ここは、
武者溜りの白壁に、二月の陽がほかりと
――頼もう。頼もう。
の訪れだの、
――大祖
だの。また、
――てまえこそは何の
だのといって、例の石垣坂の閉まっている門を無益に叩く者が、
「どなたの
と、ここの番士は、十年一日のごとく同じ言葉で、そういう客を謝辞している。
中には、
「芸道には、貴賤の差も、名人と初心の差も、道においては、ないはずでござろうに」
などと小理窟こねて、憤々として帰る武芸者もあるが、何ぞ知らん、石舟斎はすでに去年、世に亡き人になっていた。
江戸表にある長子の但馬守
心なしか、そう思って、吉野朝以前からというここの古い
「お通さま」
奥の丸の中庭に立って、ひとりの小僧が、今、
「――お通さま。どこにお
すると、一つの屋の障子があいた。室の中に
「持仏堂でございます」
「お。またそれへ」
「御用ですか」
「
「はい」
縁づたいに、また、橋廊下を越えたりして、そこから遠い兵庫の部屋へ訪ねてゆく。――兵庫は縁に腰かけていたが、
「オオ。お通どの、来てくれたか、わしの代りになって、ちょっと挨拶に出てもらいたいが」
「どなたか……お客間に?」
「
「ではいつもの、宝蔵院様でいらっしゃいますか」
奈良の宝蔵院と柳生ノ庄の柳生家とは、地理的な関係からも、遠くないし、槍法と刀法の上からも、因縁が浅くなかった。
故石舟斎と、宝蔵院の初代
石舟斎の壮年時代に、真に悟道の眼をひらかせてくれた恩人は、
――だがその胤栄も、今は故人になって、二代
「兵庫どのが、お見えにならぬが、胤舜が参ったこと、お伝えくだされたかの」
今日しも、書院の客座に、二人の法弟を従えて、先刻から話している者が――その宝蔵院の二世
故人との関係から、よくここへは訪れるのである。それも、忌日や法事などでなく、どうも兵庫をつかまえて、兵法を談じたいのが
(叔父の但馬も及ばず、祖父のわれにも
と、眼の中へ入れても痛くないほど
それを悟ったか、兵庫は、彼の訪れにもここ二、三回、
(風邪ごこちにて)
とか、
(やむなき差しつかえで)
とかいって、避けている。
きょうも胤舜は、なかなか帰る気ぶりもなく、やがて兵庫が、席に見えるのを、何となく期待しているらしい。
木村助九郎は、察して、
「はい、最前、お伝えしておきましたゆえ、お気分さえよろしければ、ご挨拶に見えましょうが……」
と、何とつかず、いい濁していた。
「まだ、お風邪気かな?」
と、胤舜はいう。
「は、どうも……」
「平常、お弱くおられるか」
「御頑健な
「頑健といえば、兵庫どのが、肥後の加藤清正公に見こまれて、高禄にて
「はて。聞き及んでおりませぬが」
「拙僧も、先師胤栄から聞いたのですが、肥後殿へここの大祖がいわるるには、孫
そこへ、お通が出て、
「これは、宝蔵院様でいらっしゃいますか。折悪く、兵庫さまには、江戸城へさし
そう告げて、次の間まで用意して来た菓子、茶などを整え、
「
と、胤舜へ先に――居並ぶ法弟たちの前へもすすめた。
胤舜は、落胆顔して、
「それは残念な。――実はお目にかかってお告げ申したい大事があるのだが」
「何ぞ、てまえで
と、木村助九郎が
「やむを得まい。では
と胤舜は、やっと用談の本筋へはいった。
兵庫の耳へ入れたいというのはこうだ。この柳生ノ庄から一里ほど東――梅の樹の多い月ヶ瀬の辺りは、伊賀上野城の領地と、柳生家の領と、ちょうど境になっているが、その辺は、山崩れやら、縦横の渓流や、部落も
ところが。
伊賀上野城は従来、
その勢いが余ってか、月ヶ瀬の辺りへ近頃たくさんな侍を派し、勝手に小屋を建てたり梅林を伐採したり、勝手に旅人を
「――思うに御当家が
「よいお知らせを賜わりました。早速、取り
と、厚く礼をのべた。
客が帰ると、助九郎は、さっそく兵庫の部屋へ出向いた。兵庫は聞いたが、一笑に附して、
「
と、いった。
だが、国境沙汰となれば、一尺の地でも、問題はゆるがせに出来ない。どうしたものか、他の老臣や四高弟の者にも計って、対策を講じなければなるまい。相手は藤堂という大藩だし、大事を取ってかかる要もある。
そう考えて、翌日を待っていると、その日の朝。
新陰堂の上の道場から、いつものように家中の若者へ一稽古をつけて、助九郎が出て来ると、外に立っていた炭焼山の小僧が、
「おじさん」
と、後から
月ヶ瀬からずっと奥の
「おう、丑之助か。また道場を
彼の持って来る
「きょうは芋は持って来なかったけど、これをお通さんに持って来た」
と、丑之助は、手に提げていた
「
「そんなもんじゃねえよ。生き物だ」
「生き物」
「おらが、月ヶ瀬を通るたんびに
「そうだ。そちはいつも、荒木村からこれへ来るには、月ヶ瀬を越えて参るわけだな」
「ああ、月ヶ瀬よか
「では訊くが……。あの辺に近ごろ、侍が沢山入り込んでおるか」
「そんなでもねえが、いるこたあいるよ」
「何をしているか」
「小屋あ建って、住んで、寝てるよ」
「柵のような物を築いておりはせぬか」
「そんな事あねえな」
「梅の樹など伐り仆したり、往来の者を調べたりしておるか」
「樹を伐ったのは、小屋あ建てたり、
「ふうむ……?」
宝蔵院衆の話とちがうので助九郎は小首をかしげた。
「その侍たちは藤堂藩の人数と聞いたが、然らば何のために、あんな所へ出張って
「おじさん、そりゃあ違うよ」
「どうちがう」
「月ヶ瀬にいる侍たちは、奈良から追われた牢人ばっかしだよ。宇治からも奈良からも、お奉行に
「牢人か」
「そうだよ」
助九郎は、それで解けた。
奈良奉行として、徳川家の大久保長安が着任してから、関ヶ原の乱後まだ仕官もせず職にもつかず、町で始末に困っていた遊民の侍を、各地から追ったことがある。
「おじさん。お通さんはどこにいるね。お通さんに、
「奥だろう。――だが、こら丑之助。御城内を勝手に飛びあるいてはいかんぞ。貴様、百姓の子に似あわず、武芸好きだから、御道場を外から見ることだけは、特別にゆるしておくが」
「じゃあ、呼んで来てくれないかなあ」
「オ……。ちょうどよい。お庭口から
「あっ。お通さんだ」
丑之助は、駈けて行った。
いつもお菓子をくれたり、優しい言葉をかけてくれる人である。それに
その人は振向いて、遠くからにこと笑った。丑之助は駈け寄って、
「鶯を
と、
「え。鶯……」
さぞ欣ぶかと思いのほか、彼女が眉をひそめたまま手を出さないので、丑之助は不平顔をした。
「とても
「嫌いではないけれど、
彼女が、
「じゃあ、放しちまおうか」
「ありがとう」
「放したほうが、お通さんは、
「ええ。おまえが持って来てくれた気持は受けておきますから」
「じゃあ、逃がしちまえ」
丑之助は、晴々といって、
「ごらん。――あんなに欣んで行ったでしょ」
「鶯のことを、
「おや。誰に教えてもらいました?」
「そんなことぐらい、おらだって知ってらい」
「オヤ。ごめん」
「だからきっと、お通さんとこへ、何かいい便りがあるよ」
「まあ! わたしにも春を告げて来るような、よい便りがあるというの。……ほんとに心待ちに待っていることがあるのだけれど」
お通が歩み出していたので、丑之助も歩いた。けれどそこらは本丸の奥の
「お通さん、何処へ、何しに行くつもりだったんだい? もうここはお城の山だぜ」
「余りお部屋にばかりおりますから、気を晴らしに、そこらの
「そんなら、月ヶ瀬へ行けばいいじゃないか。――お城の
「遠いでしょ」
「すぐさ。一里だもの」
「行ってみたい気もするけれど……」
「行こう。――おらが
「牛の背へ」
「うん。おらが曳いて行くで」
ふと、彼女は心がうごいた。
本丸から山づたいに、
「
牛の背に乗ってから、彼女はそう気づいてつぶやいた。知ると知らぬに
「よいお
と、ていねいに挨拶した。
だが、しばらく行くと、城下の家々もまばらになった。――そして後ろに柳生の城が山のすそに白く振り返られた。
「黙って出て来てしまったけれど、陽の明るいうちには帰れますね」
「帰れるとも。おらがまた、送って来るから」
「だって、おまえは、荒木村へ戻るのでしょ」
「一里ぐらい、何度往き来したって……」
話しながら行くうちに、城下端れの塩屋の軒で、塩と
道は、月ヶ瀬の渓流に沿って行くのである。行く程にまた、その道は悪くなるばかりだった。冬を越えた
「
「ああ」
「荒木村からは、柳生へ出るよりも、上野の御城下へ出たほうが、何をするにも、近いんでしょ」
「けれど、上野には、柳生様みたいな剣法のお屋敷がないものなあ」
「剣法が好きかえ」
「うん」
「お百姓には、剣法はいらないじゃないか」
「今は百姓だけど、以前は百姓じゃねえもの」
「お侍」
「そうだよ」
「おまえも、お侍になる気?」
「アア」
丑之助は、牛の手綱を
岩から岩へ
すると、後から歩いていた牢人ていの男が、先へ橋を渡って行った。橋の途中からも、向うへ渡ってからも、お通のすがたを、何度も不遠慮に
「誰だろ?」
お通は、牛の背で、ちょっと不気味な気もちに襲われてつぶやいた。丑之助はわらって、
「あんな者恐いのか」
「恐かないけれど……」
「奈良から追われた牢人だよ。この先へ行くと、
「大勢?」
お通は、帰ろうかと惑った。
だが、丑之助の引く手綱は、無心に先へ先へ歩いている。そして、
「お通さん、後生だから、おらを木村様に頼んで、お城の
などといった。
丑之助の日頃の望みは、それにあるらしかった。祖先の名は菊村といい、親代々、
お通は、この少年の夢を聞くにつけ、城太郎はどうしたろうと、弟のように、別れた彼の身が考え出された。
(もう、十九か
城太郎の年をかぞえると、ふと彼女は堪らない淋しさに駆られた。自分の年を思い出したからである。月ヶ瀬の
「もう帰りましょう。丑之助さん。元の道へ、返っておくれ」
丑之助は、
さっきの牢人と、
「おじさん達。呼び止めて、何か用があるのかい」
丑之助はいったが、丑之助へは振り向く者もない。三人が三人とも、
「なるほど」
と、
そのうちに、一人がまた、
「ウーム、美人だ」
と、不遠慮にいって、
「――おい」
と、仲間を顧みた。
「おれはこの女を、どこかで見た覚えがあるぜ。多分、京都だと思うが」
「京都にはちがいあるまい。見るからに山里の女とはちがう」
「町でちらと見ただけか、吉岡先生の道場で見たのか、覚えはないが、
「おぬし、吉岡道場などに、いたことがあるのか」
「いたとも、関ヶ原の乱後、三年ほどはあそこの飯を喰っていたものだ」
――何の用事か分らない。人を止めておいて、こんな雑談をし――そしてはじろじろとお通の体から顔を、さもしい眼で撫で上げている。
丑之助は、腹を立てて、
「おい。山のおじさん。用があるなら早くいってくんな。
ぎょろりと、牢人の一人が、初めて丑之助を見、
「われやあ、荒木村から出て来る、炭焼山の小僧じゃねえか」
「そんなことが、用なのかい」
「だまれ。用事は、
「いわれなくても、帰るさ。
牛の手綱を曳きかけると、
「よこせ」
と、一人がその手綱をつかみ、そして恐い眼を丑之助へして見せた。
丑之助は、離さず、
「どうするのさ」
「用のある人を借りて行くのだ」
「どこへ」
「何処だろうが、黙って、手綱をよこせ」
「いけねえ!」
「いけないと」
「そうさ」
「こいつ、恐いということを知らねえのか。何か、つべこべいうぞ」
すると、他の二人も、
「何だと」
「どうしたと」
丑之助の
お通は、
「――あれッ」
と、それに対して、制止しかけたが、丑之助はかえって彼女のそれに感情の
お通は、丑之助が気でも
だが、自分よりずっと
かんの働きといおうか、少年の無鉄砲といおうか、理や法を持った大人がそれに出し抜かれた形であった。
うしろへ無法に振った刀は、うしろに立っていた牢人の胴へ強くぶつかった。――お通も何か
しかも、仆れたその牢人の体から噴いた血が、牛の角から顔へ、霧のように走ったのである。
「うぬ」
「餓鬼っ」
二人の牢人は丑之助を追うのに急だった。丑之助は、渓流へ跳び下り、岩から岩へ逃げ移って、
「おらは、悪くねえぞ」
と、いった。
大人の飛躍は、到底、彼の比でなかった。
愚を悟って、
「小僧は後にしろ」
と、二人は急に、お通を乗せて行った牛の後を追い出した。
それと見ると、丑之助はまた、その後からどんどん駈けて、
「逃げるのかっ」
と、二つの背へ、声を投げた。
「何ッ」
口惜しげに、一つの顔が止まって振向いたが、
「小僧は後にしろ」
と、連れがまた、同じ言葉を繰返して、ひたむきに先へ跳んで行く
彼女が先に手綱を引かれて来た時の道とちがって、牛は、闇夜を眼をつぶって駈けるように、
「――待てっ」
「待てえっ」
彼らは、牛より
奔牛は、
「…………」
お通は、眼をふさいだきりだった。もし牛の背に、炭俵や薪を付ける荷鞍がなかったら、振り落されていたに違いない。
「おお、誰か」
「牛が狂うて行く」
「助けてやれ。
もう人通りのある街道を駈けているものとみえ、うつつな彼女の耳に、すれちがう往来の者の声は聞えるが、
「あれよ」
と、いうのみな、そうした人々の騒ぎも、忽ち、後へ後へと、流れ去ってしまうのだった。
もう
――生ける心地もないお通であった。止まる所を知らない奔牛の勢いであった。
どうなることか?
と、往来の者も、後振り向いて、お通の代りに声を揚げ合っていたが、その時、彼方の辻から、胸に
「――あぶないっ」
と、誰か注意したが、その下郎はなお真っ直に歩いていた。当然盲目的に進んで来た奔牛の鼻づらと、下郎の体とは、恐ろしい勢いで
「ア。牛の
「あほう!」
同情の余り、見ていた者は、かえってその下郎のぼんやりを
だが、奔牛の角に掛けられたと思ったのは、路傍の人たちの
よほどな強打であったとみえ、牛は太い
――けれど今度は、十尺とも進まぬうちに、奔牛の足は、ぴたと止まってしまった。そして口から
「お女中。はやく降りたがよい……」
下郎は、牛の後ろからいった。
この驚くべき働きに驚いた往来の者たちは、すぐわらわらと集まって来た。そして皆、下郎の足元に眼をみはった。――その片足が奔牛の手綱を踏んでいたからであった。
「……?」
「えらい力じゃな」
と単純に舌を巻いていた。
お通は、牛の背から降りて、下郎の前に、頭を下げていたが、まだわれに
「こんな素直な牛が、どうして暴れたものか」
下郎はすぐ牛の手綱を取って道ばたの木へ
「おう、尻に大怪我をしておるわ。刀で撲ったような大傷。……道理で、これでは」
牛の尻を眺めて、彼がそう
「や。そちはいつも、
と、そこへ立った侍がある。
急いで駈けつけて来たものとみえ、その言葉も
宝蔵院の草履取は、
「よい所でお目にかかりました」
と、胸に掛けていた
「わしへか」
助九郎は、念を押して、手紙を
月ヶ瀬にいる侍どものことについて、昨日申し上げた儀は、その後よく取糺 してみると、藤堂家の侍ではなく、浮浪の徒が冬籠りしていたものらしい。どうか拙僧の前言は誤聞として、取消していただきたい。念のために、取りあえず右まで。
といったような文意であった。助九郎は、
「ご苦労。書面の趣は、当方でも取調べたところ誤聞と相分って安心しておる程に、お案じないように――と、告げてくれい」
「では、道ばたで失礼でございましたが、てまえはこれで」
別れかけると、
「あ。待て待て」
助九郎は呼び止めて、やや言葉を改めていった。
「おぬし、いつ頃から、宝蔵院の下郎に住みこんだか」
「つい近頃の、新参でございます」
「名は」
「
「はてな?」
じっと見すえて――
「将軍家御師範の小野治郎右衛門先生の高弟、浜田
「えっ」
「それがしは、初めての
「……は」
「お人ちがいか」
「……実は」
浜田寅之助は、真っ赤な顔してさし
「ちと……念願の筋がござりまして、宝蔵院の下郎に住み込みましたなれど、師家の面目、また、自分の恥。……どうか御内分に」
「いや何、さらさら御事情を伺おうなどとは存じも依らぬこと。……ただ日頃、もしやと思っていたので」
「
「佐々木小次郎とやらのために、小野先生が敗れたということは、その小次郎が
「いずれ。……いずれまた」
心から赤面に堪えぬように、草履取の寅蔵は、そういうと、
「まだ帰らぬか」
柳生
お通が、丑之助の牛に乗って何処かへ行ったまま、だいぶ時間が経ってからの騒ぎなのである――。
そのお通が、城内に見えないと気がついたきっかけも、江戸表から一通の飛脚状が兵庫の手に届いて、兵庫がそれをお通に見せようと姿を探し出したことからであった。
「月ヶ瀬の方へは、誰と誰が見に行ったか」
兵庫の問いに、
「大丈夫です。七、八名駈けって行きましたから」
と、側にいる家来たちが、
「助九郎は」
「御城下へ出ております」
「探しにか」
「はい。
「どうしたろう?」
少し
彼は、お通に対して、
彼女の胸には、武蔵という者が住んでいる。しかも兵庫は、彼女がすきだった。江戸の
(かほどな女性に想われている男は、男の幸福の一つを持った者だ)
と、武蔵を
だが、兵庫は、他人の幸福を
まだ相見たことはないが、お通が選んだ男性というだけでも、兵庫は、武蔵の人物を、想像できる気がした。――そして
ところで。
きょう彼の手に届いた飛脚状は、江戸表の沢庵から出た手紙で、日付は去年の十月末に出ているが、どうして遅れたのか、年を越えて、今日のたった今、彼の手に届いたばかりなのだった。
それを見ると、
武蔵事、叔父御の但馬どの、矢来の北条どのなどの推挙により、愈、将軍家御師範座の一人に御登用と相極まり候て……云々。
の辞句が見える。それのみか、武蔵も就任すれば、さっそく屋敷を持ち、身の
(どんなに欣ぶか!)
と、兵庫が、わが事のように、その手紙を持って彼女の部屋へ訪れたところが、お通の姿が、何処にも見えなかったという次第なのであった。
そのお通は、ほどなく助九郎に伴われて、帰って来た。
また、月ヶ瀬の方へ行った侍たちは、丑之助と出会い、これも丑之助を連れて、やがて戻って来た。
丑之助は、自分が罪でも犯したように、
「堪忍してくんなされ。済まねえことをしたで」
と、一人一人へ、謝ってばかりいる。
そして直ぐにまた、
「おっ
と、いい出したが、
「ばかを申せ。今から帰ったらまた途中で、月ヶ瀬の牢人どもに捕えられ、
と、助九郎にも叱られ、侍たちにも、
「今夜は、御城内に泊めてやるから、明日帰れ、明日帰れ」
と、いわれて、小者と共に、
一室では、柳生兵庫が、江戸表からの便りをお通に示して、
「どう召さるか」
と、彼女の胸を問うている。
やがて四月の頃ともなれば、叔父の
そう訊ねるのだった。
沢庵の便りと聞くからにその墨の香さえ彼女にはなつかしい。
ましてや、その消息によれば、武蔵は近く幕府に仕え、一戸を江戸に構えることになろうとある。
巡り会えぬ幾年よりも、そう便りの知れたからには、一日も千秋の思いである。どうして、四月まで待てよう。
彼女は、飛びたつような心地を、頬の色にも秘め切れず、
「……明日にも」
と、
兵庫も、また、
「さもあろう」
と、
自分も、永くはここに留まっていない。年来、招かれている尾張の徳川義直公の
――だがそれも、帰国の叔父を待って、祖父の本葬をした上でなければ去り難い。なるべく途中まででも送ってやりたいが、そういう訳だから、
去年の十月末に出した江戸の便りが、年を越えて今頃やっと着くほど、道中の
こう兵庫が、念を押すと、
「……はい」
お通は、彼の親身も及ばない好意を、
「旅には、馴れておりますし、世間の辛さにも、少しは覚えがございまする。その辺のことは、どうぞお案じ下さいませぬよう」
さらば――と、その夜は彼女の身支度と、
きょうも、
助九郎やら誰やら、
「そうだ……」
と、つぶやいて、助九郎はお通のすがたを見ると共に、側の者へいった。
「せめて宇治あたりまで、牛の背で送って進ぜよう。ちょうど、ゆうべは丑之助も、御城内の
と、直ぐ呼びにやった。
「それはよい所へ思いつかれた」
と人々もいって、別れの
だが、やがて戻って来た侍のことばには、
「丑之助は、見当りません。小者に訊くと、ゆうべのうち、あの闇夜を、月ヶ瀬を越えて荒木村へ帰ったということでございます」
「……えっ。ゆうべのうち帰ってしまったと」
助九郎は、呆れた声を放った。
きのうの事情を聞いた者は、誰もみな、丑之助の剛胆さに、驚かない者はなかった。
「では、駒を曳け」
助九郎のいいつけに、小侍の一人はすぐ
「いいえ、女の身で、お鞍などいただいては、勿体ない」
と、お通は辞退したが、兵庫も
「では、おことばに甘えて」
と、小侍の曳いてきた一頭の月毛のうえに身を預けた。
駒は、お通を乗せて、中門から大手のゆるい坂を降り始めた。もちろん、
お通は、駒の背から、人々の姿を振向いて、礼を返した。その顔に、崖から伸びている梅の横枝が
「……おさらば」
と、声には出さなかったが、兵庫の眼はいっていた。坂の途中で散った梅のにおいが、その辺りまで微かにうごいて来た。兵庫はたまらない寂しさと――同時にその苦しい気持とは反対な彼女の幸とを祈っていた。
――見ているうちに、彼女のすがたは、城下の道へ小さくなって行った。兵庫はいつまでも立っていたので、彼のみをそこに置いて、辺りの者はみな去ってしまった。
(武蔵とやらは
寂しい胸の裡で、われとも非ず
「――兵庫様」
「オ……。
「はい」
「ゆうべ、帰ったのか」
「おっ
「月ヶ瀬を通って?」
「はあ。あそこを越えずにゃ村へ行かれねえで」
「恐くなかったか」
「なんにも……」
「今朝は」
「けさも」
「牢人どもに見つからずに来たか」
「おかしいのだよ、兵庫様。
「ははは、そうか。……して、
「おらかい」
と、丑之助はやや
「きのう木村様が、おらっちの山の
と、いった。
「そうか――」
兵庫は初めて、寂しさを顔から払った。お通を失った瞬間の
「ではきょうは、
「兵庫様も好きなら、またいくらでも掘って来るが」
「はははは。そう気遣うには及ばん」
「きょうは、お通様は」
「今し方、江戸へ立った」
「え。江戸へ。……じゃあ、きのう頼んでおいたこと、兵庫様にも木村様にも、話しておいてくれなかったかなあ」
「何を頼んだのか」
「お城の
「仲間奉公をするには、まだ小さい。大きくなったら召使ってやる。どうして奉公したいのか」
「剣道が習いたいんだ」
「ふム……」
「教えて下さい。教えて下さい。おっ母が生きているうちに、上手になって見せなければ……」
「習いたいというが、そちはもう誰かに
「木を相手にしたり、獣を撲ってみたり、独りで木刀を
「それでいい」
「でも」
「そのうちに、尋ねて来い。わしのいる所へ」
「いる所って何処」
「多分、名古屋に住むことになるだろう」
「名古屋。尾張の名古屋か。おっ母が生きているうちは、そんな遠くへは行けない」
おっ母、ということばを洩らすたびに、丑之助の眼には涙が見える。
兵庫も、何がなし、ひしと胸にこたえ、率然と、いった。
「来い」
「……?」
「道場へ通れ。兵法家として一人前になれる
「えっ?」
丑之助は、夢かと、疑うような顔をした。このお城にある道場の古い大屋根は、彼の幼いたましいが、生涯の
――そこへ通れ、という。しかも柳生家の門下でも家臣でもない一族の人から。
丑之助は、
「足を洗え」
「はい」
雨水の溜めてある池で、丑之助は足を洗った。爪についている土まで気をつけてこすり落した。――そして生れて初めて踏む、道場というものの床に立った。
床は鏡のようだった。自分の姿が映るかと思われる。――四面の
「木剣を持て」
兵庫の声までが、ここにはいると違うような気がした。正面脇の
兵庫も取る。
兵庫はそれを、垂直に下げて、床の真ん中へ出た。
「……よいか」
丑之助は、持った木剣を、腕と平行に上げて、
「はいっ」
と、いった。
兵庫は木剣を上げなかった。右の片手に提げたまま、少し体を斜めに開いたのみである。
「…………」
それに対し、丑之助は木剣を中段に向け、体じゅうを、針鼠のように
(何を!)
ときかない顔に、眉をあげ、少年の血を
――行くぞ!
と声ではない、瞳でくわっと、兵庫が気を示すと、丑之助はぎゅっと肩を
「うむっ」
と、
とたんに、兵庫の足が、だだだッと床を鳴らして、丑之助を追いつめ、片手の木剣は、丑之助の腰のあたりを、
「まだッ」
丑之助は、呶鳴った。
そして、彼の足からも、後ろの羽目板でも蹴ったような響きを発し、どんと、兵庫の肩を跳び越えた。
兵庫は、身を沈めながら、左の手で、その足を軽く
カラカラ――と、手から離れた木剣が、氷の上を
「もうよい!」
兵庫が、
「まだッ」
と、いった。
そして持ち直した木剣を振りかぶって、今度は
「…………」
くやし涙を眼に溜めているのである。兵庫はじっとその様子をながめ、心のうちで、
(これは、武魂がある)
と、見込んだ。
だが、わざと眼を怒らせて、
「
「はいっ」
「
「? ……」
「土民の分際で、
丑之助は、坐った。
そして、何か
「手討ちにする。
「あっ。おらを」
「首を伸べろ」
「……?」
「兵法者が、第一に重んじるのは礼儀作法である。土百姓の
「……じゃあ、おらを、無礼討ちにし召さるというのけい」
「そうだ」
丑之助は、兵庫の顔を、しばらく見つめていたが、観念の
「……おっ母。おらあお城の土になるそうな。後で嘆かっしゃることだろうが、不孝者を持ったと思って、堪忍してくんなされ」
と、兵庫へつく手を、荒木村の方へついて、さて、静かに、斬られる首をさし伸べた。
兵庫はニコと
「よし。よし」
といって
「今のはわしの戯れだ。なんでそちのような
「え。今のは、
「もう、安心するがいい」
「礼儀を重んじなければいけないといったくせに、その兵法者が、今みたいな
「怒るな。おまえが、剣で立つほどな人間になれるかなれないか、試すためにいたしたのだから」
「だって、おら、ほんとだと思った」
丑之助は初めてほっと息をついていった。同時に、腹が立ったらしいのである。無理もないと、兵庫も思い、
「そちは
「でも……おいらは誰にも習ったことはないもの」
「嘘だ」
兵庫は信じない。
「いくら隠しても、誰か、そちには良い師匠があったに違いない。なぜ、師の名を申せぬのか」
問い詰められて、丑之助はだまり込んでしまった。
「よく考えてみい。誰かに、手ほどきをしてもらった者があるだろう」
――すると、率然と、丑之助は顔を上げた。
「アア。あるある。そういわれれば、おらにも、教えてくれたものがあったっけ」
「誰だ」
「人間じゃないんだ」
「人でなければ、
「
「何」
「麻の実さ。あの鳥の餌にもやるだろ。あの麻の
「ふしぎなことを申す奴。麻の実がどうしてそちの師か」
「おらの村にゃいねえが、少し奥へ行くと、伊賀衆だの、甲賀衆だのっていう、
「ふウむ? ……麻の
「あ、春先、麻の胚子を
「それをどうするのか」
「跳ぶのさ――毎日毎日、麻の芽を跳ぶのが修行だよ。あたたかくなって、伸び出すと、麻ほど伸びの早いものはないだろ。それを朝に跳び、晩に跳びしてると――麻も一尺、二尺、三尺、四尺とぐんぐん伸びて行くから、怠けていたら、人間の勉強の方が負けて、しまいには跳び越えられないほど高くなってしまう……」
「ほ! 貴様は、それをやったのか」
「アア。おらあ、春から秋まで、去年もやったし、おととしも……」
「道理で」
兵庫が、膝を打って感じ入っていた時である。道場の外から木村助九郎が、
「兵庫様。また江戸表から、このような書状がとどきましたが……」
と、いいながら、手にそれを持ってはいって来た。
書面は、やはり沢庵からで、
前便の件
と、書き出してある通り、先に出した手紙の追いかけの第二便だった。
「助九郎」
「はっ」
「まだお通は、いくらも道は
読み終ると、兵庫は何か、気の
「さ……。駒に乗っても、
「では、すぐ追い着こう。ちょっと行って参る」
「あ。……何ぞにわかな御用でも」
「されば、この書面に依れば、将軍家でお召抱えの件は、何か、武蔵どのの身状に御不審とやらで取止めになったとある」
「え。お取止めに」
「――とも知らずに、江戸の空へ、あのように欣んで立って行ったお通へ、聞かしとうもないが、聞かせずにも
「では、手前が追いかけて参りましょう。その御書面を拝借して」
「いや、わしが行く、……丑之助、急に用事ができたから、また参れよ」
「はい」
「時が来るまで、志を磨いておれ。よく母親に孝養をつくして」
兵庫の身はもう外に在る。
だが――
彼はその途中で、ふと考え直した。
武蔵が、将軍家師範に成る成らないなどということは、彼女の恋にとっては何らの問題でもない。
彼女はただ、ひたむきに、武蔵と巡り会いたいのである――
ああして、四
書面を示して、
(一度、戻っては)
とすすめた所で、
「……待てよ」
兵庫は、駒を止めた。柳生城から小一里も来てからであった。もう一里も駈ければ、或は、追いつきもしよう。――だが彼は、その無益を悟った。
(武蔵と会って、二人が会った欣びのうちに語りあえば、こんなことは、
彼は、のどかに駒を柳生のほうへ引っ返した。
いや、路傍に芽ぐみ出した春の色はうららかだし、彼の姿ものどかには見えたが――彼のみが知る胸にはまた、
(もう一目でも)
その未練があるからこそ、彼自身、駒をとばしてお通のあとを追ったのではなかったか。
そう問う者があれば、
(否――)
と兵庫は潔く顔を横にふることはできなかったに違いない。
さあれ兵庫の胸は、彼女の多幸を祈る気もちでいっぱいなのだ。武士にも未練はあり、また、愚痴がある。――だがそれは、武士道的に
お通が、柳生を去ってから、はや二十日の余も過ぎた。
去る者は、日々にうとく、
「だいぶ、人出だな」
「されば、今日あたりは、奈良にも稀れな
「遊山半分か」
「ま。左様なもので」
柳生兵庫と、木村助九郎とであった。
兵庫は編笠をかぶり、助九郎は法師頭巾に似た物を顔に巻いている。元より
遊山半分か――といったのは、自分たちのことをさしたのか、道行く人々のことをいったのか、どっちにも聞えるが、二人の顔にはかるい苦笑がながれ去った。
お供は荒木村の
この主従も、往来の人々も、いい合せたように皆、やがて町中のひろい野原に流れこんだ。野のそばに興福寺の
また、野から彼方の
「もう済んだのかな?」
「いや、食休みでございましょう」
「なるほど、法師
兵庫がいったので、助九郎はおかしくなって笑い出した。
人はおよそ四、五百名もこの野に集まっていたが、野が広いので、まばらにしか見えない。
ちょうど、
だが、ここは春日野ではなく、
興行といっても、都会をのぞいたほかは、小屋掛などすることは稀れにもない。めずらしい幻術師が来ても、
きょうの催しは、そういうただの人寄せではなく、もっと真面目なものだった。宝蔵院の槍法師たちが集まって、年に一度、公開してみせる試合日なのだ。この試合に依って、平常の宝蔵院の
けれど今は、からんとして、野づらの空気は、至って
ただ、野の一方に三、四ヵ所張ってある幕のあたりで、法衣
「助九郎」
「は」
「わしらも、何処かへ坐って、弁当でも解こうか。……だいぶ間がありそうだ」
「お待ちください」
助九郎は、手頃な場所を見まわしていた。
――すると、丑之助が、
「兵庫様、これへお坐りなさいまし」
と、何処からか、早速に一枚のむしろを持って来て、程よい所へ敷いた。
(
何かにつけ、兵庫は彼の機敏なことに感心したが――また、その気の
主従三人は、むしろの上に坐って、竹の皮をひらいた。
梅漬と味噌が添えてある。
「
兵庫は、青空を喰うように、野天の弁当を楽しんだ。
「丑之助」
と、助九郎がいう。
「へい」
「兵庫様に、
「じゃ、貰って来て上げようか。あそこの法師衆がいる溜りへ行って」
「ム。もらって来い……だが、宝蔵院衆へ、柳生家の者が来ているということは、黙っておれよ」
兵庫も、側から注意した。
「うるさいからなあ。挨拶にでもやって来られると」
「はい」
丑之助は、むしろの端から起ちかけた。――すると。
先刻から、彼方で、
「オヤ?」
と、野の芝地を見まわして、
「
と、探している二人の旅の者があった。兵庫たちのいる所から、十間ほど離れた場所で、そこらには牢人者だの、女だの、町の者などが、まばらにいたが、旅の者が
「伊織。もういい」
探しあぐねて、一人がいった。
がっちりと、丸こい顔と固い筋肉をして、四尺二寸の
伊織の連れとあれば、これはいうまでもなく、
「もうお止し。探さないでもいい」
重ねて、権之助はいったが、伊織はなお諦めきれぬ顔して、
「
「まあいいよ。たかが
「莚一枚でも、だまって持って行った心根が憎いもの」
「…………」
権之助はもう忘れて、草の上に坐りこみ、矢立を出して、昼前の旅の
彼が、旅の間にも、こういうことを克明に
――だからまた、人にも、違ったことは、許さない潔癖がある。この潔癖は、武蔵の手を離れて、人中へ出るほど育てられて来た。――で、一枚の
「ア。――あいつらだな」
伊織は、遂に見つけた。
権之助が旅に持ち歩いている
「もし。――おいっ」
伊織は、そこへ駈けて行った。だが、十歩ほど手前で先ず立ち止まって、抗議の文句をまず考えていると、折ふし、湯を貰いに
「なんだい」
と、彼に答えた。
伊織は、明けて十四。丑之助は取って十三だった。しかし丑之助の方が、ずっと年かさに見えた。
「何だいとは、何だい」
伊織は丑之助の不作法を
「そういったのが悪いか。
「ひとの物を、黙って持って行けば、
「盗人。――こいつめ、おらを盗人だといったな」
「そうさ。おらの連れの人が、あそこへ置いた
「あの莚か。あの莚は、そこに落ちていたから持って来たんだ。なんだ莚の一枚ぐらい――」
「一枚の莚でも、旅人の身にとれば、雨をしのいだり、夜の
「返してもいいが、いい方が
「自分の物を取返すのに、謝るばかがあるものか。返さなければ腕にかけても取るぞ」
「取ってみろ。荒木村の丑之助だぞ。
「生意気いうな――」
と、伊織も負けていない。小さい肩を
「こう見えても、わしだって兵法者の弟子だぞ」
「よし、後で
「何を。その口を忘れるな」
「きっと来るか」
「何処へさ」
「興福寺の塔の下まで来い。助太刀など連れずに来い」
「いいとも」
「おれが手を挙げたら、来るんだぞ。いいか覚えてろ」
口喧嘩だけで、一時は別れた。丑之助はそのまま、湯を貰いに行ったのである。
何処からか彼が
輪のうしろを、土瓶を提げた丑之助が通った。権之助と並んで見ていた伊織は、振向いて、丑之助のほうを見た。丑之助は、眼で
(後で来い!)
