時刻ごとに見廻りにくる
明け方、まだ白い残月がある頃、いつものように府城、
「ひどく早いなあ。もう内院の門が開いとるが」
すると、ほかの一名がまた、
「はて。今朝はまた、いやにくまなく
「いぶかしいぞ」
「なにが」
「奥の中門も開いている。番小屋には誰もいない。どこにもまるで
つかつか門内へ入っていったのが、手を振って呶鳴った。
「これやあ変だ! まるで空家だよ!」
それから騒ぎだして、巡邏たちは奥まった苑内まで立ち入ってみた。
するとそこに、十人の美人が
「どうしたのだ? ここの二夫人や召使いたちは」
巡邏がたずねると、美姫のひとりが、黙って北のほうを指さした。
この十美人は、いつか
関羽は曹操から贈られた珍貴財宝は、一物も手に触れなかったが、この十美人もまたほかの金銀
――その朝、曹操は、虫が知らせたか、常より早目に起きて、諸将を閣へ招き、何事か凝議していた。
そこへ、巡邏からの注進が聞えたのである。
「――寿亭侯の印をはじめ、金銀緞匹の類、すべてを庫内に封じて留めおき、内室には十美人をのこし、その余の召使い二十余人、すべて関羽と共に、二夫人を車へのせて、夜明け前に、北門より立退いた由でございます」
こう聞いて、満座、早朝から興をさました。
「追手の役、それがしが承らん。関羽とて、何ほどのことやあろう。兵三千を賜らば、即刻、召捕えて参りまする」
曹操は、侍臣のさし出した関羽の遺書をひらいて、黙然と読んでいたが、
「いや待て。――われにこそ
すると

「関羽には三つの罪があります。
と、面を
「程

「一、
「いやいや、関羽は初めから予に、三ヵ条の約束を求めておる。それを約しながら
「でも今――みすみす彼が河北へ走るのを見のがしては、後日の大患、虎を野へ放つも同様ではありませぬか」
「さりとて、追討ちかけて、彼を殺せば、天下の人みな曹操の不信を鳴らすであろう。――
最後のことばは、曹操が曹操自身へ
ついに関羽は去った!
自分をすてて玄徳のもとへ帰った!
辛いかな大丈夫の恋。――恋ならぬ男と男との義恋。
「……ああ、生涯もう二度と、ああいう真の義士と語れないかもしれない」
憎悪。そんなものは今、曹操の胸には、みじんもなかった。
来るも明白、去ることも明白な関羽のきれいな行動にたいして、そんな
「…………」
けれど彼の淋しげな眸は、北の空を見まもったまま、
諸臣みな、彼の面を仰ぎ得なかった。しかし

「いま関羽を無事に国外へ出しては、後日、かならず悔い悩むことが起るに相違ない。殺すのは今のうちだ。今の一刻を逸しては……」
と、ひそかに腕を
曹操はやがて立ち上がった。
そして、あたりの諸大将に云った。
「関羽の
やにわに彼は閣を降り、駒をよび寄せて、府門から馳けだした。
張遼は、曹操から早口にいいつけられて路用の金銀と、
「……わからん。……実にあのお方の心理はわからん」
閣上にとり残された諸臣はみな呆っ気にとられていたが、程

× × ×
山はところどころ紅葉して、郊外の水や道には、
「……はて。呼ぶものは誰か?」
関羽は、駒をとめた。
「……おおういっ」
という声――。秋風のあいだに。
「さては! 追手の勢」
関羽は、かねて期したることと、あわてもせず、すぐ二夫人の車のそばへ行った。
「
と、二夫人を
遠くから彼を呼びながら馳けてきたのは、張遼であった。張遼はひっ返してくる関羽の姿を見ると、
「雲長。待ちたまえ」と、さらに駒を寄せた。
関羽はにこと笑って、
「わが
と、はや小脇の
「否、否、疑うをやめ給え」と、張遼はあわてて弁明した。
「身に
「なに。曹丞相みずからこれへ参るといわれるか」
「いかにも、追ッつけこれへお見えになろう」
「はて、
関羽は、何思ったか、駒をひっ返して
張遼は、それを見て、関羽が自分のことばを信じないのを知った。
彼が、狭い橋上のまン中に立ちふさがったのは、大勢を防ごうとする構えである。――道路では四面から囲まれるおそれがあるからだ。
「いや。やがて分ろう」
張遼は、あえて、彼の誤解に弁明をつとめなかった。まもなく、すぐあとから曹操はわずか六、七騎の腹心のみを従えて馳けてきた。
それは、

関羽は、覇陵橋のうえからそれをながめて、
「――さては、われを召捕らんためではなかったか。張遼の言は、真実だったか」
と、やや面の色をやわらげたが、それにしても、曹操自身が、何故にこれへ来たのか、なお怪しみは解けない
――と、曹操は。
はやくも駒を橋畔まで馳け寄せてきて、しずかに声をかけた。
「オオ羽将軍。――あわただしい、ご出立ではないか。さりとは余りに名残り惜しい。何とてそう路を急ぎ給うのか」
関羽は、聞くと、馬上のまま
「その以前、それがしと丞相との間には三つのご誓約を交わしてある。いま、故主玄徳こと、河北にありと伝え聞く。――幸いに許容し給わらんことを」
「惜しいかな。君と予との交わりの日の余りにも短かりしことよ。――予も、天下の宰相たり、決して
「

「いやいや、あらかじめ君の訪れを知って、
「なんの、なんの、丞相の
「本望である。将軍がそう感じてくれれば、それで本望というもの。別れたあとの心地も
と、彼はうしろを顧みて、かねて用意させてきた路用の金銀を、
「滞府中には、あなたから充分な、お
しかし曹操も、また、
「それでは、折角の予の志もすべて空しい気がされる。今さら、わずかな路銀などが、君の節操を傷つけもしまい。君自身はどんな困窮にも耐えられようが、君の仕える二夫人に衣食の困苦をかけるのはいたましい。曹操の情として忍びがたいところである。君が受けるのを潔しとしないならば、二夫人へ路用の餞別として、献じてもらいたい」と
関羽は、ふと、眼をしばだたいた。二夫人の境遇に考え及ぶと、すぐ
「ご芳志のもの、二夫人へと仰せあるなら、ありがたく
彼のことばに、曹操も満足を面にあらわして、
「いや、いや、君のような純忠の士を、幾月か都へ留めておいただけでも、都の士風はたしかに良化された。また曹操も、どれほど君から学ぶところが多かったか知れぬ。――ただ君と予との
と、まず張遼の手から路銀を贈らせ、なお後の一将を顧みて、持たせてきた一領の錦の
「秋も深いし、これからの山道や渡河の旅も、いとど寒く相成ろう。……これは曹操が、君の芳魂をつつんでもらいたいため、わざわざ携えてきた粗衣に過ぎんが、どうか旅衣として、雨露のしのぎに着てもらいたい。これくらいのことは君がうけても誰も君の節操を疑いもいたすまい」
錦の抱を持った大将は、直ちに馬を下りて、つかつかと
「かたじけない」
関羽はそこから目礼を送ったが、その
「――せっかくのご
そういうと、関羽は、小脇にしていた
「おさらば」と、ただ一声のこして、たちまち北の方へ駿足
「見よ。あの武者ぶりの良さを――」
と、曹操は、ほれぼれと見送っていたが、つき従う

「なんたる
「
「丞相のご恩につけあがって、すきな真似をしちらしておる」
「今だっ。――あれあれ、まだ彼方に姿は見える。追いかけて! ……」
と、あわや駒首をそろえて、馳けだそうとした。
曹操は、一同をなだめて、
「むりもない事だ。関羽の身になってみれば、――いかに武装はしていなくとも、こちらはわが麾下の
そしてすぐ
「敵たると味方たるとをとわず、武人の
このことばから深くうかがうと、曹操はよく武将の本分を知っていたし、また自己の性格のうちにある善性と悪性をもわきまえていたということができる。そして努めて、善将にならんと心がけていたこともたしかだと云いえよう。
思いのほか手間どったので、関羽は二夫人の車を慕って、二十里余り急いで来たが、どこでどう迷ったか、先に行った車の影は見えなかった。
「……はて。いかが遊ばしたか」と、とある沢のほとりに駒をとめて、四方の山を見まわしていると、一水の渓流を隔てた彼方の山から、
「羽将軍、しばらくそこにお停りあれ」と、呼ばわる声がした。
何者かと眸をこらしていると、やがて百人ばかり歩卒をしたがえ、まっ先に立ってくる一名の大将があった。
打ち眺めれば、その人、まだ
関羽は青龍刀をとり直して、
「何者ぞ、何者ぞ。はやく名字を申さぬと、一
と、まず一圧を加えてみた。
すると、壮士はひらりと馬の背をおりて、
「それがしはもと
「して、何のために、卒をひきいて、わが行く道をはばめるか」
「まず、私の素志を聞いていただきたい。実は私は、少年の客気、早くも天下の乱に
「なに。――では二夫人の御車は汝らの
すぐにも、そこへと、関羽が気色ばむのを止めて、
「が、お身には、何のお
と、一級の生首を、そこへ置いて再拝した。
関羽は、なお疑って、
「山賊の将たる汝が、何故、仲間の首を斬って縁もない自分に、さまでの好意を寄せるか、何とも
「ごもっともです――」と、
「二夫人の従者から将軍が今日にいたるまでのご忠節をつぶさに聞いて、まったく心服したためであります。
といったが、たちまち、馬に乗ったかと思うと、ふたたび以前の山中へ馳けもどった。
しばらくすると、
こんどは百余人の手下に、二夫人の車をおさせて、大事そうに山道を降りてきたのである。
関羽は初めて、廖化の人物を信じた。何よりも先に、車の側へ行って、かかるご難儀をおかけしたのは臣の罪であると、
夫人は
「もし、廖化がいなかったら、どんな憂き目をみたかしれぬ。その者に将軍からよく礼をいうてたもれ」
車を護っている従者たちも、口々に廖化の善心を賞めて関羽に告げた。
「仲間の
関羽は、あらためて
「二夫人のご無事はまったく貴公の
廖化は、
「当り前なことをしたのに、あまりなご過賞は、不当にあたります。ただ願うらくは、私もいつまで緑林の徒と呼ばれていたくありません。これを
しかし、関羽は、その好意だけをうけて、
廖化はまた、せめて路用のたしにもと、
「今日のご仁情は、かならず長く記憶しておく。いつか再会の日もあろう。関羽なり、わが主君なりの落着きを聞かれたら、ぜひ訪ねて参られよ」
車は、ふたたび旅路へ上った。
道は遠く、秋の日は短い。
三日目の夕方、車につき添うた一行は、
片々と落葉の舞う彼方に、一すじの炊煙がたちのぼっている。隠士の住居でもあるらしい。
訪うて宿をからんためであった。関羽が訪うと、ひとりの老翁が、草堂の門へ出てきてたずねた。
「あんたは、何処の誰じゃ」
「
「えっ……関羽どのじゃと。あの
「そうです」
老翁は、かぎりなく驚いている。そして重ねて、
「あのお車は」と、たずねた。
関羽はありのまま正直に告げた。老翁はますます驚き、そして敬い
二夫人は車を降りた。
「たいへんな
翁は清服に着かえて、改めて二夫人のいる一室へあいさつに出た。
関羽は、二夫人のかたわらに、
老翁は、いぶかって、
「将軍と、玄徳様とは、義兄弟のあいだがら、二夫人は
関羽は、微笑をたたえて、
「玄徳、張飛、それがしの三名は、兄弟の約をむすんでおるが、義と礼においては君臣のあいだにあらんと、固く、乱れざることを誓っていました。故に、ふたりの嫂の君とともに、かかる
「いや、いや、
それから老翁はことごとく関羽に心服して自分の
「わしの愚息は、

やがて
曹操の与党、
「ここは三州第一の要害。まず、事なく通りたいものだが」
関羽は、車をとどめて、ただ一騎、先に馳けだして呶鳴った。
「これは河北へ下る旅人でござる。ねがわくは、関門の通過をゆるされい」
すると、孔秀自身、剣を
「将軍は雲長関羽にあらざるか」
「しかり。それがしは、関羽でござる」
「二夫人の車を擁して、いずれへ行かれるか」
「申すまでもなく、河北におわすと聞く故主玄徳のもとへ立ち帰る途中であるが」
「さらば、曹丞相の告文をお持ちか」
「事火急に出で、告文はつい持ち忘れてござるが」
「ただの旅人ならば、関所の
「帰る日がくればかならず帰るべしとは、かねて丞相とそれがしとのあいだに交わしてある約束です。なんぞ、
「いやいや、河北の
「一日も心のいそぐ旅。いたずらに使いの往還を待ってはおられん」
「たとい、なんと仰せあろうと、丞相の御命に接せぬうちは、ここを通すこと相ならん。しかも今、辺境すべて、戦乱の時、なんで国法をゆるがせにできようか」
「曹操の国法は、曹操の領民と、敵人に掟されたもの。それがしは、丞相の客にして、領下の臣でもない。敵人でもない。――
「ならんというに、しつこいやつだ。もっとも、其方の連れている車のものや、
「左様なことは、此方としてゆるされん」
「しからば、立ち帰れ」
「何としても?」
「くどい!」
言い放して、孔秀は、関門を閉じろと、左右の兵に下知した。
関羽は、憤然と眉をあげて、
「
と、青龍刀をのばして、彼の胸板へ
孔秀は、その柄を握った。あまりにも相手を知らず、おのれを知らないものだった。
「
「これまで」と、関羽は青龍刀を引いた。
うかと、柄を握っていた孔秀は、あっと、鞍から身を浮かして、
あとの番卒などは、ものの数ではない。
関羽は、縦横になぎちらして、そのまま二夫人の車を通し、さて、大音にいって去った。
「
その日、車の
そこも勿論、曹操の勢力圏内であり、彼の諸侯のひとり
市外の
常備の番兵に、屈強な兵が、千騎も増されて付近の高地や低地にも、伏勢がひそんでいた。
関羽が、
――とも知らず、やがて関羽は尋常に、その前に立って呼ばわった。
「それがしは漢の
聞くやいなや、
「すわ、来たぞ」と、
洛陽の太守
「告文を見せよ」とのっけから挑戦的にいった。
関羽が、持たないというと、告文がなければ、
彼の態度は、関羽を怒らせるに充分だった。関羽は、さきに孔秀を斬ってきたことを公言した。
「汝も首を惜しまざる人間か」と、いった。
そのことばも終らぬまに、四面に
「さてはすでに、計をもうけて、われを陥さんと待っていたか」
関羽はいったん駒を退いた。
逃げると見たか、
「
とばかり、諸兵はやにわに追いかけた。
関羽はふり向いた。
「孟坦が討たれた!」
ひるみ立った兵は、口々にいいながら、函門のなかへ逃げこんだ。
太守
矢は関羽の左の
「おのれ」と、関羽の眼は矢のきた途をたどって、韓福のすがたを見つけた。
どすっ――と、
「いでや、このひまに!」
関羽は、血ぶるいしながら、遠くにいる車を呼んだ。くるまは、血のなかを、ぐわらぐわらと
どこからともなく、車をめがけて、矢の飛んでくることは、一時は頻りだったが、太守韓福の死と、勇将
市城を突破して、ふたたび山野へ出るまでは、夜もやすまずに車を護って急いだ。
それから数日、昼は深林や、沢のかげに眠って、夜となると、車をいそがせた。
ここには、もと黄巾の賊将で、のちに曹操へ降参した
山には、漢の明帝が建立した鎮国寺という
「――関羽、来らば」と、何事か謀議した。
夜あらしの声は、一山の松に更けて、星は青く冴えていた。
折ふし、いんいんたる鐘の音が、鎮国寺の内から鳴りだした。
「来たっ」
「来ましたぞっ」
山門のほうから飛んできた二人の山兵が廻廊の下から大声で告げた。
謀議の堂からどやどやと人影があふれ出てきた。大将弁喜以下十人ばかりの猛者や策士が赤い
「静かにしろ」と、たしなめながら
「来たとは、関羽と二夫人の車の一行だろう」
「そうです」
「山麓の関門では、何もとがめずに通したのだな」
「そうしろという大将のご命令でしたから、その通りにいたしました」
「関羽に充分油断を与えるためだ。洛陽でも
「いま、鐘がなりましたから、もうみな出揃っているはずです」
「じゃあ、各

弁喜は左右の者に眼くばせをして、階を降りた。
この夜、関羽は、麓の関所も難なく通されたのみか、この鎮国寺の山門に着いて、宿を借ろうと訪れたところ、たちまち一山の鐘がなり渡るとともに、僧衆こぞって出迎えに立つという歓待ぶりなので、意外な思いに打たれていた。
長老の
「長途の御旅、さだめし、おつかれにおわそう。山寺のことゆえ、雨露のおしのぎをつかまつるのみですが、お心やすくお
その好意に、関羽はわがことのように歓んで、
「将軍。あなたは郷里の
「はや、二十年にちかい」
関羽が答えると、また、
「では、わたくしをお忘れでしょうな。わたくしも将軍と同郷の蒲東で、あなたの故郷の家と、わたくしの生家とは、河ひとつ隔てているきりですが……」
「ほ。長老も蒲東のお生れか」
そこへ、ずかずかと、弁喜が
「まだ堂中へ、お迎えもせぬうちから、何を親しげに話しておるか。賓客にたいして失礼であろう」
と、疑わしげに、眼をひからしながら、関羽を導いて、講堂へ招じた。
その折、長老の普浄が、意味ありげに、関羽へ何か眼をもって告げるらしい容子をしたので、関羽は、さてはと、はやくも胸のうちでうなずいていた。
果たして。
弁喜の
「ああ。こんな愉快な夜はない。将軍の忠節と風貌をお慕いすることや実に久しいものでしたよ。どうか、お
弁喜の眼の底にも、
「一杯の酒では飲み足るまい。汝にはこれを与えよう」
と、壁に立てておいた青龍刀をとるよりはやく、どすっと、弁喜を真二つに斬ってしまった。
満座の燭は、血けむりに暗くなった。関羽は、扉を蹴って、廻廊へおどり立ち、
「死を急ぐ人々は、即座に名乗り出でよ。雲長関羽が
と、大鐘の唸るが如き声でどなった。
震いおそれた敵は十方へ逃げ散ってしまったらしい。ふたたび静かな
関羽は、二夫人の車を護って、夜の明けぬうち鎮国寺を立った。
別れるにのぞんで
「わしも、もはやこの寺に、
と、いった。
関羽は、気の毒そうに、
「此方のために、長老もついに寺を捨て去るような仕儀になった。他日、ふたたび会う日には、かならず恩におこたえ申すであろう」
つぶやくと、
「
彼に従って、一山の僧衆もみな騎と車を見送っていた。かくて、夜の明けはなれる頃には、関羽はすでに、

夕刻、使いがあって、
「いささか、小宴を設けて、将軍の旅愁をおなぐさめいたしたいと、主人王植が申されますが」
と、迎えがきたが、関羽は、二夫人のお側を一刻も離れるわけにはゆかないと、断って、士卒とともに、馬に
王植は、むしろよろこんで、従事
「心得て候」とばかり、胡班はただちに、千余騎をうながして、夜も二更の頃おい、関羽の客舎をひそやかに遠巻きにした。
そして寝しずまる頃を待ち、客舎のまわりに投げ
「――時分は良し」と、あとは合図をあげるばかりに備えていたが、まだ客舎の一房に
「いつまでも寝ない奴だな。何をしておるのか?」
と、胡班は、忍びやかに近づいて房中をうかがった。
すると、
「あっ? ……この人が関羽であろう。さてさてうわさに
思わず、それへ膝を落すと、関羽はふと
「何者だ」と、しずかに咎めた。
逃げる気にも隠す気にもなれなかった。彼は敬礼して、
「王太守の従事、
「なに、従事胡班とな?」
関羽は、書物のあいだから一通の書簡をとり出して、これを知っているかと、胡班へ示した。
「ああこれは、父の
驚いて、読み入っていたが、やがて大きく嘆息して、
「もしこよい、父の書面を見なかったら、わたくしは天下の忠臣を殺したかもしれません」
と王植の謀計を打ち明けて、一刻もはやくここを落ち給えとうながした。
関羽も一驚して、取るものも取りあえず、二夫人を車に乗せて、客舎の裏門から脱出した。
あわただしい
その夜。王植は城門を擁してきびしく備えていたが、却って関羽のため、
胡班は、彼を追うと見せて、城外十数里まで、追撃してきたが、東の空が白みかけると、遠く、弓を振って、それとなく関羽へ別れを告げた。
日をかさねて、関羽たちは、
「この先に大河がある。将軍は、何によって渡るおつもりか」
「もちろん船で」
「黄河の

「願わくは、
「船は多くあるが、将軍に貸す船はない。何となれば、曹丞相からさようなお沙汰はとどいていないからである」
「無用の人かな」
と、関羽は、一笑のもとにつぶやいて、そのまま車を押させ、直接、

河港の入口に、猛兵を左右にしたがえ、駒を立てていた
「止れっ。――来れるものは何奴であるか」
「

「そうだ」
「われは漢の寿亭侯関羽」
「どこへ参る」
「河北へ」
「告文を見せろ」
「なし」
「丞相の告文がなくば、通過はゆるさん」
「曹丞相も、漢の朝臣、それがしも漢の一臣たり、なんで曹操の下知を待とうぞ」
「翼があるなら飛んで渡れ。さような大言を吐くからには、なおもって、一歩もここを通すことはまかりならぬ」
「知らずや、秦

「なんだと」
「
「だまれ。おのれ手なみを見てから
秦

「ああ、小人、救うべからず!」
秦

ついに、河南の岸は離れた。
北の岸は、すでに河北。
関羽は、ほっと、大河と大空に息をついた。
顧みれば――都を出てから、五ヵ所の関門を突破し、六人の守将を斬っている。
「よくも、ここまで」
われながら関羽はそう思った。
しかもまだ行くての千山万水がいかなる
けれど、共に立った二夫人は、もうここまで来ればと――はやくも劉玄徳との対面を心に描いて、遠心的な眸をうっとりと水に放っていた。
船が北の岸につくと、また車を陸地に揚げ、
そうした幾日目かである。
彼方からひとりの騎馬の旅客が近づいてきた。見れば何と、汝南で別れたきりの
互いに奇遇を祝して、まず関羽からたずねた。
「かねての約束、どこかでお迎えがあろうと、ここへ参るまでも案じていたが、さてかく手間どったのはどうしたわけです」
「実は、

「では、劉皇叔には、ともあれご無事に、いまも袁紹の許においで遊ばすか」
「いや、いや。つい二、三日ほど前、てまえが行って、ひそかに
「して、その後のご安否は」
「まだ知れぬが、――一方、貴殿とのお約束もあり、二夫人のお身の上も心がかりなので、とりあえず、てまえはこの道をいそいできた次第です。――将軍もお車も、このまま何も知らずに河北へ行かれたら、みずから檻の中へはいってゆくようなもの。危険は目前にあります。すぐ道をかえて、汝南へ向けておいそぎ下さい」
「よくぞ知らせてくれた。しからば劉皇叔だにおつつがなくのがれ遊ばせば、汝南において、ご対面がかなうわけだな」
「そうです。玄徳様にも、どれほどお待ちかわかりません。何しろ、河北の陣中におられるうちには、たえず周囲の白眼視をうけ、
「そうだ。心せねばならん。汝南はもう近いが、何事も、もう一歩という手まえで、心もゆるみ、思わぬ
関羽は、自分を戒めるとともに、
「心得申した」
急に、道をかえて、汝南の空をのぞんで急ぐ。
すると、行くことまだ遠くもないうちであった。うしろのほうから
まっ先に躍ってくる馬上の大将を見ると、片眼がつぶれている。さてこそ、曹操の第一の大将
「やあ、いるは関羽か」
夏侯惇から呼ばわると、
「見るが如し」
と、関羽はうそぶいた。
虎をみれば龍は怒り、龍を見れば虎はただちに吠える。双方とも
「汝みだりに、五関を破り、六将を殺し、しかもわが部下の

聞くと、関羽は大笑して、それに答えた。
「その以前、座談のなかではあったが、われ帰らんとする日、もしさえぎるものあれば、一々
「あな、
はやくも彼のくりのばした
十合、二十合、彼の鎗と、彼の薙刀とは閃々烈々、火のにおいがするばかり戦った。
ところへ、彼方から、
「待たれよ! 双方戦いは止めたまえ」
と、声をからして叫びながらかけてくる一騎の人があった。曹操の急使だったのである。
来るやいな、馬上のまま、丞相直筆の告文を出して、
「羽将軍の忠義をあわれみ、関所
「丞相は、関羽が六将を殺し、五関を破った
と、かえって
告文はそれより前に、相府から下げられたものであると、使者が答えると、
「それ見ろ。ご存じならば、告文など発せられるわけはない。いでこの上は、彼奴を
豪気
なお、人まぜもせず、両雄は闘っていた。すると二度目の早馬が馳けてきて、
「両将軍、武器をおひきなされ。丞相のお旨でござるぞ」
と、さけんだ。
夏侯惇は、すこしも鎗の手を休めずに、
「待てとは、
近づき難いので、早馬の使者は遠くをめぐりながら、
「さにあらず、道中の関々にて、
大声でいったが、夏侯惇は耳もかさない。関羽も強いて彼の諒解を乞おうとはしない。
馬もつかれ、さすがに、人もつかれかけた頃である。また一騎、ここへ来るやいな、
「夏侯惇! 強情もいいかげんにしろ、丞相のご命令にそむく気か」
と、叱咤した人がある。
それも許都からいそぎ下ってきた早馬の一名、
夏侯惇は、初めて、駒を退き、満面に大汗を、ぽとぽとこぼしながら、
「やあ、君まで来たのか」
「丞相には一方ならぬご心配だ……貴公のごとき強情者もおるから」
「なにが心配?」
「
「どうしてさようにご
「君も、関羽のごとく、忠節を励みたまえ」
「やわか、彼ごときに、劣るものか」
と、負けず嫌いに、
「関羽に殺された

「まあ待て。その蔡陽へは、それがしから充分にはなしておく。ともあれ、丞相の命を奉じたまえ」
なだめられて、夏侯惇もついに渋々、軍兵を収めて帰った。
張遼はあとに残って、関羽へ、
「にわかに道をかえられ、いったいどこへ行くおつもりか」と、
関羽は、あからさまに、
「玄徳の君には、袁紹のもとを脱し、もうそこには居給わぬと途中で聞いたもので」
「おう、そうですか。もしかの君の所在が、どうしても知れなかったら、ふたたび都へかえって、丞相の恩遇をうけられたがいい」
「武人一歩を踏む。なんでまた一歩をかえしましょうや。舌をうごかすのさえ、一言金鉄の如しというではありませんか。――もしご所在の知れぬときは、天下をあまねく巡ってもお会いするつもりでござる」
張遼は黙々と都へ帰った。別れる折、関羽は
孫乾に守られて、車はもう先へ行っていた。しかし赤兎馬の脚で追いつくことは容易であった。
さきの車も、あとの彼も、冷たい通り雨にあって濡れた。――
で、その晩、泊めてもらった民家の炉で、人々は衣類を火にかざし合った。
ここの
田舎家ながら後堂もある。
二夫人はそこにやすんだ。
衣服も乾いたので、関羽、孫乾は、屋外へ出て、馬に
――と。この家の塀の外から、狐のような疑い深い眼をした若者が、しきりに覗いていたが、やがて無遠慮に入ってきて、
「なんだい、今夜の厄介者は」と、大声で云い放っていた。
「しっ……。高貴なお客人にたいして、なんたる云いぐさだ。ばか」
主の
「さきほどのがさつ者は、実は、
「なに、そう見限ったものでもないよ。狩猟も武のひとつ、儒学や家事の手伝いも、いまに励みだそうし」
ふたりが、慰めてやると、
「いえいえ
その晩、みな寝しずまってから、一つの事件が起った。
五、六人の悪党が忍びこんで、
しかも、孫乾や、車の
「斬ってしまえ」
と、孫乾が息まいているとき、主の
「お慈悲です。あんな
と、十ぺんも
関羽の一言で、泥棒たちは、放された。
郭常夫婦はわが子の恩人と、あくる朝も、首をならべて百拝した。
「こんな良い親をもちながら、勿体ないことを知らぬ息子だ。これへ呼んでくるがいい、置き土産にそれがしが訓戒を加えてやろう」
関羽のことばに、老夫婦はよろこんで連れに行ったが、のら息子は、家の中にいなかった。召使いのことばによると、早暁また悪友五、六人と組んで何処へともなく、出かけてしまったということであった。
翌日の道は、山岳にはいった。
ひとつの峠へきた時である。百人ばかりの手下をつれた山賊の大将が、馬上から、
「おれは黄巾の残党、
と、道のまん中をふさいで名乗った。おかしさに、関羽は自分の髯を左の手ににぎって見せ、
「これを知らぬか」と、ただ云った。
すると、
「
「そちの眼のまえにいる者だ」
「あっ、さては」
驚いて馬から跳び下りたと思うと、裴元紹は、ふいに後ろの手下の中から、ひとりの若者を引きずりだして、その
関羽には、何をするのか、彼の意志がわからなかった。
「羽将軍、この青二才にお見覚えありませんか、麓に住む郭常のせがれで……」
「おお、あののら息子か」
「実は、てまえの
「それで読めた。その息子は、昨夜から此方の馬を狙っていたのだ。だが、力が足らないので、そちの山寨へケシかけに行ったものと見える」
「
「あ。待て、待て、その息子を、殺してはならん」
「なぜですか。せっかく、こいつの首を献じて、お詫びを申そうとするのに」
「放してやってくれい。そののら息子には、老いたる両親がある。またその両親には二夫人以下われわれどもが、一夜の恩をこうむっておれば……」
「ああ、あなた様は、やはり噂に聞いていた通りの羽将軍でした」
そういうと、裴元紹は、のら息子の襟がみをつかんで、道ばたへほうり出した、のら息子は、生命からがら、谷底へ逃げこんだ。
関羽は、山賊の将たる彼が、いちいち自分に推服の声をもらしているので、どうして自分を知っているかと問いただした。
裴元紹は、答えて、
「ここから二十里ほど先の

