「この大機会を逸してどうしましょうぞ」
という
「まず、
「甘寧にござりますが」
「おお、来たか」
「いよいよ敵へお
「然り。――汝に命ずる」
周瑜は厳かに、軍令をさずけた。
「かねての計画に従って、まず、味方の内へまぎれこんでいる
「心得ておりまする」
「汝はまず、その一名の蔡仲を案内者として、曹操に降参すと
「承知しました。して残る一名の蔡和はいかがいたしますか」
「蔡和は、べつに使いみちがあるから残して行くがよい」
甘寧が退がって行くと、周瑜はつづいて、
「貴下は、三千余騎をひっさげて、黄州の堺に進出し、

第三番目に、
呂蒙に向っては、
「兵三千をひいて、烏林へ渡り、甘寧と一手になって、力戦を
と命じ、第四の
「
と、それへも兵三千をあずけ、さらに、
こうして、先鋒六隊は、白旗を目じるしとして、早くも打ち立った。――水軍の船手も、それぞれ活溌なうごきを見せていたが、かねてこの一挙に反間の計をほどこさんものと手に
「いよいよ時節到来。今夜の二更に、呉の兵糧軍需品を
と、云い送った。
ひそやかに、誠しやかに、こう曹操の方へは、諸事、しめし合わせを運びながら、黄蓋は着々とその夜の準備をすすめていた。まず、二十艘の火船を先頭にたて、そのあとに、四隻の兵船を
すでに宵闇は迫り、江上の風波はしきりと
何となく生温かい。そして気だるいほど、陽気はずれな晩だった。
そのためか、江上一帯には、水蒸気が立ちこめていた。
三百余艘の
後陣として続いてゆく一船列は、右備え

その夕。
呉主孫権の本軍は、旗下の勢とともに、すでに黄州の境をこえて、前進していた。
「いまはただ夜を待つばかりにて候う」と、報じた。
かくて、刻々と、暮色は濃くなり、長江の波音もただならず、暖風しきりに北へ吹いて、飛雲団々、天地は不気味な形相を呈していた。
× × ×
ここに夏口の玄徳は、以来、孔明の帰るのを、一日千秋の思いで待ちわびていたところ、きのうから季節はずれな
「孔明を迎えて来い」
と、ゆうべその船を立たせ、今朝も望楼にあがって、今か今かと江を眺めていた。
すると、一艘の小舟が、
近づいて見ると、孔明にはあらで、

楼上に迎えて、
「何の触れもなく、どうして急に参られたか」と、問うと、

「昨夜来、物見の者どもが、下流から続々帰って来て告げることには、呉の兵船、陸兵など、
「いや、夜来
「ただ今、
「さては、帰りつるか」
と、玄徳は劉

果たして、孔明を乗せた趙雲の舟であった。
玄徳のよろこび方はいうまでもない。互いに無事を祝し、
そして、呉魏両軍の模様を
「事すでに急です。一別以来のおはなしも、いまはつまびらかに申しあげているいとまもありません。君には、味方の者の用意万端、抜かりなく調えておいでになられますか」
「もとより、出動とあらば、いつでも打ち立てるように、水陸の諸軍勢を揃えて、軍師の帰りを待つこと久しいのじゃ」
「然らば、直ちに、部署をさだめ、要地へ向け、指令を下さねばなりません。君にご異議がなければ、孔明はそれから先に済ましたいと思います」
「指揮すべて、軍師の権と
「
「
と、命じた。
趙雲は、畏まって、退がりかけたが、また
「烏林には、二すじの道があります。一条は
「かならず、荊州へ向い、転じて許都へ帰ろうとするだろう。そのつもりでおれば間違いはない」
孔明はまるで
張飛に向っては、
「ご辺は、三千騎をひきつれ、江を渡って、
そして、なお、
「そこの
張飛は、孔明のあまりな予言を怪しみながらも、
「畏まった」と、心得て、直ちにその方面へ馳せ向う。
次に、
「ご辺三人は、船をあつめて、江岸をめぐって、魏軍営、
また、

「武昌は、緊要の地、君かならず守りを離れたもうなかれ。ただ江辺を固め、逃げくる敵あらば、捕虜として味方に加えられい」
最後に、玄徳を誘って、
「いで、君と臣とは、
「かくまでに、戦機は迫っていたか。
と、玄徳も取急いで、
すると、それまで、なお何事も命ぜられずに、悄然と、一方に
「あいや、軍師」と、初めて、この時、ことばを発した。
見れば、そこにただ一人取残されていたのは、関羽であった。
知ってか、知らずか、孔明は、
「おう、羽将軍、何事か」と、振返って、しかも平然たる顔であった。
関羽は、やや不満のいろを、
「先程から、いまに重命もあらんかと、これに控えていたが、なおそれがしに対して、一片のご示命もなきは、いかなるわけでござるか。不肖、
孔明は、
「さなり。御身を用いたいにも、何分ひとつの
「何。障りあると。――明らかに理由を仰せられい。関羽の節義に曇りがあるといわるるか」
「否。ご辺の忠魂は、いささか疑う者はない。けれど、思い出し給え。その以前、御身は曹操に篤う
「何の! それは軍師の余りな思い過ぎである。以前の恩は恩として、すでに曹操には報じてある。かつて彼の陣を借り、顔良、
関羽の切なることばを傍らで聞いていた玄徳は、彼の立場を気の毒に思ったか、孔明に向って、
「いや、軍師の案じられるのも理由なきことではないが、この大戦に当って、関羽ともある者が、留守を命じられていたと聞えては、世上へも部内へも面目が立つまい。どうか、一手の軍勢をさずけ、関羽にも一戦場を与えられたい」と、取りなした。
孔明は、是非ない顔して、
「然らば、万一にも、軍命を怠ることあらば、いかなる罪にも伏すべしという誓紙を差出されい」と、いった。
関羽は、即座に、誓文を
「仰せのまま、それがしはかく認めましたが、もし軍師のおことばと違い、曹操が華容道へ逃げてこなかったら、その場合、軍師ご自身は、何と召されるか」と、
孔明は、微笑して、
「曹操がもし華容道へ落ちずに、べつな道へ
と、約した。
そして、なお、
「足下は、
「おことばですが」と、関羽は、その言をさえぎって、
「峠に
「否々」
孔明は、わらって、
「兵法に、表裏と虚実あり、曹操は元来、虚実の論にくわしき者。彼、行くての山道に煙のあがるを見なば、これ、敵が人あるごとき態を見せかくるの偽計なりと観破し、あえて、
「なるほど」
関羽は、嘆服して、退くと、養子の
そのあとで玄徳は、かえって、孔明よりも、心配顔していた。
「いったい、関羽という人間は、情けに篤く義に富むこと、人一倍な性質であるからは、ああはいって差向けたものの、その期に臨んで、曹操を助けるような処置に出ないとは限らない。……ああ、やはり軍師のお考え通り、留守を命じておいたほうが無事だったかもしれない」
孔明は、その言を否定して、
「あながち、それが良策ともいえません。むしろ関羽を差向けたほうが、自然にかなっておりましょう」と、いった。
玄徳が、不審顔をすると、理を説いて、こうつけ加えた。
「なぜならば――です。私が天文を観じ人命を相するに、この度の大戦に、曹操の隆運とその軍力の滅散するは必定でありますが、なおまだ、曹操個人の命数はここで絶息するとは思われません。彼にはなお天寿がある。――ゆえに、関羽の心根に、むかし受けた曹操の恩に対して、今もまだ報じたい情があるなら、その人情を尽くさせてやるもよいではありませんか」
「先生。……いや軍師。あなたはそこまで洞察して、関羽をつかわしたのですか」
「およそ、それくらいなことが分らなければ、兵を用いて、その要所に適材を配することはできません」
云い終ると、孔明は、やがて下流のほうに、
生温い異様な風だ。
きのうからの現象である。――さてこの前後、曹操の起居は如何に。魏の陣営は、どう動いていたろうか。
「これは不吉な天変だ。味方にとって歓ぶべきことではない」
こういっていたのは、

「丞相よろしく賢察し給え」と、あえて智を誇らなかった。
すると曹操はいった。
「何でこの風が味方に不吉なものか。思え。時はいま
こんな所へ、江南の方から一舟が
「
「なに、黄蓋から?」
待ちかねていたらしい。曹操は手ずから封を切った。読み下すひとみも何か
書中の文にいう。
かねての一儀、周瑜 が軍令きびしきため、軽率にうごき難く、ひたすら好機を相待つうち、時節到来、先頃より
陽湖 に貯蔵の粮米 そのほかおびただしき軍需の物を、江岸の前線に廻送のことあり、すなわち某 を以てその奉行となす。天なる哉 、この冥護 、絶好の機逸すべからず。万計すでに備われり。かねがねご諜報いたしおきたる通り、今夜二更の頃、それがし、江南の武将の首をとり、あわせて、数々の軍需の品、粮米を満載して、貴陣へ投降すべし。降参船にはことごとく檣頭 に青龍の牙旗を立つ。ねがわくは丞相の配下をして、誤認なからしめ給わんことを。
建安十三年冬十一月二十一日
「いかがいたしたかと案じていたが、さすが老巧な
建安十三年冬十一月二十一日

と、曹操は大いに歓んで、各部の大将に旨を伝え、自身もまた多くの旗下と共に
この日、落日は鉛色の雲にさえぎられ、暮るるに及んで、風はいよいよ烈しく、江上一帯は波高く、千億の黄龍が躍るかとあやしまれた。
× × ×
さるほどに、宵は迫り、呉の陣営にも、ただならないものがあった。
すでに、黄蓋や甘寧も、陣地を立ち、あとの留守には、
突然、一隊の兵が来て、
「周都督のお召しである。すぐ来い」
有無をいわせず、彼を囲んで、捕縛してしまった。
蔡和は、仰天して、
「それがしに何の罪やある!」と叫んだが、
「仔細は知らん。云い開きは、都督の前でいたせ」と、兵は
彼を見るやいな、
「汝は、曹操の間諜であろう。出陣の血まつりに、
蔡和は、

「それはみな、自分がさせた
と、耳もかさず、一閃の下に
時すでに初更に近かった。
「それ、
このときもう先発の第一船隊、第二船隊、第三船隊などは、舳艫をそろえて、江上へすすんでいた。
黄蓋の乗った旗艦には、特に「
宵深まるにつれて、烈風は
三江の水天、夜いよいよ深く
万条の銀蛇 、躍るが如し
戦鼓 鳴 を止 めて、舷々 歌う
幾万の夢魂、水寨にむすぶ
魏の北岸の陣中で、誰か万条の
幾万の夢魂、水寨にむすぶ
「誰だ、歌っているのは」とかたわらの

「艦尾に番している哨兵です。丞相が詩人でいらっしゃるので、おのずから部下の端にいたるまで、詩情を抱くものとみえます」
「ははは。詩はまずいが、その心根はやさしい。その哨兵をこれへ呼んでこい。一杯の酒を褒美にくれてやろう」
旗下の一人が、すぐ席を起って、艦尾へ走りかけたが、それとほとんど同時に、
「――やっ? 船が見える。たくさんな船隊が、南のほうからのぼって来る!」
と、
「なに、船隊が見える?」と、諸大将、旗本たちは、総立ちとなって、
――見れば、荒天の下、怒濤の中を続々と連なって来る船の帆が望まれる。月光はそれを照らして、鮮やかにするかと思えば、またたちまち、雲は月をおおうと、
「旗は見えんか。――青龍の
下からいう曹操の声だった。
船楼の上から、諸大将が、口をそろえて答えた。
「見えます、
「すべての船の
「青旗のようですっ。――青龍の牙旗。まちがいはありません」
曹操は、喜色満面に、
「そうかっ。よしっ」
と、うなずいて、自身、
するとまた、そこにいた番の大将が、
「遠く、後方から来る一船団のうちの大船には、『
曹操は、膝を打って、
「それそれ。それこそ、
「よろこべ一同。すでに呉は敗れたり。わが

「や、や? ……いぶかしいぞ。油断はならん」と、味方の人々を
曹操は、聞き咎めて、むしろ不快そうに、
「程

程

「兵糧武具を満載した船ならば、かならず
聞くと、さすがは、曹操であった。一言を聞いて万事を覚ったものとみえる。
「ううむ! いかにも」と、大きく唸って、その眼を、風の中に、
後の策は、後の事として、取りあえずそう命令した。
「おうっ」と答えて、
「それがしが防ぎとめている間に、早々、大策をめぐらし給え」
と、旗艦から小艇へと、乗り移って行ったのは、
文聘は、近くの兵船七、八隻、快速の小艇十余艘をひきつれて、波間を
「待ち給え。待たれよ」
と、
「曹丞相の命令である。来るところの諸船は、のこらず水寨の外に
すると、答えもないばかりか、依然、波がしらを噛んで疾走して来た先頭の一船から、びゅんと、一本の矢が飛んできて文聘の左の
わっと、文聘は船底へころがった。同時に、
「すわや。降参とは
と、船列と船列とのあいだには、まるで
このとき、呉の奇襲艦隊の真中にあった
黄蓋は、船楼にのぼって、指揮に声をからしていたが、腰なる刀を抜いて、味方の一船列をさしまねき、
「今ぞっ、今ぞっ、今ぞっ。曹操が自慢の巨艦大船は眼のまえに展列して、こよいの襲撃を待っている。あれ見よ、敵は混乱狼狽、なすことも知らぬ有様。――それっ、突込め! 突込んで、縦横無尽に暴れちらせ!」と、激励した。
かねて、巧みに偽装して、先頭に立てて来た一団の爆火船隊――
ぐわうっと、
火の鳥の如く水を
なんで
もっと困難を極めたのは、例の
なにが
しかも、この猛炎の津波と火の粉の
「火攻めの計は首尾よく成ったぞ。この機をはずさず、北軍を撃滅せよ」
呉の水軍
優勢なる彼の位置に反して、ここに無残な混乱の中にあったのは、曹操の坐乗していた北軍の旗艦とその前後に集結していた中軍船隊である。
「小舟を降ろせ。右舷へ小舟をっ――」
と、黒煙の中で叫んでいたのは程

曹操を囲んで、炎の中から逃げようとする幕将にはちがいないが、その何人なるやさえも定かでなかった。
「迅くッ。迅く!」と、舷へ寄せた一小艇は、焔の下から絶叫する。
「おうっ」
「おうっ。いざ丞相も」
ばらばらと、幕将連はそれへ跳びおりた。曹操も躍り込んだ。各

けれど、それを見つけた呉の
「生捕れっ、曹操を!」
「のがすな、敵の大将を」
と、四方から波がしらと共に追ってくる。
波の上には
すると一艘の
「逃ぐるは
と、熊手を抱えて、
「推参な!」
と、曹操の側から、張遼が突っ立って、手にせる鉄弓からぶんと一
あわてた呉兵が、黄蓋の姿を水中に求めているまに、からくも曹操は、烏林の岸へ逃げあがった。しかし、そことて、一面の火焔、どこを見ても、面も向けられない熱風であった。
一時は、
「――夢じゃないか?」
顧みて曹操は、茫然とつぶやいた。さもあろう。一瞬の前の天地とは、あまりな相違である。
対岸の赤壁、北岸の烏林、西方の
「夢ではない! ああっ……」
曹操は、一嘆、大きく空へさけんで、落ち行く馬の背へ飛び乗った。
八十余万と称えていた曹操の軍勢は、この一敗戦で、一夜に、三分の一以下になったという。
溺死した者、焼け死んだ者、矢にあたって
けれど、犠牲者は当然呉のほうにも多かった。
「救えっ。救うてくれっ」と、まだ乱戦中、波間に声がするので、呉将の
肩に矢をうけている。
韓当は、
このほか、呉の
誰か、その中の一人は、蔡仲を斬りころし、その首を槍のさきに刺して駈けあるいていた。
こんな有様なので、魏軍はその一隊として、戦いらしい戦いを示さなかった。逃げる兵の上を踏みつけて逃げまろんだ。敵に追いつかれて樹の上まで逃げあがっている兵もある。それが見るみるうちに、バリバリと、樹林もろともに焼き払われてしまう。
「丞相、丞相。
後から駈けてくる
駈けても駈けても
「おうーいっ。張遼ではないか。おおういッ」
後から追いついて来た十騎ばかりの将士がある。味方の

「ここはどの辺だ」
息をあえぎながら曹操は振向く。
張遼がそれに答えた。
「この辺もまだ
「まだ烏林か」
「林のつづく限り平地です。さしずめ敵勢も迅速に追いついて来ましょう。休んでいる間はありません」
総勢わずか二十数騎、曹操はかえりみて、
たのむは、馬の健脚だった。さらに鞭打って、後も見ずに飛ぶ。
すると、林道の一方から、火光の中に旗を打振り、
「曹賊っ。逃げるなかれ」
と呼ばわる者がある。呉の呂蒙が兵とこそ見えた。
「あとは、それがしが
しかしまた、一里も行くと、
「呉の
曹操は、
ところが、そこにも、一手の兵馬が潜んでいたので、彼は、しまったと叫びながら、あわてて馬をかえそうとすると、
「丞相丞相。もう恐れ給うことはありません。ご
「おうっ、徐晃か」
曹操は、大息をついて、ほっとした顔をしたが、
「張遼が苦戦であろう。扶けて来い」と、いった。
徐晃は、一隊をひいて、駈け戻って行ったが、間もなく、敵の
そこで曹操主従はまた一団になって、東北へ東北へとさして落ちのびた。
すると、一
「敵か」と、徐晃、張遼などが、ふたたび苦戦を覚悟して物見させると、それはもと、

ふたりは、早速、曹操に会いにきた。そしていうには、
「実は、われわれ両名にて、北国の兵千余を集め、烏林のご陣へお手伝いに参らんものと、これまで来たところ、昨夜来の猛風と満天の火光に、行軍を止め、これに差し控えて万一に備えていたわけです」
曹操は大いに力を得て、馬延、張

そして十里ほど行くと、味方の倍もある一軍が、真っ黒に立ちふさがり、ひとりの大将が、駒を乗り出して何かいっている。――馬延は、自分に較べて、それも多分味方ではないかと思い、
「何者か」と、先へ近づいて訊いた。
すると、
「われこそは呉に彼ありともいわれた
云いも終らぬうち、馬躍らせて近寄りざま、馬延を一刀のもとに斬り落した。
後ろにいた張

「さては呉の大将か」と、槍をひねって、突きかかったが、それも甘寧の敵ではなかった。
眼の前で、張

幸いに、彼を探している残軍に出会ったので、
「あとから来る敵を防げ」と、馬も止めずに命じながら、鞭も折れよと、駈けつづけた。
夜はすでに、五更の頃おいであった。振りかえると、赤壁の火光もようやく遠く薄れている。曹操はややほっとした面持で、駈け遅れて来る部下を待ちながら、
「ここは、何処か」と、左右へたずねた。
もと
「――烏林の西。
「宜都の北とな。ああそんな方角へ来ていたか」
と曹操は、馬上から、しきりに附近の山容や地形を見まわしていた。
「あはははは。あははは」
――突然、曹操が声を放って笑い出したので、前後の大将たちは奇異な顔を見合わせて彼にたずねた。
「丞相。何をお笑いになるのですか」――と。
曹操は、答えていう。
「いや、べつだんな事でもない。今このあたりの地相を見て、ひとえに
敗軍の将は兵を語らずというが――曹操は馬上から四林四山を指さして、なお、幕将連に兵法の実際講義を一席弁じていた。
ところが、その講義の終るか終らないうちに、たちまち左右の森林から一隊の軍馬が突出して来た。そして前後の道を囲むかと見えるうちに、
「常山の子龍
という声が聞えたので、曹操は驚きのあまり、危うく馬から転げ落ちそうになった。
敗走、また敗走、ここでも曹操の残軍は、さんざんに痛めつけられ、ただ張遼、徐晃などの善戦によって、彼はからくも、虎口をまぬがれた。
「おう! 降ってきた」
無情な天ではある。雨までが、敗軍の将士を
雨は、
「――部落があるぞ」
ようやく、夜が白みかけた頃、一同は貧しげな山村にたどりついていた。
浅ましや、丞相曹操からして、ここへ来るとすぐいった。
「火はないか。何ぞ、
彼の部下は、そこらの農家へ争って入りこんで行った。おそらく掠奪を始めたのだろう。やがて
けれど、火を
「すわ。敵だっ」と、またまた、逃げるに急となったからである。
「敵ではないっ。敵ではないっ」と、その敵はやがて追いかけて来た。何ぞ知らん、味方の大将の李典、

「やあ、許

焼け跡から焼けのこった宝玉を拾うように、曹操は歓ぶのだった。やがて共々、馬を揃えて、道をいそぐ。――陽は高くなって、夜来の大雨もはれ、皮肉にも
「さればです」と、幕将のひとりがいう。
「――一方は、
「いずれへ出たほうが、許都へ向うに近いのか」
「南夷陵です。途中、
「さらば、南夷陵へ」と、すぐその道をとって急いだ。
「やすめっ。――休もう」
下知をくだすや否、彼は馬を降りた。そして、先に部落から掠奪して来た食糧を一ヵ所に集め、柴を積んで

「ああ、やっとこれで、すこし人心地がついた」と、将士はゆうべからの濡れ鼠な肌着や
「ははは。あははは」
と、独りで笑いだした。
諸将は、何か、ぎょッとしたように、彼へ向って云った。
「さきにも丞相は、大いにお笑いになって、まさか、そのためでもありますまいが、趙雲子龍の追手を引き出しました。今また、何をそうお笑いになるのですか」
曹操は、なお、笑っていう。
「孔明、
そのことばが、まだ終らぬうちに、たちまち、
中に、声あって、
「曹操、よくぞ来た。
あなやと思うまに、丈八の

「張飛だっ」
名を聞いただけでも、諸将は

「丞相の危機。近づけては」と、あわてて、鞍もない馬へ飛び乗り、猛然、駈け寄ってきた張飛の前に立って戦い、ややしばし、喰い止めていた。
その間に、
「すわこそ」と、張遼、徐晃など、からくも鎧を取って身にかぶり、曹操を先へ逃がしておいてから、馬を並べて、張飛へかかって行った。
とはいえ、張飛のふりまわす一丈八尺の蛇矛には、当るべくもない。その敵を討つというよりは、彼の猛烈な突進を、少しの間でも防ぎ支えているのがやっとであった。
曹操は、耳をふさぎ、眼をつぶって、数里の間は生ける心地もなくただ逃げ走った。やがてちりぢりに味方の将士も彼のあとを慕って追いついて来たが、どれを見ても、傷を負っていない者はない有様だった。
「また
曹操の質問に、
「いずれも
と、地理にくわしい者が答えた。
曹操は聞くと、うなずいて、山の上へ部下を走らせた。部下は立ち帰ってきてから復命した。
「山路のほうをうかがってみますと、彼方の峠や谷間の諸所から、ほのかに、人煙がたち昇っております。必定、敵の伏兵がおるに違いございません」
「そうか」と、曹操は、眉根をきっと落着けて、
「しからば、山路を経て行こう。者ども、山越えしてすすめ」と、先手の兵へ下知した。
諸大将は驚きかつ怪しんで、
「山路の
曹操は、苦笑を示して、
「我れ聞く。この
「敵の火の手をご覧ありながら、しかもその嶮へ向われようとは、あまりな物好きではありませんか」
「そうでない。汝らも覚えておけ。兵書にいう。――虚ナル
「さすがは丞相のご深慮」と、感服しないものはなかった。
こうしている間にも、後から後から、残兵は追いつき、今は敗軍の主従一団となったので、
「はやく荊州へ行き着きたいものだ。荊州までたどり着けば、何とかなろう」
と、あえぎあえぎ華容山麓から峰越えの道へ入った。
けれど気はいくらあせっても、馬は疲れぬいているし、負傷者も捨てては行けず、一里登っては休み、二里登っては憩い、十里の山道をあえぐうち、もう先陣の歩みは、まったく遅々として停ってしまった。――折から山中の雲気は
難路へかかったため、全軍、まったく進退を失い、雪は吹き積もるばかりなので、曹操は
「どうしたのだ、先鋒の隊は」
前隊の将士は、泣かんばかりな顔を揃えて、
「ゆうべの大雨に、諸所、崖はくずれ、道は消え失せ、それに至るところ
曹操は、
「山に会うては道を
そして、彼自身、下知にかかった。傷兵老兵はみな後陣へ引かせ、屈強な壮士ばかりを前に出して、附近の山林を
「寒気に
剣を抜いて、彼は、土工を督した。泥と戦い、渓流と格闘し、木材と組み合いながら、まるで
「あわれ、
「死生自ら命ありだ。なんの怨むことやある。ふたたび
こうして、凄まじい努力とそれを励ます叱咤で、からくもようやく第一の難所は越えたが、残った士卒をかぞえてみるとわずか三百騎足らずとなり終っていた。
ことに、その武器と
「もうわずかだ。目的の荊州までは、難所もない」
曹操は、鞭を指して、将士のつかれた心を
「あとは、ただ一息だ。はやく荊州へ行き着いて、大いに身を休めよう。頑張れ、もう一息」
と、励ました。
そして、峠を越え、約五、六里ばかり急いで来ると、曹操はまた、鞍を叩いて独り哄笑していた。
諸将は、曹操に向って、
「丞相。何をお笑いなさいますか」と、訊ねた。
曹操は、天を仰いで、なお、大笑しながら、
「
「これがおかしくなくてどうするか。あははは、わははは」と、肩を揺すぶりぬいた。
ところが、その笑い声のやまないうちに、一発の鉄砲が彼方の林にとどろいた。たちまちに見る前面、後方、ふた手に分れて来る雪か人馬かと
「最期だっ。もういかん!」
一言、絶叫すると、曹操はもう観念してしまったように、茫然戦意も失っていた。
彼ですらそうだから、従う将士もみな、
「関羽だ。関羽が

「いや何も、そう死を急ぐにはあたりません。どんな絶望の底にあろうと、最後の一瞬でも、一
「…………」
曹操は、ふと
「おうっ……羽将軍か」
ふいに、曹操は、自身のほうからこう大きく呼びかけた。
そして、われから馬をすすめ、関羽の前へ寄るや否、
「やれ、久しや、懐かしや。将軍、別れて以来、つつがなきか」と、いった。
それまでの関羽は、さながら天魔の
「おう、丞相か」と、馬上に
「――まことに、思いがけない所で会うものかな。本来、
曹操は、歯を噛み合わせて、複雑な微笑をたたえながら云った。
「やよ、関羽。――英雄も時に悲敗を喫すれば惨たる姿じゃ。いま、われ戦いに敗れて、この山嶮、この雪中に、わずかな
「あいや、おことば、ご卑怯に存ずる。いかにも、むかし許都に在りし日、丞相のご恩を厚くこうむりはしたものの、従って、白馬の戦いに、いささか献身の報恩をなし、丞相の危急を救うてそれに
「いや、いや。過去の事のみ語るようだが、将軍がその主玄徳の行方をなお知らず、主君の二夫人に仕えて、敵中にそれを守護されていたことは、私の勤めではあるまい。奉公というものであろう。曹操が乏しき仁義をかけたのは、ご辺の奉公心に感動したからだった。誰かそれを私情といおうや。――将軍は春秋の書にも明るしと聞く。かの

――ふと見れば、曹操のうしろには、敗残の姿も
「あわれや、主従の情。……どうしてこの者どもを討つに忍びよう」
ついに、関羽は情に負けた。
無言のまま、駒を取って返し、わざと味方の中へまじって、何か声高に命令していた。
曹操は、はっと我にかえって、
「さては、この間に逃げよとのことか」
と、士卒と共に、あわただしくここの峠から駈け降って行った。
すでに曹操らの主従が、麓のほうへ逃げ去った頃になって関羽は、
「それ、道を
すると、途中、一軍のみじめなる軍隊に行き会った。
見れば、曹操のあとを慕って行く
「ああ惨たるかな」と、関羽は、敵のために涙を催し、
張遼と関羽とは、
こうして虎口の難をのがれた張遼は、やがて曹操に追いついて合体したが、両軍合わせても五百に足らず、しかも
「ああ。かくも、悲惨な敗北を見ようとは……」と、相顧みて、しばし
この日、夕暮に至って、また行く手の方に、猛気旺な一軍の来るのとぶつかったが、これは死地を設けていた伏勢ではなく、
曹仁は、曹操の無事な姿を見ると、うれし泣きに泣いて、
「赤壁の敗戦を聞き、すぐにも駈けつけんかと思いましたが、南郡の城を空けては、後の守りも不安なので、ただご安泰のみを祈っていました」と、曹操が生きて帰ってくれたことだけでも、無上の歓喜として、今はかえって怨むことも知らなかった。
曹操もまた、「今度ばかりは、二度とこの世でそちに会うこともないかと思った」と、語りながら、共に南郡の城へ入って、赤壁以来、三日三夜の疲れをいやし、ようやく、生ける身心地をとり戻した。
戦塵の
「……ああ。ああ」と、
付添う人々は、怪しんで、彼に問うた。
「丞相、どうして、そんなにお
すると曹操は、かぶりを振りながら、
「夢に故人を見たのだ。――
と、胸を打って、
「哀しいかな
それから、曹仁を近く呼んで、
「予に
この荊州の南郡から

