「われを呼ぶは何者か」と、わざと云った。
「君を呼ぶ者は君の好き敵である
「…………」
呂布は、沈黙していた。
河水をわたる風は白く、
「予は信じる。君は正邪の見極めもつかないほど愚かな将軍ではないことを。――今もし
「…………」
「それに反し、この際、
呂布は動かされた。それまで黙然と聞いていたが、やにわに手を振り上げ、
「丞相丞相。しばらくの間、呂布に時刻の
傍にいた陳宮は、意外な呂布の返辞に愕然として跳び上がり、
「な、なにをばかなことを仰っしゃるかっ」
と、主君の口をふさぐように、突然、横あいから大音声で曹操へ云い返した。
「やよ
言葉の終った刹那、陳宮の手に引きしぼられていた弓がぷんと

曹操は、くわっと
「陳宮ッ、忘るるな、誓って汝の首を、予の土足に踏んで、今の答えをなすぞ」
そして左右の二十騎に向って、即時、総攻撃にうつれと
「待ちたまえ、
陳宮は、弓を投げつけて、ほとんど
「この
「だまれっ、やかましいっ。汝一存を以てなにを吠ゆるか」
呂布も躍起となって、云い争い、果ては剣に手をかけて、陳宮を成敗せんと息巻いた。
敵の目からも見ゆる櫓のうえである。主従の喧嘩は醜態だ。高順や張遼たちは、見るに見かねて、二人を押しへだて、
「まあ、ご堪忍ください。陳宮も決して自分のために、
呂布もようやく悪酔いのさめたようにほっと大息を肩でついて、
「いや、ゆるせ陳宮。今のは戯れだ。――それより何か良計があるなら惜しまず俺に教えてくれい」
と、云い直した。
呂布には、ほとほと愛想もつきたらしい陳宮であったが、かりそめにも主君である。その主君から頭を下げて機嫌をとられると、彼はまた、忠諫の良臣となって粉骨砕身せずにはいられない気持になった。
「良計はなきにしも非ずですが」
陳宮も辞を低うして答えた。
「ただお用いあるか否かが問題です。ここに取るべき一策としては『
「それを掎角の計というか」
「そうです。将軍が城外へ出られれば、必ず曹操はその首勢を、将軍へ向けましょう。すると、それがしは直ぐ城内からその
「ムム、なるほど、良計良計。孫子も
呂布は、たちまち、戦意を
山野に出れば、寒気はことに烈しかろうと想像されるので、将士はみな
呂布も奥へはいって、妻の
厳氏は、良人の容子を怪しみながら、
「いったい、何処へお出ましですか」と、たずねた。
呂布は、城を出て戦う決意を語って、
「陳宮という男は、実に智謀の
すると厳氏は、
「まあ、ここを他人の手に預けて、城外へ出ると仰せなさいますか」
色を失った
そして、なお、
「あなたは、後に残る妻子を、可哀そうともなんとも思いませんか。陳宮の考えだそうですが、陳宮の前身を思うてごらんなさい。あれは以前、曹操と主従の約をむすんでいたのを、途中から変心して、曹操を見捨てて
「…………」
妻が真剣に泣いて訴えはじめたので、呂布は途方に暮れた顔をしていた。
「……ですもの、陳宮が、どうして曹操以上に、あなたへ忠義を励みましょう。陳宮に城を預けたら、どんな変心を抱くかしれたものではありません。……そうなったら、
綿々と、恨みつらみを並べた。
呂布は、着かけていた毛皮の
「ばか、泣くな。戦の門出に、涙は不吉だ。明日にしよう、明日に」
急に、そういって、
「娘は何をしているか」
と妻と共に、娘たちのいる部屋へ入って行った。
明日になっても呂布は立つ気色もない。二日も過ぎ、三日も過ぎた。
陳宮がまた、顔を見せた。
「将軍。――一日も早く城を出て備えにおかかりなさらないと、曹操の大兵は、刻々と城の四囲に勢いを張るばかりですぞ」
「や、陳宮か、おれもそう思うが、やはり遠く出て戦うよりは、城に居て堅く守るが利という気もするが」
「いや、機はまだ遅くありません。この日頃、
「なに。曹操の陣へ、都から兵糧の運送が続々と下ってくると。……フム、その
たちまち、呂布は
「何とぞ、この機をはずさず」
と、わざと多言を吐かずに退いた。
その夜、呂布は
「もう再びこの世で将軍とお会いできないかと思うと泣いても泣いても足りません。行く先誰をたのみに世を送りましょう」と、なお悲しんだ。
「何をいう。おれはこの通り健在ではないか。この城にはまだ冬を越す兵糧もある。万余の精兵もいる」
「いいえ、
「勝利を獲るために出て戦うので何も好んで死地へ行くわけではないよ」
「……でも。……でも案じられます。なぜならばお留守をあずかる陳宮と高順とは、日頃から不和で、将軍がお城にいなければ、きっと敵に虚をつかれて乱れます」
「二人はそんなに仲が悪いのか」
「わけて陳宮という人の肚は分らないと、夫人も憂いていらっしゃいます。――将軍、お
貂蝉は、呂布の胸へひたと涙の顔をあてた。
呂布はその肩を軽く打って、
「あはははは」と強いて大笑した。
「他愛ないやつだ。泣くな、もう悲しむな。城を出ることは止めにしたよ。おれに
背をなでて、ともに
次の日。こんどは彼も少し間が悪いとみえて、呂布のほうから陳宮を呼びにやって、さて、陳宮の顔を見るといった。
「念のためおれが探らせたところでは敵の陣へ都から続々兵糧が運送されつつあるとの報告は、どうも虚報らしいぞ。案ずるところ、おれを城外へ誘い出そうとする曹操のわざといわせている流言にちがいない。そんな策に乗ったら大不覚だ。おれは自重するときめた。城を出る方針は中止とする」
陳宮は、彼の室を出ると
「……ああ、もはや何をかいわんやだ。われわれは遂に身を葬る天地もなくなるだろう」
と、力なく云った。
それからというもの、呂布は日夜酒宴に溺れて、帳にかくれれば貂蝉と戯れ、家庭にあれば厳氏や娘に守られて、しかも酒がさめれば
「折入ってお目通りねがいたい儀がございまして――」
と、侍臣を通じて許しを得、彼の前に拝をなした二人の家人がある。

二人とも陳宮の部下に属している者なので、
「何だ」と、呂布は警戒顔していう。
王楷がまずいった。
「
「そうだ。……あの縁談も破談となり終ったわけではないな」
呂布は暗中に、一つの光明を見出したように
そして、二人の臣へ、
「では、其方たちが、進んで淮南へ使いに立つと申すか」
「不肖なれど、ご当家の浮沈にかかわる大事、一命を賭して、致したいと存じます」
「
「御命、かしこまりました――しかし、この

「よろしい、さもなくては淮南へ出ることはかなうまい」
呂布は、直ちに


「両名を淮南の境まで送るように」と、いいつけた。
「畏まって候」とばかり、張遼の五百余騎は前に立ち、

敵中横断の挙は、もちろん深夜を選ばれて決行されたものである。まんまと曹操の包囲戦線も越え、次の夜、玄徳の陣をも駆け通りに突破してしまった。
「上々首尾!」
両使は、淮南の境を出ると、
「でも、まだ、帰りの危険もあるから」
と、

張遼は、手勢の五百騎だけを従えて、もとの道へ引っ返したが、こんどは玄徳陣の警戒線に引っかかって、
「どこへ参る」と、一隊の兵馬に道をさえぎられた。
張遼がふと敵の将を見ると、それはかつて

――だが、その後。

袁術に会見しての結果は、まず成功のほうだった。二使も外交的な才弁をふるって大いに努めたので、袁術は、
「呂布は、
二使は、大よろこびで、道を急いで帰ってきたが、二更の頃、関所の辺を駈け通りに駈け抜けようとすると、
「夜中に、馬を早めて行くは何者の隊だ」と、張飛の陣にさとられて、たちまち包囲されてしまった。
二使の守りについていた

五百の兵も


その夜、

「こやつは、不敵にも守備の眼をかすめて、淮南へ往来した特使の大将。ぶっ叩いてお調べください」と、突き出した。
玄徳は彼の功を賞して、直ちに取調べたが、

張飛は、もどかしと、かたわらの士卒へ、
「
士卒は、


「玄徳どの、縄目をゆるめ給え、申し告げることがある」と、叫んだ。
一切を自白したので、夜が明けると、玄徳はその趣を書面にして、曹操のもとへ知らせた。
曹操は、さてこそと、
「

と、
依って、玄徳は、諸将を集めて、再度、厳重に云いわたした。
「われらの任は、今や重い。窮するの極み、必ず、呂布はここを通るであろう。ここは淮南への正路、一
「仰せまでもないこと」
諸将は、命を奉じて、これからは昼夜を分かたず、
張飛は、その後で、
「しかし、曹操は、おれが

玄徳は、小耳にはさんで、
「数十万の大軍を
「はい」
張飛は、
一方。――


「袁術は、なお深く疑って、尋常では、当方の要求を容れる気色もありません。ただ、ご息女との婚儀には、わが子可愛さで、恋々たる未練がありそうですから、なによりもまず彼の求むるままにご息女をかの地へ送ってやることです。それも迅速に運ばねば、焦眉の急に、意味ないことになりましょう」と、淮南の復命と共に、自分たちの意見をものべていた。
呂布は、当惑顔に、
「むすめをやるはいいが、今この重囲の中、どうして送るか?」
「ほかならぬ深窓の御方。それにはどうしても、将軍御みずから送りに立たねばかないますまい」
「むすめは、わが命につぐものだ。戦の
「きょうは、
「
呂布も、遂に心をきめた。二人の大将に、三千余騎を与え、軍中に車をひかせて、淮南へ供して行けといいつけた。
けれど、その車に、娘は乗せて出さなかった。敵の囲みを突破するまでは――と、呂布は自分の背に負って行った。何も知らない十四の花嫁は、厚い綿と
寒月は
人馬の影が黒く黒く。

「物見。何事もないか」
一歩一歩、薄氷を踏む思いで進むのだった。――こもごもに物見が先に走っては、行く手の様子を告げてくる。
「敵の哨兵も、この寒さに、どこへやらもぐり込んで、寂としています」との報らせに、
「天の与え」
と、呂布は馬を早めた。
彼の今日ある第一の功労者といえば
呂布の姿も、ひとたびこの馬上に仰ぎ直すと、日頃の彼とは、人間が変ったように、
雄姿――そのものといえる。無敵な威風は真に
さるにても、偉大なる
「むすめよ。恐くはないぞ」
幾たびも、わが背へいった。
綿と錦繍につつまれた
「――行く末おまえを皇后に立てて下さろうという
彼女の母は泣きながら云い聞かせたが――これが花嫁の踏まなければならない途中の道なのか? ――彼女の白い顔は氷化し、黒い
かくて行くこと百余里。
翌晩も寒林の中に月は怖ろしいほど冴えていた。
突として、
数千羽の烏のように、寒林を横ぎってくる
「あっ、関羽の隊だ!」
張遼は、絶叫して、
「ご用心あれ」と、呂布を振向いた。
間もあらず、
「それッ」と、馬前はすでに、飛雪に煙る。
びゅッん!
矢風は、身をかすめ、
「――怖いッ!」
呂布は、耳元に、
背の処女は、父の体に爪を立てんばかりしがみついた。ひいッ! と身も世もない声を二度ほどあげた。
猛然、赤兎馬は
――だが、呂布もこよいばかりは、その
「関にかかった敵は
「呂布がいる! 呂布らしい大将が」
取囲む兵は叫ぶ。
もし関羽に出会ったら――と思うと呂布は身もすくんで、なんの働きもできなかった。
「無念だが、娘を傷つけては」
途中、しばしば、
「曹操の部下
「曹操の旗下

などと名乗って、横道から挑みかかる強敵に襲われたが、呂布は眼をふさぎ、ただ赤兎馬の尻のみ無二無三打ちつづけて、

最後の一計もむなしく半途に終って、それ以来、呂布は城にあって、日夜
「この城を囲んでからも六十余日になる。しかもなお、頑として、城は陥ちない。こうしている間に、もし後方に敵が起ったらわが全軍はこの大寒の
曹操は憂いていた。
戦はすでに冬期に入って、兵馬の凍死するのも数知れなかった。糧草は尽きんとしているし、雪は山野を埋め、今さら、軍を退いて遠く帰ることすら困難であった。
「どうしたものか?」
「

曹操は、折も折と、
「捨ておけまい。

と、すぐかたわらの大将史渙にいって、万一に備えさせた。
史渙の隊は、雪を冒して、犬山へ向った。――曹操の心は、いよいよ
「こう城攻めも長びいては、必ず心腹の患いが起きるだろう。曹操の武力を侮り、後方に小乱の蜂起するは目に見えている。しかも都の北には、
思いあまってか、諸大将をあつめた上で、曹操もとうとう弱音を吐いてしまった。
「
すると、
「丞相にも似あわぬおことばを聞くものである」と、声を励まして諫めた。
「いかさま、この長期にわたって、お味方の
さらにまた、
「この

それは

この計画は成功した。
人夫二万に兵を督して、目的どおり二つの河をひとつにあつめた。折ふしまた、暖日の雨がつづいたので、孤城はたちまち濁流にひたされ、敵はみな高い所へ這いのぼって、刻々と
二尺、四尺、七尺――と夜の明けるたび水嵩は増していた。城中いたるところ
「どうしたものだろう?」
城中の兵は、生きた空もなく、次第に居どころを狭められた。しかし呂布は、うろたえ騒ぐ大将たちに、わざと
「驚くことはない。呂布には名馬赤兎がある。水を渡ることも平地の如しだ。ただ汝らは、みだりに立ち騒いで、溺れぬように要心すればよい。……なアに、そのうちには大雪風がやってきて、一夜のうちに曹操の陣を百尺の下に埋めてしまうだろう」
彼はなお、
ところが、或る時。
ふと、
「ああ……いつのまに俺はこんなに
彼は、身を
「こいつはいかん。まだおれはこう老いぼれる年齢ではない。酒の毒だ。暴酒が肉体をむしばむのだ。断然、酒はやめよう!」
ひどく感じたとみえて、たちまち禁酒してしまった。それはよいが同時に城中の将士に対しても、飲酒を厳禁し、
――
という法令を出した。
するとここに城中の大将の一人
侯成は聞きつけて馬飼の者どもを追いかけ、
「よかった、よかった」と、ほかの大将たちも、賀しあって、侯成に、
「
折ふし城中の山から、
「きょうは大いに飲もう」と、なった。
そこで侯成は酒五
「これも将軍の
と、品々をそこにならべて拝伏した。
すると呂布は、
「なんだっ、これは」と、
一つの酒瓶が他の酒瓶に当ったので、瓶は腹を破って、一
「おれ自身、酒を断ち、城中にも禁酒の法を出してあるのに、汝ら大将たる者が、歓びに事よせて、酒宴をひらくとは何事だ」
呂布は左右の武士に向って、侯成を斬れと罵った。
仰天した侍臣の一名が、ほかの大将たちを呼んできた。諸人は
「助けたまえ」
と、侯成のために命乞いをしたが、呂布は容易に顔色をおさめなかった。
「この際、侯成のごとき得難い大将を
と諸大将はなお、口を極めて、命乞いをした。
呂布もとうとう我を折って、
「それ程まで、汝らが申すなら、命だけは助けてくれる」といったが、「禁酒令を破った罪は不問に附すわけにはゆかん。百杖を打って、見せしめてくれん」と、直ちに、二人の武士へ、鞭を与えた。
二名の武士は、
「一つ……」
「二つ……」
「三つ!」
「四つ!」
と、掛声をかけながら鞭を下し始めた。
たちまち、侯成の衣は破れ、肌が
「三十!」
「三十一!」
諸大将は、面をそむけた。
侯成は歯ぎしり噛んで、じっとこらえていたが、りゅうりゅうと鳴る杖、掛声が、
「七十五っ」
「七十六っ」
と、数えられてきた頃、ウームと一声うめいて、
呂布はそれを見ると、ぷいと閣の奥へかくれ去った。
諸大将は、武士に眼くばせを与えて、杖の数をとばして読ませた。
やがて、侯成が気がついて、己の身を見まわすと、一室のうちに寝かされて、幕僚の者に看護されていた。――彼は、
「痛いか。苦しいだろう」と、友の
「おれも武人だ。苦痛で
「――では、なんで哭くのか」
魏続が聞くと、侯成は、枕頭を見まわして、
「今、ここにいるのは、君と
「そうだ……。この三名は日頃から何事もへだてのない仲だ。なんでも安心して話し給え」
「……ではいうが呂将軍に恨みとするのは、われわれ武人は
「侯成! ……」と宋憲は寄り添って、彼の耳もとへ熱い息でささやいた。
「まったくだ。実に、それがし達もそれを悲しむ。いっそのこと、城を出て、曹操の陣門に降ろうではないか」
「……でも、城壁の四方は
「いやまだ東の関門だけは、山の裾にかかっているので、道も水に
「そうか……」
侯成は、血の中から眼を開いて、ぽかっと天井を見ていたが、不意に、むっくりと起き上がって、
「やろう! 決行しよう。……呂布が頼みにしているのは赤兎馬だ。彼はわれわれ大将よりも赤兎馬を重んじ、婦女子を愛している。――だから、おれは彼の
「心得た! ……しかしその重態な体で、君は大丈夫か」
「なんの、これしきの
と侯成は唇をかんで、ひそかに身支度を替え、夜の更けるのを待っていた。
四更の頃、彼は闇にまぎれて、
曹操は、侍者に起されて、暁の寒い眠りをさました。夜はまだ明けたばかりの頃である。
「何か」と、帳を払って出ると、
「城中より
と、侍者はいう。
侯成といえば、敵方でも一方の雄将と知っている。曹操はすぐ幕営に引かせて彼に会った。
侯成は脱出を決意した次第を話して、呂布の
「なに、赤兎馬を」
曹操のよろこび方は甚だしかった。彼自身の立場こそ、実は進退きわまっていたところである。
窮すれば通ず。彼にとっては、天来の福音だった。で、曹操は特に、侯成をいたわって、いろいろと
侯成はなお告げた。
「同僚の
曹操は、限りなく
その文には、
今、明詔ヲ奉ジテ呂布ヲ征ス、モシ大軍ヲ抗拒 スル者アラバ満門悉 ク誅滅 セン
モシ城内ノ上ハ将校ヨリ庶民ニ至ル迄ノ者、呂布ガ首ヲ献ゼバ、重ク官賞ヲ加エン
大将軍 曹 ・押字
朝焼けの雲はモシ城内ノ上ハ将校ヨリ庶民ニ至ル迄ノ者、呂布ガ首ヲ献ゼバ、重ク官賞ヲ加エン
呂布は愕いて、早暁から各所の攻め口を駆けまわり、自身、督戦に当ったり、戟をふるって、城壁に近づく敵を撃退していた。
ところへ、厩の者が、
「昨夜、赤兎馬が、
呂布は眉をひそめたが、
「番人の怠っているすきに手綱を
前面の防ぎに、叱っているいとまもなかったのである。それほどこの日の攻撃は烈しかった。
敵は、次々と、
ようやく、陽も西に傾く頃、寄手は攻めあぐねて、やや遠く退いた。早朝から一滴の水ものまず、食物もとらず奮戦をつづけていた呂布は、
「ああ。……まずこれまで」
と、ほっと、一息つくと共に、綿のように疲れた体を、一室の
――と、彼の息をうかがって、音もなく床を這い寄って来た一人の将校がある。
呂布のもたれている
「――あっ」
と、半身を前へのめらせた。
「しめたっ」
魏続が、奪った戟を後ろへほうるとそれを合図に、一方から
「何をするっ」
猛虎は、床に倒れながら、両脚で二人を蹴上げたが、とたんに魏続、宋憲の部下の兵が、どやどやと室に満ちて、吠える呂布へ折重なって、やがて鞠の如く、縛り上げてしまった。
「
「呂布を
「東門は開けり」と、寄手へ向って、かねての合図を送っていた。
それっ――と曹操の大軍は、いちどに東の関門から城中へなだれ入ったが、用心深い
「もしや敵の
と、疑って、容易に軍をうごかさなかった。
宋憲は、それと見て、
「ご疑念あるな」と、城壁から彼の陣へ、大きな戟を投げてきた。
見るとそれは呂布が多年戦場で用いていた
「城中の分裂、今はまぎれもなし」
と、夏侯
城内はまだ
「呂将軍が捕われた」と伝わったので、城兵の狼狽は無理もなかった。
中にも。
高順、張遼の二将は、変を知るとすぐ、部隊をまとめて、西の門から脱出を試みたが、洪水の泥流深く、進退極まって、ことごとく
また。――南門にいた陳宮は、「南門を、死場所に」と、防戦に努めていたが、曹操
こうして、さしもの

曹操は、主閣
「いざ。降人を見よう」
と、軍事裁判の法廷をひらいた。
まず第一に、呂布が引立てられて来た。呂布は
白門楼下の石畳の上にひきすえられると、彼は、階上の曹操を見上げて、
「かくまで、辱めなくてもよかろう。曹操、おれの縄目を、もう少しゆるめるように、吏へ命じてくれ」と、いった。
曹操は苦笑をたたえて、
「虎を縛るに、人情をかけてはおられまい。――しかし、口がきけないでも困る。武士ども、もうすこし
すると、
「
呂布は、はったと王必を
「おのれ、要らざる差し出口を」
と、
そしてまた、眼を階下に並居る諸将に向けた。そこには魏続や侯成や宋憲など、きのうまで自分を主君とあがめていた者が、曹操の下に甘んじて居並んでいる。――呂布は、眼をいからして、その人々の顔を睨めまわし、
「汝らは、どの面さげて、この呂布に会えた義理か。わが恩を忘れたか」
侯成は、あざ笑って、
「その愚痴は、日頃、将軍が愛されていた秘院の女房や寵妾へおっしゃったらいいでしょう。われわれ武臣は、将軍から百杖の罰や苛酷な束縛は頂戴したおぼえはあるが、将軍の愛する婦女子ほどの恩遇もうけたためしはありません」と云い返した。
呂布は、黙然と、うなだれてしまった。
運命は皮肉を極む。時の経過に従って起るその皮肉な結果を、俳優自身も知らずに演じているのが、人生の舞台である。
陳宮と曹操のあいだなども、その一例といえよう。そもそも、陳宮の今日の運命は、そのむかし、彼が
当時、曹操は、まだ白面の一志士であって、
それが、今は。
かつての董卓をもしのぐ位置に登って
「…………」
陳宮は、立ったまま、じっと曹操の面を、しばらく見つめていた。
(――もし、曹操を、そのむかし中牟の関門で助けなどしなかったら、今日の俺も、こんな運命にはなるまいに)と、その眼は、過去の悔みと恨みを、ありありと語っていた。
「坐らぬかっ」
縄尻を持った武士に腰を蹴られて、陳宮は折れるが如く身を崩した。
曹操は、階の上から、冷ややかに見て、
「陳宮か。ご辺とは実に久しぶりの対面だ。その後は、
「見た通りである。――恙なきや、との訊ねは、自己の優越感を満足させるために、此方を
「小人とは、そちの如き者をいう。理智の小さな眼の
「いや、たとい今日、かかる
「予を、不義の人物といいながら、しからばなぜ、呂布のような、暴逆の臣を
「だまれ」
陳宮は胸をそらして、
「いかにも呂布は暗愚で粗暴の大将にちがいない。しかし彼には汝よりも多分に善性がある。正直さがある。すくなくも、汝のごとく、
「ははは。理窟はどうにでもつく。だが、今日の事実をどう思うか。縄目にかけられた敗軍の将の感想を訊きたいものだが」
「勝敗は、時の運だ。ただ、そこに在る人が、それがしの言を用いなかったために、この憂き目を見たに過ぎない」と、傍にうつ向いたままである呂布のすがたを、顔で指して、
「さもなければ、やわか、汝ごときに敗れ去る陳宮ではない」と、
曹操は、苦笑して、
「時に、ご辺は今、自分の身をどうしようと思うか」と、訊ねた。
陳宮は、さすがに、さっと顔いろに、感情をうごかして、
「ただ、死あるのみ。早く首を打ち給え」と、いった。
「なるほど、臣として忠ならず、子として孝ならず、死以外に、
そういわれると、陳宮はにわかにうつ向いて、さんさんと落涙した。
やがて、陳宮は、面をあげて、曹操の人情へ、訴うる如くいった。
「人の道として、幼少からわれも聴く。さだめし、足下も学びつらん。――天下ヲ
「老母のほかに、ご辺には妻子もあろう。死後、妻子の行く末はいかに思うか」
「思うても、是非ないこと、何も思わぬ。――が、我聞く、天下ニ仁政ヲ施スモノハ人ノ
「…………」
曹操は、何とかして、陳宮を助けたいと思っていた。
――というよりは、殺すに忍びなかったのである。
「無用な問いはもう止め給え。願わくは、速やかに軍法にてらして、陳宮に
云い捨てて、決然とそこから起ち上がった。そして、階下の一方にうずくまっている
その後ろ姿に、
「ああ――」
と、曹操は、階上の廊に立ち上がって、しきりと涙をながしていた。諸人もみな伸び上がって、白門楼下の刑場を見まもった。
陳宮は、死の
「もう、よろしいか」と、あべこべに促した。
一閃の刑刀は下った。
曹操は、さっと酒の醒めたように、
「次は、呂布の番だ。呂布を成敗しろ!」と命を下した。すると呂布は急に、大声でわめきだした。
「丞相、曹丞相。もう閣下の患とする呂布はかくの如く、降伏して、除かれているではないか。この上は、われを助けて、騎将とし、天下の事に用いれば、四方を定める力ともなろうに。――ああ、なんで無用に、殺そうとするか。助け給え。呂布はすでに、心から服している」
曹操は、横を向いて、
「
と、小声で訊いた。
玄徳は、是とも非ともいわなかった。ただこう答えた。
「さあ。その儀は、如何したものでしょうか。ここ今日、思い起されるのは、彼がむかし、養父の
呂布は、小耳にはさむと、土気色に顔を変じて、
「だまれっ。
と、睨みつけた。
「刑吏ども。早その首を
曹操の一令に、執行の役人たちは、縄を持って、呂布のそばへ寄った。呂布は暴れて、容易に彼らの手にかからなかったが、遂に、遮二無二抑えつけられたまま、その場で
「張遼は、

と曹操を拝した。
曹操は、玄徳の乞いをいれて、彼を助命したが、張遼は辱じて、自ら剣を
「大丈夫たる者が、こんな
と、彼の剣を奪って止めたのは、かねて彼を知る関羽だった。
曹操は、平定の事終ると、陳宮の老母と妻子を探し求め、
都へ還る大軍が、

その中から、一群れの老民が道に
「どうか、劉玄徳様を、太守として、この地におとどめ願います。呂布の悪政をのがれて、平和に耕田の業や商工の営みができますことは、無上のよろこびでございますが、玄徳様がこの国を去るのではないかと、みなあのように悲しんでおりまするで」
曹操は、馬上から答えた。
「案じるな。
そう聞くと、沿道の民は、
ふかく民心の中に根をもっている玄徳の信望に、曹操はふと
「劉使君。このような領民は、子のように可愛いだろうな。天子に拝をすまされたら、早く帰って、もとの如く徐州を平和に治めたまえ」と、振向いていった。
――日を経て。
三軍は許都に凱旋した。
曹操は、例によって、功ある武士に恩賞をわかち、都民には三日の祝祭を行わせた。朝門
玄徳の旅舎は
のみならず、翌日、朝服に改めて参内するにも、玄徳を誘って、ひとつ車に乗って出かけた。
市民は軒ごとに、香を
そして、ひそかに、
「これはまた、異例なことだ」と、眼をみはった。
禁中へ伺候すると、帝は、階下遠く地に拝伏している玄徳に対し、特に昇殿をゆるされて、何かと、勅問のあって後、さらに、こう訊ねられた。
「其方の先祖は、そも、
「……はい」
玄徳は、感泣のあまり、しばしは胸がつまって、うつ向いていた。――故郷
帝は、彼の涙をながめて、怪しまれながら、ふたたび下問された。
「先祖のことを問うに、何故そちは涙ぐむのか」
「――さればにござります」
玄徳は襟を正し、謹んでそれに答えた。
「いま、御勅問に接し、おぼえず感傷のこころをうごかしました。――という仔細は、臣が祖先は

帝は、驚きの
「では、わが漢室の一族ではないか」
と、急に朝廷の

――その
漢家代々の系譜に照らしてみると、玄徳が、景帝の第七子の裔であることは明らかになった。
つまり景帝の第七子
「
と、帝のおよろこびは一通りでない。御涙さえ流して、
改めて、
帝はいつになく杯を重ねられ、龍顔は華やかに染められた。こういう御気色はめずらしいことと侍側の人々も思った。――知らず、玄徳を見て、帝のお胸に、どんな灯が
ここ
「それなのに、今日ばかりは、何という明るいご微笑だろう?」
と侍従たちにも怪しまれるほど、その日の宴は、帝にも心からご愉快そうであった。
帝の特旨に依って、玄徳は、
また、それ以来、朝野の人々も、玄徳をよぶのに「
――が、ここに、当然、彼の
それは、

「承れば、天子には、玄徳を尊んで、叔父となされ、ご信任も並ならぬものがあるとか。……将来、丞相の大害となるを、ひそかにみな憂えていますが」
と、或る時、

「予と玄徳とは、兄弟もただならぬ間柄だ。なんで、予の害になろう」と、取合わなかった。
「いや、丞相のお心としてはそうでしょうが、つらつら玄徳の人物を観るに、まことに、彼は一世の英雄にちがいありません。いつまで、丞相の
曹操は、なお、度量の大を示すように、笑い消して、
「
そして彼と玄徳との交わりは、日をおうほど親密の度を加え、朝に出るにも車を共にし、宴楽するにも、常に席を一つにしていた。
一日。
相府の一閣に、

程

「丞相。もはや今日は、なすべきことをなす時ではありませんか。何故、
と、なじった。
曹操は、そら
「なすこととは?」と、わざと反問した。
「
程

「まだ、早い」
といっただけである。
程

「しかし、今、呂布も亡んで、天下は震動しています。
と、なお云いかけると、曹操は細い
「めったなことを口外するな、朝廷にはまだまだ
けれど曹操の胸に、すでにこの時、人臣の野望以上のものが、芽を