「いかなる素姓の人か」
「もと黄巾の
「山林のなかにも、そんな人物がおるか。そちも周倉に
裴元紹は、つつしんで、改心をちかった。そして山中の道案内をつとめて、およそ十数里すすむと、かなたの地上、黒々と坐して
近づいてみると、中にも一人の大将は、路傍にうずくまって、関羽、孫乾、車のわだちへ、拝礼を
裴元紹は、馬をとどめて、
「羽将軍、そこにお迎えしておるのが、関西の周倉です。どうかお声をかけてあげて下さい」
と、彼の注意を求めた。
何思ったか、関羽は馬を下り、つかつかと周倉のそばへ寄った。
「ご辺が周倉といわれるか。何故にそう
周倉は立ったが、なお、自身をふかく恥じるもののように、
「諸州大乱の折、黄巾軍に属して、しばしば戦場でおすがたを見かけたことがありました。賊乱平定ののちも、前科のため、山林にかくれて、ついに盗賊の群れに生き、いまかくの如き境遇をもって、お目にかかることは、身を恨みとも思い、天にたいしては、天の
「拾えとは? 救えとは?」
「将軍に仕えるなら、ご馬前の一走卒でも結構です。邪道を脱して、正道に生きかえりたいのでござる」
「ああ、ご辺は
「おねがいです。然るうえは、死すともいといません」
「が、大勢の手下は、どうするか」
「つねに皆、将軍の名を聞いて、てまえ同様お慕いしています。自分が従うてゆけば、共々、お手についてゆきたい希望にござりまする」
「待ちたまえ、ご
関羽は静かに車のそばへ寄って、二夫人の意をたずねてみた。
「
「ごもっともでござる」
と、関羽も同意だったので、周倉のまえに戻ってくると、気の毒そうに云い渡した。
「ご簾中には、
「至極な仰せ。――身は
周倉は、
「……どうか、どうか、てまえを人間にして下さい。いま将軍を仰ぐこと、井の底から天日を仰ぐにも似ております。この一筋のご縁を切られたら、ふたたび明らかな人道に生きかえるときが、あるや否やおぼつかなく思われます。……もし大勢の手下どもを引き具してゆくことが、世上にはばかられての御意なれば、手下の者は、しばらく
関羽は、彼の誠意にうごかされて、ふたたび車の内へ伺った。
「あわれな者、かなえてつかわすがよい」
夫人のゆるしに、関羽もよろこび、周倉はなおのこと、
「ああ、有難い!」と、天日へさけんだほどだった。
だが、裴元紹は、周倉が行くなら自分にも
周倉は、彼をさとして、
「おぬしが手下を預かってくれなければ、みなちりぢりに里へおりて、どんな悪行をかさねるかもしれない。他日かならず誘うから、しばらく俺のため山に留まっていてくれ」
やむなく裴元紹は手下をまとめて、山寨へひきあげた。
周倉は本望をとげて、山また山の道を、身を粉にして先に立ち、車を推しすすめて行った。
ほどなく、目的の汝南に近い境まで来た。
その日、一行はふと、彼方の嶮しい山の中腹に、一つの古城を見出した。白雲はその望楼や石門をゆるやかにめぐっていた。
「はて、あの古城には、煙がたちのぼっている。何者が立て籠っているのであろうか」
関羽と
その土民は
「三月ほど前のことでした。名を張飛とかいう恐ろしげな大将が四、五十騎ほどの手下を連れてきて、にわかにあの古城へ攻めかけ、以前からそこを巣にして威を振るっていた千余のあぶれ者や賊将をことごとく退治してしまいました。そしていつの間にか
さりげない態を装って聞いていたが、関羽は心のうちで飛び立つほど歓んでいた。
土民を追い放すと、すぐ孫乾をかえりみて、
「聞いたか、いまの話を。まぎれもない
孫乾も勇み立って、「心得て
飛馬は見るまに
その
「孫乾が来るわけはない。
張飛の大声が中門に聞えた。孫乾は思わず、
「俺だよ、俺だよ」と、麓門の側でどなった。
「やあ、やはりおぬしか。どうしてやって来た」
彼の元気は相変らずすばらしい。高い石段の上から手をあげて呼び迎える。やがて通されたのは山腹の一閣で、張飛はここに構えて王者を気取っているようである。
「絶景だな。うまい所を占領したものじゃないか。これで一万の兵馬と三年の糧食があれば一州を手に入れることは易々たるものだ」
孫乾がいうと、張飛は、
「住んでからまだ三月にしかならないが、もう三千の兵は集まっている。一州はおろか、十州、二十州も伐り従えて故主玄徳のお行方が知れたら、そっくり献上しようと考えておるところだ。おぬしも俺の片腕になって手伝え」
「いや、
「なに、関羽が来ているとの?」
「
と、なおこまごまと、前後のいきさつを物語ると、張飛は何思ったか、にわかに城中の部下へ陣触れを命じ、自身も一丈八尺の
「孫乾、あとから来いよ」
と、急な
その様子がどうも、穏やかでないので、置き去りを喰った孫乾も、あわてて馬にとび乗った。
ひろい沢を伝わって、千余の兵馬が此方へさして登ってくる、二夫人の車を停めていた扈従の人々は、
「あれあれ、張飛どのが、さっそく勢を率いて迎えにくる――」
と、喜色をあらわしてどよめき合っていた。
ところが、やがてそこへ駈け上ってきた張飛は、奔馬の上に蛇矛を横たえ、例の
「関羽はどこにいるか。関羽、関羽っ」
と、吠えたてて、近寄りもできない血相だった。
関羽は、声を聞いて、
「おう、張飛か。関羽はこれにおる。よくぞ無事であったな」
と、何気なく進んでくると、張飛は、やにわに
「いたかっ、
関羽は驚いて、猛烈な彼の矛さきをかわしながら、
「何をするっ張飛。人非人とは何事だ」
「人非人でわからなければ、不義者といおう。何の面目あって、のめのめ俺に会いにきたか」
「怪しからぬことを。この関羽がいかなる不義を働いたか」
「だまれっ。
「あははは、相変らず粗暴な男ではある、此方の口からいいわけはせぬ。二夫人の
「おのれ、笑ったな」
「笑わざるを得ない」
「
りゅうりゅうと
「張飛、張飛。なんで忠義の人に、さは怒りたつぞ。ひかえよ」と、さけんだ。
張飛は、振向いただけで、
「いやいやご夫人、驚きたもうな。この不義者を
甘夫人は悲しんで、出ない声をふりしぼり、張飛の誤解であることを早口になだめたが、落着いてほかのことばに耳をかしているような張飛ではない。
「関羽がどう云い飾ろうと、真の忠臣ならば、二君に仕える道理はない」と、きかないのである。
ところへ、後からきた孫乾は、この態を見て、あれほど自分からも説明したのにと、腹を立てて、
「わからずやの
張飛は、よけい
「さては、汝ら一つになって、われらを生捕らんものと、曹操の命をおびて来たものだろう。よしその分ならば」と、いきり立つを、関羽はあくまでなだめて、
「おぬしを生捕るためならば、もっと兵馬を引き具して来ねばなるまい。見よ、それがしの従えている士卒は、二夫人の御車を推す人数しかおらんではないか。何という邪推ぶかさよ。ははは」
と、笑ったが、時も時、後方から一
身構える張飛のまえをひらと避けて、関羽は赤兎馬の背から振向いた。
「――あれ見ろ、張飛。いま此方があれへ来る追手の大軍を蹴ちらして、おぬしに
「さては。彼方へ寄せてきたのは曹操の部下だな、貴様と
「まだ疑っているか。その疑いは、眼のまえで晴らしてみせる。しばらくそこで待っておれ」
「よしっ、しからば、見物してやろう。だが、俺の部下が三
「よろしい」
関羽はうなずいて、約半町ほど駒をすすめ、見まもる張飛や二夫人の車をうしろに、敵勢を待ちかまえていた。
関羽は、なお不動のすがたを守ったまま、
「来れるは、何者かっ」
と、二度ほど、大音をあげただけだった。
すると、鉄甲にきびしく
「われはこれ

「笑うべし。
関羽が、云うやいな、うしろのほうで、張飛の部下が、高らかに一
二鼓、三鼓――
三通の鼓声がまだ流れ終らないうちに、関羽はもうどよめく敵の中から身を脱して、張飛のまえに駈けもどっていた。
そして、
「それ、
と、張飛の足もとへ、首をほうり投げると、ふたたび敵を蹴ちらしに駈けて行った。
張飛は、あとを追いかけて、
「見とどけた。やはり関羽はおれの兄貴。おれも助勢するぞ」
と、蔡陽の軍を、めちゃくちゃに踏みつぶした。
さなきだに、大将を失って浮き足立つ残軍、なんでひと支えもできよう。羽、飛両雄の馬蹄の下に、死骸となる者、逃げ争う者、笑止なばかりもろい
張飛は、一人の旗持ちを生け捕りにして、引っ吊るしてきたが、その者の自白によって、なおさら関羽にたいする疑念は氷解した。
旗持ちの自白によると、

蔡陽は命をうけると、即刻、許都を発したが、汝南へは向わず、途中へ来てから、われは関羽を討つため追撃してきたのだと公言した。
(関羽を生かしておくのは、将来とも丞相のお為にならない。丞相は一時の情で関羽を放してしまったが、やがてすぐ後悔するにきまっている)と、いう独断からであった。
それらの仔細を知ると、張飛は
「どうも、相済まん。兄貴、悪く思ってくれるな。……ともかく、おれの古城へ来てくれ。落着いてゆっくり話そう」
「わかったか、それがしに
「わかった、わかった。もういうな」
張飛は大いにてれた顔して、三千の手下に向い、二夫人の御車を擁して、谷間を越え渡れと大声で下知しはじめた。
その晩、山上の古城には、有るかぎりの
二夫人を迎えて張飛がなぐさめたのである。
「ここから汝南へは、山ひとこえですし、もう大船に乗った気で、ご安心くださるように」
ところが、その翌日。望楼に立っていた物見が、
「
と、城中へ急を告げた。張飛は聞いて、
「何奴? 何ほどのことかあらん」
と、自身で南門へ立ち向った。騎馬の
「やあ、糜兄弟ではないか」
「オオやはり張飛だったか」
「どうしてこれへは?」
「されば、徐州このかた皇叔のお行方をたずねていたが、皇叔は河北にかくれ、関羽は曹操に降服せりと、頼りない便りばかり聞いて、いかにせんかと、
「そいつは、よく来てくれた。関羽はすでに都を脱して、昨夜からこの城中におる」
「えっ、関羽もおるとか」
「皇叔の二夫人もおいで遊ばす」
「それは意外だった」
二夫人は、人々にたいして、許都逗留中の関羽の忠節をつぶさに語った。
張飛は今さら面目なげに、感嘆してやまなかった。
そして羊を
けれど関羽は、
「ここに家兄皇叔がおいであれば、どんなにこの酒もうまかろう。家兄を思うと、酒も
孫乾がいった。
「もう汝南は近いのですから、明日でも、早速あなたと行って、皇叔にお目にかかりましょう」
関羽としては、何よりそれを望んでいたのである。夜が明けるか明けぬうちに、彼はもう孫乾と連れ立って、汝南へ道を急いでいた。
そして、汝南城へ行って、
「いや、その

しきりと惜しがって劉辟はいうのである。
一歩の差が時によると千里の
むなしく古城へ帰ってきたが、孫乾はなぐさめて、
「この上は、拙者がもう一度、河北へ行ってみましょう。ご心配あるな。かならずお
すると張飛が、河北へなら自分が行こう、と進んで云いだした。けれど関羽は、
「いま、この一つの古城は、われわれ家なき義兄弟にとっては、重要な拠点だから君は断じてここを動いてはいかん」と、遂に
その途中、臥牛山の麓までくると、彼は
「いつぞや、ここで別れた
と、一言を託した。
周倉はひとり関羽に別れて、臥牛山の奥へはいって行った。そこには、さきに機会を待てと止めてある裴元紹が、約五百の手勢と五、六十匹の馬をもってたて籠っている。関羽はその裴元紹にむかって、
「近いうちに自分が皇叔をお迎えして帰りにはここを通るから、その折に、一勢を引き具して、途中でお迎えしたがよかろう」と、伝言してやったのである。
孫乾はそばでそれを聞いていたので、関羽が誰にたいしても、かならず約束をたがえないのに感心していた。
日を経て関羽と孫乾は、やがて
明日からの道は、もう
「あなたは、この辺で仮の宿をとって、待っていて下さい。拙者はただひとり、冀州に入って、ひそかに皇叔にお会いし、計をめぐらして脱れてきますから」と、告げて別れた。
関羽はわずかな従者と共に、近くの村へ入ってただの旅人のごとく装い、村のうちでもたたずまいのいい一軒の門をたたいた。
主は、驚きもしたり、また非常な歓びを示して、
「それはそれはなんたる奇縁でしょう。てまえの家の
と、二人の子息を呼んで、ひきあわせた。
どっちも秀才らしい良い息子だった。兄は
二十騎の従者をこの家にかくして、関羽はひたすら孫乾の便りを待っていた。――その孫乾は、冀州へまぎれ入って、やがて首尾よく玄徳の居館をさぐり当て、ようやく近づくことができた。
その後の一部
「もう一度の脱出を、どうして果たそうか。何せい、わしの行動はいま、袁紹や藩中の者どもから、注目されている折ではあるし……」
玄徳の心は、飛び立つほどだったが、身は
「……そうだ、
と急に使いをやって、呼びよせた。
「えっ、簡雍もここに来ていたのですか」
孫乾は、初耳なので、驚きの目をみはった。
その簡雍も、以前の味方だ。聞けば近ごろ玄徳を慕って、この冀州へきていたが、そう見えては袁紹の心証がよくあるまいと察して、わざと玄徳には冷淡にして、つとめて袁紹の気に入るよう城中に仕えているということだった。
そういう間がらなので、簡雍はちょっと来てすぐ帰ったが、目的はその短時間に足りていた。
簡雍から授けられた策を胸に秘して、玄徳は次の日、冀州城に上がり、袁紹に会ってこう説いた。
「曹操とお家との戦いは、
「それはそうだとも。……しかし劉表も、ここは容易にうごくまい。龍虎ともに傷つけば、かれは兵を用いずして、漁夫の利をうる位置にある」
「いや、それが外交です。九郡の大藩荊州を見のがしておくなど愚かではありませんか」
「それは貴公がいわなくても、とくに気づいて、数度の使者をつかわしたが、劉表あえて結ぼうとせんのじゃ。この上の使いは、わが国威を落すのみであろう」
「いえいえ、不肖玄徳が参れば、期してお味方に加えて見せます。なんとなれば、私と彼とは、共に漢室の同宗で、いわば遠縁の親族にあたりますから」
袁紹は考えこんだ。大いに意のうごいた容子である。玄徳はかさねて云った。
「それに近頃また、関羽も許都を脱出して、諸所をさまようておるやに伝えられております、私をして、荊州へおつかわし下さるならかならず関羽にも会い、お味方に
「なに関羽を」
袁紹は急に面をあらためて、
「彼は、
「いえいえ、そんなわけではありません。顔良、文醜のごときは、たとえば二匹の鹿です。二つの鹿を失っても、一匹の虎をお手に入れれば、
「あははは、いや今のは、いささか
「承知しました。……が、大策は前に洩れると行えません。私が荊州に行き着くまでは、お味方に極めてご内分になしおかれますように」
玄徳はそういって、一夜に身支度をととのえ、翌日ひそかに
そのあとで、すぐ
「彼を荊州へお遣わしになったそうですが、実に飛んでもないことをなされました。玄徳はあのような温和な人物ですから、反対に劉表に説き伏せられて、荊州へついてしまう
「
「てまえが追いかけて呼び返して参りましょう」
「それもあまりにわしの面目にかかわるが」
「では、てまえが随員として、玄徳について行きましょう。断じて、ご使命を裏切らぬように」
「そうだ、それが上策。すぐ追ってゆけ」と、関門の
簡雍が馬を飛ばして、どこかへ急いで行ったというのを、
「しまった!」
「何たる不覚をなされたのですか。さきに玄徳が汝南から帰ってきたのは、汝南はまだ兵力も薄く、自分の事を計るには足らないから見限ってきたのです。こんどはそうは行きません。荊州へ行ったら必ず二度と帰ってはきますまい。それがしに追い討ちをおゆるしあれば、長駆追撃して、彼を首とするか、生捕ってくるか、どっちかにします。どうかご決断ください」
しかし袁紹はゆるさなかった。玄徳のことばだけでは、まだ惑ったかも知れないが、簡雍が二重の計にかけてあるので、深く信じこんでおり、疑ってみようともしないのである。
郭図は、長嘆したが、黙々退出するしかなかった。
簡雍はすぐ玄徳に追いついていた。うまく行ったな、と相
冀州の堺も無事に脱けた。
孫乾はさきに廻って、ふたりを待ちうけ、道の案内をしてやがて関定の家へついた。見れば――
関定の家の門前には、主の関定やら関羽以下の面々が立ち並んで出迎えている。久しやと、相見かわす眼は、彼もこなたも、共にはやいっぱいな涙であった。
「おう」
「オー……」
瞬間ふたりの
関定は二人の子息とともに、門を開いて玄徳を奥に招じた。住居はわびしい林間の一屋ながら、心からな歓待は、これも善美な
やや人なき折を見て玄徳と関羽は、はじめて手を取りあって泣いた。関羽は、玄徳の
そのささやかな歓宴の座で、玄徳は、関定の子息関平のどこやら見どころある
「関羽にはまだ子もないから、次男の関平を養子に乞いうけてはどうか」と、いった。
ふたりある息子のひとりである。関定は願ってもないことと
「袁紹の討手が向わぬうちに」と、一同は次の朝すぐここを出発した。
急ぎに急いで、旅は日ごとにはかどった。やがて
すると、かねて関羽のさしずで、この付近へ手勢をひきいて出迎えに出ているはずの
「何故の混乱か」と、関羽は、その中にいた
「誰やら
関羽は、聞き終ると、
「さらば、その珍しい人物の
と、一騎でまっ先に立って、山麓の高所へ馳け上って行った。
玄徳も鞭をあててすぐその後につづいた。すると、彼方の岩角に、鷲の如く、駒を立てていた浪人者は、玄徳のすがたを見ると、たちまち鞍からおりて、関羽が来てみた時は、もう地上に平伏していた。
「やあ、
玄徳も関羽も、ひとつ口のように叫んだ。浪人者は面をあげて、
「これは計らざる所で、……」とばかり、しばしはただなつかしげに見まもっていた。
これなん



玄徳はここで君に会うとは、天の
「君を初めて見た時から、ひそかに自分は、君に嘱す思いを抱いていた。将来いつかは、
すると、趙子龍もいった。
「拙者も思っていました。あなたのような方を主と仰ぎ持つならば、この
関羽にあい、また、ゆくりなくも趙子龍に出会って、玄徳の左右には、兵馬の数こそとぼしいが、はやくも将星の光彩が未来をかがやかしていた。
やがて、古城は近づいた。
待ちかねていた望楼の眸は、はやそれと遠くから発見して、
「羽将軍が劉皇叔をお迎えして参られましたぞ」と、大声で下へ告げた。
玄徳以下、列のあいだを、
「あの君が、これからの
通過のあいだに、ちらと見ただけで、兵卒たちの心理は、その一瞬から変った。もう古城の山兵でも
楽器の音は、山岳を驚かせた。空をゆく
まず何よりも、二夫人との対面の儀が行われた。関羽は、堂下に泣いていた。
夜は、牛馬を宰して、
「人生の快、ここに尽くる」
関羽、張飛がいうと、
「何でこれに尽きよう。これからである」と、玄徳はいった。
趙雲、孫乾、
「これからだっ! これからだっ!」と、どよめき合った。
使者をうけて、汝南の

「この
古城には、一手の勢をのこして、玄徳は即日、汝南へ移った。徐州没落このかた、実に何年ぶりだろうか。こうして君臣一城に住み得る日を迎えとったのは。
それはすべて忍苦の賜だった。また、分散してもふたたび結ばんとする結束の力だった。その結束と忍苦の二つをよく成さしめたものは、玄徳を中心とする信義、それであった。
さて、日の経つほどに。
ようやく、焦躁と不安に駆られていたのは
「荊州からなんの
そう聞いたときの彼の憤激はいうまでもない。
河北の大軍を一度にさし向けようとすら怒ったほどである。
「愚です。玄徳の変は、いわばお体にできた
「そうか。……ううム、しかしその曹操もまた急には除けまい。すでに戦いつつあるが、戦いは
「荊州の劉表を味方にしても、大局は決しますまい。何となれば、彼には大国大兵はあっても、雄図がありません。ただ国境の守りに
袁紹の重臣
呉の国家は、ここ数年のあいだに実に目ざましい躍進をとげていた。
彼の臣、
孫策の「漢帝に
孫策の眼にも漢朝はあったけれど、その朝門にある曹操は眼中になかった。
孫策はひそかに大司馬の官位をのぞんでいたのである。けれど、容易にそれを許さないものは、朝廷でなくて、曹操だった。
甚だおもしろくない。
だが、並び立たざる両雄も、あいての実力は知っていた。
「彼と争うは利でない」
曹操は、獅子の児と噛みあう気はなかった。
しかし獅子の児に、乳を与え、
ただ手なずけるを上策と考えていた。――で、一族
呉郡の太守に、
取調べてみると、果たして、密書をたずさえていた。
しかも、驚くべき大事を、都へ密告しようとしたものだった。
(呉の
こういう内容である。
孫策は怒って、直ちに、
「何とかして、恩人の
と、ともに血をすすりあい、山野にかくれて、機をうかがっていた。
孫策はよく
その日も――
彼は、大勢の臣をつれて、
するとここに、
「今だぞ、復讐は」
「加護あれ。神仏」
と、かねて彼を狙っていた例の食客浪人は、
孫策の馬は、稀世の名馬で「五
彼の弓は、一頭の鹿を見事に射とめた。
「射たぞ、誰か、
振向いた時である。孫策の顔へ、ひゅっと、一本の
「あっ」
顔を
「恩人
孫策は、弓をあげて、一名の浪人者を打った。しかし、また一方から突いてきた槍に太股をふかく突かれた。五花馬の背からころげ落ちながらも、孫策はあいての槍を奪っていた。その槍で自分を突いた相手を即座に殺したが、同時に、
「うぬっ」と、うしろから、二名の浪人もまた所きらわず、彼の五体を突いていた。
うう――むッと、大きなうめきを発して、孫策が
何にしても、国中の大変とはなった。応急の手当を施して、すぐ孫策の身は、呉会の本城へ運び、ふかく外部へ秘した。
「
うわ言のように、当人はいいつづけていた。さすがに気丈であった。それにまだ肉体が若い。
いわれるまでもなく、名医華陀のところへは、早馬がとんでいた。すぐ呉会の城へのぼった。けれど華陀は眉をひそめた。
「いかんせん、
三日ばかりは、
けれども二十日も経つと、さすがに名医華陀の手をつくした医療の効はあらわれてきた。孫策は時折、うすら笑みすら枕頭の人々に見せた。
「都に在任していた
すっかり容体が
蒋林は病牀の下に
すると孫策が、
「曹操は近ごろおれのことをどういっているか」と、訊ねた。蒋林は、
「獅子の児と喧嘩はできぬといっているそうです」と、噂のまま話した。
「そうか。あははは」
めずらしく、孫策は声をだして笑った。非常なご機嫌だと思ったので、蒋林は訊かれもしないのに、なおしゃべっていた。
「――しかし、百万の強兵があろうと、彼はまだ若い。若年の成功は得て思い上がりやすく、図に乗ってかならず
見る見るうちに孫策の血色は濁ってきた。身を起して北方をはったと睨み、やおら病牀をおりかけた。人々が驚いて止めると、
「曹操何ものぞ。