伊織も眼で答えた。
(行くとも。覚えてろ)
勝つか負けるか。
勝つ位置へ自己を躍り上げる。
試合はそれだ。
いや時代がそれなのだ。
少年の胸にもそれが反映している。時代の中に育てられた彼らである。たとえ生れ出ても、生れながらの虚弱では一人前に成って行けないように、十三、十四の頃からして既に、
だが伊織にも、丑之助にも、大人の連れがあるので、しばらくは、その人達の腰について、野試合のさまを見物していた。
モチ竿のような長い槍を立てて、原の真ん中に
その法師にむかって、幾人も幾人も、槍を合せに出たが、みんな
「
法師は、後の者を、
が、容易に出ない。
この際は、出ないことを賢明としているように、東の
「――つづく者がなくば、野僧は
いい
十輪院の南光坊は、宝蔵院の流れを先の初代胤栄から
怖れてか、争いを避けてか、胤舜は、きょうは姿を見せていない。病気ということが理由になっていた。南光坊は存分に、宝蔵院の現門下を
「では、わしは
すると、
「待った」
ぱっと、一僧が、槍を
「胤舜の門下、
「お」
「お相手に」
「ござれ!」
二人の
(終りか)
と、失望していた見物は、歓呼をあげて狂った。
だが、群衆はすぐ、
風に打たれた
――後はまた、誇りに誇った南光坊が、いよいよ肩を
「
その時である。
溜の幕の陰に、
「試合は、院中のお弟子方に限りましょうか」
と訊ねた。
宝蔵院の者は、口を揃えて、然らず――と答えた。
東大寺前と、猿沢の池の
(われこそ)
などと自分から人前に恥をさらし、揚句に片輪者にされて
山伏は、列座の法師
「然らば、やつがれが一つその馬鹿者となってみとうござるが、木太刀を御拝借願われましょうか」
と、いった。
人の輪に
「助九郎。おもしろくなったな」
と、顧みた。
「山伏が出て来たようで」
「されば。もう勝敗は見えたも同じだの」
「南光坊が
「いや、多分、南光坊は試合うまいよ。試合えば、彼も至らぬ奴じゃ」
「はて? ……左様でございましょうか」
助九郎には、
南光坊の人物は、よく知っている兵庫の言ではあるが、なぜ、今出てきた山伏と試合えば、至らぬ人間だろうか。
不審に思っていたが、ほどなく助九郎にも意味が分った。
その時、彼方では――
山伏の男が、借り受けた木剣を手にひっ提げ、南光坊の前へ進んで行って、
(いざ)
と、挑んでいた。その
大峰の者か、
「お願いいたしましょうか」
山伏の言語は穏やかである。
「
と、南光坊は、
「は。飛入りではござるが」
と、会釈すると
「待たっしゃれ」
南光坊は、槍を立ててしまった。これはいけないと悟ったらしいのだ。
「
と、南光坊は、首を振った。
「いや、今あちらで、
と、山伏は、自分の出場が不当でない点を、穏やかにいって、なおも
「人は人、拙僧は拙僧。――拙僧が槍は、いたずらに、諸人に勝たんためではおざらぬ。槍の中に
「……ははあ?」
山伏は苦笑した。
何かまだ物いいたげであったが、人中でいうことを好まないふうで、然らばぜひもないことと、
それを
「どうだ、助九郎」
「御明察の通りでしたな」
「その筈だ」
と、兵庫はいった。
「あの山伏は、おそらく
群衆は思い思いに、散らかりかけていた。――試合が終りを告げたからであろう。――助九郎は
「おや、何処へ行ったか?」
と、つぶやいた。
「何だ、助九郎」
「丑之助の姿が見当りませんので――」
約束だ。ふたりだけで出合う約束だ。
連れの大人たちが皆、野試合に気をとられている隙に、丑之助から、
(来い!)
と、眼合図をすると、一方の伊織は、連れの権之助にも黙って、人ごみから抜け出した。
同時に、丑之助もまた、兵庫や助九郎に悟られぬように、そこから駈け出して、興福寺の塔の下まで行った。
「やい」
「なんだ」
高い五重の塔の下に、小さい二人の兵法者が、睨み合った。
「
伊織がいうと、丑之助は、
「
と棒を拾った。
刀を持たないからである。
伊織は、持っていた。その刀を抜くや否、伊織は、
「こいつめ!」
斬ってかかった。
丑之助は跳び
丑之助はその途端に、伊織を麻の
「わっ」
伊織は、片手で耳を抑えた。転んだ勢いはすぐ起きた勢いだった。
立ち直ると、刀を振りかぶった。丑之助も棒を振りかぶっていた。伊織は武蔵の教えも、平常、権之助から学んだことも忘れてしまった。こっちから打って行かなければ、彼から打たれると思った。
眼。眼。眼――とあれほど武蔵からやかましくいわれたことなどはもう念頭にもなく、その眼をつぶって、盲目的に、刀と共に相手へぶつかって行ったのである。待ち構えていた丑之助は、身を避けて、ふたたび
「ウウム……」
伊織は、もう
「勝ったぞ。おらが」
丑之助は、誇っていったが、伊織が動かなくなったので、急に、恐いものに襲われたように、山門の方へ駈け出した。
「――こらっ!」
四方の木立が
「痛っ」
丑之助は、横に転んだ。
すぐ杖の後から駈けて来た人間がある。いうまでもなく、伊織を探しに来た夢想権之助である。
「待て」
声が近づくと、丑之助は、痛む腰を忘れて、
「丑之助ではないか」
「……あっ?」
「どうした」
木村助九郎であった。丑之助はあわてて、助九郎の後ろへかくれた。――で当然、彼を追って来た権之助と助九郎とは、何の予告もなく、いきなり眼と眼をまず激突させて、とたんに
眼と。そして、眼と。
そう二人のあいだに、
助九郎の手は刀へ。権之助の手は杖へ。双方とも、ぴたと。しかし――
しかしそれが事なく、次のような会話へ移って、この場の真相を知りあうことができたというのは、相手の人間を観てとる鋭い直観力を、幸いにも二人が持ち合せていたためだったといえよう。
「旅の者。――仔細は知らぬが、何でこのような
「異なお訊ね。その前にあれなる――塔の下に仆れている連れの者を
「あの少年は、そちの連れの者か」
「されば――」
と、権之助はいってすぐ、言葉を
「その
「召使ではないが、拙者の主人が目をかけておる丑之助という者。……これ丑之助。何であの旅の人の連れ衆を打ちすえたか」
背中へ廻ってさっきから黙って
「正直に申せ」
と、助九郎が詰問すると、その丑之助が口をあかぬうちに、塔の下に仆れていた伊織が首をもたげて、彼方から、
「試合だよっ。試合だよ!」
と、さけんだ。
伊織は痛そうな体を、その言葉とともに起して歩いて来ながら、
「試合して、おらが負けたんだから、その子が悪いんじゃない、おらが弱いんだ」
と、いった。
助九郎は、伊織が負けたことを
「おお。では約束のうえで尋常に打ち合ったのか」
微笑の眼をほそめ、一方の丑之助を顧みると、丑之助も今となってはやや
「おいらが、あの衆のむしろを、あの衆のもんと知らねえで、黙って持って来たから悪かっただ」
と、
打たれた伊織ももう元気に
「いや、失礼いたした」
「お互いです。手前こそご無礼を」
「では、主人も
「おさらば」
笑い合って、山門を出た。助九郎は丑之助を伴い、権之助は伊織を連れて。
興福寺の門前から、右と左に別れかけたが、権之助はふと戻って、
「あ。ちょっとお訊ねします。柳生ノ庄へは、どう参りましょうか。この道を真っ直でよいでしょうか」
助九郎は、振向いて、
「柳生の何処へ行かれるか」
「柳生城をおたずね
「えっ、お城へ?」
と、止めた足をまた、助九郎は、権之助のほうへ戻して来た。
こうしたことから、計らずもお互いの身分と、身の上が知れた。
べつな所で、助九郎、丑之助のふたりを待ちつつ
「さてさて、惜しいことを!」
と、嘆息した。
そして
「せめて、もう二十日も早く来たら」
と、何度となくいう。
助九郎も、頻りと、
「惜しい、惜しい」
を繰返して、今は何処やら知れぬ人の
もういうまでもないが、夢想権之助が伊織を連れてこれへ来たのは、柳生城にいると聞いたお通を訪ねて来たのである。
そのお通には自分の用向きではなく――先頃、北条安房守の宅で計らずも、伊織の姉なるものが話題にのぼり、それこそ実にお通という女性であると――同席の沢庵に教えられてから、思い立って来たことであった。
ところが。
かけちがって、そのお通は、およそ二十日ばかり前、武蔵を訪ねて、江戸へ立った。――悪い時にはぜひもないもので、今、権之助に江戸の消息を聞けば、武蔵その者もまた、権之助の立つ前に、すでに江戸を去ってしまい、知己身辺の者にすらその行方は知れていないという。
「迷うていような」
ふと、兵庫はつぶやく。
そして
「あわれ、どこまで不幸な」
と、わが淡い未練を人の恋に寄せて、何がなしばし物想わせられた。
――が。あわれはここにも一人いた。それらの話を、側で聞きながら、しょんぼり側に立っていた伊織。
(生れたっきり知らない姉)
と、観念していたうちは会いたくも淋しくもなかったが、
(世にある人)
と、教えられ、
(大和の柳生にいる)
と聞いてからは、
「…………」
今にも泣きたそうな顔しているが、伊織は泣かない。
泣くには何処か人のいない所へ行って大声で泣きたいのだ。――権之助が兵庫から
「何処へ行くだい」
丑之助も、後から来た。なぐさめ顔に、伊織の肩へ手を廻して、
「泣いてんのけ?」
伊織はつよく首を振った。眼から涙が飛び散った。
「泣くもんか。そら、泣いてなんかいないよ」
「オヤ。
「知ってらい。おらの故郷にだって、芋はあら」
「掘り
丑之助にいわれて、伊織も
叔父
それから、江戸の街々の変りようだとか、小野
訊けば、
この大和の山里では、たまたま江戸から来た者とあれば、その者の一語一語が、すべて耳新しい社会の知識であった。
――が、思わずも時を過ごしたので、兵庫も助九郎も、
「ともあれ、城内へ来て、当分のうち
と勧めたが、権之助は深く謝すのみで、
「お通さまがお
と、このまま、先の旅へ
先の旅といっても、元より修行一筋の身ではあるが、実は、木曾の故郷で亡くした母の遺髪と
「それもまた、名残惜しいことではあるが――」
強いて止めもならぬ気がして、さらばと別れを告げかけた時、ふと気がつくと、側にいたはずの丑之助がいない。
「おや――」
と権之助も見直して、これも伊織を探している。
「オオ、あんな所におる。二人とも、何を掘っているのか、地へしゃがみ込んで」
助九郎が指さす所を
大人たちは微笑んで、そっとその
ふたりは気がつかない。
「……あ」
そのうちに、
自分達の競争を大人達が見ていると意識すると、二人はよけい熱を出したが、すぐ丑之助が、
「抜けた」
と、長い
伊織は、肩先まで入れて、黙々とまだ土の穴を掻いている。果てしのない様子に、権之助が、
「まだか。行ってしまうぞ」
と、いうと、伊織は老人のように腰を叩いて立ちながら、
「だめだめ、この芋は。晩までかかるよ」
と、未練を土の中に残して着物の泥をはたいた。
丑之助が、
「なんだ、こんなに掘れてるくせに。臆病な芋掘りだなあ。おらが抜いてやろうか」
手を出しかけると、
「いけないいけない。折れちまうよ」
と、伊織は拒んで、折角八分ぐらいまで掘り下げた穴へ、まわりの土を足で寄せ落し、元のように
「あばよ!」
丑之助は、
「丑之助。負けたな。――打ち合ではそちが勝ったそうだが、芋掘りではそちの負けだぞ」
兵庫は、彼の頭を、ぐいと
吉野の桜も
「おじさん。おじさん……」
伊織はうしろを振向いて、権之助の袖を引きながら、頻りと気にかけて、
「また、
と、ささやいた。
権之助は、わざと、彼の注意に従わず、真っ直に向いたまま、
「見るな、見るな。――知らん顔をしておれ」
「だって、変だよ」
「なぜ」
「きのう柳生兵庫様達と、興福寺の前で別れた時から、間もなく、後になったり先になったり……」
「いいじゃないか。人間みな、思い思いに歩いているのだから」
「そんなら、宿屋なんか、べつな家へ泊ればいいのに、宿屋まで一つ所へ泊って」
「いくら
「でも、命という物を持ってるから、
「ははは。命の戸締りはわしもしている。伊織は確かかな」
「おらだって」
見るな――と止められるほど、つい後ろが振向きたくなる。伊織は、左の手を、
権之助にしても、余りいい気持はしない。山伏の顔には見覚えがある。それはきのう宝蔵院の試合興行の折に、飛入りを望んで出て断られたあの山伏なのだ。どう考えてもこっちには付き
「おや、いつのまにか、消えちまった」
また、伊織が振向いていう。権之助も
「多分、飽きてしまったのだろう。やれやれ、さっぱりした」
その晩は、
「木曾の奈良井から、この土地の
と頼りない手がかりを頼りにして尋ね歩いた。
おあんさんというのは彼が
もし分らなかったら高野へ行こう。高野は貴人の供養所として、余り名だたる大家の霊が寄っているそうなので、旅人の貧賤では心もとない気もするが、ここが駄目だったらともかく高野山へ預けに行こう。
そう思っていたところ、
「ああ、おあんさんかね。おあんさんなら杜氏屋敷のお長屋にいるがな」
と、案外早くそれが知れた。
門前町の何屋かの
「この門をおはいんなすったら、右側の四軒目で、杜氏の藤六さんのお家かとお聞きなされ。おあんさんの御亭主じゃげな」
と、教えてくれた。
どこの寺でも、「
もちろん、世上へ出しているわけではないが、
「――そんなわけで、わしを始め十人ほどの職方が、お山に雇われて来ておりますのじゃ」
おあんさんの御亭主である杜氏の藤六は、その夜、客の権之助の不審を解いて、そんなことも話した。
それから、権之助の頼みについては、
「お
と、いってくれた。
翌る日、その家の
「僧正さまにお願いしたら、さっそく承知して下された。わしに
と、いう。
案内されて、権之助は藤六の後ろに従い、伊織は権之助の腰にちょこちょこついて行った。
伊織は、
権之助も、身が
ところが、存外にも、
「お前様か。母御の供養をしてくれというのは」
と、本堂の上から気楽な調子でいった僧がある。
肥えて、背も高く、大きな足をした坊さんである。僧正というからには定めし
だが、藤六は、
「はい、お願いの儀は、この人でございまする」
と、堂下の大地にぺたりと
「…………」
権之助も、何か、あいさつをいって、藤六と同様に、ひざまずこうとすると、僧正はもう大きな足を、階段の下にありあわせた汚い
「じゃあ、
と、
五仏堂だの、薬師堂だの、
遅れて、後ろから追いかけて来た弟子僧が、
「お開けいたしますか」
と訊ね、僧正のうなずいた眼をみると、大きな鍵をもって、金堂の大扉をひらいた。
「お着座を」
と、
やがて内陣のうちから僧正は
先には、藁草履の見すぼらしい一山僧にしか見えなかったが、そこに坐ると、運慶の
「…………」
権之助は、
すると、一
野中の一本杉の下に、地蔵様のように、ちょこなんと坐っている老母がある。
老母の眼のいかにも心配そうな――。そして今にも、剣と杖の間へ、跳びつきそうなその光。
子を案じる愛の眼。その時、母のすさまじい助言の一声から教えられた「
「……おっ
こう念じつめて息をもじっとひそめていると、身の前に高々と在る大日如来のお顔が、母の顔そっくりに思われ、その
「……お」
ふと気づいて、
「なんでそんなに
と訊ねたところ、われに返ったような顔して、伊織がいうには、
「だって、この大日様は、おらの姉さんに似てるんだもの――」
権之助は思わず、からからと笑って、まだ会ったこともないお通さんとかいう
いうと――伊織は「だって、だって」となお強くかぶりを振って、
「おらは一度、江戸の柳生様のお邸へ使いに行って、
「……ふうむ」
権之助は、もう否定できなかった。そして、いつまでも金堂の縁から離れ
ふところ谷は日暮れが早い。峠のかげにもう陽は沈み、多宝塔の屋根の
「ああ。死んだ母へ、及ばぬ
どこかでサラサラと落葉を掃くような音がする。権之助が、
「おや」
と、右の崖を仰ぐと、崖の中腹に、室町風の古雅な観月亭と
ひとりは上品な
またひとりは、肉づき豊かな五十がらみの人物で、つつましき木綿着物に、
老尼のほうは、
「……ほ。少しはきれいになったかのう」
と、掃いて来た山道や崖の
そこらは滅多に人も踏み入らなければ、かまう者もないとみえ、冬中の雪折れやら朽葉やらまた、鳥の
「お母さん、だいぶおくたびれでしょう。陽が暮れましたし、あとは私がやりますから、もうお休みなされませ」
肥えた人のほうがいう。
老尼は、五十にも近いその者の母とみえるが、息子のことばをかえって笑って、
「わしは家にいても、働きつけておるせいか、つかれもせぬが、そなたこそ肥えてはいやるし、このようなことはしつけぬゆえ、土に手が荒れたであろう」
「はい。仰っしゃる通り、一日箒を持っていたので、
「ホ、ホ、ホ、ホ。……よい
「けれどお蔭で、きょう一日は、何ともいえぬ
「いずれ、こよいももう一夜、御本房に泊めていただくのじゃから、後はあしたにして、そろそろ戻りましょうかの」
「暗くなりかけました。足もとをお気をつけなさいまし……」
いいつつ、息子は、母の尼の手をとって、観月亭の小道から、権之助と伊織のやすんでいる金堂の横へ降りて来た。
人もなしと思っていた
「……誰?」
と、驚いたように、立ちどまったが――老尼はすぐ眼元にやさしい笑みをたたえ、
「御参籠でございますかの。今日も一日、よいお日でございましたの」
と、旅の者と見て、行きずりの挨拶をした。
権之助も、辞儀して、
「はい。母の供養にと
「それはそれは御孝心な」
と、いいながら老尼は、伊織のすがたへ眼を移して、
「よい
と、
「
と、いった。
光悦とよばれた老尼の息子は、紙につつんだ菓子を、袂から取出して、伊織に持たせ、
「残り物で失礼だが、よかったら喰べておくれ」
と、いった。
伊織は、
「おじさん、これ、貰っといてもいいの」
権之助にたずねた。
「いただいておけ」
と、権之助が、伊織にかわって、礼をのべると、老尼はまた、
「おことばの様子では、御兄弟でもないようじゃの。関東のお方らしいが、旅の道を、どこまでお越しなされるのか」
「果てない道を、果てなく旅しておりまする。お察しの通り、ふたりは肉親ではござりませぬが、剣の道においては、年はちがいまするが兄弟
「剣をお習いなされますか」
「はい」
「それは
「宮本武蔵と仰っしゃいます」
「え。……武蔵どの?」
「ご存じですか」
答えを忘れて、老尼は、
「ほう……」
と、ただ眼をみはり、何か思い出の中にいる様子、武蔵と知らぬ仲の人とは思われなかった。
するとこの老尼の息子も、なつかしい人の名でも聞いたかのように寄り添って来て、
「武蔵どのは今、どこにおられますな。その後のご様子は……」
などと、いろいろ訊ねだし、権之助がそれについて、知る限りの消息を話して聞かせると、いちいち母なる老尼と顔を見あわせて、うなずくのであった。
そこで、権之助から今度は、
「――して、貴方様は」
と、訊ねると、
「申しおくれました」
と詫びて、
「わたくしは京の
と光悦は、その頃の思い出ばなし二つ三つ
光悦の名は、
その驚きのうちには、京都でも然るべき家がらの母堂といわれる妙秀尼やまた、本阿弥光悦ともある人の
その不審も、無意識のなかに、手伝っていたにちがいない。
――いつか
「おふた方には、この上の山や崖道を、
と、訊ねてみた。
「なんの。なんの」
光悦は
「この
相手の権之助が、何も知らずにいったにせよ、その曲解を甚だ
「あなたは、この金剛寺へは、初めてのお
権之助は、ありのまま、
――然り。
そんなことの無智は、べつに武辺者の自己の恥辱とも考えず答えると、光悦は、
「では、
と、
「よいあんばいに、
ひとわたり指をさして、光悦も共に、寂土の
――
それは。
元弘、建武の頃から正平年間にわたる長い乱世にかけてこの
なお。それより前には。
この御山には、
損亡申ス
しかもその間、主上には寺の
光悦は、そこでふと、声をのんで、
「この辺り、あの食堂といい、
と、
われ知らず権之助は、身のちぢまる思いをこうむり、
「――ですから北条氏から足利氏への長い長い乱世のあいだ、あの石、そこらの草木までみな、一系の皇統を護るため戦った物でしょう。石は、護国の
光悦もまた、
「――多分、その頃、賊軍と戦って、ここで草の根を喰べながら立て
世の民くさよ歌ごころあれ
と、いいむすぶ。権之助は、ほっと、息づきをし直しながら、
「いや、ここの
「いいや、もう……」
光悦は手をふって、
「実をいえば、手前こそ人恋しくいたところで、きょうもきのうも胸に
「また、つまらぬお訊ねをして、お笑いを受けるかも知れませぬが、光悦どのには、もうこの寺に永くご逗留でございますか」
「されば、今度は、七日ばかりになりまする」
「やはり御信仰で」
「いえ、母がこのあたりの旅が好きなのと、自分もこの寺に参ると、奈良、鎌倉以後の、
「――ですが
「承知いたしました。では、ごきげんよう」
「オ。おやすみ……」
山門の陰の月ささぬ闇を境にわかれて、光悦と妙秀尼は坊舎の方へ。――権之助は伊織と共に、山門の外へ出た。
土塀の外は、自然の
――ざんぶ!
(何だろ?)
だが、土橋の上を仰ぐと、そこから自分を
その一方は、権之助へふいに襲いかかった白いものだ。伊織がはね飛ばされて落ちたせつな――白いものと見えたのは、彼の
「あっ、山伏?」
伊織は、さてこそ、来るものが遂に来たなと思った。何のゆえか、おとといから自分たちを
山伏の
権之助も手馴れの杖。
ふいに打ってかかったが、権之助がさはさせじと、とたんに身の位置を変えたため、山伏は土橋をはさんで往来側の口に立ちふさがり、権之助は山門を背なかにして、
「何者っ?」
と、一
「人ちがいすなっ」
と、声するどく、
「…………」
山伏は何もいわない。人ちがいなどするかといった
この敵、ただ者に非ず――と見ながら権之助は、満身を気に
「だれだっ。卑怯だっ。名を申せ。さもなくば、この夢想権之助へ、何の意趣で打ってかかるか、理由をいえ」
「…………」
山伏は、耳がないように、ただ
「うぬ。もはや」
これは権之助が丹田で堪忍をやぶった
――がつッと、物音が発したとたん、山伏の杖は、彼の杖のために、真二つに折られて、宙へすっ飛んでいた。
だが山伏は、手に残った杖の半分を、権之助の面部へ向ってすばやく投げつけ、権之助が、顔をふと交わした一瞬、腰の
その時、その山伏が、
「あっ」
といったのと、伊織が渓流の瀬で、畜生っとさけんだのと、同時であって、山伏の足は五、六歩ほどそのまま、だだだだと土橋を往来のほうへ踏み退いた。
伊織の投げた石つぶてが、山伏の面部へ、したたかにあたったのである。悪くすれば左の眼であったかもしれない。とにかく山伏としては、思わざる方角から、致命的な傷手をうけたため、しまったと思ったに違いない。崩れた体勢をそのまま一転、足を変えるが早いか、寺の土塀と渓流のながれに沿って下町のほうへ
岸へ跳び上がった伊織は、
「待て」
と、手の中に、まだ石を握っていて、追いかけそうにしたが、権之助に止められて、
「ざま、見ろ」
と、その石を、もう人影のない
ぐわうぐわうと、峰の夜あらしが、
眠りと
(応仁の乱れから、室町幕府のくずれ、信長の統業、秀吉の出現と時勢は移り、――そしてその秀吉の亡い今は、関東大坂のふたつが、次の覇権を
そう考えるのだった。
(北条、足利の徒が、国家の大本をかきみだした最も
これでいいのか。
民心は、天下の司権が、信長、秀吉、家康とあわただしく、争奪されるのをながめているまに、まことの主上の
武士道も、町人道も、百姓道も――すべてが武家の覇権のためにあって、天皇の
気がつくと、彼は、
(社会は賑わしくなり、個々の生活は活溌になって来たろうが、この国の根本のものは、建武、正平の頃から、大してよくなって来てはいないのだ。大楠公の奉じた武士の道――抱いたであろう理想とは、まだまだ遠い世の中なのだ)
と、夜具の中に、横たえている身も熱くなり、
――伊織は伊織でまた、
(何だろ、さっきの山伏は?)
と、あの白い幻像が、
そして、明日の旅が、何だかしきりと気づかわれ、
(
と、つぶやいて、峰のあらしに
そのため、夢に大日様のお
おあんさんと、藤六は、二人が今朝早く立つとのことに、暗いうちから朝めしや弁当の支度などしておいてくれて、いよいよ
「喰べながらお歩き」
と、伊織へ、酒の
「お世話になりました。御縁もあらばまた――」
立ち
その
「よう。お早いお立ちで」
と、元気よく、いかにも朝らしい声で、ことばをかけた。
見も知らぬ男なので、権之助は、よい程にあいさつを返したのみ。伊織も、ゆうべのことがあるので、無言を守って歩いていると、
「お客さまは
などと旅商人の男は、もう連れになった気で、いよいよ
それもよい加減に聞きながしていると、また、
「木村助九郎さまにも、ごひいきになりまして、柳生のお城へも、時折には、御用を伺いに出たりいたしますが」
と、しきりに話の糸をひく。
「――女人高野の金剛寺へお
いうことがいちいち、余りこちらの消息に通じ過ぎているので、権之助は不審に思って、
「おぬし、何屋じゃな」
「てまえは、
と、背に負っている小さい包みに首を曲げ、
「
「ははあ、紐屋か」
「藤六どんの手づるで、金剛寺のお
そう聞いてみれば、べつに不審に思う筋はない。権之助はむしろこの男が、附近の地理や風俗に
すると天見の高原にかかって、紀伊見の峠から高野大峰のすがたが正面に見えてきた頃である。――おおウい、と後ろのほうから呼ばわる者がある。振り顧ると、連れの紐売りと同じような恰好をした旅商人の者がまたひとり、駈けて来て、
「杉蔵。ひどいじゃないか」
追いついて来るなり、息を
「――今朝立つ時誘ってくれるというで、天野村の口で待っていたに、何で黙って行っちまうだ」
「アア源助か。……いや、すまないすまない。藤六どんとこのお客と連れになったもんで、うっかり声をかけるの忘れちもうた。ははは」
と、頭を掻いて、
「あまり旦那と、話がもててしまったもんで――」
と、権之助の顔を見て、また笑った。
やはり
「ア。あぶねえ」
と、二人とも立ち止まった。
太古の大地震で割れた
「どうしたのか?」
と、二人の後ろへ寄って、権之助もそこに立つ。
旅商人の杉蔵と源助は、
「旦那、ちょっとお待ちなさいまし。ここの丸木橋が壊れていて、ぐらつきますで」
「崖崩れか」
「それ程でもありませんが、
と、ふたりは早速、断層の崖ぎわへ身を
――奇特な心がけよ。
と、権之助は心のうちで感じていた。およそ旅の困苦は、常に旅をしている者ほど分っている筈だが、その旅馴れている者ほど、他の旅人の困苦などは
「おじさん達、もっと石ころを持って来てやろうか」
と、伊織も、二人の善行に手伝いを申し出て、せっせと、そこらの石など抱えて来たりしている。
断層の谷は、かなり深い。
そのうちに、
「よさそうだ」
と、旅商人の源助は、朽木橋の端にのって、足踏みして試みている。そして権之助へ、
「――ではお先に」
といい残し、ひょいひょいと身振りしながら、体の中心を取って向うへ素早く渡って見せた。
「さ。どうぞ」
残った杉蔵に
そして――朽木橋のうえ足数にして――三歩か五歩も出たかと思うと、ちょうど断層の谷の真上のあたりで、
「あッ?」
「きゃっ!」
と伊織と権之助は突然、絶叫して、お互いの身を抱きあいながら立ち
――何となれば、先に渡って行った源助は、かねて備えておいたものらしく、そこの
――さては野盗か。
と、とむねを
「しまった!」
さしもの権之助も
前にも槍。
うしろにも槍。
二本の朽木は、からくも
「おじさん! おじさん!」
無理もないが、伊織は絶叫をしつづけて、権之助の腰につかまっている。権之助はその伊織を
「
すると何処かで――
「だまれっ、旅の者」
と、太い声でいった者がある。それは彼をはさんで槍を向けている源助でも杉蔵でもなかった。
「……やっ?」
権之助がふと仰ぐと、向いの崖の上に、左の眼の上に
「
伊織へそういって、その優しさとは、別人のように、権之助は、
「くそっ!」
すさまじい敵意を吐いて、橋の左右へ、ぎらぎら眼をくばりながら、
「さては、昨夜の山伏の
――彼と伊織を、左右から挟んでいる槍の持手は、その穂に気をこめて、狙いすましたまま、あぶない
絶体絶命、身うごきのつかない谷間の空の朽木橋に置かれた権之助が、怒髪天を
「賊とは何」
と、するどく
「程の知れた汝らの路銀などに目をくるる
「なにっ、隠密だと」
「関東者っ」
山伏は、
「谷へ、その棒を捨てろ。次に腰の大小を捨てろ。そして両手を後ろへまわし、おとなしく縄目にかかってわれわれの住居までついて来い」
「――ああ」
権之助は大きな息をついて、とたんに闘志の大半を失ったように、
「待て、待てっ。今の一言で初めて解けた。――何かの間違い事だろう。わしは関東から来た者に相違ないが、決して、隠密などではない。夢想流の一杖を一道として、諸国を修行しあるく夢想権之助という者」
「いうな、くどくどとそんないい抜け。どこに、自分は隠密なりと名のって歩く隠密があろうか」
「いや、まったく」
「耳は
「では、あくまでも」
「ひッ
「益もない殺生したくない。もう一言申せ。何でわしが隠密か、その理由を」
「怪しげなる男、童子一名つれて、江戸城の軍学家北条
「すべて、根から間違いだ」
「
「打く先とは?」
「行けばわかる」
「わしの意志だ。行かなかったら……?」
――すると。
橋の左右を
「突き殺すまでだっ」
と、にじり寄った。
「何を」
いうとすぐ、権之助は、側へかかえよせていた伊織の背なかを、平手でどんと突いた。わずかにやっと、足を乗せて渡れるだけの幅しかない二本の丸木から、伊織は身をのめらしたので、
「――アッ」
声もろとも、二丈の余もある断層の底へ、自分から飛んだように、墜ちて行った。
「わうっ」
吠えた権之助は、
槍が槍の働きを十分に示すには、秒間の時と、尺地の距離とが
構えてはいたが――
また、せつなを外さず、
「しえっッ――」
と、
――どさっ
と崖へ尻もちついた。
転がり合ったせつな、権之助の杖は左手にあった。杉蔵が跳ね起きようとする時、彼の右手の拳は、杉蔵の顔の真ん中を、一撃で突き
ぐわっ
面部のどこからか血をふいて、歯ぐきを
そして、髪を逆立てて、
「来いっ」
と、杖を、次の者へ備えたが、死者の運命を打開したと思ったその瞬間こそ、実は、彼を待っていたほんとの死地だったのであった。
そこらの草むらから二筋三筋――ひゅっと、さなだ虫のような
仲間の杉蔵が不覚を取ったと見て、すぐ断層の橋を渡って来た源助と山伏のほうへ向けて、咄嗟に構えていた杖とその手元へも、一筋、くるくるっと、
「あッ」
手取り足取りである。――その人々が彼の体から離れて、
「さすがに
と、ひと汗、拭き合った時には、もう、権之助は
その両手と胴とを幾重にも巻いた
今、草むらから不意に起って、権之助を
「馬はないか、馬は」
山伏はすぐこう気を配って、
「九度山まで、引っ立てて歩くのも、途中がわずらわしい。馬の背に
と
「それがいい」
「この先の天見村まで行けば」
と、一同異議なく、権之助を追い立て追い立て、真っ黒にかたまって、雲と草の彼方へ、急いで行ってしまった。
――だがその後。
地の底から、冷たい風のふき上がるたびに人の声が、この高原の空をながれていた。断層の谷へ墜ちこんだ伊織のさけびであることはいうまでもない。
鳥の
「
「はあ」
「……無常だなあ」
迷悟の橋とかいう
どこの田舎の
「――見たか。織田信長公のお墓、明智光秀どののお墓、また石田三成どのや、
「ここでは、敵も味方もございませぬな」
「一様に皆、
「変な気がいたしまする」
「どういう心地がするの?」
「何だか、世間のことがすべて、ありえない嘘のような」
「ここが嘘か。世間が嘘か」
「わかりません」
「誰がつけたか、奥の院と
「うまくつけましたな」
「迷いも実。悟りも真。わしはそう思う。嘘と
といって、老武士は、
「わしはこっちへ渡る――さあ、元の世間へ急ごうぞ」
足を早めて先に立つ。
年のわりに足が
「よう、出ておるな」
下山口の大門まで来ると、老武士は遠くからつぶやいて、ふと迷惑そうな眉をひそめた。そこには、本山
老武士の見送りにである。老武士はそんな手数を
――が、そこの儀礼やあいさつの取り
「あっ。あなた様は?」
とある山道の曲りかど。
出あいがしらに、体つきの大きな色の白い――といって美少年では決してないが――
や、あなた様は?
