らぬ顔をして、先へ廻って待ちもうけていたのである。
 範宴の登岳とうがくをゆるした以上、当然、性善坊の供をゆるさぬわけにはゆかなかった。で、そこから僧正にいてゆく供の弟子僧は、すべてで五名になった。
 雪は、吹きつのってくるので、
「今日は、麓口ふもとぐちでおやすみになって、明日あすでも、雪のがるのを待ってから、お登りになっては――」と、供僧のうちで、いう者があったが、気性のはげしい、そしてまだ若い僧正は、
「なんの」と、脚もとめないのであった。
 もっとも、新座主ざすの登岳は、今日ということに、半月も前から叡山へは通牒つうちょうしてあるので、それをたがえれば、中堂の人々や、一山の大衆に多大な手ちがいをかけなければならないから、
「では」と、供の者も、ってとは、止めることもしなかった。
「おうーい」後ろで、誰か呼ぶような気がするので、五名は振り向いた。白い光のしまが、ななめに天地をかすめている、遠くからながめると、飛んでくる白鷺しらさぎとも見える二つの蓑笠みのかさをかぶった者が、
「おうーい」声をあげつつ、来るのであった。
「誰だろう? ……」しばらくの間、雪にふきつけられたまま、五名はたたずんで待っていた。
 蓑笠の二人はやがて、近づいてきて、
「その中に、少納言しょうなごんどのは、おいであるか」と、いった。
「はい」範宴は、答えて前へ出た。
「おお」と、蓑をね上げて、一人は前へすすみ、一人は、雪の中に、手をつかえた。
 彼の小さい手を、握りしめた人は、彼の儒学じゅがくの師範であった日野民部忠経ただつねだった。うしろで、手をつかえているのは、この間、範宴がかたみぞといって植髪うえがみの坐像をもたせて帰した六条の召使、箭四郎やしろうなのである。
「先生」範宴は、思いがけなかったように、そして、うれしさに、こみあげらるるように、まぶたを赤くした。民部は、ことばに力をこめて、
「たった今、青蓮院へ伺ったところが、かくとのことに、追ってきたのじゃ。箭四郎をも、誘ってきた。――六条どのは、わざと来ぬが、くれぐれも、身をいとしめとのお言伝ことづて……。修行の一歩、こなたも、うれしくぞんずる。誓って、勉学しなければなりませぬぞ」
「はい」こらえていたものを、範宴は、ぽろりと一雫ひとしずく、こぼしてしまった。


 性善坊は、そばから、
「範宴さま。先生のお気もちや、お養父ちち君のお心を、お忘れあそばすな」範宴は、うなずいて、
「はい」といった。そして、
「忘れません、きっと、勉学して、お目にかかります」
「和子さま」箭四郎やしろうは、にじり寄って、雪の中から彼の笠のうちを見上げた。
「おからだを、お大事に遊ばせや」
「あい。……お養父ちち君や、弟にも、からだを気をつけてあげておくれ。……おまえも」
「…………」箭四郎は、顔を俯伏うつぶせたまま、降る雪を、背につもらせて、泣いていた。
「参ろうぞ」慈円は弟子僧たちを、うながして、先へあゆみ出した。範宴はあわてて、
「さようなら」
「おさらば」と、日野民部が去った。
「和子さま」箭四郎は、立ち上がって、もいちど大きく呼んだが、声は、風と雪にさらわれて、宙にふかれてしまった。
 ――後ろも見ずに、範宴は、先へゆく師の房と弟子たちの後を追って走ってゆくのであった。幾たびか、雪にまろんで。
 そして、叡山えいざん口へかかって行く。
 山にかかると、山はなおひどかった。師の慈円をはじめ弟子僧たちは、誰からともなく、経文きょうもんを口にして、それが、音吐高々と、雪と闘いながら踏みのぼってゆくのであった。
 範宴も、口の裡で真似まねて、経を誦した。はじめのうちは、声も出なかったが、いつのまにか、われを忘れていた。
 すべっても、ころんでも、はたの者は、彼をたすけなかった。性善坊ですら、手をとって、起してはやらないのである。それが、師の慈悲であった、弟子僧たちの友情なのであった。
「――誰か知る、千丈の雪」慈円は、つぶやいた。
「おつかれになりませんか」弟子僧たちがいたわると、
「なんの」と、首を振られるばかりであった。
 範宴は、おくれがちであった。雪が、雪の中をころがって行くように、峰を這った、谷道を越えた。性善坊は、後ろについて、
「もうすこしです」と励ました。
「大丈夫」と、範宴はいう。
 幾たびか、ころぶので、竹の杖をにぎっている指の間から血が出ていた。
 それでも、
「大丈夫」と、いうのである。
 なんという意志の強さだろう、強情さであろう、負けん気であろう、そして、熱情だろう――と性善坊は、小さい範宴のうしろで、ひそかに思った。
 やはり、この和子の五体には、義家からの母御の血――義経よしつね、頼朝と同じな、源家の武士の脈搏みゃくはくがつよくっているらしい。
 境遇と、生い立ちの置き所によれば、この少年もまた、平家に弓をひく陣頭の一将となっていたかもわからない。
御仏みほとけが、それを救うてくださるのだ。有縁うえんの山だ」と、彼は踏みしめる雪に感激をおぼえた。

大衆だいしゅ




 夜がすみ、朝がすみ――叡山えいざんの春秋はしずかだった。
 ちゅうのなかに無辺のすがたを浮かべているきょのようであった。
 永い冬が過ぎる。そしてやがて春ともなると、木の芽時のほの赤い樹々のあいだに、白くみえるのは、残雪ではない。山ざくらの花である。
 迦陵頻伽かりょうびんがの声ともきこえる山千禽やまちどりのチチとさえずるあした――根本中堂こんぽんちゅうどうのあたりから手をかざして、かすみの底の京洛みやこをながめると、そこには悠久ゆうきゅうとながれる加茂かもの一水が帯のように光っているだけで、人間の箇々ここの消長や、文化の変転の何ものをも見ることはできなかったけれども、ふもとから登ってくるものの噂によると、どうして、この半年ほどの間に、世間のなかの変りようは、絵にも口にも尽すことができないという――
 まず、去年からの飢饉ききんのために、盗賊がふえたことは大変なものであるとのことだ。都といわず、田舎といわず野盗の類、海盗のともがら跳梁ちょうりょうして、政府をあるかなきがごとく、横行して、良民を泣かしているということである。
 それも、平家の政庁が、あるにはあって、なんらの善政をしこうともせず、中央は、中央で一時的の享楽にこの幾年を送り、地方は地方で、小吏が京洛みやこの悪風をまねて、ただ良民をくるしめて、自己の悦楽を事としていたので、その余憤も駆られ、その隙にも乗じたのが、皆、ほこをとって、賊にったような傾きもある。
 のみならず、昨年来、関東の方から起った源氏の革新的な軍勢は、日のたつにしたがってその勢いはあなどり難いものになっている。
 伊豆の頼朝には、いわゆる、坂東武者とよばれる郷族が、草をいで、呼応してくるし、熊野の僧兵が呼応するし、これだけでも平家の狼狽はかなりみぐるしいものであったところへ、
「朝日将軍木曾義仲――」と、みずから名乗って出た思いがけない破竹の強兵が、これも、夢想もしていなかった北国の空から、琵琶湖びわこの湖北に迫って、へいをうちたたき、声をうしおと揚げて、京洛みやこに近づきつつあるという情報の頻々ひんぴんたるものがある。
「木曾山の小冠者ばらをして、都へ、近づけしむるな」と、中央の政庁は、街道の諸大名へ向って、飛令ひれいをとばしたけれど、人の心はいつのまにか、この二、三年のあいだに、のひらかえしたように変ってしまっているのであった。
 誰あって、木曾軍に対して、
「われこそ」と、はばめる一国すらないのであった。
 あわてて都から、討伐に向った城資永じょうのすけながたおれ、新たに、精鋭を組織して、薩摩守忠度さつまのかみただのりは今、北国路へ発向はっこうしている。
 だが、これもどうか?
 一方にまた、東海道方面へは、平知盛たいらのとももり清経きよつねの二将が、ものものしく押し下ったが、頼朝の軍に出遭うと、ひとたまりもなく、墨俣川すのまたがわにやぶられて、散走乱離さんそうらんりに、味方の統制すらつかない状態であるという沙汰も、政庁では秘密にしていたが、いつのまにか、うわさになって、
「――平家武者は、さすがに、花武者じゃ、露には咲くが、風には弱うて、よう散るよう散る」
 などと、俗歌にまで、うたわれて、市民たちにまで、小馬鹿にされ初めてきた。
 平家は、あせりだした。迷い出した。――で、彼らは、叡山えいざんに使者をたてて、一山の衆僧に、源氏調伏げんじちょうぶく祈祷きとうをすべく命じた。いつでも、敗者のすがる神仏の力でこの時勢をささえようとした。


「源氏調伏」の祈願は、そうして、叡山の日課として、日々、くりかえされていた。
 仏燈の油や、だんついえを惜しまず、誦経ずきょう梵鐘ぼんしょうの音は、雲にこたえ、谷間にひびいた。
 いかなる魔魅まみも、こういう人間の一念なぎょうには、近よりがたいであろうと思えた。
 しかし、ぎょうの座にすわる僧たちの心には、今の平家に飽きたらぬものや、不平こそあるが、国家改革の新しい源氏とよぶ勢力に対して、なんの恨みもないのである。調伏の灯は、壇に満ち、誦経ずきょうのんどらしていても、それは、職業としてやっているに過ぎなかった。
 司権者の命令であるし、近衛摂政このえせっしょうからのお沙汰というので、(やらねばなるまい)でやっているお役目であった。形式的な、勤めであった。
 その一七日いちしちにちの勤めが終ったので惣持院そうじいんの学寮に、若い学僧たちが寄り集まって、
「ああ」伸びをしたり、
「肩がこった」と、自分で叩いたり、
麦餅ばくへいが食いたいな」と食慾をつぶやいたりして、陽溜ひだまりに、くるま座を作って、談笑していた。
 ひとりが、どこからか持ってきた麦餅を、盆に盛って、
「喰べんか」自分が先に、一枚とって、ばりばりと、噛む。
「もちっと、塩味があると美味うまいのだが、この麦餅は、麦の粉ばかりじゃないか」
「ぜいたくをいうな、塩でも、なかなか近ごろは、手に入らぬ」
「せめて、塩ぐらいは、われわれの口へも、豊かに入るような政治が欲しいものだ」
「今になるよ」
「源氏が天下をとればか」
「ウム」
「武家の天下の廻り持ちも、あまり、あてにはならん。――天下をとるまでは、人民へも、僧侶にも、いかにも、善政をしくようなことをいうが、おのれの望みを達して、司権者の位置に就くと、英雄どもは、自分の栄華えいがに忙しくなって、旗を挙げた時の意気や良心は、忘れてしまうよ」
「それでも、現在のままでいるよりはましだ」
「この叡山の上から見ていると、栄華も凋落ちょうらくも、一瞬のだ、まったく、浮世の変遷というものが、まざまざとわかる」
「つい昨日きのうまでは、天下の春は、六波羅の政庁と、平氏一門にあつまって、平氏の家人けにんでなければ、人にあらずといわれていたのが、今日は、源氏調伏の祈願に、浮身をやつしていなければならないとは、なんという醜態しゅうたいだろう」
「笑止、笑止」学僧たちは、手を打って、笑いあった。
「南都の大伽藍だいがらんを焼き払ったり、大仏殿の炎上を敢てしたりした平家が、その仏にすがって、調伏の祈願するとは、何という勝手なことだ」
「先には、十禅師じゅうぜんじ神輿しんよをさえ、にじった、あの羅刹らせつどもが、祈願をしたとて、何のかいがあるものか」学僧たちの話しているのを聞けば、むしろ、平家調伏の声であった。
 すると、実相院じっそういん朱王房しゅおうぼうという若い堂衆どうしゅうがいった。
「あまり、自己を、侮蔑ぶべつするな、聞き苦しい」
「何だと、朱王房」学僧たちの眼は、彼の顔にあつまった。


 口論や、なぐり合いは、日常茶飯事であるし、何か事ある時は、身をよろい、武器をひっさげて、戦をもする当時の僧であった。
 気のあらい学僧たちは、朱王房のことばに、すぐ、眼にかどを立てて、
「誰が、いつ、自己を侮蔑したか」
「したじゃないか」朱王房も、負けていないのである。
「なるほど、皆のいう通り武家というやつは、勝手者だ、わけても、平家の如きはさかんな時には、神仏を焼き、衰えてくると、神仏にすがる、しからぬ一族だが、その武家に養なわれて、平家の世には、源氏をのろい、源氏の世には平家調伏の祈りをする、われわれ僧侶という者のほうが、いくら、役目とはいえ、神仏を馬鹿にしているものだ。――だから、平家をののしることは、自分たちを罵っているのも同じことだといえる。――そういったのは間違いだろうか」
「…………」
「三塔の権威がどこにある」皆が、黙ったので、朱王房は、得意になってなおいった。
「――この一山には、三千の僧衆がこもって、真言しんごんを修め、経典を読んではいるが、堂塔も、碩学せきがくも、社会にとっては、縁なき石に等しい。武家が天下を取ったり取られたりするたびに、心にもない祈祷をし、能も、智恵もなく、暮しているのが今の僧徒だ。恥しいことではないか」
 すると、妙光房みょうこうぼうという学僧が、
「いかにも、朱王房の説のとおりだ――。僧徒だからとて、時の司権者に、おさえられて、無為無能に、納まってばかりいていいものではない」と、共鳴した。
「いや、違う」という者も、出てきた。
「なぜ違う?」
「僧には、僧の使命がある。――政治だの、戦だの、そんな有為転変ういてんぺんを超えて、社会よりも、高いところにあるのが僧だ、叡山えいざんだ。――平家が悩む時には、平家も救ってやろう、源氏が苦しむ時には源氏もなぐさめてやろう。それが仏徒の任務だと思う」
「ばかなっ」朱王房は、一言に退けて、
「支配者ばかりが、人間か――平家という司権者の下には、何百万の人民がいることを忘れてはならない。その民たちが、望むところを、助成してやるのが、僧徒の使命だ」
「じゃあ、僧徒は革命家か。……飛んでもないことをいう」
「そんな、大それたことを、いうのじゃない」
「でも、朱王房のいうことは、そういう結論になる」
「俺は、悪政の下に、しいたげられている民へ、あきらめの哲学や、因果などを説法して、司権者の代弁人ばかりしているのが、僧徒のつとめではないということだけをいうのだ」
「じゃ、僧徒は、何をすべきか――。それを聞かせてもらおうじゃないか」
「することは、沢山ある。――だが第一に、なさねばならぬことは、まず、僧徒自身の粛正しゅくせいだろう。叡山えいざん自体が、腐敗していては何もできない。――実社会にとって用のない、ごくつぶしの集まりだ、堂塔がからすの巣にならないように、番人をしているだけの者に過ぎない」
「生意気をいうなっ」と、学僧の一人が、法衣ころもをたくしあげて、朱王房の横顔を、こぶしで撲った。


「あっ」打たれた頬を抑えながら、
「生意気とはなんだ」朱王房も、拳をかためて、立ち上がった。
 あわや、組み打ちになろうとする双方の血相なので、
「まあ、待てっ」
「議論のことは、議論でやれ」学僧たちは、引きわけて、
「朱王房のことばも、あまり過激すぎる。そんなに腑甲斐ふがいのない叡山なら、自分から、さっさと山を下りたらいいじゃないか」
「そうだ、いくら、叡山が無能だからといって、自己の生涯を托している御山みやまのことを、今のように、いうのはよくない」
「若い、若い。口では誰でも、悲憤慷慨ひふんこうがいはいえるものだが、自分で、やれといわれたら、何もできるものじゃない」
「社会もそうだ、山もそうだ」多勢おおぜいの声には、朱王房も、争えなかった。打たれた頬の片方を、赤くして黙りこんだ。
 すると、さっき、彼のことばに賛意を表した妙光房が責任を感じたように、
「いや、朱王房のことばは、露骨で、云いかたが悪いのだ。彼には、何かほかに、感じることがあって、ついその余憤が出たのだろう。なあおい、そうじゃないのか」
「うん……」朱王房は、うなずいた。
「この間も、俺をつかまえて、憤慨していたから、あのことをきっと、いいたかったに違いない」
「あのこととは?」
新座主しんざすの問題だ」
「ふーム」学僧たちは、新しい話題に、好奇な眼を光らしあって、
「新座主といえば、こんど、青蓮院しょうれんいんからのぼられた慈円じえん僧正だが、その座主について、何か問題があるのか」
「朱王房、いってみろ」と、いわれて、
「ないこともない――」と、朱王房は、顔を上げた。
「どんなこと?」
「ほかではないが」
「うむ」
「俺のような、一介の末輩がいうのは、おそれ多いとも思ってだまっていたが……。慈円僧正の態度は、三千のわれわれ大衆を無視しているばかりでなく、真言しんごん千古の法則を、座主みずから、勝手にみだしているものと、俺は思うのだ。――そんなだらしのないことでは、山の厳粛げんしゅくがたもてるわけのものじゃない。だから吾々の法城ほうじょうは、もう実のところ何の力もないのだ。からすの番人だというような嘆息が、つい出てしまう……。いい過ぎだろうか」
「座主が、自ら、山の法則をみだしたとは、どんなことか」
「誰も、知らないのか」
「知らん」
「じゃ、いうが……。この冬、新座主と共に、登岳した範宴はんえん少納言という者を、各※(二の字点、1-2-22)は、見ていないか」
「あのさい稚僧ちそうか」
「そうだ」
「あれなら、よく見かけるが、まるであかぼうじゃないか。未丁年者を、山へ連れてきたということは、ちょっと、碩学せきがくの中で、問題になったが、結局、取るにたらん子どものことだし、僧正が青蓮院に在住のころから、お側にかしずいていた者でもあるし……と黙認になっているのだから、そのことなら、問題にはならんぜ」


「いや、問題は範宴少納言を、登岳させたというだけではない」朱王房は、語気をつよめて、
「――それだけなら、何もたいして、騒ぐこともないが、近ごろ、チラと聞くところによると、座主は、何と心得ているのか、あのわずか十歳の稚僧ちそうに、授戒入壇じゅかいにゅうだんの式を、許されるという噂なのだ」
「はははは」学僧たちは、一笑に附して、
「そんな、馬鹿げた話が、あるものか。それや、朱王房の聞きちがえだろう」
「なに、たしかなことだ」
「うそだよ」
「ほんとだ!」笑い去ってしまうには、あまりに、彼の顔つきは、真顔だった。
「誰に聞いた」
「中堂の執務から――」
何日いつ
「近いうちに、授戒入壇をさせるからと、支度を命じられたという」
「はてな?」せない顔つきで、人々は、小首をかしげたが、
「朱王房、よもや、嘘ではあるまいな」
「誰が、こんな嘘をいうか」
「事実とすれば、言語道断だぞ」
しからぬ儀だ」
「私情というほかはない」
「法規の蹂躙じゅうりんだ」学僧たちは、不平と、公憤に、熱して、怒りをおびた。
「まだ、十歳とおや十一の小童を、山へ連れ登られたことさえ、奇怪であるのに、ものものしい入壇授戒を、あのはなれの稚僧に、ゆるすとあれば、すこし、狂気の沙汰である」
「陽気のせいだろう」
「笑いごとじゃないっ」憤然と、立つ者がある。かなえのように沸いてきた。昂奮した顔が、
「諸公!」とこぶしを振って、演舌えんぜつした。
「聞いたか、朱王房のことばを、もし、それにして、事実ならば、吾々は、黙っていられないッ」
「そうだっ」衆が、答える。
「――範宴はんえん少納言とやら、どんな天才か、麒麟児きりんじかしらぬが、そもそも、授戒入壇じゅかいにゅうだんのことは、円頓菩薩えんどんぼさつの大戒として、吾々が、この山にあって、十年、二十年の修行をしても、容易にゆるされない格式のものだ」
「然り、ここにいる者を、見渡しても、まだ一人も、入壇をうけたものはないぞ」
「それをだ」と、憤激の手はくうを打つ。
「まだ、去年の十二月に、ふもとから、よたよた這い上がった十歳の稚僧ちそうに、突如として、これを授けるとは何事だ。依怙えこにも、ほどがある。私情をもって、大法をみだすといわれても、いい開きはあるまい。それでも、吾々は、一山の座主ざすのするわざであるからと、黙過するか」
「ならん」
「断乎と、排撃すべきである」また、座の一角から立つ者があらわれて、
「かかる、悪例をひらいては、日本四大山の戒壇かいだんにも、悪影響を及ぼそう。また、叡山えいざんそのものの恥辱である。こぞって、吾々は、座主の私心を糺弾きゅうだんしようじゃないか」
「そうとも、おのおのは、宿房に帰って、院主や阿闍梨あじゃりたちにも、このことを告げて、一山をうごかせ!」と、さけんで、別れた。


 根本中堂は、静かだった。
 一山の若い学僧たちのあいだに範宴の問題から、座主の慈円僧正に、ごうごうと、非難が起っているなどとは登岳以来、そこに、常住していた僧正も、範宴も、性善坊も、すこしも、知らないことであった。
 中堂の薬師瑠璃光如来やくしるりこうにょらいのまえに小さな範宴は、あしたに夕べに、生涯の精進をちかっていた。この北嶺ほくれいいただきへのぼってからは、何か、今までよりは、仏の側へ、一歩、近づいてきたような心地がして、うれしかった。
 範宴が、師の僧正に仕えているように、その範宴のゆく所に添って、影のように、彼を守っているのは、性善坊であった。
 その性善坊は、今日、東塔の南谷まで、使いに行って帰ってくる途中であった。
「おいっ」誰か、呼ぶので、
「はい」性善坊は、ふり向いた。ひじを突っ張った一人の大法師がつかつかと、寄ってきて、
「中堂の宿房しゅくぼうにいる性善坊というのは、おまえか」
「そうです」
「おれは、西塔さいとう双林寺そうりんじにいる妙光房浄峨みょうこうぼうじょうがというものだが」
「はい」
「ま、そこへ掛けろ」と、妙光房は、岩を指さした。素直に、腰かけると、
「範宴少納言というわっぱは、おまえの主人だそうだな」
「主従とは、もとの俗縁でございます。ただいまでは、この性善坊にとりまして、天地にお一人の師の御房でございます」
「はははは」大法師は、歯の裏が見えるような、大きな口を開いて、
「あの、人形みたいな小法師が、おまえの師か。うわははは……」肩を揺すぶっておかしがるのである。性善坊は、まじめに、
「はい、私の師は、範宴さまお一人にございます」
「ものずきな奴もある。まあ……そんなことはどうでもいい、訊きたいのは、別儀でもないが、その小法師が、近いうちに、入壇いたして、大戒を授かるとかいう噂がもっぱらにあるが、嘘だろうな」
「さあ?」
「ほんとか」
「ありそうなことに存じます。けれど、嘘かも知れませぬ」
「あいまいなことをいうな。貴様の師のことを、貴様が、知らんはずはない」
「これは、迷惑なおたずねです。入壇授戒の大法は、一に、御仏みほとけのお心にあることです。それを執り行う碩学せきがくのお眼にかのうた者が授かるものだと伺っております。なんで、私のような末輩まっぱいが、知ろう道理はありません」
「こいつ、胡魔化ごまかごとをいうて、このほうを、小馬鹿にいたすな」
「決して」
「じゃあ、嘘か、まことか、はっきりといえ」
「いえないものは、いえないではございませんか」まだ、登岳してから、半年もたない新参しんざんなので、性善坊は、できる限り、辞を低く答えてはいるけれど、根が、侍である。公卿くげやかたにはいても、太刀をさしていた人間の根性として、余りに、相手が横柄おうへいであったり、人をのんでかかってくると、つい、っとするものが、こみあげてくる。


「知らぬことはあるまい。いわなければ、ここを通すわけにはいかん」と、妙光房は、くどいのである。立ちはだかって、性善坊を責めていた。
 すると、そこの坂道を、降りてきた一人の堂衆が、
「やあ、妙光房」と、声をかけた。
「おお朱王房か」
「何しているのだ」
「何、今ここで、範宴少納言の弟子という性善坊に出会ったから、例のことを、ただしているところだ」
「あの問題か。さりとは、貴公のほうが、よほど迂遠うえんだぞ」
「どうして」
「たった今、一山の諸院と各房へてて、中堂から、触れ状がまわった。――今、それを見てきたが、この月二十八日に、少納言授戒入壇の式を執り行うによって、そのむね、心得ありたしとある」
「ふーム」と、妙光房は、うなって、
「さては、いよいよ、事実なのか。座主ざすには、宗祖の大法をげても我意と私情を押し通そうというお心とみえる。――だが、山には山のおきてがある、よしや、座主はゆるされても、おきてがゆるさぬ、弥陀如来みだにょらいがゆるし給うまい」と、妙光房は、口からつばをとばして、ののしった。そして、性善坊へ、
「やい、新発意しぼち
「はあ」
「はあじゃない。中堂の宿房へ帰ったら、貴様の師の少納言へ、きっと、申しつたえておけ」
「…………」
「まだ人なみのこつがらも持たぬ乳臭児にゅうしゅうじの分際で、宗規しゅうきみだし、烏滸おこがましい授戒など受けると、この叡山の中にただはおかぬぞと」朱王房も、彼のことばの後について、
「――授戒の場を去らせず、わっぱの首をひきぬいて、千年まきの木の股に梟首さらし、からすに眼だまをほじらせるぞと告げるがいい」と、おどしつけて、肩をそびやかして、立ち去った。
(うぬ!)と性善坊は、後に立って、歯がみをした。追いかけて行って、谷間へ、一投げにしてやりたいような激憤が、体を熱くさせたが、中堂から鳴る鐘の音を聞いて、
「ああ、遅くなった」と、暮れかかる道をいそいだ。
「修行だ、何事も修行だ。こんなことに、心をうごかされてどうするか。――範宴はんえんさまが、案じておいでになるだろう」後を見まいとするように、登って行く。
 中堂のあたりには、夕べの灯がついていた。もう、僧正の勤行ごんぎょうも終った時刻である。
 使いの返書を、執務の僧にわたして、性善坊は、宿房の方へ、曲がって行った。範宴がたたずんでいた。
「帰ったか」
「ただいまもどりました」
「おそかったのう」
「ちと、道に迷いましたので」性善坊は、途中の出来事を話さなかった。範宴にいえば、範宴は、師の僧正の難をおそれてきっと、入壇をこばむだろう。
(だが、困ったものだ)と、彼は一人で案じていた。法燈の山も、なかなかうるさい。暗闘、嫉妬、愛憎、毀誉きよ、人間のもつあらゆる葛藤かっとうはここにもある。


(そっと、座主のお耳に入れておこうか。――いやいや、座主には、何か、お考えもお覚悟もあって、なされたことに違いはない)性善坊は、思い悩んだ。
 朝のくりやの用意を、夜のうちにしておいて、ぼんやりと、院の外へ、あるきだした。
 水っぽい春の月が、峰よりも低いところに、いくらか、黄いろ味をもって懸かっていた。
「山も山だが、下のちまたは、なおさらだろう」
 あえぐ人間社会の息が、月を黄いろくしているように思えた。
 超然と、その人間の聚落むらを離れて、高嶺たかねの法城は、理想の生活に恵まれているかと思ったのは、いとも愚かな考えであった。ここも、下も、変りはないのである。人間のいる所、人間の世界でない地上はない。
 西塔さいとうへ行った帰りに、自分を強迫した荒法師のことばや、態度から察しると、どうも、問題は、穏やかに納まりそうもない。一つものが間違えば、三井寺へも、攻めてゆくし、神輿しんよをふって、御所へも強訴ごうそに出かけるというような乱暴な学僧のあつまりである。
座主ざすへ対しても、どんなことをするかわからぬし、師の少納言を、取ってらすぐらいなことは、やりかねない)性善坊は、寝られない気がする。――やはり、一言ひとこと、座主のお耳にいれておいたほうが――とまた迷うのであった。すると、おぼろなものの蔭から、
「少々、うかがいますが」
「あっ? ……誰だ」
「旅の者でございます」
「参詣者か」
「いいえ、すこし、お訪ねしたいお方がございまして」よく分らないが、見すぼらしい菰僧こもそうのようなかたちをしている。背に、こもを負い、手に、尺八とよぶ竹をたずさえていて、足は、わらで縛っている。
「どなたを、お訪ねですか」
「去年ごろ、粟田口あわたぐちからのぼられた、範宴少納言さまは、どこの房に、おいででしょうか」
「ほ、範宴様を、おたずねか」
「そうです」性善坊は、そういわれて、どこか聞き覚えのある声だとは思ったが、思い当る者もなかった。
「範宴様は、根本中堂の宿房においでになるが、して、おもとは」
「東山の弥陀堂みだどうにいる孤雲こうんという菰僧でございます」
「なんの御用で」
「すこし、お願いやら……またお顔も見たいと存じまして」
「以前に、お会いしたことが、あるのですか」
「はい、ふしぎなご縁で、六条のお館に、捕われていたこともございますし、また、そののちも、一、二度」
「やっ」性善坊は、びっくりして、
成田兵衛なりたのひょうえ家人けにん庄司しょうじの七郎どのじゃないか」
「あっ……」かえって、その七郎のほうが、びっくりしたように、光る眼を、大きくみはって、しばらくじっと性善坊の顔を見つめていたが、
「おお、貴殿は、そのむかし、日野のおやかたにいた侍従介じじゅうのすけどのか」
「そうじゃ」
「これは……めずらしい」今は、孤雲こうんとよぶ庄司七郎の菰僧と、性善坊とは、かつての争いも、恨みもわすれて、手を握りあって、互いの変った姿に、しばらくはことばもない……。


「どうしたのじゃ、七郎どの。――いや孤雲どの」
「まあ、聞いて下さい」庄司七郎の孤雲は、岩に腰をおろした。性善坊も、草むらへ坐った。
 憮然ぶぜんとして、孤雲は、宵の月をながめていた。何か、回顧しているように。やがて、そっと、まぶたをふいて、
「――もう、何年前になるか、あの六条様のお館へ、間者かんじゃに入って、捕まった年からのことです」
「うむ……」
「主人の成田兵衛から、不首尾のかどで、いとまを出されたので、家にある老母や妻子にはすぐ飢えが見舞います。そのうちに、京の大火の晩に、足弱な老母は、煙にまかれて死ぬし、妻は病気になる、子は、流行病はやりやまいにかかるという始末。とやこうと、悪いことつづきのうちに、この身一人、生きながらえて後の家族どもは、皆、あの世の者となってしまい申した」
「それは、御不運な……」性善坊は、慰めようのない気がした。あの、平家の郎党としてのつわものぶりは、今の孤雲こうんの影のどこにも見あたらない。
「一時は、死のうかと、思いましたが、戦ならば、死ねもするが、武家の飯をたべた人間が、えや、不運に負けて、路傍で死ぬのも、残念でなりません。――そのうちに不幸は、私のみでなく、もとの主人、成田兵衛ひょうえさまも、宇治川の戦で、何かまずいことがあってから、御一門のお覚えもよからず、また、御子息の寿童丸じゅどうまる様は、次の、源氏討伐のいくさに、元服して初陣したはいいが、人にそそのかされたか、臆病風にふかれたか、陣の中から、脱走して、お行方ゆくえ知れずになってしまいなされた」
「おお、あの、日野塾でも、範宴はんえんさまとご一緒に、机をならべていた若殿でござったな」
「そうです。……ために、父の兵衛様は、人に顔向けができないといって、門を閉じておられましたが、近ごろ、沙汰するところによると、宗盛むねもり公から、死を賜わって、自害されたという話……」
「ああ、悲惨。――誰に会っても、そんな話ばかりが多い」
「ふりかえってみると、十幾歳のお年まで、お傅役もりやくとして、寿童丸様のおそばに仕えていたこの私にも大きな責任がございます。――自体、わがままいっぱいに、お育てしたのが、悪かったのです。ひとり、寿童丸さまばかりでなく、平家の公達きんだちのうちには、戦を怖がって、出陣の途中から、逃げてしまうような柔弱者が、かなり多いのではございますが、まったく、私のおもりのいたし方にも、多大な過ちがありました」
「しかし、そのもとばかりの罪ではない。ご両親の罪――また平家自身のつくった世間の罪――。何ごとも、時勢ですから」
「でも、どうかして、いちど、故主の霊をなぐさめるために、寿童丸さまの行方をさがして、ご意見もし、また、微力をつくして、一人前の人間におさせ申さなければ、済まないと思うのです」
「よういわれた。暇を出された故主のために、そこまで、義をわすれぬお心がけは、見あげたものだ。――して、範宴さまを、訪ねてきた御用は」
「人のうわさによると、戦ぎらいの公達きんだちは、よく、三井みいや、叡山えいざんや、根来ねごろなどの、学僧のあいだに、姿をかえてかくれこむよしです。御像みぞうにすがって、中堂の座主から、もしや寿童さまに似た者が、山に登っているか、いないか、お調べねがいたいと思って、やって参ったのでございます」話し終って、孤雲は、首を垂れた。足もつかれているらしい、胃もかわいているらしかった。

らぬかね




 霧がくると、窓の外は、海のように青かった。
 霧が去れば、机の上に、ほのかな峰の月がす。
 範宴はんえんは、宿房の一間ひとまに、坐っていた。机のうえには、儒学じゅがくの師、日野民部から学んだ白氏文集はくしもんじゅうが載っている。これは、山へのぼってからも、離さない書物であった。
 短檠たんけいの灯が、窓をあけておいても、揺れないほどに、夜は静かなのである。――中堂の大厨おおくりやの方では、あしたの朝の僧衆のために、たくさんな豆腐をつくっているとみえて、豆を煮るにおいがどこともなく流れてくる。
「誰です?」範宴は、机から、板敷の方を振り向いた。かたんと、音がしたようであったが、返辞へんじがないので、
栗鼠りすか」と、つぶやいた。よく、板の間を、栗鼠が後足で踊ってあるく。
 時には、おおきなとりが来たり、床下から、山猫が、琥珀色こはくいろの眼で、人の顔を、のぞきあげたりする。
 食物が、くなることは、たびたびであるし、狐の尾に、ころもすそを払われることは、夕方など、めずらしくない。
(怖い)山に馴れないうちは、範宴は、恐ろしくて幾たびも、都の灯が恋しかった。座主から、
(そんなことでは)
 と、笑われても、本能的に、恐かった。座主はまた、
(世に、恐いものがあるとすれば、それは人間だ。人間に、恐いものがあるとすれば、それは自分だ。――自分の中にむ狐や、わしや、栗鼠りすは、ほんとに恐い)と、いわれた。範宴にも、すこし、その意味がわかる気がした。
 おさない者に話す時には、稚い者にもわかるように、よく噛んで話してくれるのが、慈円座主の偉さであった。都という話が出た時に、
(範宴――、よう見えるか)と、ある時、比叡ひえいの峰から、京都の町を指さしていう。範宴が、うなずいて、
(見えまする)と答えると、
(何が)と、訊ねた。
(町が、加茂かも川が、御所が。――それから、いろんなものが)
(もっと、よく見よ)
(遠いから、人は見えません)
(その人間の、生きるすがた、亡びる相、争う相、泣く相、栄える相、血みどろな相――。見えるか)
(そんなのは、見えるわけはありません)
(いけない。……それでは、何も見えることにはなりはしない。おまえは、世間にいれば、世間が見えてると思っているだろう)
(ええ)
(大違いだ。――魚は河にんでいるけれど、河の大きなすがたは見えないのだ。悠久な、大河のみなもとと、果てとを見極めるには、魚の眼ではいけない)
(では、何の眼ですか)
(仏の眼)
(ここは、河の中ではありません)
(叡山は、河の外だよ)範宴は、なにか、うっすらと、教えをうけた。それからは、都の灯を見ても、恋しいと思わなかった。


 短檠たんけい丁字ちょうじって、範宴が、ふたたび、机の上の白氏文集へ眼をさらしはじめると、
「さ……水を汲んできた、足を洗いなさい」と、入口の方で、また、物音と人の気配がした。やはり、狐狸こりではなかった。
 範宴はんえんは、すこし、しょくの位置を移して、うしろへ身をのばしながら、
「性善坊か」すると、はっきり、
「ただ今帰りました」彼の返辞であった。すぐ上がってきて、
「範宴さま。ただいま、戻ってくる途中で、ふしぎな人に会いました。後ろにれて参りましたから、お会い下さいまし」といって、
孤雲こうんどの。こちらへ」と、呼んだ。
 怖る怖る、庄司しょうじの七郎の孤雲は、そこへ来て、うつむきがちに坐った。範宴は、小首をかしげて、
「はての?」
「おわかりになりませんか」
「知らないお方だ」孤雲は、その時、しずかに顔を上げて――
「ああ、よう御成人なさいましたな」
「あ。……七郎か」
「やはり覚えていらっしゃった」と、孤雲は、ぼうぼうとしたひげの中で、うれしげに、微笑した。
「忘れてなろうか。ただすはらで、あやういところを、救うてくれた庄司七郎……。あの時、そなたは、なぜ逃げたのか」
「その仔細は――」と、性善坊がひき取って、
途々みちみち、聞いてきたところでございまする。私から、代って、お話いたしましょう」
 範宴は、眼を、つぶらにして、聞いていた。そして、
「ほう……、では、日野の学舎まなびやでこの身と共に机をならべていた寿童丸は、いまでは、行方が知れぬのか」
「里のうわさによると、この叡山えいざんに、知人があるゆえ、戦がやむまでその辺りに、隠れているのではないかと申すのだそうで」
「座主に、お願い申して、よう尋ねてあげよう」
「ありがとうぞんじます」
「だが――」と、性善坊は側から――「この叡山には、三千の学僧と、なお、僧籍のない荒法師やら堂衆どうしゅうやら、世間を逃げてきた者たちが、随分と、一時の方便で、身を変えているのも多いゆえ、容易には、知れまいと思うが……」
「ま……。いつまでも、おるがよい」と範宴は、なぐさめた。
 孤雲は、ともすると、燭におもてを伏せてしまった。――もう五、六年も前になるが寿童丸の腕白から、まだ、十八公麿まつまろといったころのこの君が、土で作っていた仏像を足蹴あしげにかけたことだの、日野の館へ石を投げこんでののしりちらしたことだの……過去を思い出すと、背なかに、冷たい汗がながれる。
 だが、範宴も、性善坊も、そんなことは、さらりと、忘れたように、
「孤雲どの、空腹すきばらではないか」と、いたわる。
「はい……実は……」と、ありのままに答えると、
「では、かゆでも、煮てあげい」範宴がいう。
 やはり菊の根には菊がさき、よもぎの根には蓬しか出ぬと、孤雲の七郎は、旧主の子と、範宴とを心のうちで較べて、さびしい気がした。


 月も末に近くなる。
 範宴少納言の入壇の式は、近くなった。
 それが、いよいよ、実現されることが、明確に知れわたると、若い学僧だけの騒ぎでなくなった。
「よし、よし、われらが参って、お若い新座主をたしなめてやろう。……誰でも、一山の司権の座にすわると、一度は、その権力を行使してみたいものだよ。……騒ぐな、必ず説服いたして、思いとどまらせて見せる」
 年齢とこけえているような長老や、碩学せきがくたちが、杖をついて、根本中堂へのぼって行った。
 そして、座主に、面談を求めて入りかわり立ちかわり、少納言の入壇授戒を、反対した。
 今日もである。
 静慮院じょうりょいんと、四王院しおういん阿闍梨あじゃりが先に立って、その中には、少壮派の妙光房だの、学識よりは、腕ぶしにおいて自信のありそうな若い法師たちが、中堂の御房ごぼうの式台へ、汚い足をして、ぞろぞろと、上がり込んで行った。座主の僧正は、
「おう、おそろいで」と、にこやかに、書院をひらいて、待っていた。
 ひろい部屋の三分の一が、人でうずまった。みしみしと、荒い跫音あしおとで入って来た学僧どもも、ここへ入ると、
「さ、そちらへ」とか、
「どうぞ」とか、席をゆずり合って、さすがに、壁ぎわへ、硬くなって坐るのだった。
 四王院と、静慮院の二長老が、代表者として、むろん、一同の前へ出て、座を占めた。
 毎日のことなので、慈円じえん僧正は、この人々が、何の用事で来たかは、訊くまでもなく、分っていた。で、機先を制して、
「二十八日の通牒つうちょうは、もう、おのおののお手許へも、届いたことと思うが、当日の式事については、諸事、ご遺漏いろうのないように頼みますぞ」
「…………」誰も、答えなかった。
 不満と、不平とが、ぴかぴかと眼に反抗をたたえて、そういう座主のおもてを見つめているだけなのである。
「座主」四王院の阿闍梨あじゃりが、老人のくせに、柘榴ざくろのような色をしている口をまずひらいた。
「なにか」と、慈円のひとみは、静かである。
「今の御意ぎょい、正気でおわすか」
「ほ……なおたずねである。おのおのにも、よろこんで、大戒だいかいの席に列していただきたいということが、酒にでも、酔うているように聞えますか」
「酔うているどころか、狂気の沙汰と思う」
 相手の冷静な容子ようすは、かえって、彼らの赫怒かくどさかんにした。
「よもやと存じて、今日まで、ひかえていたが、座主、御自身のお口から、さよういわるるからには、もう、黙してはおられん」
「何なりとも、仰せられい。叡山は、慈円のものにあらず、また、学僧のものにあらず、長老のものでもない」
「もちろん」
衆生しゅじょうのものでござる」
「いや、仏のものだ」
「仏は、衆生を利したもうばかりに、下天げてんしておわす。どちらでもよろしい」


 後ろでひしめいている学僧たちの中で、
阿闍梨あじゃり、よけいなことは仰せられずに、一同の疑問について、く、ただされい」と、誰かがどなった。四王院は、うなずいて、
座主ざす!」と膝をすすめた。
「――今日、吾々が推参いたしたのは、二十八日の大戒について、ちと、せん儀があって参ったのでおざる」
「ご不審とな、何なりと、問われい」
「ほかではない」静慮院じょうりょいんも、共々に、詰問きつもんの膝を向けて、
とう叡山えいざんはおろか、日本四ヵ所の戒壇かいだんにおいても、まだかつて、範宴はんえんのごとき童僧が、伝法授戒でんぽうじゅかいをうけたためしは耳にいたさぬが、そも、座主には何の見どころがあって、敢て、法城の鉄則を破ってまで、あの稚僧ちそうに、かいを授けらるるのか……。それがせんことの第一義でござる」
 返答によっては、貴人の系門であろうと、座主であろうと、ゆるすまいとするような殺伐さつばつな空気が、四王院と静慮院の二長老を背後からあおりたてていた。
 慈円は、ほほ笑んで、
「はてさて、仏徒のまじわりもひろい。一院一寺をもあずかるおのおののことゆえ、それくらいなことは、ようご会得えとくと存じていたが」
「山の鉄則をみだすような、さような心得は、相持たん」
「ははは、余りにも、お考えが狭い。いわゆる、法を作るもの法に縛らるのたとえ。そもそも、授戒のことは、必ずしも、年齢を標準にはせぬものじゃ。年さえ、加えれば、誰でも、大戒をゆるさるるとあっては、刻苦する者がなくなるであろう」
詭弁きべんっ」と、またうしろの法師頭の中から強くいう者があった。四王院は、それに激励されて、
「――あいや、おことばには候うが、十年二十年、この叡山えいざんに、苦行を積んでも、なおかつ、入壇はおろか、伝法のことすら受けぬものが、どれほどあるか」
「それは、その人の天稟てんぴんがないか、あるいは、勉学が足らぬかの、ふたつでおざろう。――かたちのみ、すがたのみ、いかにも、あららかに、苦行精進いたすようになっても、秋栗の皮ほども、心のはじけぬ者もある。生れながらの団栗どんぐりであればぜひなき儀と思うよりほかはない」
「いや! 谷の者らが、専ら取り沙汰ざたするところによると、座主の僧正には、少納言に対して、依怙えこを持たれると承る」
「それは、問わるるまでもなかろう」
「何ですと――では、明らかに、依怙贔屓えこひいきだと仰せられるか。――何とおのおの、そう聞いては、もう議論のほかじゃないか。座主は範宴を盲愛もうあいしていられるのだ。私情のために、大法を蹂躙ふみにじらるるとの自白だ」わめき立てると、
「ひかえなされい!」若い座主のおもてに、初めて、青年らしい血しおが、みなぎった。
「わしは、範宴の天稟てんぴんを愛す。わしは、範宴のすぐれた気質を愛す。見よ、彼は将来の法燈を、亡すか、興隆するか、いずれかの人間になろう。叡山人多しといえど誰か、十歳を出たばかりの範宴にすら勝る法師やある。――その才において、その克己こっきにおいて、その聡明において、その強情我慢なことにおいて。……嘘と思わるる方あらば、彼をここへ呼んで、まず、法論を闘わせてみられるがよい。和歌といわば和歌、儒学とあらば儒学、おそらく少納言はいなむまい。望みの者は、仰せ出られい」


 誰も、進んで、応じる者はなかった。――わずか十歳の童僧と、衆人の中で、法論をやって、いい破ったところで、誇りにはならないし、敗れたらざまはない。
 そういう打算は、すぐ、誰の胸にもうかぶことだし、御連枝ごれんしの出で名門の深窓から、青蓮院しょうれんいんへ坐ったのみで、世間知らずの若い座主と心であまく見ていた慈円が、白皙はくせきおもてを、やや紅らめて、きびしい態度に出たので、
(これは……)と少し意外にも思ったことに違いなかった。慈円は、壁ぎわにいる人々の顔までを、ずっと見わたして、
「誰か、仰せ出られる人はないのか」
「…………」いつまでも、座はしんとしていた。二人の長老も、実は、そこまで、争う本心はなかったとみえて、尻押しの学僧たちが、だまってしまうと、立場を失ったように、もじもじしていた。
「そも、おのおのは、入壇とか、授戒とかいうことを、俗人が、位階や出世の階梯かいていでものぼるように、考えていられるのではないか、とんでもない間違いでおざる」慈円は、そこでもう、常の温柔おんじゅうおもてと語気にかえっていた。濃い眉毛まゆげのうえに、ぼつんと、黒豆ぐらいな黒子ほくろがある。この容貌に、二位の冠を授けたら、どんなに、端麗たんれいであろうといつも人は見つつ想像することであった。
「いうまでもなく、入壇と申す儀は菩薩心ぼさつしんへの、達成でなければならぬ。生きながらすでに菩薩たる心にいたれる人に、仰讃ぎょうさんの式を行う、それが、授戒入壇の大会だいえである。なんで、いたずらに、その域へ達せぬものに、この大会大戒の儀をゆるそうか」
「…………」静かではあるが、慈円の声は、たとえばひのきの木蔭を深々しんしんと行く水のひびきのように、耳に寒かった。
「――また、菩薩心に達したものはかの龍女りゅうじょのごとく、八歳にして、もう壇に入ることをゆるされた。後白河法皇の大戒をうけられたのも、たしか、お十歳に満たぬうちであった。おのおののうちで、すでに白髯はくぜんをたれ、老眼にもなりながら、まだその心域にいたれぬ方があらば、まず、自身を恥じるがよい――また、若輩じゃくはいな学僧たちは、そんな他人のことに、騒ぎたてて、無益の時間をつぶす間に、なぜ、自身の修行を励まれぬか」
「…………」
「ふたたび申すが、わしは、ふかく範宴少納言の天質を愛しておる、同時におそれておる。師として、指導のよろしきを得ねば、梵天ぼんてんの悪魔にすかも知れず、そのたまたる質のみがきによって、このすさび果てた法界の暗流あんる濁濤だくとうをすくう名玉となるかも知れない。その任を重く思うのだ。ひとたび、山を追われて、今の修羅しゅらの世に出て、あの雄叫おたけびを聞いたなら、おそらく、彼は、源義朝よしとも嫡男ちゃくなんたちと共に、業火ごうかの下に、鉄弓てっきゅうもしごく男となろう」
「…………」黙々と、人々は、慈円の顔をみているばかりだった。慈円の眉には、弟子として、また一個の人間範宴のゆくすえや、範宴の性格や才や、あらゆる些細ささいなものまでを朝夕ちょうせきの眼にとめて、ふかく、その将来を案じている容子ようすが歴々と読めた。
「いや、ようわかりました」初めは脱兎のごとく、終りは処女のように、四王院がそこそこに座をすべると、ほかの若法師たちも、気まりわるげに、退散してしまった。


 朝はまだ早かった。
 霧に濡れている一山の峰や谷々で、寺の鐘が、ときをあわせて、一斉いっせいに鳴りだした。
 揺するように、横川よかわで鳴ると、西塔さいとうや、東塔の谷でも、ごうん、ごうん……と鐘の音が答え合った。
「おや、当院の鐘は、どうしたのじゃ」西塔の如法堂にょほうどうで、学頭の中年僧が、方丈ほうじょうから首を出した。
鐘楼しょうろうへは、誰も行っていないのか」
「けさの番は、朱王房です、たしか参っているはずです」と、中庭を隔てた学僧の房で、多勢おおぜいの学僧たちが、新しい袈裟けさをつけながら返辞した。
「耳のせいか、わしには、聞えんが……」
「そういえば、鳴らんようです」
「困るではないか。今日は、根本中堂で、範宴はんえん少納言の授戒じゅかい入壇式が、おごそかに上げられる日だ」
「吾々も、これから、阿闍梨あじゃりいて、参列することになっています」
「それよりも、一山同鐘いっさんどうしょうの礼を欠いては、当院だけが、中堂の令にそむく意志を示すわけになる。台教興隆のよろこびの鐘だ。――誰か、見てこい」
「はっ」学僧の一人が、駈けて行った。
 鐘楼しょうろうの下から仰ぐと、誰かそこに立っている。腕ぐみをして、ぼんやりと、鐘楼の柱にもたれているのである。
 つい一昨年おととしごろ、坂本からのぼって来た若者で、はじめは、房の厨中間くりやちゅうげんとして働いていたが、なかなか、学才があるし、いやしくないし、少し才気走った嫌いはあるが、感情家で負け嫌いなところから、堂衆に取り立てられて、今では学僧のなかに伍している朱王房だった。
 今朝は、彼が鐘楼役なのに、そこへのぼったまま、腑抜ふぬけのように腕ぐみをしているので、見にきた彼の友は、
「おいっ、朱王房じゃないか」下から呶鳴どなった。
 朱王房は、上から、にやりと笑った。しかし、元気がないので、
「どうしたっ」たずねると、にべのない顔つきで、
「どうもしやしない……」
「なぜ、礼鐘れいしょうかん?」
「…………」
「知らぬはずはあるまい。――今朝けさの一山同鐘を」
「知ってる」
「横着なやつだ」とととと、石段を駈け上がって行って、
退けっ、俺がく」と、朱王房の肩を押しのけた。
「よし給え」
「なんだと」
「いまから撞いたって、間に合いはしない」
「じゃ、貴様は、故意にかなかったのだな」
「そうだ」はっきり、朱王房はいった。持ちかけた撞木しゅもくの綱を放して、気色けしきばんだ彼の友は、朱王房の胸ぐらをつかんで睨みつけた。
「不届きな奴だ、承知して怠ったのだと聞いては許されん、さっ、来いっ」
 ずるずると、段の方へ、引きった。


「どこへ? ――」不敵な眼をしながら、朱王房は鐘楼しょうろうの柱へ足を踏んばって動かなかった。
阿闍梨あじゃりの前へ連れて行くのだ。さ、来い」
「いやだ」
「卑怯者め、承知のうえで、礼鐘をかぬといったくせに。――お処罰しおきをうけるのが怖いなら、なぜ撞かなかったか」
「ばか、ばかばかしくって……おれには、こんな鐘はつけないんだ……」と、朱王房は、唇をかんだ。
「貴様、それを本気でいうのか」
「いうとも。――今朝の一山の鐘の音は、虚偽だ、おべっかだ、仏陀ぶっだは、笑っていなさるだろう」
「…………」あきれて、友の顔を、見ているのだった。朱王房は、昂奮した眼で、
「貴公は、そう思わないか」
「朱王房、貴様こそ、気はたしかなのか」
「たしかだから、おれは、この鐘をかんのだ。いいか、考えてもみろ、まだ十歳を出たばかりの範宴を、座主の依怙贔屓えこひいきから、輿論よろんと、非難を押しきって、今朝の大戒を、強行するのじゃないか。――それが仏陀の御心かっ。一山衆望かっ」
「執念ぶかい奴だ……。まだ貴様は、いつぞやの議論を、固持しているのか」
「あたりまえじゃないか。阿闍梨あじゃり碩学せきがくたちは、蔭でこそ、とやこういうが、一人として主張を持ち張るものはない。みんな、慈円僧正に、まるめられて、ひっ込んでしまった」
「座主には座主の、ふかい信念があってのことだ」
「見せてもらおうじゃないか、その信念というやつを」
「それは、現在では、水かけ論だ。範宴が、果たしてそういう天稟てんぴんの質であったか否かは、彼の成長を見た上でなければ決定ができない」
「それみろ。――神仏にもわからぬことを、どうして、僧正にだけわかるか。ごまかしだっ、依怙贔屓えこひいきだっ」
「大きな声をするなっ」
「するッ――おれはするっ――仏法を亡すものは仏弟子ぶつでしどもだっ」
「これっ、若輩のくせに、いいかげんにしろ」
「いってわるいか」
「わるい!」
「じゃあ、貴公も、まやかし者だ、仏陀にそむいて、山の司権者におべッかるまやかし者だ」
「生意気をいうなッ」朱王房のえりがみをつかんで、そこへたおした。すると、房の人々が、
「どうしたのだ、どうしたのだ……」と、駈け上がってきて、
「おいっ、離せ」
「いや、縛ってしまえ。そして、阿闍梨のまえに曳いて行って、たった今、この青二才がほざいた言葉を、厳密なおきてもとに、裁かなければならない」
「どんな暴言を吐いた」
「仏法を亡すものは、仏弟子どもだといいおった」
「こいつが」と、一人は、彼の横顔を蹴って、
「一体、新参のくせに、初めから口論ずきで、少し自分の才に、思い上がっているんだ。縛れ、縛れ、くせになる」と、ののしった。

黒白こくびゃく




 座主ざすの室で、銅鈴が鳴った。役僧のひとりが、執務所の机を離れて、
「お召しですか」ひざまずくと、とばりの蔭で、
範宴はんえんをよべ」と、いった。
「はっ」
「――ここではなく、表の方へ」
「かしこまりました」座主の慈円じえん僧正は、そういってから後も、しばらくとばりの蔭の机にって、紙屋紙かみやがみを五、六枚じてある和歌の草稿に眼をとおしていた。それが済むと、何やら消息を書いて、
「待たせたの」と、縁の方へ、眼をやった。
 京から使いにきた小侍がひとり板縁に、かしこまっていたが、
「どう仕りまして」と、かしらを下げた。
「では、これは月輪つきのわ殿へおわたしいたして、よろしくと、伝えてください。――慈円も、登岳とうがくの後、このとおり、つつがのう暮しているとな」
「はい」草稿と、消息をいただいて、京の使いは帰って行った。
 月輪の関白兼実かねざねは、すなわち座主の、血をわけた兄であった。で、時折に便りをよこして、便りを求めるのである。
 慈円も、関白も、この兄弟は共に和歌の道にけている。ことに、僧門にあって貴人の血と才分にゆたかな慈円の歌は、当代の名手といわれて、その道の人々から尊敬に値するものという評であった。
 座主は、使いを返すと、そこを立って、中堂の表書院へ出て行った。
 居間へ呼ばれるなら常のことであるが、表の間に待てとは、何事であろうかと、範宴は、ひろい大書院の中ほどに、小さい法体ほったいを、畏まらせて、待っていた。
「近う」と、慈円はいう。
 おそる畏る、範宴は、前に出る。
 そのすがたを、慈円は、眼の中へ入れてしまいたいように、微笑で見て、
入壇にゅうだんのことも、まず、済んだの」
「はい」
「うれしいか」
「わかりません」
「苦しいか」
「いいえ」
「無か」
「有です」
「では、どういう気がする」
「この山へ、初めて、生れ出たような……」
「む。……しかし、入壇の戒を授けたからには、おもともすでに、一個の僧として、一山の大徳や碩学せきがくと、伍して行かねばならぬ」
「はい……」
白髪はくはつの僧も、十歳の童僧も、仏のおん目からながめれば、ひとしく、同じ御弟子みでしであり、同じ迷路の人間である」
「はい……」
「わが身を、たまとするか、かわらとするか、修行はこれからじゃ。いつまで、わしの側にいては、その尊い苦しみをなめることができぬ、わしに、少しでも、いたわりが出てはおもとのためにならぬ。――師を離れて、まことの師に就け。真の師とは、いうまでもなく、仏陀ぶっだでおわす。――ちょうど東塔の無動寺に人がない。枇杷びわ大納言どののおられた由緒ゆいしょある寺。そこへ、今日からおもとを、住持としてつかわすことにする。よろしいか、支度をいたして、明日からは、そこに住んで、ひとりで修行するのですぞ」