すると
「何たることです。それしきの噂に激情をうごかして、千金の御身を軽んじ給うなどということがありますか」と、叱るが如くなだめた。
ところへ、遠く河北の地から、
ほかならぬ袁紹の使いと聞いて、孫策は病中の身を押して対面した。
使者の陳震は、袁紹の書を呈してからさらに口上をもって、
「いま曹操の実力と
孫策は大いに歓んだ。彼も打倒曹操の念に燃えていたところである。
これこそ天の引き合わせであろうと、城楼に大宴をひらいて陳震を上座に迎え、呉の諸大将も参列して、
すると、宴も半ばのうちに、諸将は急に席を立って、ざわざわとみな楼台からおりて行った。孫策はあやしんで、何故にみな楼をおりてゆくかと左右に訊ねると、近侍の一名が、
「
と、答えた。
孫策は眉毛をピリとうごかした。歩を移して楼台の欄干により城内の街を見下ろしていた。
街上は人で埋まっていた。見ればそこの辻を曲っていま真っすぐに来る一道人がある。髪も髯も真っ白なのに、面は桃花のごとく、
「
「
道をひらいて、人々は伏し拝んだ。香を
「なんだ、あのうす汚い
孫策は不快ないろを満面にみなぎらして、人をまどわす妖邪の道士、すぐ
ところが、その武士たちまで、口を揃えて彼を
「かの道士は、東国に住んでいますが、時々、この地方に参っては、城外の道院にこもり、夜は暁にいたるまで端坐してうごかず、昼は香を焚いて、道を講じ、
「ばかを申せっ。貴様たちまで、あんな乞食老爺にたばかられているのかっ。否やを申すと、汝らから先に獄へ下すぞ」
孫策の
「狂夫っ、なぜ、わが良民を、邪道にまどわすかっ」
孫策が、叱っていうと、
「わしの得たる神書と、わしの修めたる
「だまれっ。この孫策をも愚夫あつかいにするか。誰ぞ、この老爺の首を
だが、誰あって、進んで彼の首に剣を加えようとする者はなかった。
張昭は、孫策をいさめて、何十年来、なに一つ過ちをしていないこの道士を斬れば、かならず民望を失うであろうといったが、
「なんの、こんな老いぼれ一匹、犬を斬るも同じことだ。いずれ孫策が成敗する。きょうは
孫策の母は、
「そなたも聞いたでしょう。
「ええ、ゆうべ知りました」
「
呉夫人も悲しみに沈んでいたところである。母堂を始め、夫人に仕える女官、侍女など、ほとんど皆、于吉仙人の信者だった。
呉夫人はさっそく良人の孫策を迎えに行った。孫策はすぐ来たが、母の顔を見ると、すぐ用向きを察して先手を打って云った。
「きょうは
「策、そなたは、ほんとに道士を斬るつもりですか」
「妖人の横行は国のみだれです。
「道士は国の福神です、病を癒すこと神のごとく、人の禍いを予言して誤ったことはありません」
「母上もまた彼の
彼の妻も、母とともに、口を極めて、于吉仙人の命乞いをしたが、果ては、
「
一匹の
「典獄。
主君の命令に、
「だれが首枷をはずしたか」
孫策の詰問に典獄はふるえあがった。彼もまた信者だったのである。いや、典獄ばかりでなく、牢役人の大半も実は道士に
「国の刑罰をとり行う役人たるものが、邪宗を奉じて司法の任にためらうなど言語道断だ」
孫策は怒って剣を払い、たちどころに典獄の首を刎ねてしまった。また于吉仙人を信ずるもの数十名の刑吏を武士に命じてことごとく
ところへ張昭以下、数十人の重臣大将が、連名の嘆願書をたずさえて、一同、于吉仙人の命乞いにきた。孫策は、典獄の首を刎ねて、まだ鞘にも納めない剣をさげたまま
「貴様たちは、史書を読んで、史を生かすことを知らんな。むかし南陽の
「こうなされては如何です。彼が真の神仙か、
「よかろう」
孫策は快然と笑って即座に吏に命じた。
「さっそく、市中に雨乞いの祭壇をつくれ、
市街の広場に壇が築かれた。四方に柱を立て彩華をめぐらし、牛馬を
「わしの天命も尽きたらしい。こんどはもういけない」
「なぜですか、
「平地に三尺の水を呼んで百姓を救うことはできても、自分の命数だけはどうにもならんよ」
壇の下へ、孫策の使いがきて、高らかに云いわたした。
「もし、今日から三日目の
于吉はもう瞑目していた。
白髪のうえからかんかん日があたる。夜半は冷気肌を刺す。祭壇の大
一滴の雨もふらない。
きょうも満天は
すでに
「見ろ! およそ道士だの神仙だのというやつは、たいがいかくの如きものだ。ただちにあの無能な
刑吏は、祭壇の四方に、薪や柴を山と積んだ。たちまち烈風が起って、于吉のすがたを焔の中につつんだ。
火は風をよび、風はまた砂塵を呼んで、一すじの
刑吏が驚いて、半焼の祭壇のうえを見ると、
「ああ、真に神仙だ」
と、諸大将は駈け寄って、彼を抱きおろし、われがちに礼拝讃嘆してやまなかった。
孫策は
「大雨を降らすも、炎日のつづくも、すべて自然の現象で、
諸臣、黙然と首をたれているばかりで、誰も、于吉を怖れて進み出る者もなかった。
孫策はいよいよ
「なにを
と、
日輪は赫々と空にありながら、また
孫策はその夕方頃から、どうもすこし容子が変であった。眼は赤く血ばしり、発熱気味に見うけられた。
「あっ、何だろう?」
寝殿の
「何事?」と、典医や武士も馳けつけて行った。――が、孫策は見えなかった。
「オオ、ここだ。ここに仆れておいでになる」
見れば、孫策は、
その前にある錦の
宿直の武士がかかえて牀にうつし、典医が薬を与えると、孫策はくわっと眼をみひらいたが、昼間とは、眸のひかりがまるでちがっていた。
「
口走るのである。明らかに、ただならぬ症状であった。
しかし夜が明けると、
彼の母とともに夫人も見舞にきていた。老母は涙をうかべて云った。
「そなたはきのう神仙を殺したそうじゃが、なんでそんなことをしてくれたか。どうぞきょうから祭堂に
「ははは――」孫策は哄笑して――「母上、この孫策は、父孫堅にしたがって、十六、七歳から戦場に出で、今日まで名だたる敵を斬ることその数も知れません。なんで妖法をなす乞食
「いえいえ、于吉は、凡人ではない。神仙です。神霊の
「恐れません。わたくしは、呉の国主です」
「まあ、いくら諫めても、そなたは
「もう
やむなく老母と夫人は、愛児のため、良人のため、自身が代って修法の室に籠り、七日のあいだ
けれどその効もなく、毎夜、四更の頃となると、孫策の寝殿には怪異なる絶叫がながれた。
于吉のすがたが現れて、彼の寝顔をあざ笑い、彼の牀をめぐり、彼が剣を抜いて狂うと、
目に見えるほど痩せてきた。そして孫策は、昼間も昏々とつかれて眠り落ちている日が多かった。
母は、枕元へきて、頼むようにまたいった。
「策。どうぞ、おねがいですから
「寺院に用はありません。父の命日でもありますまい」
「わたくしから、玉清観の道主におすがりしたのじゃ。天下の道士を
「孫策は幼少からまだ、父が鬼神を祭ったのは、見たこともありませんが」
「そんな理窟はもういわないでおくれ。英魂も怨みをのこしてこの土に執着すれば鬼神になる。まして罪もなく殺された神仙の霊が祟りをなさずにいましょうか」
老母はよよと泣く。夫人も泣きすがって諫める。孫策もそれには負けて、遂に
「ようこそ」
と、国主の参詣をよろこんで、道主以下、大勢して彼を出迎え、修法の堂へ導いた。
気のすすまない顔をして、孫策は中央の祭壇に向い、まるで
「――おのれッ!」
何を見たか、とたんに孫策は、帯びたる短剣を、投げつけた。剣は侍臣のひとりに突刺さったので、異様な絶叫が、堂に籠った。
投げた剣は侍臣を仆し、その者は、七
そのあとはまた、いつものように疲れきって、昏々と眠るが如く、大息をついていたが、われにかえると急に、
「帰ろう」と、ばかりに玉清観の山門を出ていった。
――と、路傍に沿って、
「老いぼれっ、まだいるかっ」
叫んだとたんに、彼は、
城門を入るときにも、狂いだした。
暴れだすと、大勢の武士でも、手がつけられなかった。寝殿は毎夜、不夜城のごとく灯をともし、昼も夜も、侍臣は眠らなかったが一陣の黒風がくると、呉城全体があやしく揺れおののくばかりだった。
「この城中では眠れない」
遂に孫策もそう云いだした。で――城外に野陣を張り、三万の精兵が
ところが、于吉のすがたは、
「……そんなに痩せ衰えたろうか」
孫策は或る折、ひとり鏡を取寄せて、自分の容貌をながめていたが、
「妖魔め」と、剣を払い、虚空を斬ること十数遍、ううむ――と一声うめいて
もう名医
「だめだ……残念ながらもうだめだ……こんな肉体をもって何でふたたび国政をみることができよう。
夫人は、
「すこし、ご容子が……」と、すぐ城中へ報らせた。
張昭以下、譜代の重臣や大将たちが、ぞくぞくと集まった。
孫策は、
「水をくれい」と求めて、唇の
「いまわが中国は、大きな変革期にのぞんでいる。後漢の朝はすでに咲いて
そういって、細い手を、わずかにあげて、
「弟、弟……
「はい、はい、孫権はここにおりまする」
群臣のあいだから、あわれにもまだ年若い人の低い声がした。
それは弟の孫権だった。
孫権は、泣きはらした眼をふせながら、兄孫策の枕頭へ寄って、
「兄上、お気をしっかり持って下さい。いまあなたに逝かれたら、呉の国家は、柱石を失いましょう。そこにいる母君や、多くの臣下を、どうして抱えてゆけましょう」
と、両手で顔をつつんで泣いた。
孫策は、いまにも絶えなんとする呼吸であったが、強いて微笑しながら、枕の上の顔を振った。
「気をしっかり持てと。……それはおまえに云いのこすことだ。孫権、そんなことはないよ。おまえには内治の才がある。しかし江東の兵をひきいて、
刻々と、彼の眉には、死の色が
「……ああ不孝の子、この兄は、もう天命も尽きた。慈母の孝養をくれぐれ頼むぞ。また諸将も、まだ若い孫権の身、何事も和し、そして
そういうと、彼は、呉の
孫権は、おののく手に、印綬をうけながら、片膝を床について、
「
孫策は、なお眸をうごかした。泣き仆れていた妻の
「そなたの妹は、
次に、なお幼少な
「これからはみな、孫権を柱とたのみ、慈母をめぐって、兄弟
云い終ったかと思うと、忽然、息がたえていた。
孫策、実に二十七歳であった。江東の小覇王が、こんなにはやく
けれど、孫策が臨終にもいったように、兄の長所には及ばないが、兄の持たないものを彼は持っていた。それは内治的な手腕、保守的な政治の才能は、むしろ孫権のほうが長じていたのである。
孫権、
彼の下にも、幼弟がたくさんあった。かつて、呉へ使いにきた漢の

「孫家の兄弟は、いずれも才能はあるが、どれも
この言は、けだし孫家の将来と三児の運命を、ある程度予言していた。いやすでに孫策にはその言が不幸にも的中していたのである。
呉は国中
葬儀委員長は、孫権の叔父
孫権は
「そんなことでどうしますか。
張昭は、彼を見るたびに、そういって励ました。
孫策の母も、未亡人も、彼のすがたを見ると、涙を新たにして、故人の遺託をこまごま伝えた。
周瑜は、故人の霊壇に向って拝伏し、
「誓って、ご遺言に添い、
そのあとで、彼は孫権の室に入って、ただ二人ぎりになっていた。
「何事も、その
「
「張昭はまことに賢人です。
「それは誰ですか」
「
「まだ聞いたこともないが、そんな有能の士が、世にかくれているものだろうか」
「
「
「
「知らなかった。自分の領下に、そういう人がおろうとは」
「仕官するのを好まないようです。魯粛の友人の
「周瑜、そんな人が、もしほかへ行ったら大変だ。ご辺が参って、なんとか、召し出してきてくれないか」
「さっきもいった通り、いかなる人材でも、それをよく用いなければ、何にもなりません。あなたに真の熱情があるなら、私がかならず説いて連れてきますが」
「国のため、家のため、なんで賢人を求めて、賢人を無用にしよう。いそいで行ってきてくれい、ご苦労だが」
「承知しました」
ちょうど田舎の豪農というような家構えだった。門の内には
その家の門をくぐれば、その家の主人の
門を通ってもとがめる者なく、内は広く、そして平和だった。あくまでこの地方の大百姓といった構えである。どこやらで牛が啼いている。振向くと村童が二、三人、納屋の横で水牛と寝ころんで

「ご主人はおいでかね」
近づいて、周瑜が問うと、村童たちは、彼の姿をじろじろと見まわしていたが、
「いるよ、あっちに」と、木の間の奥を指さした。
見るとなるほど、田舎びた母屋とはかけ離れて一棟の書堂が見える。周瑜は童子たちに、
「ありがとう」と、愛想をいって、そこへ向う、
すると、立派な風采をした武人が供を連れて、
周瑜は気にもかけなかった。そのまま書堂の前まで来ると、ここには今、
「失礼ですが、あなたは当家のお主魯粛どのではありませんか」
周瑜がいんぎんに問うと、魯粛は豊かな眼をそそいで、
「いかにも、てまえは魯粛ですが、してあなたは」
「呉城の当主、孫権のお旨をうけて、突然お邪魔に参ったもの。すなわち
「えっ、あなたが
魯粛は非常におどろいた。巴丘の周瑜といえば知らぬ者はなかったのである。
「ともあれ、どうぞ……」と、書堂に
うわさにたがわぬ魯粛の人品に、内心すっかり感悦していた周瑜は、辞を低うしてこう説いた。
「今日の大事は、もちろん将来にあります。将来を
と、まえおきして、
「どうです、呉に仕えませんか。あなたも一箇の書堂におさまって文人的な
「いまここから帰って行った客と、お会いでしたろう」
「お見かけしました。やはりあなたを引き出しにきた
「そうです。再三再四、これへ参って鄭宝へ仕官せよと、根気よくすすめてくれるのですが」
「あなたの意はうごきますまい。
「……?」
「おいやですか」と、切りこむと、
「いや、待って下さい」
と、魯粛はふいに立つと、客をそこへのこして、ひとり母屋のほうへ行ってしまった。
「失礼しました――」と魯粛はまもなく戻ってきて、
「自分には一人の老母がおるものですから、老母の意向もたずねてきたわけです。ところが老母もそれがしの考えと同様に、呉に仕えるがよかろうと、歓んでくれましたから、早速お招きに応じることにしましょう」と、快諾の旨を答えた。
周瑜はこおどりして、
「これでわが三江の陣営は精彩を一新する」
と、直ちに駒を並べて、呉郡に帰り、魯粛をみちびいて、主君孫権にまみえさせた。
彼を迎えて、孫権がいかに心強く思ったかはいうまでもない。以来、
ある日は、ただ二人酒を飲んで、
「御身は漢室の現状をどう思う? また、わが将来の備えは?」
若い孫権の眸はかがやく。
魯粛は答えていう。
「おそらく漢朝の隆盛はもう過去のものでしょう。かえって
「漢室が衰えたあと、
「ふたたび、漢の高祖のごとき人物が現れ、帝王の業が始りましょう。歴史はくり返されるものです。この
孫権はじっと聞いていた。彼の
その後、数日の暇を乞うて、魯粛が田舎の母に会いに行く時、孫権は、彼の老母へといって、衣服や
魯粛はその恩に感じ、やがて帰府するとき、さらにひとりの人物を伴ってきて、孫権に推薦した。
この人は、漢人にはめずらしい二字姓をもっていたから、誰でもその家門を知っていた。
姓を
孫権に、身の上をたずねられて、その人は語った。
「郷里は、

「伯父は、何をしておるか」
「荊州の刺史
「御身の年齢は」
「ことし二十七歳です」
「二十七歳。すると、わが亡兄の孫策と同年だの」
孫権は非常になつかしそうな顔をした。
魯粛はかたわらから、
「諸葛
孫権は、彼を呉の
この
呉を
国策の大方針として、まず河北の
これは諸葛瑾の献策で、瑾は長く河北にいたので袁紹の
しばらく曹操にしたがうと見せ、時節がきたら曹操を討つ!
それが方針の根底だった。
そうきまったので、河北から使者にきて長逗留していた
一方、曹操のほうでも。
呉の孫策死す! ――という大きな衝動をうけて、にわかに評議をひらき、曹操はその席で、
「天の与えた好機だ。ただちに大軍を
と提議したが、折ふし都へ来ていた
「人の
すなわち孫権を
彼の選んだ方針と、呉がきめていた国策とは、その永続性はともかく孫策の死後においては、
――だが、おさまらないのは、河北の
使者は追い返され、呉はすすんで曹操に
「まず、曹操を打倒せよ」
令に依って。
冀州、青州、
袁紹も、
「かくの如く、内を虚にして、みだりにお
かたわらにいた
「出陣にあたって不吉なことをいわれる。田豊には、主君の敗北を期しているとみえるな。何を根拠に、大禍に会わんなどと、この際断言されるか」と、ことさら、
出陣の日は、わずかなことも吉凶を占って、気にかけるものである。不吉な言をなしたというのは大罪に
袁紹も怒って、田豊を血祭りにせんと猛ったが、諸人が
「――
と云い払って出陣した。
ところが途中、陽武(河南省・原陽附近)まで進むと、また
「曹操は速戦即決をねらっています。後の整備や兵糧が乏しいためです。しかるに、その図に乗って急激にこの大軍で当られるのは心得ません。味方は大軍ですが、その勇猛と意気にかけてはとても彼に及ぶものではないに」
「だまれ。汝もまた、田豊をまねて、みだりに不吉の言を吐くか」
袁紹は、彼の首にも
かくて、官渡の山野、四方九十里にわたって、河北の軍勢七十余万、陣を布いて曹操に対峙した。
この日、
折から、三通の
見れば、大将軍

「曹操に一言申さん」と、陣頭に出た。
西軍の鉄壁陣は、

「曹操これにあり、めずらしや河北の袁紹なるか」と、乗りだしてきたもの、いうまでもなく、いま天下の動向この人より起るとみられている曹操である。
曹操はまずいった。
「予、さきに、天子に奏して、汝を
彼が敵に与える宣言はいつもこの筆法である。袁紹は当然面を朱に怒った。
「ひかえろ曹操。天子のみことのりを私して、みだりに朝威をかさに振舞うもの、すなわち
宣言の上では、誰が聞いても、袁紹のほうがすぐれている。
だから曹操はすぐ、
「問答無用」と、駒を返して、「――
「見参!」
と、張遼は馳けすすんできて、袁紹へ迫ろうとしたが、袁紹のうしろから突として、
「罰当りめ。ひかえろ」
と、叱りながら、河北の勇将

二者、火をちらして激闘すること五十余合、それでも勝負がつかない。
曹操は、遠くにあって、驚きの目をみはりながら、
「そも、あの化け物はなんだ」と、つぶやいた。
差し控えていた

「われ
――その時、将台の上に立って、
「それっ、合図を」と、軍配も折れよと振った。
かかることもあろうかと、かねて隠しておいた
天地も裂くばかりな
「いまぞ追いくずせ」
袁紹は、勝った。まさにこの日の戦は、河北軍の
元来この
うしろには
両軍はこの流れをさし挟んで対陣となった。地勢の按配と双方の力の伯仲しているこの
「いかに、河北の軍勢でも、これでは近づき得まい」
と、曹軍はその陣容を誇るかのようだった。
さすがの袁紹も、果たして、
「力攻めは愚だ」と、さとったらしく、ここ数日は矢一つ放たなかった。
ところが、一夜のうちに、官渡の北岸に、山ができていた。そも、袁紹は何を考えだしたか、二十万の兵に工具を
「これは?」と知った曹操のほうでは、陣所陣所から手をかざして、なにか評議をこらしていたが、ついに施す策もなかった。
「……やあ、こんどはあの築山の上に、幾つも
「なるほど、仰山なことをやりおる、どうする気だろう?」
その解答は、まもなく袁紹のほうから、実行で示してきた。
細長い丘の上に、五十座の
これには曹操も閉口して、前線すべて山麓の陰へ退却してしまうしかなかった。
「渡河の用意!」
当然、袁紹の作戦は次の行動を開始していた。夜な夜な河中の逆茂木を伐りのぞき、やがて味方の
曹操も、内心、恐れを覚えてきたらしい。
「官渡の守りも、この流れあればこそだが? ……」
すると幕僚の
「まず敵の
「発石車とは何か」
「それがしの領土に住む、名もない
曹操はよろこんで、直ちに、その無名の老鍛冶屋を奉行にとりたて、鍛冶、木工、石屋、硝石作りなど、数千人の工人を督励して、図のように発石車を数百輛作らせた。
まさに科学戦である――近代兵器のそれとは比較にならないがその精神や戦法は、たしかにそこを目ざして飛躍している。
車砲は口をそろえて烈火を吐いた。大石は虚空にうなり、河をこえて、人工の丘に、無数の土けむりをあげ、また、敵の櫓をみな
「何だろう。あの器械は」
敵はもとより、味方のものまで目に見た科学の威力に、ひとしく
「
物識りらしくいう者があって、いつかそのまま霹靂車とよびならわされた。
それはともかく。河北軍はまた新しい一戦法を案出して、曹操を脅かした。
これは

こんどの場合は、城壁とちがい、官渡の流れが両軍のあいだにあるが、水深は浅い。深く掘りすすめば至難ではなかろう。
こう
「よかろう」と、袁紹は直ちに実行させたのである。二万余の土龍は、またたくうちに、一すじの地道を対岸の彼方まで掘りのばして行った。
曹操は早くもそれを察していた。なぜならば、
「どうしたら防げるか」
彼はまた、
劉曄は笑って、
「あの
「なるほど」
苦もなく防禦線はできた。
物見によって、それと知った袁紹は、あわてて
こんなふうに、対戦はいたずらに延び、八月、九月も過ぎた。
輸送力に比して、大軍を擁しているため、長期となると、かならず双方とも苦しみだすのは、兵糧であった。
曹操は、そのため、幾度か

すると、
徐晃が、この捕虜を手なずけて、いろいろ問いただしてみると、
「袁紹の陣でも、実は、兵糧の窮乏に困りかけています。けれど、近頃、
と、嘘でもなさそうな自白であった。
で――徐晃はさっそく、その趣を、曹操へ報告した。曹操は、聞くと手を打って、
「その兵糧こそ、天が我軍へ送ってくれたようなものだ。
「誰彼と仰せあるより、それがしが史渙を連れて行ってきましょう」
徐晃は、その役を買って出た。
壮なりとして、曹操はゆるしたけれど、敵地に深く入りこむことなので、徐晃の先手二千人のあとへ、さらに、張遼と許

その夜。
河北の兵糧奉行たる韓猛は、数千輛の穀車や牛馬に鞭を加えて、山間の道を
「さては?」と、急に防戦のそなえをしたが、足場はわるし道は暗いし、牛馬は暴れだすし、まだ敵を見ぬうちから大混乱を起していた。
徐晃の奇襲隊は、用意の
火牛は吠え、火馬は躍り、真っ赤な谷底に、人間は戦い合っていた。
真夜中に、西北の空が、真っ赤に
「何事だろう?」と、疑っていた。
そこへ韓猛の部下がぞくぞく逃げ返ってきて、
「兵糧を焼かれました」と告げたから袁紹は落胆もしたし、韓猛の敗退を、
「
「

彼は、俄に呼んで、その二将に精兵をさずけ、兵糧隊を奇襲した敵の退路をたって
「心得ました。味方の損害は莫大のようですが、同時に、兵糧を焼いた敵のやつらも、一匹も生かして返すことではありません」
二大将は手分けして、大道をひた押しに駈け、見事、敵路を先に取った。
徐晃は使命を果たして、意気
待ちかまえていた高覧、張

「賊は小勢だぞ。みなごろしにしてしまえ」
と、無造作に包囲して、馬を深く敵中へ馳け入れ、
「徐晃は汝か」と、彼のすがたを探しあてるやいな、挟み撃ちにおめきかかっていた。
ところが。
背後の部下はたちまち
すなわち一軍は許

高覧は
「これは及ばん」と、戦わずして逃げ去り、張

「むだに命は捨てられん」とばかり、逃げ鞭たたいて逸走してしまった。
徐晃は、後詰の張遼、許

「いやご過賞です。せっかくご使命を買って出ながら、功は半ばしか成りませんでした」
といって自ら恥じた。
「なぜ恥じるか」と、曹操が訊くと、
「でも、敵の兵糧を焼いて帰ってきただけでは味方の腹はくちくなりませんから」と、答えた。
「ぜひもない。そこまでは慾が張りすぎよう」
曹操が慰めたので、諸将はみな苦笑したが、まったくこの戦果によっては、少しも兵糧の窮乏は解決されなかった。
しかし、これを袁紹のほうに比較すると、士気をあげただけでも、やはり充分に、徐晃の功は大きかったといっていい。
袁紹は、期待していた兵糧の莫大な量をむなしく焼き払われたので、
「
この難に遭ってから
「
と、大いに袁紹へ注意するところがあった。
烏巣、

この淳于瓊というのは、生来の大酒家で、

「また失態をやりださねばよいが」と、内心不安を抱いていた。
けれど烏巣そのものの地は天嶮の要害であった。それに安心したか、果たして、淳于瓊は毎日、部下をあつめて飲んでばかりいた。
ここに、袁紹の軍のうちに、
この許攸が、不遇な原因は、ほかにもあった。
彼は曹操と同郷の生れだから、あまり重用すると、危険だとみられていたのである。
酒を飲んだ時か何かの折に、彼自身の口から、
「おれは、子供の頃から、曹操とはよく知っている。いったい、あの男は、郷里にいた時分は、毎日、女を
などと、自慢半分にしゃべったことが
ところが、その
偵察に出て、小隊と共に、遠く歩いているうち、うさん臭い男を一名捕まえたのである。
さきに曹操から都の


「折入ってお願いがあります。わたくしに騎馬五千の引率をおゆるし下さい」
許攸は、ここぞ日頃の疑いをはらし、また自分の不遇から脱する機会と、直接、袁紹を拝してそう熱願した。
もちろん証拠の一書も見せ、
「どうする。五千の兵を汝に持たせたら」
「間道の難所をこえ、敵の中核たる許都の府へ、一気に攻め入ります」
「ばかな。そんなことが易々として
「いや、かならず成就してお見せします。なんとなれば、荀

「そちは上将の智を軽んじおるな。左様なことは、誰でも考えるが、一を知って二を知らぬものだ。――もしこの書簡が
「断じて、
彼の熱意は容易に聞き届けられなかったが、さりとて、思いとどまる気色もなく、なお懇願をつづけていた。
袁紹は途中で、席を立ってしまった。審配から使いがきたからである。すると、その間に、侍臣がそっと彼に耳打ちした。
「許攸の言はめったにお用いになってはいけません。
「……ふム、ふム。わかっとる、わかっとる」
袁紹は二度目に出てくると、
「まだいたのか、退がれ。いつまでおっても同じことじゃ」と、叱りとばした。
許攸は、むっとした面持で、外へ出て行った。そしてひとり
「
急に、思い直すと、彼はこそこそと
槍の先に、何やら白い布をくくりつけ、それを振りながらまっしぐらに駈けてくる敵将を見、曹操の兵は、
「待てっ、何者だ」と、たちまち捕えて、姓名や目的を詰問した。
「わしは、
その時、曹操は本陣の内で、
「なに、許攸が?」と、意外な顔して、すぐ通してみろといった。
ふたりは
「儀礼はやめ給え。君と予とは、幼年からの友、
曹操は、手をとって起した。許攸はいよいよ
「僕は半生を過まった。主を見るの
「君の性質はもとよりよく知っている。無事に相見ただけでもうれしい心地がするのに、さらに、予に力を貸さんとあれば、なんで否む理由があろう。歓んで君の言を聞こう。……まず、袁紹を破る計があるなら予のために告げたまえ」
「実は、自分が袁紹にすすめたのは、今、軽騎の精兵五千をひっさげて、間道の嶮をしのび越え、ふいに
曹操はおどろいて、
「もし袁紹が、君の策を容れたら、予の陣地は七
「その計を立てるまえに、まず伺いたいことがある。いったい丞相のご陣地には今、どれくらいな兵糧のご用意がおありか?」
「半年の支えはあろう」
曹操が、即答すると、
「嘘をお云いなさい。せっかく自分が、旧情を新たにして、真実を吐こうと思えば、あなたは却っていつわりをいう。――われを
「いや、いまのは戯れだ。正直なところをいえば、三月ほどの用意しかあるまい」
許攸はまた笑って、
「むべなる哉。世間の人が、曹操は
と、舌打ちして、
「軍の
すると
「子どもだましのような嘘はもうおよしなさい。丞相の陣にはもはや一粒の兵糧もないはずです。馬を喰い草を噛むのは、兵糧とはいえませんぞ」
「えっ……どうして君は、そこまで知っているのか」
と、さすがの曹操も顔色を失った。
許攸は、ふところへ手を入れた。
そして、封のやぶれている書簡を出して、曹操の眼の前へつきだした。
「これは一体、誰の書いたものでしょう」
許攸は鼻の上に皮肉な

「や。どうして予の書簡が、君の手にはいっているのか」
曹操は仰天してもう嘘は
許攸は、自分の手で、使いを生け捕ったことなど、つぶさに話して、
「丞相の軍は小勢で、敵の大軍に対し、しかも兵糧は尽きて、今日にも迫っている場合でしょう。なぜ敵の好む持久戦にひきずられ、自滅を待っておいでになるか、それがしに分りません」
と、いった。
曹操はすっかり
許攸は初めて、真実をあらわして云った。
「ここを離るること四十里、
「――が、その烏巣へ近づくまでどうして敵地を突破できよう」
「尋常なことでは通れません。まず屈強なお味方をすべて北国勢に仕立て、
曹操は彼の言を聞いて、暗夜に光を見たような歓びを現した。
「そうだ、烏巣を焼討ちすれば袁紹の軍は、七日と持つまい」
彼は直ちに、準備にかかった。
まず河北軍の
張遼は、心配した。
「丞相、もし
「この五千は、予自身が率いてゆく。なんでわざわざ敵の術中へ墜ちにゆくものか」
「えっ、丞相ご自身で」
「案じるな。――許攸が味方へとびこんできたのは、実に、天が曹操に大事を成さしめ給うものだ。もし
果断即決は、実に曹操の持っている天性の特質中でも、大きな長所の一つだった。彼には兵家の将として絶対に必要な「
――が、彼にとって、恐いのは行く先の敵地ではなく、留守中の本陣だった。
もちろん許攸はあとに残した。

そして、彼自身は。
五千の偽装兵をしたがえ、張遼、

時、建安五年十月の
「……ああ。これはただごとではない」と、大きくつぶやいた。
彼の独り言を怪しんで、典獄がそのわけを問うと、沮授はいった。
「こよいは星の光いとほがらかなのに、いま天文を仰ぎ見るに、
そして彼は、典獄を通して、主君の袁紹に会うことをしきりに――しかも、火急に嘆願したので、折から酒をのんでいた袁紹は、何事かと、面前にひかせて見た。
沮授は、信念をもって、
「こよいから明け方までの間に、かならず敵の奇襲が実行されましょう。察するに、味方の兵糧は烏巣にありますから、智略のある敵ならきっとそこを
袁紹は聞くと、苦りきって、
「獄中にある身をもって、まだみだりに舌をうごかし、士気を惑わそうとするか。
それのみか、彼の嘆願を取次いだ典獄は、獄中の者と親しみを交わしたという罪で、その晩、首を斬られてしまったと聞いて、沮授は独り
「もう眼にも見えてきた。味方の滅亡は刻々にある。――ああ、この一身も、どこの野末の土となるやら……」
――かかる間に、一方、曹操の率いる
「これは九将
烏巣の穀倉守備隊長
「あっ、夜討だっ」
半数は、降兵となり、一部は逃亡し、踏みとどまった者はすべて火焔の下に死骸となった。
曹操の部下は、熊手をもって
副将の

曹操は存分に勝って淳于瓊の鼻をそぎ耳を切って、これを馬の上にくくりつけ、凱歌をあげながら引返した。――夜もまだ明けきらぬうちであった。
ときに袁紹は、本陣のうちで、無事をむさぼって眠っていたが、
「火の手が見えます!」と
そこへ、急報が入った。
袁紹は驚愕して、とっさにとるべき処置も知らなかった。
部将

「すぐに烏巣の急を救わん」
とあせり立ち、高覧はそれに反対して、
「むしろ、曹操の本陣、官渡の留守を
火の手を見ながらこんなふうに袁紹の
彼とても、決して愚鈍な人物ではない。ただ
「やめい。口論している場合ではない」
たまらなくなって、袁紹はついに呶鳴った。
そして、確たる自信もなく、
「