「そうだ。ここ久しく戦に忙しく、狩猟に出たこともない。天子を
急に、彼は思い立った。――即ち犬や鷹の用意をして、兵を城外に調え、自身宮中に入って、帝へ奏上した。
「許田へ
帝は、お顔を振って、
「
「いや、聖人は猟をしないかもしれませんが、いにしえの帝王は、春は
帝は、拒むお言葉を知らなかった。曹操の実力と強い性格とは、形や言葉でなく、何とはなしに帝を威圧していた。
「……では、いつか行こう」
お気のすすまない
「さらば、
と、にわかに
今朝方から、曹操の兵が城外におびただしく、禁門の出入りも何となく常と違うので、早くから衛府に詰めていた玄徳は、それと見るや、自身、逍遥馬の口輪をとって、帝のお供に従った。
関羽、張飛、その余の面々も、弓をたばさみ、
「あれが、
などと、
この日。
曹操は、「
その曹操が前後には、彼の
かくて御料の
「皇叔よ。今日の
玄徳は、
「おそれ多いことを」
と、馬上ながら、鞍の前輪に顔のつくばかり、拝伏した。
ところへ、勢子の
帝は、眼ばやく、
「獲物ぞ。あれ射てとれ」
と、早口にいわれた。
「はっ」
と、玄徳は馬をとばして、逃げる兎と、併行しながら、弓に矢をつがえてぴゅっんと放した。
白兎は、矢を負って、草の根にころがった。帝は、その日、朝門を出御ある折から、始終、ふさぎがちであった御眉を、初めてひらいて、
「見事」
と、玄徳の手ぎわを賞し、
「彼方の丘を巡ろうか。皇叔、朕がそばを離れないでくれよ」
と堤のほうへ、先に駒をすすめて行かれた。
すると、
「あな惜しや」
二度、三度まで、矢をつづけられたが、あたらなかった。
鹿は、堤から下へ逃げて行ったが、勢子の声におどろいて、また跳ね上がってきた。
「曹操、曹操っ。それ射止めてよ」
帝が
公卿百官を始め、下、将校歩卒にいたるまで、金※[#「金+比」、U+921A、165-2]箭の立った獲物を見て、いずれも、帝の射給うたものとばかり思いこんで、異口同音に万歳を唱えた。
万歳万歳の声は、山野を圧して、しばし鳴りも止まないでいると、そこへ曹操が馬を飛ばしてきて、
「射たるは、我なり!」
と、帝の御前に立ちふさがった。
そして
はっと、諸人みな色を失い興をさましてしまったが、特に、玄徳のうしろにいた関羽の如きは、眼を張り、眉をあげて、曹操のほうをくわっとにらめつけていた。
その時、関羽は、
「人もなげな曹操の振舞い。帝をないがしろにするにも程がある!」
と、口にこそ発しなかったが、怒りは心頭に燃えて、胸中の激血はやみようもなかったのである。
無意識に、彼の手は、剣へかかっていた。玄徳ははっとしたように、身を移して、関羽の前に立ちふさがった。そして手をうしろに動かし、眼をもって、関羽の怒りをなだめた。
ふと、曹操の眸が、玄徳のほうへうごいた。玄徳は咄嗟に、ニコと笑みをふくんでその眼に応えながら、
「いや、お見事でした。丞相の
「はははは」
曹操は高く打笑って、
「お褒めにあずかって面はゆい。予は武人だが、弓矢の技などは元来得手としないところだ。予の長技は、むしろ三軍を手足の如くうごかし、治にあっては億民を生に安からしめるにある。――さるを
と、功を天子の
それのみか、曹操は、忘れたように、帝の
猟が終ると、野外に火を
やがて、帝には還御となる。
玄徳も洛中に帰った。その後、彼は一夜ひそかに、関羽を呼んで、
「いつぞやの
と、戒めた。
関羽は、頭を垂れて、神妙に叱りをうけていたが、静かに面をあげて、
「ではわが君には、曹操のあの折の態度に、何の感じもお抱きになりませんでしたか」
「そんなこともないが」
「私はむしろ、わが君が、何で私を制止されたか、お心を疑うほどです。この
「もっともなことだ……」
玄徳は、うなずいた。幾たびも同感のうなずきを見せた。
「――だが関羽。ここは深慮すべき
しかし彼は、独り星夜の外に出ると、
「今日、あの奸雄を刺さなければ、やがて
きょうも
三名の侍女が夕べの
なお、御眉の陰のみは暗い。
「陛下。何をそのようにご
「
はらはらと、落涙されて、
「――朕が位に


共にすすり
「
すると。
「陛下、お嘆きは、ご無用でございます。ここに伏完もおりまする」
「皇父。……御身は、朕が腹中のことを知って、そういわるるのか」
「
「皇父。ひそかに申せ。禁中もことごとく曹操の耳目と思ってよいほどであるぞ」
「お案じ遊ばしますな。こよいは侍従
「では、そちの意中をまずきこう」
「臣の身がもし陛下の親しい
「――が、いかにせん、臣はもはや年も衰え、威名もありません。今、曹操を除くほどな者といえば、車騎将軍の
事は、重大である。秘中の秘を要する。
――が、深く思いこまれた帝は自ら御指をくいやぶって、
次の日、帝は、ひそかに勅し給うて、
董承は、長安このかた、終始かたわらに仕えてあの大乱から流離のあいだも、よく朝廷を護り支えてきた
「何ごとのお召しにや?」と、彼は急いで参内した。
帝は、彼に仰せられた。
「国舅。いつも体は健やかにあるか」
「聖恩に浴して、かくの如く、何事もなく老いを養っております」
「それは何よりもめでたい。実は昨夜、伏皇后と共に、長安を落ちて、李


「もったいない御意を……」
帝はやがて董承を伴って、殿廊を渡られ、御苑を逍遥して、なお、洛陽から長安、この
「思うに、いくたびか、存亡の淵を経ながらも、今日なお、国家の
と、しみじみいわれた。
玉歩は、さらに、彼を伴ったまま大廟の石段を上がられて行った。帝は、大廟に入ると、直ちに、功臣閣にのぼり、自ら香を
ここは漢家歴代の祖宗を
帝は、董承にむかって、
「国舅――。
董承は、おどろき顔に、
「陛下。臣に、いささか、おたわむれ遊ばすか」と、身をすくめた。
帝は、ひとしお
「聖祖の御事。かりそめにも、たわむれようぞ。すみやかに説け」
董承はやむなく、
「高祖皇帝におかれましては、
と、述べた。
帝は、自責して、さんさんと御涙をたれられた。
「……陛下。何をそのようにお嘆きあそばすか」
董承が、
「今、御身の説かれたような先祖をもちながら、子孫には、朕のごとき
何か深い
壁の画像をさして、帝は、重ねて董承の説明を求められた。――高祖皇帝の両側に
董承は謹んで答えた。
「上は
「うム。して張良、蕭何のふたりは、どういう功に依って、高祖のかたわらに立つか」
「張良は、
「なるほど、二臣のような者こそ、真に、
「……はっ」
董承は、ひれ伏していたが、頭上に帝の嘆息を聞いて、何か、責められているような心地に打たれていた。
帝は、突然、身をかがめて董承の手をおとりになった。はっと、董承が、
「
「畏れ多い御意を」
「否とか」
「
「いやいや、往年長安の大乱に、朕が逆境に浮沈していた頃から卿のつくしてくれた大功は片時も忘れてはいない。何を以て、その功にむくいてよいか」
帝は、そう
董承は、あまりの
すると、早くも。
この日、帝と董承の行動は、もう曹操の耳に知れていた。誰か密報した者があったにちがいない。曹操は聞くと、
「さては? ……」と、針のような細い目を

思いあたる何ものかがあったとみえる。曹操はにわかに車や供揃えを命じ、あわただしく宮門へ向って参内して来た。
禁衛の門へかかると、
「帝には、今日、どこの台閣においで遊ばすか」
と、家臣をして、衛府の
「ただ今、
と、聞くと、曹操は、さてこそといわぬばかりな面持で、宮門の外に車を捨て、足の運びも忙しげに、禁中へ進んで行った。
――と。折も折。
南苑の中門まで来ると、ちょうど今、彼方から退出して来る董承とばったり出会ってしまった。
董承は、曹操のすがたを見かけると、ぎょッと顔色を変えた。抱えていた
董承は体のふるえが止まらなかった。生きたそらもなくたたずんでいた。
「おう、
曹操は、声をかけながら、歩み寄ってきた。
ぜひなく董承も、
「これは丞相でしたか。いつもご機嫌よく、何よりに存じます」
さりげなく会釈を返すと、曹操は、口辺に微苦笑をたたえながら、
「――時に、国舅には、今日、何事のご出朝であるか?」
と、いぶかるような眼を露骨に向けて訊ねた。
「はっ、実は……」
と、董承は答えもしどろもどろに、
「天子のお召しに応じて、何事かと、参内いたしましたところ、思いがけなく、錦の御衣と玉帯とを賜わり、天恩のかたじけなさに、実は、気もそぞろに、
「ほう。……天子より御衣玉帯を賜われたとか。それは近頃、ご名誉なことである。しかし、何の功があって、さような栄に浴されたかな」
「往年、長安からご
「何。あの時の恩賞を今頃? ……。さりとは遅いお沙汰ではあるが、陛下の御衣玉帯を親しく賜わるなどは、例外な特旨。何してもご名誉この上もないことだ」
「徳うすく功も乏しき微臣に、まったく
「さもあろう。曹操なども、少しあなたにあやかりたいものだ。その御衣と玉帯を、ちょっと、予に見せて給わらぬか」
曹操は手を出して迫った。そして董承の顔色を読むようにじっと見るのであった。董承は、
――今日、功臣閣での帝の御気色といい、その折の意味ありげなおことばといい、董承は、ただごとではないと
「見せ給え」
曹操にせがまれて、彼は、ぜひなく御衣玉帯をその手に捧げた。
曹操は無造作に、御衣をぱらりとひろげて、陽にかざした。そして自分の体に重ね著して玉帯を掛け、左右の臣をかえりみて、
「どうだ、似合うか」と、たずねた。
誰も笑えなかった。
「似合うだろう。これはいい」
曹操は独り笑い興じながら、
「国舅、これは予に所望させ給え。何か代りの礼はするゆえ、曹操に譲ってくれい」
「とんでもないことです。ほかならぬ
董承が
「しからば、何かこのうちに、帝と国舅のあいだに謀略が秘めてあるのではないか」
「そうお疑いになればぜひもありません。御衣も玉帯も、献じましょう」
「いや冗談だよ」
曹操は急に打消して、
「なんでみだりにひとの恩賜を、予が横奪りしよう。戯れてみたに過ぎん」
と、二品を返して、宮殿の方へ足早に立去ってしまった。
「ああ危なかった」
虎口をのがれたような心地を抱えて、
帰るとすぐ、彼は一室に閉じこもって、御衣と玉帯をあらためてみた。
「はてな。何物もないが?」
なお、御衣を振い、玉帯の裏表を調べてみた。しかし一葉の紙片だに現れなかった。
「……自分の思い過しか」
畳み直して、恩賜の二品を、卓の上においたが、何となく、その夜は、眠れなかった。
二品を賜わる時、帝は意味ありげに、御眼をもって、何事か、暗示された気がする。――その時の帝のお顔が
それから四、五日後のことである。
折ふし、かたわらの燈火が、ぽっと
「…………」
董承はなお居眠っていたが、そのうちに、ぷーんと焦げくさい匂いが鼻をついた。愕いて眼をさまし、ふと、見まわすと、燈心の丁子が、そこに重ねてあった玉帯のうえに落ちて、いぶりかけていたのであった。
「あ……」
彼の手は、あわててもみ消したが、龍の丸の
「畏れ多いことをした」
穴は小さいが、大きな罪でも犯したように、董承は、すっかり
玉帯の中の
そう気がついて、つぶさに見直すと、そこ一尺ほどは縫い目の糸も新しい。――さては、と董承の胸は大きく波うった。
彼は小刀を取出して、玉帯の縫い目を切りひらいた。果たして、白絖に血をもって認めた
董承は、火をきって、敬礼をほどこし、わななく手に読み下した。
人倫ノ大ナルハ、父子ヲ先トシ、尊卑ノコトナルハ、君臣ヲ重シトスト。
勅賞
涙は
「かほどまでに。……何たる、おいたわしいお気づかいぞ」
同時に、彼はかたく誓った。この老骨を、さほどまでたのみに思し召すからには、何で
しかし、事は容易でない。
彼は血の密詔を、そっと
「ご主人はどうしましたか」
夕方になっても、董承が顔を見せないので、王子服は、すこし不平そうにたずねた。
家族のひとりが答えて、
「奥にいらっしゃいますけれど、先日から調べ物があると仰っしゃって引きこもったきり、どなたにもお会いしないことにしております」と、いった。
「それは、変だな。一体、何のお調べ事ですか」
「何をお調べなさるのか、私たちには分りませんが」
「そう根気をつめては、お体にも毒でしょう。小生が参って、みんなと共に、今夜は笑い興じるようにすすめてきましょう」
「いけません。王子服様、無断で書斎へ行くと怒られますよ」
「怒ったってかまいません。親友の小生が室をうかがったといって、まさか絶交もしやしないでしょう」
自分の家も同様にしている王子服なので、家人の案内もまたず主人の書院のほうへ独りで通って行った。家族たちも、ちょっと困った顔はしたものの、ほかならぬ主人の親友なので、
主人の董承は、先頃から書院に閉じこもったきり、どうしたら曹操の勢力を宮中から一掃することができるか、帝のご
「……おや。居眠っておられるのか?」
そっと、室をうかがった王子服は、そのまま彼のうしろに立って、何を
血で書いた
「あっ、君か」
びっくりしたように、彼はあわてて
「――何ですか、今のは?」と、軽く追及した。
「いや、べつに……」
「たいそうお疲れのようにお見うけされますが」
「ちと、ここ毎日、読書に
「孫子の書ですか」
「えっ?」
「おかくしなさってもいけません。お顔色に出ています」
「いや、疲労じゃよ」
「そうでしょう、ご心労もむりはない。まちがえば、
「げっ……。君は。……君はいったい、何を戯れるのじゃ」
「
「訴人に?」
「そうです。小生は今日まで、あなたとは
「…………」
「無二の親友と信じてきたのは、小生だけのうぬ惚れでした。訴人します。――曹操のところへ」
「あっ、待ち給え」
董承は、彼の袖をとらえ、眼に涙をうかべて云った。
「もしご辺がそれがしの秘事を覚って、曹操へ訴え出るなら、漢室は滅亡するほかない。君も
親友であるが、相手の答えによっては、刺しちがえて死なんともするような董承の血相であった。王子服は静かに笑って、
「安んじて下さい。小生とても、なんで漢室の
董承は、ほっと、胸をなでおろしながら、彼の手をいただいて
「ゆるし給え。決して君の心を疑っていたわけではないが、まだ自分は明らかな計策がつかないので、数日、
「およそ
「ありがとう。今は何をかくそう。すべてを打明ける。うしろの扉をしめてくれたまえ」
董承は襟を正した。そして彼に示すに、帝の血書の密詔を以てし、声涙共にふるわせながら、意中を語り明かした。
王子服も、共々、熱涙をうかべて、しばし
「よく打明けてくださいました。よろこんで義に
そこで二人は、密室の燭をきって、改めて義盟の血をすすりあい、後、一巻の絹を取出して、まずそれに董承が義文を認めて署名する。次に、王子服も姓名を書き載せて、その下に血判した。
「これで、君もわれとの義盟にむすばれたが、なお、よい同志はないであろうか」
「あります。
「それは頼もしい。朝廟にも

夜も更けたので、王子服はそのまま泊ってしまった。そして翌る日も、主人の書斎で何事かひそかに話しこんでいたが、
「うわさをすれば影。よいところへ」と、董承は手を打った。
「誰ですか、お客は」
王子服がたずねると、
「ゆうべ君にもはなした宮中の議郎呉碩と校尉

「連れ立って来たのですか」
「そうじゃ。君もよく知っているだろう」
「朝夕、宮中で会っています。――が、両名の本心を見るまで、小生は屏風の陰にかくれていましょう」
「それがいい」
客の二人は召使いの案内で通されてきた。
董承は出迎えて、
「やあ、ようお越し下すった。きょうは
「読書を。それは折角のご静日を、お邪魔いたしましたな」
「何、書にも
「春秋ですか。史記ですか」
「史記列伝を」
「時に」と、
「先ごろの
「むむ、許田の御猟か」
「そうです。あの日、何かお感じになったことはございませんか」
計らずも、自分の問おうとする所を、客の方から先に訊ねられたので、董承はハッと眉をあらためた。
……だがなお、相手の心は推し
董承はふかく用心して、
「いや、許田の御猟は、近来のご盛事じゃったな。臣下のわれわれも、久しぶり山野に
さりげなく答えると、

「それだけですか」となじるようにいった。
「――愉快な日であったとは、国舅のご本心ではありますまい。われわれはむしろ今も痛恨を
「なぜかの……」
「なぜかとお問いなさいますか。では国舅には、あの日の曹操の振舞いを、その御眼に、何とも思わずご覧なさいましたか」
「……すこし、声をしずかにし給え。曹操は、天下の雄、壁に耳ありのたとえ、もしそのような激語が洩れ聞えたら」
「曹操がなんでそんなに怖ろしいのですか。雄は雄にちがいありませんが、天の
「
「もとよりこんなことは、戯れに口にする問題ではありますまい」
「だが、いかに
「正義が味方です。天の加護を信じます。ひそかに、時を待って、彼の虚をうかがっていれば、たとい喬木でも、
「…………」
「国舅、あなたは先日、ひそかに帝のお召しをうけ、大廟の功臣閣にのぼられて、その折何か、
この少壮な宮中の二臣は、つい声が激してくるのを忘れて、董承へ問い迫っていた。
――と、さっきから屏風のうしろにひそんでいた王子服は、ひらりと姿を現して、
「曹丞相を殺さんとなす

「忠臣は命を惜しまず、いつでも一死は漢にささげてある。訴人するならいたしてみろ」
と、剣に手をかけて、彼が背を見せたら、うしろから[#「うしろから」は底本では「うしから」]、一撃に斬って捨てん――とするかのような眼光で答えた。
王子服と董承は、
「いや、お心のほど、
と、同時にいって、ふたりの激色をなだめた。そして改めて密室に移り、試みた罪を謝して、
「これを見給え」と、帝の血書と、義文連判の一巻とを、それへ

「さてこそ」
と、血の御文を拝し、
折も折、そこへ、取次の家人から、
「――
「悪いところへ」
董承は舌打ちをした。客の王子服や呉碩たちも、眉をひそめて、
「本国へ帰る挨拶に伺ったとあれば、お会いにならないわけにもいかないでしょうが」
と、
董承は、顔を振って、
「いや、会うまい。ふと、変に気どられまいものでもない」
あくまで要心して、取次の者に、許田の
だが取次ぎの者は、何べんもそこへ通ってきた。
「――病床でもよろしいからお目にかかりたいと云って、いくらお断り申しあげても帰りません」
と、いうのである。
「――それにまた、御猟以来、ご病気中とのことだが、先頃、宮門に参内する姿をちらりとお見かけした程だから、さほどご重病でもあるまいと、
「しかたがない。――では、別室でちょっと会おう」
遂に、董承も根負けして、ぜひなく病態をつくろって、
西涼の太守
「
「宿意などとはとんでもない。病中ゆえ、かえって失礼と存じたまでのこと」
「それがしは、遠い辺土の国境にあって、
「…………」
「なんでご返辞もないか」
「…………」
「うつむいたまま唖の如く一言もないとは、どういうわけだ。――ああ、今まで、御身を、馬騰はひとりで買いかぶっていたとみえる」
憤然と、彼は席を立ちながら、主の沈黙へ
「これも国の柱石ではない! 無用な
董承は、彼の荒い跫音にやにわに面をあげて、
「将軍っ、待ちたまえ」
「なんだ、
「
「怒ったのか。怒るところを見ればこの石ころにもまだ少し脈はあると見える。――眼をこらしてよく見よ、曹操が御猟の日に鹿を射るの暴状を。――
「曹操は、兵馬の
「ばかな!」
馬騰は眉をあげて、
「生をむさぼり、死をおそるる者とは、共に大事を語るべからず。――いや、お邪魔いたした。
すでに大股に帰りかけてゆく馬騰を追って董承は、
「待たれい。この苔石がも
と、むりに
「お身にも、自分と同じ志があると知ったとき、この董承の胸は、血で沸くばかりじゃったが、待てしばしと、なお、無礼もかえりみず、ご心底をはかっていたわけじゃ。幸いにも、将軍が協力してくれるならば、大事はもう半ば、成就したようなもの。――この連判に御身も加盟して賜わるか」
董承がいうと馬騰は、ためらいなく自分の指を口中に突っこんだ。そして舌尖に血をながし、直ちに血判して、
「もし、この都の内で、曹操に対し、あなたが大事を決行する日が来たら、それがしは必ず西涼の遠きより
云ううちにも馬騰はまなじりを裂き、髪さかだち、すでに風雲に
董承はまた改めて、

「きょうはなんという吉日だろう。こういう日に事をすすめれば順調に運ぶにちがいない。ついでのことに王子服が、日頃人物を観ぬいているという
董承のことばに、人々も同意したので、王子服はすぐ駒をとばして、呉子蘭を迎えに行った。
呉子蘭も、この日、一員に加わった。同志は六名となった。
「真に心のかたい者が、十名も寄れば、大事は成るか」と、そこの密室は、やがて前途を祝う小宴となって、各

「そうだ……宮中の
董承は思いついて、直ちに記録所へ使いを走らせてそれを取寄せた。
「あった! ここに唯ひとり人物がある」と、さけんだ。
彼の声は、いくら側の者がたしなめても、常に人いちばい大きいので人々はびくびくしたが、あったと聞いて、
「誰か」と、彼の手にある一帖へ顔をあつめた。
「しかも、漢室の宗族のうちにこの人があろうとは、正に、天佑ではないか。見たまえ、ご列親のうちに
「おお……」
「
「それはどうして分りますか」
「
馬騰のことばに、董承はじめ同志の人たちは、はや
しかし、玄徳の人物をよく知っているだけに、彼をひき入れることは容易ではないと思った。大事の上にも大事を取ったがよかろうと、その日は立別れて、おもむろに好い機会を待つこととした。
昼は人目につく。
「
と、家人にさえ打明けず、ただ一人
それも、ふと曹操の密偵にでも見つかって、あとを
「やあ、思わず今夜は、はなしに実がいって、長座いたした。どうも詩や画のはなしに興じていると、つい時も忘れ果てて」
などと云いながら、あわててその家を辞した。
そこは郊外なので、玄徳の客舎へ来たのは、もう四更に近かった。
深夜。しかも、時ならぬ人の訪れに、
「何ごとか」と、玄徳もあやしみながら彼を迎え入れた。
が、――彼は、およそ客の用向きを察していたらしく、家僕が客院に燭をともしかけると、
「いや、奥の小閣にしよう」と、自ら董承をみちびいて、庭づたいに、西園の一閣へ案内した。
許都へ来た当座は、曹操の好意で、相府のすぐ隣の官邸を住居としてあてがわれていたが、
「ここは帝都の中心で、
と、今のところへ引移っていたのだった。
「何もありませんが」
と、すぐ青燈の下に、
「時ならぬご来駕は、何事でございますか」と、玄徳から訊ねだした。
董承はあらたまって、
「余の儀でもありませんが、
玄徳は、色を失った。自分の予感とちがって、さては曹操の代りに、詰問に来たのかと思われたからである。
――が、隠すべきことでもなく、隠しようもない破目と、玄徳は心をきめた。
「舎弟の関羽は、まことに一徹者ですから、あの日、丞相のなされ方が、帝威をおかすものと見て、一時に憤激したものでしょう。……や、や? ……
「いや、おはずかしい。実は今のおことばを伺って、今もし、関羽どののような心根の人が幾人かいたならば……と、つい愚痴を思うたのでござる」
「府に、曹丞相あり、朝にあなたのような輔佐があって、世は泰平に治まっているではありませんか。なにを憂いとなされるか」
「
董承は濡れた瞼をあげて、
「御身は、わしが曹操にたのまれて、
董承は、席を改め、口を
燈火をきって、それへ眸をじっと落していた玄徳は、やがてとめどもなくながれる涙を両手でおおってしまった。悲憤のあまり彼の
「おしまい下さい」
涙をふき、密詔を拝して、玄徳はそれを、董承の手へ返した。
「国舅のご胸中、およそわかりました」
「ご辺も、この密詔を拝して、世のために涙をふるって下さるか」
「もとよりです」
「かたじけない」と、董承は、狂喜して、幾たびか彼のすがたを拝した後、
「では、さらにもう一通、これをごらん願いたい」と、巻をひらいた。
同志の名と血判をつらねた義状である。
第二筆に、

第三には、
と、ひときわ
「おう、もはやこれまでの人々をお語らいになりましたか」
「世はまだ滅びません。たのもしき哉、
「この地上は、それ故に、どんなに乱れ
「皇叔。おことばを伺って、この老骨は、実にほっとしました。この年して初めてほんとの人間と天地の
「仰せまでもない儀。――ここに名を連ねる諸公がすでに立つからには、玄徳もなんで犬馬の労を惜しみましょうや」
彼は起って、自身、
その時。
小閣の外、廊や窓のあたりは、かすかに微光がさし始めていた。
夜は明けかけていたのである。外廊の
玄徳は見向きもしない。けれど董承は、ぎょっとして、廊をさしのぞいた。
見れば、玄徳の護衛のため、夜どおし外に
「……あ、二人も、ここの密談を洩れ聞いて」
董承は、羨ましいものさえ覚えた。義状に名をつらねた人々のちかいも、もし玄徳と義弟たちの間のように、濃くふかく結ばれたら、必ず大事は成就するが――と思った。
そして、義状の第七筆に、
左将軍
と、謹厳に書いた。
筆をおいて、
「決して
暁の微光が、そういう玄徳の横顔を、見ているまに、鮮やかにしていた。遠く、
「……では、いずれまた」
客は、驢に乗って、朝霧のなかを、ひそかに帰って行った。
「張飛。――
「ムム、関羽か。毎日、することもないからな」
「また、飲んだのだろう」
「いや、飲まん飲まん」
「夏が近いな、もう……」
「梅の実も大きくなってきた。しかし一体、うちの大将は、どうしたものだろう」
「うちの大将とは」
「兄貴さ」
「この都にいるうちは少しことばをつつしめ。ご主君をさして、兄貴だの、うちの大将だのと」
「なぜ悪い。義兄弟の仲で」
「貴様はそう心易くいうが、朝廷では皇叔、外にあっては、左将軍
「そうか。……なるほど」
「何をつまらなそうな顔しておるんだ」
「何をって、その左将軍たるものが、ここのところ毎日、何をやっているか知っているか貴様は」
「知っている」
「陽気のせいで、すこし頭が悪くなったんじゃないかとおれは真面目に心配しておるのだ」
「誰のことを」
「だからよ。わが主君たる人の行いをさ」
「どうして?」
「どうしてだと。まあ立ち話ではできん。かりそめにも、ご主君のうわさだから」
「すぐしッぺ返しをしおる。貴様ほど意地ッ張りなやつはないな」
苦笑しながら、関羽もならんでそこらの石に腰かけた。
彼方に、たくさんの馬を繋いでいる厩舎が見える。
ここは
桃の花が散ってくる。
詩は感じないでも、桃の花をみると二人は
張飛は、最前から独りでつまらなそうに樹の下に腰かけて頬杖つきながら、それを眺めていたところだった。
「なんだ一体、ご主君の行いについて、貴様の不平とは?」
「この頃、玄徳様には邸内の畑へ出て、百姓のまね事ばかりしているではないか。菜園へ出るもよいが、自分で水を
「そのことか」
「百姓がしたいなら、楼桑村へ帰りゃあいい。何も都に
「きさま、そういうな」
「だから、おれは、これは天候のせいかも知れないと、憂いているんだ。どう思う、兄貴は」
「君子のことばに、
「困るよ、今から
「もちろん」
「よしてくれ! 君子の真似なんか!」
「おれにいっても仕方がない」
「きょうも畑に出ているようか」
「やっておられるらしい」
「二人して、意見しに行こうじゃないか」
「さあ?」
「何をためらうか。貴様はたった今、主君の威厳にさわるとか、おれをたしなめたではないか。おれには何でもいえるが、主君の前へ出ては、何もいえないのか」
「ばかをいえ」
「では行こう、ついて来い。忠義の行いでいちばん難しいことは、上に善言して上より死を賜うも恨まずということだぞ」
ぼくっ、ぼくっ、と
玄徳は、野良着の
「…………」
黙然と、鍬を杖に、初夏の陽を仰いでいる。一息して、鍬をすてると、彼は
「わが君! 冗談ではありませんぞ。この時勢に、そんな小人の
うしろで張飛の大声がした。
玄徳はふり向いて、
「おお、何用か」
ことばだけは、左将軍劉備らしい。それだけに、張飛はなお馬鹿げた気がしてならない。が、由来彼は弁舌の士でなかった。乱暴な口ならいくらもたたくが、主君に
「関羽、云ってくれ」
そっと、突っつくと、
「なんだ、貴様がおれの手をひッぱってきたくせに」
「おれは、後でいうから」
「家兄。――きょうはそう呼ぶことをおゆるし下さい」
関羽は畑にひざまずいた。
「なんじゃ改まって」
「われわれ愚鈍な生れには、ちと
云いかけると、張飛は、
「手ぬるい手ぬるい。そんな云い方ではだめだ。面を
「うるさい、黙っておれ――」と側の張飛を叱って、関羽はまた、
「さだめし、何か深いお考えのあることとは存じますが、ここ二月も毎日菜園へ出られ、黙々、百姓の真似事ばかりなされておいでになりますが、なぜ、ご自身で糞土を
「そうだ!」と、張飛はその図にのって、
「今から君子や
玄徳は、笑みをふくんだまま、黙って聞いていたが、
「汝らの知るところではない。分らなければ、黙って、そち達はそち達の勤めをしておれ」
「そうはいかない」
張飛は喰ってかかった。
「三人の血はひとつだ。三人は一心同体だと、家兄も常にいっておるのではないか。われわれという手脚が、明け暮れ弓矢をみがいていても、肩が糞土をかついでいたり、頭が百姓になっていたんでは、一心同体とは申されまい」
「いや、参った」
玄徳はかろく笑い流して、「そのとおりである。――が、今にわかる時節もある。ふかい考えがあってのこと。心配するな」と、なだめた。
そういわれると何もいえない。やはり曹操を
思い直して、二人はなお、毎日の退屈を、なぐさめ合っていた。ところが、それから数日の後、連れ立って外出したが、邸へ帰ってみると、毎日すがたの見える菜園にも、奥にも玄徳が見えなかった。
「ご主君は、どこへ行かれたか」
張飛、関羽は、眼のいろ変えて、留守の家臣にたずねた。
「
「えっ、曹操の召しでか」
「はい、
聞くと、ふたりは呆然顔を見あわせて、
「しまった……。われわれが居れば、是が非でも、お供について行かれたものを」
思いあたることがある。日ごろ沈着な関羽さえ、気もそぞろに、玄徳の身を案じた。
「迎えには、誰と誰が来たか」
「曹操の腹心、