と声をかけられて、老武士と若党の
「どなたでござるか」
「九度山の父から申しつかって、使いに参りました者にござりますが」
と、その若侍は、いんぎんに礼儀をした後、
「もし、間違いましたら、おゆるし下さいまし。
「え。わしを佐渡と――」
老武士は、さも
「かような所で、ご存じの
「ではやはり、佐渡様でございましたか。申しおくれましたが、わたくしは、この
「
思い出せない顔すると、大助は佐渡のその眉を仰いで、
「もはや父が、
「やあ?」
と、
「では真田殿――あの
「はい」
「其許は御子息か」
「はい……」
と、大助は、その逞しい体に似合わず、はじらい顔に、
「けさほど、父の
「ほ。それはそれは」
と、佐渡は眼を細めて見せたが、供の
「――せっかくなご好意であるし、どうしたものか」
と、
「さようで」
と、縫殿介も、うかとは答え兼ねていた。大助は重ねて、
「なお、およろしければ、まだちと陽は高うござりますが、一夜お泊りでも下されば、願うてもない仕合せ。父もさだめし
――考えこんでいた佐渡は、何やら心をきめたように、われとわが身へ
「では、ご厄介に相なろう。泊めていただくか否かは、その時として。――のう
「はい。お供いたしましょう」
主従は、それとなく、眼を見あわせて、大助の案内に従って行った。
ほどなく九度山の里だった。その里の民家からは少し離れて、小高い山の瀬に
ちょうど土豪の山屋敷といったふうな作りだった。しかし、柴垣も門造りも、背が低く、風雅を失っていない。隠士の家と聞けば、なるほどと、どこか床しい
「門前に、父が出て、お待ちしておりまする。――あの
大助は指さした。そしてそこから客を先に立て、自分は後に
土塀の囲いのうちには、朝夕の汁へ
母屋は、崖を負い、座しきから九度山の民家の屋根や
佐渡は、通されて、閑雅な一室に坐り、供の
「おしずかだのう」
佐渡はつぶやいて、室内の
しかし、案内をうけて、ここに坐ったきりで、挨拶はまだ交わしていない。改めて、客の前に出直して来るのであろう。茶は、息子の大助の嫁らしい婦人が今、しとやかに置いて
だいぶ待つ……
しかし、飽かなかった。
ここの客間の、何くれとない物すべてが、主の席にない間も、客をなぐさめている。庭ごしの遠い眺め、水の姿は見えないが水のせせらぎ、
また、客の身近には、これとて
「…………」
客の佐渡は、白楽天の一句を想い起し、そして
五字の一行物である。筆太に、濃い墨で、とっぷりと大胆に――が、どこか無邪気で、
と書きくだしてあるのである。そしてその大字のわきに小さく「秀頼八歳書」としてあった。
――道理で。
佐渡は、それへ背を向けて坐っている身を
「……ははあ、さてはやはり、噂にたがわぬ幸村の心がけよな」
すぐ佐渡は、そこへ思い当ったのである。九度山の
「……その幸村が」
と、佐渡は、
――その時、板縁をふんでくる人のけはいに、佐渡はさり気ない眼をそらしていた。さっき門前で、無言のまま出迎えた、体の小兵な、肉づきも痩せ形な人物が、
「失礼いたしました。せがれ
と、
ここは隠士の閑宅。
元より、社会的の地位は取りのけられている主客の間とはいえ、客の長岡佐渡は、細川藩の家老である。
その幸村が、あまりに腰ひくい挨拶に、佐渡は甚だしく恐縮して、
「お手を。……お手をお上げくだされて」
と、頻りに辞儀を返し、
「――さてもきょうは、計らざるお目もじ。お噂を耳にするは常々ながら、ご健勝のていを見て、よろこばしゅうござる」
佐渡がいえば、
「御老台にも、愈」
と、幸村は、客の恐縮がるままに
「御主人、
「されば、今年はちょうど、忠利様の祖父の君にあたる
「もうそうなりまするか」
「かたがた御帰国。この佐渡も、幽斎公、三斎公、ただ今の忠利公と――三代の君にお仕えもうす
この辺まで、話がくだけて来たところで、主客一緒に、ははははと笑い合って、どうやらお互いに、世事を離れた閑居の主客らしくうち
「近ごろは、和尚にお会いなされますかな。花園の妙心寺の愚堂和尚に」
幸村が訊くと、
「いや、さっぱり、
と、佐渡の
「あの頃はよく、暴れ者が、
「わけて世の牢人と、若い者を愛された。――和尚がよくいったことでおざった。――浮浪の徒は、あれは浪人じゃ。真の牢人とは、心に
「よう御記憶ですな」
「だが、そうした真の牢人は、
佐渡は、語りながら、幸村の顔を、敢て直視した。だが幸村はその眼を感じないもののように、
「左様。そのおはなしでふと思い出しましたが、あの頃、愚堂和尚の
「作州牢人の宮本といえば? ……」
と佐渡は、幸村の
「武蔵のことじゃないかな」
「そうそう。宮本武蔵。――武蔵と申しました」
「それがどうしたので」
「当時まだ二十歳に満たない年少でしたがどこか重厚な風があり、いつも
「ほ。あの武蔵がの」
「では、お覚えでございましたかな」
「いや、いや」
佐渡は、かぶりを振って、
「てまえが心に止めたのは、つい近年で――それも江戸在府中のこと」
「江戸におりますか今は」
「実は、御主命もあって、それとなく尋ねてはおるが、どうも居所が知れぬのでおざる」
「あれは見所がある。あれの禅は物になろうと、愚堂和尚が申されたことがあるので、それとなく、私も見ておりましたが、そのうち
「てまえはまた、そういう武名とは
「何せい、私の知るうちでは、あの
「
「愚堂和尚のお噂に、ふと思い起したのですが、どこか心の隅に残るだけのものはある
「実はその後、手前から主君忠利公に御推挙はしてあるのじゃが、蒼海の珠はなかなか会い難うて」
「武蔵なら、私も、御推挙申してもよいと思いまする」
「――とはいえ、そういう人物となると、仕官の先にも、ただ
「え?」
「ははは」
佐渡はすぐ笑い消した。
だが今、不用意のうちに、幸村へいった佐渡のことばは、必ずしも、不用意な言とはいえない。
悪くいえば主の肚をさぐろうとして鋭鋒の先を、ちらと見せたものと取れる。
「……お
と、幸村も、笑い顔だけでは
「なかなか、若党ひとり、今では召抱えられる身ではなし――何で名だたる牢人衆などを、九度山へ迎え取りましょうぞ。もっとも、先でも来もいたしますまいが」
言い訳に落ちるとは知りながらも、ついいい足してしまったのである。佐渡は、この
「いやいや、お包みあるな。関ヶ原の合戦に、細川家は東軍に御加勢、徳川方と
と、壁の秀頼の書を顧みながら、戦場は戦場、ここはここと、胸をひらいていったのであった。
「そう仰っしゃられると、この幸村、穴にも入りたい心地がいたす」
と彼は、佐渡のことばを、思いのほか迷惑そうな
「秀頼公のその
と、さし
「――
「いや、御自身でそういわれても、世間は承知いたしますまい。あけすけに申そうなら、
「ははは、根もないことを……。佐渡どの、人間、自分以上に、自分を買われている程、辛いものはございませぬ」
「じゃが、世間のそう思う方がむりもない。お若い頃から、太閣さまにも、側近くおかれて、人一倍お目をかけられた其許。その御恩顧やらまた、真田昌幸が次男幸村こそは当代の
「おやめ下さい。そう聞くほど身が縮みまする」
「では、誤聞かな?」
「願わくは
「はて。御本心で」
「近ごろ、老荘の書物など、暇にあかして読みかじるにつけても、この世は、楽しんでこそ人生。楽しまずして何の人生ぞや、などと悟りめかしておりまする。……お
「……ほほう」
真にはうけないが、佐渡は真にうけた顔して、わざと呆れ顔をつくって見せる。
――かかるうちもう
主客の間には、幾たびか茶がつぎ代えられ、そのたび大助の嫁らしい女性が見えて、何くれとはなく気をくばって
佐渡は、菓子台の
「だいぶ、いらざるお
板縁を顧みていうと、
「あいや、もうしばらく」
と、幸村はひきとめた。
「――嫁とせがれどもが、あちらで今、
そこへ大助が、
「父上。どうぞお越しを」
「できたのか」
「はい」
「座敷も」
「あちらへ
「そうか。では……」
と、客を
せっかくの好意、佐渡もこころよく後について行ったが、その時ふと、不審な物音を、裏の竹林の
その音は、
竹林を前にした裏座敷に、主人と客に供える
酒の
「不出来でございまするが」
大助がいって、
「おひとつ」
と、瓶子を向ける。
「酒は」
と、佐渡は杯を伏せて、
「こちらがよい」
と、
「あれは何の物音で」
と、訊ねた。
幸村は、客にきかれて、客の耳ざわりになっていることを、初めて気づいたように、
「お。あの音でおざるか。あれはお恥かしいが、
手をたたいて、大助の嫁をよびかける
「いや、それには及ばぬこと。お職所の
と、佐渡は止めた。
ここの裏座敷は、母屋の家族たちがいる所に間近いとみえて、出入りの者の声や、
(はて? ……。こうもしなければ食えないほどな境遇だろうか)
佐渡は
あれこれ、思いすぎたり、惑ったりしながら、佐渡は、
(
という感じであった。十年ほど前、愚堂和尚の
しかし、こっちで独り
――探りがましいことは、彼の口からは、
訊かないといえば、第一、自分が何の用務を帯びて、高野山へ来たのか。――それすら幸村は訊ねようとはしない。
佐渡の登山は、もとより主命なのである。故人の細川幽斎公は、太閤在世中にも、
――そんなことも、幸村は
供の
いくら表面は歓待しているようでも、ここは、敵方の家である。徳川家にとっては、油断のならない大物として、注意人物の第一に
紀州の領主浅野
「……よいほどに、お帰りなさればよいのに」
と、縫殿介は、気を
この家にどんな
関東と大坂のあいだは、事実、それほど険悪なのである。そんなことにお気づきなさらぬ佐渡様でもないのに。
――などと縫殿介は、奥のほうばかり
彼はふと、
「よい
と、思いついて、縁を下り、佐渡が饗応されている部屋の方へ庭づたいに歩み、そこから、
「雨が来そうでございます。御主人様、お立ちなれば、今のうちにと存じますが」
声をかけると、
「や、
幸村へあいさつして、
「お客に、
といいつけた。
「はい」
大助は、蓑を持ってくる。それを借りうけて、佐渡は、門を辞した。
「ご機嫌よう」
幸村とその家族たちは、門の辺りまで、客を送っていった。
佐渡も、いんぎんに礼を返し、そして幸村へは、
「いずれまた、雨の日か、風の日か、お目もじいたす日もおざろう。ご健勝に――」
と、いった。
幸村は、ニコとうなずいた。
やがてまた。
やがてまた。
お互いに馬上長槍の姿を、その時ふと描いて胸につぶやき合ったであろう。だが、塀ごしの
大助は、送って行きながら、その
「さしたる降りはありませぬ。晩春の
と、いった。
だが雲脚に追われて、おのずと足も急いで来ると、やがて
荷駄の背には
山伏は、先に駈け、
――と。その出合いがしら。
大助のほうは、はっと眼を
「おうっ、大助様っ」
と、
にも関わらず、大助はなお、聞えぬふりをしていたが、佐渡と
「大助どの、誰か呼んでおりますぞ」
と教えつつもそれへ眼を
ぜひなく、彼は、
「おお、
さりげなくいい寄ると、山伏は、
「紀見峠からいっさんに――これから山のお屋敷へ直ぐ参ろうと思って」
と、声高に立話をし始め、
「先頃、知らせを受けていた怪しげな関東者を、奈良で見つけ、やっと紀見の上で、
黙っていれば、問わぬことまで、立板に水のような調子で誇り顔に
「これこれ、林鐘御坊、何をいうのか。わしにはいっこう分らぬが」
「ご
「ええ。ばかな」
「往来ばたで――しかも、わしのお供いたしておるお客を誰ぞと思う。――豊前小倉の細川家の御老臣、長岡佐渡様。滅多なことを……いや戯れも、ほどにいたしたがよい」
「えっ?」
林鐘坊は、はじめて、眼をべつな方へ
佐渡と、縫殿介とは、耳のないような顔して、
――あれが細川家の?
と、林鐘坊は、口をつぐむと、さも意外らしく
「……どうして?」
と小声で、そっと大助へ、訊ねていた。
ふた言三言。何か
「もうここで、お引取りくだされい。これ以上は、かえって恐縮」
と、強いて大助と
大助は、是非なげに、なお
「
と、たしなめて、
「場所がら、人がら、よう眼をあいて、物はいうものぞ。お父上のお耳へでもはいったら、ただ事には
「はっ。……よもやと存じて」
山伏は面目なげに謝った。あれよ
(――おらは、気が
伊織はときどき、そんな恐怖に襲われた。
(顔はわかる)
と、いくらか心を安めた。
きのうから歩いている。――どう歩いているのか、見当もつかない。
あの断層の底を這い上がってからずっとのことなのだ。
「来いっ」
発作的に、いきなり空へ向って、呶鳴ったり、
「畜生ッ」
と、地を睨んで、その気力が抜けると、
「――おじさアん」
権之助を呼んでみる。
やはりこの世にはもういないのだと思う。
「……おじさアん。おじさーん」
多感な少年のたましいは、むだと知りながらも、呼ばずにいられなかった。きのうから歩きつづけている足のつかれも知らない。その足にも、耳の辺へも、手にも血がついている。着物が裂けている。しかし、何も
「どこだろ?」
ときどき、われに返る時は、胃の
おとといの晩泊った金剛寺へなり、或は、その前の柳生ノ庄なりを思い出せば、歩む
(生きている――)
身を感じ、急に独りぼッちになった身の、生きる道を、探り歩いている形だった。
バタバタと虹のように眼を
(何処だろ?)
もいちど、考えた。
ふと彼は
(わたしの行く先を教えてください――)
と、
眼をつぶっていた。
そしてしばらくして、顔を上げると、山と山のあいだに、遠く海が見えた。
「……坊んち」
さっきから彼の
「……何?」
伊織は、振向いて、
娘は、母を見――
「どうしたんでしょう?」
と、ささやいている。
御寮人は、首をかしげていたが、伊織のそばへ寄って来て、手や顔の血に、眉をひそめながら、
「痛くないのかえ」
と、訊いた。
伊織が、顔を横にふると、御寮人は娘のほうを顧みて、
「分ることは、分るらしいよ」
どっちから来たのかえ。
生れは何処。
名は何というのか。
そして一体、こんな所に坐って、何を拝んでいるのか――などと御寮人とその娘に訊ねられて、伊織はようやく、われとわが身を取り戻し、平常の彼にも近くなった
「はい、紀見の峠で、連れの者が殺されました。そしておらは、山の割れ目から這い上がって、昨日からどっちへ行こうかと迷ってしまい、思い出して大日様を拝んでたら
初めは、不気味がっていた娘のほうも、伊織の話を聞くと、かえって母らしい御寮人以上に、同情をよせ、
「まあ、可哀そうな子。おっ母さん、
「それはいいけれど、この子が来るかしらね」
「来るだろ。……ねえ?」
伊織が、うんというと、
「じゃあお出で。その代りこのお荷物を持ってくれるかえ」
「……うん」
まだどこか、肌馴れない気がするとみえ、連れになって歩いても当分のうち伊織は何をいわれてもただ、うんとのみしかいわなかった。
だが、それも長いあいだではない。山を降り、村の道が尽きると、やがて
「おばさん、おばさん
「
「堺って、この辺」
「いいえ、大坂の近く」
「大坂はどの辺」
「岸和田から、船に乗って帰るんですよ」
「え。船に?」
これは伊織に取って、思いがけない歓びらしかった。その歓びにはしゃいで、問わず語りに彼が
「伊織や」
と、娘はもう名を覚えて、
「おばさん、おばさんって、呼ぶのは、おかしいから、お母さんのことは、
「うん」
と、うなずくと、
「うん……もおかしいよ。うんなんていう返辞はありませんよ。はいと仰っしゃい。これからは」
「はい」
「そうそう、お前なかなか良い子だね。お店で辛抱してよく働けば、手代に取立てて上げますよ」
「おばさん
「
「廻船問屋って」
「おまえには、分るまいが、船をたくさん持って、中国、四国、九州のお大名方の御用をしたり、荷物を積んで、港々に寄ったりする……
「なアんだ。――
伊織は急に、御寮人さまやお嬢様を、下に見るように
「なアんだ、商人かって? ――。まあこの子は、生意気な口をきいて!」
と娘は、母と顔を見あわせ、そして拾ってやったつもりでいる伊織の小さい体を、少し小憎らしいように見直した。
「ホ、ホ、ホ、ホ、商人といえば餅売りか、そこらの
御寮人は、聞き流して、むしろ愛嬌に取っていたが、娘は、堺商人の誇りをもって、一応いって
その自慢ばなしに依ると。
廻船問屋の店は、
また店は、堺のみでなく、
わけて小倉の細川家からは、特に藩の御用も仰せつかっているので、お
等々々、ならべたてて、
「
と、その小林太郎左衛門の娘であるお鶴は、口惜しがって、頻りと説く。
御寮人は、お鶴の母であり、太郎左衛門の妻でもあって、名はお
「お嬢さん。怒ったの」
と、機げんをうかがう。
お鶴も、お勢も、笑ってしまいながら、
「怒りはしないけれども、おまえみたいな井の中の蛙の子が、あまり
「すみません」
「お店には、手代だの若い者だの、それから船がつくと、
「はい」
「ホホホホ。生意気かと思うと、素直なところもあるね、おまえは」
と、よい
町を曲がると、海のにおいが
お鶴は、指さして、
「あれへ乗って帰るんだよ」
と、伊織へ教え、
「あの船だって、うちの持船なんだからね」
と、誇る。
そこらの磯茶屋から、その時彼女たちの姿を見かけて、駈けて来る三、四人があった。船頭や小林屋の手代らしく、
「お帰りなさいまし」
「お待ちしておりました」
と、
「
先に立って、船の内へ導いて行ったが、見れば、
船は
「お帰りなさいませ」
「ようお早く」
「きょうはまた、お
などと老番頭から、若い者にいたるまで、出迎える中を、奥へ通りながら、
「そうそう、お帳場どん」
と、店と奥の
「そこへ立っている子だが」
「へいへい。お連れになった汚い
「岸和田へ出る途中で拾って来た子なんだけれど、気転がききそうだからお店で使ってみてごらん」
「道理で、変な者が、くッついて来たと思いましたら、道で拾っておいでになったんで?」
「しらみでもたかっているといけないから、誰かの、着物をやって、一度、井戸端で水をかぶせてから寝かしてやっておくれ」
中仕切の
「いやな家だな」
助けられた恩よりも、伊織には商家のしきたりが、事々に窮屈だし、不満だった。
あれをしろ、これをしろ。
若い者から老番頭まで、犬ころのように追い使う。
それらの人間がまた、奥の者とかお客とかいうと、
そういう大人達はまた、明けても暮れても、金々々と、金のことばかりいってるし、仕事仕事と、人間のくせに仕事にばかり追われている。
「いやだ、逃げ出そうか」
伊織は、何度も思った。
青空が恋しい。土に寝た日の草のにおいが懐かしい。
いやだ。逃げ出そうか。
そう考える日は、伊織の胸に、武蔵のはなしや、心を磨く道の語らいをしてくれた、師の武蔵の姿や、別れた権之助のことが、ひしひし慕われていた。
そして、自分の実の姉と聞きながら、まだ行き会えぬお通の面影だのが――
けれど。
そう思い
(こんな世界もあるのか)と、心から驚いた。
また、
「おいっ、伊お!」
帳場で、老番頭の佐兵衛がよんでいた。伊織は、広い土間と
「伊お!」
返辞をしないので佐兵衛は帳場から立って来て、
「新参の
伊織は、振向いて、
「は。おらか」
「おらという奴があるかっ。わたくしといえ」
「はあ」
「はあじゃない。へいというのだ。腰をひくく」
「へーい」
「おまえ、耳がないのか」
「耳はある」
「なぜ、返辞しない」
「だって、伊お伊おと呼ぶから、自分のことじゃないと思ったんだ。おらは――わたくしは、伊織という名ですから」
「伊織なんて、
「そうですか」
「こないだも、あれほどわしが禁じておいたのに、また、変な物を持ちだして、腰に差しているな。……その
「へい」
「そんな物、差してはいけないぞ。商家の小僧が、刀など差すなんて。――ばかっ」
「…………」
「こっちへ出せ」
「…………」
「何をふくれている」
「これは、お父っさんの
「こいつめ。よこせというのに」
「わたしは、
「商人なんか――だと。これ、商人がなかったら、世の中は立ちはしないぞ。信長公がお偉いの、太閤様がどうだのといっても、もし商人がなかったら、
「わかってます」
「どう分ってる」
「――町を見ますと綾町、絹町、錦町などには、大きな
「この野郎」
佐兵衛は、土間へ、跳んで降りた。伊織は
「若い衆っ。その
佐兵衛は、軒から呶鳴った。
河岸で荷揚の
「あ。伊お公だな」
追っ取りまいて、すぐ伊織を
「手におえん奴じゃ。悪たいはいうし、わし達を小馬鹿にはするし。きょうはうんと、
佐兵衛は、足を拭いて、帳場へ坐ったが、またすぐ、
「それから、伊おが差しているその薪ざッぽうを、こっちへ
と、いいつけた。
店の若い衆たちは、伊織の腰からまず刀を取上げた。それから後ろ手に
「少し人様に笑われろ」
と笑いながら、立ち去った。
恥は、伊織がもっとも尊ぶところだし、武蔵からも、権之助からも恥を知れとは、常々聞かされていたことである。
――
と自分を思うと、伊織は、少年の烈しい血を狂的にたかぶらせて、
「解いてくれっ」
と、さけび、
「もう
と、謝り、それでも許されないと、今度は悪たいに代って、
「ばか番頭。くそ番頭。こんな家なんかにいてやらないから、縄を解けっ。刀を返せ」
と、
佐兵衛はまた、降りて来て、
「やかましい」
と、伊織の口へ、布をまるめて押しこんだ。伊織が、その指へ噛みついたので、佐兵衛はまた、若い者を呼びたてて、
「口を縛ってしまえ」
と、いった。
もう何も呼べなかった。
往来の者が皆、見て通る。
わけてこの川尻と、唐人町の河岸すじは、便船に乗る旅客だの、商人の荷駄だの、物売り女だのと、往来が
「……く。く。……くっ」
猿ぐつわの口のなかで、伊織は声をもらしていた。そして身をもがき、首をふり、やがては、ぽろぽろ泣いている。
その側で、荷を積んだ馬が、とうとうと
刀も差さない、生意気もいわないから、もう
――すると。
もう真夏に近い炎天を、
(……あっ。おやっ?)
伊織の眼は飛びつきそうに、その人の白い横顔へ
どきん! と胸が鳴って、体じゅうがくわっと熱くなって、気もみだれてしまいかけた刹那に、その人の白い横顔は、わき目もせず、店の前を過ぎて、後ろ姿になってしまった。
「ね、ねえ様だっ。――
首を伸ばして、伊織は、絶叫した。いや、彼だけは、絶叫をもって、その人の背後へ呼びかけたつもりであろうが、声は誰にも、聞えてはいなかった。
泣きぬいた後は、声も出ない。ただ肩で
伊織は、
――今行ったのは、姉さんのお通さまに違いない!
――会えたのに。会えもしない。おらがここにいるのも、知らずに行ってしまった。
――何処へ。どっちへ?
と、思いみだれ、胸の中で、泣き
「おいおい。佐兵衛どん。何だってこの
主人の小林太郎左衛門は堺の店にはいなかったが、その
「こんな往来先へ、こんな小さい者を、いくら
帳場の佐兵衛は、伊織が、
「はい。はい」
と、服従しながらも、一方でくどくど告げ口していたが、南蛮屋は、
「そんな持て余す小僧なら、わしの家へもらって帰るよ。きょうは一つ、御寮人やお鶴にも、話してみよう」
と、耳にもかけず、奥へ通ってしまった。御寮人に聞えてはと、佐兵衛はひどく
大戸が
店も閉まった
「わしがお前を、貰ってゆこうと、掛合ったところがな、御寮人もお鶴も、何といっても、いやだという。やはり可愛いのだよ。だから辛抱せい。……その代りにな、明日からはもう、あんな目には、会わしゃあせんで。……よいか、おい、大将。はははは」
彼のあたまを
嘘ではなかった。南蛮屋がいってくれた
また、寺子屋へ通う間だけ、刀を差すことも、奥からの言葉で、免許になった。――佐兵衛もほかの者も、それからは余り辛く当らない。
だが。だが。
伊織はそれ以来、どうも
そしてふと、心にある人の面影に似ているらしい女性でも通ると、はっと、顔のいろまで変えるのだった。時には、往来まで飛び出して、見送っていたりする――
それは八月も過ぎて、九月の初めだった。
寺子屋から帰って来た伊織は、何気なく、店さきへ立つと同時に、
「おやっ?」
と、そこへ
ちょうどその日は。
朝から小林太郎左衛門の店と河岸の前には、おびただしい
荷物には、どれにも、
とか或は、
豊前小倉藩何組。
とかいう木札が見られて、そのほとんどが、細川家の家士の
――ところへ今、伊織が外から戻って来て、軒先に立つと共に、あっ? といって血相を変えた、というわけは、広い大土間から軒先の
「店の者」
と小次郎は、
「船が出るまで、ここに待っておるのでは、暑うてかなわぬが――便船はまだ着いていないのか」
「いえ、いえ」
と、送り状に
「お召しになる
「同じ待つにも、水の上はいくらか涼しかろう。はやく船へ行って休息したいものだが」
「はいはい。もういちど手前が行って急がせて参りましょう。しばらく、御辛抱を」
佐兵衛は汗をふく暇もない顔つきして、すぐ土間から往来へ駈け出したが、そこの物陰に
「伊おじゃないか。この忙しいのに、棒を呑んだように、そんな所に突っ立っている奴があるか。お客様たちへ、麦湯でも上げたり、冷たい水でも汲んで来てさしあげろ」
と叱り捨てて行った。
「へい」
と、答える振りはしたが、伊織はついとそこから駈けて、土蔵のわきの露地口にある湯
そして眼は――大土間の中にいる佐々木小次郎の姿から放ちもやらずに、
(おのれ)
と、
だが小次郎のほうでは、一向気づかない
細川家に召抱えられて、豊前の小倉に居を定めてから、彼の
そのせいもあろう、今も、彼のまわりにいる円満の家士はみな、
(
とか、
(先生)
とか、
小次郎という名は廃したわけではないが、その重い役目と、風俗とに、漸くふさわしくない年配にもなったためか、細川家へ行ってからは、名も巌流と称していた。
汗をふきふき、佐兵衛は船から戻って来て、
「お待たせいたしました。胴の間のお席はまだ片づきませぬので、もうしばらくお待ちねがいますが、
と、触れた。
「では、お先に」
「巌流先生。お先へ」
ぞろぞろと、一群れは店口から立って行く。
巌流佐々木小次郎と、そのほか六、七名が後に残っていた。
「佐渡どのが、まだお見えなさらぬの」
「もう追ッつけ、着かれようが」
残った組は、みな年配で、服装から見ても、藩の然るべき要職にある者ばかりらしい。
この細川家家中の一行は、先月、陸路を小倉から立って、京都に入り、三条車町の旧藩邸に逗留して、そこで病歿された故幽斎公の三年忌の
今思い合せると、この晩春ごろ、高野を下り九度山へ立寄って去った長岡佐渡の主従は、その八月の営みの準備のため、あれから京都へ廻って、その経歴と顔の古い関係からも、一切の奉行を
「――西陽がさしこんでまいりました。皆様、巌流様にも、どうぞ、まちっと奥のほうでお休みくださいまし」
佐兵衛は、帳場へ返っても、のべつ気を
「ひどい
と、扇で身を払いながら、
「口ばかり
と、いう。
「はいはい。熱い湯では、なおなおお暑うございましょう。唯今、冷たい
「いや、道中、水は一切飲まぬことにしておる。湯が結構だ」
「これよ――」
と、佐兵衛は坐ったまま首を伸ばして、湯沸し場のほうを
「そこにいるのは、伊おじゃないか。何をしている。巌流様へ、お湯をさしあげい。各様にも」
と、どなった。
それなり佐兵衛はまた、送り状やら何やらに眼を忙しげに
で――佐兵衛はまた、それには無関心になって、送り状を書いていた。
「お湯を」
と、伊織は、ひとりの武家の前でお辞儀をし、順に、
「どうぞ」
と、またお辞儀をして行った。
「いや、わしはいらぬ」
という武家もあって、彼の捧げている盆には、まだ二ツの茶碗が熱い麦湯を
「お取り下さいまし」
伊織は、最後に、巌流のまえに立って、盆を向けた。巌流はまだ気づかず、何気なく手をのばしかけた。
――はッと、巌流は手をひいた。
触れかけた熱湯の茶碗が熱かったためにではない。
手が、そこまでゆかない間に、盆を捧げている伊織の眼と、彼の眼とが、かちっと、
「あっ。そちは――」
巌流の
「おじさん。この前会ったのは、武蔵野の原でしたっけね」
にっと笑って見せたのである。――
その、
「何!」
巌流が、思わず、大人げもない声を釣り出されて、何か、次のことばでも吐こうとしたらしく見えたせつな、
「覚えているかっ!」
と、手に捧げていた盆を――それに乗せてある茶碗も熱湯も共に――がらっと、巌流の顔を目がけて
「――あっ」
巌流は、腰かけたまま、顔をかわし、途端に、伊織の腕くびを引っつかんでから――
「ア
片目をつぶりながら、憤然と、突っ立った。
茶碗も盆も、うしろへ飛んで、土間の隅柱に当って一箇は砕けたが、こぼれた熱湯のしぶきが、顔、胸、
「ちイッ」
「この
時ならぬ二人のさけびと、茶碗の砕けたひびきとが、一つになって、居合す人々の耳を
起き上がろうとすると、
「うぬ」
と、巌流は、伊織の背を、手間ひまなくふみつけて、
「店の者っ」
と、どなった。
片目をおさえながらである。
「この
仰天した佐兵衛が、飛び下りて来て抑える
「なにを」
どう抜いたか――いつもその佐兵衛から禁物にされている刀を抜き払って、下から巌流の
巌流は、またも、
「あ、こやつ」
と、
佐兵衛が、そこへ、
「
絶叫して、飛びついて来たのと、伊織が跳ね起きたのと、同時であったが、伊織は、狂せるもののように、
「なにをッ」
と、なおいいつづけ、佐兵衛の手が、自分の体にふれると、振りほどいて、
「ざまア見ろ! ばかっ」
巌流の
――だが。
軒先から二間も駈けると、伊織はすぐ前へのめって仆れていた。巌流が土間の中から、有り合う
佐兵衛は、若い衆と協力して、伊織の両手を
巌流がそこへ出て来て、濡れた
「とんでもない御無礼を」
「何とお詫び致しましょうやら」
「何とぞ、御寛大に……」
などと口を揃えながら、伊織をそこにひき据えて、佐兵衛を初め店の若い衆たちは、あらゆる謝罪の
若い衆たちに、両の手をねじ上げられて、地へ顔をこすりつけられている伊織は、そのわずかな間も、苦しがって、
「離せっ。離してくれっ」
と、もがき叫び、
「逃げはしないよっ。逃げるもんかっ。おらだって、さむらいの子だ。覚悟でしたこと、逃げなんかするか! ……」
と、いった。
髪をなで、
「――離してやれ」
穏やかにいった。
むしろ意外にして、
「……えっ?」
と、佐兵衛たちが、その寛大な
「離しても、よろしゅうございましょうか」
「だが」
と、そこへ釘を打ちこむように、巌流はいい足した。
「どんなことを致しても、詫びれば
「へい」
「元より、取るに足らぬ
「……ア。その湯柄杓で」
「それとも、このまま、放してよいと、其方どもが思うなら、それでもよし……」
「…………」
さすがに佐兵衛も若い衆たちも、顔見合せてためらっていたが、
「どうしてこのままに済まされましょう。自体、日頃からよくない
と口々にいう。
暴れ狂うにちがいない。そこの素縄を持って来い。両手を縛れ、膝を縛れ――などと
「何するんだいッ」
と、いった。
そして地面に坐り直し、
「覚悟してしたことだから逃げないといってるじゃないか。おらはその侍に、湯をかけてやる
「いったな!」
佐兵衛は、腕を
(……むウ!)
と、唇をむすんだまま、伊織は両眼をくわっと開いて、それを待っていた。
――すると、何処かで、
「眼をふさげ。伊織! 眼をふさいでいないと、眼がつぶれる!」
と、注意する者があった。
誰か? と声のほうを見る
そして、頭の上から注ぎかけられる熱湯を待ちながら――その意識も払いのけて――いつしか武蔵の草庵で、ひと夜、武蔵から聞いたはなしの、
甲州武士がふかく
――心頭ヲ滅却スレバ火モ
と、いって死んだという人。
眼をつぶりながら、伊織は、
(なんだ、
と、思ったが、またすぐ、
(あ。そう思うのが、もういけないんだ)
と気づいて、頭のしんから体じゅうを、しーんと
だが。駄目であった。
伊織には、そうなれない。いっそ伊織が、もう少し年がゆかなかったら、或はなれよう。でなくば、もっともっと年をとっていたら、或はそこに到達されよう。彼ももう、あまりに物ごころがありすぎていた。
――今か。……今か。
――すると、巌流の声が、
「おお。御老台か」
と、後ろでいった。
(伊織、眼をふさげ!)
と、注意した者のほうへ――思わず眼をやって――そして一瞬、伊織へかぶせる熱湯を、ためらっていたのだった。
「えらいことが始まったのう」
御老台と呼ばれた人物は――道の向う側から足をうつして来ていた。若党の
「これは、とんだ所を、お目にかけてしもうた。はははは、
大人げないと思われはしまいか。――巌流は藩の先輩にそう自分ですぐ
佐渡は、伊織の顔ばかりじっと見て、
「ふむ。懲らしめにな。……理由のあることなら、仕置もよかろう。サササ。やりなさい。佐渡も見物しよう」
熱湯の
「もうよい。これで
すると、伊織は、さっきから開くともなく開けたまま、
「あっ。おらは、お武家様を知っていら。お武家様は、
と、
「伊織。覚えていたか」
「アア! ……忘れるもんか。徳願寺で、おらにお菓子を下さった」
「今日は、お前の先生の武蔵とやらはどうしたな。……この頃は、あの先生の側にはいないのか」
問われると、伊織は突然、シュクと鼻をすすって、鼻と
佐渡が、伊織を知っていたのは、巌流にも、意外であった。
けれどその長岡佐渡は、自分が細川家へ仕官する前から、自分の今の位置へ、宮本武蔵を推挙していた者であり、なおその後も、君公とつがえた約を果さねばならぬとかいって――折あるごとに、武蔵の
(何かの時、伊織を通じて武蔵と知ったか、武蔵をさがすために、伊織を知ったか。とにかく、そんな縁故だろう)
と巌流は、察した。
けれど巌流は、
(この少年を、どうしてご存じか?)
とは、
だが、好むと好まないとに
郷土的な関係もあろう。武蔵の生地も自分の生れた土地も共に中国だし、また、武蔵の名声も自分の名も、江戸にあって考えるのとは想像以上に、郷土や西国一帯には話題となっていたのである。
なお必然、細川家の本藩支藩を通じても、伝え聞く武蔵を高く評価する者と、新任の巌流佐々木小次郎を偉なりとする者とが、何とはなく対立していた。
その一方に、巌流を細川家へ
で。いずれにせよ――
巌流が佐渡に或る感じを持ち、佐渡が巌流に好意をもっていないことも明白なのだ。
「お支度ができました。胴の
その時。
巌流にとっては、折もよく、
「御老台、ひと足お先へ」
と、佐渡へいい、他の家中の者をも誘って、あわただしげに、船の方へぞろぞろ立去った。
佐渡は、後に残って、
「船出は、
「へい。左様で」
と、番頭の佐兵衛はまだ、この場の始末が着ききらないような
「ではまだ――休息して参っても、間に合おうな」
「間に合いまするとも。どうぞお茶など一ぷく」
「
「ど、どういたしまして」
と、佐兵衛はひどく、痛い皮肉を浴びた顔して、頭を掻いたが、その時、店と奥との
「佐兵衛。ちょっと……」
と、小声で呼んだ。
店先では、あまり
「では、ことばに甘えよう。わしに会いたいとは、この家の
「お礼を申したいとかで」
「何の礼じゃ」
「多分……」
と佐兵衛は、そこでも頭を掻いて、恐縮しながら、
「伊織のことを、無事にお扱い下さいましたので、主人に代ってそのご挨拶を申すんでございましょう」
「オ。伊織といえば、あれにも話がある。こっちへ呼んでくれい」
「かしこまりました」
庭はさすがに
数寄屋の一間に、
「この
とそこに腰のみ掛けて、茶を喫した。
お勢からは、改めて、
「ただ今は、何とも――」
と、雇人たちの無考えな仕方だの伊織についても、詫びやら礼をのべたが、佐渡は、
「いや何。あの子供は仔細あってわしが以前に見かけたことのある者。来合せたのが
と、訊ねた。
御寮人は、
「――最前、彼が熱湯を浴びせられそうになって、大勢の中に、坐ったところを、往来をへだててじっと見ておったが、なかなか
佐渡から、望まれると、
「願うてもない……」
と、お勢も同意し、お鶴もよろこんで、早速、伊織を呼んで来ようと席を立つと、その伊織は、さっきから近くの木陰に
「
皆に、意志を訊かれると、もちろん厭どころではない。ぜひぜひ小倉とやらへ連れて行ってくれという。
船出は間もない――
お鶴は、佐渡がそこでお茶を
夕焼け雲に、黒い帆の翼を張りきって、船は潮路を
お鶴さんの顔――
御寮人の白い顔――
佐兵衛の顔。たくさんな見送人の顔。
伊織は、笠を振っていた。
岡崎の
そこの一つの露地口に、板の打ってあるのを見れば、
よみかきしなん
寺子屋であろう。
だが、その先生の自筆らしい看板の文字からして、はなはだうまくない。横目にみて、苦笑して通る識者もあるだろう。けれど、
(わしも、まだ子どもで、修行中だからな)
と、いうそうである。
露地の突当りは、竹やぶだ。竹やぶの彼方は馬場で、天気だと、のべつ
で、埃がくる。
もとより独り者。
今しがた、昼寝からさめたとみえ、井戸の
ぱーん!