 範宴は、うなずきながら、ほろりと涙をこぼした。小さい手で、その眼を横にこすっているのを見て、慈円は笑った。
「明日から、一ヵ寺の住職ともなる者が、涙などこぼしてはいけない。……元気で行きなさい」
「はい」ころもの袖で、涙を拭いてしまうと、範宴は、別れがたないひとみをあげて、師の顔を仰いだ。
「では、行ってまいります。お師さまの教えを忘れないで、励みまする」礼をして、立って行くのである。その姿を廊下の方で待ちうけていたのは、さっきから板縁に坐って、案じ顔に控えていた性善坊であった。
 すぐ手を取って、堂の階を降りてゆく。そして、房の方へ歩いてゆくうちに、性善坊が明るい顔で、何か訊ねているし、範宴も、今泣いたことなど忘れて、※(「口+喜」、第3水準1-15-18)ききとして、彼の手をつかんで振ったり、その肩へ、ぶら下がったりして、戯れながら行くのだった。
(――何といっても、まだ子どもだ)慈円も、らんまで出て、うしろ姿を見送っていた。
 だが、どうしてか、慈円には、その子どもである範宴が、おおきな姿に見えてならなかった。一代の碩学せきがくだの、大徳だのという人に会っても、そう仰ぎ見るような感じは滅多にうけない自分なのに――と、時には冷静に自己の批判を客観してみても、やはり、どこか範宴にはなみの人間の子とは、違うところがある。
(どこか?)と人に訊かれたらこれも困る。
 どこも違いはない。十歳の少年は、やはり十歳の少年である。
 弘法大師や、古きひじりの伝などには、よく、誕生の奇瑞きずいがあったり、また幼少のうちからあたかも如来にょらいの再来のような超人間的な奇蹟が必ずあって、雲をくだし、龍を呼ぶようなことが、その御伝記を弥尊いやとうとく飾ってはいるが、これは慈円僧正も、必ずしも、すべてが然りとは信じていないのである。むしろそれは、民衆が捧げた花環はなわや背光であって、釈迦しゃかも人間、弘法も人間と考えてさしつかえないものと思っている。
 近くは、黒谷の法然ほうねん上人のごときも、民衆の崇拝がたかまるにつれ、
ひじりのおひとみは二つあって、琥珀色こはくいろをしていらっしゃる)とか、
(ご誕生の時には、産屋うぶや紫雲しうんたなびいて天楽てんがくが聞えたそうな)とか、
文殊もんじゅのご化身けしんだ)とか、また、
(いや、唐の三蔵さんぞうの再生だとおっしゃった)など、本人はすこしも知らない沙汰が、まちまちにいいふらされて、それにつられて、
(どんなお方か)と、半ば好奇な気もちでつどう信徒すらあるとのことだ。しかし、その法然房ほうねんぼうには、慈円は、幾たびか会ってもみたが、いわゆる、異相いそうの人にはちがいないが、決して、如来の再生でもなし、また、眸が二つあるわけのものでもない。ただ、違うのは、
(どこか、ふつうの人間よりは、一段ほど、高いお方だ)と思うことである。
 範宴はんえんに対して、慈円の感じていることも、要するにその、
(どこか?)であった。
 しかし、慈円のその信念は、決して、あやふやな――らしいの程度ではなく、山の巌根いわねのごとく、範宴の将来に刮目かつもくしているのであった。


 あくる日の未明である。
 まだ仄暗ほのぐらいうちに、範宴は房を立った。供は、性善坊と菰僧こもそう孤雲こうんの二人だった。
 性善坊は、しきりと、
「きょうからは、少納言さまも無動寺のおあるじ、一ヵ寺のご住持でございますから、もう山の衆も、お小さいからといって、馬鹿にするような振舞いはいたしますまい」といった。彼には、それが、
(これ見よ)と見返したようなはれがましさであり誇りであった。しかし、範宴は、
「わしに、そんな重いお勤めが、できるかしら」と、今朝は、心配していた。
「おできにならぬことを、座主がおいいつけになるわけはありません。及ばずながら、性善坊もお仕え申しておりますし、無動寺には、留守居衆が、そのまま、役僧として万事の御用はいたしますから、決して、お案じなさるには及びません」範宴はうなずいて、
「座主は、きっと、私を、お試しになるお心かも知れぬ。わしに、怠りが出たら、そちが、むちを持って、打ってたも」
勿体もったいない」と、性善坊はいった。
「そのお心がけで参れば、きっとご修行をおとげあそばすにきまっている。――私こそ、お師さまのお叱りをうけなければ」
「お互いに、修行しようぞ」
 彼と性善坊とが、主従ともつかず、師弟ともつかず、親しげに話してゆく様子を後ろから眺めながら、ぽつねんと、独りで遅れて歩いて、孤雲は、淋しそうだった。
 その気持を察して、
「孤雲どの。――いいあんばいに、お日和ひよりじゃな」などと、話しかけては、性善坊が、足をとめて振りかえった。
「――そうですね、降るかと思いましたら、霧が散って、八瀬やせ聚落むらや、白川あたりのふもとが見えてきました」孤雲は、どこか、元気がない。
 範宴のすがたを見ると、彼は、それにつれて、旧主の寿童丸を思いだすのであろう。うらやましげに、独りで、嘆息をもらしている容子ようすが、時々見える。
(むりもない――)と性善坊は、察しるのだった。ちょうど、孤雲と寿童丸との主従の関係は、自分と範宴との間がらに似ている。さだめし、何かにつけて、
(寿童丸は、どうしているか)と、旧主に厚い彼の心はいたむのであろうと思いやった。
 陽がのぼるほどに、谷々や、峰で、小禽ことりが高くなった。中堂の東塔院から南へ下りて、幾つかの谷道をめぐって、四明しめいだけの南の峰を仰いでゆくと、そこが、南嶺なんれいの無動寺である。――もう、大乗院だの、不動堂だのの建物の屋根の一端が、若葉時のまっ青な重巒ちょうらんいただきに、ちらと仰がれてくる。
「おや、孤雲は」
「ひとりで、沢へ下りてゆきました。おおかた、口がかわいて、竹筒へ、水でも汲みに行ったのでございましょう」二人が、がけきわに立って、孤雲の影をさがしていると、どこかで、
「やいっ、十八公麿まつまろ」と、かんだかい声で、呼ぶ者があった。思いがけない鋭さなので、思わず、足をすくめて振りかえると、彼方かなたの山蔭に、土牢つちろうの口が見えた。


 山蔭の土牢の口には、雑草がはびこっていた。じめじめとした清水が辺りを濡らしていた。
 牢の口は、そこらの木をって、そのまま組んで頑丈に組んである。誰やら、暗い中に、人影がうごいているようだった。
 ふつうの音調を失って、けものじみた声で、何かいった者は、その土牢の中の人間で――
「そこへ来たのは、十八公麿ではないか。やいっ、耳はないのかっ」と、叫ぶのである。
 もう忘れていた幼名を呼ぶばかりでなく、悪気わるげのこもったののしり声に、範宴も性善坊も、ちょっと、きもを奪われて立っていた。
 すると、牢の内からする声は、いよいよ躍起となって、
「俗名を呼んだから返辞をせぬというのか。だが俺は、いくら貴様が、入壇したからといっても、まだ乳くさい十歳とおやそこらのはなれを、一人前の沙門しゃもんとは、認めないのだ。――座主が、いくら勿体もったいらしく大戒を授けても、一山の者が、座主におもねって、盲従しても、俺だけは、認めないぞ」そう一息にいって、また、
「だから俺は、十八公麿と呼ぶ。――貧乏公卿くげのせがれ、なぜ、返辞をせぬのか。――がたがた牛車ぐるまで、日野の学舎まなびやに通ったころを忘れたのか。いくら澄ましても、俺のまえでは駄目だぞ、何とかいえっ」自身が、こっちへ来ることも、迫ることもできないだけに、何とかして、明るい中に立っている二人を、自身の牢の前まで引きつけようとして、必死なのであった。声に、魔魅まみの力すら覚えるのだった。
 じっと、遠くから見ていた性善坊は、牢の口に、顔を押しつけている獣のようなひとみを見て、思わず、
「あっ! ……」と、驚きの声を放った。範宴はんえんも、思いだして、
「おお」牢の前へ、走って行こうとするので、性善坊は、たもとをとらえて止めた。
「お師さま。寄ってはなりません! 寄ってはなりません!」
「なぜ、なぜ?」範宴は、その袂を、振りもぎろうとさえするのであった。
「その中にいるのは、悪魔です。悪魔のそばへ、寄っては、お身のためにならないからです」
「悪魔? ……」と、範宴は、牢にかがやいている二つの鋭い眸を見直して、
「悪魔ではない。あれは、日野の学舎まなびやで、わしと机をならべていた寿童丸じゅどうまるじゃ」
「いいえ。……それには違いありませんが、今では、西塔の堂衆で、朱王房という悪魔です。そのわきに立っている高札をごらんなさい」と、性善坊は、指さしていった。
 ――この者、元坂本の中間ちゅうげん僧たりし所、西塔さいとうの学僧寮に堂衆として取りたてられ、朱王房と称しおる者なり。しかる所、近来浅学小才に慢じ、事ごとに、山令に誹議ひぎを申したて、あまっさえ、範宴少納言入壇の式に、その礼鐘れいしょうの役目を故意に怠り、仏法を滅するものは仏徒なりなど狂噪暴言きょうそうぼうげんを振舞うこと、重々罪科たるべきにつき、ここに、百日の禁縛きんばくを命じ、謹しんで、山霊に業悪ごうあくを謝せしむる者なり
西塔諸院奉行さいとうしょいんぶぎょう
「おわかりでしょう。怖ろしい悪魔です。近づかない方が、お身のためです」


 しかし、範宴は、
「かわいそうじゃ」と、かぶりを振って、かないのである。
 性善坊が止める手を退けて、牢のそばへ、走り寄っていた。そして、懐かしげに、
「寿童どの」と、声をかけた。朱王房は、かっと、闇の中からにらみつけて、
十八公麿まつまろ、おぼえておれ、よくもこの俺を、土牢へいれたな」性善坊は聞くに耐えないで、
「だまれっ」と側からいった。
「――お師さまには、何もご存じないことだ。糺命きゅうめいされたのは、汝の自業自得じごうじとくではないか」
「いや、貴様たちが、手を下したのも、同様だ。恨みは、こんどのことばかりではない、ただすはらでも、あの後で、野火のことを、六波羅のちょうに、訴えたろう」
「根も葉もないことを」
「いやいや、幼少の時に、俺が、日野の館へ、石を投げこんだことを遺恨いこんに思って、それから後は、事ごとに、貴様たちが、わしの一家をおとしいれようと計っていたに違いない。噂は、俺の耳に入っている」
「これだから……」と、呆れ果てたように、性善坊は、範宴の顔を見て、
「……救えない悪魔です」
「なにっ、悪魔だと」朱王房は、聞きとがめて、かみつくように、ののしった。
「よくも、俺を、悪魔といったな。ようし、悪魔になってやろう。こんな偽瞞ぎまんの山に、仏ののりのと、虚偽なころもに、僧の仮面めんをかぶっているより、真っ裸の悪魔となったほうが、まだしも、人間として、立派だ」
「こういう毒口どくぐちをたたくのだから、土牢にほうりこまれるのも、当然じゃ。自体、幼少から、悪童ではあったが」
「大きにお世話だ。十八公麿のような、小ましゃくれた、子どものくせに、大人じみた、俺ではない。俺は、真っ裸が好きだ、嘘がきらいだ。――今にみろ、うぬらの仮面めんや、偽装のころもいでくれる」ものをいうだけが無益であると見たように、性善坊は、範宴の手をとって、
「さ、お師さま、参りましょう……」とうながした。
 ベッと、土牢の中から、白いつばがとんで範宴のたもとにかかった。範宴は、何を考えだしたのか、性善坊が手をとっても歩もうとせず、両手を眼にやって泣いていた。
「……参りましょう、こんな悪魔のそばにいると、毒気をうけるだけのことです。ことばを交わすのも、愚かな沙汰です」
「…………」動こうともしないで、さめざめと範宴は泣きすくんでいるので、
「なにがお悲しいのですか」と、性善坊がたずねると、範宴は、紅いまぶたをあげて、
「かわいそう」と、唯それだけを、くりかえすのであった。
 ものに感じることの強い範宴の性質を性善坊はよく知っているが、かくまで、宿命的に己れを憎んでいる敵をも、不愍ふびんと感じて、嗚咽おえつしている童心のだかさに、性善坊も、ふたたび返すことばもなく、心を打たれていた。
 すると、どこからか、つたない尺八のがしてきた。――緑の谷間から吹きあげる風につれて、虚空こくうにながれてゆくのである。


 どこからともなく流れてくる尺八の音に、
(おや)というように、二人は眼を見あわせた。
 性善坊は、ここに姿の見えない菰僧こもそう孤雲こうんを思い出して、
「孤雲です……きっと水を飲みに行って、この下の谷で、何か考え出して、たずさえている尺八をすさびたくなったのでしょう」といった。範宴は、すぐ、
「はよう呼べ。――あの孤雲が多年たずねている寿童丸は、ここにいる。それを、孤雲はまだ知らぬのじゃ」
「そうだ、孤雲が来たら、どんなによろこぶか知れません。呼んでやりましょう」性善坊はすこし離れた崖の際まで駈けて行って、
「オオーイ」谷間をのぞいて呼んだ。
 姿は青葉や山藤の花などで、見えないが、尺八の音は、糸の切れたように、やんだ。
 孤雲はその時、ずっと下の渓流のふちに平たいいわを選んで、羅漢らかんのように坐っていた。ここへは、性善坊が察したとおり、口がかわいたので、水を飲みに下りてきたのであるが、孔雀くじゃくの尾のような翠巒すいらんと翠巒のいだくしいんとして澄んだ静寂しじまのなかに立っていると、彼は、傷だらけな心を、ややしばし慈母のふところにでも安らいでいるように、いつまでも、去りがてな気持がして、そこの岩の上に、坐ってしまった。
 何かは知らず、とめどもなく涙があふれてくる。昼の雲が、静かなかいのあいだを、ふわりと漂っていた。母も妻も子も、また家もない自分の境遇と似ている雲を、彼は、じっと見ていた。
 誰にとも訴えようのない気持がやがて、尺八の歌口から、哀々と思いのかぎり、細い音を吹きだしたのであった。その音のうちには人生のはかなさだの、煩悩ぼんのうだの、愚痴ぐちだの、歎きだのが、纒綿てんめんとこぐらかっているように聞えた。
「おうーい」誰か、上で呼ぶ声に、孤雲はその尺八の手を解いて、
「あ……。性善坊どのだな」行く先は、分っているので、自分は遅れて後から追いつくつもりであったが、範宴はんえんたち二人が自分を待っているとすれば、これは、済まないことをしたと思った。にわかに、立ち上がって、
「おうーい」と、下からも、峰の中腹を見上げて答えた。
 そして、崖道を、じながら、元の所へのぼってゆくと、性善坊はそこへ駈けてきて、
「孤雲どの。よろこばしいことがあるぞ」
「え?」唐突とうとつなので、眼をしばたたいていると、性善坊は、はや口に、そこの土牢の中にいる若い僧こそ、寿童丸じゅどうまるであると告げて、
「わし達は一足先に無動寺へ参っておるから、ゆるりと、旧主にお目にかかって、ようく、不心得を、さとしてあげたがよい」といい残して、立ち去った。
 範宴と性善坊の姿が、山蔭にかくれるまで、孤雲は、茫然ぼうぜんと見送っていた。半信半疑なのである。自分が多年探している寿童丸が、ついそこの土牢の中にいるなどとは、どうしても、信じられないことだった。
 ふと見ると、なるほど、土牢の口が見える。高札が立っている。――彼は、怖々こわごわと、やがてその前へ近づいて行った。


「おうっ――」孤雲は、土牢の口へ、われを忘れて飛びついていた。
「若様。――寿童丸様」朱王房は、牢内の闇から、じっと、孤雲のおもてを見つめていたが、躍り上がるように立って、
「やっ。七郎ではないか」
「七郎ですっ。わ、若様、七郎でございまする」
「なつかしい」と、朱王房は、痩せた手を牢格子のあいだから差し伸べて、
「会いたかった……」
「七郎めも、どれほど、お行方を尋ねていたか知れませぬ」
「おお」と、朱王房は、思い出したように、牢格子へ手をかけて、
「いいところへ来てくれた。お前の腰のものを貸せ」
「どうなさるのでございますか」
「知れたこと、この牢を破るのだ。斬り破るのだ。――人の来ないうちに、早く」
「でも……」と、孤雲はおろおろして、いかめしい高札にはばかったり、道の前後を見まわしたが、折ふし、人影も見えないので、彼も、勃然ぼつぜんと、大事を犯す気持に駆られた。
 脇差を抜いて、牢格子の藤蔓ふじづるを切りはじめた。朱王房は、渾身こんしんの力で、それを、りうごかした。
 四、五本のかすがいが、ぱらぱらと落ちると、牢の柱が前にたおれた。
 炎の中からでも躍りだすように、朱王房は外へ出て、青空へ、両手をふりあげた。
「しめた。もう俺の体は、俺の自由になったぞ。――うぬ、見ておれ」走り出そうとするので、
「あっ、若様っ、どこへ――」と、孤雲は彼が歓びのあまりに気でも狂ったのではないかと驚いて抱きとめた。
「離せ」
「どこへおいでになるのです。若様の行く所へなら、どこへまでも七郎とてもお供をいたす覚悟でございます」
「山を去る前に、範宴の細首を引ンねじってくれるのだ」
「滅相もない。範宴さまと、性善坊どのとは、この身に恩こそあれ、お恨み申す筋はありません」
「いや、俺は、嫌いだ」
「嫌いだからというて、人の生命いのちをとるなどという貴方あなた様のお心は、鬼か、悪魔です」
「貴様までが、俺を、悪魔だというか。俺は、その悪魔になって、範宴とも、闘ってやるし、この山とも、社会とも、俺は俺の力のかぎり、争ってやるのだ」
「ええ、貴方様はっ」満身の力で、狂う彼をひきもどして、道へじふせた。そして、
「まだ、そのねじけたお心が、すぐにおなり遊ばさぬかっ。お父上のご死去を、ご存じないのですか。家名を何となされますか。ここな、親不孝者っ」と主人の子であることも忘れて、胸ぐらを締めつけた。
「あっ、くるしい。こらっ七郎、貴様は俺をなぐりに来たのか」
「打ちます、撲ります。亡きあなた様のお父上に代って、打たせていただきます」
「この野郎」かえそうとすると、七郎は、さらに力をこめて、朱王房ののどを締めつけた。うウむ……と大きなうめきを一つあげて、朱王房は、悶絶もんぜつしてしまった。


 ぐったりと四肢ししを伸ばしている朱王房の姿をながめて、孤雲は、落涙しながら、
「若様、おゆるし下さい。あなたを、範宴御房にも劣らぬ立派な者にしたいばかりに、かような、手荒な真似もするのですから」取りすがって、詫びていたが、気づいて、
「そうだ人が来ては」と、にわかに鋭くなって、四辺あたりを見まわした。
 幸に、性善坊の落して行った笠がある、それを、朱王房の頭にかぶせて、背に負おうとすると、朱王房は、うーむ、とうめいて、呼吸いきをふきかえした。
 だがもう暴れ狂う気力はなかった。永い土牢生活のつかれも一度に出たのであろう、孤雲の肩にすがったまま、ぐったり首を寝せていた。
 孤雲は、谷間に下り、水にそって、比叡ひえいの山から里へと、いっさんに逃げて行った。

       *

 東塔の無動寺には、近ごろ、おさない住持が来て、日ごとに勤行ごんぎょうにわへ見えるようになった。いうまでもなく範宴はんえんである。
 境内の一乗院が、彼のいる室とめられた。そこで、彼は、四教義の研究に指をそめた。
 その四教義を講義してくれる人は、東塔第一という称のある篤学家の静厳法印じょうごんほういんだった。
 静厳は、彼の才をひどく愛した。少納言しょうなごん少納言といって、自分の子のように寺務の世話までよく面倒を見てくれた。
 するとある日、その静厳が、何か、らせに来た若い法師たちをののしっていた。
「なに、まだ見つからん。そんなはずはないぞ、山狩りを始めてから、もはや今日で二十日はつかにもなるではないか」
「しかし、木の根をわけても、分らないのです。所詮しょせん、この様子では、ふもとへ走ったにちがいないから、一度山狩りを解いて、世間のほうを探してはどうかと、西塔さいとうの衆も、申しておりますが」
「西塔の者は、西塔の考えでやるがよい。こちらは、飽くまで、本人が、食物に困って、姿をあらわしてくるまで、固めを解いてはいかん」静厳に一喝いっかつされてすごすごと、谷の方へ下りてゆく法師たちの疲れた姿を、範宴は、一乗院の窓から見ていた。
 何のための山狩りか、範宴には、よくわかっていた。で、心のうちで、
(どうか、見つからないように……。無事に、里へ逃げてくれるように)と祈っていた。大雨が降ると、
(どこかの樹木の下で、あの主従は、この雨に打たれているのではないか)と人知れず案じたり、また、朝夕の食事に、はしをとる時も、ふと、
(あの主従は、何を食べているだろう?)と思いやった。
 しかし、それから、七日すぎても、十日過ぎても、土牢を破った者が捕まったという噂は聞えてこなかった。
 叡山には、夏が過ぎ、秋がけ、やがて雪の白い冬が訪れた。
 雪に埋った一乗院の窓からは、どんな寒い晩も、四教義を音読する範宴の声が聞えてこない晩はなかった。
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去来篇




大和路やまとじ




 大自然のすがたには、眼に見えて、これが変ったということもないが、人間の上にながれる十年の歳月には、驚かれるほどな推移すいいがあった。
 建久二年の年は、範宴はんえん少納言がこの東塔とうとう無動寺むどうじに入ってから、ちょうど九年目に当たる。
 彼は、十九歳になった。白衣びゃくえを着て、黒い袈裟けさをかけて、端麗で白皙はくせきな青年は俗界のちりの何ものにもまだ染まっていなかった。処女のように、きれいであった。
「何と気高いお姿だろう」と、その九年の間、一日も離れることなくかしずいている性善坊しょうぜんぼうですら、時には、見惚れることがあった。
 背は高く、肩幅もひろいほうであった。無動寺の奥ふかく閉じ籠っているのが多いので、色は白く、唇はのようであった。眉は濃く太く、おそろしく男性的である。ことに、きっと一文字に結んでいる口もとには不壊ふえの意志がひそんでいるように見えた。ある者は、
範宴御房はんえんごぼうのおかおは、前から見るとやさしいお方だと思うが、横からふと見ると、実に怖いおかおだ」といった。そういわれてから、性善坊も、
「なるほど」と気がついた。怖いと見れば怖い。やさしいと見れば優しい。
 健康の点では、骨格も、気力も頼もしい頑健さを天質的に備えていた。これも母系の祖父の遺伝に恵まれているのかも知れないと彼は思った。たくましい肋骨ろっこつの張った胸幅の下には、どんな大きい心臓が坐っているのかと思われるくらいだった。
 その実証を、性善坊は、この九年間にのあたりに見てきて、ひそかに、
(自分にはとてもできない)と舌を巻いて驚いているのであった。それは、範宴の知識慾のさかんなことと、それを、満たしてゆく究学心の強さであった。
 唯識論ゆいしきろんとか、百法問答しょうとかいう難解なものすら、十二歳のころに上げてしまったし、十五歳の時には、明禅法印めいぜんほういんから、密法みっぽう秘奥ひおうをうけて、かつて、慈円僧正が大戒だいかいを授けた破例を、(依怙贔屓えこひいきである)と、ののしった一山いっさん大衆だいしゅも、今では、口を黙して、
(やはり、彼の質は天稟てんぴんなのだ)と認めるようになっていた。
 けれど範宴自身は、それに誇るようなふうは少しもなく、林泉院の智海に随って、天台の三大部を卒業するし、また、仁和寺にんなじ慶存けいぞんをたずねて、華厳けごんを聴き、南都の碩学せきがくたちで、彼はといわれるほどな人物には、すすんで、学問を受けた。
「お体を、おこわしにならないように――」と性善坊は、日夜の彼の精進に、口ぐせのようにいっていたが、それは杞憂きゆうにすぎなかった。
 やがて範宴はんえんの体質がそんなことでこわれるような脆弱ぜいじゃくなものでないことがわかると、
「まったく、異常なお方だ」と心から頭が下がってきて、もう、そんな通常人にいうようないたわりはいえなくなってきたのであった。そして、同じかしずいて仕えているにしても、九年前と今日とは、まったく違った畏敬の心をもって、
(師の御房)と呼び、そして範宴から垂示すいじを受ける一弟子となりきっていた。


 七月の末だった。かねてから、範宴の宿望であった大和やまとの法隆寺へ遊学する願いが、中堂の総務所に聴き届けられて、彼は、この初秋はつあきを、旅に出た。
「何年ぶりのご下山でございましょう……」と性善坊は、無論、供にいていた。そして、下山するごとに変っている世間を見ることが、やはり、軽い楽しみであるらしかった。
 それでも、性善坊の方は、ふもとや町へ使いに下りることが、年に幾度かあったが、範宴は、ほとんどそれがなかった。
「すべてが、一昔前になったな」京都の町へ入ると、範宴は、眼に見るものすべてに、推移を感じた。
「ごらんなさい」と性善坊は、五条の橋に立って、指さした。
「――あの空地あきちの草原で、子供たちや、牛が遊んでおりましょう。あれは、小松殿のおやかたのあった薔薇園しょうびえんの跡でございます。また、右手の東詰ひがしづめには、平相国清盛へいしょうこくきよもりどのの、西八条の館があったのですが、荒れ果てているさまを見ると、今は、誰の武者溜むしゃだまりになっておりますことやら」
「変ったのう」しみじみと、範宴はいって、ふと、橋のらんから見下ろすと、そこを行く加茂の水ばかりは、淙々そうそうとして変りがない。
 いや、水にも刻々の変化はあるが、人間のようなはかな空骸くうがいすがたを止めないだけのことである。西八条や薔薇園の女房たちの脂粉しふんをながした川水に、今では、京洛きょうらくに満ちる源氏のともがらが、鉄漿かねき水や、兵馬の汚水を流しているのである。
「変れば変るもの――」いつまで立っていても飽かない心地がするのだった、無限の真理と直面しているように――。そして、生ける経典をのあたりに見ているように。
 はかないと見ればただ儚い。進歩とみれば進歩。また、虚無とみれば虚無――
 社会はあまりに大きすぎて、人生の真がつかみ難い。
 そこらを往来する物売りや、工匠たくみや、侍や、雑多な市人まちびとは、ただ、今日から明日への生活たつきに、短い希望をつないで、あくせくと、足をはやめているに過ぎないのだった。
 鞍馬の峰にあって、奥州へ逃げのびた遮那王しゃなおう義経よしつねも、短くて華やかなその生涯を、つい二年ほど前に閉じて、人もあろうに、兄の頼朝の兵にたれてしまった。そして、その頼朝が、今では鎌倉に覇府はふをひらいて、天下に覇を唱えているのであるから、平家の文化が一変して、世も、京洛みやこも、加茂川の水までが、源氏色に染め直されてしまったのは当然な変遷なのである。
 だが、あまりに眼まぐるしい人生の流相るそうを見てしまった民衆たちは、
(また、明日あすにも)という不安と虚無観が消え去らないと見えて、往来の市人まちびとの顔には、どれもこれも、落着かない色が見えていた。
「――行こうか」範宴は、そう見ながら、ただの雲水の法師のように、五条を北川の方へ歩みだした。


 それから六条の大路おおじへ足を入れると、二人はさらに、
「変ったな」というつぶやきをくりかえした。
 辻の市場は、目立って繁昌しているし、往来の両側にあるあきなも、平氏の世盛りのころより、ずっと、数が殖えていた。
 空地あきちにさえも、傀儡師くぐつしか、香具師やしか、人寄せの銅鑼どらを鳴らしている男が、何かわめいているし、被衣かずきをかぶって、濃い脂粉しふんをほどこした女が、あやしげなまなざしをくばって、鼻の下の長い男を物色している。
「人間の社会よのなかというものは、ちょうど春先の野火焼とおなじようなものでございますな。――焼けば焼くほど、後から草が伸びてくる……」と、性善坊は、感心していった。
 一見、いくさは、急速に社会よのなかを進化させるもののように見える。そして、誰一人、ここに生きているものは戦をのろっていなかった。
 その代りに、人間は、おそろしく、刹那主義になっていた。平家の治世がすでにそうだったが、一転して、源氏の世になると、なおさら、その信念を徹底してきたかのように、女は、あらん限り美衣をかざり、男は、絶えず、息に酒の香をもって歩いていた。
「――んさん」
「お法師さま」六条のお牛場うしばのあたりを、二人は、見まわしていると、かつて、その辺の空地に寝ころんでいたまだうしや、牛のふんに群れていた青蠅あおばえのすがたは一変して、どこもかしこも、入口の瀟洒しょうしゃな新しい小屋や小館こやかたうまっていた。
 店の前を、網代垣あじろがきでかこんだ家もあるし、朽葉色くちばいろや浅黄のぬのを垂れて部屋をかくしている構えもある。また塗塀ぬりべいふうに、目かくし窓を作って、そこから、呼んでいる女もあるのだった。
「これが、元のお牛場であろうか――」と、範宴も、性善坊も、茫然としてたたずんでしまった。
 このつい近くであったはずの六条の範綱のりつなやかたはどこだろう。跡かたもない幼少のころの家をさがし廻って、範宴は、ここでもまた、憮然ぶぜんとした。
「きれいなお坊んさんと、お供の方――」黄いろい女たちの声が、家々の窓やぬのの蔭から、しきりと、呼びぬくのであったが、自分が呼ばれているのであるとは二人とも気がつかない。
 で、なお、狭い露地へまで入って行こうとすると、低い檜垣ひがきの蔭から、
「いらっしゃいよ」と、白い手が法衣ころもたもとをつかんだ。範宴は、眼をまろくして、
「なにか御用ですか」女は、白い首を二つそこから出して、
「あなた方は、何を探しているんです」
「六条の三位さんみ範綱さまのお館を」
「ホ、ホ、ホ。……そんな家は、もう一軒もありませんよ。ここは、遊女町ですからね」
「え。……遊女町」
「往来から見れば分りきっているじゃありませんか。お入りなさいよ」性善坊が横から、
「馬鹿っ」と叱って、範宴のたもとをつかんでいる女の手を、ぴしりと打った。


「よくも人をったね」遊女は、怒った。
 性善坊も怒っていった。
「あたりまえだ」
 遊女はまけずに、
「人を打つのが当りまえなら私も打ってやる」と手を出して、性善坊の横顔を打つ真似まねしたが、性善坊は顔を避けて、
「けがらわしい」とその手を払った。
 今度は、ほんとに怒って、遊女は性善坊のむなぐらをつかまえた。
「何がけがらわしいのさ」
「離せ、僧侶に向って、不埒ふらちなまねをする奴だ」
「ふン……だ……」と、遊女は嘲笑ちょうしょうのくちびるを、柘榴ざくろの花みたいに毒々しくすぼめて、
「坊さんだから、女は汚らわしいっていうの。……ちょッ、笑わすよ、この人は」と、家のうちにいる朋輩ほうばいの女たちをかえりみて、
「あそこにいる花扇はなおうぎさん、その隣にいる梶葉かじはさん、みんな、坊さんを情夫いろに持ってるんだよ。私のとこへだって、叡山えいざんから来る人もあるし、寺町へ、こっちから、隠れて行くことだってあるんだよ」
「人が見る。離せ」性善坊が、むきになっていうと、
「そう。人が見るから、いけないというなら、話は分っている。人が見てさえいなければいいんだろう。……晩にお出で」と、女は、胸ぐらを離して、性善坊の肩をぽんと突いた。
 泥濘ぬかるみに足を落して、性善坊は、脚絆きゃはんを泥水によごした。
「こいつめ」いち早く、家の中へ逃げこんだ女を追って、何かののしっていると、露地の外で、
「性善坊――」範宴の呼ぶのが聞えた。
「はいっ」彼は、大人げない自分の動作に恥じて、顔をあからめながら、往来へ出てきた。そして、範宴へ、
「とんだことをいたしました」と謝った。
「ほかを探そう」範宴が歩みだすと、
「ちょっと、お待ち遊ばせ」と性善坊は、師の法衣ころもたもとをつかんで、そのまま、道傍みちばたの井戸のそばへ連れて行った。
(何をするのか)と範宴はだまって彼のするとおりにさせていた。性善坊は、井戸のつるを上げると、師の法衣ころもの袂をつまんで、ざぶざぶと洗って、
「さ……これでよろしゅうございます。不浄な浮かれの手に、お袖をけがしたままではいけませんから」と水を絞って、それから自分の手も洗って、やっと、気がすんだような顔をした。
 それからはもう遊女の手につかまらないように注意して二人は歩いたが、脂粉しふんのにおいは、袂を水で洗っても消えないような気がするのだった。
 のみならず六条の館は、どう探しても見つからなかった。


 あきらめて、二人はまた、もとの五条口の方へ引っ返した。そして五条大橋を、こんどは東の方へと渡って行く姿に、もう黄昏たそがれの霧が白く流れていた。
 粟田口あわたぐち青蓮院しょうれんいんについたころは、すでにとっぷりと暮れたよいの闇だった。ここばかりは、兵燹へいせんわざわいもうけず、世俗の変遷にも塗られず、昔ながらに、せきとしていたので二人は、
(やはり法門こそ自分たちの安住の地だ)という心地がした。
 かたく閉じられてある門の外に立って、性善坊は、
「おたのみ申す」と、ほとほと叩いた。
 範宴は、うしろに立って、びた山門の屋根だの、ろうさまだの、そこから枝をのばしている松の木ぶりだのを眺めて、
「十年……」なつかしげに眼を閉じて、十年前の、自分の幼い姿をまぶたに描いていた。ぎいと、小門が開いて、
「どなたじゃの」番僧の声がした。
「無動寺の範宴にござりますが、このたび、奈良の法隆寺へ遊学のため、下山いたしましたので、僧正の君に、よそながらお目にかかって参りとう存じて、夜中やちゅうですが、立ち寄りました。お取次ぎをねがわしゅう存じまする」
「お待ちください」しばらくすると、番僧がふたたび顔をだして、
「どうぞ」と、先に立って案内した。
 慈円じえん僧正は、その後、座主ざすの任を辞して、叡山えいざんからまたもとの青蓮院へもどって、いたって心やすい私生活のうちに、茶だの和歌だのに毎日を楽しんでくらしているのだった。
 清楚な小屋に、二人を迎えて、慈円は、心からよろこんだ。
「大きゅうなったのう」まず、そういうのだった。得度とくどをうけた時の小さい稚子僧ちごそうの時のすがたと、十九歳の今の範宴とを思い比べれば、まったく、そういう声が出るのだった。
 しかし、四、五年見ない慈円のすがたは、まだ初老というほどでもないが、かなりけていた。
「僧正にも、お変りなく」範宴がいうと、
「されば、花鳥風月と仏の道におく身には、年齢としはないからの」と若々しく慈円は微笑した。そして、
「このたびは、法隆寺へ修学のよしじゃが、あまりつとめて、からだを、そこねるなよ」
覚運僧都かくうんそうずについて、疑義を、御垂示うけたいと存じて参りました。からだは、このとおり健固にございますゆえ、どうぞ、御安心くださいまし」後ろの小縁にひかえていた性善坊が、そのとき、畏る畏るたずねた。
「ついては、この折に、御養父の範綱様や、また御舎弟ごしゃてい朝麿あさまろ様にも、十年ぶりでお会いなされてはと、私からおすすめ申しあげて、実は、これへ参る先に、六条のお館をさがしました所が、まるで町の様子は変って、お行き先も知れません。で、――青蓮院でおうかがいいたせば分るであろうと、戻って参ったわけでございますが、範綱様にはその後、どこにお住まいでございましょうか」
「その儀なれば、心配はせぬがよい。かねて、約束したとおり、変りがあれば当所から知らせるし、知らせがないうちは、お変りのないものと思うていよ――とわしが申したとおりに」


 無事さえ知ればよいようなものの、やはり範宴はんえんは一目でも会いたいと思った。
 僧正は、その顔いろを見て、明日あすの朝でも寺の者に案内させるから久しぶりに訪れて行ったがよかろうといった。
「まあ、今宵は、旅装を解いて、ゆるりと休んだがよい」
「ありがとう存じます」範宴は、退がって、風呂所ふろしょで湯浴みを終えた後、性善坊と共に、晩の膳を馳走されていた。するとそこへ、執事が来て、
「ただ今、僧正のお居間へ、おひきあわせ申したい客人まろうどがお見えになりましたから、お食事がおすみ遊ばしたら、もいちど、お越しくださるようにとの仰せでござる」と告げた。
(誰であろう? ……自分に紹介ひきあわせたい客とは)範宴は、ともかく、行って見た。
 見ると、くつろいだきぬを着て、大口袴おおくちを豊かにひらいた貴人が、短檠たんけいをそばにして、正面に坐っている。
 僧正よりは幾歳いくつか年上であろう。四十四、五と見れば大差はあるまい。鼻すじのとおった下に薄い美髯びぜんたくわえている。その髯を上品に見せているのは、つつましくて、柔和な唇のせいである。
「…………」範宴を見ると、貴人は、前から知っているように、にこと眼で微笑ほほえんだ。慈円僧正はそばから、
「兄上、これが、範宴少納言でございます」と秘蔵のものでも誇るように紹介した。
「うむ……」貴人は、うなずいて、
「なるほど、よい若者じゃの」間のわるいほど、じっと、見ているのであった。僧正はまた、範宴に向って、
月輪関白つきのわかんぱく様じゃ」と教えた。
「お……月輪様ですか」範宴は驚いた。そして礼儀を正しかけると、関白兼実かねざねは、
「いやそのまま」といって、いたって、気軽を好まれるらしく、叡山えいざんの近状だの、世間ばなしをし向けてくるのであった。
 月輪兼実が、師の僧正の血を分けた兄君であることは、かねがね承知していたが、関白の現職にある貴族なので、こんな所で、膝近くこうして言葉を交わすことなぞは思いがけないことなのである。
華厳けごんを研究して、叡山の若僧じゃくそうのうちでは、並ぶ者がないよしを噂に聞いたが」
「お恥かしいことです。まだ、何らの眼もあかぬ学生がくしょうにござりまする」
「弟も、おもとのうわさをするごとに、精進のていを、わがことのように、よろこんでおる」
「高恩を、無にせぬように、励むつもりでございます」
「いちど、月輪のやかたの方へも、遊びに出向いてもれ」
「ありがとう存じます」
「若くて、求法ぐほうに執心な者も多勢おおぜいいるから、いちど、範宴御房の華厳経けごんきょうの講義でもしてもらいたいものじゃ。――この身も、聴いておきたいし」と兼実はいった。
 それから僧正が、自慢の舶載の緑茶を煮たり、一、二首の和歌を作って、懐紙にしたため合ったりして、間もなく、兼実は、舎人とねりをつれて、待たせてある牛車くるまに乗って帰った。


 修行の山を下りて十年目の第一夜だった。久しぶりで範宴は人間の中で眠ったような温か味をいだいて眠った。
 眼をさまして、朝の勤めをすますと、きれいにかれた青蓮院の境内には、針葉樹の木洩こもして、初秋の朝雲が、粟田山あわたやまの肩に、白い小猫のようにたわむれていた。
「性善坊、参ろうぞ」範宴は、いつの間にか、もう脚絆きゃはんや笠の旅仕度をしていて、草鞋わらじ穿きにかかるのであった。
「や、もうお立ちですか」とかえって、性善坊のほうが、あわてるほどであった。
「僧正には、勤行ごんぎょうの後で、お別れをすましたから」と範宴は、何か思いるように足を早めて山門を出た。
 性善坊は、おいになって、後から追いついた。
 すると、執事の高松衛門えもんが、山門の外に待っていて、
「範宴殿、ご出立ですか」
「おせわになりました」
「僧正のおいいつけで、今日は、六条範綱のりつな様のお住居すまいへ、ご案内申すつもりで、お待ちうけいたしていたのですが――」
「ありがとう存じます」
「まさか、このまま、お発足のおつもりではございますまいが」
「いや」と、範宴はゆうべからもだえていた眉を苦しげに見せていった。
「……養父ちちの顔も見たし、弟にも会いたしと、昨日は、愚かな思慕に迷って、一途いちず養父ちちの住居を探しあるきましたが、昨夜ゆうべ、眠ってから静かに反省かえりみて恥かしい気がいたして参りました。そんなことでは、まだほんとの出家とはいわれません。僧正もお心のうちで、いたらぬ奴と、おさげすみであったろうと存じます。いわんや、初歩の修行をやっと踏んで、これから第二歩の遊学に出ようとする途中で、もうそんな心のゆるみを起したというのは、われながら口惜くちおしい不束ふつつかでした。折角のご好意、ありがとうぞんじますが、養父ちちにも弟にも、会わないで立つと心に決めましたから、どうぞ、お引きとり下さいまし」
「さすがは、範宴御房、よう仰せられた。――それでは、その辺りまで、お見送りなと仕ろう」
 衛門は、先に立って、青蓮院しょうれんいんの長い土塀にそって歩きだした。そして、裏門の方へと二十歩ほど、杉木立の中を行くと、ささやかな篠垣しのがきに囲まれた草庵があって、朝顔の花が、そこらに、二、三輪濃く咲いていた。
「きれいではございませぬか」衛門は、垣の内の朝顔へ、範宴の注意を呼んでおいて、そこから黙って、帰ってしまった。
 性善坊は、何気なく、垣のうちをのぞいて、愕然がくぜんとしながら、範宴のたもとをひいた。
「お師さま。……ここでござりますぞ」
「なにが」
「ごろうじませ」
「おお」
 性善坊に袖をひかれて、草庵のうちを覗いた範宴の眼は、涙がいっぱいであった。
 姿は、ひどく変っているが、日あたりのよい草堂の縁に小机を向けて、何やらうつし物の筆をとっている老法師こそ、まぎれもない、養父ちちの範綱なのであった。


「いつ、ご法体ほったいになられたのか」範宴は、涙で、養父のすがたが見えなくなるのだった。
「……面影もない」と昔の姿とひき比べて、十年の養父の労苦を思いやった。
 性善坊は、たまりかねたように、そこの門を押して、入ろうとした。
「これ、訪れてはならぬ」範宴は叱った。そして、心づよく、垣のそばを離れて、歩きだした。
「お会いなされませ、お師様、そのお姿を一目でも、見せておあげなされませ」
「…………」範宴は、首を横に振りながら、後も見ずに足を早めた。
 すると、鍛冶かじいけのそばに二人の若い男女が、親しげに、顔を寄せ合っていたが、範宴の跫音あしおとに驚いて、
「あら」と、女が先に離れた。
 この辺の、刀鍛冶かじの娘でもあろうか、野趣があって、そして美しい小娘だった。
 男も、まだ十七、八歳の小冠者こかんじゃだった。秘密のさざめごとを、人に聞かれたかと、恥じるように、顔をあからめて振りかえった。
「おや……? ……」範宴は、そのおもざしを見て、立ちすくんだ。
 若者も、びくっと、眼をすえた。
 幼い時のうろ覚えだし、十年も見ないので、明確に、誰ということも思いだせないのであったが、骨肉の血液が互いに心で呼び合った。
 ややしばらく、じっと見ているうちに、どっちからともなく、
朝麿あさまろではないか」
「兄上か」寄ったかと思うと、ふたつの影が、一つもののように、抱きあって、朝麿は範宴の胸に、顔を押しあてて泣いていた。
「――会いとうございました。毎日、兄君の植髪うえがみ御像みぞうをながめてばかりおりました」
「大きゅうなられたのう」
「兄上も」
「このとおり、すこやかじゃ。――して、お養父ちち君も、その後は、お達者か」
「まだ、お会い遊ばさないのでございますか」
「たった今、垣の外から、お姿は拝んできたが」
「では、案内いたしましょう。養父も、びっくりするでしょう」
「いや、こんどは、お目にかかるまい」
「なぜですか」
「自然に、お目にかかる折もあろう。ご孝養をたのむぞ」すげなく、行きすぎると、
「兄上――。どうして、養父上ちちうえに、会わないのですか」朝麿は、恨むように、兄の手へすがった。女は、池のふちから、じっとそれを見ていた。処女心むすめごころは、自分への男の愛を、ふいに、他人へられたような憂いをもって、見ているのだった。
「…………」性善坊は、すこし、わきへ避けて、兄弟の姿から眼をそむけながら、ぽろぽろと、頬をながれるものを、忙しげに、手の甲でこすっていたが、そのうちに、範宴は、何を思ったか、不意に、弟の手を払って、あとも見ずに、走ってしまった。

川霧かわぎり




 ちらと、彼方あなたに灯が見えた。町の灯である。
 生紙きがみへ墨を落したように町も灯も山もにじんでいた。
「宇治だの」範宴はんえんは立ちどまった。足の下を迅い水音が聞える。やっと、黄昏たそがれに迫って、この宇治川の大橋へかかったのであった。
「さようでございまする。――もういくらもございますまい」云い合わしたように、性善坊しょうぜんぼうも、橋の中ほどまで来ると、らんに身をせかけて、一憩ひとやすみした。
 ひろい薄暮の視野を、淙々そうそうと、秋の水の清冽せいれつが駈けてゆく。範宴は冷ややかな川の気に顔を吹かれながら、
「――治承じしょう四年」とつぶやいた。
「わしはまだ幼かった。おもとはよく覚えておろう」
「宇治の戦でございますか」
「されば、源三位げんざんみ頼政殿の討死せられたのは、この辺りではないか」
「確か。……月は、五月のころでした」
「わしには、母の君が亡逝みまかられた年であった。……母は源家げんけの娘であったゆえ、草ふかく、住む良人おっとには、貞節な妻であり、子には、おやさしい母性でおわした以外、何ものでもなかったが、とかく、源氏の衆と、何か、謀叛気むほんぎでもあったかのように、一族どもは、平家から睨まれていたらしい。さだめし、子らの知らぬご苦労もなされたであろう」
「いろいろな取り沙汰が、そのころは、ご両親様を取り巻いたものでございました」
「さあれ、十年と経てば、この水のように、淙々そうそうと、すべては泡沫うたかたの跡形もない。――平家の、源氏のと、憎しみおうた人々の戦の跡には何もない」
「ただ、秋草が、河原に咲いています。――三位殿は、老花おいばなを咲かせました」範宴は、法衣ころもたもとから数珠じゅずを取りだして、指にかけた。
 高倉の宮の御謀議おんくわだてむなしく、うかばれない武士もののふたちの亡魂が、秋のかぜの暗い空を、啾々しゅうしゅうと駈けているかと、性善坊は背を寒くした。
 母の吉光きっこうの前と源三位頼政とは、おなじ族の出であるし、そのほか、この河原には、幾多の同血が、しかばねとなっているのである。範宴は、復従兄弟またいとこにあたる義経の若くして死んだ姿をも一緒に思いうかべた。そして、そういう薄命にもてあそばれてはならないと、わが子の未来をおもんぱかって、自分を、僧院に入れた母や養父や、周囲の人々の気もちが、ここに立って、ひしとありがたく思いあわされてくるのでもあった。
 その霜除けの囲いがなければ、自分とても、果たして、今日この成長があったかどうか疑わしい。自分の生命は、決して、自分の生命でない気がする。母のものであり同族のものであり、そして、何らかの使命をおびて、自身の肉体に課されているこの歳月ではあるまいか――などとも思われてくるのであった。
「…………」数珠じゅずが鳴った。性善坊も、瞑目めいもくしていた。
 すると、その二人のうしろを、さびしい跫音あしおとをしのばせて、通りぬけてゆく若い女があった。


 ふと、振りかえって、女のうしろ姿を見送りながら、
「もし……」性善坊は、範宴のたもとを、そっと引いた。
「――あの女房、泣いているではありませんか」
「町の者であろう」
「欄干へ寄って、考えこんでいます。おかしな女子おなごだ」
「見るな、人に、泣き顔を見られるのはいものじゃ」
「参りましょう」二人は、そういって、歩みかけたが、やはり気にかかっていた。五、六歩ほど運んでから再び後ろを振り向いたが、その僅かなあいだに、女のすがたはもう見えなかった。
「や、や?」性善坊は、突然、おいを下ろして、女のいたあたりへ駈けて行った。そして、欄干から、のめり込むように川底をのぞき下ろして、「お師様っ、身投げですっ」と手を振った。範宴は、驚いた。そして自分の迂濶うかつを悔いながら、
「どこへ」と側へ走った。性善坊は、暗い川面かわもを指さして、
「あれ――、あそこに」といった。
 水は異様な渦を描いていた。女の帯であろう。黒い波紋のなかに、浮いては、沈んで見える。
「あっ、あぶないっ……」性善坊が驚いたのは、それよりも、側にいた範宴が、橋のらんに足をかけて、一丈の余もあるそこから、跳び込もうとしているからであった。抱きとめて、
「滅相もないっ」と、叫んだ。
「――私が救います、お大事なお体に、もしものことがあったら」と、彼は手ばやく、法衣ほうえを解きかけた。すると、河原の方で、
「おウい……」と、男の声がした。
 二、三人の影が呼び合って、駈けつけてきたのである。川狩をしていた漁夫りょうしであろうか、一人はもうざぶざぶと水音を立てている。川瀬は早いが、幸いに浅いふちに近かったので苦もなく救われたのであろう、間もなく、のようになった女の体をかかえて岸へ上がってきた。
「ありがとう」範宴は、礼をいいながら、男たちの側へ寄って行った。
 女は、まだ気を失っていないとみえて、おいおいと泣きぬいていた。両手を顔にあてながら身を揺すぶって泣くのである。
「どう召された」性善坊が、やさしく、女の肩に手をやってさしのぞくと、女は不意に、
「知らないっ、知らないっ」その手を振り払って、まっしぐらに、宇治の橋を、町の方へ、駈けだして行くのであった。
「あっ、また飛びこむぞ」男たちは、そういったが、もう追おうともしないで、舌打ちをして見送っていた。


 捨てておけない気がした。範宴は駈けだしつつ、
「ああはやい足だ、性善坊、おもと一人で、先に走ってあの女を抱きとめい」
「かしこまりました」性善坊は、ちゅうをとんで、もう宇治の大橋を彼方かなたへ越えてしまった女の影を追って行った。
 案のじょう、女は橋をこえると、町の方へは向わないで、河原にそって上流の方へ盲目的に取り乱したまま駈けてゆく。
「これっ、どこへ参る」性善坊がうしろから抱きすくめると、女は、かんばしった声で、
「どこへ行こうと、大きなお世話ですよ、離してください」
「離せません。おまえは死のうとする気じゃろう」
「死んでわるいんですか」青白い顔を向けて、女は、食ってかかってくる。そのまなざしを見て、
(これは)と性善坊は思わずおもてそむけてしまった。
 つりあがった女の眼は、光の窓みたいにとがっていた。髪は肩へ散らかっているし、水びたしになった着物だの、肌だのを持って、寒いとも感じないほど、逆上してしまっている。
「なぜ悪いのさ」女は僧侶そうりょのすがたを見て、ことさらに反感を抱いたらしく、かえって、詰問してくるのだった。
「わるいにきまっています。人間にはおのずから、定められた寿命がある。一時の感情で、生命いのちをすてるなどは、愚か者のすることです」
「どうせ私は、愚か者です。愚か者なればこそ」しゅくっと、嗚咽おえつして、
「男に……男に……」他愛なくわめいて、また、
「死なして下さい」
「そんなことはできない」
面当つらあてに、死んでやるんです」と、おそろしい力でもがいた。
 性善坊が持ち前で、そのかぼそい手頸てくびじ上げて、範宴の来るのを待っていると、女は性善坊が憎い敵ででもあるように、指へ噛みつこうとさえするのだった。
「落着きなさい。……痴情ちじょうわざのするところだ、めた後では、己れの心が、己れでもわからないほど、ないものになってくる」
「お説教ならお寺でおしなさい。私は、坊さんは嫌いです」
「そうですか」苦笑するほかはない。範宴が、追いついてきた。
「どうした、性善坊」
おさえました」
「ひどいことはせぬがよい」
「なに、自分で狂い廻って、泣きさけぶのです」
「お女房――」範宴は背をなでてやって、
「行きましょう」
「どこへさ」
「あなたのお宅まで、送ってあげます。風邪かぜをひいてはなりません、着物も濡れているし……」
「死ぬ人間に、よけいなおせっかいです。かまわないで下さい」女人は救い難いものとはかねがね聞かされているところであったが、こういうものかと、範宴は、しみじみと見つめていた。


 あさましいこの女の狂態を見るにつけて、範宴は、一昨日おととい鍛冶かじいけほとりで逢った弟のことを思い出した。
 弟は、あの時、池のふちで年ごろの若い娘とならんでいた。
 まさか、人目にとやこういわれるほどのことではあるまいが、弟は、自分とちがって、蒲柳ほりゅうだし、優しいし、それに、意志がよわい。
 範宴が、今度、叡山えいざんを下りてから、何よりもふかく多く心に映ったものは、「女」だった。女のいない山から下りてみると、世間は女の国に見える。女だらけに見える。わずらわしいことにも思い、何か急に明るい気もちもして、自分の年頃に、おぼろな不安と温かさをかもしていた。
「お師さま、弱りました」さっきから、女をなだめすかしていた性善坊は、持てあましたようにいった。
「どうしても、家へ帰らないというのです」範宴が今度は、
「宇治かの、おもとの家は」と訊いた。
「いやです。帰るくらいなら、一人で帰る」
「そういわないで、私たちも、宇治の町へ行く者です。送ってあげよう」
「くどい坊さんだね」
「私たちの使命ですから、気に食わないでも、ゆるして下さい。私は、おもとを幸福にしてあげたいのだ」
「笑わすよ、この人は。人間を幸福にしてやるなんて、そんな器用なまねが、人間にできるものか」
「私の力ではできません。仏の御力みちからで――」
「その仏が、私は大嫌いだよ。――死にたいというのに、邪魔をするし、嫌いだというものを押しつけるし、お前たちは、人を不幸にするのが上手だよ」
「とにかく、歩きましょう」
いや――」
「おもとの望みのようにして上げたらよかろう」
「わたしの望みは、わたしの男を自分のものにすることだ」
「やさしい願いではありませんか」
「とんでもないことおいいでない、男には、ほかに、女ができているんだよ」
「その男とは、おもとの良人おっとでしょう」
「まだ、ちゃんと、何はしないけれど……」
「ようございます。私どもが真ごころを尽して、男のかたに申しましょう。わるいようにはしない……さ、歩いてください」やっと、宇治の町まで連れてきて、女の家をたずねると、
「そこ――」と、裏町のきたない板長屋の一軒を指さした。
 御烏帽子作国助おんえぼしづくりくにすけと古板に打ちつけてある。範宴が、板戸をたたいて、
「こん晩は」訪れると、そのすきに、女は性善坊の手を振り※(「てへん+宛」、第3水準1-84-80)いで、逃げようとした。


「はい、どなた?」若い男の返辞だった。すぐ家の中から板戸を開けて、そこに立っていた者が、二人の僧であったのに意外な顔をしたが、さらに、性善坊の手から逃げようともがいている女の姿を見ると、
「この阿女あま」と、裸足はだしで飛び出してきて、女の黒髪をつかんだ。
「どこへ行っていやがったのだ。――おや、ずぶ濡れになって、また、馬鹿なまねをしやがったな」あまり無造作に家の中へ引き摺り上げてしまったので、範宴は、
「もしっ、そんな乱暴はせずに下さい」共に、家のうちへ入ったが、もうその時は、女のほうが、俄然、血相を烈しくして、
「何をするんだッ、そんなに、私が憎いかっ。殺せ」
「気ちがいめ」
「さ、殺せ」いいつつ、男の胸ぐらへつかみかかって、
「そのかわりに、私一人じゃ死なないぞ。この浮気男め、薄情者め。口惜しいっ」
 範宴も、これには手を下しかねた顔つきで、眺めていた。しかし、っとけばりもないので、
「止めてやれ」と、性善坊にいうと、
「こらっ」彼は、まず男のほうをへだて、
「やめぬか、まさか、かたき同士でもあるまい」
「仇より憎い」と女はさけんだ。
 それからは油紙に火がついたように、男のざんそを人前もなく喋舌しゃべり立てて、男が自分を虐待ぎゃくたいして、ほかで馴染んだ売女ばいじょをひき入れようとしていることだの、この家が貧乏なために、自分が持ち物を売りつくしてみついだのと、あらゆる醜悪な感情をおよそ舌のつづく限り早口でいった。
 さすがに、間がわるくなったと見えて、烏帽子師えぼししの男は、青白い顔して、うつ向いていた。
 そして今になってから、気がついたように、範宴へ、
「どうも相すみません」と、いった。
「あなたの内儀ないぎですか」と性善坊が口を入れた。
「いいえ、でき合って、ずるずるに暮している萱乃かやのという女です。けれど、萱乃のいうような、そんな、私は悪い男じゃないつもりです」
「仲を直してはどうじゃ」
「私は、可愛いくって、しかたがないくらいなんだが、ご覧のとおりな……」女は、から針を放って、
「嘘をおつきッ」