「いよいよ怪しい」
「兄貴、考えている場合ではない。後からでも構うまい。もし門を通さぬとあれば、ぶちこわして押し通るまでだ」
「おお、急げ」
ふたりは宙を飛んで、許都の大路を、丞相府のほうへ駈けて行った。
それより数時前に。
玄徳は曹操からふいの迎えをうけて、心には、何事かと、危ぶまれたが、使いの許

「御用のほどは何事か、われらには、わきまえ知るよし候わず」と、にべもない返辞。
といって、断るすべもなく、彼は心中、薄氷を踏むような思いを抱きながら、相府の門をくぐった。
導かれたところは、
「やあ、しばらく」
曹操は待っていた。
「つい、ここ二月ほど、ご無沙汰にすぎました。いつもお健やかで」
玄徳もさりげなく会釈すると、曹操は、その面をじろじろ見ながら、
「健康といえば、たいそう君は陽にやけたな。聞けば近頃は、菜園に出て、百姓ばかりしているというが、百姓仕事というのは、そんな楽しみなものかね」
「実に楽しいものです」
心のうちで、玄徳は、まずこの分ならと幾らか胸をなでていた。
「――丞相の政令がよく行きわたっていますから、世は無事です。故に、閑をわすれるため、後園で畑を耕していますが、
「なるほど、金はかかるまいな。君は欲なしかと思うたら、蓄財の趣味はあるとみえる」
「これは、痛烈なお戯れを」
玄徳はわざと、
「いや、冗談冗談。気にかけ給うな。――実はきょう、君を迎えたのは、この相府の梅園に、梅の実の結んだのを見て、ふと先年、
曹操は、そのはなしが、自慢らしい。そう語って、
「――で、急に君と、その小梅の実を煮て
曹操は、先に立って、はや広い梅園の道をあるいていた。
「ほ……。これは宏大な梅林ですな」
曹操の案内に従って、玄徳も
「
「南苑のご門内に通ったのは、今日が初めてです」
「それなら、花の頃にも、案内すればよかったな」
「丞相おんみずからご案内に立たれるだけでも、
「酒席の小亭は、まだ彼方の
――と、俄に。
ばらばらっと頭上へも大地へも降り落ちてきた物がある。みな青梅の実であった。
「……オオ!」
とたんに樹々の
「――龍だ、龍だ」
「あれよ、龍が昇天した」
そこらを馳けてゆく召使いの童子や家臣が、口々に風のなかで云っていた。――そして一瞬、掃いてゆくような
「すぐやもう」
曹操と玄徳は、
そのあいだに、曹操は、玄徳へこんなことを話しかけた。
「君は、宇宙の道理と変化を、ご存じか」
「いまだわきまえません」
「龍というものがよくそれを説明している。龍は、時には大に、時には小に、大なるは霧を吐き、雲をおこし、江をひるがえし、海を捲く。――また小なれば、頭を埋め、爪をひそめ、
「実在するものでしょうか」
「ありとみればあり、なしとみればないかも知れん。――たとえば今」と、天を指して、「雲の柱が彼方の山岳をかすめて、すさまじく立ち昇ったかと見えた。だが、
「古来、龍のはなしは、無数に聞いていますが、まだこれが真の龍だという実物は
「否!」
曹操はつよく顔を振って、
「予は見ている! この眼で」
「ほ。左様ですか」
「――だが、神秘の龍ではない。この地上、風雲に会っては起る幾多の人龍だ。要するに、龍は人間だというのが予の自説だが」
「そうもいえましょう」
「君もその一龍であろう」
「いかにせん、
「ご謙遜あるな。……がご辺には、ずいぶん諸国を遍歴もされたであろうゆえ、かならず当世の英雄は知っておられるにちがいない。まず当代、英雄とゆるしてよい人物は誰と誰とであろうか」
「さあ? ……むずかしいお訊ねですな。われらごとき凡眼をもっては」
「いや、君の胸中にある者、誰でもよいから云ってみられい」
玄徳は、彼の
「オ。……雨もやみましたな」
と、先に木蔭を出て、空を見上げた。
雨やどりの間の雑談にすぎないので巧みに答えをかわされたが、曹操は、腹も立てられなかった。
玄徳は、すこし先に歩いていたが、よいほどな所で、彼を待ち迎えて、
「まだ降りそうな雲ですが」
「雨もまた趣があっていい。雨情ということばもあるから」
「今の
「まるで、詩中の景ではないか」
曹操は、立ちどまった。
玄徳も見た。
後閣に仕える
「……あ。丞相がおいでになった」
曹操のすがたを見ると、女院の
「いじらしいものですな、女というものは。あれが生活です」
「よくあんな美しい
「ははは。しかし、この梅林の梅花がいちどに開いて、芳香を放つ時は、彼女らの美は、影をひそめてしまいますよ。恨むらくは、梅花は散ってしまう」
「美人の美も長くはありません」
「そう先を考えたら何もかも
「お気持はわかります」
「予は、仏説や君子の説には、無条件で服することができん。性来の
と、口をむすんで、運びだす足と共に、いつかまた、前の話題にもどってきた。
「――どうですか、君。最前も云ったことだが、一体、当今の英雄は誰か。いないのか、いるのか、ご辺の胸中にある人を、云ってみたまえ」
「その問題ですか。どうも、自分には、これという人も覚えておりません。ただ丞相のご恩顧を感じ、朝廷に仕えておりますが」
「ご辺の考えで、英雄といい切れる人が見当らぬというなれば、俗聞でもいい、世上の俗間では、どんなことを云っているか、論じ給え」
性格でもあろうが、実に熱い。そのねばっこい質問には、玄徳もかわしきれなくなった。
で、遂に、
「聞き及ぶところでは、
聞くと、曹操は笑って、
「袁術か。あれはもう生きている英雄ではあるまい。塚の中の白骨だ。
「では、河北の
「ははは、そうかな」
曹操は、なお笑って、
「袁紹は、
誰の名をあげてみても、彼はそういう調子で、真っ向から否定してしまうのだった。
否定はするが、あいまいではない。
曹操の否定は明快だった。痛烈な快感すら、聞く者の耳におぼえさせる。
玄徳も、その興味につい誘いこまれた。
そうして、当今の英雄について、玄徳が名をあげ、曹操が論破し、思わず話に身がいったせいか、いつのまにか酒席の小亭の前に来ていた。
「ここは風雅だろう、君」
「なるほどよい場所です」
「観梅の季節には、よくここで宴をひらく。野趣があって甚だいい。きょうもかたい礼儀はやめて、くつろごうではないか」
「結構です」
「
彼は胸襟をひらいて、赤裸の自己を見せるつもりでいう。
いかにも自然児らしく、今なお洛陽の一寒生らしくも見える。
だが、そのどこまでが、ほんとうの曹操か。
玄徳は、彼の調子にのって、自分の
玄徳が、曹操の程度に自己を脱いで見せれば、それはすっかり自己の全部を露呈してしまうからともいえよう。――玄徳は自分をつつむのに細心で周到であった。いや
よく取れば、それは玄徳が人間の本性をふかく
すくなくも、曹操の人間は、彼よりはずっと簡明である。時おり、感情を表に現わしてみせるだけでも、ある程度の腹中はうかがえる。
――が、そうかといって、玄徳は肚ぐろく曹操はより人がよいとも、云いきれない。なぜならば、彼が現わしてみせる感情にも、快活な放言にも、書生肌な胸襟の開放にも、なかなか技巧や機智がはたらいているからである。むしろそれは自分からくだけて相手を油断させる策とも見えないことはない。ただ曹操の場合は本来の性質でするそれと、機智技巧でするそれとを、自分でも意識しないでやっているところがある。だから彼自身は、決してふたつのものを、挙止言動に、いちいちつかい分けているなどとは思っていないかもしれない。
そして肴は青い小梅の実。
さっき梅の実をひろっていた美姫の群れの中で見かけたような美人が、幾人かこれへ来て、ふたりの酒宴に侍していた。
「ああ、酔うた。梅の実で飲むと、こう酔いが発するものだろうか」
「わたくしもだいぶ過しました。近頃、かように快くご酒をいただいたことはありません」
「
「できません、
「詩は作らんかね」
「どうも生れつき不風流にできているとみえまする」
「おもしろくない男だなあ、実に君という人物は」
「恐縮です」
「では、飲む一方とするか。なぜ酒杯を下におかれるか」
「興も充分に尽しました。もはやお暇を告げたいと存じますから」
「いかん!」
曹操は自分のさかずきを突きつけて云った。
「まだ英雄論も語りつくしておらんではないか。――君はさっき、袁術、袁紹のふたりを当世の英雄にあげたが、もうほかに天下に人物なしと心得ておられるか。――
「いや、最前あげた名は、世俗の聞きおよびを、申しあげてみたまでに過ぎません」
と、またつい、さされる一
曹操は、矢つぎ早に、
「俗衆の論でもいい、袁紹、袁術のほかには、誰がもっぱら、当今の英雄と擬せられているか」
「次には、
「劉表」
「威は九州を鎮めて、八
「だめ、だめ、領治など、彼の部下のちょっぴり
「では、
「ムム、孫策か」
曹操は、笑い飛ばさなかった。ちょっと、小首をかしげている。
「丞相のお眼には、孫策をどうご覧になられていますか。彼は江東の
「いうに足るまい。奇略、一時の功を奏しても、もともと、父の盛名という遺産をうけて立った
「では、
「あんな者は、門を守る犬だ」
「――しからば、
「あははは。ないものだな、まったく」
手をうって、曹操はあざ笑った。
「それらはみな
「もうその余には、わたくしの聞き及びはありません」
「情けないことかな、それ英雄とは、大志を抱き、
「今の世に、誰かよく、そんな資質を備えた人物がおりましょう。無理なお求めです」
「いや、ある!」
曹操はいきなり指をもって、玄徳の顔を指さし、またその指を返して、自分の鼻をさした。
「君と、予とだ。今、天下の英雄たり得るものは大言ではないが、予と
そのことばも終らないうちであった。
ぴかっ――と青白い
「――あッ」
玄徳は、手にしていた
それは天地も裂けるような震動だったにちがいないが、余りな彼のおののきに、席にいあわせた美姫たちまで、
「ホ、ホ、ホ、ホ」と、笑いこけた。
曹操は、疑った。しばし顔も上げないでいる玄徳を、きびしい眼で見ていた。しかし美姫たちまであざけり笑ったので、思わず苦笑の口もとをゆがめ、
「どう召された。もう空ははれているのに」と、いった。
玄徳は酒も醒め果てたように、
「ああ驚きました。生来、
「雷鳴は天地の声、どうしてそんなに怖いのか」
「わかりません。虫のせいでしょう。幼少から雷鳴というと、身をかくす所にいつもまごつきます」
「……ふうむ」
曹操はとうとう自分の都合のよいように歓んだ。玄徳の人物もこの程度ならまず世に無用な人と観てしまったのである。……彼の遠謀とも知らずに。
ちょうどその頃。
南苑の門のあたりでも、さながら雷鳴のような人声が轟いていた。
「開けろっ、開けろっ。開門せねば、ぶちこわして踏み通るぞッ」
苑内の番卒はおどろいて、
「こわしてはいかん。何者だ。何者だ」
問い返すまにも、巨きな門がゆらゆらとゆれている。
「あっ、
すると、門の外で、
「ぐずぐずいっているいとまはない。われら両名は、きょう丞相に招かれた客、劉玄徳が義弟どもだ」
「あっ、では関羽と張飛か」
「開けろッ、早く」
「相府のおゆるしを得て参ったか」
「そんなことをしている暇はないというのに分らん奴、エエ面倒だっ、兄貴、そこを退いていろ。この大石を門扉へたたきつけてくれる」
中の番卒は仰天して、
「待て待て。無茶なまねをいたすな。開けないとはいわん」
「早くいたせ! 早くッ」
「仕方がないやつ」
「ならんならん。丞相のおゆるしを得てというのに、理不尽に押し通った乱暴者、通ってはならんぞ」
と、どなりながら、左右から組みついてきた。
「虫ケラ。踏みつぶされたいかッ」
叩きつける、踏み放す、つまんで投げ上げる。
わっと、怯んで逃げるまに、張飛は大石を抱えあげて、門へぶっつけた。
ふたりは躍りこんで、梅林のあいだを疾風のごとく馳けた。玄徳は今しも、宴の席を辞してかえりかけているところだったが、その小亭の下まで来るやふたりは、
「おおっ、わが君」
「家兄っ」
と、大地にペタとひざまずき、その無事なすがたを見て、こみあげるうれし涙とともに、一時にがっかりしてしまって、しばし肩で大息をついていた。
曹操は、見とがめて、
「関羽と張飛の二人よな。招きもせぬに、何しに来たか」
「はっ……」と、関羽は咄嗟に答えにつまって、
「さ、されば……折ふしのご酒宴とも承り、やつがれども、つたない剣を舞わして、ご一興を添えんものと、無礼もかえりみず推参いたしました」
苦しげに云い抜けると、曹操は開口一番、限りもなく大笑した。
「わははは、何を戸惑うて。――これ両人、きょうは
玄徳も、共に、
「いや、ふたりとも、
笑いにまぎらすと、
「どうして、粗忽者どころか、
と、曹操は
「せっかく参ったものだ。剣の舞は見るにおよばんが、二

と、亭上から云った。
張飛は拝謝して、
雨後の夕空には
幾日かをおいて、玄徳は、きょうは先日の青梅の招きのお礼に相府へ参る、車のしたくをせよと命じた。
関羽、張飛は口をそろえて、
「曹操の心根には、なにがひそんでいるか知れたものではない。
玄徳は、うなずき、かつほほ笑んでいうには、
「だからわしも、努めて菜園に
初めて玄徳の口から菜園に
曹操は、玄徳を見ると、きょうも至極機嫌よく、
「
と、いつぞやの
ところへ、侍臣が、
「河北の情勢をうかがいに行った
と、席へ告げた。
曹操は眼の隅からちろと玄徳の面を見たが、
「オ。
やがて満寵は、侍臣にともなわれて、席の一隅に起立した。曹操は、
「河北の情勢はどうか。
満寵は答えて、
「河北には、別して変った事態も起っておりませんが、

聞いて驚いたのは座にあった玄徳である。
「えっ、公孫

「君は、何故そのように、公孫

「それはそうですが、公孫


そう聞いて、曹操も、
「なるほど、君と彼とは、君が無名の頃から浅くない仲だったな。これ、満寵満寵。貴賓もあのように求めらるる。公孫

さればその次第は――と、満寵はつぶさに語りだした。
もとより満寵は、それらの見聞をあつめに行って帰ってきた者、その語るところはつぶさだし、信もおける。
彼の言によれば。
北平の

易京楼の規模はおそろしく宏大で、一見、彼の勢威いよいよ
公孫

その日城外へ出て、乱軍となったあげく、敗退して、われがちに引きあげ、易京楼の城門をかたく閉じてから、気づいたのである。
(敵のなかに、まだ味方の兵五百余りが退路をたたれて残っている。捨ててはおけまい。援軍を組織して、助けに行け)
またすぐ城門をひらいて、救助に出ようとすると、公孫

(それには及ばん。五百の兵を救うため、千の兵を失い、城門の虚を衝かれて、敵になだれ込まれたら、大損害をうけよう)と、許さなかった。
すると、その後。
降人に出た兵は敵の取調べに対して、
(公孫

敵へ投降した千だけに止まらず、残った諸軍の士気もその後はどうも冴えない。そこで、公孫

それからは、易京楼の守りをたのみとし、警戒して出ないので、袁紹も攻めあぐねていた。
(易京楼を落すには、少なくも、城兵が三十万石の粮米を喰い尽すあいだだけの月日は、完全にかかるだろう)
こういう風評だった。ところが、さすが袁紹の
公孫

「――そういうわけで、袁紹の領土は拡大され、兵馬は増強されつつあります。のみならず、近ごろ彼の弟、
曹操は甚だおもしろくない
「丞相、折入って、願いの儀がございます。お聞き入れくださいましょうや」
畏る畏るその不興な顔へ向って、こういったのは、玄徳であった。
「
「それがしに、丞相の一軍をおかし賜わりたいのであります」
「わが一軍をひきいて、君はそもどこへ赴こうとするか」
「いま満寵が語るを聞けば、
「もとより由々しい大事だが――それについて、君に何かの対策があるか?」
「袁術が淮南をすてて河北に行くには、かならず
「君にしては、常にない勇気であるが、どうして君はそう俄に思い立たれたか」
「袁術、袁紹を不利ならしめれば、いささか恩友

「なるほど、君の信義もあるのか。袁紹は恩友のかたきでもあれば、――というわけだな。よろしい、明朝、相伴うて天子に
翌日、朝廷に出て、曹操から右のよしを帝に達すると、帝は御涙をうかべて、玄徳を宮門まで見送られた。
玄徳は、将軍の印を腰におび、
「なに、
驚いたのは、かの
玄徳は、董承にむかって、
「
と、
そして彼はなお急ぎに急いで昼夜、行軍をつづけた。
関羽、張飛はあやしんで、
「いつにもない家兄の急。何故そのように、あわてふためいて、都をば出られるので?」
訊くと、玄徳は、
「今だから、いうが、われ許都にあるうちは、一日たりとも、無事に安んじていたことはない。許都にいた間の身は、籠の中の鳥、網の中の魚にもひとしい生命であった。もし、ひょッとでも曹操の気が変ったら、いつ何時彼のために死を受けようも知らなかった。……ああようやく、都門を脱して、今は魚の大海に入り、鳥の青天へ帰ったようなここちがする」と、心から述懐した。
そう聞いて関羽、張飛は、
「
――一方、その後で。
諸軍の巡検から許都に帰ってきた
「もってのほか!」と
「何だって、虎に翼を貸し、あまつさえ、野に放ったのですか。一体あなたは、玄徳をすこし甘く見過ぎていませんか」とまで彼は切言した。
「……そうかな?」
曹操の面には動揺が見えだした。
「そうですとも」
「露骨にいえば、あなたは玄徳に一ぱい喰わされた形です」
「どうして」
「玄徳は、あなたが観ているようなお人よしの凡物ではありません」
「いや、予も初めはそう考えていたが」
「そうでしょう、その玄徳が、何でにわかに、菜園に

「では彼が、予の軍勢を借りて、予のために袁術を敗らんといったのは嘘だろうか」
「まんざら、嘘でもありますまい。けれど丞相のためなどと
「しまった……」
曹操は足ずりして、悔いをくちびるに噛み、これわが生涯の過ち、あの
時に帳外に声あって、
「丞相。何をか悔い給うぞ。それがしが一鞭に追いかけ、彼奴めをこれへ生捕って参り候わん」
と、いう者がある。
諸人、これを見れば、

「許

軽騎の猛者五百をすぐって、許

馳け飛ぶこと四日目、追いついて、許


玄徳はいう。
「校尉。なにとて、ここへは来給える?」
許

「丞相の命である。兵をそれがしに渡し、直ちに都へ引っ返されい」
「こは思いがけぬこと。われは天子にまみえて

「なに、物乞いの徒だと」
「さなり! 怒りをなす前に、まず自身を

玄徳は、
「それとも、腕ずくでも、われを引き戻さんとなれば、われに関羽、張飛あり、ご挨拶させてもよろしい。しかし、丞相のお使いを、首にして返すもしのびぬ心地がする。――ご辺もよくよく賢慮あって、右の趣を、よく相府に伝え給え」
云いすてると、玄徳は、大勢の中へ姿をかくし、その軍勢はすぐ
許

曹操は
郭嘉は、色をなして、
「何たることです。手前のいうそばから、また玄徳めに
すると曹操もすぐ覚ったらしく、快然と笑って、郭嘉の顔いろをなだめた。
「今のは一場の戯れだよ。月日は呼べどかえらず、過失は追うも旧にもどらず。もう君臣の仲で愚痴はやめにしよう。……愚かだ、愚かだ。むしろ一杯を挙げて新に備え、後日、きょうのわが失策を百倍にして玄徳に思い知らせてくれん。郭嘉、楼へのぼって酒を
かねて
「前途はなお
と見たか、本国に
時しも建安四年六月。
玄徳はすでに、徐州に下着していた。
徐州の城には、さきに曹操が一時的にとどめておいた仮の太守
車冑は、出迎えて、
「見れば、相府直属の大軍をひきい給うて、何事のため、にわかなご下向でござるか」
と、いぶかりながらも、その夜は、城中に盛宴をひらき、軍旅のつかれを慰めたいといった。
宴へ臨む前に、玄徳は車冑と、べつの一閣に会って、
「丞相がそれがしに五万の兵を授けられたのは、かねて伝国の玉璽を私し、皇帝の位を
「承知致しました。――して丞相より軍勢に付けおかれた二人の大将とは、誰と誰とでござるか」
「
話しているところへ、
「ご健勝のていを拝し、こんな歓びはございません」
と、旧臣の
宴の終るのを待ちかねて、玄徳は、糜竺や孫乾などと共に、城を出た。そして妻子のいる旧宅へ久しぶりに帰った。
玄徳はまず、老母の室へ行って、老母の膝下にひざまずき、
「母上、あなたの息子は、今帰って来ました。
と、手をさしのべた。
「おお、……阿備か」
老母は、玄徳の手を撫で、肩を撫でまわし、やがてその顔を抱えこんだ。
「ようご無事で……」
老母はすぐ涙ぐむ。近頃は眼もかすみ、耳も遠く、歩行も独りではできなくなっていた。しかし何不自由なく、いつも柔かい絹や獣皮や羽毛に埋もって、ひたすら息子の無事ばかり祈っていた。
「よろこんで下さい母上。こんど都に上って、天子に
「……そうか。オオ――そうか――」
老母は、歓びの表情を、ただ涙でばかり示している。ほろほろとうなずいてばかりいる。
やがて一堂は春風のような
ここに、
当然――、
民心はそむく、内部はもめる。
そこで、袁術が、起死回生の一策として、思いついたのが、
袁紹には、もとより天下の望みがある。
それにまた先頃、

「淮南を捨て、河北へ来るならば、如何ようにも、後事を
そこで。
袁術は
皇帝の御物、宮門の調度ばかりでも、数百輛の車を要した。後宮の女人をのせた駕車や一族老幼をのせた驢の背だけでも、
徐州の近くである。
玄徳の軍は待ちうけていた。
総勢五万、朱霊、露昭を左右にそなえ、玄徳をまん中に、鶴翼を作って包囲した。
「小ざかしき蓆織りの匹夫めが」と、袁術の先鋒から大将の紀霊が討って出る。
張飛、それを見て、
「待つこと久し」
とばかり、馬を寄せ、白光閃々、十合ばかり喚き合ったが、たちまち、紀霊を一槍に刺しころし、
「かくの如くなりたい者は、張飛の前に名のって出よ」
と、死骸を敵へほうりつけた。
次々と、袁術の麾下は、討ち減らされていった。そのうえ、乱れ立ったうしろから、一彪の軍馬が、袁術の中軍を猛襲し、兵糧財宝、婦女子など、車ぐるみ奪掠していった。
白昼の公盗は、まだ戦っているうちに、行われたのである。しかもその盗賊軍は、さきに袁術を見限って嵩山へかくれた旧臣の陳闌、雷薄などの輩だった。
「おのれ、不忠不義の逆賊めら」
袁術は怒って、悲鳴をあげる婦女子を助けんものと、自ら槍をもって狂奔していたが、かえりみると、いつか味方の先鋒も潰滅し、二陣も蹴やぶられ、黄昏かけた夕月の下に、累々と数えきれない味方の死骸が見えるばかりだった。
「すわ。わが身も危うし」と、気がついて、昼夜もわかたず逃げだしたが、途中、強盗山賊の類にはおびやかされるし、強壮な兵は、勝手に散ってしまうしで、ようやく
しかも、その半分が、肥えふくれた一族の者とか、物の役に立たない老吏や女子供だった。
時は、大暑の六月なのでその困苦はひとかたでなかった。
炎天に
「もう一歩もあるけぬ」と訴える老人もある――。
「水がほしい。水をくれいッ」と、絶叫しながら息をひきとってしまう病人や
落人の人数は、十里行けば十人減り、五十里行けば五十人も減っていった。
「歩けぬ者はぜひもない。
袁術は一族の老幼や、日頃の部下も惜しげなく捨てて逃げた。
だが幾日か落ちて行くうち、
餓死するもの数知れぬ有様である。あげくの果て、着ている物まで野盗に襲われてはぎ取られてしまい、よろ
「あれに一軒の農家が見えます。あれまでご辛抱なさいまし」
もう
二人は餓鬼のごとく、そこの農家の
「農夫農夫、予に水を与えよ。……
すると、そこにいた一人の百姓男が
「なに。水をくれと。
その冷酷なことばを浴びると袁術は両手をあげてよろよろと立ち上がり、
「ああ! おれはもう一人の民も持たない国主だったか。一杯の水をめぐむ者もない身となったか」
大声で号泣したかと思うと、かっと口から血を吐くこと二斗、朽ち木の仆れるがように死んでしまった。
「あっ伯父上」
袁胤はすがりついて、声かぎり呼んだが、それきり答えなかった。
泣く泣く彼は袁術の屍を埋め、ひとり

伝国の
「どうして、こんな物を所持しているか」
と、拷問にかけて問いただすと、袁術の最期の模様をつまびらかに白状したので、徐

曹操は、功を賞して徐

また一方、玄徳は所期の目的を果たしたので、
「境を守るために」と称して、そのまま徐州にとどめおいた。
朱霊、露昭の二将は都へ帰って、その由を曹操に告げると、曹操は、烈火のごとく怒って、
「予が兵を、予のゆるしを待たず何故、徐州にのこして来たか」
と、即座にふたりの首を刎ねんとしたが、