と、ただあわただしく号令した。
蒋奇は心得てすぐ
すると彼方から百騎、五十騎とちりぢりに馳けてきた将士が、みな蒋奇の隊に交じりこんでしまった。もっとも出合いがしらに先頭の者が、
「何者だっ?」と充分に
「
ところが、これはみな烏巣から引っ返してきた曹操の将士であったのである。中には、

「やっ、裏切者か」
「敵だっ」
突然混乱が起った。暗さは暗し、敵か味方かわからない間に、すでに蒋奇は何者かに鎗で突き殺されていた。
たちまち四山の木々岩石はことごとく人と化し、金鼓は鳴り刀鎗はさけぶ。曹操の指揮下、蒋奇の兵一万の大半は
「追い土産まで送ってくるとは、袁紹も物好きな」
と、
その間に、彼はまた、袁紹の陣地へ、人をさし向けてこういわせた。
「蒋奇以下の軍勢はただ今、烏巣についてすでに敵を蹴ちらし候えば、袁将軍にもお心を安じられますように」
袁紹はすっかり安心した。――が、その安夢は朝とともに、霧の如く醒めてふたたび

そのあげく、官渡から潰乱してくる途中、運悪くまた曹操の帰るのにぶつかってしまった。ここでは、徹底的に叩かれて、五千の手勢のうち生き還ったものは千にも足らなかったという。
袁紹は茫然自失していた。
そこへ
淳于瓊が斬られたのを見て、袁紹の幕将たちは、みな不安にかられた。
「いつ、自分の身にも」と、めぐる運命におののきを覚えたからである。
中でも、
「これはいかん……」と、早くも、保身の智恵をしぼっていた。
なぜならば、ゆうべ官渡の本陣を衝けば必ず勝つと、大いにすすめたのは、自分だったからである。
やがてその張

「張

袁紹は、真っ蒼になって、
「よしっ、立ち帰ってきたら、必ず彼らの罪を正さねばならん」
と、いうのを聞くと、郭図はひそかに、人をやって、張

「しばし、本陣に還るのは、見合わせられい。袁将軍はご成敗の剣を抜いて、貴公たちの首を待っている」と、告げさせた。
二人が、それを聞いているところへ、袁紹からほんとの伝令がきて、
「早々に還り給え」と、主命を伝えた。
高覧は、突然剣を払って、馬上の伝令を斬り落した。驚いたのは張

「なんで主君のお使いを斬ったのか。そんな暴を働けば、なおさら君前で云い開きが立たんではないか」と絶望して悲しんだ。
すると高覧は、つよくかぶりを振って、
「われら、

諫める者もあったが、曹操は

「なお、将来の大を期し給え」と、励ましたから、両将の感激したことはいうまでもない。
彼の二を減じて、味方に二を加えると、差引き四の相違が生じるわけだから、曹操軍が強力となった反対に、袁将軍の弱体化は目に見えてきた。
それに烏巣焼打ち以後、兵糧難の打開もついて、丞相旗のひるがえるところ、旭日昇天の
「ここで息を抜いてはいけません。今です。今ですぞ」と励ました。
昼夜、攻撃また攻撃と、手をゆるめず攻めつづけた。しかし何といっても、河北の陣営はおびただしい大軍である。一朝一夕に崩壊するとは見えなかった。
「――敵の勢力を三分させ、箇々

これは



「すわ、また何か、彼が奇手を打つな」
と、大将

当然、彼の本陣は、目立って手薄になった。探り知った曹操は、
「思うつぼに」と、ほくそ笑んで、一時三方へ散らした各部隊と聯絡をとり、日と刻を
黄河は
あとには、ただ一人、
それと知って、
「われぞ、
と

一すじや二すじの河流なら見当もつくが、広茫の大野に、沼やら湖やら、またそれをつなぐ無数の流れやらあって、どっちへ渡って行ったか――水に惑わされてしまったからであった。
なお諸所を捜索中、捕虜とした一将校の自白によると、
「嫡子
と、いうことだった。
そのうちに集結の
また、それらの戦利品中には、袁紹の座側にあった物らしい
思いがけない朝廷の官人の名がある。現に曹操のそばにいて忠勤顔している大将の名も見出された。そのほか、日頃、袁紹に内通していた者の手紙は、すべて彼の眼に見られてしまった。
「実にあきれたもの、この書簡を証拠に、この際、これらの二心ある醜類をことごとく軍律に照して断罪に処すべきでしょう」
「いや待て。――袁紹の勢いが隆々としていたひと頃には、この曹操でさえ、如何にせんかと、惑ったものだ。いわんや他人をや」
彼は、眼のまえで、
また、袁紹の臣
「おう、君とは、一面の交わりがある」
と、自身で縄をといてやったが、沮授は声をあげて、その情けを拒んだ。
「わしが捕われたのは、やむを得ず捕われたのだ。降参ではないぞ。早く首を斬れ」
しかし曹操は、あくまでその人物を惜しんで陣中におき、篤くもてなしておいた。ところが、沮授は隙を見て、兵の馬を盗みだし、それに乗って逃げだそうとした。
「……あっ」
沮授が、鞍につかまった刹那、一本の矢が飛んできて、沮授の背から胸まで射ぬいてしまった。曹操は自分のしたことを、
「ああ。われついに、忠義の人を殺せり」
と悲しんで、手ずから遺骸を祭り、黄河のほとりに
黎山の
ふと眼をさますと。
老幼男女の
耳をすましていると、その声は親を討たれた子や、兄を失った弟や、良人を亡くした妻などが、こもごもに、肉親の名を呼びさがす叫びであった。
「
旗下の報らせに、袁紹は、
「さては、あの叫びは、敗残のわが兵を見て、その中に身寄りの者がありやなしやと、案じる者どもの声だったか……」と、思いあわせた。
しかし逢紀、義渠の二将が追いついてくれたので、彼は蘇生の思いをし、
「もし
と、部落を通っても、町を通っても、沿道に人のあるところ、必ず人民の哀号と恨みが聞えた。
それもその筈で、こんどの官渡の大戦で、袁紹の冀北軍は七十五万と称せられていたのに、いま逢紀、義渠などが附随しているとはいえ、顧みれば敗残の将士はいくばくもなく、
「田豊。……ああそうだった。実に、田豊の諫めを耳に入れなかったのが、わが過ちであった。なんの面目をもって彼に会おうか」
袁紹がしきりと
「城中からお迎えのため着いた人々のはなしを聞くと、獄中の田豊は、お味方の大敗を聞いて、手を打って笑い、それ見たことかと、誇りちらしているそうです」
またしても袁紹は、こんな讒言の舌にうごかされて、内心ふたたび田豊を憎悪し、帰城次第に、斬刑に処してしまおうと心に誓っていた。
冀州城内の獄中に監せられていた田豊は、官渡の大敗を聞いて
彼に心服している典獄の奉行が、ひそかに獄窓を訪れてなぐさめた。
「今度という今度こそ、袁大将軍にも、あなたのご
すると田豊は顔を振って、
「
「まさか、そんなことは……」と、典獄もいっていたが、果たして、袁紹が帰国すると即日、一使がきて、
「
典獄は、田豊の先見に驚きもし、また深く悲しんで、別れの
田豊は
「およそ士たるものが、この天地に生れて、仕える主を過つことは、それ自体すでに自己の不明というほかはない。この期に至って、なんの
と、剣を受けて、みずから自分の首に加えて伏した。黒血大地をさらに
本国に帰ってからの袁紹は、冀州城内の殿閣にふかくこもって、
衰退が見えてくると、大国の悩みは深刻である。
外戦の
「あなたがお丈夫なうちに、どうか
「わしも疲れた。……心身ともにつかれたよ。近いうちに世嗣を決めよう」
つねに劉夫人からよいことだけを聞かされているので、彼の意中にも、袁尚が第一に考えられていた。
だが、長男の
その二人をさしおいて、三男の袁尚を立てたら、どういうことになるだろうか?
袁紹はそこに迷いを持ったのであった。つねにそばにおいて可愛がっている袁尚だけに、悩むまでもない明白な問題なのに、彼は迷い苦しんだ。
重臣たちの意向をさぐると、
だが、自分から自分の望みをほのめかしたら、そういう連中も、一致して袁尚を支持してくれるかも知れぬ――と考えたらしく袁紹は或る日、四大将を
「時に、わしもはや老齢だし、諸州に男子を分けて、それぞれ適する地方を守らせてあるが、宗家の世嗣としては、もっとも三男袁尚がその質と思うている。――で、近く袁尚を河北の新君主に立てようと考えておるが、そち達はどう思うな?」
と、意見を問いながら暗に自分の望みを打ち明けてみた。
すると、誰よりも先に
「これは思いもよらぬおことばです。
と、面を
「左様か……。む、む」
と、気まずい顔いろながらも、反省して、考え直しているふうであった。
すると、それから数日の間に。
ために冀州城下の内外は、それらの味方の旗で埋められたので、一時は気を落していた袁紹も大いに歓んで、
「やはり何かの場合には、気づよいものは子どもらや肉親である。かく、新手の兵馬がわれに備わるからには、長途を疲れてくる曹操の如きは何ものでもない」と、安心をとり戻していた。
一方、曹操の軍勢は、どう動いているかと、諸所の情報をあつめてみると、さすがに急な深入りもせず、大捷をおさめたのち、彼はひとまず黄河の線に全軍をあつめ、おもむろに装備を改めながら兵馬に休養をとらせているらしかった。
或る日、曹操の陣所へ、土民の老人ばかりが、何十人もかたまって訪ねてきた。髪の真白な者、
「
卒の取次を聞くと、曹操はすぐ出てきた。そして一同に席を与え、
「おまえ達は、幾歳になるか」と、訊ねた。
一人は百四歳と答える。一人は百二歳という。最低の者でも八十、九十歳だった。
「めでたい者達だ」と、曹操は、酒を飲ませたり、
そしてなお、いうには、
「予は老人が好きだ、また老人を尊敬する。なぜなら、多難な人生を、おまえ達の年齢まで生きてきただけでも大変なものじゃないか。生きてきたというだけでも充分に尊敬に
老人達はすっかり歓んでしまった。百何歳という中の一翁が、謹んで答えた。
「いまから五十年前――まだ
と、たずさえてきた
曹操は、軍令を出して、
一、農家耕田 ヲ荒 ス者ハ斬
一、一犬一鶏 タリト盗ム者ハ斬
一、婦女ニ戯ルル者ハ斬
一、酒ニミダレ火ヲ弄 ブ者ハ斬
一、老幼ヲ愛護シ仁徳ヲ施 スハ賞ス
と、諸軍に法札を掲げさせた。一、一犬一
一、婦女ニ戯ルル者ハ斬
一、酒ニミダレ火ヲ
一、老幼ヲ愛護シ仁徳ヲ
「
「
土民が彼を謳歌したことはいうまでもない。ために彼の軍はその後、兵糧や馬糧にも困らなかったし、しばしば土民から有利な敵の情報を聞くこともできた。
敵の
曹操も全軍を押し進め、戦書を交わして、堂々と出会った。
開戦第一の日。
袁紹は一人の
曹操は、
「世に無用なる老夫。なお、曹操の
袁紹は怒って、直ちに、「世に害をなすあの賊子を討てッ」と、左右へ
三男の
曹操は、その弱冠なのに、眼をみはって、
「あわれ、この青二才は、何者か」
と、うしろへ訊いた。
「袁紹の子三男袁尚です。それがしが承らん」
と、鎗をひねって、躍りでた者がある。
彼の鋭い鎗先に追われて、袁尚はたちまち逃げだした。のがさじと、史渙は追いまくる。すると袁尚はしり眼に振向いて、矢ごろをはかり、
矢は、史渙の左の目に立った。
どうっと、転び落ちる土煙とともに、袁紹以下、
我が子の武勇を
その装備においても、兵数の点でも、依然、河北軍は圧倒的な優位を保持していた。接戦第一日も、二日目も、さらにその以後も、河北軍は連戦連捷の勢いだった。
曹操は敗色日増しに加わる味方を見て、
「

程

曹操の軍は、にわかに退却を開始し、やがて黄河をうしろに、布陣を改めた。
そして部隊を十に分け、各

袁紹はしきりに物見を放ちながら、三十万の大軍を徐々に進ませてきた。
――敵、
と聞いて、河北軍も、うかつには寄らなかったが、一夜、曹操の中軍前衛隊の

「それッ、包囲せよ」と、五

許

「うしろは黄河だ。背水の敵は死物狂いになろう。深入りすな」
と袁紹
突如として、方二十里にわたる野や丘や水辺から、かねて曹操の配置しておいた十隊の兵が、
「大丈夫だ」
「なんの、さわぐことはない」
袁紹父子は、最後に至るまで総司令部と敵とのあいだに、分厚な味方があり、距離があることを信じていた。
――何ぞ知らん。彼の信じていた五寨の備えは、すでに間隙だらけであったのである。
またたく間に、味方ならぬ敵の
「右翼の第一隊、
「二隊の大将、
「第三を承るもの
「第四隊、
「第五にあるは、
「――左備え。第一隊
「二隊、

と、いうような声々が潮のように耳近く聞かれた。
「すわ。急変」と、総司令部はあわてだした。
どうしてこう敵が急迫してきたのか、三十万の味方が、いったいどこで戦っているのか。
袁紹は、三人の子息と共に、夢中で逃げだしていた。
うしろに続く
いや彼ら父子の身も、いくたびか包まれて、雑兵の熊手にかかるところだった。
馬を乗り捨て、また拾い乗ること四度、辛くも
次男の
夜もすがら、逃げに逃げて、百余里を走りつづけ――翌る日、友軍をかぞえてみると、何と一万にも足らなかった。
逃げては迫られ、止まればすぐ追われ、
しかも一万の残兵も、その三分の一は、
「あっ? 父上、どうなされたのですか」
遅れがちの父の袁紹をふと振返って、三男の袁尚が、仰天しながら駒を寄せた。
「兄さん! 大変だっ、待ってくれい」
ふたたび彼は大声で、先へ走ってゆく二人の兄を呼びとめた。
老齢な袁紹は、日夜、数百里を逃げつづけてきたため、心身疲労の
「父上っ」
「大将軍っ」
「お気をしっかり持って下さい」
三人の子と、旗下の諸将は、彼の身を抱きおろして懸命に手当を加えた。
袁紹は、蒼白な面をあげ、唇の血を三男にふかせながら、
「案じるな。……何の」と、
すると、はるか先に、何も知らず駆けていた前隊が、急に、
強力な敵の潜行部隊が、早くも先へ迂回して、道を遮断し、これへ来るというのである。
まだ充分意識もつかない父を、ふたたび馬の背に乗せて、長男
「……だめだ。苦しい。……おろしてくれい」
袁譚の膝で、袁紹のかすかな声がした。いつか白い
草の上に、
「袁尚。袁譚も……袁煕もおるか。わしの天命も、尽きたらしい。そちたち兄弟は、本国に還り、兵をととのえて、ふたたび、曹操と
云い終ると、かっと、黒血を吐いて、四肢を突張った。最後の躍動であった。
兄弟は号泣しながら、遺骸を馬の背に奉じて、なお本国へ急いだ。そして
次男の袁煕は幽州へ、嫡子袁譚は青州に、それぞれ守るところへ還り、甥の高幹も、
「かならず再起を」と約して、ひとまず
――かくて
「いまは稲の熟した時、田を荒らし、百姓の
曹操は
「百姓は国の本だ。――この田もやがて自分のものだ。憐れまないで何としよう」
一転、兵馬をかえして、都へさして来る途中、たちまち相次いで来る早馬の使いがこう告げた。
「いま、

途中、しかも久しぶりに都へかえる凱旋の途中だったが――曹操はたちどころに方針を決し、
「曹洪は、黄河にのこれ。予は、これより直ちに、汝南へむかって、玄徳の首を、この鞍に結いつけて都へ還ろう」と、いった。
一部をとどめたほか、全軍すべて道をかえた。彼の用兵は、かくの如く、いつもとどこおることがない。
すでに、汝南を発していた玄徳は、
「よもや?」と、思っていた曹操の大軍が、あまりにも迅く、南下して来たばかりか、逆寄せの勢いで攻めてきたとの報に、
「はや、

南の中核に玄徳、
地平線の彼方から、真黒に野を捲いてきた大軍は、穣山を
夜明けとともに、
「玄徳に一言いわん」と、告げた。
玄徳も、旗をすすめ、駒を立てて、彼を見た。
曹操は大声
「以前の恩義をわすれたか。
玄徳は、にこと笑い、
「君は、漢の
「だまれ、予は、天子の勅をうけて、
「いつわりを吐き給うな。君ごとき
その沈着な容子と、朗々たる
いつも、朝廷の軍たることを、真っ向に宣言してのぞむ曹操の戦いが、この日はじめて、位置をかえて彼に官軍の名を取られたような形になった。
彼が
「
「おうっ」と、吠えて、

迎えたのは趙雲。
勝負――つくべくも見えなかった。
関羽の一陣、横から攻めかかる。
張飛の手勢も、猛然、声をあわせて、側面を衝いた。
曹操の
「
その夜、玄徳がよろこびを見せると、関羽は首を振って云った。
「計の多い曹操のことです。まだまだ歓ぶところにはゆきません」
「いや、彼の退却は、長途の疲れを、無理してきたためで、計ではなかろう」
「では、試みに、趙雲を出して、
次の日、趙雲が進んで、挑戦してみたが、曹操の陣は、
――七日、十日と過ぎても、一向戦意を示さなかった。
「はて。――曹操の備えとしてはいつにない守勢だ。彼はそんな消極的な戦法を好む性格ではないが?」
ひとり関羽は怪しんでいた。曹操を知るもの、関羽以上の者はない。
果たせるかな、変があらわれた。
「汝南から前線へ、兵糧の運輸中

すると、また、次の早馬の伝令には、
「――強力な敵軍が、遠く迂回してきて、汝南の城へ急迫し、留守の守りは、苦戦に陥っている!」と、ある。
玄徳は、色を失って、
「留守の城には、われを始め、人々の妻子もおること」
と、関羽をして、救いのため、そこへ急派し、同時に張飛には、兵糧輸送隊の救援を命じた。
だが、その張飛の手勢も、現地まで行かないうちに、またも敵に包囲されたと聞えてきたし、関羽のほうとは、それきり連絡も絶えて、玄徳の本軍は、ようやく
「進まんか。
玄徳は、迷った。
趙雲は、討って出て、前面の敵と雌雄を決すべきだと、悲壮な覚悟をもって云ったが、
「いや、それは捨て身だ。軽々しく死ぬときではない」
と、玄徳は自重して、ひとまず
しかし、万全な退却は、進撃よりも難しい。昼は、陣地を固く守って、士気を養い、ひそかに準備をしておき、翌晩、闇夜を幸いに、騎馬を先とし、輸車歩兵をうしろに徐々と退却を開始して、そして約五、六里――穣山の下までさしかかった時である。突然断崖のうえで声がした。
「劉玄徳を捕り逃がすなっ!」
それに答える
山は吠え、鼓は鳴り、岩石はおちてくる。
逃げまどう玄徳の兵は明らかに次の声を耳に知った。
「曹操は、ここにある。降る者はゆるすであろう。弱将玄徳ごときに
火の雨の下、降る石の下に、
趙雲は、玄徳の側へ寄りそって、血路を開きながら、
「怖れることはありませんぞ。趙雲がお側にあるからは」と、励まし励まし逃げのびた。
山上からどっと、
趙雲は、槍をもって、さえぎる敵を叩き伏せ、玄徳も両手に剣を
夜が明けると、峠の道を、一隊の軍馬が、南のほうから越えてきた。驚いて、隠れかけたが、よく見ると、味方の
汝南の残兵千余をつれて、まず関羽や、張飛と合流してから、再起の計を立てようものと、そこから三、四里ほど山伝いに行くと、敵の

劉辟は[#「劉辟は」は底本では「劉薛は」]、高覧と戦って、一
しかし、わずか千余の兵では、ひとたまりもない。玄徳の生命は、暴風の中にゆられる一
勇にも限度がある。
一方の嶮路から、関羽の隊の旗が見えた。
養子の
猛然、


玄徳ははからぬ助けに出会って、歓喜のあまり、この時、天に両手をさしのべて、
「ああ、我また生きたり!」と、叫んだという。
そのうちに、おとといから敵中に苦戦していた張飛も、麓の一端を突破して、山上へ逃げのぼってきた。
玄徳に出会って、
「味方の輸送部隊にあった

と、復命した。
「ぜひもない……」
玄徳は、山嶮に拠って、最後の防禦にかかった。けれど、にわか造りの
「曹操自身、大軍を指揮して、麓から総がかりに
物見はしきりと、ここへ急を告げた。――玄徳は、怖れふるえた。夫人や老幼の一族を、如何にせん? ――と憂い悩んだ。
「孫乾を、夫人や老少の守護にのこし、その余の者は、のこらず出て、決戦しよう」
これが大部分の意見だった。
玄徳も決心した。関羽、張飛、趙子龍など、挙げて、麓の大軍へ逆落しに、突撃して行った。
半日の余にわたる死闘、また死闘の
その夜、曹操は、
「もはや、これ以上、痛めつける必要もあるまい」
と、敗将玄徳の無力化したのを見とどけて、大風の去るごとく、
わずかな残軍を、さらに散々に討ちのめされた玄徳、わずかな将士をひきつれて、ここかしこ流亡の日をつづけた。
ひとつの大江に行きあたった。
渡船をさがして対岸へ着き、ここは何処かと土地の名を漁夫に訊くと、
「
その漁夫が知らせたのであろう、江岸の小さい町や田の家から、
「
一同は河砂のうえに坐って、その酒を酌み、肉を割いた。
「関羽といい、張飛といい、また趙雲子龍といい、そのほかの諸将も、みな


杯の酒にも浮かず、玄徳がしみじみいうと、諸将みな
関羽は杯を下において、
「むかし漢の高祖は、項羽と天下を争って、戦うごとに負けていましたが、九里山の一戦に勝って、遂に四百年の基礎をすえました。不肖、われわれも皇叔と兄弟の義をむすび、君臣の
「勝敗は兵家のつね。人の成敗みな時ありです。……時来れば自ら開き、時を得なければいかにもがいてもだめです。長い人生に処するには、得意な時にも得意に
関羽は、しきりと、言葉をつづけた。ひとり玄徳の
彼はふと、乾き上がっている
「――ごらんなさい」と、指さして云った。「そこらの汀に、泥にくるまれた
関羽の話に人々は現実の敗戦を見直した。そこに人生の妙通を悟った。
「
玄徳は、考えていたが、
「なるほど、荊州は江漢の地に面し、東は
と、先方の
劉表は、彼を城内に引いて、親しく玄徳の境遇を聞きとると、即座に、快諾してこういった。
「漢室の系図によれば、この劉表と
すると、侍側の大将、
「無用無用。その儀は、お見合わせがよいでしょう。――玄徳は義を知らず恩を忘れる男です。はじめは
聞くと、孫乾は色を正して、
「呂布は、人道の上において、正しき人であったか。曹操は真の忠臣か。袁紹は、世を救うに足る英雄か。ご辺はなぜ、ことばを
劉表も叱りつけて、
「要らざるさし出口はひかえろ」
と一喝したので、蔡瑁も顔あからめて黙ってしまった。
玄徳が、その一族と共に、劉表を頼って、荊州へ赴いたのは、建安六年の秋九月であった。
劉表は郭外三十里まで出迎え、互いに
「この後は、長く
と、城中へ迎えて、好遇すこぶる鄭重であった。
このことは早くも、曹操の耳に聞えた。
曹操はまだ汝南から引揚げる途中であったが、その情報に接すると、愕然として、
「しまった。彼を荊州へ追いこんだのは、籠の魚をつかみそこねて、
と、直ちに、軍の方向を転じて、荊州へ攻め入ろうとしたが、諸将はひとしく、
「今は、利あらずです。来年、陽春を待って、攻め入っても遅くありますまい」
と、一致して意見したので、彼も断念して、そのまま許都へ還ってしまった。
――が、翌年になると、四囲の情勢は、また微妙な変化を呈してきた。建安七年の春早々、許都の軍政はしきりに多忙であった。
荊州方面への積極策は、一時見合わせとなって、ただ

「北国へ。――官渡へ」
と、
冀州の動揺はいうまでもない。
「ここまで、敵を入れては、勝ち目はないぞ」
と、青州、幽州、
けれど曹軍の怒濤は、大河を決するように、いたる所で北国勢を撃破し、
のみならず、
「死んでから後も、
という思想から、その屍まで寸断して、ひとつ所に
こんな所へ、三男袁尚が先に逃げ帰ってきたので、劉夫人は、
「この際、そなたが率先して父の喪を発し、ご遺書をうけたととなえて、冀州城の守におすわりなさい。ほかの子息が主君になったら、この母はどこに身を置こうぞ」と、すすめた。
長男の袁譚が、後から城外まで引揚げてくると、袁紹の喪が発せられ、同時に三男の袁尚から大将
逢紀は印を捧げて、
「あなたを、車騎将軍に封ずというお旨です」と、伝えた。
袁譚は、怒って、
「何だ、これは?」
「車騎将軍の印です」
「ばかにするな。おれは袁尚の兄だぞ。弟から兄へ官爵を授けるなんて法があるか」
「ご三男は、すでに冀州の君主に立たれました。先君のご遺言を奉じて」
「遺書を見せろ」
「劉夫人のお手にあって、臣らのうかがい知るところではありません」
「よし。城中へ行って、劉氏に会い、しかと談じなければならん」
「いまは、兄弟で争っている時ではありません。何よりも、敵は曹操です。その問題は、曹操を破ってから後におしなさい。――後にしても、いくらだって取る処置はありましょう」
「そうだ、内輪喧嘩は、あとのことにしよう」
そして
逢紀は、どうかしてこの際、袁譚、
しかし、袁尚の側にいる智者の
「怪しからん奴だ」と、その僭越をなじり、自身、手打ちにしてしまった。そして、
「この上は、ぜひもない。曹操に降って、共に冀州の本城を踏みつぶしてやろう」
と、やぶれかぶれな策を放言した。
冀州の袁尚へ、早馬で密告したものがある。袁尚も
「そんな無茶をされてたまるものではない。大挙すぐ援軍にお出向き遊ばせ」
審配のすすめに、彼と
「なにも好んで曹操へ降参することはない」
と、意をひるがえして、袁尚の軍と、両翼にわかれ、士気をあらためて曹軍と対峙した。
そのうち、二男の
そしてついに曹軍は、冀州城外三十里まで迫ったが、さすがに北国随一の要害であった。犠牲をかえりみず、
「これは
これは曹操へ向って、
もちろん
冀州城は、ほっと、息づいた。――が、小康的な平時に返ると、たちまち、国主問題をめぐって、内部の
「城へ入れろ」
「入るをゆるさん」と、兄弟喧嘩だった。
すると一日、その袁譚から、急に折れて、酒宴の迎えがきた。兄のほうからそう折れて出られると、拒むこともできず、袁尚が迷っていると、謀士
「あなたを招いて、
袁尚は、五万の兵をつれて、城門からそこへ出向いた。袁譚は、そう知ると、
「面倒だ、ぶつかれ」と、急に、鼓を打ち鳴らして、戦いを挑んだ。
陣頭で、兄弟が顔を合わせた。一方が、兄に刃向いするかと罵れば、一方は、父を殺したのは汝だなどと、醜い口争いをしたあげく、遂に、剣を抜いて、兄弟火華を散らすに至った。
袁譚は敗れて、平原へ逃げた。袁尚はさらに兵力を加え、包囲して糧道を断った。
「どうしよう、
「一時、曹操へ、降服を申入れ、曹操が冀州を衝いたら、袁尚はあわてて帰るにちがいありません。そこを追い討ちすれば、難なく、囲みはとけ、しかも
郭図は袁譚へそうすすめた。
「たれか使いの適任者はいるだろうか。曹操に会ってそれを告げるに」
「あります。
「辛毘ならわしも知っている。弁舌さわやかな士だ。早速運んでくれい」
袁譚のことばに、郭図はすぐ人を派して辛毘を招いた。
辛毘は
その時、曹操はちょうど、荊州へ攻め入る計画で河南の
「いずれ評議の上で」と軽くうけて、曹操は、辛毘を陣中にとどめ、一方諸将をあつめて、
「どうするか」を議していた。
諸説区々に出たが、曹操は衆論のうちから、
「劉表は四十二州の大国を
曹操はまた、
「袁譚の降服は、真実か
と、いって、その面を、
辛毘のひとみは、よく彼の凝視にも耐えた。虚言のない我の顔を見よといわぬばかりである。やがて
「あなたは実に天運に恵まれた御方である。たとい袁紹は亡くても、冀北の強大は、普通ならここ二代や三代で亡ぶものではありません。しかし、外には兵革に敗れ、内には賢臣みな誅せられ、あげくの果て、

「…………」
終始、耳を傾けて、曹操は黙然と聞いていたが、
「辛毘。なんでもっと早く君と会う機会がなかったか恨みに思う。君の善言、みな我意にあたる。即時、袁譚に援助し、