 女がさらに血相を持ち直して、かんだかくたけりかけると、その時、かどの戸を開けて、
「娘、われはまた、ここへ来ていくさるのか」誰やら、老人らしい声がした。
 その声を聞くと、萱乃かやのは、びくりとして、
「あっ、お父さん」水を浴びたように、今までの狂態をまし、にわかに、穴へでも入りたいように、居竦いすくんでしまう。
 烏帽子師の国助も、面目なげにうろうろとしていた。するともう案内もなく上がって来た萱乃の父なる人は、いかつい顔をこわばらしてそこに突っ立ちながら、若い男女を見下ろして、さも忌々いまいましげに、
「恥さらしめっ」と、つばでも吐きかけたいようにめつけた。
 宇治の郷士ごうしでもあろうか、粗末な野太刀をいた老人だった。
「さ、家へこい、家へ帰れ。こんな怠け者の職人と、痴話狂ちわぐるいをさせようとて、親は、子を育てはせぬぞ。不届き者め」
 萱乃かやのえりがみをつかんで、叱りながら、引っ立てると、
「嫌です、嫌です」娘は、むしろへしがみ伏して、
「――家へは帰りません」と必死でいった。
「なぜ帰らない」
「でも私は、国助さんと、どんな苦労でもしたいのです」
「親の許さぬ男に?」
「かんにんして下さい」
「ならぬっ」と老人は一喝いっかつして、
「こんな男に、見込みはない。親のゆるさぬ男の家へ入りこんで、仲よくでも暮していることか、町の衆が、笑っている。嫌ならよし、親の威光でも、しょッ引いて行かねばならぬ」
 憤怒ふんぬして、老人は、娘の体を二、三尺ずるずるとかどの方へ引きずり出した。
 しわの深いくちのまわりに、ばらっと、針のような無精髯ぶしょうひげの伸びているその老人の顔と、物言い振りを、それまでじっと傍観していた性善坊は、その時始めて口をひらいて、
「待て。――おぬしは、六条のおやかたに奉公していた箭四郎やしろうじゃないか」といった。
「げっ?」老人はいた口をしばらくそのまま、
「…………」小皺こじわの中の眼をこらして、いつまでもいつまでも性善坊の顔を見つめ、一転して、その側にきちんと坐っている範宴の姿を見て、
「や、や、や……」萱乃の襟がみから手を離して、そこへ、べたっと坐ってしまった。
「お――。……おぬしは元の侍従介じじゅうのすけ?」
すけじゃよ」
「では、これにおすのは……」
「わからぬか、あまりご成長あそばしたので、見違うたも無理じゃない。日野の和子わこさま……十八公麿様まつまろさまじゃ」
「あっ、何としよう」
 箭四老人は、両手をつき、ひたいむしろにつけたまましばらくはおもてを上げようとしない。


 彼のびんの白さに、
「おもとも、変ったのう」しみじみと、範宴も見入っていた。
 箭四老人の語るところによると過ぎつる年のころ、木曾殿乱入の時にあたって、平家は捨てて行く都に火を放ち、また日ごろ、憎く思う者や、少しでも源家に由縁ゆかりのある者といえば、見あたり次第に斬って、西国へと落ちて行った。
 その折、六条のやかたも、あの附近も、一様に焼き払われて、範綱のりつなは身辺すら危ない身を、朝麿あさまろの手をひいて、からくも、青蓮院しょうれんいんのうちに隠れ、箭四郎も供をして、しばらく世の成りゆきを見ていたが、つらつら感じることのあったとみえて範綱は、ふたたび世間へ帰ろうとはせず、髪を下ろして、院の裏にあたるわずかな藪地やぶちひらいて草庵をむすび、名も、観真かんしんとあらためていた。
 で、箭四郎にもいとまが出たので、宇治の縁家に一人の娘が預けてあるのを頼りに、故郷へ戻って、共に、生活なりわいを励もうと一家をもったのであるが、久しく離れていたまことの父よりは、年ごろの娘には思い合うた若者の方が遥かによいとみえて、家に落着いていることなどはほとんどなく、姿が見えないと思えば、烏帽子師えぼししの国助の家に入りびたっている始末なのでほとほと持て余しているところなので――と彼は長物語りの末に、
「どうしたものでございましょう」と面目ないが、包み隠しもならず、恥をしのんで、打ち明けるのであった。
「なるほど」それで仔細は分ったが、そう聞けば、萱乃かやのの恋もいじらしいものである。それを、男の国助は、ほかにも女があって、かくばかり萱乃を苦しませているのはよろしくない。遊女とかいう国助の一方の情婦おんなをこそ、この際、どれほど、深い仲なのか、正直に聞かしてもらおうではないか。それが、解決の一策というものだと、まず性善坊が、なれない話ながら、相談あいてになってみると、国助のいうには、
「てまえが、遊女屋がよいをいたしたのは、まったくでございますが、決して、浮いた沙汰ではなく、何を隠しましょう、東国を流浪しているうちに、木賊四郎とくさのしろうという野盗に誘拐かどわかされて、この宇治の色町へ売られた妹なのでございまする。――けれど、妹が売女ばいじょだなどという沙汰が、人に知られては外聞もわるし、この萱乃にも、つい初手に打ち明けかねて、近ごろになって、そう申しても、もう信じてもくれないのでございます。けれどてまえは、決して、萱乃が憎いのではございません。どうかして、妹の身代金みのしろきんだけを、兄妹きょうだいして稼いで抜こうとお互いになぐさめていますので、少しでも生活くらしあまりができれば妹にわたし、妹も幾らでも客にもらえば私に見せて、共々に、月に二度か三度の会う日を、楽しんでいたのでございます。決して、萱乃がいうような浮いた話ではありません」吶々とつとつということばには真実があって、むしろ、妹思いな兄と、兄思いな妹とが、髣髴ほうふつとして、眼を閉じて聞いている人々のまぶたに迫ってくるほどなのである。
「すみませんッ……」突然、泣き伏したのは萱乃であった。身悶みもだえをしてむせびつづけた。


 悔いと慚愧ざんきに、うちたたかれて萱乃は、
「――何もかも、私の嫉妬しっとからでした。……すみません、国助さんにも、お父さんにも」くりかえすばかりだった。
 嫉妬は、女を炎にするが、その迷いから出ると、女は、不愍ふびんなほど、真実な姿にかえって、浄化される。性善坊は、箭四郎に、
「おぬしは、娘御のこれほど慕っている国助が、気に喰わぬのか」とたずねた。
「いや、気に喰わんというわけじゃないが、世間でとかくよういわぬから、娘の行く末を託するに足らぬ男と思うていたまでじゃ」
「その誤解も、今は、解けたであろうが」
「うむ……」
「解けたついでに、心まで打ちけてみる気はないか。――親がゆるして、添わせてやるのじゃ」
「わしにも、落度があった。国助の心ばえも、今夜はよう分ったゆえ、男女ふたりの望みにまかせましょう。――そして萱乃」
「はい……」
「良人の力になって、共稼ぎに働いて、一日もはやく、遊女の群れに落ちている国助の妹とやらを救うてあげるのだ」
「きっと、働きます」初めて、なごやかなものが、家のうちにちた。範宴も、うれしく思った。夜も更けたほどに、人々は、空腹であった。たきぎを加えて、萱乃は、かゆなどを煮はじめる。
 話がつきないまま、人々は、明け方のわずかを、炉のそばに、まどろんだきりであった。
 夜が明けると、
「では――機嫌よう、暮せよ」二人は旅の笠を持つ。
 きのうとは、生れ代ったような萱乃と国助は、明るい顔して、途中まで見送ってきた。箭四郎やしろうも、いてきた。
「もう、この辺で結構です。職人は、時間が金、きょうからは、約束したように、共稼ぎで働いてください」範宴は、そういって、宇治川の河原にたたずんだ。名残惜しげに、
「では、渡船場わたしばまで」と話しつつ、歩いてゆく。
「あれをごらんなさい」別れ際に、範宴は、悠久とながれている大河の姿を指さして、若い男女ふたりへいった。
「――天地の創造された始めから、水は、天地の終るまで、無窮のすがたをもって流れています。われわれ人間とてもその通り、人類生じて以来何万年、またこの後人類の終るまで何億万年かわからぬ。その、無窮にして無限の時の流れから見ると、人の一生などは、電光いなずまのような瞬間です。その瞬間に、こうして、同じ時代に生れ合ったというだけでも、実にしきえにしと申さねばならぬ。いわんや、同じ国土に生れ、同じ日のもとに、知るとなり、友となり、親となり、子となり、また、夫婦となるということは、よくよくふかい宿命です。……だのに、そのまたと、去っては会い難い機縁の者同士が、憎みあい、のろいあい、ののしりあうなどということは、あまりにも、口惜しいことではないか。――見るがよい、こう話している間も、水は無窮に流れて、流れた水は、ふたたびこの宇治の山河に、会いはしない……」


「わかりました」若い夫婦ふたりは、しみじみと、範宴のことばを心にみ入れてうなずいた。
 渡船わたしが出る。範宴は、性善坊と一緒に、ふなべりへ立った。
 狭霧さぎりれてきた。箭四やし老人は、幾たびも、
和子わこ様――おからだをお大切に――ご修行を遊ばしませ」彼にはまだ、範宴が、昔の十八公麿まつまろのようにおさなく見えてならなかった。今も、和子様と、呼ぶのであった。
じいも、無事に」と、範宴が答えると、
「おさらばでございます」萱乃かやのと国助が、うるんだ眼をして、じっと見送る。
 早瀬へ、渡船わたしはかかっていた。下流しもへ下流へと、船脚はながされてゆく。箭四郎のすがたが、次第に小さくなった。若い男女ふたりのすがたに、朝のが、かがやいていた。
(あの夫婦に、永く、幸福のあるように)と範宴は、仏陀ぶっだに祈った。
 河原には、小禽ことりが、いっぱいに啼いている。何ともいえない、清々すがすがしさが、皮膚から沁み入るように覚えた。
 だが、範宴は、山を下りてから事ごとに何か考えさせられた。それは、
(学問のための学問ではだめだ)ということだった。
 自分が、きょうまで、霧の中に、刻苦してきたことは、要するに、それである。人間を対象としない、古典との燃焼であった。いくら、研学に身を燃焼しても、それがただ、古典に通ずるだけのものであったら、意味はとぼしい。
 生きた学問とはいえない。衆生しゅじょうに向って、心の燈火ともしびとなる学問ではない。自分の胸に、明りをけて、自分のみ明るしとする狭いものでしかない。
 人間を知ろう。社会を知ろう。――それこそ生々しい大蔵だいぞうの教典だ。それによってこそ、初めて、真の仏教がものをいう。
 河内路かわちじの白い土を踏みながら、範宴は、そんなことを考えたりした。
(しかし? ……)とまた、まどいもするのだった。
(そういう考えは、まだ、生意気かもしれない。人生だの、社会だのというのは、そんな簡単なものではない。それに……まだ古典のほうだって、自分はまだ、ほんの九牛の一毛を、学んだばかりの黄口こうこうの青年ではないか。まず、しばらくは、無想と、無明むみょうの中に入って、専念、学ぶことが必要だ。――ただ専念に)と、行く手の法隆寺に、その希望をつなぎ、おのずから足に力が入るのを覚えつつ大和やまとへ急いだ。

柿色かきいろ集団しゅうだん




「はてな?」性善坊は、雑鬧ざっとうする駅路うまやじの辻に立って、うろうろと、見まわしていた。
 木津川を渡って直ぐの木津の宿しゅくであった。
 源氏の府庁からかれた大きな高札が立っている。
 その官文かんぶんの前にも、範宴はんえんは見えなかった。
 汚い木賃宿きちんだの、馬飼の馬小屋だの、その前に立ってののしっている侍だの、川魚を桶にならべて売る女だの、雑多な旅人の群れだのが、秋のはえと一緒になって騒いでいる。
「この、阿呆あほうっ、高い所にのぼりたけれや、からすになれっ」と、柿売りの男が、屋根の上にあがって遊んでいる子どもを、引きずり下ろして、往来の真ン中で、尻を、どやしつけていると、その子の女親が、裸足はだしで駈けてきて、
「人の子を、何で、ちくさるのじゃ」と柿売りの男を、横から突く。
「てめえの家の餓鬼がきか。この悪戯わるさのために、雨漏あまもりがして、どうもならぬゆえ、らしめてくれたのが、何とした」
「雨が漏るのは、古家のせいじゃ、自分の子を、て」
「打ったが、悪いか」と、またなぐる。子どもは泣きわめく。
「女と思うて、馬鹿にしくさるか」と、子どもの母親は、柿売りに、むしゃぶりついた。
 親同士の喧嘩になって、見物は蠅のようにたかってくるし、駅路うまやじの馬はいななくし、犬は吠えたてる。性善坊は、探しあぐねて、
「お師様あ」と呼んでみたが、そこらの家の中に、休んでいる様子もない。
 木津の渡船わたしで、すこし、うるさいことがあったので、宿しゅくの辻で待ちあわしているようにと、自分は、一足後から駈けつけてきたのであったが――。
 ここに見えないとすると、もう奈良も近いので、あるいは、先へ気ままに歩いて、奈良の口で待っているおつもりか?
「そうかも知れない」性善坊は、先の道へ、眼をあげながら、急ぎ足になった。
 その足もとが、とりに蹴つまずいた。ほこりをあげて、鶏が、けたたましく、往来を横に飛ぶ。
 宿場を出ると、やがて、相楽さがらの並木からふくろ坂にかかった。その埃の白い草むらに、
西、河内かわち生駒路、東、伊賀上野道。
 道しるべの石碑いしぶみが立っていた。
 さっきからその石碑のそばに、黙然もくねんと、おいずるをろし、腰かけている山伏がある。
「……のどかわいた」つぶやいて、辺りを見まわした。清水が欲しいらしいのであるが、水がないので、あきらめて、またむしゃむしゃとかしわの葉でくるんだいいを食べている。
 その前を、性善坊が、急ぎ足に通ったので、山伏はふと顔を上げたが、はっと突き上げられたように立ち上がって、
「おいっ、おいっ」杖をつかんで、呼びとめた。


 つい、行き過ぎると、山伏はふたたび、
「坊主、耳がないのか」性善坊は聞きとめて、
「何?」思わずむっとした顔いろをして振りかえった。
 傲岸ごうがんな態度をもって、自分へ、手をあげている山伏は、陽にけて色の黒い、二十七、八の男だった。
 雨露に汚れた柿いろの篠懸すずかけを着て、金剛杖を立て、ひたいに、例の兜巾ときんとよぶものを当てていた。
「なにか御用か」性善坊がいうと、
「おお、用があればこそ、呼んだのだ」
「急ぎの折ゆえ、宗法のことならゆるされい」
「宗旨の議論をやろうというのじゃない。まあ、戻りたまえ」はなはだ迷惑に思ったが、由来、修験者しゅげんじゃと僧侶とは、同じ仏法というものの上に立ちながら、その姿がひどく相違しているように、気風もちがうし、礼儀もちがうし、経典の解釈も、修行の法も、まるで別ものになっているので、ことごとに反目して、僧は、修験者を邪道視し、修験者は僧を、仏陀ぶっだを飯のためにする人間とみ、常に、仲がよくないのであった。
 ことに、山伏の一派は、山法師のそれよりも、兇暴なのが多かった。また、社会よのなかから姿をくらます者にとって、都合のよい集団でもあったので、腰には、戒刀かいとうとよび、また降魔ごうまのつるぎとよぶ鋭利な一刀を横たえて、何ぞというと、それに物をいわそうとするようなふうもあるのである。
(からまれては、うるさい……)性善坊は、そう考えたので、面持おももちを直して、
「では、御用のこと仰せられい」と、素直に彼の方へ、足をもどして行った。
 山伏は、いい分が通ったことに優越感をもったらしく、
「うむ」とうなずいた。
 そして、近づいた性善坊へ向って、横柄おうへいに、
「貴様、一人か」と訊いた。
「何のことじゃ、それは」
「わからぬ奴、一人旅かと、訊ねるのだ」
「連れがおる。その連れを見失うたので、急いで行くところじゃ。御用は、それだけか」
「待て待て。それだけのことで、呼びとめはせぬ。……では連れというのは、範宴はんえん少納言であろうが」
「どうして知っているのか」
「知らいでか。貴様も、うとい男だ。この朱王房の顔を忘れたか。俺は、叡山えいざん土牢つちろうから逃亡した成田兵衛なりたのひょうえの子――寿童丸じゅどうまるが成れの果て――今では修験者の播磨房弁海はりまぼうべんかい
「あっ? ――」思わず跳びさがって、
寿童じゅどうめかッ」と性善坊は見直した。
 山伏の弁海は、赤い口をあけて、げたげた笑った。
「奇遇、奇遇。……だが、ここに範宴のいないのは残念だ。範宴はどこにいるか」


 弁海と名は変っても、腕白者はやはり腕白者、寿童丸といったころの面影が、今でも、彼の姿のどこかにはある。
「おい、範宴は、どこにいる? ……」と、重ねて訊く。
 性善坊は、この男の眼に合うと何かしら、むかむかとしてならなかった。呪詛じゅその火みたいにねばりこい眼である、また、いつでも、人をいどむような眼であった。
 それに釣り込まれて、くわっと激したがる自分の血を、性善坊はおそれるのであった。
「存じませぬ」穏やかに顔を振ると、弁海は、ずかと一歩前へ迫ってきて、
「知らぬはずはあるまい。うぬではないか」
「でも、今日は、わたくし一人ですから」
「嘘をつけ。たった今、連れがあるので先を急いでゆくところだとその口でいったじゃないか。範宴は、俺の生涯のかたきだ、久しぶりで、会ってやろう。案内せい」と、強迫する。
 性善坊は、唇の隅に、哀れむような微笑をたたえた。
寿童じゅどう殿――いや弁海どの」
「なんじゃ」
「どうして、そのもとは、範宴様に、さような恨みをふくんでいるのか」
「今では、理由よりも、ただ生涯のうちに、あいつを、俺の足もとにひざまずかせてやれば、それでよい。それが、望みだ」
「ああ、お気の毒千万せんばんです。人をのろう者は、終生呪いの苦患くげんから救われぬと申します」
「貴様も、いつの間にやら、坊主くさい文句を覚えたな。まあなんでもいい範宴のいる所へ、案内しろ」
「まず、断ります」
「なんだと」
「師の御房は、そのもとのような閑人ひまじんと、争っているはありません。一念ご修行の最中です。不肖ふしょうながら、私は、身をもって、邪魔者を防ぐたてとなる者です。用があるなら、私に、仰っしゃってください」
「生意気な」と弁海べんかいは、つばを横に吐いて、
「俺に、会わせんというのか」
「そうです」
「そんなに、弁海が怖いか。……いや怖かろう、あいつは、日野の学舎まなびやにいても、叡山えいざんにいても、師に取り入るのが巧く、長上にへつらっては、出世したやつだ。俺に会うと、その偽面をがれるので嫌なのだろう、――しかし、俺は生涯に、きっと、範宴の小賢こざかしい仮面めんを剥ぎ、あいつの上に出て、あいつを、大地に両手をつかせて見せると心に誓っている」
「その意気で、おん身も、勉強なされたがよい。孤雲こうんどのは、お達者かの」
「そんなことは、問わいでもよいさ……範宴を出せ、いる所を教えろ、これ以上、口をきかせると、面倒だから、このほうでものをいわすぞ」
 じりっと、左に腰をひねると、腰の戒刀が、さやを脱して、性善坊の胸いたへ、その白い光が真っすぐに伸びてきた。


 二十歳はたちのころまでは太刀を帯びて侍奉公したこともある性善坊なので、やいばを突きつけられたからといって、にわかに顔色を失うほどの臆病者ではなかった。
「貴様は、身をもって、範宴のたてになるといったな」
「はい」
「くだらぬ強がりはよせ。それよりは、俺に、範宴を会わせろ。……嫌か、嫌ならば、抜いた刀だ、ただはさやにかえらぬが、覚悟か」
「…………」
「覚悟か、やい」ふた声目がかかると、弁海の手は、刃をさっとふりかぶって、めつけた。
 風を割って、白い光が、相手のすがたを斜めにかけて走ったと思うと、小さいほこりが上がって、性善坊のすがたは、彼方かなたの草むらへ跳んでいた。
「弁海、さほど、自分の愚鈍が口惜しいならば、心をにかけて、勉学をし直してこい。そうして、一人前の人間になれたら、師の御房に会わせてやろうし、第一、そのほうも、救われるというものだ」そこから性善坊がいうと、
「なにをっ」柿色の篠懸すずかけを躍らして、
「野郎、うごくな」と弁海は、眼をいからせて、躍りかかってきた。
「あっ――」よろめくように、性善坊は逃げだした。
「待てっ」うしろから迫る怒号を耳にしながら、彼は、坂の上まで、息もつかずに出た。そこまで登るともう広やかなる耕地の彼方かなたに、奈良の丘や、東大寺の塔の先や、紅葉もみじした旧都の秋が、遥かに望まれてきたのであったが、ふと思うことには、万一このまま奈良の町へ入って、範宴が、そこに自分を待ってでもいたらはなはだまずいものになろうという懸念であった。
 いったい、弁海と師の房とは、どういう宿縁なのか。師の房は、彼を憎んだことも、おとし入れたこともないのに、幼少から今日まで弁海が範宴を憎悪することはまるで仇敵のようである。
 日野の学舎まなびやで、自分より小さい者に、学問や素行においても、絶えずおくれていたことが、幼少の魂に沁みて、口惜しくて、忘れられないのか。
 ただすはらで、他人ひとを、野火におとし入れようとした悪戯わるさが、かえって、自分を焼く火となって手痛い目に会ったので、その遺恨が、今もって、消えないのか。
 いや、なかなかそんなことではあるまい。要するに、成田兵衛ひょうえという者の家庭は知らないが、家庭の罪に違いない。全盛の世には、思いあがらせて育て、没落する時には、ねじけ者に作ってしまったものだろう。そして、すべての逆境が、みな自分の罪とは思えず、他人ひとのせいのように考える人間が、いつとはなく、今日の弁海になってきたのではあるまいか。
(こんな、ねじけ者に、範宴様を会わせて、怪我けがでもおさせ申したらつまらぬことだ。逃げるにくはない)性善坊は、道を横にらして、眼をつぶって、どこまでも逃げた。

青春譜せいしゅんふ




 どこで行きちがったのか、範宴はんえんは性善坊とはぐれて、奈良の杉林のあたりに、ただ一人でたたずんでいた。
 そして町の方から来る人影を黄昏たそがれのころまで克明に待ちつつ見まもっていたが、性善坊らしい者は見えなかった。
 もうここまで来れば、行く先の法隆寺は近いし、先にそこへさえ行っていれば、後から彼の来ることはわかっているが、
「どうしたのか」と性善坊の身も案じられ、またせっかくの連れを捨てて、先へ行く気も出なかった。
 幾百年も経たような杉のこずえが、亭々ていていと、宵の空をおおっていた。空は月の冴えに、黄昏たそがれのころよりは澄明な浅黄いろに澄んでいて、樹蔭こかげの暗い所と、月光で昼間のような所とが、くっきりと、しままだらになっていた。
 ほう、ほう、と鹿のく声がする――。それに気づいてひとみをこらして見ると、牝鹿めじか牡鹿おじかが、月の夜を戯れつつさまよっているのだった。範宴の腰をかけた杉の根のまわりにも、一、二ひき寝そべっていて、彼が手を伸べると、人馴れた眸を向けて、体をそばへ摺り寄せてくる。
「おう」範宴は鹿の背を撫でながら膝へ抱きよせた。若い牝鹿の毛なみはつやつやとして、肌は温かだった。
「鹿は、えているらしいが。……はて、何もやる物がない」と、範宴はつぶやいて、
「飢えているといえば、わしにも何か飢えが感じられる。食ではない。眠りでも、安逸でもない。……この飢えた気持は、母の肌を恋うような血しおの淋しさだ。たまたま、山を下りて、俗界の灯を見、世間の享楽をのぞいたので、若い血が、うずきたがるのだろう」
 彼は牝鹿の体温をおそれるように、膝から退けようとした。けれど、鹿は動こうともしなかった。
 思春期の若い鹿たちは、牝鹿の声にあやつられて、追いつ追われつ夜を忘れているのだった。範宴は、立ちあがって、もいちど、猿沢さるさわいけの方へ戻ってみた。
 ここにはまた、町の男女が、月見にあるいていた。恋をささやきながら肩を並べて行く男女は、しょんぼりと、さまよっている範宴のすがたを振向いて、気の毒そうな眼を投げた。
 彼らは今が幸福にちがいない。だが、やがて生活をむしばんでくる毒をあおっているに等しい。清浄身しょうじょうしん沙門しゃもんからみれば、むしろ、あわれなのはああしたはかない夢の中に生きがいを焦心あせっている多くの男や女たちではあるまいか。
 範宴はんえんは、そう考えて、むしろあわれと見て過ぎたが、しかし、なんとはなく自身の中に、自身をさびしがらせるものがあることはいなめなかった。ただ、彼の理念と、修行とが、石のようにそれを冷たく抑えていて、うすく笑っておられるに過ぎないのである。
 ばたばたと誰か駈けてくる跫音あしおとがして、
「お師さま!」と、呼んだ。
 さがしあぐねていた性善坊しょうぜんぼうの声なのであった。


 範宴は性善坊をさがし、性善坊は範宴をさがして、半日を徒労に暮したが、それでもここで会えたことはまだ僥倖ぎょうこうのように思えて、
「どうなさったかと思いました」と性善坊は、師の無事を見て、よろこぶのだった。
「そちこそ、木津で行きちがったにしても、余りにおそかったではないか」範宴にいわれて、性善坊は返辞に窮した。途中で、山伏の弁海べんかいに会い、執念深く追いかけられて、それをくためにさんざん道を迂回うかいした事情を告げればいいことであるが、ああいう呪魔じゅまみたいな人間が師の房の影身につきまとっていることを、話したがいいか、話さないほうがいいかといえば、むろん聞いて愉快になるわけのものではなし、知らさずにおけるものなら、いわないに限ると、独りで決め込んでいたので、
「いえ、私もちと、どうかしておりました。木津の宿しゅくで、師の房に似たお方が、河内路かわちじへ曲がったと聞いたので、方角ちがいをしてしまったので」そんなふうに、あいまいにまぎらして、さて、疲れてもいるが、月明を幸いに、これから二里とはない法隆寺のこと、夜をかけて、歩いてしまおうではないかとなった。
 それから月の白い道を、露に濡れて、法隆寺の門に辿たどりついたのは、夜も更けたころで、境内の西園院さいおんいんの戸をたたき、そこに、何もかもそのままに一睡いっすいして、明る日、改めて、覚運僧都かくうんそうずに対面した。
 僧都そうずには、あらかじめ、叡山えいざんから書状を出しておいたことだし、慈円じえん僧正からも口添えがあったことなので、
「幾年でも、おるがよい」と覚運は、快く、留学をゆるしたうえで、
「しかし、わしもまだ、一介の学僧にすぎんのじゃから、果たして、範宴どのの求められるほどの蘊蓄うんちくがこちらにあるかないかは知らぬ」と謙遜けんそんした。
 しかし、当代の碩学せきがくのうちで、華厳けごん真髄しんずいを体得している人といえば、この人の右に出ずるものはないということは、世の定評であり、慈円僧正も常にいわれているところである。範宴はなんとしても、この人の持っているすべてを自分に授け賜わらなければならないと思って、
鈍物どんぶつさがにござりますが、一心仏学によって生涯し、また、生きがいを見出したいと念じまする者、何とぞ、おむちを加えて、御垂示ごすいじをねがいまする」と、大床の板のにひれ伏して、門に入るの礼をった。
 ふつうの学生がくしょうたちとまじって、範宴は、朝は暗い内から夜まで、勤行ごんぎょうに、労役に、勉学に、ほとんど寝る間もなく、肉体と精神をつかった。
「あれは、九歳ここのつで入壇して大戒だいかいを受けた叡山えいざんの範宴少納言だそうだ」と、学寮の同窓たちは、うすうす彼の生い立ちを知って、あまりな労働は課さなかったが、範宴は自分からすすんで、まきも割り、水も汲んで、ここ一年の余は、性善坊とも、まったく、べつべつに起居していた。
 冬の朝など――まだ霜の白い地をふんで炊事場すいじばから三町もある法輪寺川へ、荷担にないに水桶をって水を汲みにゆく範宴のすがたが、よく河原に見えた。
 すると、ある朝のこと、
「もしや、あなたは、範宴様ではございませんか」若い旅の娘が、そばへ来て訊ねた。


「はい、私はおたずねの範宴ですが……」答えながら、彼は、自分の前に立った娘に対して、どこかで見たような記憶をよび起したが、どこでとも、思い当らなかった。
(ああよかった)というように娘は安堵あんどの色を見せ、同時にすこし羞恥はじらいもしている容子ようす
 年ごろは十七、八であろうか。しかし年よりはやや早熟ませた眸と、純な処女おとめとも受けとれない肌や髪のにおいを持っている。それだけに、男には蠱惑こわくで、おもざしだの姿だの、総体から見て、美人ということには、誰に見せても抗議はあるまいと思われるほどである。
「あの……実は……私は京都の粟田口あわたぐちの者でございますが」
「はあ」範宴は、水桶を下ろして、行きずりの旅の娘が、どうして、自分の名を知っているのかと、不審な顔をしていた。
一昨年おととしの秋でございましたか、鍛冶かじいけのそばをお通りになった時、よそながら、お姿を見ておりました」
「ははあ……私をご存じですか」
「後で、あれが、肉親のお兄上様だと、朝麿あさまろ様からうかがいましたので」
「え、弟から?」
「私は、あの時、朝麿様と一緒にいたこずえという者でございますの。……父は、粟田口宗次むねつぐといって、あの近くで、刀鍛冶かたなかじ生業なりわいにしています」
「……そうですか」と、驚きの眼をみはりながら、範宴は、なにか弟の身にかかわることで、安からぬ予感がしきりと胸にさわいでくるのだった。
「梢どのと仰っしゃるか。――どこかで見たようなと思ったが」
「私も、一昨日おとといから、法隆寺のまわりを歩いて、幾人いくたりも、同じお年ごろの学僧様が多いので、お探しするのに困りました。……というて、寺内へおたずねするのも悪いと思うて」
「なんぞ、この範宴に、御用があっておいでなされたのか」
「え……」梢は、足もとへ眼を落して、河原の冬草を、足の先でまさぐりながら、
「ご相談があるんですの」
「私に」
「あの……実は……」うす紅い血のいろが、耳の根から頬へのぼって、梢は、もじもじしていた。
「相談とは?」
「弟御さまと、私のことで」範宴はんえんは、どきっと、心臓に小石でもつけられたような動悸どうきをうけた。
「弟が、どうかしましたか」
「あの……みんな私が悪いんでございます……」範宴の足もとへ、泣きくずれて、こずえは次のようなことを、れに訴えた。
 朝麿と梢とは、ちょうど、同じ年の今年が十九であるが、二年ほど前から、恋にちて、ゆく末を語らっていたが、それが、世間にも知れ、男女ふたりの家庭にも知れ、ついにきびしい監視のもとに隔てられてしまったので、若い二人は、しめしあわせて、無断で家を脱け出してきたというのである。
「あの弟が」と範宴は、霜を踏んだまま、こおったように、唇の色を失って、梢のいうのを聞いていた。


 なお仔細に事情を訊くと、弟の朝麿は、梢と逃げてくる旅の途中風邪かぜをこじらせて、食物もすすまぬようになり、この附近の木賃旅籠はたごに寝こんでしまって、持ち合せの小遣こづかいはくなるし、途方にくれているところだというのである。
「では……弟はわしに会いたいというて、おもとを使いによこしたわけか」
「ええ……」梢は、打ちしおれたまま、
「いっそ、二人して死んでしまおうかと、何度も、刃物を手に取ってみましたが、やはり、死ぬこともできません」と、肩をふるわせて泣き入るのであった。
 無考えな若い男女ふたりも、途方に暮れたことであろうが、より以上に困惑したのは範宴であった。
 まず第一に思いやられるのは、髪をおろして、せっかく、老後の安住を得た養父の気持だった。次には、生来、腺病質せんびょうしつでかぼそい体の弟が、旅先で、金もなく、落着くあてもなく、これも定めてもだえているだろう容子ようすが眼に見える心地がする。病のほども、案じられる。
「どこですか、その旅籠はたごは」
「ここから近い、小泉こいずみの宿端れでございます。経本をひさぐ家の隣で、軒端に、きちんと板札が、打ってあります」
「見らるる通り、わしは今、朝のお勤めをしている途中、これから勤行ごんぎょうの座にすわり、りょうの日課をすまさねば、自分の体にはなれぬのじゃ。……それをえてから訪ねてゆくほどに、おもとは、弟の看護みとりをして下さるように」
「では、来て下さいますか」梢は、ほっとした顔いろでいった。兄は、きっと怒るであろうと弟からいわれていたものとみえ、範宴の返辞を聞くと、迷路に一つの灯を見たように彼女はよろこんだ。
「参ります。何でまた、捨てておかれよう。きっと行くほどに、弟にも、心をつよく持てといってください」
「はい。……それだけでも、きっと、元気がつくでしょう」
「では……」と範宴は、学寮の朝の忙しさが思いだされて、急に、水桶をにないだした。
 すべらぬようにわらで縛ってある足の裏は、冷たいとも痛いとも感覚は失せているが、血がにじみ出していた。
 真っ黒な天井てんじょうの下に、三つの大きな土泥竈どべっついが並んでいた。その炊事場には、まきを割る者だの、たすきがけで野菜を刻んでいるものだのが朝の一刻いっときを、法師に似げない荒っぽい言葉や唄をうたい交わして働いていた。
 範宴が、水桶をになって入ってきたのを見ると、泥竈へっついのまえに、金火箸かなひばしを持っていた学頭が、
「範宴っ、何をしとった?」と、焼けた金火箸を下げて、彼の方へ歩いてきた。


「どこまで、水を汲みに行ったのだ?」学頭は、睨みつけていった。
「はい」範宴が、詫びると、
「はいじゃない」と金火箸で、胸を突いて――
「貴公、この法隆寺へ、遊びにきたのか、修行にきたのか」
「…………」
「怠惰のしょうを、らしてやる」学頭は、金火箸をふりかぶって彼の肩を打ちすえた。
 範宴は炊事場の濡れている土に膝も手もついて、
「わるうございました」
不埒ふらちなっ」庖丁ほうちょうを持ったり、たすきを掛けたりした同僚たちが、がやがやと寄ってきて、
「俺たちが、働いているのに、しからん奴」と、一緒になって罵詈ばりする学僧もあるし、
「荒仕事に馴れないから、無理もないよ」とかばものもあった。
 だが、庇う者のことばに対して学頭はよけいに呶鳴った。
「こんなことがなんで荒仕事か、僧院に住む以上、当りまえな勤めだ。叡山えいざんあたりでは、中間僧ちゅうげんそうや、堂衆どうしゅうをこきつかって、据膳すえぜん下げ膳で朝夕ちょうせきすんでいるか知らんが、当寺の学生寮がくしょうりょうでは、そんな惰弱な生活はゆるさん。――また、貴族の子でも誰の子でも、身分などに、仮借もせんのだ。それが覚運僧都の仰せでもあり、法隆寺のおきてでもあるのだぞ。よいかっ」
「はい」
「おぼえておけ」法衣ころもの上は何ともなかったが、打たれた肩の皮膚がやぶれたのであろう。土についている手の甲へ、そでの奥から紅い血が蚯蚓みみずのように走ってきた。
 血を見て、学頭は、口をつぐんだ。範宴は桶の水を、大瓶おおがめにあけて、また、川の方へ水を汲みに行った。
 もう、こずえのすがたは見えなかった。白い枯野かれの朝靄あさもやから、からすが立ってゆく。
「かるい容態ならよいが……」弟の病気が、しきりと、胸に不安を告げていた。――仏陀ぶっだの加護を祈りながら、範宴は、同じ大地を、何度も踏みしめて通った。
 半日の日課がすんで、やっと、自分の体になると、範宴は、性善坊にも告げず、法隆寺から一人で町の方へ出て行った。
 小泉の宿しゅくには、この附近の寺院を相手にあきないしている家々や、河内かわちがよいの荷駄の馬方や、樵夫きこりや、野武士などかなり聚合しゅうごうして軒をならべていた。
「あ……。ここか」範宴は、立ちどまって、薄暗い一軒のあばら屋をのぞきこんだ。大きな古笠が軒に掛けてあって、
「きちん」と書いてある。
 何か、煮物をしていると見えて家の中は、榾火ほたびの煙がいっぱいだった。ぎゃあぎゃあと、嬰児あかごの泣く声やら、亭主のどなる声やらして、どうして、それ以外の旅人をめる席があるだろうかと疑われるような狭さであった。


 とにかく、此宿ここには違いないので、範宴が門口に寄って尋ねると、
「ああ、病人の旅のもんならば、裏の離れにおるだあ。この露地から、裏へ廻らっしゃい」木賃きちんの亭主が、煙っている家の中で呶鳴る。
「少々、その者に、会いとう存じますから、それでは、裏へ入らせていただきます」と範宴は、一応断って、教えられた裏の方へ廻ってみた。
 百姓もするのであろう、木賃旅籠はたごの裏には、牛なども繋いであるし、農具だの、むしろだのが散らかっている。
 亭主のいう離れとはどこかと見まわしていると、飼蚕小屋しさんごやでもつくろわしたのであろう、ひどい板小屋を二間ふたまに仕切って、その一方に、誰やら寝ている者がある。
(こんな所に寝ているのか)弟の境遇は、その板小屋を見ただけでわかった。旅の空に病んでいる気持、恋のために世間から追いつめられて、その恋をすら楽しめずに死を考えている気持――。まざまざと、眼に見せられて、彼は、胸が痛くなった。
 驚かせてはならないと、しのび足に、板屋の口へ寄って、異臭のする薄暗い中を覗きながら、
「朝麿」と、呼んでみた。
 すると、そこに見えた薄い蒲団ふとんねのけて、寝ていた者は、むっくりと、起き上がった。
「あ……これは」と範宴は、あわてて頭を下げて謝った。蒲団のうえに坐りこんで、こっちを見つめているのは、似ても似つかない男なのである。
 年ごろ二十四、五歳の、色浅ぐろい苦み走った人物であった。たかのように精悍せいかんな眼をして、起きるとたんに右の手には、枕元にあった革巻かわまきの野太刀を膝へよせていた。野武士の着るような獣皮の袖無しを着、飲みからしの酒壺さかつぼが、隅の方に押しやってある。
「失礼いたしました。人違いをして、おやすみのところを」と詫び入ると、男は、
「なんだ、坊主か」と、口のうちでつぶやいて――
「誰をたずねてきたのだ」
「身寄りの者が、この木賃にわずろうていると聞きましたので」
「それじゃ、若い女を連れている小伜こせがれだろう」
「はい」
「隣だよ」無造作に、あごで板壁を指して、男はまた、蒲団をかぶって、ごろりと横になってしまう。
「ありがとうございました」すぐ足を移して、隣を見ると、そこには、破れた紙ぶすまが閉めてある。
「ごめん……」と今度は念を入れて、範宴は小声におとずれた。


 けさ、法輪寺川のほとりで会ったこずえが、声をきくとすぐそこを開けて、
「お兄さんが見えましたよ」と、病人の枕へ、顔をよせて告げた。
「えっ……兄君が」待ちかねていたのであろう。朝麿あさまろは聞くや否や、あわててしとねの外へ這いだした。
「朝麿、そのままにしていなさい、寒い風に、あたらぬように」
「兄君っ……」涙でいっぱいになった弟の眼を見ると、範宴も、熱いものがまぶたを突いてくるのを覚えた。
「め……めんぼく次第もございません……。こ、こんなところで」
「まあよい。さ……こずえどの、ふすまのうちへ、病人を」寝るようにすすめたが、朝麿は、兄のまえにひれ伏したまま、ただ泣き濡れているのであった。範宴は、手をとって、
何年いつであったか、おもとと、鍛冶かじいけのそばで会った時に、わしは、およそのことを察していた。今日のことがなければよいがと案じていました」
「すみませぬ」
「今さら、どういうたとて、及ばぬことだ。――それよりは、体が大切、また後々の思案が大事。とにかく、ふすまのうえにいるがよい、ゆるりと話そう」無理に、蒲団の中へもどして、弟にも梢にも、元気がつくように努めて微笑をもちながら先行きの覚悟のほどを聞いてみると、もちろん、恋し合ってここまで来た若い二人は、死ぬまでも、別れる気もちはないというし、またふたたび、親たちのいる都へ帰る気もないという。
 そして絶えず、死への誘惑に迷っている影が、朝麿にも、梢にも、見えるのだった。
 範宴は、そのあぶない瀬戸ぎわにある二人の心を見ぬいて当惑した。沙門しゃもんの身でなければ、当座の思案だけでもあるのであったが、きびしい山門のうちへ二人を連れてゆくわけにはゆかないし、このまま、この風のれる汚い板屋に寝かせておけば、弟の病勢がつのるのは眼にみえているし、その病気と、心の病気とは、何時いつ、死を甘い夢のように追って、あえない悔いを後に噛むことに立ちいたるかもわからない。
 すると、外に、その時跫音あしおとがしてきた。ここの木賃の亭主であった。無遠慮に入口を開けて、
「沙門さん、おめえは、法隆寺で勉強している学生がくしょうかい?」と訊くのであった。範宴は、自分の顔を見て問われたので、
「さようでございます」と答えると、亭主は、
「そして、この病人の兄弟ということだが、ほんとかね」
「はい」
「じゃあ、木賃の代だの、薬代だの、病人の借財は、もちろん、おぬしが払ってくれるだろうな」答えぬうちに、亭主は、ふところから書きつけたものを出して、範宴の前へ置くのであった。


 もとより金などは持ちあわせていないけれど、弟の借財があるというならば、性善坊に相談したうえで、どうにでもしなければなるまいと、四、五日の猶予ゆうよを頼むと、亭主は首を振って、
「ふざけては困る」頑然がんぜんと、怒った。
「そう幾日も幾日も、病人などを置いておかれるか。毎晩、ほかの泊り客もあるのに、それを断っていては、おいらのかか餓鬼がきが干ぼしになるわい」
「迷惑でございましょう」
「大迷惑じゃ。とうに、追ん出したいのは山々だったが、薬代のたてかえもあるで、法隆寺に身寄りがいるという言い訳をあてにして、おぬしの来るのを待っていたのじゃ、持ち物なり、衣類なり、抵当かたにおいて、すぐ連れて行ってくれい」
「ごもっともです。けれど、永いご猶予はおねがいしませぬゆえ――」
「…………」
「両、三日でも」
「ばかをぬかせ。病人なればこそ、きょうまででも、こらえていたのじゃ」
「私は、僧門の身、この病人と女子おなごを、山門へ連れもどるわけには参りませぬ」
「――だから、知らぬというのか、借りをふみ倒す気か」
「決して」
「ならば、その法衣ころもを脱いで出せ、女の帯を貰おう、いや、そんなことじゃまだ足りんわ、そうだ、よい数珠じゅずを持っておるな、水晶じゃろう、それもよこせ」
 すると――いつのまにやら彼の後ろから入ってきて、のっそりと突っ立っていた隣の野武士ていの若い男が、左手ゆんでげている革巻かわまきの刀のさやで、わめいている亭主の横顔を、がつんとなぐった。
「あっ、痛っ」顔を抑えて振りかえった亭主は、そこに立っている野武士の顔を仰いで、
「おぬしは、隣に泊っているお客じゃないか」
「さよう」
「なにをさらすのじゃ、なんでわしを、撲ったか」
「やかましい」野武士ていの男は、たくましい腕を亭主の襟がみへ伸ばしたかと思うと、いなごでもつまんで捨てるように、
「おととい来い」吊り上げて、その弱腰をとばした。
「わっ」亭主は、外へもんどり打って、霜解けのぬかるみへ突っ込んだ泥の手で、
「おれを。……畜生っ、おれをよくも」むしゃぶりついてくる手を払って、野武士ていの男は、そのたかのように底光りのする眼でつよく睨みつけた。
「さっきから隣でだまって聞いていれば、慈悲も情けもない云い草、もういっぺんざいてみろ」
「貸しを取るのが、なぜわるい。おれたちに、飢え死にしろというのかい」
「だまれ、誰が、うぬらの貸しを倒すといったか。さもしい奴だ、それっ、俺が立て替えておいてやるから持ってゆけ。その代りに、病人のほうも、俺のほうも、客らしく鄭重ていちょうにあつかわないと承知せぬぞ。……何をふるえているのだ、手を出せ」と野武士ていの男は、ふところから金入れを出して、まだ疑っている亭主の目先へ、金をつきつけた。


 金を見ると木賃の亭主は、平蜘蛛ひらぐものようにあやまり入って、それからは手のひらを返すように、頼みもしないまきを持ってきたり、かゆを煮ようの、薬はあるかのと、うるさいほど、親切の安売りをする。
「……現金な奴だ」野武士ていの男は苦笑しながらこずえにむかって、
「お女房。ご病人のようすはどうだな、すこしはいいか」
「いつも、ありがとうございまする、おかげ様で、きょうあたりは……」梢は、範宴にむかって、
「お兄さま。この隣のお方には、毎日何くれとなくお世話になっております。お礼を申しあげて下さいませ」といった。
 範宴はそういわれぬうちから、なんと礼をいったらよいかと、胸のうちでいっぱいに感謝しているのだった。
 世には奇特な人もある、弱肉強食のちまたとばかり世間を見るのは偏見へんけんであって、こういう隣人があればこそ、修羅火宅しゅらかたくのなかにも楽土がある。あえぐことのみ多い生活のうちにも清泉に息づく思いができるというものであろう。
 かかる人こそ、仏心を意識しないで仏心を権化ごんげしている奇特人というべきである。何を職業としている者かありがたい存在といわねばならぬ。
 範宴は、両手をつかえて、真ごころから礼を述べ、立て替えてくれた金子きんすは、沙門しゃもんの身ゆえ、すぐには調達はできないが、両三日うちには必ず持ってきて返済するというと、男は磊落らいらくに笑って、
「そんな義理がたいことには及ばないさ。奈良の茶屋町で、一晩遊べば、あれくらいな金はすぐにけし飛んでしまう。お坊さんへ、喜捨きしゃいたしますよ。はははは」
「それでは余り恐れいります。失礼ですが、ご尊名は」
「名まえかい。――名をいうほどな人間でもないが、これでも、先祖は伊豆の一族。今では浪人をしているので、生国しょうごくの名をとって、天城あまぎの四郎とよんでいる田舎いなか武士だよ」
「では、旅先のお体でございますか。さすればなおのこと、路銀のうちを私どもの難儀のためにおきくだされては、ご不自由でございましょうに」
「なんの、長者ほどはないが、路銀ぐらいに、不自由はしない。くれぐれも、心配しなさるな。そう案じてくれては、せっかくのこっちの好意がかえって無になる。……ああ思わず邪魔をした。どれ、自分のねぐらに入ろうか」そういうと、男は隣のに入って、ふたたび顔を見せもしない。
 やがて、黄昏たそがれの寒鴉かんあの声を聞きながら、範宴も、法隆寺へ帰って行った。そして、山門の外から本堂の御扉みとびらを拝して、弟のために、祈念をこらした。
 その夜――凍りつく筆毛ふでげを走らせて、彼は、粟田口あわたぐちの草庵にいる養父ちちの範綱――今ではその俗名を捨てて観真かんしんとよぶ養父へ宛てて、書くにも辛い手紙を書き、あくる朝、駅使うまやづかいにたのんで京へ出しておいた。

怪盗




 食物だの、衣服だの、また心づいた薬などの手に入るたびに、性善坊しょうぜんぼうは、範宴の旨をうけて、町の木賃へ運んで行った。
「きょうは、たいへんお元気でございました。あのご容子ようすならば、もう明日あすあたりは、お床を上げられましょう」きょうも、町から戻ってきた性善坊が、彼の部屋へ来て告げた。
 範宴の眉は、幾分か、明るくなって、
「――そうか。それではまず、弟の病気のほうは、一安心だが……」
「後が、もう一苦労でございますな」
「あの女子おなごとの問題はどうしたものか。……もう養父上ちちうえから、誰か迎えの者が来るころだが」
「観真様にも、さだめし、御心痛でございましょうに」
「それをいうてくれるな、わしたち兄弟は、生みの母君もともに、今の養父にひきとられて、乱世の中を、また貧困の中を、どれほど、ご苦労ばかりおかけ申してきたことか。……思うても胸がいとうなる」
「ぜひないことでございまする……」
「やや世の中がしずまって、養父も、つむりを落し、せめて老後の月日をわずらいなく自適していらっしゃると思えばまたもこうしたことが起きてくる。……朝麿の罪ばかりは責められぬ、この範宴とても、いつ、養父にご安心をおさせ申したか。わしも、もっと励まねばならぬ。弟は病身じゃ、せめてわしだけでも、養父上の長いご苦労にむくわねばならぬ。それが、亡き母君への唯一のお手向たむけではあるまいか」性善坊は、胸がいっぱいになって、何もいえなくなった。範宴の肉体に赫々かっかくと燃えている火のような希望も頼もしく思いながらも、目前の当惑には、つい弱いが嘆息が出てしまうのであった。
「範宴どの。――都から早文はやぶみが着いておるぞ。寮の執務所まで、取りにおいでなさい」庭先で、誰かいった。
 さては――と範宴はすぐ書面を取ってきて、封を切った。待ちわびていた養父ちちからの返事である。返書が来たところをみると、若い二人を迎える使いはよこさないものとみえる。養父はどう考えているのだろうか、どう処置をせよとっしゃるのだろうか。
 読みくだしてゆくうちに、彼は養父の筆のあとに、養父の顔つきだの心だのがなまなまと眼にみえた。親子の恩愛というものが、惻々そくそくと胸をうってくる。
 しかし養父が書中にいっている要点は、その慈愛とは反対に次のような厳格な意見であった。
女子おなごの親とも相談したが、言語にたえた不所存者ふしょぞんものである。家を捨てて出た以上、かまいつけることはないと決めた。おもとも、不埒ふらちな駈落ち者などにかまっておらずに、専心勉学をされたがよい。当人たちが困ろうと、飢えようと自業自得じごうじとくであり、むしろ生きた学問となろう。親のことばより実際の社会よのなかから少し学ばせたほうが慈悲というものだ。迎えの使いなどは断じて出さぬ)というのである。


 手紙の一字一字が養父の顔つきであり声であるように範宴には感じられた。慈愛をかくして峻烈しゅんれつ不肖ふしょうの子を叱りながらもどこやらに惻々そくそくと悩んでいる厳父のこころがいたましい強さで、(かまいつけるな)といってある。
 しかし、手紙の養父のことばを、そのままに解して、自分までが厳格な態度をとったら、弟は、どこへ行くのだろうと思った。おそらく、死を選ぶほかに彼の道はないのではないかと考えた。
 性善坊が案じるのもそれだった。恋というものは熱病のようなものである。健康な人間が、自分の健康な気もちを標準にして荒療治をしようとすると、若気な男女は、春をいそぐ花のように、夢を追って身を散らしてしまうことをなんの惜しみともしないものである。その弱い木を揺りうごかして、はたから花の散るのを急がすような心ない処置をとっては、なんにもならない。――ましてや人間の苦患くげんに対しては絶対な慈悲をもって接しなければならない。仏の御弟子みでしである以上はなおさらのことである。
「どうしたらよいか」範宴は、その夜、眠らずに考えた。
 しかし、よい解決は見つからなかった。それは、範宴自身が、仏の御弟子みでしであり、きびしい山門の学生がくしょうであるから、おのずから法城の道徳だの、行動の自由にしばられて考えるからであった。ふと、彼は、
(もし、ここに、兄弟ふたりの母がまだ生きておいでになったら、どうなさるだろうか)と考えた。
 するとすぐ、範宴も、決心がついたのであった。
(――自分が母にかわればよい)ということであった。
 何といっても、朝麿も自分も、幼少に母をうしなっているので、母のあまい愛に飢えていることは事実である。――何ものよりも高い養父の御恩は御恩としても、男性の親にはない母性の肌や、あまえたいものや、おろかなほど優しい愛撫だのに――飢えていたことは事実であろう。
 自分にすらそれを時折は感じるのであるから、あの病身な、気の弱い弟は、なおさらであるにちがいない。
 そういう永年のさびしさが、青春の処女おとめと、燃えついたのは、人間の生理や心理からいえば、当然である。けれど、人間の作った社会の道徳から、見る時には、ゆるしがたい不良児の行為として、肉親からも社会からも追われるのが当然であって、誰をうらむこともない。
 もしも今なお世にいますものとすれば、こんな時こそ、母性は身をもっても、この不良の児を救うにちがいない。あらゆるものを敵としても、母は、敢然と子のために戦うにちがいないのだ。
 範宴は、朝になってから、もいちど胸のうちでつぶやいた。
「――そうだ、わしは、母になって、母がいてなさるように、弟の苦境を考え、弟と共に考えてやればよい!」


 いつものように、学生がくしょうたちへ、華厳法相けごんほっそうの講義をすまして、法隆寺の覚運かくうんが、橋廊下をもどってくると、
僧都そうずさま」と、いう声が足もとで聞えた。
 覚運は、橋廊下から地上へ、そこに、手をついている範宴のすがたへ、じろりと眼を落して、
「――何じゃ」
「おねがいがございまして」と、範宴は顔を上げた。
 そして、覚運がでうなずいたのを見て、十日ほどのいとまをいただいて京都へ行ってきたいという願いを申し出ると、覚運は、
「観真どのでもご病気か」と、たずねた。
「いえ、弟のことについて」範宴は、そういう俗事にとらわれていることを、僧都から叱咤しったされはしないかと、おそれながらいうと、
「行ってくるがよい」と案外な許しであった。
 そればかりでなく、覚運はまたこういった。
「おん身が、ここへ参られてからはや一年の余にもなる。わしの持っている華厳の真髄は、すでに、あらましおん身に講じもし、また、おん身はそれを味得せられたと思う。このうえの学問は一に自己の発明にある。ちょうど、よいおりでもある。都へのぼられたならば、慈円じえん僧正にもそう申されて、次の修行の道を計られたがよかろう」
 そういわれると、範宴はなお去り難い気もちがして、なおもう一年もとどまって研学したいといったが、僧都は、
「いやこれ以上、法隆寺に留学する必要はない」といった。
 計らぬ時に、覚運との別れも来たのである。範宴は、あつく礼をのべて退がった。性善坊にも告げ、学寮の人々にもそのよしを告げて、翌る日、山門を出た。同寮の学生たちは、
「おさらば」
「元気でやり給え」
「ご精進を祈るぞ」などと、口では祝福して、見送ったが、心のうちでは、
(ここの烈しい苦学に参ってしまって、とうとう、僧都にお暇をねがい出たのだろう)と、わらっていた。
 範宴は、一年余の学窓にわかれて、山門を数歩出ると、
(まだなにか残してきたような気がしてならぬ)と、振りかえった。そして、
(これでいいのか)と自分の研鑽けんさんを疑った。なんとなく、自信がなかった。
 そして、朝夕に艱苦かんくを汲んだ法輪寺川ともわかれて、小泉こいずみの宿場町にはいると、すぐ、頭のうちは弟のことでいっぱいになっていた。


 朝麿あさまろは、見ちがえるほど恢復かいふくして、病床とこを離れていた。
 兄と、性善坊とが、旅装たびよそおいをして、ふいに訪ねてきたので、彼はこずえとともに、驚きの眼をみはって、
「どこへお旅立ちですか」と、もう淋しげな顔をした。性善坊が、
「いや、お師様には、もはや華厳をご卒業あそばしたので、南都にとどまることはないと、法隆寺の僧都様からゆるしが出たために、お別れを告げてきたのです」と話すと、朝麿は、
「では、叡山えいざんへ、お帰りですか」と、なお心細げにいうのであった。
「されば……帰ろうと思う」範宴はそういって、
「ついては、おもとも京都へ共に帰らぬか」
「…………」
「わしが一緒に行ってあげよう。そして、ともどもに、養父上ちちうえへお詫びをするが子の道ではないか」
「兄上。ご心配をかけて、なんともおそれ入りまする。けれど、今さら養父の家へは帰れません」
「なぜ」
「……お察しくださいまし……どの顔をさげて」
「そのために、兄がついて行くではないか。何事も、まかせておきなさい」
 そばで聞いていた梢は、不安な顔をして、朝麿がそこを立つと、寝小屋の裏へ連れて行って、
「あなたは、帰る気ですか」と男を責めていた。
「――わたしはいやです、死んだって嫌ですよ。あなたの兄様は、きっと、お父さんのいいつけをうけて、私たちを、うまく京都へ連れ帰ってこいといわれているに違いありません」女には、いわれるし、兄にはそむけない気がして、朝麿は、板ばさみになって当惑そうにつ向いていた。
 すると、性善坊が様子を見にきて、
「梢どの、それは、あなたの邪推です。お師様には、決して、お二人の心を無視して、ただ生木なまきくようなことをなさろうというのではなく、あなたの父上にも、朝麿様の養父君ちちぎみにも、子としての道へもどって、罪は詫び、希望のぞみは、おすがり申そうというお考えなのです」諄々じゅんじゅんと、説いてきかせると、梢もやっと得心とくしんしたので、にわかに、京へ立つことになった。
 ところで、このあいだ宿の借財をたて替えてくれた親切な相客の浪人にも一言ひとこと、礼をのべて行きたいがと、隣の寝小屋をさしのぞくと、誰も人気ひとけはない。亭主にきくと、
「はい、今朝ほどはやく、お立ちになりました。皆さまへ、よろしくといい残して――」
「や。もうお立ちになったのか。……今日は、改めてお礼を申しあげようと思うていたのに……。済まぬことであった」
 範宴は、胸に借物かりものでも残されたように、自分の怠りが悔いられた。