と
雑草にからんだ昼顔の花を、ぽんと投げてあるのだった。
――悪くない。と、自分でも見ているらしい。
それから机に坐って、無可先生は、習字をし始めた。
「…………」
ここへ住んでからでも、一年の余になる。日課を務めたせいだろう。看板の文字よりは、はるかに上達していた。
「お隣のお師匠さん」
「はい」
筆を
「――隣のおばさんか。暑いのう、今日も。お上がりなされ」
「いえいえ。上がってはいられないが……何じゃろ? 今大きな音がしたようだが」
「ははは。私の
「子ども衆をあずかる先生、悪戯しては困ったものじゃ」
「ほんにな……」
「何をなされたのじゃ」
「竹を伐ってみたのでござる」
「そんならよいがわたしはまた――何かあったのじゃないかと、胸がどきっとした。うちの
「だいじょうぶです。私の首など三文の値もしませんから」
「そんな
亭主も女房も、親切者で、わけておかみさんは、独り者の無可先生のために、時には炊事煮物の法を教え、時には縫いもの洗濯ものの労まで取ってくれる。
それはいいが、無可先生を、ややもすると、困らせる一事は、
(いいお嫁さんがあるのだが――)
である。
毎度毎度、やたらにそのお嫁に来たい口を持って来ては、
(いったい、どうして女房を持たないのさ。まさか女嫌いでもあるまいに)
と、問いつめて、時には無可先生をして殆ど、答えに
だが、これは彼女の罪ばかりでなく、無可先生自身も悪いので、
(自分は、
などとお座なりをいったことがあるので、年頃も年頃、人品もよし、第一に真面目でおとなしいし……と隣の夫婦がすぐ
そのほか。
何の
その中に、
(おもしろいな)
無可先生は、一脚の小机から、世間をながめ、世間に学んでいるらしかった。
しかし、こういう世間には、ひとり無可先生ばかりでなく、どんな人間が住んでいるか知れなかった。時節が時節でもある。
先頃まで、大坂の柳の馬場の裏町で、
また。名古屋の辻で、
九度山の
もちろんそういう大物ばかりが世間に隠れているわけではなく、くだらない物もそれ以上、ごろついているのが世間であり、その
無可先生についても、近ごろ、誰がいい出したともなく、無可と呼ばずに、武蔵とよぶ者が、ちらちらあって、
「あの若い方は、宮本武蔵といって、寺子屋などは、何かの都合でしていることで、ほんとは一乗寺下り松で、吉岡一門を相手にして勝ちぬいた、剣の名人であらっしゃる」
と、頼まれもせぬことを、触れてあるく者もあった。
「まさか?」
と、いったり、
「そうかしら……?」
と、いったりして、
そういう危険が、絶えず身を
(知れたもの――)
と、およそ
「お隣のご夫婦、またちょっと留守にいたすが、頼みまする」
声をかけて、出て行った。
筆屋の夫婦は、開け放して、晩飯をたべていたので、その姿が、軒先をよぎる時ちらと見えた。
筆屋のかみさんは、舌打ちして、つぶやいた。
「いったい何処へ行くんだろうね、あの先生はさ。子供たちの指南は、お
亭主は、笑って、
「独り者だ。仕方がないさ。他人の夜遊びまで、
露地を出ると、宵の岡崎は、
「あら。先生が行く」
「無可先生」
「すまして行くこと」
町の娘達が、眼顔して、
だが、彼の行く足は、真っ直だった。遠い王朝のむかしから、ここの辺りは、
ほどなく、城下の
と星明りに読める。
すると、約束したように、そこに待っていた一個の
「武蔵どのか」
と、いった。
無可先生は、
「おう。又八か」
近づいて、笑顔を見合う。
まさしく一方の者は、本位田又八である。江戸町奉行所の前で、百の
無可とは、武蔵が、仮の名であった。
星の下。
ふたりの間には、かつての旧怨もなく、
「禅師は?」
武蔵が問うと、
「まだ旅よりお帰りもなし、お便りもない様子」
と、又八がいう。
「お長いなあ」
対岸の松の丘に、古い
「どうだな又八。禅寺の修行というものは、なかなか辛いものだろう」
そこの山門へ向って、暗い坂道を登って行きながら、武蔵がいうと、
「辛い――」
又八は、正直に、青い
「何度も、逃げ出そうと思ったり、こんなにも、辛い思いをしなければ、人間になれないなら、いっそ首でも
「まだまだおぬしは、禅師へおすがりして、入門の許しを得た弟子ではないから、そこらはほんの修行の初歩だ」
「しかし――お蔭でこの頃は、弱い気持が出ると、これではならぬと、自分で自分を、
「それだけでも、修行のかいが目に見えて来たわけだな」
「苦しい時には、いつもおぬしを思い出すのだ。おぬしでさえ、やり越えて来たこと、おれに出来ぬわけはないと」
「そうだ。わしがしたこと。おぬしに出来ぬことはない」
「それと、一度死ぬところを――沢庵坊に救われた生命と思い、また、江戸町奉行所で、百叩きにされた――あの時の苦しみを思い出しては――何を、何をと、今の修行の辛さと朝夕闘っている」
「
「……少し分りかけて来た」
「
「寺にいると、
「はやく、禅師に会って、おぬしの身も頼みたいし、わしも何かと、道について、禅師に
「一体、いつお帰りなのだろう? 一年も便りがないといっているが」
「一年はおろか、二年も三年も、
「その間、おぬしも、岡崎にいてくれるか」
「いるとも。裏町に住んで、世間の底の、雑多な
山門といっても何の
又八道心は、そこの
まだ彼は、正式にここの寺籍にはいっていないので、禅師の帰るまでそこに
武蔵は、時々、彼をここへ訪れて、夜更けまで話しては、帰って行った。もちろん二人が、旧交を取りもどし、又八も一切を捨てて、こうなるまでには、――そこに、江戸の地を離れてから以後の話も残ってはいるが。
話は、以前になるが。
去年。――
時には、
彼の歩みには、確とした一つの目的と、一定の法則があるようであってまた、ないもののようでもあった。
彼自身は、ひたすら一筋の道をば、脇目もふらず歩いているかに思われるが、
武蔵野の西郊を
彼の姿は、そこから先、しばらくのあいだ、どこでどう暮していたか分らない。
文字どおりな
解けないものが次々に彼の心を
「だめだ」
自分で自分を、時にはまったく、
「いっそ……?」
と、人なみな安逸を想像した。
お通は? すぐ思う。
彼女と共に、安逸をたのしむ心になれば、すぐにでも出来そうな気がするのだ。また、百石や二百石の、
けれど。顧みて、
――それで不足はないか。
と、自身に問うてみると、彼は決して、そんな生涯の約束を、甘受できなかった。反対に、
「
と、身を
時には、さもしい、浅ましい、餓鬼のように煩悩の中に。また時には、澄み返った、峰の月のように、孤高を独り楽しむほど
そういう心の中の明暗不断な
「よし」
と、思う域には達していないのだった。その道の遠さ、未熟さが、自分には、余りに分りすぎているので、時折の迷いと、苦悶とが、烈しく襲ってくるのだった。
山に入って、心が澄めば澄むほど里を恋い、女を思い、いたずらに若い血が狂いそうになる。木の実を喰べても、滝水を浴びて、いかに肉体を苦しめてみても、お通を夢みて、うなされる。
ふた月ばかりで、彼は山を降りてしまったのである。そして藤沢の
又八は、江戸を追われてから、鎌倉へ来ていた。鎌倉には、寺が多いと聞いていたからである。
彼もまた、べつな意味で、苦悩していたところだった。もう二度と、自分が歩いて来た
武蔵は、彼にいって、
「遅くはない。今からでも、自分を
と、励ましたが――しかし、と付け加えて、
「とはいえ、かくいう武蔵も、実は今、何かまったく、壁のような行止りと、ともすれば、おれは駄目かな? ――と疑いたいような、虚無に
正直に、武蔵は告白して、さてまた、又八へ向っていうことには、
「ところが、今度の無為の病は、すこし重い。いつまでも、打開できぬ。殻の中と、殻の外との、境の闇に、もがいている無為から無為の日がつづく苦しさ……。で、ふと思い出したお方がある。そのお方の力をお借りするほかはないと――実は山を下りて、この鎌倉へ、そのお人の消息をさぐりに来た次第だが」
と、話した。
武蔵がいう、思い出した人というのは、彼がまだ十九か二十歳の向う見ずに道を求めてさまよっていた時代――京都の妙心寺の禅室へ足しげく通っていたことがあって――その頃、啓蒙の師事をうけた
聞くと、又八は、
「そういう和尚ならば、ぜひおれを
と、いった。
果たして又八が、そういう本心になったのか否かを、武蔵も初めは疑ったが、又八が、江戸へ出てから会った
なぜならば、愚堂和尚は、数年前に妙心寺を去って、東国から奥羽の方を旅しているとは聞えていたが、至って、飄々たる存在で、時には、
「岡崎在の、
こう、さる寺で教えられて、ではそこへと、武蔵と又八は、岡崎へ来たが、愚堂和尚はやはりいなかった。けれど、一昨年ぶらりとお姿を見せ、
「では、何年でも、お帰りまで待とうではないか」
と、武蔵は町に仮の家をさがして住み、又八は
「小屋の中は、
又八は蚊やりを
「武蔵どの、外へ出ようか。蚊は外にもいるが、少しは……」
と、いう間も、眼をこすっていた。
「うむ、どこでも」
武蔵は先に出た。こうして訪れるたびに、少しでも、又八の心に何か不足を足して行ければ、彼の心もちは済むのだった。
「本堂の前へ行こう」
深夜なので、そこは誰もいなかった。
「……七宝寺を思い出すなあ」
階段に足を投げ出し、縁に腰をかけながら、又八はつぶやいた。二人が顔をあわせた時、何ぞといえば、木の実や草の話からでも、すぐ
「……うむ」
と武蔵にも同じ思い出がわいていた。けれど、それからは、二人とも、黙って、思いを口に出さなかった。
何時ものことである。
故郷のはなしが出れば、それにつれて、お通のことが、二人の念頭に
今では、又八も、それを
――だが、その晩にかぎって、又八は、もっとそれについて話したいような顔つきで、
「七宝寺のある山は、ここよりも高かったな。ちょうど麓には、
武蔵の横顔を、そういいながら見つめていたが、突然、
「なあ、武蔵どの。いつかいおう、いつか頼もうと思っていたが、つい、いい出しかねていたが、おぬしにぜひ承知してもらいたいことがあるのだ。
「わしに? ……はて。何をだ? ……。いってみい」
「お通のことだが」
「え」
「お通をっ……」
という先に、感情のほうが、舌に
武蔵の顔いろも動いていた。お互いに触れまいとしていたものを、又八から急にいい出されて、
「おれとおぬしとは、心も溶け合うて、こうして一つ夜を語り合ったりしているが、あのお通は、どうしてるだろう。――いやどうなって行くだろう。この頃、ときどき思い出しては、済まないと心で詫びているのだ」
「…………」
「よくもおれは、長年の間、お通を苦しめたものだった。
「…………」
「おい
その晩。――もう夜も
黙々と、松風の闇を、八帖の山門から、
腕を
彼が自分でいうところの
今、本堂で別れて来た又八の言葉が、松かぜに洗われても、いつまでも、耳から離れなかった。
――頼むから、お通の身を。
と、真剣でいった又八のあの声である、顔つきである。
自分へそういった又八も、いい出すまでには、幾夜となく、
だが、より以上、見苦しい迷いと、苦悶とは、かえって自分にあることを、武蔵は
……頼むから!
又八が、面と向って、それをいい出した時、武蔵は、
(それは出来ない!)
ともいい切れなかった。
(お通を、妻にもつ気はない。以前は、おぬしの
とは、なおさら、いわれなかった。
では、何といったか。
武蔵は、始終、何もいわなかったのであった。
何をいおうとしても、自分のことばは、嘘になるからだった。
といって胸の底に
それにひきかえて、今夜の又八は、必死だった。
お通のことからして、解決しておかなければ、
――というのだった。
そしてまた、
(おぬしがおれに修行をすすめたのではないか。それほど、おれを友達と思ってくれるなら、お通も救ってやってくれ。それはおれを救ってくれることにもなるんじゃないか)
と、七宝寺時代の幼な友達の頃の口調そのままになって、果てはおいおいと泣いていったのである。
武蔵は、彼のその姿に、
(四ツか、五ツの頃から見ているが、こんな純情な男とは思わなかった――)
と、心のうちで、その必死な言に打たれると共に、
(おのれの醜さ。おのれの迷い……)
とわが身をさえ恥かしく思って別れてしまったのであった。
別れる時、又八が、
(……考えておく)
といったが、又八がなお、すぐ返辞をと求めてやまないので遂に、
(考えさせてくれ)
と、辛くも、一時のがれをいい残して、山門を出て来たのだった。
――卑怯もの!
武蔵は自分へ
無為の苦しさは、無為を
なさんとして、何もできないのである。血みどろに
壁へ頭をぶつけ、
――浅ましや己れ。
武蔵は、憤怒してみる。あらゆる反省を自己へそそいでみる。
が、どうにもならないのだ。
武蔵野から、伊織を捨て、権之助にわかれ、また、江戸の知己すべてと
――これではならじ。
と、
そして半年以上。気がついてみれば、破った筈の殻は、依然として
お通のこと。
又八のいったことば。
そんなことすら、今の彼には、解決がつかないのだ。考えても、考えても、
その強い川風のなかに
ぐわうん、と矢矧川が同時に鳴った。鉄砲の音波に相違なかった。よほど火力のある
武蔵は? ――と、見れば、矢矧の
「……?」
隣の筆屋の夫婦が、いつも気に病んでいっている言葉が思い出された。――しかし武蔵には、この岡崎に、自分を敵視する者があることさえ不思議だった。何者なのか、思い出せないのである。
そうだ。
今夜はそれを一つ見届けてやろうか。身を
だいぶ間があった。そのうちに、二、三人の男が八帖の丘の方から
「はてな」
「見えんなあ」
「も少し、橋寄りの方ではなかったろうか」
すでに、
鉄砲の
何者か?
そこに見えている二、三人の人影には、思い当りもなかったが、いつ
武蔵ばかりでなく、およそ今の時勢に生きている人間には、すべてに、日常に、その要心があった。
まして。
きょうまでにも、
もとより、正当な試合、または非は彼にあって、武蔵にない場合の結果でも――およそ、討たれた者の側からいえば、あくまで、武蔵は
だから、このような時勢に、
寝る間も油断のならない危険に
武蔵は今、ひたと、身を寄せて
素裸になって、目の前の危険に
「……はて?」
わざと、敵を近よせて、敵の何者であるかを確かめようと思い、息をこらしていると、その影は、期していた武蔵の死骸がそこらに見当らないので、はっと気づいたらしく、彼らもまた、物陰へかくれて、人なき往来と橋の
その動作に。
武蔵が、はて? ――と感じたわけは、怖ろしく
この辺の藩士とすれば、岡崎の本多家、名古屋の徳川家であるが、そういう方面から、危害を向けられる理由が考えられなかった。――不審だ。人違いかも知れない。
いや人違いにしては、先頃来から露地口を
「ははあ……橋向うにも仲間がいるな」
武蔵が見ていると、物陰の暗がりへ
そこにも、飛び道具を持って潜んでいるし、橋向うにも敵の仲間がいるとすると、敵は相当、備えを立てて、
(今宵こそは)
と、
武蔵の八帖寺通いも幾夜となく、この橋を通ることもしげしげであったから、敵は、それを確かめ、地の利と配置とを、十分に用意しておく余裕もあったにちがいない。
で――
が武蔵には、
平常の理論は「勘」の
「勘」は、無知な動物にもあるから、無知性の霊能と混同され易い。智と訓練に
殊に、剣においては。
今の武蔵のような立場に立った時においては。
武蔵は、身を
「
川風が烈しいので、声は届いたか届かなかったか疑われだが、その返辞に代えて、すぐ鉄砲の第二弾が、武蔵の声がした辺りを狙って撃って来た。
もとより武蔵はもうそこに身を置いていなかった。橋桁に添って、九尺もいる所をかえていたが、弾と行き
次の弾をこめて、火縄の火を
「や。や」
「う。うぬ」
刀を払って、おどって来た武蔵を、三方から迎えたが、それさえ
武蔵は、三名のなかへ割って入ると、
一人は逃げ出したが、よほど
――それから、武蔵も、常の足どりで、ただ欄干に身を添いながら、大橋を渡って行ったが、何の事も起って来ない。
しばらくの間、来る者あれば待つように、身を
家に帰って彼は眠った。
すると、翌々日。
無可先生として、手習い子の中に
「ごめん――」
軒端からさし
「――
子供らの中から、武蔵は、顔をあげて、
「無可は、私ですが」
「尊公が、無可と仮名しおる、宮本武蔵どのか」
「え」
「お隠しあるな」
「いかにも武蔵に相違ござらぬが、お使いの
「藩の
「はて。存じ寄らぬお人でござるが」
「先様では、よう知っておいでられる。
「人に誘われて、俳諧の寄合へ参りました。無可は、仮名に非ず、俳諧の席でふと思い寄ってつけた俳号でござる」
「あ。俳名か。――それはまあ何でもよろしいが、亘殿も、俳諧を好まれ、家中の
「俳諧のお招きなれば、他にふさわしい風流者がござろう。気まぐれに、当地の
「あいや。何も、俳莚を開いて句をひねろうというのではない。亘殿には、仔細あって、其許を知っておられる。――で会いたいというのが趣旨。また、武辺ばなしなど、聞きもし、話もしたし――というのであろうと存ぜられる」
手習子たちは皆、手を休めて、先生の顔と庭に立っている二人の侍の顔とを、心配そうに見較べていた。
武蔵は、黙って、そこから縁先の使いを、正視していたが、考えを決めたものとみえ、
「よろしゅうござる。お招きに甘えて参堂いたそう。して、日は」
「おさしつかえなくば、今夕にでも」
「
「いや、お越し下さるとあれば、その時刻に、
「然らば、お待ちする」
「では――」と、使いの二人は、顔を見あわせて、
「お暇しよう。――武蔵どの、御授業の中、失礼した。では相違なくその時刻までにお支度おきを」
と、帰って行った。
筆屋の女房は、隣の台所から、顔を出して、不安そうに
武蔵は客が帰ると、
「これこれ、人のはなしに気をとられて、手を休めていてはいかんな。さ、勉強せい。先生もやるぞ。人のはなしも、
墨だらけな、子供たちの手や顔を、見まわして笑いながらいった。
武蔵は身支度していた。
「よしたがよい。何とかいうて、断りなされた方が……」
その間、隣のかみさんは、縁先へ来て止めていた。果ては、泣かぬばかりに。
だが、ほどなく、迎えの駕は露地口へ来てしまった。もっこのような町駕ではない。
何事やらん――と近所
子供らは子供らを呼び集めて、
「先生はえらいんだぞ」
「あんなお駕は、えらい人でなければ、乗れないよ」
「どこへ行くんだろ」
「もう帰らないのかしら」
駕戸をおろすと、侍は、
「こら、
先を払って、
「いそげ」
と、
空が赤かった。町のうわさは夕焼に染められている。人が散った後へ、隣のかみさんは、
ところへ。
若い弟子を連れた坊さんがそこへ来た。法衣を見てもすぐ分る通り禅家の
体は、小づくりで、
「おい。おい」
連れている
「又八とやら。おい又八坊」
「はい、はい」
そこらの軒並びを覗き歩いて、うろついていた又八坊は、
「分らないのかい」
「ただ今、さがしております」
「おまえ、一度も、来たことはないのか」
「はい。いつも、山へ足を運んでくれますのでつい」
「訊いてみなさい。その辺で」
「は。そう致しましょう」
又八坊は、歩きかけると直ぐ、戻って来て、
「愚堂さま。愚堂さま」
「おい」
「分りました」
「分ったか」
「ついそこの、眼の前の露地口に、看板の板が打ってございました。――
「ウむ。そこか」
「おとずれてみましょう。愚堂さまには、ここでお待ち下さいますか」
「何。わしも参ろうよ」
おとといの夜、武蔵とあんな話をして別れたので、きのうも今日も、どうしたかと気にかけていた又八に、きょうは大きな歓びが降って来た。
待ちかねていた――二人して
さっそく、又八から、武蔵のことを伝えると、和尚はよく記憶していて、
「会ってやろう。呼んで来い。いや彼ももうひとかどの男。こちらから出向いて行こう」
と、八帖寺では、わずかの休息をしたきりで、直ぐ又八を案内に、町へ下りて来たのだった。
――一体、何で自分を、迎えによこしたのか?
それについても、彼には思い寄りもなかった。
または。――日頃から自分をつけ狙っている何者かが、手にもてあまして、遂に、
いずれにしても、
その覚悟とは?
もし問う者があれば、彼は、
臨機。
と一語で答えるだろう。行ってみなければ分らないことなのだ。生兵法の推理はこの場合禁物である。機にのぞんで、
その変が、行く途中で起るか、行った先で起るか。
敵が、
それも未知数である。
海の中を揺れて行くように、駕の外は暗く、そして松風の音だった。岡崎城の北郭から外郭の一帯は松が多い。さては、その辺をいま通って行くな――
「…………」
武蔵は覚悟の人とも見えない姿だった。目を半眼に閉じ、うとうとと、駕の中で眠っていた。
ギイ、と門の開く音。
駕をになう小者の足幅はゆるやかになり、そして、家人らの声は
「……着いたのかな」
武蔵は駕を出てみる。いんぎんに迎える家従らは、黙々、彼を広い客間へ通した。
「
五十がらみの人。見るからに剛健で、軽薄の風がない。典型的な三河武士だ。
「――武蔵です」
礼を
「……お楽に」
志摩は、会釈して、さて――という顔をしていった。
「一昨夜、家中の若侍二人、
ぶつけである。
思慮の
「事実でござります」
さて。――それからどう出て来るか。武蔵は、志摩の
「それについて」
と、志摩は口重く、
「――お詫びせねばならぬ。武蔵どの、まず許されい」
と、少し
しかし、武蔵は、その挨拶を、まだそのままには受け取れなかった。
今日、自分の耳にはいったばかりであるが――と
「藩へ、死亡届が出た。
と、話しだした。
嘘は、見えない。武蔵も、信じて、聞き出した。
「――で、何が故に、貴公を闇討ちにしようと計ったか、厳重に、調査いたしてみた所、御当家のお客分に、東軍流の兵法家で
「……ははあ?」
なお、武蔵は
だが、次第にそれも解けた。亘志摩の話によって明確になった。
三宅軍兵衛の
そうした人々の間に、
(近頃、御城下で、
と、伝えられ出したことから、今なお、武蔵に深い怨恨を抱いている者の口火から、
(
となり、
(討てぬものか)
と、
「
と、なってしまって、かなり根気よく機を
吉岡拳法の名は、今もなお、慕われている。諸国行く先々で聞かぬ所はない。いかにその盛んであった時代には、多くの門下を、諸国に持っていたかも察知できる。
本多家だけでも、その刀流を
「――で、その不心得と、恥ずべき卑劣は、きょう御城内で、その者どもへ、きつく叱りおいた。ところが、お客分の三宅軍兵衛殿には、自身の門人も交じっていたことゆえ、いたく恐縮されて、ぜひ
「軍兵衛殿には、ご存じない儀とあれば、それには及びませぬ。兵法者の身に取れば、前夜の事ども路傍ままあること」
「いや、それにせよ」
「謝罪の何のというのでなく、ただ道を語る人としてなら、かねてお名まえを聞いておる三宅殿、お目にかかることに異存もござりませぬが」
「実は、軍兵衛殿も、それを望んでおるのじゃ、――さらば、早速にも」
三宅軍兵衛は、先に来て、別の間に待っていたものとみえ、弟子四、五名連れて、ほどなくはいって来た。弟子というのも、勿論、
亘志摩から、三宅軍兵衛とその他の者を、
「どうか、一昨夜のことは、水に流して」
と、門人の非を謝し、それからは隔意もなく、武辺ばなしや、世間ばなしに、座は賑わった。
武蔵が、
「東軍流という御流名は、めったに、世間にも、同流を見かけぬように存ずるが貴方の御創始か」
と、問うと、
「いや、てまえの創始ではござらぬ」
と、軍兵衛がいう。
「てまえの師は、越前の人、
と、武蔵の姿を、改めて、しげしげ見直しながら、
「かねて、お名前だけを聞いておった感じでは、もっと、御年配かと存じていたが、お若いので、意外でござった。――これを御縁にぜひ一手、御指南にあずかりたいが」
と、迫った。
武蔵は、
「いずれ折もあらば……」
と、軽くかわし、
「道不案内ゆえ」
と、志摩へ挨拶しかけると、いやいやまだお早い、帰りは誰か、町の口までお送りさせる――と引き止めて、軍兵衛がまた、
「実は
武蔵は、微笑していう。自分はまだかつて、意識して二刀を用いたことはない。いつも一体一刀のつもりである。いわんや、二刀流などと自分から
しかし、軍兵衛たちは、
「いや、
と、承知しない。
そして、二刀の法について、いろいろな質問を出し、いったいどういう習練をし、どれほどな力量があったら、二刀を自由に使いこなせるものか――などと幼稚なことを臆面もなく訊いてくる。
武蔵は、帰りたくて堪らなかったが、こういう人たちに限って、その質問に満足を得ないと、帰しそうもないので、ふと、床の間に立てかけてある二
主の許しを得て、武蔵は、床の間から二挺の鉄砲を取って、座の中央にすすんだ。
「……はて?」
何をするのかと、人々は怪しみながら見まもった。二刀についての質問を、二挺の鉄砲で、どう答えるつもりかと。
武蔵は、鉄砲の筒のほうを、左右の手に、持ちながら、片膝を立て、
「二刀も一刀。一刀も二刀。左右の手はあるも体は一体。すべてにおいて、道理にふたつなく、理の窮極においては、何流何派といえど変りのある訳はござらぬ。――それを眼にお見せ申そうならば」
と、両手に握った鉄砲を示し、
「御免」
といったかと思うと、
凄まじい風が座に起って、武蔵の
「…………」
何がなし人々は、気をのまれて、
武蔵は、やがて直ぐ、
「失礼いたした」
と、微笑を見せたのみで、二刀の法については、何も説明らしい説明もせず、そのまま席を辞して、帰ってしまった。
その門を、振り向くと――
「…………」
武蔵は、何やらほっとした。白刃の囲みを脱したよりも、こよいの門は虎口だった。形のない、底意の知れない相手だけに、彼も実は、用意する策もなかったのであった。
それにしても人々に武蔵と知られ、また、事件を
「又八との、約束もあるし、どうしたものか?」
独り案じながら、松風の闇を、歩いて来ると、岡崎の町の灯が、街道の突当りに、ちらと見え出して来た頃、路傍の辻堂から、
「おお武蔵どの。――又八だ。心配しながら、待っていたのだ」
思いがけなく、その又八が、声をかけて、無事を喜んだ。――が、
「どうして、此処へ」
と、武蔵は疑う。
しかしふと、辻堂の縁に、腰かけている人影に気づくと、彼は又八から仔細を聞いている
「
と、その脚下に
愚堂は、彼の背に、
「久しいのう」
といった。
武蔵も、
「お久しゅうござりました」
と、同じことをいった。
だが、その簡単な言葉のなかに、万感がこもっていた。
武蔵に取っては、自分が近来、突当っている無為から自分を救ってくれる者は、沢庵か、この人しかないと、待ちに待っていたその愚堂和尚であったから、あたかも、闇夜に月を仰いだように、愚堂の姿を仰いだのであった。
又八も愚堂も、武蔵がこよい、無事で帰るかどうかは、不安に思っていたのである。悪くしたら武蔵は、
夕方。
行き
さては。
と、そこで帰りを待つ気にもなれず、何か取る策もあろうかと、亘志摩の邸附近を心あてに、これまで来たわけである――と又八は話した。
武蔵は、聞いて、
「そんな心配を
と、彼の親切気には、深く謝したが、なお、愚堂の脚下にひざまずいた身はいつまで、起そうともせず、じっと地に坐っていた。
そして、やがて、
「
と、強く呼んだ。愚堂の眸を、きっと見上げたままにである。
「なにか」
愚堂は、武蔵の眼が、自分に何を求めているか、母が子の眼を読むように、すぐ覚っていたが、
「何か」
かさねて訊ねた。
武蔵はひたと、両手をつかえ、
「妙心寺の
「そうなるかのう」
「月日は十年を歩みましたが、自分は何尺の地を這ったか。顧みて、自分でも疑われて参りました」
「相変らず、乳くさいことをいう。知れたことじゃ」
「残念でござります」
「何が」
「いつまで修行の至らぬことが」
「修行、修行と、口にしているうちはまだ駄目じゃろうて」
「といって、離れたら?」
「すぐ
「離せば、
「そこだな」
「和上っ。――お目にかかる今日の日を、どれ程、お待ちしていたか知れませぬ。どうしたらいいでしょう。如何にせば、今の迷いと無為から脱し切れましょうか」
「そんなこと、わしは知らぬ。自力しかあるまい」
「もいちど、私を、又八と共に、御膝下へおいて、お叱り下さい。さもなくば、一
ほとんど、顔へ土のつくばかり、武蔵は地に伏して叫んだ。涙こそ流さないが、声は
だが、愚堂の感情は、ちっとも動いたとは見えない。黙って、辻堂の縁を離れたかと思うと、
「又八。来い」
と、のみいって、先へ歩き出した。
「
武蔵は起って、追い
すると――
愚堂は黙って、かぶりを振って見せた。けれどなお、武蔵が手を離さないので、こういった。
「無一物」
と。――そこで
「何かあらん。
ほんとに
「…………」
武蔵は、
「…………」
茫然、武蔵が、その背を見送っていると、後に残った又八が、早口に彼をなぐさめていった。
「禅師は、うるさいことが嫌いらしい。寺に見えた時、おれがおぬしのことや、自分の気持を述べて、弟子入りを頼むと、よくも聞かないで、――そうか、では当分、わしの
――と、彼方で。
愚堂は足を止めて、又八を呼んでいた。又八は、はいっと大きく答えながら、
「いいか。そうしろよ」
いい残すと、あわてて愚堂の後を追いかけて行った。
愚堂は又八が気に入ったらしい。弟子として許されている彼が、武蔵には、
「――そうだ。たとい何と仰っしゃられようと」
武蔵は、くわっと、体が燃えるように思った。――怒って振り上げたあの鉄拳を横顔に受くるまでも、一言の教えをここで乞わずにまたいつの日会う折があろう。何万年とも知れぬ悠久な天地の流れのうちに、六十年や七十年の人生は、さながら電瞬のような短い時でしかない。その短い一生のあいだに、会い難き人に会うというほど尊いものはない。
「――その尊い機縁を」
と、武蔵は、
どこまでも!
一言の答を得るまでは。
武蔵はやにわに追いかけた。そして愚堂が歩く方へ、彼も足を早めて、
知ってか。知らずか。
愚堂は、八帖の方へは、帰らなかった。恐らくその足は、ふたたび八帖の寺へ帰る意志はなく、もう水と雲とを住居としている心なのであろう。東海道へ出て、京へさして行くのであった。
愚堂が、木賃に泊れば、武蔵は木賃の軒端に寝た。
朝、又八が、師の草鞋の紐をむすんで立つ姿を見て、武蔵は、友人のために
しかし、武蔵は、もうそれに心を屈しなかった。むしろ愚堂の眼ざわりにならぬよう遠く離れて、日ごとに慕い歩いて行った。――その夜そのまま、岡崎に残して来た裏町の一庵も、そこの机も、
京へ、京へ、道は近くなる。
察するに愚堂は、京へさして歩いているのであろう。花園妙心寺は、その総本山でもあるし――。
だが。
その京都へはいつ着くことやら、
そこの大仙寺には七日もいた。彦根の禅寺にも幾日か泊った。
禅師が木賃に泊れば、附近の木賃へ。寺ならば寺の山門へ、武蔵はどこにでも寝た。そしてひたすら、禅師の口から一言の教えを授けられる機会を待った。いやそれを追いつめて行ったのだった。
湖畔の寺の山門に寝た晩、武蔵は、今年の秋を知った。いつか秋だった。
顧みると、わが身のすがたは、まるで乞食のようになっている。
吹き落ちるような星、秋の声。
一枚の
「何の愚ぞ」
と、自分の狂的な今の気持を、冷ややかに
一体、何を知ろうとするのだ。何を禅師に求めるのだ。
こんなにまで、追求しなければ人間は生きられないものか。
愚かな身に住む
禅師はいった。求める自分へ対して、はっきり断っている。
無一物。――と。
その人へ向って、無い物を強いて求めるのが無理だ。いくら
「…………」
武蔵は、髯の中から、月を見た。山門の上は、いつか秋の月だった。
まだ蚊がいる。
彼の皮膚は、もう蚊の針さえ感じない。しかし、喰われた後は血になって、それが無数に、
「ああ、分らない」
たった一つ、何かしら、分らないものがある。――それさえ
もし、自分の道業も、ここで終ってしまうなら、むしろ死したがましだと思う。生きて来たかいが見出せないのだ。寝ても眠られないのだ。
では。
その分らない物とは何、剣の工夫か、それのみではない。処世の方角か。そんなことにも止まらない。お通の問題か。否とよ、恋のみで、男がこんなにまで痩せ細ろうか。
すべてをつつんだ大きな問題だ。しかしまた、天地の大から
武蔵は、
「……?」
何を見たか、そのうちに武蔵は起き上がって、山門の柱を見つめていた。
山門の柱に懸っている長い
汝等請ウ其本 ヲ務メヨ
白雲ハ百丈ノ大功ヲ感ジ
虎丘ハ白雲ノ遺訓ヲ歎ズ
先規茲 ノ如シ
誤ッテ葉ヲ摘 ミ
枝ヲ尋ヌルコト莫 ンバ好シ
「…………」白雲ハ百丈ノ大功ヲ感ジ
虎丘ハ白雲ノ遺訓ヲ歎ズ
先規
誤ッテ葉ヲ
枝ヲ尋ヌルコト
これは開山大燈の
――誤ッテ葉ヲ摘ミ枝ヲ尋ヌルコト莫ンバ好シ。
とあるそこだけを、心に沁みて読み返していた。
枝葉――
そうだ。いかに、葉や枝先にのみ、
(自分も)
と、そこに顧みて、彼は、急に一身が軽くなった。
その一身に
あの事は?
この事は?