「もし、丞相が冀北全土を治められたら、それだけでも天下は震動しましょう」
「いや曹操は何も、袁譚の領土まで奪り上げようとはいわんよ」
「ご遠慮には及びますまい。天があなたに授けるものなら」
「むむ、間違えば予の生命を人手に
その夜は、諸大将も加えて盛んなる杯をあげ、翌日は陣地を払って、大軍ことごとく冀州へと方向を転じていた。
冬十月の風とともに、
「曹操来る。曹軍来る」の声は、西平のほうから枯野を掃いて聞えてきた。
袁尚は愕いて、にわかに平原の囲みをとき、木の葉の如く

「君の武勇は父の名を恥かしめないものだ」と、曹操は甘いところを賞めておいた。
その後また、曹操は、自分の娘を、
都の深窓に育って、まだ十五、六になったばかりの花嫁を妻にもって、袁譚はすっかり喜悦していた。
「聞けば曹操は呂曠と呂翔のふたりさえ、
「大きにそうだ。しかしいま、曹操は
「二人を将軍に任じ、あなたから将軍の印を
袁譚は、げにもとうなずいた。印匠に命じて早速、二
あどけない新妻は、彼が
「あなた、それは何ですの?」
「これかい――」と、袁譚は掌のうえにもてあそびながら、新妻に笑顔を振向けた。
「使いに待たせて、
「
「冀州の城へ還れば、そんなものは山ほどあるよ」
「でも、冀州は、袁尚のお城でしょう」
「なあに、おれの物さ。父の遺産を、弟のやつが、横奪りしているのだ。いまに舅御が奪り返してくれるだろう」
将軍の金印は、ほどなく、黎陽にある
二人とも、すでに曹操に心服して、曹操を主と仰いでいたので、
「袁譚からこんな物を贈ってきましたが」と、彼へ披露してしまった。
曹操は、あざ笑って、
「贈ってきたものなら、黙って受けておくがいい。袁譚の
この時から曹操も、心ひそかに、いずれ長くは生かしておけぬ者と、袁譚に対する殺意をかためていた。
冬のうち戦いもなく過ぎた。
しかし曹操はこの期間に、数万の人夫を動員して、
翌、建安九年の春。
運河は開通し、おびただしい兵糧船は水に従って下ってきた。
その船に便乗して都からきた
「丞相には、袁譚、袁尚が今に
「ははは、皮肉を申すな、これからだ」
袁尚は、いま

彼の輔佐たる
「曹操の野望は大きい。彼は近く冀州全土を
と、察して、袁尚へ献言し、まず
一方、袁尚自身は、あとに審配をのこして本軍の精鋭をひきい、急に平原の袁譚へ攻めかけた。
袁譚から急援を乞うとの早打ちをうけると曹操は、許攸に向って、
「これからだと、いつか申したのは、こういう便りのくる日を待っていたのだ」
と、会心の笑みをもらした。
「曹洪は、

と、一軍を急派しておき、彼自身は毛城を攻めて、大将
「降る者は助けん。いかなる敵であろうと、今日
曹操一流の令は、敗走の兵に
大河の軍勢は戦うごとに、一水また一水を加えて幅をひろげて行った。
そして、
「


逆捲く大軍の奔流は、さきにここを囲んでいた味方の曹洪軍と合して、勢いいやが上にもふるった。
総がかりに、城壁を
地の下を掘りすすんで、一門を突破しようとしたが、それも敵の知るところとなって、軍兵千八百、地底で生き埋めにされてしまった。
「ああ、審配は名将かな」
と、攻めあぐみながらも曹操は敵の防戦ぶりに感嘆したほどだった。
平時の名臣で、乱世の
その袁尚の軍隊はもう
「この上、外にある味方の大兵が城内に入ると、たちまち兵糧が尽きます。けれども、城内には、何の役にも立たない百姓の老若男女が、何万とこもっています。それを外へ追いだして、曹操へ降らせ、そのあとからすぐ、城兵も奔出します。兵馬が出きったとたんに、城中の柴や
「そうだ、その一策しかない」
審配は直ちに用意にかかった。そして準備がなると、城内数万の女子どもや老人を追い立て、城門を開いて一度に追いだした。
白いぼろ
そして、曹丞相、曹丞相と、
曹操は、後陣を開かせて、
「予の立つ大地には、一人の餓死もさせぬぞ」と、すべてを
数ヵ所の大釜に
曹操は審配の
城頭では合図の
「今だぞ。続けや」
曹操は、その図に乗って、逃げる城兵と一緒に、城門の内へはいってしまった。彼はその際

しかし、審配は毅然として、防禦の采配を
「まだかつて、自分もこんな難攻の城に当ったことがない」と嘆ぜしめた。
「手をかえよう」
彼は、転機に
一夜、彼の兵はまったく方向を転じて、
まず弁才の士をやって、袁尚の先鋒たる

「明日、会おう」と、全軍の武装を解かせ、降人の主従を一ヵ所に止めさせておいたが、その晩、徐晃と張遼の二将を向けて、袁尚を殺害してしまおうとした。
袁尚は、
一方を片づけると、大挙して、曹操はふたたび城攻めにかかった。こんどは内城の周囲四十里にわたって

さきに袁譚の使いとして、曹操のところに止まっていた
「城中の人々よ、無益な抗戦はやめて、はやく降伏し給え」と、陣前に立ってすすめた。
審配は、それに答えて、城中へ人質としておいた辛毘の妻子一族四十人ほどを、櫓に引きだして首を斬り、一々それを投げ返して云った。
「汝、この国の恩を忘れたか」
辛毘は悶絶して、兵に抱えられたまま、後陣へひき退がった。
けれど彼は、その無念をはらすため、審配の甥にあたる
冀州の本城は、ここに破れた。
曹操は、彼に苦しめられたことの大きかっただけに、彼の人物を惜しんで、
「予に仕えぬか」と、いった。
すると辛毘が、この者のために、自分の妻子一族四十何名が殺されている。ねがわくは、この者の首を自分に与えられたいと側からいった。
審配は、聞くと、その二人に対して、毅然とこう答えた。
「生きては
云い放ちながら、歩むこと七歩――曹操の眼くばせに、刑刀を払った武士が飛びかかる。
「待て!」
と一喝し、静かに、袁氏の
亡国の最後をかざる忠臣ほど、あわれにも悲壮なものはない。
審配の忠烈な死は、いたく曹操の心を打った。
「せめて、故主の
冀州の城北に、
建安九年の秋七月、さしもの強大な河北もここに亡んだ。冀州の本城には、曹操の軍馬が充満した。
曹操の嫡子
当然、落城の直後とて、そこは遮断されている。番の兵卒が、
「待てっ、どこへ行くか。――丞相のご命令だ。まだ何者でも、ここを通ってはならん」
と、さえぎった。
すると
城内はまだ
すると、
「――誰だっ?」
曹丕も足をすくめた。
かすかな声で、
「
と、眸に、憐れを乞うように告げた。
なお問うと、袁煕は遠くへ逃げたという。――曹丕はつと寄って、むすめの前髪をあげて見た。そして自分の
「ああ! これは夜光の珠だ」
曹丕は、剣を拾いとって、舞わんばかりに狂喜した。そして自分は曹操の嫡男であると二女に明かして、
「助けてやる! きっと一命は守ってやる! もう慄えなくともいい」と云いわたした。
その時、父の曹操は、威武堂々、ここへ入城にかかっていた。すると、彼の郷里の旧友で、黄河の戦いから寝返りしてついていた例の
「いかに
と、鼻高々、鞭をあげて、いいつけられもしないのに一
曹操は非常に笑って、
「そうだそうだ。君のいう通りである」と、彼の得意をなお
城門からやがて府門へ通るとき、曹操は何かで知ったとみえ、番兵に詰問した。
「予の前に、ここを通過した者は誰だ! 何奴か!」
番の将士は戦慄して、
「
と、ありのまま答えると、曹操は激色すさまじく、
「わが世子たりとも軍法をみだすにおいては、
郭嘉は諫めて、世子でなくて誰がよく城中を踏み鎮めましょうといった。曹操は救われたように、
「むむ、それも一理ある」
と不問に付して馬をおり、階を鳴らして閣内へ通った。
劉夫人は、彼の脚下に拝して、曹丕の温情を嬉し泣きしながら告げた。曹操はふと、娘の
「なに。曹丕が。そんな優しい情を示したというか。それは怖らくこの娘が嫁に欲しいからだ。曹丕の恩賞には、これ一つで足りよう。他愛のないやつではある」
粋な父の丞相は、冀州陣の行賞として、甄氏を彼に賜わった。
冀州攻略もひとまず片づくと、曹操は第一着手に、袁紹と袁家
その時、彼は亡家の墓に
「むかし洛陽で、共に快談をまじえた頃、袁紹は河北の富強に拠って、大いに南を
勝者の手向けた一
府堂の出入りは日ごと頻繁を加えた。

「おい、許

いつぞや曹操が入城する時も、同様な高慢を云いちらして、諸将が

「
「なに。おれを匹夫だと」
「小人の小功に誇るほど、小耳にうるさいものはない。往来の妨げなすと蹴ころすぞ」
「蹴ころしてみろ」
「造作もないことだ」
まさかとたかをくくっていると、許

それのみか、とっさに剣を抜いて、許攸の首を斬り飛ばし、すぐ府堂へ行って、この由を曹操へ訴えた。
曹操は、聞くと、
「彼は、
と、許

許


先頃から家へ使いを派して、曹操は再三この人を迎えていたのである。なぜならば、冀州国中の民数戸籍を正すには、どうしても

崔

曹操は、彼を
その後、長男の
袁尚は中山から逃げて、幽州へ去った。ここに二男
「
曹操は、それを知って、試みに
口実ができた。――曹操はすぐ断交の書を送って、大軍をさし向けた。袁譚は怖れて、たちまち中山も捨て平原も捨て、ついに劉表へ使いを送って、
「急を救い給われ」と、彼の義心を仰いだ。
劉表は、使いを返してから、玄徳にこれを計った。玄徳は、袁兄弟がみな、日ならずして曹操に征伐される運命にある旨を予言して、
「まあ、見て見ぬ振りしておいでなさい。他人事よりは、ご自身の国防は大丈夫ですか」
と、注意をうながした。
荊州へ頼ろうとしたが、劉表から
建安十年の正月。曹操の大軍は氷河雪原を越えて、ここに迫った。
その上、大将
曹操は、降使へいった。
「其方は、早くから予に仕えておる
「古語にいう。――
辛評は空しく帰った。降をゆるすとも許さぬとも、曹操はそれに触れないのだ。いうまでもなく、曹操はすでに
「和議は望めません。所詮、決戦のほかございますまい」
ありのままを、辛評が告げると、袁譚は彼の使いに不満を示して、
「ああそうか。そちの弟は、すでに曹操の身内だからな。その兄を講和の使いにやったのはわしのあやまりだったよ」
と、ひがみッぽく云った。
「こは、心外なおことばを!」
一声、気を激して、恨めしげに叫ぶと、辛評は、地に仆れて
袁譚はひどく後侮して、
「なんの、
突如、城の全兵力は、四方を開いて攻勢に出てきた。雪にうずもれた曹軍の陣所を猛襲したのである。そして民家を焼き、柵門を焼き立て、あらゆる手段で、曹軍を掻きみだした。
飛雪を浴びて、駆けちがう万騎の
一時、曹軍はまったく
曹洪は、雑兵には目もくれず、乱軍を疾駆して、ひたすら袁譚の姿をさがしていたが、とうとう目的の一騎を見つけ、名乗りかけて、馬上のまま、重ね打ちに斬り下げた。
「袁譚の首を挙げたぞ。曹洪、袁譚の首を打ったり」
という声が、

その中に、郭図の姿があった。曹軍の楽進は、
「あれをこそ!」
と、目をつけ、近々、追いかけて呼びとめたが、
矢は、郭図の首すじをつらぬき、鞍の上からもんどり打って、五体は、濠の中へ落ち込んで行った。楽進は首を取って、槍先にかざし、
「郭図
南皮一城もここに滅ぶと、やがて附近にある
楽進、李典の二手に、降将の
「
そして自身はなお幽州へ進攻して、
「これを見て歎く者があれば、その三族を罰すであろう」と、郡県にあまねく
ところが或る日、
「丞相のお布令にもかかわらず、こやつは袁譚の首を拝し、獄門の下で
「汝はどこの何者か」
「北海

「郡県の高札を見ていないのか」
「眼は病んでおりません」
「しからば、自身のみならず、罪三族に及ぶことも承知だろうな」
「歓びを歓び、悲しみを悲しむ、これ人間の自然で、どうにもなりません」
「汝の前身、何していたか」
「青州の
「わが前で口をはばからぬ奴。小気味のいい云い方だ。しかしその大恩をうけた袁紹となぜ離れていたか」
「諫言をすすめて、主君に容れられず、政務に忠ならんとして、朋人に
王修ははばかる色なくそういった。
どんなに怒るかと思いのほか、曹操は堂中の諸士をかえりみて、
「この河北には、どうして、かくも忠義な士が多いのか。思うに袁紹は、こういう
即ち、彼は王修の乞いを許し、その上、
幽州(冀東)の方面では、早くも、曹軍の襲来を伝えて、大混乱を起していた。
所詮、かなわぬ敵と怖れて、袁尚はいち早く、

曹操は、降を容れ、

袁紹の
すると、わずか数十騎をつれた二人の大将が、城門まぢかまで来て、
「高君、高君。開け給え」と、救いを呼んでいた。
高幹が櫓から見おろすと、旧友の
ふたりが大声でいうには、
「一度は故主にそむいて、曹操に降ったが、やはり降人あつかいされて、ろくな待遇はしてくれない。もと木に勝るうら木なしだ。今後は協力して曹操に当らん。旧誼を思い出し給え」
高幹は、なお疑って、兵は門外にとどめ、二人だけを城中に迎え入れた。
「曹操はたったいま幽州から着いたばかりだ。今夜、討って出ればまだ陣容もととのわず遠路の疲れもある。きっと勝てる」
浅慮にも、高幹は、二人の策に乗ってしまった。堅城
いまや曹操の勢いは旭日の如きものがあった。
北は、
しかも、曹操は、まだ、
「――これでいい」と、しなかった。
彼の胸中は、大地の広大のごとく、果てが知れなかった。
「いま、
彼の壮図のもとに、ふたたび大軍備が命ぜられたが、もとよりこれには曹洪以下、だいぶ異論も多かった。
ここはすでに遠征の地である。遠征からまた遠征へ、そうした果てなき
実に当然な憂いであった。
――が、ひとり
「冒険には違いないが、千里の遠征も、制覇の大事も、そう二度三度はくり返されません。すでに都を去ってここまできたものを千里
議事は決した。
遼西、遼東は、
そのほか、純戦闘隊数十万、騎馬あり
すでに夷境へ近づくと、山川の気色も一変し、毎日狂風が吹き荒れて――いわゆる
そして
郭嘉は、大熱をこらえながら、なお曹操に献策していた。
「どうも、行程がはかどらないようです。かくては、千里の遠征に、功は遂げても、年月を費やしましょう。また敵の備えも固まりましょう。――
曹操は彼の言を容れて、初めの大軍を改編し、
道の案内には、もと袁紹の部下だった
泥河あり、湖沼あり、断崖あり――あらゆる難路が横たわっているので、もし田疇がいなかったら、地理の不案内だけでも、曹軍は立往生したかも知れなかった。
かくて、ようやく夷狄の大将
時、建安の十一年、秋七月だった。
柳城の西、
「おびただしい夷族の整備ではある。けれど悲しいかな、夷族はやはり夷族。あの配陣はまるで兵法を知らないものの
すなわち

そのほかの夷兵は全部、降参して出た。曹操は、田疇の功を賞して、柳亭侯に
「それがしは以前、袁紹に仕えて、なお生きている身なのに、旧主の遺子を追う戦陣の道案内に立って、
「
曹操は思いやって、代りに議郎の職を命じ、また柳城の守りをいいつけた。
律令正しい彼の軍隊と、文化的な装備やまた施政は、いちじるしく辺土の民を徳化した。近郡の夷族は続々と、貢ぎ物をもたらして、柳城市に群れをなし、みな曹操に恭順を示した。
なかには駿馬一万匹を献納した豪族もある。曹操の軍力はかくて大いに富強された。けれど彼は、日々、
「……どうも
易州の便りでそれを知った彼の秘書は憂わしげに告げた。曹操は急に、
「ここは田疇にまかせて還ろう」と、云いだした。
すでに冬にかかっていた。車騎大兵の行路は、困難を極めた。時には二百余里のあいだ一滴の水もなくて、地下三十丈を掘って求めなければならなかったし、青い物は一草もないので、馬を
ようやく、易州にかえり着いて、曹操はまずなにを第一になしたかというと、先に、夷境への遠征を諫言した大将たちに、
「よく、善言をいってくれた」と、恩賞をわけ与えたのである。そしてなお云うには、
「幸いに、勝つことを得、身も無事に還ってきたが、これはまったく奇蹟か天佑というほかはない。獲るところは少なく、危険は実に甚だしかった。この後、予に短所があれば、舌に
次に彼は、郭嘉の病床を見舞った。郭嘉は彼の無事なすがたを見ると、安心したか、その日に息をひきとった。
「予の覇業は、まだ中道にあるのに、せっかく、ここまで
と、彼は骨肉のひとりを失ったように、涙をながして悲しんだ。
祭が終ると、郭嘉の病床に始終仕えていた一僕が、そっと、一封の書面を、曹操に呈した。
「これは、亡くなられたご主人のご遺言でした。死期を知ると、ご主人はみずから筆をとって
曹操は、遺書を
数日の後には、早くも、諸将のあいだに、
「遼東をどうするか?」――が、
袁煕、袁尚の二名は、その後、遼東へ奔って、太守
「捨てておいても大事ない。やがて近いうちに、公孫康から、袁兄弟の首を送ってくるだろう」
曹操は今度に限ってひどく落着きこんでいた。
逃亡から逃亡へ、今は身のおき所もなく、遼東へ頼ってきた袁煕、袁尚の兄弟に対して、太守
「
――というのは、一族の者から、扶ける必要はないと、異論が出たからである。
「彼らの父袁紹が在世中には、つねにこの遼東を攻略せんと計っていたものである。しかし実現に至らぬうち、自分が敗れ去ったのだ。怨みこそあれ
そして、なおこう極言する者もあった。
「――鳩は、
公孫康は、その儀もっともなり――と決心して、一方人を派して、曹操の動静をうかがわせ、曹軍の攻め入る様子もないと見極めると、
袁煕と、袁尚は、
「さてはそろそろ出軍の相談かな? 何といっても曹操の脅威をうけている折だから、吾々の協力もなくてはかなうまい」
などと談じ合いながら登城してきた。
ところが、一閣の室に通されて見ると、この寒いのに、暖炉の備えもなく

ふたりは面をふくらせて、
「われわれの席はどこですか」と、尊大ぶった。
公孫康は、大いに笑って、
「今から汝ら二つの首は、万里の遠くへ旅立つのに、なんで温き席がいろうや」
と、いうや否や、
十余名の
易州に陣取ったまま、曹軍は依然、動かずにあったが、
「もし、遼東へ攻め進むお心がないならば、はやく都へご凱旋あっては如何です。なすこともなく、こんな所に滞陣しているのは無意味でしょう」
すると曹操は、
「決して無為に過しているわけではない。今に遼東から、袁煕、袁尚の首を送ってくるであろうから、それを待っているのだ」と、答えた。
諸将は、彼の心事を怪しみ、また嘲笑を禁じ得なかった。ところが半月ほどすると、太守公孫康の使者は、ここに到着し、書を添えて、
さきに
「
と、種明しをして聞かせた。
それによると、郭嘉は、遺書のうちに、「遼東ハ兵ヲ用イズシテ攻ムベシ。動カザレバ即チ、坐シテ袁二子ノ首級オノズカラ到ラン」と極力、進攻をいましめていた。
つまり彼は、遼東の君臣が、袁家の圧力に対して、多年伝統的に、反感や宿怨こそ持っているが、何の恩顧も好意も寄せていないことを、
こういう先見の明もありながら、ここ易州の軍旅のうちに病死した郭嘉は、年まだ三十八歳であった。
さて曹操は、遼東の使者を厚くねぎらい、公孫康へ報ゆるに
北方攻略の業はここにまず完成を見た。
次いで、曹操の胸に秘められているものは、いうまでもなく、南方討伐であろう。
が、彼は、冀州城の地がよほど気に入ったとみえて、ここに逗留していること久しかった。
一年余の工を積んで、

「もし老後に、閑を得たら、ここに住んで詩でも作っていたい」
とは、父としての彼が、次男の
曹操の一面性たる詩心――詩のわかる性情――をその血液からうけついだ者は、ほかに子も多いが、この次男だけだった。
で、曹操は、日ごろ特に、彼を愛していたが、自分はやがて都へ還らなければならない身なので、「よく兄に仕えて、父が北方平定の業を、空しくするなよ」と訓え、兄の

まず久しぶりに参内して、天子に表を捧げ、朝廟の変りない様をも見、つづいて大規模な論功行賞を発表した。また郭嘉の子
× × ×
食客は天下いたる処にいる。
三千の兵、数十の将、二名の兄弟、そのほか妻子
いま荊州にある玄徳は、そうした境遇であった。けれど、食客もただ徒食してはいない。国も遊ばせてはおかない。
玄徳は、自ら望んで、その討伐に向った。そして地方の乱を鎮定し、その戦で、賊将張虎が乗っていた一頭の名駿を手に入れて帰った。
張虎、陳生の首を献じて、
「もうあの地方には、当分、ご心配の必要はないでしょう」
と、報告をすました。劉表は彼の功を賞して、甚だしく歓んだが、幾日か過ぎると、また、
「憂いのたねは尽きないものだ」と、嘆息して、玄徳にはかった。
「ご辺のような雄才が、わが荊州にいる以上、大安心はしているが、漢中の
「さあ、人間の住む地には、万全というものはあり得ないものですが、やや安泰をお望みあるなら、私の部下の三名をお用いあって、張飛を南越の境に向け、関羽に
劉表は同意した。玄徳の雄将たちを、自国のためそこまで有効に使えれば――と、その歓びを大将
「ははあ、なるほど」と、いう程度で蔡瑁はあまり感服しない顔色だった。
彼は、劉表の夫人蔡氏の兄である。それかあらぬか、彼はさっそく後閣を訪ねて、何か夫人と囁きあっていた。もちろん問題は玄徳のことらしい。
主君の夫人たりまた自分の妹でもある彼女へ、
「御身からそれとなく諫めたほうがよかろう。此方から申し上げれば、表立って、自然、
蔡夫人はうなずいた。
その後、良人の劉表と、ただ二人きりの折、彼女は女性特有な細かい観察と、針をふくむ綿のような言葉で、
「すこしはご要心遊ばして下さいませ。あなたはあなたご自身のお心で、世間の者もみな潔白だと思って、すぐご信用になりますけれど、どうして、玄徳などという人には、油断も
それをみな真にうけるほど、劉表も妻に甘くはないが、なんとなく玄徳に対して、一抹の不安を持ったことは否めない。
「すばらしい逸足ではないか」と、嘆賞してやまなかった。
玄徳は、鞍からおりて、
「そんなにお気に召したものなら、献上いたしましょう」と自ら口輪をとって進めた。
劉表はよろこんで受けた。すぐ乗換えて城中へ帰ってくると、門側に立っていた

「おやッ、
劉表が聞きとがめて、
「

と、たずねた。

「私の兄は、馬相を見ることの名人でした。ですから自然、馬相について教わっていましたが、四本の脚が、みな白いのを四白といい、これも凶馬とされていますが、額に白点のある
「……ふウむ?」
劉表はいやな顔してそのまま内門深く通ってしまった。
次の日。酒宴の席で、彼は玄徳に杯を与えながらいった。
「きのうは、心にもない無心をした。あの名馬は、ご辺に返そう。城中の
と、さり気なく、心の負担を返してから、彼はまた、
「――時にご辺も、館にいては市街に住み、出ては城中の宴に列し、こう無事退屈の中におられては、自然、武芸の志も薄らごう。わが河南の
もちろん否やはない。玄徳は即座に命を拝して、数日の後、新野へ旅立った。
劉表は城外まで見送った。一行は荊州の城下に別れを告げ、やがて数里を来ると、ひとりの高士が彼の馬前に
「先頃城内で、

何びとか? と見ると、それは劉表の
玄徳は馬をおりて、
「先生、おことばは謝しますが、憂いはおやめ下さい。――死生命アリ、富貴天ニアリ――何の馬一匹が私の生涯をさまたげ得ましょう」
と、手を取って笑い、
新野は一地方の
けれど、河南の春は平和に、ここへ来てから、玄徳に歓び事があった。
正室の甘夫人が、男児を産んだのである。
お産の暁方には、一羽の鶴が、
また、妊娠中に夫人が、北斗星を呑んだ夢を見たというので、幼名を「
時は、建安十二年の春だった。
ちょうどその前後、曹操の遠征は、冀州から遼西にまで及んで、
「今こそ、志を天下に成す時ですが」と、すすめたが、劉表の答えはきまってこうであった。
「いや自分は、荊州九郡を保ってさえいれば、家は富み国は栄えるばかりだ。この上に何を望もう」
玄徳は失望した。
むしろこの人は、天下の計よりも、内心の一私事にわずらっているのではないか。
かつて、劉表から打明けられた家庭上の問題を、玄徳は思い出してみた。
劉表には二子があった。


長男の


折々、登城しては、その劉表に向って、天下の機微や風雲を語ってみても、こんな
劉表はいぶかって、
「どう召されたか。何ぞ、わしの話でも、気にさわられたか」と、たずねた。
玄徳は面を振って、
「いえいえご酒宴を賜りながら、
劉表は、思い出したように、
「そうそう、ずっと以前、許昌の官府で、君と曹操と、青梅の実をとり酒を煮て、共に英雄を論じた時、どちらが云ったか知らないが、天下の群雄もいま恐れるに足るものはない、まず真の英雄とゆるされる者はご辺と我ぐらいなものであろう――と語ったそうだが、その一方の御身が、先頃からこの荊州に来ていてくれるので、この劉表もどんなに心強いか知れぬ」と、いった。
玄徳もその日は、いつになく感傷的になっていたので、
「曹操如き何かあらんです。もし私が貧しくも一国を持ち、それに相応する兵力さえ持てば……」
と、つい口をすべらせかけたが、ふと劉表の顔色が変ったのに気づいて、後は笑いにまぎらして、わざと杯をかさねて大酔したふりをしてそこに眠ってしまった。
横になると、手枕のまま、玄徳はもう大いびきをかき始めた。寝よだれを垂らして眠っている。
「……?」
劉表は、
「やはり怖ろしい人間だ!」
彼もあわてて座を立った。
すると、
「あなた、いまの玄徳のことばを、何とお聞きになりましたか。常には慎んでおりましても、酔えば性根は隠せません。本性を見せたのです。わたしは、恐ろしさにぞくぞくしました」
「……ううむ」
劉表は、呻いたきり、黙然と奥の閣へかくれてしまった。
良人の煮えきらない容子に蔡夫人は
「どうしたものであろう」と、はかった。
蔡瑁は自分の胸を叩いて、
「此方にお任せ下さい」と、あわてて退がった。
夕方までに、彼は極秘裡に一団の兵をととのえ、夜の更けるのを待っていた。翌日となれば、玄徳は新野へ帰る予定である。大事の決行は急を要したが、その客舎を襲撃するには、宵ではまずい。夜半か、夜明けか、寝込みを襲うが万全と考えていたのである。
――ところが。
日頃から玄徳に好意をもっている幕賓の
「これは、捨てておけない」
と早速、彼の客舎へ贈り物として
玄徳はそれを見ておどろいた。夜半に蔡瑁の兵がここを取囲むであろうとある。彼は、夕方の食事も半ばにして、客舎の裏から脱出した。従者もちりぢりに後から逃げて彼に追いついた。
蔡瑁は、そんなこととも知らず、五更の頃を見はからって、一斉に
もちろん、
「不覚っ」と、地だんだを踏み、追手をかけてみたが、獲るところもなかった。
そこで彼は、一計を案じて、自分の作った詩を、部下のうちで偽筆の巧みな者に命じ、墨黒々、客舎の壁に書かせておいた。
そして、急遽、
「一大事でござる」と城へ行って、劉表に会い、
「常々、玄徳とその部下の者どもが、この荊州を奪わんとし、ご城下に参るたび、地形を測り攻め口を考究し、不穏な密会あると聞き及びおりますため、昨夜、小勢の兵をうかがわせ、様子をさぐらせておりましたところ、早くも事の発覚と見、一詩を壁に書き残したまま、風を喰らって新野へ逃げ失せましてございます。――ご当家のご恩もわすれて、まことに言語道断な振舞いで」
劉表はみなまで聞かないうち蒼白になっていた。急いで駒を命じ、自身、客舎へ行って、彼が書きのこして行ったという壁の詩を見つめた。
眼前
劉表の
「兵の用意はできています。いざ新野へご出陣を」
と、云ったが、劉表はかぶりを振って、
「詩などは、戯れに作ることもある。もう少し彼の様子を見てからでも……」
と、そのまま城中へ戻ってしまった。
「どうしても、玄徳を除かなければ――」と、躍起になって考えた。
けれども
まだ、口には出さないが、そのため、
蔡夫人は、良人のそうした態度にじりじりして、兄の蔡瑁に、事を急ぐことしきりだった。閨門と食客とは、いつも不和をかもすにきまったものだが、彼女が玄徳を忌み嫌うことは、実に
「まあ、おまかせあれ」
蔡瑁は、彼女をなだめて、しきりと機を測っていたらしかったが、或る時、劉表にまみえて、謹んで献言した。
「近年は五穀よく熟して、豊作が続いています。ことにことしの秋はよく
劉表はすぐ顔を振った。左の
「案はいいが、わしは行かぬ。