 若い男女ふたりは、先にあゆみ、範宴と性善坊とは、ずっと離れてあるいた。
 冬の日ではあるが、陽がぽかぽかと枯れ草にれて、山蔭は、暖かだった。
「――幸福にさせたい」範宴は、先にゆく、弟と弟の愛人のうしろ姿を見て、心から、いっぱいに思った。
「のう、性善坊」
「はい」
粟田口あわたぐち養父上ちちうえにお会いしたらそちも共に、おすがり申してくれ」
「はい」
「万一、どうしても、お聞き入れがなかったら青蓮院しょうれんいんの師の君におすがりしてもと、わしは思う……。あの幸福そうなすがたを見い、あの二人は、世間も何もわすれている、ただ青春をたのしんでいる姿じゃ」
 黄昏たそがれになった。
 女連れでもあるし、夜になるとめっきり寒いので、泊りを求めたが、狛田こまたの部落を先刻さっきすぎたので富野のしょうまでたどらなければ、家らしいものはない。
 だが、そこも今のぼっている丘を一つ越えれば、もう西のふもとには、木賃もあろうし、農家もあろうと思われる。丘の上に立つと、
「おお……」と、範宴はかさをあげた。
 河内平かわちだいらのあちこちの野で、野焼きをしている火がひろい闇の中に美しく見えたからである。
 平野の闇を焼いてゆく野火のひかりはなんとなく彼の若い心にも燃え移ってくるような気がした。
 範宴は自分の行く末を照らすのりのようにそれを見ていた。彼の頬のくまが、赤くなすられていた。黙然もくねんと、火に対して、祈祷いのりと誓いをむすんでいた。すると――
「いや、弟御様は」と、性善坊があわてだした。
「先へ行ったのであろう」
「そうかも知れません」足を早めかけると、どこかで、ひいっッ――という少女の悲鳴がきこえた。
 耳のせいではなかった。たしかに、こずえの声なのである。そこはもう下りにかかった勾配こうばいで、真っ暗な道が、のぞきおろしに、雑木ばやしの崖へとなだれこんでいた。
「――誰か来てえッ……」ふた声めが、きぬを裂くように、二人の耳を打った。
 それにしても、朝麿の声はしないし、いったい、どうしたというのだろうか?
「あっ、お師さま」先へ駈けだした性善坊は、何ものかにつまずいたらしく、坂道に、もんどり打っていた。範宴も、駈けつづいて、
「どうしたのじゃ」
「朝麿様が、そこに」
「えっ、弟が」びっくりして、地上をすかしてみると、たしかに人らしいものが、顔を横にして、たおれていた。


 その時から、原のあなたで、女の泣きさけぶ声がして、範宴と性善坊の耳のそばを糸のように流れた。
「やあっ、あの声は梢ではないか」ここには、朝麿が、なに者かにふいに棒かなんぞでうちたたかれたように気を失っているし、あなたには、けたたましく救いを呼ぶ梢の声がきこえるし、事態はただごととは思われない。兄に抱き起されて、気がつくと、朝麿は、
「梢が――梢が――」と、必死になって、道もない萱原かやはらの中へまろび入った。
 遠い野火の炎が、雨もよいの、ひくい雲をあかくなすっていた。
 火光にいて、萱原の中に駈けおどって行く、十名ほどの人影が黒く見える。
「梢――」朝麿が、さけぶと、なにかののしる声が激しく聞えて、彼はまたそこで、中の一人の一撃にあってよろめいた。
 性善坊と範宴は、朝麿の身を案じながら、すぐそのあとに駈けつけていた。
 まぢかに迫ったとき、二人の瞳があざやかに見た十名ほどの人影は、うたがうまでもなく、人里といわず、山野といわず、野獣のように跳梁ちょうりょうする野盗のれにちがいない。
 それはいいが、中に、たしかに、目立って屈強な男が、梢のからだを横向きに抱いていた。範宴は、
「やっ、あなたは、小泉の宿しゅくでお会い申した、天城四郎あまぎのしろう殿ではありませんか」いうと四郎は、からからと四辺あたりへ響くような声で笑った。
「そうだ、この女は小泉の木賃に宿やどり合わせたときから、それと言い交わした約束があるので、もらってゆく、天城四郎とはいつわり、天城四郎とも、木賊とくさの四郎ともいう盗賊だ。異存があるなら、なんなりとそこでほざいて見るがいい」範宴は、この怖ろしい魔人の声を聞くと、世の中のすべてが、暗澹あんたんとわからないものになってしまった。つい、今がいままで、世にも奇特な人として、胸のうちに、あの時の感謝を忘れなかった、その人物が、仮面をいで、そういうのであるだけに、唖然あぜんとして、しばらくはいいかえすべき言葉もない。


「ははあ……。それではあなたは、真面目な職業のお方ではなく、天城の住人で、木賊とくさの四郎と呼ぶ野盗のかしらであったのですか。――けれど、そういわれても、私にはまだ信じられません」範宴がいうと、四郎は、
「なにが信じられねえと?」とがめて、兇悪な眼で睨みつけた。
「――さればです。いつぞや、小泉の宿しゅくで、私や弟の難儀な場合をああして救って下された時のありがたいあなたの姿が、今もって、私のまぶたから消え去らないのでございます。どうあっても、あなたは善根の隣人に思われて、さような、魔界にむ人とは、考えても考えられないのでございます」
「馬鹿者!」四郎は、歯ぐきをきだして、嘲笑あざわらいながら、
「あれは悪事をする者の資本もとも同じで、悪党の詐術さじゅつというもの。俺という人間は、善根どころか、悪根ばかりこの社会に植え歩いている、魔界の頭領なのだ。またこの先、こんなに乗らねえように、よくつらをおぼえておけ」範宴の身をかばいながら、杖を横に構えていた性善坊は、たまりかねて、
「おのれが、人をあざむき世を毒す食わせ者であることはもう分った。多言をつがえる要はない。ただ、その女子おなごをおいて、どこなと立ち去るがいい」
「ふざけたことを申すな。この美貌の女子を手に入れるために、俺は、二十日はつかあまりの日を費やし、旅籠はたご料やら何やらと、沢山な資本もともかけたのだ。これからは、しばらく自分の持ち物として楽しんだうえで港の遊女へ売るなり、陸奥みちのくの人買いに値をよく渡すなりして資本をとらなけれやあならない。なんで貴様などに、返していいものか」
「渡さぬとあれば――」
「どうする気だっ、坊主」
「こうしてやる」性善坊が、振り込む杖を、天城四郎は、かろく身をひらいて右手につかみながら、
うぬら、下手へたなまねをすると、地獄へ遍路へんろに行かせるぞよ」
「だまれっ」杖を、奪いあいながら、性善坊は、全身をこぶのようにして、怒った。
「われらを、ただの僧侶と思うとちがうぞ。これにおわすおん方こそ、六条の三位範綱朝臣さんみのりつなあそん御猶子ごゆうし少納言範宴様。また、自分とてもむかしは、打物とった武家の果てじゃ」
「はははは。それほど、腕立てがしたいならば、四郎の手下にも、ずいぶん、血を見ることの好きなのが大勢いるから、まず、そこいらの男どもと、噛み合ってみるがいい。――おいっ」と、後は後ろにいる八、九名の手下をかえりみて、
「この二人の坊主を、どこかその辺の木へ、裸にして、縛り付けてしまえ」と、いいつけた。
 それまで唖のように眼を光らしていた男たちは、おおという声とともに、兇悪な餓狼がろうとなって、範宴と性善坊を輪のなかにつつみ、八方から、躍りかかった。


 範宴が、止めるのもきかず、衆に向ってかかったので、性善坊は、さんざんに打ちのめされてしまった。
 そして、ほとんど半死半生のすがたになった彼を、萱原かやはらの枯れ木の幹に賊たちはくくりつけて、やがて、範宴の身も、朝麿の身も、同様に、うしろ手にいましめて、
「ざまあみろ、いらざる腕立てをしやがって」と、凱歌がいかをあげた。
 そして、野盗の手下は、当然の労銀を求めるように、性善坊のふところから、路銀を奪い取って、
生命いのちだけは、お慈悲に、助けてやる」といった。
 性善坊は、そんな目にあっても、まだ、賊に向ってののしることばをやめなかった。
「悪魔どもめ! 汝らは、他人の財物をうばい、他人を苦しめて、それで自分が利を得たとか、勝ったとか思うていると大間違いだぞ。そうやって、横手を打っていられるが、それらの罪業ざいごうはみな、自分にかえってくるものなのだ。おのれの天禄てんろくをおのれで奪い、おのれの肉身をおのれで苦患くげんへ追いやっているのだ。今にみろ、汝らのまえには、針の山、血の池が待っているだろう」
「あははは」野盗の手下たちは、放下師ほうかしの道化ばなしでも聞くように、おもしろがった。
「この坊主め、おれたちに向って、子どもだましの説法していくさる。地獄があるなら、見物に行ってみたいくらいなものだ」一人がいうと、また一人が、
「地獄というのは、今のてめえの身の上だ。いい加減な戯言たわごとばかりいって、愚民をだましてきた罪で、坊主はみんな、地獄に落ちるものと相場がきまっているらしい」悪口雑言を吐いて、
「おかしら、行きましょうか」と、天城あまぎの四郎をうながした。四郎は、こずえの手をひいて、
「俺は、この女と一緒に、しばらく、都の方へ行き、半年ほど町屋住まちずまいをするつもりだ。てめえたちは、勝手に、どこへでも散らかるがいい」と、いま、性善坊のふところから奪った金に、自分の持ち合せの金を、手下たちに分配して、すたすたと、先に立ち去ってしまった。
 もう反抗する力を失ってしまったのか、梢は、四郎の小脇に、片方の腕をかかえ込まれたまま、彼のおもむく方へ、羊のように、いてゆくのだった。
「あばよ」賊の乾分こぶんたちは、そういって、性善坊や朝麿の口惜しげな顔を、揶揄やゆしながら、夜鴉よがらすのように、おのおの、思い思いの方角へ、散り失せてしまった。
 範宴は、木の幹に、縛られたまま、耳に声をきかず、口に怒りを出さず、胸にはただ仏陀ぶっだ御名みなだけをとなえて、じっと、眼をつむっていた。
 夜半よなかの霜がまっ白に野へ下りて月が一つ、さむ風の空に吹きがれていた。
 しゅくっ……と朝麿の泣く声だけが、ときどき、性善坊の耳のそばでした。


 暁に近くなると、大地は霜の針を植えならべ、樹々の枝には、氷柱つららつるぎが下がり、八寒の地獄もかくやと思うばかり、冷たい風が、手脚の先を凍らせてくる。
 肉体の知覚がなくなると、範宴は自分の肉体のうちに、冬の月のような冴えた魂が無想の光にかがやいているのを見いだして、
(ありがたや、自分のような穢身えしんのうちにも、弥陀みだ如来がみておす)と思った。
 わが身を、かくまで尊いものに感じたのは、今夜が、初めてであった。天城四郎が、八寒地獄の氷柱つららの樹にこうして、自分たちをいましめてくれたお蔭である。
 範宴は、彼をうらむ気にはなれなかった。彼を救うことのできない自分の無力さの方が遥かにうらみといえばうらみであった。
 なおのこと、肉親の弟をすら救うてやることのできない自分が口惜くちおしい。
 叡山えいざん苦行くぎょうし、南都に学び、あらゆる研鑽けんさんにうきみをやつしていたところで、それが単なる自分の栄達だけにすぎないならば、なんの意義があるのであろう。学問のための学問や栄達のための修行ならば、あえて僧籍に身をおいて、不自然な戒律かいりつだの法規だのにしばられずに、黄金を蓄えても同じである。武士となって、野望のつるぎを風雲に賭しても目的はとげられるのだ。けれど仏徒の大願というものは、そんな小我を目的とするものではないはずである。衆生しゅじょう救船ぐせんともなり、人生を遍照へんじょうする月ともならなければならない。飄々ひょうひょうと、雲水にあそび、悠々と春日をたのしむ隠遁僧いんとんそうのような境界きょうがいを自分はのぞんでいるのではなかった。この骨肉争闘の世をながめていても立ってもいられない心地がするのだ。身をもって、この悪濁あくだくの世にうめいている人々を両の手に、しっかとかかえ入れてやりたいという気持にすらなって、そのたくましい広大な自分をつくり上げたいがために、かく学び、かく苦しみ、かくもだえているのではないか。
 その大願にもえている身にとっては、ひとりの野盗に対して怒る気も出ないかわりに、ひとりの弟をすら救えない自分を、範宴は、慟哭どうこくして嘆かずにいられなかった。
 けれど、さらに深く考えてみると、弟はおろか、わが身というものさえ、まだ自分で解決もできていなければ、救えてもいないのである。
(なんで、人の身をや)と範宴は、痛切に今思うのだった。
 自分をすら解決し得ない自分に、自分以外の人間の解決ができうるはずはない。その根本は、学問も思念も、すべてが、到らないためだというほかはない。こういう悩みをすることすら、僭越せんえつなのかも知れぬ。何よりもまず自身の解決からしとげなければならぬ。――栄達や功名の小我のためでなく、濁海の救船ぐせんとなって彼岸ひがんの大願へさおさすために。
「おや、坊さんが、しばられてるぜ……」
「やれやれ、追剥おいはぎにでも会ったのか、かわいそうに」夜はいつか明けて、範宴のまわりにも、性善坊や朝麿のそばにも、旅人だの馬子まごだのが、取り巻いていた。


 すると、旅人の群れのうちから、
「おお、おお」一人の老婆が、同情の声をあげて、そこらに立っている往来の者たちに、
「おまえ方は、なんで手をつかねて、見物していなさるのじゃ。人の災難がおもしろいのか」と、叱りつけた。
 そして、すぐ自分は、範宴のそばへ寄って、
「この辺は、野伏のぶせりが多いから、悪いやつにいなされたのじゃろう。オオ、オオ、体も氷のようにつめとうなって、さだめし、お辛いことでござったろうに」老婆の行動に刺戟されて、それまではばかっていた往来の者が、われもわれもと、寄りたかって、性善坊の縄を解いたり、朝麿をいたわったりして、ある者はまた、
「わしの家は、この丘のすぐ下じゃ。火でもいて、かゆでも進ぜるほどに、一伴いっしょにござれ」と、いいだした。
 馬を曳いている馬子はまた、
「駄賃はいらぬほどに、そこまで乗って行かっしゃれ」と、朝麿へすすめて歩きだした。
「路銀をられなすったろう。これはすくないが」と、金をつつんで喜捨きしゃする人々もある。
 天城四郎のことばを聞けば、この社会よのなかほど恐ろしい仮面につつまれているものはないと思えるし、こうして、うるわしい人情の人々にあえば、この世ほど温かい人情の浄土はないと思われもする。
 三名は、ふもとの農家で、充分に体をあたため、飢えをしのぎ、あつく礼をのべて、やがて昨日きのうとかわらぬ冬の日の温かい街道へ立ち出でた。
 河内かわちざかいの竜田街道のわかれまで来ると、範宴は、足をとめて、
「性善坊、わしは、少し思う仔細があって、これから磯長しながさとへまわりたいと思うが……」
「ほ、石川ごう叡福寺えいふくじのある? ……」
「そうじゃ、聖徳太子しょうとくたいしと、そのおん母君、おきさき、三尊の御墳みつかがある太子びょうもうでて、七日ほど、参籠さんろういたしたい」
「さようでございますか。よい思い立ちとぞんじますが、朝麿様もおつれ遊ばしますか」
「いやいや、ちと、思念いたしたいこともあるゆえ、この身ひとりがこのましい。そちは、朝麿をとものうて、京都のお養父上ちちうえにお目にかかり、かたがた青蓮院の師の君にもおとりなしを願うて、ひとまず弟の身を、家に帰してくれい」
「かしこまりました」
「朝麿」と、向き直って――
「おもとにも、異存はあるまいの」
「はい……」しかし、朝麿の心には、どうしても、こずえのことが、不安で、悲しく、このまま自分ばかり京都へもどることは心がすまない様子であった。
「たのみますぞ」範宴は、性善坊にそういうと、やがてただ一人で河内路の方へ曲がって行った。

壁文へきぶん




 真空のような静寂しじまと、骨のしんまで霜になりそうな寒さである。
 夜も更けると、さらに生物の棲まない世界のような沍寒ごかんの気が、耳も鼻も唇もほとんど無知覚にさせてしまう。
 どこかで、先一昨日さきおとといから、法華経ほけきょうをよむ声がもれていた。
 それは今夜で、四晩になるが、夜があけても、日が暮れてきても、水のように絶え間がなく、ある時は低く、ある時にはまた高く、やむ時のない誦経ずきょうであった。
「誰だろう」と、磯長しなが叡福寺えいふくじの者は、炉のそばでうわさをしていた。
「また、ものずきな雲水だろう」と、笑う者もあるし、
びょうのうちで、まさか、火などはいていまいな」と火の用心を案じる者もあった。
「いや、火の気はないようだ」と一人がいう。
「そうか、それならよいが……。だが、どんな男か」
「まだ、二十歳はたちぐらいな若い僧さ。三尊の拝殿から入って、いちばん奥の廟窟びょうくつゆかに、ひとりで坐りこんだまま、ものも食わずに、参籠さんろうしているのだ」――そんな話を、だまって、眼をふさいで聞いている四十ぢかい僧があった。その僧は、この寺の客とみえて、ほかの者から、法師、法師と敬称されて、時々、寺僧のかたまるばたにみえて冗談をいったり、飄然ひょうぜんとして見えなくなったり、また、裏山から木の根瘤ねこぶなどを見つけてきて、小刀でなにかっていたり、仙味のあるような、俗人のような一向つかまえどころのない人間のように見える男だったが、太子廟たいしびょうの奥に、この四日ばかり、法華経の声がもれるようになってからは、いつも、じっと、さし俯向うつむいて、聞き入っているのであったが、今、寺僧のうわさを聞くと、なにを思いだしたか、ふいと、その部屋を出て、どこかへ、立ち去ってしまった。
 今夜も、まっ白に、月が冴えていた。法師は、庫裡くりから草履ぞうりをはいて、ぴたぴたと、静かな跫音あしおとを、そこから離れている太子廟の方へ運んで行った。
 法華経の声は、近づいてくる。
 石垣をあがると、廟の廻廊に、金剛獅子の常明燈が、あたりを淡く照らしていて、その大屋根をあっしている敏達帝びだつていの御陵のある冬山のあたりを、千鳥の影がかすめて行った。
 廻廊の下をめぐって、法師は、御墳みつかのある廟窟びょうくつの方へまわった。もうそこへゆくと、身のしまるような寒烈な気と、神秘な闇がただよっていて、寺僧でも、それは何となく不気味だと常にいっている所である。
 風雨に古びたまま、幾百年も手入れもしていない建物に、月の白い光が、の朽ちた四方の破れから刃のように中へさしこんでいた。
 法師が、そっとのぞいてみると、なるほど、※(「王+干」、第3水準1-87-83)ろうかんみたいに白くこごえきった若者が、孤寂として、中のゆかにひとりで端座しているのである。そして、彼の跫音あしおとも耳へは入らないらしく朗々と、法華経ほけきょうしつづけていた。
「あ……。やはり範宴はんえん少納言であった……」法師はつぶやいて、そっと、跫音をしのばせながら、そのまま、寺の方へ帰って行った。


 ここに参籠してから六日目の朝が白々と明けた。
 二日め、三日めは、飢えと寒気に、肉体の苦痛がはなはだしかったが、きのうあたりからは、身心ともにしびれて生けるしかばねのような肉体のからに、ただ、彼の意念の火が――生命の火だけが――赫々あかあか求法ぐほうに向って燃えているのであった。
 一椀いちわんの食も、一滴の湯も、のどにとおしていないのである。声はかれ、ひとみはかすみ、さしも意志のつよい範宴もその夕がたには、がたっと、痩せおとろえた細い手を床について、しばらく、意識もなかった様子である。
 すぐ御葉山みはやまの下の鐘楼の鐘が、耳もとで鳴るように、いんいんと初更をつげわたると、範宴は、はっとわれにかえって、思わず大喝だいかつに、
南無なむっ。聖徳太子」そして、廟窟びょうくつの石のに向い、無我のてのひらをかたくあわせた。
「――迷える凡愚範宴に、求通ぐつうのみちを教えたまえ。この肉身、この形骸けいがいを、艱苦かんくに打ちくだき給わんもよし。ただ、一道の光と信とを与えたまえ」思念をこらすと、落ちくぼんだ彼のひとみは、あたかも、※(「韋+備のつくり」、第3水準1-93-84)ふいごの窓のように、灼熱しゃくねつの光をおびて、くちは一文字にかたくむすばれて、太子の廟窟から求める声があるか、この身ここに朽ち死ぬか、不退の膝を、磐石ばんじゃくのようにくみなおした。
 彼が、この古廟こびょうに詣でて、こうした思念の闘いに坐したのは、必ずしも、途中の出来ごころや偶然ではない。範宴はくから、聖徳太子のなしたもうた大業と御生涯とを、景慕していて、折もあらば、太子の古廟にこもって、夢になりと、その御面影おんおもかげ現身げんしんにえがいてみたいと宿望にしていたのである。
 若い太子は、日本文化の大祖おおおやであると共に、仏教興隆の祖でもあった。日本の仏法というものは、青年にして大智大徳の太子の手によって、初めて、皇国日本の民心に、
(汝らの心の光たれ)とともされた聖業であった。
 かつては、弘法大師も、この御廟ごびょうに百日の参籠をして、凡愚の闇に光を求めたといいつたえられている。
 凡愚のなやみ、妄闇もうあんのまよい、それは、誰でも通ってこなければならない道であろう。弘法大師ですらそうであった。いわんや、自分のごときをや。
 範宴は、この生命力のあらんかぎりは――と祈念した。叡山えいざんで学んだところの仏学と世間の実相と自身という一個の人間と、すべてが、疑惑であり、渾然こんぜんと一になりきれない矛盾むじゅんに対して、解決の光をみたいと念願するのであった。
 しかし、およそ人間の体力に限りがあると共に、精神力というものにも、限度があるのであろう。夜がふけて、深々と、大気の冷澄れいちょうがすべてやいばのように冴えてくると範宴は、ふたたび、ぱたっと、昏倒してしまった。
 すると、誰か、
「範宴御房――」初めは遠くの方で呼ぶように思えていたが、
「範宴どの。少納言どの」いくたびとなく、耳のそばでくりかえされているうちに、はっとわれにかえった。
 紙燭ししょくを、そばにおいて、誰やら自分を抱きかかえているのであった。


「……お気がつかれたか」と、その人はいう。
 範宴は、自分のこごえている体を、温い両手で抱いてくれている人を、誰であろうかと、半ば、あやしみながら瞳をあげて見た。
「お……」彼は、びっくりして叫んだ。
「あなたは、叡山えいざん竹林房静厳ちくりんぼうじょうごん御弟子みでし安居院あごいの法印聖覚しょうかくどのではありませんか」
「そうです」法印は微笑して、
去年こぞの秋ごろから、私も、すこし現状の仏法に、疑問をもちだして、ただ一人で、叡山をりこの磯長しながの叡福寺に、ずっと逗留とうりゅうしていたのです。……でもあなたの、剛気には驚きました。こんな、無理な修行をしては、体をこわしてしまいますぞ」
「ありがとう存じます……。じゃ私は、気を失っていたものとみえます」
「よそながら、私が注意していたからよいが、さもなくて、夜明けまで、こうしていたら、おそらく、凍死してしまったでしょう」
「いっそ死んだほうが、よかったかも知れません」
「なにをいうのです。人一倍、剛気なあなたが、自殺をのぞんでいるのですか。そんな意志のよわいお方とは思わなかった」
「つい、本音を吐いて恥しく思います。しかし、いくら思念しても苦行しても、もうのひらき得ない凡質が、なまなか大智をもとめてのたうちまわっているのは、自分でもたまらない苦悶ですし、世間にも、無用の人間です。そういう意味で、死んでも、生きていても、同じだと思うのです」範宴の痛切なことばが切れると、聖覚法印は、うしろへ持ってきている食器を彼のまえに並べて、
「あたたかいうちに、かゆでも一口おあがりなさい。それから話しましょう」
七日なのかのおちかいを立てて、参籠したのですから、ご好意は謝しますが、粥は頂戴いたしません」
「今夜で、その満七日ではありませんか。――もう夜半よなかをすぎていますから、八日のあさです。めないうちに、召上がってください、そして、力をつけてから、あなたの必死なお気もちもうかがい、私も、話したいと思いますから……」そういわれて、範宴は、初めて、わんを押しいただいた。うすい温湯ぬるゆのような粥であったが、食物が、胃へながれこむと、全身はにわかに、火のようなほてりを覚えてきた。
 叡山の静厳じょうごんには、範宴も師事したことがあるので、その高足こうそくの聖覚法印とは、常に見知っていたし、また、山の大講堂などで智弁をふるう法印の才には、ひそかに、敬慕をもっていた。
 この人ならばと、範宴は、ぞんぶんに、自分のなやみも打ち明ける気になれた。聖覚もやはり彼に似た懐疑者のひとりであって、どうしても、叡山の現状には、安心と決定けつじょうができないために、一時は、ちかごろ支那から帰朝した栄西えいさい禅師のところへ走ったが、そこでも、求道ぐどうの光がつかめないので、あなたこなた、漂泊ひょうはくしたあげくに、去年の秋から、磯長しながに来て無為の日を送っているのであると話した。


「迷える者と、迷える者とが、ここで、ゆくりなくお目にかかるというのも、太子のおひきあわせというものでしょう」聖覚法印は、語りやまないで、語りゆくほど、ことばに熱をおびてきた。
「いったい、今の叡山えいざんの人々が、何を信念に安住していられるのか、私にはふしぎでならない。――僧正の位階とか、金襴きんらんのほこりとかなら、むしろ、もっと赤裸な俗人になって、金でも、栄誉でも、気がねなく争ったがよいし、学問を競うなら、学者で立つがよいし、職業としてなら、他人ひとに、五戒だの精進しょうじん堅固などをいるにも及ぶまい、また、強いる権能もないわけではありませんか」
 範宴は、黙然とうなずいた。
「あなたは、どう思う。おもてには、静浄を装って、救世ぐせを口にしながら、山を下りれば、俗人以上に、酒色をぬすみ、事があれば、太刀薙刀なぎなたをふるって、暴力で仏法の権威を認めさせようとする。――平安期のころ、仏徒の腐敗をなげいて、伝教大師でんぎょうだいしが、叡山をひらき、あまねく日本の仏界を照らした光は、もう油がきれてしまったのでしょう、現状の叡山は、もはや、われわれ真摯しんしな者にとっては、立命の地でもなし、安住のいきでもありません。……で、私は、迷って出たのです、しかし実社会に接して、なまなましい現世の人たちの苦悩を見、逸楽を見、流々転相るるてんそうのあわただしさをあまりに見てしまうと、私のような智の浅いものには、魚に河が見えないように、よけいに昏迷してしまうばかりで、ほとんど、何ひとつ、把握はあくすることができないのであります」
 法印の声は、切実であった。
 若い範宴は、感激のあまり、思わず彼の手をにぎって、
聖覚しょうかくどの。あなたがいわるることは、いちいち私のいおうとするところと同じです。二人は、ほとんど同じ苦悶をもって同じ迷路へさまよってきたのでした」
七日七夜なのかななよの参籠で、範宴どのは、何を得られたか」
「何も得ません。えと、寒気とだけでした。――ただ、あなたという同じ悩みをもつ人を見出して、こういう苦悶は自分のみではないということを知りました」
「私はそれが唯一のみやげです。あしたは叡福寺えいふくじを立とうと思うが、もう叡山には帰らないつもりです」
「して、これから、どこへさして行かれるか」
「あてはない……」聖覚はうつ向いて、さびしげに、
「ただ、まことの師をたずねて、まことの道を探して歩く。――それが生涯果てのない道であっても……」二人の若い弥陀みだの弟子たちは、じっと、そばにある紙燭ししょくの消えかかる灯を見つめていた。
 すると、更けた夜気を裂いて、どこかで、かなしげな女のさけび声がながれ、やがて、嗚咽おえつするような声にかわって、しゅくしゅくと、いつまでも、泣きつづけている――
「はて、怪しい声がする」範宴が、おもてをあげると、聖覚法印も立ちあがって、
「どこでしょう。この霊地に、女の泣き声などがするはずはないが……」と、縁へ顔を出して、白い冬の夜を見まわした。


「はての……普請ふしん経堂きょうどうの中でする声らしい。……ちょっと見てきましょう」法印は外へ出て、経堂のほうへ出て行ったが、やがて、しばらくすると戻ってきて、
「世間には、悪い奴が絶えぬ」と義憤の眼を燃やしながら、範宴へいうのであった。
「若い女でも誘拐かどわかしてきたのですか」
「そうです。――行ってみると、野武士ていの男が、経堂の柱に、ひとりの女を縛りつけ、凄文句すごもんくをならべていましたが、どうしても、女が素直な返辞をしないために、腕ずくで従がわせようとしているのでした」
「この附近にも、野盗が横行するとみえますな」
「いや、どこか、他国の者らしいのです。私が、声をかけると、賊は、よほど大胆なやつとみえて、驚きもせず、おれは天城あまぎの四郎という大盗だとみずから名乗りました」
「えっ、天城四郎ですって?」
「ごぞんじですか」
「聞いています。どこの街道へもあらわれる男で、うわべは柔和にみえますが、おそろしい兇暴な人間です」
「――と思って、私も、怪我けがをしてはつまらないと思い、わざとていねいに、ここは清浄な仏地であるから、ここで悪業をすることだけはやめてくれと頼みますと、天城四郎はせせら笑って、さほどにいうならば、まず第一に、醜汚しゅうおな坊主どもから先に追い退けなければ、仏地を真の清浄界とはいわれまい。坊主が、偽面をかぶって醜汚な行いをつつんでいるのと、俺たちが素面のままでやりたいと思うことをやるのと、どっちが、人間として正直か――などと理窟をならべるのです。これには、私もちと返答にこまりました」
「そして……どうしました」
「理窟はいうものの、やはり、賊にも本心にはひるむものがあるとみえ、それを科白ぜりふに、ふたたび、女を引っ張って、どこへともなく立ち去りました」
「では、その女というのは、十九か、二十歳はたちほどの、京都ふうの愛くるしい娘ではありませんでしたか」
「よく見ませんでしたが、天城四郎は、こずえ、梢と呼んでいたようです」
「あっ、それでは、やはり……」範宴は、弟の愛人が、まだ弟に思慕をもちつつ、賊の四郎に反抗し、彼の強迫と闘っている悲惨なすがたを胸にえがいて、たえられない不愍ふびんさを感じた。
「どの方角へ行きましたか」彼は、そういって、立ちかけたが、衰えている肉体は、朽ち木のようにすぐ膝を折ってよろめいてしまうのであった。法印は、抱きささえて、
「賊を追ってゆくおつもりですか。およしなさい、一人の女を救うために、貴重な体で追いかけても、風のような賊の足に、追いつくものではありません」
「ああ……」涙こそながさないが、範宴は全身の悲しみを投げだして、氷のような大床おおゆかしてしまった。
 自分の無力が自分を責めるのであった。弟はあれで救われたといえようか。弟の女は、どうなってゆくのだろうか。裁く力のない者に裁かれた者の不幸さが思いやられる。
「――もうやがて夜が明けましょう。範宴どの、またあすの朝お目にかかります」あかりだけをそこにおいて、聖覚法印は、木履ぼくりの音をさせて、ことことと立ち去った。


 遠くで、夜明けのとりの声がする――
 しかし、顔をあげてみると、まだ外は暗いのであった。
 ジ、ジ、ジ……とあかりの蝋涙ろうるいが泣くように消えかかる。
 その明滅する燈火ともしびの光が、びょうの古びた壁にゆらゆらうごいた。
「? ……」夜明けまでのもう一刻いっときをと、しずかに瞑想めいそうしていた範宴は、ふと、太子の御霊廟みたまやにちかい一方の古壁に何やら無数の蜘蛛くものようにうごめいているものをみいだしてひとみを吸いつけられていた。
 燈灯あかしが消えかかるので、彼はそっとで風をかこいながら、そこの壁ぎわまで進んで行った。
 見ると、誰が書いたのか、年経た墨のあとが、壁の古びと共に、消えのこっていて、じっと、眼をこらせば、かすかにこう読まれる――
日域にちいきは大乗相応の地たり
あきらかに聴け
あきらかに聴け、
我が教令を
汝の命根まさに十余歳なるべし
命終りて
速かに浄土に入らん
善信、善信、真の菩薩ぼさつ
 幾たびか口のうちで範宴はくりかえして読んだ。そして、
(誰の筆か?)と考えた。
 弘法大師や、また自分のような一学僧や、そのほかにも、幾多の迷える雲水が、このびょうに参籠したにちがいない。それらのうちの何者かが、書き残して行った字句にはちがいない。
 けれど、範宴のこころに、その数行の文字は、決して偶然なものには思えなかった。七日七夜、彼が死に身になって向っていた聖徳太子の御声みこえでなくてなんであろう。自己の必死な思念に答えてくれた霊示にちがいないと思った。闇夜に一つの光を見たように、範宴は、文字へひとみきつけた。わけても、
汝の命根まさに十余歳なるべし
 とは明らかに自分のことではないか。指をくれば、かぞえ年二十一歳の自分にちょうどその辞句は当てはまる。しかも、
命終りて――
 とは何の霊示ぞ。迷愚の十余歳は、こよいかぎり死んだ身ぞという太子のおことばか。
「――日域は大乗相応の地たり……日域は大乗相応の地たり。ああ、このもとに、われを生ましめたもうという御使命の声が胸にこたえる。そうだ……自分はゆうべ、法印へ向って、死の気もちがあることまで打ち明けた。太子は、死せよと仰っしゃるのだ。そして迷愚のからを脱いだ誕生身たんじょうしんに立ちかえって、わが教令を、この日の本にけよと自分へ仰っしゃるのだ」
 もう、戸外そとには、小禽ことりがチチといていた。紙燭のろうがとぼりきれると共に、朝は白々とあけて、御葉山みはやまの丘の針葉樹に、若い太陽の光がチカチカと耀かがやいていた。


春のけはい




 この世に――このもとに生れてきた自分の使命が何であるかを、範宴はんえんは自覚した。
 同時に、
(自分は二十歳にして死んだものである)という観念のもとから新しく生れかわった。
 この二つの信念は、磯長しながびょうに籠った賜物たまものであった。聖徳太子からささやかれた霊示であると彼は感激にみちて思う。けれど、
(では一体、自分は何をもって、その重い使命を果すか)となると、彼はまた混沌こんとんたる迷いの子になった。
 太子びょう壁文へきぶんには、
――日域にちいきは大乗相応の地、あきらかに聴けわが教令を。
 とあった。けれどもそれは暗示であり、提案である、「わが教令を聴け」といわれても、太子のふまれた足蹟そくせきはあまりに偉大であり、あまりに模糊もことしている。
「――聴く耳がなければ」と範宴は新しくもだえた。
「聴ける耳がほしい」迷える彼は、それからいずこともなく二年のあいだをさまよいあるいた。
 東大寺の光円を訪れ、唐招提寺とうしょうだいじをたたき、そのほか、法燈のあるところといえば、けわしさにひるまず、遠きにまず、雨や風に打たれても尋ねて行った。
 けれど、彼の求める真理のかぎはなかった。太子がひろめられた教令のかたちはあっても、いつか、真理のたましいはどこにも失われていた。堂塔伽藍どうとうがらんはぬけがらであった。ひとり叡山えいざんばかりがそうなのではない。
 求めるものが求められないのみか、さまよえば、さまようほど、彼の迷いは濃くなってゆく。
 二年あまりを、そうして、あてどもなく疲れあるいた彼は、ふいに、青蓮院しょうれんいんの門前にあらわれて、取次を乞い、見ちがえるほど痩せおとろえた姿で、師の慈円じえん僧正のまえに坐った。慈円は、ひと目みて、
「どうしたのじゃ」と驚いていった。
 範宴は、あまりに消息を欠いたので、師のぼうを見舞うつもりで来たのであるが、その師の房から、先に見舞われて、
「べつに、自分は変りもございませんが……」と答えた。
 彼のつよい精神力は、ほんとに、自分の肉体のおとろえなどは、少しも気にしていなかったのである。
「かわりはないというが、ひどく痩せたではないか。第一、顔の色つやも悪い。叡山えいざんにいたころのおもかげもありはしない」
「そう仰せられてみますと、あるいはそうかもしれませぬ。どうか、一日もはやく生涯の――いや人類永劫えいごうの安心と大決定だいけつじょうをつかみたいと念願して、すこし修行に肉体をいじめましたから……」
「そうであろう」慈円は、いたましいものを見るように、彼のとがった肩や膝ぶしを見まもるのであった。稚子髪ちごがみの時代の十八公麿まつまろが、いつまでも、慈円のまぶたにはのこっていて、そのころの何も思わないつややかな頬と今の範宴とを心のうちで思いくらべているのであった。
「おん身は今、焦心あせっている。火のように身をいて真理をさがしているのであろう。それはよいが、体をこわしてはなるまいが」と、慈円はいとさとすようにいった。


 師にお目にかかったら――と幾つもの疑問を宿題にして範宴は胸にめていたが、あまりに、彼が憔悴しょうすいしているさまを見たせいか、慈円僧正は、彼が、なにを問うても、
「まあ、養生をせい」というのみで、法問に対しては、答えてくれなかった。
 実際、そのころの範宴は、食物すらいつも味を知らずに噛むせいか、すこしも胃に慾がなく、梅花うめを見れば、ただ白いと見、小禽ことりの声を聴けば、ただ何かいていると知るだけであった。
 それが、青蓮院しょうれんいん辿たどりついて、師のやさしいことばにふれ、ふと安息を感じたせいか、二年余りのつかれが一時に出てきたように、病人のように、日ごとに頬の肉がこけ、眼はくぼんで、ひとみの光ばかりがつよくなってきた。
 範宴自身が感じているより幾層倍も、慈円のほうが、案じているらしくみえた。
「どうじゃ範宴、きょうは、わしにいてこないか」陽が暖かくて、梅花うめかんばしい日であった。庭さきでもひろうように、慈円はかろく彼にすすめる。
「どちらへお出ましですか」
「五条まで」
「お供いたしましょう」何気なく、範宴はいて行ったのである。
 もとより仰山な輿こしなど好まれる人ではなかった。というて、あまり往来の者に顔をみられたり、礼をされるのもうるさいらしく、慈円は、白絖しろぬめの法師頭巾ずきんをふかくかぶって、汚い木履ぼくりをぽくぽくと鳴らしてゆくのである。
 五条とはいわれたが、何しにとは訊かなかったので、範宴は、師の君はいったいどこへゆくのかと疑っていると、やがて、五条の西洞院にしのとういんまでくると、この界隈では第一の構えに見える宏壮な門のうちへ入って行った。
 範宴は、はっと思った。
「ここは、月輪関白つきのわかんぱくどのの別荘ではないか」と足をとめて見まわしていると、
「範宴、はようこい」と、慈円はふり向いて、中門のまえから手招きをした。
 正面の車寄くるまよせには、まばゆいようなくるまが横についていた。慈円は、そこへはかからずに中門を勝手にあけ、ひろい坪のうちをあるいて東のおくの廻廊へだまって上がってゆく。
(よろしいのでございますか)範宴は訊こうと思ったが、関白どのは、師の君の実兄である。なんの他人行儀もいらない間がらであるし、ことには、骨肉であっても、風雅の交わりにとどめているおん仲でもあるから、いつもこうなのであろうと思って、彼もまた無言のまま上がって行った。
 奥まった寝殿には、催馬楽さいばらの笛やしょうが遠く鳴っていた。時折、女房たちの笑いさざめく声が、いかにも、春の日らしくのどかにもれてくる。
「きょうは、表の侍たちも見えぬの。たれぞ、出てこぬか。客人まろうどが見えてあるぞ」慈円は、中庭の橋廊下へ向いながら、手をたたいた。


 小侍が走ってきて、
「あっ、青蓮院様でいらっしゃいますか」と、平伏した。慈円は、もう橋廊下の半ばをこえながら、
「お客人まろうどではあるまいな」
「はい、お内方うちかたばかりでございます」答えつつ、小侍は、腰をかがめながら慈円の前を、つつと抜けて、
「――青蓮院さまがお越し遊ばしました」渡殿わたどのの奥へこう告げると、舞曲のがくが急にやんで、それから、華やかな女たちの笑い声だの、きぬずれの音などが、楚々そそとみだれて、
「おう、青蓮院どのか」月輪兼実かねざねがもうそこに立っている。
 兼実は、手に、横笛を持っていた。それをながめて慈円が、
「おあそびか、いつも、にぎわしいことのう」と、微笑しながら、兼実や、侍たちに、ともなわれてゆく。
 うるしと、はくと、砂子すなごと、うんげんべりの畳と、すべてが、庶民階級の家には見馴れないものばかりで、きにおう名木めいぼくのかおりが、豪奢ごうしゃに鼻をむせさせてくるし、飼いうぐいすの啼くねがどこかでしきりとする。
 しかし、その十畳ほどなうんげんべりのたたみのには、今はいって来た客とあるじのほか一人の人かげも見えないのである。ただ、扇だの、つづみだの、げんだの、胡弓だの、またしょうのそばにむらさきの頭巾布ずきんぎれだの、仮面めんだのが、秩序なく取り落してあって、それらの在りどころに坐っていた人々は、風で持ってゆかれてしまったように消えうせていた。
「――なんじゃ、誰も見えんではないか」慈円がいぶかると、兼実は、
「はははは――。お身が参られたので、恥かしがって、みんなかくれたのじゃ」
「なにも、かくれいでもよいに」
「きょうは、姫の誕生日とあって、何がなして遊ぼうぞと、舎人とねりの女房たちをかたろうて、管絃のまねごとしたり、猿楽などを道化どうけていたので、むずかしい僧門のお客と聞いて、あわてて皆せたらしい」
「女房たちは、どうして、僧を嫌うかのう」
「いや、僧が女房たちを、むのでござろう。女人は禁戒のはずではないか」
「というて、同じ人ではないか」
「ははは。ただ、けむたい気がするのじゃろ」
「そうけむたがらずに、呼ばれい、呼ばれい、わしも共に笛吹こう」
 慈円が、笛をふこうというと、唐織からおりぬのを垂れた一方の几帳きちょうが揺れて、そのかげに、もすそだけを重ね合ってひそんでいた幾人もの女房たちが、こらえきれなくなったように、一人がくすりと洩らすと、それをはずみに、いちどに、
「ホ、ホ、ホ、ホ」
「ホホホ……」と笑いくずれ、さらに、※(「口+喜」、第3水準1-15-18)ききとしていちだんたかく笑った十三、四歳かと見えるひとりの姫が、几帳の横から、
「ああ、おかしや」と、おなかを抑えながら、まだ笑いやまないで姿を見せた。
 つづいて、侍女こしもとだの、乳人めのとだのが、後から後からと、幾人もそこから出てきた。



「姫、ごあいさつをせぬか、叔父さまに――」
 兼実かねざねがいうと、まだどっかこうあどけない姫は、笑ってばかりいて、
「後で」と、女房たちの後ろにかくれた。
 慈円にはめいにあたる姫であって、兼実にとっては、この世にまたとなき一人息女ひとりむすめ玉日姫たまひひめである。
「玉日――」慈円は呼んで、
「あいさつは、あずけておこうほどに、猿楽の真似まねを一つ見せい」すると、また、玉日も、女房たちも、何がおかしいのか、いよいよ笑って、返辞をしない。
「せっかく、面白う遊戯していたに、この慈円が来たために、やめさせては悪い。舞わねば、わしは帰るほかあるまい」
 すると、玉日は、父のそばへ小走りに寄ってきて、その膝に甘えながら、
「叔父さまを、帰してはいやです」
「それでは、管絃を始めたがよい」
「叔父さまも、なされば――」
「するともよ」慈円は、わざと興めいて、
「わしは、歌を朗詠しよう」
「ほんとに?」姫は、念を押して、女房たちへ向いながら、
「叔父さまが、朗詠をあそばすと仰っしゃった。そなた達も、聞いていらっしゃい」
「はい、はい、僧正さまのおうたなど、めったにはうかがえませぬから、ちゃんと、聞いておりまする」
「そのかわりに、姫も、舞うのじゃぞ」
「いや」玉日は、慈円のうしろをちらと見た。そこに、青白い顔をして梅の幹のように痩せてはいるがりんとしてひとりの青年がさっきからひかえている、その範宴をながめて、はにかむのであった。慈円は気がついて、
「そうそう、姫はまだこのお人を知るまい」
「…………」玉日は、あどけなく、うなずいて見せた。父の兼実かねざねが、
「叔父さまの御弟子みでしで、範宴少納言という秀才じゃ。そなたがまだ、乳人めのとのふところにいだかれて青蓮院しょうれんいんもうでたころには、たしか、範宴も愛くるしい稚子ちご僧でいたはずじゃが、どちらも、おぼえてはいまい」
「そんな遠い幼子おさなごのころのことなど、覚えているはずはありませんわ」
「だから、恥らうことはないのじゃ」
「恥らってなどおりません」姫も、いつか、馴れていう。
「じゃあ、舞うて見せい」
「舞うのは嫌、胡弓か、ことならいてもよいけれど」
「それもよかろう」
「叔父さま、うたうんですよ、きっと」
「おう、謡うとも」慈円が、まじめくさって、胸をのばすと、兼実も、女房たちも、笑いをこらえている。
 範宴は、ほほ笑みもせず、黙然もくねんとしたきりで、澄んだ眸をうごかしもしない。


 そこへ、侍女こしもとが、菓子を運んできて、慈円のまえと、範宴のまえにおいた。
 慈円は、その菓子を一つたべ、白湯さゆにのどをうるおして、
「えへん」とせきばらいした。
 姫も、女房たちも、おのおの、楽器をもって、待っていたが、いつまでも慈円がうたわないので、
「いやな叔父さま」と、姫はすこしむずかって、
「はやくお謡いあそばせよ」あどけなく、鈴のような眼をして、玉日姫が睨むまねをすると、慈円はもう素直に歌っていた。
西寺さいじの、西寺の
老いねずみ、若鼠
おんんず
袈裟けさんず
法師に申せ
いなとよ、師に申せ
 歌い終るとすぐ、
「兄上、ちと、話したいことがあるが」と、兼実へいった。
「では、あちらで」と兼実は、慈円と共に、そこを立って、別室へ行ってしまった。
 姫は、つまらなそうな顔をして、二人の後を追って行ったが、父に何かいわれて、もどってきた。
 乳入めのとや女房たちは、機嫌をそこねないようにと、
「さあ、おひいさま、もう、誰もいませんから、また、猿楽あそびか、鬼ごとあそびいたしましょう」
「でも……」と、玉日は顔を振った。
 範宴が、片隅に、ぽつねんと取り残されていた。女房たちのうちから、一人が、側へ寄って、
「お弟子さま。あなたも、お入りなさいませ」
「は」
「鬼ごとを、いたしましょう」
「はい……」範宴は、答えに、窮していた。
「おひいさまが、おむずかりになると、困りますから、おめいわくでしょうが」と手を取った。そして、
「おひいさま、この御房ごぼうが、いちばん先に、鬼になってくださるそうですから、よいでしょう」玉日は、貝のような白いあごをひいて、にこりとうなずいた。
 いうがごとく、迷惑至極なことであったが、こばむまもなく、ひとりの女房が、むらさきのぬのをもって、範宴のうしろに廻り、眼かくしをしてしまった。
 ばたばたと、きぬずれが、四方にわかれて、みんなどこかへ隠れたらしい。時々、
東寺の鬼は
何さがす――
 と歌いつつ、手拍子をならした。
 範宴は、つま先でさぐりながら、壁や、柱をなでてあるいた。そしてふと、眼かくしをされた自分の現身が、自分の今の心をそのままあらわしているような気がして、かなしい皮肉にうたれていた。


 くすくすと、そこらで忍びわらいがする。
 それを目あてに、範宴は手さぐりをしては、室内をさまよった。
 そして、几帳きちょうの蔭にかくれていた人をとらえて、
「つかまえました」と、目かくしをとった。それは、玉日姫であった。姫は、
「あら……」と困った顔をし、範宴は、何かはっとして、捕えていた手を放した。
「さあ、こんどは、お姫さまが鬼にならなければいけません」と、乳人や女房たちは、彼女の顔をむらさきのきれで縛ろうとすると、
「嫌っ」と姫は、うぐいすのように、縁へ、逃げてしまった。出あいがしらに小侍こざむらいが、
「範宴どの、青蓮院しょうれんいんさまが、お帰りでございますぞ」と告げた。範宴はほっとして、
「あ。おもどりですか」人々へ、あいさつをして、帰りかけると、姫は、急に、さびしそうに、範宴のうしろ姿へ、
「また、おいで遊ばせ」といった。振向いて、範宴は、
「はい、ありがとうございます」
 しかし――彼は何か重くるしいものの中からのがれるような心地であった。こういう豪華な大宮人の生活に触れることは夢のように遠い幼少のころの記憶にかすかにあるだけであって、九歳の時からもう十年以上というもの、いつのまにか、僧門の枯淡と寂寞せきばくが身に沁みこんで、かかる絢爛けんらんの空気は、そこにいるだにもたえない気がするのであった。
 慈円はもう木履を穿いて、丁子ちょうじの花のにおう前栽せんざいをあるいていた。
 供をして、外へ出てから、範宴はこういって慈円にたずねた。
「お師さまは、叡山えいざんにいれば、叡山の人となり、青蓮院にいらっしゃれば、青蓮院の人となり、俗家へいらっしゃれば、俗家の人となる。女房たちや、お子たちの中へまじっても、また、それにうち解けているご様子です。よく、あんなうたなど平気におうたいになれますな」すると、慈円はこういった。
「そうなれたは、このごろじゃよ。――つまり、いるところに楽しむという境界きょうがいにやっと心がおけてきたのじゃ」
「――いるところに楽しむ。……」
 範宴は、口のうちで、おうむ返しにつぶやきながら考えこんだ。慈円はまた、
「だが、おもとなどは、そういう逃避を見つけてはいけない。わしなどは、いわゆる和歌詠うたよみの風流僧にとどまるのだから、そうした心境こころに、小さい安住を見つけているのじゃ。やはり、おもとの今のもだえのほうが尊い――」
「でも、私は、真っ暗でございます」
「まいちど、叡山へのぼるがよい。そして、あせらず、逃避せず、そして無明むみょうをあゆむことじゃ。歩むだけは歩まねば、彼岸ひがんにはいたるまいよ」
 どこかの築地ついじの紅梅が、風ともなく春のけはいをほのかに陽なたの道ににおわせていた。


 青蓮院の門が見えた。その門をくぐる時、慈円はまた、ことばをくりかえして、
「もいちど叡山へもどったがよいぞ」と、いった。
「はい」範宴はそう答えるまでに自分でも心を決めていたらしく、
「明日、おいとまをいたしまする」
「うむ……」慈円はうなずいて、木履の音をぼうのほうへ運んで行った。すると、房の式台の下にかがまって、手をついている出迎えの若僧があった。
 慈円は、一瞥いちべつして、ずっと奥へはいってしまったが、つづいて範宴が上がろうとすると、若僧はふいに彼の法衣ころもたもとをつかんで、
「兄上」と、呼んだ。
 思いがけないことであった。それは性善坊と共に、先年、都に帰った弟の朝麿なのである。
 常々、心がかりになっていたことでもあるし、この青蓮院へついてもまっ先にその後の消息をたずねたいと思っていたのでもあるが、まさか、髪をろして、ここにいるとは思わなかったし、師の慈円も、そんなことは少しも話に出さなかったので、彼は驚きの眼をみはったまま、
「おお……」とはいいながらも、しばらく、弟の変った姿に茫然ぼうぜんとしていた。
 朝麿はまた、兄の痩せ尖った顔に、眼を曇らせながら、
「――ここでお目にかかるも面目ない気がいたしますが、ご覧のとおり、ただ今では、僧正のお得度とくどをうけて、名も、尋有じんゆうと改めておりまする。……どうか、その後のことは、ご安心くださいますように」と、さしうつむいていった。
「そうか」範宴は、大きな息をついて、うなずいた。それで何か弟の安住が決まったように心がやすらぐと共に、もういっそう深刻な弟の気もちを察しているのでもあった。
「お養父君ちちぎみも、ご得心ですか?」
「わたくしのすべての罪をおゆるしくださいまして、今では、兄上と共に、仏の一弟子として、修行いたしておりまする」
「それはよかった……さだめしお養父君もご安心なされたであろう。おもとも、発心ほっしんいたしたうえは、懸命に、勉められい。精進一途いちずにおのれをみがいているうちには、必ず、仏天のおめぐみがあろう。惑わず、疑わずに……」
 範宴は弟にむかって、そうさとしたが、自分でも信念のない声だと思った。しかし、尋有じんゆうは素直であった。兄のことばを身に沁み受けて、
「はい、きっと、懸命に修行いたしまする」と、懺悔さんげのいろをあらわしていうのであった。
 あくる朝、範宴は、叡山えいざんの道をさして、飄然ひょうぜんと門を出た。尋有の顔が、いつまでも、青蓮院の門のそばに立って見送っていた。
 どこかで、やぶうぐいすのささ鳴きが、風のやむたびに聞えていた。

古いもの新しいもの




範宴はんえんが山へもどってきた――」叡山えいざんの人々のあいだに、それは大きな衝動であった。
 彼らの頭には、範宴という人物が、いつのまにか大きな存在になっていた。自分たちに利害があるないにかかわらず、範宴のうごきがたえず気がかりであった。
 それというのも、この山の人々の頭には、十歳にみたない少年僧であった時から、授戒登壇をゆるされて、その後も、群をぬいて学識をみがいてきた範宴というものが、近ごろになって何となく自分たちの脅威に感じられてきたからであった。
「一乗院が帰山したというが、いつごろじゃ」
「もう、十日ほど前にもなろう、例の性善坊しょうぜんぼうは、それよりもずっと前に戻っていたが、範宴のすがたが見えたは、ついこのごろらしい」
「ちょうど、三年ぶりかの」
「そうさ。範宴が下山おりたのは、先一昨年さきおととしの冬だったから……」
「だいぶ修行もつんだであろう」
「なあに、奈良は女の都だ、若い範宴が何を修行してきたかわかるものか」
「それは、貴僧たちのことだ。範宴がおそろしい信念で勉学しているということは、いつか山へ来た宇治の客僧からも聞いたし、ふもとでもだいぶうわさが高い」一人が口をきわめて範宴の学才とその後の真摯しんしな態度を賞めたたえると、怠惰な者の常として、かるい嫉妬しっとをたたえた顔がちょっと白けてみえた。
「その範宴が、明日あすから横川よかわ禿谷かむろだにで、講義をひらくということだが――」と、思いだしたようにいうと、
「そうそう、小止観しょうしかんと、往生要集おうじょうようしゅうを講義するそうだが、まだ二十二、三の若年者が、山の大徳や碩学せきがくをまえにおいて、どんなことをしゃべるか、聞きものだて」
碩学せきがくたちも意地がわるい、ぜひにと、懇望しておいて、実は、あげ足をとって、つッ込もうという肚じゃないかな?」
「そうかもしれん。いや、そうなるとおもしろいが」
 惰眠だみんの耳もとへ鐘をつかれたように、人々は、範宴を嫉妬した。
 禿谷には、その翌日、一山の人々がきびすをついでぞろぞろとれてきた。講堂は立錐りっすいの余地もなく人でうまった。若い学僧がむろん大部分であったが、中には、一院のあるじも、一方の雄僧も見えて、白い眉毛まゆげをしかめていた。
 やがて、講壇のむしろに、一人の青年が法衣ほうえをさばいて坐った。色の青じろい肩の尖った姿を、人々はふと見ちがえて、
「ほ……あれが範宴か」と、その変りように思わず眼をみはった。
「痩せたのう」
「眼ばかりがするどいではないか」
「病気でもしたとみえる」
 聴座ちょうざの人々のあいだに、そんなささやきがこそこそながれた。しかし、範宴の唇だけは誰よりも紅かった。そして一礼すると、その唇をひらいて、おもむろに小止観を講義して行った。