で、曹操は、都に帰るに際して、ふたたび曹仁へこう云い残した。
「この一巻のうちに、こまごまと、
また、襄陽城の守備としては、

こう万全な手配りをすまして、曹操はやがてここを去ったが、左右の大将も士卒もあらかた後の防ぎに残して行ったので、その時、曹操に従って都へかえった数は、わずか七百騎ほどに過ぎなかったという。
その頃――
夏口城の城楼には、
張飛、趙雲、そのほかの士卒は、みな戦場から立帰って、敵の首級や
閣の庁上では、玄徳を中心に、孔明も立って、戦勝の賀をうけていたが、折ふしここへ、関羽もその手勢と共に戻って来て、
「おお、羽将軍か。君にも待ちかねておわしたぞ。曹操の首を引っさげて来たものはおそらくあなたであろう」
「…………」
「将軍。どうして、そのように不興気な顔をしてうつ向いておらるるか。いざ、功を述べて、勲功帳に記録を仰ぎたまえ」
「いや、……べつに何も……」
関羽は益

孔明は、眉をひそめながら、
「どうなされたのか。べつに何も……とは?」
「実は。……それがしのこれに来たのは、功を述べるためではなく、罪を請うためでござる。よろしく軍法に照らして罰せられたい」
「はて。……では、曹操はついに
「軍師のご先見にたがわず、
「なに、討ち損じたと……あの赤壁から潰走した敗残
「……でも、ござらぬが。……つい、取り逃がしました」
「然らば、曹操は討たずとも、その手下の大将や士卒は、どれほど討ち取られたか」
「ひとりも生捕りません」
「挙げたる首級は」
「一箇もなし――でごさる」
「ウーム。……そうか」
孔明は、口をつぐんで、あとはただその澄んだ眸をもって、彼をながめているだけだった。
「関羽どの」
「はい」
「さてはご辺には、むかし曹操よりうけた恩を思うて、故意に、曹操の危難を見のがされたな」
「今さら、何のことばもござりませぬ。ただご推量を仰ぐのほかは……」
「だまれっ」
孔明は、その
「王法は、国家の
孔明がこれほど心から怒ったらしい容子を見たのは、玄徳も初めてであった。
めったに怒らない優しい人が怒ったのは、ふつうの者の間でも恐ろしい気がするものである。いわんや軍師の座にあって、謹厳おのれを
「軍師――」と、急に彼のまえに迫って、膝を曲げないばかりに
「わしと、関羽とは、むかし桃園に義を結んで、生死を倶にせんと誓ってある。いわば関羽の死はわしの死を意味する。きょうの罪は
身、主君たる位置にありながら、玄徳は、臣下の一命のために、臣下に対して、ひれ伏さないばかりであった。
何でそれまでを、孔明とて
「
と遂にいった。
× × ×
数万人の捕虜は、赤壁から呉へ運ばれて行った。
呉軍は、そのすべてを包有して、一躍大軍となり、また整備を増強して、江北へ押し渡って来た。
「玄徳から
中軍にある
「ほう、玄徳からとな? ……そうか、すぐ通せ」
周瑜のことばに、使者孫乾は、直ちに案内されて来た。
「ご主君の玄徳や孔明は、目下どこにおられるか」
「されば、
「えっ、油江口に?」
何か、驚いたらしい顔である。それからは、話もはずまなかったが、宴の終る頃、
「いずれ、それがし自身、ご返礼に出向くであろう。よろしく申し伝えてくれ」
と、追い帰すように、孫乾を帰した。
あくる日。――
「都督、きのうは、何であんな意外なお顔をなすったのですか」
「ムム。玄徳が油江口におることでか。それは聞き捨てならんではないか」
「なぜです」
「彼が油江口へ陣を移したとすれば、それは明らかに、南郡を攻め取ろうという野心があるからだ。われわれ呉軍が、莫大な軍馬
「その儀は、
「さっそく、玄徳の陣を訪問したうえ、一本釘を打っておこう。――供の兵馬や贈り物の準備をしてくれい」
「承知しました。私も共に参りましょう」
一方、
「いずれ周瑜が自身で答礼に参るといっておりました」と、話した。
玄徳は、孔明と顔見合わせて、
「これほどな儀礼に、周瑜が自身で答礼に来るというのはおかしい。何のために来るのであろう」
「もちろん、南郡の城が気にかかるので、こちらの動静を見に来るのでしょう」
「もし兵を
「ご心配はありません。まずこんどは探りだけのことでしょう。ご対談のときには、かようにお答え遊ばされい」
孔明は、何事かささやいた。
先触れのあった日、油江口の岸には、兵船をならべ、軍馬兵旗を
周瑜は、随員と守護の兵三千騎を連れて、船から上陸した。――見るに、陸上にも江辺にも、兵馬や大船が整然と
「案外、馬鹿にはならぬ兵力を持っておるな」
といわんばかりな流し目をくばりながら、趙雲の一隊に迎えられて、陣の
もちろん、玄徳、孔明、そのほかの部将は、篤く出迎え、大賓の礼をとって、会宴の上座へすすめた。
酒、数巡。
玄徳は杯をあげて、しきりに、赤壁の大勝を激賞しながら、
「ときに、引続いて、江北へご進撃と承り、いささか戦いのお手助けを申さんと、急遽、この油江口まで陣を進めて来ましたが、もし周都督のほうで、南郡をお取りになるご意志がなければ、玄徳の手をもって、攻め取りますが」と、軽くいった。
すると、周瑜も、気軽に笑って、戯れた。
「どう致しまして――。とんでもない。呉が
「けれど、世の
周瑜は、眉のあいだに、憤然と
「もし、それがしの手に
「ほ。そうですか。それはかたじけない。――ここには、魯粛、孔明という生き証人もいること、都督の今のおことばをよく聞いておいてもらいたい」
「大丈夫の一言、何の、証人などが要ろう」
「あとでご後悔はありますまいな」
「ばかな」
周瑜は、一杯を干して、また一笑した。
そのそばから孔明はこういって、
「さすがに、周都督の一言は、呉の大国たる貫禄を示すに余りある公論というものです。荊州の地は、当然まず呉軍からお攻めあるのがほんとです。そして万が一にも、呉の手にあまったときは、
周瑜らが帰った後である。
玄徳は、嘆かわしい顔して、孔明を責めた。
「――周瑜と対談の時は、ああ云え、こう答えよと、先生がこの玄徳に教えたので、予はその通りに応対していた。それなのに、先生自身、周瑜に向って、南郡を取れといわんばかり励まして帰したのは一体どういうつもりか」
「その以前、私が荊州をお取りなさいと、あんなにおすすめ申したのに、君にはさらに耳へお入れがなかった」
「わが一族、わが味方、
「ご心配には及びません。べつに孔明に一計があります。近いうちに必ず君を南郡城に入れてご覧にいれまする」
周瑜は、自軍の陣へ帰ると、すぐに南郡城へ向って、猛烈な行動を起すべく、指令を出していた。
「玄徳とお会いなされた折、なぜ彼に対してもし呉軍の手にあまるときは、そっちで南郡を攻め取るも随意だ――などといわれたのですか」
「それは君、ことばの上だけのものさ。人情の
先手五千の兵には、
このときまで、城中の曹仁は、曹操の残して行った
「出るな。守れ」
の一方でただ要害をきびしくするに汲々としていたが、部下の
「要害の守りというものは或る期間だけのものです。古来、陥ちない城というものはない。いますでに呉軍が城下に迫っているのに、城を出てこれを撃つという変もなければ、城中の士気は、消極的になるばかりで、所詮、長く持てるものではありません」
「それも一理ある」
曹仁は、牛金の乞いを容れて、兵五百をさずけ、機を計って奇襲を命じた。
牛金は、城門から突出して、敵の先鋒、丁奉の軍を蹴散らした。丁奉は、牛金を目がけて、一騎打ちを挑んだが、たちまち後ろを見せて逃げ出した。
牛金の五百騎は、逃げる丁奉を追いまくって、つい深入りした。にわかに、さっとかえした丁奉軍は、
「戦況いかに?」と、城中の櫓から眺めていた曹仁は、牛金の危急を見て、自身手勢を率いて、救いに出ようとした。
すると、
「丞相がこの城を託して都へ帰らるる時、何と
と、口を極めて、軽率な戦いを
だが、曹仁は、
「牛金は大事な大将だし、部下五百は、城中で重きをなす精鋭ばかりだ。それを見殺しにするは、この城の自殺にひとしい」とばかり、耳もかさず、馬に打乗り、屈強な兵千余を率いて、城外へ渦まき出たので、陳矯もやむなく櫓へ駈けのぼり、太鼓を打って勢いを添えた。
かくて、曹仁は、呉軍の真只中へ馳け入って、まず徐盛の一角を蹴破り、牛金と合流して、首尾よく彼を救い出した。
けれどまだ、あと五、六十騎の者が、重囲の中に残されているのを知ると、
「よしっ、もう一度行って来る」
と、ふたたび馳け入り、あとの者をも一人もあまさず救出して帰ってきた。
すると、呉の先鋒の大将蒋欽が、道をさえぎって、曹仁を討ち止めようと試みた。けれど曹仁の勇は、それらの阻害を物ともせず、四角八面に奮戦し、また牛金もそれを助け、城中からも曹仁の弟の曹純が加勢に出て、むらがる敵へ当ったので、ついに、その日は首尾よく、目的を達して、
「曹仁ここにあり」
の重きを敵へ知らしめた。
で、城中では、その夜、
「まず、合戦の幸先はいいぞ」
と、大いに勝ち
「敵に数倍する勢を擁しながら、しかも城中から出てきた兵に不意を衝かれるとは何たる
と、蒋欽、徐盛のともがらは、都督
「この上は、自身、南郡の城を一もみに踏みつぶしてみせる」
周瑜は、怒った後で、こう豪語した。
ここ連戦連勝の勢いに誇っていたところなので、蒋欽の些細な一敗も、彼にはひどくケチがついたような気がしたものとみえる。
「ご自身、軽々しい戦いはまずなさらぬほうがよいでしょう」
諫めたのは、
甘寧は、説いた。
「
「――では、どうしたがいいか」
「それがしが三千騎を拝借して、夷陵の城を攻め破りましょう」
「よし。そのまに、南郡の城は、わが手に片づける」
手配はなった。
甘寧は、江を渡って、夷陵城へ攻めかかった。
南郡の城の櫓から、それを眺めた曹仁は驚いた。
「これはいかん。寄手の一部が夷陵へ迫った。夷陵の曹洪は困るだろう。何しろまだ防備が完全でないから」
と、
「ご舎弟の曹純どのに、牛金を副将とし、直ちに急援をおつかわしになったらよいでしょう。夷陵の城が陥ちたら、この南郡城も瀕死になります」と、彼もあわてだした。
そこで曹純と牛金は、にわかに夷陵の救いに馳せつけた。曹純は外部から城内の曹洪と聯絡をとって、
「力によらず、謀略を主として、敵を
甘寧は、それとも知らず、前進また前進をつづけ、敗走する城兵を追い込んで、
「意外にもろいぞ」
と、一挙、占領にかかった。
曹洪も出て奮戦したが、実は、策なので、たちまち支え難しと見せかけて、城を捨てて逃げた。
日暮れに迫って、甘寧の軍勢は、残らず城内へなだれ入り、凱歌をあげて、誇っていたが、なんぞ
この報らせが、呉軍に聞えたので、
「
程普はいう。
「甘寧は、呉の忠臣、見殺しはできません。然りといえど、今、兵力を分けて、夷陵へかかれば、敵は南郡の城を出て、わが軍を挟撃して来ましょう」
「ここの抑えは、
周瑜はうなずいて、さらに、
「凌統。大丈夫か」と、念を押した。
凌統は、ひきうけたが、
「――ただし、十日間がせいぜいです。十日は必ず頑張ってご覧に入れますが、それ以上日数がかかると、それがしはここで討死のほかなきに至るかもしれません」と、いった。
「そんなに日のかかるほどな敵でもあるまい」
と、周瑜は、兵一万に凌統をあとに残して、そのほかの主力をことごとく夷陵方面へうごかした。
途中で、呂蒙が献策した。
「これから攻めに参る夷陵の南には、狭くけわしい道があります。附近の谷へ五百ほどの兵を伏せ、
周瑜は、容れて、
「その計もよからん」と、手筈をいいつけ、さらに、前進して
夷陵の城は
「それがしが参らん」と、
彼は、陣中第一の駿足を選んでそれにまたがり、一鞭を加えて、敵の包囲
ただ一騎、弾丸のように駈けてきた人間を、
「何者だっ」
「待てっ待てっ」と、さえぎった。
周泰は、刀を抜いて剣舞するようにこれを馬上でまわしながら、
「遠く都から来た急使だ。曹丞相の命を帯ぶる早馬なり、貴様たちの知ったことじゃないっ。近づいて蹴殺されるな」と、
その勢いで、二段三段と敵陣を駈け抜けてしまい、遂に、夷陵の城下へ来て、
「甘寧、城門を開けてくれ」と、どなった。
櫓からそれを見た甘寧は、どうして来たかと、驚いて迎え入れた。周泰は云った。
「もう大丈夫。安心しろ。周都督がご自身で救いに来られた。そして作戦はこう……」
と、一切をしめし合い、ここに完全な聯絡をとった。
きのう、おかしな男が、ただ一騎、城中へ入ったというし、それから俄然城兵の士気があがっているのを眺めて、寄手の曹洪、曹純は、
「これはいかん」と、顔見あわせた。
「周瑜の援軍が近づいた証拠だ。ぐずぐずしておれば挟撃を喰う。どうしよう?」
「どうしようといっても急には城も
「今さらそんな
「ともかくも一両日、頑張ってみよう」
何ぞ無策なると心ある者なら歯がゆく思ったにちがいない。すぐ次の日にはもう周瑜の大軍がここへ殺到した。曹洪、曹純、牛金などあわてふためいて戦ったものの、もとより敵ではなかった。陣を崩してたちまち敗走の醜態を見せてしまう。
のみならず、周瑜の急追をよけて、山越えに出たはいいが、途中のけわしい細道までかかると、道に積んである柴や薪に足をとられ、馬から谷へ落ちる者や、自ら馬をすてて逃げ出すところを討たれるやらで、さんざんな態になってしまった。
呉の軍勢は、勝ちに乗って、途中、敵の馬を
南郡の城に入った曹洪、曹純などは、兄の曹仁を囲んで、暗澹たる顔つきを揃えていた。今にして、この一族が悔いおうていることは、
「やはり丞相のおことばを守って、絶対に城を出ずに、最初からただ城門を閉じて守備第一にしておればよかった」という及ばぬ愚痴だった。
「そうだ! 忘れていた」
曹仁は、その愚痴からふと思い出したように、膝を打った。それは曹操が都へ帰る時、いよいよの危急となったら封を開いてみよ、といってのこして行った一巻の中である。その中にどんな秘策がしたためてあるかの希望であった。
ここ、
「……はてな? 敵の兵はみな逃げ支度だぞ。腰に兵糧をつけておる」
城外に高い
見るに、城中の敵兵は大体三手にわかれている。そしてことごとく
「さては、敵将の曹仁も、ここを守り難しとさとって、外に頑強に防戦を示し、心には早くも逃げ支度をしておると見える。――よし。さもあらばただ一撃に」と、周瑜は、みずから先手の兵を率い、後陣を
すると一騎、むらがる城兵の中から躍り出て、
「来れるは周瑜か。湖北の
周瑜は、一笑を与えたのみで、
「夷陵を落ちのびた逃げ上手の曹洪よな。さる恥知らずの敗将と
「心得て候う」と、陣線を越えて、彼方へ馬を向けて行ったのは呉の
するとすぐ、それに代って、曹仁が馬を駈け出し、大音をあげて、
「
呉の
「今なるぞ。この期をはずすな」
と、周瑜の猛声は、味方の潮を率いてまっ先に突き進んでゆく。
息もつかせぬ呉兵の急追に、度を失ったか曹仁、曹洪をはじめ、城門へも逃げ込み損ねた守兵は、みな城外の西北へ向って
すでに周瑜は城門の下まで来ていた。見まわすところ、ここのみか城の四門はまるで開け放しだ。――いかに敵が狼狽して内を虚にしていたかを物語るように。
「それっ、城頭へ駈け上って、呉の旗を立てろ」と、もう占領したものと思いこんでいた周瑜は、うしろにいる旗手を叱咤しながら、自身も城門の中へ駈けこんだ。
すると、門楼の上からその様子をうかがっていた
「ああ、まさにわが計略は図にあたった。――曹丞相が書きのこされた巻中の秘計は神に通ずるものであった!」と、感嘆の声を放ちながら、かたわらの
とたんに、あたりの
どうっと馬から転げ落ちる。そこを敵中の一将
壕におちいって死ぬ者、矢にあたって斃れる者など、城の四門で同様な混乱におとされた呉軍の損害は、実におびただしい数にのぼった。
「
そして、南郡の城から、思いきって遠く後退すると、早速、
「何よりは、都督のお
と、軍医を呼んで、中軍の帳の内に横たえてある周瑜の
「ああ、これはご苦痛でしょう。
医者はむずかしそうな顔をしかめて、患部をながめていたが、傍らの弟子に向って、
「
程普が驚いて、
「こらこら、何をするのだ」と、怪しんで訊くと、医者は、患者の
「ごらんなさい。
「ううむ、そうか」
と、ぜひなく
「痛い痛いっ。たまらん。やめてくれ」
周瑜は、泣かんばかり、悲鳴を発した。医者は、弟子の男と、程普に向って、
「こう、暴れられては、手術ができません。手脚を抑えていてくれ」
と、その間も、こんこん木槌を振っていた。
荒療治の結果はよかった。苦熱は数日のうちに
「まだまだ、そう軽々しく思ってはいけません。何しろ
医者の注意を守って、程普はかたく周瑜を止めて中軍から出さなかった。また諸軍に下知して、「いかに敵が挑んできても、固く陣門を閉ざして、相手に出るな」と、厳戒した。
城兵は以来ふたたび城中に戻って、いよいよ勢いを示し、中でも曹仁の部下牛金は、たびたびここへ襲せて来ては、
「どうした呉の
けれど、呉陣は、まるでお通夜のようにひッそりしていた。牛金はまた日をあらためてやって来た。そして、前にもまさる悪口雑言を浴びせたが、
「静かに。静かに……」と、程普は、ただ周瑜の病気の再発することばかり怖れていた。
牛金の来訪は依然やまない。来ては
かかる間に、城兵は、いよいよ足もとを見すかして、やがては曹仁自身が大軍をひきいて
「あの
程普が、答えて、
「味方の調練です」というと、なお耳をすましていた周瑜は、俄然、起ち上がって、
「
と、云い放ち、遂に帳外へ躍り出してしまった。
まだ
それを見た曹仁の兵は、
「やッ周瑜はまだ生きていたぞ」と、大いに怖れて動揺した。
曹仁も、手をかざして、戦場を眺めていたが、
「なるほど、たしかに周瑜にちがいないが、まだ
そこで、曹仁自身も先に立ち、
「
などと
彼の将士も、その尾について、さんざん悪口を吐きちらすと、たちまち、怒面を
「誰かある、曹仁匹夫の首を引き抜け」
と叫び、自身も馬首を奮い立てて進まんとした。
「
と、周瑜のうしろに控えていた一将が、駈け出そうとする途端に、周瑜は、くわっと口を開き、血でも吐いたか、矛を捨てて、両手で口をふさぎながら、どうと、馬の背から転げ落ちた。
それと見て、敵の曹仁は、
「ざまを見よ。
呉軍は色を失って、総くずれとなり、周瑜の身を拾って、陣門へ逃げこんだ。この日の敗北もまた惨たるものであった。
憂色深き中に周瑜は取巻かれていた。だが、彼は案外、元気な容子で、医者のすすめる薬湯など飲みながら、味方の諸将へ話しかけて、
「きょう馬から落ちたのは、わざとしたので、
次の日の夕方ごろ、曹仁の部下が城外で、呉兵の一将隊を捕虜にして来た。訊問してみると彼らは、
「昨夜ついに、呉の大都督周瑜は、金瘡の再発から大熱を起して陣歿されました。で、呉軍は急に本国へ引揚げることに内々きまったようですから、所詮、呉に勝ち目はありません。勝ち目のない軍について帰っても、雑兵は、いつまで雑兵で終るしかありませんから、一同談合して降参に来たわけです。もしわれわれをお用い下さるなら、今夜、呉陣へ案内いたします。喪に服して意気
曹仁、曹洪、曹純、
ところが、陣中は、旗ばかり立っていて、人影もなかった。寥々として、
「さては早、ここを払って、引揚げたか?」
と疑っていると、たちまち、東門から韓当、
曹仁、曹純、曹洪など、みな自分らの南郡へ向って逃げたが、途中、呉の
死せる
そしてそこの
怪しんで、周瑜が、
「城頭に立つは、何者か」と、壕ぎわから大音にいうと、先も大音に、
「常山の
周瑜は仰天して、空しく駒を返したが、すぐ甘寧をよんで荊州の城へ馳せ向け、また
「即刻、襄陽を奪い取れ」と、命じた。
――われ、孔明に出しぬかれたり!
周瑜の心中は、すこぶる穏やかでなかったのである。この上は、時を移さず、
ところが、たちまち、早馬が来て、
「荊州の城にもすでに張飛の手勢が入っている」と、告げた。
「げッ、何として?」と疑っているところへ、またまた、襄陽からも早馬が飛んで来て、
「時すでに遅しです。襄陽城中には、関羽の軍がいっぱいに入って、城頭高く、玄徳の旗をひるがえしている」と、報らせてきた。
周瑜が、その仔細を聞くと、こうであった。孔明は南郡の城を取るや否や、すぐ曹仁の
荊州城の守将は、兵符を信じて、すぐ救援に駈け出した。留守を測っていた孔明は、すぐ張飛を向けてそこを占領し、同時にまた、同様な手段で、襄陽へも人をやった。
(われ今あやうし。呉の兵を外より破れ)と、いう檄である。
襄陽を守っていた
かねて孔明の命をうけていた関羽は、すぐ後を乗っ取ってしまった。かくて南郡、襄陽、荊州の三城は、血もみずに、孔明の一
周瑜の驚きかたは、ひと通りや二通りではない。失神せんばかり面色を変えて、
「いったい、どうして、曹仁の兵符が、孔明の手になんかあったのか」と、叫んだ。
程普が、首を垂れていった。
「孔明、すでに荊州を取る。荊州の城にいた魏の長史
聞くや否、
「――あっ」と床に仆れた。
怒気を発したため、
だが、人々の看護によって、ようやく蘇生の色をとりもどすと、周瑜はなお
「だから、だからおれは疾くから、孔明を危険視していたのだ。もし孔明を殺さずんば、いつの日かこの心は安んずべき。見よ、今に!」と、罵った。
そしてひたすら南郡の奪回を策していると、一日、
「いかがです。ご気分は」と、見舞った。
周瑜はもう寝てなどいなかった。意気軒昂を示して、
「近々のうち、玄徳、孔明と一戦を決し、かの南郡を手に入れた上はいちど呉へ帰って少し養生しようと思う」と、語った。すると、魯粛は、
「無用です、無用無用」と、首を振った。
魯粛はいう。
「いま、曹操と戦って

周瑜にも、その不利は、当然分っていたが、彼のやみ難い感情が、頑として、いうのであった。
「わが大軍が、赤壁に魏を打破るためには、いかに莫大なる兵力と軍費の犠牲を払ったか知れない。然るに、その戦果たる荊州地方を何もせぬ玄徳に横奪りされて黙止しておられるか」
「ごもっともです。それがしが玄徳に対面して、
魯粛はすぐ南郡城へ使いした。その姿を見るや、城頭のいただきから、守将趙雲が声をかけた。
「呉の
「備公にお目にかからんがために」
「
ぜひなく、彼はその足で、荊州へ急いだ。
荊州の城を訪うてみると、
「やあ、お久しゅうございました」
迎えたのは、孔明である。礼儀はきわめて篤い。賓主の座をわかつやすぐ、魯粛は彼を責めた。
「曹軍百万の南征で、第一に
孔明は、笑って、
「これは異なおことば。荊州は荊州の主権のもので、曹操のものでもなし、呉に属さねばならぬ理由もない国です」
「とは、なぜか」
「荊州の主、


魯粛は、ぎくとした。
ここまでの深謀が孔明にあったとは、さすがの彼も気づかなかったからである。
「いや。……その劉

孔明は、左右の従者に向って、
「――賓客には、お疑いとみえる。

やがて後ろの屏風が開くと、弱々しい貴公子が、左右の手を侍臣に取られて、数歩前に歩いて客に立礼した。見ると、まぎれなき劉

「ご病中なれば、失礼遊ばされよ」
孔明のことばに、

「

「では、もし劉

「公論、明論。それなら誰も異論を立てるものはありますまい」
それから大いに馳走を出して歓待したが、魯粛は心もそぞろに、帰りを急ぎ、すぐ
「――長いことはありません。劉

と、なだめているところへ、折も折、呉主孫権から早馬が来て、総軍みな荊州を捨てて
「ここでよい気になってはならぬ――」と、大いに自分を
「
「何ですか」
「労せずして取った物は、また去ることも
「ごもっとものお言葉には似ておりますが、決して然らずです。三ヵ所の城が一挙にお手に入ったのも、実にわが君が多年の辛苦から生れたもので、やすやすと転げこんで来たのではありません」
「でも、一戦も交えず、一兵も損せずに、この中央にわが所を得たのは、余りに好運すぎる」
「ご謙遜です。みな君の
「では先生、どうかさらに、玄徳が労苦をかさね、徳を積んでゆく長久の計をさずけて欲しい」
「人です。すべては人にあります。領地を拡大されるごとに、さらにそれを要としましょう」
「荊、襄の地に、なお
「
「召したら来るだろうか」
「幕賓の
「そうしよう」
早速、玄徳は、伊籍に
馬良はやがて城へ来た。雪を置いたように眉の白い人であった。馬氏の五常、
玄徳は、彼にたずねた。
「御身はこの地方の国情には詳しかろう。わしは近頃、三城を占めて、ここに君臨したものだが、この先の計は、どうしたが最も良いか」
「やはり


「その四郡の現状は」
「――
「それへ攻め入るには」
「
賢者の言は、みな一つだった。玄徳は自信を得た。味方の誰にも異論はなかった。
建安十三年の冬、彼の部下一万五千は、南四郡の征途に上った。
趙雲は後陣につく。
もちろん玄徳、孔明はその中軍にあった。
この時も、関羽は留守をいいつかり、あとに残って、荊州の守りを命ぜられた。
玄徳の軍来る! ――の報は、たちまち
零陵の太守
「いかに玄徳を防ぐか」を、相談した。
父の顔色には
「関羽、張飛などの名がものものしく鳴り響いていますが、わが家中にも、

「

「彼ならば、関羽、張飛の首を取るのも、さしたる難事ではありますまい。つねに重さ六十斤の
劉延は、そういって父に一万騎を乞い、その

玄軍一万五千は、すでにこの辺まで殺到した。
「反国の賊、流離の暴軍、なにゆえ、わが境を侵すか」
乱軍の中へ馬を出し、

すると、彼の前に、一輛の四輪車が、


「それへ来たのは、鉞をよく振るとかいう零陵の小人か。われはこれ南陽の
「わははは。聞き及ぶ孔明とかいう小利巧者は貴様だったか。青二才の分際で、戦場に四輪車を用うるなどという容態振りからして
孔明の四輪車は、たちまち、ぐわらぐわらッと一廻転した。後ろを見せて、逃げだしたのである。進むにも退くにも、それは大勢の
「待てッ」

車は渦巻く味方をかき分けて深く逃げこみ、やがて柵門の中へ駈け入ってしまった。
「孔明孔明。首をおいて行け」

「劉皇叔のもとに、人ありと知られたる、燕人張飛とは、すなわちわが事。おのれは果報者だぞ、おれの手にかかるとは」
と、雷のようにかかって来た。
「何をっ。――この鉞が目に見えぬか」


「かなわん」と、見きりをつけて、大鉞は逃げ出した。ところが、その先へ迫って、また一名の強敵が、彼の道へ立ちふさがった。
「常山の

趙雲はすぐ彼を縛りあげて、本陣へ引っ立てた。
玄徳は、ひと目見て、
「斬れ」と、いったが、孔明はそれを止めて、

「どうだ、汝の手で、
「いと易いこと。この縄目を解いて、それがしを放ち帰して下さるならば――」
「しかし、どういう方法で、劉延を生捕るか」
「夜を待って、こよい劉延の陣へ攻め入り給え。それがし内より内応して、かならず劉延を
傍らで玄徳は聞いていたが、彼の口うらの軽々しいのを察して、
「
孔明はなお、そのことばに
「いやいや、私が観るに、

即座に、その縄を解いて、彼は

命びろいをして、

「今夜が決戦の分れ目に相成ろう」と、仔細を告げた。
「すわ、油断ならじ」と、劉延は防ぎにかかった。しかし昼間の合戦で、玄徳軍の当るべからざる手並を見ているので、正防法によらず、奇防策を採った。
陣中の柵内には、旗ばかり立てて、兵はみなほかに
「来たぞ。引っ包め」
劉延、