――とは思うが、その一道に行詰っていればこそ、右顧左眄が生じるのだった。葉を
どうして、その行詰りを打開するか。核に入って核を破るか。
(汝、そも何の見地かあって、愚堂門の客たらんとするか)
と、足蹴にかけないばかり
(修行修行といってるうちは、まあ駄目じゃろう)
と、
自笑十年行脚事――
と、愚堂は
(救い難い愚物)
と、あいそも尽き果ててしまわれたに違いない。
呆然、武蔵は立っていた。寝もやらず、山門のまわりを巡って――
すると、
この
いつになく早い脚で。
何か、本山に急用でも起って京へ急ぐのか。寺の人々の見送りも断って、瀬田の大橋を真っ直に。
武蔵は、もちろん、
「――遅れては」
と、白い月の下の影を追って、果てなく慕って行った。
軒並び寝しずまっていた。昼見る大津絵屋も、混雑な
大津の町。
そこも、またたく間に過ぎて。
道は、のぼりになる。三井寺や
やがて、峠の上へ出た。
「…………」
先の愚堂は立ちどまっている。又八坊に何か話しかけ、月を仰いで一息ついている姿だった。
もう、京は眼の下。振返れば、
武蔵は、一足遅れて、そこへ登って来た。計らずも、愚堂と又八が、足を止めていたので、その影を間近に見もし――先からも見られて、何がなし、ぎくとした。
愚堂も無言。
武蔵も無言だった。
しかし、こう眸を向け合ったのは実に何十日目か。
武蔵は、咄嗟に、
「今――」
と、思った。
京都はもうそこだ。妙心寺の
「……もしっ!」
彼は、遂に叫んだ。
だが、余りに思いつめていたので、その思いに、
「……?」
何だ――。とも訊いてくれないのだ。
まるで
「もしっ。和上っ……」
二度目にさけんだ時は、武蔵はもう前後も
「
とのみいったきりで、大地へ
そしてじっと――武蔵は全身でその人の一言を待っていたが、いつまでも、実にいつまでも、答えはなかった。
武蔵は待ちきれず、こよいこそは、抱懐の疑義を
「聞いておる」
愚堂は初めて、口を開いて、
「又八坊から、毎晩のように、聞いておるので万承知じゃ。……
終りの一句に、武蔵は、水をかけられたここちだった。
「又八、棒切れを貸せ」
愚堂はいって、彼の拾った棒切れをうけ取った。武蔵は、頭上に下る三十棒を観念して、眼をふさいでいたが、棒は彼の
愚堂は、棒の先で、地へ大きな
「行こう」
と、棒を捨てた。
そして愚堂は、又八をうながして、すたすた歩み去った。
武蔵はまたも、取り残された。岡崎の場合とちがって、ここに至ると、彼も憤然とした。
数十日のあいだ、真心と、
「……くそ坊主め」
彼方をにらんで、武蔵は、唇を喰いしばった。いつか、無一物などといったのは、絶無の
「ようし、みておれ」
もう
ぬッと立った。怒りが立たせたように突っ立った。
「…………」
そしてなお、月の彼方を、
「……や?」
彼は、その位置のまま、身を
円い筋のまん中に、立っている自分を見出したのである。
――棒を。
と、
「何の
武蔵は、その位置から、一寸も動かず考えた。
円――
いくら見ていても、円い線はどこまでも円い。果てなく、屈折なく、窮極なく、迷いなく円い。
この円を、
自己も円、天地も円。ふたつの物ではあり得ない。一つである。
――ばっ!
と、武蔵は、右の手に一刀を払い、円の中に立って凝視した。影法師は、片仮名のオの字のような
「影だ――」
武蔵は、そう見た。影は自己の実体でない。
行き詰ったと感じている道業の壁もまた、影であった。行き詰ったと迷う心の影だった。
「えいッ――」
と、空を
左手に、短剣を払った影の形は変って見えるが、天地の
「ああ……」
「オオ! ……。
武蔵はふいに、疾風のように駈け出した。愚堂の後を追いかけて。
だがもう何を、愚堂に求める気もなかった。ただ、
――しかし、思い止まった。
「それも、枝葉……」
と。そして、
武蔵、又八などが、岡崎を去って、立つ秋と共に、京都のほうへ移っていた頃、伊織は長岡佐渡に
お杉ばばは、昨年、その小次郎が江戸から小倉へおもむく際、途中まで行を共にして、家事整理と
かくて、その人々の足跡と所在とは、この秋、以上のようにほぼ分っていたが、今なお、
これまた、風の便りもない。
それと、さし当って、生命さえ案じられるのは、九度山へ引っ立てられて行った夢想権之助の身の上であるが、これは伊織の口から、長岡佐渡に洩らせば、佐渡の交渉ひとつで、何とか救いの道はつこうというもの。
もっとも、その前に「関東の
――むしろ。ここにひとり。
身は無事でも、憂うべき運命の人がある。以上の誰をさし
「お通さん、いるかの」
「はい。――おりますが、どなた様ですか」
「
と、その万兵衛が、
「オ。
「いつも、ようお働きだのう。――せっかく、働いているところを、邪魔してはわるいが、ちょっと話があるで……」
「どうぞ、おはいり下さいませ。そこの木戸を押して」
と、お通は、髪にかけていた手拭を、
ここは
だが、お通が今いる所は、
そうした小さい紺染屋は、この海辺の部落に、何軒もあった。
だから、ここの紺染は、糸がつづれるまで着ても
だが。お通は唄わない。
彼女が、ここへ来たのは、夏の頃で、杵をもつ仕事にも、まだ馴れなかった。今思うと――この夏、暑い日盛りを、泉州
ちょうどその頃。お通は、
――とすれば、何という惜しさ。
運命に盲目な人間のあわれさ。
彼女が乗って来たその船は、廻船問屋の太郎左衛門の持船であったにちがいない。
日こそ違うが、同じ
そして、その
巌流や佐渡とは、よしや顔見あわせても知らずに過ぎようとも、どうして伊織と会えなかったろう。いつの船でも、
実の姉! と、あれほど探している伊織に――。ひとつ浦辺に寄りながら。
いやいや会えなかった筈ともいえるのだ。細川家の家中が乗船したので、
飾磨は、
彼女がここへ来たことから察しると、春、柳生を立ち、江戸へ行った頃には、もう武蔵も沢庵もいなかった後で、わずかに、柳生家や北条家を訪ねて、武蔵の消息ぐらいを聞き、ふたたびその人に会わばやの一心から――旅へ、旅へ、春から夏を歩き過し、遂に、ここまで来たものと思われる。
ここは姫路の城下に近く、同時に、彼女が育った郷里――
七宝寺で育てられた頃の、乳母はこの飾磨の染屋の妻だった。思い出して、身を寄せたものの、故郷に近いので、外を出歩いたこともない。
乳母はもう五十近いのに子もなかった。それに貧乏でもあるし、ただ遊んでいるのも心苦しく、
そこへ。何か折入って、話があると訪ねて来た万兵衛。近所の麻屋の主人である。
(何であろ?)
お通は、
「折わるく、小母さんもお留守でございますが、どうぞおかけ遊ばして」
母屋の縁の方へ、誘うと、万兵衛は手を振って、
「いやいや。長居はせぬ、わしも忙しい体じゃ」
と、そのまま、立話に、
「お通さんの
「はい」
「わしは長年、竹山城の御城下宮本村から、
「うわさ。それは、誰の? ……」
「おまえのさ」
「ま。……」
「それから」
と万兵衛は、にやにやしながら、
「宮本村の武蔵という者のはなしも出たりして」
「え。武蔵さまの」
「顔いろを変えたな。はははは」
秋の
「お
と、地へしゃがみ込んだ。
お通も、
「お吟さまとは、あの……武蔵様のお姉上にあたる?」
「そうじゃ」
大きく
「そのお吟どのに
「わたくしがこの
「そうじゃが、何も悪いことはあるまいて。いつだったか、
「お吟さまには、今、どこにお
「平田某とやら、名はわすれたが、三日月村の郷士の家にいるそうな」
「ご縁家でございまするか」
「たぶん……そんなことじゃろう。それはともかく、お吟どのがいわっしゃるには、何かと、
お通もふと、
「――が
「では、私に?」
「おう、詳しゅうはいわぬが、武蔵どのからは、時折、便りも来ているそうな」
お通は、そう聞くと、一も二もなく、今からでもと、もう胸にきめていたが、ここへ身を寄せてからは、何かと案じもし、相談相手にもなってくれている乳母へ黙って答えてはと、
「行くか、行けないか、晩までに、ご返辞に伺います」
と、万兵衛には返辞した。
万兵衛は、ぜひ行ってくれとすすめ、明日ならば、自分も佐用まで行く商用があるから殊に都合がいいが――という。
と、垣を背に、海を前に、膝をかかえて
若い侍は、十八、九。まだ二十歳を出たとはみえない。
ここから、わずか一里半しかない姫路の人であろう。池田家の藩士の子息といったら間違いはあるまい。
釣にでも来たか。
しかし、
「――じゃあ、お通さん」
垣の中で、万兵衛の声だった。
「夕方、返辞してくれないか。行くとすれば、わしは朝、早立ちじゃ。都合もあるから」
どぶり、どぶりと、砂浜に打つ波音のほかは、からんと静かな真昼である。万兵衛の声は、大きく聞える。
「はい。夕方までには。……ご親切に、ありがとうございました」
低い、お通の声でさえも。
木戸を開けて、万兵衛が出て行くと、それまで、垣の裏に坐っていた若い侍は、ついと身を起して、万兵衛の姿を、見送っていた。
――何か、見届けるような、
だが、その顔は、
ただ。
不審なのは、万兵衛を見送ってから、今度はまた、頻りと垣の内をのぞいていたことだった。
「…………」
ごとん、ごとん――
よその染屋の庭から、同じような杵の音と、染屋娘の唄が、のどかに流れていた。
お通の杵にも、
わが恋は
あひそめてこそ
まさりけれ
飾磨 の布の
色ならねども
唄わないお通は、あひそめてこそ
まさりけれ
色ならねども
便りもそこへ来ているとあるから、お
女は女同士。お吟様へなら自分の気もちを語ることもできる。――武蔵様の実の姉、きっと、妹とも思って、聞いて下さるにもちがいない。
しかし、久しぶり心は明るく、
うらみてのみぞ
すぎしかど
こよひ泊りぬ
あふの松原
――と。
彼方の波打際を編笠の影が、急ぎもせぬ足で歩いて行った。白い潮風を、横ざまに受けながら。
「……?」
何がなし、お通は、見まもっていた。けれどべつに、何と思ったわけでもない。ほかに眼をやる鳥一羽見えない海だったからである。
染屋の小母とも計り、万兵衛へも約束をつがえたとみえ、次の日朝まだき。
「では。どうぞご厄介でも」
お通は、麻屋の軒へ、万兵衛を誘いあわせ、その万兵衛に
旅といっても、飾磨から佐用
姫路の城を、北の空に遠くながめ、
「お通さん」
「はい」
「脚は達者のようだな」
「ええ。旅には、わりあいに馴れておりますから」
「江戸表まで行きなすったそうだの。よくもまあ、女ひとりで、思い切って」
「そんなことまで、染屋の小母が話しましたか」
「何もかも、聞いているわさ。宮本村でも、うわさしているし」
「お恥かしゅうございます」
「恥かしいことがあるものか。好きな人を、そうやって、慕っていなさる心根は
「そんなことはございませぬ」
「恨みとも思わないのかえ。やれやれ、よけいに
「あのお方はただもう御修行の道にひたむきなのでございます。……それを想い切れない私の方が」
「悪いというのかい」
「すまないと思っております」
「ふうむ……。家の
「お吟さまは、まだ
「さ。……どうだろう」
万兵衛は、話の穂を折って、
「あれに茶店がある。ひと休みしようか」
街道の茶店へはいって、茶をのみ、弁当など開いていると、
「よう
と、通りかけた馬子や荷持の雑人たちが馴々しく言葉をかけて、
「きょうは半田の賭場へは寄んねえのか。こないだは
などと万兵衛へいった。
「きょうは、馬はいらないよ」
万兵衛は
「お通さん、行こうか」
と、軒を出た。
「いやに、素ッ気ねえがと思ったら、ばかに
「野郎、お
「ははは。返辞もしねえわい」
と、うしろでいった。
万兵衛も気がさしたか、二、三町歩いてから、お通の疑いへ答えるともなく、
「しようのない奴らだ。いつも山出しの荷駄に雇ってやるものだから人に
と、つぶやいた。
しかし、その馬子達よりも、彼に取って、もっと注意すべき人間が、今休んだ茶店のあたりから
きのう浜にいた――
ゆうべは、
そして、今日。
「万兵衛さま」
疲れたのか、無口に、先へ歩いてゆく連れを、呼びかけて、
「ここはもう三日月ではございませぬか。――あの山を越えればすぐ、
お通が、後ろで、独り
「おいのう」
万兵衛も、足を止めて、
「宮本村も、七宝寺も、あの山のすぐ
「…………」
お通は、
そこに、いるべき人のいない山河は、あまりに寂しい。あまりにもただ、自然でありすぎる。
「もすこしじゃ。お通さん。
万兵衛は、歩き出す。お通も
「どういたしまして。貴方さまこそ」
「何さ、わしは始終、商用で通っている道」
「お
「あれに」
と、指さして、
「お吟様も、待っているに違いない。ともあれ、もう一息」
足は早くなる。
やがて、山の瀬に行きあたると、そこ此処に、家があった。
ここは龍野街道の一宿場なので、町というほどの戸数もないが、一膳めし屋、馬子の
そこも通り抜けて、
「ちと、登りになるぞ」
万兵衛は、山の方へ向って、石段を上がり出した。
杉に囲まれた村社の境内ではないか、お通は、寒げに叫ぶ
「万兵衛さま。道をお間違えなされはしませぬか。この辺りには、家も見当りませぬが」
「いや、お吟様へ告げて来るあいだ、寂しかろうが、
「呼んで来ると仰っしゃるのは……?」
「いい忘れていたが、お吟様がいうには、訪ねて来る時は、家に都合のわるい客でも来合せているといけないから……ということだった。お
もう杉林の中は暗い。
万兵衛の影は、そこを縫って細道を、急ぎ足に行ってしまった。
人を疑うという性情の乏しい彼女は、それでもまだ、万兵衛の挙動について、疑ってみることを知らなかった。
正直に、山神の
「…………」
空は暮れてゆく。
ふと、身の辺りに、眼を落すと、暗い秋風が
その一葉を、指に持って、廻しながら、彼女はなお、根気よく待っていた。
愚というか、純というか、まるで少女のような彼女のそうした姿を、その時、誰か御堂のうしろで、げらげら
「――?」
びっくりして、お通は、御堂の縁から跳びのいた。
めったに、物事を疑ってみることをしない彼女だけに、事の意外に打たれると、驚き方も、人よりはひどく、そして
「お通っ。動くでない!」
堂のうしろの笑い声が消えた次の一瞬――同じ場所からこう鋭い――何ともいえない
「……アッ」
お通は、思わず、両手で耳を
それほど、何事かに恐れたのなら、逃げればよいのに、そうはしないで、
その時――
眼をふさいでも、耳を
「万兵衛。ご苦労じゃったのう。礼は後でしますぞよ。そこで――皆の衆よ。あやつが、悲鳴を揚げぬうち、猿ぐつわを
お杉ばばは、お通を指さして、断獄を命じる
他の四、五名は、みな郷士ふうの男であり、ばばの一族らしかった。ばばの一言に、おうっと高く答えると、
「――近道を」
「それっ」
とばかり、走り出したのであった。
お杉ばばは、にやりと見送ったまま、一足後に残っていた。万兵衛へ約束の駄賃を与えるためであろう、帯のあいだに、用意してきたかねを与えて、
「よう連れ出したのう。巧く行くやら、どうやらと案じていたが」
と、
「他言しやるな」
と、釘をさした。
万兵衛は、貰った金を改めて、これも満足顔に、
「なあに、わしの
「小気味のよかったことわいな。見たか、今のお通の
「余りのことに、逃げることもできず、
「なんの。何が罪ッぽいことがあろうぞ。わしに取れば」
「いやもう、そのお恨みばなしは先日も」
「そうじゃ。わしも、こうしてはおられぬ……いずれまた、程経て、下ノ庄の屋敷へ遊びに来やい」
「では、御老婆様。そこからの間道は、道が悪うございます。お気をつけて」
「そなたも、人中へ出たら、口に気をつけやい」
「はいはい。口は至って堅い万兵衛、その辺はどうぞご安心を……」
いいながら、別れて、足さぐりに暗い石段へかかったと思うと直ぐ、ぎゃッ――とそれ
お杉ばばは、振り向いて、
「どうしやった? 万兵衛ではないか。万兵衛……」
と、地を
――答える筈もない。万兵衛はすでに、この世の息をしていないのだ。
「……ア、あ?」
ばばは、息を
「……た、たれじゃ?」
「…………」
「誰じゃ。……名を、名を
ばばは、乾いた声を無理に張っていった。
このばばの、年がいもない虚勢と、
「わしだよ。……おばば」
「え」
「わからないか」
「分らぬ。聞いたこともない声。
「ふ、ふ、ふ。物盗りなら、おぬしのような、貧乏婆に眼はつけぬ」
「なんじゃと。……では、わしに眼をつけて来たとか」
「そうだ」
「――わしに?」
「くどい。万兵衛ごときを斬るために、わざわざこの三日月まで追っては来ぬ。おぬしに思い知らせるためだ」
「ひぇっ」
「人違いじゃろが。おぬしは誰じゃ。わしは、本位田家の後家、お杉という者」
「おう、そう聞くだに、なつかしや俺の恨み、今はらしてやろうぞ。おばば! おれを誰と思う。この城太郎を見わすれたか」
「……げっ? ……城……城太郎じゃと」
「三年たてば、
「……おう、おう。ほんにお
「よくも、長の年月、お師匠さまを苦しめたの。師の武蔵さまは、おぬしを年寄と思えばこそ、相手にならず、逃げまわっていた。――それをよいことにして、諸国、江戸表にまで出て、
「…………」
「まだある。――その執念で、お通さままでを、折あるごとに、追い苦しめた。もうよい程に、非を
「…………」
「憎んでも飽きたらぬばばめ。一太刀に斬るのは
城太郎は、前へ出て来た。
助けておくが――とはいったが
「……?」
ばばは、一歩一歩後へ
「何処へ」
と、その首の根を抑えられ、くわっと口を開くと、
「何しやるっ」
年こそ寄れ、きかない気性が、
城太郎も、もう以前の子どもではない。身を退けながら、ばばの体を前へ突き返していた。
「わ、
草むらの中へ、首を突っこみながら、彼女は
「何を」
と、城太郎も
彼もまた、彼である。そのばばが歯がみを、
もう十八か九。よい若者にはちがいないが、気持は多分にまだ乳くさい。それに積年のうらみともいえる憎悪が積り積ってのことである。
「どうしてくれよう」
引摺って来て、山神の御堂の前にたたきつけ、なお、闘志を
いや、それよりは、先におばばの指図で、下ノ庄の屋敷とかへ、手取り足取りして連れ去った――お通の身がなお、そうしている間も案じられるのだ。
そもそも――といえば、余りに由来でもありそうだが、お通が
(よく似た人――)
と、注意していたことから、こういう彼女にも、危急にも、偶然、出会ったわけだった。
神の導きと、城太郎は思いがけない機縁に感謝した。同時に、お通に対しての、飽くなきおばばが迫害を、
(このばばを除かぬうちは、お通さんは、安心しては生きてゆかれない)
と考え、一時は殺意をさえ起したが、折角、父の丹左が城下に帰参したばかりでもあるし――元来うるさい山郷士の一族などと、事を構えてはと――その程度には大人らしくも思慮して、とに角うんと彼女を
「ウウム。いい隠居所がある。おばば、こう来い」
城太郎は、彼女の
「面倒」
と、引っ抱えて、御堂の裏へ駈けて行った。
そこに、この
佐用の部落であろう、
山も、桑畑も、河原も、ただ広い闇だった。――そして、今越えて来たうしろの三日月の峠も。
足に、石ころを踏み、耳に佐用川の水音を聞くと、
「おい。待てよ」
と、うしろの一人は、前へ行く二人を呼びとめた。
その二人は、素縄で後ろ手に
「どうしたか、後から直ぐ行くといったおばばが、まだやって来ぬ」
「ウム、そういえば、もう追いついて来そうなものだが」
「きかぬ気でも、ばばの脚では、間道の上りが、ちと骨なのだろう。手間取っているに違いない」
「ここらで一休みしていようか。――それとも佐用まで行って、二軒茶屋でも叩いて待つとするか」
「どうせ待つなら、二軒茶屋で一杯やっていようじゃないか。……こういうお荷物を曳っぱっていることだし」
で、その三名が水明りを探って、浅瀬を越えかけた時である。
「おおオいっ」
と、遠い闇から声がした。
振り向き合って、
――はて?
と耳を澄ましていると、二度めの声は、より近く、オオーイとまた聞えた。
「おばばかな?」
「……いや、違う」
「誰だろう」
「男の声だ」
「でも、おれ達を呼んだのじゃあるまいが」
「そうだ。おれ達を呼ぶ者はない筈だ。おばばが、あんな声を出す筈もなし」
秋の水は、刃物のように冷たい。ざぶ、ざぶと、水へ追い立てられるお通の足には、その冷たさがなおさら沁む。
と。うしろから。
タタタと
「お通さん! ――」
と、叫びながら、水煙を浴びせて、ざざざッと、向う岸まで一気に駈け渡ってしまったのである。
「――あっ?」
浴びた
先に駈けて、河を越えた城太郎は、彼らの上がろうとする河原の
「待てっ」
と、両手を拡げていた。
「や。何やつだ。
「何者でもよい。お通さんを、何処へ連れてゆくか」
「さては、お通を取り返しに来たな」
「いかにも」
「つまらぬ所へでしゃばると、命がないぞ」
「おぬしらは、お杉ばばの一族の者であろう。おばばの
「何。おばばの吩咐だと」
「おお」
「嘘をいえ」
郷士たちは、
「嘘ではない。これを見よ」
城太郎は、立ち
不首尾、今更せんもなし
お通の身、ひとまず
じょう太郎の手にかえし
わが身を連れに引っ返さ
るべく候。
「? ……。何だこれは」
読み合って、眉をひそめた郷士たちは、城太郎の姿を、足もとから見上げ、その間に、濡れた足を水から揚げて、河原の岸にかたまった。
「見たら分るであろう。文字が読めぬのか」
「だまれ。この中にある、城太郎とは、
「そうだ。拙者は、青木城太郎」
というと――
「あっ……城太さん!」
とつぜん、お通が、絶叫して、前へのめりかけた。
「ア。猿ぐつわが
と、城太郎と応対していた郷士は、うしろへいってまた、
「なるほど、これはおばばの
血相を
「
と、澄まして、
「お通さんを渡せば、おばばの居場所も教えてやる。否か応か」
と、いった。
さてこそ、いくらおばばを待っていても後から来ない筈――と、三名は目顔を見合せていたが、そういう城太郎のまだ乳くさい年頃を
「ふざけたことを申すな。どこの青二才か知らぬが、おれたちを、何だと思う。下ノ庄の本位田といえば、姫路の藩士なら一応は知っている筈」
「面倒。否か応か、それだけ聞こう。否というなら、おばばの身は、
「こいつ」
跳びかかって、一人は城太郎の腕くびを
「たわごと申すと、首の根をたたき落すぞ。おばばの身を、どこへ隠した?」
「お通さんを渡すか」
「渡さんっ」
「では、拙者もいわん」
「どうしても」
「だから、お通さんを、返せ。そうすれば、双方怪我なく事はすむ」
「ちッ。この青二才」
「何を」
城太郎は、反対に、彼の力を利用して、その男を肩越しに投げつけた。
しかし、途端に、
「あっ……」
と城太郎も尻もちついて、右の太股を抑えた。
投げつけた男から、抜打ちに一太刀、ぴゅっと
城太郎は、人を投げる
投げられる相手も、生き物であるからには、ただ投げられたままではいない。途端に、刀も抜こうし、無手でも脚へしがみついて来る可能性がある。
敵を投げるには、投げる前にまずその考慮がなければならないのに、蛙でも叩きつけるように、脚下へ投げつけ、しかも身を
(してやった)
と、思った瞬間に、太股のあたりを
しかし、幸いに傷は浅かったとみえ、城太郎も跳ね起き、相手も立ち上がると、
「斬るな」
「手捕にしろ」
と、他の郷士が呶鳴って正面の相手と力を
城太郎を斬ってしまえば、お杉ばばを何処へどうして人質にしてあるか、それを知る道がなくなるからであろう。
同様に、城太郎もまた、ここでうるさい郷士らと、血を見ることは避ける考えだった。藩の聞えを思い、父に
けれど、物の
相手の三人に、
「この
「
「これでもかっ」
「何をっ」
今度は、彼が、先刻うけた不意打の逆を行って、いきなり脇差を抜くなり、乗しかかっている男の腹部へ突きとおした。
「……うッ。ち!」
「くそっ、貴様もか」
起き上がるなり、また一名の真っ向へ
「わ。や、やったな」
「こいつら。こいつらっ」
城太郎は、
彼に刀法はない。伊織のように武蔵から正しい刀法の基本を授けられていなかったためである。しかし、血を浴びて
郷士たちの方は、二人といっても、すでに一人は
「来て下さいっ。どなたでも、
――が、叫んでも、駈けめぐっても、十方の闇、河の水音と、虚空をゆく風の声しか、彼女に答えるものはない。
そうした時、気の弱い彼女も、自力に気がついた。
人の救いを呼ぶまえに、なぜ自分の力を出してみないかに、はっと気づいたのである。
「――ちイッ」
河原に坐って、岩のかどで、身の
と――お通は、両手に小石をつかみ、
「城太さん!」
と、さけびながら、その城太郎の相手の面部へ、一つ投げつけた。
「わたしもいる! もう大丈夫っ! ……」
と、また一つ。
「……ちイッ。城太さんッ、
ぴゅっと、さらに一つ。
だが、石は、三つとも相手のどこにもあたらず、皆それてしまった。
彼女は急いで、また次の小石を拾った。――すると、郷士のひとりが、
「あっ、この
城太郎から、ふた跳びほど躍って、彼女の背へ、刀のみね打ちを振り下ろそうとした。
――やッては!
と、城太郎も追った。
そして、その郷士の男が、頭上から刀を下ろす
「こいつめ」
城太郎の
それは凄まじい働きだったが、城太郎の脇差は、
結果は明白である。
だが、残った郷士の一人は、先に
――見れば、彼方を、脚の折れた
「待てッ」
当然な勢いである。
それにもう破れかぶれな気もちもある。追いかけざま一打ちと駈け出しかけたのだった。すると、お通が、むしゃ振りついて叫んだ。
「およしなさいっ。……およしなさい。逃げて行く者を! ……あんなに傷を負っている者を!」
その声の、骨肉を
「それよりも、
――そうだ。
城太郎も、それには異議がない。ここはもう
「駈けられるかい。お通さん」
「ええ。だいじょうぶ!」
二人は、ずっと以前の、小娘と
もう三日月の宿で、起きている家は、一軒か二軒。
その一つの灯は、宿場にたった一軒の
年下の男をつれた
「……城太さん、それでは、お前も江戸表で、武蔵様にはお会いすることができなかったのですね」
その後のはなしを、彼から
城太郎は、彼女も、木曾路でちりぢりになって以来、今もってその人に
「――が、お通さん、そう嘆くことはないよ。風の便りだけれど、近頃、姫路にこんな噂がある」
「え。……どんな?」
「武蔵様が、近いうちに、姫路へ来るかも知れないのだ」
「姫路へ……。それは、ほんとでしょうか」
「噂だから、どの程度まで、信じていいか分らないが、藩ではもっぱら本当らしくいわれている。――細川家の師範佐々木小次郎と試合する約束を果すために、近く、小倉へ下るだろうと」
「そんな噂は、私もちらと聞いたことがありますが、誰が一体いい出したことやら、
「いや。藩で
「では、その日は、もう近々でございまするか」
「さ。その辺のことになると、
「でも、船路もありますもの」
「いや、恐らくは」
と、城太郎は、首を振って、
「船では行かれまい。なぜならば姫路でも岡山でも、山陽の各藩では武蔵様が通過の節はぜひ一泊を引き留めよう。そして、人物を見よう。またはそれとなく、仕官の望みがあるかないか、肚を訊こう。……などと
そう聞くと、お通はかえって、ああと嘆いて、
「では、なおさらです。武蔵様が、
と、絶望していった。
うわさの程度でも、
「――では城太さん。京都の花園妙心寺へゆけば、確かなことが、知れましょうね」
「それは、知れるかもしれないが、うわさだからなあ」
「まるで、根なし草でもないでしょうから」
「もう、行く気?」
「ええ。そう聞いたら、あしたにでも、立ちとうございます」
「いや、待てよ」
城太郎は、以前とちがって、彼女についても、今では一ぱしの意見を持った。
「お通さんが、武蔵様と行き会えないのは、そういう風に、何かちらと、噂でも、影でもさすと、直ぐ一途に、それを
「それは、そうかも知れませんが、理窟のように、心のもてないのが恋でしょう」
お通は、城太郎になら、何でもいい得た。
けれど今、恋ということばをつい洩らして、城太郎の姿を見直すと、はっと思った。城太郎の顔いろも
もう城太郎は恋ということばを、
で。
「ありがとう。私も、よく考えてからにいたします」
お通が、穂を
「そうなさい。そしてとにかく一度、姫路へ帰って」
「ええ」
「ぜひ、屋敷へは来てください。父と拙者のいる屋敷へ」
「…………」
「父の丹左も、話してみると、お通さんのことは、七宝寺にいた頃のことまで、よく知っていました。……何か知らないが、いちど会いたい、話もしたい、などと申していますから」
お通は、答えなかった。
消えかかる
「……ア。雨が」
「雨ですって。――あしたは姫路まで歩くのに」
「いいえ、
「たんと来なければいいが」
「……オオ、風が」
「閉めましょう」
城太郎は立って、雨戸を引寄せた。急にむし暑く、そしてお通のもつ、女の香が籠る気がした。
「お通さん、よいように、寝て下さい。拙者はこのまま――」
と、木枕を取って、窓の下に、壁へ向って横になった。
「…………」
お通は、まだ起きて、独り雨の音を聞いていた。
「寝ておかないといけないぞ。お通さん、まだ眠らないのか」
眠りつけないらしく、後ろ向きのまま、城太郎はそういって、薄い寝具を、顔まで引っかぶった。
雨は
風も強くなった。
山村のことである。それに秋の
お通は、そんなことを思いつつ、まだ帯も解かず坐っていた。
ちょっと、寝つきが悪そうに、夜具の中で、もずもずしていた城太郎も、いつの間にか、眠り入っている。
ポト、ポト……と、どこかに雨の漏る音がする。雨のしぶきが、がたがたと戸を打つ。
「城太さん」
お通は、ふと、呼びかけた。
「――ちょっと眼をさましてくださいな。城太さん」
何度呼んでも、眼を
ふと、彼を起して、訊ねたいと思ったのは、お杉ばばのことである。
ばばの味方の者へ、河原でもいっていたし、途中でも、ちらと聞いたが、このひどい雨に、城太郎が、ばばへ与えた
(この雨風に、濡れもしよう。冷えもしよう。年をとっている体、悪くしたら朝までに死んでしまうかも知れぬ。――いやいや、幾日も、人に気づかれずにいれば、それでなくても
苦労性な生れつきか。ばばの身までを案じ出して、彼女は、仇とも思わず、憎いとも考えず、雨の音、風の音のひどくなるほど、独りで胸を
(あのばば様も、根から悪いお方では決してないのに)
と、天地へ向って、ばばの代りに
「こちらが
彼女は遂に、何事かを、思いきめた様子で、雨戸を開けて外へ出た。
天地は暗かった。雨ばかりが白くしぶいている。
土間のわらじを、足につけ、壁の竹の子笠を、頭にかぶって、お通は
ザ、ザ、ザ……と軒端の雨だけに打たれて出て行った。ここからは、そう遠くもない、宿場の横の、
夕方、麻屋の万兵衛と一緒に登った、覚えのある石段は雨で
「何処だろ? おばばさんは」
くわしくは聞いていなかったのである。ただ、どこかこの辺に、
「もしや?」
と、御堂の中を
答えもない。姿もない。
「おうーいっ。
「おお、ばばさんに違いはない。――ばば様あ、ばば様あ」
彼女も、
呼ぶ声は、雨風に
「おうっ、おうっ。誰ぞそこらにお
ばばの声が、彼女のそれに答えるように、途断れ途断れに何処からか聞えてくる。
元よりそれも、怒濤のような杉林の雨風に掻きみだされ、
探り呼ぶ声も
「……何処ですかあ? 何処ですか? ……ばばさんっ、ばば様あ」
お通は、堂を駈け巡った。
そのうちに――
御堂から杉の樹蔭を曲がって二十歩ほど先、奥の院の登り口となる崖道の
「あっ……ここに?」
近づいて、中を
けれど
「どなたじゃ! ……。それへ来たのはどなた様じゃ! もしやこのばばが日頃信仰する
ばばは、外の人影を、岩と岩の隙間からひと目見ると、こう狂喜して叫び出した。
「――
それなり――
はたと、ばばの声は、もうしなくなった。
思うに、ばばは、一家の
――だからこの風雨に、
しかし、その幻覚が、幻覚でなく、実際に誰か
「……?」
どうして、こんな大きな岩を、城太さんは独りで動かしたろう、と思う。
体で押してみたり、両手をかけてありったけの力をこめてみたが、
お通は、精を疲らして、
(城太さんも、あんまり
と、恨みに思った。
自分が来たからよいようなものの、もしこのままにしておけば、ばばは中で
「ばば様。お待ちなさいよ。……気を
岩と岩のあいだに顔を寄せていったが、それでも返辞はなかった。
もちろん、
――が、微かに。
毒龍諸鬼
念彼観音力
ばばは、合掌し、安心しきって、今は涙を垂れながら、ふるえる唇から、観音経を唱えていたのであった。
けれどお通に神通力もなかった。積み重ねてある三つの岩の一つも動かせなかった。雨はやまず、風は休まず、彼女の
そのうちに、ばばも、ふと不審に思い出したのであろう、隙間に顔を寄せて、外を
「誰じゃ? 誰じゃ?」
と、どなった。
力も尽き、精も尽き、途方に暮れた顔して、風雨の中に、身を
「おお、ばば様か。――お通でございます。まだ、そのお声では、お元気のような」
「何?」
と、疑うように、
「お通じゃと」
「はい」
「…………」
間を
「お通じゃと?」
「はい……お通でございまする」
ばばは、初めて
「ど、どうして、
「今、お助けいたします。ばば様、城太さんのことは、
「わしを、救いに来た……?」
「はい」
「
「ばば様。何もかも、来し方のことは、どうぞ水に流して、おわすれ下さいませ。わたくしも、幼い頃に、お世話になったことこそ覚えておりますが、その後の、お憎しみやご
「では、眼がさめて、前非を悔い元のように、本位田家の嫁として戻りたいというか」
「いえ、いえ」
「では、何しにここへ」
「ただ、ばば様が、お可哀そうでなりませぬゆえ」
「それを恩に着せて、以前のことは水に流せといやるか」
「…………」
「頼むまい。誰がそなたに助けてくれと頼んだか。――もし、このばばに、恩でも着せたら、
「でもばば様。どうしてお年をとったあなた様が、こんな目に遭うているのを見ておられましょう」
「上手をいうて、
「今に――今に――わたくしの気持が、きっとばば様に、分っていただける日もございましょう。ともあれ、そんな所にいては、またお体を病みましょう」
「よけいな
「いえ、いえ、見ていてください。わたくしの一心でも、きっとお怒りを解いてみせまする」
彼女はまた、起ち上がって、岩を押した。動かない岩を、泣きながら押した。
だが、力では、絶対に動かなかった岩が、その時、涙では動いた。三つの岩の一つが、どさっと先ず地へ落ちた。
それからまた、後ろの岩も、思いのほか軽く
彼女の涙の力のみではなく、ばばの力も中から加わっていたためである。――で、ばばは自分の力のみでそこを
一心がとどいた。
岩が除かれた。
うれしや!