 その日の範宴の講義は、あくまで範宴自身の苦悩から生れた独自の新解釈の信念に基づいたものであって、従来の型にばかりとらわれた仏法のための仏法であったり、学問のための学問であったりするものとは、大いにおもむきが変っていた。
 従って、今までの碩学せきがくや大徳の説いた教えに養われてきた人々には、耳馴れない範宴の講義が、いちいち異端者の声のように聞えてならなかったし、新しい学説を取って、若い範宴の衒学げんがくだと思う者が多かった。
「ふふん……」という態度なのである。中には明らかに反感を示して、
「若いものが、すこし遊学でもしてくると、あれだから困るのじゃよ」と、あざむようにいう長老もあった。
 ただ、終始、熱心に聞いていたのは、権智房ごんちぼうひとりであった。権智房は、青蓮院しょうれんいんの慈円僧正から、きょうの講義の首尾を案じて、ふもとからわざわざ様子を見によこした僧である。
 それと、もうひとり、どこの房に僧籍をおいているのかわからないが、おそろしい武骨な逞しい体躯をもった法師が、最も前の方に坐りこんで、睨むようなまなざしで、範宴の講義が終るまで身うごきもせずに聞き入っていたのが目立っていた。
 長い日も暮れて、禿谷かむろだにの講堂にも霧のようなものが流れこんできた。講堂の三方から壁のように見える山のひだには、たそがれの陰影が紫ばんで陽はうすずきかけている。
 範宴は、およそ半日にわたる講義を閉じて、
「短い一日では、到底、小止観の真髄しんずいまで、お話はできかねる。きょうは、法筵ほうえんを閉じて、また明日あす、究めたいと思います」礼をして、壇を下りた。
 大勢のなかには、彼の新しい解義に共鳴したものも何人かあったとみえて、
「範宴御房! 夜に入っても、苦しゅうない。ねがわくは、小止観の結論まで、講じていただきたいが」という者もあるし、また、
「きょうのお説は、われらが今まで聴聞ちょうもんいたしてきた先覚の解釈とは、はなはだ異なっている。われわれ後輩のものは、従来の説を信じていいか、御房の学説にっていいか、迷わざるを得ません」と訴える人々もあるし、
「学問には、長老や先覚にも、遠慮はいらぬはずだ。どうか、もっと話してもらいたい。堂衆たち! 明りをけろ」
 立ちさわぐものもあったが、範宴は、もう席を去って、いかにもつかれたような面もちを、夕方の山影に向けながら、縁に立って、呼吸をしていた。
 すると、そこへもまた、若い学徒がすぐ行って、彼を取り巻きながら、
「きょうのご講義のうちに、ちとに落ちない所があるのですが」とか、
「あすこのおことばは、いかなる意味か、とくともう一度、ご説明をねがいたい」とかいって、容易に、彼を離さなかった。
 席をあらためて、範宴は、その人々の質疑へ、いちいち流れるような回答を与えていたが、そのうちに、互いの顔が見えないほど、講堂のうちはとっぷりと暮れてしまった。


 性善坊が迎えにきていた。
「お師さま、あまり遅くならぬうち――」そばへ寄ってうながした。
 それをしお[#「しおに」は底本では「しおいに」]範宴は人々の群れを抜けて講堂の外へでた。夜の大気がんやりと山の威厳を感じさせる。
「お待ち下さいませ」性善坊は、松明たいまつをともして、彼のあゆむ先へ立って明りをかざした。
 松明は、ほのおよりも多く、墨のような煙を吐いてゆく。明滅する山の道は浮きあがって眼に迫ってきたり、眼から消えて谷のように暗くなったりする。
崕道がけみちにかかります、なるべく、左の方へ寄っておあるきなさいませ」そう注意しながら――「お師さま」と、性善坊は改まっていった。
「きょうのご講義は、わたくしがよそながら、聴いておりましても、胸のおどるほど、ありがたいお教えと存じましたが、そこらでささやく声のうちには、とかくねたみや、反感も多かったようでございます。やはり、あまり真情に仰っしゃるのは、かえって、ご一身のおためによくないのではないかと案じられてなりませんが」
「真情にいうて悪いとすると、自分の信念は語れぬことになる」
ごうに入っては、郷にしたがえと申します。やはり叡山えいざんには叡山の伝統もあり、ここの法師たちの気風だの、学風だのというものもございますから……」
「それに順応せいというのか」
「ご気性にはそむきましょうが」
「ここの人々の気にいるようなことを説いて、それをもって足れりとするくらいなら、範宴は何をか今日までこの苦しみをしようか。たとえ、嫉視しっし、迫害、排撃、あらゆるものがこの一身にあつまろうとも、範宴が講堂に立つからには御仏みほとけ偽瞞ぎまんきぬにつつむようなわざはできぬ」いつにないつよい語気であった。性善坊は、その当然なことを知っているだけに、後のことばが出なかった。
 右手の闇の下には、横川の流れが、どうどうと、闇の底に鳴っていた。松明たいまつの火が、時々、ほたるみたいな粉になって谷へ飛んだ。
 崕道がけみちがきれると、ややひろい、平地ひらちへ出た。一乗院までには、もう一つの峰をめぐらなければならない。しかし、そこに立つと、遥かに京都の灯がちらちらとみえ、あさぎ色の星空がひらけて足もとはずっと明るくなった。
「待てっ!」突然、草むらの中から、誰かそう呶鳴ったものがある。範宴の眼にも、性善坊の眼にも、あきらかに黒い人影が五つ六つそこらから躍り出したのが見えた。
「誰だっ」性善坊は、本能的に、範宴の身をかばった。ばらばらとあつまってきた五、六人の法師たちは、たしかに昼間、講堂の聴衆の中にいた者にちがいなかった。棒のような物を引っさげているのもあるし、剣をつかんでいるものもあった。
「異端者め!」と一人がいうのである。そして、いっせいに、
「若輩のくせにして、異説を唱える不届きな範宴は、この山にはおけぬ、山を下りるか、ここで、自分の学説は過りであること、仏陀に誓うか、返答をせいっ」と、威たけだかに、おどすのであった。


 眉の毛もうごかさず相手の顔を正視していた範宴は、唇で微笑した。
「わたくしの学説はわたくしの学説であって、それをると摂らぬとは聴く人の心々にあることです。いかなる仰せがあろうとも、学徒が信念する自己の説を曲げたり変えたりすることはできませぬ」静かにいうことばがかえって相手の怒りきっている感情をあおりたて、
「よしっ、それでは、叡山から去れ、去らねば、つまみだすぞ」と、法師たちは、袖を肩へたくしあげた。
 範宴の脚は、地からえているように動じなかった。
「なんで私に山を去れと仰っしゃるのか、私には、御山みやまを追われる覚えはない」
「貴様がきょう講堂でしゃべったことは、すべて、仏法を冒涜ぼうとくするものだ」
「それを指摘してください」
「いちいちいうまでもないことだ。汝の精神に訊け。汝は仏弟子でありながら、仏陀ぶっだを心から信仰しているのではあるまい」
「そうです、私は、仏陀を偶像的に拝みたくありません、仏陀もわれらと等しい人間であり、われらの煩悩ぼんのうを持ち、われらと共に生きつつある凡人として礼拝したいのであります。そういう気持から、きょうの講義のうちには、多少、偶像として仏陀にひざまずいているあなた方には、すこし耳なれない言辞があったかも知れませんが、それも私の信念でありますから、にわかに、その考え方を曲げろの変えろの仰っしゃられてもどうすることもできません」範宴のことばが終るか終らないうちに一人の法師がかためていたこぶしがふいに彼の肩先を烈しく突きとばして、
「この青二才め、仏陀も人間もいっしょに考えておる。らしめてやれ」
「思い知れ、仏罰をッ」つづいてまた一人の者の振り込んだ棒が、範宴の腰ぼねをしたたかに打った。性善坊はすでに、暴力になったとたんに二人の法師を相手に取っくんでいた。
 ここの山法師には僧兵という別名さえあるほどで、武力においては、常に侍に劣らない訓練をしているのであるから、性善坊といえども、そのうちの二人を相手に格闘することは容易でなかった。
 ましてや範宴には力ではどうするすべもなかった。性善坊があちらで格闘しながらしきりに逃げろ逃げろと叫んでいるようであったが、範宴は逃げなかった。
 四人の荒法師は、そこへ坐ってしまった範宴に向って、足をあげて蹴ったり、棒をふるって打ちすえたりしながら、
「生意気だッ」
「仏陀に対して不敬なやつ!」
「片輪にしてやれ」と口々にののしって、半殺しの目にあわせなければまぬような勢いだった。
 すると、最前から彼方かなたの草のなかに、腕ぐみをしながらのそりと立っていた大男があって、もう見るにたえないと思ったか、大きな革巻かわまきの太刀を横につかみながら範宴の方へ駈けてきた。


 その法師武者は、昼間、範宴が講堂で小止観しょうしかんを講義しているながい間を、法筵ほうえんのいちばん前に坐って終始じっと居眠っているもののようにうつ向いて聞いていた、この山に見馴れない四十前後の――あの男なのであった。
 駈けてきて、
狼藉者ろうぜきものっ」と叱りつけた。声に、ただならぬ底力そこぢからがあって、くろがねのようなこぶしをふりあげると、
のり御山みやまにおいて暴力を働くものこそ、仏賊だ、仏敵だ。く、消えうせぬと、太夫房覚明たゆうぼうかくみょう[#「太夫房覚明が」は底本では「太夫房覚明がが」]ただはおかぬぞ」と、一人の横顔を、頬の砕けるほど打った。撲られた法師は、
「わっ」と顔をかかえて、崖のかどを踏みはずした。
 他の者たちは、
「おのれ、叡山えいざんの者とも見えぬが、どこの乞食法師だ。よくも、朋輩を打ったな」太刀や棒切れが、こぞって彼の一身へ暴風のようにわめきかかってきた。
 自分から太夫房覚明と名乗ったその男は、面倒と思ったか、腰に横たえている陣刀のような大太刀をぬいて、
「虫けらめ! なんとざいたッ――」ぴゅんと、やいばみねが鳴って、一人の法師の首すじを打った。ねとばされた棒切れは、宙に飛んで二、三人が左右へもんどり打ってちらかった。
(かなわぬ)と思ったのであろう、法師たちは、何か犬のように吠えかわしながら、尾を巻いて逃げてしまった。性善坊と組みあっていた者も、仲間の者がひるみ立って逃げだすと、もう、勇気もせて、彼を捨てていちばん後から鹿のように影を消してしまった。
「どなたか存じませぬが……」性善坊は、あらい息を肩でついて、
「――あやうい所を……ありがとうございまする」
「どこも、お怪我けがはなさらぬか」
「はい」範宴も頭をさげて、心から礼をのべた。そして、星明りに、自分よりも背のすぐれて高い逞しい大法師の姿を見あげながら、どこかで見たように思った。
 太夫房覚明は、あたりの草むらや樹蔭をなお入念に見まわしながら、
「いずこの房の者か、卑怯な法師ばらじゃ、学問の上のことは、当然、学問をもって反駁はんばくするがよいに、おおやけの講堂では論議せずに、暴力をもって、途上に、範宴どのを要して、無法なまねをいたすとは、仏徒のかざかみにもおけぬ曲者くせもの、まだどんな、卑怯な振舞いをせぬとも限らぬ、一乗院まで、お送りして進ぜよう」
 そういって、彼は先にあゆみだした。その足ぶみや、物腰には、どこか武人らしい力があって、
「おそれいりまする」といいつつも、範宴は心づよい気がして、彼の好意に甘えて後ろにいて行った。
 それにしても、太夫房覚明などという名は、この叡山でも南都でも聞いたことがない、いったいこの人物は何者なのだろうかと考えていた。


 やがて無動寺むどうじの一乗院へたどりついた。その間に、太夫房覚明と性善坊とは、範宴を先に立ててかなり親しく話していたが、一乗院まで来ると、
「どうぞ、幾日でもお泊りください。師の房も、あのように無口なお方ではございますが、決して、お気がねなさるようなお人ではございません」性善坊はしきりと覚明をひきとめていた。
 覚明も、元よりどこへ泊るというあてもないのであって、すすめられたことは、幸いであったらしい、
「それでは」と、草鞋わらじを解き、範宴へも断って、奥へ通った。
 師弟はまだ食事をすましていないし、覚明も空腹らしかった。性善坊は炉のある大きな部屋にたきぎをかかえて行って、
「お客人まろうどには、失礼じゃが、かえってここが親しかろう、どうぞべりへ」と席をすすめた。
 範宴もやがてそこへ来て、師弟も客も一つ座になってかゆをすすりあった。
 覚明はうち解けたもてなしにすっかりよろこんで、
「家の中に眠るのは久しぶりでおざる。ゆうべは、塔の縁に、一昨日おとといはふもとの辻堂に、毎夜、冷たい床にばかり眠っていたが、おかげで、今夜は人心地がついた」といった。範宴は苦笑して、
「あなたも何か迷うているお人と見える。私も、時々この山から迷いだすのです」
「いや」と、覚明は武骨に手を振って――
「御房の迷いと、拙者の迷いとは、だいぶへだたりがある。――われらごとき武辺者ぶへんしゃは、まだまだ迷いなどというのも烏滸おこがましい。ただあまりに血に飽いてすさんだ心のやすみ場を探しているに過ぎないので」
「武辺者と仰せられたが、そもあなたのご本名は何といわるるか、おさしつかえなくばお聞かせください」
「お恥しいことだ」覚明は、憮然ぶぜんとしながら、榾火ほたびすすでまっ黒になった天井を見あげた。そして、
「今は、それも前身のかりにすぎぬが、実は、拙者は海野信濃守行親うんのしなののかみゆきちかの子です」
「えっ」思わず範宴は眼をみはった。
「――では勧学院の文章博士もんじょうはかせであり、また進士蔵人しんしくろうどの職にあった海野道広みちひろどのは、あなたでしたか」
「いかにもその道広です。木曾どのの旗挙はたあげにくみして、大いに志をべようとしたものですが、義仲公は時代の破壊者としては英邁えいまいな人でしたが、新しい時代の建設者ではなかったのです。ことすべて志とちがって、ご承知のような滅亡をとげました。拙者も、男児の事業はすでに終ったと考えて、一時は死なんとしましたが、どういうものか、最後の戦いにまで生きのこって、はや、世俗のあいだに用事のないこの一身を、かように持てあましているわけでござる」自嘲じちょうするように太夫房覚明はそういってわらった。


 炉辺の夜がたりは尽きない。
 覚明は昼間、範宴の講義を聴いた時から、
(これは凡僧でない)とふかく心をとらわれていたが、さらに一夜を語り明かしてから、
(この人こそ、虚無と紛乱ふんらんと暗黒のちまたにまよう現世界の明しとなる大先覚ではなかろうか)という気がした。で、あくる日あらためて覚明は範宴のまえに出た。
「お願いがござるが」範宴はやわらかい眼ざしを向ける。この処女おとめのような眸のどこにきのう講堂で吐いたような大胆な、そして強い信念がかくされているのかと覚明はあやしくさえ思う。
「拙者を、今日から、御弟子みでしの端に加えていただきたいのですが――」
「弟子に」
「されば」覚明は力をこめていった。
「今日までの自分というものは、昨夜も申しあげたとおり、武辺ぶへんの敗亡者であり、生きる信念を欠いた自己のもてあましたものでありましたが、もういちど、人間として真に生き直ってみたいのでござる。おききとどけ下さらば、覚明は、今日をもって、誕生の一歳とおもい、お師の驥尾きびに附いて、大願の道へあゆみたいと存ずるのでござる」
「あなたは、すでに、勧学院の文章博士もんじょうはかせとし、学識も世事の体験も、この範宴よりは遥かに積まれている先輩です。――私がおそるるのはその学問です。あなた、今までのすべてを――学問も智慧も武力も――一切かなぐりすてて、まこと今日誕生した一歳の嬰児あかごとなることができますかの」
「できる。――できるつもりです」
「それをお誓いあるならば、不肖ふしょうですが、範宴は、一歳のあなたよりは、何歳かの長上ですからお導きいたしてもよいが」
「どうぞ、おねがいいたします」覚明は誓った。
 かつて、木曾義仲にくみして、矢をむけた時の平家追討の返翰へんかんに、
 ――清盛は平家の塵芥じんかい、武家の糟糠そうこうなり。
 と罵倒ばとうして気を吐いた快男児覚明かくみょうも、そうして、次の日からは、半僧半俗のすがたをすてて、誕生一歳の仏徒となり、性善坊に対しても、
(兄弟子)と、よんで、かしずく身になった。
 覚明ひとりではない。時勢は、源頼朝よりとも赫々かっかくたる偉業を迎えながら、一方には、その成功者以上の敗亡者を社会から追いだしていた。
 だんの浦を墓場とした平家の一族門葉もそうである。
 それを討つに先駆した木曾の郎党も没落し、また、あの華やかな勲功を持った義経よしつねすらが、またたくまに帷幕いばくの人々と共に剿滅そうめつされて、社会の表からその影を失ってしまった。
 だが――亡びた者、必ずしも死者ではない。生きとし生けるもののならいとして、生き得る限りはどこかに生きようとしているのである。平家の残党、木曾の残党、義経の残党、その一門係累けいるいはことごとく世間にすがたは消していても、どこかで呼吸し、何かのかたちで、更生にもがいている。
 太夫房たゆうぼう覚明も、そういう中の一人なのである。


 新しい力がおころうとする時には必ず古いものの力がこぞってそれを誹謗ひぼうしてくる。
「範宴の講義を聴いたか」一山の者の眼は、彼の声にその新しい力を感じて不安に駆られた。
「どんなことをいうのか」
「まあ、いちど行ってみろ」禿谷かむろだにの講堂は、一日ごとに大衆でうずまった。法筵ほうえんにすわれない人々は講堂の縁だの窓の外に立って彼の声だけを聞いていた。
 彼の講義が熱をおびるほど、大衆も熱し、そして、内心深く考え直してたれているものと、範宴に対して飽くまでも闘争的に反感をいだいている者とが、はっきりと分れていた。
 むろん彼に帰依きえする者よりは、彼を嫉視しっしし、彼を憎悪する者のほうが遥かに多い。その険悪な大勢の顔からは、殺気が立ちのぼっていて、講義の要点にすすむと、
「邪説っ、邪説っ」と、どなったり、
「奇をてらうなっ」と弥次やじったりして、時には、立って講壇へ迫ろうとするような乱暴者があったりした。
 そして範宴の帰りは、いつも薄暮はくぼになるので、性善坊は師の一身を案じて、
「どうか、はやくご講義を切りあげて下さるように」と、頼むようにいった。
 範宴はうなずいたが、やがて、小止観しょうしかんの講義が終ると、すぐ続いて、往生要集おうじょうようしゅうかいをあたらしく始めた。
「困ったことだ」
 性善坊は大不服である。
「講義が大事か、お体が大事か、それくらいなことは、お分りと存じますに、毎日、危険をおかしてまで、禿谷かむろだにへお出かけになるのはいかがと存じます。ことに、一山の大部分のものは、日にまして、師の房をしざまに沙汰するのみか、伝教でんぎょう以来の法文を自分一個の見解でふみにじる学匪がくひだとさえののしっているではございませぬか。このうえ講義をおつづけになることは、火に油をそそいでみずからほのおに苦しむようなものだと私は思いますが」
 口を極めて苦諫くかんするのであった。けれど範宴は、
「初めの約束もあるから――」というのみで、彼を叱って説伏しようともしない代りに、思いとまって講義をやめる様子もない。
 ただこの際、性善坊にとって心づよいことは、新しく弟子となった太夫房覚明たゆうぼうかくみょうが、範宴の身を守ることは自分の使命であるかのように、範宴のそばに付いて、見張っていてくれることであった。そのためか、往生要集のかいも、無事にすんで、範宴は、翌年の夏までを一乗院の奥に送っていたが、やがて秋の静かな跫音あしおとを聞くと、
「興福寺へ行ってまいる」と、性善坊も覚明もつれずに、ただ一人で、雲のふところを下りて、奈良へ行った。
 彼の念願は、興福寺の経蔵きょうぞうのうちにあった。許しをうけて、その大蔵だいぞうの暗闇にはいった範宴は、日も見ず、月も仰がず、一穂いっすいともをそばにおいて、大部な一切経いっさいきょうに眼をさらし始めたのである。
 ふつうの人間の精力では五年かかっても到底読みつくせないといわれている一切経を、範宴は五ヵ月ばかりで読破してしまった。おそらく眼で読んだのではあるまい、心で読んだのだ、そして充血して赤くただれた眼と、陽にあたらないためにろうのように青白くなった顔をもって、大蔵だいぞうの闇から彼がこの世へ出てきた時には、世は木枯こがらしのふきすさぶ建久けんきゅう七年の真冬になっていた。
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女人篇




風水流転ふうすいるてん




 暗黒の大蔵の中から光のなかへ、何ものかを自分はつかんで出たと信じた。五ヵ月ぶりで一切経いっさいきょうの中から世間へ出た時の範宴はんえんのよろこびは、大きな知識と開悟とに満たされて、肋骨あばらぼねのふくらむほどであった。
(もう何ものにも迷うまい)彼は、信念した。
(もう何ものにもくじけまい)彼は足を踏みしめた。
 そして心ひそかに、
我れこの世を救わん
 の釈尊の信願をもって自分の信願とし、雪の比叡ひえいへ三度目にのぼったのである。
 仏祖釈迦如来しゃかにょらいは、大悟の眼をひらいて雪山せっせんを下りたという。彼は、新しい知識に信をかためて伝統の法城へ勇躍してのぼってゆく。
 どのくらいな心力と体力のあるものか、範宴は、不死身のように死ななかった。骨と皮ばかりになって、しかも、ふもとへの道さえとざされた雪の日に、
「範宴じゃ、今帰った――」と、一乗院の玄関へふいに立った彼のすがたを迎えて、覚明かくみょう性善坊しょうぜんぼうも、
「あっ……」と驚いたほどであった。
 休養というような日はそれからも範宴には一日もなかった。おそろしい金剛心である、彼はその冬を華厳経けごんきょうの研究のなかに没頭して、覚明や性善坊と、炉辺に手をかざして話にふけることすらない。
 そうした範宴の日々の生活をながめて、覚明はある時、しみじみと、
「命がけということは、武士の仕事ばかりと思うていたが、どうして、一人の凡人が、一人の僧といわれるまでには、戦い以上な血みどろなものじゃ」と、しんから頭を下げていうのであった。
 翌年の五月の下旬であった。難波なにわから京都の附近一帯にわたって、めずらしい大風がふいて、ちょうど、五月雨さみだれあげくなので、河水は都へあふれ、難波あたりは高潮がおかへあがって、無数の民戸みんこが海へさらわれてしまった。
 そういう後には必ずひでりがつづくもので、疫病えきびょう流行はやりだすと、たちまち、部落も駅路うまやじも、病人のうめきにみちてしまった。都は最もひどかった。官では、施薬院せやくいんをひらいて、薬師くすしだの上達部かんだちべだのが、薬をほどこしたり、また諸寺院で悪病神を追い退ける祈祷きとうなどをして、民戸の各戸口へ、赤い護符ごふなどをりつけてしまったけれど、ひでりにこぼれ雨ほどのききめもない。
 犬さえ骨ばかりになって、ひょろひょろあるいている。町には、行路病者の死骸が、乾物ひものみたいにからからになって捨てられてあったり、まだ息のある病人の着物をいで盗んでゆく非道な人間だのが横行していた。
 突然、召状めしじょうがあって、範宴は叡山えいざんを下り、御所へ行くあいだの辻々で、そういう酸鼻さんぴ[#ルビの「さんぴ」はママ]なものを、いくつも目撃した。
(ああ、たれかこの苦患くげんを救うべき)若い範宴のちかいは、心の底にたぎってきた。


 なんのお召しであろうか。
 庁の中務省なかつかさしょうへゆくまでは範宴にも分らなかったが、出頭してみると、意外にも、奏聞そうもんによって、範宴を少僧都しょうそうずの位に任じ、東山の聖光院門跡しょうこういんもんぜきせらる――というお沙汰さたであった。叡山では、またしても、
「あれが、少僧都に?」と、わざとらしくささやいたり、
「二十五歳で、聖光院の門跡とは、破格なことだ。……やはりびとがよいか、門閥もんばつがなくては、出世がおそい」などと羨望せんぼうしあった。
 彼らの眼には、位階が僧の最大な目標であった。さもなければ勢力を持つかである。そして常に、武家や権門と対峙たいじすることを忘れない。
 たれが奏聞したのか、範宴は、それにもこれにも、無関心のように見える。どんな毀誉褒貶きよほうへんもかれの顔いろには無価値なものにみえた。ただ、さしもの衆口も近ごろは範宴の修行を認めないではいられなくなったことである。一つの事がおこると、それについて一時はなんのかのせみのように騒ぎたてても、結局は黙ってしまう。心の底では十分にもう範宴の存在がなるものに見えてきて、威怖いふをすら感ずるのであるが、小人の常として、それを真っ直にいうことができないで、彼らは彼ら自身の嫉視しっし焦躁しょうそうでなやんでいるといったかたちなのである。
 翌年秋、範宴は、山の西塔さいとう一切経蔵いっさいきょうぞう建立こんりゅうした。
(他を見ずに、諸子も、学ばずや)と無言に大衆へ示すように。
 無言といえば、彼はまた、黙々として余暇にとうをとって彫った弥陀像みだぞうと、普賢像ふげんぞうの二体とを、彫りあげると、それを、無動寺に住んでいた自身のかたみとして残して、間もなく、東山の聖光院へと身を移した。
 東山へ移ってからも、彼の不断の行願ぎょうがんは決してやまない。山王神社に七日の参籠をしたのもその頃であるし、山へも時折のぼって、根本中堂こんぽんちゅうどうの大床に坐して夜を徹したこともたびたびある。
 彼が、その前後に最も心のよろこびとしたことは、四天王寺へまいって、寺蔵の聖徳太子の勝鬘経しょうまんぎょう法華経ほけきょうとを親しく拝観した一日であった。
 太子の御聖業は、いつも、彼の若いこころをむち打つ励みであった。初めて、その御真筆に接した時、範宴は、河内かわち御霊廟みたまやの白い冬の夜を思いだした。
「あなたは、聖徳太子のご遺業に対して、よほど関心をおもちとみえる。まあ、こちらでご休息なさいませ」そばについて、寺宝を説明してくれた老僧が気がるに誘うので、奥へ行って、あいさつをすると、それは四天王寺の住持で良秀僧都りょうしゅうそうずという大徳であった。
 この人に会ったことだけでも、範宴にとっては、有益な日であったし、得難い法悦の日であった。
 この年、鎌倉では、頼朝が死んだ。そして、梶原景時は、府を追われて、駿河路するがじで兵に殺された。武門の流転るてんは、激浪のようである。法門の大水たいすいは、吐かれずしてよどんでいる。
 正治二年、少僧都範宴は、東山の山すそに、二十八歳の初春をむかえた。

時雨しぐれつみ




 この春を迎えて、聖光院しょうこういん門跡もんぜきとして移ってからちょうど三年目になる。
 門跡という地位もあり、坊官や寺侍たちにもかしずかれる身となって、少僧都範宴しょうそうずはんえんの体は、おのずから以前のように自由なわけにはゆかなくなった。時にはかえりみて、
(このごろは、ちと貴族のような)と聖光院のきらびやかな生活を面映おもはゆくも思い、
れてはならぬ)と、美衣美食をおそれ、夜のものの温まるをおそれ、経文きょうもんを口でむのをおそれ、美塔の中の木乃伊ミイラとなってしまうことをおそれたが、門跡として見なければならぬ寺務もあり、官務もあり、人との接見もあり、自分の意見だけにうごかせない生活がいつの間にか彼の生活なのであった。
「お牛車くるまの用意ができました」木幡民部こばたみんぶが手をついていう。
 民部というのは、範宴が門跡としてきてから抱えられた坊官で、四十六、七の温良な人物だった。
 範宴は、すでに外出の支度をして、春の光のよくとおる居室の円座に、刃もののように衣紋えもんのよく立っている真新しい法衣ころもを着、数珠じゅずを手に、坐っていた。
 こういう折、朝夕ちょうせきに見る姿でありながら、坊官や侍たちは、時に、はっとして、
(ああ、端麗な)思わず眼がすくむことがある。
 実際、このごろの範宴は、ひところの苦行惨心に痩せ衰えていたころの彼とはちがって、下頬膨しもぶくれにふっくらと肥え、やや中窪なかくぼで後頭部の大きな円頂あたまは青々として智識美とでもいいたいようなつやをたたえ、決して美男という相ではおわさないが、眉は信念力を濃く描いて、鳳眼ほうがんはほそく、ひとみは強くやさしく、くちんでいるかのごとくあかい。そして近ごろはめったに外出そとでもせぬせいか、皮膚は手の甲まで女性にょしょうのように白かった。
 だが、ふとい鼻骨と、頑健な顎骨がっこつが、あくまで男性的な強い線をひいていた。肩は磐石ばんじゃくをのせてもめげないと思われるような幅ひろく斜角線をえがき、立てば、背は五尺五寸のうえに出よう、ことにのんどの甲状腺は、生れたての嬰児あかごの、こぶしほどもあるかと思われるほど大きい。
 この端麗で、そして威のある姿が、朝の勤行ごんぎょうに、天井てんじょうのたかい伽藍がらんのなかに立つと、大きな本堂の空虚もいっぱいになって見えた。
 口さがない末院の納所僧なっしょそうなどは、
「御門跡のあの立派さは、どうしても、童貞美というものだろうな」などとささやき合った。
 けれど、師の幼少からかしずいている性善坊は、どうしても、
「だんだん、母御前の吉光きっこうさまに生き写しだ」と思えてならない。
 ただ、濃い眉、ふとい鼻ばしら、嬰児あかごこぶし大もあるのんど男性おとこ甲状腺しるし――それだけは母のものではない、いて血液の先をたずねれば、大曾祖父おおそうそふ源義家のあらわれかもしれない。
「では、参ろうかの」民部の迎えに、その姿が、今、円座を立って、聖光院の車寄せへ出て行った。
 ちょうど松の内の七日である。範宴は、網代牛車あじろぐるまを打たせて、青蓮院しょうれんいんの僧正のもとへ、これから初春はる賀詞がしをのべにゆこうと思うのであった。


 供には、いつものように、性善坊と覚明との二人が、車脇についてゆく。
 牛飼の童子まで、新しい布直垂ぬのひたたれを着ていた。
 慈円じえん僧正の室には、ちょうど、三、四人の公卿くげが、これも賀詞の客であろう、来あわせていて、
「御門跡がおいでとあれば――」と、あわてて、辞して帰りかけた。慈円はひきとめて、
「ご遠慮のいる人物ではない。初春はるでもあれば、まあ、ゆるりとなされ」といった。範宴は、案内について、
「よろしゅうございますか」しとみの下からいった。
「よいとも」僧正は、いつも変らない。
 範宴も、ここへ来ては、何かしらくつろいだ気がする。僧正のまえに出た時に限って、童心というものが幾歳いくつになっても人間にはあることを思う。客の朝臣あそんたちは、
「は……。あなたが、聖光院の御門跡でおわすか。お若いのう」と、おどろきの眼をみはった。
「おん名はうかがっていたが、もう五十にもとどくよわいの方であろうと思っていたが」べつな一人も同じような嘆声を発すると、僧正はそばから、
「はははは、まだ、見たとおりな童子でおざる」といった。
「御門跡をつかまえて、童子とは、おひどうございます」
 範宴は、師の房のことばに、何か自分の真の姿をのぞかれたような気がして、
「師の君の仰っしゃる通りです」と、素直すなおにいった。
 僧正は、相かわらず和歌うたの話へ話題をもって行った。そして、
初春はるじゃ、こう顔がそろうては、歌をまずにはおれん。範宴も、ちかごろは、ひそかに詠まれるそうな。ここにおわす客たちも、みな好む道――」と、もう手を鳴らして、すずりを、色紙を、文机ふづくえをといいつける。客の朝臣たちは、
(はて、どうしよう)というように、当惑そうな眼を見あわせた。そのくせ、青蓮院の歌会には、いつも、席に見える顔であり、四位、蔵人くろうどなにがしの子ともあれば、公卿くげで歌道のたしなみがない人などはほとんどないはずである。何を、眼まぜをしているのだろうか。とにかく、しきりと、もじもじして、運ばれてくる色紙や硯などを見ると、さらに、眉をひそめていた。
 慈円は、いっこうに、頓着がない。好きな道なので、もう何やら歌作に余念のない顔である。
「いっそ、申しあげたほうが、かえってよくはあるまいか」
「では、そこもとから」
「いや、おん身から……」何か、低声こごえささやきあっていた朝臣あそんたちは、やがて思いきったように、「ちょっと、僧正のお耳へ入れておきたいことがありますが」と、いいにくそうにいいだした。


「ほ? ……何でおざろう」
「実は、この正月にも、あちこちで、僧正のおん身に対して、いまわしい沙汰する者があるのでして」
「世間じゃもの、誰のことでも、毀誉褒貶きよほうへんはありがちじゃ」
「しかし、捨てておいては、意外なご災難にならぬとも限りませぬ。僧正には、まだ何もお聞きなさいませぬか」
「知らぬ」と、慈円はこともなげにかぶりを振った。範宴は、側から膝をすすめて、
「お客人まろうど」と、呼びかけた。
「師の君のご災難とは心がかり、して、それの取沙汰とは何を問題にして」
「やはり、和歌うたのことからです。――この正月、御所の歌会始めに主上から恋という御題ぎょだいが仰せ出されたのです。その時、僧正の詠進えいしんされたお歌は、こういうのでありました」と客の朝臣は、低い声に朗詠のふしをつけて、
わが恋は
松をしぐれの
そめかねて
真葛まくずはら
風さわぐなり
「なるほど……。そして」
「人というものは意外なところへ理窟をつけるもので、僧正のこの歌が、やがて、大宮人や、僧門の人々に、やかましい問題をまき起すたねになろうとは、われらも、その時は、少しも思いませんでした」
「ほほう」僧正自身が、初耳であったように、奇異な顔をして、
「なぜじゃろう?」と、つぶやいた。
「さればです」と、べつな朝臣が、後をうけて話した。
「――僧正の秀歌には主上よりも、御感ぎょかんのおことばがあり、つぼねや、蔵人くろうどにいたるまで、さすがは、僧正は風雅みやびなる大遊たいゆうでおわすなどと、口を極めていったものです。ところが、心の狭い一部の納言なごん沙門しゃもんたちが、そのあとになって、青蓮院の僧正こそは、世をあざむく似非えせ法師じゃ、なぜなれば、なるほど、松を時雨しぐれの歌は、秀逸にはちがいないが、恋はおろか、女の肌も知らぬ清浄しょうじょうな君ならば、あんな恋歌こいかみ出られるはずはない。必定、青蓮院の僧正は、一生不犯ふぼんなどと、ひじりめかしてはおわすが、実は、人知れずこうたもとに盗んで口をたぐいで、祇園ぎおんのうかれかきも越えているのだろう、苦々にがにがしい限りである、仏法のすたれゆくのも、末法の世といわれるのも、ああいう位階のたかい僧正の行状ですらそうなのだから、まことにやむを得ないことだ、嘆かわしいことだなどと、讒訴ざんその舌をさかしげに、寄るとさわると、いいはやしているのです」
 範宴は、自分のことでもいわれているように、眸をこわくさせて聞いていた。聞き終ってほっと息をつぎながら、僧正のおもてが、どんな不快なしきに塗られているであろうと、そっとみると、慈円は、
「ははは」と、肩をゆすぶって笑うのであった。


「妙な批判もあるものじゃな、そんなことを沙汰しおるか」
「中には、僧正を、流罪るざいにせよなどと、役所の門へ、投文なげぶみした者もあるそうです」
「おどろき入った世の中じゃ、それでは人生に詩も持てぬ。文学も持てぬ。僧が、恋歌を作って悪いなら、万葉や古今のうちの作家をも、破戒僧というて責めずばなるまい」
「しかし、僧正の時雨しぐれのお歌は、あまりにも、実感がありすぎるというて、女を知らぬ不犯ふぼんの僧に、かような和歌うたの作れるわけはないというのです」
「それがおかしい。僧とても、人間じゃ、美しい女性にょしょうを見れば美しいと思うし、真葛ヶ原の風でのうても、血もさわげば、恋も思う。まして、詩や歌の尊さは、人間としての真を吐露するところにあって、嘘や、虚飾では、生命がない」そういって、慈円は、世評の愚を一笑に附したが、客の朝臣あそんは、
「しかし、衆口金をかすということもありますから、ご注意にくはありません」
「いわしておくがよい。自体、僧じゃから女には目をふさげ、酒杯さかずきの側にも坐るなとは、誰がいうた。仏陀ぶっだも、そうは仰せられん。信心に自信のない僧自身がいうのじゃ。また、僧を金襴きんらん木偶でくと思うている俗の人々がいうのじゃ。われらには、自分の信心を信ずるがゆえに、さような窮屈なことはいとう。たとえば、いつであったか忘れたが、むろへ、船を寄せ、旅の一夜を、遊女あそびめと共に過ごしたこともある。その折の遊君は、たしか、花漆はなうるしとかいうて、むろの時めいた女性にょしょうであったが、津にる船、出る船の浮世のさまを語り、男ごころ女ごころの人情を聴き、また、花漆の問法もんぽうにも答えてやり、まことによい一夜であったと今も思うが、みじんもそれが僧として罪悪であったとは考えぬ。月は濁池だくちにやどるとも汚れず、心きよければ、身にちりなしじゃ、そして、たのしみなきところにも、娯み得るのが、風流の徳というもの、そしるものには、誹らせておけばよい」
 慈円は、筆をとって、はや、そうのできた和歌うたを、さらさらと書いていた。
 朝臣たちも、僧正のことばに感じ入って、歌作の三昧さんまいにはいり、いつとはなく、そんな話題もわすれてしまったらしい。
 ほどよく、範宴は辞して、聖光院へかえった。しかし、きょうの話題は、牛車くるまのうちでも、寝屋ねやのうちでも、妙に胸にい入ってならなかった。
 そして、僧正がいわれただけの言葉では、まだ社会へ対して、答えきれていない気がするのであった。仏法と女性、僧人と恋愛、それは、決して、一首の和歌うたの問題ではない。
 この数日、範宴はそのことについて、熱病のように考えてばかりいた。解けない提案にぶつかると、それの解けきれるまでは夢寐むびあいだにも忘れ得ないのが彼の常であった。
 それから十日ほど後。青蓮院の文使ふづかいが見えた。
 師の僧正からで、頼みの儀があるから来てもらいたいという文面であった。


 僧正は待っていた。いつもながら明快で、元気である。訪れた範宴の顔を見ると、
「よう来てくれた。実はちと頼みおきたいことがあって」と、人を遠退とおざけた。
「何事でございますか」範宴は、何となく、青蓮院のうちに、静中の動とでもいうような波躁なみさわぎを感じながら師の眉を見た。
「ほかではないが、ことによると、わしはしばらく遠地へ参るようになるかもしれぬ。で、留守中のことども、何分、頼みおきたい」
「突然なことをうけたまわります……して何地いずちへ?」
「何地へともまだわからぬが、行くことは確からしい。いつ参るともさしつかえないように、これに、いろいろ覚え書をいたしておいた。後の始末、頼むはおもとよりほかにない」と書付を一通、手筐てばこのうちから出して、範宴のまえにおいた。
「かしこまりました」何も問わずに、範宴はそれを襟に秘めた。そして、
「さだめない人の世にござりますれば、仰せのよう、いつお旅立ちあろうも知れず、いつ不慮のお移りあろうも知れず、とにかく、おあずかり申しておきます、どうぞ、いかなる時もお心やすくおわされませ」といった。
「うむ」慈円は、自分の心を、鏡にかけて見てとるようにさとっている範宴のことばに、満足した。
「たのむぞ」
「はい。しかしお心ひろく」
「案じるな、わしは、身の在るところにたのしみ得る人間じゃよ、風流の余徳というもの。――いや、風流の罪か、ははは」玄関のほうには、しきりと、訪客の声や、取次の跫音あしおとが客殿との間をかよう。
 範宴は、長座ながいはばかって、師の居室いまを辞した。そして、廻廊をさがってくると、
「兄上」見ると弟の尋有じんゆうだった。
 尋有は、憂いにみちた顔をしていた。いつもながら病身の弱々しさと、善良で細かい神経につかれているひとみである。
「――もうお帰りですか」
「うむ、近ごろ体は」
「丈夫です」
「それはよい、真心をあげて、御仏みほとけにすがり、僧正に仕えよ」
「はい。……あの、ただいま、師の御房から、どんなお話がありましたか」
「おまえも、心配しているの」
「お案じ申さずにはおられません。わたくしのみでなく、ほかの弟子一統も、お昵懇ちかづきの人々も、みな、客殿につめかけて、あのように、毎日、協議しておりますが……」弟のことばに、ふと、そこから院の西のおくを見やると、なるほど、僧正の身寄りだの、和歌の友だの、僧俗雑多な客が、二十人以上も、通夜のように暗い顔をして、ひそひそと語らっているのが遠く見えた。


 尋有は、眼をうるませて、
「あのうちに、師の御房の和歌の御弟子みでし、花山院の若君がいらっしゃいます」
「お、通種卿みちたねきょうもおいでか」
「そのほかの方々も、兄上にお目にかかって、ご相談いたしたい儀があると仰せられますが、おもどり下さいませんか」
「そうか」範宴は考えていたが、
「お会いいたそう」
「お会いくださいますか」尋有はよろこんで先に立った。客殿の人々は、
「聖光院の範宴御房じゃ」と、ささやきあって、愁いの眉に、かすかな力づよさを持った。
「時に、ご承知でもあろうが」と花山院の通種みちたねや、弟子の静厳じょうごんや、僧正の知己たちは、範宴を、膝でとりまいて、声をひそめた。
「――困ったことになりました。なんとか、貴僧に、よいお考えはあるまいか」と、いう。僧正の例の問題である。
 一首の和歌が、こんなに、険悪な輿論よろんを起そうとは思わないので、僧正はじめ、僧正に親しい人々もわらってっておいたところが、その後、問題は、禁中ばかりでなく、五山の僧のあいだにも起って、慈円放逐ほうちく問責もんせきがだんだん火の手をあげてきた。そして、
青蓮院しょうれんいんを放逐せよ)とか、はなはだしいのは、
遠流おんるにせよ)などという排撃のことばをかざして、庁に迫る者など、仏者のあいだや、官のあいだを、潜行的に運動してまわる策士があるし、朝廷でも、放任しておけない状態になったというのである。
 で――いちど僧正を参内させ、御簾ぎょれんの前にすえて、諸卿列席で糺問きゅうもんをした上、その答えによって、審議を下してはどうかというので、この間うちから、青蓮院へ向って、たびたび、お召しの使いが立っている。ところが、僧正は、
(古今、詩歌に罪を問われたるためしなし、また、詩歌のこころは、俗輩の審議に向って、説明はなし難し)と、いって、参内の召しに、応じようともしないのである。
 再三の使者に、しまいには、頑然と首を振って、
「慈円は、病で臥しております」といって、居室に、籠ってしまった。
 さきの関白兼実かねざねの実弟にあたる僧正として、この不快、不合理な問題に対して、それくらいな態度を示したのは当然であり、歌人の見識としても、はなはだもっともなことなのであるが、そのために、朝廷の心証はいっそう悪くなって、
「さらば、不問のまま、遠流の議を奏聞すべし」という声が高まってきた。
 月輪兼実つきのわかねざねが、朝廟ちょうびょうにあって、関白の実権をにぎっている時代なら、当然、こんなことは起らないのであるが、その月輪公は、両三年前に、すでに官をひいて、禅閤ぜんこうととなえ、今では隠棲しているので、それに代って、ちょうに立った政閥せいばつと、それをめぐる僧官とが結んで、弟の慈円僧正をも、青蓮院から追い出して、自党の僧で、その後にすわろうというたくらみなのでもあった。
「すてておいては、僧正の罪を大きくするばかりです。範宴御房、師の君に代って、貴僧が、御所へ参って、申し開きをして下さるわけにはゆきませんか」


 事件は複雑だ、裏と表がある。問題となった和歌などはむしろ排撃派の表面の旗にしか過ぎない、僧正があってはとかく思うままに振舞えない僧門の一派や、月輪兼実かねざね隠棲いんせいしたこのしおに、旧勢力を一掃して、完全に自分たちの門閥もんばつで朝廷の実権を占めようとする新任の関白藤原基通ふじわらのもとみち鷹司たかつかさ右大臣などの意志がかなり微妙に作用しているものと見て大差ない。
 したがって、この事件に対して、範宴には範宴の観察と批判があった。大体、彼は僧正の態度に、賛同していた、僧正の覚悟のほどにも、さもあることと共鳴していた。
 自分が叡山えいざんの大衆に威嚇され嘲罵ちょうばされても、その学説は曲げ得られないように、もし僧正が、堂上たちの陰険な小策にじて、歌人としての態度を屈したら、詩に対する冒涜ぼうとくであり、また僧正自身の人格をも同時に捨てて踏みつけることになる。
 で範宴は、師の房が、遠流おんるになろうとも、あくまで正義をげないようにと心にいのり、今も、暗黙のうちに、師弟の心がまえを固めてきたところであるが、こうして、慈円の弟子や知己や、和歌の友人たちが、一室のうちに憂いの眉をひそめたり嘆息をもらして胸をいためあっているさまを見ると、あわれにも思い、また師の老齢な体なども思われて、むげに、自己の考え方を主張する気にもなれなかった。
「おすがりいたします、範宴御房、この場合、あなたのお力に頼むよりほかに、一同にも、思案はないのでございます」
 花山院の公達きんだちもいうし、静厳じょうごんもいうし、他の人々も、すべて同じ意見だった。範宴はやむなく、
「さあ、私の力で、及ぶや否やわかりませぬが、ご一同の誠意まごころを負って、師の御房に代って参内してみましょう」と答えた。ちょうど、その翌る日にも、冷泉れいぜい大納言から、慈円に病を押しても参内せよという督促の使者が来た。弟子の静厳から、
「先日もお答えいたした通り、僧正は病中にござりますが、もし、法弟の範宴少僧都しょうそうずでよろしければ、いつでも、参内いたさせますが」と代人を願った。使者が、折返して、
「代人にても、苦しゅうないとの朝命です」といってきた。そして、日と時刻とを、約して行った。
 その日は、寒々と、春の小雨が光っていた。
 身を浄めて、範宴は、参朝した。御所の門廊をふかく進んで、
「聖光院門跡もんぜき範宴少僧都、師の僧正のいたつきのため、召しを拝して、代りにまかり出でました」
 取次の上達部かんだちべは、
「お待ち候え」と、殿上へかくれた。
 初めて、御所の禁苑まで伺候した範宴は、神ながらの清浄しょうじょうと森厳な気に打たれながら、また一面に、いかにして今日の使命をまっとうするか、僧正の名をはずかしめまいかと、ひそかに、心を弓のごとくに張っていた。


「使僧範宴とは、何者の子か」関白基通もとみちが、鷹司たかつかさ右大臣を見ていった。
「さあ?」と鷹司卿はまた、冷泉れいぜい大納言のほうを向いて、
「おわきまえか」と訊ねた。
「されば、あの僧は、亡き皇后大進有範だいしんありのりの子にて日野三位さんみ猶子ゆうしにてとか」
「ほ。藤原有範の子か」基通は、黙った。
 公卿くげたちの頭には、姓氏せいや家門というものが、人を見るよりも先に支配する。
 無名の者の家の子なら、大いにさげすんでやろうと思ったかも知れないのである。
「そうか、有範の子か」ささやきがその辺りをながれた。時刻を指示してあるので、公卿たちは、衣冠をつらねて、範宴の参内を、待ちかまえていたところであった。
 やがて次々つぎつぎから、関白まで、取次がとどく。基通は、またその由を、御簾ぎょれんのうちへ奏聞そうもんした。
 一瞬、公卿たちは、固唾かたずをのむ。末座遠く、範宴のすがたが見えた。いっせいに、人々の眼が、それへた。
 人々は、はっと思って、
(不作法者っ)と顔色を騒がせた。
 なぜなら、ふつう、初めて参内する者は、遠い末席にある時から、脚はおののき、うなじは、俯向うつむき、到底、列座の公卿たちを正視することなどできないものであるのに、範宴少僧都は、じるいろもなく、きぬたの打目のぴんと張った浄衣じょうえ鶴翼かくよくのようにきちんと身に着け、ひとみを、御簾ぎょれんから左右にいながれる臣下の諸卿へそっと向けて、二歩三歩、座のところまで進んできた。
 公卿たちが、はっと感じたのは、あまりに、彼のすがたがおおきく見えたためであった。およそどんな武将やひじりでも、この大宮所で見る時は、あの頼朝ですらも小さく見えたものである。それが、まだ一介いっかい若僧にゃくそうにすぎない範宴が、いっぱいに眼へうつったことは、
不遜ふそんな)といういきどおりを公卿たちに思わすほどであった。
 しかし静かに、座をいただいて玉座のほうへむかい、やがて拝をする彼のすがたを見ると、公卿たちの憤りも消えていた。
 作法は、形ではなくこころである。範宴の挙止にはまことが光っていた。
 天皇も仏子ぶっしであり、仏祖も天皇の赤子せきしである。仏祖釈尊しゃくそんもこの国へ渡ってきて、東なる仏国日本に万朶ばんだ仏華ぶつげを見るうえは、仏祖も天皇のみ心とひとつでなければならないし、天皇のおすがたのうちにも仏祖のこころがおのずから大きな慈愛となって宿されているはずである。
 この国のうえに多くの思想や文化を輸入いれたもうた聖徳太子のこころを深く自己の心の根につちかっていた範宴は、そういう常々のおもいがいま御座ぎょざちかくすすむと共に全身をたかい感激にひたせて、まばゆぬかずきをいつまでも上げ得なかったのである。
 御簾ぎょれんのうちはひそやかであったが、土御門つちみかど天皇も、彼のそうした真摯しんしな態度にたいして、しきりにうなずかせられていた。


 やがて、鷹司卿たかつかさきょうが、
「使僧」と、よんだ。
「は」範宴は顔をあげた。
「おもと、何にても、師の慈円にかわって、答え得るか」
「師のお心をもって――」
「うむ」うなずいて少し膝をすすめ、
「さらば問うが、不犯ふぼんひじりたる僧正が、あのようななまめかしい恋歌を詠み出でたは、そも、どういう心情こころか」
「僧も人間の子にございますゆえ――」
「なんじゃ」大胆な範宴の答えに、諸卿は色をなして、
「――では、僧正も人間の子なれば、女犯にょぼんあるも、恋をするも、当りまえじゃと、おもとはいうか」
「さは申しあげませぬ」
「でも今、僧正も人間の子なればと、返答したではないか」
「いかなるひじり、いかなる高僧といえ、五慾煩悩ぼんのうもなく、悪業あくごうのわずらいもなく、生れながらの心のまま白髪になることはできません。大地はふかく氷を閉ざしても、春ともなれば、草はえ、花は狂う。その花もまた、永劫とわに散らすまいとしても、やがて、青葉となり、秋となるように。――これを大地の罪といえましょうか、大いなる陽の力です、自然の法則です」
「さような論は、云い開きにはならぬ、いよいよ、僧正の罪を、証拠だてるようなものじゃ」
「しかし」範宴の頬には若い血が春そのもののようにあかくさした。
「しかし何じゃ」
「釈尊は、人間が、その自然の春に甘えて、五慾におぼれ、煩悩にかれ、あたら、永劫とわの浄土を見うしのうて、地獄にあえぐ苦患くげんさまを、あわれとも悲しいこととも思われました。さらば弥陀みだは第一に、五戒を示し、五戒の条のひとつには、女色をいましめておかれたのです」
「それを犯した僧正は堕落僧じゃ、遠流おんるに処して、法門の見せしめとせねばならん」
「僧正の身はご潔白です。あのお歌が、若々しい人間の恋を脈々とうたっているのでもわかります。ひそかに、女犯にょぼんの罪をかさね、女色に飽いている人間ならば、あのお年齢としをもって、あのような若々しい歌はみ出られません。もう、人間の晩秋に近い僧正の肉体です。それなのに、まだあのような歌が詠まれるのは、いかに、僧正が、今日もなおお若いお心でいるかという証拠であり、そういう肉体を老年まで持つには、清浄な禁慾をとおしてきたお方でなければならないはずです。ことにまた、ご自身に、お疑いのかかるような後ろぐらい行状があれば、なんで、情痴じょうち惻々そくそくと打つような恋歌などを、歌会の衆座になど詠みましょうか。もっと、ひじりめかした歌を詠んで、おのれの心をも、人の眼をも、あざむこうとするにちがいありません」
 範宴はすずやかにいって退けた。ことばの底には、人を打つ熱があった。彼は、僧の禁慾がいかに苦しいものか、自分にとって尊いものか、現在の自分に比べても余りに分りすぎている。彼は、師の弁護をするという気持よりも、いつか自分のぎょうの深刻な苦悩に対して、思わず涙を流していっているのであった。


 弥陀みだは、人間になし難いことをいた。五戒の約束がそれである。
 求法ぐほう僧衆そうしゅうが、最も苦しみ闘うのは、そのうちでも「女色禁」の一戒であった。女に対して、眼をつぶることは、生れながらの盲人めくらでさえもなし難い。
 肉体の意慾を、押しふせ、押しふせ、ある年月までのぎょうを加えてしまうまでは、たいがいな僧門の若者は、この一戒だけにも、やぶれてしまう。
 しかも、この至難なぎょうをのりこえて、ひじりとか、高僧とかいわれるほどの人は、そのほとんどが、ふつうの人以上に、絶倫な体力や精根の持ち主であるので、その行のくるしいことも、人以上なものである。それはちょうど、一刻、一日ごとに、血まみれな心になって磨いてゆく珠玉たまにひとしい。磨けば磨いてゆくほど愛着のたかまるかわりに、ひとたび手から落してしまえば、十年の行も、二十年の結晶も、みじんにくだけて、その人の求法ぐほう生活は、跡かたもないものになる。
 ――なんで慈円僧正のような人がそんな愚をなそうか、僧正はすでにたまである、明朗と苦悩のいきをとうに蝉脱せんだつした人格は、うしろから見ても、横から見ても、「禁慾の珠玉」そのものである。
 そのすずやかな蝉脱のすがたは、歌人としては、随所に楽しむ――という主義のもとに、人生を楽しみあそび、僧としては、浄土を得て、法燈の守りに、一塵いちじんの汚れもとめない生活をしている。いかに、さもしい俗人の邪推じゃすいをもって僧正の身のまわりをながめても、僧正に、それ以上なものがなければ淋しかろうとか、不幸だろうとかいうようなことは考えもつかない沙汰である。さまでの僧正を、なおもいてきたなき臆測で見ようとする人々には、よろしく、僧正と共に青蓮院に起臥おきふししてみるがよい。いかに、僧正が、女性にょしょうのない人生をとおってきても、そこに少しの淋しさも不自然さもなく、いる所に楽しんでいるかの姿がきっとわかるに違いない。
 範宴は、縷々るるとして、以上のような意味を、並いる人々へ説いた。そして、
若輩者じゃくはいものが、おこがましい弁をふるいたてましたが、お師の君に、あらぬ世評のふりかかるは、弟子の身としても、口惜しい儀にぞんじます。何とぞ、煌々こうこうたる天判てんぱんと、諸卿しょきょうの御明断とを、仰ぎあげまする」といって、ことばを終った。
 僧である以上、さだめし難かしい仏典をひきだしたり、口賢い法語や呪文じゅもんで誤魔化すだろうと心がまえしていた人々は、彼の人間的な話に、
(正直な答弁である)と感じたらしく、その間に、口をさし挟む者がなかったばかりでなく、誰にもよく、僧正の人格というものが得心とくしんされた。
 主上は、御簾ぎょれんのうちへ、関白基通もとみちを召されて、何か仰せられている御様子であった。
 基通は、退がって、
「範宴に、料紙とすずり――を」と、側の者へいいつけた。
 料紙台に、硯と、そして、主上からの御題ぎょだいが載って、範宴のまえに置かれた。

十一

 御題を詠じてさしだすと、こんどは、堂上たちが、
「この題で、一首」と、わざと困らすような難題を、次々にだした。
 範宴は、筆を下にかなかった。公卿たちは、
「ほ……」と、その一首一首に、驚嘆をもらして、
「なるほど、歌才があれば、僧侶でも、どんなことでも自在に詠まれるものらしい」と、今さららしく、うなずいている者もあった。
「慈円は、よい弟子を持たれたものじゃ」範宴に対する諸卿の眼は、急にものやわらかになり、そして、慈円のとがめも、不問になった。
 御簾ぎょれんを拝して、範宴は、退がろうとした。すると、
「ちと、待とう」と基通もとみちがいった。伝奏から、
「御下賜」とあって、檜皮色ひわだいろのお小袖を、範宴に賜わった。
 範宴は、天恩に感泣しながら、御所を退出した。
 牛車くるまの裡に身をのせてから、初めて、ほっと心が常に返った。肌着にも、冷たい汗が感じられる。
「ああ、危ういことであった」しみじみと思うのである。
 もし、きょうの使命をし損じたらどうであろう。堂上たちのあの空気では、恩師の流罪もあるいは、事実として現れたかもしれない。
 女色だの、食物だの、生活のかたちは、僧は絶対に俗の人と区別されているけれども、政権の中にも僧があるし、武力の中にも僧の力がある、あらゆる栄職や勢力の争奪の中にも、僧のすがたのないところはない。
 もともと一笠一杖いちりゅういちじょうですむ僧の生涯に、なんで地位だの官位だのと、そんなわずらわしいものを、求めたり、持たせられたり、するのだろうか。
 それがなければ、法門も、少しは浄化されるだろうに。衣食や女人ばかり区別しても、根本の生活行動が、政治や陰謀や武力と混同してあるいているのでは、何にもなるまい。
「だが……」と範宴は、自分をかえりみて、自分のすがたに恥じないでいられなかった。自分の身にも、いつのまにか、金襴きんらんけさや、少僧都の位階や、門跡という栄職までついているではないか。
 そして、今となっては、捨てるに捨てられない――
 自己をいつわれない範宴の気もちは、すぐにも、金襴や位階をかなぐりすてて、元の苦行のゆかへ返りたくなった。
「やがてまた、この身も、僧都となり、僧正となり、座主ざすとなり、そして小人の嫉視しっしと、貴顕きけんの政争にわずらわされ、あたら、ふたたび生れ難き生涯を、虚偽の金襴にかざられて終らねばならぬのだろうか」頬に手をあてて、うみのごとく静かに、しかし悶々もんもんと、心には烈しい懐疑の波をうって考えこんでいる範宴少僧都をのせて、牛車の牛は、使いの首尾を晴れがましく、青蓮院の門前へ返った。