寄手の兵は、隊を崩して、どっと逃げ退く。
勝ちに乗って、劉延、

――だが、案外、逃げた兵数は薄いのに気がついた。いくら追っても、それだけの兵で、後続も側面もなく、いわゆる軍の厚みがない。
「深入りすな」
劉延は、

「陣屋の火も消さねばならん。これだけ勝てば、まず充分。この辺で引揚げよう」
と、取って返した。その帰り途である。
「道栄道栄。どこをまごついているのだ。張飛ならこれにおるぞ」
と、道の

「や、や。さては敵にも、何か計があったか」
あわてふためいて、彼らは自陣へ逃げこもうとした。すると、その火はもうあらかた消されていたが、その
「趙雲子龍。これにて、汝らの帰るを待てり」
と、思わぬ一軍が、自分たちの陣中から現れたのみか、狼狽して逃げ戻ろうとした

夜の白々明けには、孔明の四輪車の前に、劉延の父劉度もまた、降伏を誓いに出ていた。
玄徳、孔明は
前の太守劉度は、そのまま郡守としてここに置き、子の延は軍に加えて、さらに、桂陽(湖南省・榔県)へ進んだ。
桂陽へ攻め寄せる日。
「たれがまず先陣するか」と、玄徳が諸将を見わたした。
「それがしが!」と、一人が手を挙げたとたんにすぐ、張飛もおどり出て、
「願わくは此方を!」と、希望した。
先に手を挙げたのは趙子龍であった。孔明は、
「趙雲の答えが少し早かった。早いほうに命ぜられては」
孔明が、迷っている玄徳へそういった。ところが、張飛は
「返事の早いか遅いかで決めるなど、前例がありません。何故、てまえをお用いなされぬか」
「争うな」
孔明は、仕方なく前のことばを撤回した。そして、
「さらば、
趙雲が「先」という字の鬮に当った。張飛の引いたのは「後」である。
「冥加、冥加」
と趙雲はよろこび勇んだが、張飛は甚だよろこばない。なおまだくずぐず云っていたが、
「未練というものだぞ」と、玄徳に叱られて、ようやく陣列へすがたを退いた。
趙雲は、手勢三千を申し受けた。孔明から、
「それで足りるか」
と念を押されて、
「もし敗戦したら軍罰をこうむりましょう」と、豪語した。
このことばを誓紙として、趙雲子龍は、一挙に桂陽城奪取に馳せ向った。
桂陽城には、世に聞えた二人の勇将がいた。ひとりは
「いま、玄徳の軍を見てからでは、もう防塁を築くことも、強馬精兵を作る日のいとまもない。しかず、早く降参して、せめて旧領の安泰を
太守の
「かいなきことを
と、強硬に突っ張っていたのは前に掲げた鮑龍、陳応の二将であった。
「敵の劉玄徳は、天子の皇叔なりなどと僭称していますが、事実は辺土の小民、その生い立ちは履売りの子に過ぎません。――関羽、張飛、また不逞の暴勇のみ、何を恐れて、桂城の誇りを、自ら彼らの足もとへ
「でも、これへ向って来ると聞く趙雲子龍は、かつて当陽の
「その趙雲と、この陳応と、いずれが真の勇者であるか、とくと見届けてから降参しても遅くはありますまい」
非常な自信である。
太守趙範も、やむなく抗戦ときめた。陳応は四千騎をひっさげて、城外に陣を
「破れるものなら破ってみよ」と、強烈な抗戦意志を示した。
寄手は近づいた。
両軍接戦となるや、趙雲子龍は馬おどらせて、敵将
「劉皇叔。さきに世を去り給いし劉表の公子

陳応はあざ笑って、
「われわれが主と仰ぐは、曹丞相よりほかはない。汝らはなぜ
この陳応という者は、
だが、趙雲に向っては、その大道具も
馬と馬を駈け合わせて戦うこと十数合。もう陳応は逃げ出していた。
「口ほどでもないやつ」と、追いかけると、陳応は、何をっと
「返すぞ」と、とっさに投げ返した。
陳応の馬が、
「およそ喧嘩をするにも、相手を見てするがいい。汝らのたのむ兵力と、劉皇叔の精鋭とは、ちょうど今日のおれと貴様との闘いみたいなものだ。今日のところは、放してやるから、城中へ戻って、よく太守
と陳応は
太守の趙範は、
「それ見たことか」と、初めに強がった陳応をかえって憎み、城外へ追い出してしまった後、あらためて趙雲子龍へ、降参を申し入れた。
趙雲は満足して、この従順な降将へ、
趙範は、途方もなく喜悦して、
「将軍とてまえとは、同じ趙氏ですな。同姓であるからには、先祖はきっと一家の者だったにちがいない。どうか長く一族の
と、兄弟の盃を乞い、なお生れ年をたずねたりした。
生れた年月を繰ってみると、趙雲のほうが四ヵ月ほど早く生れている。趙範は額をたたいて、
「じゃあ、貴方が兄だ」
と、もう独りぎめに決めて、嬉しいずくめに包まれたような顔して帰った。
次の日、書簡が来た。
実に美辞麗句で埋っている。
そんな物をよこさなくても、趙雲は堂々入城する予定であったから、部下五十余騎を引率して、城内へ向った。
許都、襄陽、
「四門に札を
四民に対して、政令を示すことだった。これは、一城市を占領すると、例外なく行われることである。
終ると、趙範は、自ら迎えて、彼を招宴の席に導いた。
そこで降参の城将が、この後の従順を誓う。
趙子龍は大いに酔った。
「席をかえましょう。興もあらたまりますから」
後堂へ請じて、また
だいぶ酩酊して、
「もう帰る」と、趙子龍が云い出した頃である。まあまあと引き止めているところへ、ぷーんと
「おや?」と、趙子龍が振り向いてみると、雪のような
「お呼び遊ばしましたか」と、趙範へいった。
趙範はうなずいて、
「ああ。こちらは、子龍将軍でいらっしゃる。しかもわが家と同じ趙姓だ。おちかづきをねがって、何かとおもてなしするがいい」と、席へ
趙子龍は改まって、
「こちらはどなたですか」
と、その美貌に、眼を醒ましたように、趙範をかえりみて訊ねた。
「私の
と、趙範はにやにや紹介した。
すると、趙子龍は、
「それは知らなかった。召使いと思うて、つい」と、失礼を詫びた。
趙範は、傍らからその美人へ向って、お酌をせいとか、そこの隣りへ坐れとか、しきりに世話を焼きだしたが、趙子龍が、「無用、無用」と、
趙雲は、その後で、趙範に
「何だって
「いや、――実はこうです。そのわけというのは、彼女はまだ若いのですが、てまえの兄にあたる良人に
「うーむ」
趙雲は、失笑をもらした。
けれど趙範は熱心に、
「いかがでしょう。将軍」
「なにがだ」
「
聞くと、趙雲は、眼をいからして、いきなり拳をふりあげ、
「
ぐわんと、趙範の横顔を、なぐりつけた。
趙範は、顔をかかえて、わっと、転がりながら、
「何をするのだ。無態な」と、
趙雲は起ち上がって、
「無態もくそもあるか。汝のような者を
と、もう一つ蹴とばした。
「蛆虫とな。け、けしからんことを。――
「人倫の道を知らぬやつは蛆虫にちがいなかろう。嫂をもって、客席へ
趙範は起き上がって、うろうろしていたが、やがて
「いまいましい趙子龍めが、何処へ行ったか」と、肩で息してみせた。
二人は口を揃えて、
「ここを出るや、馬に飛び乗って城外へ馳けて行きました」と、告げた。そしてまた、「こうなったら徹底的に勝敗で事を決めるしかありますまい。われわれ両名は、
しめし合わせて、二人は城外へ出て行った。
一隊の兵に、美酒財宝を持たせ、やがて趙子龍の陣所へ訪れた。そして地上に拝伏して、
「どうか、主人の無礼は、幾重にもおゆるし下さい。まったく悪気で申しあげたわけではないと云っておりますから」と、額を叩いて詫び入った。
趙子龍は、彼らの
陳応、鮑龍のふたりは、「わが事成る」と、すっかり油断してしまったらしい。趙雲のもてなしに乗って泥のように酔ってしまった。
趙雲は、頃をはかって、至極簡単に二人の首を斬り落した。そして彼の部下らにも酒を振舞い、引出物を与えなどしておいて、
「此方の手勢について働けばよし、さもなくば、陳応、鮑龍のようにするがどうだ」
と、首を示して説いた。
五百の部下は、降伏して、たちまち趙雲の手勢に加わることを約した。趙雲はその夜のうちに、この五百名を先頭に立たせ、後から千余騎の本軍をひきいて、桂陽の城へ押し
城主趙範は、使いにやった
「首尾はどうだった?」と、味方の五百人へ訊ねた。
すると、その後から、趙子龍以下、千余の軍勢がなだれこんで来たので、仰天したが、もう間に合わなかった。
趙子龍は何の苦もなく、趙範を生捕りとし、城旗を蹴落して、新たに玄徳の旗をひるがえし、
「桂陽の占領はなり終んぬ」と、事の次第を、遥かなる玄徳、孔明のところへ早馬した。
日を経て、玄徳は入城した。孔明は直ちに、
趙範は、哀訴して、
「もともとてまえは本心から降参してご
孔明はまた趙子龍に向って、
「美人といえば、愛さぬ人はないのに、御身はなぜ怒ったのか」と、訊いてみた。
趙子龍はそれに答えた。
「そうです。私も美人は嫌いではありません。けれど、趙範の兄とは、遠い以前、故郷で一面識があるものです。今、それがしがその人の妻をもって妻としたら、世の人に
温顔に笑みを含んで聞いていた玄徳は、そのとき側から口を開いてまた、子龍にいった。
「――しかし、今はもうこの城も、わが旗の下に、確乎と占領されたのだから、その美人を
「いや、お断りします。天下の美人、
玄徳も孔明も、黙然とふかくうなずいたまま、後は多くもいわなかった。趙子龍こそ真に典型的な武人であると、後には人にも語ったことであったが、その時はわざと一片の恩賞をもって賞したに止まった。
このところ
「趙雲すら桂陽城を奪って、すでに一功を立てたのに、先輩たるそれがしに、
と、変に孔明へからんで、次の武陵城攻略には、ぜひ自分を――と暗に望んだ。
「しかし、もしご辺に、不覚があった場合は」
孔明が、わざと危ぶむが如く、念を押すと、
「軍法にかけて、この首を、今後の見せしめに献じよう」
張飛は、憤然、誓紙を書いて示した。
「さらば行け」と、玄徳は彼に兵三千をさずけた。張飛は勇躍して、武陵へ馳せ向った。
「大漢の皇叔玄徳の名と仁義は、もうこの辺まで聞えています。また張飛は、天下の虎将。――その軍に向って抗戦は無意味でしょう」
こういって、太守
「裏切者。さては敵に内通の心を抱いているな」
金旋は怒って、鞏志の首を斬ろうとした。
人々が止めるので、その一命だけは助けてやったが、彼自身は即座に戦備をととのえて、城外二十里の外に防禦の陣を
張飛の戦法はほとんど暴力一方の
そして城中へ逃げてきたところ、楼門の上から鞏志が弓に矢をつがえて、
「城内の民衆は、みな自分の説に同和して、すでに玄徳へ降参のことにきまった」
と、呶鳴りながら、びゅうんと
矢は、金旋の面にあたった。鞏志は、首を奪って、城門をひらき、張飛を迎え入れて、元来、玄徳を景慕していた由を訴えた。
張飛は、軍令を掲げて、諸民を安んじ、また鞏志に書簡を持たせて、桂陽にいる玄徳のもとへ、その報告にやった。
玄徳は、鞏志を、武陵の太守に任じ、ここに三郡一
すると、関羽からすぐ、返書がきて、
(張飛も趙雲も、おのおの一かどの働きをして実にうらやましく思います。せめて関羽にも、
などと、独り留守城にいる
玄徳はすぐ、張飛を荊州へ返して、関羽と交代させた。そしてわずか五百騎の兵を貸して、
「これで長沙へ行け」と、関羽の希望にこたえた。
関羽は、もとより人数の
「羽将軍には注意するまでもないと思うが、戦うにはまず敵の実質を知ることが肝要です。長沙の太守
しかし、何と思ったか、関羽は孔明の忠告も、耳に聞いただけで、加勢も仰がず、たった五百騎を連れてその夜のうちに立ってしまった。
孔明は、その後で、玄徳へ対して、こう注意した。
「関羽の心裡には、まだ赤壁以来の感傷が残っています。悪くすると黄忠のために討死するやも知れません。それに小勢すぎます。わが君自ら
げにもと、玄徳はうなずいて、すぐ関羽のあとから一軍を率いて、長沙へ急いだ。
彼が、目的地に着いた頃、すでに長沙の城市には、煙が揚っていた。
関羽の手勢は、短兵急に外門を破り、すでに城内で市街戦を起していた。
楊齢というのは、長沙の太守
すると、城中からひとりの老将が、奔馬にまたがり、大刀をひっさげて出現して来た。
関羽は、ひと目見るとすぐ、
(さては、孔明が自分にいった
「来る者は、黄忠ではないか」
「そうじゃ。汝は、関羽よな」
「然り。――その
「
なるほど――と関羽も戦いに入ってから舌を巻いた。
彼の
この決戦は、実に堂々たる一騎打ちの演出であったとみえ、両軍とも、あまりの見事さに、
「
たちまち耳を打つ退き鉦の音に黄忠は、ぱっと馬をかえした。そして急速度に城中へ駈けこむ兵にまじって、彼の馬もその影を没しかけた。
「好敵、待ち給え」
関羽は、追撃して、
「卑怯なり。名ある武将のする業か」と
けれど、関羽は、折角、振りかぶった大青龍刀を、なぜか、敵の頭に下さなかった。
そして、
「あら無残。早々、馬を乗り代えて、
黄忠は、馬と一緒に、地上に転んでいたのである。何かにつまずいて彼の乗馬が前脚を
しかし、乗り代える馬もないので黄忠は味方の歩兵にまじって、危うくも、城壁の内へ駈けこんだ。この間にも、追えば追いつけるものを、関羽は彼方へ引っ返してしまった。
太守
「きょうの不覚は、馬の不覚。汝の弓は、百度放って、百度あたる。明日は、関羽を橋のあたりまでおびき寄せ、手練の矢をもって、
と励まし、自分の乗馬の
夜が明けると、関羽はまた、手勢わずか五百ばかりだが、勇敢に城下へ迫って来た。
黄忠は、きょうも陣頭に姿をあらわし、関羽と激闘を交えたが、やがて昨日のように逃げ出した。そして橋の辺まで来ると、振りかえって弓の
橋を越えると、黄忠はまた、弓を引きしぼった。しかし今度も、弦は空鳴りしただけだった。
ところが、三度目には、ひょうッと矢うなりがして、まさしく一本の矢が飛んできた。そしてその矢は、関羽の

関羽も
「さては、きのうのわが情けを、今日の矢で返したものか」
そうさとったので、関羽は、なおさら舌をふるって、その日は兵を
一方の黄忠は、城中へもどるとすぐ、太守韓玄の前へ理不尽に引っ立てられていた。
韓玄はもってのほかの立腹だ。声を励まして、黄忠を罵り辱めた。
「城主たるわしに眼がないと思っているのか。三日の間、わしは
「ああ、ご主君!」
黄忠は、涙をたれながら、なにか絶叫した――。早口に、その理由を、云い開こうとしたのである。
だが、耳をかす韓玄ではなかった。即刻、刑場へ曳き出して斬れとどなる。諸将が見かねて、哀訴嘆願をこころみたが、
「うるさいっ。やかましい。
長沙の名将黄将軍も、今は刑場の鬼と化すかと、刑にあたる武士や吏員までがかなしんでいたが、たちまち、その執行直前に、周囲の柵を蹴破って、躍りこんで来た壮士がある。
この人、面は
もと荊州の劉表に仕え、一方の
しかし、日頃から韓玄は、彼の偉材を、かえって忌み嫌い、むしろ他国へ
「あれよ」と、人々のさわぐまに、彼は、黄忠の身を
「さらば、
と、関羽は一挙に長沙の城へ入って、城頭に勝旗をかかげ、城下一円に軍政の令を
「黄忠は、どうしているか」
その後ですぐ訊ねると、魏延は、
「それがしが韓玄を斬るべく奥へ向った時、眼をふさぎ耳を抑えて、自分の邸へ駈けこんで行きました」
「戦は
と、再三、関羽から使いを出したが、黄忠は病に托して出てこない。
かかるうちに玄徳は、関羽の早馬をうけて、
「さすがは」と、彼の功を賞しながら、孔明と馬をならべて、長沙の市門へ急いでいた。
その途中、先頭に立てていた青い軍旗の上に、一羽の
「先生。何か凶兆ではないでしょうか」と、孔明に訊くと、
「いや、吉兆です」と、孔明は、衣の下で何か指をくりながら、
「これは、長沙の陥落と共に、良将を獲たことを祝福して、鴉が
果たせるかな、玄徳は、黄忠、魏延のことを、間もなく、出迎えの関羽から聞いた。
「――病に托して門を出ないのは、黄忠の旧主にたいする忠誠にほかならない。自分が行って迎えてこよう」
と、玄徳は、直ちに駕を命じて、黄忠の閉ざせる門を訪れた。その礼に感じて、ついに黄忠も、私邸の門をひらいて降参し、同時に、旧主韓玄の
玄徳は、即日、法三章を掲げて、広く新領土の民へ布告した。
一、不忠不孝の者斬る
一、盗む者斬る
一、姦 する者斬る
また、功ある者を賞し、罪ある者を罰して、一、盗む者斬る
一、
関羽がひとりの壮士を携えて出頭したのは、そうした繁忙の中であった。
「だれだ、その者は」
玄徳がたずねると、関羽は、自分の傍らに
「
男は、
「これはかねて、お耳に入れておいた
関羽のことばに、玄徳は、おおと膝を打って、
「黄忠を救い、真っ先に長沙の城門を開いた勇士魏延か。さすがに名ある武者の骨柄も見ゆる。賞せずにおこうや」と、まず
「不義士っ。
勃然と叱った者がある。
あっと驚いて、その人を見ると、孔明だった。孔明はまた玄徳へ向って直言した。
「魏延に賞を賜うなど以てのほかです。彼、もとより韓玄とは、何の仇あるに非ず。かえって、一日でもその
孔明は、武士を呼んで、即座に魏延を斬れと命じた。
玄徳は、明らかに、その決断を欠いた。いやかえって、孔明の命をさえぎって、
「待て、待て」
と、武士たちを制し、孔明をなだめて、魏延のために、命乞いをすらしたのである。
「味方に功を寄せ、また降順をちかい、折角、わが麾下へひざまずいて来た者を、たちまち、罪をかぞえて斬りなどしたら、以後、玄徳の陣門に降を乞う者はなくなるだろう。魏延はもと荊州の士、荊州の征旗を見て帰参したのは、決して不義ではない。韓玄に一日の禄をたのんだといえ、韓玄も実心をもって彼を召抱えたわけでもなく、魏延もそれに臣節を以て仕えたわけではなかろう。彼の心はもとから荊州へ復帰したい念願であったにちがいない。いかなる人間でも落度をかぞえれば罪の名を附すことができる。どうか一命は助けてとらすように」
玄徳の弁護は、まるで骨肉をかばうようだった。孔明は、沈黙してしまったが、なおそれを
「露骨にいいますと、今、私が魏延の相を観るに、後脳部に叛骨が隆起しています。これ
「……魏延、聞いたか。かならず今日のことを忘れずに、異心を慎めよ」
玄徳にやさしく
玄徳はまた、劉表の甥の
ほどなく玄徳は、荊州へ引揚げた。
中漢九郡のうち、すでに四郡は彼の手に収められた。ここに玄徳の地盤はまだ狭小ながら初めて一礎石を据えたものといっていい。
彼についてそこへ行かずに、身を転じて、玄徳の勢力に附属して来る者も多かった。
玄徳はまた北岸の要地油江口を公安と改めて、一城を築き、ここに軍需品や金銀を貯えて、北面魏をうかがい、南面呉にそなえた。
一方。
呉の主力は、呉侯孫権の直属として、赤壁の大勝後は、その余勢をもって、

ここの守りには魏の
赤壁に

それもそのはず張遼の副将にはなお李典、楽進という魏でも有名な猛将が城兵を督していたのである。寄手は連攻連襲をこころみたが、不落の合

「そのうちに食糧がなくなるだろう」と空だのみに
ところへ、
孫権が、馬を下りて、陣門に出迎えたので、
「粛公は大へんな敬いをうけたものだ」と、諸兵みな驚いた。
営中に入ると、孫権は、魯粛に向って、意識的にいった。
「きょうは特に馬を下りて出迎えの礼をとった。この好遇は、いささか足下のなした赤壁の大功を
魯粛は、首を振った。
「いうに足りません。その程度の表彰では」
孫権は、眼をみはって、
「では、どれ程に優遇したら、そちの功を
「さればです」と、魯粛がいった。
「わが君が、一日も早く、九州のことごとくを
「そうか。いかにも!」
二人は手を打って、快笑した。
けれど魯粛はその後で、せっかく上機嫌な呉侯に、ちといやな報告もしなければならなかった。
それは、
「ふふむ……周瑜の容態は、再起もおぼつかない程か」
「いや、豪気な都督のことですから、間もなく、以前のお元気で恢復されることとは思いますが……」
話しているところへ、今、合

呉の大軍は蠅 か蛾 か。いったいこの城を取巻いて、何を求めているのであるか。
文辞は無礼を極め、甚だしく呉侯を「よしっ、その分ならば、わが
と、翌早朝に陣門をひらいて、
城からも、張遼をまん中に、李典、楽進など主なる武者は、総出となって押しよせて来た。
「呉侯、見参っ」
と、張遼は一本槍に、その
「
と、一
呉の太史慈といえばその名はかくれないものだった。呉祖孫堅以来仕えてきた譜代の大将であり、しかも武勇はまだ少しも老いを見せていない。
魏の張遼とはけだし好敵手といってよかろう。双方、長鎗を交えて烈戦八十余合に及んだが、勝負は容易につかなかった。
この間隙に、楽進、李典のふたりは、大音をあげて、
「あれあれ、あれに黄金の

と下知して、自分たちもまっしぐらに
孫権の身は、今や危うかった。電光一撃、李典の鎗が迫った時である。
「さはさせじ!」と、敢然横合いからぶつかって行った者がある。これなん呉の
それと見て、楽進が、
「邪魔なっ」
と、間近から、鉄弓を射た。矢は宋謙の胸板を射抜く。どうっと、宋謙が落ちる。とたんに、砂煙を後に、孫権は逃げ走っていた。
孫権は逃げる途中、なお幾度か危機にさらされたが、
しかし、この日の敗戦が彼の心に大きな痛手を与えたことは争えない。帰陣の後、涙をながして、
「宋謙を失ったか」と、
長史
「こういう失敗は、良き教訓です。君はいま御年も
と、諫めた。
孫権も、理に服して、
「以後は慎む」と、打ちしおれていたが、翌日、太史慈が来てこういうことを耳に入れた。
「それがしの部下に、
孫権は、たちまち心をうごかして、
「その
太史慈は答えて、
「もう城中にいるのです。昨日の合戦に、敵勢の中にまぎれて、難なく城中に入りこんでいるわけで」
「では首尾はよいな」
「大丈夫です。こんどこそは」
太史慈は自信にみちていった。
孫権がこれを以て、昨日の敗辱をそそぐには好機おくべからざるものと乗り気になったことはいうまでもない。
馬飼というのは、いわゆる馬廻り役の小者であろう。張遼の馬飼と、太史慈の部下戈定とは、その晩、城中の人なき暗がりでささやき合っていた。
「ぬかるな。……
「心得た。おれが、
「よしよし。おれも一緒になって火をつけながら、呶鳴りちらす」
「火の手と共に、城外から太史慈様が攻めこむことになっている。どさくさまぎれに、西門を内から開くことも忘れるなよ」
「合点合点。忘れるものか。一代の出世の鍵は今夜にありだ」
「……しっ。誰か来た」
ふたりは人の跫音に、あわてて左右にわかれてしまった。
守将の
多少、不平の気を帯びた副将や部将たちは、暗に、彼の小心を
「敵はきのうの大敗で、すでに遠く陣地を
張遼は、答えた。
「勝ったのは、昨日のことで、今日はまだ勝っていない。明日のこともまだ勝っていない。いわんや全面的な勝敗はまだまだ先が知れん。およそ将たるものは、一勝一敗にいちいち喜憂したりするものではない。こよいはことに夜廻りをきびしくし、すべて、
すると果たしてその夜の深更に至って、妙に城中がざわめき出したと思うと、
「謀叛人があるぞっ」
「裏切者だ、裏切者だ」と、いう声が聞え出した。
張遼には、狼狽はなかった。すぐ寝所から出て城中を見廻った。もうもうと何か煙っている。諸所にぼうと赤い火光も見える。
「おう、将軍ですか」
楽進がそこへ駈けつけて来た。眼色を変えて、次にいった。
「城中に謀叛人が起ったようです。軽々しく外へお出にならんほうがよろしい」
「楽進か。何をあわてているのだ大丈夫、あわてるな」
「でも、あの
「いやいや、わしは最初から眼を
楽進が去ると間もなく、李典が二人の男を縛って連れてきた。城中攪乱を
「こやつか。斬れっ」
二つの首は、無造作に斬って捨てられた。――とも知らず、かねてその二人としめし合わせのあった寄手の一軍と、その首将
「しめた。火の手は上がった!」とばかり、城門へ殺到した。
とっさに、この事あるをさとった張遼は、城兵を用いて、わざと、
「謀叛人があるぞ」
「裏切者だぞ」と、諸方で連呼させながら、西の一門を、故意に内から開かせた。
「――すわや」と、太史慈はよろこび勇んで、手勢の先頭に立って
「あっ! しまった」
太史慈は、急に引返したが、一瞬のまに射立てられた矢は全身に刺さってまるで針鼠のようになっていた。
李典、楽進の
しかもまた、譜代の大将太史慈をも遂にこの陣で失ってしまった。死に臨んで太史慈はこう叫んで
「大丈夫たるもの、三尺の剣を帯びて、この中道に仆る。残念、いうばかりもない。しかし四十一年の生涯、呉祖以来三代の君に会うて、また会心なことがないでもなかった。ああ、しかしなかなか心残りは多い」
その後、玄徳の身辺に、一つの異変が生じた。それは、



孔明はその葬儀委員長の任を済まして、
「

「誰がよいか」
「やはり関羽でしょうな」
孔明も心では、何といっても、関羽の人物を認めていた。
劉

「それはやがて必ずいってくることでしょうな。

孔明がそう慰めていると、それから二十日ばかり後、果たして、
「

魯粛は、城中の祭堂に、呉侯からの礼物を供え、悔みを述べた後、玄徳が設けの酒宴に迎えられて、
「


「いや、そのことは、いずれまたあらためて、談合しましょう」
「またとは、いつですか」
「まあ、ここは宴席ですから、国事は」
「後でもおよろしいが、かならず前約を
そう魯粛がしつこく念を押していると、突如、孔明がかたわらから言葉に気概をこめて云った。
「粛公、あなただけは、呉の群臣の中でも、物の分ったお人かと思っていたら、今の仰せでは、あまりにも世の本義と事理に没常識すぎるではないか。主君玄徳は、貴方を
面色をあらためて孔明がそう云い出したので、魯粛は、気をのまれたのか、茫然、その顔を見まもっていた。
「天下は一人の天下にあらず、すなわち天下の人の天下である。高祖、三尺の剣をひっさげて、義を
弁は水の流るる如く、理は炎の烈々たるに似ている。
その真理と雄弁のまえには、魯粛もさしうつ向いてしまうしかなかった。
――が、彼は恨むがごとく、孔明に答えた。
「公論明白、そう仰っしゃられては、何の抗弁もありません。しかし、それでは先生も、あまりに利己主義だといわれても仕方がありますまい」
「なぜ、私が、利己主義か」
「思い給え」と、こんどは魯粛が攻勢になって――「その以前、劉皇叔が曹操のため大敗をこうむって、当陽にやぶれ果てた後、先生を一
「それは云うまでもなくあなただ」
「その魯粛は、今日、ここに至って、主君には面目を失い、軍部には不信を問われ、おめおめ国へ帰ることもできぬ窮地におちています。先生には、私の立場には、何の同情もお持ちにならないとみえる」
「…………」
魯粛の温厚なる抗議には、孔明もやや気の毒を覚えたらしい。しばらく考えこんでいたが、やがて新たにこう提議した。
「では、あなたの面目をたてて、荊州はしばらくわが劉皇叔がお預りしているということにしよう。後日、どこか適当な領地を攻略したら、その時、荊州は呉へ開け渡すということにして、証書を入れたら、あなたも主君にお顔が立つであろう」
「どこの国を取って荊州をお返し下さるというのですか」
「中国はすでに、どこへ向っても、魏か呉かに接触する。ひそかに図るに、長江千里の流れ起るところ、西北の
「では、蜀の国を取らんとお望みになっておられるので」
「然り。蜀を得たあかつきには、荊州をお返しするであろう」
孔明は、紙筆を取寄せて、玄徳にそれを進め促した。玄徳は黙々、呉侯への国際証書をしたためて、印章を加え、
「これでよいのか」と、孔明へ内示した。
孔明もまた筆をとって、保証人として連署した。だが、君臣一家の連帯では、公約にならないから、あなたもこれに名字をのせたがいいと求められて、魯粛も遂に妥協するほかなかった。
魯粛は、この一
「ああ、また貴公は、孔明に出し抜かれたのか、何たるお人好しだ。孔明は狡猾の徒、玄徳は奸雄。こんな証文が何になろう。おそらくそのまま呉侯に復命されたら、たちどころに、貴公の首はあるまい。いや、罪九族にも及ぶだろう」と、痛嘆した。
そういわれてみると、呉侯孫権の怒り方が眼に見えてくる。魯粛もその点は甚だ
周瑜も、腹を立てたが、心では魯粛のお人好しに、充分、同情を抱いた。それに彼は、むかし困窮していた頃、魯粛の田舎の家から糧米三千石を借りて助けられたことがある。――それを思い出したので、共に、腕をこまぬいて、
(どうしたらいいか?)と、懸命に思案した。
ふと、周瑜のあたまに浮んだのは、主君孫権の妹にあたる
弓腰姫というのは、臣下がつけた
急に、周瑜は声を落して、魯粛に教えた。
「貴公は、呉侯のお妹君に、
「一、二度、お目通りしましたが」
「あの姫を、玄徳へ、嫁がすように、ひとつここで貴公は、その婚縁の
「えっ。……呉侯の御妹君を玄徳へですって?」
周瑜は、笑って、
「いや、わしの云い方が唐突だから、貴公はびっくりしたかも知れんが、何もこれは決して、突飛な思いつきではない。きわめて合理的に
「どうしてですか。玄徳には正室の
「いやいやそうではない。貴公はまだ知らんのだ。玄徳の正室甘夫人は、病に斃れてなくなっている。赤壁の戦やらその後の転戦で、葬儀も延ばしていたが、間者の報らせでは、荊州城には白い
「それは、