お通は、押した岩と共に、
だが。
ばばは、
「あれッ――ばば様っ」
「やかましい」
「な、なんで」
「知れたこと」
ばばは、力まかせに、お通を大地にひきすえた。
そうだった。知れきったことではあった。けれどお通には、こういう結果は、考えられなかった。人へ贈る真心は、真心をもって返されるものと誰に対しても、一様に信じて疑えない彼女に取って、この結果は、やはり意外な
「さあ、おじゃい!」
ばばは、お通の
雨は少し小やみになったが、なお、ばばの白髪に
「ばば様、ばば様、堪忍なさいませ。お腹の
「なんじゃと。いけ図々しい。こうされても、まだ、ひとを泣き落しにする気かいな」
「逃げませぬ。どこへでも参りますから、お手を……ああ……苦しい」
「あたりまえじゃ」
「は、離して。くく……」
お通は思わず、ばばの手をもぎ払って、起ちかけたが、
「逃がそうか」
とその手は、またすぐ、黒髪の根をつかむ。
がくと、宙を向いた白い顔に、雨が
「ええ、わが身のために、どれほど、多年の間、艱苦を
ばばは、
が――そのうちに、ばばは、しまった! というような顔して、急に、手を離した。ばたと、仆れたまま、お通はもう虫の息もしていない。
さすがに、
「お通っ。お通やあ」
ばばは、彼女の白い顔をのぞいて呼んだ。雨に洗われた顔は、死魚のように冷たかった。
「……死んでしもうた」
ばばは、ひと事みたいに茫然とつぶやいた。殺す意志はなかった。あくまで、彼女を
「……そうじゃ。ともあれ、一度やしきへ戻って」
ばばは、そのまま去りかけたが、またふと返って来て、お通の冷たい体を、
入口は狭いが、なかは思いのほか広い。遠い昔、求道の行者が、
「オオ
ふたたび、ばばがそこから這い出ようとした頃、窟の口はまるで滝だった。そして奥のほうまで真っ白に
出ようとすれば、いつでも出られる身になってみると、この豪雨に、何も
「やがて、夜も明けように」
そう考えて、ばばは、窟の中につぐなんだまま、
が、その間、真の闇のなかに、お通の冷たい体と、一つにいるのが、ばばは、恐ろしかった。
白い冷たい顔が、責めるように始終、自分を見ている気がする。
「何事も、約束事じゃ。
ばばは、眼をつぶって、小声に経を
チチ、チチ、と
ばばは、眼を開いた。
洞窟が見えた。外から射す白い光が、
夜明け頃から、雨も風も、はたとやんでいたらしい。
「なんじゃろ?」
起とうとしながら、ばばはふと、顔の前に
てんもん十三ねん、天神山城の御かつせんに、浦上 どののぐん勢に、森金作という十六の子を立たせて、ふた目とも見ざるかなしさのあまりに、諸所の御仏をたずねさまよい、今ここに一体のかん音菩薩 をすえ奉ること、母の身にはらくるいのたねともなり、きん作がためには後生をねがいまつるに侍 る
幾世の後、ふと訪うひともあらば、あわれと念ぶつなしたまわれ、ことしきん作が二十一ねんのくようなり
幾世の後、ふと訪うひともあらば、あわれと念ぶつなしたまわれ、ことしきん作が二十一ねんのくようなり
その頃、この近郷一帯の、
きん作とかいう十六歳の子をその合戦に立たせて、そのまま、ふた目とも会わなかった母親は、二十一年も経った後まで、そのかなしみを忘れかねて、子の後生を祈りつつ、諸所をさまよって、
「……さもあろう」
又八という子を持つばばには、同じ母なるその親の気もちが、ひしと分る。
「南無……」
ばばは、岩の壁へ向って、
「お通っ……。わるかった。このばばが悪かったぞよ。ゆるしてたも。ゆ、ゆるして……たも」
――どう思ったのか。
ばばは、いきなりお通の体を抱きあげてさけんだ。
「恐ろしや、恐ろしやの。子ゆえの闇とは、このことか。わが子可愛さにひとの子には、鬼となっていたか……お通よ、
洞窟の中なので、彼女の声はいんいんと
ここには、人もいない、世間の目もない。また、
あるのは闇、いや
「――その羅刹とも夜叉とも見えようわしを、思えば、
そして果ては、抱きあげたお通の顔へ、わが顔を、ひたとつけて、
「このような優しい
そうお通へ向って悔悟する胸には、またきょうまでのあらゆる場合の自己の
「ゆるしてたべ。ゆるしてたも」
ばばは、お通の背へ泣きぬれたまま、このまま、共に死なんものとまで、思いつめたが、
「いや、嘆いているまに、はよう手当したら、まいちど、生きぬ限りもない。――生きてあれば、まだ若い春の永いお通じゃに」
ばばは、お通の体を、膝から下ろすと、
「あっ」
急に、朝の
「――里の衆っ」
と呼んだ。
呼びながら、駈け出した。
「里の衆っ。里の衆――。来てくだされや」
すると、杉林の彼方から、誰かがやがやと人声がして、やがて、
「いたぞうっ。――おばばが無事で、あれにおるぞっ」
と、呶鳴る者があった。
見ると、本位田家の一族――身寄りの誰や彼が十名近く。
ゆうべ、佐用川の河原から、血にまみれて帰った郷士のひとりから急を告げたので、夜来の豪雨を
「おお、ばば殿」
「ご無事じゃったか」
駈け寄って来た人々が、ほっと、
「わしじゃない。わしはどうなと
まるで、うつつかのように彼方を指さし、もつるる舌に、顔じゅうに、異様な悲涙を湛えていった。
翌年のことだった。詳しくいえばその
泉州の
廻船問屋の小林太郎左衛門の店にやすんでいた武蔵は、やがて船が出るとの報らせに、
「――では」
と、見送りの人々へ、挨拶をして、軒を出た。
「ご機嫌よう」
灰屋
紹益は美しい新妻を連れていた。その新妻の麗しさは、人目をそばだたせるものがあった。
「あれは、吉野やないか」
「柳町の?」
「そうじゃ、
と、袖ひきおうて
武蔵は、
(わたくしの妻で……)
とは引き会わされたけれど、前の吉野太夫であるとは紹介されなかった。
また、顔にも、覚えがない。扇屋の吉野太夫ならば雪の夜、
が、武蔵の知っているその人は初代吉野であって、紹益の妻なる女性は二代吉野なのであった。
花散り花開く。――
あの夜の雪も、あの牡丹の
「はやいものですね。初めてお目にかかった頃から思うと、もう七、八年は経っている」
光悦も、船まで歩きながら、ふと呟いたことだった。
「……八年」
武蔵も、
さてまた。
その日、彼をここに見送った人々の中には、以上ふたりの旧知を始め、妙心寺の愚堂門下にずっといる本位田又八。京都三条車町の細川邸の侍たち二、三名。
また、烏丸光広卿の名代として供連れの
それから、半年ほどの京都滞在中に、何かと知り合いになった者や、彼が
で――
送らるる武蔵は、語りたい者とは却って語りあう間もなく独り船に移ってしまったのであった。
行き先は、
そして彼の使命は、細川家の長岡佐渡の
もちろん、このはなしが、具体的にきまるまでには、藩老長岡佐渡の奔走や文書の交渉がかなりあって、武蔵が、昨秋以来、京の
巌流佐々木小次郎と、いつかは一度、
――遂に、その日が来た。
だが。
武蔵は、こんな
きょうの出立にしても然りである。こういう
思いつつ、
武蔵は
ふとすれば、自分も凡夫だし、思い上がらないものでもない。
いったい今度の試合にしてもそうである。誰が、こういう切迫の日を持って来たか。考えてみると、小次郎でも、自分でもない気がする。むしろ周囲だと思う。いつとはなく、二人を
(やるそうだ)
と、いい、
(やる)
と、断じ、遂に、
(いつの何日)
と、まだうわさのうちから、日まで取沙汰されて来たのだった。
こういう世評の対象になったことを、武蔵はひそかに悔いている。かくては自分の名声とやらは
(――さはいえ)
と、彼はまた、思うのである。
世間の恩というものを。
生きていること、それはすでに、世間の恩であった。
今日。
この船出に、身に
手に持つ新しい笠や
いわんや、
(何をもって
心をそこにおく時、彼は、世間に対して
とつこうつ。
別辞。
また、海上無事の祈り。
旗やら、会釈やら。
送る者、送らるる者の間に、眼にみえぬ時はながれて、
「――おさらば」
「おさらば」
船は、
すると、一足おくれて、
「しまった」
と、船出の後へ、駈けつけて来た旅の者があった。
港を出たばかりの船は、
「ああ、遅かった。こんなことなら眠らずにでも来るのだったのに」
及ばぬ船の影を見送っている眼には、ただ乗遅れただけではない、もっと切実な恨みがみえた。
「もしや、権之助どのではありませぬかな」
同じように、船が出ても、なお
「お。あなたは」
「いつか
「そう。忘れてはいませぬ。
「ご無事でお
「誰に聞きましたか」
「武蔵どのから」
「え。先生のお口から? ……はて、どうしてであろう」
「あなたが、九度山衆に捕まって、どうやら隠密の疑いで、害されたかも知れぬという消息は、小倉の方から聞えて来たのです。――細川家の御家老、長岡佐渡様のお手紙などから」
「それにしても、先生がご存じの仔細は」
「今朝お立ちになる昨日まで、武蔵殿は、てまえの門内の長屋にお住居でした。その居所が小倉へ聞えたので、小倉からも度々、書面の通ううち、お連れの伊織殿も今では長岡家にいるとやらで」
「えっ。……では伊織は、無事におりまするか」
権之助は、今日の今、初めてそれを知ったらしく、そしてむしろ、茫然たる
「ともあれ、ここでは」
と光悦に誘われて、近くの磯茶屋の
で、彼の
(部下の過失)
と、即座に、幸村の謝罪と共に解かれ、
それから、
断層の谷間に、死骸は見あたらないので、
(生きている)
とは、確信していたものの、それだけでは、やがて、師の武蔵にあわせる顔もない。
以来、権之助は、近畿をたずね歩いていた。
たまたま、
――と。その武蔵が、
(かくては
と、意を決し、
光悦は、なぐさめて、
「いや、そうお悔みなさるには当るまい。次の便船までには数日の間があろうが、
いうと、権之助は、
「もとより、すぐ陸路を参るつもりではございますが、小倉へ着くまでの間でも、先生とひとつにいて、お身廻りのことでも勤めたかったのでござります」
と、
「それに、今度の御発足は、怖らく先生にとっても、生涯の御浮沈かと思われます。平常、御修行にひたむきな武蔵様の事ゆえ、万が一つにも、巌流に敗れをとるような儀はあるまいとは思われますが――勝敗はわかりません。あながち、修行を積んだ者が勝ち、
「けれど、あの沈着ぶりなら、自信がありそうです。お案じには及びますまい」
「と、思いはしますが、聞くところに依ると、佐々木巌流というものは、
「驕慢な天才と、凡質を
「武蔵様も、凡質とは思われませんが」
「いや決して、
「……いや、おおきに」
権之助は、自分がいわれている気がした。そしてそういう光悦の、のどかで間の広い横顔をながめながら、
(この人も)
と、思い合されるところがあった。見るからに悠閑の逸人らしい。何の
「光悦どの。まだお帰りになりませんか」
その時、若い身を
「オ。又八さんか」
光悦は、
「――では、連れが待っていますから」
と、権之助へ、挨拶を残すと、権之助も共に起って、
「いずれ、大坂まで」
「そうです。間に合えば、夜船ででも、
「――では、大坂まで、ご一緒に参りましょう」
権之助は、そのまま陸路を
若い妻を連れた灰屋の息子や、細川藩の留守居や、他の人々も、それぞれ一組になって、同じ道を、先へ行くもあり、後から来る者もあった。
又八の現在やら、以前の身の上ばなしなど、その
「どうか、武蔵どのが、首尾よくやればよいが、あれで、佐々木小次郎も、喰えぬ男だし、凄い腕を持っているからな……」
又八は、時々、憂わしげに
三人はもう大坂の人混みを歩いていたが、気がつくと、いつのまにか、又八が、連れの中から見えなくなっていた。
「どこへ行ったのやら?」
光悦と権之助とは、道をもどって、連れの姿を、夕方の往来にさがした。
又八は、と或る橋の
「何を見て? ……」
と、怪しみながら、彼の様子を二人が遠くから見まもっていると、又八の眼は、河原にあって、夕方の仕掛に忙しい
「はての、あの
「……ああ、
又八は、独り、そこに
河原の女房たちの中に、その朱実のすがたを、彼は見出していたのだった。
偶然――という気もしたが、偶然でない気も一層強くした。
かりそめにも、江戸表の芝の長屋では、女房とよんだ女である。その時は、
――が、朱実の姿は、はなはだしく変っていた。
その変った姿を、通りすがりの橋の上からひと目見て、すぐ、
(あっ、朱実)
と、胸打つほどのものは、恐らく自分だけしかあるまいと思う。偶然ではない、生命と生命との交流は、同じ土に息づいている以上、いつかこうあるのが本当である。
それはさて
変り果てた朱実には、つい一年余ほど前の色も
朱実の産んだ児!
又八の胸には、まずそれがどきっと響いたにちがいない。
朱実の
手籠の中には、海草だの、
(……あ。あの児は?)
又八は、両手で、自分の頬をぎゅっと抑えた。胸の裡で、歳月をかぞえた。二歳としたら? ああ江戸の時分になる。
――と、すれば。
数寄屋橋の原で、奉行所衆の割竹の下に、
「…………」
夕方の薄ら陽が、河原の河水から又八の顔に揺らいで、顔じゅうが溢れる涙みたいに見えた。
うしろを忙しい往来が流れているのも彼は忘れていた。やがて、何も知らない朱実が、売れない手籠の物を腕にかけて、また、とぼとぼと、河原の先へ歩き出してゆくのを見ると、彼は、何もかも打ち忘れて、
「おういっ」
手を揚げて、走りかけた。
光悦と権之助とは、そこで初めて、駈け寄りながら、
「又八どの。何じゃ。どうなすったのだ?」
と、呼びかけた。
又八は、はっと振向いて、連れの者に、心配をかけていたことを、初めて気づいたかの如く、
「あっ。すみませんでした。……実はその」
実は――といったものの、その実をひとに伝えるには、急場の言葉では分って貰えそうもない。
殊に、今ふと、胸によび起した彼の
勢い、いうことは、そこで唐突にならないわけにゆかない。又八は、
「――すこしその、
「え……還俗する?」
又八は、
「それはまた、どういう仔細かな。どうもご
「詳しいことは、いえませんし、いっても、他人には馬鹿げていますが、以前、一緒に暮していた女にそこで会いました」
「ははあ。昔なじんだ
呆れ顔する二人に、しかも彼は
「そうです。その
「ほんとですか」
「ほんとに子を負ぶって、河原を物売りして歩いていたんで」
「いやいや、落着いて、よく考えてごらんなさい。いつ別れた女子か知らぬが、ほんとに、自分の子かどうか」
「疑ってみるまでもありません。いつの間にか、てまえは
「…………」
光悦は、権之助と、顔を見合わせて、多少の不安を覚えながらも、
「……では、浮いたはなしではないのじゃなあ」
と、つぶやいた。
又八は、
「まことに、
「いいのかな。そんなことで、これをお返し申して」
「和上様は、常々てまえにいっていました。町へ帰りたかったらいつでも去れよと」
「ふうむ……」
「また。修行は寺でもできぬことはないが、世間の修行が難事。汚いもの、
「むむ、いかさまの」
「で、もう一年の余も、お側におりますが、てまえにもまだ、法名も下さいません。きょうまで、又八、又八で済ましていました。――後でまた、いつでも、自分でわからないことができたら、和上様の御門へ駈けこみます。どうぞ、そうお伝え置きくださいまし」
いい終ると、又八は河原へ駈け下り、もう夕霧に
旗のような、紅い夕雲がひときれ飛んでいる。
その
「寒うはないかの。……風が冷とうなって来たが」
七厘の火に、柴を折り
そこの
「……いいえ」
病人は、微かに頭を振る。
そして、少し身を
「ばば様、あなたこそ、先頃からお
と、いう。
「なんの」
ばばは、
「そなたこそ、そのようにいちいち気がねしてたもるな。……のうお通よ。やがて待つ人の船も見えようほどに、
「ありがとう存じまする」
お通は、ふと、涙をうるませ、
「…………」
ばばは、
徐々に、雲は暗くなる――
「はて、遅いのう。遅くも夕方までには着こうとのことじゃったが」
波の
いうまでもなく。
この夕方、ここに寄る予定の便船というのは、つい昨日、堺港を出た
うわさを、聞くと同時。
姫路藩の青木丹左衛門の子息城太郎は、すぐ使いを走らせて、
知らせをうけたばばは、その吉報をたずさえて、またすぐ、村の七宝寺へ駈けた。お通は、そこに
去年の秋の末頃、
(ゆるして下されや。腹の
その後のばばは、彼女の顔を見るごとに、
お通はまた、
(勿体ない)
と、それをしも、かえって苦痛にして、自分の体には、以前からどことなく、こうした持病の
事実。お通には、そうした
夕方になると、微熱が出て、軽い
しかし――
彼女のひとみは、いつも欣びと希望にみちていた。
欣びとしては。
(おばば様が、自分の心を分って下すったのみか、同時に、武蔵様やすべての人達へも、御自身の
と、いう事実を眼に見、また、生きている希望としては、
(近いうちに)
と、何がなし、心待ちの人と会う日も、近い心地を、覚えていた。
ばばもまた、あれ以来は、
(きょうまでの、わしが罪と、心得違いより、そなたを不幸にした
そういって、一族の者はもとより村の
武蔵の姉のお
で――。七宝寺に戻って、以前からの
(薬は
と、真心のありたけを傾けた、
また、ある時はしみじみと、
(もし、いつか
ともいった。
時には、
(こんなにも好いお方とは思わなかった)
と、お通ですら、以前のばばと今のお杉とが、同一に考えられない程だったから、本位田家の親しい者も、村の人々も、
(どうして、あんなに変りなさったか)
と、皆いい合った。
その中に、誰よりも、幸福を知って来たのは、おばば自身であった。
会う者、ことばを
ある者は、ぶっつけに、
(ばばさんはこの頃、お顔までよいお顔になんなすったのう)
と、正直にいった。
(そうかも知れぬ)
と、ばばはそっと、鏡を取り出して、自分の
しみじみ、歳月を覚えた。故郷を立った頃には、まだまだ半分以上も、交じっていた黒い髪も、一毛のこらず真っ白になっていた。
心の
顔かたちも。
純一で、白いものに、立ち
(
かねて、武蔵が通過する節はすぐ知らせるといっていた姫路の城太郎から、
(どうしやる?)
問うまでもないが、お通へ心を訊くと、お通は、元より、
(行きます)
と、いう。
夕方はいつも、微熱が出て、大事に夜具へ身を
(さらば)
と、直ぐ七宝寺を立ち、途中はお杉がわが子のように見まもって、一夜を、青木丹左衛門の屋敷に休み、
(
と、丹左衛門のことばに、
(なにぶん)
と、その日、
ちょうど、その乳母なる人の染屋の垣の近くには、べつに、武蔵の通過を、かねてから待って、彼のために、壮途を祝し、一
その中に、青木丹左衛門もい、青木城太郎もいた。
姫路の池田家と武蔵とは、その郷土的にも、また、武蔵が若年時代の記憶にも浅からぬ縁がある。
(当然、彼は光栄とするだろう)
迎えに出ている池田家の藩士たちは、皆、そう意識していた。
丹左衛門も、城太郎も、その見解に変りはなかった。
けれどただ、お通の姿をその人たちに見せて、誤解を招いてはいけない。武蔵も迷惑とするかもしれない。――そう考えたので、わざと彼女とお杉だけは川尻の小舟へ遠のけておいたのだった。
――が。どうしたのか。
海は暮れ、夕雲の
「遅れたのかな?」
誰かが、一同を
「――そんな筈はないが」
と、自分の責任のように答えたのは、京都の藩邸にいて、武蔵が船便で
「船の出る前、
「風もないきょうの
「その風がないから、帆走りはよほどちがう。遅れたのは、そのせいじゃよ」
立ちくたびれて、砂に坐る者もある。白い
「ア! 見えた」
「見えたか」
「――あの帆影らしい」
「おお。なるほど」
ようやく、人々は、
城太郎は、その群れを、そっと走りぬけて、川尻へ駈けて行き、下の
「――お通さん。ばば殿。見えたぞ。武蔵様の乗っている船の影が」
こよい寄る堺の太郎左衛門船。待ちかねていた武蔵の乗っている便船。それらしいのが今沖から見えて来たとの知らせに小舟の
「えっ。……見えてか」
と、揺れうごいて、
「何処に」
と、ばばも起つ。
お通もわれを忘れていう。
「――あぶない」
ばばはあわてて、
そして共に、身を伸ばし、
「おお、あれかの?」
息をのんで見まもった。
城太郎は、岸に立って、指さしながら、
「あれだ……あれだ」
「城太どの」
ばばは、
「済まぬが、急いで、この小舟の
「いや、ばば殿。そう
「ではなおさらのこと。そう人目をはばかってばかりいては、お通を会わせる
「困りましたなあ」
「だから、染屋の家に、待っていた方が好かったに、おぬしが、藩の衆の人目ばかり恐れるので、このような小舟に
「いやいや、そんなことはありませぬ。世上の口はうるさいもの、大事な場所へ
「ではきっと、これへ武蔵どのを、案内して来て下さるかの」
「迎えの小舟から、武蔵様が上がりましたら、ひとまず、染屋の縁を借りて、家中どももご一緒に休息となりましょう。……その間に、ちょっとお連れ申します」
「待っていますぞよ。固くたのんだぞ」
「そうして下さい。……お通どのも、その間、そっと
いい捨てて、城太郎は
ばばは、お通をそっと、
「寝ていやい」
と、
木枕に、
「また
ばばは、彼女の薄い背をさすって与えながら、その病苦を
「ばば様。もう何ともございません。ありがとうございます。勿体ない、どうぞお手を休めて」
かなり時が経った。だが、待つ人はなかなか来なかった。
ばばは、お通ひとりを舟に残して、岸へ上がった。城太郎が案内して来る筈の武蔵の影を、そこに
お通は。
やがて、武蔵がここへ来るかと思うと、人知れず
木枕や
小舟の
彼女は今、
彼女は人にも聞いている。
侍ですら、深い眠りをとった直ぐ後とか、体のすぐれぬ時などに、やむなく君前に出たり人と会う時は、
「……だが、何といおう」
お通はまた、武蔵と会った上のことが心配になった。
語れば、生涯はなしても、尽きないほどなものはある。
けれど、いつもいつも、会えば何もいえなかった。
何のために!
と、かの人はまた怒るかもしれないと
折も折である。
世上にも聞え渡って、天下の衆目の中を今、佐々木小次郎との試合にゆく途中とあれば、彼の気性、彼の信念、おそらく自分と会うことなど、楽しいこととは思うてもくれまい。
が――それだけに、彼女にとっては、なおさら
もし、きょうという折を
天にあっては
――何と叱られても。
と、彼女は病苦を人へは軽く見せてまで、強い気持でここへは来たのであったが、こうして愈、その人と会う時が迫ってみると、胸は痛いほどときめき、心は武蔵がどう思うかを
岸へ上がって
などと独り、胸に誓いながら、水明りの宵闇を見まもっていると、
「――ばば殿か」
駈けて来た城太郎の影が、近づきながら呼びかけた。
「待ちかねていた。城太どのよ。――して、武蔵どのには、直ぐこれへ見えますかの」
「ばば殿。残念だ」
「え。残念とは」
「聞いてくれ。仔細はこうだ」
「仔細などは、後でよい。いったい武蔵どのには、これへ来るのか、来ないのか」
「来ぬ」
「なに、来ぬと」
ばばは茫然、そういって、お通と共に、昼から待ちぬいていた心の張りを
――で、いい
実はあれから、ややしばし、同藩の人々と共に、便船から上がって来る武蔵の
でも、太郎左衛門船の影は、遠浅の沖に泊って、見えているので、何かの都合で、遅れたのであろうかと、噂しながら、一同なお浜辺に立ち並んでいたが、やがて沖へ迎えに行ったお船手の
やれ、見えた――
と思ったのも
(こんどの船都合は、この
という便船の者の言葉だとある。
そこで、
(この便船には、宮本武蔵と申さるるお人が乗り合せておるはず。姫路藩の家中の者でござるが、一夜はお泊りと存じ、他の者も大勢、浜までお迎えに参っております。わずかな間でも、ちょっとこの軽舸でお上がりくださるまいか)
そう申し入れたところ、船頭の取次を聞いて、やがて武蔵の姿が
(せっかくの御好意なれど、このたびは、御承知のとおり大事の
との事に
城太郎は、こう仔細を告げ、
「是非もない儀と、家中の者も一同立ち去った。――だが、ばば殿、
と彼も失望の底に落ちたように力なくいうと、
「なんじゃ、ではもう、太郎左衛門船は、この浦を出て、室の津へ向うたというか」
「そうだ。……あれ、ばば殿には見えぬか。今、
「おう……あの船影か」
「……残念ながら」
「これ城太どの。自体、そなたが落度であろうが。なぜ、迎えの
「いまさら何を申しても」
「ええまあ、みすみす船の影をそこに見ながら、口惜しいことわいな。……お通に、何というて聞かそうぞ。城太どの、わしにはいえぬ。……そなたから仔細を告げてたも。……したが、よう落着かせてから話さぬと、一層、病気を悪うするかもしれぬぞよ」
城太郎が告げに行かなくても、ばばが辛い心を忍んで伝えなくても、そこでの二人の話し声は、小舟の
どぶり……どぶり……
さはいえ。
彼女はこよいの薄縁を、城太郎のように、ばばのように、
(こよい会えなければ他の日に、ここで語れねばまたよその
と、独りしている十年の誓いに少しも変りはない。
むしろ武蔵様が、降りて途中の土を踏まない気持に、
(さもあろう)
とすら、同じ心が持てるのであった。
武蔵を迎えて、
いかに武蔵でも、こんどの
「……あの船に、あの船に武蔵様は」
今、松原の
――ふと。
彼女は涙の底から、彼女自身も気づかない烈しい力を呼び起していた。
それは、
弱い――肉体も、情にも、姿も見るからに弱々しい、彼女のどこに、そんな強固なものが
「ばば様。――城太さん」
ふいに、彼女は舟から呼んだ。
二人は、岸のすぐ上へ、近づいて来て、
「お通どの」
何と話そう。思い惑って、くもり声で城太郎が答えた。
「聞きました。船のご都合で、武蔵様がお見えにならないことは、今、お二人のおはなしで……」
「聞かれたか」
「はい。嘆いても及びませぬ。また、いたずらに悲しんでいる時でもございません。この上は、いっそのこと、小倉表まで参りとう存じます。そして、試合のご様子を見届けたいと思います。――もしものことが全くないとは、どうしていい切れましょう。その時にはお骨を拾うて戻る覚悟でございまする」
「――でも、その病体では」
「
お通はその時まったく、自分が病人であることは忘れていた。しかし城太郎にそう注意されても彼女の意志は肉体を超えて、はるかに高い健康な信念の中に呼吸していた。
「お案じくださいますな。……もう何ともございません。いいえ、少しぐらいなことはあっても、試合の御先途を、見届けるまでは……」
死にはしません!