きらら月夜づきよ




「火事じゃないか」廊下に立って、覚明かくみょうは、手をかざしている。
 空は、ぼやっと白かった。夜霞のふかいせいか、月の明りはさしていながら、月のすがたは見えないのだった。
「そうよな……」性善坊しょうぜんぼうも、眉をよせて、
「五条あたりか」
「いや、川向うであろう」
「すると、師の房の参られたお館に近くはないか」
「離れてはいようが、心もとない。上洛じょうらく中の鎌倉の大名衆や執権の家人けにんたちが、一堂に集まって、夕刻から、師の房に、法話をうかがいたいというので参られたのだが……」
「おぬし、なぜ、牛車くるまと共に、お待ち申していなかったのじゃ」
「でも先方で、夜にれば、必ず兵に守らせて、聖光院しょうこういんへお送り申しあげるゆえ、心おきなく、帰れというし、師の房も、戻ってよいと仰せられたから――」
「万一のことでもあっては大変じゃ。ちょっと、お迎えに行ってくる」
「いや、わしが行こう」覚明が、駈け出すと、
「覚明、覚明、今夜は、坊官の民部殿もおらぬのだから、おぬし、留守番していてくれい」
 性善坊はもう、庫裡くりの方から外へ出ていた。
 町へ近づくと、大路おおじには、しきりに、犬がほえている。しかし、空の赤い光をたよりに駈けてきたが、加茂川の岸まで来ぬうちに、火のいろは消えて、その後ろの空が、どんよりと暗かった。
 ばらばらと、辻から出てくる町の者に、
凡下ぼんげ、火事はもう消えたのか」
「へい、消えたようでございますな」
「どこじゃったか」
「六条の、なんとやらいう白拍子しらびょうしの家と、四、五軒が焼けたそうで」
「ははあ、白拍子の家か。――では、近くに、貴顕のおやかたはないのか」
「むかしは、存じませんが、今はあの辺り、遊女や白拍子ばかりがすんでおりますでな」
「やれ安心した」ほっとしたが、凡下のことばだけでは、まだ何となく不安な気もするし、もう、師の房の法話もすんだころであろうと、性善坊は、走ることだけはやめて、足はそのまま五条の大橋を北へ渡って行った。
 橋のうえから北は、さすがに、混雑していた。いつまでも去りやらぬ弥次馬が、遊女町の余燼よじんをながめて、
「また、盗賊の仕業か」
「そうらしいて。悪酔いして、乱暴するので、遊ばせぬと断ったところが、手下どもを連れて、すぐひっ返し、見ているまえで、火をけて逃げおったということじゃ」
「なぜ、見ていた者が、すぐ消すなり、人を呼ばぬのじゃ」
「そんなことすれば、すぐあだをされるに決まっとるじゃないか。鎌倉衆のお奉行ですら、あいつばかりは、雲や風みたいで、どうもならん人間じゃ」
 そんな噂をしあって、戦慄をしていた。


 その夜、範宴はんえんが求められて法話に行った武家邸ぶけやしきは、火事のあった六条の遊女町とはだいぶへだたっていたが、それでも、性善坊が息せいて行きついてみると、門前には高張たかはりをつらね、数多あまたの侍だの、六波羅衆の鞍をおいた駒などがいちをなしていななきあい、こもごもに玄関へ入って、火の見舞いを申し入れていた。
 法話につどっていた人々も、火事ときいて、あらかたは帰ったのであろう。性善坊は、混雑のあいだをうろうろしながら、家の子らしい一人の侍に、
「うかがいますが」と、腰を下げた。
「こよいの法筵ほうえんにお越しなされた聖光院の御門跡は、どちらにおいで遊ばしましょうか」
「御門跡? ……。おお、あのお方なら、今し方、戻られた」
「ははあ、では、もうご帰院にござりますか」
「たった今、おやかた牛車くるまに召されて」
「お供は」
「郎党が、二、三名いて行ったはずだが、折悪く、火災があってのう、充分なお送りもできず、申しわけのないことじゃった。おぬしは聖光院の者か」
「はい」
「いそいで行ったら追いつこうもしれぬ。ようお詫びしておいてくれい」性善坊はふたたびちまたへもどって往来ゆきき牛車くるまの影に注意しながら駈けて行った。けれど、どこで行きちがったか、五条でも会わず、西洞院にしのとういんでも会わず、西大路でも会わない。
 聖光院へもどるとすぐ、
「覚明、師の房は、お帰りなされたか」
「いいや。……おぬし、お供してもどったのではないのか」性善坊は、早口に、巷のありさまや行った先の口上を話して、
「わしは、駈けてはきたが、それにしても、もう師の房の方が先にお着きになっていると思うたが……」
「それは、心もとないぞ」覚明は、房の内から顔を出して、空を仰ぎながら、
「遅いのう」
「うム……いくらお牛車くるまでも」
「胸さわぎがする」と、奥へかくれたと思うと、覚明は、逞しい自分の腰に太刀の革紐かわひもゆわいつけながら出てきて、ありあう下駄を穿き、
「行ってみよう」と、山門をくぐった。
 ひところ、叡山えいざん西塔さいとうにもいたという義経よしつねの臣、武蔵坊弁慶べんけいとかいう男もこんな風貌ではなかったかと性善坊は彼のうしろ姿を見て思った。
 東山の樹下から一歩一歩出てゆきながらも、二人は今に彼方かなたから牛車くるまわだちの音が聞えてくるか、松明たいまつの明りがさすかと思っていたが、ついに祇園ぎおんへ出るまでも、他人の牛車くるまにすら会わなかった。
「いぶかしい?」
「牛車に召されたとあるからは、この大路よりほかにないが」並木の辻に立って見廻していると、松のこずえから冷たいものが二人のえりへ落ちてくる。


 性善坊や覚明が、その夜も更けるまで血まなこになって探しているのに、どうしても師の牛車も見あたらなければ、院へも帰って見えなかったのは、次のような思いがけない事故と事情が、範宴の帰途に待っていたからだった。
 …………
 まだ六条の燃えている最中。
 鎌倉者の郎党が三人ばかり、松明たいまつをいぶし、牛車の両わきと後ろに一人ずついて、
退け、退けっ」火事を見に走る弥次馬だの、逃げてくる凡下ぼんげや女子供を押しわけて、五条大橋を東へこえてきたのが範宴をのせて聖光院へ送ってくる牛車であった。
 川をへだてているものの、火とさえいえば、六波羅のまえは、四門に兵を備え、出入りや往来へ、きびしい眼を射向けている。
 からくも、そこを押し通って、西洞院にしのとういんの辻まで来ると、鎌倉者にしては粗末な具足をつけた小侍が、
「待てっ」と、ふいに闇から槍をだした。
 供をしてきた郎党はかさず、
「怪しい者ではござらぬ、これは頼家公のお身内土肥兼季どひのかねすえが家の子にござるが、こよい法話聴聞のために、聖光院よりお迎え申した御門跡範宴はんえん少僧都の君を、ただ今、主人のいいつけにてお送りもうす途中でござる」といった。辻警固つじがための小侍は、
「範宴少僧都とな」と、念をおした。
「されば」明答すると、
「役目なれば――」つかつかと牛車のそばへ寄ってきて、ぶしつけにれんの内をのぞき見してから、
「よろしい通れ」と許した。会釈えしゃくして、まっすぐに進もうとすると、また、呼びとめて、
「あいや、こう行かれい」と、西を指さした。
 それでは廻り道になると説明すると、小侍は、一方の大路にはこよい探題のやしきへしのんで賊を働いた曲者くせものがあって、討手が歩いているし、胡散うさんな者と疑われるとどんな災難にあうかもしれぬから親切に注意するのだといって、
「それをご承知ならばどう参ろうとこちらの知ったことじゃない」と、そらうそぶいた。
 辻警固つじがためにそういわれるものを無用にも進みかねて、範宴の意をうかがうと、
「遠くとも、廻り道をいたしましょう、わだちの入らぬ細道へかかりましたら、降りて歩くも苦しゅうはありません」
「では牛飼」
「へい」
「すこしいそげ」西へ曲がって進ませた。
 その牛車くるま松明たいまつの明りを見送って、下品な笑いかたをして、舌を出した。すると、並木の暗がりで、
「あははは」突然、大勢の爆笑が起って、ぞろぞろと出てきた異様な人影が、偽役人にせやくにんの彼をとり巻いてその肩をたたき、
「まったく、うめいや、てめいの作り声だの素振りだのは、どう見たって、ほんものの小役人だ。おかしくって、おかしくって、あぶなく、ふき出すところだったぞ、この道化者どうけものめ」と、ある者は、彼の薄い耳を引ッぱってめそやした。


 黒いぬのを顔にぐるぐると巻いた背の高い男である。裁著たっつけの腰に革巻かわまきの野太刀の背にふさわしい長やかなのを横たえ、五条大橋の方から風のように疾く駈けてきたが、そこの辻にたたずんで笑いあっている一群ひとむれを見ると近づいてきて、
「阿呆ども、そんなところに立って、何をげたげた笑っているのだ」
「あッ、親分ですか」
「並木の蔭へでも引込んでいろ。それでなくとも、六条の町の火放ひつけは、天城四郎あまぎのしろうのしわざだと、もう俺たちの噂が、火よりも迅く迫っている」
「なあに、たった今まで、そこの並木の後ろにかくれて、親分の見えるのを待っていたんですが、そのうちに誰かが、退屈がって、通りかかった坊主の牛車くるまを止めて、六波羅役人の真似まねをし、南へ行こうとする奴を西へ行けと、遠廻りをさせたもんだから、みんなうれしがって、はやしていたところなんで」
「馬鹿野郎、いたずら事ばかりしてよろこんでいやがる。同じ悪戯わるさをするならば、でっかいことを考えろ、もっと途方もない慾を持て。どうせ悪党の生涯は、あの炎のように、派手で狂おしく風のまま、善業悪業ぜんごうあくごうのけじめなく、したい放題にこの世の物を慾の煙の中にさらって短く往生してしまうのだ。ケチなまねをしても一生、大慾大罪のとうを積んでも同じ一生――」骨柄といい弁舌といい、この男がこの一群の頭領であって、すなわち、京の人々が魔のごとく恐れているところの天城の野武士木賊四郎とくさのしろうにちがいない。
 四郎は部下たちへ、こうひと演舌してすぐに、
「いや、それどころじゃねえ」とつぶやいた。
 そして、西洞院にしのとういんの白い大路をかしてみながら、
「もう追ッつけ来る時分だ……手はずをきめておかなくっちゃいけねえ、蜘蛛太くもた、てめえはがらが小さいから人目につかなくっていい。五条のたもとまで行って、ながえ螺鈿らでんがちりばめてある美しい檳榔毛びろうげ蒔絵輦まきえぐるまがやってきたら、そっと、後をけてこい。――それからほかの者は、並木の両側にかがんでくるまの行くままに気どられないようにあるいてゆけ。俺が、口笛を吹いたら、前後左右からくるまへかかって、中の者を引っさらい、何も目をくれずに、よどの堤までかついで行くのだ」
「なんですか、その中の者てえな」
「後で拝ませてやる、俺が今、火事場に近いちまたから見つけてきた拾い物だ、今夜、こんな拾い物があろうたあ思わなかった」
「ははあ、親分が見つけたというからにはまた、きりょうのい女ですね」
「何を笑う。――自分を楽しませた後に、むろの港へもってゆけば、大金おおがねになる女だ、しかも今夜のは、やんごとなき※(「藹」の「言」に代えて「月」、第3水準1-91-26)じょうろうの君で、年ばえも瑞々みずみずしく、金釵きんさ紅顔というからの詩にある美人そのままの上玉だ、ぬかるなよ」四郎は、いい渡して、
蜘蛛太くもたはどこへ行った?」と見廻した。
 すると、群れのあいだから、河童頭かっぱあたまのおそろしく背の短い男が出てきて、
「ここにいます」と四郎の顔を見上げて立った。


 四郎の命をうけて、蜘蛛太の小さい影が、五条口のほうへ駈けてゆくと、いつのまにかほかの手下たちも、両側の並木の闇へ、吸われるように隠れ込んでしまう。
 一人――四郎だけが辻に立っていた。
 火事の煙がうすらぐと共に、世間の騒音もしずまって、おぼろな月明りがけた夜をいちめんの雲母きらら光りにぼかしていた。
 やがて――そう間もないうちに――五条口から西洞院にしのとういんの大路を、キリ、キリ、とかすかなわだちの音が濡れた大地を静かにきしんでくる。
(来たな)
 と、四郎は知るもののごとく知らないもののごとく、依然として、腕ぐみをしたまま辻に突っ立っていると、たしかに、彼がさっき、朱雀すじゃくのあたりで火事のやむのを待っている雑鬧ざっとうの中で見とどけた一輛いちりょう蒔絵輦まきえぐるまが、十人ほどの家の子の打ちふる松明たいまつに守られながら、大路の辻を西へ曲りかけた。
 すると、そこに、天城四郎が石仏のように、腕ぐみをしながら立っているので、
「しッ!」牛飼が、声をかけた。
 それでも動かないので、くるまのわきにいた公卿侍くげざむらいが、
退かぬかっ」叱りつけると、四郎は、初めて気づいたように顔をふり向け、赤々と顔をいぶす松明に眼をしかめながら、
「あ、ご無礼いたしました」
「かように広い道を、しかも、人も通らぬに、何で邪魔な所に立っているか、うつけた男じゃ」
「実は、手前はこよい関東の方から、初めて京へ参ったばかりの田舎侍いなかざむらいで、道にまようて、ぼんやりと、考えていたもんですから」
退け退け」
「はい、退きますが、少々ものをおうかがいいたす」と四郎は初めて、二、三歩身をうごかして、一人の公卿侍のそばへ寄ってかしらを下げ、
「鳥羽へ参るには、どの道をどう参ったらよいでござろうか」何気なく方角を指さして教えていると、四郎は、その侍が胸に革紐かわひもでかけている小筥こばこをいきなりムズとつかんで、りあげた。
「あっ、何をする!」と叫んだ時は、すでに彼の影はくるまから九尺もんでこっちを見ながら、
「欲しくば、かえせ」と、はこをさしあげて見せびらかした。
 供の家の子たちは仰天して、
「おのれ、それには、今日の御所の御宴ぎょえんで、姫君がさるお方からいただいた伽羅きゃら銘木めいぼくが入っているのじゃ、下人などが手にふれたら、罰があたるぞ、返やせ、返やせ!」
「はははは、ちっとも、罰があたらないからふしぎだ」
「おのれっ」
 松明たいまつが飛ぶ――
 ぱっと火の粉を浴びながら四郎は駈けだした。口笛をふきつつ駈けだした。悪智の計ることとは知らずに、くるまをすてて、侍たちは彼一人を追いまわして行った。


 眼のいろ変えた供の侍たちを、ほどよい所までおびき寄せて、四郎は、
「よしっ」と自分へいって立ちどまった。そして、銘木の小筥こばこを、
「これも金になる」と、その革紐を自分の首にかけて、やおら、長い野太刀の鯉口を左の手につかみながら、追ってきた人々を睨んで、
「貴様たち、命はいらないのか。おれを誰と思う、天城の住人木賊四郎とくさのしろうを知らないやつはないはずだが、心得のない奴には、俺が、どんな人間かを示してやる。のぞみのやつは出てこいっ」
 天城四郎と聞いて、人々はぎくとしたように脚の膝ぶしをすくめたが、
「だまれっ、鎌倉衆の探題所はすぐそこだぞ。わめけば、すぐに役人たちが辻々へ廻るぞ。足もとの明るいうちに、その銘木を返せ、お姫様ひいさまにとっては、大事な品じゃ」
「わははは、役人が怖くて、悪党として天下を歩けるか。ばかな奴だ。試しに呼んでみろ、天城四郎と聞けば、役人のほうで逃げてしまうわ」
「ほざきおったな」十人もおればと味方の頭かずをたのんでいっせいに刃を抜きつらねて斬ってかかると、四郎は好むわざにでもありつくように、野太刀のさやを払って天魔のように持ち前の残忍をふるいだした。
 逃げそこねた者が二、三人、異様な声をあげて横たわった。折も折、彼らが二町も後ろに置き捨ててきたくるまのあたりから、姫の声にまちがいないきぬくような悲鳴が流れてきた。それにも狼狽ろうばいしたであろうし、四郎の暴れまわる殺気にも胆を消したとみえ、侍たちは、足も地につかないでいずこへか逃げてしまった。
 死骸の衣服で、ぐいぐいと刀の血をふきしごいて四郎は、肩のこりでもほぐしたように、両手のこぶしをたかく空へあげ、
「はははは」何がおかしいのか独りで笑った。
 するとそこへ、河童頭かっぱあたま侏儒こびとに似た小男が駈けてきて、
「親分」
蜘蛛くもか、どうした?」
「うまくゆきました」
「女は」
「ひっかついで、この道は、人に会うといけないから、並木のうしろの畑道を駈けてきます」
「そうか」跳ぶが如く、どてを一つこえて、畑のほうを見ていると、蜘蛛太のことばのように、ひとかたまりの人影が、輿こしでもかつぐように、肩と肩とを寄せ合って、堤と畑とのあいだを、いっさんに駈けてくる。
 黙って、四郎も走る、蜘蛛太も走る、そして、四、五町も来るとようやく安心したもののように息をやすめて、
「おい、一度下ろせ」と四郎がいった。
 露をもった草の上に、ふさふさとした黒髪と、いつぎぬすそを流した、まだうら若い姫の顔がそっと横に寝かされた。
「かわいそうに夜露に冷えてはいけない、俺の膝に、女の頭をのせろ」と、四郎は堤の蔭に腰をすえた。


「どこかへ、体をぶつけやしまいな」
 自分の膝に、姫の顔をのせて、※(「王+干」、第3水準1-87-83)ろうかんのようにきとおっているそのおもてと、呼吸をしていない紅梅のような唇元くちもとを見て、四郎はいった。
「手荒なことはしませんぜ」手下どもは、首をあつめて、その顔を見入った。
 そして、仮死したままうごかないまゆずみと、いつぎぬにつつまれた高貴さとに、女性美の極致を見たように茫然と打たれながら、
「ウーム……なるほどすごい」
「気だかい」
「上品だ、やはり、うじのよい女には、べつなものがあるなあ」四郎は、悦に入って、
「どうだ、俺の眼は」姫のひたいにかかっている黒髪のみだれをまさぐりながら、
「そこらの田に、水があるだろう、何か見つけて、すくってこい」
よどから舟に乗せてしまうまで、このまま、気を失っているままにしておいたほうがよかアありませんか、なまはんか、水をくれて、気がつくとまたヒイヒイとさわぎますぜ」
「しかし、淀まではだいぶある、その間に、これきりになってしまっちゃあ玉なしだ、いちど、泣かせてみたい、心配だからとにかく水をやってみろ」
「甘いなあ、親分は」一人が水をすくいに行くと、そのあいだに四郎は、
「女にあまいのは、男の美点だ、女にあまいぐらいな人間でなくて何ができるか、男の意欲のうちで、いちばん大きなものが、他人ひとは知らず、俺は女だ。清盛にせよ、頼朝にせよ、もし女嫌いだったら天下を取ろうという気も起さなかったろう。その証拠には、あいつらが天下をとると、なによりもまっ先に振舞うのは、自分がほしいと思う女はすぐ手にかけることじゃないか、俺は無冠の将軍だ、天下の大名どものうえに坐ってみようたあ思わないかわりに、きっと、これと思う女は、手に入れてみせる」そこへ、土器かわらけ破片かけらに、水をすくってきた男が、
「親分、水を」
「口を割ってふくませろ」姫は微かにうめいて、星のようなひとみをみひらき、自分をとりまいている怖ろしい人間どもの顔を悪夢でも見ているように見まわしていた。
「生きている」四郎がつぶやくと、手下どもが、どっと腹をかかえて笑った。その声は、雲間から吹き落ちた※(「風にょう+(犬/(犬+犬))」、第4水準2-92-41)てんぴょうか魔のどよめきのように姫のうつつを驚かしたに違いない。姫は、ひいっ――と魂の声をあげて、四郎の肩を突きのけて走りかけた。
「どこへ行くっ?」四郎は、すそをつかんで、
「姫、もうあきらめなければいけない、落着いて、俺の話を聞け」
「誰ぞ、来ても」姫は、泣きふるえた。
 黒髪は風に立って、姫の顔を、すだれのようにつつんだ。


 それよりは少し前に清水坂きよみずざかの下を松原のほうへ曲がって、弥陀堂みだどうの森からさらに野を横切ってくる二つの人影がある。
 師の範宴の帰途かえりを案じてさまよっている性善坊と覚明かくみょうのふたりで、
「覚明、あれではないかな」
「どれ?」
「むこうのなわて
「ほ、いかにも」
松明たいまつの明りらしい」野を急いでゆくと、果たして、牛車に三、四人の郎党がつき添って西へ向って行くのであるが、どうやら道を迷っているものの如く、自信のない迷者の足どりが時折立ちどまってはしきりと不安な顔をして方角を案じているのである。
「うかがい申すが――」不意に、こう覚明が声をかけると、車のそばの眼がいっせいにふり向いて、
「何かっ?」と、鎌倉ことばで強くいった。
「車のうちにおわすのは、もしや聖光院の御門跡様ではござりませぬか」すると、れんの内で、
「おう」と、範宴の声がした。
「お師様」性善坊はそばへ駈け寄って、宵の火事さわぎや、諸処を探し廻ったことを告げ、
「なぜ、いつもにもなく、かような道へお廻りなされましたか。これでは、いくらお迎えに参っても、分るはずはございませぬ」
「いや、西洞院にしのとういんから東の大路おおじは、なにやら、六波羅に異変があって、往来を止めてあるとのことで……」と、送ってきた従者が答えると、性善坊は、不審な顔をして、
「はて、あの大路は、つい先ほども幾たびとなく、師の房を探すために往還ゆきかえりしたが、なにも、さような気配はなかった」
「でも、明らかに、役人が辻に立っていて、そう申すので、やむなく、並木からこのなわてへ出てきたが、馴れぬ道とて、いっこう分らず、こうじ果てていたところ、お弟子衆が見えられて、ほっといたした」
「ご苦労でござった」と、覚明も共に、礼を述べて、
「これから先は、吾々両名でお供して帰院いたすほどに、どうぞ、お引取りねがいたい」
「では、牛車くるまはそのまま召されて」
「明日、ご返上申します」
「いや、雑色ぞうしきをつかわして、戴きに参らせる、それでは、お気をつけて」送ってきた鎌倉者の侍たちは、牛飼も連れて、そこから戻ってしまった。
 おぼろな野の中に牛車くるまをとめて師弟は、宵の火事のうわさだの、法筵ほうえんの様子だのを話しあって、しばらく春の夜の静寂しじまに放心を楽しんでいたが、やがて、覚明は牛の手綱を握って、
「兄弟子、そろそろ参ろうじゃないか」
「行こうか。――急に安心したせいか、すっかり、落着きこんでしもうた。牛は、わしが曳こう」
「いや、わしのほうが、馴れているぞ」覚明は、もう先に歩いていた。つづいて夜露に濡れて汚れたわだちが重たげにまわりだす。
 そして、およそ三、四町ばかり元の道へ引っかえして、並木の入口が彼方あなたに見えたかと思うころ、覚明は、足をとめて、空の音でも聞くような顔をした。


「……耳のせいかな?」と、覚明がつぶやくと、
「なんじゃ」性善坊も立ちどまった。
 するとこんどは明らかに、田か、野か、ひろい夜霞の中で笛のさけぶような女の声がながれて行った。
「あっ……」車廂くるまびさしへ、れんをあげて、範宴も遠くを見ていた。何ものかをその眼が見とどけたらしく、
不愍ふびんな……」といった。そして、
「あれはまた、里の女が、悪い者にかどわかされてゆく泣き声ではないか。鎌倉殿の世となって、世は定まったようにうわべは見ゆるが、民治はすこしも行きわたらず、依然として、悪者は跳梁ちょうりょうし、善民はしいたげられている」
 眉をひそめて嘆かわしげにいったが、とたんに、覚明は、手綱を、牛の背へほうって、
「救うてとらせましょう」すぐ走って行った。
 性善坊は、師のそばを離れることは不安だし、覚明ひとりではどうあろうかと、しばらく、たたずんだまま見ていたが、おぼろな中に消えた友のすがたは、容易に帰ってこなかった。
「人を救うもよいが、覚明は、勇にはやるのみで、一人を救うがため千人をも殺しかねない男じゃ、性善坊、見て参れ」範宴も、心もとなく思われたか、車のうちからそういった。
「では、しばらくお一人で」いい捨てると、彼の体も、つるから放たれたように迅かった。どてのすそを流れる小川を跳んで、まだ冬草の足もとにからみつく野を、いっさんに走ってゆく。
 行くほどに、やがて、ののしる声だの、得物えものを打ちあう音だのが、明らかに聞きとれてきて、雲母きらら月夜の白い闇を、身を低めてかしてみると、覚明法師ただ一人に、およそ、十四、五名の魔形まぎょうの者が諸声もろごえあわせていどみかかっているのだった。
「助勢に来たぞよ、覚明」近づきつつ、性善坊は、身をていして、悪人たちの中へ割り入ろうとしたが、その時、とつとして横あいに傍観していた一人の男が、野中の一本杉の根本からついと彼の前へ寄ってきて両手をひろげ、彼をして、覚明の助勢をすることを不能にさせてしまった。
「おのれも、賊の組か」前に立った人影の真っ向へこぶしをかためて一撃をふり下ろすと、相手は、ひょうとして、身をかわしながら、
「てめえは、性善坊だな」
「やや」
天城あまぎの四郎を忘れはしまい」
「オオ、何で忘れよう、おのれとあっては、なおゆるせぬ」
「邪魔をすると、気の毒だが、命がないぞよ、常とちがって、今夜の仕事は、大事な玉だ」
 見れば、一本杉の根もとには、彼らがここまでかついで走ってきた姫の体が、要心ぶかくくくりつけてある。その姫の顔には、声を出さないように、猿ぐつわが噛ませてある。


 正義を踏んで立つ背には仏神がある。
「南無っ」といって性善坊は武者ぶりついて行った。
 どこの女御にょごかわからぬが、この悪人のにさせてはならぬ。今もって、悪業あくごうぎょうとし、京都を中心に近畿きんきいったいをあらし廻る浄土の賊天城四郎のにえにさせてなろうかと、相手の正体を見、被害者の傷々いたいたしい姿を見ると、彼の怒りはいやが上にも燃えて、
「南無っ」組んで倒さんとすると、四郎も満身を怒肉どにくふくらませて、
「うぬっ」
「南無っ」
「うぬっ」死力と死力とでもみあううちに、仏神の助勢も、この魔物の悪運には利益もほどこすべなく見えて、
「あっ――」といったとたんに、性善坊の体は、大地へめりこむように叩きつけられていた。四郎はすぐ跳びかかって、
「どうだ、この野郎」馬乗りになって、彼の体にまたがり、短刀をぬいて、切先をしながら、
「ふだんから望んでいる西方浄土へ立たしてやる」すでに刺されたものと性善坊が観念したときである、彼方あなたの大勢を、ただひとりの腕力で、蜘蛛くもの子のように蹴散らした太夫房覚明がふと振向いて、
「おのれっ」投げたのは、彼が、賊の手下から奪って賊を痛めつけていた金輪かなわはまったかしの棒であった。
 あたったら四郎の頭蓋骨は粉になっていたろう、四郎はしかしハッと首を前へかがめた。棒が、ぶうんと唸って背なかを越してゆく。それと、性善坊が足をあげて下から彼をね返し、また、覚明が駈けてきて、四郎の肩をつよく蹴ったのと、三つの行動が髪ひとすじの差もない一瞬だった。
(しまったっ)というような意味のことばを何か大きく口から洩らしながら、四郎の体は、性善坊の上を離れて、亀の子のように転がったが、そこでね起きたり、土をつかんだりするような尋常な人間ではなかった。蹴転がされると、そのまま、自分の意地も加えてどこまでもごろごろと転がって行って、四、五けんも先へ行ってから、ぴょいと突っ立ち、
「やいっ、範宴の弟子ども」と、こなたを見ていうのだった。
「よくも、邪魔をしたな、忘れるなよ」呪詛じゅそに満ちた声で、こういい捨てると、まるで、印をむすんで姿を霧にする術者のように、影は、野末へ風の如く走って行った。

十一

女性にょしょう、もうご心配はない」
「吾々は、聖光院の者じゃ、お供達もおわそうに、どう召された」
「負って進ぜる、背におすがりなされ」二人のこういういたわりの言葉さえも、姫の耳に、はっきり入っているかどうか、姫は気もなえて、ただ、向けられた覚明の背を見ると、わなわなとおののきつつ、しがみついた。
 二人は師の房の牛車くるまのそばまで戻ってきて、
「お待たせいたしました。やはり、参らねば一人の女性にょしょうが、悪人のにえになるところでした」範宴は、車からさしのぞいて、
「どこのお方か」
「まだ訊いてみませぬ」
「供の人でもおらぬのか」
「いるかもしれませぬが……見あたりません」
「いずこまで戻るのやら、負うても参れまい、わしが降りてやろう」
「お師さまはお歩きになりますか」
「うむ……」もう、範宴は足をおろしていた。姫は、疲れきった意識のもとにも、何か、気がねをするらしく見えたが、覚明の背から、車のうちに移されると、初めて、真に安堵あんどをしたらしく、
「ありがとうぞんじまする」微かにいってまた、
西洞院にしのとういんの並木までゆけばくるまもあり、供もいるはずでございますから……おことばに甘えて」
「お気づかいなさるな」牛車くるまはすでにゆるぎ出した。範宴は、なにか空想にとらわれていたらしく、牛車が廻りだしたのに驚いたかのような容子ようすをした。そして、それに添って歩みだした。
 しかし、姫のいう並木まで来ても、姫の従者は誰もいなかった。ただ一輛いちりょう蒔絵輦まきえぐるまが、路ばたの流れの中へ片方のわだちを落してかしいでいた。
「誰も見えんわ。女性にょしょう、お住居すまいはいずこでおわすか、ことのついでにご門前まで送ってとらせようと師の房が仰せられる。いず方の姫君か、教えられい」覚明が、車のうちへいうと、
月輪禅閤つきのわぜんこう息女むすめです」と、かすかにうちでいう。
「えっ」驚いたのは、覚明や性善坊ばかりではない、範宴も意外であったように、
「では、あなたは、月輪殿のご息女そくじょ……するとあの玉日姫たまひひめでいらっしゃるか」
「はい」だいぶ落着いたらしく、はっきりと姫は答えた。
「やはり……仏天のおさしずじゃった……道に迷うたのも、吾々が師の房をさがし求めて行きあわせたのも……。なんと、ふしぎじゃないか」性善坊は覚明と顔を見あわせて、そういった。
 青蓮院の僧正のめいにあたる姫の危難を、僧正のお弟子にあたる師の房が救うということは、そもそも、どうしてもただの偶然ではない。仏縁のほかのものではない。ありがたい大慈の奉行ほうこうに勤めさせていただいたものであると、二人は、涙をながさないばかりによろこび合った。

十二

 月輪つきのわの里まで送って行くつもりであったが、姫を乗せた牛車くるまが四、五町行くと、彼方かなたから一団のほのおと人影とが駈けてくるのと出会った。
 人々は、手に手に松明たいまつをかざしていた。また、太刀だの、長柄ながえだの、弓だのをたずさえていた。そして此方こなたの牛車を見かけると、
「怪しげな法師、通すな」と取り囲んでざわめいた。性善坊は、く察して、
「もしや、おのおのは、月輪殿のお召使ではありませぬか」
「さればじゃが……そういうところを見ると、おぬし達は、姫ぎみの身について、なにか存じているところがあるに相違あるまい。姫は、どうしたか、存じ寄りもあらば教えてくだされい」
「その玉日様ならば、これからお館へお送りしようと考えてこれまで参ったところです。おつつがなく、牛車くるまのうちにおいで遊ばされる」嘘かと疑っているらしく、初めは、そういう性善坊のおもてを睨みつけていたが、やがて、前後の事情をつぶさに訊かされたうえ、姫のために車を与えて、車のわきに歩行しているのは聖光院門跡の範宴であるときかされて、月輪家の人々は、大地へ手をつかえて、
「知らぬこととは申せ、無礼の罪、おゆるし下さいませ」
「これこそ、あらたかな御仏みほとけの御加護と申すものでございましょう」
やかたのおよろこびもいかばかりか……」
「いずれ改めてご挨拶に出向きまする」
「ああ、ほっとした」
「ありがたい」と、いってもいってもいい足りないような感謝の声をくりかえして、人々は、姫の側近そばちかくに集まった。覚明は牛の手綱を渡して、
「では、確かに、姫の身は、お渡しいたすぞ」
「はい。……それでは」と月輪家の者が代って曳いた。姫は、車のうちから、
「この車まで、いただいては」と、遠慮していった。
「どうぞ、そのまま」範宴は、姫の顔を、前よりも鮮やかに見た。
 姫は、涙でいっぱいになったひとみで、かしらを下げた。その黒髪の銀釵ぎんさはもう揺れだしたわだち燦々きらきらとうごいていた。召使たちは、何分にもお館の心配を一刻もはやく安んぜねばと急ぐように、車の返却や礼のことばは明日改めてとばかり先をいて曳いて行った。
 廻る輪の光をはやく描いて、わだちは白い道に二筋のあとをのこして遠ざかった。キリ、キリ、とおぼろな闇に消えてゆく車の音に、範宴は、いつまでも立ちすくんでいた。おそろしい力が、今自分の信念もいや生命までも肉と魂とを引き裂いて胸のうちから引っ張ってゆくのではないかと気づいて、慄然りつぜんと、われにかえった眼で、雲母きらら曇りの月を探した。

牡丹ぼたん使つか




 つめたい円座に身を置き、冷たい机にひじをよせ、範宴はんえんは何かの筆を執っていたが、その筆を投げるようにおいて眼をとじた。眉に一すじの針が立つ。
 かろく頭をふりうごかしている。そしてまた、筆を執った。
「…………」無我になろうとする、無想の境にはいろうとする、写経の一字一字に、筆の穂に、あらゆる精をこめて――雑念ぞうねんを捨てて――
 怖いような横顔であった。筆の軸にかけている指の節々にさえ異様なものがこもっているように見える。
「……少僧都しょうそうず様、御門跡様、御写経中を恐れいりまするがちと申し上げまする」
 坊官の木幡民部こばたみんぶである。最前からうしろに両手をつかえておりを見ているのであったが、容易に範宴の耳に入らないらしい。――で、少しすり寄って畏る畏るこういうと、
「何か」と、範宴は顔を向けた。きっと射るような眼を向けた。
「お客殿に、あまり永うお待たせ申し上げておりますが」
「誰が?」と、考えるようにいう。
 これには民部もちょっと意外な面指おもざしを示した。花山院の公達きんだちがいつぞやの僧正の件についての礼に来ているということはもう半刻はんときも前に取次いであるのに――と思ったが、もういちど改めて、
「花山院の御公達が見えられて、先ほどより、お客間にいらっしゃいますが」
「そうそう、そうであったな」
「お通し申し上げましょうか」
「いや、待て。……今日は範宴、何とも体がすぐれぬゆえにと――ようお詫びして帰してくれい」
「は……。ではお会いなさいませぬので」
「何とも、会いとうない」やむを得ず民部は退がってゆくのであったが、いつに似気にげないこともあるものだと思った。客に接するのにこういうわがままなどいったことのない範宴である。それに、この数日来というものは、語気にも霜のようなきびしさと蕭殺しょうさつたる態度があって、ほとんど人をも近づけぬ烈しさが眉にあらわれることがある。
(師の君は、近ごろ、どうかなされている)それは民部のみが感じるのではない。性善坊もいうし、あの神経のあらい覚明でさえ気づいている。
 いや、気づいていることは範宴自身が誰よりも知っていた。そして、こういう自分の焦躁しょうそうを、自らかえりみて口惜しいとも浅ましいとも思い、あらゆるぎょうに依ってこのいらだちを克服してしまおうと努めるのであったが、意識すればするほどかえって心はみだれがちになり、あらぬもののほうへとらわれてしまうのであった。
 こういう現象は、つい七日ほどまえの夜からであった。あの夜以来、範宴のひとみにも、心にも、常に一人の佳人かじんんでいた。追おうとしても、消そうとしても、佳人はそこから去らなかった。そしてある時は夢の中にまで忍び入って、範宴の肉体を夜もすがら悩ますのであった。


 一日ごとに春はれてくる。
 範宴は狂わしい眼で外を見た。聖光院の庭は絢爛けんらん刺繍ししゅうのようだった。連翹れんぎょうのまっ黄いろな花が眸に痛い気がする。木蓮もくれんの花の白い女の肌にも似た姿が意地わるいこびのように彼には見えた。
 何を見ても触れても、甘酸あまずっぱい春の蜜をたたえている自然である。蜂も、鳥も、猫も、恋をしていた。
(人間もその自然のもとにあるものなのに)範宴は自分に宿命した自分の秘密を、時には、不幸な胎児たいじのように不愍ふびんに思うことがあった。
 絶対に、この世の光をみさせることのできない秘密の胎児――生れでる約束をもたずに出命した暗闇くらやみの希望――こういう煩悶はんもんに彼は打ち勝とうとすればするほど人格の根柢からくずされてしまうのだった。
玉日たまひ……」思わず口のうちでこう呼んでみて、せめてもの心遣こころやりにすることすらあった。熱い息の中で、
「玉日……」と、声なくいってみるだけでも幾らかの苦悶のなぐさめにはなる気がしたが、とたんに、自己のすがたを振向いて、聖光院門跡もんぜき範宴という一個の人間を客観すると、
「ああ……」手を顔におおって潸然さめざめ御仏みほとけのまえに罪を謝したくなる。
 つよい慚愧ざんきと、自責じせきしもとに、打って打って打ちぬかれるのだった。誰か、杖をあげて、
(この外道げどう)と肉の破れるほど、肉体がいまわしい空想や欲望をいだく知覚を失ってしまうほど、打ちすえてくれる人はないものかと思う。
 彼は、泣いて、仏陀ぶっだのまえへ走った。そして、ほとんど狂人のようになって誦経ずきょうした。また、一室にこもって凝坐ぎょうざした。
(だめだ)もろくも、そういう叫びが雑念ぞうねんの底からもりあがる。
 磯長しながの太子堂に、叡山のゆかに、あの幾年いくとせかの苦行も今はなんの力のたしにもならなかった。まぶたをとじれば瞼の中に、心をしずめればその心の波に、空を仰げば空のあいの中に、玉日の姿が見えて去らない。
「いっそ、僧正におうち明けして、僧正のお叱りをうけようか」とも考え、また、南都の覚運僧都そうずのもとへ行って、ありのままに訴えてみようかとも幾たびか思い悩んだが、聖光院の門跡という地位がゆるさないことだし、彼自身の性格としても、自分の力で解決しなければならない問題だと思うのであった。そして、この苦悶を克服することが、自分を完成するかしないかの境目であるとも考えていた。いかにして、精神が肉体につか、信仰が肉体を服従させきれるか、彼は、二十八歳の青春とさかんなその血液とを、どうしたら灰のような冷たいものにさせてしまうことができるかということにこの三月みつき懊悩おうのううちに暮していた。


 東山に雲が低く降りていた。白く乾いた道に、ほこりが舞う。
「おお、ひどい」どこかの奥仕えらしい中年の女が、立ちすくんで、もすそを押えた。落花を捲いてゆくつむじ風が、女の胸にかかえている一枝ひとえだ牡丹ぼたんの葉を※(「てへん+劣」、第3水準1-84-77)むしるように強く吹いた。
童女わらべ、童女、傘をさしても」風がすぎると、もうぱらぱらと雨がこぼれてきた。
 の長い飴色あめいろの大きな傘を、童女わらべはうしろからしかけた。
「聖光院はまだかの」
「あの白い壁の御門がそうではありませんか」雨は小粒になって、風も止み、雲も切れて、湯気のような春光の中に、どこかで啼くうぐいすの声がしていた。
 童女は、濡れた傘をたたんだ。そして聖光院の式台へかかって、
「おたのみ申します」といった。
 坊官が出てきてひざまずいた。そして、女の姿と、牡丹の枝に眼をみはった。女はしとやかに、
「私は、月輪禅閤つきのわぜんこうの奥に仕える万野までのと申すものでございますが、御門跡様へお目にかけたいとて、室咲むろざきの牡丹を一枝、お姫様ひいさまの思し召で持参いたしました。また、この御書面は、お父君の禅閤様ぜんこうさまからのお墨、御返事をいただけますれば倖せにぞんじます。……どうぞよしなに、お執次とりつぎを」と、牡丹に添えて、書面をさしだした。
 坊官は、木幡民部へ、その由を告げた。民部は、月輪からの使いと聞いて、
「どうぞご休息を」と、万野までのを控えの間へ通した。
「これはお見事な……」と、牡丹をながめて民部はつぶやいた。花はまだ開いていないが、雨に濡れた葉の色が美しかった。
 さっそく、範宴の室へ、民部はそれを持って行った。範宴は、姫からの贈り物と聞いて、眉に、よろこびをたたえた。
 書面を一読して、すぐ、返事をしたためた。そして使いを帰した後で、みずから白磁はくじの壺をとりだして、それへ牡丹をけた。
「……あの人の姿のままだ」白磁の水ぎわから生々と微笑ほほえんでいる枝ぶりをながめて、範宴はその日の憂鬱を忘れていた。
 禅閤からの書面には、いつぞやの礼を尽してあった。玉日姫たまひひめの難を救ってもらったことが、父として、どれほどかありがたくうれしかったものとみえて、その礼の使者は今日ばかりではない、青蓮院の僧正を通じたり、直接に家臣を向けてよこしたり、あらゆる感謝の意を示したのであるが、範宴にとっては、今日の牡丹の一枝ほどうれしい贈り物はなかった。
 しかし、それでもまだ禅閤は恩人に対しての誠意があらわしきれない気がするものと見えて、今日の書面では、ぜひ、青蓮院の僧正と共にいちど館へ遊びにきていただきたい、なにも、ご歓待はできないが、月輪の桜も今がさかり、月もこのごろは夜はわけてもし、折から、めずらしい琵琶びわ法師が難波なにわから来て滞在しているから、平家の一曲をお耳に入れ、姫や自分からも、親しく、先ごろのお礼を申しのべたい、という懇切な招きなのであった。
 範宴は、いずれ僧正と相談の上で――と返辞したが、心はむろん行くことに決めていた。

峰阿弥みねあみがたり




 吉野の桜はもう散って吹雪になっていたが、月輪つきのわの里の八重桜は今が見ごろだった。
 雪のようにこずえに積んだ厚ぼったい花は、黄昏たそがれと共に墨のように黒ずんでいたが、やがて宵月よいづきの影がその花のしんにしのび入るころになって、万朶ばんだの桜が、青銀色な光をもって、さわさわと乾いた音を風の中に揺り動かした。
「こよいの客人まろうどは、姫の生命いのちの親じゃ、粗略がないように」と、月輪の館では、禅閤ぜんこうを初め、家族たちや召使の端までが、細かい気くばりをもって、かどを清掃して、待っていた。
 やがて、一輛の牛車くるまに、二人の客が同乗してきた。むろん、範宴はんえんと慈円僧正である。
「お待ち申しておりました」家臣は、列をして迎えた。禅閤は式台まで出迎えて、
「ようこそ」と、みずから客殿へ導いてゆく。
 さき摂政太政せっしょうだいじょう大臣であり関白の重職にまでなった禅閤兼実かねざね住居すまいだけあって、その豪壮な庭構えや室内の調度の贅沢さには眼も心も奪われるような心地がする。
 範宴はんえんは、数年前に、師の僧正と一伴いっしょに、いちどここへ来たことがある。その時は、見るかげもなく痩せおとろえて旅から帰ってきたばかりであったし、自身もまだ名もない一学徒にすぎなかったので、ここの家臣たちは誰もその時のみすぼらしい若法師がこよいの主客であるとは気がついていないようであった。大勢の侍女こしもとたちと一緒に何か遊戯をしている所へ来あわせたので、自分にも眼かくしをせよといって困らせられたことを範宴は今ぼんやりと思い出していた。
 その姫はまだ顔を見せなかった。たくさんなしょくのあいだを美しい人々が高坏たかつきやら膳やら配ってまわる。みな一門の人々であろう、範宴と僧正とを中心にして十人以上の人々がいながれている。
ささは参られるのか」まず主客の範宴に、禅閤からすすめると、範宴は、
「いただきませぬ」と、はっきりいった。
 僧なのでむげにはすすめなかった。僧正はすこしはたしなむ口なのである。それに、あるじの禅閤とは骨肉の間がらではあるし、ここへ来てはなんのわけ隔てもない。
「範宴のいただかぬ分は、わしがちょうだい申そう、こよいは、お志に甘えて、堪能たんのうするほど飲もうと思う、帰りには、車のうちまでかいこんでもらいたいものだ、それだけは頼んでおくぞ」僧正はそういっていかにも帯紐おびひもを解いたような容子かたちで杯をかさねはじめた。褝閤も、今は隠棲して老後をたのしむ境遇である。こういう夜は、客よりも、彼自身の生活のふくらみであった。
「青蓮院どの、それでは、主客顛倒てんとうというものではないか」
「なに、範宴には、料理をたんと出しなされ」
「範宴御房、どうぞ、おはしをおとりくだされい」
「いただいています、僧正のこういう自由なお姿を見ているのは、私として、何よりの馳走に存じます。また、うらやましくも思われます」
「ははは、範宴が、何かいうとる」僧正はもう陶然とうぜんと酒仙の中の人だった。


「姫が見えぬが」とやがて僧正が訊ねた。月輪禅閤は、侍臣をかえりみて、
「まだ支度か。客人まろうどもお見えになっているのに」と、つぶやいた。
「お伝えして参りましょう」侍臣の一人が立って行った。花明りの廊下の彼方あなたへその姿がおぼろになってゆく。廊には、ともしの入った釣龕燈つりがんどうが幾つとなく連なっていて、その奥まった一室に、姫は、とばりを深く垂れて、化粧をしていた。
 湯殿から上がったばかりの黒髪はまだ濡れていた。童女わらべたちは、柳裏のいつぎぬを着た彼女のうしろにはべっていいつけられる用事を待っていた。侍女の万野までのは、姫の黒髪の根に伽羅きゃらの香を※(「火+(麈−鹿)」、第3水準1-87-40)きこめたり、一すじの乱れ髪も見のがさないように櫛をもっていたりしていた。
 やがて、姫は鏡をいた。そこへ廊下からの声が、
「お姫様ひいさま。叔父君にも、お客人まろうどにも、お待ちかねでございまする」万野までのがすぐ、
「はい、もううかがいます」と答えた。
 窓から花明りの風がさやさやと流れこんで姫の黒髪を乾かした。
「お姫様、それでは」うながすと、玉日たまひは、静かに立って童女わらべや万野と連れだって自分の部屋を出た。そして、客殿の輝かしい明りが池殿の泉に映って見えてくると、玉日は、立ちどまってしまった。
 万野が振り向いて、
「お姫さま。どう遊ばしたのですか」姫は、らんの柱へ顔をかくして、
「何やら、面映おもはゆうなった」
「まあ……何の面映ゆいことがございましょう、お内輪の方ばかりですのに」
「でも……」
 がんのうえから、白い花びらがひとひらのように舞って、姫の黒髪にとまった。万野が手をのばす前に、姫は自身の手でそれをとって、指の先で、もてあそびながら、
「私が、ご挨拶に出ないでもいいのでしょう。お父君から、ようく、お礼をいってくださるから」
「そんなことはなりません」万野は、姫が、いつものわがままを出して、駄々をこねるのであろうとばかり受け取っていたので、ややうろたえた。
「さ……参りましょう。なんで、こよいに限って、そんなにお羞恥はにかみ遊ばすのですか」
「羞恥むわけではないけれど……」
「では、よいではございませぬか」手を引くようにして、万野と姫とが、客殿のほうへ近づいてゆくと、眼ばやく、叔父の僧正が、
「見えられたな、さあ、ここへこい、わしのそばへ」と、さしまねく。
 僧正の眼には玉日姫が、いつまでたっても、無邪気な少女としか見えなかった。今になっても、時々範宴を子ども扱いするように、玉日をも、幼子おさなごのままに見て、膝の上へでも乗せそうに呼ぶのであった。


 僧正がたわむれでもいわなければ誰も座をやわらげる者はなかった。姫のひとみはまばゆいものの前にあるように、絶えず俯向うつむきがちであるし、範宴も口かずをきかないのである。ことに、かんじんなその主客が酒をたしなまないので、禅閤は興のしらけるのをおそれるように、しきりとみずから銚子を取って杯に心づかいをしたり、世事のうわさなどを持ち出して話題を賑わせたりしていたが、やがて側の者に何かささやくと、その家臣は館のどこからか一人の盲目法師の手をひいて、この客殿へともなってきた。
「これは近ごろ名高い琵琶びわの上手で、峰阿弥みねあみという法師です」禅閤が、紹介ひきあわせると、盲目の峰阿弥法師は与えられた席へ琵琶をかかえてもの静かに坐って、黙然もくねんかしらを下げた。
 もう五十に近かろう、長い眉毛まゆげには霜がみえる、深くくぼんでいる眼は針のように細い線があるだけだった。盲人の癖として、首をすこしかしげたまま、客の容子ようすや灯りの数や自分の位置がどういう辺りにあるかを勘で見ているらしい面持ちであった。
「峰阿弥といわれるか」僧正がたずねると、
「はい」声のほうへかしらを向けて、
「かような貴人のおん前に召されまして、冥加みょうがのいたりでございます」
ささはのむか」
「むかしは過ごしましたが、このごろは……」
「眼はすこしも見えぬようじゃな」
ごうむくいでございましょう」
「幼少から?」
「いいえ十年ほどまえからでございました。いかなる病毒をうけましたやら、ほとんど一夜のうちに眼がつぶれ、その当座はまったく世の中が闇になったように思いましたが、馴るるに従って不便もわすれ、いささか好む琵琶をいて生業なりわいといたし、こうして花に月に、風のままに召さるる所へ参じては御宴ぎょえんの興をたすけ、独りになれば琵琶を妻とも子とも思うて暮しておりますと、いっそ、眼がいて五慾の煩悩ぼんのうにくるしんでいた時よりは、心も清々すがすがとしてよいように存じまする」
「ははは、ようしたもののう」禅閤は、範宴へ向って、
「何ぞ曲をのぞんでやってください、唐曲とうきよくくし、平家もうたう」峰阿弥は、手を振って、
「なかなか、唐曲などは」と謙遜けんそんした。
 範宴は、曲を聴くことものぞましいが、もっと、この法師の身の上やまた眼が見えぬ人間の生活が訊きたかった。
 だが峰阿弥は、客がまぬうちにと思ったか、琵琶をかかえ直して、はやくもいとを調べにかかる。四絃しげんのひびきがすると、端居はしいしていた侍たちだの、次の間にいた童女わらべや召使までが、席へ近くにじり寄って皆耳をすましていた。


 琵琶びわ海老尾えびおに手をかけて、四つのいとねじをしきりと合せていた峰阿弥みねあみは、やがて、調べの音が心にかなうとやや顔を斜めに上げて、客か主人かが所望の曲をいい出すのを待っているような容子ようすであった。そこで、僧正が問を入れた。
「法師」
「はい」
「そちの琵琶は唐作からづくりのように見ゆるが、やはり舶載物はくさいものか」
「いいえ、古くはございますが、日本でできたものでございましょう、めいに、嵯峨さがとありますゆえに。それに、唐琵琶は多く胴を花梨かりんでつくりますが、これは、日本の黄桑こうそうでございます」
「日本に琵琶の渡ってきたのは、いつのころからであろう」
「さよう――」峰阿弥は、見えない眼をしばたたいて、
「よう、存じませぬが、推古朝すいこちょうの時代、小野妹子おののいもこずいの国から持ってきたと申す説、また、仁明帝にんみょうていの御世に遣唐使藤原貞敏ふじわらのさだとしが学んで帰朝したのが始まりであると申す説と、いろいろにいわれておりまするが、いずれにしても天平てんぴょうのころからあったということは光明皇后から東大寺へ御寄進なされました御物ぎょぶつを拝見いたしましてもうなずけることでございましょう」
「本朝で、琵琶の上手といわれる人は」
「ただ今申しました藤原貞敏きょうや宇多源氏の祖敦実親王あつざねしんのう、また親王の雑色ぞうしきで名だかい蝉丸せみまる
「当代では」
「畏れ多いおうわさでございますが、高倉天皇の第四の王子、上皇とおなり遊ばしてからは後鳥羽院と申し上げているあの御方おんかたほどな達人は先ずあるまいと下々しもじもの評でございまする」禅閤兼実かねざねはうなずいて、
「いかにも」と相槌あいづちをうった。
 峰阿弥は問わず語りに、
「私などが存じあげた沙汰ではございませんが、世評によると、後鳥羽院と仰せられる御方は、よほど秀才だと申すことです。新古今和歌集のせんを御裁定あそばしたり、故実の講究にもおくわしく、武道に長じ、騎馬と蹴鞠けまりはことのほかすぐれておいで遊ばすそうで、わけても下々の驚いているのは、画なども、ふつうの画工などは遠く及ばないものだと申すことでございます。――その後鳥羽院はまた、御気性のすぐれておいで遊ばすだけに、今は亡き源義経よしつね公とは、たいそうお心が合って、勤王の志のあつかった義経公を、いまだに時折、ご側近の方々へ嘆きをお洩らしなさるそうでございます。そして、頼朝公の亡きあとの北条一族の専横せんおう御覧ごろうぜられ、武家幕府のおごりを憎み給い、やがては鎌倉の末路も久しからずしてこうぞよという諷刺ふうしをふくめて、前司行長ぜんじゆきながに命じて著作つくらせましたのが、このごろ、しきりと歌われる平家の曲でございます。上皇はそれを、性仏せいふつという盲人に作曲させ、民間へ流行はやらせることまでお考えになりました。その御心みこころは忠孝な道の節義を教え、おごる者の末路をいましめられましたものでございまして、私の語るところも、実はその性仏から教えをうけたものでございますゆえ、まだ糸にも歌にも馴れぬ節が多いので、さだめし、お聞きづらかろうと思うのでございます」


 しょくが白々と峰阿弥の肉のげた頬にゆらいでいた。人々は、平家の曲が近ごろ流行していることは知っていたが、後鳥羽院のお心にそういう深いお考えがあることは、誰も初めて知ったようであった。
 僧正は側にいる範宴をさして、
「これにいる少僧都しょうそうず範宴は、今峰阿弥のいうたように、後鳥羽院より格別な寵遇ちょうぐうを賜うた義経公とは復従兄弟またいとこの間がらじゃ、院の御心をしのび参らせ、また、こよいの主客とは由縁ゆかりもふかい平家の曲を聞くのは何よりの馳走に思う。法師どの、早速に語られい」といった。
 源家の英雄児義経とここにいる範宴とが、復従兄弟にあたるということは、禅閤のほかは皆初めて聞いたらしく、主客の端厳な姿に改まった眼を、そっと向けあうのであった。
 つつましく燭を羞恥はにかんでいる姫のひとみさえ、深い睫毛まつげの蔭からまばゆいものでも見るように範宴の横顔を見たようであった。
 峰阿弥は、
「かしこまりました」一礼して、ばちり直した。
 四絃しげんをぴたと構え、胸を正しくのばすと、芸の威厳といおうか、貴人の前も忘れたような彼だった。このとき位階や権門もあくたのようなものでしかなかった。しいんとしずまる人々を睥睨へいげいして――
祇園精舎ぎおんしょうじゃの鐘のこえ
諸行無常のひびきあり
沙羅双樹さらそうじゅの花のいろ
生者しょうじゃ必衰のことわりをあらわす
おごれるもの久しからず
ただ春の夜の夢のごとし
たけき人もついには亡びぬ
ひとえに風のまえのちりのごとし
遠く異朝をぶらうに
しん趙高ちょうこう
漢の王莽おうもう、梁の※(「己/廾」、第3水準1-84-18)しゅい、唐の禄山ろくさん
旧主先皇のまつりにもしたがわず
楽しみを極め
いさめをも思い入れず
天下の乱れをも悟らずして
民のうれいも知らざりしかば
みな久しからずして
ぼうじにし者どもなり
近く本朝をおもんぱかるに……
 峰阿弥の顔は怪異にさえ見えてきた。ばちは四絃をね、黄桑こうそうの胴を恐ろしい力でたたいた。彼はもう芸以外に何ものも天地にないようにひたいに汗を光らしてくる。聞く人々も彼の芸の中にひきこまれて我にかえることができなかった。かの白楽天の琵琶行びわこうの話を※(「さんずい+(扮のつくり/皿)」、第4水準2-78-90)ぼんこうの湖上に聞くような気持にとらわれていて、そのかんは無心な燈火ともしびさえうっとりとしているのであった。
間近くは六波羅ろくはらの入道
さきの太政だいじょう大臣たいら朝臣あそん
清盛公と申しし人のありさまこそ
ことばも筆おろかよ、及ばね
その先祖をたずぬれば
桓武かんむ天皇第五の皇子
葛原かつらばらの親王九代の後胤こういん――
 曲はすすみ、夜は更けて行った。人は在るが無いように。ただ、落花はなの影だけが、暗いしとみの外に舞っていた。