「ちょうど、劉



「それは少しも知りませんでした。では今、玄徳に正室はないわけですか、それにしてもすでに彼は五十歳です。一方、妙齢の
「どうも貴公は、何事もすぐそのまま、真正直に考えるので
「さあ? どうでしょうか」
「何を不安な顔して
「誰よりも、呉侯がご承知にならないでしょう。非常に可愛がっているお妹ですからな」
「だから何も、婚儀は取りむすんでも、
「ははあ。するとつまり彼を殺害するために、婚儀を行うわけですな」
「もちろん、その目的もなく、何でこんな縁談が云い出せるものか」
「それにしても、それがしから呉侯へおすすめ申すのは、どうも少しまずいと思いますが」
「よろしい。貴公はただ側面から、それとなく主君の
「いや、そう願えれば、非常に助かります」
魯粛は、彼の書簡を預かって、それを力に呉都へ帰った。そして早速、呉侯孫権にまみえ、ありのままを復命し、また帰路、周瑜から預かって来た手紙も共に差出した。
はじめに、玄徳の証文を見たときは、案のじょう、孫権は
「ウーム、なるほど、周瑜の考えは至極妙だ。これこそ天来の鬼謀というものだろう」
と、しばらく、熟慮にふけり、やがて魯粛には、最初の気色とは打って変って、
「ご苦労だった。長途の旅、疲れたろう。きょうはまず休息せい」と、ねぎらった。
数日の後、また召された。こんどは重臣
その結果、呂範が、荊州へ使いに行くことにきまった。もちろん表面は呉の修交使節としてであるが、目的は例の
荊州に着いて、玄徳に会うと、呂範はまず両国友好の緊密を力説してから、おもむろに縁談をもちかけた。
「実は、
「ご親切は感謝します。仰せのとおり妻を
「それはそうでしょうが、家庭に妻のないのは、家屋に
「…………」
玄徳はしばらく黙考していたが、やがてこう訊ねた。
「そのことは、あなた一箇のお考えですか。それとも
「内々、呉侯の御命がなくて、どうして私一箇の思案などから、かような大事をおすすめできましょう。ただ
「……いや、そうでしたか。
「いや、いや」
呂範は大きく手を振った。
「年の近いとか少ないとか、そんな数合わせみたいな問題ではありませんよ。これは結婚です。しかも二つの国の平和に関わる問題です。呉侯も実に大事をとっておられ、母公のお案じも、呉妹君のお望みも、一通りなものでないことは、くどくど申すまでもありません。……まげてもひとつ、皇叔のご来遊を願って、この祝い事を成功させたい
呂範はさすがこの使いに選ばれただけの才弁であった。
この日、孔明は、そこに顔を見せず、次室の屏風の陰にいて、じっと、主客のはなしを聞いていた。彼の
呂範はひとまず客館へ退がり、玄徳の返辞を待つこととした。
その夜。玄徳は、孔明以下腹心の諸将をあつめて、呉妹を
「それはぜひご承諾をお与えなさい。そして呉へお出でなさい」
率直にこう勧めたのは孔明であった。玄徳が呂範と対面中に、
「――のみならず、ここは彼の策に乗って、かえって我が策を成すところでしょう。すみやかにご許容あって、呉の国に臨み、ご婚儀の典を挙げられるがよいかと思います」
そういう孔明の説に対して、
「いや、これは
とか、
「求めて虎口に入るようなものだ」
とか、それを危険なりとする議論ももとより百出したが、より以上、玄徳にも重視された問題は、折角いま
「万事は、私の胸に、おまかせ下さい。決して、諸将が憂えるような破滅に君を立ち到らせるような愚はしません」
孔明のことばに信頼して、諸臣も、
「では、異議なし」と、一致した。
玄徳はなお危ぶんでいたが、孔明はそれを力づけて、まず答礼の使いをやってみることにした。呂範と共に、その意味で、呉に下って行った者は家中の
月日を経て、その孫乾は、呉から帰ってきた。そしていうには、
「呉侯は、それがしを見ると、落胆しました。理由は、呂範と共に、わが君が、すぐにでも呉へお出でになるものと、独り決めに、予期していたらしいのです。それほどに、呉侯自身は、この縁談の成立を熱望しています。もし、この縁が結べれば、両国の平和のため、大慶この上もないことだ。ぜひ、一日も早く参られるよう
とある。
けれどなお、玄徳には、迷っているふうがあった。しかし、孔明は、着々と準備を運び、随員の大将をも、
そして趙雲に、手ずから三つの
建安十四年の冬の初め、華麗なる十艘の帆船は、玄徳、趙雲以下、随行の兵五百人を乗せて、荊州を離れ、長江の大河に入り、悠々千里を南下して呉へ向った。
呉の都門へ入るに先だって、趙雲は孔明から渡された錦の嚢を思い出し、その第一の嚢を開けてみた。すると中の一文には、
(まず、
喬家の老主といえば、隠れもない呉の名家である。かつては、曹操までが想いを寄せていたといわれる姉妹の二美人――二喬の父であるばかりでなく、その姉は、呉侯の先代孫策の室に入り、妹は現に、
喬国老、喬国老。
と、国宝的に一般から崇敬されている人だった。
――まずこの人を訪え。
という孔明が
喬国老の邸では、この
「えっ。
初耳とみえて、喬国老は、桃のような血色を見せながら、眼をまろくした。
「しかし、それは何にしても、大慶のいたりだ。この
玄徳が、上陸早々、ご訪問申したので、まだ呉城へは告げないというと、
「それは、いかん、早速にも」と、すぐ家臣を走らせ、また家族たちに命じては、玄徳の一行を心から歓待させて、「ともあれ、わしも一応、宮中へ伺ってくる」と白馬に乗って登城した。
殿中でも大奥でも、国老は出入自在である。呉侯の老母、呉夫人に会って、すぐ慶びをのべた。
すると呉夫人は、けげんな顔をして、
「なんじゃと、あの玄徳が、
と、舌を鳴らした。
喬国老は、あわてて手を振りながら、
「ちがう、ちがう。呉侯のほうから呂範を婚姻の使いにやって、切に望んだので、はるばる、玄徳も呉へやって来たわけじゃ」
「
「ほんとです。嘘と思し召すならば、街へ人をやってごらんなさい」
呉夫人は、まだ信じない顔で、家士の一名に、城下の
その者は、街を見て帰ると、すぐ呉夫人の前へ来て語った。
「なるほど、大変に賑やかです。河口には十艘の美船が着き、玄徳の随員だの、五百の兵士は、物珍しげに、市中を見物して歩きながら、
呉夫人は、
たちまち彼女は、わが子の呉侯孫権のいる閣へと、顔を袖でおおったまま走って行った。
「母公、どうなさいましたか」
「おお権か。いかに老いても、わらわは御身の母ですぞ」
「何を仰っしゃいます、今さら」
「それ程、親を親と思うなら、なぜわらわに無断で、
「わけが分りません。なんのことですか、いったい」
「それその通り、わらわを
「あっ。誰が、そんなことをお耳へ入れましたので」
「国老に訊いてご覧なさい」
と、母公は眼できめつけた。
呉夫人のうしろへ来て立っていた
「そう
と、うららかに胸を伸ばして万歳の意を表した。
孫権は、
「いや、そのことなら、実はすべて
云いかける口をおさえて、
「聞く耳は持ちません!」
と、呉夫人は前にも増して怒り出した。そして口を極めてその計を
「
母公にとっては、孫権よりも、その妹のほうが、可愛くて可愛くて、たまらないものらしいのである。
また、なんといっても、このわがままな老女性には、敵国を
だから、かりそめにも、その息女を
「なりません、なりません。誰がなんといおうと、むすめの一生を誤まらすようなことは、わらわの眼の黒いうちは断じてなりません。そんなことをもし周瑜がすすめたのなら、周瑜は自分の功のために、主家のむすめを売る憎い人間じゃ。わらわが命じる。すぐ周瑜を斬っておしまい!」
という権まくであった。
(手がつけられない――)
と、痛嘆を
しかも喬国老までが母公と同意見で、
「いやしくも呉侯呉妹のご兄妹が、婚礼に事よせて、玄徳を殺したなどと聞えては、たとい天下を取ろうと、民心は服しまい。呉の国史に泥を塗るだけじゃ」と、周瑜の計に反対し、それよりも、この際やはり玄徳を婿と定めて、彼の帝系たる家筋とその徳望を味方に加え、常に呉の外郭にその力を用いたほうが賢明ではあるまいかと、思うところを述べた。
ところが、母公としては、それも気のすすまない顔で、
「聞けば、劉玄徳とやらは、年も
と、いってみたが、喬国老が、しきりに、
「いやいや、よく考えてごらんあれ。
孫権はもとより孝心の篤い人なので、心のうちでは煩悶したが、老母の意志には少しも逆らうことができない。その間に、母公と喬国老とは、明日の対面の場所や時刻まできめてしまった。
場所は
事、志とちがってきたので、孫権は一夜煩悶したが、ひそかにこれを呂範へ相談すると、呂範は事もなげに片づけて云った。
「なにも、それならそれで、よろしいではありませんか。そっと、大将
「む、む。絶好な場所だ。そうしよう。……だが呂範、もし母上と玄徳と対面中に、母上が、彼の人物を見て心にそまぬようだったら、すぐ
「もし、母公のお心にかなったようなご容子のときは」
「そんなことはないと思うが……もしそう見えたら……そうだな、時をおいて、母上のお気持が彼に対して変るまで待とう」
次の日――早朝。
呂範は、
玄徳は、細やかな鎧の上に、
趙雲は、五百の兵をつれて、それに随行した。甘露寺では、国主の
玄徳の態度は実に堂々としていた。温和にして
「さすがは」と、一見して、呉侯孫権も、畏敬の念を、禁じ得なかった。
争えないものは、人間と人間との接触による相互の感情である。ひと目見て、孫権以上、彼に傾倒したのは母公であった。
その喜悦のいろをうかがうと、喬国老は、母公へささやいた。
「どうです。人物でしょう。こんなよい婿が求めたってありましょうか」
母公はただもうほくほく
「さあ、くつろぎましょう。婿君よ、威儀いかめしいものの、内輪ばかりじゃ、心おきなく杯をあげられい。喬老、そなたも、佳賓におすすめ申しあげて
母公のご機嫌は一通りでない。きのうの彼女とは人がちがうようだった。やがて大宴となる。呉海呉山の珍味は玉碗銀盤に盛られ、南国の
「誰か」と、たずねた。
玄徳が、これはわが家臣、常山の
「では、当陽の戦いに、
「そうです」とうなずくと、母公は、彼に酒を賜えとすすめた。趙雲は拝謝して杯をいただきながら、玄徳の耳へ、そっとささやいた。
「ご油断はなりませんぞ。廻廊の陰に、大勢の伏兵が隠れている気配です」
「…………」
玄徳はしばし素知らぬ顔をしていたが、母公の機嫌のいよいよ麗わしい頃を見て、急に杯をおいて、憂い沈んだ。
母公は怪しんで、
「もし私の生命をちぢめんと思し召すなら、どうか
母公は、
「呉侯。あなたですか。そんな
と、孫権を顧みて、たちまちけんもほろろに叱った。
孫権は、狼狽して、
「いや、知りません。呂範でしょう」
「呂範をこれへお呼び」
「はい」
しかし、呂範も、強情を張って知らないで通した。そして、
「
賈華は、母公の前に立たせられた。彼は、知らないといわなかったが、また、自分の所為であるともいわなかった。ただ黙然と首を垂れていた。母公の怒りは極度にたかぶった。
「喬老。武士たちに命じて、賈華を斬りすてておしまいなさい。わが
玄徳はあわてて命乞いをした。ここに血を見ては慶事の不吉と止めた。孫権は直ちに賈華を追い出した。喬国老は廻廊の外や縁の下の者どもを叱りとばした。鼠のように頭をかかえてそこから大勢の兵が逃げ散って行った。
かくて酒宴は夜に及び、玄徳は大酔して外へ出た。ふと庭前を見ると、そこに
「……?」
孫権は木蔭から見ていた。
「わが覇業成らぬものなら、この岩は斬れじ、わが生涯の大望、成るものならば、この岩斬れよ!」
物蔭から人が歩いてきた。
「皇叔。何をされたのです?」
「おお、呉侯でおわすか。……実は、こうです。貴家の一門となって、共に曹操を亡ぼし得るなら、この岩斬れよ。然らずんば、この剣折れん――と天に念じて斬ったところ、この通り斬れました」
「ほ。……なるほど。では予も試みてみよう」
孫権も、剣を抜いた。同じように天へ祈念をこらして、大喝一声すると、剣石ともに響いた。
「やっ……斬れた」
「オオ。斬れましたな」
この奇蹟は、後世の伝説となって、甘露寺の十
「どうです。皇叔、方丈へもどって、さらに杯を重ねようじゃありませんか。長夜の宴です」
「いや、座にたえません。あまり大酔したものですから」
「では、ひと醒まししてからまた」
袖を連ねて、門外へ
月小さく、山大きく、加うるに長江の眺め絶佳なので、玄徳は思わず、
「ああ、天下第一の
後世、甘露寺の門に「天下第一江山」の額が掛けられたのは、彼の感嘆から出たものと云い伝えられている。
玄徳はまた、月下の江上を上下してゆく
「なるほど、北人はよく馬に
孫権は、どう勘ちがいしたか、
「なに、呉の国にも、良い馬もあり、上手な騎手もいます。ひと
たちまち、二頭の駿馬をひき、ふたり
呉の土民がここを後に「
こんな事もあったりして、玄徳はつい逗留十数日を過した。その間、試されたり、
趙雲子龍も心配顔だし、喬国老も案じてくれた。国老はそのためしばしば呉の宮中に通って母公をうごかし、孫権をなだめ、遂に吉日を
華燭の典の当日まで、趙子龍は主君の側を離れず喬国老に頼んで五百の随員――実は手勢の兵も呉城に入れることの許可を得、間断なく玄徳の身を護っていたが、婚礼の夜いよいよ後堂の大奥へ花婿たる玄徳が入ることになると、さすがにそこから先の禁門には入れもしなかったし、入れてくれとも頼めなかった。
なぜなら
「ホ、ホ、ホ、ホ。貴人。何もそのように怖れ給うことはありません。呉妹君はお
房の内外を司る
玄徳はほっとして、老女侍女など千余人の召使いに、莫大な
七日にわたる婚儀の盛典やら祝賀の催しに、呉宮の内外から国中まで、
「めでたい。めでたい」
と、千載万歳を謳歌している中で、独りひそかに、
「何たることだ」と、予想の逆転と、
すると、
うわさを聞いて、周瑜も仰天したらしい。
金瘡の病患がまだ癒えぬため、参るにも参られず、ただ歯がみをしておるばかりですが、かくてやはあると、自ら心を励まし病中筆をとって書中に一策を献ず。ねがわくは賢慮を垂れ給え――
という書き出しに始まって、「周瑜からこういう謀を施せといってきたが、この計はどうだろう。また失敗に終ったら何もならぬが」
張昭に相談すると、張昭は、書簡の内容を検討してから、
「さすがに都督の遠謀、感心しました。――元来、劉玄徳は、少年早くより
と、
孫権はよろこんで、
「では、玄徳の骨も腐るまで、贅沢の
と、ひそかにその方針へかかり始めた。
すなわち呉の東府に一楽園を造築した。
「兄君もやはり心では妹が可愛いんですね。わたくしたち二人のために、こんなにまでして下さるなんて」
呉妹――今では玄徳の妻たる新夫人は、そういって感謝した。
この若い新妻を擁して、玄徳はここに住んだ。金珠珍宝、無いものはない。
食えば飽満の美味、飲めば強烈な
「……ああ、困ったものだ」
それを見て、毎日、溜息ばかりついていたのは、彼の臣、
「そうだ……一難一難、思案にあまったら
孔明から
「たいへんです。こうしてはおられません」
いきなり告げたので、玄徳も驚かされた。
「何事が起ったのか?」
「
「えっ、荊州へ……。た、たれが報らせてきた、そのようなことを」
「孔明が早舟を飛ばして、自身、呉の境まで注進に来たのです。荊州の危機、今に迫る。国もとへ君を迎えて、一刻もはやく対策を講ぜねば、荊州の滅亡は避け難し――とあって」
「それは、一大事」
「さ。すぐお帰り下さい」
「ううむ。そうか……」とのみで、しばらく沈思していたが、やがて玄徳は、肚を決めたもののように面をあげ、趙雲へいった。
「よし。帰ろう」
「では、直ちに?」
「いや少し待て。妻にもこのことを
「それはいけません。ご夫人に相談遊ばせば、お引きとめあるは必定です」
「そんなことはない。予にも考えがある」
玄徳は、奥へかくれた。
そして妻の室を訪うと、夫人は良人を迎えながらすぐ云った。
「どうしても今度は荊州へお帰りにならねばなりませんか?」
「えっ……。誰にそれを聞きましたか」
「ホホホ。あなたの妻ですのに、そのくらいなことが分らないでどうしましょう」
「はや承知なれば、多くもいわぬ。玄徳はすぐ帰国せねばならん。荊州は滅亡の危うきに
「もとよりです。武門の御身として、この期に、未練がましいことあっては、生涯人中に面は出せません」
「よくいうてくれた。戦場に臨むからにはいつ討死を遂げるやもしれん。そなたともまた再会は期し難い。長春数旬の和楽、それも短い一
「なぜそのような不吉を仰せ出されますか、夫婦の
「さは云え、別れねばならぬ身をどうしよう」
「わたしも共に参りまする」
「えっ、荊州へ」
「当然ではございませんか」
「呉侯が許すまい。母公も決して許されまいが」
「兄に知れたら大変でしょう。けれど母には別に説く途があります。必ずお心を苦しめ給うには及びません」
「どうしてこの呉城の門を出るか」
「もう今年も暮れます。元日の
「なるほど、それは名案だが、そなたはなお、それから先の途上の艱苦や、戦乱の他国へ行っても、後に呉を離れたことを悔いたり悲しんだりしないでいられるだろうか」
「お別れして、ひとり呉に残っていたとて、なんの楽しみがありましょう。良人の側にさえいるなら、炎の
玄徳は嬉しさに涙を催した。彼はまたひそかに趙雲を人なき所へよんで、妻の真情を語り、また策をささやいて、
「元日の朝、人目に立たぬよう、長江の岸へ出て待っておれ」と、打合わせた。
趙雲は、念を押して、
「昔日の事をお忘れなく。必ずとも、孔明の計と
明くれば、建安十五年となる。その元旦は、まだ暁闇深く、朝の月を残していたが、東天の雲には早、旭日の光がさし昇りかけていた。
吉例通り、呉宮の正殿には、除夜の万燈がともされたまま、堂には文武の百官がいならび、呉侯孫権に拝賀をなし、万歳を唱え、それから日の出とともに、酒を賜わることになっている。
折もよし、人目は少ない。
玄徳は夫人
「では、これから江の
玄徳の父母祖先の

宮門を出るには、女房車の備えがある。夫人はそれに乗った。玄徳は美しい鞍をおいた駒にまたがる。
中門を出る。城楼門を出る。
誰も怪しまない。
番卒たちは、
「ほ、
と、羨望の眼を送るだけであった。
元旦の朝まだきである。人はみな酔っていた。まだ明けきらぬ暁闇の空には、白い朝の月があった。
外城門まで出ると、玄徳は、車を押す者や、供の武士たちをかえりみ、
「あの森の中に新泉がある。そち達はみな
と、いってそこへ追い払った。
かねてしめし合わせていたことなので、彼女はすでに車の中で身支度していた。平常でも腰に小剣を離さない夫人である。小さい弓を軽装に吊るし、頭から半身は
車を降りると、彼女は、従者の置いて行った一頭の駒へ、ひらと蝶のようにすがりついた。玄徳もすぐ鞭を当てる。
「うまく行きましたね」
「いや、これからだよ、運のわかれ目は」
しかし玄徳はニコと笑った。
呉夫人も微笑んだ。朝の月を避けた被衣の陰でもその顔は梨の花より白かった。
またたく間に、長江の
「あっ、わが君、オオ、ご夫人にも」
「趙雲か。とうとう来た。ここまでは上首尾だったが、すぐ追手が来ようぞ、急ごう」
「もとより覚悟のこと、趙雲がお供仕るからにはご心配には及びません」
かねて五百の手勢は、趙雲と共にここに待ち受けていたので、玄徳と夫人を警固し、まっしぐらに陸路をとって国外へ急いだ。
幸いにも、このことが、呉侯の耳に入るまでには、それから半日以上もひまがかかった。原因は、外城門まで、夫人の車を押して出た士卒や供の武士が、
「どこまでお出でになったのか」と、かかる出来事とも知らず、江辺を捜し廻ったり、後難をおそれていたずらに上訴の時を移していたためである。
いよいよそれと真相が判明したのはすでに夕方に迫っていた。終日の宴に呉侯は大酔して眠っていたところであったが、聞くや否、
「おのれ
と、傍らの
それからのあわただしい評議。間もなく宵の城門を、五百余りの精兵が、元日の夜というのに、
呉侯孫権の怒りはしずまらず、彼の罵る声が、夜になっても呉城の灯をおののかせていた。急を聞いて登城した
「追手の将には、誰と誰をおつかわしになりましたか」
「陳武と
「ご人数は」
「五百」
「ああ、それではだめです」
「なぜだ」
「すでに
孫権はそう聞くと、いよいよ憤って、たちまち、
「汝ら、この剣を持って、玄徳を追いかけ、必ず
と、身に
夜も日も馬に鞭打ちつづけた。さる程にようやく
だが幸い、途中の一豪家で車を求めることができ、夫人は車のうちに移した。そしてなお道を急いで落ち延びた。
「やよ待て、玄徳の一行、呉侯のご命令なるぞ。縄をうけろ」
山の一方から大声がした。約五百の兵がふた手になって追ってきたのだ。
趙雲は騒ぐことなく、
「あとは、それがしが
と、玄徳と夫人を、なお
この日の難は、一応のがれたかに見えたが、次の日、また次の日と、玄徳の道は、先へ行くほど、
すなわち
「ああ、いけない。この先には呉兵が陣している。今は進退きわまったか」
玄徳が痛嘆すると、
「いや、孔明軍師は、あらかじめかかる場合にも、
趙雲がそれを彼の耳へささやいた。玄徳はいくらか希望を取り戻して、やがて夫人の車へ近づき、
「妻よ、わが妻よ。ここまでは共に来たが、玄徳はついにここで自害せねばならぬ。御身はない縁とあきらめて、ここより呉へもどられよ。九泉の下で後の再会を待つであろう」
夫人は、簾をあげて、おどろきと涙の面をあらわした。
「再び呉へ帰るくらいなら、ここまでも参りません。どうして急にそんなことを仰っしゃるのですか」
「でも、呉侯の追手は前後に迫ってくるし、周瑜もそれを励まして、百方路をふさいでいる。
ところへ早くも、徐盛と丁奉は、部下を率いてここへ殺到した。夫人はあわてて玄徳を車のうしろに隠し、簾を払って地上へ跳び降りた。
「それへ来たのは何者です。主君の妹に指でもさしてご覧、おまえたちの首は、わたくしの母君が、半日だってそのままにしておきはしませんから」
と、
「おお、呉妹君におわすか」
と、徐盛と丁奉とは、思わず地へひざまずいた。主筋ではあるし、この女性の
「丁奉に徐盛ではないか」
「はっ。さようでございます」
「
「でも、呉侯の御命。また周都督のおさしずでもあります」
「
「いや、あなた様に危害を加えるのではありませぬ。ただ玄徳を」
「おだまりっ。玄徳さまは大漢の皇叔、そして今はわが夫です。ふたりは母公のおゆるしを賜い、天下の前で婚礼したのです。おまえ方
「しばらく。……しばらくお怒りをおしずめ下さい」
と、あわてて手を振った。
夫人は耳もかさない。また怒りの色も収めなかった。いよいよ叱っていうのである。
「おまえ方は、ひとえに周瑜ばかり怖れているのであろう。早く立ち帰って、いま私がいった通りに、周瑜に伝えるがよい。もし周瑜がおまえ方を命に従わぬ者として斬ったなら周瑜のごとき匹夫、立ちどころに私がこの剣で成敗してみせる」
徐盛も丁奉も、夫人の烈しいことばの下に、まったく
「それ、駈けよ。車を早めよ」と、たちまち道を急がせた。
玄徳も馬の背に伏して駈け通った。五百の兵もどかどかと足を早めた。丁奉、徐盛はみすみす眼の前にそれを見たが、趙雲子龍がすさまじい眼をかがやかせて、道ばたに
「やあ、どうした?」
彼方から来た馬上の二将軍は、ふたりを見かけて声をかけた。呉侯の命で後から大兵を率いてきた陳武と
「実は、これこれです。如何せん先は主君の御妹、こちらは臣下。頭から叱りつけられては、どうすることもできないので……」
「何、何。取逃がしたとか。さりとは気弱な。さあ続いてこい。
と、馬煙を立てて追いかけた。
先にゆく夫人の車と玄徳の一行は、長江の岸に沿って急いでいたが、またまた、呼び止める者があるので、騒然一団になって立ち淀んでしまった。
夫人はふたたび車から降りて追手の大将どもを待つ。その姿を目がけ、陳武以下の四将は馬に鞭を加えてこれへ駈けこんで来た。
「何ですっ、その無礼な
「おまえ方は、緑林の徒か、江上の舟賊か。呉侯の臣ならばそんな不作法な真似をするわけがない。主君の妹に対してする礼儀を知らないのか。お坐りっ。ひざまずいて拝礼をするものです!」
四人の大将は、彼女の威と、絶倫な美と、その理に打たれて、不承不承、大地に膝をつき叉手を頭の上にあげて最大な敬礼をした。
ようやく、すこし面を
「いったい、何しに、またこれへ来たんですか」
潘璋がいった。
「お迎えのためにです」
と、夫人は首を振った。
「呉へは帰りません」
「でも、呉侯の御命ですぞ」
「わたし達は、母のゆるしによって城を出たのです。孝行な兄孫権が、母の
「いやいや。呉侯の仰せには、首にしてもとの厳命でした」
「わたくしを、首に?」
「…………」
「首にしてもですって?」
「……いや、その、失言しました。玄徳のほうをです」
「おだまりなさい!」
「はっ」
「この身に
「…………」
「さ。お起ち。それが覚悟なら
四人の大将は、ひとりも起ち得なかった。それにいつのまにか、玄徳は辺りに見えず、例の趙雲だけが、眼をいからして、夫人の傍らから離れずにいた。
追手の大将四人は、空しく夫人の車を見送ってしまった。この時も趙雲は、一手の軍兵を持って、最後まで四人の前に
「残念だな」
「だが、あの女丈夫には、なんともかなわん」
是非なく、四人は道をかえした。そして十数里も来た頃である。一
「玄徳の行方は如何に」
「夫人はどこにおらるるか」
見れば、呉の
面目なげに、陳武が云った。
「だめです……どうも」
「何がだめだ?」
「追いついて捕えんとしましたが、夫人がいうには、母公のおゆるしをうけて城を出たのだから、母公のおいいつけでなければ帰らぬと仰せられます」
「何の。口巧者な。な、なぜいわん。こちらは呉侯の厳命であるぞ」
「呉侯はわが兄。
「えい、そんなことで、どうして追手の任が果せるか。かくなる上は、玄徳も、また主君の御妹たりとも、首にしてしまうまでのこと。見よ。この通り、仮借すなとて、主君孫権には、お手ずから我らに剣をおあずけになった!」
「やっ。御剣ですか」
「知れたこと。――思うに玄徳の一行は大半が
刻々と迫るこういう危険な情勢の中を、玄徳と夫人の車は、なお逃げ落ちられる所まではと、ただ一念一道をひた
いつか、柴桑の城市を横に見、その郊外を遠く迂回して、また道は江に沿ってきた。そして
「舟はないか」
「舟は? 舟は?」
玄徳も趙雲も、ここへ来てはたと、それに当惑した。
漁村らしいのに、どうしたのか船は一つも見当らない。のみならず、一方は
「趙雲。趙雲」
「はい。ご主君……」
「遂に虎口に落ちた。最後へ来たな」
「いや、まだご失望は早過ぎます。今、例の錦の
趙雲はなぐさめた。しかし玄徳は黙然と灰色の空や水を見まわして、車のうちの夫人にものもいえず、暗然とたたずんでいるだけだった。するとたちまち、山ぎわのあたりの夕雲が、むくむくと動き、
「おお如何にせん」
玄徳は、身を揉んだ。
夫人も今はと覚悟して、簾のうちから飛び降りる。
「すわ!」と、近づく
すると、たちまち、
「乗り給え。早く早く」
「皇叔。いざ
と、手を打振って口々に呼ぶ。その中に、いま舟底から這い出して、共々呼んでいた道服の一人物があった。一目に知れる
孔明の従えてきた荊州の舟手の兵は、みな