「困りましたな。ご嫡子方は、まだご幼年ですから、ご名代としても、賓客に対して礼を欠きましょうし……」
「では、
「至極結構と存じます」
蔡瑁は、内心仕すましたりと歓んだ。早速「襄陽の会」の招待を各地へ触れるとともに、玄徳へ宛てて劉表の意なりと称し、主人役を命じた。
あれから後、玄徳は新野へ帰っても、
「ああ。また何かなければよいが」と、先頃の不愉快な思い出が胸に
張飛は、仔細を知ると、「ご無用ご無用、そんな所へ行って、何の面白いことがあろう。断ってしまうに限る」と、無造作に止めた。
「お見合わせがよいでしょう。おそらくは、蔡瑁の
けれど関羽、趙雲のふたりは、
「いま命にそむけば、いよいよ劉表の疑心を買うであろう。如かず、ここは眼をつぶって、軽くお役目だけを勤めてすぐお立ち帰りあるほうが無事でしょう」
と、すすめた。玄徳もまた、
「いや、わしもそう思う」
と、三百余騎の供揃いを立て、趙雲一名を側に連れて、即日、襄陽の会へ出向いて行った。
襄陽は、



この日、会するもの数万にのぼった。文官軍吏の賓客、みな盛装をこらし、礼館の式場を中心に、
この平和な空気に臨んで、玄徳は心にほっとしていたが、彼のうしろには、
「わが主君に、一指でも触るる者あればゆるさんぞ」
と、いわんばかりな顔して
式は開かれた。玄徳は、劉表に代って、国主の「
それから諸賓をねぎらう大宴に移って、
蔡瑁は、この間に、そっと席をはずして、
「君。ちょっと、顔を貸してくれぬか」と、大将

ふたりは人なき一閣を閉め切って、首を寄せていた。
「

「……左様かなあ?」
「まず嫡男の

「では貴君は、今日、彼を殺さんというお心なのか」
「襄陽の会は、実にそれを
「でも、玄徳という人物には、不思議にも隠れた人望がある。この荊州にきてからまだ日も浅いが、しきりと彼の名声は巷間に伝えられておる。――それを罪もなく殺したら、諸人の輿望を失いはすまいか」
「討ち取ってしまいさえすれば、罪は何とでも後から称えられる。すべては、この
「主命とあれば
「実はすでに――東の方は

「なるほど、必殺のご用意、この中に置かれては、いかな鬼神でも、遁れる
「それはいずれでもよいが」
「それと、注意すべき人間は、玄徳のそばに始終立っている趙雲という大剛な武将。あれが眼を光らしているうちは、うかつに手は下せませぬぞ」
「彼奴がいては、恐らく手にあまるかも知れぬ。その儀は、自分も思案中だが」
「趙雲を離す策を先にすべきでしょう。味方の大将、

州の主催にかかる
玄徳は迎えられて、そこへ臨んだ。
馬を後園につながせて、定められた堂中の席につくと、知事、州吏、民間の代表者など、こもごも、拝礼を行って満堂に列坐し、さまざまに酒をすすめて玄徳をもてなした。
酒三巡の頃にいたると、かねて
「いかがです、一献」と、杯をすすめ、「そう厳然と立ち通しでは大変です。今日は上下一体、
「いや、ご辞退申す」
趙雲はにべもない。
「――折角だが断る」とのみで、どう誘っても、そこから動こうとはしない。
けれど
「これこれ、趙雲」と、振向いて――
「そちはよかろうが、そちの侍立しているうちは、部下の者どもも動くことができまい。それに折角のおもてなしに対してあまり固辞するも礼を欠く。――諸君のおことばに甘え、しばし退がって休息いたすがよい」と、いった。
趙雲は、甚だぶっきら棒に、
「主命とあれば……」
是非がない! といわんばかりな顔して、文聘や王威らと共に、別館へ退がった。
部下三百の者も、同時に、自由を与えられて、おのおの遠く散らかった。
「わが事成れり」と、早くも座中の空気を見廻していた。すると、大勢の中にあった
「まだご正服のままではありませんか。衣をお着かえなされては如何」と、囁いた。
意を
「今やあなたの一命は風前の
伊籍のことばに、さてはと、玄徳も直観して、すぐ駒をといて引き寄せた。
伊籍はかさねて、
「東門、南門、北門、三方すべて
と、教えた。
「かたじけない、後日、生命あればまた」
云いのこしたまま、玄徳は後ろも見ずに走りだした。西門の番兵が、あッとなにか呶鳴ったようだが、飛馬の
鞭も折れよと、馳け跳ぶこと二里余り、道はそこで断たれていた。ただ見る
玄徳は馬の平首を叩いて、
「
と叫び、また心に天を念じながら、いきなり奔流へ馬を突っこんだ。激浪は人馬をつつみ、的盧は首をあげ首を振って
玄徳も、またその乗馬も、共に身ぶるいして、満身の水を切った。
「ああ! 我生きたり」
無事、大地に立って
「どうして越え得たろう?」と、後からの戦慄に襲われて、
すると
蔡瑁は、玄徳が逃げたあとで、番兵から急を聞くと、すぐ
「
蔡瑁の呼ばわるに、玄徳も此方から高声で答えた。
「われと汝と、なんの
「やあ、何ぞこの蔡瑁が御身に害意を抱こうや。疑いを去りたまえ」
と、云いながら、ひそかに弓をとって、馬上に矢をつがえている容子らしいので、玄徳はそのまま


「ちえっ……みすみす
蔡瑁は歯ぎしりをかむだけだった。切って放った一矢も、檀渓の上を行くと、一すじの藁みたいに奔濤の霧風にもてあそばれて舞い落ちてしまうに過ぎない。
「残念。何とも無念な……」
幾度か悔やんだが、またひそかに思うには、この檀渓の嶮を、やすやすと無事に渡るなど、到底、凡人のよくなしあたう業ではない。玄徳には、おそらく神明の加護があるからだろう。神力には抗しがたし、――
と――彼方から
「やっ、趙雲ではないか。どこへ参られる?」
蔡瑁は、先手を打ってとぼけた。
「――何処へといって、わが主君のお姿が見えぬ。そのためこうして、八方おさがし申しておる。足下はご存じないか」
「実は自分も、それを案じて、ここまで見に参ったが、いっこう見当らん。いったい、何処へ行かれたのやら?」
「不審だ!」
「まったく不思議だ」
「いや、汝の態度をいったのだ」
「此方に何の不審があるか」
「今日、襄陽の会に、何を目的に、あんなおびただしい軍兵を、諸門に備えたか」
「此方は、荊州九軍の大将軍、また明日は、大宴に続いて、国中の武士を寄せ、
「ええ、こんな問答はしておられぬ!」
趙雲は、渓に沿って、馳け去った。部下を上流下流に分け、声も嗄れよと呼んでみたが、答えるものは
いつか日は暮れた。
趙雲はかさねて襄陽の城内へ戻ってみたが、そこにも玄徳の姿は見えない。――で、彼は悄然と、夜を傷みつつ、新野の道へ帰って行った。
澄み暮れてゆく夕空の無辺は、天地の大と悠久を思わせる。白い星、淡い夕月――玄徳は黙々と広い野をひとりさまよってゆく。
「ああ、自分も早、四十七歳となるのに、この孤影、いつまで
ふと、駒を止めた。
すると、彼方から笛の音が聞えた。やがて夕霧の
――と、童子はふり返って、
「将軍将軍。もしやあなたは、そのむかし
玄徳は驚きの目をみはって、
「はて、かく草深い里の
「あっ、やはりそうでしたか。私の仕えている師父が、常に客と話すのを聞いていたので、劉予州とは、どんな人かと、日頃、胸に描いていましたところ、いまあなたの耳をみると、人並み
「して、そちの師父とは、如何なる人か」
「――
「平常、交わる友には、どんな人々があるか」
「


童子の指さす方へ、玄徳も眼を放ちながら、
「――では、あれに見える一叢の林中に、そちの仕える師父の
「はい」
「


「この二人は、叔父


「そうか。……そちの言葉を聞いて、
「おやすいこと。師父もきっと思わぬ珍客とお歓びになるでしょう」
童子は牛をすすめて行く。導かれて、およそ二里ほど行くと、ちらと、林間の燈が見えた。
牛屋へ牛をつないで、
「大人。あなたの駒も、奥へつないでおきましたよ。さあ、こちらへおすすみ下さい」
「童子。まずその前に、先生にわしのきたことを取次いでくれ。無断で入っては
草堂の前にたたずんで、彼が遠慮していると、はたと、琴の音がやんで、たちまちひとりの老人が、内から扉を排して外へとがめた。
「たれじゃ、それへ参ったのは。……いま琴を弾じておるに、
玄徳はおどろいて、ひそかにその人をうかがうに、年は五十余りとおぼしく、
ああさては――これが
玄徳は身をすすめて、
「お召仕えの童子の案内に従い、はからずご尊顔を拝す。私としては、歓びこの上もありませんが、ご静居をさわがせた罪は、どうぞおゆるし下さい」と、
すると、童子が傍らから、
「先生、この方が、いつも先生やお友達がよく噂しておいでになる劉玄徳というお人ですよ」
と、告げた。
司馬徽は非常におどろいた
「ふしぎなご対面ではある」と、こよいの縁をかこち合った。
塵外の住居とはこういうものかと、玄徳はそのあたりを見廻してそぞろ司馬徽の生活を
司馬徽は、玄徳の衣服が濡れているのを見て、やがて訊ねた。
「今日はまた、どうしたご災難にお遭いなされたのじゃ。おさしつかえなくば聞かせて下さい」
「実は
「あの檀渓を越えられたとすれば、よほどな危険に追いつめられたものでしょう。うわさ通り、今日の襄陽の会は、やはり単なる慶祝の意味ではなかったとみえますな」
「あなたのお耳にも、すでにそんな風説が入っておりましたか……実はこういう次第でした」
玄徳がつつまず物語ると、司馬徽は幾度かうなずいて――さもあらんといわぬばかりの面持であったが、
「ときに、将軍にはただ今、どういう官職におありですかな」
「左将軍
「さすれば、すでに立派な朝廷の
しみじみ、司馬徽はいって、
「……惜しいかな」と、あとは口うちで呟いた。
玄徳は、面目なげに、
「――時の運は如何ともいたし難い。事志と違うために」と、答えた。
すると司馬徽は、顔を振って打ち笑いながら、
「否々、運命のせいにしてはいけない。よくかえりみ給え。わしをして
「こは意外な仰せです。玄徳は不肖の主ながら、生死を一つに誓う輩には、文に孫乾、
「あなたは元来、家来思いなご主君じゃ。故に、家臣に人なしといわれると、すぐその通り家臣をかばう。君臣の情においてはまことにうるわしゅう見ゆるが、主君として、それのみで足るものではない。――箇々その文事や勇気の長を
「関羽、張飛、趙雲の
玄徳は、黙考していた。司馬徽の言に、服する如く、服せざるが如く、しばしさし
「先生の言は至極ごもっともではありますが、要するに、あまりに先生の理想であって、現実を離れているきらいがありはしないでしょうか。不肖わたくしも、身を屈して、山野に賢人を求めること多年ですが、今の世に、張良、
すると、司馬徽は、聞きもあえず、
「否々。いつの時代でも、決して人物が皆無ではない、ただそれを真に用うる
「不肖、
「ちかごろ諸方でうたう小児の歌をお聞きにならぬか。童歌はこういっている……
八九年間ハジメテ衰 エント欲ス
十三年ニ至ッテ孑遺 無 ケン
到頭 天命帰ス所アリ
泥中 ノ蟠龍 天ニ向ッテ飛ブ
これをあなたはどう判じられるか? ……」十三年ニ至ッテ
「さあ、分りませんが」
「建安の八年、太守
司馬徽はくりかえして、玄徳の面を正視し、かさねて云った。
「――帰するところ
玄徳は大きな眼をしてさも驚いたように、
「
「そうでない。そうでない」
「いま天下の英才は、ことごとくこの地に集まっておる。襄陽の名士また、ひそかに
「いかなる人がおりましょうか。その名を、お聞かせ下さい」
「
「臥龍、鳳雛とは?」
思わず、身を前にのり出すと、司馬徽はふいに手を打って、
「
玄徳は、彼の唐突な奇言には、とまどいしたが、これはこの高士の癖であることを後で知った。
日常、善悪何事にかかわらず司馬徽は、きまって(
或る時、知人が来て、悲しげに、自分の子の死んだ由を告げると、司馬徽は相変らず、好々とのみ答えていた。知人の帰ったあとで、彼の妻が、
(いくらあなたのお癖とはいえ、お子さんを亡くした人にまで、好々とは、余りではございませんか)
と、たしなめた。すると司馬徽も、われながらおかしくなったとみえ、好々、おまえの意見も、大いに好々。
といったそうである。
童子がきて、質素な酒食を玄徳に供えた。司馬徽も、食事をともにし、やがて、
「お疲れであろう。まあ、こよいは
「では、おことばに甘えて」
と、玄徳は、別の部屋へはいったが、枕に
そのうちに、深夜の
「……はてな?」
風の音にも心をおく身である。思わず耳をすましていた。
屋は手ぜまなので、裏口から
「やあ、
主の司馬徽が声であった。
それに答えたのは、壮年らしいさびのある声色の持ち主で、
「いや先生。実は荊州へ行っていました。荊州の劉表は近頃の名主なりと、或る者から聞いたので、行って仕えていましたが、聞くとみるとは、大きな違い、から駄目な太守です。すぐ嫌気がさしてきましたから、邸へ
「なに、荊州へ参ったとか。さてさて、汝にも似げない
「恐れ入りました。重々拙者の軽率に相違ございません」
「古人
「大事にします。これからは」
間もなく、客は帰ったらしい。
玄徳は夜の明けるのを待って、司馬徽にたずねた。
「昨夜の客は、何処の者ですか」
「むむ、あれか。――あれは多分、良い主君を求めるため、もう他国へ出かけたろう」
「そうですか。……時に、昨日先生の仰せられた
「いや、
玄徳は、やにわに彼の脚下へひざまずいて、再拝しながら、
「玄徳、不才ではありますが、望むらくは、先生を請じ、新野へ
云いもあえず、司馬徽はからからと笑って、
「
「では、天下の臥龍を?」
「好々」
「それとも鳳雛をですか?」
「好々」
玄徳は必死になって、その人の名と所在を訊きただそうとしたが、そのとき童子が馳けこんできて、
「数百人の兵をつれた大将が、家の外を取り囲みましたよ!」と、大声して告げた。
玄徳が出てみるとそれは趙雲の一隊だった。ようやく、主君玄徳の行方を知って、これへ迎えにきたものであった。
主従は相見て、狂喜し合った。
「おう、趙雲ではないか。どうして、わしがここにいるのが分った」
「ご無事なお姿を拝して、ほっと致しました。この村まで来ると、昨夜、見馴れぬ高官が、童子に誘われて、水鏡先生のお宅へ入ったと百姓から聞きましたので、さてはと、まっしぐらにお迎えにきたわけです」
主の
「百姓たちの噂にのぼっては、ここに長居も危険です。部下の方々の迎えに見えられたこそ幸い、速やかに新野へお立ち帰りあれ」
趙雲と同じように、夜来、玄徳の身を案じて、狂奔していた張飛と、関羽の一軍であった。
かくて、新野へ帰ると、玄徳は城中の将士を一堂に集めて、
「皆の者に、心配をかけてすまなかった。実は昨日、襄陽の会で、
と、ありし
「おそらく、劉表は、何も知らないことに違いありません。あなたを殺す計画に失敗した蔡瑁は、自己の罪を蔽うために、こんどはいかなる
大いに理由がある。一同も彼の言を支持したので、玄徳は早速一書をしたため、孫乾にさずけて荊州へつかわした。
劉表は、玄徳の書簡を見て、襄陽の会が蔡瑁の陰謀に利用され終ったことを知り、もってのほかに立腹した。
「蔡瑁を呼べっ」
いつにない激色である。そして蔡瑁が階下に拝をなすや否、頭から襄陽の会の
蔡夫人は、兄の蔡瑁が召し呼ばれたと聞いて、後閣から馳け転ぶようにこれへ来た。そして良人の劉表へ極力、命乞いをした。妹の涙で蔡瑁は助けられた。孫乾もまた、
「もし、ご夫人の兄たるお方を、お手討ちになどされたら、主君玄徳は、かえって二度と荊州へ参らないかも知れません」と、そばから口添えしたので、劉表も彼を
けれど、劉表は、なお心がすまなかった。孫乾の帰るとき、嫡子の

玄徳は、かえって痛み入るおことばと、劉


「継母の蔡夫人は、弟の

「ただよく孝養をおつくしなさい。いかにご継母であろうと、あなたの至孝が通じれば、自然禍いは去りましょう」
あくる日、



ふと、駒をとめて、市の騒音の中に、玄徳は耳を澄ましていた。
その歌うのを聞けば、――
天地反覆 火 
セント欲ス
大廈 崩 レントシ一木扶 ケガタシ
四海ニ賢 アリ明主ニ投ゼントス
聖主ハ賢 ヲ捜 ルモ却ッテ吾ヲ知ラズ
「……はてな?」
四海ニ
聖主ハ
玄徳は何か自分の身を歌われているような気がした。そして、
彼は馬からおりて、浪士が側を通るのを待っていた。
「あいや、ご浪人」
玄徳は呼んで話しかけた。浪士は怪しんでじろじろ彼を視つめる。もの云えばさびのある声で、眼光はするどいが、底にたまらない情味をたたえていた。
「何ですか。――お呼びになったのは拙者のことで?」
「そうです。まことに唐突ですが、何ですか、あなたと私とは、路傍でこのまま相へだたってしまう間がらではないような気がしてなりません」
「ははあ……?」
「いかがでしょう。私と共に、城中へお越し下さるまいか。
「ははは、拙者の駄吟などは、お耳を汚すには足りません。けれど路傍の人でない気がすると仰っしゃったお言葉に感謝する。――お
浪士は気軽であった。
城中へ来てみると、小城ながら新野の城主と分って、気軽な彼もやや意外な顔をしていたが、玄徳は上賓の礼をもって、これを迎え、酒をすすめながら、さて名をたずねた。
「拙者は、
単福は、それ以上、素姓も語らず、たちまち話題を一転して、こう求めた。
「さいぜん、あなたの乗っていた馬をもう一度、庭上へ曳きだして、拙者に見せて下さいませんか」
「おやすいことです」
玄徳は、直ちに、馬を庭上へひかせた。単福は、つぶさに馬相を眺めて、
「これは千里の駿足ですが、かならず
「されば、人からも、たびたび同じ注意をうけましたが、祟りどころか、先頃、檀渓の難をのがれ、九死に一生を得たのはまったくこの馬の力でした」
「それは、主を救うたともいえましょうが、馬が馬自身を救ったのだともいえましょう。ですから祟りは祟りとして、一度はきっと、飼主に禍いします。――が、その禍いを未然にのぞく方法も決してないではありません」
「そういう方法があるならば、是非、お教えを仰ぎたいが」
「お伝えいたそう。その方法とは、すなわちかの馬を、しばらくの間近習の士に貸しておくのです。そしてその者が祟りをうけて後、君の手に取り戻してご乗用あれば、まずもって心配はありません」
聞くと、玄徳は急に、不愉快な色を面にあらわして、家臣を呼び、
「湯を
と、素っ気なくいいつけた。
湯を点ぜよ――ということは、ちょうど、酒客に対して茶を出せとか、飯にしろとか、主人が給仕の家族へ促すのと同じことである。つまり主人から酒の座を片づける意味を表示したことになる。
「お待ちなさい。わざわざ拙者を呼び迎えながら、湯を点ぜよとは、何事であるか、何で急に客を追い立て給うか」
単福としてはなお、面白くないに違いない。杯を下において、こう開き直った。
――すると玄徳も、
「君を
「ははは、なるほど、劉玄徳は、うわさに違わぬ仁君だ……」と、単福はさも愉快そうに手を打って、
「お怒りあるな。実はわざと心にもない一言を呈して、あなたの心を試してみたまでです。どうか水に流して下さい」
「いや、それなら歓ばしい限りです。願わくは、真実の言を惜しまれず、玄徳のために、仁政を論じ、善き経綸をお聞かせたまわりたい」
「拙者が
「かたじけない。人生の長い歳月のうちでも、賢に会う一日は最大の吉日とかいう。今日は何という幸いな日だろう」
玄徳の歓びようといったらなかった。彼は今、新野にあるとはいえ、その兵力その軍備は、依然、徐州の
そうした玄徳であるから、
(この人物こそ)と見込むと、実に思いきった登用をした。すなわち単福をもって、一躍軍師に挙げ、これに指揮
(わが兵馬は、足下に預ける。足下の思うまま調練し給え)と、一任した。
そして黙って見ていると、単福は練兵調馬の指揮にあたるや、さながら自分の手足を動かすように自在で、しかも精神的にこれを鍛錬し、科学的に装備してゆくので、新野の軍隊は小勢ながら目立って良くなってきた。
この日頃――
その瀬ぶみとして、一族の
「いま、新野に玄徳がいて、だいぶ兵馬を練っています。後日、強大にならない限りもないし、荊州へ攻め入るには、いずれにしても足手まとい。まず先に、新野を叩きつぶしておくのは無駄ではありますまい」
呂曠、呂翔が献策した。
曹仁は二人の希望にまかせて、兵五千を貸し与えた。呂軍はたちまち境を侵して、新野の領へ殺到した。
「単福、何とすべきか?」
玄徳は、軍師たる彼に計った。とうてい、まだ他と戦って勝てるほどな軍備はできていなかった。
「お案じ召さるな。弱小とはいえお味方をのこらず寄せれば、二千人はあります。敵は五千と聞きますから、手ごろな演習になりましょう」
実戦に立って、単福が軍配をとったのは、この合戦が初めてであった。
関羽、張飛、趙雲なども、よく力戦奮闘したが、単福の指揮こそ、まことに鮮やかなものだった。
敵を誘い、敵を分離させ、また個々に敵団を
すると程経てから、
「二大将は、残りの敗軍をひきいて帰る途中、山間の狭道に待ち伏せていた

曹仁は、大いに怒って、
「新野は小城であるし彼の軍隊は少数なので、つい敵をあなどったため、呂曠、呂翔も惨敗をうけたものです。――何でまた、貴殿まで同じ
「李典。ご辺はそれがしもまた、彼らに敗北するものと思っておるのか」
「玄徳は
「必勝の信念なくしては戦に勝てぬ。ご辺は戦わぬうちから臆病風に吹かれておるな」
「敵を知る者は勝つ。怖るべき敵を怖るるは決して
「鶏を
「
「さては、二心を抱いたな」
「なに、それがしに二心あると?」
李典は、
やむなく、彼も参加して、総勢二万五千――先の呂曠、呂翔の勢より五倍する兵力をもって、樊城を発した。
まず白河に兵船をそろえ、糧食軍馬をおびただしく積みこんだ。
戦勝の祝杯をあげているいとまもなく、危急を告げる早馬はひんぴん新野の陣門をたたいた。
軍師
「これはむしろ、待っていたものが自ら来たようなもので、あわてるには及びません。曹仁自身、二万五千余騎をひきいて、寄するとあれば、必定、樊城はがら空きでしょう。たとえ白河をへだてた地勢に不利はあろうとも、それを取るのは、
「この弱小な兵力をもって、新野を守るのすら疑われるのに、どうして樊城など攻め取れようか」
「戦略の
悠々たる単福の態度である。その後で彼は何やら玄徳に一策をささやいた。玄徳の眉は明るくなった。
新野をへだたるわずか十里の地点まで、曹仁、李典の兵は押してきた。これ、わが待つところの
先鋒の李典と、先鋒の趙雲のあいだにまず戦いの口火は切られた。両軍の戦死傷はたちまち数百、戦いはまず互角と見られたがそのうち趙雲自身深く敵中へはいって李典を見つけ、これを追って、さんざんに馳け立てたため、李典の陣形は
曹仁は、
「李典には戦意がないのだ。首を刎ねて陣門に
と、左右へ罵ったが、諸人になだめられてようやくゆるした。
曹仁は次の日、根本的に陣形を改めてしまった。自身は中軍にあって、旗列を八
「いざ、来い」と、いわぬばかり気負い立って見えた。
新野軍の単福は、その日、玄徳を丘の上に導き、
「ご覧あれ、あの物々しさを。わが君には、今日、敵が
「いや、知らぬ」
「八門
「八門とは」
「名づけて

「――が、その中軍の陣を乱すには」
「生門より突入して、西の景門へ出るときは全陣糸を抜かれてほころぶごとく乱れるに相違ありません」
理論を明かし、実際を示し、単福が用兵の妙を説くこと、実につまびらかであった。
「御身の一言は、百万騎の加勢に値する」
と玄徳は非常な信念を与えられて直ちに趙雲をまねき、授けるに手兵五百騎をもってし、
「
と命じた。
同時に、玄徳の本軍も遠くから潮のような諸声や
全陣の真只中を趙雲の五百騎に突破されて、曹仁の備えは、たちまち混乱を来した。崩れ立つ足なみは中軍にまで波及し、曹仁自身、陣地を移すほどなあわて方だったが、趙雲は、鉄騎を引いて、その側をすれすれに馳け抜けながら敢て大将曹仁を追わなかった。
西の景門まで、
「元の
八門金鎖の陣もほとんど何の役にも立たなかった。ために、総崩れとなって陣形も何も失った時、
「今です」と、単福は玄徳に向って、総がかりの令をうながした。待ちかまえていた新野軍は、小勢ながら機をつかんだ。よく善戦敵の大兵を
醜態なのは、曹仁である。莫大な損傷をうけて、李典にすこしも合わせる顔もない立場だったが、なお、
「よし、今度は夜討ちをかけて、度々の恥辱をそそいでみせる」と、豪語をやめなかった。
李典は、苦笑をゆがめて、
「無用無用。八門金鎖の陣さえ、見事それと観破して、破る法を知っている敵ですぞ。玄徳の
忠言すると、曹仁はいよいよ意地になって、
「ご辺のように、そういちいち
彼の
「自分がおそれるのは、敵が背後へまわって、
と、あとは口を
曹仁は、その晩、夜襲を敢行した。けれど、李典の予察にたがわず、敵には備えがあった。
敵の陣営深く、討ち入ったかと思うと、帰途は断たれ、四面は炎の
さんざんに討ち破られて、北河の岸まで逃げてくると忽然、
「燕人張飛、ここに待ちうけたり、ひとりも河を渡すな」と、伏勢の中で声がする。
曹仁は立往生して、すでに死にかかったが、李典に救われて、からくも向う岸に這い上がった。
そして樊城まで、一散に逃げてくると、城の
「敗将曹仁、いざ入り給え。劉皇叔が弟臣、雲長関羽がお迎え申さん」
と、
「あっ?」
仰天した曹仁は、疲れた馬に鞭打ち、山にかくれ、河を泳ぎ、赤裸同様な姿で都へ逃げ上ったという。その醜態を
三戦三勝の意気たかく、やがて玄徳以下、樊城へ入った。県令の
玄徳はまず民を安んじ、一日城内を巡視して劉泌の邸へ入った。
県令の劉泌は、もと長沙の人で玄徳とは、同じ劉姓であった。漢室の
「こんな光栄はございません」
と、劉家の家族は、総出でもてなした。
酒宴の席に、
「お宅のご子息ですか」
「いえ、甥ですよ――」
と、劉泌はいささか自慢そうに語った。
「もと
よほど寇封を見込んだものとみえて、玄徳はその席で、
「どうだろう、わしの養子にくれないか」と、云いだした。
劉泌は、非常な歓びかたで、
「願うてもない倖せです。どうかお連れ帰り下さい」
と、当人にも話した。
関羽と張飛は、ひそかに眼を見あわせていたが、後玄徳へ直言して、
「
けれど父子の誓約は固めてしまったことだし、玄徳が劉封を可愛がることも非常なので、そのままに過ぎているうちに、
「樊城は守るに適さない」
という単福の説もあって、そこは趙雲の手勢にあずけ、玄徳はふたたび新野へかえった。
河北の広大をあわせ、
いわゆる
「
「みな討死したそうだ」
「三万の兵馬が、いったい何騎帰ってきたか」
「あまりな惨敗ではないか」
「丞相のご威光を
「よろしくふたりの敗将を
などと
ましてや丞相の激怒はどんなであろうと、人々はひそかに語らっていたが、やがて曹仁、李典のふたりが、相府の地に拝伏して、数度の合戦に打ち負けた報告をつぶさに
「勝敗は兵家の常だ。――よろしい!」
それきり敗戦の責任については、なにも問わないし、咎めもしなかった。
ただ一つ、彼の
「こんどの戦には、始終玄徳を扶けてきた従来の
彼の問いに曹仁が答えて、
「されば、ご名察のとおり、
「なに、単福?」
曹操は小首を傾けて、
「天下に智者は多いが、予はまだ、単福などという人間を聞いたことがない。汝らのうちで誰かそれを知る者はいるか」
扈従の群星を見まわして訊ねると、