「すでに丞相がさきに、玄徳が総大将とおゆるしになったため軍の指揮も当然玄徳に帰していたわけです。ふたりは玄徳の部下として行ったものゆえ彼の威令に従わないわけにゆかなかったでしょう。もうやむを得ません、この上は
「
「実は、曹丞相から密書をもって玄徳を殺すべしというご秘命だが、やり損じたら一大事である。なにか
陳登は、内心おどろいたが、さあらぬ顔して、
「いま、玄徳を殺すことは、
車冑はよろこんで、
「しからば、早速にも」と、兵の手配にかかり、一方城外の玄徳へ使いを派して涼秋八月、まさに観月の好季、清風に駕を乗せて一夜、城楼の
同日、陳登は家に帰ると、すぐ父の陳大夫に、そのことを打明けて、父の顔いろをうかがってみた。しかし陳大夫が玄徳に対する
「玄徳は仁者じゃ。わしたち父子は、曹操から恩禄はうけているが、さればといって、玄徳を殺すにはしのびぬ。そちはどう考えているか」
「元より私とて、車冑へ答えたことばが、本心ではありません」
「では、すぐさま、玄徳のほうへその由を、そっと報らせてやるがよい」
「使いでは不安ですから、夜に入るのを待って、自身で行って参ります」
やがて陳登は、宵闇の道を、
そう聞くや否、張飛は、
「さては先ほど、白々しい礼を執って、観月の宴に、お招きしたいとかいって帰った使者がそれだろう。
「あわてるな、敵にも備えのあることだ」
関羽は、彼の
「こんなことは、家兄の耳に入れるまでもない
関羽の思慮に張飛も服した。
そして共に、彼の立てた計略に従った。
さきに
そして、大音声をあげ、
「開門せよ、開門せよ」と、呼ばわった。
時ならぬ軍馬に、
「何者だ」と、門内の部将は、すくなからず緊張して、容易に開ける様子もない。
関羽は声を作って、
「これは、曹丞相のお使いとして、火急の事あって、許都より急ぎ下ってきた
と、暁の星影に、しきりと旗幟を打ち振らせた。
折も折、曹操からの急使と聞いて、車冑は、思い惑った。陳登はそれより前に、城内へ帰っていたので、彼が
「何をしているのです。早く城門をお開けなさい。あのとおり丞相の旗を打ち振っているではありませんか。もし使者の張遼の心証を害して、後難を受けられても、それがしは関知しませんぞ」
と、暗に
「いや、夜明けを待って開けても遅くはない。何分にも、まだ城門の外は暗いし、前触れもない不意の使者、めったに開けることはならん」と、云い張っていた。
夜が明けては万事休すである。関羽は気が気ではなく、
「開けないか! 火急、機密の大事あって、曹丞相からさし向けられたこの張遼を、何故、城門を閉じてこばむか。……ははあ、さては車冑には異心ありとおぼえたり。よろしい、立ち帰って、この趣をありのまま丞相におつたえ申すから後に悔ゆるな」
云い放って、後にしたがう隊伍の者へ、引っ返せとわざと大声で号令を発していた。
車冑は狼狽して、
「あいや待たれよ、東の空も白みかけて、実否のほども、
と直ちに、城門をさっと開かせた。
とたんに、濠の面にたちこめた白い朝霧が
「車冑とは君か」
関羽が近づいて行くと、変に思った車冑は、突然、
「――あッ、汝らは?」と絶叫をのこして、すばやく何処かへ逃げてしまった。
大半の城兵は、まだ眠っていたところである。そこへ関羽、張飛の手勢一千は、前夜から
陳登は、いちはやく、城楼に駈けのぼって、かねてそこに伏せておいた沢山な
「車冑の部下を射ろ」と、命じた。
弓をつらねていた兵は、味方を射ろという命令にまごついたが、陳登が剣を抜いてうしろに立っているので、一斉に、逃げまどう味方の上に矢を注ぎかけた。
「この
追いしたってきた関羽の一閃刀に、その首を大地へ委してしまった。
夜が明けた。
玄徳は、変を聞いて、
「大変なことをしてくれた」
と、俄に家を出て、徐州城へ馳せつけようとすると、すでに関羽は
ひとり浮かぬ顔は、それを迎えた玄徳で、
「車冑は、曹操の信臣、また徐州の城代である。これを殺せば、曹操の憤怒は、百倍するにちがいない。自分が知っていたら、殺すのではなかったのに」と、悔やんだ。
そして、この中にまだ張飛の姿が見えないがと、案じていると、その張飛もまた、ひと足あとから、これへ駈けもどってきて、
「ああ、さっぱりした。朝酒でもぐっと飲みほしたような朝だ」と、血ぶるいしていた。
玄徳が、眉をひそめて、
「車冑の妻子
と訊ねると、張飛は、いと無造作に、
「それがしがあとに残って、ことごとく斬りころして来ましたから、ご安心あって然るべしです」
と昂然、答えた。
「なぜ、そんな無慈悲なことをしたか」
玄徳は、張飛の狂躁をふかく
その後、玄徳は徐州の城へはいったが、彼の志とは異っていた。しかし事の成行き上、また四囲の情勢も、彼に従来のようなあいまいな態度や卑屈はもうゆるさなくなってきたのである。
玄徳の性格は、無理がきらいであった。何事にも無理な急ぎ方は望まない。――今、曹操とは正しく
「曹操の気性として、かならず自身大軍をひきいて攻めてくるであろう。何をもって、自分は彼に抗し得ようか」
彼は、正直に憂えた。
「ご心配は無用です」
玄徳はあやしんで、その理由を反問した。すると陳登は、
「この徐州の郊外に、ひとり
「陳登、
「さればです。もしあなたが、今の憂いを払わんと思し召すなら、いちどその
「書画琴棋の慰みなどは、玄徳の心に何のひびきもない」
「彼は
「……?」
玄徳は、深い眼をすました。
「――いま曹操の威と力とを以てしても、なお彼が常に恐れはばかっている者は、河北の袁紹しかありません。河北四州の精兵百余万と、それを
「……うム」
玄徳は苦笑した。――そうだ曹操の眼にはまだ自分などは――と、みずからほくそ笑まれたのである。
「親しく
「なるほど。……御身の深謀は珍重にあたいするが、成功はしまい」
「なぜですか」
「思うてもみよ。わしはすでに袁紹の弟、袁術をこの地に滅ぼしているではないか」
「ですから、そこを
遂に彼を案内として、玄徳は、高士鄭玄の門をたたいた。鄭玄は快く会ってくれたのみならず、
「君のような仁者のために、計らずも世俗の用を久しぶりに論じるのは、老後の閑人にとって、むしろ時ならぬ快事じゃよ」と、さっそく筆をとって、細々と自分の意見をも加え、河北の袁紹へ宛て、一書をかいてくれた。
どうか小さな私怨などわすれて、劉玄徳に協力を与えて欲しい。青史は昭々、万代滅せず、今日の時運は歴々、大義大道の人に向いている。この際、劉玄徳を得るは、いよいよ袁家 の大慶でもあることと信じ、自分も欣然この労をとった。
「これでよいかの」鄭玄は自分の文を詩のように
はるばる徐州の使い孫乾が、書簡をたずさえて、河北の府に来れりというので、
孫乾は、まず玄徳の親書を捧呈してから、
「願わくは、閣下の精練の兵武をもって、許都の
と、再拝低頭、
袁紹は一笑した。
「何かと思えば、虫のよい玄徳の頼み。彼は先頃、わが弟の袁術を殺したではないか。いずれ弟の仇を思い知らしてやろうとは考えていたが、彼に助力を与えんなどとは、思ってみたこともない。何を戸惑うてこの袁紹に……。あははは、使者にくる者もくる者。
「閣下。そのお恨みは、曹操にこそ向けられるべきです。何事につけ
「おそらくそれは真実の言だろう。曹操なる者は、元来がそうした奸才に
「何分のおはからいを待ちおりまする。――ついては、べつにこの一通は、日ごろ主人玄徳を、子のごとく愛され、また、無二の信頼をおかけ下されている
後で、鄭玄の手紙を見てから、袁紹のこころは大いにうごいた。元々、彼としては、北支四州に満足はしていない。進んで中原に出で、曹操の勢力を一掃するの機会を常にうかがっているのである。弟の恨みよりも、玄徳を
つぎの日。
台閣の講堂に諸大将は参集していた。
「曹操征伐の出軍、今を可とするか、今は非とするか」
について、議論は白熱し、謀士、軍師、諸大将、或いは一族、側近の者など、是非二派にわかれて、舌戦果てしもなかった。
河北随一の英傑といわれ、見識高明のきこえある
「ここ年々の合戦つづきに、
すると一名、すぐ起って、
「今のお説は、甚だしくわが意にかなわん。河北四州の精猛に、主公のご威武をいただき、何すれば、曹操ごときを、さまで怖れたもうか。兵法にいう、十囲五攻、すべて一歩の機と。今日のような変動の激しい時勢に、三年もじっと受身でいたらひとりでに国が富み栄えるなどとは、痴者の夢よりもまだ愚かしい。機なしとせば十年も機なし。活眼電瞬、今こそ、中原に出る絶好の
と、大声で
すると、また一名、
「いやいや、そのお説は、耳には勇ましく聞えるが、一国の浮沈を賭けて、自己の
と起ち上がって、審配の言に、反対した大将がある。
諸人、これを見れば、広平の人、
沮授はいう。
「義兵は勝ち、驕兵はかならず
「待たれい」
審配は、奮然とまた起って、
「
「そうである!」
「何っ」
「敵を知らずして、敵に勝つことはできませんぞ」
「知るにあらず、尊公のはただ怖れるのだ」
「然り、自分は、曹操を怖れます。彼を、先に滅んだ

「あははは」
審配は、満座へ向って、哄笑を発しながら、
「えらい恐曹病者もいるものだ。恐曹患者と議論は無益だ」
と、云いながら、側にいる
大将郭図は、日ごろから
案の定、郭図は次に起立して、
「いま曹操を討つのを、誰が無名のいくさと
「そうだ。鄭玄は一世の賢士である。彼が、この袁紹のために、わざわざ悪いことをすすめてくるはずはない」
遂に、袁紹も意をきめて、一方の出軍説を採ることになった。
「このうえは是非もない」と、黙々、議堂から溢れて、やがて出征の命を待った。
許都へ! 中原へ!
十万の大軍は編制された。
審配、

騎馬兵二万、歩兵八万、そのほかおびただしい
河北の地に、空もおおうばかりな兵塵のあがり出した頃、玄徳の使い
「得たり! わが君のご武運はまだつきない」
と、鞭を高く、徐州へさして、急ぎ帰っていた。
ふところには「援助の儀承諾」の旨を直書した袁紹の返簡を持っている。
時に、用いかた如何に依っては、閑人の一書といえども、馬鹿にできない働きをする。高士鄭玄の一便は、かくて、河北の兵十万を、曹操へ向わしめたのであった。
その頃、北海(山東省・寿光県)の太守
「
「貴公もそう思うか」
「勢いの旺なるものへ、あえて当って砕けるのは愚の骨頂です」
「旺勢は避けて、弱体を衝く。――当然な兵法だな。――だがまた、装備を誇る驕慢な大軍は、
曹操はそうつぶやいて、是とも非とも答えずにいたが、再び口を開いて、
「ともあれ、諸人の意見に問おう。きょうの軍議には、御身もぜひ列席してくれい」と、いった。
その日の評議にのぞんで、曹操は満堂の諸将にむかい、
「和睦か、
の

「
「否!」と、起ち上がった。
「河北は、沃土ひろく、民性は勤勉です。見かけ以上、国の内容は強力と思わねばなりますまい。のみならず、袁紹一族には、


「足下は、一を知って二を知りたまわず、敵を軽んずるのと、敵の虚を知るのとは、わけがちがう。そもそも袁紹は国土にめぐまれて富強第一といわれているが、国主たる彼自身は、旧弊型の人物で、事大主義で、新人や新思想を容れる雅量はなく、ゆえに、国内の法は決して統治されていない。その臣下にしても、田豊は剛毅ではあるが、上を犯す癖あり、審配はいたずらに強がるのみで遠計なく、逢紀は、人を知って機を逸す類の人物だし、そのほか顔良、文醜などに至っては、匹夫の勇にすぎず、ただ一戦にして生捕ることも易かろう。――なお、見のがし難いことは、それらの
両者の説を黙然と聞いていた曹操は、しずかに口を開いて、断を下した。
「予は戦うであろう! 議事は終りとする。はや出陣の準備につけ!」
その夜の許都は、真赤だった。
前後両営の官軍二十万、馬はいななき、鉄甲は
曹操はもちろんその大軍を自身統率して、黎陽へ出陣すべく、早朝に武装のまま参内して、宮門からすぐ馬に乗ったが、その際、部下の
「
そして自分のうしろに捧げている旗手の手から、丞相旗を取って、
「これを中軍に捧げ、徐州へはこの曹操が向っておるように敵へ見せかけて戦うがよい」
と策を授け、またその旗をもふたりへ預けた。
勇躍して、ふたりの将は、徐州へ向ったが、後で、

「玄徳の相手として、
すると曹操は、聞くまでもないこととうなずいて、
「その不足はよく分っておる。だからわが丞相旗を与えて、予自身が打ち向ったように見せかけて戦えと教えたのだ。玄徳は、予の実力をよくわきまえておる。曹操自身が来たと思えば、決して、陣を按じて進んで来まい。そのあいだに、予は袁紹の兵をやぶり、
「なるほど、それも……」と、程

こんどの決戦は、黎陽のほうこそ重点である。黎陽さえ潰滅すれば、徐州は従って掌のうちにある。
それを、徐州へ重点をおいて、良い大将や兵力を向ければ、敵は、徐州へ多くの援護を送るにちがいない。
そうなると、徐州も落ちず、黎陽もやぶれずという二
「丞相に対しては、めったに献言はできない。自分の浅慮を語るようなものだ」
程

敵の
「はて、なぜだろう?」
万一、彼に大規模な計略でもあるのではないかと、曹操もうごかず、ひそかに
敵の一大将、
「ははあ、それで袁紹も、持ちまえの優柔不断を発揮して、ここまで出てきながら戦いを挑まないのであったか。この分ではいずれ内変が起るやも知れん」
彼は、そう見通しをつけたので、一軍をひいて、許都へ帰ってしまった。
――といっても、もちろん後には、
「予自身、ここにいても、大した益はない」
と戦の見こしをつけた結果である。それと、徐州のほうの戦況も気にかかっていたにはちがいない。
許都に帰ると、曹操はさっそく府にあらわれて、諸官の部員から徐州の戦況を聞きとった。
一名の部員はいう。
「戦況は八月以来、なんの変化もないようであります。すなわち
曹操はそう聞くと、いかにも呆れ返ったように、
「さてさて鈍物という者は仕方がないものだ。機に応じ変に臨んで処することを知らん。下手に戦うなといえば、十年でも動かずにいる気であろうか。曹操自身、軍にあるものなら、百里も敵と隔てたまま、八月以来の長日月を、無為にすごしているわけはないと、かえって敵が怪しむであろう」
彼は、歯がゆく思ったか、急に軍使を派して、
「すみやかに徐州へ攻めかかって、敵の
日ならずして曹操の軍使は、徐州攻略軍の陣中に着いた。寄手の二大将、
「何事のお使いにや?」と、
軍使は、曹操の指令をつたえ、
「丞相のおことばには、
「いかさま、長い月日、ただ丞相の大旗をたてて、こうしているのもあまり無策と思おう。王忠殿、足下まず一押しして、敵がどう変じてくるか、一戦試みられい」と、いった。
王忠は、首を横に振って、
「こは意外な仰せではある。都を出る時、曹丞相には、親しく貴公へ向って、策をさずけ賜うたのではないか。貴公こそ先に戦って、敵の実力を計るべきだのに」
「いやいや、自分は寄手の総大将という重任をうけたまわっておる者、
「異なおことば
「いや、何も、下風に見くだすわけではないが」
「今の口ぶりはこの王忠を、部下といわないばかりではないか」
ふたりが争いだしたので軍使は眉をひそめながら、
「まあ待ちたまえ。まだ一戦もせぬうちに、味方のなかで確執を起すなど是非によらず、どちらも
「なるほど、それも一案」と、王忠も劉岱と同意したので、異存なくばと、念を押したうえ、軍使は二本の鬮をこしらえて二人に引かせた。
後
と、書いてあった。
王忠が「先」を引いたのである。そこで
玄徳は徐州城の内にあって、かくと知ると、すぐ防禦を見まわった上、陳登に対策をたずねた。
陳登はその前から、寄手の丞相旗には不審を抱いていた。必定、これは曹操の
「まずひと当り当ってみれば、敵の実力がわかります。策はその上でいいでしょう」と、答えた。
「然り、それがしが参って、彼の虚勢か実体かを試み申さん」
と、列座の中から進み出た者がある。その大声だけでもすぐそれとわかる張飛であった。
張飛が進んで、城外の敵に当らんと望んで出ると、玄徳は、むしろ歓ばない色を顔に示して、
「いつもながらさわがしき男ではある。待て、待て」
と押し止め、行けとも、行ってはならんともいわなかった。
「それがしの武勇では、危ないと仰せられるのでござるか」
張飛が不平を洩らすと、
「いや、汝の性質は、至って軽忽で、さわがしいばかりであって、そのため事を仕損じ易いから、わしはその点を
張飛は、なお面ふくらませて、
「もし、曹操に出会ったら、
「だまれ、それだからそちはさわがしい男というのだ。曹操は、その心底には、漢室にとって、怖るべき逆意を抱いているが、名分の上では、常に勅令を号することを忘れておらぬ。――故に、今われ彼に敵対すれば、曹操は得たりとして、われを朝敵と呼ぶであろう」
「この期になっても、まだそんな名分にくよくよしておられるのですか。では、彼が攻め
「
「はてさて、弱気なおことば、将たる者がご自身味方の気を減らしたもうことやある」
「彼を知り、己を知るは、将たる者の備え、決して、いたずらに憂いているのではない。いま城中にある兵糧は、よく幾月を支え得ようか。またその兵糧を喰う大部分の軍兵は、元来、曹操から預ってきた者どもで、みな許都へ帰りたがっておるであろう。かかる弱体をもって、曹操に当らんなど、思いもよらぬことである。ただ千に一つのたのみは、袁紹の来援であるが、これとても……」
彼の正直な嘆息に、
――と。次に、関羽が前へ出ていった。
「ご深慮はもっともです。けれど、坐して滅亡を待つべきでもありますまい。それがし城外へまかり向って、およそ寄手の兵気虚実をさぐる程度に、小当りに当ってみましょう。策は、その上で」
と、陳登と同意見をのべた。穏当なりと認めたか、玄徳は、
「行け」
と、関羽にゆるした。
関羽は、手勢三千を率して城外へ打って出た。折ふし、十月の空は灰いろに閉じて、
城を離れた三千騎の兵馬は、雪を捲いて寄手王忠軍へ
雪と馬、雪と戟、雪と兵、雪と旗、
「そこにあるは、王忠ではないか。なんで
大青龍刀をひっさげながら、関羽は馬を乗りつけて、敵の中軍へ呼びかけた。
王忠も躍りあわせて、
「匹夫っ、
といった。
ふる雪に、
「曹操がおるなれば、なによりも望む対手。これへ出せ」
王忠は、
「かりにも、曹丞相ほどなお方が、汝ごとき
「ほざいたな。王忠」
関羽が馬を駆け寄せると、王忠も槍をひねって、突っかけてくる。関羽はよいほどにあしらって、わざと逃げだした。
「口ほどにもない奴」と、浅慮にも、王忠は図にのって関羽を追っかけた。
「口ほどもないか、あるか、鞍の半座を分けてつかわす。さあ、王忠、こっちへ来い」
関羽は、青龍刀を左の手に持ち変えた。王忠は、あわてて馬の首をうしろへ向けた。が、早くも関羽の
「じたばたするな」
と、ばかり
帰城すると、早速、関羽は王忠をしばりあげて、玄徳の前に献じた。
玄徳は王忠に向って、
「汝、何者なれば、
王忠は答えて、
「詐りは、われらの私心ではない。丞相がわれらに命じて、御旗をさずけ、擬兵の
そして、なお、
「不日、袁紹を破って、丞相がこれに来給えば、徐州ごときは、一日に踏みつぶしてしまわれるであろう」と豪語を放った。
玄徳はどう考えたか、王忠の縄を解いて、
「君の言は、まことに、神妙である。事の成行きから、丞相のお怒りをうけ、征を受けて、やむなくこの徐州を守るものの、玄徳には曹操に敵対する意志はない。君もしばらく、当城にあって、四囲の変化を待ち給え」と、彼を美室に入れて、衣服や酒を与えた。
王忠を奥に軟禁してしまうと、玄徳はまた近臣を一閣に集めて、
「誰ぞ、この次に、もうひとりの
関羽は、雑談的に、
「やはり家兄のお心はそこにありましたか。実は、王忠と出会った時、よほど一
すると、玄徳は、会心の笑みをもらして、
「さなり、さなり! 不戦不和とは、よくわが意中の計を観た。さきに張飛がすすんで行こうといったのを止めたのも、張飛のさわがしい性質では、必ず王忠を殺してくるにちがいないとおそれたからである。王忠、劉岱のごとき輩を殺したところで、われには何の益もなく、かえって曹操の怒りを
そう聞くと、張飛はまた、前へ進み出て、玄徳にいった。
「わかりました。そうご意中を承れば、こんどは、
「参るもよいが、王忠と劉岱とは、
「どう違いますか」
「劉岱は、むかし

どうも煮えきらない玄徳の命令である。争気満々たる張飛には、それがもの足らなかった。
「
「そちの勇は疑わぬが、そちのさわがしい性情をわしは危ぶむのだ。必ず心して参れよ」
玄徳の訓戒に、張飛は、むっと腹をたてて、
「さわがしさわがしと、まるで耳の中の
そして、三千の兵を
「これから劉岱を生捕りに行くんだ。おれは関羽とちがって軍律は厳しいぞ」
と、兵卒にまで当りちらした。
張飛に引率されて行く兵は、敵よりも自分たちの大将に恐れをなした。――一方、寄手の劉岱も、張飛が攻めてきたと知って、ちぢみ上がったが、
「柵、
短兵急に押しよせた張飛も、
「
張飛は、持ち前の短気から、
「もうよそよそ。このうえは夜討ちだ。こよい二更の頃に、夜討ちをかけて、蛆虫どもを踏みつぶしてくれる。用意用意」と、声あららかに命じ、準備がととのうと、
「元気をつけておけ」と、昼のうちから士卒に酒を振舞い、彼自身も、したたか呑んだ。
「景気のいい大将」と、兵隊たちも、酒を呑んでいるうちは、張飛を
「晩の門出に、軍旗の血祭りにそなえてくれる。あれに見える大木の上にくくり上げておけ」
と、云いつけた。
士卒は、泣き叫んで、
夕方になると、たくさんな鴉がその木に群れてきた。張飛に打ちたたかれて、肉もやぶれ皮も紫いろになっている士卒は、もう死骸に見えるのか、鴉はその顔にとまって、羽ばたきしたり、
「ひィっ……畜生っ」
悲鳴をあげると、鴉はぱっと逃げた。ぐったり、首を垂れていると、また集まってくる。
「――助けてくれっ」
士卒はさけび続けていた。
すると、夕闇を這って、仲間のひとりが、木に登ってきた。何か、彼の耳もとにささやいてから、縄目を切ってくれた。
「畜生、この恨みをはらさずにおくものか」
半死半生の目に会った士卒も、その友を助けた士卒も、抱き合って、恨めしげに張飛の陣地を振向き、闇にまぎれて何処ともなく脱走してしまった。
陣営のうちで、張飛はまだ酒をのみつづけていた。
そこへ士卒の一伍長が、あわただしく馳けこんできて、
「見張りの者の怠りから大失態を演じました。申しわけもございません」
と、
「知っとる知っとる。将として、それくらいなこと、知らんでどうする。……あはははは、それでいいのだ」
彼は、大杯をあげて、自ら祝すように飲み干し、幕営を出て、星を仰いだ。
「そろそろ二更の頃だな。――わが三千の兵は三分して各自の行動に移れ。――その一は、間道をしのび、その一は、山を越え、その一は、止まって敵の前面へ向う」
張飛の命令が伝わると、やがて
それは、敵の
「まだちと早い。もう一杯飲んでからでいい」
張飛は、残る三分の一の兵をそこに止めて、なお一刻ほど、
その宵。
劉岱の防寨のほうでは、早くも、今夜敵の張飛が夜討ちをかけてくるということを知って、ひどく緊張していた。
「あわてるな。敵の脱走兵の訴えとて、めったに信じるとは危険だ。おれ自身、その兵を取調べてみよう。ここへ
劉岱は、部下の動揺を戒めて、その夕方、密告に馳けこんできたという二人の敵の脱走兵を、自分の前に呼びだした。
見ると、ひとりはただの士卒だが、もう一名のほうは、手足も傷だらけで、顔は甕のごとくはれあがっている。
「こら、敵の脱走兵。貴様たちは、張飛から策をうけて、今夜、夜討ちをしかけるなどとあらぬことを密告に来、わが陣地を
「めっそうもないことを。……手前どもは鬼となっても、張飛のやつを、全滅の憂き目に会わせてくれねばと……死を賭して、ご陣地へ逃げこんで来た者でございます」
「いったい、なんで張飛に対し、そのように根ぶかい恨みを抱くのか」
「くわしいことは、先にご家来方まで、申しあげた通りで、そのほかに、仔細はございません」
「なんの咎もないのに打擲されたあげく、大樹の梢にしばりあげられたというが」
「へい。あまりといえば、むごい仕方ですから、その返報にと思いまして」
「……これ。誰かあの脱走兵の訴人を
劉岱は傍らの者に命じた。
言下に、訴人の兵は、真っ裸にされた。――見れば、顔や手足ばかりでなく、背にも
「……なるほど、
すると、果たして。
二更もすこし過ぎた頃、防寨の
「夜襲らしいぞ」と、警板をたたいた。
夜霜のうちから潮のような
「しまった! ……敵兵の密訴は嘘でもなかったのだ。それっ、一致して防戦にあたれ」
あわてふためいた劉岱は、自分も得物を取って、直ちに防ぎに走りだした。
諸所へ火を放ち、矢束を射込み、鼓を鳴らし、
「彼奴、勇なりといえども、もとより智謀はない男、何ほどのことやあらん」
とひと跳びの意気で、防戦にあたった。
劉岱の指揮の下に、全塁の将卒がこぞって駈け向ったので、たちまち、夜襲の敵は撃退され、いかに張飛が、
「退くなっ」と、声をからしても、総くずれのやむなきに立到り、張飛も
「こよいこそ、張飛の首はわが手のもの。寄手の奴ばらは一人も生かして返すな」
劉岱は、最後の号令を発し、ついに、防寨の
張飛はそれと見て、
「しめた。思うつぼに来たぞ」
にわかに、馬を向け直し、まず劉岱を手捕りにせんと喚きかかった。
それまで、逃げ足立っていた敵が、案に相違して、張飛と共に、俄然攻勢に転じてきたので、要心深い劉岱は、
「これは
とあわてて、味方の陣門へ引っ返そうとしたところ、時すでに遅かった。
その夜、正面に来た寄手は、張飛の兵の三分の一にすぎず、三分の二の主隊は、防寨のうしろや側面の山にまわっていたものなので、それが機をみるや一斉になだれこんで来たため、すでに彼の防塁は、彼のものでなくなっていた。
「計られたか」
と、うろたえている劉岱を見つけて、張飛は馬を駈け寄せてゆくなり引っ掴んで大地へほうりだし、
「さあ、持って帰れ」と、士卒にいいつけた。
すると、防寨の中から、
「その縄尻は、私たちに持たせて下さい」
と走り出てきた二名の兵卒がある。それは張飛の命に依ってわざと張飛の陣を脱走し、劉岱へこよいの夜襲を密告して、彼らの善処をいとまなくさせた殊勲の二人だった。
「ゆるす。引っ立てろ」
張飛は、その二人に縄尻を持たせて、意気揚々ひきあげた。
残余の敵兵も、あらかた降参したので、防寨は焼き払い、劉岱以下、多くの捕虜を徐州へ引きつれて帰った。
この戦況を聞いて、玄徳のよろこびかたは限りもない程だった。わが事のように、彼の巧者な
「張飛という男は、生来、ものさわがしいばかりであったが、こんどは智謀を用いて、戦の功果をあげた。これでこそ、彼も一方の将たる器量をそなえてきたものといえよう」
そういって彼自身、城外に出迎えた。張飛は大音をあげて、
「
と、得意満面でいう。
玄徳が打ち笑って、
「きょうの御身は、まことに稀代の大将に見える」というと、そばから関羽が、
「しかしそれも先に、家兄がふかく貴様をたしなめなかったら、こんなきれいな勝ちぶりはしまい。この劉岱の首などは、とうに引きちぎッてたずさえて来たであろう」と、まぜかえした。
「いや、そうかも知れんて」
張飛が、爆笑すると、玄徳も笑った。関羽も
三人三笑のもとに、縄目のまま、引きすえられていた劉岱は、ひとりおかしくもない顔をしていた。
その
「さあ、こちらへ」と、一閣の内へ、自身で案内して行った。
そこには、さきに捕虜とされた王忠が贅沢な衣服や酒食を与えられて、軟禁されていた。
玄徳は、敵の虜将たる二人を、美酒
「敵の玄徳に、酒食を饗せられるは心外なりと思し召すやも知れませんが、どうかそんなご隔意はすてて充分おすごし下されたい」
杯をすすめ、礼言を重んじ、すこしも
「――まことに、この度のまちがいは、不肖玄徳にとっても、あなた方にとっても、不幸なる戦いでした。もともと、自分は丞相から大恩をうけていますし、まして丞相の命は、朝廷の御命です。何でそれに叛きましょうか。常に、折あらば報ぜんと思い、事ありては、かく誤解されている身の不徳を嘆いているのです。どうか、都へお立帰りの上は、この玄徳の
劉岱と王忠は、彼の
で、二人も、誠意をもって答えずにいられなかった。
「いや、劉予州。御身の真実はよく分った。けれど、われわれは足下の
「一時たりとも、縄目の恥をお与えして、申しわけないが、元より玄徳には、ご両所の生命を断たんなどという不逞な考えはありません。いつでも城外へお立ち出で下さい。それも玄徳が丞相の軍に対して、恭順を示し奉る実証のひとつとお分り下されば、有難いしあわせです」
果たして、翌日になると、玄徳はふたりを城外へ送りだしたのみか、捕虜の部下もすべて劉岱、王忠の手に返した。
「まったく、玄徳に敵意はない。しかも彼は、兵家の中にはめずらしい温情な人だ」
ふたりは感激して、
張飛は二将の前に立ちふさがって、眼をいからしながら、
「せっかく生捕りにした汝らふたりを、むざむざ帰してたまるものか。兄貴の玄徳が放してもおれは放さん。通れるものなら通ってみろ」と、例の丈八の
劉岱と王忠も今は戦う気力もなく、ただ馬上で震えあがっていた。すると、後からただ一騎、かかることもあろうかと玄徳のさしずで追いかけてきた関羽が、
「やあ張飛! 張飛! またいらざる無法をするか。
と、大声で叱りつけた。
「やあ兄貴か、何で止める。今こやつらを放せば、ふたたび襲ってくる日があるぞ」
「重ねて参らば、重ねて手捕りにするまでのことだ」
「七面倒な! それよりは」
「ならんと申すに」
「だめか」
「強いて両将を討つなら、関羽から先に
「ば、ばかをいえ」
張飛は横を向いて、舌打ちを鳴らした。
劉岱、王忠のふたりは、重ね重ねの恩を謝し、頭を抱えんばかりの態で許都へ逃げ帰った。
その後。
徐州は守備に不利なので、玄徳は

「玄徳にはなんの野心もありません。ひたすら朝廷をうやまい、丞相にも服しております。のみならず土地の民望は篤く、よく将士を用い、敵のわれわれに対してすら徳を垂れることを忘れません。まことに人傑というべきで、ああいう
皆まで聞かないうちに、曹操の
「だまれ、汝らは曹操の臣か玄徳の臣か。予の丞相旗をかかげ、わが将士を率い、何のために徐州へ赴いたか」
彼はまた左右の武将をかえりみて云った。かくの如く、他国に征して、他国にわが名を
すると、かたわらに在った
「もともと劉岱、王忠の輩は、玄徳の相手ではありません。それは、丞相もあらかじめお感じになっていたことかと拝察いたします。しかるを今、その結果を両名の罪にばかり帰して、これを死罪になし給えば、かえって諸人の胸に丞相のご不明を呼び起し、同じ主君に仕える者どもは、ひそかに安き思いを抱かないでしょう。これは、人心を得る道ではありません」
その後、日をあらためて、曹操は自身大軍をひきいて、徐州へ攻め下らんと議したが、孔融はまた、彼に自重をすすめた。
「今、極寒の冬の末に向って、みだりに兵を動かすのも如何なものでしょうか。来春を待ってご発向あるも遅くはありますまい。その間になすべきことがないではありません。まず外交内結、国内を固めておくべきでしょう。愚臣の観るところでは、

「その経策は、予の意志とよく合致する。さっそく、人をやろう」
そこで、襄城の張繍へは、曹操の代理として、
襄城第一の謀士

「当今、
「然り。わたくしの考えも同じである」
賈

「この際、おすすめに任せて、曹丞相に服し給うこそ、ご当家にとっても、最善な方策でありましょう」と、転向をうながした。
ところへまた、折も折、河北の
同じ密命をもった一国の使臣と使臣が、その目標国の城内で、しかも同じ時にぶっつかったのである。
曹操の使臣たる劉曄は、すくなからず心をいためた。――河北の袁紹からきた特使とあっては、いかに自国を
「ご心配には及ばん。あなたは、拙者の私邸に移って、成行きを見ておられるがいい」
彼が唯一の力とたのむ賈


賈

「さきごろ、貴国では、兵を
特使は、答えていう。
「なにぶん冬期にかかりましたので、しばらく戦を休め、決戦は来春のこととして、待機しておるわけであります。――折からわが大君袁紹におかれては、常に
再拝して、切口上を述べたてるのを、賈

「なにかと思えば、そんなことであったか。特使にはご苦労だったが、はやはや国へ立ち帰って、袁紹にしかと告げよ。――自分の骨肉たる
書簡を破りすてて、追い返してしまったので、それを後で聞いた彼の主人張繍は色を失って、
「なんで、