「やあ、その舟返せ」
呉の追手は、遅ればせに来て、あとの岸にひしめき合っていた。
孔明は一舟の上からそれを指さして、
「すでにわが荊州は一国たり。一国が一国を
と、岸へ向って云った。
多くの舟から、どっと嘲笑があがった。
それに答えて岸からは、雨のように矢が飛んできたが、みな江波に落ちて
しかし、江上を数里進んで、ふと下流を望むと、追風に満帆を張った兵船が百艘ばかり見えた。中央に「
「おおっ、呉の大船隊が」
と、玄徳をはじめ人々がみな色を失うと、孔明は、舟手の者にすぐ進路を指揮し、
「かねて予測されていたこと。お
と、速やかに岸へ寄せ、そこからは陸地を取って逃げ奔った。
当然、呉の水軍も、船をすてて陸地へ駈け上がってきた。黄蓋、韓当、徐盛など、皆飛ぶが如く馬を早めて来る。
周瑜もその中にあって、
「ここはどの辺だ?」と、諸将にたずねていた。
「黄州の境にあたります」
徐盛が答えた時である。
一
「すわ。敵に何か、備えがあるらしいぞ」
急に、退きかけると、
「われこそ、
「
左の沢からも、
呉の将士は、存分な戦いもせずに、続々、討死を遂げた。周瑜は、上陸したもとの所まで、馬に鞭打って逃げのび、あわてて船へ身を移すと、その時、もう遠い先へ行っているはずの孔明が、忽然と、一隊の兵を率いて、江岸に姿を現わし、大音にいった。
周郎ノ妙計ハ天下ニ高シ
夫人ヲ添エ
マタ、兵ヲ
それを二度もくり返して、一斉にどっと笑い
「おのれ。その儀なれば、
と、地だんだ踏みながら、船を岸へ寄せろと呶鳴ったが、黄蓋、韓当などは、味方はあらまし討たれ、残る士卒も戦意をうしなっているのを見て、
「ここが我慢のしどころです」と、もがく周瑜を抱き止めながら、船手の者に、
「帆を張りあげろ。早く船を中流へ出せ」と、命じた。
周瑜はなお、
「無念。実に無念。かかる恥をうけ、かかる結末をもって、なんで、大都督周瑜たるものが、再び呉国へ帰れよう。おめおめと呉侯にお目にかかれよう。――おれは恥を知っている!」
と、叫びながら、歯をギリギリ咬み鳴らしたと思うと、その口からかっと真っ赤な血を吐いて、
「都督っ。周都督」
「お気をたしかに持って下さい」
呉の諸将は、周瑜の体を抱き起し、左右から悲痛な声をふり絞った。
しばらくして、周瑜はようやく、うす目をひらいた。
「……船を。船を呉へ向けてくれ」
かすかな声でいった。
蒋欽と周泰は、病都督の身を守って、
周瑜は恨みをのみながら、ふたたび病牀に親しむのほかなかった。
けれど、やがてこの始末を知った呉侯孫権の鬱憤はやりばもなく、日夜、
「どうしてこの報復を」と、玄徳を憎んでいた。
ところへまた、病中の周瑜から、長文な書簡がきた。
――君。一日も早く、兵馬を強大にし、荊州を討ち
さらぬだに若い孫権、そう励まされなくても、
「急に、何のご軍議ですか」
重臣張昭は、それと聞くや、すぐ彼の前に出て
彼は、最初からの平和論者――というよりも自重主義の文治派であった。
「いま、赤壁の恥をそそがんと、曹操が日夜再軍備にかかっていることをお忘れですか。曹操がすぐにも大兵の再編成をして来ないのは、力がないからではありません。また、呉を怖れているからでもありません。呉と玄徳との聯合を怖れているのです。それを今もし呉が玄徳を攻め、両者の間に完全な戦争を生じれば、曹操は時機到来と、魏の全軍をあげて襲来しましょう」
「では、どうしたらいいか」
「それを如何にするかという問題より前に、しておかなければならない懸案があります」
「それは?」
「玄徳が曹操と和を結ばないように、処置を講じておくことです」
孫権はちょっと色を変えた。
「玄徳が――曹操と結ぶだろうか?」
「当然、ありうることでしょう。ありえないこととこちらが
「それは未然に警戒を要する」
「ですから――何よりもそれが当面の急です。てまえが思うには、この呉にも、曹操の隠密がかなり入りこんでいますから、すでにわが君が玄徳と面白からぬ感情にあることは、はや許都の曹操にも知れておりましょう。曹操は機を知ること誰よりも敏ですから、或いはもう使いを出して玄徳へ水を向けているかもしれません。早くなければなりません――この対策は」
「むむ。一朝、玄徳が魏と同盟するとなると、これは呉にとって、重大な脅威になる。――それをどう防ぐかだが、なんぞ、良策があるか」
「すぐにも都へ使いを
「…………」
孫権はおもしろくない顔をした。
張昭はたたみかけて、若い主君を
「すべて外交の計は苦節です
「敵地へ行って、そういう遠謀を巧みに植えつけるような間諜が、さし当って、おるだろうか」
「おります。平原の人で
「呼べ。早速」
孫権は、その気になった。
そして今し、建安十五年の春。

「祝おう。大いに」
曹操は、許都を発した。
同時に――造営の事も終りぬれば――とあって、諸州の大将、文武の百官も、祝賀の大宴に招かれて、

そもそも、この

城から望んで左の閣を玉龍台といい、右の高楼を金鳳台という。
いずれも地上から十余丈の
「ここは、この世か。人の住む建築か」と、たたずむ者をして恍惚と疑わしめるほどだった。
「いささか予の心に
由来、英雄は土木の工を好むという。
この日、曹操は、七宝の金冠をいただき、
「規模の壮大、
文武の大将は彼の台下に侍立した。そして万歳を唱し、全員杯を挙げて祝賀した。
「何かな、この
曹操は考えているふうであったが、やがて左右に命じて、秘蔵の
「各

「心得て候う」とばかり、自ら選手を希望して出た人々は、二行に列を作って、柳に対した。曹氏の一族はみな紅袍を着し、
選手はみな馬に乗り、手に
曹操はふたたび告げた。
「もし、射損じたものは、罰として、

誰も、退かなかった。
馬は勇み、人々の意気は躍る。
「よし!」
と曹操の言下に、合図の
諸人これを見れば、すなわち曹操の甥で、
見事。矢は
「ああ! 射たり、射たり」
と、感嘆の声は堂上堂下に湧いてしばし拍手は鳴りやまない。
その間に、近侍のひとりは、柳の側へ走って、かけてある
「待ち給え。丞相の賞は、丞相のご一族で取るなかれ。それがしにこそ与え給え」
と呼ばわりながら、はや馬をすすめて、馬馴らしに芝生を駈け廻っている一将がある。
誰かと見れば、すなわち荊州の人
文聘は鐙に立った。弓手は眉を横に引きしぼる。
矢はひょうッと飛んだ。
とたんに、
「あたった、あたった。柳にかけたる
大音あげて、文聘がいうと、
「何者ぞや、
と、また一騎、駈け出た。
曹操の
握り太な
陣々の銅鑼、陣々の鼓、打ち
すると、また一人、
「笑うべし、文聘の児戯」と、馬おどらせて、あたりに威風を払って見せた大将がある。諸人これを見れば
夏
「この
と、馬上から袍へ、手を伸ばそうとすると、遠くから、
「待った!
これなん
「――あっ」
と、諸人は胆をつぶした。彼の矢は、あまりにも見事に、柳の枝を射切っていたからである。柳葉
同時に、
「丞相の
と、呶鳴った。
「ひどいやつだ」と、諸人みな、

「やっ。狼藉な」
「何の。まだ丞相のおゆるしはなし。その
「無法無法」
「渡せ。いで渡せ」
とうとう、二人は引っ組んで、四つになり、
「分けろ、引分けろ」
曹操は台上から苦笑して命じた。
物々しく、
「いや、いずれ劣らぬ紅や緑。日頃のたしなみ、武芸の励み、見とどけたぞ。――なんで汝らの精励に対して、一裲の衣を惜しもうか」
と、大機嫌で、一人一人の者へ
「さあ、位階に従って席に着け。さらに
その時、

水陸の珍味は、列座のあいだに配され、酒はあふれて、台上台下の千杯万杯に、尽きることなき春を盛った。
「武府の諸将は、みな弓を競って、日頃の能をあらわした。江湖の博学、文部の多識も、何か、佳章を
酒たけなわの頃、曹操がいった。
万雷のような拍手が轟く。
「
水明ラカニ山秀イデ光輝ヲ競ウ
三千ノ
百万ノ
曹操は、大いに興じて、特に秘愛の杯に酒をつぎ、
「杯ぐるみ飲め」
と、王朗に与えた。
王朗は、酒を乾して、杯は
すると、また一人、

この人は、当代に於て、
銅雀台ハ高ウシテ上天 ニ接ス
眸 ヲ凝 セバ遍 ス旧山川
欄干 ハ屈曲シテ明月ヲ留メ
窓戸 ハ玲瓏 トシテ紫烟 ヲ圧ス
漢祖ノ歌風ハ空シク筑 ヲ撃チ
定王ノ戯馬 謾 ニ鞭ヲ加ウ
主人ノ盛徳ヤ尭舜 ニ斉 シ
願ワクハ昇平万々年ヲ楽シマン
と、高吟した。漢祖ノ歌風ハ空シク
定王ノ
主人ノ盛徳ヤ
願ワクハ昇平万々年ヲ楽シマン
「佳作、佳作」
曹操は激賞しておかなかった。そして彼には、一面の
「ああ、人臣の富貴、いま極まる」
曹操は左右の者に述懐した。彼はこういう中でも反省した。
「――とはいえ、もしこの曹操が出なかったら、国々の反乱はなお
彼は、侍坐の重臣に、そう語り終ると、また数杯をかたむけて、面色大いに
「筆と硯をこれへ」
彼もまた、
吾レ高台ニ独歩シテ兮
俯シテ万里ノ山河ヲ観ル
という二句まで書きかけたところへ、たちまち、一騎の早打ちが、何事かこれへ報らせに飛んできた。俯シテ万里ノ山河ヲ観ル
大宴満酔の折も折、席も席であったが、
「時務は怠れない」と、曹操は、早打ちの者を、すぐ階下によびよせて、
「何事やある?」と、許都からの報らせを訊いた。
「まず、相府の書を」と、使いは、官庁からのそれを曹操へ捧じてから、あとを口上で告げた。
「湖北へお出ましの後、江南の情報が、しきりと変を伝えてきました。それによると、呉の孫権は
「なに。呉侯の妹が、玄徳へ嫁いだ……?」
曹操は思わず、手に持っていた筆を取落した。
その

「丞相、どう遊ばしました。敵軍の重囲におち給うて、矢にあたり石に打たれても、なお顛倒されたことのない丞相が……?」
「程

「まことに、晴天一
「水と龍と、相結んだものを、断り離つのは難しいだろう」
「

「聞こう。――その計は」
「愚存を申しますれば、なんといっても孫権がたのみとしているのは、
「そして」
「別に勅を仰いで、周瑜を
「……むむ。そうか」
曹操は、程

その夕、彼は、銅雀台の遊楽も半ばに、

そして、呉使

天子、詔 を降して、いま不肖周瑜に、南郡の太守に封ずとの恩命がありましたが、南郡にはすでに玄徳あり、臣の得る地は一寸もありません。しかもその玄徳は今、主家のお妹君の婿たり。臣、朝命に忠ならんとすれば、主家の親族にそむく科 を得べく、主家に忠ならんとすれば、朝命にもとることと相成ります。
ねがわくは、周瑜の心事を憐み給い、君公のご賢察を仰ぎ奉る――
孫権は近頃、呉のねがわくは、周瑜の心事を憐み給い、君公のご賢察を仰ぎ奉る――
「困ったことになった。周瑜からはこう云ってくるし、玄徳はわが妹婿となったのを名として、いよいよ荊州を呉へかえす肚などあるまい」
「いえ、
「黙れ、黙れ。そんな
「おそれ入ります。そこまでは」
「それみい。其方とて、必ずそういう時期があるとは保証できまい。ましてや彼には孔明という者がついている以上、素直に荊州を渡すわけはない」
「私の責任です。願わくはもう一度、荊州へ私をおつかわし下さい」
「きっと話をつけて来るか」
「あくまで、談じて参ります」
ここ、各地の合戦は、すこし
荊州を中心に、今や玄徳は、孔明を師とし、関羽、張飛、趙雲などを翼尾として、日夜、軍馬を調練していた。軍事そのものばかりでなく、政策、経済、交通、あらゆる部門に、次の必然なるものの到来に備えていた。
「
玄徳は、孔明に
孔明はこう教えた。
「もし
「そして?」
「あとは私が、よいように、そこの所を計らいますから」
やがて魯粛はこれへ着いて、堂上に迎えられ、かつ上席に請ぜられた。
「恐縮です。魯粛如きに、上座をお譲り遊ばすとは」
「なぜ、ご遠慮あるか」
「以前はともあれ、今はわが主君の婿君たるあなた様をおいて、臣下の私が上に坐るいわれはありません」
「いや、旧交を思うてのこと、左様に謙譲にせずともよい」
「でも、礼儀だけは」と、物堅い魯粛は、あくまで辞退して、横に席を取った。
だが、答礼も終って、いよいよ用件の段階に入ると、さすがにその謙虚も払って、
「呉侯のご命をうけて、再度、それがしがこれへ参った仔細は、疾くご推察であろうが、もっぱら荊州譲渡の事を議せんためであります。すでに呉家と劉家とは、ご婚姻によって、まったく一和同族の
魯粛が、厳重な語気を
魯粛は
「……これは?」と、ばかり玄徳の哭く様子を見まもっていた。
孔明は、その
「粛公。あなたは、皇叔がなんで嘆き悲しむか、仔細をご存じか」
「わかりません」
「蜀の
「わかりました」
魯粛は、座を起って、なお
「皇叔、皇叔……。さのみ嘆き給いそ。私と孔明とで、何か良い思案をめぐらしますから」
魯粛が、情にうごいた容子を見て、孔明はここぞと、共に情をこめて玄徳へいった。
「わが君、そのようにご悲嘆ありましては、遂には、心身をそこねましょう。万事は魯粛どのの仁侠と義心にお頼みあそばして、心をひろくお持ち下さい。――また粛公には、呉侯に対して皇叔がこのように
魯粛は、急に我にかえって、大げさに手を振りながら、
「待って下さい。またしても、むなしく、そんなご返事をもたらして帰ったら、今度こそ呉侯も、どうおっしゃるか分りません」
「いやいや、すでにご自分の妹君を
温厚寛仁な魯粛は、そういわれると、とかくの議論にも及ばず、ただ玄徳の立場に同情し、ひいては主君の意思の裏にも、一片の情けはある筈だと思いこんでしまった。
ついに今度も、
「君の性質は、全然、外交官としては
馬鹿といわないばかりに、腹を立てて云った。
「考えても見給え。劉表に身を寄せていた頃から、常に劉表の
魯粛は、青くなった。
呉侯に取次ぐ言葉がないからである。
「もう一度、荊州へ行って来給え。そんな回答をたずさえて、呉侯の前でおめおめと当り前みたいな顔して申し上げたら、おそらく卿の首はその場でなくなるにきまっている」
周瑜は一大秘策を授けた。
(君は篤実な長者とはいえるが、外交官としてはゼロだよ)と、彼にいわれた魯粛は、それを不名誉とも思わず、あくまで自己の性格の命ずるまま、周瑜の秘策を持ってそこから再び荊州へ引っ返した。
そして玄徳に会うと、こう告げた。
「立ち帰って、あなたのご苦衷と、おなげきの態を、主君孫権へ、ありのまま、お伝えいたした所、主君も大いに同情の色を現し、群臣と共に、ご評議の結果、こういう一案をお立てになりました。おそらく、これには皇叔とても、よも異存はあるまいとの衆議からで……」と、ここに周瑜の智謀から出た
玄徳は、異議なく、協力を誓った。
その前に、孔明からいわれていたので、むしろ歓びを現して、
「呉の兵力をもって、蜀を攻めていただければ、これに越したことはない。ご軍勢の領内通過は、当然なことで、許すも許さないもありません。こう好都合に
(このたびこそ上首尾に)
魯粛も心ひそかに喜悦して、早速、
「呉の軍勢をもって、蜀を攻め、それを取って、この玄徳に与えようとは、いったいどういう呉侯の
「いや、呉侯の肚ではありますまい。またしても
「なぜ、そういえるか」
「魯粛はまだ呉の南徐まで帰ったのではありません。途中柴桑に寄って、周瑜に会い、彼の策をそのまま持って、再びこれへ来たものです」
「なるほど。往来の日数から数えても、ちと早過ぎるとは思ったが」
「蜀を攻めるを名として、荊州の通過を申し入れてきたのは、明らかに周瑜の考えそうな謀略で、実は荊州を取るつもりです」
「それを知りつつ、なぜ軍師には彼の要求を容れよと、予にすすめたのか」
「時節到来です。お案じ遊ばすな」
趙雲をその場に呼び、何事か策をさずけて走らす一方、孔明自身も、やがて来るべきものに対し、万端の備えをしていた。
一方。
魯粛の返辞を聞いて、柴桑の周瑜は、手を打ってよろこんだ。そして快然と、こういった。
「今度こそ、してやったり、初めて孔明をあざむき得たぞ!」
魯粛は、船をいそがせて、南徐に下り、呉侯に会って
「さすがは周瑜、これほどな智謀の持ち主は、呉はおろか、当代何処にもおるまい。玄徳、孔明の運命も、ここに極まったり」と、呉侯の共鳴もすばらしいものである。直ちに、早打ちをやって、周瑜を励まし、また
このとき周瑜は、
時の記録には、彼の心事を描いて、
心ノウチ仕済 シタリト打チヨロコビ
笑イ楽シンデ、溯江 数百里、夏口 マデ来リケル。
と、ある。笑イ楽シンデ、
おそらく彼の心境はそうだったろうと思われる。夏口へ着くと、彼は土地の役人に訊ねた。
「たれか荊州から迎えは来ていないか」
役人は
「劉皇叔の命をおび、
間もなく、江頭から小舟が漕いできた。糜竺であった。
「ご遠征、まことにご苦労にぞんじます。主人もすでに、御軍需の用に供える金銀兵糧の用意を済まし、また、諸軍のご慰労などもどうしたがよいかと、心をくだいておられます」
船上に登って、糜竺が、こう拝伏して告げると、周瑜は尊大に構えて、
「劉皇叔には、今どこにおらるるか」
と、質し、すでに荊州の城を出て、貴軍の到着を待っていると聞くと、周瑜は、
「こんどの出陣は、蜀を取って、皇叔に進上せんためであって、まったく貴国の為に働くのであるから遠路を来たわが将士には、充分なもてなしと礼をもって迎えられよ」
と、特にいった。
そのあとから周瑜もすぐ上陸した。江上一帯に、兵船の備えを残して、陸路、荊州へおもむいた。
ところが、公安まで来ても、劉玄徳の出迎えはおろか、小役人の迎えにも会わない。
「荊州までどのくらいあるか。あとの道のりは?」
心に怪しみながら周瑜がたずねると、
「もうわずか十里しかありませぬ」と、彼の幕下たちも眉をひそめ合っている。
「はて。いぶかしい?」と、休息しているところへ、先手の斥候が馬をとばして来て、
「何か、様子が変です。はるか見渡すかぎり、人の影も見えず、荊州の城を望めば、まるで葬式のように、
周瑜は、聞くや否、
「甘寧、丁奉と来い」と、精兵千騎だけをつれて、まっしぐらに荊州城下まで駈け通した。
「孔明も、馬鹿ではない。或いは、こっちの肚を察して、いち早く、城を明けて逃げ出したのかも知れない」
周瑜が八、九分まで信じていたものは、そういう見解だった。ところが城門へ来て、門を開けよと呼ばわると、中から、
「何者だっ」と、案外、気の強い声がした。
「呉の大都督周瑜である。なぜ劉皇叔には、出迎えに出ないかっ」
大音に叱り返すと、とたんに城頭の白旗がばたんと仆れた。そしてたちまち、それに代って炎のような
「周都督、何しに来たか」
と、いう者がある。
仰いで天を見ると、
「オオ
「知らず!」と、噛んで吐き出すように、趙雲は下をのぞいていった。
「わが軍師孔明には、すでに足下が――道ヲ借リテ草ヲ枯ラス――の計を推量し、それがしをここの番につけ置かれた。
と、槍を頭上にかざして、今にも投げ落そうとする姿勢を示した。
「いよいよ、怪しいことばかりです。いま諸方の巡警からしらせて来たところによると、関羽は江陵より攻め来り、張飛は

「ううむっ……」
がばと、周瑜は、馬のたてがみに、うっ伏してしまった。
せっかく癒りかけていた
諸将は、仰天して、周瑜の身をかかえ、辛くも救命薬を与えて蘇生させた。ところへまた、物見が来て、
「孔明と玄徳は、ついこの先の山上に、
と、告げたので、周瑜はいよいよ歯がみをして、無念の拳をにぎりしめた。
周瑜の侍医や近侍たちは、こもごもになだめて、安臥をすすめた。
「怒気をお抱き遊ばすほど、破傷のご苦痛は増すばかりです。なにとぞお心をしずめて、静かに、しばしご養生を」
大軍を率いて遠く
ところへ、呉侯孫権の弟
「会いたい」
というので、早速、馬をとばして迎えにやると、孫瑜はすぐ駈けつけて、こう慰めた。
「都督、余りじりじりせぬがよい。予がこれへ来たからには、万事、呉侯に代って指揮いたすゆえ、御身はしばらく船中へ退いて、何よりも身の養生に努めるがいい」
しかし、周瑜はなお、身の苦痛など口にも出さない。火の如き憤念を吐いて、
「誓って、荊州を取り、玄徳、孔明の首を見なければ、なんの
血涙をたたえて云った。
その途中である。
「周瑜来らば――」と、虎を狩るように、厳しく陣をめぐらしているとある。
周瑜は聞くと、
「降ろせっ。輿の中よりわしを出せ。
けれど
するとそこへ、荊州の軍使と称する者がきて、一書を、周瑜へ渡して去った。――見れば孔明の手蹟である。
その文にいう。
漢ノ軍師中郎将諸葛亮 、書ヲ大都督公瑾 (周瑜)先生ノ麾下 ニ致ス。
亮、柴桑 ノ一別ヨリ、今ニ至ッテ恋々ト忘レズ。聞ク、足下 、西川 (蜀)ヲ取ラント欲スト。
亮思エラク、不可ナリ。益州(蜀)民ハ強クシテ地ハ険。
劉璋 ノ暗弱ヲ以テシテモ守ルニ足レリ。今、師 ヲ挙ゲテ遠征シ転運万里、全功ヲ収メント欲シ、呉起 ツトイエドモソノ規 ヲ定ムルコト能 ワザラン。
抑 、天下如何ナル愚人ゾ。曹操ガ赤壁ノ大敗ヲ見テ、亦 、ソノ愚轍 ヲアエテ趁 ワントスルトハ。今、天下三分シ、操ハソノ二分ヲ占メ、ナオ、馬ヲ蒼海ニ水飼イ呉会ニ兵ヲ観ンコトヲ望ム。時呉兵ヲシテ遠伐 ニ赴カシメ、自ラ守ルヲ虚シュウスルハ長計ニ非ザル也。操ガ兵一度至ラバ、江南粉滅サレ尽サン。
坐シテ視ルニ忍ビズ、ココニ告グ。幸イニ照覧ヲ垂レヨ。
読み下してゆくうちに、周瑜は亮、
亮思エラク、不可ナリ。益州(蜀)民ハ強クシテ地ハ険。
坐シテ視ルニ忍ビズ、ココニ告グ。幸イニ照覧ヲ垂レヨ。
「ううむっ……」と、太く、苦しげに、長嘆一声すると、急に、
「筆、筆、筆。……紙を。
と、さけび、引ったくるように持つと、必死の形相をしながら、なにか懸命に書き出した。文字はみだれ、墨は散り、文は綿々と長かったが、遂に書き終るや否、筆を投げて、
「ああ、無念っ……無情や人生。皮肉なることよ宿命……。天すでに、この周瑜を地上に生ませ給いながら、何故また、孔明を地に生じ給えるや!」
云い終ると、昏絶して、一たん眼を閉じたが、ふたたびくわっと見ひらいて、
「諸君。不忠、周瑜はここに終ったが、呉侯を頼む。忠節を尽して……」
忽然、うす黒い瞼を落し、まだ三十六歳の若い
「なに、
孫権は、彼の遺書を手にするまで、信じなかった。いや信じたくなかった。
周瑜の遺書には、
(自分の亡い後は、
とも云いのこしてあった。
孫権の悲嘆はいうまでもない。暗澹と、彼の将来を思って、
「周瑜のような王佐の才を亡くして、この後何を力とたのもう」
と
けれどいつまで嘆いている所ではないと、張昭そのほかの重臣たちに励まされて、周瑜の遺言を守り、魯粛を大都督に任命した。以後、呉の軍事はすべて、彼の手に
もちろん、国葬を以て、遺骸は篤く葬られた。国中、喪に服して、哀号の色もまだ拭われないうちに一船、江を下ってきて、
「元勲、瑜公の死を聞き、謹んで遠くよりおくやみに来ました」と告げた者がある。
そう関門へ告げに来た者は、すなわち
「斬ってしまえ」
「これへ来たこそ幸いなれ、彼の首を、霊前に供え、故人の怨恨を今ぞ晴らさん」
と、ひしめきあった。
けれど、孔明のそばには、たえず趙雲が油断なく眼をくばっているので、容易に手が下せなかった。
しかも孔明は塵ほどな不安も、姿にとめていなかった。
殺気満ち
――亮 ヤ不才、計ヲ問イ、謀 ヲ求ム、皆君ガ神算ニ出 ヅ。呉ヲ扶 ケ、曹ヲ討チ、劉ヲ安ンジ、首尾掎角、為ニ完 シ、嗚呼公瑾今ヤ永ク別ル。何ヲ慮 リ何ヲカ望マン。冥々 滅々、霊アラバ我心ヲ鑑 ラレヨ。此ヨリ天下再ビ知音 無カラン。嗚呼痛 マシイ哉。
読み終ると、孔明は、ふたたび地に伏して大いに(周瑜と孔明とは、たがいに仲が悪く、周瑜はつねに孔明を亡き者にしようとし、孔明もまた周瑜に害意をふくんでいると聞いていたが、……この容子ではまるで骨肉の者と別れたような嘆き方だ。察するところ、周瑜の死は、まったく孔明のためではなく、むしろ周瑜自身の狭量が、みずから求めて死を取ったものだろう。どうもそれでは致し方もない……)
初めの殺意は、かえって、後の尊敬となって、
ところが、ここにただ一人、城門の陰から見え隠れに、孔明のあとをつけて行った破衣
魯粛は、江の岸まで孔明を送ってきた。
別れて孔明が、船へ乗ろうとした時である。竹冠の浪人は、
「待てっ」
いきなり馳け寄りざま、
「すでに周都督を、気をもて殺しながら、口を拭いて、自らその
と、片手に剣を抜いて、あわや孔明を刺そうとした。
別れて十歩ほど、そこを去りかけた魯粛も、この声に仰天して、
「何をするかっ、無礼者」と、馳けもどるなり浪人の腕をつかんで振り飛ばした。
すると浪人は、自身ひょいと飛びのいて、
「あははは、冗談です」
と、もう剣を
見れば、背の低い、そして鼻の平たい、容貌といい風采といい、まことに人品のいやしげな男だった。
孔明は、にこと笑って、
「やあ、誰かと思うたら、