曹操は視線を彼に向けて、
「程

「よく知っています」
「いかなる縁故で」
「すなわち
「その
「
「学は?」
「
「
「この人若年から好んで剣を使い、中平年間の末、人にたのまれて、その仇を討ち、ために詮議にあって、
「うむ、うむ……」
曹操は、聞き入った。非常な興味をもったらしく、程

「――しかもまた、日ごろ交わる彼の朋友たちは、一夜、結束して獄中から彼を助けだして、縄をといて、遠くへ逃がしてやったのです。これによって、以後

「では、単福というのは、徐庶の
「そうです、穎上の徐庶といえば、知る人も多いでしょうが、単福では、知る者もありますまい」
「聞けば聞くほど、ゆかしいもの。士道――

「到底、それがしの如きは、徐庶の足もとにも及びません」
「謙遜ではないのか」
「徐庶の人物、才識、その修業を十のものとして、たとえるならば、それがしの
「ウーム。そちがそれほどまで
「惜しい哉、惜しい哉、そういう人物を今日まで知らず、玄徳の帷幕に抱えられてしまったことは。かならずや、後に大功を立てるであろう」
「丞相。そのご嘆声はまだ早いかと存ぜられます」
「なぜか」
「徐庶が玄徳に随身したのは、ごく最近のことと思われますから」
「それにしても、すでに軍師の任をうけたとあれば」
「かれが、玄徳のために大功をあらわさぬうちに、その
「ほ。その
「徐庶は、幼少のとき、早く父をうしない、ひとりの老母しかおりません。その老母は、彼の弟
「なるほど――」
「故にいま、人をつかわして、ねんごろに老母をこれへ呼びよせ、丞相より親しくおさとしあって、老母をして子の徐庶を迎えさせるようになすったら、孝子徐庶は、夜を日についで都へ駈けて参るでしょう」
「むむ。いかにも、おもしろい考えだ。さっそく、老母へ書簡をつかわしてみよう」
日を経て、徐庶の母は、都へ迎えとられて来た。使者の鄭重、府門の案内、下へも置かない扱いである。
けれど、見たところ、それは平凡な田舎の一老婆でしかない。まことに質朴そのものの姿である。幾人もの子を生んだ小柄な体は、腰が曲がりかけているため、よけい小さく見える。人に馴れない山鳩のような眼をして、おどおどと、貴賓閣に上がり、あまりに
やがてのこと、曹操は群臣を従えて、これへ現れたが、老母を見ると、まるでわが母を拝するようにねぎらって、
「ときに、おっ母さん、あなたの子、
と、ことばもわざと俗に噛みくだいて、やんわりと問いかけた。
老母は、答を知らない。相かわらず、山鳩のような小さい眼を、しょぼしょぼさせて、曹操の顔を仰いでいるだけだった。
無理もない――
曹操は、充分に察しながら、なおもやさしく、こういった。
「のう、そうではないか、徐庶ほどな人物が、何を好んで、玄徳などに仕えたものか。まさか、おっ母さんの同意ではあるまいが。――しかも玄徳は、やがて征伐される運命にある逆臣ですぞ」
「…………」
「もし、あなたまでが同意で奉公に出したなら、それは掌中の珠をわざわざ泥のうちへ落したようなものだ」
「…………」
「どうじゃな、おっ母さん。あんたから徐庶へ手紙を一通書かれたら? ……。わしは深くあなたの子の天質を惜しんでおる。もしあなたが我が子をこれへ招きよせて、よき大将にしたいというなら、この曹操から、天子へ
すると、――老母は初めて
「丞相さま。この
「ほ。……何というているか」
「
「はははは」――曹操はわざと高く笑って、
「
「……はてのう。媼が聞いている世評とは、たいそう違いすぎまする。劉玄徳さまこそ、漢の景帝が玄孫におわし、
「みな玄徳の
「さあ? ……それは」
「何を迷う。わが子のため、また、そなた自身の老後のために。……筆、
「いえ。いえ」
老母は、にわかにきつくかぶりを振った。
「わが子のためじゃ。――たといここに
「なに。嫌じゃと」
「いかに草家の媼とて、順逆の道ぐらいは知っておりまする。漢の逆臣とは、すなわち、丞相さま、あなた自身ではないか。――何でわが子を、盟主から去らせて、暗きに向わせられようか」
「うむ、婆! この曹操を逆臣というたな」
「云いました。たとい
きっぱりと云いきった。そして、さっきから目の前に押しつけられていた筆を取るやいな、やにわに庭へ投げ捨ててしまった。当然曹操が激怒して、このくそ婆を斬れと、呶号して突っ立つと、とたんに、老母の手はまた
「斬れっ、婆の細首をねじ切って取り捨てろっ」
曹操の呶号に、武士たちは、どっと寄って、老母の両手を高く
老母は
「丞相、大人げないではありませんか」

彼はいう。
「ごらんなさい。この老母の自若たる態を。――老母が丞相をののしったのは、自分から死を求めている証拠です。丞相のお手にかかって殺されたら、子の徐庶は、母の敵と、いよいよ心を磨いて、玄徳に仕えましょうし、丞相は、かよわき老母を殺せりと、世上の同情を失われましょう。――そこに老母は自分の一命を価値づけ、ここで死ぬこそ願いなれと、心のうちでホホ笑んでいるにちがいありません」
「ううム、そうか。――しからばこの婆をどう処分するか」
「大切に養っておくに限ります。――さすれば徐庶も、身は玄徳に寄せていても、心は老母の所にあって、思うまま丞相に敵対はなりますまい」
「程

「承知しました。老母の身は、私が大切に預かりましょう。……なお一策がありますが、それはまた後で」
彼は自分の邸へ、徐庶の母をつれて帰った。
「むかし同門の頃、徐庶と私とは兄弟のようにしていたものです。偶然あなたを家に迎えて、何だか自分の母が還ってきたような気がします」
程

けれど、徐庶の母は、
そして折々に珍しい食物とか衣服など持たせてやるので、徐庶の母も、

程

すると或る日の夕べ、門辺を叩く男がある。母の使いと、耳に聞えたので、徐庶は自身走り出て、
「母上に、何ぞ、お変りでもあったのか」と、訊ねると、使いの男は、
「お文にて候や」と、すぐ一通の手紙を出して徐庶の手にわたし、
「てまえは他家の
自分の居間にもどるやいな、徐庶は

次の日の朝まだき。
徐庶は小鳥の声とともに邸を出ていた。ゆうべは夜もすがら寝もやらずに明かしたらしい
「単福ではないか。いつにない早い出仕。何事が起ったのか」
玄徳は、彼をみて、その
徐庶は、面を沈めたまま、黙拝また黙拝して、ようやく眉をあげた。
「ご主君。あらためて、今日、お詫びしなければならないことがございます」
「どうしたのか」
「実は、単福と申す名は、故郷の難をのがれてきたときの
「…………」
玄徳は心のうちで、さてはと、過ぐる夜の水鏡山荘を思いうかべ、その折、主と奥で語っていた深夜の客をも思い合わせていた。
「――で、拙者は、狂喜しました。さっそく新野に行きましたが、なんの手づるとてない素浪人、折もあれば、拝姿の機会あるべしと、日々、
「…………」
「ところが。……これ、ご覧下さりませ」と、徐庶は母の文を取りだして、玄徳に示しながら、
「かくの如く、昨夜、老母より手紙が参りました。愚痴には似たれど、この老母ほど、世に薄命なものはございません。良人には早く別れ、やさしき子には先立たれ、いまは拙者ひとりを、杖とも力ともしておるのでした。しかるに、この文面によれば、
「ああ、よいとも……」
玄徳は快く承諾した。彼ももらい泣きして、眼には涙をいっぱいたたえていた。
玄徳にもかつては母があった。世の母を思うとき、今は亡きわが母を憶わずにいられない。
「なんで御身の孝養を止めよう。母います日こそ尊い。くれぐれ恩愛の道にそむき給うな」
終日、ふたりは尽きぬ名残を語り暮していた。
夜に入っては、幕将すべてを集めて、彼のために
一杯また一杯、別れを惜しんで、宴は夜半に及んだ。
けれど徐庶は、酔わない。
時折、杯をわすれて、こう嘆じた。
「ひとりの母が、許都に囚われたと知ってからは、
「いや、無理もない。まだ主従の日も浅いのに、いまご辺と別れるにのぞんで、この玄徳ですら、左右の手を失うような心地がする。
いつか、夜が白みかけた。
諸大将も、

まどろむほどの間もないが、
「わが君。どう考えても、徐庶を許都へやるのは、大きな不利です。あのような大才を、曹操の所へわざわざ送ってやるなど、愚の至りです。何とか彼をお引きとめになったら、如何ですか。今のうちなら、いかなる策も施せましょう」と、囁いた。
玄徳は、黙然としていた。
孫乾は、なお語を強めて、
「それのみならず、徐庶は、味方の兵数、内状、すべてに精通していますから、その智を得て、曹操の大軍が
「…………」
「

「だまれ」
玄徳は、胸を正した。
「いけない。そんな不仁なことは自分にはできない。――思うてもみよ。人にその母を殺させて、その子を、自分の利に用いるなど、君たるもののすることか。たとい、玄徳が、この一事のため、亡ぶ日を招くとも、そんな不義なことは断じてできぬ」
彼は、身支度して、早くも
関羽、張飛などが騎従した。玄徳は城外まで、徐庶の出発を見送るつもりらしい。人々はその深情に感じもし、また徐庶の光栄をうらやみもした。
郊外の長亭まで来た。徐庶は恐縮のあまり、
「もう、どうぞここで」と、送行を辞した。
「では、ここで別れの中食をとろう」と、一亭のうちで、また別杯を酌んだ。
玄徳は、しみじみと、
「御身と別になっては、もう御身から明らかな道を訊くこともできなくなった。けれど、誰に仕えても、道に変りはない。どうか新しい主君にまみえても、よく忠節を尽され、よく孝行をして、士道の本分を完うされるように」と、繰返していった。
徐庶はなみだを流して、
「おことば有難う存じます。才浅く、智乏しい身をもって、君の重恩をこうむりながら、不幸、半途でお別れのやむなきに至り、
「自分も、ご辺という者を失っては、何か、大きな気落ちを、どうしようもない。いっそ、現世の望みを断って、山林にでも隠れたい気がする」
「かいなきことを仰せられますな、それがし如き
「ご辺に
玄徳は沈痛な語気でいった。――それくらいなら何もこのように落胆はしないという風に。
亭の外にひかえていた関羽、張飛、趙雲などの諸将も、みな一面は多感の士である。涙を抑えてことごとくうつ向いていた。
徐庶は、亭上からその人々を顧みて、
「拙者の去った後は、諸公におかれても、今日以上、一倍結束して、互いに忠義を磨き、名を末代におのこしあるよう、許都の空より
玄徳はついに
「……もう四、五里ほど」と、ともに
「もう、この辺で……」
徐庶は、固辞したが、
「いや、もう少し送ろう。互いに天の一方にわかれては、またいつの日か会えよう」
と、思わず十里ほどきてしまった。
徐庶の馬もつい進まず、
「ご縁だにあれば、これも一時のお別れになりましょう。お体をお大事にして、徐庶が再び帰る日をお待ちあそばし下さい」と、なぐさめた。
かくてまた、いつか七、八里もきていた。城外をへだつことかなり遠い田舎である。諸将は帰途を案じて、
「いくら行っても、お名残は尽きますまい。もはやここで」と、一同して馬を控えた。
玄徳は馬上から手をさしのべた。徐庶もまた手を伸ばした。かたく握りあって、ふたりの眸はしばし無言の熱涙を見交わしていた。
「……では、
「あなた様にも」
「おさらば」
しかも玄徳の手はなお、徐庶の手をかたく握っていてはなさなかった。
「――おさらばです」
ついに、徐庶はもぎはなして、駒のたてがみに、面を沈めながら馳け去った。
諸将は、一斉に、手を振って、そのうしろ影へ、
「さらば」
「さらば――」
を告げながらどやどや駒をかえし始めた。そして玄徳を包んで元の道へ忙がわしく引っ返した。
未練な玄徳は、なお時々、駒をたたずませて、徐庶の影を遠く振り向き、
「おお、あの林の陰にかくれ去った。徐庶の影をへだてる林の憎さよ。ままになるならあの林の木々をみな
いかに君臣の情の切なる溢れにせよ、あまりな愚痴をと思ったか、諸将は声を励まして、
「いつまで、詮なきお嘆きを。――いざいざ
そして六、七里ほど引っ返してきた頃である。後ろのほうから、
「おうーい。おういっ」と、呼ぶ声がする。
見れば、こはいかに、彼方から馬に鞭打って追いかけてくるのは、徐庶ではないか。徐庶が帰ってきたではないか。
(さては彼も、別れ切るに忍びず、ついに志を変えて戻ってきたか)
人々は、直感して、どよめき迎えた。
すると徐庶は、そこへ近づいてくるやいな、玄徳の鞍わきへ寄って、早口にこう告げた。
「夜来、心みだれて麻のごとく、つい、大事な一言をお告げしておくことを忘れました。――彼方、
云い終ると、徐庶はふたたび元の道へ、駒を急がせた。
隆中。
襄陽の西二十里の小村落。
そんな近いところに?
玄徳は、疑った。
茫然――つい茫然と聞き惑っていた。
そのまに、徐庶の姿はもう先へ遠ざかりかけていた。
玄徳は、はっと、われに返って、思わず手とともに大声をあげた。
「徐庶っ、徐庶っ。もうしばし待て。待ってくれい」
徐庶はまた、駒を返してきた。玄徳のほうからも馬をすすめて、
「隆中に、賢人ありとは、かつてまだ聞いていなかった。それは
徐庶は答えて、
「その人は、極めて、名利に超越し、交わる人たちも、限られていますから、彼の賢を知るものは、ごく少数しかないわけです。――それに、君には、
「その人と、ご辺との縁故は」
「年来の道友です」
「経綸済世の才、ご辺みずから、その人と比しては?」
「拙者ごときの類ではありません。――それを今日の人物と比較することは困難で、古人に求めれば、周の
「ご辺と友人のあいだならば、願うてもないこと、旅途を一日のばして、玄徳のために、その人を新野へ
「いけません」
にべもなく、徐庶は、顔を横に振った。
「どうして、彼が、拙者の迎えぐらいで出て参るものですか。――君ご自身、彼の
聞くとなお、玄徳は喜色をたたえて云った。
「ねがわくば、その人の名を聞こう。――徐庶、もっとつまびらかに語り給え」
「その人の生地は

「……ああ。いま思い出した」
玄徳は肚の底から長息を吐いて、さらにこう訊ねた。
「それで思い当ることがある。いつか
「そうです。
「では、
「否! 否!」
徐庶はあわてて、手を振っていった。
「鳳雛とは襄陽の

「それではじめて、伏龍、鳳雛の疑いも晴れた。ああ知らなかった! 現在、自分も共に住むこの山河や市村の間に、そんな大賢人が隠れていようとは」
「では、かならず孔明の
徐庶は、最後の拝をして、一
が、何ぶんにも、千七百余年も前のことである。孔明の家系やその周囲については、正確にわからない点も多分にある。
ほぼ明瞭なのは、さきに
また、その諸葛豊は、前漢の元帝の頃、時の
それを証するに足るこんなはなしがある。
元帝の
「いつかは」と、法の威厳を示すべく誓っていたところ、或る折、またまた、国法をみだして、
「断じて、縛る」と、警視総監みずから、部下をひきつれて捕縛に向った。ちょうど許章は宮門から出てきたところだったが、豊総監のすがたを見て、あわてて禁門の中へかくれこんでしまった。
そして、彼は、天子の寵をたのみ、
それでも、彼はなお、しばしば怪しからぬ大官の罪をただして
その祖先の帰郷した地が、


諸葛という姓は初めは「
もとは単に「葛氏」であったが、諸城県から陽都へ家を移した時、陽都の城中にはばかる同姓の家がらがあったので、前の住地の諸城県の諸をかぶせ、以来「諸葛」という二字姓に改めたという説などもある。
孔明の父
三人は男で、ひとりは女子である。孔明はその男のうちの二番目――次男であった。
兄の
そのあいだに彼の生母はこの世を去った。父には後妻がきた。
ところが、その後妻をのこして、こんどは彼らの父の珪が死去したのである。孔明はまだ十四歳になるかならない頃であった。
「どうしよう?」
腹ちがいの子三人の幼い者を擁して、後妻の
ところへ、大学をほぼ卒業した長男の
そして洛陽の大乱を告げた。
「これから先、世の中はまだまだどんなに混乱するかわかりません。
瑾は
この長男も世の秀才型に似あわず至って謹直で、よく継母に仕えその孝養ぶりは、生みの母に仕えるのと少しも変りはないと、世間の褒められ者であった。
戦乱があれば、戦乱のない地方へ、洪水や飢饉があれば、災害のなかった地方へ――大陸の広さにまかせて、大陸の民は、
「南へ行きましょう」と、諸葛氏の一家が、北支から避難したときも、黄巾の乱後の社会混乱が、どこまでつづくか見通しもつかなかった頃なので、
「南へ」
「南の国へ」と、北支や山東の農民は、水の低きへつくように、各

まだ十三、四歳でしかない孔明の眼にも、このあわれな流離の群れ、飢民の群れの生活が、ふかく少年の清純なたましいに、
(――あわれな人々)として
(どうして、人間の群れは、こんなにみじめなのか。苦しむために生れたのか。……もっと、生を楽しめないのか)
そんなことも考えたであろう。
いや、もう十三、四歳といえば、史書、経書も読んでいたであろうから、
(こんなはずではない。この世の中のうえに、ひとりの偉人が出れば、この無数の民は、こんなおどおどした眼や、痩せこけた顔を持たないでもいいのだ。――天に日月があるように、人の中にも日月がなければならないのに、そういう大きな人があらわれないから、小人同士が、人間の悪い性質ばかり出しあって、世の中を混乱させているのだ。――かわいそうなのは、何も知らないで果てなく大陸をうろうろしている何億という百姓だ)
と、いう程度の考えは、もう少年孔明の胸に、人知れず
なぜならば、彼の一家も、大学を卒業したばかりの兄の
旅は苦しい。つらい。
いやしばしば
それは、流離の土民の子も、同じように通ってきた錬成の道場だったが、出す素質がなければ
――かくて、ようやく。
叔父の
そこへ、半年ほどいるうち、叔父の玄は、劉表の縁故があるので、
孔明と、弟の均とは、叔父の家族とともに、荊州へ移住したが――それを機に、長男
「わたくしも何か、一家の計を立てますから」
と、継母の章氏を伴って、暮帆遠く、江を南に下って、呉の地方へ、志を求めて行った。
当時すでに、想いを将来に
北支の戦禍を避けて、南へ南へ移住してくる漢民族は、その天産と広い沃地へわかれて、たちまち新しい営みをし始めていた。
流民の大部分は、もとより
その分布は。
南方の沿海、江蘇方面から、
そして、やがてそれから七年目。
呉の
けれど一方――叔父の玄やその家族につれられて荊州へ移った孔明と末弟の
「荊州は、大きな都だよ。おまえたちの見たこともない物がたくさんにある。叔父さまは荊州の劉表さまとお友だちで、ぜひ来てくれとお招きをうけて今度行くんだから、都の中に、お城のようなお住居を持つんだよ。おまえ達も、大勢の家来から、若さまといわれるのだから、品行をよくしなければいけませんよ」
叔母や叔父の身寄りから、そんな前ぶれを聞かされて、少年孔明の胸はどんなにおどったことだろう。
そして、荊州の文化に、如何に眼をみはったことか。
ところが、居ることわずか一年足らずで、叔父の玄はまた、劉表の命で、
「
と、その後任に、転任をいい渡された。
こんどは、太守の格である。栄転にはちがいないが、任地の
「彼は、漢の朝廷から任命された太守ではないんだ。われわれはそういう
当然、戦争になった。
(おれが予章の大守だ)
(いや、おれのほうこそ正当な太守だ)
という変った戦いである。

少年の孔明や弟の均は、このとき初めて、戦争を身に知った。
叔父の一家とともに、乱軍のなかを落ちて、城外遠くに
孔明は、弟の
その頃、
由来、
叔父の玄を
「学僕にして下さい」と、訪れたのは、彼が十七の頃だった。
石韜は翌年、近国へ遊学にあるいた。その時、師に従って行った弟子のなかに、白面十八の孔明があり、一剣天下を治むの概をもつ徐庶があり、また温厚篤学な
だから孟建や徐庶は、孔明より年もずっと上だし、学問の上でも先輩であったが、ふたりとも決して、孔明をあなどらなかった。
「あれは将来、ひとかどになる秀才だ」
と、早くも属目していたのである。ところがそれは二人の大きな認識不足だった。
なぜならば、その後の孔明というものは、ひとかどどころではなかった。
だが彼は、二十歳を出るか出ないうちに、もう学府を去っていた。学問のためにのみ学問する学徒の無能や、論議のために論議のみして日を暮している
では、それからの彼は、どうしていたかというと、襄陽の西郊にかくれて、弟の
「いやに、老成ぶったやつではないか」
「いまから
「彼は、形式主義者だ」
「
学友はみな嘲笑した。多少彼を認め彼を尊敬していた者まで、月日とともにことごとく彼を離れた。
ただ、その後も相かわらず、彼の草廬へよく往来していたのは、
襄陽の市街から孔明の家のある
隆中は

孔明の家から、晴れた日は、その流れ、その市街がひと目に見えた。彼の宅地は隆中の小高い丘陵の中腹にあり、家のうしろには、
――歩みて斉 の城門を出 づ
遥かにのぞむ蕩陰里
里中、三墳 、塁として相似たり
問うこれ、誰が家の塚ぞ
田疆 ・古冶氏
力はよく南山を排し
文はよく地紀 を絶 つ
畑の中で、真昼、よくこんな歌が聞える。遥かにのぞむ
里中、三
問うこれ、誰が家の塚ぞ
力はよく南山を排し
文はよく
歌はこの辺の民謡でなく、山東地方の古い昔語りをうたうものだった。
孔明の
声の主は、鍬をもって畑を打つ孔明か、豆を
隆中の彼の住居へ、或る日、友人の
「近日、
孔明は、そういう先輩の
「なぜ帰るのです?」と、さも不審そうに訊いた。
「なぜということもないが、襄陽はあまりに平和すぎて、名門名族の士が、学問に遊んだり政治批評を楽しんで生活しておるにはいいかも知れんが、われわれ書生には適さない所だ。そのせいか、近頃しきりと故郷の汝南が恋しくなった。退屈病を癒しに帰ろうと思うのさ」
聞くと、孔明は、静かに顔を横に振って、
「こんな短い人生を、まだ半途も歩まないうちに、君はもう退屈しているのか。襄陽は平和すぎるといわれるが、いったいこの無事が百年も続くと思っているのかしら? ――ことに、君の郷里たる中国(北支)こそ、旧来の
と、いって止めた。
孟建は孔明よりも年上だし、学問の先輩でもあったが大いに
「いや、思い止まろう。なるほど君のいう通りだ。人間はすぐ眼前の状態だけにとらわれるからいかんな。――閑に居て動を観、無事に居て変に備えるのは難かしいね」と、
孟建などが噂するせいか、襄陽の名士のあいだには、いつか、孔明の存在とその人物は、無言のうちに認められていた。
いわゆる襄陽名士なる知識階級の一群には、

「自分にも娘があるが、もし自分が女だったら隆中の一青年に嫁ぐだろう」とまでいっていた。
するとまた、ぜひ
ところが花嫁は、父の黄承彦の顔を、もう少し可愛らしくした程度の不美人であった。
「
と、孔明を無能の青年としか見ていない仲間は、ひどく興がってよろこんだ。
しかし、孔明とその新妻とは、実にぴったりしていた。相性というか、
かくて彼の隆中における生活もここ数年を実に平和に過してきた。
彼の
その長い膝を抱えて、居眠るごとく、或る日、孔明は友達の中にいた。
彼をめぐる道友たちは、各

孔明は、微笑しながら、黙々とそれを聞いていたが、
「そうだ、君がたが、こぞって官界へ出て行けば、きっと
友の一名が、すぐ反問した。
「じゃあ、君は。――君はどんなところまでなれるつもりか」
「僕か」
彼の志は、そんな所にあるのではなかった。官吏、学者、栄達の門、みな彼の志を入れるにはせまかった。
春秋の宰相
(わが文武の才幹は、まさにこの二人に比すべし)
と、独り
楽毅は春秋戦国の世に、
いまは、時あたかも、春秋戦国の頃にも劣らぬ乱世ではないか。
若い孔明は、そう観ている。
管仲、楽毅、いま何処にありや! と。
また彼は想う。
「自分をおいてはない。
不断の修養を怠らなかった。
世を愛するために、身を愛した。世を思うために、自分を励ました。
口にこそ出さないが、膝を抱えて、黙然、うそぶいている若い孔明の眸にはそういう気概が、ひそんでいた。
時にまた、彼は、家の裏の楽山へ登って行って、
すでに、兄の
北雲の天は、相かわらず
益州――
水源、いつまで、無事でいよう。かならずや、群魚の銀鱗が、そこへさかのぼる日の近いことは、分りきっている。
「ああ、こう観ていると、自分のいる位置は、まさに呉、
やがて、日が暮れると、若い孔明は、
歳月のながれは早い。いつか建安十二年、孔明は二十七歳となっていた。
さて。
ここで再び、時と場所とは前にもどって、玄徳と
× × ×
「骨肉の別れ、相思の仲の別れ。いずれも悲しいのは当然だが、男子としては、君臣の別れもまた断腸の一つだ。……ああ、きょうばかりは、何度思い止まろうかと迷ったか知れぬ」
今なお、玄徳の恩に、情に、うしろ髪を引かれながら――。
だが、都に
徐庶の心は
また、そんな中でも、後に案じられるもう一つのことは、別れぎわに自分から玄徳へ推薦しておいた
「彼のことだ、恐らく、容易にはうごくまい」
徐庶は、責任を感じた。また、玄徳のために、途々、苦念した。
「そうだ……
そう考えつくと、彼は、にわかに道をかえて、
徐庶の馬は、やがてそこの岡をのぼって行く。久しく無沙汰していたので、そこらの木々も石もみな旧友の如くなつかしく見える。
折から晩秋なので、満山は紅葉していた。めったに訪う人もない孔明の家の屋根は、落葉の中に埋まっていた。門前に馬をおりて、徐庶はその
が、園内は
しばらくたたずんでいると、童子の歌う声がする。
蒼天は円蓋 の如し
陸地、碁局 に似たり
世人黒白 して分れ
往来に栄辱 を争う
「おうい、童子。ここを開けてくれ。先生はいらっしゃるか。――わしだよ。徐庶が来たと取次いでくれ」陸地、
世人
往来に
外の客は、しきりと訪れていたが、童子はなお気づかないものの如く、
南陽に
高眠
すると、どこやらで、童子童子と呼ぶ声がして、門外に客のあることを教えていた。
「え。誰か来たのかい」
童子は、飛んできた。――そして内から柴門をあけて、客のすがたを見ると、
「ああ、
徐庶は、傍らの木へ、駒をつないで、
「先生はいられるかね?」
「おいでになります」
「お書斎か」
「ええ」
「おまえはなかなか歌がうまいな」
「元直さまは、急にこの頃、美々しくなりましたね。剣も、着物も、お馬の鞍まで」
園の
童子は、茶を煮る。
客と主は、書斎のうちに、対話していた。
「秋も暮れますなあ」
徐庶がいう。
孔明は、膝を抱いて、
「冬を待つばかりだ。すっかり
と、いった。
徐庶は、いつまでも、云いだせずにいた。すると孔明のほうから、訊ねた。
「徐兄。きょうのお越しは、何か用ありげらしいが、そも、なんのために、孔明の
「されば」と、ようやく、
「――実はまだ、先生にもお告げしてないが、拙者は先頃から、
「はあ。そうでしたか」
「ところが、田舎にのこしておいた老母が、曹操の部下にひかれて、いまはひとり都に囚われの身となっている。……その老母より
「それは、よいことではないですか。身の仕官など、いつでもできる。ご老母をなぐさめておあげなさい」
「ついてはです。――お別れにのぞんで、この徐庶から折入って、おねがいしておきたい儀があります。お聞き入れ賜わらぬか」
「まあ、仰っしゃってごらんなさい」
「ほかではありませんが、今日、ご主君自身、遠く途中まで見送って下されたが、その別れぎわに、実は、平素から心服しているため、隆中の岡に、かかる大賢人ありと、口を極めて、先生の大方を、ご推薦しておいたわけです。――で、まことにご迷惑でしょうが、やがて玄徳公からお沙汰のあった節は、
徐庶は、学歴や年齢からも、はるかに孔明よりは先輩だったが、今では孔明を先生と称して、心から尊敬を払っているのである。しかもこの事たるや、容易ならぬ問題でもあるし、一朝一夕に孔明が承諾しようとも考えられないので、
すると、終始、半眼に
「徐兄。――ご辺はこの孔明を、祭の
そう云い捨てるやいな、袖を払って、奥の室へかくれてしまった。
徐庶は、はっと、色を変じた。
祭りの犠牲――
思い当ることがある。
むかし、
(
徐庶は、孔明のことばに、
「いつか詫びる日もあろう」
彼はぜひなく席を去った。外に出て見れば、
泊りを重ねて、徐庶が、都へ着いたときは、まったく冬になっていた。――建安十二年の十一月だった。
すぐ相府に出て、着京の由を届けると、曹操は、