賈

「同じ下風につくなら、曹操に降ったほうがましだからです」と、いった。
張繍は、顔を横に振って、
「否とよ。其方はもう往年の戦を忘れたのか。
「いやいや、それは余りにも、英傑の心事を知らないものです。曹操の大志、なんで過去の敗戦などを、いつまで怨みとしていましょう。――また、袁紹と比較してみると、曹操には、三つの将来が約されています。一は、天子を擁し、二は時代の気運にそい、三は、大志あってよく治策を知ることです」
「しかし、袁紹は富強だが、曹操は、それに較べると、まだ甚だ弱小だが」
「わたくしは、現世を問うのではありません。将来を云っているのであります。まず一、二年ぐらいな安泰をお望みなら、袁紹のほうへおつきなさい」
賈


「曹操は、決して、過去の
と、説いた。
遂に、張繍の心もうごいて、曹操の誘いにまかせ、襄城を発して、降をその門に誓った。
曹操は、自身出迎えて、張繍の手を取らんばかり、堂に迎えた。そして、彼を

襄城の誘降は、外交だけで、かくの如き大成功を見たが、一方、荊州のほうは、完全に失敗していた。
荊州の劉表(湖北・湖南を領す。州治は襄陽)は、諸国に割拠する群雄のうちでも、たしかに群を抜いた一方の雄藩であった。
第一には、江岸の肥沃な地にめぐまれていたし、兵馬は強大だし、かつては江東の
――で、当然のように。
曹操から派遣された誘降の使者は、劉表の一笑に会って、まるで対手にもされず追い返されてしまったのである。
その経過を聞いて、張繍は、曹操に随身した手初めの働きにと、
「自分から劉表へ書簡をしたためましょう。わたくしと彼とは、多年の交わりですから」
と、申し出た。
彼は、書簡のうちに、天下の
「たれか、弁舌の士が、これをたずさえて行けば、かならず功を奏すかと思いますが」
と、云い添えて、曹操の手もとへさし出した。
「誰か、しかるべき説客はないだろうか」
曹操がたずねると、侍臣のうちから孔融が答えた。
「わたくしの知る範囲では、
「禰衡とは、いかなる人物か」
「わたくしの邸の近所に住んでいるものであります。才学たかく、奇舌縦横ですが、生れつき
「それは適任だ」
すぐ召し呼べとあって、相府から使いが走った。
平原の禰衡、
「ああ、人間がいない、人間がいない。天地の間は、こんなに
曹操は聞きとがめて、
「禰衡とやら、なんで人間がいないというか、天地間はおろか、この閣中に於てすら、多士
禰衡は、かさかさと、枯葉のように笑って、
「ははあ、そんなにおりましたかな。願わくば、どう多士済々か、どう人間らしいのがいるか、つまびらかに、その才能をうかがいたいものだが」と、何のおそれ気もなく云い放った。
かねて、奇弁
「おもしろい奴、しからば右列の者から順に教えてやるから、よく眼に観、耳に聞いておぼえておくがよい――まずそれにおる


「さてさて、丞相もよい気なもの哉。――わが観る眼とは、大きに違う」
「臣を観ること君に
「では、わしが遠慮なく、列座の面々を



ひとり手を打って笑う者は禰衡だけで、あまりな豪語と悪たいに、満堂激色をしずめて寂としてしまった。
さすがの曹操も、心中ひどく怒りを燃やしていた。あらかじめ、奇舌縦横の野人と、断りつきを承知で招いたので、どうしようもなかったが、にが虫を噛みつぶしたような面持で、
「学人。さらばそちに問うが、そち自身は、そもそも、なんの能があるかっ」
と、憤然、高いところから声をあらげて質問した。
「――天文地理の書、一として通ぜずということなく、九流三教の事、
すると、突然、列座のなかほどで、
「いわしておけば、いいたい放題な悪口を。――うぬっ、舌長な腐れ学者め! うごくなっ」と、どなりながら、起ちあがった者がある。
見れば、さきほどから穏やかでない眉をして、じっと
「待てっ」
曹操は、鋭く押しとどめて、かつ、語をあらためて、列臣へ告げわたした。
「いま、
彼を困らしてやろうという曹操の考えであることは分りきっている。だが、禰衡はあえて辞さなかった。むしろ得意げに、
「なに、鼓か。よろしい」と、ひきうけて、その日は、悠々と退いた。
実に、とんでもない
その日、そのせいか、孔融はいつ退出したか、誰も知らなかった。
あとに残った人々の憤々たる声や怒るつぶやきはやかましいほどだった。
「なぜあんな乞食儒者に、勝手な熱をふかせて、丞相たるあなたが斬捨てておしまいにならなかったのですか」と、烈しく
曹操は、それに答えて、
「いや、予も腹にすえかねて、身が震えるほどだったから、よほど斬捨ててくれようかと思ったが、彼の
時に、建安の四年八月朔日、朝賀の酒宴は、
拝賀、
かねて、約束のあった禰衡も、その中にまじっていた。彼は、鼓を打つ役にあたって、「

――が、舞曲の終りとともに、われに返った諸大将は、とたんに声をそろえて、禰衡の無礼を叱った。
「やあ、それにおる
さだめし顔をあからめて恥じるかと思いのほか、禰衡はしずかに帯を解きはじめて、
「そんなに見ぐるしいか」
と、ぶつぶつ云いながら、一枚脱ぎ、二枚脱ぎ、ついに、真ッ裸になって赤い
場所が場所なので、満堂の人は
「畏れ多くも、朝賀の殿上において赤裸をあらわすは何者だっ! 無礼ものめッ!」
禰衡は、鼓を下においてぬっくと立ち、正しく曹操の席のほうへ臍を向けて、彼にも負けない声でいった。
「天をあざむき、上をいつわる無礼と、父母からうけたこのからだを、ありのまま露呈してご覧に入れる無礼と、どっちが無礼か、思いくらべてみよ。――わしは、この通り正しく裏も表もない人間であることを見せてはばからん。丞相、口惜しければ、閣下も、
「だっ、だまれ」
曹操も、遂に怒ってしまったか。――
曹操は遂に、激して云った。
「これ、腐れ学者。――汝は口をあけば常に自分のみを清白のようにいい、人を見ればかならず、
「臭いもの身知らずである。――丞相には、自分の汚濁がお分りにならないとみえる」
「なに。予を
「然り。――あなたは賢そうに構えているが、その眼はひとの賢愚をすら
「……申したな。おのれ」
「また、詩書を読んで心を浄化することも知らない。語は心を吐くという。あなたの口の濁っているのは、高潔な修養をしていない証拠だ」
「……うウむ」
「ひとの忠言を聞かない、これを耳の濁りという。古今に通ぜぬくせに、我意ばかり
「…………」
「さらに、その諸濁の心は、誰ひとり頭の抑え手もないままに、いつとなく思いあがって、遂には、反逆の心芽を育て、行く行くは、身みずからの
「…………」
「われ禰衡は、天下の名士であるものを、おん身は、礼遇もしないばかりか、鼓を打たせて辱めようとされた。まことに小人の沙汰である。むかし
手をたたいて慢罵嘲笑する彼の容子は、それこそ、偉大な狂人か、生命知らずの馬鹿者か、それとも、天が人をしていわしめるため、ここへ降した大賢か――とにかく推しはかれないものがあった。
曹操の面は、蒼白になっている。否、殿上はまったく禰衡一人のために気をのまれてしまったかたちで、この結果が、どんなことになるかと、人ごとながら文武の百官は唾をのみ歯の根を噛んで、
その耳には、やがて満座の諸大将が、剣をたたき、
「舌長なくされ学者め。いわしておけば野放図もない悪口雑言。四肢十指をばらばらに斬りさいなんで目にものをみせてくれる」
騒然、立ちあがる気配が聞えた。――孔融はハッと眼をみひらいたが、とたんに満身の毛穴から汗がながれた。
曹操も立ちあがっていたからである。――が、曹操は、剣をつかんで
「ならん、誰が
一同を制した後、曹操は、あらためて禰衡を舞台から呼びよせ、衣服を与えて、
「荊州の
「むむ。劉表とは多年、交わりがあるが――」と、禰衡が鼻さきで答えると、
「しからば、予のために、すぐ荊州へ下って、使いをせい」という曹操の命であった。
いま彼の命令とあれば、宮中でも相府でも、行われないことはなかったが、禰衡は、首を横に振った。
「いやだ」
「なぜ、いやか」
「おおかた用向きは分っておるから、わしの任ではないと思うだけだ」
「予がまだ何もいわぬのに、使命は推察がつくというか」
「荊州の劉表を説いて、あなたの門に駒をつながせたら、あなたはたちまちご機嫌がよくなるだろう」
「その通りだ。劉表に会ってよく利害を説き、この曹操に
「ははは、鼠が衣冠したら、さぞ滑稽であろう」
「予は、汝の一命を、汝に貸し与えておくものである。否も応もいわさん。すぐ出立せい」
曹操は、武官を顧みて、
「この者に、良い馬をとらせ、華々しく、酒肴を調えて、門出の
と、いいつけた。
人々は、禰衡をかこんで、わざと口々に
そして東門
曹操はまた下知して、
「予の命をおびて出立する大使のために、一同、東門の外に整列して、見送りをいたせ」
と、いった。
さっき禰衡が、名声ある学者に対して、礼遇をしないという点をあげて
「あんな気のふれた乞食儒者に、厳かな列送の礼がとれるものか」
と、誰ひとり真面目に立つ者はいなかった。
ことに、

「
馬に乗せられた禰衡は、やがて馬の歩むままに、壮大なる東華門のうちからのこのこ出てきた。
馬も使者も、しょぼしょぼとしていたが、内では歓送の声と、旺な音楽がどよめいていた。門を出て見ると、

「……ああ、悲しい」
禰衡は、馬をとめて、そう咳いていたが、たちまち声をはなって

「先生。――晴れの
すると禰衡は言下に答えた。
「見まわせば、数千の
「われわれを死人だと。あははは、そういう貴様こそ、おれたちの眼から見れば、首のない狂鬼だぞ」
「いや、いや。わしは漢朝の臣だよ……」

「なに漢朝の臣だと。――われわれもみな漢朝の臣だ。貴様ひとりが、なんで漢朝の臣か」
「そうだ、漢朝の臣は、ここにはわしひとりしか居ない。おまえ方はみな曹操の臣だろう」
「どっちでも同じこった」
「嘘をいえ、盲どもめ」
「盲だと」
「ああ暗い暗い、このとおり世の中は真っ暗だ。――聞けよ、
「反逆者とは誰のことをいうか」
「もちろん曹操のことである。この
禰衡と

「荀

荀

「いや待て待て。丞相もさきほど仰せられた。こいつは鼠のごときものだと。鼠を斬ったら、おれたちの刀のけがれだ。まあ、鎮まれ鎮まれ」
禰衡は聞くと、馬の上から左右の大将たちを、キラキラ眺めまわして、
「とうとうわしを鼠にしおったな。だが、鼠にはなお人に近い性がある。気の毒だが、おまえ方はまず
「なにをッ」

「まあ、いわしておけ、正気じゃない。いずれ荊州に行ってしくじるか、能もなく立ち帰って、大恥をさらすか、どっちにしろそれまで胴の上に乗ッかっている
諸将から兵隊まで、こぞって嘲り嗤うなかを、禰衡は通って、禁門の外へのがれた。
或いは、そのまま家へ帰って、逃げかくれてしまいはせぬかと、二、三の兵があとを尾けて行ったが、そうでもなく、
日ならずして、禰衡は、荊州の府に着いた。
劉表は、旧知なのでさっそく会うことは会ったが、内心、
(うるさい奴が来たものだ)と、いう顔つきである。
禰衡の怪舌は、ここでも控え目になどしていないから、使者の格で来た手前、大いに劉表の徳を称しはしたが、一面またすぐ毒舌のほうで相殺してしまうから何にもならなかった。
劉表はこころに彼を嫌い、うるさがっていたので、
江夏には、臣下の黄祖が守っている。黄祖と禰衡とは、以前、交際があったので、
「彼も会いたがっているし、江夏は風景もよく、酒もうまいから、数日遊んでおいでなさい」
と、態よく追い払ったのである。
その後で、ある人が、劉表に向って、不審をただした。
「禰衡の滞城中、おそばで伺っておると、実に無遠慮な――というよりも言語道断な奇舌をもてあそんで、あなたを罵り辱めておったが、なぜあなたは彼を殺しもせず、江夏へやってしまったのですか」
劉表は笑って答えた。
「曹操さえ忍んで殺さなかったのは、理由のあることに違いない。曹操の考えは、この劉表の手で、彼を殺させようとして、使者によこしたものだろう。もし自分が禰衡を殺したら、曹操はさっそく天下に向って、荊州の劉表は、学識ある賢人を殺したりと、
荊州は両国からひッぱり
「
従事中郎将の韓嵩は、群臣を代表して、つつしんで答えた。
「要するに、その大方針は、あなたのお胸から先に決めなければなりますまい。もしあなたに天下のお望みがあるなら曹操に従うべきです。もし天下に望みがなければ、どっちでも
劉表の顔色を見ると、まんざら天下に望みがないふうでもない。で、韓嵩はまた云い足した。
「なぜならば、曹操は天子を擁し、その戦は、常に大義を振りかざすことができます」
「しかし袁紹の雄大な国富と勢力も
「ですから、曹操が敗れて、自ら
劉表はなお決しかねていたが、翌る日、また韓嵩をよび出して云いつけた。
「いろいろ考えてみたが、まず其方が都へのぼって、仔細に洛内の実情や、曹操の内ぶところをうかがって来ることがよいな。こっちの去就は、そのあとできめてもよかろう」
韓嵩はよろこばない色を示して、しばらく考えていたが、やがてそれに答えて、
「わたくしは節義を守る人間だということをお信じねがいます。あなたが天子に順なるを旨とされて、天子の下にある曹操とも提携して行こうというお考えならば、使いに参っても心安くぞんじますが、もしそうでないと、わたくしは節義のために非常に苦境におちいるやも知れません」
「なぜそんな心配を抱くのか。わしには分らんが」
「てまえを都へお
「何かと思えば、そんな先の先までの取越し苦労をしているのか。諸州の雄藩の臣にも、朝廷から官爵をもらっている者はいくらでもあるではないか。まあ、わしにはわしとして、別に考えのあることじゃ。すみやかに都にのぼり、曹操の内幕や、虚実のほどを充分にさぐって来い」
彼はさっそく相府の門をおとずれて、多くの土産ものを披露した。
曹操は先ごろ自分の使いとして、
半月ほど滞在して、韓嵩が都を立つと、すぐそのあとで、

「なぜあんな者を、無事に帰してしまわれたのですか。彼は、許都の内情をさぐりに来たものに違いない。それを
「もっともな言である」と、一応は聞いているようだったが、うなずきのなかに笑いをたたえて、曹操はやがて荀

「予には、作戦以外に、虚実はない。だから何を探って帰ろうと、予の実力の正価を知って戻るのみで、かえって歓迎すべき
彼の高論に、荀

一方の韓嵩は、荊州へ立ち帰ると、すぐ劉表にまみえて、許都の上下にみちている勃興気運のさかんなことを極力告げて、
「臣、愚考いたしますに、あなたの御子のうち、お一方様を、朝廷の仕官にさし出して、都へ人質として留めおかれたら、曹操も疑うことなく、従って将来、ご家運のほどもいよいよ長久と存じられますが」と、述べた。
気に入らないとみえて、劉表は彼の話なかばから横を向いていたが、突然、
「二心をいだく
武士たちは剣に手をかけながらさっと韓嵩のうしろに立った。韓嵩は手を振って
「――ですから臣がお使いをうける前に、再三申しあげたではございませんか。わたくしは私の信じることを申しあげるのが、最善の臣道と心得、またお家の為と思っておすすめしたに過ぎません。お用いあるとないとは、あなたのお考え次第のことです」と、陳弁これ努めた。
侍臣の

「韓嵩のいっていることは、少しも
劉表は、まだ甚だ釈然としない気色であったが、

「目通りはかなわん。死罪だけは許しておくが、獄に下げて、かたくつないでおけい」と、命じた。
韓嵩は、武士たちの手に、引っ立てられながら、
「都へ行けばこうなる、荊州へ帰ればかくの如くなると、分りきっておりながら、遂に、自分の思っていた通りに自分を持ってきてしまった。不信の末はかならず非業に終るし、信ならんとすれば、またこうなる。世に選ぶ道というものは難しい! ……」
と、大きく
彼の姿が消えると、すぐ入れちがいに、江夏から人が来て、
「賓客の禰衡が、とうとう黄祖のために殺されました」
という耳新しい事実を伝えてきた。
「なに、奇舌学人が……黄祖の手にかかって?」
予期していたことではあるが、そう聞くと、みな愕然とした色を顔にたたえた。劉表は、さっそく江夏からきた者を面前に呼び出して、
「どういう
と、半ば、曹操に対するおそれと、半ば、好奇心をもって自身訊ねた。
江夏の使いは、
その話によると、
「学人。そんなに退屈か」と、皮肉に訊ねた。
禰衡は、打ちうなずいて、
「なにしろ話し相手というものがないからな」
「城内には、それがしもおり、多くの将兵もいるのに、なんでまた」
「ところが一人として、語るに足る者はおらん。都は
「するとそれがしも」
「そんなもんじゃろ。何しても退屈至極だ。蝶々や鳥と語っているしかない」
「君子は退屈を知らずとか聞いておるが」
「嘘をいえ。退屈を知らん奴は、神経衰弱にかかっておる証拠だ。ほんとうに健康なら退屈を感じるのが自然である」
「では一夕、宴をもうけて、学人の退屈をおなぐさめいたそう」
「酒宴は真っ平だ。貴公らの眼や口には、
「否、否。……きょうはそんな儀式張らないで二人きりで
黄祖は去ったが、しばらくすると、小姓の一童子をよこして、
行ってみると、城の南苑に、一枚の
「これはいい」
口の悪い禰衡も初めて気に入ったらしく、莚の上に坐った。
側には、一幹の巨松が、大江の風をうけて、
「学人に問うが……」と、黄祖もだいぶ
「学人には……だいぶ長いこと、都に居ったそうだが、都では今、誰と誰とを、真の英雄と思われるな?」
禰衡は、言下に、
「大人では
黄祖は、すこし巻舌で、
「じゃあ、吾輩はどうだ。この黄祖は」と、
禰衡はからからと笑って、
「君か。君はまあ、辻堂の中の神様だろう」
「辻堂の神様? それは一体どういうわけだ」
「土民の祭をうけても、なんの霊験もないということさ」
「なにッ。もう一ぺんいッてみろ」
「あははは。怒ったのか。――お
「うぬっ」
黄祖はかっとして剣を抜くやいなや、禰衡を真二つに斬り下げて、その満身へ、返り血をあびながら発狂したようにどなっていたということである。
「片づけろ片づけろ。この死体をはやく埋めてしまえ。此奴は死んでもまだ口をうごかしている!」
――以上。
ありのままな
禰衡の死はまた、必然的に、曹操と劉表との外交交渉のほうにも、絶息を告げた。
曹操は、禰衡の死を聞いた時、こういって苦笑したそうである。
「そうか、とうとう彼も自分の舌剣で自分を刺し殺してしまったか。彼のみではない。学問に慢じて智者ぶる人間にはままある例だ。――そういう意味で彼の死も、
そのむかし、まだ洛陽の一皇宮警吏にすぎなかった頃、曹操という白面の青年から、おれの将来を
「おまえは治世の能臣だが、また乱世の奸雄だ」
と予言したのは、洛陽の名士
怒るかと思いのほか、その時、曹操という
「奸雄、結構結構」と、歓んで立ち去ったといわれている。
子将の予言はあたっていた。
しかし今日の曹操が在ることを誰が風雲のあいだに予見していたろう。歳月は長しといえどもまだそれから今日までわずか十数年の星霜しか過ぎていないのである。
或いは、曹操自身でさえ、こう早く天下の相貌が変って、現在のような位置になろうとは思いのほかであったかもしれない。
年といえば、まだ男ざかりの四十台で
彼をして、かくも迅速に、今日の

荀

その荀

名家の子や孫に、英俊はすくないが、荀


「王佐の才である」と、歓称されていた。
王佐の才とは、王道の輔佐たるに足る大政治家の質があるということである。乱世にはめずらしい存在といわねばならぬ。
だから河北の

曹操には、やはりそれだけの魅力があった。曹操の長所のうちで最も大きな長所は有為な人物を容れるその魅力と包容力である。
かれもまた、よく士を愛し、とりわけ荀

「君は予の張良である」とさえいって歓んだ。張良といえば、漢の高祖の参謀総長に位する重臣である――このことばの裏をうかがうと、ひそかに自分を漢の高祖に擬しているなど、かれの腹中には、なおなお底知れないものが蔵されている。
――であるからして、奇舌学人の
さはいえ、また。
かりそめにも曹操の使いとして立てた一国の使者であるものを、荊州の地で、しかも劉表の一部下が手にかけて殺したということは、重大な国際問題として取上げる材料になる。
「このままには捨ておきがたい。彼を討つよい口実でもある」
曹操はこの際、一気に大軍を向けて、荊州を奪ろうかと議した。
諸将も、

「袁紹との戦も、まだ片づいていませんし、徐州には玄徳が健在です。それを半途に、また、東方に軍事を起すのは、心腹の病をあとにして、手足の
かれの言に従って、曹操は、荊州への出軍を一時思いとどまった。
そういう風に、荀

曹操が今日の成功をおさめ得た重大な機略の根本は、なんといっても朝廷の危急に際して、

「主上を奉じて人望に従う大順こそ、あなたの運命をひらく大道でもあります。他人に先んじられぬうちに早くご決行なさい」と、切にすすめた大策であったのである。
当時、他の諸将軍が、洛陽の離散から長安の大乱と果てなき

荀

許都を中心に、
このように、今、許都は軍事経済の両面とも、盛大に向っていた。
けれど首府の
――ここに。
その推移をながめながら、
功臣閣の秘宮を閉じて、帝御みずからの血をもって書かれた秘勅をうけてから日夜、
「いかにして、曹操をころすべきか。どうしたら武家専横の相府をのぞいて、王政をいにしえに回復できようか」と、寝食もわすれて、そればかりに腐心していたが、月日はいたずらに過ぎ、頼みにしていた玄徳も都を去ってしまうし、
その後、一味の王子服などとも、ひそかに密会はかさねているが、何分にも実力がまるでなかった。
「ぜひもない時勢」と、無気力なあきらめの中に自分を隠しておくことを、みな保身の術として口をむすんでいた。
董承は、そういううちに、
帝は、かれの病の篤い由を聞かれると、ひと事ならずお胸をいためられて、さっそく
吉平は、みことのりを奉じて、さっそく董承のやしきへ赴いた。有難いお沙汰に、一門の者ども、出迎えに立ったが、その時、吉平のまえに進んで、薬籠を捧げ持ったのは、董家の召使いの
吉平はもと洛陽の人で
迎えに出た董一家の者にむかって、帝の
「ご心配には及びません」
吉平は、慶童子の捧げている薬籠を取って、八味の神薬を
「これを朝暮にさしあげてください。かならず十日のうちにお元気になりましょう」
と、いって、その日は帰った。果たして、食慾もつき、容体も日ごとにあらたまってきた。けれど依然、病床から離れるほどにはならなかった。
「いかがですか」
吉平は毎日のように来て、かれの脈をみたり、
「もうおよろしいでしょう。すこし
「……どうも、まだ」
董承は、仰向いたまま、板のように薄い自分の胸に、両手を当てながら顔を振った。
「おかしいですな。……もうどこもお悪くはないはずですが」
「……でも、すこし動くと、まだここが」
「お胸がくるしいので?」
「このとおり、何か話しても、すぐ
「ははは、神経ですよ」と、
「時務のお疲れでしょう。何かひどく、
「いや閑職の身じゃ。さしたることも……」
「左様ですかの。何せい、はやく
「…………」
陛下ということばを聞くと、
きょうばかりではない。帝の御名が出るといつも彼の眼があやしく曇る。吉平はかれの病根とそれを思いあわせて、独り何かうなずいていた。
およそ一箇月ばかりの後の正月十五日のことだった。こよいは
…………
……と。彼を取りかこんで、口々に云い
(国舅国舅。かねてのこと、成就の時はきましたぞ。
――誰かと見まわせば、

……
(今こそ、天の与える時節。はや陣頭に立って、一挙に曹操を討ちとり給え)
と、病室から
見れば、邸の門々には、味方の兵がみちている。董承もそれに励まされて、
火を八方から放ち、味方の勇士と共に府内へなだれ入った。
(逆賊曹操、逃ぐるな)と、火中に敵を追いまわし追いまわして、槍も砕け、剣も火と化すばかり戦ううち、
(おのれっ、居たかっ)
跳びかかって、
…………
「……ううむ。う、う、む」
董承はうなされていた。
「
しきりと自分をゆり起していた者がある。董承はハッと眠りからさめて、その人を見ると、こよい客として奥に来ていた侍医の吉平であった。
「ああ。……さては、夢?」
そのひとみは、醒めてまだ落着かないように、天井を仰いだり、壁を見まわしていた。
「水なとひと口おあがりなされたがよい」
「ありがとう。……ああ、あなたじゃったか、なにか、わしは
「国舅……」と、吉平は声をひそめて、病人の手をかたく握った。
「ようやくあなたの病根をつきとめました。――あなたのご病気は、あなたの腹中にも爪のさきにもない。乱脈な世の大患を、ふかくそのお心に
「……えっ」
「おかくしあるな、それも病を
「
「まだ、それがしをお疑いか。医は人間の病をなおすことのみが能ではない。真の太医は国の患いも医すと聞いている。わたくしに、それほどな力はないが、志はあるつもりなのに、意志の薄弱な長袖者と思われておつつみあそばさるるか――」
そう嘆じると、吉平は指を口へ入れて、ぶっと喰いやぶった。そして、他言せぬという誓いを、血をもって示した。
董承は、
吉平はそれを拝すると、共々、漢朝のために
「ここに大奸曹操を一朝にして殺す妙策があります。しかも兵馬を用いず、庶民に
「そんな妙計があろうか」
「かれは健康ですが、ただ一つ
「あっ? ……では毒を」
ふたりは、ひたと口をつぐんだ。その時、室の帳外に、風のないのに、何やら物の気配のうごく気がしたからであった。
冬をこえて
「……
かれの皮膚には
(一服の毒を盛って、曹操の一命を!)
正月十五日の夜、吉平のささやいたことばがたえず耳の底にある。その実現こそ、彼の老いた血にも一脈の熱と若さを覚えさせてくる待望のものだった。天地の陽気はまさに大きくうごきつつあることを彼は特に感じる。
こよいも彼は食後ひとり後苑へ出て
一篇の詩となるような点景に出会ったからである。
男と女だった。
ふたりは恋を語っている。
「……一
董承は口のうちで呟きながら、恍惚と遠くから見まもっていた。
水々しい春月が、男女の影に薄絹をかけていた。男はうしろ向きに――
背中あわせに、女はそこらの梅を見ていた。そのうちに、女から振向いて、何か、男に云いかけたが、男はいよいよ肩をすぼめ、かすかに顔を横に振った。
「お
女は、思いきったように、ひら――と寄ってのぞきこんだ。
その刹那、老人の体のなかにもあった若い血は、とたんに赫怒となって、
「不義者めッ」と、突如な大声が、
男女はびっくりしてとびはなれた。もちろん董承のあたまにはもうそれを詩と見ていることなど許されない。――女性は後閣に住んでいる彼の
「この小輩め。不、
董承は逃げる慶童の襟がみをつかんで、さらに大声で彼方へどなった。
「誰ぞ、杖を持ってこい、杖と縄を」
その声に、家臣たちが、馳けつけてくると、董承は、身をふるわして杖で打てといいつけた。
秘妾は百打たれ、慶童は百以上叩かれた。
それでもなお飽きたらないように、董承は、慶童子を木の幹に縛らせた。そして秘妾の身も後閣の一室に監禁させた。
「疲れたから今夜は眠る」と、ふたりの処分を明日にして自分の室へかくれてしまった。
ところが、その夜中、慶童は縄を噛み切って逃げてしまった。
高い石塀を躍りこえると、どこか
「見ていやがれ、老いぼれめ」
美童に似あわない不敵な眼を主人の邸へふり向けていった。もとより幼少の時、金で買われてきた
――にも関わらず、慶童は、怨むことだけを怨んだ。その
時ならぬ深夜、相府の門をたたいて、
「天下の大変をお訴えに出ました。
と、駈け込んで来た一美童に、役人たちは寝耳に水の
いやもっと愕いたのは、慶童の口から、董承一味の企てを、直接聞きとった曹操自身であった。
「どうして其方は、そんな主人の大事を、つぶさに知っておるのか。そちも一味の端くれであろうが」
とわざと脅しをかけてみると、慶童はあわてて顔を横に振って、
「滅相もないことを仰っしゃいませ。私は何も存じませんが、正月十五日の夜、いつもくる典医の吉平と主人が、妙に湿ッぽく話しこんでいたり、慨嘆して
曹操は動じない面目を保とうとしていたが、明らかに、内心は静かとも見えなかった。
階下の家臣に向って、
「事の明白となるまでその童僕は府内のどこかへ
「他日、事実が明らかになったならば、其方にも恩賞をつかわすであろう」といって退けた。
次の日、また次の日。相府の奥には不気味な平常のままが続いていた。――と思うと、あれから四、五日目の明け方のことだった。にわかに一騎の使いが駈けて、典医吉平の薬寮を訪ね、
「昨夜から丞相がまたいつもの持病の頭風をおこされ、今朝もまだしきりと苦しみを訴えておられまする。早暁お気のどくでござるが、すぐご来診ねがいたい」
との、ことばであった。
吉平は心のうちでしめたと思ったが、さあらぬ態で、
「すぐお後より――」と先に使いを帰しておき、さてひそかに、かねて用意の毒を薬籠の底にひそめ、供の者一名を召しつれ驢に乗って患家へ赴いた。
曹操は、横臥して、彼のくるのを待ちかねていた。
自分の顔を、
「太医、太医。はやくいつもの薬を
「ははあ、またいつものご持病ですな。お脈にも変りはない」
次の間へさがると、彼はやがて器に熱い煎薬を捧げてきて、曹操の横たわっている病牀の下にひざまずいた。
「丞相。お
「……薬か」
片肱をついて、曹操は半身をもたげた。そして薬碗からのぼる湯気をのぞきながら、
「いつもと違うようだな。……匂いが」と、つぶやいた。
吉平は、ぎょっとしたが、両手で捧げている薬碗にふるえも見せず、なごやかな目笑を仰向けて答えた。
「丞相の病根を癒し奉ろうと心がけて、あらたに
「神薬。……嘘をいえ。毒薬だろう!」
「えっ」
「飲め。まず其方から飲んでみせい。……飲めまい」
「…………」
「なんだ、その顔色は!」
がばと、起つや否、曹操は足をあげて、煎薬の碗と共に、吉平の顎を蹴とばした。
「この
次いで、彼の呶号がとどろいた。応っ――とばかり一団の壮丁は、声と共にとびこんできて、吉平を高手小手に縛りあげてしまった。
吉平の縄じりをとって、相府の
「さあ、ぬかせ」
「誰にたのまれて、丞相に毒をさしあげたか」
と、打ち叩いたり、木の枝に逆しまに吊るしあげたりして
「知らん。むだなことを訊くな」
とばかりで、吉平は悲鳴一つあげなかった。
曹操は、侍臣を見せにやって、
「容易に口をあくまい。こっちへひっぱって来い」と、命じた。
「老いぼれ、顔をあげろ。医者の身として、予に毒を盛るなど、ただごとの
「ははは」
「汝、なにを笑うか」
「おかしいゆえ、笑うのみじゃ。おん身を殺さんと念じる者、ひとりこの吉平や、わずかな数の人間と思うか。主上を
「
「
「まだ
「事あらわれたからには、死ぬるばかりが望みじゃ。ひと思いに斬りたまえ」
「いや、容易にはころさぬ。獄卒ども、この老医の毛髪がみな脱け落ちるまで責めつけろ。息の根の絶えぬほどに」
下知をうけると、獄卒たちは
むしろ見ている人々のほうが凄惨な気につつまれてしまった。曹操は余り度をこして、臣下の胸に自分を
「獄に下げて、薬をのませておけ、毒薬でなくてもよろしいぞ」
と、唾するように云った。
それからも連日、苛責はかれに加えられたが、吉平はひと口も開かなかった。ただ次第に、乾魚のように肉体が枯れてゆくのが目に見えて来るだけである。
「
曹操は一計を按じて、近ごろ
その一
こよいの曹操はひどく機嫌よく、自身、酒間をあるいて賓客をもてなしなどしている風なので、客もみな心をゆるし、相府直属の楽士が奏する勇壮な音楽などに陶酔して、
「宮中の古楽もよいが、さすがに相府の楽士の譜は新味があるし、哀調がありませんな。なんだか、心が
「譜は、相府の楽士の手になったものでしょうが、今の詩は丞相が作られたものだそうです」
「ほう。丞相は詩もお作りになられますか」
「迂遠なことを仰っしゃるものではない。曹丞相の詩は
そんな雑話なども賑わって
「われわれ武骨者の武楽ばかりでも、興がありますまいから、各位のご一笑までに、ちょっと、変ったものをご覧に入れる。どうか、酒をお醒ましならぬように」
と、断りつきの挨拶をして、傍らの侍臣へ、何か小声でいいつけた。
なにか余興でもあるのかと、来賓は曹操のあいさつに拍手を送り、いよいよ興じ合って待っていた。
ところが。――やがてそこへ現れたのは、十名の獄卒と、荒縄でくくられた一名の罪人だった。
「……?」
宴楽の堂は、一瞬に、墓場の
「諸卿は、このあわれな人間をご承知であろう。医官たる身でありながら、悪人どもとむすんで、不逞な