と、親しげに寄って、その肩を打ち叩いた。
「なんだ、貴君か」
と、
「悪いお戯れをなさる。部下の血気者でも狼藉に及んだかと思って、ぎょッとしましたよ」
一笑して、彼はそのまま、城内へ帰って行った。


孔明ハ、
荊州滅亡の後、その

で、孔明は、船が
「おそらく、御身の大才は、呉の国では用いられまい。君も一生そう浪人しているつもりでもあるまいから、もし志を得んと思うなら、この書をたずさえて、いつでも荊州へやって来給え。わが主玄徳は寛仁大度、かならず君が補佐して、君の志も、共に達することができよう」
孔明の船は、江をさかのぼって、遠く見えなくなった。
船影が見えなくなるまで、

その後、呉では、
けれどいくら死後の祭を盛大にしてやっても、なお恋々と故人の才を惜しんでは日夜痛嘆していたのは孫権自身であった。すでに乗り出してしまった大業に向って、まだ赤壁の一戦に
それに代る柱石として、魯粛を大都督に任じたものの、魯粛の温厚篤実では、この時代をよく乗り切って呉の国威を完うし得るかどうかすこぶる疑わしい。――それは誰よりも魯粛自身がよく知っていた。
「私は元来、取るに足らない
彼の正直なことばを孫権もそのまま容れて、しかし一体、そのような人物がいるだろうかと反問した。もしおるならば推薦せよといわぬばかりに。
「おります。ただ一人」と、魯粛は、主君の言下に、こう推薦した。
「世々

「おお、鳳雛先生か。かねて名だけは聞いておる。周瑜と人物をくらべたら?」
「故人の評はいえません。しかし、孔明も彼の智には深く伏しています。また襄陽人士のあいだでも、二人を目して、
「そんな偉才か」
「上天文に通じ、下地理を
孫権は渇望の念を急にした。すぐ召し連れよとある。魯粛が数日のあいだ

「まだか。まだか」
幾度も催促したほどだった。
けれどやがて魯粛がたずね当てて呉の宮中へつれて来たのを一見すると、孫権はひどくがっかりした顔をした。
何分にも、風采があがらない。面は
(こんなまずい
「足下。何の芸があるか」

「飯を喰い、やがて死ぬでしょう」
「才は?」と、訊くと、
「ただ機に臨んで、変に応じるのみ」と、ぶっきら棒である。
孫権はいよいよ
「足下と、周瑜とをくらべたら」
「まず、
「どっちが?」
「ご判断にまかせます」
明らかに、この黒あばたが、自ら珠を以て任じている顔つきなので、孫権は、ぷっと怒りを含んで奥へかくれてしまった。そして、魯粛を呼び、
「あんな者はすぐ追い返せ」といった。
魯粛は、彼の感情に曇った鑑識を極力、訂正につとめた。
「一見、狂人に似、風采もあがらない男ですが、その大才たる証拠には、かの赤壁の戦前に、周瑜に教えて、

「いやいや、予は虫が好かんのだ」
「御意にかないませぬか」
「天下人なきに非ずと、そちもいったではないか。何を好んで……」
「ぜひもございません」
夜に入っていた。
魯粛は、気の毒にたえないので、自ら城門の外まで彼を送ってきた。そして、人なき所まで来ると、声をひそめて慰めた。
「きょうの不首尾、まったく要らざる推挙をした私の罪です。先生もさぞ不快だったでしょう」

魯粛はことばをかさねて、
「先生はこれを機に、呉を去るお
「去るかもしれない」
「国外へ出て、もし主君をお選びになるとしたら、誰に仕えますか」
「もちろん魏の曹操さ」
もし曹操のもとへ彼に
「荊州の玄徳にお仕えなさい。かならず貴君を重用しましょう」
と極力、玄徳の徳をたたえて、紹介状を渡した。
「あははは。曹操につくといったのは戯れだよ。ちょっと君の心を
「それで安心しました。先生が玄徳を
「おさらば」
ふたりは、相別れたが、なお幾度も振向き合った。
ここしばらく、孔明は
彼の留守である。

「予に会いたいというのか」
「おそらく仕官を求めにきたものと思われますが」
「名は」
「

「さては、
かねて孔明からうわさを聞いていたからである。

「はて、このような男が、名声の高い鳳雛だろうか」と、玄徳は疑いを生じた。
のみならず、
「遠くご辺のこれへ来られたのは、そも、いかなる御用があってのことか」
と、通り一遍の質問をした。

「されば、
「それはあいにくなことだ。荊州はすでに治安秩序も定まり、官職の椅子も今は欠員がない。――ただここから東北地方の田舎だが、
「田舎の県令ですか。それも

だが彼はそこの知事として着任しても、ほとんど役所の時務は何も見なかった。地方時務の多くは民の訴え事であるが、訴訟などはてんでほうりだしておくため、書類は山積して塵に埋まっている。
当然、地方民の
「憎い
「心得ました」
二人は、数十騎の侍をつれ、吏務検察として赴いた。郡民や小吏は聞きつたえて、
「お待ちもうしておりました」とばかり、こぞって出迎えに立ったが、県令の顔は見あたらない。
「役所の者はおらんのか」
張飛がどなると、一役人が、
「これに出ておりますが」
と、
「お前たちじゃない。県令はどうしたか」
「それが、……その何とも」
「明らかにいえ。お前たちを罰しに来たのじゃない」
「何ぶんにも、県令

「そして、何しておるのだ。毎日……」
「たいがいは、酒ばかり飲んでいらっしゃいます」
「毎日、酒びたりか」
張飛はちょっと、
「
「

すると奥から衣冠もととのえぬ酔どれが、赤い
「わしが

「貴様か。県令の

「ふん。わしだよ」
「何だ。その
「まあ、掛けたまえ。耳の穴へ蜂がはいったようじゃないか。君か、張飛とかいう男は」

自分の眼光に会ってこんなに驚かない男を張飛はあまり知らない。
「一杯参らんか」
「酒どころではない、おれは
「ぼつぼつやろうと思っている」
「怪しからん怠慢だ。
「やる気になれば造作はない。
「口は達者らしいな」
「
「酒のことではないッ」と、張飛は虎が伸びするように身を起して呶鳴った。
「では、明日中に、その実をおれの眼に見せろ。その上で汝の広言に耳をかそう。しからずんば、引っくくって、汝を
「よろしい」

張飛と孫乾は、わざと民家に泊った。そして翌日、庁へ行ってみると、訴訟役所から往来まで行列がつづいている。
「何事だ、いったい?」
訊いてみると、きょうは未明の頃から、県令

田地の争い、商品の取引違い、喧嘩、家族騒動、盗難、人事、雑多な問題を、

「こういたせ」「こう仲直り」「それは甲が悪い、
「いかがです。張飛先生」

張飛は、床に伏して、
「まだかつて、大兄の如き名吏を見たことがない」と、先の言を深く謝した。

「主君に渡してくれ」と頼んだ。
魯粛から貰っていた紹介状である。玄徳は、報告を聞き、またその書簡を見て、非常にびっくりした。
「ああ、あやうく大賢人を失うところだった。人は、風貌ばかりでは分らない……」
そこへ四郡の巡視を終って孔明が帰ってきた。噂を聞いていたとみえ、
「

玄徳は
「あのような大器を、そんな地方の小県になどやっておいたら、
「いや、その通りである」と、玄徳が実状を告げると、孔明は、
「わたくしからも君へ推挙の一筆を渡してあるのに、それは出しませんでしたか」
「見せもせぬし、語りもしなかった」
「とにかく、県令には誰か代りをやって、早くお呼び戻しになるがよいでしょう」
やがて、

玄徳は、不明を謝し、なお、孔明と

「――むかし

総軍の司令を兼ね、最高参謀府にあって、軍師孔明の片腕にもなるべき重職についたわけである。
建安十六年の初夏の頃。
「決してばかにできないのは荊州の

これはやがて、曹操の耳へ届いて、少なからず彼の関心をよび起した。
「果たせる
「捨ててはおけず、といって、今すぐに、大軍を
さすがに、荀攸は、常に君側にいても、よく軍の内容を観ていた。
曹操もうなずいて、
「それを実は、予も、敵国の勃興以上に、憂えているところだ」と、正直に云った。
「こうなさい――」荀攸は立ちどころに献策した。「
「そうだ。辺境の奥地には、まだ人力も資材も無限に埋蔵されている」
曹操はすぐ人を選んで西涼へ早馬を立て、二の使いとして、すぐ後からまた、有力な人物を向けて、軍勢の催促を云いやった。
涼州の地は支那大陸の
ところで、太守
もと、漢帝に仕えた
だから馬騰の血の中には、蒙古人がまじっている。
「
馬騰は一門の者に別れを告げて都へ上った。三人の子息は国に残し、甥の
命は、曹操から出ても、名は勅命である。曹操の意志は決して、天子の御心ではなかった。
「このたびは老骨に、荊州討伐の大命を仰せつけられて……」と、馬騰が拝命のお礼を伏奏すると、帝は無言のまま彼を伴って、
そして誰もいない所で、帝は初めて口を開かれ、
「汝の祖先馬援は、
ああ、朝廷のこの
見ずや、許都の府は栄え、曹操の威は振い、かの
「……馬騰。忘れはおるまいな。むかし
「かならず
馬騰は泣いた眼を人に怪しまれまいと気づかいながら宮門を退出した。
邸に帰ると、ひそかに一族を呼んで、帝の内詔を伝え、
「かくとも知らず、いま曹操はこの馬騰に兵馬をあずけて、南方を
と、
それから三日目である。
曹操の門下
「丞相のご内意ですが、なにぶん、
「直ちに立ちます。明後日には」
馬騰は、酒を出して、黄奎をもてなした。
すると黄奎は、大いに酔って、古詩を吟じ、時事を談じたりした挙句、
「将軍はいったい、真に伐つべきものは、天下のどこにいると思うておられるか」
などと云いはじめた。
馬騰は警戒していた。あぶない口車と感じたからである。すると黄奎は、その卑怯を叱るように
「自分の父の



と、まるで馬騰を責めるような口ぶりになってきた。
馬騰はいよいよ空とぼけて、
「奸賊の、不忠のと、それはそも、誰のことをいわれるのか」
「もちろん曹操のことだ」
「大きな声を召さるな。丞相は足下の主君ではないか」
「それがしは漢の名将の子、将軍も漢朝の忠臣馬援が後胤ではないか。そのふたりが漢朝の宗室たる劉玄徳を
「いったい、足下はそのような言を本気でいうのか」
「ああ、残念。将軍はそれがしの心底をなお疑っておられるとみえる」
黄奎は指を
行軍参謀たるこの人物が同心ならば、いよいよ事は成就に近い。馬騰はついに本心を明かした。黄奎は聞くと、膝を打って、
「ほかならぬ将軍のこと。さもあらんと思っていたが、果たせるかな、
そこでまず二人は、関西の兵をうながす
李春香には自分から
男は李春香の耳へささやいた。
「今夜にかぎって、黄奎の様子がどことなく変じゃないか」
「そんな事はないでしょう」
「いや、おれの弟が、馬騰の邸に、多年お留守居役をしているが、その弟から妙なことを報らせてきた。――春香、おまえが訊けば、たった一人の可愛い姪だ。黄奎は何か打明けるにちがいない。そっと訊いてごらん」
春香はまだ世間の怖さも複雑さも知らなかった。いわるるままその夜叔父の心をそれとなく訊いてみた。すると黄奎は驚いた顔して、
「わしの様子がどことなく変だということが、おまえみたいな小娘にもわかるかい。ああ争われないものだ」
彼は嘆息して、実は大事を計画しているため、その準備やら万一のことまで案じているせいだろうと、つい相手が身内の者ではあり、世間へも出ない小娘なので、心中の秘を語ってしまった。
そしてなお、
「このことが成功すれば、わしは一躍、諸侯の列に入るが、もし失敗したらたちまち生きていないだろう。そうしたらおまえは、何もかも捨てて郷里の老人達のところへ逃げて、当分、嫁にもゆかないがいい」と、遺言めいたことまでいった。
室外に立ち聞きしていた男は、春香がそこから出てきたときはもういなかった。彼は深夜の町を風の如く
「たいへんです。お膝もとに恐ろしいことを計っている謀叛人がおりますっ」
下役から部長へ、部長から中堂司へ、次々に
「すぐその者を
曹操はがばと起きた。
ひとたび眠る如く消されていた相府の閣廊廻廊の万燈は、
「はや発向の準備もなり、近日勢揃い仕りますれば、その節は都門にお馬を立てられ、親しくご
曹操は、奥歯に苦笑を噛みしめながら、口のうちで
「たれがそんな
そして直ちに、密車二隊を
相府の
「この腐れ儒者め! 何とてかかる大事を口外したかっ。ああ、
曹操は、指をさして、その狂態を笑い、武士に命じて、一刃の下にその首を
黄奎も首を打たれた。――また、馬騰の
その中には、父を慕って本国から着いた馬騰の子二人も殺害されたが、甥の
ここに笑止なのは密告して褒美にありつこうとした
「汝にはべつに与えるものがある」
と城市の辻に立たせ、首を刎ねて、不義
このとき丞相府には、
「荊州の玄徳は、いよいよ
曹操はかく聞いて胸をいためた。もし玄徳が蜀に入ったら、
ここに丞相府の
「玄徳と呉の孫権とは今、心から親睦でないにせよ、形は唇と歯のような関係に結ばれています。ですから、玄徳が蜀へ進んだら、丞相は大軍をもって、反対に呉をお攻めになるがよいでしょう。なぜならば、呉はたちまち玄徳へ向って、協力を求め、
「ふむ。さすれば玄徳は、進むに進み得ず、
「それこそ、わが魏にとって望むところではありませんか。もし玄徳の援助なく、玄徳は入蜀のことに没頭して、呉を
「げにも。げにも」
曹操は、眉をひらいた。
「余りむずかしくばかり考えこむものじゃないな。わしはちと重大と思い過ぎて思案が
即時、三十万の大軍は、南へうごいた。

――汝、先鋒となって、呉を突くべし。
とあった。
大軍まだそこへ到らぬうち、呉の国界は大きな衝動に打たれ、急はすぐさま呉王孫権に報じられる。
孫権は、
「こういう時こそ、玄徳との
すなわち魯粛の書簡を持って、使いは荊州へ急いでゆく。
玄徳はそれを
南郡地方にいた孔明は、召しをうけるや馬を飛ばして帰ってきた。そして、玄徳から、仔細を聞き、また魯粛の書簡を見ると、
「ご返辞は」と、玄徳の面をうかがった。
「まだ答えてない。御身に諮った上で、承諾とも拒絶するとも答えようと思って」
「では、この返書は、わたくしにお任せおき下さいますか」
玄徳はうなずいた。
「よきように」と。
孔明は一書をしたためた。それには、呉へ向ってこう告げてある。
乞う、安んじられよ。呉国の人々は枕を高うして可なり。もし魏軍三十万の来るあらば、孔明これにあり。直ちに彼を撃攘 せん。
呉の使いは、書面を持って帰って行った。しかし玄徳は安からぬここちがした。「軍師。あのような大言を申しやってよろしいのか」
「大丈夫です」
「許都の魏兵三十万のみでなく、

「大丈夫です」
「どういう自信があって?」
「西涼の
西涼州の馬超は、ある夜、ふしぎな夢をみた。
「
あくる日、八旗の将に、この夢のことをはなした。
八旗の将とは、彼をめぐる八人の優れた旗本組のことである。
それは、
などの面々だった。
「さあ。わからんなあ。吉夢やら凶夢やら」
みな
馬超のみた夢というのは、千丈もある雪の中に行き暮れて仆れているところへ、多くの猛虎が襲いかかって来て危うく
「いや、それは大悪夢だ」
と云いながら

「むかしから雪中に虎に遭うの夢は不祥の

いや馬超ばかりでなく、この西涼に留守して、遠くにある主君の身を明け暮れ案じている八旗の将もみな浮かない顔をしてしまった。
「しかし、
わざと酒宴をすすめて、馬超の心をまぎらわせていた。
けれど、この夢は、やはり正夢であった。――その夜のこと、見る影もない姿となって、許都から逃げ落ちてきた
「
「えっ、父上が殺されたと」
馬超は、
もちろん典医や大勢の介抱ですぐ意識はよみがえったが、終夜、寝房のうちから無念そうな泣き声が洩れてきた。
こういう中に玄徳の書簡ははるばると荊州から来た密使によって、馬超の手に渡されたのである。その文章はおそらく孔明が起草したのであろう。まず漢室の式微をいい、
――貴君にとっては倶 に天を戴 かざる父の仇敵、四民にとっては悪政専横の賊、漢朝にとっては国を紊 し帝威を冒 す姦党、それを討たずして武門の大義名分があろうか。ねがわくは君、涼州より攻め上れ、劉玄徳また北上せん。
と、結んであった。次の日である。
父馬騰と親友だった鎮西将軍
「実は、こんな書面が曹操からきているよ」
と、それを見せてくれた。
もし馬超を生捕って檻送してよこせば、汝を封じて、西涼侯にしてやろう、という意味のものだった。
馬超は自ら剣を解いて、
「あなたの手にかかるものなら仕方がない。いざ、都へ差立てて下さい」
と、神妙にいった。
韓遂は、叱って、
「それくらいなら何もわざわざここへ御身を呼びはしない。もし御身に、父の
馬超はふかく礼をのべて、
「そのご返辞は、後ほど邸から致します」といって帰った。
彼は直ぐ曹操の使者を斬ってしまい、その首を、韓遂のところへ届けた。
「それでこそ、君は馬騰の子だ。君がその決心ならば」
と、韓遂は即日やって来て、馬超軍に身を投じた。
西涼の精猛数万、殺到して、ここに、
長安(陝西省・

長安は、いま廃府となっていたが、むかし漢の皇祖が業を定めた王城の地。さすがに、要害と地の利は得ている。
「この土地の長く栄えない原因は、二つの欠点があるからです。土質

そのことばを容れたものか、馬超は急に包囲をといて、数十里、陣を退いた。
守将の

「寄手が囲みを解いたからといって、みだりに城外へ出てはならん。敵にどんな計があろうも知れない」と、軍民を戒めていた。
しかし三日たち四日経つうちに、無事に馴れて、一つの城門が開くと、西も東も、各所の門で、城外との往来が始まった。
みな水を汲みに行き、薪を採りに行く。その他の食糧なども、この間にと、争って運び入れた。
「何事もありませんね」
「敵はあんな遠くですからな」
「さよう。もしもの時は、敵を見てから城内へ逃げこんでも、結構、間に合いますよ」
うららかなものだった。
果ては、旅芸人や雑多な商人まで、自由に出入りし始めた。
ところへ急に、西涼軍がまた攻めてきた。軍民は夕立に出会ったように城内へかくれこむ。馬超は、西門の下まで、馬を寄せて、
「ここを開けなければ、城内の士卒人民、ことごとく焼き殺すぞ」と

「馬超。口先で城は
と、矢倉から
すると、日没頃、城西の山から怪しい火が燃えだした。鍾進が先に立って消火に努めていると、夕闇の一角から、
「西涼の

という大音が聞え、敵やら味方やら知れない混雑の中に、鍾進は一刀両断に斬りすてられた。
早くも、


「至急、大軍のご来援なくば、長くは支えきれない」
と、許都へ向って悲鳴をあげた。
曹操の驚愕は、いうまでもない。――急に、方針を変えて、
「ひとまず、征呉
と、参謀府から宣言を発し、また直ちに、
「すぐ潼関へ行け」と、兵一万をさずけた。
曹仁がそのとき、
「曹洪も徐晃も、若過ぎますから、血気の功に
と、注意した。そして自分も彼らとともに先駆けせんと願ったが、
「そちは、予に従って、兵糧運輸のほうを
と、ほかの役目を命じられてしまった。
曹操は約十日の後、充分な軍備をととのえて出発した。彼も西涼の兵には、よほど大事を取っていることがこれを見ても分る。

「われわれが参ったからには、これから先、
と、曹操の来着を待っていた。
西涼の軍勢は、力攻めをやめてしまった。毎日、壕の彼方に立ち現れて、大あくびをしてみせる。
挙句の果てには、草の上に寝ころんだり、頬杖ついて、
敵はどこかね
潼関の関中だそうだ
櫓にいたのは鴉 じゃないのか
なあに曹洪と徐晃さ
そんなら大して変りはない
腰抜け対手 の戦争は退屈だ
いまに曹操が来るだろう
昼寝でもして待つとするか
乞う戦友、耳くそでも取ってくれ
などと潼関の関中だそうだ
櫓にいたのは
なあに曹洪と徐晃さ
そんなら大して変りはない
腰抜け
いまに曹操が来るだろう
昼寝でもして待つとするか
乞う戦友、耳くそでも取ってくれ
「待っていろ。目にもの見せてやるから」
歯がみをした曹洪が、城門から押し出そうとするのを見て、徐晃がいさめた。
「丞相のおことばを忘れたか。十日の間は固く守れ。手だしはすなと仰せられた」
しかし、若い曹洪は振り切って、駈け出した。
関中の大軍は、いちどに溢れでて、鬱憤をはらした。あわてふためく西涼軍を追いまくって、
「思い知ったか」と、四角八面に分れ討った。
徐晃の手勢も、ぜひなく後から続いて出たが、
「長追いすな、長追いすな」と、大声で止めてばかりいた。
すると、長い堤の蔭から、
「西涼の
いささかたじろいで、陣容をかため直そうとする間もなく、
「たいへんだ、敵の

「まずい! 引揚げろ」
留守の

馬超、

曹洪も徐晃も、途中多くの味方を失い、わずかに身ひとつのがれ得た有様である。――が、許都へさして落ちる途中まで来ると、許都を立ってきた本軍曹操の先鋒に出会い、からくもその中に助けられた。
曹操は、聞くと、
「すぐ連れて来い」と、中軍へ二人を呼び、そして軍法にかけて、敗戦の原因を
「十日の間は、かならず守備して、うかつに戦うなと命じておいたに、なぜ
叱られて、徐晃は、ついこう自己弁護してしまった。
「おことばの如く、切にお止めしたのですが、洪将軍には、血気にまかせて、頑としてきかないのでした」
曹操は、怒って、
「軍法を正さん」と、自身、剣を抜いて、
「――いや、それがしも同罪ですから、罪せられるなら手前も共に剣をいただきます」
徐晃も、身をすすめて、神妙にそういうし、諸人も皆、曹洪のために命乞いしたので、曹操もわずかに気色を直し、
「功を立てたら
と、しばらく斬罪を猶予した。
曹操の本軍と、西涼の大兵とは、次の日、
曹軍は、三軍団にわかれ、曹操はその中央にあった。
彼が馬をすすめると、右翼の
「
曹操の言が、風に送られて、彼方の陣へ届いたかと思うと、
「おう、馬騰の子、
とどろく答えとともに、陣鼓一声、
「若大将を討たすな」と案じてか、それにつづく左右の将には

「あれか。馬超とは」
近づかぬうちから、曹操は内心一驚を喫した様子である。文化に遠い北辺の
「やよ。馬超」
「おうっ。曹操か」
「汝は、国あって、国々のうえに、漢の天子あるを知らぬな」
「だまれ、天子あるは知るが、天子を
「中央の兵馬は、即ち、朝廷の兵馬。求めて、乱賊の名を受けたいか」
「盗人猛々しいとは、その方のこと。
いうことも、しっかりしている。これは口先でもいかんと思ったか、曹操は馬を退いて、
「あの

そして、悠々、槍をあげて、
「おおういっ……」と一声さしまねくと、雲霞のようにじっとしていた西涼の大軍が、いちどに、野を掃いて押し
その重厚な陣、ねばり強い戦闘力、到底、許都の軍勢の比ではない。
たちまち駈け押されて、曹軍は散乱した。馬岱、

「この手に、曹操の
と、乱軍をくぐり、敵の中軍へ割りこみ、血まなこになって、その姿を捜し求めた。
そのとき、西涼の兵が、口々に、
「
と、呼ばわり合っているのを聞いて、当の曹操は逃げはしりながら、
「これは目印になる」と、あわてて戦袍を脱ぎ捨ててしまった。
するとなお執拗に追いかけて来る西涼兵が、
「髯の長いのが曹操だ。曹操の髯には特長がある」と、叫んでいた。
曹操は、自分の剣で、自分の髯を切って捨てた。
今日こそは――と期して、味方の馬岱、

「髯の長いのを目あてに捜してもだめです。曹操は髯を切って逃げました」と、教えた。
そのとき、曹操は、乱軍の中にまじって、すぐそばを駈けていたので、そのことばを小耳に挟むと、
「これはいかん」と、あわてたものとみえ、旗を取って面を包み、無二、無三、鞭を打った。
「首を包んだものが曹操だぞ」
また、四方で声がする。曹操はいよいよ魂をとばして林間へ駈けこんだ。すると誰か、槍を伸ばして突いた者がある。運よく槍は樹木の肌を突いて、容易に抜けない。曹操はその間髪にからくも遠く逃げのびた。
「きょうの乱軍に、絶えず予の後ろを守って、よく馬超の追撃を喰い止めていたのは誰だ」
曹操は、味方の内へ帰ると、すぐこう訊ねた。
「曹洪です」
というと、曹操はさもありなんという顔して、うれし気に、
「そうか。たぶん彼だろうとは思ったが……。先日の罪は、今日の功をもって
やがてその曹洪は夏侯淵に伴われて恩を謝しに出た。曹操は、今日の危急を思い出して、幾度か死を覚悟したことなど語りだし、
「自分も幾度となく、戦場にのぞみ、また惨敗をこうむったこともあるが、およそ今日のような烈しい戦いに出合ったことはない。馬超という者は敵ながら存外見上げたものだ。決して汝らも軽んじてはならぬ」と戒めた。
敗軍をひきまとめた曹操は、河を隔てて岸一帯に
「みだりに行動する者は斬る」と、軍令した。
建安の秋十六年、その八月も暮れかけていたが、曹軍は、秋風の下に
「
「いったい
すると、曹操は苦りきって、
「戦うも、戦わぬも、みなその腹一つにあることで、何も敵の心にあるわけじゃない」と、云い、そしてまた、
「下知に
曹操の肚をふかく察しない部将たちは、ささやき合って、首を傾げた。
「どうしたんだろう。いくら馬超に追いまくられて、お
「そろそろ、お
果たして、曹操には、もうそのような老いが訪れだしたのだろうか。
凡人の客観と、英雄自身の主観とにはおのずから隔たりもあり、信念のちがいもある。
われ老いたり、などとは曹操自身、まだ、夢にも思っていないらしい。いやその肉体や精神のつかれ方などに、若い頃の自身とくらべて、多分な相違が自覚されても、おそらく、彼自身そんな気持がふとでも湧くときは、強いてそれを抑圧して、
我なお若し!
という血色をみなぎらそうと努めているのにちがいなかった。
数日の後、味方の斥候がこう告げた。
「
聞くと、曹操は、なぜか独り大いに笑った。
「丞相何でお笑いなさるのですか。敵が強力になったと聞かれて」
ひとりが問うと、
「まず、酒宴して、祝おうか」と、のみで、その夕べ、大いに慶賀して、共に盃を傾けた。
しかし、今度は、幕将たちのほうがくすくす笑った。
曹操は酔眼を向けて、
「
みな恐れて口をつぐんでしまった。曹操は追求して、
「ひとを笑うほどな計策のある者は、大いにここで
みな顔を見あわせた。
ひとり
「このまま、潼関の敵と睨みあいしていたら、一年たっても勝敗は決しますまい。それがしが考えるには、
「徐晃の説は大いに良い」
曹操は賞めて、
「では今、汝に四千の兵を与えるから、
と、即座に手筈をきめた。
それから間もなく、西涼の陣営馬超の手もとへ、すぐ早耳
「曹操のほうでは、
「若将軍、敵は遂に、自ら絶好な機会を作ってきましたぞ。兵法にいう。――兵半バヲ
「ぬかるな、諸将」
八方に間者を放って、曹軍が河を渡る地点を監視していた。
とも知らず、曹操は、大軍を三分して、
「まず、首尾はよさそうだ」
と、水ぎわに床几をすえながら、刻々と報らせて来る戦況を聞いていた。
「上陸したお味方は、すでに対岸の要所要所、陣屋を組み、土塁を構築しにかかっています」
すると、第二第三とつづいてくる伝令が云った。
「今、南の方から、敵ともお味方とも分らぬ一隊が、
第五番目の伝令は、
「ご油断はなりません。ご用意あれっ」と呶鳴って、
「
その時、大軍は河を渡りつくして、曹操のまわりには、たった百余人しかいなかった。
「馬超ではないか」
「騒ぐな」と、のみで床几から起とうともしない。
ところへ、