「ご辺が、
「ご恩をふかく謝します――」と徐庶はまず拝礼して、
「して、母はどこにおりましょうか。願わくは、一刻も早く、遠路より来た愚子に対面をおゆるし下さい」と、いった。
曹操は、幾度もうなずいて見せたが、
「お身の老母は、つねに程

「丞相の
「だが、ご辺のような、孝心に篤い、そして達見高明の士が、なんで身を屈して玄徳などに仕えたのか」
「偶然なる一朝の縁でございましょう。放浪のうち、ふと新野で拾い上げられたに過ぎません」
さりげなく、二、三の雑談を交わして後、やがて、徐庶は曹操のゆるしを得て、奥の一堂にいる老母のところへ会いに行った。
「あの内においでなされる」
と、案内の者は、指さしてすぐ戻って行く。――徐庶は清らかな園の一方に見える一棟を見るよりもう胸がいっぱいになっていた。彼は、そこの堂下にぬかずいて、
「母上! 徐庶です。徐庶が参りました」と、声をかけた。
すると、彼の老母は、さも意外そうに、わが子のすがたを見まもって訊ねた。
「おやっ? 元直ではないか。そなたは近頃、新野にあって、劉玄徳さまに仕えておると聞き、よそながら歓んでいたものを。……なんでこれへ来やったか?」
「えっ。
「何をうろたえて。……この母の
「でも、……このお手紙は」と、出発の前に、新野で受け取った書簡を出してみせると、老母は、もってのほか怒って、顔の色まで変じ、
「これ! 元直」と、身を正して叱った。
「そなたは、
「あっ……では……それは母上のお筆ではありませんでしたか」
「孝に眼をあけているつもりでも、忠には
と身をふるわせて、よよと泣いていたが、やがて黙然と、
徐庶も、
「母上っ……。母上っ」
徐庶は、冷たい母の
はや冬風のすさぶ中、許都郊外の
徐庶に別れて後、玄徳は一時、なんとなく
「そうだ。孔明。――彼が別れる際に云いのこした孔明を訪ねてみよう」
と、側臣を集めて、急に、そのことについて、人々の意見を徴していた。
ところへ、城門の番兵から、取次がきた。
「玄徳に会いにきたと、その
と、取次は怪しむのであった。
「どんな
「
「さては、孔明ではないか」と、推量する者があった。――玄徳もそんな気がしたので、自身、内門まで出迎えに行ってみると、何ぞはからん、それは
「おう、先生でしたか」
玄徳は歓んで、堂上に
「いちど、軍務のひまを見て、仙顔を拝したいと存じていたところ、さきにお訪ねをたまわっては、恐縮にたえません」と、繰返していった。
司馬徽は、顔を振って、
「なんの、わしの
「ああ、徐庶ですか。――実は数日前に、この所を去りました」
「なに、また去ったと」
「田舎の老母が、曹操の手に
「何、何。……囚われの母から書簡がきたと。……それは
「先生、何を疑いますか」
「徐庶の母なら、わしも知っとる。あの婦人は、世にいう賢母じゃ。愚痴な手紙などよこして子を呼ぶような母ではない」
「では、偽書でしたろうか」
「おそらくは然らん――。ああ惜しいことをした。もし徐庶が行きさえしなければ、老母も無事だったろうに、徐庶が行っては、老母もかならず生きておるまい」
「実は、その徐庶が、暇を乞うて去る折に、
「は、は、は」と、
「己れは他国へ去るくせに、無用な言葉を吐いて、他人に迷惑をのこして行かなくてもよさそうなものじゃ。やくたいもない男かな」
「迷惑とは?」
「孔明にとってじゃよ。また、わしらの道友にとっても、彼が仲間から抜けてはさびしい」
「お仲間の道友とは、いかなる方々ですか」
「
「おのおの知名の士ですが、かつて孔明の名だけは、聞いておりません」
「あれほど、名を出すのをきらう男はない。名を惜しむこと、貧者が珠を持ったようじゃ」
「道友がたのお仲間で、孔明の学識は、高いほうですか、中くらいですか」
「彼の学問は、高いも低いもない。ただ大略を得ておる。――すべてにわたって、彼はよく大略をつかみ、よく通ぜざるはない」と、云いながら、杖を立てて、「どれ……帰ろうか」と、つぶやいた。
玄徳はなお引きとめて、何かと話題を切らさなかった。
「この荊州襄陽を中心として、どうしてこの地方には、多くの名士や賢人が集まったものでしょうか」
司馬徽は、杖を上げて、起ちかけたが、つい彼の向ける話題につりこまれて、
「それは偶然ではありますまい。むかし

「なるほど、おことばによって、自分のいる所も、明らかになった気がします」
「――そうじゃ、自分のいる所――それを明らかに知ることが、次へ踏みだす何より先の要意でなければならぬ。御身をこの地へ運んできたものは、御身自体が意志したものでもなく、また他人が努めたものでもない。大きな自然の力――時の流れにただよわされてきた一漂泊者に過ぎん。けれどお身の止った所には、天意か、偶然か、
「――感じます。それを感じると、脈々、自分の五体は、ものに
「
司馬徽は、
「それさえ覚っておいであれば、あとは余事のみ――やれ、長居いたした」
「先生、もう暫時、お説き下さい。実は近いうちに隆中の孔明を訪れたいと思っていますが――
「否々。あの孔明が何でみだりに自己を過分に評価しよう。わしからいわせれば、周の世八百年を興した
司馬徽はそう云いながらおもむろに階をおりて一礼し、なお玄徳がとどめるのを一笑して、天を仰ぎ、
「――ああ、
と、ふたたび
玄徳は深く嘆じて、あの高士があれほどに激賞するからには、まさしく
一日、ようやく閑を得たので、玄徳は、関羽、張飛のほか、従者もわずか従え、行装も質素に、諸事美々しからぬを旨として、隆中へおもむいた。
静かな冬日和だった。
道すがら田園の風景を
地上は狭い、
世間はちょうど、黒い石、白い石
さかえる者は、安々たり
ここ南陽はべつの天地
誰ぞ、臥してまだ足らない
顔をしているのは。
「はい、
「先生の作と申すか」
「へい。先生の作った
「その臥龍先生のお住居は、どの辺にあたるか」
「あれに見える山の南の、帯のような岡を、
農夫は、答えるだけを答えてしまうと、わき目もふらず、畑にかがんで働いている。
「この辺の民は、百姓にいたるまで、どこか違っている……」
玄徳は、左右の者に語りながら、また駒をすすめて三、四里ほど来た。道はすでに、岡の裾にかかっていた。
冬の梢は、青空を透かして見せ、
「おお、あれらしい」
関羽は、指さして、玄徳をふり向いた。玄徳はうなずいて、はや駒をおりかけている。
清楚な
玄徳は、歩み寄って、
「童子。孔明先生のお住居はこちらであるか」と、たずねた。
童子は不愛想に、
「うん」と、一つうなずいたきり、後ろに続く関羽、張飛などの姿へ、
「大儀ながら、廬中へ取次いでもらいたい。自分は、漢の左将軍、
「待っておくれ」
童子は、ふいにさえぎって云った。
「――そんな長い名は、おぼえきれやしない。もう一度いってください」
「なるほど。これはわしが悪かった。ただ、新野の劉備が来ました――と、そう伝えてくれればよい」
「おあいにくさま。先生は今朝早天に出たまま、まだ帰っておりません」
「いずこへお出でなされたか」
「どこへお出かけやら、ちっとも分りません。――
「いつ頃、お帰りであろうか」
「さあ。時によると三、五日。あるいは十数日。これもはかり難しですね」
「…………」
玄徳は、落胆して、いかにも力を失ったように、
「いないものは仕方がない。早々帰ろうじゃありませんか」といった。
関羽も共に、
「また他日、使いでも立てて、在否を訊かせた上、改めてお越しあってはいかがです」
と、駒を寄せてうながした。
孔明の帰ってくるまでは、そこにたたずんででもいたいような玄徳であったが、是非なく、童子に
すると、岡のふもとから身に
近づいてみると、眉目清秀な高士である。どこか
(これなん、
と、思い、急に馬からおりて、五、六歩あるいた。
ふいに馬をおりてきて、自分へ
「なんです? どなたですか、いったい?」
と、さもうろたえ顔に、杖をとめて、訊ね返した。
玄徳は、謹んで、
「いま先生の
青衣の高士は、なお
「何か、人違いではありませんか。いったい将軍は、いずこの
「新野の劉備玄徳ですが」
「えっ、あなたが?」
「孔明先生は、
「ちがいます! ちがいます! ……霊鳥と
「では、何びとでおわすか」
「孔明の友人、
「おう、ご友人か」
「将軍のお名まえも、
「いや、それについては、大いにおはなし申したい。まず、そこらの岩へでもおかけなさい。予も、席をいただく」と、路傍の岩に腰をおろして、
「――自分が、孔明を尋ねてきたのは、国を治め民を安んずる道を問わんがためで、そのほかには何もない」と、いった。
すると、崔州平は、大いに笑って、
「善いことですな。けれど、あなたは治乱の道理を知らないとみえる」
「或いは――然らん。ねがわくは治乱の道を、説いて聞かせたまえ」
「山村の一
「そうです。……乱兆が見え始めてからここ二十年にわたるでしょう」
「人の一生からいえば、二十年の乱は長しと思えましょうが、悠久なる歴史の上からみれば、実はほんの一瞬です。
「ゆえに、真の賢人を求め、万民の災害を、未然に防ぐこと、或いは、最小最短になすべく努めることを以て、劉備は自分の使命なりと信じているわけですが」
「善い
「われわれは凡俗です。高士のごとく、冷観はできません。ひとしく生き、ひとしく人たる万民が、
「英雄の悩みはそこにありましょう。――けれど、あなたが孔明を尋ねて、いかに孔明をお用いあろうと、宇宙の天理を如何になし得ましょうか。たとい孔明に、天地を
玄徳は終始、つつしんで聞いていたが、
「ご高教、まことにかたじけない」と、ふかく謝して、
「――時に、今日は思いがけないお教えをうけ、一つの幸いであったが、ただ孔明に会えずに帰ることだけは、何とも残念に心得る。もしや、彼の行く先を、ご存じあるまいか」
と、話を戻してたずねた。
「いや実は、私もこれから孔明の家を訪ねようと思って、これまで来たところです。留守とあれば、自分も帰るしかありません」と、
玄徳も共に起ち上がりながら、
「如何です、玄徳と共に、新野へ来ませんか。なおいろいろ貴公について、善言を伺いたいと思うが」と、誘った。
崔州平は、かぶりを振って、
「山野の一儒生、もとより世上に名利を求める気はありません。ご縁があればまた会いましょう」
と、
玄徳も馬に乗って、やがて臥龍の岡をうしろに帰った。
途中、関羽は、玄徳のそばへ駒を寄せてそっと訊ねた。
「最前の隠士がいった治乱の説を君には真理と思し召すか?」
「――否」
玄徳は、にことして答えた。
「彼のいうところは、彼らの中の真理であって、万民俗衆の真理ではない。この地上の全面を占めるものは億兆の民衆で、隠士高士のごときは、何人と数えられるほどしかおるまい。そういう少数の中だけでもてあそぶ真理なら、どんな理想でも唱えていられよう」
「それほど、治乱の理を、明らかにご承知でいながら、なんで長々と、崔州平の言などをつつしんで聞いておられたのですか」
「もしや? ……一言半句でも、そのうちに、世を救い万民の苦悩に通じることばでもあろうかと、あくまで語らせておいたのだが」
「ついに、ありませんでしたな」
「ない。……なかった。……それを聞かせてくれる人にわしは
かくて、その日は、むなしく暮れたが、新野に帰城してから、数日の後、玄徳はまた人をやって、孔明の在否をうかがわせていた。
やがて、その者から報らせてきた。ここ一両日は、たしかに孔明は家に帰っているようです。すぐお出ましあれば、こんどこそ
「さらば、今日にも」と、玄徳は急に、馬の
張飛は、馬の側へきて、やや不平そうに、
「いやしい田夫の家へ、ご自身で何度も出かけるなどは、領民のてまえも、変なものでしょう。使いをやって、孔明を城へ呼び寄せてはどんなものですか」
「礼に欠ける。そんなことで、どうして、彼の如き
「孔明とやら、いかに学者か賢人か知らぬが、
「みずから門を閉じるものだ。書物をひらいて、すこし
この前と同じぐらいな供の数だった。城門を出て、新野の郊外へかかる頃から、
ちょうど十二月の
一行が、隆中の村落に近づいたころは、天地の物、ことごとく真白になっていた。
歩一歩と、供の者の
「ああ、途方もない寒さだ。――馬鹿げているわい」
張飛は、顔をしかめながら、雪風の中で聞えよがしに呟いていたが、玄徳のそばへ寄って、またこういった。
「
聞くと、玄徳は、
「ばかなことを申せ」と、叱って、
「おまえは、
と、常になく烈しい眉を雪風にさらしながら云った。張飛も負けずに、赤い面をふくらせて、
「戦をするなら、死ぬのも
「予の訪う孔明に対し、予の熱情と
「それは、
「――誰か知らん千丈の雪。おまえは黙ってついて来い。また、歩くのが嫌なら一人で新野へ帰れっ」
もう村の中らしい。道の両側、ところどころに家が見える。雪に埋もれた土の窓から、土民の女房が眼をまろくして一行をながめていた。また貧しい煙の這う壁の奥から
こういう寒村の窮民を見ると、玄徳は、自分の故郷

彼はそこに、自分の志に大きな意義と信念を見出すのであった。きょうばかりではない。二十年来のことである。
壮士の高名、尚いまだ成らず
ああ久しく、陽春に遇 わず
君見ずや
東海の老叟 荊榛 を辞す
石橋 の壮士誰かよく伸びん
広施 三百六十釣
風雅遂に文王と親し
八百の諸侯、期せずして会す
黄龍 舟 を負うて孟津 を渉 る……
何処だろう?ああ久しく、陽春に
君見ずや
東海の
風雅遂に文王と親し
八百の諸侯、期せずして会す
何者が歌うのであろう?
「はて。あの声は」
玄徳は思わず駒をとめた。
道の雪、降る雪、そこらの屋根の雪が、
歌う声は、その中から聞えてくるのだった。さびのある声調と、血のかよっている意気が聞きとれる。
朝歌一旦、
また見ずや
高く
二女足を
するとまた、別人の声が、卓をたたいて高吟しだした。ひとりは、それに合わせて、箸で鉢をたたく。
漢皇剣をひっさげて寰宇 を清め
一たび強秦 を定む四百載
桓霊 いまだ久しからず火徳衰 う
乱臣賊子鼎
を調え
群盗四方にあつまる蟻の如し
万里の奸雄みな鷹揚
吾ら大嘯 、空しく手を拍つのみ
悶 え来って村店 に村酒を飲む……
歌い終ると、一たび
乱臣賊子

群盗四方にあつまる蟻の如し
万里の奸雄みな
吾ら
「あははは」
「わははは」
「さては、――」と、玄徳は、歌の意味から察して、
「どちらか一方は、かならず孔明にちがいあるまい」
と、急に馬をおりて、居酒屋のうちへずかずかはいって行った。
ただの板を打った、細長い
向う側の老人は、
幅のある背を向けて、老人と対しているのは、
玄徳は
「それに
「ちがう……」
老人は顔を振って苦笑する。
玄徳はさらに、若いほうの人物にむかって、
「もしや孔明先生は、
「ちがいます」と、若いほうも、
老人はいぶかしげに、次に自分のほうから訊ねた。
「かかる雪中、
「申しおくれた。自分は漢の左将軍、予州の
「えっ、では新野のご城主ではありませんか」
「そうです。今、
「それはどうも」
二人は、顔を見合わせて、
「折角でしたが、われわれはいずれも、孔明ではありません。ただ臥龍の友だちどもです。それがしは、
玄徳は、失望しなかった。なぜなら石広元といい、孟公威といい、いずれも
「いやいや、われらは山林に
と、巧みに避けた。
やむなく玄徳は二人にわかれて、居酒屋の
やがて岡の家――孔明の廬たる
「はい、何だか、きょうは書堂の内にいるようです。あの堂です。行ってごらんなさい」
と、奥を指した。
供や馬を柴門の陰に残して、関羽、張飛のふたりだけを連れ、玄徳は雪ふみ分けて、
書斎らしい一堂がある。
縁も
破れ芭蕉の大きな葉が、雪の窓をおおっていた。玄徳はひとり階下へ寄って、そっと室内をうかがってみた。
――と、そこに。
われ
英主にあらねば依らじとし
自ら
いささか
詩を詠じて
以て天の時を待つ
一朝明主に逢うあらば
何の遅きことやあらん……
おそるおそる堂中をうかがってみた。炉によったまま、その人は膝を抱いて居眠っているのである。さながら邪心のない
「先生。お眠りですか」
試みに、玄徳がこう声をかけてみると、若者は、ぱっと眼をみひらいて、
「あっ。……どなたですか」と、おどろきながらも、静かにたずねた。
玄徳は、それへうずくまって、礼を施しながら、
「久しく先生の尊名を慕っていた者です。実はさきに
――すると、彼の若者は、急にあわてて、身を正し、答礼していった。
「将軍は新野の
玄徳は、色を失って、
「では、あなたもまた、臥龍先生ではないのですか」
「はい。私は臥龍の弟です。――われらには同腹の兄弟が三人あります。長兄は
「ああ、そうでしたか」
「いつもいつも遠路をお訪ねたまわりながら失礼ばかり……」
「して、臥龍先生には」
「あいにく、今日も不在です」
「何処へお出かけでしょう?」
「今朝ほど、博陵の
「お行き先は分りませんか」
「或る日は、江湖に小舟をうかべて遊び、或る夜は、山寺へ登って僧門をたたき、また、
玄徳は、長嘆して、
「どうしてこう先生と自分とは、お目にかかる縁が薄いのだろう」と、思わず呟いた。
均は黙って、次の室へ立って行った。小さな土炉へ火を入れて、客のために茶を
「
茶が煮えると、
「そこは雪が吹きこみます。少しこちらの席でご休息を」と、すすめた。
しきりに帰りをうながす張飛の声をうしろに、玄徳は、落着きこんで、茶をすすりながら、
「孔明先生には、よく
などと雑談を向け始めた。
均は、つつましく、
「存じません」と、答えるのみ。
「兵馬の修練はなされておいでですか」
「知りません」
「ご舎弟のほか、ご門人は」
「ありません」
吹雪の中で、張飛は、さもさも
「
玄徳は、振り向いて、
「野人。静かにせい」と、叱った。
そして、均にむかい、
「かく、お
「いえ、いえ。たびたび
「なんぞ先生の回礼を待たん。また日をおいて、自身おたずねするであろう。ねがわくは、紙筆を貸したまえ。せめて先生に一筆のこして参りたく思う」
「おやすいこと」
諸葛均は、立って、
筆の穂も凍っている。玄徳は
漢の左将軍宜城 の亭侯司隷校尉 領予州の牧 劉備 。
歳 両番 を経て相謁 して遇 わず、空しく回 っては惆悵 怏々 として云うべからざるものあり。切に念 う、備や漢室の苗裔 に生れ忝 けなくも皇叔に居、みだりに典郡の階に当り、職将軍の列に係 る。
伏して観る、朝廷陵替 、綱紀 崩擢 、群雄国に乱るの時、悪党君をあざむくの日にあたりて、備、心肺ともに酸 く、肝胆 ほとんど裂く。
玄徳はここで筆を按じ、瞳を、外の伏して観る、朝廷
張飛は、聞えよがしに、
「ううっ、たまらぬ。
それを耳にもかけない玄徳であった。さらに、筆を
先生の
建安十二年十二月吉日再拝
「おすみになりましたか」
「先生がお帰りになられたらはばかりながらこの書簡を座下に呈して下さい」
云いのこして、玄徳は堂をおり、関羽、張飛をつれて、黙々、帰って行った。
門外に出て、馬を寄せ、すでにここを去ろうとした時である、送ってきた童子は客も捨てて彼方へ高く呼びかけていた。
「老先生だ。――老先生! 老先生!」
童子は待ちきれず、彼方へ馳けだして行った。
玄徳の一行もやや進んでいた。
孔明の家の長い
見ると今、そこを渡ってくる
籬の角から
老翁はそれを仰ぐと、
一夜北風寒し
万里
雲 厚く
長空雪は乱れ飄 る
改め尽す山川の旧 きを
白髪の老衰翁
盛んに皇天の祐 を感ず
驢 に乗って小橋を過ぎ
独り梅花の痩せを嘆ず
玄徳は、詩声を聞いて、その高雅その志操を察し、かならずこの人こそ、孔明であろうと、橋畔に馬を捨てて、万里

長空雪は乱れ
改め尽す山川の
白髪の
盛んに皇天の
独り梅花の痩せを嘆ず
「待つこと久し。先生、ただ今、お帰りでしたか」と、呼びかけた。
老翁は、びっくりした容子で、すぐさま馬をおり、礼をかえして、
「てまえは、臥龍の
またしても、人違いだったのである。孔明の妻、黄氏の父だった。玄徳は、
「そうでしたか。私は新野の玄徳ですが、臥龍の
「さあ。てまえもこれからその婿をたずねに行く途中ですが、……それでは今日も留守ですかい」
やれやれといわぬばかりに、老翁は眉を降りしきる雪に上げて考えていたが、
「ここまで来たこと、てまえは娘にでも会いましょう。ひどい雪じゃ、途中の坂道をお気をつけなされ」と、ふたたび驢馬に乗って立ち別れた。
意地悪く、雪も風もやまない。道の
いくら
嫁えらみも、たいがいに
孔明さんがよい手本
択 りに択ったその末が
醜女 のあしょうを引きあてた。
と、笑い孔明さんがよい手本
孔明の新妻が、
さっき小橋で出会ったのが嫁さんの父親である。その
(われに一女あり、色は黒く、髪は
と、断って嫁がせたというほどであるから、親でも自慢できなかった不美人だったにちがいない。
居酒店の前を通りながら、その俚謡を耳にした張飛は、玄徳へいった。
「どうです、あの
玄徳は返辞もしなかった。満天の雪雲のように、彼の面は怏々と閉じていた。
年はついに暮れてしまった。
あくれば建安十三年。
そして、関羽、張飛をよび、
「三度、孔明を訪れん」と、触れだした。
ふたりとも歓ばない顔をした。口を揃えて諫めるのである。
「すでに両度まで、
「否!」
玄徳の信はかたかった。
「関羽は春秋も読んでいよう。
関羽は、長嘆して、
「あなたが賢人を慕うことは、ちょうど
すると張飛は、横口をさし入れて、こう大言した。
「いやいや、文王が何だ。太公望が何者だ。われら三人が、武を論ぜんに、誰か天下に肩をならべる者やある。それを、たった一人の農夫に対して、
「張飛は、近頃また、持ち前の
「むかし、周の文王が、
云い捨てて、玄徳は早、城中から馬をすすめていた。
ひどく叱られて、張飛は、一時ふくれていたが、関羽も供についてゆくのを見ると、
「一日たりとも、
と、後から追いかけて、供のうちに加わった。
春は浅く、残んの雪に、まだ風は冷たかったが、清朗の空の下、道は
やがて、臥龍の岡につく。
駒をおりて、玄徳は、歩行してすすむこと百歩、
「臥龍先生はご在宅か」と、
「おお……」
相見れば、それはいつぞやの若者――
「ようこそ、お越しなされました」
「きょうは、お兄上には?」
「はい。昨日の暮れ方、家に帰って参りました」
「おお。おいでですか!」
「どうか、お通りあって、ご随意にお会いくださいまし」
均は、そういうと、ただ
張飛は見送って、
「案内にも立たず、勝手に会えとは、何たる非礼。
と、何かにつけて、腹ばかり立てていた。
いつもは開いているそこの木戸が、今日のみは閉まっていた。ほとほと訪れて叩くと、
「どなたですか」
内から開けて、顔をだしたのは、いつも取次に出る童子だった。
玄徳は、笑顔をたたえ、
「おお仙童。たびたび労をわずらわして、大儀ながら、先生に報じくれぬか。新野の玄徳が参ったと」
すると童子も、きょうは日頃とちがって、ことばつきまで丁寧に、
「はい。先生は家においでなさいますが、いま草堂で
「お午睡中か。……では、そのままにしておいて下さい」
そして関羽と張飛に、
「そち達は、内門の外に控えておれ。――お眼ざめになるまでしばしお待ちしよう」
と、独り静かに入って行った。
草堂の周りは早春の光なごやかに幽雅な風色につつまれている。ふと、堂上を見れば、
これなん、孔明その人ならんと、玄徳は階下に立ち、
白い、小蝶が、
中天にあった陽は、書堂の壁を、一寸二寸とかげってきた。――玄徳は
「あーっ。眠くなった。
こう大あくびを放って、無作法にいう声が、
「……おや。家兄は、階下にたったままじゃないか」
張飛は、墻の破れ目から、中をのぞきこんでいたが、たちまち、面に朱をそそいで、関羽へ喰ってかかるように云った。
「ふざけた真似をしていやがる。まあ、中をうかがってみろ。われわれの主君を、一刻余りも階下に立たせておいたまま、孔明は牀の上で、ゆうゆうと午睡していやがる。……なんたる無礼、
「しっ。しっ……」
関羽は、また彼の
「
「いや、聞えたってかまわん。あの
「ばかな真似をするな」
「いいよ。離せ」
「また悪い癖を出すか。さような無茶をすると、貴様の髯に火をつけるぞ」
ようやくなだめているうちにも、書窓の
「…………」
ふと、孔明は寝がえりをうった。
起きるかと見ていると、また、そのまま、壁のほうへ向って、昏々と眠ってしまう。
童子がそばへ寄って、呼び起そうとするのを、玄徳は階下から、黙って、首を振ってみせた。
そしてまた、半刻ほど経った。
すると、寝ていた人は、ようやく眼をさまし、身を起しながら、低声微吟して
大夢誰かまず覚 む
平生我れ自ら知る
草堂に春睡 足 って
窓外に日は遅々 たり
吟じおわると、孔明は、身をひるがえして、平生我れ自ら知る
草堂に
窓外に日は
「童子、童子」
「はい」
「たれか、客が見えたのではないか。そこらに人の気はいがするが」
「お見えです、
「……劉皇叔が」
孔明は切れの長い眼を、しずかに玄徳のほうへ向けた。
「なんで早く告げなかったか」
孔明は、童子にいうと、つと、後堂へ入って行った。口をそそぎ、髪をなで、なお、衣服や冠もあらためて、ふたたび出てくると、
「失礼しました」と、謹んで、客を迎え、なおこういって詫びた。
「一睡のうちに、かかる神雲が、
玄徳は、たえず微笑をもって、
「なんの、神雲は、この家に常にただようもの。わたくしは、漢室の

「ご謙遜でいたみ入る。自分こそ、南陽の一田夫。わけて、かくの如く、至って
孔明は、茶をすすりながら、
「旧冬、雪の日に、お
「…………」
玄徳はまず彼の
すがたは、坐していても、

たとえていえば眉に江山の秀をあつめ、胸に天地の機を蔵し、ものいえば、風ゆらぎ、袖を払えば、
「いやいや。あなたをよく知る
「司馬徽や徐庶は、世の高士ですが、自分はまったく、ありのままな、一農夫でしかありません。何で、天下の
「石を玉と見せようとしてもだめなように、玉を石と仰せられても、信じる者はありません。いま、先生は経世の奇才、救民の天質を備えながら、深く身をかくし、若年におわしながら、早くも山林に
「それは、どういうわけですか」
「国みだれ、民安からぬ日は、孔子でさえも民衆の中に立ちまじり、諸国を教化して歩いたではありませんか。今日は、孔子の時代よりも、もっと痛切な国患の
再拝、
「…………」
孔明は、細くふさいでいた睫毛を、こころもち開いて、静かな眸で、その人の容子を、ながめていた。