「…………」
もう誰も拍手もしなかった。
いや、咳一つする者さえない。
ひとり、なお余息を保っている吉平は、毅然として、天地に恥じざるの
「情けを知らぬは大将の徳であるまい。曹賊。なぜわしを早く殺さぬか。――人は決してわしの死を汝に
「笑止な奴。そのような末路を身で示しながら、誰がそんな口賢いことばに耳をかそうか。獄の責苦がつらくて早く死にたければ、一味徒党の名を白状するがよい。――そうだ、各

彼は直ちに、獄吏に命じて、そこで
肉をやぶる鞭の音。
骨を打つ棒のひびき。
吉平のからだは見るまに
「…………」
満座、酒をさまさぬ顔はひとつとしてなかった。
わけてもがくがくと、ふるえおののいていたのは、

曹操は、獄吏へ向って、
「なに、気を失ったと。面に水をそそぎかけて、もっと打て、もっと打て」と、励ました。
満水をかぶると、吉平はまた息を吹きかえした。同時に、その凄い顔を振りながら、
「ああ、わしはたッた一つ過った。――汝にむかって情を説くなど、木に魚を求めるよりも愚かなことだった。汝の悪は、
「いうてよいことはいわず、いえばいうほど苦しむことをまだ
曹操は、
「殺すな。水をのませろ」
酒宴の客はみなこそこそと堂の四方から逃げだしていた。
王子服達の四人も、すきを見てぱっと扉のそばまで逃げかけたが、
「あ、君達四人は、しばらく待ちたまえ」
と、曹操の指が、するどく指して、その眼は、人の
王子服達のうしろには、すでに大勢の武士が
「各

「はっ。……歩け!」
一隊の兵は、四人の前後を、
やがて後から曹操が大股に歩いて入ってきた。
胸におぼえのあることなので、王子服らの四人は、かれの眼を、正視できなかった。
「君たちは、この曹操を殺したがっておるそうだな。
激語になると、曹操は、白面の一書生だった頃の地金が出てくる。また彼はその洛陽時代には、宮門の警吏をしていたので、罪人に対する手ごころは巧みでことのほか
「い、いいえ。……丞相。……何かおまちがいではありませんか」
王子服が、空とぼけて、顔を振りかけると、その頬を、いやというほど平手で
「ひとを愚にするな。そんな小役人へするような答えに甘んじる曹操ではない」
「お怒りをしずめて下さい。董承の家に集まったのは、まったく平常の交わりにすぎません」
「平常の交わりに、血書の衣帯などを拝み合うのか」
「えっ。……な、なに事を仰せられるのか、とんと思いあたりがございませんが」
「ふ、ふん……」
曹操は、鼻さきで白々と笑いながら、閣の入口をふり向いてどなった。
「兵士!
「ひきつれて来ました」
「よしっ。ここへ突きだせ」
「はっ」
番兵が手をあげると、階下にどよめいている兵たちが、美少年慶童をひっ張ってきて、四人のまえに突き仆した。
曹操は指さして、
「この者を存じておるか」と、いった。
王子服も呉子蘭も、あっと色を失った。

「慶童! 慶童ではないか貴様は。いったい何だってこんな所へ出てきたのだ」
慶童はそれに対して、
「何しに来ていたって、大きなお世話でしょう。それよりもお前さんたちは、もう観念したらどうです。いけませんよ。そんなそらッとぼけた顔していたって」
「こ、この小輩め! 何を申すか、身に覚えもないことを」
「覚えがなければ、もう、落着いていたらどうです。お前さんたち四人に、
「うぬっ」

「不逞漢めっ。予の面前で、予の生き証人を何とする気だ。――汝らことごとく前非を悔い、ここにおいて
「…………」
「泥を吐け。――素直に一切を、ここに述べて、予のあわれみを乞え」
すると、四名ひとしく毅然と胸をならべて答えた。
「知らん!」
「存ぜぬ!」
「覚えはない!」
「いかようにもなし給え!」
曹操はずいと身を退いて、四つの顔を一様に見すえていたが、
「よしっ、もう問わん」
ひらりと、閣外へ身をうつし、兵のあいだを割って、彼方へ立ち去ってしまった。
もちろん閣の口はすぐ厳重に閉ざされ、鉄槍の
次の日。
曹操は、千余の騎兵をしたがえ、車馬の行装ものものしく公然と、
董承に対面を強いて、客堂で出会うとすぐに曹操は彼にただした。
「
「いや、ご書箋はいただいたが、折返して不参のおもむきを、書面でお断り申しあげてある」
「昨夜の会に、百官みな宴に揃いながら、国舅ひとりお顔が見えん。いかなるわけでご不参だったか」
「されば、昨年からの
「はははは。卿の痼疾の病は、吉平に毒を盛らせたら
「げッ。……な、なんのお戯れをば」
董承は、震い恐れた。
語尾はかすれて、歯の根もあわない。曹操はその態を白眼に見て、
「近ごろも、太医吉平と、お会いあるか」
「い、いえ、久しく会いませぬが……」
従えてきた武士へ向って、あの者をここへ連れてこいと命じた。言下に、三十余名の獄吏と兵は、客堂の階下へ、物々しく吉平をひきすえた。
「天をあざむく逆子、いつか天罰をうけずに済もうか。これ以上、わしを拷問して何を得るところがある」と、彼のほうから叫んだ。
曹操は、耳にもかけず、
「王子服、呉子蘭、

「…………」
董承は生ける心地もなく、ただあわてて顔を横に振った。
「吉平。汝は知らんか」
「知らぬ」
「汝に智恵をさずけて、予に毒をのませんと計った首謀者は何者か」
「三歳の童子ですら、みずから為すことはみずから知る。朝廷破壊の逆臣、天に代って、生命をとらんと誓ったのは、かくいう吉平自身である。何でひとの智恵を借ろうか」
「舌長な
「すなわち、この指を咬み切って悪逆曹操をかならず討たんと、天地に誓いをたてたのじゃ」
「ええ、いわしておけば」
と、曹操は、獅子のごとく
吉平は、ひるむ気色もなく、九本の指を斬られてもまだ、
「われ口あり、賊を呑むべし。われ舌あり賊を斬るべし」とさけんだ。
「その舌を引き抜いてしまえ」
曹操の大喝に、獄卒たちが彼を仰向けに押したおすと、吉平は初めて絶叫をあげ、
「待て。待ってくれ。舌を抜かれてはたまらん。乞う。しばしわしの縄を解いてくれい。この上はわしの手で、首謀者を丞相の前へ突きだして見せるから」と、いった。
「望みにまかせて解いてやれ。狂いだそうと、何ほどのこともなし得まい」
曹操のことばに、彼は縄を解かれた。
吉平は大地に坐り直し禁門のほうに向って両手をつかえた。そして
「――臣、不幸にしてここに終る。実に、極まりもございませんが、天運なんぞ悪逆に敗れん。鬼となっても禁門を守護しておりますれば、時いたる日を御心ひろくお待ちあそばすように」
曹操は雷火のように立ち上がって、
「斬れッ!」
と、どなったが、兵の跳びかかる剣風も遅しとばかり吉平はわれと吾が頭を、
凄愴の気はあたりをつつむ。
その凄気を圧して、
「次に、慶童をひき出せっ」と、曹操の叱咤はいよいよ烈しい。一片の情、一滴の涙も知らぬような面は、
呼びだした慶童を突きあわせて、董承の吟味にかかる段となると、彼の姿は、火か人か、猛言
董承も初めのうちは、
「知らぬ、存ぜぬ。いっこう覚えもないことじゃ。何とてわしを、さように嫌疑したもうか」と、あくまで彼の厳問を拒否していたが、なにしろ召使いの慶童が、傍からいろいろな事実をあげて、曹操の調べにうごかぬ証拠を提供するので、にわかに、云いぬけることばを失って、がばと床にうっ伏してしまった。
「恐れ入ったかっ」
勝ちほこるが如く曹操が雷声を浴びせると、とたんに董承は身を走らせて、
「ここな人非人めが」と、慶童の襟がみをつかんで引き仆し、手ずから成敗しようとした。
「
曹操の部下は、その峻命にこたえて、一斉におどりかかり、たちまち、
そして客堂をはじめ、書院、主人の居室、家族の後房、祖堂、宝庫、傭人たちの住む邸内の各舎まで、千余の兵でことごとく家探しをさせ、ついに、血詔の御衣玉帯と共に、一味の名を書きつらねた血判の義状をも発見して、ひとまず相府へひきあげた。
もちろん董一家の男女は一名もあまさず捕われ、府内の獄に押しこめられたので、
時に、荀

「遂に、激発なされましたな。これからの処置をどうなさるおつもりですか」
「荀


「――見よこれを。献帝の今日あるは、ひとえにこの曹操が功ではないか。
「お待ちなさい」
荀

「いかにも、許都の中興は、一にあなたの
「うむむ。それには違いないが……」
「それを今、あなた自身が、朝廷の破壊者となったら、その日からあなたの府軍には、もう大義の名はありませんぞ。同時に、天下があなたを視る眼は一変します」
「分った。もういうな」
曹操は、自分の胸の火を、自分で消しまわるに苦しんでいるようだった。
人いちばい
董貴妃は深窓にあるうちから美人の誉れがあった。召されて、宮中に入り、帝の
彼女は
虫のしらせか、その日貴妃は、なんとなく落ち着かない。絶えず胸さわぎのようなものを覚えていた。
秘園の春は浅く、
「貴妃、すぐれない顔色だが、どこか悪いのではないか」
帝は、
貴妃は、
「いいえ……」と、かすかに花顔を横に振っていう。
「なんですか、ふた晩つづいて、父の夢を見たものですから」
そう聞くと、帝も皇后も、ふと眉をくもらせた。董承のことはかねがねべつな意味で、案じられているところである。
折ふし、宮中に騒然たる物音がわきはじめた。何事かと疑っているうちに、後宮の
曹操は、突っ立ったまま、
「ああ。何たる悠長さだ。陛下。
帝は、冷静に、
「董卓は、もう
「董卓などのことではありません! 車騎将軍董承のことである」
「えっ……董承がどうしたというのか。
「御みずから指をかみやぶり、玉帯に
愕然、帝は魂を天外へ飛ばし、龍顔は蒼白となって、わななく唇からもう御声も出なかった。
「一人謀叛すれば九族
曹操の下知に、帝も皇后も、のけ反るばかり
貴妃もまた曹操の足もとへ伏し
「自分のいのちは惜しみませんが、
曹操の感情も、極端に紛乱していたが、われとわが半面の弱気を、強いて
「いかん! いかん! かなわぬ願いだっ。逆賊の
と、一すじの
貴妃は
「
と、さけばれた。
「あははは。
曹操は、強いて豪笑しながら、しかもさすがに、そこの悲鳴号泣には、耳をふさぎ眼をそらして、大股に立ち去ってしまった。
哀雲後宮をつつみ、春雷殿楼をゆるがして、その日なお董承と日ごろ親しい宮官何十人が、みな逆党の与類と号されて、あなたこなたで殺刃をこうむった。
曹操は血を抱いて、やがて禁門を出ずると、直ちに、自身直属の兵三千を、御林の軍と称して諸門に立てさせ、
粛正の嵐、血の清掃もひとまず済んだ。
曹操は、何事もなかったような顔をしている。かれの胸には、もう昨日の苦味も酸味もない。明日への百計にふけるばかりだった。
「

「
「それだ。両名とも、
「もとより捨ておかれません」
「まず、そちの賢策を聞こう」
「由来、西涼の州兵は、猛気さかんです。軽々しくは当れません。玄徳もまた徐州の要地をしめ、

「そう難しく考えたら、いずれの敵にせよ、みな相当なものだから、どっちへも手は出まい」
「河北の
「だから、その手足たる玄徳を、先に徐州へ攻めようと思うのだが」
「いやいや、滅多に今、この許都を手薄にはできません。それよりは、甘言をもって、まず西涼の馬騰を都へよびよせ、あざむいてこれを殺し、次に玄徳へも、おもむろに交術を施して、その鋭気をそぎ、一面、流言の法を行って、彼と袁紹とのあいだを
「ちと悠長すぎる。計りごと遅々なれば計りごと変ず。そのまに、また四囲の情勢が変ってこよう。――それに応じてまた中途から計りごとをかえたりするのは、下の下策ではないか」
曹操はどこまでも、玄徳をさきに討とうと望んでいるらしい。玄徳に対しては、ひと頃、熱愛を傾けて交わっていただけに、反動的な感情がいまはこみあげている。国事に関する大策にでも、どうしても幾分かの感情をまじえないではいられないのは、曹操の特質であった。
謀議の室を閉じて、ふたりがこう議しているところへ、ちょうど
「いいところへ来た。其方はどう思うか」
郭嘉は即答した。
「それは一気に玄徳を討伐してしまうに限ります。なぜなら、玄徳はまだ徐州を治めても、歳月は浅いので、州民の心はつかみきれておらない。また袁紹は気勢ばかりあげているが、部下の
その説は、自分の志望と合致したので、曹操はたちどころに決心して、軍監、参謀、各司令、糧食、輸送などの各司令を一堂によび集め、
「兵二十万をととのえ、五部隊にわかち、三道より徐州へ攻め下れ」と、軍令を発した。
諸大将の兵馬はたちまち徐州へむかった。――早くもこのことは
まっさきに、それを早耳に入れたものは

玄徳は、小沛の城にいる。彼の驚愕もひと通りでない。
「血詔の
「袁紹へ、書簡をおしたためなさいまし。それを携えて、河北の救援を求めにまいりましょう。それしか方法はありません」
孫乾は、玄徳の一書をうけて、ふたたび駒の背に伏し、河北へむかって、夜を日についで急いでいた。
孫乾は、
まず袁家の重臣田豊を訪れて、彼の斡旋のもとに、次の日、大城へ導かれて、袁紹に謁見した。
どうしたのか、袁紹はいたく
田豊はおどろいて、
「どうなさいましたか?」と、怪しんで問うた。
袁紹は、ことばにも力がなく、
「わしはよくよく子ども運がわるいとみえる。児女はたくさんあるがみな出来がよくない。ひとり第五男だけは、まだ幼いが、天性の光がみえ、末たのもしく思っていたところ、何たることじゃ。この頃また
他国の使者が、
田豊も、なぐさめかねて、
「それはどうも……」
と、しばらく用件を云いだしかねていたが、やがて、一転の機を話中につかんで、
「時にいま絶好な便りを手にしました。それはこれにおる劉玄徳の臣が、早馬で告げにきたことですが」と、袁紹の英気を励まし、
「――曹操はいま大軍を率いて、徐州へ向っているとあります。必定、都下は手薄とならざるを得ません。わが君、この時に起たれて、天機に応じ、虚をついて、一せいに都へ攻め入り給わば、必勝は火をみるよりも明らかであり、
「……ほう」
と、袁紹の返辞は、依然、生ぬるい。どこか
田豊は、なお説いて、
「
「いや、それもよいが」
袁紹は重たげに、頭を振ってそれに答えた。
「何となくいまは心がすすまん。わしの心が楽しまねば、自然戦っても利があるまい」
「どうしてですか」
「五男の病気が気がかりでの。……ゆうべも泣いてばかりいて、ひと晩中、よう睡りもせなんだ」
「お子さまのご病気は、医者と女にまかせておかれたらどうですか」
「
田豊は、黙ってしまった。
熱心に支持してくれた田豊の好意はふかく心に謝していたが、
で、田豊の眼へ目顔で合図しながら、退出しようとすると、袁紹もすこし悪い気がしたとみえて、
「立ち帰ったら劉玄徳へはよろしく伝えてくれい。そしてもし、曹操の大軍にささえ難く、徐州も捨てるのほかないような場合になったらいつでも我が
城門を退出してから、田豊は足ずりして、
「惜しい! 実に惜しい。小児の病気ぐらいに恋々として、遂に天機を見のがすとは」
と、長嘆した。
孫乾は、馬を求めて、
「いやどうも、いろいろお世話になりました。いずれまた、そのうちに」
と、半日の猶予もしていられない身、すぐ鞭を打って徐州へ引返した。
そこに在る玄徳は、痛心を抱いて、対策に迫られている。
「
「お、張飛か。そちのことばももっともだが、いかんせんこの小城、敵は二十万と聞えている」
「二十万だろうが、百万だろうが、憂いとするには足りません。なぜならば、曹操は短気なので兵馬はみな許都からの長途を、休むひまなく馳け下ってきたにちがいありません。陣地に着いても四、五日ほどは、疲労しきっていて物の用に立ちますまい」
「――が、いずれ敵は、長陣を覚悟のうえで、
「ですから、その用意の調わぬうち――また長途のつかれも

張飛の言を聞いているとまったく陽気になってくる。彼は憂鬱を知らない男だし、玄徳はあまりに石橋をたたいて渡る主義で、憂いが多すぎる。
「
「いや、感心した。そちという者は、武勇一点ばりで変哲もない男かと多年思っていたが、先ごろは、良計を用いて、
肚をきめれば、大腹な玄徳である。それに近ごろ張飛をすこし見直していたところなので、直ちに彼の策をゆるした。
張飛は、
「いざ来い。眼にもの見せてくれん」と、用意おさおさ怠りなく、奇襲の機をうかがっていた。
敵二十万の大軍は、まもなく近々と小沛の県界まで押してきた。
ところがその日、一陣の狂風が吹いて、中軍の
あまり
「これは吉兆か凶兆か」と、諸将をかえりみて訊ねた。
荀

「風はどう向いて吹きましたか」
「
「折れた旗の色は」
「真紅の旗」
「紅の旗が、東南風で折れましたか。さらばご懸念にはおよびません。これ、兵法の
と彼はいった。
先鋒の

「――紅旗、東南風に仆るるは、夜襲の敵意なりと、むかしから兵家は云い伝えています。ご用心あるように」
曹操は天に謝して、
「われを

と、必殺の捕捉陣をしいて、陽の没するのを合図に、全軍くろぐろと影を沈めていた。
「
「ととのうた。張飛、兵馬の用意はいいか」
「もとより抜かりはありません。孫乾も行きたがっていますが、彼には守りを頼みました。そう皆、城を空にして出かけてもいけませんから」
「あいにくと、夜襲には不向きな月夜だな……。敵に悟られるおそれはないか」
「闇夜をえらぶのが、夜襲の
「それも一理だ」
「ことに敵は、きょう着いたばかりですから、人馬みなくたくたになって眠りこんでいましょう。いざ、出かけましょう」
初めの計画では、張飛一手で奇襲するはずだった。が、いかに奇策を行うにせよ、眼にあまる大軍なので、玄徳も自身出向くことになり、兵を二手にわけて城を出た。
張飛は、自分の計りごとが、用いられ、自分の思うまま戦えるので、愉快でならない。ひそかに必勝を信じ切っている。折から月明
「どうだ?」
物見を放ってうかがわせると、
「
との答え。
「そうだろう、おれの
気負いぬいていた彼。
それっと、合図の
「はてな? こいつは、いぶかしい?」
張飛も部下も、拍子ぬけしてうろたえた。すると林の木々や、四
「や、や? ……。さては、敵は地を変えているぞ」
すでに遅し! 木も草もみな敵兵と化し
「張飛を生け捕れ」
「玄徳をのがすなッ」――と。
かくて、仕掛けた奇襲は、反対に受け身の不意討ちと化した。隊伍は

「一匹も余すな」と、ばかり押しつめてきた。
さしもの張飛も
「南無三」
右に突き、左をはらい、一生の勇をここにふるったがとうてい無理な戦いだった。
味方は討たれ、或いは敵へ降参をさけんで、武器を捨て、彼自身も数箇所の手傷に、満身
徐晃に追われ、楽進に斬ってかかられ、炎のような息をついてようやく一方に血路をひらき、つづく味方をかえりみると、何たる情けなさ、わずかに二十騎ほどもいなかった。
「者ども! もう止せ、馬鹿げた戦だ。死んでたまるか、こんな所で、――さあ、おれについて来い」
遂に、帰路をも遮断されてしまい、むなしく彼は
玄徳もまた、いうまでもない運命に陥ちていた。
大軍にうしろを巻かれ、夏侯惇、夏侯淵に
玄徳は道を変えて、夜の明けるまで馳けつづけた。すでに小沛の城は敵手に陥されてしまったので、
「このうえは徐州へ」と、急いだのである。
ところがその徐州城へ近づいてみると、暁天にひるがえっている楼頭の旗はすべて曹操軍の旗だったので、
「――これは?」と、玄徳はしばし行く道も失ったように、茫然自失していた。
陽ののぼるにつれて、四顧に入る山河を見まわすと、濛々と、どこも
「ああ
玄徳は
「わしは将だ。彼は部下。将器たるわしの不才が招いた過ちだ」
さしずめ玄徳は、落ちてゆく道を求めなければならない。
いかにしてこの危地を脱するか? ――またどこへさして落ちて行くか?
当面の問題に、彼はすぐ頭を向けかえた。
「そうだ、ひとまず
いつぞや使いした孫乾に
途中、ゆうべからつけまわしている楽進や夏侯惇の軍勢に、さんざん追いまわされて、彼も馬も、土にのめるばかりな苦しみにあえぎつつも、ようやく死地から脱れたのは、翌日、青州の地を踏んでからであった。
それからも、野に臥し、山に
城主
「かねて父から聞いています。もうご心配には及ばぬ」
と、旅舎を与えられ、一方、彼の手から駅伝の使いは飛んで、父の袁紹のところへ、
徐州、小沛は、はや陥落 す。
玄徳、妻子にもはなれ、身をもって、青州まで落ちまいる。いかが処置いたすべきや。
と、さしずを仰いでいた。玄徳、妻子にもはなれ、身をもって、青州まで落ちまいる。いかが処置いたすべきや。
「かねての約束、たごうべからず――」
と袁紹はただちに一軍を迎えに差向けて、玄徳の身を引取った。
しかも、冀州城外三十里の地――平原というところまで、袁紹自身、車馬をつらねて出迎えにでていた。
よほどな優遇である。
やがて、城門にかかると、玄徳は馬を降りて、
「
城内に入ると、袁紹はあらためて、彼に対面し、過ぐる日、孫乾の使いをむなしく帰したことを、こう云いわけした。
「子煩悩とわらわれようが、子どもの病気はかなわんものでな。あの前後、わしも心身つかれ果てていたので、ついにお救いにも行けなかった。しかしここは河北数州の府、大船にのったお心で、幾年でもおいでになられるがよい」
「まことに面目もありませぬ。一族を亡ぼし、妻子をすて、恥もかえりみず、孤窮、門下に身を寄せてきたそれがし、過分なご好遇は却っていたみいります。ただ何分のご寛仁を……」
玄徳は肩身がせまい。ひたすら謙虚に、身を低く、頼むばかりであった。
徐州には、玄徳麾下の
曹操は、陳父子に対して、
「さきにはわが恩爵をうけ、後には玄徳に随身し、今はまた門をひらいて予を迎う。――
と、いった。
陳父子は
「
ふかく玄徳になついていたので、一時は不安にかられてさわいでいた城内民も曹操の政令と宣撫にようやく落着いて、常態に復しかけてきた。
「まず、徐州はこれでいい」
曹操の考えは次の作戦に移っていた。
戦争と政治は、併行する。二本の足を、交互に運ぶようなものである。
「――残るは

と、彼はもうその地方まで呑んでいる気概であったが、大事をとって一応、事情に明るい陳登に下

「下


陳登はなお云い足して、
「なぜ玄徳が妻子を下

曹操は往年の戦を思い出しながら、
「なにさま、予にとって、下



荀

「関羽を城中においては、百たび攻めても陥ちますまい。策の妙諦は、ただいかにして、関羽を城外へおびきだすかにありましょう」と、いった。
「それには?」と、たたみかけて、曹操が問うとまた、
「押しつめて、わざとゆるみ、敵を
「なるほど、関羽さえ
曹操は、荀

「実をいうと、予は遠い以前から、関羽の男ぶりに恋しておる。沈剛内勇、まことに

むずかしい注文である。諸将は顔を見あわせていた。
「関羽の勇は、万夫不当と、天下にかくれもないものです。討ち殺すさえ、容易ではありません。しかるにそれを手捕りにせよとのご命令では、どれほどの兵を犠牲にするやも計られず、また下手をすれば、却って彼に乗じられるおそれがないとも限りませんが」
すると、
「お案じあるな。拙者が関羽を説いてお味方へ降らせましょう」と、いった。


「君はその自信があるのか」と、口をそろえて反問した。
「ある!」
張遼は、ひるみなく答えた。
「諸氏は関羽の勇だけをおもんぱかっておられるようだが、拙者のもっとも至難と考えるところは、彼が人いちばい、忠節と信義にあつい点である。しかし幸いにも、拙者と彼とは、――形の交わりはないが、つねに戦場の好敵手として、相見るたび、
「よかろう。張遼にひとつ、説かせようではないか」
曹操は、かれの乞いを容れようとした。英雄、英雄を知る。張遼と関羽のあいだに心契があるということは、いかにもあり得べきことと同感をもったからである。
だがなお、程

「いや、その儀なら拙者に、いま陣中にある徐州の捕虜二百ほどをおあずけ下されば、違算なく下


張遼の自信は相当つよい。
玄徳を離れた徐州の捕虜を用いて一体どうするのかと、その計を問うと、
「わざと、捕虜を放して、下

曹操は手を打って、
「それぞ、
参謀部の方策はきまる。
降参人二百ばかり、利をさとされて、陣地から潰乱して走りだした。もちろん夜が選ばれた。
夜明けから朝にかけて、彼らは下

「徐州へは、曹操の直属軍がかかってきたので、ひとたまりもなく落城しましたが、曹操とその中軍は、勝ち誇って、そこに止まっています。われわれを追いかけてきたのは
そんな声が、城内にまきちらされた。関羽は、雑兵たちのことばなので、すぐは受けとらなかったが、次々の物見の報らせにも、
「敵は存外、少数です」
「下

と、あるので、遂に城門をひらかせて、
手をかざして望むと夏侯惇、夏侯淵の二軍は、鳥雲の陣をしいて
――と見るうち、

「やあ、

関羽は、沈勇そのものの眉に口を
「おのれ、そういう者は曹操の部下夏侯惇であるな」
やはり彼にも感情はあった。心では烈火のごとく怒っていたものとみえる。――そのすがたにぶんと風を生じたかと思うと、
「うごくな! 片眼」
と、ひと声
もとより計る気の夏侯惇、善戦はしながらも、逃げては奔り、返しては
関羽は大いに怒って部下三千を叱咤し、自分も二十里ばかり追いかけた。
しかし彼の
関羽は気がついて、
「ちと、深入り」
急に引っ返しかけたが、それと共に、左に敵の徐晃、右には

さすがの関羽も、その矢道は通りきれない。道をかえんと駒を返すとそこからもわっと伏兵の
こうして彼は次第に、気の長い猛獣狩りの土蛮が
日もはや暮れて野は暗い。彼が逃げあがったのはひくい小山の上だった。夜に入ると、下