いいかけた終りの一言は、胸に抑えて、すぐ懸命に身づくろいを直し、舟の
「…………」
城太郎は、両手で顔を抑えたまま、後ろを向いてしまい、ばばは、声をもらして、泣いていた。
以前、慶長五年の乱までは、勝野城といい、毛利
細川
巌流佐々木小次郎は、ほとんど隔日に登城して、忠利公をはじめ、一藩の者に指南していた。――富田
彼の肩に、衆望があつまると共に、主君の忠利も、
「よい者を召抱えた」
と、よろこんでいる。
また、家中の上下が、
「人物だ」
といった。
定評となってきた。
小次郎は、忠利公に願って、
「孫四郎殿をも、何とぞ、お見捨てなきように。地味な剣法にはございますが、それがしなど若年の剣よりも、どこかに一日の長もあるように存じますれば」
と、称揚して、指南の勤務も、氏家孫四郎と、隔日ということに、彼の口から提議した。
また。ある時、
「小次郎は、孫四郎の剣を、地味なれど一日の長があるという。孫四郎は、小次郎の刀法を、
と、忠利のことばに、
「かしこまってござりまする」
いなやなく、双方、木剣を
「恐れ入りました」
と、先に木剣を
「いや、御謙遜。所詮、てまえなどの敵たる
と、互いに、勝ちをゆずり合ったことなどもあった。
こうした事々が、いよいよ、
「さすがは、巌流先生」
「おえらいもの」
「奥ゆかしい」
「底の知れぬお方じゃ」
と、衆の信望をあつめて、今では彼が、隔日に、馬上七名の供に槍を立たせて登城の途中でも、その姿を仰ぐ者は、わざわざでも馬前へ寄って来て、礼を施してゆくくらい、尊敬の
――だが。
それほどな、寛度を、落ち目の氏家孫四郎に示す彼も、ひとたび、
(――武蔵も近頃は)
と、不用意にかたわらの者が、宮本とか武蔵とかを口にして、その近畿や東国における世評のよいことを伝えると、
(ああ、武蔵か)
と、巌流の語気はたちまち
(あれも、近頃は、
などと、
時にはまた、巌流の
(まだ一度も、会ってみたことはないが、武蔵どのの名は、名ばかりでなく、
と、彼と武蔵との、宿年の感情をわきまえずに、図に乗っていいでもすると、
(そうかな。ははは)
小次郎の巌流は、その
「世間は
なお。
議論する者が、それ以上にも、突っ込んで、武蔵を
(武蔵は、残忍にして、しかもたたかうに卑屈。兵法者の風上にもおけぬ人物)
と、相手の者をして、是認させてしまわないうちは、
これには、彼を、
(一箇の人格者)
とまで、尊敬を払っている家中の人々も、ひそかに、意外としていたが、やがて、
(武蔵と、佐々木殿とは、何か積年の怨みのある間だそうだ)
と、伝える者のはなしや、またほどなく、
(近く、君命で、二人の間に、試合が決行される)
とかいわれ出してから、さては、と従来の不審もうなずかれて、一藩の耳目は、ここ数ヵ月、その試合の期日と成行きとに、そそがれていたのであった。同時に。
かくと城内城下に噂がひろまってから、
江戸表
きょうも。
四月のはじめ。
もう、桜は八重も、散りしいて平庭の泉石の陰を
「在宅か――」
と、おとずれ、案内の小侍について奥へ通って来ると、
「おう。岩間どのか」
居間は、
そして、よく馴れている鷹は、彼が
主君
と、それまでの、心静かな休養をゆるされて、毎日、屋敷に
「巌流どの。きょうな、いよいよ御前で、試合の場所の評議がきまった。――で、さっそく、お耳に入れに来たが」
角兵衛は、立ったままいう。
小侍が、書院の方から、
「どうぞ」
席を設けて、すすめている。角兵衛はそれへ、ウムと
「初めは、
「なるほど」
巌流は、
世間のさわぎや、そんな評議などには、超然として、関心もないように。
――折角、わが事のように、耳に入れに来たものをと、角兵衛は、やや張合いぬけしながら、
「立話もなるまいて。ま、あがらぬか……」
と客である彼の方からうながした。
「しばらく、お待ちを……」
と、巌流は、なお他念なく、
「
「御拝領の鷹じゃの」
「されば、去年の秋、お鷹野のみぎりに、お手ずから戴きました
掌に残された餌を捨て、朱房の
「
と、うしろにいる年少の門人を顧みて、拳から拳へ、鷹を渡した。
「はい」
辰之助は、鷹を持って、鷹小屋のほうへ退がって行く。邸内はかなり広く、築山の彼方は松に囲まれていた。塀の外はすぐ
「失礼を」
巌流がいうと、
「いやいや、内輪じゃ、ここへ来れば、わしも、身内か息子の家のように思うておるのだ」
角兵衛は、かえって、打ちくつろぐ。
そこへ、
ちらと、客を見あげ、
「粗葉でござりますが」
角兵衛は、首を振って、
「やあ、お光か。いつもあでやかな」
茶碗を取ると、お光は、襟あしまで紅くして、
「――おたわむれを」
逃ぐるように、客の眼から
「馴れれば鷹も愛らしいものだが、
「岩間どののお屋敷へ、いつかそっと、お光めがうかがったことがありはしませぬか」
「内密に――というていたが何も隠しておる要もあるまい。実はわしへ相談に見えたことがあるが」
「女め。――それがしに口を拭いて今日まで何も申しおりません」
巌流は、白い
「怒るな。むりもない」
岩間角兵衛は、そう
「――女の身としては、むしろ案じるのが当然じゃろ。
「ではお光から、すべてのこと、お聞き取りでござろうが……。いや、面目もない事情で」
「なんの――」
巌流が、やや恥じるのを、角兵衛は打ち消して、
「男女の間、ありがちなことじゃ。いずれ
「しかし、いちど小間使として、屋敷においただけに、世間のてまえも」
「というて、今さら、お光を捨去るわけにもなるまい。それも妻として不足な女ならまた、考えようじゃが、血すじも正しい。しかも聞けば江戸表の小野
「そうです」
「お身が、その治郎右衛門忠明の道場へ、単身、試合に出向いて、忠明をして、小野派一刀流の衰退を、覚醒せしめたとかいう事件のあった折――ふと、親しくなったとのことだが」
「相違ございませぬ。お恥かしい儀でござるが、恩人たる貴方へ、隠しだてしては心苦しい。いつかは自分からお打明けしようと思っていましたこと。……仰っしゃる通り、小野忠明殿と試合して、その帰るさ、もう宵となりましたので、あの小娘が――その頃はまだ叔父の治郎右衛門忠明の傍に仕えておりました今のお光が――小提燈をもって、
「ウム。……そんな話だな」
「何げなく、まったく、何のふかい量見もなく、その途中、戯れに申した言葉を真実に取って、その後、治郎右衛門忠明が、出奔の後、自分を訪ねて参りましたので」
「いや、もうよい。……事情はそのくらいでな。ははは」
角兵衛は、あてられたという顔して、手を振った。
しかしそれから間もなく、江戸表の芝の
「まあ。そのことは、わしにまかせておくとせい。いずれにしても、ここの所では、
角兵衛はいって、ふと、その方の要談を思い出した。
角兵衛に取っては、相手の武蔵の如きは、巌流に比して、何者でもない気がした。むしろ巌流の地位、名声をして、いよいよ、大ならしめるための試錬――とすら自負しきっていた。
「先ほどいった、御評議の上で決した試合の場所じゃが、それは、前にもいった通り、御城下の地では、
「ははあ、船島で」
「そうじゃ。――で、武蔵が着かぬうちに一度、よくそこの地の利を踏んでおく方が、何分でも、勝目を取るというものではあるまいか」
試合の前に、試合場所の地の利を知っておくことは、有利にちがいなかった。
当日の進退に、
岩間角兵衛は、明日にでも、ひとつ釣舟でも雇って、船島へ下見に行ってみてはと、巌流にすすめたが、巌流がいうには、
「兵法ではすべて、
角兵衛は(尤もな意見)と、うなずいて、船島の下見は、もうすすめなかった。
巌流はお光をよんで酒の支度を
岩間角兵衛にしてみれば、自分の世話した巌流が、今日かくのごとく名声を得、
「もう、お光を置いて、いうてもよかろう。ともかく、試合が済んだら、国元から年寄身寄りの近親も呼び、婚儀も披露し、剣道への執心は、勿論よいが、ひとまず家名の土台を固めることだな。そこまでのことがすめば、角兵衛の世話も、まず……というものじゃが」
親代りになっている気の彼は、ひとりで上機嫌だったが、巌流はしまいまで酔わなかった。
一日ごとに、彼は無口だった。試合の日が近づくにつれ、急に、人出入りが多くなった。隔日の登城がない代りに、接客にわずらわされて、静養の意味はなくなった。
そうかといって、彼は、門を閉じて客を謝絶する気にもなれなかった。巌流殿は門を閉めて人にも会わぬ――といわれるのは、何か
「
野支度して、
気候のよい四月の上旬を、拳に鷹をすえて野山を歩くことは、歩くだけでも大いに気を養った。
獲物を、鷹が爪にかけると、チラチラと、鳥の毛が空から降って来た。――巌流は息もしなかった。自分が鷹になりきって見ていた。
「……よし。あれだ」
彼は、鷹を師として、悟るところがあった。一日ごとに、彼の面上に、自信の色がついて来た。
が、夕方屋敷に帰ってみると、いつもお光の眼は、泣き
(……おれに別れたら)
などと、ふと死後のことが考えられたりした。それからまた妙に、常には考えもしない亡き母のことなども思い出された。
(もう、あと幾日もない)
と思って眠る夜ごとに、彼の
布令申す事
ひとつ。
来る十三日辰之上刻、豊前長門之海門 、船島に於て、
当藩士巌流佐々木小次郎儀、試合仰せ被付 。
相手方、作州牢人宮本武蔵政名也。
又、ひとつ。
当日、府中火気厳禁の事。
双方のひいき、助太刀の輩共 一切、渡海の事かたく禁制。
遊観の舟、便船、漁舟等も同様。海門往来止 たるべし。
ただし辰下刻までの事。以上
慶長十七年四月
各所に、高札が建った。ひとつ。
来る十三日辰之上刻、
当藩士巌流佐々木小次郎儀、試合仰せ
相手方、作州牢人宮本武蔵政名也。
又、ひとつ。
当日、府中火気厳禁の事。
双方のひいき、助太刀の
遊観の舟、便船、漁舟等も同様。海門
ただし辰下刻までの事。以上
慶長十七年四月
船着きに。辻に。高札場に。
そこにも旅人がたかっていた。
「十三日といえば、もう
「遠国から、わざわざ来る衆も多いそうな。
「ばかな、一里も沖の船島の試合、見ゆるわけはない」
「いや、
「晴ならよいが」
「いや、このあんばいでは、雨にはなるまいて」
見物舟や、その他も、海上の往来は、辰の下刻まで停止と
十一日の
門司ヶ関から小倉へはいる城下口の一膳飯屋の前を、乳呑み児をあやしながら、行きつ戻りつしている女がある。
つい先頃、大坂の河端で、ふと見かけた又八が、後を追って行き会った、
旅の空が、
「ねむたいか。ねんねしや。ねんねしや。オオ、よち、よち、よち……」
乳ぶさをふくませ、足拍子を取って、見得もない、
変れば変るもの――と、以前の彼女を知る者は思うであろう。だが彼女自身には、この変化も、今の生態も、何の不自然もない姿だった。
「おお、坊や、寝たか、まだ泣いているのか。――おい朱実」
飯屋の中から出て来て、こう呼んだのは又八だった。
「さ。おれがかわって、抱いてやる。はやく御飯をたべて来い。乳が出ないというじゃないか。たくさん喰べて来いよ。たくさん」
抱き取って、又八は、飯屋の外をうろうろと、子守歌をうたっていた。
すると、通りすがりの旅の
「おや?」
と、又八を見まもって、後へ戻って来た。
子を抱いた、又八も、
「お、お……?」
立ち止った旅の武士へ、眼を返して見守ったが、誰だか、何処で会った顔か思い出せなかった。
「数年前、京の九条の松原で会った一ノ宮源八でござるよ。その折は、
田舎武士は、そういった。
それでもまだ又八には、明確な記憶をよび起せなかったが、一ノ宮源八が、ことばを重ねて、
「その時、貴公は、小次郎殿の名を
「ああ、あの時の!」
思い出して、大きくいうと、
「そうじゃ。その時の六部でござる」
「それは、どうも」
お辞儀をしたので、せっかく、眠りかけていた
「オオ、ヨシヨシヨシ。泣くな、泣くな。ばア――」
話は、それで飛んでしまい、一ノ宮源八は先を急ぐふうで、
「時に、当御城下にお住居の、佐々木殿のおやしきは、どの辺か、ご存じないか」
「さあ、分りませんね。てまえも実は、今ここへ着いたばかりで」
「ではやはり、武蔵との試合を見届けに?」
「いえ。……べつにその」
一膳飯屋を出て来た
「巌流様のおやしきなら、紫川のすぐ側で、わしらの御主人のお屋敷と同じ小路でさ。そこへ行くなら、案内してあげましょうぜ」
「やあ、かたじけない、……では又八
源八は、あたふた、
その
「はるばる、上州から、やって来たのかしら?」
と、何とはなく明後日に迫る今度の試合が、いかに
それと、数年前――
あの源八がさがし歩いていた中条流の印可目録を手に入れて、
その頃の自分と。そして、今の自分と。
考えてみれば、そう気づくだけの進歩はあった。
(おれでも……こんな
御飯をたべるまも、子の泣き声が耳にあって、いそがしげに、飯屋のめしを喰べて来た
「すみません。――
「もう、乳はいいのか」
「眠たいのでしょう。背なかにのせれば、寝そうですから」
「そうか。……よいしょ」
又八は、子を、彼女の背なかへ渡した。そして、彼は、
仲のよい夫婦飴屋。往来の眼が皆ふり向いて行く。自分たちのそれが皆、満足にゆかないのが多いので、たまたま、路傍でこういうけしきを見ると、
「よいお子じゃのう。お
歩み歩み、後から
どこか安い木賃へでもと、子づれの又八と朱実が、裏町へ曲りかけると、
「そちらへか」
と、うしろについて来た上品な旅の老婆は、にこやかに別れの会釈を送り、事のついでと思い出したように、
「あなた方も、旅の衆らしいが、佐々木小次郎の
と、たずねた。
それならたった今、先に尋ねて行ったお侍がある。紫川の側とかいうこと――と又八が教えると、老婆は軽く、
「かたじけない」
と、供の下男をうながして、まっすぐに立ち去った。
又八は見送って、
「……ああ。おれのおふくろ様も、どうしてござるやら?」
しみじみ、つぶやいた。
子を持って、彼も初めて、この頃わかりかけて来たここちがする。
「――あなた、行きましょう」
背の子を
きょうは鷹も小次郎も、屋敷の内にいた。夜来からの来客は、庭内を埋めている。まさか主人が鷹野にも出られなかった。
「何しろ、欣ぶべきことだ」
「巌流先生の名声も、これで
「めでたいといってもよかろう」
「そうだとも。
「しかし、敵も武蔵。そこは十分、御自重していただかぬと」
大玄関にも、脇玄関にも、遠来の客のわらじで満ちていた。
はるばる、京大坂から来たというもの。また、中国筋の者、遠いのでは、越前の
家人では手が足りないので、岩間角兵衛の家族が来てもてなしている。また、家中の侍で、
「明後日というても、もう明日一日だからのう」
およそここにいる縁故や門流の顔ぶれを見ると、武蔵の人物を、知ると知らないに
わけて、吉岡の門流を汲む者は、諸国へ
その他、武蔵が十年の
「上州から、お客でござる」
若侍が、また一名の客を玄関から大勢のいる広間へ連れて来た。
「自分は、一ノ宮源八と申す者で――」
と、質朴な客は、大勢へ向って、挨拶し、知らぬ顔の中に
「ほ。上州から」
と、人々は、その遠路をねぎらうように、源八を見まもった。
源八は上州白雲山のお
「御祈願までして――」
と、並居る者は、その奇特なこころざしに、いよいよ意を強うして、
「十三日は、晴天じゃろう」
と、
広間に詰めている大勢の客のうちの一人がいう。
「あいや、上州からお越しの、一ノ宮源八どのとやら。巌流先生のため、
問われて、源八は、
「てまえは、上州
「あ。巌流先生には、少年の頃、中条流の鐘巻自斎の許におられたそうだが」
「伊藤
源八はまたそれから、小次郎が師の自斎の印可目録も辞して、独自独創の流儀を立てる大志を早くから抱いていたことだの、少年時代の負けぬ気だった逸話だのを、問わるるまま物語していると、
「先生は? ……。先生はここにはお見えなさいませぬか」
取次の若侍が、そこへ来ていった。若侍は、大勢のなかを物色したが、見当らないので、他の座敷へ探しに行きかけると、客たちが、
「何じゃ、何か用か」
と、訊ねた。
「はい。岩国から来たが、小次郎に会わせてくだされと――お身寄りの方らしいご老婆が、ただ今、玄関に見えられましたので」
取次役は、いそがしげに、いうことだけをいうと、足を移して、次の間をのぞき、また、次の間をさがし、小次郎の姿を求めて行った。
「はて、お居間にも見えぬが」
つぶやいていると、そこを片づけていた小間使のお光が、
「
と、教えた。
やしきに満ちている客をよそに、巌流はひとり鷹小屋にはいって、止り木の鷹と、もくねん、むかい合っていた。
「先生」
「――誰だ」
「玄関の者でございます。ただいまお表へ、岩国から御老母様が、はるばる、訪ねておいでなされました。小次郎に会えばわかる者――とおっしゃるのみで」
「老母が。……はてのう? わしの母はもうこの世にいない人だ。母の妹にあたる叔母御であろう」
「どこへお通しいたしましょうか」
「会いたくないなあ。……かような時には、人には誰とも会いとうない。……だがまあ、叔母御とあれば、ぜひもなかろう。わしの居間へご案内いたしておけ」
取次が立ち去ると、
「
と、外へ呼んだ。
彼の小姓同様に、常に側にいる内弟子の辰之助は、
「はい。御用ですか」
小屋の内へはいって、彼のうしろに片膝を折り敷いた。
「きょうは十一日。いよいよ、明後日のことになったな」
「近づきましてございます」
「明日は、久しぶりに登城、殿様にごあいさつ申しあげ、心静かに、一夜を待ちたいものだ」
「それにしては、あまりにご来客が混みあいまする。明日は、一切、お客とお会いを避けて、静かに、時刻も早目に、お寝みなされますように」
「そうしたいものだ」
「広間のお客衆は、ひいきの引倒しというものでございます」
「そういうな、かの衆も、巌流の肩持ちする気で、近郷や遠国から来ておる人々だ。……がしかし、勝敗は時の運。――運ばかりではないが、兵家の興亡も同じこと。もし巌流亡き後は、わしが手文庫のうちの遺書二通。一通は岩間殿へ、一通はお光へ、そちの手から渡してくれ」
「御遺書などとは……」
「武士のたしなみ。あたりまえなことだ。また、当日の朝は、
「
「
と、止り木の鷹を見て、
「そちの
「心得ました」
「では、岩国の叔母御に、あいさつして来ようか」
巌流は出て行った。しかし、そうした人と会うことは、今の心境は、いかにも
岩国の叔母は、もうきちんと坐っていた。夕焼雲は、
「やあ、これは」
末座にさがって、巌流は頭を低く下げた。母の亡い後は、ほとんど、この叔母の手で育てられたのだった。
母には、子にあまい所もあったが、この叔母には、みじんもそういう所はなく、ただひたすら、姉の子でありまた、佐々木家の家名を
「小次郎どの。聞けばこの度は、いよいよ、生涯の大事にのぞむそうな。岩国の
伝家の一刀を負って故郷を出た少年の頃の彼のすがたと、今の堂々たる一家の風貌を備えた彼とを思い比べて、今昔の感にたえないように岩国の叔母はそういった。
巌流は、低頭して、
「十年の久しいあいだ、お便りもせず
「いや何。お
「それほど、岩国でも、何かと風評にのぼっておりますか」
「おるどころではない。この度の試合も
「ほ。試合を見に」
「したが、高札に依れば、
旅包を解いて叔母は折畳んだ一枚の肌着を出した。それは白
「ありがとう存じます」おしいただいて、
「おつかれでしょう。取り混んでおりますゆえ、このままこの部屋で、ご自由におやすみ下さい」
巌流は、それを
「これは、男山八幡のお
と、贈ってくれる者もあるし、わざわざ
そういう声援者は皆、彼に勝たせたいと念じている者には疑いないが、十中の八、九まで、巌流の勝ちを信じ、巌流の立身を見込み、彼との将来の
(もし、おれが牢人だったら)
と、巌流はふとさびしい気もした。しかし、かくまで、自分を信頼させた者は、誰でもない、自分自身だった。
(勝たねばならない)
と彼も思った。そう思うことはすでに、試合にのぞむ心の
(勝たねばならん! 勝たねばならん!)
人知れず――いや自己さえ意識なく、風騒ぐ
宵になった。
誰が探り、誰が報らせて来たか広間に集まって、酒を酌んだり飯を食べたりしている大勢の間に、
「きょう、武蔵が着いたそうだ」
「門司ヶ関で、船より上がり、御城下へ姿を見せたというが」
「では多分、長岡佐渡のやしきへ落ち着いたことだろう。誰か後で、佐渡のやしきの様子を、ちょっと探って来てはどうか」
などという声が、今宵にも大事が到来しているように、物々しく、しかし
――すでに巌流のやしきへは、早耳に伝わっていた通りに。
武蔵の姿は、同日の夕方には、もう同じ土地に見出すことができた。
武蔵は、海路の旅を経て、それより数日前に、赤間ヶ関へ着いていたらしいが、誰あって彼を彼と知る者はなく、また、彼自身も、何処かへ引籠ったまま、身を休めていたらしい。
その日、十一日には、
取次に出た、長岡家の家士は、彼のことばを受けながらも、この人がさては武蔵であるのかと、
「まことに、行届いたご挨拶。主人はまだお城よりお
「
「でも、せっかくのお越しを。……後にて主人がいかばかり残り惜しゅう思われるかもしれませぬ」
と、取次の家士は、自分の一存だけでも、帰したくないように引き止めて、
「では、しばらくお待ちください。佐渡様にはご不在ですが、一応奥へ」
と、いい残して、急いで奥へ告げに行った。
すると、廊下を。
ばたばたっと駈けて来る
「先生っ」
式台から飛び降りて、武蔵の胸へ抱きついた少年がある。
「オオ、伊織か」
「先生……」
「勉強しているか」
「ええ」
「大きくなったなあ」
「先生」
「なんだ」
「先生は、わたくしが、ここにいることを知っていたのですか」
「長岡様の手紙で知った。そしてまた、廻船問屋の小林太郎左衛門の宅でも聞いた」
「だから、驚かなかったんですね」
「むむ。……当家のお世話になっておれば、そちのためには、この上もなく安心だからの」
「…………」
「何を悲しむ」
と、
「ひとたびお世話になったからには、佐渡様のご恩を忘るるでないぞ」
「はい」
「武道のみでなく、学問もせねばならぬぞ。平常は何事も、
「……はい」
「そちにも、母がない、父もない。肉親のない身は世の中をつめたく見、ひがみ易い。……そうなってはならぬぞ。あたたかい心で人のなかに住め。人のあたたかさは、自分の心があたたかでいなければ分る筈もない」
「……え、え」
「そちはまた、利発のくせに、くわっとすると野育ちの荒気が出る。慎まねばならぬ。まだ若木のそちには、長い生涯があるが、それにせよ、
彼の顔を抱いて、そういう武蔵の言には、どこか、名残もこれ
長岡家に養われてからは、なり振りも小綺麗に、前髪もきちんと
武蔵は、それを見ただけで、彼の身については、安心した。そこを見届けた以上、よけいなことはいわねばよかったと、軽く悔いて、
「泣くな」
と、叱ったが、伊織は、泣きやまなかった。武蔵の着物の胸は、彼の涙で濡れるばかりだった。
「先生……」
「人がわらうぞ。何を泣く」
「でも、先生は、
「参らねばなるまい」
「勝ってください。これっきり会えなくては嫌です」
「はははは。伊織、そちは
「でも、多くの人が、巌流殿には
「そうであろう」
「きっと、勝てましょうか。先生、勝てるでしょうか」
「案じるな、伊織」
「では。大丈夫ですね」
「敗れても、きれいに敗れたいと念じるのみだ」
「勝てないと思ったら、先生、今のうちなら、遠い国へ行ってしまえば」
「世間の声には、
「でも先生、
「そうだったな。――しかし、そちに武蔵が教えたことは、皆、わしの短所ばかり。自分の悪い所、出来ない所。至らないで悔いていることばかりを――そちには、そうあって貰いたくないために教えておるのだ。武蔵が船島の土になったら、なおさらわしをよい手本に、よしないことに生命は捨てるなよ」
果てしない心地に、彼自身も
「お取次へも頼み上げておいたが、佐渡様がお帰りになったら、くれぐれも、よろしくお伝えを頼むぞ。いずれ、船島で
門の方へ、辞し去ろうとすると、伊織は師の笠をつかまえて、
「先生っ……。先生」
――何もいえない。
ただ
すると、横の中門の木戸が、少し開いて、
「宮本先生でござりますか。てまえは、当家の若党、
「これは――」
と会釈を返して、
「ありがたいお言葉ですが、船島の土になるやも知れぬ身に、一夜二夜の宿縁を、ここかしこに残しては、去る身も、後の人々も、かえって
「ご
「委細、また、書中にいたして、佐渡様まで改めて、申し上げます。――きょうは到着の御挨拶までにうかがったこと。よろしゅうお伝えを」
と、武蔵は門を出た。
おういーっ。
と、呼ぶ者がある。
間を
おおういっ……
今、長岡佐渡の邸へ、挨拶をすまして、侍小路から
四、五名の武士。
細川家の藩士とすぐ分る。そして皆、よい年配だ。白髪の老武士も中に見える。
武蔵は気づかない。
黙然と、
「武蔵どの」
「宮本
年配な藩士たちは、駈け寄って彼のすぐ後ろに立った。
遠くから呼ばれた時、武蔵はいちど振向いて、その人達の来るのは知っていたが、皆見覚えのない者ばかりなので、自分とは思わなかったのである。
「……はて?」
小首を
「もうお忘れじゃろ。われらに、見覚えがないのもむりはない。それがしは
つづいて、次の者が、
「自分は、
「わしは井戸
「
「
と、名乗って、
「いずれも、御身とは同郷の者ども、そしてまた、この中の内海孫兵衛丞と、香山半太夫の二老人は、
「……おお、では」
武蔵は、親しみを
なるほど、そう聞けば、この人々には、特有な
「申しおくれました。おたずねの通り、拙者は宮本村の無二斎の
「関ヶ原の御合戦の後、知っての通り、主家新免家は滅亡。われらも牢人して、九州落ち。……この豊前へ来て、一時は、馬の
「さてさて、左様でござりましたか。思わぬ所で、
「こちらも意外。お互いに懐かしいことよ。……それにつけ、その姿を、一目なと、亡き無二斎どのに見せたかったなあ」
半太夫、亀右衛門丞などの人々は、
「オオ、用談を忘れた。実は今ほど、御家老のお邸へ立ち寄った所、おぬしが見えて、すぐ帰ったとのこと。これはいかんと、あわてて追うて来たのじゃ。――というのは、佐渡様とも申しあわせ、御身が小倉へ到着したら、ぜひ一夜、われらなども
杢右衛門丞がいうと半太夫も、
「それをばさ。すげのう、お玄関で挨拶だけして立帰るという法があるものでない。さあござれ。無二斎の
手をひかんばかりだし、父の友人という格から、有無をいわさぬ
「いや。やはりお断りいたしましょう。ご好意を無にいたすようでござるが」
立ち淀んで、辞退すると、人々は口を揃えて、
「なぜじゃ。折角、われら同郷の者が、御身を迎えて、大事の門口を、祝おうというのに」
「佐渡様の思し召もそうじゃ。佐渡様にも
「それとも、何ぞご不服か」
すこし感情を害したらしく、わけて無二斎とは生前
「そんな法やある」
といわんばかりな眼である。
「決して左様な
「――
「ほほウ……」
「おそらくは、巷の風説。俗衆の臆測でございましょう。――しかし、衆口は怖ろしい。一介の牢人の身には、
「いやあ、なるほどの!」
老人達は、大きく答えて、
「それで、御身には、御家老のお邸へ、わらじを解くことを、
「いや、それは理窟で」
武蔵は、微笑に打消し、
「実のところは、生来の野人、気ままにおりたいのでござる」
「お心もち、よく相分った。深く思えば、満ざら、火のない煙ではないかも知れぬ。われらには覚えなくとも」
武蔵の深慮に人々は感じた。しかし、このまま立ち別れるのも残念と、一同は
「――実は毎年、きょうの四月十一日には、吾々どもの寄りあう会合がござって、十年来、欠かしたこともないのでござる。それには、同郷六名と、人数も限り、人を招かぬ会でござるが、貴殿なれば、同じ
なお、つけ加えて。
最前はまた、もし
武蔵も、今は断りかねて、
「それほどまでの仰せなら」
と、承諾すると、人々は非常によろこんで、
「では早速にも」
と、即座に何かと打合せ、武蔵のそばには、木南加賀四郎ひとりを残し、後の者は、
「然らば、いずれまた後刻、
と、その場からめいめい、一度家路へと帰って行った。
武蔵と加賀四郎とは、そこらの茶店先で日の暮るるを待合せ、やがて宵の星空の下を、加賀四郎の案内で、街から小半里ほどある
ここは城下端れの街道筋で、藩士の邸宅などもなければ、酒亭なども見あたらない。橋袂には、街道の旅人や馬方相手の、見るからにひなびた居酒屋や木賃の
不審な所へ? ――
と、武蔵は疑わざるを得なかった。ともあれ、最前の人々は、香山半太夫、
――ははあ、さてはそういう口実の
「――武蔵どの。もう皆、見えております。どうぞ
彼を
「あ。席は船の中か」
自分の行き過ぎた疑いに苦笑を覚えながら、彼も後から河原へ降りて行ったが、何の事、船などもそこらには見当らない。
だが、加賀四郎を加えて、六名の藩士たちは、すでに来ていた。
見れば、席というのは、河原へ敷いた二、三枚の
「かような席へ、失礼じゃが、折もよし、年に一度のわれらの寄合へ、同郷の武蔵どのが来会わされたのも、何かのご縁じゃろう。……まずまず、それへご休息を」
と、彼へも一枚の
「これも、作州牢人のひとり――今では細川家の
と、
武蔵は、いよいよ、不審にたえない。
風流の趣向なのか。何かまた、人目を避けてする必要のある会合なのか。――とにかく一枚の莚に招かれても客は客であるから、武蔵は慎んで坐っていると、やがて年長者の内海孫兵衛丞が、
「あいや
と、いった。
そして一同、
作っているのは、
手に
「……?」
武蔵は、不審に打たれていたが、人々のすることを、おかし気に見たり、疑ってみたりする気には毛頭なれなかった。
だまって、謹んで見ていた。
「作れたかな」
やがて、香山半太夫老人がいって、
老人はもう、一足の
「出来ましてござりまする」
次に、
「てまえも」
と、
順々に、積んで、六足の
そこで人々は、
また、べつな三方には、用意して来た杯が乗せられ、側の盆には
「さて、御一同」
と、年長の
「――われらにとって忘れ難い慶長五年、その関ヶ原の役より、はや十三年になり申す。お互に思わざる
「はい……」
一同は、やや
「――とはいえ、今は亡びたりといえ、旧主新免家の
「されば、孫兵衛丞どの、御挨拶のとおり、藩公の御慈愛、旧主の御恩、零落のむかしに変る今日の天地の恩。――われら日常も忘れは
一同して、そういった。
司会者格の孫兵衛丞は、
「では、
「はっ」
六名は、膝を正し、両手をつかえて、そこから見える――夜空にも白く仰がれる――小倉城へ向って、頭を下げた。
次に、旧主の地。また各の祖先の地――作州の方角へ向って、同様に礼をした。
最後に、自分たちで作った
「武蔵どの。一同これより、この河原の上の
一人は、
そして、酒もりが始まった。
――というても、芋の煮たのや、木の芽
しかし、豪笑快語、酒と話は、はずんで来た。
打ちとけて、酒と話がはずんで来たので、武蔵は初めて、
「お
訊ねると、
「よう
と、内海孫兵衛丞は、待っていたように、こう話した。
慶長五年。関ヶ原の戦に敗れた新免家の侍たちは、あらかた九州へ落ちて来た。
こう六人の者も敗残者の一組だった。
元より衣食の
ここ三年が間は、往来の馬子に、自分らで作った馬沓を売り
(あの衆は皆、どこか変っているぞ。
と、馬子たちの噂が、やがて藩に聞え、当時の君公、三斎公の耳にはいった。
調べてみると、旧
交渉に来た細川藩の臣は、
「思し召しをうけて参ってござるが、
と、いって帰った。
六名の者は三斎公の仁慈に感泣した。関ヶ原の敗亡者とあれば、当然、追い立てられても、まだ寛大としなければならない所である。それを、六人に千石も給されるというので否やもなかった。
ところが、井戸
(お断りせい)
という意見をいいだした。
亀右衛門丞の母がいうには、
(三斎公様のお仁慈は、涙のこぼれるほど
で、一致して、断ると、藩の者はありのまま、君公へ伝えた。
三斎公は、聞いて、
(長老の内海孫兵衛丞に千石。余の者には一名二百石ずつと、改めて申しやるがよい)
と、命じた。
六名出仕ときまって、いよいよ、お目見得の登城となったが、その折、六名の貧乏ぶりを目撃して来た使者の者が、
(少々はお手当を先に
気を配ったつもりでいうと、三斎公はわらって、
(だまって見ておれ。折角の
案のじょう。
以上、孫兵衛丞のはなしを、武蔵は興ぶかく聞き入っていた。
「――まず、そういう仕儀で、われら六名、お召抱えになったわけじゃが、思うにこれ皆、天地の恩じゃ。祖先の恩、君公の恩は、忘れんとしても忘れようもないが、
孫兵衛丞は、そういい足してから、武蔵へ杯を向けて、
「いや、われらのことのみいうて許されい。酒は貧しくも、
杯を押しいただいて、
「かたじけのうござる。高楼の美酒にもまさるお杯。お心ばえにあやかりますように」
「
小石まじりの土が、
「誰だっ」
「巌流の門人らしい。こんな所へ武蔵どのを招いて、われらが首を集めているので、助太刀の策でも密議していると、変に取ったのじゃあるまいか。あわてて、駈け去って行き申したが」
「あははは。その疑い、先方にしてみれば無理もない」
ここの人々は、あくまで
――長座は無用。同郷の縁故があるだけに、なおさら心しなければならない。かかる武士たちへ、よしなき
飄然――
いかにもそういったふうな武蔵の去来だったのである。
翌日。
すでに十二日である。
当然、武蔵はどこか、小倉城下に泊って、待機しているものと思い、長岡家では、彼の宿所を、手分けして探していた。
「なぜ引き留めて置かなかった」
と、用人も取次も、後では主人の長岡佐渡に、かなり叱られたこと間違いない。
が、分らなかった。
「こまったこと!」
明日を前にして、佐渡は白い眉毛に焦躁をたたえていた。
巌流は、その日。
久しぶりに登城して、藩公から懇篤なことばと、お杯をいただいて、意気揚々、騎馬でやしきへ退がっていた。
城下には、夕刻頃、武蔵について種々な浮説が伝えられていた。
「
「逃亡したに違いない」
「どう探しても、皆目、姿が見つからないそうだ」
と、いうのである。
逃げたろう? ――
逃げたに相違ない。
ありそうなことだ。
見えぬ武蔵の姿に対して、
長岡佐渡は眠らなかった。
よもや? ――とは思うものの、そう思われない人間がよく事の
「――御主君のてまえ」
彼は、切腹すら考えた。
武蔵を推挙した者は自分である。藩の名を以て、試合となった今日、その武蔵が行方を
「……自分の不明か」
あきらめに近い
「ただ今戻りました」
その武蔵の居所を、昨夜から探しに出ていた若党の
「どうだった?」
「分りませぬ。皆目、それらしい者も、御城下の
「寺院など、訊いてみたか」
「府中の寺院、町道場など、武芸者の立ち寄りそうな箇所へは、
「戻らぬが……」
佐渡の眉には、
庭木を
「…………」
梅若葉のあいだを、佐渡は黙々と行きつ戻りつしていた――
「わからぬ」
「どこにも見えぬ」
「こんなことなら、一昨夜別れる時に、
井戸亀右衛門丞、
縁に腰かけて、人々はとかくの評議にいきり立っていた。時刻は迫るばかりなのだ。――今朝、佐々木小次郎の門前をよそながら見て通ったという木南加賀四郎の話によれば、昨夜来、そこには約二、三百名の知己門人が詰めきって、
それにひきかえて!