 平家の曲の大部を残らずくとすれば、夜の明けるまで語ってもとても語り切れる長さではない。峰阿弥みねあみはその大部なものの要所だけをって、たくみに、平家一門の華やかな一時代と幾多のはかない物語とをつづって、やがて屋島からだんうらの末路へまで語りつづけてきた。
二位殿は日頃より
思い設け給える事なれば
にぶ色のふたぎぬうちかず
練袴ねりばかまのそば高くとり
神璽しんじを脇にかいばさみ
宝剣を腰にさし
主上をいだき参らせて
 聞き入っている人々はいつか眼に涙をいっぱい持っていた。あおい海づらに逆まく渦潮うずしおのあいだにただよう弓だの矢だの檜扇ひおうぎだのはかまだのがいたましくまぶたに映ってくるのであった。そしておごり栄えた一族門葉の人々の末路を悲しいとも哀れとも思ったが、涙はその人々にこぼしているのではない、等しく同じ運命のもとにおかれている人間というものの自分に対して無常を観じ、惻々そくそくと、おのれの明日あしたが考えられてくるのであった。
われ女なりとも
敵の手にはかかるまじ
主上の御供に参るなり
御志みこころざしおもい玉わん人々は
急ぎつづきたまえやと
ふなべりへぞ歩みいでられける
 発矢はっしと、ばちの音、聞くものの魂をさながらに身ぶるいさせた。大絃たいげん※(「口+曹」、第3水準1-15-16)そうそうとして急雨のように、小絃は切々として私語しごのごとしという形容ことばのままだった。そして、四つの糸が突然れたかと思われるように撥が止まったと思うと、曲は終っていたのである。峰阿弥はまるで雨を浴びたように濡れた顔になっていた。撥を鳩尾みずおちに当てたまま、大きな息を全身でついている。
「ああ」誰とはなく皆がいった。われにかえった顔なのである。口々に、峰阿弥のわざめたたえた、しかし、峰阿弥はにんやりともしなかった。
つたない曲を、永々とおきき下さいましてありがとう存じまする。それでは、退がらせていただきます」早速、琵琶をかかえて席をすべってゆく。いかにも恬淡てんたん容子ようすがいっそう人々にゆかしく思われた。
 彼が去って人々が雑談に入りかけたので、範宴はそっと席をぬけて庭へ出ていた。庭は境がわからないほど広かった。花明りの下、彼はまだ恍惚こうこつと立っていた。背に樹の幹が触れたのでそのまま体をもたせかけていた。ちらちらとひとみのまえを白いものがさえぎって降る。手を出してもつかまらないまぼろしのような気がするのである。心のうちにもそれに似た幻影が離れなかった。姫のまゆである、唇である、黒髪である、どうしても打ち消すことができなかった、熱病のように何か大きな声でものを口走りたいような衝動がじっともの静かに立っている彼の内部を烈しく駈けまわっているのだった。
是空ぜくう、是空」うめくようにいったくちはすぐ歯で噛みしばっていた。こぶしを二つの胸にくみあわせて苦しげに闇へ闇へ歩みだしている。たった今、無常観の大部な話を聞いたばかりの耳は彼自身でもどうにもならない若い血で、火のように熱くなっていた。
「あっ……。粗忽そこつをいたしました。どなた様か、ごめん下さいまし」先で早くも避けたが、肩の端をぶつけてしまった。それは、盲人の峰阿弥の声であった。


「オ、最前の琵琶法師どのか」
「あなたは、範宴僧都そうずでいらっしゃいますな」
「そうです」
「よい所でお目にかかりました。ちと、話したいと思いますが」
「私に」
「いけませんか」
「なんの、どうせこうしている折です」峰阿弥は寄り添って、
「私の今夜の琵琶は、お聞きづらかったでございましょう」
「そんなことはない、興に入って聞いていた」
「いや、そうでございますまい。盲人の勘にはわかります。また、自分のばちにかけている糸の勘でもわかります。今夜の主客は、時々そら耳になっておいででした。食らえども味を覚えず、聴けども音をわきまえず、そういう空虚うつろを時々あの席で感じたのでございます。これは、私のだんじる琵琶のわざが足らないかと思ってひたいに汗をして語りましたが、やはりそうではありません。芸味はすべて聴くもの聴かす者が一体になった時にしんに入ります。あなたのお気持が、時々ぷつんと糸の切れたようにどこかへ離れて行く。――どこへ行くのであろうと私はひそかに心で探っていました。すると、私のいた左側から留木とめきかおりがぷうんと漂ってまいります。あなたは確かに玉日たまひ様に心をられていたに違いありません」
「…………」範宴はぎょっとして盲人のくぼんだ眼を見直さずにはいられなかった。何とずばずばとものをいう法師だろうか、いやそれよりも怖いような六感の持主ではあるまいか。範宴は、足をもどしたくなった。すると峰阿弥は、
「おかけなさいまし」と、築山のすそにあるちんの柱を撫で、そこにある唐製からもの陶器床几すえものしょうぎをすすめた。
「どうぞ」何か、抑えられているようでこばまれない。峰阿弥は自分も腰をおろして、
「ありがちなことでございますな、私なども……」といった。そして、しばらく回顧的な面持ちをかしげていたが、
「実は、わしも、元からの琵琶法師ではありません、これでも以前はしかるべき寺院におり、仏典にも一心を没し、南都の碩学せきがくにもつき、自身苦行もいたして、禅那ぜんなゆかに、求法ぐほうの涙をながしたものでござりましたが、ちょうど、御房ぐらいな年ごろでござった。ふと、半生の苦行を女一人に代えてしもうてな、女犯にょぼんの罪に科せられ、むちの生傷を負って寺を追われましたのじゃ。それ幸いと、加古川の辺りで、その女と、女の死ぬ年まで暮しましたがの、さて、過ぎ越し方をつらつらとおもうに、女ある道、女なき道、どう違いがあろうか、有るとしているのは仏者のみではございませんか。――それ、一路を難行道なんぎょうどうといい、一路を易行道いぎょうどうという。おかしい」峰阿弥は独りでわらう。そして話も独り言のように、
「わしが眼をつぶれたのを見て、世間はばちだというが、わしの身にとってみれば、黒い浄土じゃ、安心の闇ともいえよう。眼が明いているうちは、なし難い道を踏もうとし、踏みすべってはもだえたが、今では、すべてが一色の盲目、坦々たんたんとして易行道をこうして歩いていますのじゃ……ははは」


 峰阿弥の顔に、ひとひらの落花はながとまった。手で払いのけながら、
「思うても御覧ごろうじ、どうして、この始末のわるい人間が生身のまま化仏けぶつできよう。あのまま寺にいて、僧正になっていたのと、加古川の片田舎で女と暮したあげく女に死にわかれて、盲目めしいの芸人となって、座興の席を漂泊さすろうてあるく今の境遇と、どちらがよいかは分らぬが、わしは、決して、後悔はしていない。――すこしも現在に不満と迷いはない。身を難行苦行の床におき、戒律かいりつ法衣ころもに心をかためていた時よりも、かえって、今の身の方が仏身に近い気持がいたすのは一体どうしたものでしょうな。年のせいとばかりは考えられません。まだまだ、眼こそ見えぬが、これでもまあ、女性にょしょうそばにいればわるい気はしない男なのですから」
 範宴は一句の答えもし得なかった。しないでも峰阿弥は問わず語りに喋舌しゃべりつづけるので気づまることはないが、余りにも怖ろしい話だった、というて耳をおおおうとすればかえって自身をあざむく気もちが自身を責める、いまわしいようで真があり、醜いと感じながら自分にもあるすがただった。
「ははは、破戒僧はかいそうのくり言は、これくらいにしておきましょう。そこで、御房ごぼうのお考えはどうあるの? ……仏教も近年はずっと進んできたようですから、御房のような新知識から、わしらは学びたいと思うているがの。黒谷の法然ほうねん上人など、なかなかよいことを申されるそうな、北嶺ほくれい駿馬しゅんめといわれる聖光院範宴どのの女性にょしょうに対してのお考えをうかがいたいものじゃ。あるいは、戒律についてのご信念でもよろしい……」意地悪く追求するのである。範宴には、当然今日まで血みどろになって築いてきた信念のとりでがあった。巌根いわねのように堅固に、あらゆる心機をここに征服するだけの備えもかたまったつもりであるが、なぜか、この一盲人の極めて平俗な問に対して、きっぱりと、邪弁の舌をってみせるような言葉が胸に出てこなかった。
「また、自分のことにかえるが、わしが御房の年ごろには、畏れ多いが、仏陀ぶっだ御唇みくちも女に似て見え、経文きょうもんそう文字も恋文に見えた。夜が待ち遠い、秘密が慕わしい、抑止とどめようとかかっても、血は、鉄のくさりる――。そんなふうであったものじゃが、御房のような秀才はちがうものでございましょうかな、あの無言の山、冷たい寺の壁、そこにそのお体を封じこめて、なんの迷いも苦しみも覚えませぬのかの。……ないとは申されますまい。その覚えのないような人間になにができる。釈尊もまた一度はくぐられたほのおではありませぬか。女魔にょま、女魔、ほのおの踊りをする女魔にとりつかれたような覚えはございませぬかの」僧侶が念慮しても罪悪といわれることを、この盲人はてのひらへのせて差し出すように平気でいう。範宴は胸苦しくなった。
「法師っ」
「はい」
「おん身は一体それを聞いてどうしようというのですか」
「べつに……」と、峰阿弥は首すじを伸ばして下を見た。「……どうするということもございませんが、あなたさまに、後でお渡しいたす一品ひとしなをさるお人からお預りしておりますので、事のついでに、うかがって見たまででございまする」


「しかし、頼まれはしたものの、その品を、お渡しいたしたほうがよいものか、悪いものか、迷わざるを得ません……範宴僧都、あなた様には、思いあたることがございましょう」
「私に? ……誰から? ……」
「おうつくしいお方です。いやよしましょう、わしの半生がそうだったからあなた様にもそうなれとはおすすめできない。人間の運命は、その人間自身が作るものだ、わしはその品を、ここへ置いてゆきますが、それを手に触れるなともお受けなされとも、わしは申しません。あなた様ご自身でとくとお決めなさるがよろしい」峰阿弥はそういってたもとの蔭から一葉の短冊を取り出した。なにやら書いたほうを下にして床几しょうぎのうえに伏せた。石を拾って風で飛ばないようにするまでの綿密な心づかいをこの盲人はして立ち去ろうとするのだった。
「お待ち下さい」範宴は呼びとめて訊ねた。
「おん身の峰阿弥という名は、琵琶を持ってからの仮の名でしょう。その以前、寺においでのころはなんと仰せられていたお方か、さしつかえなくば聞かせて欲しい」
「さよう……。恥の多い前身の名を申し上げるは面映おもはゆいが、実は、わしは、興福寺にいた教信沙弥きょうしんしゃみでおざるよ」
「あ……教信」聞いたことがある、奈良ではかなり有名な人だ、学徳兼備の僧のようにいわれていたこともある、それが、奈良の白拍子しらびょうしとの噂が立って放逐ほうちくされ、播州ばんしゅう加古川かこがわで渡し守をしているということが世間の笑い話になってから「加古川の教信沙弥しゃみ」といえば堕落僧だらくそうの代名詞のようになって落首らくしゅ俗謡ぞくようにまでうたわれたものだった。その教信沙弥がこの人なのか――範宴はそう聞くとこの盲人が前にいったことばももう一応考え直してみなければすまないような気持がしてきた。
 だが峰阿弥のすがたは、白いものの飛ぶおぼろな樹蔭をもうとぼとぼと彼方かなたへ去っていた。そして、彼のいた床几しょうぎのあとには、一葉の短冊が謎のように置き残してある。
 眼の見えるつもりでいた自分は、眼の見えない峰阿弥になにもかも見透みすかされていた。彼のいう通り自分は今おそろしい心の顛倒てんとうを支えている。今日までの信念をあくまで歩みとおすか「加古川の沙弥」の行った道を歩くか、その岐路きろに立っている。
「? ……」小石におさえられている短冊は、鶺鴒せきれいの尾のように風におののいていた、誰の文字か、何が書いてあるか、範宴の心も共におののくのであったが、彼は、
(見まい)と心でいった。彼の強い情熱をより強い智慧の光がねじふせるように抑止よくしした。
(触れてはならぬものだ)彼はちんを出た。自分に打ち勝ってさらに高い自分へ帰着したさわやかな心もちへ夜風がながれた。すると、亭のうしろにでもひそんでいたのであろう、すぐその後へまわって短冊を手に持って、追ってくる女があった。呼びとめる声にふり向いてみると、それは姫に附いている侍女こしもと万野までのであった。
「範宴様、せっかくのお歌でございますのに、あとでお捨て遊ばすまでも、どうぞ、見てあげて下さいませ」
 短冊を範宴の手へ無理に持たせると、万野は、逃げるように、落花の闇へかくれてしまった。

白磁はくじくだ




 自分の血液のなかにはいま、かつておぼえない破壊がはじまっている。範宴はんえんはありありとそれを感じる。この二、三日の頭の鈍痛どんつうなどがその一例である。夜の熟睡を久しく知らないのもその現象である。ひとみの裏がいつも熱い、思索力はすっかり乱れてしまった。これが自分かと改めて見直すほどいろいろな変化が肉体に見出されるのだった。
(この叛逆はんぎゃくに負けては)と、強く意思してみる。しかし数日前の月輪家の招宴から帰った後の状態はさらに悪くなっている、刻々と、意思はむしばまれ、信念は敗地へ追いつめられて行く、どうしようもない本能のあっす力である。
 ぼんやりと空虚うつろなものが今日も彼を坐らせていた、他人が見たらどんなにぶい眸をしているだろうと、自身ですらも思う。で、病気と誰にもいってある、来訪者にも勿論会うことは避け通しているし、第一仏陀ぶっだの前に出ることが怖かった。朝の勤行ごんぎょうだけは欠かせないものと本堂に坐るのであるが、おもてをあげて仏陀の顔を仰ぎ得ないのだ。やましいもののかたまりのように、自分をそこに置いているに耐えられなくなる。
(ご無理をなされてはいけません、どうぞ、ご病床にいて下さい。あなた様お一人のお体ではない、幾多の学徒や衆生の信望を負って、師とも、光とも、仰ぎ慕われていらっしゃるおん身。彼こそは、と五山の大徳や一般の識者からも嘱目しょくもくされておいで遊ばす大事なおん身です)周囲の者は極力そういって、静養をすすめる、まったくの病人と案じているらしい。そして、性善坊も覚明もともども憂わしげに朝夕ちょうせき彼の恢復を祈念しているのだった。範宴はそれを知るがためにいっそう自責の悶躁もんそうにつつまれた、彼らに対してすら師として臨む資格はないように思われてくる、あらゆる周囲のものに対して範宴は今まったく裸身になって手をついてしまいたい。
(この身は偽瞞ぎまんの塊りである)と。
 白磁はくじの壺に、牡丹ぼたんは、青春の唇を割りかけている、先ごろ、月輪つきのわの姫から贈られた室咲むろざきのそれである。悩ましい蠱惑こわく微笑はほえみをこの花はあしたに夕べに、夜半よわの枕へも、投げかけていた。
 そのみはまた、誰かの笑みとあたかも似ている、ふくらみかけた花弁の肌もにおいも。
 ゆうべもそのにおいにあくがれて自分は越ゆべからざるかきを越えた、一昨日おとといの夜も越えた、世の中の人の誰も知らないことを自分はした、知る人は、姫と、姫の侍女こしもと万野までのと、自分だけであった。
 ちょうど曇っていた、星すらも眼をふさいでいた、闇の中に捨ててきた跫音あしおとは完全に消されている、誰も知ろうはずはないのだ、けれど待て、三人のほかに秘密を知った者はほんとうにいないのだろうか、あるような気がされてならない、どうしてもまだほかに何者かが一人知っていると思う。
 それは誰だろうと範宴はさっきから考えるのだ。するとそれはやはり自分の中にいるものだということが分った。
(自分は二つの人間になっている)と気がついたのである。相反している二つのものが、範宴という一個の若い肉体をかりて、心のうちで、血液のうちで、すさまじく闘っているのがわかる。そして肉体のぬし沈湎ちんめんとして終日ひねもす、白磁の牡丹にうつつな眸を消耗したまま蒼白あおじろい秘密の夢をみているのだった。


 東山の夜は早くける。三十六峰のふところは星の光も届かないで宵闇がふかい。怖いと思い出したら足もすくんで出ないのであった。
 万野までのは姫の心を思うと、その怖さも忘れていた。女ごころは女でなくては理解できないものとして、彼女はあえてこの暗い夜をものともせず姫のためにすすんで、秘密な使いに出てきた。――その使いを果たした後で、姫が、あの可憐いじらしいひとみにうれし涙をたたえ、を合せて拝まんばかりによろこぶがために、(もし、お父君に知れたならば、自分がすべての罪を負って)とまで、悲壮な覚悟すらしているのであった。
 それにつけても男心ほど浅いものはないと思う。次の夜には必ずまた訪れようとかたく誓っていたのにその人はあれきりついに姿を見せないではないか。一昨日おとといも姫は夜もすがら眠らずに待ちこがれておいでになった。ゆうべも泣いて夜を明かされた。女ごころは女が知る、はたの見る眼のほうが辛い。
(憎いお人)と、彼女は、そこの築地ついじを見あげて、うらめしく思う。
 聖光院の土墻つちがきは、万野の眼に鉄壁のように見えた。穢土えどの闇と浄界の闇とをいかめしく境しているのだった。
「? ……」つぶてをほうって耳をすましている、なんのこたえもない、二つめを投げた、そして、築地ついじの下に、被衣かずきの影をじいっとたたずませていた。
 葉柳の露が、ほたるのようにきらきらと光る。たしかにこの前はこの辺から今のようにほうったつぶてへすぐ答えがあったにと思う。さてはやはり世の浮かれ男のようにこの前のことばも嘘であったかもしれぬ、真にうけて痩せ細るほど信じている姫はいよいよご不愍ふびんである。もし、そういうことでもあるならば礫のみでは済ませない、明らさまに表門をたたいて男の酷薄こくはくを責めなければならない。
 万野までのは、焦々いらいらしつつ、もう一度と小石をひろった、小石は柳の葉をちらして、遠い築地の中へ音もなく落ちた。薄情な男へこぼす涙のようになんの反応もありはしない。
「どうしよう」当惑した顔が被衣かずきのうちで嘆息ためいきをつく。このまま空しく帰るとしたら姫の泣き沈む姿を見なければならない。あの傷々いたいたしい失意のひとみが涙でいっぱいになって物も得いわずに打ち伏すかと思うと、万野は帰るにも帰れない心地がするのだった。
 彼女は半刻はんときも立ちすくんでいた。夜露が被衣をじっとりと寒くしてくる。もう人をはばかる自制心すらなくなった。今度は、ひさしを目がけて石をほうった。つづけざまに幾つか投げた。
 すると、築地の裏戸がそっと鳴った。まぎれもない人影である。万野は、自分の恋人でも見たように走り寄って、
「範宴さま」恨みで胸がつまった。
 その人は黒いぬのを頭からかむっていた、おしのように物をいわない、絶えずなにものかにわれるように、またなにものかをうように、足を早めて彼女の先を歩いてゆく。


 暁を惜しむまで話しても語り尽きないものと人はいうけれど、二人の場合はそうでなかった。会えば相見た満足だけでいっぱいになってしまった。万野が気をきかしていなくなっても同じである。なんの話をするということもなく、もちろん燈灯ともしびをともしては館の者に気づかれるおそれがあるから、明りもない閨戸ねやどとばりうつろにしては、しとみの下近く端居はしいしたまま夜半よなかの冷たいものがじっとりといつぎぬもすそ法衣ころもの袖に重たくなるのも忘れ果てて、相思の胸のときめきをお互いにただじっと聞き合っているに過ぎない二人なのであった。
 ――あなたは春が好きですか、それとも秋がおすきですか。ほんはなにを読みますか。古今こきんのなかでは誰を好みます、万葉のうちではどの歌を愛誦されますか。――などと他愛のない話をするのさえも、なにか息ぎれを覚えて、痛いほど心臓がつまって、乾いた唇は思うように意示もできない。
 ことに姫はうつ向いたきりといってよいほど顔を斜めに俯伏うつぶせている。どうかしてその黒髪をそっと風が越えてくると、蘭麝らんじゃのかおりなのか伽羅きゃらなのか範宴はめまいを覚えそうになった。加古川の沙弥しゃみのささやきが臆病な耳もとでわらうように聞える。まざまざと偽瞞ぎまん法衣ころもにつつまれた獣心のすがたを自身の中に発見する、万葉の話も、春秋のうわさも実はうわの空なのだった。勇猛で野性な血液が烈しい抗争を起して本能を主張する、いかなる聖経しょうぎょうも四囲の社会も無視してかかる猛悪な精神が彼の全霊を炎々とくのだった。
「…………」しかし、範宴その人の外表は水そのもののような冷たいすがたをしていた。対坐している愛人の細かな神経をもってしても彼の内部を針の目ほどものぞくことはできない。また、決して許そうともしない範宴なのである。鉄で作られた虚偽のはこのように範宴の膝はいつまでもしびれを知らずに真四角なのである。そして彼はついにその虚偽を生れながらに生みつけられている人間であったという今さら追いつかない嘆涙たんるいにさんさんと魂を濡らして、そこに恋人のあることも忘れ果てる。
 とこうするとりの声が聞えてくる、万野は自分の寝屋ねやの妻戸をそっと押して、別れ難かろう二人に別れをうながしにくるのであったが、そこへ来てみると初めのままの位置に初めのままの居住いを硬くして黙り合っている二人なので、自分があんな苦心をして一方を誘ってきたのは一体なんのためかと歯がゆくもなり焦々じりじりと思うのでもあったが、夜が白みかけては一大事をかもおそれがあると、姫にかわって次に来る夜の言質げんちをとって、そっと壺のうちを脱けて裏門の戸を開け、夢遊病者のような黒い人影を見送るのだった。
 すると、そういう幾度かの事実をいつの間に知っていたものか、あるいは、偶然その晩に限って運悪くぶつかったものか、範宴の後ろをしばらくけてきた夜固めの警吏やくにんが、
「こらっッ」大喝だいかつを浴びせておいて不意に後ろから組みついた。
 きぬける音がぴっと鳴った。警吏は法衣ころもの片袖だけをつかんで前へのめっている。
 おそろしく迅い跫音はもう闇のうちへ遠くかくれていた。


「待てっ、待たんかっ」警吏やくにん忌々いまいましげにわめいて追いつづけてゆく。けれど四、五町も駈けると彼自身がそうしてまで捕えるほどの者かどうかを疑って舌打ちを鳴らした。
「盗賊ではないらしい、また、公卿くげの女部屋へ忍んだ女犯僧にょぼんそうだろう、そんな者を捕まえていた日には限りがない」警吏はひたいの汗を、手につかみ忘れている法衣ころもの片袖でこすった。そして汚い物でも投げうつように傍らの流れへ向って捨てようとしたが、すぐその崖の上から凄まじい滝水のように鳴って落ちる琵琶のに気がついて、
「誰だっ、今ごろそんな所で」と仰向いて呶鳴った。
 しかし、琵琶のぬしは答えようはずもない、その音を聞けばわかるように身も魂も四絃しげんの中に打ちこんでいて、虚空のが彼か、彼が虚空の音か、その差別けじめをつけることは至難であるほどな存在であった。
「ははあ……例の峰阿弥みねあみ法師がまた独り稽古をしているのだな、あいつも変り者だ、銭を与えても嫌だといえばどんな目にあわせてもかないし、そうかと思うと、誰も聞いていない真夜中の山に入ってあの通り独りで弾いて独りで夜を明かしていたがる」何の罪科とがもあるまいに、警吏やくにんはその琵琶の音のあまりに楽しげなのがねたましくでもなったか、おおウい――と声をあげて再三呼ばわるのに、いっこういらえがないので、石を拾って松林の丘を見上げながらほうり投げた。
 ちょうど一曲を弾き終ったところであるとみえ、石が届くとしばらくしてばちが止んで、こんどは丘の上から、
「誰だっ、つまらない悪戯わるさをする奴は」
篝屋かがりや警吏やくにんだ」
「警吏ならなおよろしくない。なにがゆえに、この法師の琵琶をおとめなされますか。人家に近い所でもあるなら悪かろうが」
「ちと訊ねることがあるから再三呼んでいるのに、返辞をせぬから石を投げたのだ。その丘へ、今し方、一人の僧侶が逃げこんでは行かなかったか」
「人にものを訊くのに石を投げて訊くという作法がありましょうか。そんな者は、この丘へは上がって参りません」
「それならよいが……」警吏やくにんは歩みかけたがまた、
「おい峰阿弥。おまえは先ごろ、月輪公の御宴ぎょえんに招かれたそうだが、あのやかたには美しい女がたくさんいるだろうな。……待てよ、そう訊ねても盲人ではわかるまい。無駄ごとばかりする晩だ、よし、月輸公の下部しもべの者をたたき起して将来をいましめておいてやろう」
「もしお警吏、つまらないことに、おせっかいはおよしなさい。誡めたからとて、この世に忍びと、忍び男を待つ女性にょしょうが尽きるはずはございません」
堕落だらく僧が、堕落僧をかばっている。おお夜が明けるぞ」
「もう明けますか。……ああそういえばすこし疲れた、わたしはこれから楽々と無我の眠りに遊べるが、人間に与えられたこの甘睡かんすいすらできずに悶々と今日の空のもとされて暮す人もあろう。そうだ、黒谷の法然ほうねん上人の御口授ごくじゅを思いだした。――南無阿弥陀仏なむあみだぶつ、南無阿弥陀仏」丘の上のれ果てた御堂の縁に、彼が易々やすやすと木の葉虫のようにごろりと横になったころ、一方の警吏やくにんは、月輪家の裏門の戸をどんどんとたたいていた。


 おとといも昨日きのうもまた今日も、聖光院の人々は師の房の姿を見なかった。針ほどの光もむように一室へ閉じ籠ったきりの範宴は、その中から鋭い声でいったのである。
「誰もここへ参ってはならぬ。私のゆるさぬうちに入ってきてはなりません」坊官の木幡民部こばたみんぶは捨てておかれないというように、性善坊や覚明かくみょうと膝ぐみになって憂いの眉をよせ、
「医家を迎えて、ていただいては――」と嘆息ためいきにいう。
「お怒りになろう」二人は首を振った。
「この身に、医や薬師くすしはと、先ごろもきついお顔で仰っしゃられた。吾々には推し計られぬご気質なのじゃ、また、そのご気質でぶつかったものを解くなりうなずくなり打ち砕くなりしてしまわぬうちは、よい加減にご自身をなだめて生きてはおられぬお方なのだ。心配になることはご同様だが、まあもうしばらくなされるままにして見ているよりほかあるまい」誰よりも幼少から師の房の性質を知っている性善坊がいう言葉なので、それに従うほかはないと民部も覚明も黙ってしまう。民部は師の房にかわって寺務の一切を見ておるのでそれに心をとられて落着いてもいられなかった。覚明の方は楽天的なところがあって、
「そうだとも、われらよりは深い思慮で遊ばすことだ。つまらぬ憂いは、かえってご思念のさまたげになる」すると黄昏たそがれじゃくとした物静かな空気が、伽藍がらんの高い天井からあっしるように下りてきて、若僧が内陣の釣燈籠つりどうろうをくばりかけたころであった。まだほの白い方丈の庭面にわもにあたって、何か、大きな物音がしたのである。つづいて、性善坊の名を呼ぶ声がする、幾度もつづけざまにする、まぎれもなく師の房の声だった。
「はいっ、はいっ」性善坊は何ごとかと思いつつ駈けていた。一室の戸はあいているが範宴の姿は見えない。ふと見るとその範宴は庭に立っていた、足もとにはちょうど今日あたりがいっぱいに開いていたと見える白磁はくじつぼ牡丹ぼたんが、その壺ぐるみ庭石になげうたれて微塵に砕けているのだった。
「あっ……どうなされました」
「性善坊か」範宴の声は静かだった、壺と牡丹を微塵に砕いた人とはみえない、夕明りの下に立って、凄いほど蒼白くその顔は見えたけれど、雲の切れ間を見つけて一縷いちるの光を投げかけているような眉にも見える。
「わしの部屋の隅に竹のつえがあろう」
「杖ですか」
「そうだ、苦行の旅に、この身と共に、幾年いくとせも歩いたあの竹杖。それを持って庭へ下りてくれ」
「どうなさるのですか」いわるるまま、杖を持ってくると、範宴は大地に坐っていた。ひざまずいてさし出すと、範宴はその杖を性善坊に持たせて、首を垂れていった。
「性善坊、おん身を仏陀ぶっだと思い参らすゆえ、おん身はかりに仏陀となれ。わしは仏子ぶっしにあるまじい心病にとりつかれ恥かしい迷路を幾日も踏み迷うていた、犯さねどすでに心は汚罪をおかしたに等しい。――打ってくれい。その竹杖で打たれたら、過去の苦行がよみがえってこよう。皮肉の破れるまで打て、わしを師と思わず打て、仏陀のお怒りをその杖にこめて――」

きり




 あらゆるものをちきってまっしぐらに歩み出した闇であった。範宴はんえんは四、五町ほど駈けてから聖光院しょうこういんの方を振りかえった。
 門のくぐり戸を開けて、その前に立って見送っていた性善坊の姿もすでに見えない、しきりと天地の寂寞せきばくてる暗い風があるばかりだった。白い小糠星こぬかぼし有明ありあけに近い空をいちめんにめていた。
「ゆるせ、おまえにも苦労ばかりかける……」
 詫びないでいられないものが、範宴の胸を突きあげてくる。まだ僧門に入らない幼少のころから起居を共にしてきた性善坊には、骨肉以上な恩愛をさえ抱いているのにその性善坊に対しては、かえりみてみると、ほとんど、安心というものを与えたいとまがなかった。彼はなにか、自分のこういう不羈ふきな性格の人間に常識的な支えをしてくれるために生れてきたような男に思われる、自分のために彼を犠牲にしてきたことが実に多かったことを範宴はしみじみと今ここで感じる。
「しかし決して、わしはそれを無駄にはしないぞ」を合せていう心持になるのであった。――同時に、青蓮院の僧正に対しても、そこにいる弟の尋有じんゆうにも、また、世をのがれて竹林の奥深くに一切をっている養父ちちの観真に対しても、ひとしく心からな謝罪の念が湧いてこずにはいない。
「後ではさだめし、不浄者とお思いになりましょうが、範宴はもいちど自分をなおして参ります。決して、敗れてのがれるのではありません、世評を怖れて隠れるのでもございません、また、罪の発覚を知って姿を消す次第でもないのです、ただ、この一身一命を奉じて、もいちど大蔵の闇へ閉じこもって、御仏みほとけ膝下ひざもと確乎しっかとすがりつきたいのです、おゆるしください、しばらくのあいだ」この夜半よなかすぎに聖光院を捨ててそもいずこへ走ろうとするのか、範宴の身にはすでに聖光院門跡のまとう綾の法衣ころもや金襴は一切着いていなかった、一笠一杖いちりゅういちじょうの寒々とした雲水のすがたであった。
 そうして聖光院を捨てて出た彼の心は、性善坊だけには、いい残してきた。彼にはすべての秘密もうちあけて――また後々のこともたのんで。
 木幡民部こばたみんぶ覚明かくみょうには、遺書をしたためておいて来たのである、どんなに彼らは後で驚くだろう、悲しむだろう、しかしそういう目前の感情は、範宴の今の大きな覚悟のまえにはあまりに小さい問題だ、もっともっと大きなものすら踏み越えてゆく決心なのだ、女々めめしくてはこれからの万難の一つも越えられまいと、自身を叱って自身の心をかたくよろう。
「そうだ、夜の明けない間に――」歩み出そうとすると、彼の法衣ころものすそを引くものがあった、大きな黒い犬である。
「しっ」範宴は追い払って駈けた。
 犬は、寝しずまっている世間へ告げるように吠えたてる。彼は、犬の声にすらわれるような気持がした。
 まだ暗い加茂の瀬にそって、彼は足のつづくかぎり急いだ。幸いにも、京の町では誰にもとがめられなかった。そしてやがて、息をいて上ってゆくのは叡山えいざんふもとだった。彼の心には常にこの山があった。この山は範宴にとって、心の故郷ふるさとなのである。


 さぎのように風に吹かれてたたずんでいる二人の女性にょしょうがあった。雲母坂きららざかの登り口なのである。ここから先は女人にょにんの足を一歩もゆるさない浄地の結界けっかいとされているのだ。
 千年杉の鬱蒼うっそうとつつんでいる登岳道とうがくどうも、白々と夜明けの光に濡れていた。
ひいさま、お寒くはございませぬか」
 自分のかぶっている被衣かずきを一方の女性にょしょうへ羽織ってやろうとする。これをこばんでいるのは※(「藹」の「言」に代えて「月」、第3水準1-91-26)じょうろうがさに顔をかくしている姫と呼ばれた人であった。年ばえもうら若いし、足もとや体つきまでがいかにもこんな所のあらい風には馴れぬらしいなよやかな姿なのである。
「いいえ」と、微かにいう。
「そなたも、寒かろうに」
「なんの私などは」どこの女性にょしょうでどういう身分の者なのであろうか。今ごろ、まだ夜も白みかけたばかりなのに、里から登ってきたとは思われぬし、なおのこと、上から降りてきたのではあるまい。思うにこの若い二人はゆうべすぐそこの赤山明神みょうじんの拝殿にでも一夜の雨露をしのいだに相違ない。四明しめいだけの壁にはまだ残雪のひだが白く描かれているが、この辺りではもう寒いというには足らない春のことである、その証拠にはあちらこちらの沢や谷でうぐいす啼声なきごえがしぬいている。二人の肌に限ってそう寒いのは夜もすがら戸を立てぬ拝殿の縁の端で山風にさらされていたためにちがいない。
 それにしても誰を待つのか、麓からここへかかる人を待ちうけているものらしく、一方の召使らしい女は絶えず眼をくばったり、うちしおれた姫を励ましたり、その気づかいというものは並たいていな侍女こしもとのよくすることではなかった。
「あっ……ひいさま」麓の方を眺めていたその女が、突然、こう大袈裟おおげさなくらいにいったのは、待ちかねていたその人の影がやがて認められてきたのであろう、ばたばたと姫のそばへ走り戻って、
「ごらんあそばせ、たしかに、あのお方でございまする」たもとをひいて、指さすのであったが、そう聞くと姫はにわかに自分をかえりみて、無表情なうちにもありありと狼狽のいろを示して、
「人違いではありませんか」というと一方の女は、
「いいえ、なんでこの私が」と、自信をこめていう。
 間もなく低いうねり道をめぐって来るその人なる者の姿が見えた。なにか一念に誦経ずきょうの低声を口にふくんでわき眼もふらずに登ってくるのだった。近づいてみれば風雨によごれた古笠に古法衣ごろもを身にまとったきりの範宴少僧都しょうそうずだった。聖光院門跡もんぜきの栄位と、あらゆる一身につきまとうものを、この暁方あけがたかぎり山下さんかに振りすてて、求法ぐほう一道いちどうをまっしぐらに杖ついて、心の故郷ふるさとである叡山えいざんに登ってきた彼なのである。
 そこに二人の女性にょしょうが自分を待っていることすら眼に映らなかった。すたすたと前を通りかけたのである。姫は、その姿を見るとはっと胸を打たれてしまった。胸につまるいっぱいの涙と羞恥はにかましさに樹蔭へかくれてしまうのである。侍女こしもとはそれを歯がゆがるように、自分だけ走り出して、
「範宴さま」と、彼の前に立った。
「あっ……」杖をすくめて立ちどまった網代あじろの笠は、微かに打ちふるえた。


「あなたは万野までのどのですな」しばらくしてから範宴の低く洩らした声であった。
「びっくりなさいましたでしょう」
「驚きました……」ありのままに範宴はいった。樹蔭には姫のすがたまで見えるのである。どうして自分の登岳を知ったのであろうか。笠にひそめていた彼のおもては、それをとれば狼狽ろうばいにかき乱されていたに違いなかった。
「きのう、さるお人から、ふと大乗院へお籠りの由を、ちらとうかがいました」
「? ……」そういう人があるはずはない。自分の心のうちで独りで決めたことだ。それを打ち明けた性善坊にしても、つい昨日きのう話したことである。月輪つきのわへまで、それが伝わるわけはなかった。
「ご不審でございましょう。実はそれを、教えてくれたのは、いつかの琵琶びわ法師でございます。――私とひいさまとが、あまりにいたましいといって、こう申しました。それほど、範宴御房に会いたいならば、これから、叡山の登り口の赤山明神に参籠なされ、この二、三日のうちには、必ず範宴御房がそこを通るに相違ないと仰っしゃいました」
「あの加古川の沙弥しゃみが、そう申しましたか。……あの法師は怖ろしい眼あきじゃ」
「その峰阿弥みねあみのいうには、おそらく、範宴御房の行く道は一つしかあるまい。それは叡山だ。きっと叡山へ登ると信念をもっていいました……で、お姫様ひいさまと心を決めて、お待ち申していたのでございます。私たちも、ふたたびお館へは帰れませぬ。また、世間のいずこへも戻る家はございませぬ。どうか、不愍ふびんと思し召すならばお姫さまを連れて御山みやまへ登ってくださいまし、おすがり申しまする」万野までのは、膝を折って泣き伏した。姫も、樹蔭で泣いているのである。女のつかんでいる強い力が範宴の足を大地へ釘で打ったようにしてしまった。昏惑こんわく慚愧ざんきとが、いちどに駈けあらした。ここまでは澄明ちょうめいを持ちこたえて聖域へじのぼる一心に何ものの障碍しょうげもあらじと思い固めて来た決心も、いったん心の底に響きをあげて埋地うめちのような陥没かんぼつを見てしまうと、もうそこにわら一本の信念も見出せなかった。彼もゆるされるならば、万野と一緒に膝をついて泣いてしまいたい。いや、死ねるものなら死んだほうがはるかによいとすら思うのであった。
「もう、お館にも、あのことが知れたのでございます。世間も薄々知ったかもわかりません。姫さまは髪を下ろしても、共にと、仰せられますし……」万野までのの立場は苦しいものに違いなかった。いずれやがてはと覚悟していたことが余りにはやく足もとへ迫ってきたのだ。自分の行為から起ったこの問題のために苦しんでいる姫と万野とを残して、自分のみが、山へかくれて安心が得られるものだろうか。彼の道徳は自分に対して強く責めずにいられなかった。
 と、いってこの聖域へ女人にょにんを連れて上るなどということは思いもよらない望みである。叡山えいざん高嶺たかねはおろかなこと、この雲母きらら坂から先は一歩でも女人の踏み入ることは許されない。帝王も犯し得ない千年来のおきてとして厳然たる俗界との境がここに置かれてある。


「姫をつれて、どうか帰ってください」自分を石の如くして、範宴はそういうよりほかなかった。頼むよりほかになかった。充分に、自己の罪と責めは感じながらもである。
 しかし万野は、姫をうしろに置いて、容易にそれに従おうとはしなかった。
「きっとそう仰っしゃることと前から存じてはおりました。けれど、姫さまのお可憐いじらしいお覚悟をどういたしましょう。姫さまはもう心の底に、黙って、死をも誓っていらっしゃいます、あなたのおことばは、そのお方に死ねと仰っしゃるのも同じでございまする」範宴には一語も返すことばがなかった。それまでに心がすわっているものかと今さら女性にょしょうの一途な心の構えに驚きを覚えると共に、自分のなしたことに対する責めの重さを感じるばかりだった。
「この御山みやまが、伝教大師のご開山以来、六里四方、女人禁制ということも、よう存じておりまする。けれど釈尊しゃくそんは、目連もくれん尊者の女弟子の蓮華色ウッタラバルナと申す比丘尼びくにに、おまえこそ真の仏道を歩んだものだと仰っしゃったという話があるではございませぬか、法華経ほけきょうには女人は非器なりとございますが、女には御仏みほとけにすがる恵みはないのでしょうか。そんなことはあるまいと思います。女でも人であるからには」と、万野は情と理をもって迫るのだった。そして姫にもここへ来てかたくなな範宴の心をうごかせとすすめるように姫の方を見たが、姫は地へ泣き伏しているのみである。
「わかります、そのとおりに違いないのです。けれど――」範宴は膝を折って万野と姫の二人へいうのだった。いつの間にか全霊を打ちこめていた自分の声に気がつく。それは死ぬか生きるかのように必死なものであった。
「よく落着いて聞いてください、この御山みやまは仏法の道場なのです、一箇の解釈で法規をやぶることはできません、それを矛盾といいましょうが、伝教以来の先人が定めおかれた大法であって、この後、何人なんぴとかが、それは間違っているという真理をつかみ、その真理を大衆に認めさせない限りはどうにもならないおきてです。それをも押して、姫と共に山へ上るとしましょうか、いたずらに一山を騒擾そうじょうおとし、世のののしりと物笑いをうけるに過ぎず、私はともあれ、姫のおん身は、ただみだらな一女性にょしょうはしたない行為としかいわれますまい。さらに、お父君は元より、青蓮院の僧正、一族の方々のお困りも必然です。それもこれも皆この範宴が罪とおもえばこそ、私は死以上の決意をもって罪の償いに、この山へ参ったのです、どうか私にそれをさせてください、無限の暗黒へ落ちてゆくか、大願を貫かれるか、この一身を人間億生おくしょうのために捧げてしまいたいのです。姫おひとりに捧げきれない私となっているのです。それを無情と呼ばば呼べです。玉日様たまひさま、お帰りなさい、おさらばです」この人にこんな厳しいものがあったのか、こんな冷たい声も持っていたのか、霜のような、いわのような、何という人間味のない宣告だろう、万野はなみだも出なくなった。
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大盗篇




あられ




 この辺りは新しい仏都をなしかけていた。
 仁和寺にんなじの十四大廈たいかと、四十九院の堂塔伽藍どうとうがらん御室おむろから衣笠山きぬがさやまの峰や谷へかけて瑤珞ようらく青丹あおにの建築美をつらね、時の文化の力は市塵しじんを離れてまたひとつの聚楽じゅらくをふやしてゆくのだった。
 鏡ヶ池には夏はほたるがりに、宇多野うたのには秋を虫聴きに、洛中の人は自然を慕い、四季の花に月に枯野見かれのみにかこつけてよく杖をひく所であるが、わけても今年の秋から冬へ、また冬から年を越えての正月まで、仁和寺をはじめ、化蔵院けぞういんや、円融寺えんゆうじや、等持院とうじいん、この辺りの仏都市へ心から素直になってもうでる者が非常に多いといわれだしていた。
「おのずから世の推移が、人の心をこういう方へ向けてきたのじゃ」とここの人々は、それを仏教の繁栄といい、興隆といい、また復興といった。
 そういえばそういわれないこともない。いくさが生活であり、戦が社会の常態だった一時代はもう大きな波を通った船から振りかえるように後ろのものだった。鎌倉幕府というものの基礎や質のいかんにかかわらず人心はもう戦にみ、ここらで本然ほんねんの生活にかえって静かな生活をしてみたいことのほうに一致していた。すでに国政の司権が武門の手に左右されてからは、それが平家でなければ源氏であるし、両者を不可としたところで姑息こそくな院中政治がかえってそれを複雑にするぐらいなもので、どっちにしろ民衆の望みとは遠いものが形になるだけのことだった。民の心の底でほんとにかわくように望んでいる真の王道というような明るい陽ざしはここしばらく現れそうもないと賢者は見ている。覇道はどうを倒して興るものはまた覇道政治だ。それならば何を好んでか全国土を人間の修羅土しゅらどにして生きる心地もなく生きている要があろうか。そういう疑問が当然に疲れた人々の考えの中にざしている。武士階級ほどことにそれがつよい。公卿くげはいつでもなるべくは現在のままで安易にありたいのだ。天皇の大民族おおみたからといわれる大本の農民はほとんどそういう興亡からは無視されているので、これは幕府が鎌倉に興ろうがどうしようが今日の天気と明日あしたの天気のように見ている――
 建仁元年一月はめずらしい平和な正月だった。四民がみな王道楽土を謳歌おうかしての泰平ではなくて、疲れと昏迷から来たところの無風状態――無力状態なのである。
 そうした庶民たちが、
「寺へでももうでようか」とか、
「説教でも聴いたら」と、洛外へ出るのだった。
 したがってこういう人々が仏法へ奉じる行作ぎょうさは決まって形式的だった、遊山気分だった、派手だった。
 山内の修復を勧進かんじんしましょう、塔を寄進いたそう、を塗ろう、瑤珞ようらくを飾ろう、法筵ほうえんにはあたうかぎり人をよび、後では世話人たちで田楽を舞おう。そういうふうに仏教を享楽するのでなければ、彼らの空虚は満たされなかった。求めて来る者に対して満たし与うものを、この十四宇と四十九院の堂塔伽藍がらんも実は何も持ちあわせていない。
 しかし形の上では仏教復興は今や顕然けんぜんたる社会事実だった。
 時代思潮は何ものかを確かに求めていた。


 きょうも仁和寺にんなじの附近はにぎわっていた。一つの供養塔を建立こんりゅうした奇特な長者が、一族の者や朝野の貴顕を招いて、その棟上むねあげの式を行い、それを見ようと集まった有縁うえんの人々やこの界隈かいわいに住む部落の貧民たちには、銭をいたり米をほどこしたりしたので、雪でも降りそうな一月の寒空だというのに、地上は時ならない慈雨のよろこびに混雑をみせているのだった。
「よいことをした。わしの家もこの功徳くどくで何代も栄えよう」
 八十に近い長者はほくほくして自分の撒いた銭を拾う群れを見ていた。何でもこの長者は戦のためにわずか一代で莫大な富を得た商人あきんどであったが、仁和寺の法筵で説教を聞いてからにわかに何事か悟ったらしく、その富の大半を挙げて今日の慈善を思い立ったのだという噂であった。
 自分で蓄えた黄金のために、自分の晩年に絶えず負担と警戒を感じていた長者は、肩がかるくなったように、
「ああ、これで助かった」といったそうである。そして長者の善行をたたえる僧や門族や知己しるべたちに囲まれて、長者は脱殻ぬけがらのように老いた体を授けられつつ、仁和寺の客間へしょうぜられて行った。
「ありがたいお人じゃ」
「大慈悲人じゃ」群衆はその姿へ感謝したが、救われたのは実は長者自身だった。かつてこの長者からひどい利息をしぼられたり、この長者の爪にをともすような強慾ぶりを憎んで、鬼長者の何のと陰口をきいた人たちもまじっていたが、そういう過去はさておいて、人々はとにかく今の長者の行いにすっかり感激して、それも仏陀ぶっだ教化きょうげであるとして、等しく法悦につつまれていた。
 そういう群れの中で、誰かがふいに、泥棒っと呶鳴った。泥棒という声をきくとそばの者はすぐ自分の懐中ふところや袖へ手をやってあらためてみた。すると、せっかく骨を折って拾った銭がくなっていた者だの、こうがいを抜かれている女だの、たもとを刃物で切られている者だのが数名あって、
「泥棒がいる。この中に泥棒がいる」と、あちらこちらから騒ぎ立てた。無数の眼はついにまぎれこんでいる人間を調べ出して追いかけた。群れを離れて逃げてゆく風態ふうていのわるい男が二人、鏡ヶ池のふちから山の中へ逃げこんでゆくのだった。兇器を持っていることは分りきったことなので、誰も山へまでは追っては行けなかった。
 二人の悪者は山歩きには馴れているらしく、衣笠きぬがさの峰づたいに千本へ出て、やがて蓮台野れんだいのの枯れたかやの中を半身も没しながらざわざわとどこかへ歩いてゆく。
「寒いっ」
「ウウ寒い」悪者はそんなことしかつぶやき合わなかった。毎日の平凡な仕事をして当り前のかせぎから帰ってくるのと変りがない。
 やがて、土民の家らしい一軒の家の戸をたたいて、
「俺だ、開けてくれ」という。
 野の上には雪にもならず低迷している冬雲が暮れかけていて、鳥が、風の中の木の葉みたいに飛ばされている。
蜘蛛太くもたか」
 酒を飲んでいるべりの者たちが戸口へ振りかえった。


「蜘蛛太じゃねえ、俺だよ」外で再びいうと、
「あ、平次か」起ってきて一人が内から腐りかけている戸をがたぴしと開ける。家のうちに充満していた炉の煙は疾風はやてのようにむうっと軒から空へ逃げて行った。
「遅かったなあ兄弟」中でごろごろしている仲間の者たちがひとしくいうと、寒空にさらされてきた赤ら鼻をべるように炉へ向ってかがみこんだ二人の手下は、
「あたりめえよ、てめえたちみてえに、飲んじゃ怠けているのとは違わあ」誇るように、自分たち二人で盗んできた小銭やこうがいを出して、頭領の四郎のまえへ並べてみせた。
 められるかと思って期待していると、天城あまぎの四郎は眼もくれないで、
「これが仁和寺へ行った稼ぎか」
「へい、昼間仕事で、案外うまいこともできませんでしたが、それでも、き銭を拾ったやつのたもとを切って、これだけさらってきたんで」
「ばか野郎っ」
 呆っ気にとられた子分の顔を見すえて、四郎は酒をつがせながら、
「誰が、こんな土のついた小銭などを拾ってこいといった、仁和寺で働いてこいといったのは、今日、供養塔の棟上げをした長者が必ず寺へ大金を納めたにちがいないから、それを奪うか、または長者の親族たちが、それぞれ贅沢な持物や身装みなりをして来ているだろうと思っててめえたちにいいつけたのだ。誰が、こんなはした金を持ってこいといったか」
 眼の前の物をつかんでそれへ叩きつけた。そして、おそろしく不機嫌な顔に、酒乱のような青すじを走らせて、
「やい、酒をげ」
頭領かしら、酒はもうそれだけです」
「酒もねえのか」いよいよ、苦りきって、
「なんてえ不景気なこった」と、つぶやいた。
 戦がなくなってからは彼らには致命的な不況がやってきた。女をかどわかしたり民家を襲ったり、火をけたりして、小さい仕事をしても、何十人もいる野盗の一族ではすぐ坐食してしまうのだった。それに都会の秩序がだんだんに整ってきて、六波羅の捕吏やくにんたちの追うこともきびしくなった。一頃ひところならば市中まちなかの塔や空寺あきでらでも堂々と住んでいられたものが、次第に洛外に追われて、その洛外にも安心してはめなかった。
蜘蛛太くもただよ、開けてくれ」その時また、戸をたたく者があった。子分のうちの侏儒こびとの蜘蛛太がどこからか帰ってきたのである。四郎は待ちかねていたように、
「はやく開けてやれ」といった。そして入って来た彼のすがたを見ると、
「蜘蛛か、どうだった?」
「親分、だめでした」蜘蛛太はしおれたが、
「その代りに、おもしろいことを聞き込んできましたぜ」と、怪異な顔をつき出した。


 四郎の数多い手下のうちでも、異彩のある男はこの蜘蛛太だった。背は四尺に足らず、容貌は老人のようでもあり、子供のようにも見える。幼少から親兄弟というものの愛情をわきまえない孤児なので、生れながらの盲人が物の色をらないように人間社会に愛というものがあることを知らないのである。残忍酷薄、生きんがためにはどんなことをやってもかまわないものだとこの男は信じて生きている。
 したがって蜘蛛太でないとできない仕事があった。頭領かしらの四郎でさえ手を下し得ない惨虐さんぎゃくをこの男は平気でやる、また、どんな、警固かためのきびしいやかたでもこの小男は忍び込むのに困難を知らなかった。今日もそうしたことで、どこかへ仕事に行ったらしいが、稼ぎはなかったらしかった。しかしなにか耳よりな噂を聞いてきたというのである。そこで天城四郎はすこし機嫌を直して、
「ふうむ……面白いこと? ……それは金儲かねもうけになりそうな話か」
「なりますとも、金にならない話を頭領かしらに聞かせてもつまらねえでしょう」
「その通りだ。何しろこの霜枯れだ。一仕事当てなくっちゃ息がつけぬ」
「金になるばかりでなく、復讐しかえしにもなる、いわば一挙両得なんで」
能書のうがきはさしおいて、早くいえ」
「ほかじゃありませんが、いつか、六条の遊女町に火事のあった晩、頭領かしらが目をつけてうまく手に入れかかった堂上の姫君があったでしょう」
「ウム、あの時の忌々いまいましさは忘れねえ、あれは月輪つきのわ前関白さきのかんぱくの娘だった」
「こっちの仕事の邪魔をした奴は誰でしたっけ」
「聖光院範宴はんえんの弟子どもだ」
頭領かしら」蜘蛛太は、膝をにじり出して、
「その範宴のことですが」
「ふウム、範宴が、どうしたのか」四郎はあの時以来、彼に対する呪詛じゅそを忘れていなかった。利得の有無にかかわらず、折があったら返報してやるとは常に手下の者に洩らしていたことである。
 ところが今――蜘蛛太のいうところによると、その範宴の身辺には昨年の夏ごろから大きな問題が起っている。それは月輪家の息女と彼との恋愛問題だというのである。範宴はごうごうたる世間の攻撃に怖れをなして叡山えいざんへ閉じこもり、一切世間人との交渉をって、彼の師や彼の弟子や、また女のがわの月輪家などが、必死になって、その問題の揉み消し運動やら善後の処置に狂奔しているらしいというのであった。
「どうです」蜘蛛太は鼻をうごめかして、
「こんなおもしろい聞き込みは近ごろありますまい。ひとつその破戒坊主の範宴をさがし出して、うんと強請ゆすってやったらどうでしょう」
「ほんとか、その話は」
懸値かけねはありません」
「こいつは金になる。ならなかったら範宴のやつを素裸にして、都大路みやこおおじさらし物にして曳き出し、いつぞやの腹癒はらいせをしてやろう」
 それから数日の間、ここに巣くう悪の一群ひとむれは、毎日、範宴の居所と、噂の実相をさぐることにかわがわる出あるいていた。


「おウい、一休みやろうじゃないか」谷へ向って一人が呼ぶ。
「おウいっ」そこから声がいた。
 四、五人の若い学僧だ。雪が解けたので、この冬籠りのうちにき尽くして乏しくなったまきを採りに出てきたのである。雪に折れた枯れ枝や四明颪しめいおろしに吹かれた松葉が沢にも崖にもうずまっていた。その谷間はようやく浅い春が訪れてきて、谷川のすその方には鶯子啼ささなきが聞え、樹々はほのあかい芽を点じてはいるが、ふり仰ぐと、鞍馬くらまの奥の峰の肩にも、四明ヶ岳のふかいひだにも、まだ残雪が白かった。
「やあ、ここは暖かい」南向きの谷崖へ、学僧たちはまきの束をにないあげて車座になった。太陽のぬくみを持っている山芝が人々の腰を暖かに囲んだ。
「長い冬だったなあ」
「やっと、俺たちに春が来た」
「春は来たが……。山は依然として山だ、谷は依然として谷だ。明けても暮れても霧が住居すまいじゃ」
「味気ないと思うのか」
「人間だからな」
「それにつのが修行だ」
「時々、自信が崩れかかるんだ。修行修行といっても、俺たちはどうしても、抜け道を作らずにいられない。そっと山を下りて人間の空気を吸いに出ることだ。そんなことをしていたって、つことにはならないじゃないか、ただ、矛盾むじゅんの中に生きているだけだ」
「そう、むきになって考えたら、僧院の中に住めるものか、よろしく中庸ちゅうようを得てゆくことだ、たとえば、大乗院へこもり込んだ範宴少僧都などをみるがよい」
「いろいろな噂があるが、あれは一体、どうしたことだ」
「おい」と、一人の背中をのぞいて、
「貴公は今朝、ここへ来る前に、横川の飯室谷いいむろだにへ、何か使いをたのまれて行ってきたのじゃないか」
「うむ、四王院の阿闍梨あじゃりから、書面をたのまれて置いてきた」
「範宴はいたか」
「わからん」
「誰がいるのだ、今あの寺には」
「党衆らしいのが庫裡くりにいた。がらんとして、空寺あきでらのように奥は冷たくて暗かった。たしか、去年の初夏のころから、東山聖光院の門跡もんぜき範宴がのぼってきて、あれに閉じこもっているわけだが、彼の姿など見たこともない。坊官も弟子もいるのかいないのかわからん。おかしなことだ」
「それやいないわけだ」と一人が唇でうすく笑って、
「範宴は、聖光院の方には勿論いないし、大乗院にも、いると見せても、実はそこにもいないのだから……眉唾まゆつばものだよ」
 何か火のような光が近くの灌木かんぼくの中から谷間の空を斜めに切って行った。人々の眼は、そこへ流れて行った雉子きじめすをじっと見ながらなにやら考えこんでいた。