さきに城内へまぎれこんだ反間の埋兵が内から火を放って夏侯惇の人数を入れ、苦もなく、さしもの難攻不落、下

「計られたり、計られたり。このうえは、なんの面目あって主君にまみえようぞ。そうだ……夜明けと共に」
彼は、討死を決心した。
そして、明日をさいごの働きに、せめては少し身を休めておこう。馬にも草を喰わせておこう――そう心しずかに用意して、あわてもせず、夜の白むのを待っていた。
――朝露がしっとりと降りる。
「ものものしや……」
関羽は苦笑した。
山上の一石に、ゆったり腰をすえ、
すると、そこへ。
麓のほうから誰か登ってきた。
関羽はひとみを向けた。
自分の名を呼びかけてくるのである。
「……何者?」と、疑わしげに待ちかまえていると、やがて近く寄ってきたのは口に
ふたりは旧知の仲である。
平常の交わりはないが、戦場往来のあいだに、敵ながら何となくお互いに敬慕していた。
士は士を知るというものであろう。
「おう、張遼か」
「やあ、関羽どの」
ふたりは、胸と胸を接するばかり相寄って、ひとみに万感をこめた。
「ご辺はこれへ、何しに参られたか。――察するに曹操から、この関羽の首を携えてこいと命ぜられ、やむなくこれへ参られたか」
「いや、ちがう。平常の情を思い、貴公の最期を惜しむのあまり……」
「しからば、この関羽に、降伏をすすめにこられた次第か」
「さにもあらず。以前、それがしが貴公に救われたこともある。なんで今日、君の悲運をよそにながめておられようか」
張遼は石を指して、
「まず、それへかけ給え。拙者も腰をおろそう」と、ゆったり構え、「……すでにお覚りであろうが、玄徳も張飛も、共に敗れ去って行方もしれない。ただ玄徳の妻子は、

「……無念だ。……この関羽をお見込みあって、ご主君よりお預け給わったご家族をむなしく敵の手にまかすとは」
関羽は、首をたれて、長大息した。――自分の死は、眼前の朝露を見るごとくだったが無力な女性方や、幼い主君の遺子などを思うと、さしもの英豪も、涙なきを得なかった。
「……が、関羽どの。そのことについてなら、いささかご安心あるがよい。曹丞相は、下

「おう、そうか」
「実は、その儀をお伝えしたいと思って、曹丞相のおゆるしのもとにこれへ参ったわけでござる」
聞くと関羽は、
「さてはやはり、恩を売りつけて、われに降参をすすめんとする意中であろう。笑うべし、笑うべし。曹操もまた、英雄の心を知らぬとみえる。……たとい今、この絶地に孤命を抱くとも、死は帰するにひとし、露ほども、
苦々しげに云い
「それを英雄の心事と、自負されるに至っては、貴公もちと小さいな。……あはははは、貴公のいう通りに終ったら、
「忠義をまっとうして討死いたすのが、なんで笑いぐさになるか」
「されば、ここで貴公が討死いたせば、三つの罪があとで、数えられよう。忠義も
「こころみに訊こう。三つの罪とは何か」
「死後、玄徳がまだ生きておられたら
関羽は頭をたれたまま、やや久しく、考えこんでいた。
張遼の言には、友を思う真情がこもっていた。また、道理がつくされている。
理と情の両面から責められては、関羽も
張遼は、ことばを重ねて、
「ここで捨てるお命を、しばし長らえる気で、劉玄徳の消息をさぐり、ふたつには、玄徳から託された妻子の安全をまもり、義を完うなされたらどうですか。……もしそのお心ならば、不肖悪いようには計らいませんが」と、説いた。
関羽は、好意を謝して、
「かたじけない。もしご辺の注意がなければ、関羽はこの一丘の草むらに、匹夫の墓をのこしたでござろう。思えば浅慮な至りであった。――しかし、なにを申すも敗軍の孤将、ほかに善処する道も思案もなかったが、いまご辺の申されたように、義に生きられるものならば、どんな
「そのためには、一時、曹丞相へ降服の礼をとり給え。そして堂々貴公からも条件を願い出られては如何?」
「望みを申そうなら三つある。――そのむかし桃園の義会に、
「して、あとの二つの条件は」
「劉皇叔の二夫人、御嫡子、そのほか
「その儀も、承りおきます。次に、さいごの一条は」
「いまは劉皇叔の消息も知れぬが、一朝お行方の知れた時は、関羽は一日とて、曹操のもとに
「心得ました。即刻、丞相にお旨をつたえて、ふたたびこれへ参るとします。――
張遼は、山を駆け下りて行った。至情な友の後ろすがたに、関羽は
馬にとびのると、張遼は一鞭あてて、

もちろん関羽の希望する三条件も、そのまま告げた。剛腹な曹操も、この条件の重さに、おどろいた顔色であったが、
「さすがは関羽、果たして、予の
と、その一箇条には、初め難色があったが、張遼がここぞと熱意をもって、
「いや、関羽が、ふかく玄徳を慕うのも、玄徳がよく関羽の心をつかんだので、もし丞相が親しく彼をそばへ置いて、玄徳以上に、目をおかけになれば、――長いうちには必ず彼も遂に丞相の恩義に服するようになりましょう。士はおのれを知るものの為に死す――そこは丞相がいかに良将をお用いになるかの腕次第ではございませぬか」
と、説いたので、曹操も遂に、三つの乞いをゆるし、すぐ関羽を迎えてこいと、恋人を待つように彼を待ちぬいたのであった。
一羽の
遠方から望むと、
「お待たせいたしました」
張遼はふたたびそこへ息をきって登ってきた。そして自分の歓びをそのまま、
「関羽どの、歓ばれよ。貴公の申し出られた三つの条件は、ことごとく丞相のご快諾を得るところとなった。さあ、拙者と同道して、山を降りたまえ」と、告げた。
すると、関羽は、
「あいや、なお少々、ご猶予を乞いたい。さきに申した条件は、関羽一個の意にすぎない。この関羽としては、ついに、そうするしか道はないと覚悟したが、なお二夫人のお心のほどははかられぬ……」
「それまでご
「いやいやそうでない。お力のない
「では、その後で、かならず丞相の陣門へ、降服して参られるか」
「きっと、出向く」
「しからば、後刻」と、武士と武士のことばをつがえて、張遼は速やかに立ち去った。
曹操は、やがて張遼から、その要求を聞いて、
「諸軍、囲みを解いて、速やかに三十里外に退くべし」と、発令した。
謀将荀

「まだ関羽の心底はよくわかりません。もし、変を生じたらどうしますか」
と、伝令をとめて、曹操に
曹操は、快然一笑して、
「関羽がもし約束を
といって、ためらいなく全軍を遠く開かせた。
小手をかざして山上から

番兵が
「オオ、関将軍か」と、幼児の手をひいてまろび出てきた。
「和子さまにも、おふた方にも、おつつがなくお
関羽は、階をへだてて平伏し、二夫人の無事をながめた安心やら……こもごもな感慨につつまれて、しばらくは面も上げなかった。
「夕べ、落城となって、死を決めていましたが、思いのほか、殺されもせず、このとおり曹操から手厚く守られています。……将軍、お身もよう無事でもどってくれましたね。どうか生命をいとしんで、
一時、曹操に降って、主君のお行方をさがすつもりで――と関羽が交渉の仔細を告げると二夫人とも泣きはれた眼をみはって、
「でも、曹操に
と、さすがにやや
一夫多妻を伝統の風習としているこの民族の中では、玄徳の室など、至極さびしいほうであった。
甘夫人は、糜夫人より若い。
美人のおもかげは、むしろ年上の糜夫人のほうに偲ばれる。
それも道理で、もう女の
実に今を去る十何年か前。
まだ玄徳が、
五台山の
一子がある。六歳になる。
けれど病弱だった。
今日のような境遇になってみると、むしろ平和な日に安心して逝ったので、心のこりのない気がするものは、玄徳の母であった。
長命したほうである。
それに、玄徳としては、まだ不足だったが、老母としては、充分に安心して逝ったであろうほど、子が世に出たのも見て逝った。
その老母は、徐州の城にいたころ、世を去ったのである。
――で、二夫人と、病弱な一児のほかは、
玄徳もどんなにか、他国の空でこの二夫人と、一児の身を、案じ暮していることだろうか。二夫人が、玄徳を慕って、すでに敵の
「……その儀は、決してご心配にはおよびませぬ。降服と申しても、ただの降服ではありません。三つの条件を、曹操とかたく約してのことです。――もしご主君の居所がわかったときは、暇も乞わず、すぐ劉皇叔のもとへ馳せ参りますぞと――約束の一条に加えてありまする。ですから、その折には、関羽がお供いたして、かならずご一同さまと皇叔とを、ご対面おさせ申しましょうほどに、じっと、それまでは、敵地でのご辛抱をおねがい申しあげまする」
彼の至誠に、二夫人は、
「よいように……ただそちのみを、頼みに思いますぞ」
と、涙にくれていうばかりだった。
関羽はやがて、残兵十騎ばかりを従えて、悠々と、曹操の陣門を訪れた。
曹操は、自身
あまりの破格に、関羽があわてて地に拝伏すると、曹操もまた、礼を施した。
関羽は、いつまでも地から起たず、
「それではご挨拶のいたしようがありません」と、いった。
「将軍、なにを窮するのか」
曹操が、気色うるわしく訊ねると、
「すでに、この関羽は、あなたから
「将軍に害を加えなかったのは将軍の純忠によることです。また相互の礼は予は漢の臣、おん身も漢の臣、官位はちがってもその
曹操は、先に大歩して、案内に立つ。
通ってみるとすでに一堂には
そして中堂をめぐって整列していた曹操の親衛軍は、関羽のすがたを見ると一斉に
降将とはいえ、さながら賓客の礼遇である。曹操は関羽を堂にむかえて、すこしも下風に見る容子はなく、おもむろに対談しはじめた。
「きょうは実に愉快な日だ。曹操にとっては、日頃の恋がかなったような――また一挙に十州の城を手に入れたよりも大きな歓びを感じる。しかし羽将軍には、どう思われるか」
「面目もない――その一言につきております」
「さりとは似あわしからぬことば、それは世のつねの敗軍の将のことで、羽将軍のごときは、名分ある降服というべきで
「さきに張遼を通じて、お約束を乞うた三つの箇条は、とくとおきき届けくだされた由、丞相の大恩としてふかく心に銘記します」
「案じ給うな、武人と武人の約束は金鉄である。予も徳のうすい人間であるが、四海を感ぜしめんためには、誓って
「かたじけない。さるお誓いのあるうえは、やがて故主玄徳の行方がわかり次第にこの関羽は直ちにお暇も乞わずに立ち去るものとお思いください。火を踏み、水を越ゆるともその時には、あなたの側にとどまっておりますまい」
「ははは、羽将軍は、なお曹操の心事をお疑いとみえるな。ご念には及ばん……」
曹操はいったが、笑いにまぎらした中に、おおい得ない感情が圧しつぶされていた。その苦味を打ち消すように、
「さあ、あちらの閣に、盛宴のしたくができておる。わが幕僚たちともお
万歳の杯をあげて、諸将もみな酔ったが、平常でも朱面の関羽が、たれの顔よりも朱かった。
酔に乗じて、曹操は、
「羽将軍、君が会わんと願っているひとは、おそらく乱軍のなかでもう屍になっているかも知れんな。むしろ霊を祭って、ひそかに
関羽は、酔うとよけい、酒の
「それと分った時でも、それがしはきっと、丞相の側に居なくなるでしょう」
と、髯の中で笑った。
「どうしてか。玄徳が討死にしてしまったら、もう君の行く先はあるまい」
「いや、丞相」と、幅のひろい胸を向け直して、「――この髯が、
冗談などいうまいと思っていた関羽が、計らずも、戯れたので、曹操は手をたたいて、
「そうか。あははは、なるほど、その髯が、みんな翼になったら、十羽ぐらいな鴉になろうな」と、哄笑した。
かくてまず、徐州地方に対する曹操の一事業はすみ、次の日、かれの中軍は早くも凱旋の途についた。
関羽は、主君の二夫人を車に奉じ、特に、前から自分の部下であった士卒二十余人と共に、車をまもって、寸時も離れることなく、――
やがて
許都へ来ては、諸将は各

一館の
そして関羽も、時々、無事閑日の身を、そこの門番小屋の中において、書物など読みながら、手不足な番兵の代りなど勤めている日もあった。
曹操は政治にたいしても、人いちばいの情熱をもって当った。許都を中心とする新文化はいちじるしく
「政治こそ、人間の仕事のうちで、最高な理想を行いうる大事業だ」
と信じて、年とるほど、政治に抱く興味と情熱はふかくなっていた。
この頃――
ようやくそのほうも一段落して、身に小閑を得ると、彼はふと思い出して、
「そうだ――時に例の関羽は、都へきてから、なにして暮しておるか」と侍臣にたずねた。
それに答えて
「相府へはもちろんのこと、街へも出た様子はありません。二夫人の御寮を護って、番犬のように、門側の小屋に起居し、時々院の外を通る者が、のぞいて見るとよく読書している姿を見うけるそうで」と、彼の近況を語ると、曹操は打ちうなずいて心から同情を寄せるように、
「さもあらん、さもあらん。――英雄の心情、
その同情のあらわれた数日の後、曹操は急に関羽を
そして朝廷に伴って、天子にまみえさせた。もとより
「たのもしき武人である。しかるべき官位を与えたがよい」と、勅せられた。
曹操のはからいで、即座に、
まもなく曹操は、また、関羽のために、勅任の
席上、関羽は、上賓の座にすえられ、
「羽将軍のために」と、曹操が、音頭をとって乾杯したが、その晩も、関羽は黙々と飲んでいるだけで、うれしいのか迷惑なのか分らない顔していた。
宴が終ると、曹操はわざわざ近臣数名に、
「羽将軍をお送りしてゆけ」
と、いいつけ、
だが、関羽の眼には、珠玉も金銀も、瓦のようなものらしい。そのひとつすら身には持たず、すべて二夫人の内院へ運ばせて、
「曹操がこんなものをよこしました」と、みな献じてしまった。
曹操は、後に、それと聞いて、
「いよいよゆかしい
三日に小宴、五日に大宴、といったふうに
武将が良士を熱愛する度を云い現わすことばとしてこの国の古くからの――馬にのれば金を与え、馬を降れば銀を贈る――というたとえがあるが、曹操の態度は、それどころでなかった。
都の内でも、選りすぐった美女十人に、
「羽将軍を口説き落したら、おまえたちの望みは、なんでもかなえてやる」
と、云いふくませて、
「これは、これは、花園の中にでもいるようだぞ。きれいきれい。目がまわる――」
と、
或る日、ぶらりと、関羽のすがたが相府に見えた。
二夫人の内院が、建築も古いせいか、雨漏りして困るので修築してもらいたいと、役人へ頼みにきたのである。
「かしこまりました。さっそく丞相に伺って、ご修理しましょう」
役人から満足な返事を聞いて、ゆたりゆたり帰りかけてゆく彼のすがたを、ちらと曹操が楼台から見かけて、「あれは、羽将軍ではないか」と、侍臣をやって、呼びもどした。
「なにか御用ですかな」
関羽は、うららかな面をもってやがてそれへ来た。
曹操は手ずから秘蔵の
「将軍の着ておられる緑の
と、見事な一領の
「ほ。……これは
関羽はもらい受けると、それを片手に抱えて帰って行った。ところが、その後、何かの折に、曹操がふと関羽の襟元を見ると、さきに自分の与えた錦の袍は下に着て上には依然として
「羽将軍、君は武人のくせに、えらい倹約家だな。なぜそんなに物惜しみするのかね」
「え。どうしてです? 特に
「いや、やはりどこか、遠慮があるのだろう。曹操が
「あ。このことですか」
関羽は自分の袖を顧みて、
「これはかつて、劉
聞くと、曹操は感に打たれたものの如く、心のうちで、(ああ
「すぐお帰りください。おふた方が今、何事か嘆いて、羽将軍を呼んでいらっしゃいます」
と、関羽へ告げると、
「え。何か起ったのか」
と、関羽は、それまで話していた曹操へ、あいさつもせず馳け去ってしまった。
本来、こんな無礼をうけて、黙っている曹操ではないが、曹操は置き捨てられたまま
「……実に、純忠の士だ。
曹操は、心ひそかに、自分と玄徳を比較してみた。そしてどの点でも、玄徳に劣る自分とは思われなかったが――ただひとつ、自分の麾下に、関羽ほどな忠臣がいるかいないか――と、みずから問うてみると、
(それだけは劣る)と、肯定せずにいられなかった。彼の意中のものは、いよいよ熱烈に、
(きっと関羽を、自分の徳によって、心服させてみせる。自分の臣下とせずにはおかん)
と、人知れぬ誓いに固められていた。
二夫人の使いをうけた関羽は、わき目もせず寮へ帰って行った。そして内院へ伺ってみると、二夫人は抱き合って、なお
「どうなされたのでござる。何事が起ったのですか」
関羽がたずねると、
「オオ関羽か。……どうしましょう。もう生きているかいもない。いっそのこと死のうかと思うたが、将軍の心に
と、共々に、
関羽は、おどろいて、
「死のうなどとは、
ようやく、すこし落着いて、糜夫人がわけを語りだした。聞いてみると、なんのことはない、糜夫人が今日うたた寝しているうち、夢に、玄徳の死をありありと見たというのであった。
「あははは、何かと思えば夢をごらんになって
関羽は打ち消して、しきりと陽気な話題へわざと話をそらした。
いかに鄭重に守られ、不自由なく暮していてもここは敵国の首府、二夫人の心を思いやると、夢にもおびえ泣く
「長いこととは申しません。そのうちにかならず皇叔にご対面の日がまいるように、誓って関羽が計らいまする。それまでのご辛抱と思し召して、おふた方とてただご自身のおからだを大事に遊ばしますように」
すると、内院の苑へ、いつのまにか曹操の侍臣が来ていた。関羽の帰り方があわただしかったし、二夫人の使いというので、曹操も
関羽に見つかると、曹操の侍臣はすこし間が悪そうに、
「御用がおすみになったら、またすぐお越しくださるようにと、丞相はご酒宴のしたくをして、再度のお運びを、待っておられます」と、いった。
関羽はふたたび相府の官邸へもどって行った。酒をのんでも心から楽しめないし、曹操と会っている間も、故主玄徳を忘れ得ない彼であったが、
(いまここで彼の機嫌を損じては――)
と、胸にひとり
先刻とはべつな閣室に、花を飾り、美姫をめぐらし、善美な
「やあ、御用はもうおすみか」
「中座して、失礼しました」
「きょうはひとつ、将軍と飲み明かしたいと思っていたのでな」
「
さりげなく杯に向ったが、曹操は、関羽の瞼に泣いたあとがあるのを見て意地わるくたずねた。
「将軍には、何故か、泣いてきたとみえるな。君も泣くことを初めて知った」
「あははは。見つかりましたか。それがしは実はまことに泣き虫なのです。二夫人が日夜、劉皇叔をしたわれてお嘆きあるため、実はいまも、貰い泣きをしてきたわけでござる」
つつまずにそういった関羽の大人的な態度に、曹操はまた、
「君の髯は、実に長やかで美しいが、どれほどあるかね、長さは」
関羽の髯は有名だった。
長やかで美しい
「おそらく都門
いま曹操から、その髯のことを訊かれると、関羽は、胸をおおうばかり垂れているその
「立てば髯のさきが半身を超えましょう。秋になると、万象と共に、数百根の古毛が自然にぬけ落ち、冬になると草木と共に
「それほど大切にしておられるか。君が酔うと髯もみな酒で洗ったように麗しく見える」
「いやお恥かしい。髯ばかり美しくても、五体は
なんの話が出ても、関羽はすぐ自身を責め、また玄徳を思慕してやまないのであった。そのたび曹操はすぐ話をそらすに努めながら、心のうちで、関羽の忠義に感じたり、反対に、ほろ苦い男の
つぎの日。
帝は、関羽が、錦のふくろを胸にかけているので、怪しまれて、
「それは何か」と、ご下問された。
関羽は嚢を解いて、
「臣の髯があまりに長いので、丞相が嚢を賜うたのでござる」と、答えた。
人なみすぐれた大丈夫の腹をも過ぎる漆黒の長髯をながめられて、帝は、微笑しながら、
「なるほど、
それ以来、殿上から聞きつたえて、諸人もみな、関羽のことを、
「美髯公。美髯公」と、呼び慣わした。
朝門を辞して帰る折、曹操はまた、彼がみすぼらしい
「なぜもっと良い飼糧をやって、充分に馬を肥やさせないのか」と、武人のたしなみを咎めた。
「いや、何せい此方のからだが、かくの如く、長大なので、たいがいな馬では痩せおとろえてしまうのです」
「なるほど、凡馬では、乗りつぶされてしまうわけか」
曹操は急に、侍臣をどこかへ走らせて、一頭の馬を、そこへ曳かせた。
見ると、全身の毛は、炎のように赤く、眼は、二つの
「――美髯公、君はこの馬に見おぼえはないかね」
「うウーム……これは」
関羽は眼を奪われて、恍惚としていたが、やがて膝を打って、
「そうだ。呂布が乗っていた
「そうだ。せっかく分捕った
「えっ、これを下さるか」
関羽は再拝して、喜色をみなぎらした。彼がこんなに歓ぶのを見たのは曹操も初めてなので、
「十人の美人を贈っても、かつてうれしそうな顔ひとつしない君が、どうして、一匹の畜生をえて、そんなに歓喜するのかね」と、たずねた。
すると関羽は、
「こういう千里の駿足が手にあれば、一朝、故主玄徳のお行方が知れた場合、一日のあいだに飛んで行けますからそれを独り祝福しているのです」と、言下に答えた。
「しまった……」と、唇を噛みしめていた。
どんな憂いも長く顔にとどめていない彼も、その日は終日ふさいでいた。
で、曹操にむかい、
「ひとつ、私が、親友として関羽に会い彼の本心を打診してみましょう」
と申しでた。
曹操の内諾を得て張遼は数日ののち関羽を訪ねた。
世間ばなしの末、彼はそろそろ探りを入れてみた。
「あなたを丞相に薦めたのはかくいう張遼であるが、もう近頃は都にも落着かれたであろうな」
すると関羽は答えて、
「君の友情、丞相の芳恩、共にふかく心に銘じてはおるが、心はつねに劉皇叔の上にあって、都にはない。ここにいる関羽は、
「ははあ、……」と、張遼は、そういう関羽をしげしげ眺めて、
「大丈夫たる者は、およそ事の
「丞相の高恩は、よく分っているが、それはみな、物を賜うかたちでしか現わされておらぬ。この関羽と、劉皇叔との誓いは、物ではなく、心と心のちぎりでござった」
「いや、それはあなたの曲解。曹丞相にも心情はある。いや士を愛するの心は、決して玄徳にも劣るものではない」
「しかし、劉皇叔とこなたとは、まだ一兵一槍もない貧窮のうちに結ばれ、百難を共にし、生死を誓ったあいだでござる。さりとて、丞相の恩義を無に思うも武人の心操がゆるさぬ。何がな、一朝の事でもある場合は身相応の働きをいたして、日ごろのご恩にこたえ、しかる後に、立ち去る考えでおりまする」
「では。……もし玄徳が、この世においでなき時は、どう召さる気か」
「――地の底までも、お慕い申してゆく所存でござる」
張遼はもうそれ以上、武人の鉄石心に対して、みだりな追及もできなかった。
門を辞して帰るさも、張遼はひとり
「丞相は主君、義において父に似る。関羽は
しかし彼は、関羽の忠節を
「――行って参りました。
歯に
「君ニ
「けれどまた、関羽はこうもいっておりました。何がな一朝の場合には、ひと働きしてご恩を報じ、そのうえで立ち去らんと……」
張遼がいうのを聞いて、かたわらから

「さもあろう、さもあろう。忠節の士はかならずまた仁者である。だからこの上は、関羽に功を立てさせないに限ります。功を立てないうちは、関羽もやむなく、許都に留まっておりましょう」
劉備玄徳は、毎日、
ここ河北の首府、
なんといっても居候の境遇である。それに、万里音信の
「わが妻や子はどうなったか。ふたりの義弟はどこへ落ちたのか……」
思い悩むと、春日の
「上は、国へ奉じることもできず、下は、一家を保つこともできず、ただこの身ばかり安泰にある恥かしさよ……」
ひとり面をおおって、燈下に惨心を噛む夜もあった。
水は
――ああ、桃の咲くのを見れば、傷心はまたうずく。桃園の義盟が思い出される。
「関羽関羽、まだこの世にあるか? 張飛はいずこにあるか?」
仰ぐと、一
玄徳は、仰視していた。
――と、いつのまにか、うしろへ来て、彼の肩をたたいた者がある。袁紹であった。
「ご退屈であろう。こう春暖を催してくると」
「おおこれは」
「
「なんですか」
「実は、愛児の病も
「なるほど、安全な考えです。けれど田豊は学者ですから、どうしても机上の論になるのでしょう。私ならそうしません」
「其許ならどうするか」
「時は今なりと信じます。なぜならば、なるほど曹操の兵馬は強堅ですし、彼の用兵奇策は
「……むむ、そうか。そういわれてみると、田豊はつねに学識ぶって、そのくせ自家の
ほかにも何か気に入らないことがあったのであろう。袁紹はその後、田豊を呼びつけて、彼の消極的な意見を
「これは誰か、主君をそそのかした蔭の者があるにちがいない」
田豊は直感したので、日頃の奉公はこことばかり、なお
「汝は、河北の老職にありながら、わが河北の軍兵をさまで薄弱なものとあなどるか」
袁紹は怒って田豊を斬ろうとまでしたが、玄徳やそのほかの人々がおし止めたので、
「不吉なやつだ! 獄へ下せ」と、厳命してしまった。
「おのおの一族の兵馬
四州の大兵は、続々、戦地へ赴いた。
さすが富強の大国である。その装備軍装は、どこの所属の隊を見ても、物々しいばかりだった。
こんどの出陣にあたっては、おのおの一族にむかって、
「
沮授は田豊と共に、軍部の枢要にある身だった。そして田豊とは日頃から仲がいい。その田豊が、主君に正論をすすめて獄に下ったのを見て、
「世の中は計りがたい」と、ひどく無常を感じ、一門の親類をよんで、出立の前夜、家財宝物など、のこらず
そしてその別辞に、
「こんどの会戦は、千に一つも勝ち目はあるまい。もし
白馬の国境には、少数ながら曹操の常備兵がいた。しかし袁紹の大軍が着いてはひとたまりもない。馬蹄にかけられてみな逃げ散ってしまった。
先陣は、
「顔良の勇は用うべしですが、顔良の思慮は任ずべきでありません、それに先陣の大将を二人へ任じられるのもいかんと思いますが」と、袁紹に注意した。
袁紹は、耳をかさない。
「こんな鮮やかに勝っている戦争をなんで変更せよというのか。あのとおり
――一方。
国境方面から次々と入る注進やら、にわかに兵糧軍馬の動員で、洛中の騒動たるや、いまにも天地が
その中を。
例の
曹操に会って、関羽は、
「日頃のご恩報じ、こんどの大会戦には、ぜひ此方を、先手に加えてもらいたい」と、志願して出た。
曹操は、うれしそうな顔したが、すぐ何か、はっと思い当ったように、
「いやいや何のこの度ぐらいな戦には、君の出馬をわずらわすにはあたらん。またの折に働いてもらおう。もっと重大な時でもきたら」と、あわてて断った。
余りにもはっきりした断り方なので、関羽は返すことばもなく、すごすごと帰って行った。
日ならずして、曹軍十五万は、白馬の野をひかえた西方の山に沿うて布陣し、曹操自身、指揮にあたっていた。
見わたすと、
「
曹操の呼ぶ声に、
「はっ、宋憲はこれに」とかけ寄ると、曹操は何を見たか、いとも
「そちは以前、呂布の下にいた猛将。いま敵の先鋒を見るに、冀州第一の名ある顔良がわが物顔に、ひとり戦場を暴れまわっておる。討ち取ってこい、すぐに」
宋憲は
顔良の疾駆するところ、草木もみな
曹軍数万騎、
「見よ、見よ。すでに顔良一人のために、あのさまぞ。――だれか討ち取るものはいないか」
曹操は、本陣の高所に立って声をしぼった。
「てまえに仰せつけ下さい。親友
「オオ、
魏続は、
つづいて、名乗りかける者、取囲む者、ことごとく顔良の
「あわれ、敵ながら、すさまじき大将かな」と、舌打ちしておののいた。
彼ひとりのため、右翼は
「オオ、
と、口々に期待して、どっと
見れば、いま、中軍の一端から、
両雄の
しかし、顔良の
時すでに、薄暮に迫っていた。
やむなく曹操は、一時、陣を十里ばかり退いて、その日の難はからくもまぬがれたが、
すると翌朝、

「顔良を討つだろうと思える人は、まず関羽よりありません。こんな時こそ、関羽を陣へ召されてはどうです」――と。
それは、曹操も考えていないことではない。けれど関羽に功を立てさせたら、それを機会に、自分から去ってしまうであろう――という取越し苦労を抱いていた。
「日ごろ、恩をおかけ遊ばすのは、かかる時の役に立てようためではありませんか。もし関羽が顔良を討ったら、いよいよ恩をかけてご寵用なさればいいことです。もしまた顔良にも負けるくらいだったら、それこそ、思いきりがいいではありませんか」
「おお、いかにも」
曹操は、すぐ使いを飛ばし関羽に
歓んだのは関羽である。
「時こそ来れり」
とすぐ
しばしの暇をと聞くだに、二夫人はもう涙をためて、
「身を大事にしてたもれ。また、戦場へ参ったら、皇叔のお行方にも、どうか心をかけて、何ぞの手がかりでも……」と、はや
「ゆめ、お案じあそばすな。関羽のひそかに心がけるところも、実はそこにありまする。やがてきっとご対面をおさせ申しましょうほどに。――どうぞお嘆きなく。……では、おさらば」
青龍の
いま、曹操のまわりは、
なにか、布陣図のようなものを囲んで謀議に
「ただ今、羽将軍が着陣されました」
うしろのほうで、卒の一名が高く告げた。
「なに、関羽が見えたか」
よほどうれしかったとみえる。曹操は諸将を打捨てて、自身、大股に迎えに出て行った。
関羽はいま営外に着いて、赤兎馬をつないでいた。曹操の出迎えに恐縮して、
「召しのお使いをうけたので、すぐ拝領のこれに乗って、快足を試してきました」
馬の鞍を叩きながら云った。
曹操はここ数日の惨敗を、ことばも飾らず彼に告げて、
「ともかく、戦場を一望してくれ給え」
と、卒に酒を持たせ、自身、先に立って山へ登った。
「なるほど」
関羽は、髯のうえに、腕をくんで、十方の野を見まわした。
野に満ち満ちている両軍の精兵は、まるで
河北軍のほうは、
その一角と一角とが、いまや入り乱れて、
物見を連れたひとりの将が馳けあがってきた。そして、曹操の遠くにひざまずき、
「またも、敵の顔良が、陣頭へ働きに出ました。――あの通りです。顔良と聞くや、味方の士卒も
息をあえぎながら叫んだ。
曹操はうめくように、
「さすがは強大国、いままで曹操が敵として見た諸国の軍とは、質も装備も段ちがいだ。
関羽は笑って、
「丞相、あなたのお眼には、そう映りますか。それがしの眼には、
「いや、いや、敵の士気の
「ははは。あのような虚勢に向って、金の弓を張り、玉の矢をつがえるのは、むしろもったいないようなものでしょう」
「見ずや、羽将軍」
曹操は指さして、
「あのひらめく
「そうですな。顔良は、背に
「はて。きょうのご辺は、ちと広言が多過ぎて、いつもの謙譲な羽将軍とはちがうようだが」
「その筈です。ここは戦場ですから」
「それにしても、あまりに敵を軽んじ過ぎはしまいか」
「否……」と、身ぶるいして、関羽は
「決して、広言でない証拠をいますぐお見せしましょう」
「顔良の首を予のまえに引ッさげてくるといわれるか」
「――軍中に
関羽は、士卒を走らせて、赤兎馬をそこへひかせ、