「
曹操はなお、
「馬超が来たとて、何ほどのことがあろう。一戦を決するまで」
と、自若としていたが、もうそのとき彼方の馬煙は辺り間近に、土砂を降らせて、馬超、

「すわ。一大事」と、

そして岸辺まで、一気に馳け出したが、船は漂い出して

「おうっ」
と叫んで、一
百余人の近侍、旗本たちは、ざぶざぶと水につかって、溺れるもあり、泳ぎだすもあり、そこらの小舟や
「たかるな。舟が傾く」
許

「のがすな」
「あれこそ、曹操」
西涼の兵は、弓を揃えて、雨の如く乱箭を送った。許

曹操ですら九死に一生を得たほどであるから、このほか、いたる所で、曹軍の損害はおびただしいものがあった。
それでも、この損害は、まだ半分で済んでいたといってよい。なぜならば、曹軍の敗滅急なりと見て、ここに
いや、暴れただけなら、何も戦闘力を失うほどでもなかったろうが、根が
「良い馬だ。もったいない」と、奪いあい、牛を見ては、なおさらのこと、
「あの肉はうまい」と、食慾をふるい起して、思いがけない利得に夢中になってしまったものだった。
そのために西涼軍は、せっかくの戦を半ばにして、
その頃、曹操は北岸へ上がって、一息ついているというので、魏の諸将もおいおい集まってきた。

「丞相はおつつがないか」と、そればかり口走っていた。
「貴体には何のご異状もない」と、人々は慰めて、ようやく彼を陣屋の中に寝かしつけた。
曹操は、部下の見舞をうけながら、甚だしく快活に、終始きょうの危難を笑いばなしに語っていたが、
「そうそう、渭南の県令を呼んでくれ」と、丁斐を召し寄せ、
「今日、南山の
丁斐は、当然、罪をこうむるものと思って、
「私です。ご処罰を仰ぎます」
と、
「処分してやる」
と、曹操は
「丁斐、披見してみろ」
丁斐が
校尉丁斐は、感泣して、
「長くこの渭南に県令としておりましたので、いささか地理には精通しています。鈍智の一策をお用い賜わらば、光栄これに過ぎるものはありません」
と、恩に感じるのあまり、自分の考えている一計略を進言した。
一方、西涼の馬超は、
「きょうばかりは、残念だった」と、韓遂に向って、無念そうに語っていた。
「もう一歩で、曹操を、手捕りにできた所を、何という男か、曹操を背なかに負って、船へ跳び移ってしまった。今でも目に見える心地がするが、敵ながらあの男の働きは、
韓遂は何度もうなずいて、
「それは道理です。あれは有名な魏の一将、許

「許

「お味方に、八


「なるほど、それでは――」
「その力は、
そしてまた、韓遂は、かたく馬超に忠告した。
「以後は、あの男を陣頭に見ても、一騎討ちはなさらないほうがよろしい」
斥候の報告によると、曹操の軍は、それから後しきりと河を越えて、西涼の背後を
韓遂は重ねて云った。
「味方にとって、ここに一つの悩みがあります。それはこの戦いが延引すると、曹操が今の陣地に
馬超も同感だった。
「いかにも、攻めるなら今のうちだが」
「軽兵を率いて、この韓遂が、曹操の中軍へ突撃しましょう。あなたは、北岸を防いで、敵兵が河を越えてこないように、よくこの本陣を固めていてください」
「よし。防ぐには、自分一手で足りる。御身ひとりでは心もとない。

韓遂と

けれど、この計画は、まんまと曹操の思うつぼに落ちたものであった。かねてこの事あるべしと、曹操は、渭南の県令から登用した
のみならず、附近一帯に、
「わあっ」
と
当然、大地は一時に陥没し、人馬の落ちた上へ、また人馬が落ち重なった。
「しまった」

「
と、呼びながら、主将のすがたを捜していた。
そのうちに、敵の曹仁の一家

韓遂も、坑に墜ちて、すでに危なかったが、

何にしても、この奇襲は、大惨敗に終ってしまった。
敗軍を収めてから、馬超が損害を調べてみると、千余騎のうち三分の一を失っていた。
数としては、少なかったともいえるが、馬超の心をひどく
しかし壮気さかんな馬超は、
「こうなれば、なおさら、曹操が野陣しているうちに撃破してしまわねば、永久に味方の勝ち目はない」
と、その日のうちに、第二次襲撃を企てて、今度は身みずから先手に進み、

ところが、さすがに曹操は、百
「今夜、また来るぞ」と、それを予察していた。
馬超の性格と、初度の敵の損害の少なかった点から観て、早くも、そう
六里の道を迂回して、西涼の夜襲隊が、曹操の中軍めがけて、不意に
「やや。空陣だ」
「さては」
と、空を
「馬超を生かして還すな」と、ひしめいた。
西涼軍の一将

かくて、西涼軍と中央軍とは、渭水を挟んで一勝一敗を繰り返し、勝敗は容易につかなかった。
所によって、深い淵もあるが、浅瀬は馬でも渡れるし、
ここを挟んで、曹操は、北の平野に、野陣を
「曹仁、早くせい」
曹操は常に
半永久的な
西涼の馬超は、知っていたが、
「まあ、造らせておけ」
そして工事が八、九分ぐらいまでできたかと見えたところで、
「それ、焼討ちにかかれ」と、河の南北からわたって、
こういう厄介な武器を持つ西涼軍に対して、さすがの曹操も、ほとんど頭を悩ましてしまった。
智者
「渭水の堤を利用し、土塁を高く築いて、
「地下城。なるほど。土の地下城では、焼討ちも計れまい」
さらに、人夫三万を加え、
坑から上げた土は、厚い土壁とし、数条の堤となし、壇となし、ここに
さながら
すると、渭水の水が一日増しに涸れて来た。かなり雨が降り続いても水が増えない。変だと思っていると、一夜、豪雨が降りそそいだ。その翌朝である。
「津浪だっ」
「洪水だっ」
物見が絶叫した。
人馬を高い所へ移すいとまもなく、遥か上流のほうから、真っ黒な水煙をあげて、
遠い上流のほうで、もう半月も前から、西涼軍が、
なんで
九月に入った。
北国のならいで、もう雪が降りだしてくる。灰色の密雲がふかく天をおおって、ここ幾日も雪ばかりなので、両軍とも、兵馬をひそめたまま睨み合っていた。
「西涼の
曹操とその幕将が、その日もしきりに討議しているところへ、
「これは、終南山の隠居、道号を
曹操が、見て、
「何しに来たか」
と、問うと、夢梅は、
「この夏頃から、丞相には、渭水の北に
なお、夢梅道人がいうには、
「これから必ず北風が吹きましょう。小石まじりの河原土でも、急に、それを構築し、
告げ終ると、老翁はすぐ、飄乎として、どこかへ立ち去った。
一日、北風が吹き出した。曹操は、夢梅居士の教えを行う日と、昼から三、四万の人夫を動員しておいた。
日が暮るるとすぐ、
「夜明けまでに、もう一度、土城を築け」と、命じた。
この夜は、将士もすべて、総がかりに、それへかかった。
基礎のあった上であるから、夜明け近くにはほぼ構築された。
「水を
数万の

西涼の軍勢は、夜明けの光に、対岸をながめ、驚き合っていた。
「やあ、城ができている」
「いつの間に」
「たった一夜のうちだ」
「見ろ。あれは、この前の土城ではない。氷の城郭だ。氷城だ」
馬超、
「また何か、曹操の小策に違いあるまい。馳け破って、城郭の正体を見届けてくれん」
と、にわかに、
「来たか、
曹操は馬を進めて、待っていた。
馬超は、例によって、
「おのれっ」と、
(これだな、
直感したので、馬超は、いつになく自重して、わざと試しにいってみた。
「西涼の大将たるものは、いえば必ず行い、行えば必ず徹底して実を示す。聞き及ぶ、曹操は、
すると、曹操は、
「知らないか、

云いもあえず、曹操のかたわらから馬を乗り出したその虎痴が、
「すなわち、


と、いった。
その声は人臭いが、猛気が百獣の王に似ている。
いつぞや
「また、会おう」と云い捨てたまま馬をかえし、軍を退いてしまった。
これを見ていた両軍の兵は、
(馬超すら恐れる許

と、身の毛をよだてぬ者はなかったという。
曹操は、氷城の陣営にかくれると諸将をあつめて、
「どうだ、きょうの
許

「明日はかならず、馬超を生捕ってご覧に入れん」と、高言した。
すなわち、その日彼は、敵へ宛てて決戦状を送り、
「明日、出馬しなかったら、天下に
と、云い送った。
馬超は怒って、
「確かに、出会わん」
と返書して、夜が白むや、

「待っていた」とばかり、許

戦うこと百余合、双方とも、馬を疲らせてしまったので、各

勝負は果てない。
火華をちらし、槍を砕き、また
「ああ……」
と、両軍の陣は、ただ手に汗を握り、うつろにひそまり返って見ているだけだった。
(――


と、ことばに出す余裕もないが、誰とて、感嘆しないものはなかった。
そのうちに、許

「ああ暑い。この大汗では眼をあいて戦えぬ。馬超、待っておれ」
斬り合っているうち、ふいに、こう吐き捨てると、またまた、ぷいと味方の陣中へ引っ込んでしまった。
(どうしたのか?)
怪しんでいると、許


「さあ、来い」
ふたたび大刀をひっさげて現れてきた。
その間に、馬超も、汗を押しぬぐい、新しい槍を持ちかえて、一息入れていた様子。――たちまち、砂塵を捲いて、

「おうっッ」
と、吠えて、馬上、相手へ迫ると、馬超もまた、壮年
一刀、かつんと、槍の柄に鳴った。――馬超、さッと引く。許

「やおうッ」
身をかわしざま、馬超は、敵の
「くそっ」と

奪られじ。
奪らん。
ふたりの

ばきッと、槍が折れた。だだだだっと、双方の駒がうしろへよろめく。いなないて竿立ちになる。すでにまた、ふたりは槍の半分ずつを持って猛烈な激闘を交えていた。
「
曹操はさけんでいた。大事な虎痴に万一があっては、全軍の士気にも関わると見たからである。
が、この微妙な戦機に、

その手の敵、

「守って出るな」
曹操は、氷城をとざした。氷の城郭も、こうなるとものをいう。この日馬超も、軍を収めてから、
「自分も幼少からずいぶん手ごわい人間にも遭ったが、まだ許

その後、曹操のほうにも、何ら、良計はなく、
土楼の窓から、それを眺めていた曹操は、かぶっていた

「実に馬超という敵は尋常な敵ではない。彼の生きてあらん限りはこの曹操の生は安んじられない」といった。
それを聞いていた夏侯淵は、
「これほどお味方に人もあるものを、ただ一人の馬超のため、それまで御心を
と、その夜、曹操が止めるもきかず、部下千騎をひきいて討って出た。
案のじょう、それから程なく夏侯淵の手勢、苦戦に陥つ、と報らせが来た。
捨ててもおけず、曹操はすぐ自身救援におもむいたが、敵勢は、
「曹操が出てきたぞ」と伝えあうや、かえって、意気を
のみならず、馬超は、曹操の中軍を割って、
「天下の賊。逃げるな」と、彼を追い馳け追い廻した。
所詮、力ずくではかなわぬと思ったか、曹操はまた氷の城塞へ逃げこんでしまった。しかし、その間に、苦戦をしのんで、一方の兵力を
「出よ、曹操。――汝は
馬超は氷城の下まで迫って、罵っていた。
ところへ、後陣の
「後方に異状が見える」
と、いう急報。
「昨夜、渭水の西をわたった大軍は早くもお味方の背後へまわって、陣地の構築を始めています」
「うしろへ廻ったか。……遂にうしろへ?」
そこで韓遂は、万事は休すと思ったか、方針一転を馬超に献言した。
「もっともなお説」
と、みな馬超を
数日の後、楊秋は一書をたずさえて、曹操の陣へ使いした。和睦の申入れである。
曹操は内心、渡りに舟と思ったが、まず使者を返して後、謀将の

賈

「明らかに
「手を打つとは」
「馬超の強さは、韓遂の戦略があればこそです。韓遂の作戦は、馬超の勇があってこそ、生きてきます。ふたりを相疑わせて疎隔してしまえば、西涼勢とて、枯れ葉を掃くようなものじゃありませんか」
次の日。
馬超の手もとへ、曹操から返簡が来た。色よい返事である。しかし、馬超はなお数日疑っていた。
「曹軍は、この二、三日、後方の支流に浮橋を
「
と、韓遂も油断せず、一陣は西に備え、一陣は曹操の正面に向け、厳として気をゆるめなかった。
敵方の警戒ぶりを聞くと、曹操は、

「まず、成就だな」
やがて約束の日、曹操は盛装をこらして、おびただしい諸大将や武者をひきつれ、自身条約のため、場所へ出向いた。
まだこのような豪壮
「あれは何だろ?」
「あれが曹操か」
などと、物珍しげに、指さし合う。
曹操は、駿馬にまたがり、
「やよ、西涼の兵ども、予を見て、珍しと思うか。見よ、予にも、眼は四つはなく、口は二つないぞ。ただ異なるのは智謀の深さだけだ」と、戯れをいった。
戯れにはちがいないが、西涼の軍勢は、その笑い顔に
「はて。何か?」
使いのもたらした書面をひらいてみると曹操の直筆にちがいなく、こうしたためてある。
君ト予トハ元ヨリ仇 デハナク、君ノ厳父ハ、予ノ先輩デアリ、長ジテハ、君ト知ッテ、史ヲ語リ、兵ヲ談ジ、天下ノ為、大イニ成スアランコトヲ、誓イアッタ友ダッタ。
端 ナクモ、過グル頃ヨリ敵味方トワカレ、矢石 ノアイダニ別ルルモ、旧情ハ一日トテ、忘レタコトハナイ。
イマ幸イニ、和議成ッテ、予ナオ数日、渭水 ノ陣ニアリ。
乞ウ、一日、旧友韓遂 トシテ来リ給エ。
「ああ、彼も、忘れずにいるか」イマ幸イニ、和議成ッテ、予ナオ数日、
乞ウ、一日、旧友
韓遂は、旧情をうごかされて、翌日、
「やあ、ようこそ」
曹操はなぜか、内へ導かない。自分のほうから陣外へ出てきて、いとも親しげに、平常の疎遠を詫びた。
そしてなお、いうには、
「お忘れではあるまい。あなたの厳父とは、共に
「それがしも、すでに四十です」
「むかし、都にあって、共に、青春の少年であった時代は、よく書を論じ、家を出ては、白馬
「丞相も、変りましたな。少し
「ははは。いつか、ふたたび太平の時を得て、むかしの童心に返ろうではないか。――おう今日は、折角、此方から書面しながら失礼ですが、幕中、折わるく諸将を会して要談中なので」
「いや、また会いましょう」
韓遂は、気軽に戻った。
この態を、見ていたものが、すぐ馬超へ、ありのままを話した。
安からぬ顔色をしていたが、翌る日、馬超はほかの用事にことよせて、韓遂を呼び、
「時に、貴公は昨日、
「密談を」――韓遂は、眼をまろくしながら、顔の前で手を振った。
「青空の下の立ち話。密談などした覚えはない。また軍事については、爪の
「いや、貴公が云いださなくとも、曹操のほうから何か」
「少年時代、共に都にあった事どもを、二、三話して別れただけです」
「そうか。そんなに古くから、彼とは、親しい仲であられたのか」
馬超は、
ひそやかな、陣中の一房へ、曹操はその晩、

「どう見えた。きょうの計は」
「妙趣、ご奇想天外です」
「西涼兵の眼に、映ったろうな」
「もちろん、もう馬超の耳へ入っておりましょう。が、もう一つ足りません。あれでは、まだ韓遂を、心から疑わせるまでには行きますまい」
「それには、どうしたらよいか」
「丞相からもう一度、親書を韓遂にあててお書きなさい」
「そうそう、用もないのに、書簡をやるのもおかしかろう」
「かまいません。文章をもって、相手を動かすのが目的ではありませんから。――文字などもわざと
「むずかしいのう」
「兵馬を
その後、馬超は、腹心の男をして、ひそかに、韓遂の陣門に立たせ、出入りを見張させていた。
「今夕、またも、曹操の使いらしい男が、韓遂の営内へ、書簡を届けて立ち去りましたが?」
腹心の者から、こう報らせがあったので、馬超は、
「果たして!」と、自分の
「何事ですか、おひとりで」
韓遂は、驚いて迎えた。休戦中ではあるし、幾分の
「いや、急に戦いもやんで、何やら手持ち不沙汰だから、一
「それならば、前もって、お使いでも下されば、何ぞ、陣中料理でもしつらえて、盞を洗ってお待ち申しておりましたのに」
「なに、こういうことは、不意のほうが興味がある。ひとつ貰おうか」
「恐縮です。このままの
「いやいや、構わん」と、
「ときに、その後は、曹操から何か云ってきたかね」
「あれきり会いませんが、たった今、妙な書簡をよこしたので、飲みながら独りここへ置いて、判じ悩んでいるところです」と、卓の上にひろげてある書面へ眼を落して答えた。
馬超は、初めて、それへ気がついたような顔して、
「どれ、……」と、すぐ手を伸ばして取った。
「なんの意味やら、読解がおつきになりますまい。それがしにも分らないのですから」
馬超は返事も忘れてただ見入っていた。
辞句も不明だし、諸所に、克明な筆で、塗りつぶしたり、書入れがしてある。いかにも怪しげな書簡だ。馬超は
「借りて行くぞ」
「どうぞ……」とは答えたものの韓遂は妙な顔をしていた。――そんな物を何にする気かと。
すると翌日、使者が来た。馬超からの召出しである。もちろん、彼はすぐ出向いたが、馬超はすこし血相を変えていた。
「ゆうべ、立ち帰ってから、曹操の書簡を灯に
「
「それで先頃からの、変なご様子の原因が解けました。言い訳もお耳には入りますまい」
「いや、申し開きがあるならばいってみたがいい」
「それよりは、事実をもって、君に対する信を明らかにします。明日、それがしが、わざと曹操の
「御身はきっと、それをしてみせるか」
「ご念には及びません」
即ち、韓遂は翌る日、幕下の
曹操は先頃から、例の氷城にもどっている。取次ぎのことばを聞くと、
「曹仁。代りに出ろ」
と、居合わせた曹仁の耳へ、何かささやいた。
曹仁は、衆将を従えて、うやうやしく陣門を出てくると、馬上のまま韓遂のそばへ寄り添って、
「いや、昨夜は、お手紙を有難う。丞相もたいへんよろこんでおられる。しかし、事前に発覚しては一大事、ずいぶんご油断なく、馬超の眼にご注意を」
云いすてると、さっと立ち去って、何いうまもなく、陣門を閉めてしまった。
物陰にいた馬超は激怒して、韓遂が帰るや否、彼を成敗すると
八旗の中の五人の侍大将たちが、早速やって来て慰めた。
「われわれは将軍の二心なき忠誠を知っています。それだけに心外でたまりません。馬超は勇あれど智謀たらず、所詮は曹操に敵しますまい。いっそのこと、今のうちに、将軍も曹操に降って、安身長栄の工夫をなすっては如何です」
「
「いやいや、それは将軍の片思いというもの。馬超のほうでは、かえって、あなたを邪視しているのに、そんな節義を一体たれに尽すつもりですか」
ここに至って、遂に、韓遂も変心を生じてしまった。楊秋を密使に立て、その晩、ひそかに曹操に
「成就、成就」
曹操は手を打ってよろこんだにちがいない。
明夕、馬超ヲ招イテ、宴ヲナスベシ。油幕 ノ四囲ニ枯柴 ヲ積ミ、火ヲ以テマズ巨鼠 ヲ窒息 セシメヨ。火ヲ見ナバ曹操自ラ迅兵 ヲ率シテ協力シ、鼓声 喊呼 ニツツンデ馬超ヲ生捕リニセン。
韓遂は翌日、五旗の腹心をあつめて、協議していた。曹操からいってよこした策は必ずしも万全と思えないからであった。「いま招いても、馬超のほうでこれへ参るまい」
韓遂の心配はそこにある。
「いや、案外来るかもしれませんよ。将軍が、謝罪すると仰っしゃれば」
楊秋がいうと、侯選も、
「何といっても、若いところのある大将だから、口次第ではやって来ましょう」と、いう。
李湛もまた、
「弁舌をもって、きっと、馬超を案内して来ます。その点はわれわれにお任せ下さい」
と自負して云った。
では、時刻を待つとて、
「反逆人どもっ。うごくな」と、罵りながら入ってきた者がある。
見ると、馬超ではないか。
「あっ。……これは」
不意をつかれて、狼狽しているまに、馬超は剣を抜くや否、韓遂に飛びかかり、
「おのれっ、昨夜から、何を密議していたか」と、斬りつけた。
韓遂は、
「どこへ逃げる」
追い廻していると、五旗の侍大将が、左右から馬超へ打ってかかって来た。
油幕の外は火になった。馬超は血刀をひっさげて、
「韓遂は、韓遂は」
血まなこに捜している。
彼の前をさまたげた

「馬超を生捕れっ」
「雑兵に眼をくれず、ただ、馬超を討て」
と、励まし合った。
その中には、

「さてはすでに、手筈はととのっていたか」
と、急に陣外へ駈け出したが、はや

彼ですらそれ程あわてたくらいだから、西涼勢の混乱はいうまでもなく、各所の陣営からは
日は暮れたが、焔は天を
が、その
敵中作敵
の計に成功したものといえる。
味方割れ、同時に、和睦の決裂だ。――馬超は、自らつけた火と、自ら招いた禍いの兵におわれて、辛くも、渭水の仮橋まで逃げのびて来た。
かえりみると、

「やあ、あれに来るは、
西涼を出るときは、八旗の一人とたのんでいた旗本。もちろん味方と信じていると、その李湛は、手勢をひいてこれへ近づくや否、
「や、あれにおる。討ち洩らすな」
と、自身も真っ先に、鎗をひねって、馬超へ撃ってかかった。
馬超は驚いて、
「貴様も謀反人の片割れか」
すると、一方からまた、曹操の部下
皮肉にも、そのそれ矢は、李湛の背にあたって、李湛は馬から落ちて死んだ。
馬超は、わき目もふらず、于禁の人数へ馳け入った。そしてさんざんに敵を蹴ちらし、渭水の橋の上に立って、ほっと大息をついていた。
夜は更け、やがて夜が明けそめる。
馬超は橋上に陣取って、味方の集合を待っていたが、やがて集まって来たのは、ことごとく敵兵の声と敵の射る箭ばかりだった。
橋畔の敵勢は、刻々と
のみならず、左右の部下は、ふたたび橋の上に帰らず、或る者は矢にあたって、ばたばた目の前に仆れてゆくので、
「ここで立往生を遂げるくらいなら、もう一度、最後の猛突破を試み、首尾よく重囲を斬り破れば、一方へ拠って再挙を計ろう。またもしそれも成らずに
残る面々をうち励まして、わうっと、猛牛が火を負って狂い奔るように、馬超はふたたび橋上を馳け出した。
「つづけ」
「離れるな」
と、馬超の将士四、五十人も死物狂いに突貫した。人、人を踏み、馬、馬を踏み、曹軍の一角は、血を煙らせて、わっと分れる。
けれど、馬超に従う面々は、随処にその姿を没し、彼はいつか、ただ一騎となっていた。
「近づいてみろ。この命のあらん限りは」
鎗は折れたので、とうに投げ捨てている。敵の
――が、いくら馬超でも、その精力には限度がある。もうだめだと、ふと思った。
(もう駄目)
それをふと、自分の心に出した時が、人生の難関は、いつもそこが最後となる。
「くそっ、まだ、息はある」
馬超は気づいて、自分の弱音を
折しも

「それっ、いまの間に」とばかり、馬超の身を

敵中作敵の
「
と、つぶやいて、すぐ馬前の人々へいった。
「馬超に
ひとりの大将が答えていう。
「

「なに、千騎。――それならもう無力化したも同じものだ。汝ら、日夜をわかたず、彼を追いかけて、
これは大きな懸賞である。いでやとばかり、下は一卒一夫まで、奮い立って、馬超追撃を争いあった。
こういう慾望と情勢の目標にされては、いかに馬超でもたまるものではない。追い詰められ追い詰められ、また、取って返しては敵に当り、踏み止まっては追手と戦い、果ては、わずか三十騎に討ちへらされ、夜も寝ず、昼も喰わず、ひたすら西涼へさして逃げ落ちた。

「いま彼らを地方へ潜伏させては」
と、禍いの根を刈るつもりで、あくまでも追撃を加えていた。
そして、長安郊外まで来ると、都から

「北雲急なりと見て、南江の水しきりに堤をきらんとす。すこしも早く、兵を収めて、許都に還り給わんことを」と、ある。
そこで曹操は、全軍をまとめ、
「ひとまず引揚げよう」と、軍令を一下した。
左の手を斬り落された
「渭水の口を守れ」と、命じた。
ときに元、涼州の参軍で、
「馬超の勇は、いにしえの
「いうまでもなく、それは案じている。せめて彼の首を見、予自身半年もいて、戦後の経略までして還れば万全だが、何せい、都の事情と南方の形勢は、それをゆるさぬ」
「以前、それがしと共に、涼州の
「では、その任を、其方に命じよう。汝と、その韋康と、よく心を協せて、ふたたび馬超が勢いの根をはびこらせぬように努めるがいい」
「それには、一部のお味方をとどめて、長安の要害だけは、充分お守り下さるように」
「もちろんだ。長安の
すなわち
「旧都長安には、韓遂をとどめておくが、彼は、左腕を失って、身のうごきもままになるまい。汝は、予が腹心、予になり代ってよく堺を守れよ」
すると、夏侯淵が、
「
「よろしい。張既ものこれ」
曹操は、乞いをゆるした。
あすは都へ還るという前夜、曹操は諸大将と一
その席上で、一人の将が、曹操に訊いた。
「後学のため、伺いますが。――合戦の初めに、馬超の軍勢は、
「ムム」
「で当然、河の東を攻めて、お進みかと思いのほか、さはなくて、いたずらに野陣の危険にさらされたり、後また北岸に陣屋を作り、いつになく、戦法に惑いがあるように見えましたが……」
「それは、難きを攻めず、
「それなら分りますが、今度はその反対のように動いたとしか思われませんでしたが」
「その条件を、敵方に作らせるよう、初めには、わざと敵の充実している正面に当ると見せ、敵兵力をことごとく味方の前に充実させておいてから、徐晃、朱霊などの別働隊を以て、敵兵力の薄い河の西からたやすく越えさせたわけじゃ」
「なるほど、では丞相の主目的は、むしろ別働隊のほうにあったわけですな」
「まず、そんなものか」
「後、わが主力は北へ渡り、堤にそって
「いやいや、あれはわざと、味方の弱味を過大に見せ、敵を
「敵中作敵の計は、疾く前から考えのあったことですか」
「戦機は
かれの解説は、子弟に講義しているように、懇切であった。諸将はまた、口々に訊ねた。
「出陣の初め、丞相には、西涼軍の兵力が刻々と増し、その中には八旗の旗本、猛将なども多いと聞かれたとき、手を打ってお歓びになりましたが、あれは如何なるお気持であったのですか」
「西涼は、国遠く、地は
「ははあ、なるほど」
「もし、彼らが、西涼を出ず、王威にも服せず、ただ辺境にいて、威を逞しゅうしているのを、遠征しようとするならば、莫大な軍費と兵力と年月を必要とする。おそらく一年や二年くらいでは、今度ほどな戦果を収めることはできなかったろう。……で思わず、西涼軍が大挙して来ると聞いたとき、嬉しさのあまり、歓びを発したが、それに不審を抱いたことは、そち達もようやく兵を語る眼がすこしあいてきたというものである。この上とも実戦のたびには、日頃の小智にとらわれず、よく大智を磨くがよい」
語り終って、曹操は、杯をあげた。諸大将もみな嘆服して、
「丞相いまだ老いず」
と、心から賀した。
都に還ると、
近年、漢中(
仮にこう
「わしの家はなぜか病人がたえない」とか、
「こう災難つづきなのは、何かのたたりに違いない」とか、それと反対に、
「うちの
「五斗米教のお札を
などと、迷信、浮説、嘘、ほんと、雑多な声に
教主は、師君と称している。その素姓を洗えば、
これが、漢中に来て、いわゆる五斗米教を案出し、
「あわれな者よ。みなわれにすがれ。汝らの
と、愚民へ呼びかけた。
民衆の逆境は、このときほど甚だしい時代はない。どこを捜したって満足に家内揃ってその日を楽しんでいるなどという家はない。しかも教養なく、あしたの希望もない民衆は、
「これこそ天来の道士様」
と、たちまち五斗米をかついで礼拝に来る者が、
師君の
不具、病人などが、祈祷をたのむと、
「
「おまえの罪業は、水神にねがって、流してもらった」と、云い聞かせる。
愚民は信ずるのだった。その
こうして、邪教の
そこでかえって、教主張魯に対しては、卑屈な懐柔策を取ってきた。彼に
「年々の
従って、五斗米教は、中央政府の認めている官許の道教として、いよいよ毒を庶民に植えつけて、今や巴蜀地方は、一種の教門国と化していた。
すると、ついこの頃のこと。
漢中の一百姓が、自分の畑から、黄金の
張魯の群臣は、みな口をそろえて、
「これこそ、天が、
と、彼に、王位につくことをすすめた。
すると、
「なるほど今は、中央の曹操、西涼の馬超を討って、気いよいよ
師君
いま、
「然り、然り。閻圃の説こそ、大計というものである」
と云いながら前へ進んで、彼の献策をさらに裏書して、こう大言した。
「先ごろ来、西涼の馬超が破れたことから、領内混乱に陥り、西涼州の百姓たちの逃散して、漢中に移り来るもの、すでに数万戸にのぼると聞く。――加うるに、従来、
両者の言に、張魯も意をうごかされて、
「よろしかろう。
かくて、漢中の兵馬が、ひそかに、蜀をうかがっているとき、その蜀は今、どんな状態にあったろうか。
長江千里の上流、揚子江の水も三峡の
アジアの屋根、パミール高原に発する