と口には出さぬが、人々は
「もうよい。……今から探しても間にあうまい。御一同、お引き揚げ下さい。慌てれば慌てるほど見苦しい」
佐渡は、そう告げて、人々に無理に引き取らせた。木南加賀四郎や安積八弥太などは、
「いや、見つける。たとえ今日が過ぎても、あくまで見つけ出して、斬り捨ててくれる」
昂奮して帰って行った。
佐渡は、清掃された室内に上がって、香炉に香を焚いた。それはいつもの事ながら、
「……さてはお覚悟を」
と、
「縫殿介さん。下関の廻船問屋、小林太郎左衛門の家を訊ねてみましたか」
大人の常識には限界があるが、少年の思いつきには限界がない。
伊織のことばに、
「そうだった。……おお」
佐渡も
佐渡は、眉を開いて、
「
「はっ、承知いたしました。伊織どの、よう気がついたな」
「わたしも行く」
「旦那さま。伊織どのも、一緒にと申しますが」
「ウム。行って来い。――待て待て。武蔵どのへ一筆書くから」
佐渡は手紙をしたためた。そしてなお口上でもいいふくめた。
試合の時刻、辰の上刻までに、相手方の巌流は、藩公のお船をいただいて、船島へ渡ることになっている。
今からなら時刻もまだ十分。尊公にも、自分のやしきへ来て支度をととのえ、船も、自分の持船を提供するゆえ、それへ乗って、晴の場所へ臨んでは
佐渡のそうした旨を受けた縫殿介と伊織は、御家老の名を以てお船手から藩の早舟を出させた。
ほどなく下関へあがる。
下関の廻船問屋、小林太郎左衛門の店はよく知っている。店の者に訊ねてみると、
「何か知らないが、先頃からお住居の方に、お若いお武家が一人、泊っていることはいるようです」
と、いう。
「ああ、やはり
「武蔵様には当家に
「はい、お
「それを聞いて、安心いたしました。昨夜来、御家老にも、どれほど、御心配なされていたか分りませぬ。早速、お取次を願いとうござるが」
太郎左衛門は、奥へはいって行ったが、すぐ戻って来て、
「武蔵様は、まだお部屋で、お寝みになっておりますが……」
「えっ?」
思わず、呆れ顔して、
「起して下さい。それどころではござらぬ。いつもこう、朝は遅いお方でござるか」
「いえ。昨夜は、てまえとさし
召使を呼んで、縫殿介と伊織を、客間へ通しておき、太郎左衛門は、武蔵を起しに行った。
間もなく、武蔵は、二人の待っている客間へ姿を見せた。十分、熟睡をとった彼のひとみは、
その眼元に、微笑を寄せながら武蔵は、
「やあ、お早く。――何事でござりますか」
と、いって坐った。
その挨拶にも、
「それはそれは」
武蔵は、手紙へ頭を下げて、封を切った。伊織は、その姿を、穴のあくほど見つめていた。
「……佐渡様の思し召、ありがたいことに存じますが」
武蔵は、読みおえた手紙を巻きながら、ちらと、伊織の顔を見た。伊織はあわてて
武蔵は、返事をしたためて、
「委細、書中にいたしましたれば、佐渡様へは、よろしゅうお伝えを」
とのことだった。
そして、船島へは、自身、頃を計って出向くゆえ、お
やむなく、二人は、返書を持ってすぐ辞した。――帰るまで、伊織は遂に何もいえないでいた。武蔵も一言もことばをかけてやらないのである。しかし、無言の中に、師弟の情と、言葉以上のものは尽きていた。
二人の戻りを、待ちかねていた長岡佐渡は、武蔵の返書を手にして、まずほっと眉をひらいた。
文面には、
私事、お許 様御舟にて、船島へ遣 さる可旨 、仰せ被聞 、重畳 お心づかいの段、辱 なくぞんじ奉候
然れどこの度、私と小次郎とは敵対の者にて御座候。しかるに小次郎は君公の御舟にて遣され、私は其許様お舟にて遣され候旨に御座候処、右、御主君に被対 、如何わしく存じ奉候。この儀、私にはお構いなされず候て然る可 とぞんじ奉り候
此段、御直 に申し上可 とぞんじ候えども、御承引なさるまじく候に付、わざと申しあげず、爰元 へ参り居候(中略)
爰元 の舟にて、能き時分参り申すべく候間、左様に思し召さるべくそろ。以 上
四月十三日
と然れどこの度、私と小次郎とは敵対の者にて御座候。しかるに小次郎は君公の御舟にて遣され、私は其許様お舟にて遣され候旨に御座候処、右、御主君に
此段、
四月十三日
宮本武蔵
佐渡守様「…………」
佐渡は、黙然と、読後の文字をなお見入っていた。
謙虚の美。ゆかしい思い配り。何にしても行届いた返書。と心を打たれている
それとまた、佐渡は、昨夜からの自分の
「
「はっ」
「武蔵どのの、この御書面を
「承知いたしました」
「御主人様。御用がおすみ遊ばしたら、今日のお立会のお役目、はやお支度を遊ばしませぬと」
と、うながした。
佐渡は落着いて、
「心得ておる。じゃが、まだ時刻には早かろう」
「お早くはござりまするが、同じく今日のお立会役、岩間角兵衛様にはもはやお船を仕立てられ、今し方、浜をお離れなされましたが」
「人は人。あわてずともよい。――伊織、ちょっとこれへ来い」
「はい……御用ですか」
「そちは、男だの」
「え、え」
「いかなることがあっても、泣かぬという自信があるか。どうじゃ」
「泣きませぬ」
「然らば、わしの供をして、船島へ行け。――じゃが、次第に依っては、武蔵どのの骨を拾うて帰るかも知れぬのだぞ。……行くか。……泣かずにいられるか」
「行きます。……きっと、泣かないで」
奥の声をうしろに。
「お待ち下さいませ。……長岡様の御家来さま」
女は、子を負っていた。
縫殿介は、気が
「何じゃ。お女中」
「ぶしつけではございまするが、かような身なりの者、お玄関へ立つことも
「では、御門前で待っていたのか」
「はい……今日に迫った船島の試合に、きのうから、武蔵様が逃げたとやら……町の噂に聞きましたが、それは本当でございましょうか」
「ば、ばかなこと!」
ゆうべからの
「左様な武蔵どのか、武蔵どのでないか、辰の刻になれば分る。――たった今、わしは武蔵どのにお会いして、御返書までいただいて来たところだ」
「えっ……。お会いなされましたか。して、何処に?」
「
「はい」
さし
「武蔵様とは、知る
「ふム。……ではやはり根もない噂に案じていたのか。では、これから急ぐ出先だが、武蔵どのの御返書を、ちょっと見せて上げる。心配なさるな、これこの通りに――」
縫殿介が、ふと気づいて、自分の肩を振り向くと、男は
「誰だ? ……おぬしは」
「はい。その女房の、連れの者でございます」
「なんだ。御亭主か」
「有難うございました。武蔵どのの、懐かしい文字を見て、何だか、会ったもおなじ気がしました。……なあ女房」
「ほんに、これで安心いたしました。――欲には、遠くからでも、試合の場所を、拝んでいとうございます。たとえ、海を隔てても、私たちの心がそこに働きますよう」
「オオ、それなら、あの海沿いの丘へ上がって、遥かに、島の影なと見ていなされ。――いやいや、きょうは、ばかに晴れているから、船島の
「お急ぎのところ、足をお止めして、済みませんでした。――では、御免なされませ」
子を負った旅の夫婦者は、城下
縫殿介も、急ぎかけたが、あわてて呼び止めた。
「もしもし。お前たちの、名前は何という人か。さし
夫婦は、振り返って、またていねいに遠くからお辞儀をした。
「武蔵どのと同じ作州の生れ――又八と申します」
「
縫殿介は、うなずくと、もう一散に、使い先へ駈けて行った。
ややしばらく見送っていたが、眼を見合すと、二人は口もきかず、城下の外へ急いだ。小倉と門司ヶ関のあいだの松山へ、
真正面に、船島が見える。幾つもの島影も見える。いや海門の彼方、
二人は、たずさえている
ざあ、ざあっ……と断崖の下の
朱実は、子を降ろして、乳ぶさに抱え、又八はじっと、膝に
主人の長岡佐渡が、今朝、船島へ出向くまでに間に合うようにと。
「あっ。巌流の……?」
彼は、そのいそぐ足をも止めて、思わず物陰にたたずんだ。
そこは、御浜奉行の役宅から半町ほど先の海辺だった。
そこの岸からは、早朝よりたくさんな藩士が、きょうの試合の立会や、検視や、また、不慮の場合の警備だの、試合場の準備だのとして、
――今も。
お船手の藩士が、一艘の新しい小舟を寄せて、待っていた。舟板から
縫殿介は一目見て、それは藩公から特に巌流へくだされた舟と知った。
舟に、特徴はないが、そこらに
「おお、お
「見えられた」
人々は、舟の両側に立って、おなじ方角を、振り向いていた。
磯松の陰から、縫殿介も、彼方を見ていた。
御浜奉行の休み所に、乗って来た駒を繋いで、佐々木巌流は、しばらくそこに休息を取っていたものとみえる。
そこの役人達にも見送られ、巌流は、日頃の愛馬を、託していた。――そして供として、内弟子の
「…………」
人々は、巌流の姿が、近づいて来るにつれ、
それと人々は、その日の巌流の晴の
巌流は、
その刀は、三尺余もあるので、見るからに
波音と、風に
彼は、その笑みを、
弟子の辰之助も乗った。
船手方の藩士が、二人乗りこんで、一名は
それと、もう一つの供のものは、辰之助の
浜辺に立って見送っている人々は、いつまでも立ち去らなかった。
それへ
「そうだ、時刻が迫った。おやしきの旦那様にも早……」
その時、ふと気づいたのであった。彼が姿を
遠く小さく――海の青に溶けてゆく小舟を――いや巌流の姿を、見送ってはまた、よよと木陰に泣いていた。
それは巌流が、小倉に落ち着いてからの浅い年月、巌流のそばに仕えて来たお光であった。
「…………」
縫殿介は、眼を
ふと、気になるまま、
「――誰にも、裏と表はあるもの。晴の姿の陰には、
と、つぶやいて、人目を離れて悲しむ一人の女性と、もう沖へ、うすれて行く巌流の舟とを、もう一ぺん、振りかえってみた。
浜辺の人々は、三々五々、もう波打際から散らかっていた。口々に巌流の落ちつきぶりを
「辰之助」
「はっ」
「天弓を、これへ」
巌流は、左の
辰之助は、自分の拳にすえていた鷹を、巌流の手へ移して、少し退がった。
舟は今、船島と小倉との間を漕いでゆく。海峡の潮流は、ようやく急であった。空も水も、澄みきった
「お城へ帰れ」
巌流は、鷹の
鷹は、常の狩場の
巌流は、鷹の行方を見ていなかった。鷹を放つと、巌流はすぐに、身に着けている神仏のお
「さっぱりした」
巌流はつぶやいた。
今の絶対的なものへ向って行くあの気持には、あの人、この人と、思い出さるる、情や
自分に勝たせようと祈ってくれる、大勢の人々の、好意も重荷であった。神仏のお札さえ、
人間。――素肌の自己。
これ一箇しか、今は、
「…………」
潮風は、無言の彼の
一方――
同じ準備は、対岸の赤間ヶ関にある武蔵のほうにも、当然のこと、はや迫っていたわけである。
早朝。
長岡家の使いとして、
「佐助。佐助はいないか」
と、探していた。
佐助というのは、大勢の
「おはようございます」
主人の姿を見て帳場から降りて来た番頭は、まず朝の挨拶をして、
「佐助をお呼びで。――はい、はい、今しがたまで、そこらにおりましたが」
と、
「佐助を探しておいで、佐助を――。大旦那がお召しだ。いそいで」
と、いいつけた。
それから番頭は何か、店の事務について、荷物の回漕やら船配りなどについて、さっそく、主人に報告的なおしゃべりを始めたが、太郎左衛門は、
「後で。後で」
耳たぶの蚊を払うように顔を振り――それとはまったく
「誰か、店のほうへ、武蔵様を訪ねて見えた者があるかね」
「へ。ああ、奥のお客様のことで。――いや今朝がたも、訪ねて見えたお人がございましたが」
「長岡様のお使いだろう」
「左様で」
「その
「さあ? ……」
と、頬を抑えて、
「てまえが会ったのではございませんが、昨晩、大戸を
「誰がしゃべったのだ。あれほど、武蔵様の身については口止めしておいたのに」
「何しろ、若い衆たちは、きょうのことがございますので、ああいうお方が、御当家に泊っているということは、何か自分たちの自慢のように、つい口へ出てしまうらしいので――てまえも
「そして、ゆうべの、樫の杖をついた旅の人とかはどうしたのか」
「
そこへ。
船着きの
「佐助でございます。大旦那、何か御用でございますか」
「おお佐助か。べつに、
「へい。ようく心得ておりまする。こんな御用は
「じゃあ、ゆうべも
「べつに、支度といって、何もございませんが、たくさんな
太郎左衛門はまた、
「そして、舟は、どこへ繋いでおいたか」
と、たずねた。
佐助が、いつもの船着きの岸に――と答えると、太郎左衛門は考えていたが、
「そこでは、お立ちの際、人目につく。――どこまでも、人目だたぬようにというのが武蔵様のお望み、どこぞ、
「かしこまりました。では、どこへ着けておきましょうか」
「
そう
店も、
そう思って往来を眺めると、どこへ指して行くのか
「はよう、来やい」
「泣くと、捨てて行くぞよ」
「なるほど、これでは……」
と、太郎左衛門も、武蔵の気もちが分る気がした。
しかもまだ、時刻までには、
そして、
しかし、人が行く。そして、人が行くと、家にいられない人々が、わけもなく、ぞろぞろと行くのだった。
太郎左衛門は、ちょっと往来へ出て、一巡そんな空気に触れながら、やがて、住居へ戻って来た。
彼の居間も、武蔵の寝ていた部屋も、もうすっかり、朝の掃除が終っていた。
開けひろげた浜座敷の天井の木目に、ゆらゆらと、波紋の渦がうごいていた。すぐ裏がもう海だった。
波から
「お帰りなさいませ」
「お。お鶴か」
「どちらへお
「お店の方にいたのだよ」
お鶴のついだ茶を取って、太郎左衛門は、静かに見入っていた。
「…………」
お鶴もだまって海を見ていた。
太郎左衛門が、眼に入れても痛くないほど可愛がっているこの一人娘は、先頃まで泉州
また。こうも想像される。
武蔵が、ここの小林太郎左衛門の住居へ、先頃から身を寄せたのも、そうした縁から、伊織の世話になった礼をのべるためにも、下船後、太郎左衛門の家へ立ち寄り、太郎左衛門と親しくなったことからではあるまいか。
が――何はともあれ。
武蔵が逗留中は、父のいいつけで、お鶴が彼の身のまわりを世話していた。
現に、昨夜なども、武蔵が父と夜更くるまで、話しこんでいるあいだ、彼女はほかの部屋で、頻りと縫物などしていた。それは武蔵が、
(試合の当日は、何も支度は
と、何かの折にいったので、肌着のみならず黒絹の小袖も
仮に――
ほんの、かりそめに、太郎左衛門だけの親心であったが、
(娘は、あの人に、淡い思いを寄せているのではあるまいか。――もし、そうだとしたら、今朝のお鶴の心は)
と、ふと、そんな思い過しもしてみるのだった。
いや、思い過しでないかもしれなかった。お鶴の今朝の眉には、どことなく、そうした心の色がただよっている。
今も。
父の太郎左衛門に茶を汲んでから、父が黙然と海を見ていると、彼女も、いつまでも黙って、物思わしく、海の青を
「お鶴……」
「はい……」
「武蔵様は、どこにお
「もう、お済みでございます。そして、あちらのお部屋を閉めて」
「そろそろ、お支度中か」
「いいえ、まだ……」
「何をしていらっしゃるのだ」
「
「画を……?」
「はい」
「……ああ、そうか。心ないおねだりをした。いつぞや、画のはなしが出た折、なんぞ一筆でも、後の思い出にも――と、わしが御無心しておいたので」
「きょう船島まで、お供をしてゆく佐助にも、一筆
「佐助にまで」
太郎左衛門はつぶやいて、急に自分が落ちつかない気もちにせかれた。
「――もう、こうしている間にも、時刻は迫るし、見えもせぬ船島の試合を、見ようと騒いでゆくたくさんの人たちも、ああして往来を押し流して行くのに」
「武蔵様は、まるで、忘れたようなお顔をしていらっしゃいます」
「画などの沙汰ではない。……お鶴、お前が行って、どうぞもう、そのようなことは、お捨て
「……でも、わたしには」
「いえないのか」
太郎左衛門は、その時、はっきりとお鶴の気持を覚った。父と娘とは、ひとつ血である。彼女の悲しみも
が男親の顔は、さり
「ばか。何をめそめそと」
そして自分で――武蔵のいる
そこは、ひそと、閉めきってあった。
筆、
すでに描き上がっている一葉の
――が、前に置いてある紙には未だ一筆も落してなかった。
白い紙を前にして、武蔵は、何を描こうかと、考えているらしい。
いや、画想をとらえようとする理念や技巧より前に、画心そのものに成りきろうとする自分を静かにととのえている姿だった。
白い紙は、無の天地と見ることができる。一筆の
人の肉体は消えても墨は消えない。紙に宿した心の
武蔵は、そんなこともふと思う。
が、そんな考えも、画心の
「…………」
その姿に、狭い一間は
ここには往来の騒音もなければ、きょうの試合もよそ事のようだった。
ただ中庭の
「……もし」
音もなく、いつか、彼のうしろの
「……武蔵様。もし……せっかくお楽しみのところを、お邪魔いたして恐れ入りますが」
彼の眼にも、武蔵のそうしている
武蔵は、気がついて、
「おう、亭主どのか。……さ、はいられい、そのように
「いえ、今朝はもう、そうしてもおられますまい。……やがて、お時刻が迫りまするが」
「承知しています」
「お肌着や、懐紙、手拭など、お支度の物を取揃えて、次の部屋に置きましたゆえ、どうぞいつなりとも」
「かたじけのうござる」
「……そしてまた、てまえどもへくださるための画でございましたなら、どうぞもうお捨て置きくださいまして。……また、首尾よう船島からお帰りの後にはゆるゆると」
「お気づかいなさるな。どうやら今朝は、すがすがしゅうござるゆえ、かような時に」
「でも、時刻が」
「存じています」
「……では、お支度にかかる時には、お呼びくださいまし、あちらで控えておりますから」
「恐れ入るのう」
「どういたしまして」
かえって、邪魔をしてもと、太郎左衛門が
「あ。亭主どの――」
と、武蔵のほうから呼び止めて、こう訊ねた。
「この頃の、潮の
潮の
「はいこの頃は、明けの
と、答えた。
武蔵は、うなずいて、
「左様か」
と、つぶやいたきり、また、白い
太郎左衛門は、そうっと、
元の位置に、自分も落ちつくつもりで、しばらく坐ってみたが、時刻が、時刻が、と思うと、坐ってもいられなくなる。
つい立って、浜座敷の縁へなど出てみた。海門の潮は今、奔流のように動いていた。浜座敷の下の
「お父さま」
「お鶴か。……何をしているのじゃ」
「もうお出ましも間もないかと、武蔵様のお
「まだだよ」
「どうなされましたか」
「まだ、画を描いていらっしゃるのだ。……よいのかなあ、あんなにご
「でも、お父さまは、お
「――行ったのだが、あの部屋へ行くと、妙に、止めるのもお悪い気がしてなあ」
――すると、何処かで、
「太郎左衛門殿っ、太郎左衛門殿っ」
声は、家の外だった。
庭先の下の
「おう、
縫殿介は、舟から上がらなかった。縁に太郎左衛門の姿が見えたのを幸いに、そこから仰向いて、
「武蔵どのには、もはや、お出ましなされたか」
と、訊ねた。
太郎左衛門が、まだ――と答えると、縫殿介は早口に、
「では、少しも早く、ご用意をととのえて、お出向き下さるよう、お伝え下さい。――すでに相手方の佐々木巌流どのにも、藩公のお舟にて、島へ向われたし、主人長岡佐渡様にも、今し方、小倉を離れましたれば」
「かしこまりました」
「くれぐれも、卑怯の名をおとりなさらぬよう、老婆心までに一言を――」
いい終ると、先を
――が。太郎左衛門もお鶴も、奥の静かな一間を振り向いたのみで、そのまま、わずかな時間を長い気持で、縁の端にならんで待っていた。
けれど、いつまでも、武蔵のいる部屋の
二度目の早舟がまた、裏の干潟に着いて、一人の藩士が駈けあがって来た。こんどの使いは、長岡家の召使ではなく、船島から
二度まで、催促の便が、早舟で来た由を告げると、武蔵は、
「そうですか」
ニコと、ただうなずく。
だまって、どこかへ出て行った。水屋で水音がする。一
その間、お鶴は、武蔵がいたあとの畳へ眼を落していた。さっきまで、白紙だった紙には、どっぷり墨がついている。一見、雲のようにしか見えないが、よく見ると、
画はまだ濡れていた。
「お鶴どの」
次の間から武蔵がいう。
「――その一図は、御主人に上げてください。また、もう一図は、きょう供をしてくれる船頭の佐助に後でお
「ありがとう存じます」
「意外なお世話に相成ったが、なんのお礼とてもできぬ。画は
「どうぞ、きょうの夜にはまた、ゆうべのように、お父さまと共に、同じ
お鶴は、念じていった。
次の間では、
お鶴は、武蔵が支度していた次の部屋を通った。彼の脱いだ肌着小袖は、彼自身の手で、きちんと畳まれて、隅のみだれ箱に重ねてあった。
いい知れぬ寂しさが、お鶴の胸をつきあげた。お鶴は、まだその人の
「……お鶴。お鶴」
やがて。
父の呼ぶ声だった。
お鶴は、答える前に、そっと
「……お鶴っ。何をしておる。お立ちになるぞ。はや、お立ちになるぞ」
「はいっ」
われを忘れて、お鶴は駈け出して行った。
――と見れば、武蔵はもう
店や奥の者、四、五人が、太郎左衛門と共にそこへ出て、木戸口まで見送った。お鶴は、何もいえなかった。ただ武蔵のひとみが、自分のひとみを見た
「――おさらば」
最後に、武蔵がいった。
「では、ご機嫌よう……」
人々が、頭を上げた時は、もう武蔵の姿は彼方を向いて、風の中を歩いていた。
振向くか――
「あんなものかなあ、お侍というものは、なんと、あっさりしたものじゃろう」
誰か、つぶやいた。
お鶴は、すぐ、そこに見えなくなっていた。太郎左衛門もそれを知ると、共に奥へ姿を隠した。
太郎左衛門の住居の裏から浜辺づたいに一町ほど歩むと、
先に小舟を廻して、
「おおう! ……先生ッ」
「武蔵どの」
ばたばたっと、足もとへ
一歩――
多少の思いは、皆、真っ黒な墨にこめて、白紙の上へ、一
そして、船島へ。
かつて二十二歳の早春、一乗寺下り松の決戦の場所へ、孤剣を抱いて臨んだ時のような――ああした満身の毛穴もよだつような悲壮も抱かなければ感傷もない。
さればといって。
あの時の百余人の大勢の敵が強敵か。きょうのただ一人の相手が強敵かといえば、
――が、今。
自分を待つ佐助の小舟を見て、何気なく急ぎかけた足元へ、自分を先生と呼び、また、武蔵どのと呼びかけて、
「おお……権之助ではないか。ばば殿にも。……どうして此処へは?」
不審そうにいう彼の眼の前に、
「きょうの試合。
権之助のことばに次いで、ばばもいった。
「お見送りにのう。……そしてまた、わしは
「はて。ばば殿が、この武蔵に詫言とは」
「ゆるしてたも! ……武蔵どの。長い間の、ばばが心得ちがいを」
「……えっ?」
むしろ疑うばかりに、武蔵は彼女のそういう
「ばば殿、それはまた、どういう気持でわしへ仰っしゃるのか」
「何もいわぬ」
ばばは胸に、
「――過ぎ来し方の事々。一つ一ついうたら、
「…………」
じっと、その
ばばの手もわなわな
「ああ、武蔵に取って、今日はなんたる吉日でしょうか。それ聞いて、今死ぬも、惑いなき心地がしまする。はっきりと、何か真実のものが
「では、ゆるして下さるか」
「なんの、左様に仰せられましては、武蔵こそ、遠い以前にさかのぼって、ばば殿の前に幾重にも
「……
ばばは、そういって、武蔵の眼を誘うように、振り向いた。
――と見れば、彼方の松の木陰に、さっきからじっとうずくまったまま、顔も上げずに咲いている
――いうまでもない。それはお
手に
杖と、
なお、燃ゆるばかりのものを抱いていた。その烈しい炎の如きものもしかし、驚くばかり
「……ああ。お通……」
「お通……さんか」
それだけの嘆声が、武蔵にも精いっぱいな言葉だった。
この年月の空間を、単なる言葉でつなぐには、あまりにも多恨であり過ぎた。
しかも、問うにも語るにも、今はそうしている時刻の余裕すらも既にないのである。
「からだが
やがていった。ぽつりと、前後もない言葉だった。――長い詩のうちの一句だけを
「……ええ」
お通は、感情に
「かりそめの
「七宝寺に、戻っております。……去年、秋の頃から」
「なに、
「……ええ」
初めて、彼女の眸は、武蔵をじっと見た。
深い湖のように、眼は濡れていた。
「故郷……。
「でも、ばば殿も、今では
「今は、幸せでございます」
「そうか。それを聞いて、わしも少しは安んじて行かれる。……お通」
膝を折った。
ばばや権之助の人目を感じるので、彼女は
「痩せたなあ」
と、掻き抱かぬばかり、背に手をのせて、熱い
「……ゆるせ。ゆるしてくれい。
「わ、わかっております」
「わかっているか」
「けれど、ただ
「分っておるという口の下に。――いうては、かえって味ないもの」
「でも……でも……」
お通はいつか、全身で
「死んでも、お通は。――死んでも……」
武蔵は、もくねんと、大きく
「武士の女房は、出陣にめめしゅうするものでない。笑うて送ってくれい。――これ
傍らに人はいた。
けれど、二人のわずかな間の語らいを、
「――では」
武蔵は、彼女の背から手を離した。お通はもう泣いていなかった。
いや、
「……では」
と、同じ言葉で。
武蔵は起つ。
彼女も、
「おさらば」
いうと、武蔵は、
お通は……
(もう泣くまい)
と、していた涙が、
岸に立つと、風がつよい。
武蔵の
「佐助」
そこにある小舟へ呼ぶ。
佐助は、初めて振り向いた。
さっきから、彼は武蔵の来たことを知っていたが、わざと、小舟の中で、あらぬ
「お。……武蔵様。もうよろしいのでございますか」
「よし。舟を、もう少し寄せてくれい」
「ただ今」
佐助は、
「――あっ。あぶない、お通さんっ」
松の陰で、声がした。
城太郎である。
彼女と共に、姫路からついて来た青木城太郎だった。
城太郎も、一目、師の武蔵に――と志して来たのであったが、最前からの様子に、出る
ところが今。武蔵が、足を大地から離して、舟の人となったかと見えた途端に、何思ったかお通が、水へ向って、
(あぶない!)
と、思わず、追いかけながら叫んでしまったものだった。
彼が、彼ひとりの臆測で、あぶないと呶鳴ったために、権之助も、ばばも、すべてがお通の気もちを、
「あっ……どこへ」
「短慮な」
と、左右からあわただしく駈け寄るなり、三人して、
「いいえ。いいえ」
お通は、静かに顔を振ってみせた。
肩で、息こそ
「どう……どうしやるつもりか……?」
「坐らせて下さいませ」
声も静かである。
人々は、そっと手を離した。するとお通は、波打際から遠くない砂地へ、折れるように坐った。
しかし、襟元も、髪のほつれも、きりっと直して、武蔵の舟の
「お
と、手をつかえていった。
ばばも坐った。
権之助も城太郎も――それに
城太郎は遂に一言も、この際を、師と語ることもできなかったけれど、その時間だけ、お通に分け与えたのだと思うと、
潮は上げている
海峡の潮路は、激流のように
風は追手。
「だいぶかかろうな」
行くてを眺めながら、武蔵がいう。
舟の中ほどに、彼は、膝広く坐っていた。
「なあに、この風と、この潮なら、そう手間はとりません」
「そうか」
「ですが――だいぶ時刻が遅れたようでございますが」
「うむ」
「辰の刻は、とうに過ぎました」
「左様――。すると船島へ着くのは」
「
「ちょうどよかろう」
その日――
巌流も仰ぎ、彼も仰いでいた空は、あくまで深い
「佐助」
「へい」
「これを貰ってよいか」
「何です」
「舟底にあった
「そんな物――要りはしませんが、どうなさいますんで」
「手頃なのだ」
武蔵は、
小刀を抜いて、彼は、それを膝の上で、気に入るまで削り出した。他念のない
佐助でさえ、心にかかって、幾度も幾度も赤間ヶ関の浜を――平家松のあたりを目じるしに――振り向いたことなのに、この人には、
いったい、試合などへ臨む者は、皆、こういう気持になるものだろうか。佐助の町人から
櫂が削り終えたとみえ、武蔵は
「佐助」
と、また呼ぶ。
「――なんぞ、着る物はあるまいか、
「お寒いのでございますか」
「いや
「てまえの踏んでいる
「そうか。借りるぞ」
佐助の綿入れを出して、武蔵は背へ羽織った。
まだ船島は、
武蔵は、懐紙を取り出して、
武蔵は、その襷に、潮のかからぬよう、ふたたび、綿入れを上から羽織って、
「あれか、船島は」
はや間近に見えて来た島影を指して訊ねた。
「いえ。あれやあ母島の
「そうか。この辺りに、幾つも島が見えるので、どれかと思うたが」
「
「西は、
「左様でございます」
「思い出した――この辺りの浦々や島は、
こういう話などしていて一体いいものだろうか。自分の漕ぐ
自分が試合するのではなし――と思ってみても、どうにもならなかった。
きょうの試合は、どっち道、死ぬか生きるかの戦である。今乗せてゆく人を、帰りに乗せて帰れるかどうか――。乗せてもそれは、惨たる死骸であるかも知れないのだ。
佐助には、分らなかった。武蔵のあまりにも淡々とした姿が。
空をゆく
水をゆく
同じようにすら見えるのであった。
だが、佐助の眼にも、そう怪しまれるほど、武蔵は、この舟が目的地へ
彼はかつて、退屈というものを知らずに生活して来たが、この日の、舟の中では、いささか退屈をおぼえた。
ふと。
水は生きている。
眼前の死も生も、そうした眼には、泡沫に似ていた。――が、そういう超然らしい考えがふと頭をかすめるだけでも、体じゅうの毛穴は、意識なく、そそけ立っていた。
それは、ときどき、冷たい波しぶきに吹かれるからではない。
心は、生死を離脱したつもりでも、肉体は、予感する。筋肉が
心よりは、筋肉や毛穴が、それを忘れている時、武蔵の脳裡にも、水と雲の影しかなかった。
「――見えた」
「おお――ようやく、今頃」
船島ではない。そこは彦島の
約三、四十名の侍が、漁村の浜辺にむらがって、
この者たちは皆、佐々木巌流の門人であり、その大半以上が、細川家の家中であった。
小倉の城下に、高札が立つと直ぐ、当日の船止めの先を越して、島へ渡ってしまったのである。
(万が一にも、師の巌流先生が敗れた時は、武蔵を、生かして島から帰すまいぞ)
と、
だが、今朝になって。
長岡佐渡、岩間角兵衛などの
その日の禁令上、試合に立会う役人側では、そういう処置を取ったものの、しかし、藩士の八分までは、当然、同藩の巌流に勝たせたいと祈っていたし、また、師を思うの余りから、そういう行動に出た門下たちに、
で、一応。
役儀上、彼らを船島からは追い払ったものの、すぐ側の彦島へ移っていることなら、不問に済ましておく考えだった。
なお。
試合がすんで――
万一にも、巌流のほうが打ち負けた場合は、それも船島の上では困るが、船島を武蔵が離れてからならば、師の巌流の
――というのが、処置を取った役人側の
彦島へ移った巌流の門下たちはまた、それを見抜いている。そこで彼らは、漁村の小舟を狩り集め、約十二、三の
そして、試合の様子を、直ぐここへ報知する伝令を、山の上に立たせておき、万一の場合には、すぐ三、四十人が各小舟で海上へ出て、武蔵の帰路を
「――武蔵か」
「武蔵だ」
呼び交わして、彼らは、小高い所へ駈け上がったり、手をかざして、真昼の
「船往来は、今朝から止まっている。武蔵の舟にちがいない」
「一人か」
「一人のようだ」
「つくねんと、何か羽織って坐っておるぞ」
「下へ、
「何せい、手配をしておけ」
「山へ、行ったか。見張に――」
「登っている。大丈夫」
「では、われわれは、舟のうちへ」
いつでも、綱を切れば、漕ぎ出られるように、三、四十名の者達は、どやどやと、思い思いに小舟へかくれた。
舟には、一筋ずつの長槍も伏せてあった。物々しい
――一方。
武蔵見えたり!
という声は、そこのみでなく、同じ頃に、船島にも当然伝わっていた。
ここでは。
波の音、松の声、雑木や
気のせいか、
島は、近寄って見ても、極めて狭い。
北はやや高く丘をなして、松が多い。そこから南の
その丘ふところの平地から磯へかけて、きょうの試合場と定められていた。
しかし約束の時刻が、もう一刻以上も過ぎていること。
二度も、ここからの飛脚舟で催促をやってあることなどで、静粛なうちにも、やや焦躁と反感とを一様に抱いていた所である。
「武蔵どの! 見えましたっ」
絶叫しながら、磯に立って見ていた藩士が、遠い
「――来たか」
岩間角兵衛は、思わずいって、床几から伸び上がった。
彼は、きょうの立会人として、長岡佐渡と共に、派遣されて来た役人ではあるが、彼がきょうの武蔵を相手とする人間ではない。
しかし、口走った感情は、自然の流露であった。
彼のわきに控えていた従者や下役の者も、皆、同じ眼色を持って、
「お! あの小舟だ」
と、一緒に起ち上がった。
角兵衛は、公平なる藩役人の身として、すぐその非に気づいたらしく、
「控えろ」
と、
じっと、自分も、腰をすえた。――そして静かに、巌流のいるほうへ流し目を送った。
巌流のすがたは見えなかった。ただ、山桃の樹四、五本のあいだに、
幕のすそには、青竹の
その
ひとかたまりの警固の士と、彼の下役と、彼の従者として伊織がわきに控えていた。
今――武蔵どのが見えた! という声を触れながら、磯のほうから一人が駈けて、警備の中にはいり込むと、伊織の顔いろは、唇まで白くなった。
正視したまま、動かずにいた佐渡の陣笠が、自分の
「伊織」
と、
「……はっ」
伊織は、指をついて、佐渡の陣笠の
足もとから
「伊織――」
もいちど、その眼へ、じっといって、佐渡は
「よう、見ておれよ。うつろになって、見のがすまいぞ。――武蔵どのが、一命を
「…………」
伊織は、うなずいた。
そしていわれた通り、眼を
磯まで、一町の余はあろう。波打際の白いしぶきが、眼に
草の波が寝ては起きる。青い虫がときおりとぶ。まだひよわい蝶が、草を離れ、草にすがっては、
「――ア。あれへ」
磯の先へ、徐々と、近づいて来た小舟が、伊織の眼にも、今見えた。時刻はちょうど、規定の刻限よりも遅れること約一
しいんと、島の内は、真昼の陽だけにひそまり返っていた。
その時、
左右の
陽は、中天に近かった。
小舟が、島の磯近くへ入ってくると、幾ぶん入江になっているせいか、波は細やかになり、浅瀬の底は青く透いてみえた。
「――どの辺へ?」
磯には、人影もなかった。
武蔵は、かぶっていた綿入れを脱ぎ捨てて、
「真っ直に――」
と、いった。
「佐助」
「へい」
「浅いなあ、この辺は」
「遠浅です」
「むりに漕ぎ入れるには及ばぬぞ。岩に舟底を噛まれるといけない。――潮は、やがてそろそろ
「……?」
佐助は答えを忘れて、島の内の草原へ、眼をこらしていた。
松が見える。
――来ている! 待構えている。
巌流の姿があれに。
と、指さそうとしたが、武蔵の様子を
小刀は前に帯び、大刀は、舟の中へ置いてゆくつもりらしく――そして、
右手には、
「もうよい」
と、佐助へいった。
――だが。
まだ磯の砂地までは、水面二十
舟は、急激に、ググッーと突き進んで、とたんに浅瀬を噛んだものとみえる。舟底がどすんと持ち上がったように鳴った。
左右の
ざぶ!
ざぶ!
ざぶ……
かなり早い足で、武蔵は、地上へ向って歩き出した。
引っ提げている
五歩。
――また十歩と。
佐助は
と、その時。
はっと、彼は息づまるような顔をした。彼方のひょろ松の陰から、
……ざ。ざ。ざッ。
武蔵の足は、まだ海水の中を歩いていた。
早く!
と、彼が念じていたのも空しく、武蔵が磯へ上がらぬ間に、巌流の姿は
しまった――と思うと共に、佐助はもう見ていられなかった。自分が真二つにされたように、舟底へ
「武蔵か」
巌流から呼びかけた。
彼は、
大地を占めて、一歩も敵にゆずらぬように。
武蔵は、海水の中に踏み止まったまま、いくぶん、
「小次郎よな」
と、いった。
水にまかせ、風にまかせ、ただその一木剣があるだけの姿だった。
しかし――
渋染の鉢巻に幾分つりあがった
射るという眼はまだ弱いものであろう。武蔵の眼は吸引する。湖のように深く、敵をして、自己の生気を危ぶませるほど吸引する。
射る眼は、巌流のものだった。
眼は窓という。思うに、ふたりの頭脳の生理的な形態が、そのまま巌流の
「――武蔵っ」
「…………」
「武蔵っ!」
二度いった。
沖鳴りが響いてくる。二人の足もとにも
「
「…………」
「一乗寺下り松の時といい、三十三間堂の折といい、常に、故意に約束の
いい放った言葉の下に、巌流は、
武蔵は、耳のないような顔をしていたが、彼の言葉が終るのを待って――そしてなお、磯打ち返す波音の間を
「小次郎っ。負けたり!」
「なにっ」
「きょうの試合は、すでに勝負があった。汝の負けと見えたぞ」
「だまれっ。なにをもって」
「勝つ身であれば、なんで
「うぬ。たわ言を」
「惜しや、小次郎、散るか。はや散るをいそぐかっ」
「こ、来いッ」
「――おおっ」
答えた。
武蔵の足から、水音が起った。
巌流もひと足、浅瀬へざぶと踏みこんで、物干竿をふりかぶり、武蔵の真っ向へ――と構えた。
が、武蔵は。
一条の白い泡つぶを水面へ斜めに描いて、ザ、ザ、ザと潮を蹴上げながら、巌流の立っている左手の岸へ駈け上がっていた。
水を切って岸へ、斜めに、武蔵が駈け上がったのを見ると、巌流は、波打際の線に添って、その姿を追った。
武蔵の足が、水を離れて磯の砂地を踏んだのと、巌流の大刀が――いや飛魚のような全姿が、
「
と、敵の体へ、すべてを打ち込んだのと、ほとんど、同時であった。
海水から抜いた足は重かった。武蔵はまだ戦う体勢になかった瞬間のように見えた。物干竿の長剣が、自己のうえに、ひゅっ――と来るかと感じた時、彼のからだはまだ、駈け上がって来たまま、いくぶんか前のめりに屈曲していた。
――が。
「……ムむ!」
といったような――武蔵の声なきものが、巌流の
頂天から斬り下げて行くかと見えた巌流の刀は、頭上に
不可能を
武蔵の身は、
「…………」
「…………」
当然、双方の位置は――その向きを変えている。
武蔵は、
水の中から、二、三歩あがったままの波打際に立って、海を
巌流は、その武蔵に直面し――また、前面の大海原に対して、長剣物干竿を
「…………」
「…………」
こうして、二人の生命は今、完全な戦いの中に呼吸し合った。
元より武蔵も無念。
巌流も、無想。
戦いの場は、真空であった。
が、
また、草そよぐ彼方の
ここの真空中の二つの生命を、無数の者が今、息もつかずに見まもっていたに違いなかった。
巌流のうえには、巌流を惜しみ、巌流を信じる――幾多の情魂や
また、武蔵のうえにもあった。
島には、伊織や佐渡。
赤間ヶ関の
小倉の松ヶ丘には、又八や朱実なども。
その各が、ここを見る目もとどかない所から、ひたすら、天を祈っていた。
しかし、ここの場所には、そういう人々の祈りも涙も加勢にはならなかった。また、偶然や神助もなかった。あるのは、公平無私な青空のみであった。
その青空の如き身になりきることがほんとの無念無想の
「――――」
「――――」
ふと。おのれッと思う。
満身の毛穴が、心をよそに、敵へ対して、針のようにそそけ立って
筋、肉、爪、髪の毛――およそ生命に附随しているものは、
長い気もちのする――しかし事実はきわめて短い――寄せ返す波音の五たびか六たびも繰り返すあいだであったろうか。
やがて――という程の間もないうちにである。大きな肉声は、その
それは、巌流のほうから発したものだったが、殆ど、同音になって、武蔵の体からも声が出た。
武蔵の左の肩が――
その時、前下がりに
「…………」
「…………」
ぱっと、もつれた一瞬の後は、ふたりの呼吸が磯の波よりは高かった。
武蔵は、波打際から、十歩ほど離れて、海を横にし、跳びのいた敵を、
櫂の木剣は、
しかし、ふたりの間隔は、
巌流は、最初の攻勢に、武蔵の一髪も斬ることはできなかったが、地の利は、思うように占め直したのである。
武蔵が、海を背にして、動かなかったのは、理由があったことである。真昼の中の陽は海水につよく反射して、それに
――よしっ。
思うように、地歩を占め直した彼は、すでに武蔵の前衛を破ったかのような意気を抱いた。
と――巌流の足はじりじりと小刻みに寄って行った。
間隔をつめて行く間に敵の体形のどこに虚があるかを
ところが、武蔵は、
巌流の眼の中へ、
その無造作に、巌流が、はっと
櫂の木剣が、ぶんと上がったのである。六尺ぢかい武蔵の体が、四尺ぐらいに
「――あッつ」
巌流は、頭上の長剣で、大きく宙を斬った。
その切っ先から、敵の武蔵が
巌流の眼に。
その柿色の鉢巻は、武蔵の首かと見えて飛んで行った。血とも見えて、
ニコ、と。
巌流の眼は、楽しんだかも知れなかった。しかし、その瞬間に、巌流の頭蓋は、櫂の木剣の下に、小砂利のように砕けていた。
磯の砂地と、草原の境へ、仆れた後の顔を見ると、自身が負けた顔はしていなかった。唇の端から、こんこんと血こそ噴いていたが、武蔵の首は海中へ斬って飛ばしたように、いかにも会心らしい
「――ア。アッ」
「巌流どのが」
彼方の
われを忘れて。
岩間角兵衛も起ち、その
が――
「……?」
しかもなお、未練や煩悩は、そこまでの現実を見ても、自分らの眼の
島の内は、一瞬の次の一瞬も、人なきように、ひそまり切っていた。
無心な松風や草のそよぎが、ただ
――武蔵は。
今は雲と自身とのけじめを、はっきり意識にもどしていた。遂にもどらなかった者は、敵の巌流佐々木小次郎。
足数にして、十歩ほど先に、その小次郎は
武蔵は、斬れ落ちている自分の
「生涯のうち、二度と、こういう敵と会えるかどうか」
それを考えると、
同時に、敵からうけた、恩をも思った。剣を
だが、その高い者に対して、自分が勝ち得たものは何だったか。
否――とは直ぐいえるが、武蔵にも分らなかった。
「…………」
もくねんと、武蔵は、十歩ほどあるいた。小次郎の体のそばに膝を折った。
左の手で小次郎の
「手当に依っては」
と、彼の生命に、一
「……おさらば」
小次郎へも。
彼方の床几場の方へも。
そこから手をついて、一礼すると武蔵の姿は、一滴の血もついていない
どこへ指して、どこへ小舟は漕ぎ着いたか。
彦島に備えていた巌流方の一門も、彼を途中に
生ける間は、人間から憎悪や
時は経ても、感情の波長はつぎつぎにうねってゆく。武蔵が生きている間は、なお
「あの折は、帰りの逃げ途も怖いし、武蔵にせよ、だいぶ狼狽しておったさ。何となれば、巌流に
波にまかせて、泳ぎ上手に、