時しも春。
河南の草も
久しく戦場に会わない赤兎馬は、きょうここに、
「
やおら、八十二斤という彼の青龍刀は鞍上から左右の敵兵を、
圧倒的な優勢を誇っていた河北軍は、
「何が来たのか?」と、にわかに崩れ立つ味方を見て疑った。
「関羽。関羽とは何だ」
知るも知らぬも、暴風の外にはいられなかった。
関羽が通るところ、見るまに、
その姿を「演義三国志」の原書は、こう書いている。
――
顔良は、それを眺めて、
「ややや、
さっと、大将
――より早く、関羽も、幡を目あてに近づいていた。それと、彼のすがたを見つけていたのである。
赤兎馬の尾が高く躍った。
一
「顔良は、
それに対して、
「おっ、われこそは」
と、だけで、次を云いつづける間はなかった。
その迅さと、異様な圧力の下から、身をかわすこともできなかった。
顔良は、一刀も酬いず、偃月刀のただ一
ジャン! とすさまじい金属的な音がした。
関羽はその首を取って悠々駒の鞍に結びつけた。
そして忽ち、敵味方のなかを馳けてどこかへ行ってしまったが、その間、まるで戦場に人間はいないようであった。
河北勢は旗を捨て、
もちろん機を見るに敏な曹操が戦機を察してただちに、
「すわや、今だぞ」と、総がかりを下知し、

関羽はたちまち、以前の山へ帰ってきていた。顔良の首は、曹操の前にさし置かれてある。曹操はただもう舌を巻いて、
「羽将軍の勇はまことに人勇ではない。
「何の、それがし如きはまだいうに足りません。それがしの義弟に
と、答えた。
曹操は、
「貴様たちも覚えておけ。燕人張飛という名を、
後陣の支援によって、からくも
「いったい、わが顔良ほどな豪傑を、たやすく討ち取った敵とは、何者だろう。よも
「おそらくそれは、玄徳の
しかし、袁紹は、
「そんなはずはあるまい。いま玄徳は、一身をこの袁紹に頼んで、ここへも従軍しておるのに」
と、疑って信じなかったが、念のため、前線から敗走してきた一兵を呼んで、
「顔良を討ったのは、どんな大将であったか、目撃したところを語れ」と、ただしてみた。
その
「おそろしく赤面で、
袁紹は何ともいえぬ
「玄徳を引ッぱってこい!」と、左右へ怒号した。
諸士は争って、玄徳の陣屋へ馳け、有無をいわせず、彼の両手をねじあげて、袁紹のまえに
袁紹は、彼を見るなりいきりたって、頭から罵った。
「この恩知らずめ! よくも曹操と内応して、わが大事な勇将を義弟の関羽に討たせおったな。――顔良の生命はかえるよしもないが、せめて汝の首を
玄徳は、あえて畏れなかった。身に覚えのない出来事だからである。
「お待ちください。平常、ご思慮ある将軍が、何とて、きょうばかりさように
そういわれると、「むむ……それも一理あること」と、
武将の大事な資格のひとつは、果断に富むことである。その果断は、するどい直感力があってこそ生れる。――実に袁紹の短所といえば、その直感の鈍いところにあった。
玄徳は、なお弁明した。
「徐州にやぶれて、孤身をご
「いや、もっともだ。……だいたい、
と、玄徳を、座上に請じて、沮授に謝罪の礼をとらせ、そのまま敗戦
すると、侍立の諸将のあいだから、一名の将が前へすすんで、
「兄顔良に代る次の
見れば、面は
文醜は、顔良の弟で、また河北の名将のひとりであった。
「おお、先陣を望みでたは文醜か。
袁紹は激励して、十万の精兵をさずけた。
文醜は、即日、黄河まで出た。
曹操は、陣をひいて、河南に兵を布いている。
「敵にさしたる戦意はない、
沮授は心配した。
袁紹を諫めて、
「どうも、文醜の用兵ぶりは、危なくて見ていられません、機変も妙味もなく、ただ進めばよいと考えているようです。――いまの上策としては、まず
人の善言をきかないほど頑迷な袁紹でもないのに、なぜかこの時は、ひどく我意をだして、
「知らないか。――兵ハ
沮授は、黙然と外へ出て、「――
その日から、沮授は
袁紹もすこし云い過ぎたのを心で悔いていたが、迎えを重ねるのも
その間に玄徳は、
「日頃、大恩をこうむりながら、むなしく中軍におるは本望ではありません。かかる折こそ、将軍の高恩にこたえ、二つには顔良を打った関羽と称する者の実否をたしかめてみたいと思います。どうか私も、先陣に出していただきたい」と、嘆願した。
袁紹は、ゆるした。
すると、
「先陣の大将は、それがし一名では、ご安心ならぬというお心ですか」
「そんなことはない。なぜそんな不平がましいことをいうか」
「でも玄徳は、以前から戦に弱く、弱い大将というのでは、有名な人間でしょう。それにも先陣をお命じあったのは、いかなるわけか、近ごろ御意を得ぬことで」
「いやいやひがむな。それはこうだ。玄徳の才力を試そうためにほかならん」
「では、それがしの軍勢を、四分の一ほども分け与えて、二陣に置けばよろしいでしょうな」
「むむ。それでよかろう」
袁紹は、彼のいうがままに、その配置は一任した。
こういうところにも、袁紹の性格は出ている。何事にも煮えきらないのである。戦に対して、彼自身の独創と信念がすこしもない。
ただ彼は、父祖代々の名門と遺産と自尊心だけで、将士に対していた。彼の
文醜は、帰陣すると、「
関羽が、顔良を討ってから、曹操が彼を重んじることも、また昨日の比ではない。
「何としても、関羽の身をわが
いよいよ誓って、彼の勲功を帝に奏し、わざわざ朝廷の
それが出来上ると、彼は
「……これを、それがしに賜わるのですか」
関羽は一応、恩誼を謝したが、受けるともなく、印面の文を見ていた。
と、ある。
すなわち寿亭侯に封ずという辞令である。
「お返しいたそう。お持ち帰りください」
「お受けにならんのか」
「
「どうして?」
「ともあれ、これは……」
なんと説いても、関羽は受け取らない。張遼はぜひなく持ち帰って、ありのまま復命した。
曹操は、考えこんでいたが、
「印を見ぬうちに断ったか。印文を見てから辞退したのか」
「見ておりました。印の五文字をじっと……」
「では、予のあやまりであった」
曹操は、何か気づいたらしく、早速、鋳工を呼んで、印を改鋳させた。
改めてできてきた印面には、漢の一字がふえていた。
――
ふたたびそれを張遼に持たせてやると、関羽は見て、
「丞相は実によくそれがしの心事を知っておられる。もしそれがし
そういって、こんどは快く、印綬を受けた。
かかる折に、戦場から早馬が到来して、「袁紹の大将にして、顔良の弟にあたる
曹操は、あわてなかった。
まず行政官を先に派遣して、その地方の百姓をすべて、手ぎわよく、西河という地に移させた。
次に、自身、軍勢をひきいて行ったが、途中で、
「
と、変な命令を発した。
「こんな行軍法があろうか?」
人々は怪しんだが、ぜひなく、その変態陣のまま、
「案ずるに及ばん」
曹操は、立ち騒ぐ味方をしずめ、
「兵糧など捨て置いて味方の一隊は、北へ迂回し、黄河に沿って、敵の退路を
戦わぬうちから、すでに曹軍は散開を呈して、兵の凝集力を欠き、士気もあがらない様子を見たので、文醜は、
「見ろ、すでに敵は、わが破竹の勢いに恐れをなして、逃げ腰になっている」と、誇りきった。
そして、この図をはずすな、とばかり彼の大兵は、存分に暴れまわった。

「どうなることだ。今日の戦は。……こんなことをしていたら、やがてここも」
と、ほんとの逃げ腰になりかけてきた。
すると
「いや、もっけの幸いだ。これでいいんだ!」と、あたりの者へ呶鳴った。
すると曹操が、ジロリと、荀攸の顔を白眼で見た。
荀攸は、はっと、片手で口をおさえ、片手で頭をかいた。
荀攸は、曹操の計略をよく察していたのだった。
で、浮き腰立つ味方へ、ついに自分の考えを口走ったのであるが、いまや大事な戦機とて、
(要らざることをいうな!)と、曹操から眼をもって叱られたのも当然であった。
まず味方から
文醜を大将とする河北軍は、敵なきごとく前線をひろげ、いちどは、七万の軍隊が後方に大きな
「戦果は充分にあげた。勝ち誇って、単独に深入りするのは危ないぞ」
と、文醜も気づいて、日没頃ふたたび、各陣の凝結を命じた。
後方の占領圏内には、まっさきに潰滅した曹操の輜重隊が、諸所に、莫大な
「そうだ、
後方に退がると、諸隊は争ってこんどは兵糧のあばき合いを始めた。
山地はとっぷり暮れていた。曹操は、物見の者から、敵情を聞くと、
「それっ、
と、指揮を発し、全軍の
昼のうち、敗れて、逃げるとみせて、実は野に阜に河に林に、影を没していた味方は、狼煙を知ると、大地から湧き出したように、三面七面から
曹操も、野を疾駆しながら、
「昼、捨ておいた兵糧は敵を大網にかける
と、さけび、また
「
と、励ました。
麾下の張遼やら
「きたなし文醜。口ほどもなく何処へ逃げる」
うしろの声に、文醜は、
「なにをッ」と、振向きざま、馬上から鉄の半弓に
矢は、張遼の面へきた。
はッと、首を下げたので、

「おのれ」
怒り立って、張遼が、うしろへ迫ろうとした刹那、二の矢がきた。こんどはかわすひまなく、矢は彼の顔に突き立った。
どうっと、張遼が馬から落ちたので、文醜は引っ返してきた。首を掻いて持ってゆこうとしたのである。
「胆太い
徐晃が、躍り寄って、張遼をうしろへ逃がした。徐晃が得意の得物といえば、つねに持ち馴れた
文醜は、一躍さがって鉄弓を鞍にはさみ、大剣を横に払って、
「小僧っ、少しは戦に馴れたか」
「大言はあとでいえ」
若い徐晃は、血気にまかせた。しかし弱冠ながら彼も曹幕の一
大剣と白焔斧は、三十余合の火華をまじえた。徐晃もつかれ果て、文醜もみだれだした。四方に敵の嵩まるのを感じだしたからである。
一隊の
「敵か? 味方か?」
と、疑いながら、彼のさしている白い旗を間近まで進んで見ると、何ぞはからん、墨黒々、
と、書いてある。
謎の敵将関羽?
兄の
――文醜はぎょっとしながら駒をとめて、なお河べりの水明りを凝視した。
すると、肩に小旗をさした彼方の大将は、早くも、文醜の影を認めて、
「敗将文醜。何をさまようているか。いさぎよく、関羽に首を授けよ」
と、一鞭して馳け寄ってきた。
馬は、
「おおっ、汝であったか。さきごろわが兄の顔良を討った曲者は」
たがいに命を賭して、渡りあうこと幾十合、その声、その火華は黄河の波をよび、河南の山野にこだまして、あたかも天魔と地神が
そのうち、かなわじと思ったか、文醜は急に馬首をめぐらして逃げだした。これは彼の奥の手で、相手が図に乗って追いかけてくると、その間に剣をおさめ、鉄の半弓を持ちかえて、振向きざまひょうっと鉄箭を射てくる
だが、関羽には、その作戦も効果はなかった。二の矢、三の矢もみな払い落され、ついに、追いつめられて後ろから青龍刀の横なぎを首の根へ一撃喰ってしまった。文醜の馬は、首のない彼の胴体を乗せたまま、なお、果てもなく黄河の下流へ駈けて行った。
「敵将文醜の首、雲長関羽の手に挙げたり」
と呼ばわると、百里の闇をさまよっていた河北勢は、拍車をかけて、さらに逃げ惑った。
「今ぞ、今ぞ。みなごろしに、追いつめろ」
曹操は、かくと伝え聞くや、中軍の
討たれる者、黄河へおちて溺れ死ぬ者、夜明けまでに、河北勢の大半は、あえなく曹軍の餌になってしまった。
時に玄徳は、この戦のはじめから、文醜に邪魔もの扱いにされて、ずっと後陣に屯していたが、ようやく逃げくずれてくる先鋒の兵から、味方の第一陣の惨敗を聞き取って、
「こことても油断はならぬ」と、きびしく陣容を守りかためていた。
そして、ほうほうの態で逃げこんでくる敗兵がみな、口々に、
「文将軍を討ったのも、さきに顔将軍を討った
というので、夜明けとともに、玄徳は一隊を率いて前線の近くまで馬をすすめて見た。
黄河の支流は、ひろい野に、小さい湖や大きな湖を、無数に縫いつないでいる。ふかい春眠の霞をぬいで、山も水も鮮やかに明け放れてはいるが、夜来の
「オオ、あの小旗、あの白い小旗をさしている男です」
案内に立った敗兵のひとりが支流の対岸を指した。百獣を追いまわす獅子王のような敵の一大将が遠く見える。
「……?」
玄徳はややしばらく眸をこらしていた。小旗の文字がかすかに読まれた。「漢寿亭侯雲長関羽」――陽にひるがえるとき明らかにそう見えた。
「ああ! ……
玄徳は瞑目して、心中ひそかに彼の武運を天地に祈念していた。
すると、後方の湖を渡って、曹操の軍が退路を断つと聞えたので、あわてて後陣へ退き、その後陣も危なくなったので、またも十数里ほど退却した。
その頃、袁紹の救いがようやく河を渡って来た。で、合流して一時、官渡の地へひき移った。
「
「それは、まったくか」
「こんどは漢寿亭侯雲長関羽としるした小旗を負って、戦場へ出たそうですから、事実でしょう」
「玄徳を呼べ。いつぞやは巧言をならべおったが、今日はゆるさん」
「
斬れ――と彼が左右の将に命じたので、玄徳はおどろいてさけんだ。
「お待ちなさい。あなたは、好んで曹操の策に、乗る気ですか」
「汝の首を斬ることが、なんで曹操の策に乗ることになろうや」
「いや、曹操が関羽を用いて、顔良、文醜を討たせたのは、ひとえに、あなたの心を怒らせて、この玄徳を殺させるためです。考えてもご覧なさい。この玄徳はいま、将軍の恩養をうけ、しかも一軍の長に推され、何を不足にお味方の不利を計りましょうや。ねがわくばご賢察ください」
玄徳の特長はその
袁紹は形式家だけに、玄徳のそういう態度を見ると、すぐ一時の怒りを悔いた。
「いや、そうきけば、自分にも誤解があった。もし一時の怒りからご辺を殺せば袁紹は賢を
気色がなおると、彼はまた、甚だ
「こう敗軍をかさねたのも、ご辺の
玄徳は、頭を垂れて、
「そう仰せられると、自分も責任を感ぜずにはおられません」
「ひとつ、ご辺の力で、関羽をこっちへ招くことはできまいか」
「私が、今ここに来ていることを、関羽に知らせてやりさえすれば、夜を日についでも、これへ参ろうと思いますが」
「なぜ早くそういう良計を、わしに献策してくれなかったのか」
「義弟とそれがしの間に、まったく消息がなくてさえ、常に、お疑いをうけ勝ちなのに、もしひそかに、関羽と書簡を通じたりなどといわれたら、たちまち禍いのたねになりましょう」
「いや、悪かった。もう疑わん。さっそく消息を通じ給え。もし関羽が味方にきてくれれば、顔良、文醜が生きかえってくるにもまさる歓びであろう」
玄徳は
幕営のそと、星は青い。
玄徳はその夜、一
――もちろん関羽への書簡。
時おり、筆をやめて、
燈火は、陣幕をもる風に、パチパチと明るい
「あ……。再会の日は近い!」
彼は、つぶやいた。燈火明るきとき吉事あり――という
大戦は長びいた。
黄河沿岸の春も熟し、その後
曹操もひとまず帰洛して、将兵を慰安し、一日慶賀の宴をひらいた。
その折、彼は諸人の中で、
「
汝南には前から

かねて
「ぜひ有力な援軍を下し給わぬと、汝南地方は
ちょうど、宴の最中、人々騒然と議にわいたが、関羽が、
「願わくは、それがしをお遣りください」と、申し出た。
曹操は、歓びながら、
「おお、羽将軍が行けば、たちどころに平定しようが、先頃からご辺の勲功はおびただしいのに、まだ予は、君に恩賞も与えてない。――しかるにまたすぐ戦野に出たいとは、どういうご意志か」
と、すこし疑って訊ねた。
関羽は、答えていう。
「
曹操は、
あとで、

「よほどお気をつけにならんと、関羽は行ったまま、遂に帰ってこないかも知れません。始終容子を見ているに、まだ玄徳を深く慕っておるようです」
曹操も、反省して、
「そうだ、こんど汝南から帰ってきたら、もうあまり用いないことにしよう」と、うなずいた。
汝南に迫った関羽は、
関羽が前に引きすえて、二名の覆面をとらせてみると、そのひとりは、なんぞ計らん、共に玄徳の麾下にいた旧友の
「やあ、どうしたわけだ」と、びっくりして、自身彼の
関羽はなによりも先ずたずねた。
「
「されば、徐州離散の後、自分もこの汝南へ落ちのびてきて、諸所流浪していたが、ふとした縁から

「や。では敵方か」
「ま、待ちたまえ。――ところがその後、河北の袁紹からだいぶ物資や金が匪軍へまわった。曹操の側面を衝けという交換条件で――。そんなわけで折々河北の消息も聞えてくるが、先頃、ある確かな筋から、ご主君玄徳が、袁紹を頼まれて、河北の陣中におられるということを耳にした。それは確実らしいのだ。安んじ給え。いずれにせよ、ご健在は確実だからな」
故主玄徳はいま、河北に無事でいると聞いて、関羽は
「そうか。……ああ有難い。だがまさかおれを歓ばすために、根もない噂を聞かすのではあるまいな」
「なんの、
「天のご加護とやいわん」
関羽は、瞼をとじて、何ものかへ、恩を謝しているふうだった。
孫乾は、さらに声をひそめて、
「汝南の匪軍と、袁紹とは、いま云ったようなわけで、一脈の聯絡があるのだ。……だから明日の戦では、

「何で、彼らが、偽って逃げるのか」
「匪軍の将ながら、劉辟も

「わかった。彼らがその心ならば、手心をしよう。それがしは平定の任を果たせばそれでよい」
「そして、一度、都へ帰られた上、二夫人を守護してふたたび汝南へ下って参られい」
「おお、一日も急ごう。……すでにご主君の居どころが分ったからには、一刻半日もじっとしていられない心地はするが、そのお居所が、袁紹の軍中だけに、もしそれがしが不意に行ったら、どんな変を生じようもはかり難い。――なにせい先に顔良、文醜などの首をみなこの関羽が手にかけておるからな」
「では、こうしましょう。……この孫乾が、先に河北へ行って、あらかじめ袁紹とその周囲の空気を探っておきます」
「む、む。それなら万全だ。身に変事のかかることは怖れぬが、彼に身を寄せ給うているご主君が心がかり……。頼むぞ、孫乾」
「お案じあるな、きっと、そこを確かめて、あなたが二夫人を守護してくるのを、半途まで出て待っていましょう」
「おお、一刻もはやく、主君のご無事なおすがたを見たいものだ。ひと目、その思いを果たせばそれだけでも、関羽は満足、いつ死んでもよい」
「なんの、これからではありませんか、羽将軍にも似あわしくない」
「いや、気持のことだ。それほどまで待ち遠いというたまでのこと」
陣中すでに
関羽は、裏門からそっと、孫乾ともう一名の間諜を送りだした。
「怪しげな密談を? ……」と、宵から注意していた副将の
あくる日、匪軍との戦は、予定どおりの戦となった。
賊将の

すると

「忠誠の鉄心、われら土匪にすら通ず、いかで天の
関羽は苦もなく州郡を収めて、やがて軍をひいて都へ還った。
兵馬の損傷は当然すくない。
しかも、功は大きかった。曹操の歓待はいうまでもない。于禁、楽進はひそかに曹操に訴える機を狙っていたが、曹操の関羽にたいする信頼と敬愛の頂点なのを見てはへたに横から告げ口もだせなかった。
祝盃また大杯を辞せず、かさねて、やや陶然となった関羽は、やがて、その巨躯をゆらゆら運んで退出して来た。
大酔はしていたが、帰るとすぐ、彼は、二夫人の内院へ
「ただ今、汝南より凱旋いたしてござる。留守中なんのお
と、久しぶり拝顔して、
すると
「将軍、
と、もう涙ぐんで訊ねた。
関羽は、
「その儀については、まだ手がかりもありませぬ。さりながら、この関羽がついておりますゆえ、余りにお心を苦しめたもうな。何事も、関羽におまかせあって、時節をお待ち遊ばすように」
――と。甘夫人も、
そして恨めしげに、関羽へいうには、
「さだめし、わが
こうも思い、ああも思い、女性の感傷は、
「羽将軍も、むかしと違って、いまは曹操の
「何を仰せられますか」
酔も醒めて、関羽は胸を正した。そして改まって二夫人へこう諭した。
「それがしの
「えっ、何といやるか。……では、皇叔のお行方がすこしは分りかけているのですか」
「されば、河北の袁紹に身を寄せられて、先頃は黄河の後陣までご出馬と、ほのかに聞き及んでおりますものの、それとてもまだ風の便り、もっと確かめてみなければわかりません」
「将軍、それは、誰に聞きましたか」
「
「そ、それでは、内院を捨てて、許都から脱れ出るおつもりか……」
「しっ……」
関羽は不意にふり向いて、内院の
「……まだ、まだ、滅多なことを、お口に出してはいけません。再び、皇叔とご対面ある日まではじっとお身静かに、ただこの関羽をおたのみあって、何事も素知らぬふうにお暮しあれ。壁にも耳、草木にも眼がひそんでおるものと、お思い遊ばして」
玄徳が河北にいるという事実は、やがて曹操の耳にも知れてきた。
曹操は、
「ちか頃、関羽の容子は、どんなふうか」と、たずねた。張遼は、答えて、
「何か、思い事に沈んでおるらしく、酒もたしなまず、無口になって、例の内院の番兵小屋で、日々読書しております」と、はなした。
曹操の胸にはいま、気が気でないものがある。もちろん張遼もそれを察して、ひどく気を
「近いうちに、一度てまえが、関羽をたずねて、彼の心境をそれとなく探ってみましょう」
と、いって退がった。
数日の後。
張遼はぶらりと、内院の番兵小屋を訪れた。
「やあ、よくお出で下すった」
関羽は、書物をおいて、彼を迎え入れた。――といっても、門番小屋なので、ふたりの膝を入れると、いっぱいになるほどの狭さである。
「何を読んでおられるのか」
「いや、
「君は、春秋を愛読されるか。春秋のうちには、例の有名な
「べつに、どうも」
「うらやましいとはお思いにならぬか」
「……さして」
「なぜですか。たれも春秋を読んで、管仲と鮑叔の交わりを
「自分には、玄徳という実在のお人があるから、古人の交わりも、うらやむに足りません」
「ははあ。……では貴公と玄徳とのあいだは、いにしえの管仲、鮑叔以上だというのですか」
「もちろんです。死なば死もともに。生きなば生をともに。管仲、鮑叔ごとき
奔流のなかの
「――では、この張遼と貴公との交わりは、どうお考えですか」
と、斬りこむように、一試問を出してみた。すると、関羽は、はっきりと答えた。
「たまたま、御身を知って、浅からぬ友情を
「では、君と玄徳との、君臣の交わりとは、較べものにならぬ――というわけですな」
「訊くも愚かでしょう」
「しからばなぜ君は、玄徳が徐州で敗れた折、命をすてて戦わなかったか」
「それを止めたのは、貴公ではなかったか」
「……むむむ。……だが、さまで一心同体の仲ならば」
「もし、
「すでにご存じであろうが、いま玄徳は河北にいます。――ご辺もやがて尋ねてゆくお考えでござろうな」
「いみじくも仰せ下さった。
(――さてはこの人、近いうちに都を去って故主の許へかえる決心であるな)
と、張遼も、いまは明らかに観ぬいて心に
関羽の心底は、すでに決まっている。彼の心はもう河北の空へ飛んでいます。――
張遼が、そうありのままに復命することばを、曹操は黙然と聞いていたが、
「ああ、実に忠義なものだ。しかし、予の
と、大きく嘆息して、苦悶を眉にただよわせたが、
「よしよし。このうえは、予に彼を留める一計がある」
と、つぶやいて、その日から府門の柱に、一面の
――いまに何か沙汰があろう。張遼がなにかいってくるだろう。関羽はその後、心待ちにしていたが、幾日たっても、相府からは何の使いもない。
そのうちに、ある夜、番兵小屋をひきあげて、家にもどろうとすると、途中、物陰からひとりの男が近づいてきて、
「羽将軍。羽将軍……。これをあとでご覧ください」
と、何やら書簡らしい物を、そっと手に握らせて、風のように立ち去ってしまった。
関羽はあとで
彼は幾たびか独房の
なつかしくも、それは玄徳の筆蹟であった。しかも、玄徳は
君ト我トハ、カツテ一度ハ、桃園ニ義ヲ結ンダ仲デアルガ、身ハ不肖 ニシテ、時マタ利アラズ、イタズラニ君ノ義胆ヲ苦シマセルノミ。モシ君ガソノ地ニ於テ、ソノママ、富貴ヲ望ムナラバ、セメテ今日マデ、酬 イルコト薄キ自分トシテ、備 (自分のこと)ガ首級ヲ贈ッテ、君ノ全功ヲ陰ナガラ祷リタイト思ウ。
書中言ヲツクサズ、旦暮 河南 ノ空ヲ望ンデ、来命 ヲ待ツ。
と、してあった。書中言ヲツクサズ、
関羽は、劉備の切々な情言を、むしろ恨めしくさえ思った。富貴、栄達――そんなものに義を変えるくらいなら、なんでこんな
「いやもったいない。自分の義は自分のむねだけでしていること。遠いお方が何も知ろうはずはない」
その夜、関羽はよく眠らなかった。そして翌る日も、番兵小屋に独坐して、書物を手にしていたが、なんとなく心も書物にはいらなかった。
すると、ひとりの行商人がどこから
「お返辞は書けていますか」と、小声でいった。
よく見ると、ゆうべの男だった。
「おまえは、何者か」と、ただすと、さらに四辺をうかがいながら、
「袁紹の臣で
「こころは無性にはやるが、二夫人のお身を守護して参らねばならん……身ひとつなれば、今でもゆくが」
「いかがなさいますか。その脱出の計は」
「計も策もない。さきに
「……けれど、もし曹操が、将軍のお暇をゆるさなかったらどうしますか」
関羽は、微笑して、
「そのときは、肉体を捨て、
関羽の返事を得ると、陳震は、すばやく都から姿を消した。
関羽は次の日、曹操に会って、自身暇を乞おうと考えて出て行ったが、彼のいる府門の柱を仰ぐと、
と書いた「
また客も門にこの避客牌がかかっているときは、どんな用事があっても、黙々、帰ってゆくのが礼儀なのである。
曹操は、やがて関羽が、自身で暇を乞いにくるのを察していたので、あらかじめ牌をかけておいたのだった。
「……?」
関羽はややしばらく、その前にたたずんでいたが、ぜひなく踵をめぐらして、その日は帰った。
次の日も早朝に、また来てみたが依然として避客牌は彼を拒んでいた。
あくる日は夕方をえらんで、府門へ来てみた。
門扉は、夕べの中に、
関羽はむなしく立ち帰ると、

「不日、二夫人の
と、いいつけた。
甘夫人は、狂喜のいろをつつんで、関羽にたずねた。
「将軍、ここを去るのは、いつの日ですか」
関羽は、口すくなく、
「
彼はまた、出発の準備をするについて、二夫人にも云いふくめ、召使いたちにも、かたく云い渡した。
「この院に備えてある調度の品はもちろんのこと、日頃、曹操からそれがしへ贈ってきた
なお彼は、その間も、毎日、日課のように、府門へ出向いてみた。そしては、むなしく帰ることが七、八日に及んだ。
「ぜひもない。……そうだ、
ところがその張遼も、病気と称して、面会を避けた。何と訴えても、家士は主人に取次いでくれないのである。
「このうえはぜひもない!」
関羽は、長嘆して、ひそかに意を決するものがあった。真っ正直な彼は、どうかして曹操と会い、そして大丈夫と大丈夫とが約したことの履行によって、快く
「何とて、この
その夜、立ち帰ると、一封の書状をしたためて、
「一同、院内くまなく、大掃除をせよ」と、命じた。
掃除は夜半すぎまでかかった。その代りに、
「いざ、お供いたしましょう」
一
二十名の従者は、車に添ってあるいた。関羽はみずから赤兎馬をひきよせて打ちまたがり、手に
城門の番兵たちは、すわや車のうちこそ二夫人に相違なしと、立ちふさがって留めようとしたが、関羽が眼をいからして、
「指など御車に触れてみよ、汝らの細首は、あの月辺まで飛んでゆくぞ」
そして、からからと笑ったのみで、番兵たちはことごとく震い怖れ、
「さだめし、夜明けとともに、追手の勢がかかるであろう、そち達は、ひたすら御車を守護して先へ参れ。かならず二夫人を驚かし奉るなよ」
云いふくめて、関羽はあとに残った。そして