 やがて、一人が沈黙を破って、
「じゃあいったい少僧都しょうそうずは、どこに体を置いているのか、しからぬ行状ではないか」と口吻こうふんに学僧らしい興奮をもらしていった。
「さあ、それが分らぬて」するとまたほかの一名が、
「なあに、大乗院にいることはいるのさ。姿を見せないだけだ。なにかよほどなもだえがあって閉じ籠ったまま密行みつぎょうしているという」
「やがて、僧正の位階にものぼれる資格ができているのじゃないか、なにを不足に」
「いや、その栄位も捨てて、遷化せんげする心だという者がある。四王院の阿闍梨あじゃりや、青蓮院の僧正などは、それでひそかに、心配しているらしい」
「あの若さで遷化するなどと……。それは一体ほんとうか」
「青年時代には、お互いに、一度はわずらう病気だよ。あまりに学問へ深入りして、学問のやみに捕われると、結局、死が光明になってしまうのだ」
「範宴は、そんな厭世家だったかなあ」
「仁和寺の法橋ほっきょうや、南都の覚運僧都そうずなどへも、遺物かたみを贈ったというくらいだから嘘ではあるまい」
「では密行に入ったまま、ずっと、絶食でもしているのか」
「噂を聞いて、幼少から彼を育てた慈円僧正が、たびたび使いをのぼせて思いとまるように苦言しているというが、どうしても、死ぬ決意らしい」
「そうか……」と、人々は太い息をもらし合って、
「それや、姿の見えないわけけた。おたがいに学問もよいほどにしておくんだなあ」
 と――まきを枕にして寝そべっていた一人の僧が、
「あははは」手を打って哄笑した。
「お人良し! お馬鹿さん! 君たちはおめでたい人間たちだ。もっとも、これだから僧侶は飯が食えるのだがね」
「誰だ、そんな悪魔の口真似くちまねをする奴は」振向いてみると、この山の学僧のあいだで提婆達多だいばだった綽名あだなをして呼んでいる乱暴者であった。
提婆だいば、何を笑うんだ」
「これが笑わずにいられるか。範宴が遷化するって。……ははは、へそがよれる。なるほど、密行はしているだろう、しかし、その密行がちがっているんだ」
「ひどく悪口をいうではないか」人々は提婆に対してむしろ反感をもった。そんな顔つきにかまわず提婆は笑いやまず厚い唇をひるがえしていった。
「でも、あまりに諸賢が、愚かしき噂を信じているから、その幼稚なのに愍笑びんしょうをもらしたのだ」
「では、範宴は一体、なにを大願として、そんな必死のぎょうに籠っているのか」
「知れているじゃないか。恋だ! 範宴だって人間だよ、隠し女があるのだ!」
「えッ、女があるって」人々は大胆な放言に眼をみはった。


 意外そうな顔をする人々の迂遠さを提婆だいばはあわれむように薄く笑って、
「眼を、君たちは、持っているのかいないのか。お互いに人間だ、叡山えいざんだって、人間の住んでいる社会だ。してみれば、若いくせに、ひじりめかしている奴が、実はいちばん食わせ者だということが分るはずだ。自体、範宴という人物を、俺は元からそう高く買っていない――」人々は、提婆の鋭い観察に黙って聞き入っていた。提婆は自分の才舌に酔っているように喋舌しゃべりつづけた。
「考えてみろ。まだ彼奴きゃつは今年でやっと二十九歳の青沙弥あおしゃみじゃないか。その青二才で、一院の門跡となり、少僧都となり、やれ秀才の駿馬しゅんめの、はなはだしきは菩薩ぼさつの再来だとかいって、ちやほやいう奴があるが、それが皆、あの男のためには毒になっているのだ。世間は少し、彼を買いかぶり過ぎているし、君たちもまた、それに附随して認識を誤っているんだ」
「提婆、貴様はまた、何を証拠に、そんな大胆なことがいいれる?」
「大乗院の出入りを監視しているのは俺だけだろう。なぜ俺が、彼の行動に監視の眼を向けているかといえば、それにも理由がある。……たしか去年の初夏のころだった。俺は範宴の隠し女をこの眼で見たのだ」
「ふウム……どこで」
ふもとの赤山明神の前で」
「…………」提婆のことばには曖昧あいまいらしさがなかった。信じることをいっている眼であった。人々も彼の態度にその真剣さを見てから狐疑こぎを離れて熱心な耳を傾けだした。
「……範宴は誰も見ていまいと思っているだろうが、それが仏罰だ。ちょうど俺はその前の晩、学寮の連中とたくらんで、例の坂本の町へ飲みに降りたのだ。つい飲み過ぎて眼をさますと、もう夜が白みかけている、朝の勤行ごんぎょうにおくれては露顕ものだと、大慌おおあわてに飛び出して、今いった赤山明神の近くまで来ると、どうだおい、美しい女が、範宴の袖にすがって泣いているのだ、範宴の当惑そうな顔ったらなかった」
八瀬やせ遊女うかれめか、それとも京の白拍子しらびょうしか」
「ちがう、そんな女とは断然ちがう。どう見ても貴族の娘だ、※(「藹」の「言」に代えて「月」、第3水準1-91-26)ろうたけたいつぎぬすそ端折はしょって、侍女こしもともついていた。二人して泣いてなにかせがんでいるらしい。俺は、樹蔭にかくれて、罪なことだが、そっと見ていた。男女ふたりの話こそ聞えなかったが、それだけの事実でも、範宴がいかに巧みな偽瞞者ぎまんしゃであるかは分るじゃないか。あいつにだまされてはいかん」
「そうか。さすれば、遷化せんげするとか、京の六角堂へ参籠するため、夜ごとに通っているなどということも」
「嘘の皮さ。通っているとすれば、それは今いった女の所へだろう」
「なんのこった」
「この社会に生きたひじりなどはない」
「範宴でさえそうとすれば、吾々が、坂本へ忍んで、女や酒を求めるのは、まだまだ罪の軽いほうだな」
「なんだか、社会がばからしくなってきた。この叡山までが嘘でつつまれていると思うと――」
「今ごろそんなことに気がついたのか。どれ、行こうぜ……」
「晩にはまた、坂本へ抜け出して、鬱憤うっぷんを晴らせ」まきかついで、人々は立ち上がった。いつもの薪よりは重い気がするのだった。


 峰づたいに、十町ほど歩いてゆくと、薪を担いでいるその群れへ、谷の方から呼ぶ者があった。
 提婆だいばが、耳にとめて、
「待て待て、誰か呼んでいるぞ」若い旅僧の姿が下の方に見えた。笠に手をかけながらその若い僧はあえいでのぼってきた。
「もしっ、お山の衆」
「おう、なんだ」
「おうかがいいたしますが、大乗院はまだ峰の方でしょうか」
「大乗院なら横川よかわ飯室谷いいむろだにだ。この渓流にそうて、もっと下る、そしてむこう岸へ渡る。こんな方へ来ては来過ぎているのだ」若僧はそう教えられて深い渓谷けいこくの道をかなしそうに振向いた。雪解ゆきどけの赤い濁流が、樹々の間に奔濤ほんとうをあげて鳴っていた。
「ありがとうございました」やむなく若僧は岩にすがってまた谷の方へ降りて行くのである。綿のように疲れているらしいその足どりを見送って、提婆は、
「あぶないぞッ……」と注意していた。
 まったくこの谷に馴れない者には危険な瀬や崖ばかりであった。対岸へ越えるにしても、橋もなし、岩伝いに行く頼りもない。若僧は、怖ろしい激流の形相ぎょうそうをながめたまま、嘆息ためいきをついていた。そして、休んでは下流しも辿たどってゆく。雪で折れた朽ち木に道をふさがれ、そこでも、茫然と、気がくじけてしまう。
 心細さはそればかりではなかった。沢の樹々の間はもうほのぐらく暮色が迫っている。そして、四明しめいの山ふところから飛んでくる氷った雪か、また灰色の雲がこぼしてゆくあられか、白いものが、小紋のように、ひとしきり音をさせて沢へ落ちてきた。
「寒い」若僧は意気地なく木の葉の蔭へうさぎのように丸まっていた。笠の下にすくんでいる眼は、この山の荒法師などとちがって気の小さい善良な眸をしていた。それに、色の白い皮膚や、腺病質な弱々しい骨ぐみからして、こういう旅をする雲水の資格はない若者なのである。
「会いたい。ここでこごにたくない。死んでも兄に会わなければ……」彼は、つぶやいて、凍えた両手を息で暖めた。必死になって身を起した、そして、沢の湿地を歩みだしたが、腐った落葉に足をすべらせて、渓流のふちまですべり落ちた。
「…………」腰でも打ったのか、痛そうな眉をしかめていた。笠はもう、濁流に奪われて下流しもへながされていた。いつまでも起き上がり得ないのである。その肩へ、その顔へ、痛い痛いあられは打つように降っている。
 その高貴性のある上品なおもざしは、どこか、範宴に似ていた。似ているはず――範宴の弟、今は青蓮院にいる尋有じんゆうなのであった。

手長猿




 むささびでも逃げるように、木の葉をざわめかせて崖をすべってきた者がある。灌木の枝と枝とを掻き分けて、ひょいと首を出したのを見ると、それは四郎の手下の蜘蛛太くもたであった。
 もうほの暗い谷間をのぞいて、
「だめだ、ここも」と、舌打ちした。
 断崖の上にはまだ大勢の人声が残っていた。降りやんだあられの空は星になって青く冴え返っている。そのかわりにものを渡るような風が出て、断崖のきわにうごいている黒々とした一群の影を吹きなぐっていた。
「蜘蛛っ」とその群れが上から呼ぶと、
「おウい……」彼は首を仰向けて呶鳴った。
「降りてきたって駄目だ。ここのふちも、越えられそうな道はねえぞっ」蜘蛛の足もとへ、ざらざらと土が鳴って崩れてきた。彼が止めているにもかかわらず、上の者どもは藤蔓ふじづるにすがったり、根笹を頼りにして道もない傾斜を手長猿のようにつながって降りてくる。そして、一応渓流のあたりを俯瞰みおろしてから、
「こう、雪解けで水嵩みずかさが増していちゃあ、どこまで行っても、やすやす、越えられる瀬はあるものか。この辺は、川幅のせまいほうだ。なんとかして渡ってしまえ」
「そうだとも、まさか、俺たちが、溺れもしまい」蜘蛛が、先を歩いていて、
「あぶないっ!」と、また止めた。
「なんだ」
「この下は、洞窟ほらあなだ」
「ひさしをって歩け」
松明たいまつともそうか」
「火はよせ」天城あまぎの四郎だということが声がらではっきりと分る。
 暗いのでおのおのの眼ばかりが光る。手に持っているおのだの長刀なぎなたの刃が時々青い光を闇で放つのだった。
「松明などともして歩いてみろ、すぐ山の者が眼をみはって、怪しむに違いねえ、どんな武家のやかたでも、禁裡のうちでも、怖いと思って忍びこむ所はねえが、この叡山えいざんだけは気をつけないと少し怖い。なぜなれば、ここの山法師ときては、俺たち野伏のぶせり以上に殺伐で刃ものいじりが好きときている。のみならず、一山諸房には鐘があって、すわといえば、九十九鐘の梵音ぼんおんが一時に急を告げて坂本口を包んでしまう。まだ峰には雪があるから四明しめいへ逃げのびるにはやっかい。八瀬やせへ降りては追いこまれる。めッたに大きな声も出すなよ」
 盗賊でも将帥しょうすいたる者は一歩一歩兵法に等しい細心な思慮を費やして行かなければならない。そうして、忍びやかな自重を持つと、四郎の分別にひきいられた十四、五人の群れは、やがて断崖を下り切って、激流の白い泡が岩を噛んでいるふちに立った。


 渦、飛沫しぶき、狂激する水のすがた
 ごうっ――と鳴って闇の中をすごい水の描線びょうせんが走っている。手下たちは、そこの淵まで降りたもののちょっと顔白んで腕ぐみをしてしまった。
「どうして渡るのだ、この濁流ながれを」すると四郎がいった。
「樹をれ」おのを持っていた手下の者が、
「へい」と飛びだしたが、渓谷けいこくである、樹は多い、どれを伐るのかと見まわしていた。
 瀬にのぞんだ岩と岩とのあいだに柏樹かしわのきの喬木が根を張っていた。四郎は指さして、
「そいつを河の方へ、ぶっ倒せ」と命じる。
「そうだ、なるほど」おのをひっさげた二人の者が、根方へ寄って、がつんとやいばを入れた。斧の光が丁々ちょうちょうと大樹の白い肉片を削って飛ばした。空にそびえているこずえと葉が、この兇猛な人間の息にかかって、星のような涙をちらして戦慄する。みりっと、ややそれが、かしぎかけると、大勢の手が幹の背を押して、
「もう一丁、もう一丁」と斧の努力を鞭撻べんたつした。
 ぐわあん――と地盤のこわれるような音がして、白い水のはねあがった光が闇をまっ二つに割った。
「しめた」と黒い群れは叫ぶ。
 たおれた大樹の梢の先が、ちょうど対岸の岩磐いわにまでとどいている。四郎のわらう声が高らかに動く影の間を流れた。もう先走った者どもは、架けられた喬木の梢のうえを、四つ這いになってましらのように渡っているのだった。
「あぶねえ、静かに来い」
「ひとつ廻ると、みんな振落されるぞ」
「おッと、どっこい」ひらり、ひらりと十幾つの人影は難なく跳び移った。そしてれ言をかわしながらどっとそこで一つ笑うと、声もすがたも、たちまち四明颪しめいおろしにつつまれて暗い沢の果てへ去ってしまった。
 夢の中の人影を見るように尋有じんゆうはさっきからそれをやや離れた所からじっと見ていた。所詮しょせん、この激流を越えるすべはなし、夜にはなったし、こよいはこの沢で落葉をふすまにして眠るよりほかないものとあられの白くこぼれてきた黄昏たそがれから木蔭におとなしい兎のような形になってうずくまっていたのである。
「おお……」思わず彼は立って巨木の架けられた淵まで歩んできた。
「この身の心をあわれみ給うて、弥陀みだが架けて下された橋ではないか」彼は先に越えて行った人々のさまをまねて、手と膝とでその上を這った。先の者は苦もなく一跳ひととびにして行ったように見えたが、尋有にとっては、怖ろしい難路であった。樹はまだ息があるように動くし、水はすごい形相ぎょうそうをもって呑もうとするような飛沫ひまつを浴びせる。
 尋有は眼をつむって、
御仏みほとけ」と硬くなって念じた。


 仰ぐと、高い所に、ぼちとたった一つのが見える。
 ちゅうは、無数の星だったが、人間の手にともされた光といえばそれ一点しか見あたらない。右を見ても山、左を振返っても山、ただ真っ黒な闇の屏風びょうぶだった。
「こよいのうちに、会えればよいが――」
 尋有はやっとそこの谷間を出てから心を希望へ結びなおした。なつかしい兄はもうここからほど近い飯室谷いいむろだにの大乗院にいる。骨肉のみが感じるひしとしたものが思慕の胸を噛んでくる。
「はやくお目にかかりたい」足はおのずからつかれを忘れていた。彼の心は真向ひたむきだった、一心であった。一刻もはやく会わねばならない。会ってそして自分の誠意をもって兄の心を打たなければならない。
 兄は知っているのか知らずにいるのか、今、世上の兄に対する非難というものは耳をおおうてもなお防ぐことができない。兄範宴はんえんは今や由々ゆゆしい問題の人となっているのである。囂々ごうごうとして社会は兄を論難し、嘲殺し、排撃しつつあるのだ。
 兄の恩師でありまた自分の師でもある青蓮院の僧正も、玉日姫たまひひめの父である月輪の前関白さきのかんぱくも、夜の眠りすら欠くばかりに、心をいためていることを、よもや兄も知らぬわけではあるまいに。――また、その問題も問題である。あろうことかあるまいことか、貴族の姫君と、法俗の信望をになう一院の門跡とが、恋をしたというのだ、密会をしたというのだ、しかも六波羅の夜の警吏やくにんに、その証拠すらつかまれているという。
 尋有はじっとしていられなかった。老いたる師の体が毎夜、かんなけてゆくように痩せてゆくのを側目はために見ても。
(こういう問題を残したまま、聖光院を捨てて、ただ御山みやまの奥へ、逃避されている兄がわからぬ。ご卑怯だ、いや、兄君のお為にもならぬ。このままほうっておいたら、世論はなお悪化するばかりではないか。玉日様を愛するならば、玉日様の立場も考えてみるがよい。師の君のお心のうちはどんなか、姫の父君の身になってみらるるがよい。どうなりと、この際、善処のお考えをなさらぬ法はあるまい。その兄が救われるならば、この自分などの一命はどうなろうがかまわぬ。どういう御相談おはからいでもうけてこよう、兄の胸をたたいて聞いてこよう)こう決心して、彼は、師の慈円にも黙って山へさして登ってきたのである。山へ登るについても、世人の眼にふれてはと思い、はるか鞍馬口の方から峰づたいに、山の者にも遠くから来た雲水のように見せかけつつやっと辿たどり着いたのだった。
 だが――尋有は世上で論議しているような不徳な兄とは信じていない。兄の本質は誰よりも自分が知っている。兄は決して多情な人ではない、溺れる人ではない、そういう情涙ももろさも多分にある人には違いないが、一面に剛毅と熱血を持っていることでは誰にも劣らない生れつきである。これと心をすえたことには断じて退しりぞかない性格の人でもある。それは源家の血を多分にうけた母の子である兄の長所でもあり、またみずから苦しむところの欠点でもあって、それが兄をしていつも安穏な境遇から求めて苦難のちまたへ追い立てる何よりの素因であると、彼は今も歩みつつしみじみ考えてみるのだった。


 この世のあらゆる音響から隔離かくりしている伽藍がらんの冷たい闇の中から突然起った物音なのである。
 すさまじい狼藉ろうぜきぶりで、それは次から次へと、仏具や什器じゅうきを崩したり、家鳴りをさすような跫音あしおとをさせて、広い真っ暗な本堂を中心として、悪魔のごうが動き出している。
 勿論、凡者ただもの所業しわざではない、夕方、横川をわたって飯室谷いいむろだにへかかった天城四郎とその手下どもの襲ったことから始った事件であった。
 洛外の蓮台野れんだいのの巣を立ってきた時から彼らはすでにあらかじめ大乗院を目的として来たに相違なく、四郎がまず先に立って、妻扉つまどをやぶって歩き、つづいて十数名の者が内陣へ入って、まず厨子ずしの本尊仏をかつぎだし、燭台経机きょうづくえの類をはじめ、唐織からおりとばり螺鈿らでんの卓、えいの香炉、経櫃きょうびつなど、ゆか一所ひととこに運び集める。
 それを頭領の四郎がいちいち眼をとおして、
「こんな安物は捨ててゆけ」とか、これはになるとか、道具市のがらくたでもけるように分けているうちに、慾に止まりのない手下どもは、土足のあとをみだして方丈の奥にまで踏み入り、なおどこかに、黄金でもないかと探し廻って行く。
 すると、ようやくこの物音を知った庫裡くりの堂衆が二人ほど、紙燈心を持って駈けてきたが、賊の影を出合いがしらに見て、
「わっ!」と腰をついて転んだ。
「騒ぐと、ぶった斬るぞっ」刃を突きつけると、堂衆の一人は盲目的に賊へ武者ぶりついた。他の賊があわててその堂衆の脾腹ひばらへ横から刃を突っこんだので、異様なうめきをあげて床へたおれた。
「畜生っ」と血刀をさげて、賊は逃げてゆくもう一人の堂衆を追い込んで行った。堂衆は驚きのあまり、何か意味のわからない絶叫を口つづけにわめきながら暗い一室へ転げ込んだ。
「野郎っ」と賊はすぐ追いつめて、隅へかがまった堂衆の襟がみをつかんだが、その時、うるしのような室内のどこかで、
「誰だ――」といった者がある。
 おや? と振りかえって闇をかすように眼をかがやかせたのである。見ると、床の上に円座を敷いて、あたかも一体の坐像でもすえてあるかのように一人の僧が坐っていた。
「うぬは何だ」賊がいうと、僧は静かに、
範宴はんえんである」と答えた。
「えっ」思わずたじろいで、
「範宴? 聖光院の範宴か」
「さよう」低い声のうちに澄みきったものがある。その澄みきった耳は最前からの物音を知らぬはずはないが、その態度には小波さざなみほどのおどろきも出ていなかった。


「お身たちは何者か」範宴の問いに対して賊たちは賊であることを誇るように答えた。
盗人ぬすびとよ」
「ほ」半眼を閉じていた眼をみひらいて範宴はまたいった。
「盗賊なれば、欲しい物さえ持って行けば、人をあやめるには及ぶまいが」
「元より、殺生はしたくないが、この堂衆めが騒ぐからよ」
「騒がぬように、わしがいい聞かせておくほどに、そちたちは、安心して、仕事をしてゆくがよい」
「こいつが、うまいことをいう。そんな古策ふるてに誰が乗るか。油断をさせて、鐘をくか、山法師どもを呼び集めてこようというはらだろう」
 彼らは当然に信じなかった。そこの様子を聞いて頭領の四郎は、範宴を本堂へ連れてこいと伝えてきた。手下どもは彼の両手をじあげて立てとうながした。悪びれた様子もなく範宴は引ッ立てられてそこを出て行くのである。天城四郎はといえば、本堂にあって、経櫃きょうびつの上に傲然ごうぜんと腰をおろし、彼の姿を見ると突っ立って、頭から一喝いっかつをくらわした。
「いたか! なまくら坊主」そして、さらに声高に、
「そこへ、坐らせろ」いわるるまでもなく範宴はすでに坐っているのである。頭領と仰ぐ四郎の身に万一があってはと警戒するように手下どもはいったん物々しく取り囲んだが、その必要がないと見るとおのおの掻き集めた盗品を持ちやすいように包んだりたばからげたりし始めた。
 四郎は、範宴の眼をじっと睨まえていた。範宴もまた四郎の顔から眼をそらさなかった。大和の法隆寺に近い町の旅籠はたごで会った時からすでに七、八年の星霜を経ているが、その折の野武士的な精悍せいかんさと鋭い熊鷹眼くまたかまなことは今も四郎の容貌にすこしの変りもなかった。それと、ふしぎにもこの男は、弟の尋有の場合でも、自分の所へ襲ってきた今夜でも、何か女性にょしょうにからむ問題があるたびに現れてきて迫害を加えることが、あたかも約束事のようになっている。――範宴はその宿縁を思いながら四郎の影に対していた。われの懶惰らんだと罪にむちけて弥陀みだつかわさるるところの使者であると思った。
「やいっ、範宴」四郎はまずいうのである。
「俺のつらを忘れはしまいな。きょうは返報に来たのだ。ちょうど一年目になるが、よくもいつかの夜には、俺が月輪つきのわの姫を奪ってゆく途中、邪魔させたな。手を下したのはおのれじゃないとぬかすだろうが、うぬの意志をもって弟子どもがやったことである以上、その返報は当然てめえにかかってくるのが物の順序だ。そこで今夜は、この大乗院の什器じゅうき在金ありがねを残らず貰ってゆくつもりだが、何か、いいたい苦情があるか。あるならば聞いてやろう、範宴、かしてみろ」野太刀の大きな業物わざものはここにあるのだといわないばかりに、左腰へこぶしをあてて少し身をねじりながら睥睨へいげいした。
 範宴のひとみはまだ四郎のおもてを正視したきりであった。そして静かにいった。
「欲しいものは、それだけか」


「まだある!」押しかぶせるように四郎は右の肩を上げていった。
「おれは天下の大盗だ。盗賊の慾には限りというものがない。うぬの生涯につきまとうて、うぬおとりに財宝を集めさせてはせびりに来る。今夜は初手の手付てつけというものだ」
「生涯、この範宴から財をしぼるというか」
「おれは、貴様の弱点を握っているからな。――いやともいえまい」
「さように財物を集めておもとはいったい何を築きたいのか」
「死ねば、おさらばを告げるこの世に、物を築いて置く気などはさらさらない。みな、飲む、買う、ける、あらゆる享楽にして、この一身をよろこばせるのだ」
「歓ばせて、どうなるか」
「満足する」
「それは、肉体がそう感じるだけのもので、心は、その幾倍もの苦しみや、空虚を抱きはせぬか。人間は、霊と肉体とのふたつの具現じゃ。肉のみに生きている身ではない」
「小理窟は嫌いだ、理窟をいってるやつに一人でも幸福そうに生きている者はない。とにかく俺はその日その日が面白くあればいい、したいことをやって行く」
「あわれな男のう」
「誰が」
「おことじゃ」
「わはッはははは」四郎は高い天井の闇へ洞然どうぜんと一笑をあげて、
「こいつが、てめえ自身の不倖ふしあわせも知らずに、俺を不愍ふびんだといやがる」かた腹が痛そうにしていったが、ふと、範宴の一語が頭の隅で気になるらしく、
「おれのどこが、あわれなのか、あわれらしいのか、いってみろ」
「おもとのような善人が、会うべき御法みのりの光にも浴さず、闇から闇を拾うて生きていることの、何ぼう不愍にも思われるのじゃ」
「やいっ、待て」四郎は大床を一つ踏み鳴らして、
「おれを善人だと」
「されば、そういった」
「すこし気をつけてものをかせ。この天城四郎を善人だといった奴は、天下にうぬをもって嚆矢こうしとする。第一、俺にとって大なる侮辱だ。おれは悪人だ、大盗だ」威丈いたけだかに彼がいうのを冷寂れいじゃくそのもののような容姿かたちでながめ上げながら、範宴は、片頬にうすいくぼをたたえた。
「おもとは弱い人間じゃ。偽悪の仮面めんをつけておらねば、この世に生きていられないほどな――」
「偽悪だと。ふざけたことをいえ、俺の悪は、本心本性のものだ。人のうれいを見てよろこび、人の悲しみや不運を作って自分の快楽とする。自分一つの生命いのちを保つためには、千人の人間の生命をあやめてもなお悔いを知らぬ。かくのごとく天城四郎は、無慈悲だ、強慾だ、殺生ずきだ! そして、女を見ればみだらになり、他人の幸福を見れば呪詛じゅそしたくなる。――これでも俺を善人というか」
「まことに、近ごろめずらしい真実の声を聞いた。話せば話すほど、おもとはいつわらぬよいお人じゃ」


 四郎は自分が世に隠れなき大悪の張本人であることをもって誇りとしているのである。しかるに、今夜の相手は、自分の兇悪ぶりに対して、一向に驚かないのみか、自分をもくして、素直だといい、正直者だといい、善人だという。
 これでは、天城四郎たる者の沽券こけんはない。彼は足蹴にされたよりも大きな侮辱を感じて、いちいち範宴のことばに腹が立った。ことばすずしく自分を揶揄やゆするものであると取って、
「やかましいっ」と最後には大喝を発して、顔にも、肩にも、腕にも、怒りの筋肉をもりあげ、全身をもって悪形あくぎょうの威厳を示した。
「おれを、めそやしたら、おれが喜ぶとでも思っているのか。甘くみるな。そんな生やさしい人間とは人間のできがちがう。四の五はよいから、金を出せ」
「この無住にひとしい官院に、黄金こがねがあろうわけはない」
家探やさがしするぞ」
「心すむまでするがよい」
「それ、探してこい」手下どもへあごを振って、四郎は再び範宴を監視した。
 終始、範宴の姿なりおもてからはなんの表情もあらわれなかった。四郎との一問一答がやむと、睫毛まつげが半眼をふさぐだけのことだった。散らかって方丈へなだれ込んだ手下たちは、やがて戻ってきて、範宴のへやから一箇の翡翠ひすい硯屏けんぺい堆朱ついしゅ手筥てばことを見出してきただけであった。金はなかったけれど、その翡翠の硯屏は、四郎の慾心をかなり満足させたらしい。
「寺には、こういう代物しろものがあるからな」と見恍みとれていた。そしてすぐ、
「引き揚げよう。そこいらの物を引っ担いで先へ出ろ」と命じた。
 手下たちは、めいめい盗品を体につけて本堂の外へ出た。四郎は、動かしかけた足をかえし、最後の毒口をたたいた。
「範宴、また来るぞ」やじりのような鋭い彼の眸に対して、範宴の向けたまなざしは春の星のように笑っていた。
「オオ、また参るがよい」
「ふふん……負惜しみのつよい男だ。人もあろうに、俺のような人間に、女犯にょぼんの証拠をにぎられたのがてめえの災難。一生末生、つきまとって金をせびるものと観念しておけよ」
「ふかいご縁じゃ。いつかはこの浅からぬ宿縁に、のりはなが咲くであろうよ」
「まだ囈言たわごとを吐いていやがる。おれの悪を偽面とぬかしたが、てめえも、ひじりめかしたその偽面を、ぬぎ捨てて、凡下ぼんげは凡下なりに世を送ったほうが、ずんと気が楽だろうぜ。はははは、坊主に説教は逆さまだが、俺の経文きょうもんは生きた人間へのあらたかな極楽の近道なのだ。……どれ、だいぶ寒い思いをしたから、今夜は八瀬の傾城けいせいに会ってその極楽のふすまに、迦陵頻伽かりょうびんがの声でも聞こう。おさらば」
 盗賊の習性として、現場を退く時の身ごなしは眼にもとまらないほど敏捷びんしょうであった。廻廊へ出たと思うと、四郎の影も、手下どもの影も、谷間を風に捲かれて落ちる枯葉のように、たちまち、その行方を掻消かきけしてしまう。
 さっきから歯の根もあわず、縁の柱の蔭にすくんでいた尋有は、悪夢をみているような眼でそれを見送っていた。

九十九夜




 魔の荒して行った伽藍がらんのひろい闇を、その後の惨たる泥足の跡を、冷たい風がふきぬけていた。
 尋有じんゆうはいつまでもからだのふるえがとまらなかった。脚ぶしをがくがくさせて、廻廊の扉口とぐちから大床のうちをのぞいた。
 一点のあかしもない。いるのかいないのか範宴はんえんのすがたも見えない暗さである。尋有は這うように進んで行った。――と、賊が捨てて行った経巻が白蛇のように解けて風にうごいている。その側に、坐っている者の影が見えた。
「兄君ッ……」つき上げて出た声だった。範宴のほのかに白いおもてがじっと自分のほうへ向いたことがわかると、尋有は跳びついて兄の膝にしがみついてしまった。
「おっ! ……」がくとした兄の手が尋有の背をつよくかかえた。かかえる手もかかえられる手も氷のようだった。ただ、範宴の膝をとおす弟の涙ばかりが熱湯のようにあつい。そして、範宴は弟が何のために山へ来たかを、また尋有は兄が自分の姿をどう心のうちで見ているかを、何もいわないうちに分ってしまったような気がするのであった。兄を責めるとかいさめるとかいうようなことはみじんも忘れ果てて、ただ、肉親の情涙の中に泣き濡れていることだけで満足を感じてしまった。
「よう来たのう、道にでも迷うてか、この夜更けに入って――」
「兄君……」とだけで、尋有は舌がつってしまう。何もいえないのだ。ただなつかしいのだった。
「寒かろう、それにひもじいであろう。はての……なんぞ温い食べ物でもあればよいが」
「いいえ、私は、ひもじいことはありません。何もいりません。……それよりは、どこもお怪我けがなさいませんか」
「なんで?」
「天城四郎のために」
「…………」黙って、微笑して、範宴は顔を横に振って見せる。まるで他人事ひとごとのようにである。
 尋有は、兄の膝から顔を離し、兄の手をつよくつかんだ。
「ご存じですか。世間の声を、都の者のやかましい非難や論議を」
「うむ……」
「師の君の御苦境やら、また、姫のお父君でおわす月輪様の御心痛も」
「……知っておる」
「すべてをご存じですか」
「この山にいても、眼にみえる、心に聞える、身はふかく霧のにかくれても、心は俗界の迷路からまだ離れきらぬためにの。――そんなことではならないのだ、今のわしは、今の範宴は」
 つよい語尾であった。尋有はこのになっても屈しない兄のおごそかな眉にむしろ驚くのだった。会うごとに兄の性格が高い山へ接してゆくように、深くけわしく、そして登れば登るほど高さが仰がれてくる心地がするのである。
「心配すな、それよりはやすめ。――わしのへやへきて」静かに立った時、堂衆の紙燭しそくが、奥のほうでうごいていた。


 眼をとじてもいつまでも眠りに入れない尋有であった。
 兄は自分をやすませておいてどこかへ出て行った。廊下で堂衆の寒さにふるえているような声がきこえる。堂衆のうちで賊に斬られた者があるというから、その男の手当やら後の始末をしているのであろう、微かな物音が更けるまで庫裡くりに聞えた。
 それが止むと、やがて範宴はそっと室へ帰ってきた。尋有は自分の寝顔をさしのぞいている兄の容子ようすを感じながら眠ったままに装っていた。兄もすぐ側に眠るであろうと考えていたのである。ところが範宴は法衣ころもひもをしめ直したり、脚絆きゃはんを当てたりして、これから外へでも出るような身仕度をしているのだった。
(今ごろ?)と尋有は怪しんで冴えた心になっていた。ふっと、いきがしたと思うと、短檠たんけいは消えていた。寝ている者の眼をさまさせまいとするように、しのびやかな跫音あしおとが室を出て、後を閉めた。
「はて……? いずこへ」尋有は起き直った。
 しばらくためらっていたがどうしても不安になった。あわてて、枕の下へ手を入れる、そこらに脱いでおいた法衣ころもを体に着ける。
 外へ出た。彼方あなたを見、此方こなたを見廻したが、もう兄のすがたは見えない。山門の方まで駈けてみる。そこにも見えないのである。
 峰と峰とのあいだの空ががれた鏡のように明るかった。寒さは宵とは比較にならない、この寒気かんきおかして、この深夜をこえて、兄は一体どこへ出て行ったのか。
 あくる朝になってみると、兄は、自分のそばに法衣ころもも解かずに寝ていた。眠る間があったのだろうか、さりげなく朝の食事はひとつ座に着いて喫している。
「兄君、ゆうべあれから、どこかへお出になりましたな」
「うむ、行った」それきりしか問わなかったし、それきりしか答えもしない。範宴はすぐ斎堂さいどうを立って、
「わしは、ずっと、黙想を日課にしておる。行室ぎょうしつにおるあいだは、入ってくれるな」といった。
 昼間は、顔をあわす折もないし、夜はまた、ただ一人でどこかへ範宴が出て行ってしまう。一夜も、欠かした様子がない。
 山へかくれた去年から今年への間に、範宴の心境は幾たびとなく苦悶のうちに転変していた。死を決して、食をったという噂も事実であろう。この寂土じゃくどから現実の社会を思って、種々さまざまな自分を中心として渦まくものの声やすがたを、眼に見、耳に聞き、生きながら業火ごうかの中にあるような幾月の日も送っていたに違いない。そうして今は何かひとすじに求めんとするものへ向って、夜ごとにこの大乗院を出ては、朝になると帰ってくる彼であった。
「今夜こそ、そっと、お後をけて行ってみよう」尋有は、兄の行動を、半ばは信じ、半ばは世間のいう悪評にもひかれて、もしやという疑いをふと抱いた。


 その晩、尋有は先に臥床ふしどを出て、大乗院の外に忍んでいた。
 ぽつ――と冷たいものが頬にあたった。雨である。しかし、雲が明るい、綿のような雲がけている。
「降らねばよいが」夜ごとにこの闇を歩む兄の身を思いやって祈るのだった。
 静かな跫音あしおとが今山門を出て行った。範宴である。勿論気づいているはずはない、尋有はその後から見え隠れに兄の影を追って行くのだった。
 昼ですら危険の多い横川の谷間を、範宴は、闇を衝いて下って行く。なにか、赫々かっかくとした目的でもあるような足だ。むしろ尋有のほうが遅れがちなのである。
 渓流にそって、道は白川へひらけている。そのころから風が変って、耳を奪うような北山おろしに、大粒な雨がまじって、顔を打つ、衣を打つ。
 すさまじい空になった。黒い雨雲がちぎれて飛ぶ間に、月の端が、不意に顔を出すかと思うと、一瞬にまたまっ暗になった。がらっと鳴る水音は、絶えず足もとをおびやかすのである。尋有はともすると見失いそうな先の影に、あえぎをつづけていた。
 草鞋わらじでも切れたのではないか。範宴は浄土寺の聚落むらあたりで、辻堂の縁にしばらく休んでいた。禅林寺の鐘の音が、吠える風の中で二更にこうを告げた。
「この道を? ……いったいどこへ行こうとなさるのか」いよいよ、兄の心が尋有には謎だった。粟田山のふもとから、長い雑木林の道がつづく。水をもった落葉を踏んで飽かずに歩むと、やがて、黒い町の屋根が見え、三条磧さんじょうがわらの水明りが眼の前にあった。
 河はもうこの一降ひとふりで水量みずかさを増していた。濁流が瀬の石に白い泡を噛んでいる。五条まで下がれば橋はあるが、範宴は浅瀬を見まわしてそこを渡渉こえて行こうとする。
「あ、あぶない」尋有は、自分の危険をわすれて、河の中ほどまで進んだ兄の姿に気をとられていた。法衣ころものすそを高くからげても、飛沫しぶきは腰までかかるのだった。それに、この水の冷たさはどうだろう。尋有は歯をかみしばって、一歩一歩、河底の石を足の爪先で探りながら歩いた。
 と――砂利でも掘ったような深い底へ、尋有は足を踏み入れた。あっ――と思った時はもう迅い水が喉首のどくびを切って流れていた。
「兄君――」思わず尋有は叫んでしまった。そして、四、五間ほど流されて、水面に手をあげた時、範宴は水煙みずけむりを上げて、彼の方へ駈け戻ってきた。


「尋有っ」眼の前に伸ばしてきた範宴の手へ、尋有は、両手ですがりついた。
「兄君」
「よかった。怪我はせぬか」
「い、いいえ」唇は紫いろになっていた。声もふるえて出ないのである。
「手を離すな」範宴は、ねずみになった弟を抱えて、河原へ上がった。
「寒かろうが、行く先までこらえておれ」すぐ堤を越えて、また歩いた。三条の大路をまっ直ぐ西へ。
 一叢ひとむらの森がある。頂法寺ちょうほうじの境内だった。そこの六角堂へ来ると、範宴は、堂の一隅に置いたひつの中から、肌着と法衣ころもを出して、弟に着かえさせた。
 尋有は、縁のゆかに手をついたまま、いつまでもおもてを伏せていた。
「おもと、なにを泣いているか」
「自分が恥かしいのです」
「なぜ」
「私までが、世評に耳を惑わされて、実は、兄君をお疑い申しておりました。それで、今夜は、お行き先を見届けようと、お後をけて来ましたところ、兄君の夜ごとのお忍びは、この六角堂にご参籠のためと分りました」
叡山えいざんから三里十六町、この正月の十日から発願ほつがんして、ちょうど今宵で九十九夜になるのじゃ、おことの案じてくれるのもわかっておる、また、師の僧正を初め、月輪殿の御心痛のほども、よう汲んではおるが、範宴が今の無明海むみょうかいをこえて彼岸ひがんに到るまでは、いかなる障碍しょうげ、いかなる情実にもさまたげられぬと武士が阿修羅に向うような猛々しい心をよろうて参ったのだ。そのために、この六角堂へ参籠のことも、誰にも告げず、ただ、深夜の天地のみが知っていた。おことが、大乗院からわが身の後に慕うて来たことも、知らぬではなかったが、すでに九十九夜になる今宵のことゆえ、打ち明けてよかろうと、また、師の僧正にも、範宴はかくのごとくまだ無明海にあることをおことの口から告げてもらいたい。――しかし必ずとも、永劫えいごうの闇にやわかこのままに溺れ果つべき。必ずやこの身が生涯のうちにはこの惑身わくしんに、玲瓏れいろうの仏光を体得して、改めて、今のおわびに参ずる日のあることを誓って申し添えておいてくれい、……よいか、わかったか尋有」
「はい……。よく分りました」
「わかってくれたら、早う帰れ、青蓮院の師のもとへ帰れ。それまでは、この兄もあると思うな。ただ、天地の大きな力と、御仏みほとけ功力くりきを信じておれ。ことに、おことは肉体が弱い、せめて、安らかな心のなかに住むことを心がけて下されい」範宴はひざまずいて、弟の胸へ向ってを合わせた。


 ふかい樹立こだち静寂しじまの闇とうるしを湛えたような泉の区域を囲んでいた。六角堂のすぐ裏にあたる修学院の池である。
 そこに、この真夜中まよなか、水音がしていた。裸体になって水垢離みずごりをとっている者がある。白い肌がやがて寒烈な泉に身をきよめて上がってきた。
 範宴だった。寒いといっても、このごろはもう樹のこずえにも霜がないが、彼がこの六角堂の参籠を思い立った一月上旬のころには、この池には夜ごとに薄氷が張っていたものであった。その氷を破って全身を八寒のうちに没して、あらゆる妄念もうねんを洗って後、御堂みどうゆかに着くのだった。
 ――それが今宵で九十九夜も続いた。よくこの肉体がつづいたと彼は今も思う。
 しかし、ぎょうは、行のための行ではない。出離生死しゅつりしょうじの妄迷を出て彼岸ひがんの光明にふれたい大願にほかならない。九十九夜の精進が果たして仏の御心みこころにかなったろうか。
 こごえる身を拭いて、範宴は白い浄衣を肌に着、少僧都の法衣ほうえを上にまとった。そして、六角堂のしながらはっと思った。
「百夜はおろか、二百夜、千夜、出離の御功力みくりきをたまわるまでは、振り向いてはならぬ。まだ真向まむきにこの御扉みとびらのうちへこそ向え」
 自分を叱咤して、精舎しょうじゃを排した。
 床に坐る。一点の御灯みあかし霊壇れいだんの奥に仰ぐ。――範宴は、ここに趺坐ふざすると、弱い心も、強い心も、すべてのが溶けてくるのを感じる。そして肉体を忘れる。在るのは生れながらの魂のみであった。人間とよばるるあわれにも迷いの多い一箇のものだけであった。
南無なむ如意輪観世音菩薩にょいりんかんぜおんぼさつ」合掌をこらして、在るがままに在るうちに、我ともあらぬものが満身の毛穴から祈念のさけびをあげてくる。
「――仏子ぶっし範宴、人と生れてここに二十九春秋、いたずらに国土の恩にれて長じ、今もって、迷悟を離れず悪濁おだく無明むみょうにあえぎ、幾たびか籠り幾たびか彷徨さすらい、ひたすら行道のあゆみを念じやまぬ者にはござりまするが、愚かや、山を降りては世相のなぞに当惑し、愚痴ぐち貪欲どんよくに心をいため、あまつさえ、仏陀のいましめたもう女人に対しては、忘れんとしても、夢寐むびの間も忘れ得ず、仏戒の力も、おのれの力も、それを制圧するに足らず、日々夜々の妄魔もうまとの戦いに、あわれ心身もむしばまれて滅びんとしている愚か者がこの範宴であります。一度ひとたびは、死なんといたしましたが、死に赴くもかたく、しょうを願うては煩悩の濁海にもてあそばれているのみ。あわれ、救世菩薩ぐぜぼさつ、わが行く道はいずくに在るか。示したまえ! 出離生死の大事を! これ、一人の範宴にとどまる悩みではありません。同生どうしょうの大衆のために、われら人間の子のために」
 いつか涙の白いすじが、彼のすさまじい求法ぐほうの一心をいているひとみから溢れて、滂沱ぼうだとして頬にながれ落ちるのであった。


 雨に洗われた路面は泥濘でいねいをながして白い小石が光っていた。樹々の芽がほの紅くふくれ、町の屋根にはうすい水蒸気があがっている。
 範宴は、歩いていた。生々せいせいとした朝の町に、彼の顔だけが暗かった。力も、目標もない足つきだった。
「この大願が解決されねば、生きているかいはない」と思いつづけていた。
 ゆうべは、宵の騒ぎで、すでに大乗院を出る時刻が遅かったので、けさは、六角堂で夜が明けてしまったのである。もうこうして、ひたむきに山から通うことも昨夜で九十九夜になる。
「何を得たか?」範宴は、依然として、十万暗黒のうちに自分の衰えつかれた姿を見出すだけだった。往来の人とぶつかっても気がつかない、輿こし荷担になってくる舎人とねりに呶鳴られても気がつかない、物売りの女が怪しんで、気狂きちがいらしいと指さして笑っているのも気がつかない……。
 今朝の彼は、気狂い僧と見られても無理がなかった。法衣ころもは、ゆうべの雨で河水に濡れてまだよく乾いてもいないのをそのまま着ていた。そのすそも破れているし、足はどこで傷ついたのか血をにじませているのである。時々、辻へ来て、はっと上げる眼ざしは、うつつで、底光りがして、飛び出しそうな熱をもって、無心な者はぎょっとする。
 だが、彼の姿を、往来の誰もが、そこらにうろついている物乞い僧と同一視していたのは、むしろ幸いといわなければならない。なぜなら、もし、聖光院の門跡もんぜき範宴少僧都しょうそうずが、そんな身装みなりをして、この朝まだきに町の中を通っているのを見つける者があったら、さなきだに今、彼の行方は社会の問題になっているし、月輪の姫との恋愛沙汰なども、やかましくいわれているところなので、たちまち、
(破戒僧がいた)
(範宴少僧都があるいている)と、興味やいやしみのまなこがあつまってきて、彼の姿を見世物のように人が見に集まってきたかも知れないのである。
 そういう実は危険な往来であったが、範宴その人は、少しも、それにはこころをつかっていない。――ただ、求法ぐほうのもがきだけだった。今の闇を脱する光明をつかみたい。出離生死の大事――それにのみ全能はかかっている。
「ああ」四条の仮橋のらんを見ると、綿のようにつかれた体は、無意識にそれへすがった。夜来の雨で、加茂川は赤くにごっていた。
 濁流の瀬はさかまいて白い飛沫しぶきをあげていた。折角、えかけた河原の若草も、可憐な花も、すべてその底に没している。ちょうど、彼自身の青春のように。
「もし……。あなたは、範宴少僧都ではありませんか」ふいに誰か、彼の肩をうしろから叩く者があった。人の多い京の往来である。ついに、彼の顔を見知っている者に出会ってしまった。


「これは、おめずらしい」と、その人はいった。
 範宴は、橋のらんから振向いて、
「お、あなたは」
「ご記憶ですか、安居院あごい法印聖覚ほういんしょうかくです」
「覚えております」
「意外なところで……」と法印はなつかしそうに眼を細めた。
 磯長しながの聖徳太子のびょうに籠って厳寒の一夜を明かした折に、そこの叡福寺えいふくじに泊っていた一人の法印と出会って、互いに、求法ぐほうの迷悟と蝉脱せんだつの悩みを話しあって別れたのは、もう十年も前のことである。その折の旅の法印が、今も相変らず、一杖一笠いちじょういちりゅうの姿で洒脱しゃだつに眼の前で笑っている。安居院の聖覚なのである。
「しばらくでしたなあ。――いろいろご消息は聞いているが」と、法印は範宴の眉を見つめていった。
「お恥かしい次第です」範宴はさしいて、
磯長しながの太子廟で、あなたに会った年は、私の十九の冬でした。以来十年、私はなにをしてきたか。あの折も、仏学に対する懐疑で真っ暗でした。今も真っ暗なのです。――いやむしろ、あのころのほうがまだ、実社会にも、人生の体験も浅いものであっただけに、苦悶も、暗い感じも、薄かったくらいです。自分ながら時には暗澹として、今も、加茂の濁流を見ていたところなのです。私のような愚鈍は、所詮しょせん、死が最善の解決だなどと思って……」
 そういう淋しげな、そして、蒼白い彼の作り笑顔えがおを見て、法印は礼拝するような敬虔けいけんな面持ちをもって、
「それが範宴どのの尊いところだと私は思う。余人ならば、それまでの苦闘を決してつづけてはいないでしょう。たいがいそれまでの間に、都合のよい妥協だきょうを見つけて安息してしまうものです。あなたが他人ひととちがう点は実にそこにあるのだ」
「そういわれては、穴へも入りたい心地がします。すでに、世評にもお聞き及びでしょうが、私という人間は、実に、矛盾むじゅんだらけな、そして、自分でも持てあます困り者です。その結果、がらにもない求法ぐほう願行がんぎょうと、実質にある自分の弱点が呼んだ社会的な葛藤かっとうとが、ついに、二進にっち三進さっちもゆかない窮地へ自分を追い込んでしまい、今ではまったく、御仏みほとけからは見離され、社会からは完全に葬りかけられている範宴なのです。まったく、自業自得と申すほかはありません」
 夜来一椀いちわんの水も喉へとおしていない彼の声は、からびていて、聞きとれないくらいに低い。しかしその音声おんじょうのうちには烈々と燃ゆる生命の火が感じられ、そして、みずからを笑うがごとく、あざけるがごとく、またなおこのままたおれてしまうことを無念とするような青年らしい覇気と涙がそのおもてをおおっていた。
「お察しする」と、法印はうめくようにいって、同情に満ちた眼で、範宴の痩せてとがった肩に手をのせていった。
「立ちどまっていては、人目につく。歩きながら話しましょう」


 肩を並べて、二人は歩みだした。四条の橋を東へ渡りかけて、
「法印、あなたは、西の方へお渡りのところではありませんか。こう行っては、後へ戻ることになりましょう」範宴が、ためらうと、安居院あごいの聖覚は、首を振って、
「何、かまいません。友が生涯の彼岸ひがんに迷っていることを思えば、一日の道をもどるくらい、何のことでもありません」そういいつつ、歩む足も言葉もつづけて、
「今、あなたの真摯しんしな述懐を聞く途端に、私の頭へ閃めいたものがあります。それは、きっとあなたに何らかの光明を与えると思う」
「は、……何ですか」
「範宴どのは、黒谷の吉水よしみず禅房にわす法然ほうねん上人にお会いになったことがありますか」言下に範宴は答えた。
「かねて、お噂は承っていますが、まだ機縁がなく、えっしたことはございません」
「大きな不幸ですな」と法印はいった。
「ぜひ、一度、あの上人にお会いになってごらんなさい。私がここで、その功力くりきを百言で呶々どどするよりは、一度の御見ぎょけんがすべてを、明らかにするでしょう。私も初めのほどは、ただ奇説を唱える辻の俗僧とぐらいにしか思わないで、訪れを怠っていましたが、一度、法然御房ごぼうの眉を仰いでからというものは、従来の考えが一転して、非常に明るく、心づよく、しかも気楽になりました。なぜもっと早くにこの人に会わなかったのかと機縁の遅かったことを恨みに思ったほどでした。ぜひあなたも行ってごらんなさい」熱心にすすめるのだった。
 黒谷の念仏門で、法然房ほうねんぼうの唱道している新宗教の教義や、またそこにおびただしい僧俗の信徒が吸引されているという噂は、もうよほど以前から範宴も耳にしていることであって、決して、安居院あごいの聖覚の言葉が初耳ではなかった。
 けれど、法印も今告白したとおり、在家往生おうじょうとか、一向念仏とか、易行いぎょうの道とか、聞く原理はいわゆる仏教学徒の学問の塔にこもって高く矜持きょうじしている者から見ると、いかにも、通俗的であり、民衆へおもねる売教僧の看板のように見えて、そこの門を訪ねるということは、なにか、自己の威権にかかわるような気のしていたものである。
 ことに、ただの学徒や究法の行者とちがって、生きるか死ぬかの覚悟で、まっしぐらに大蔵の仏典と人生の深奥に迷い入って、無明むみょう孤独な暗黒を十年の余も心の道場として、今もなお血みどろな模索もさくを続けている範宴にとっては、そういう市塵しじんや人混みの中に、自分の探し求めているものがあろうなどとは絶対に思えなかったのである。吉水の禅房と聞き、黒谷の念仏門と聞き、法然房源空と聞き、幾たびその噂が耳にふれることがあっても、まるで他山の石のような気がしていたのであった。それが今――今朝ばかりは――
「お! 黒谷の上人」何か、胸の扉をたたかれたような気がした。
「ぜひ、行ってご覧なさい」法印は、重ねてすすめた。そして、別れて立ち去った。
「黒谷の上人」範宴はつぶやきつつ、後を見た。もう法印の姿は往来に見えない。頂法寺の塔の水煙すいえんに、朝のがちかと光っていた。
「法然――。そうだ法然御房がいる」九十九日目の明けた朝であったのも不思議といえば不思議である。如意輪観世音にょいりんかんぜおんの指さし給うところか、範宴はすぐ心のうちで、
(行こう!)と決心した。

離山りざん




 どこにし、どこに食を得ていたか、ここ数日の範宴はんえんの所在はわからなかったが、あれから叡山えいざんへは帰っていないことと、洛内らくないにいたことだけは確実である。
 粟田山あわたやまの樹々は、うっすらと日ごとに春色を加えてきた。黒谷の吉水よしみずには、夜さえ明ければ、念仏のこえが聞えやまなかった。信徒の人々の訪れては帰る頻繁な足に、草原でしかなかった野中はいつのまにか繁昌な往来に変っていた。
 その人通りの中に範宴のすがたが見出された。
 勿論、彼を範宴と知る者はなかった。安居院あごいの法印のように、よほど記憶のよい人か、親しい者でなければ、その笠のうちをのぞいても気がつくまい。
(どこの雲水か)と、振りかえる者もない。
 女も老人としよりも、子供も、青年わかものも通る。その階級の多くは元より中流以下の庶民たちであるが、まれには、被衣かずきをした麗人もあり、市女笠いちめがさの娘を連れた武人らしい人もあった。また、吉水禅房よしみずぜんぼうの門前の近くには、待たせてあるくるまだの輿こしだのもすえてあった。
 範宴は、やがて、大勢の俗衆と共に、そこの聴聞ちょうもんの門をくぐってゆく。法筵ほうえんへあがる段廊下の下には、たくさんな草履だの、木履ぼくりだの、草鞋わらじだのが、かたまっている。彼もそこへ穿物はきものを解き、子の手をひいて通る町の女房だの、汗くさい労働者だの、およそ知識程度のひくい人々のあいだに伍して、彼もまた、一箇の俗衆となって聴法の床に坐っていた。
 こうして、範宴がここへ来る願いは、まだ法然上人に会って、心をうち割ってみるとか、自分の大事についてただしてみるとかいうのではなくて、自分もまず一箇の俗衆となって、これだけの民衆をすがらせている専修念仏門の教義を、学問や小智からでなく、凡下ぼんげの心になって、素直に知ってみたいと思うのであった。
 四条のほとりで、安居院あごい法印ほういんからいわれた示唆しさは、今もまだ耳にあって、天来の声ともかたく信じているのであるが、範宴には、いきなり法然の門へ駈けこんで、唐突に上人に会ってみるより、上人の唱える念仏門が何であるか、それを知ってから改めて訪れるべきだと考えられた。また、従来の自分というものを深く反省かえりみてみると、学問に没しすぎてきたため、学的にばかり物を解得げとくしようとし、どんな教義も、自分の学問の小智に得心がゆかなければうけ取ることができない固執をもっていた。理論に偏しすぎて、実は、理論を遊戯していることになったり、真理を目がけて突きすすんでいると思っていたのが、実は、真理の外を駈けているのであったりしてきたように思われていたのであった。――で、このにこそ、まず自分の小智や小学やよけいな知識ぶったものを一切かなぐり捨てて、自分も世間の一凡下いちぼんげでしかないとみずから謙虚な心に返って、この説教の席にまじって、耳をすましているのであった。


 十日ほど、範宴は通った。
 そのあいだに、一般の聴法者のあつまりには、法然上人のすがたは、いちども、説教の座に見られなかった。
「お風邪かぜをひいて、臥せっていらっしゃるのだそうだ」信徒の人々のうわさだった。
 で、教壇には、法然直門じきもんの人々がこもごもにあらわれて、念仏の要義を、極めてわかりやすく、しかも熱心に説くのだった。
 その中には、他宗にあって相当に名のあった学徒たちが、顕密諸教の古いからから出て、この新しい宗祖のもとに集まって来ている者もすくなからずあった。
 西仙房さいせんぼう心寂しんじゃく聖光房しゃっこうぼう弁長べんちょう、また空源くうげんとか、念阿ねんあとか、湛空たんくうなどの人たちは、範宴も以前から知っている顔であった。
 また、鎌倉殿の幕府うちでも、武名の高い坂東武者の熊谷直実くまがいなおざね、名も、蓮生房れんしょうぼうとあらためて、あの人がと思われるような柔和な相をして、円頂黒衣えんちょうこくえのすがたを、信徒のあいだに見せているのも眼についた。
「ここのだんこそは、生きている声がする」
 範宴は、一日来ると、必ず一つ感銘を抱いて帰った。世間そのものの浄土を見て帰った。
「もし! ……」ぞろぞろと禅門から人々の帰って行く折であった。老婆と幼子おさなごとを門前にのこして、範宴の後をついてきた商人あきゅうどの妻らしい女が、
「もしや、範宴さまではございませんか」と後ろから呼んだ。
「どなたです」
「お見わすれでしょう」と女はわらう。範宴は、女の笑顔えがおに、
「おお、こずえどのか」と驚いていった。
 弟の尋有の今の姿が、すぐ梢の変りきった眼の前の姿と心のうちで比べられた。二人の恋も