四川の名は、それに
ただこの地方の交通の不便は言語に絶するものがある。北方、
「蜀の
さて、こういう蜀も、遂に、時代の外の別天地ではあり得なかった。
蜀の
「漢中の張魯が攻めてくるとか。いかがすべきぞ。ああ、どうしたらいいか」
彼は、生れて初めて、敵というものが、すぐ隣にいたのを知ったのである。
蜀の諸大将も、みな
「不肖ですが、それがし、三寸の舌をうごかして、よく張魯が軍勢を退けてご覧にいれる。乞う、お案じあるな」と、いった者がある。
見れば、その人は、
ただ大きいのは声だけだ。声は鐘を
「やあ、
「百万の兵も、一心に動く。一心の所有者に、それがしの一舌を以て説く。なんで、動かし得ぬことがありましょうか」と、許都に上って、曹操に会見し、将来の利害大計を述べて、この禍いを変じて、蜀の大幸として見せん――と、
張松の考えているその内容とはどんなものか、とにかく、彼の献策は用いられることとなり、彼は早速、遠く都へ使いして行くことになった。
その旅行の準備にかかる
画工は五十日ほどかかってようやくそれを描き上げた。四十一州にわたる蜀の山川谿谷、都市村落、七道三道の通路、
「これを開けば、いながらにして、蜀に遊ぶようなものだ。よしよし。上出来」
張松は、画工をねぎらった。
彼は直ちに、劉璋に謁して、出発の準備も調いましたればと、
劉璋は、かねて用意しておいた
千山万峡、
時、曹操は
江南の風雲は、なお

「さすがは、花の都」
張松も、眼を驚かされた。
ひとまず旅館に落着き、相府に入国の届を出し、また
「やがて丞相からお沙汰のあるまで相待つように」
という吏員のことばに従って、その日の通知を待っていた。
ところが、幾日たっても、相府からの召しがないので怪しんでいると旅亭の館主が、
「それは、姓氏を
と、注意してくれた。
そこで、客舎の主人から莫大な
曹操は、一
「蜀はなぜ毎年の貢ぎ物を献じないか」
と、罪を責めた。
張松は、答えて、
「蜀道は、嶮岨な上に、途中盗賊の害多く、とうてい、貢ぎを送る
と、いった。
曹操は、甚だしく、自分の威厳を損ぜられたような顔をして、
「中国の威は、四方に
「いやいや。決してまだ天下は平定していません。漢中に
曹操は急に座を起って、ぷいと後閣へ入ってしまった。激怒した容子である。張松は、ぽかんと、見送っていた。
階下に整列していた近臣も、興を
「外国の使臣として、はるばる参りながら、あえて丞相の御心に逆らうとは、いやはや、
すると張松は、その低い鼻の穴から、ふふふと、嘲笑をもらした。
「さてさて、
「だまれ。しからば、魏人は
「おや、誰だ?」
声に驚いて、張松が振り向くと、侍立の諸臣のうちから、一人の文化的な感じのする青年が、つかつかと進んで、張松の前へ立った。
年の頃まだ二十四、五歳。
「外国の使臣といえ、黙って聞いておれば、
楊修はそういって、張松を閣の書院へひっぱって行った。張松は、この青年の魅力に何か心をひかれたので、黙って彼のあとに従いて行った。
「ここは奥書院、俗吏は出入りしませんから、しばし静談しましょう。さあ、お着席ください」
「
張松は頭を振って、
「君命をうけて使いするに、なんの万里も遠しとしましょう。火を踏み、剣を渡るも、
楊修はかさねて訊いた。
「蜀の国情や地理は、老人のはなしとか、書物とかで知るのみで、直接蜀の人から伺ったことがない。ねがわくは、ご本国の概要を聞かせ給え」
「されば、蜀はわが大陸の西部に位し、路に
「おはなしを承っただけでも、一度遊びに行ってみたくなりますね。して、あなたはその蜀で、どんな役目を勤めておられますか」
「お恥かしい
「丞相府の
「名門楊家は、数代
「…………」
楊修は、身を
「いや、丞相の門下にあって、軍中兵粮の実務を学び、また平時にはご書庫を預かって、庫中万巻の書を見る自由をゆるされているのは、自分にとって大きな勉強になりますからね」
「ははは、曹操について学ぶことなどがありますかな。
「
「いやいや、僕の偏見よりは、かえって、中央の都府文化に心酔し、それを万能として、天下を見ている人の主観には、往々、病的な独善がある。曹操の大才とは、一体どれ程なものか、何か端的にお示しあるなら、伺いたいものだが」
「よろしい、たとえば、これをご覧なさい」
楊修は起って、書庫の棚から、一巻の書を取出し張松の手に渡した。
張松は、ざっと内容へ目を通した。全巻十三篇、すべて兵法の
「これは、誰の著ですか」
「曹丞相がご自身、軍務の余暇に筆をとられて、後世兵家のために著された書物です」
「ははあ、器用なものだな」
「古学を
張松はわらって、楊修の手へ、書物を返しながら、
「わが蜀の国では、これくらいな内容は、三尺の童子も知り、寺小屋でも読んでおる。それを孟徳新書などとは……あははは、新書とは、人をばかにしたものだ」
「聞き捨てにならぬおことば、然らばこの書の前に類書があるといわるるか」
「戦国春秋の頃、すでにこれとそっくりな著書が出ておる。著者が誰とも知れぬものゆえ、丞相はそのまま、書き写して、自分の頭から出たもののように、無学の子弟に自慢しているものでござろう。いやはや、とんだ新書もあるものだ」
多少、張松に好意をもっていたらしい楊修も、彼の無遠慮なわらい方と、その大言に、反感をおぼえたらしく、眼に
「いくら何でも、まさか三尺の童子が、このような難解な書を、
「嘘だとお思いなさるのか」
「たれも真にうける者はないでしょう。試みに、御身がまず自分で
「三尺の童子でもなすことを、なんでそれがしにお試しあるか」
「まあまあ、事実を示してから、お説は聞くとしようではありませんか」
「よろしい。お聞きなさい」
張松は、胸を正し、膝へ手をおくと、童子が書物を声読するように、孟徳新書の初めから終りまで、一行一字もまちがいなく
楊修はびっくりした。
急に、席を下って、うやうやしく、張松を拝し、
「まったく、お見それ申しました。私もずいぶん著名な学者や賢者にも会いましたが、あなたのような人物に会ったのは初めてです、……しばらくこれにお待ちください。曹丞相に申しあげて、もう一度、改めて、ご辺と対面なさるように、お勧め申して来ますから」
楊修は青年らしい興奮を面にもって、すぐ曹操のところへ行った。そして、なぜ蜀の使いにあんな冷淡な態度をお示しになったのか、とその理由をなじった。
曹操がいうには、
「一見して分るではないか。あの
「
「それは、禰衡には、一代の文才と、その文の力を以て、民心をつかんでいた能があったからだ。いったい張松などになんの能があるか」
「どうして、どうして、決して
楊修はやや賞めすぎた。青年だから是非もないが、曹操がどんな顔して最後のほうのことばを聞いていたか、気もつかずに、賞めちぎってしまった。
「中国の文化にうとい遠国の使者だ。わが大国の気象も真の武威も知らんのでそんな
「はい」
「明日、衛府の西教場で、大兵調練の
この日、曹操は、五万の軍隊を、衛府の練兵場に統率し、
そして、少し汗ばんだ面には紅を呈し、さも得意そうに、張松を見つけて呼びかけた。
「どうだな、
張松はさっきから眼を斜めにして見物していたが、にこと笑って、
「ありません。――が蜀はよく文治と道義によって治まり、今日までのところ、兵革の必要はなかったのです。貴国の如くには」
と、答えた。
またしても、曹操の心を損じはしないかと、楊修はそばで気をもんでいた。
覇者は己れを
張松の眼つきも態度も、曹操は初めから虫が好かない。
しかも、彼の誇る、
「張松とやら。いま汝は、蜀は仁政を以て治めるゆえ、兵馬の強大は
「はははは。何を仰せられる」
張松は口を曲げて答えた。
「
どっちが威圧されているのか分らない。ずいぶん他国の使臣には会ったが、曹操のまえでこれほど思いきったことをいった男はかつて一人もない。
当然、曹操は
「言語道断な
楊修は極力弁護した。
「いかん。断じてならん」
曹操はきかない。しかし、

「しからば、百棒を加えて、場外へ叩き出せ」
こんどは、兵に命じた。
張松はたちまち大勢の兵に囲まれて遮二無二、練兵場の外に引きずり出された。そして鉄拳を浴び、
「無念」
張松はすぐに本国へ帰ろうと思った。しかし、つらつら思うに、自分が
「よしっ。この報復には、きっと彼に後悔をさせてみせるぞ。自分も、国を出るとき、諸人の前で大言を放って来たてまえ、空しくこんな
彼は、腫れあがった顔に、療治を加えると、すぐ翌る日、相府にも断わらず、従者を連れて許都を去ってしまった。
「蜀の小男が、よけい小さくなって、蜀へ帰って行った」
都の者は、笑っていたが、なんぞ知らん、彼は途中から道をかえて、
「そこへ参られたは、蜀の
と、先なるひとりの大将がいう。張松が、然り、と答えると、その武将はひらりと馬を降りて、礼をほどこし、
「それがしは、荊州の臣、
導いた一亭には、酒を整え、茶を煮、
魏に使いして、使いを果たさず、失意と辱を抱いて落ちてきた客が、かくばかり鄭重な出迎えをうけようとは、張松も、意外であったらしい。
「どうして、
訊くと、趙雲は、
「いや、ご辺のみに、こうなされるのではありません。総じて、わが主君は客を愛すお方ですから」と、答えた。
そこからは趙雲の案内で、途中の不自由も不安もなく進んだ。
日をかさねて、荊州の境に入る。そして
すると、門外に、百余人の兵が、二行にわかれて整列していた。
張松のすがたを見ると、一斉に鼓を打ち
「賓客、ようこそご無事で」
と、にこやかに、出迎えの礼をなし、自身、馬の口輪をとって導いた。
張松はあわてて馬を降り、
「あなたは、関羽将軍ではありませんか」と、たずねた。
「さよう。此方は
「恐縮恐縮。知らぬこととは申せ、つい馬上にて受礼。おゆるし下さい」
「なんの、此方はあなたの出迎えを命ぜられた皇叔の一臣に過ぎません。国賓たるご辺に、さようなご遠慮を抱かせては此方の役目不つつかに相成る。どうか、何なりと御用あれば仰せ下さるように」
館中に入ると、関羽は、客のために、夜もすがらもてなし、その接待は懇切を極めた。
次の日はいよいよ荊州城市へ入った。見ると、城市の門まで、道は塵もとめず掃き清められ、たちまち、彼方から

張松は驚いて、馬を降り、あわてて路上に
「かねて、大夫のご高名は、
「
曹操のまえでは、あのように不遜を極めた張松も、玄徳のまえには、実に、謙虚な人だった。
人と人との応接は、要するに鏡のようなものである。
城中の歓迎は、
その際玄徳は、世上一般の四方山ばなしに興じているだけで、蜀の事情などは少しも訊ねなかった。
かえって、張松のほうから、話題に飽いて、こんな質問をし出した。
「いま、皇叔の領せられる土地は、荊州を中心に、何十州ありますか」
孔明がそばから答えた。
「州都もすべて借り物です。われわれはご主君に、これを奪って領有することが、何の不義でもないことを力説していますが、わがご主君は物堅く、呉の孫権の妹君を夫人にしておられる関係に義を立てて、いまなお真にご自身の国というものをお持ちになっておりません」

「わが主玄徳は、人みな知るとおり、漢朝の宗親でありながら、少しも自分というものを強く主張しようとなさらんのです。……今、その漢朝にあって、
と、いかにも歯がゆそうに云って、張松へ杯をさした。
「そうです。そうです」と何度もうなずいて、張松は杯を受けながら、共鳴を誇張した。
「ただ徳ある人に依ってのみ、天下はよく保たれる。すなわちまた、諸民の安心楽土もそこにしかない。不肖思うに
玄徳は、耳なきごとく、あるごとく、ただ、手を
「先生のご過賞は、ちと当りません。なんで玄徳にそのような天資と徳望がありましょう」
とのみいって笑った。
四日目、張松は別れを告げて、蜀へ立った。玄徳は名残りを惜しみ、十里亭まで、自身送ってきた。
ここに少憩してささやかな別宴をひらき、共に杯を挙げて、前途の無事を祈りながら、玄徳は眼に涙をふくんで、
「先生と交わりをむすぶこと、わずか三日、またいつの日か、お教えを仰ぐことができましょう。人生多事、蜀へ帰られてはお忙しいでしょうが、折にふれ、荊州に玄徳ありと思い出して下さい。
と、いった。
張松はこのとき胸に誓った。蜀に迎えて、蜀の新天地を創造する人は、正にこの人以外にはないと。
「いや、この度は、三日の間、朝暮ご恩に甘え、何らのお報いもなさず、今お別れに際して
「先生。玄徳もそれを知らぬのではありませんが、如何にせん、他に身を安んずる所がないのです」
「乞う。眼を転じて、西蜀の地を望み給え。そこは、四方みな
「いうをやめよ先生。それも知らないではないが、蜀の劉璋は、これもまた、漢室のながれを汲む家。血すじにおいて、わが同族。なんでその国家を犯してよいものぞ」
「いやいや。そのお考えは、小義を知って大義に
「…………」
「しかるにです。ひとたび、許都の府に足を入れるや、私は眉をひそめました。そこの都市文化はあまりに早、
張松は従者を呼んだ。
そして馬の背の荷物のうちから一箇の
「ごらんなさい。蜀の図です」
「ああ。これは精密なもの。行程の遠近、地形の高低、山川の
玄徳は
「皇叔。速やかに思し召をここに立て給え」と張松はそばから熱心に彼の意をふるい促した。
「――私に深く交わる心友がふたりいます。
「
「この西蜀四十一州図の一巻は、他日、入蜀の道しるべ。また、今日のお礼として、お手許に献上します。どうかお納めおき下さるように――」
かくて、彼は、先へ立った。
玄徳は十里亭から戻ったが、関羽、趙雲などは、なお数十里先まで張松を送って行った。
× × ×
実に遠い旅行だった。張松は日を経て、ようやく故国益州へ帰ってきた。
すでに首都の
「やあ、ようこそ」
「ご無事で何よりだった」
と、二人の友が早くも迎えに出ていて、その姿を見るなり近づいてきた。
「おお、孟達か。法正も来てくれたのか」
張松は馬を降りて、こもごも、手を握り合った。
「久しく、蜀の茶の味に
友は彼をさそって、松の下へ来た。茶を喫し、道中の話などにふけったが、そのうちに、張松は、
「君たちも、現状のままでは、必然、蜀が亡ぶしかないことは知っているだろうが、もしそうとしたら、この蜀に、たれを起死回生の主君と仰ぎたいかね」と、ふたりに訊ねた。
法正は、
「そのために君は、遠く使いして、魏の曹操に会ってきたのじゃないか。曹操との交渉に、何かまずいことでもあったのかね」
「まずい。甚だまずい結果になった。で、実は、君達だけに打明けるが、おれは途中から気持が変った。蜀へ曹操などを入れたら、蜀の破滅を意味するだけで、蜀の民の幸福にはならん」
「では、誰を迎えるのか」
「だから今、君たちに、そっと意中を訊いてみたわけさ。
「それはほんとか」
「たれが君らを
「ふーむ……」と、法正はうめいて、「わしならば、荊州の劉玄徳とむすびたいと思うが」
孟達の顔を見ると、孟達も、ひとみをかがやかして、
「そうだ、曹操へ蜀を献じるくらいなら、玄徳を主と仰いだほうがはるかにいい。本来、初めから玄徳へ使いすべきであったよ」
聞くと、張松は、
「そうか。では偶然、三人の考えが、一致したわけだ。よし、そうなれば大いに張合いもある。張兄、抜かるな」
「万事は胸にある。もし、この儀について、
「よいとも」
三人は、血盟して別れた。
次の日張松は、成都に入り、劉璋に
もちろん、曹操のことは、極力
劉璋は面に狼狽のいろを隠せなかった。
「曹操にそんな野心があってはどうもならん。
気が弱い、策がない。劉璋はただ不安に駆られるばかりな眼をして云った。
「お案じには及びませぬ」
張松は語を強めた。そしていうには、
「この上は、荊州の玄徳をおたのみなさい。ご当家とは漢朝の同流同族。のみならず、こんどの旅行中、諸州のうわさを聞いても、彼は仁慈、寛厚、まれに見る長者であると、一世の人望を得ています」
「だが、その劉玄徳とは、今日までなんの交渉も持っていない。彼も漢の景帝の流れを汲む同族とはかねて聞いていたが」
「ですから、この際、鄭重なる書簡をいたせば、玄徳としても、欣然友交国の
「では、その使いには、誰をつかわしたらよいと思う」
「孟達、法正。この二人に超えるものはないでしょう」
するとこの時、
「ご主君っ、耳に
驚いて振り向くと
劉璋は眉をしかめて、
「なぜ、そんなことを云う。たしなめ」
と、一喝した。
黄権は屈せず、面を
「君、知り給わずや。当時玄徳といえば、曹操だも恐るる人物。寛仁よく人を

こうなると、張松も黙っていられない。国家の危機とは、これからのことではない、今やすでにその危機にある蜀である。もし漢中の張魯と魏の曹操が結んで今にも国内へ進撃してきたらどうするか。ただ強がるばかりが愛国ではないぞ、ほかに良策があるならここで聞かせよ、と
と、ふたたび帳外から、
「無用無用。わが君。張松の弁舌にうごかされ給うな」
云いつつ大歩して君前にまかり出てきた人物がある。従事官
王累は、頓首して、
「たとえ漢中の張魯が、わが国に
――だが、劉璋の頭には、もう先に聞いた張松のことばが、頑として、先入主になっている。張松は実地に諸州の情勢を見てきた者だし、王累や黄権は、国外の実情にうとい。そう単純に区別してでもいるのか、おそろしく感情を
「うるさくいうな。人望もなく実力もないような玄徳なら、なにも求めて提携する必要もないではないか。わが家とは血縁もあり、

かくて遂に、張松のすすめは劉璋の容れるところとなってしまった。使いを命じられた法正は、前日の諜し合わせもあり、張松とはどこまでも主義を同じくしているので、劉璋の書簡を持つと、道を早めて荊州へ赴いた。
「なに、蜀の法正とな?」
玄徳は、使者の名を聞いて、すぐ張松と別れた日のことばを胸に想いうかべた。
直ちに、法正を見、かつ書簡をうけて、その場でひらいた。
その夜、玄徳は独りで、一室に考えこんでいた。

「孔明はどうしましたか」
「蜀の使者法正を、客館まで送って行ってまだ戻らぬ」
「そうですか。して、君より法正へは、すでにご返辞をお与えになりましたか」
「なお考え中である」
「張松が去るとき、あれほど申しのこして行ったのに、まだお疑いとは」
「疑いはせぬが」
「では、なにをそのように、無用にお心を
「思うてもみい。いま予と水火の争いをなす者は誰か」
「曹操こそ最大の敵です」
「その曹操を敵として戦うに、これまではすべて彼の反対をとって我が方略としていた。彼が急を以てすれば、われは
「はて。意を得ませぬが」
「張松、法正、孟達たちのすすめにまかせて、蜀に

「火事場の中で、日頃の礼法をしていたら、寸歩もあるけますまい。あなたのおことばは天理人倫にかなっていますが、世はいま乱国、いわば火事場です。
玄徳もようやくうなずいた。蜀へ入りたいのは彼とて山々のところである。何せい荊州は戦禍に疲弊している。地理的には東南に孫権、北方に曹操があって、たえず
「よう分った。先生の啓示は、まさに金玉の教えと思う。それに張松たちが、かくまで手を尽して、予を迎えようとするのも、いわゆる天意というものであろう」
「では、ご決心なさいますか」
「孔明が帰って見えたら、早速それについて評議いたそう」
程なくその孔明も姿をあらわした。三名は
翌日、法正にも、この旨をつたえ、同時に陣触れを発して、いよいよ入蜀軍の勢揃いをした。
玄徳はもちろんその中軍にある。

しかし、何より大事なのは、荊州の守りである。万一にも、この遠征軍がやぶれた時、あるいは、南に孫権がうごくか、北の曹操が留守の間隙をうかがうなど不測な事態が生じたとき、万全な備えがなくてはならない。――また征旅に上る玄徳にしても、その安心がなくては、腰をすえて蜀へ入れない。
で、荊州には、孔明が残ることになった。
その配備は。
江陵城に趙雲子龍。
といったように、名だたる者を要所要所にすえ、孔明がその中央荊州に留守し、四境鉄壁の固めかたであった。
建安十六年冬十二月。ようやくにして玄徳は蜀へ入った。国境にかかると、
「主人の命によって、これまでお迎えに出た者です」
と、道のかたわらに四千余騎が出迎えていた。将の名を問えば、
「孟達です」
と、ことば短かにいう。
玄徳はにことして孟達の眼を見た。孟達も、眼をもって意中の会釈をした。
さきに法正がもたらした返辞によって、玄徳が来援を承諾したと聞き、大守
そのうえ彼自身、成都を出て、

「危険です。見ず知らずな国から来た五万の軍中へ、自らお出であるなどとは」
黄権がまた
侍側にいた張松は、劉璋が口をあかないうちに、
「黄権。足下は何をもって、みだりに盟国の兵を疑い、主君の宗族を離間しようとするのか」
と、
劉璋もともに、
「そうだとも。玄徳はわが宗族だ。故にはるばる、蜀の国難を扶けんと来てくれたのだ。ばか、ばかを申せっ」
黄権はかなしんで、
「平常、恩禄を
と、頭を地にぶつけ、面に血をながして、なお諫言した。
「うるさいっ」
劉璋は、
城門から出ようとすると、また声をあげて、彼の車にとりすがった家臣がある。
「むかしから、天子を
劉璋は耳をふさいだ。
「車を進めい。車の輪を離さぬならば、
そこへまた、一人の下僕が、狂わしげに訴えてきた。泣き
「わたくの主人
張松は、車を護る前後の人々にむかい、
「なにを猶予あるか、はやはや進まれよ」
と叱咤し、また車の側へ行って、劉璋にささやいた。
「彼らはみな、忠義ぶったり、狂態を見せて、君を脅かさんなど
そのうち
右手に剣を持ち左の手には諫めの文をつかんでいる。縄に吊られて、両足を天にし、首を地に垂れて、睨んでいた。
驚いて、車が停まると、王累はくわっと口を開いていった。
「わが君、お待ち下さい」
そして、諫言の文を、
劉璋は、さっき張松から、卑怯な家臣がみな自分を脅迫するのだと聞いていたので、
「だまれっ。汝らのさしずはうけん」
と、一
「惜しい哉、蜀や!」
と一声叫んで、右手の剣を宙に振り、自ら縄を切って、地上の車の前に脳骨を打砕いてしまった。

一方の玄徳は、みちみち沿道の官民のさかんな歓迎をうけながら、すでに百里の近くまで来ていた。
と。その案内に立っている法正のところへ、張松から早馬で密書が来た。法正はそれをそっと

「この時をはずすなと、張松のほうから云ってよこしました。お抜かりないように」
と、

「その機に臨むまで、足下も部下のものに気取られるな」と注意した。
かくて、

両者の会見は、和気
「世は遷り変るとも、おたがい宗族の血はこうして世に存し、また巡り会って、今日をよろこぶことができる。力を協せて、ふたたび漢朝の栄えを見ることに兄弟ひとつになろうではありませんか」
情を叙べるに玄徳は涙し、劉璋も力を得て、彼の手を押し戴き、
「これで蜀も外から侵される心配はない」と、かぎりなく歓んだ。
歓宴歓語、数刻に移って、玄徳はあっさり帰った。彼のつれて来た五万の軍勢は、城外の

玄徳が帰ると、劉璋は左右のものへすぐ云った。
「どうだ。聞きしにも優る立派な人物ではないか。王累、黄権などは、人を見る明がなく、世の
蜀中の文武の大将は、これを聞いて、なおさら案じた。

「人は見かけに依らぬというたとえもあること。まして
「そういちいち人を疑っていたら、人の中には住めまいが」
彼は自身いうが如き好人物であった。もし庶民のあいだに生れていたら、少くも家産はつぶし、人にものべつ
(彼はよい男だよ)と、愛されもしたろう。
けれど、蜀の主権者であり万民に臨む太守としては、ほとんど、その資格なきものといっていい。
「どうでした。劉璋とお会いになってみた感じは」
玄徳が帰るとすぐ

「真実のある人だ」
といった。しかし、

「愚誠の人物ともいえましょう」と、答えた。
玄徳はだまって眼をしばたたいた。劉璋に対して
「ああ。お気の弱い」――

「君。何のために、この山川の
と、直言し、さらに、
「明日、答礼の酒宴にことよせて劉璋をお招きなさい。決断が大事です。小さい情にとらわれているときではありません」と、切々説いた。
そこへ法正も来て、
「成都に留守している張松も、
と、口を極めて励ました。
もとより入蜀の目的はそれにある。玄徳とてここに来て思い止ったわけではない。彼はただ自己の心の中の情念と闘っているだけだ。すなわち建安十七年の春正月、こんどは彼が主人になって、劉璋を招待することにきめた。
「長夜の宴」とか「酒国長春」とかいうことばは、みな支那のものである。この民族の歴史ほど宴楽に始まって宴楽に終る歴史を編んできた民族は少ない。平時はもちろん戦争の中でも実に宴会する。別離歓迎、式典葬祭、
ことし
はるばる、荊州から携えてきた
やがて宴もたけなわに入った頃、

人なきところへ行って、ふたりは声をひそめ合っていた。
「うまく運んだ。大事はすでに
「かねてのおさしずは、
「場内に血を見ると同時に、劉璋の兵が、外で騒ぎだすにちがいない。その方も手抜かりないようにたのむ」
「心得ております」
ふたりはさり気ない顔して、元の席へ返っていた。
宴席は
ときに、荊州の大将たちの席から、突如、魏延が立ち上がって、酔歩
「せっかくの台臨を仰ぎながら、われわれ長途の軍旅にて、今日のもてなしに、恨むらくは音楽の饗応を欠いておる。依ってそれがし、剣の舞をなして、太守の一笑に供え奉る。――」
いうかと思えば、はや腰なる長剣を抜いて、舞いだしていた。
「あ、あぶない」
こはただ事の馳走に非ずと、劉璋の左右にあった文武の大将は、みな顔色を変えたが、
すると、従事官
「古来、剣を舞わすには、かならず相手が立つと承る。武骨、不風流者ながら、君にならって、お相手をいたさん」と、魏延の舞に
閃々、たがいに
(剣の舞の相手よ。汝がもしわが主人に危害を加えるならば、われは直ちに汝の主人玄徳を刺すぞ)
無言のうちに張任は舞いつつ魏延を

心得たりと、劉封もすぐ身を起し、剣を抜いて、ふたりの間へ。
「あら、おもしろや」と、舞うて入る。
とたんに、ざわざわと、劉璋の周囲が一斉に立った。

「いざ、舞わんか」
「それ舞わんか」
「舞わんか、舞わんか」
「いざ来れ」
と、満座ことごとく剣に満つるかと思われた。
玄徳は
「無礼なり、魏延、劉封、ここは
劉璋も、家臣の非礼を叱って、玄徳と自分とは、同宗の骨肉、無用な
しかし、この夜の宴は、失敗に似て、かえって成功だった。劉璋はいよいよ玄徳に信頼の念を深めた。
その後も、蜀の文武官は、劉璋に諫めること度々であった。
「玄徳に二心はないかもしれません。しかし玄徳の幕下は皆、この蜀に
劉璋は依然、うなずかない。
「さのみ疑うことはない。
そういわれてはもう衆臣も二の句がない。唯ひたすら家臣結束して、荊州軍のうごきに警戒の眼を払っているだけだった。
かかるうちに国境の
「漢中の
「それみよ、禍いはそこだ」
劉璋はむしろ得意を感じたらしい。早速にこの由を玄徳へ伝え、協力を乞うと、玄徳はすこしも辞すところなく、直ちに、兵を率いて国境へ馳せ向った。
蜀の諸将はほっとした。
「いざ、この間に、蜀は自国の守りを鉄壁になし給え。内外、万全のご用意を」
と、劉璋へ再三再四、献言した。
劉璋も、あまりに諸臣が憂えるので、さらばと彼らの意にしたがい、即ち、蜀の名将

× × ×
蜀境の戦乱は、まもなく、長江千里の南、呉へ聞えてきた。
「玄徳の野心は、ついに鋒鉦をあらわした。汝ら何と思うか」
孫権は、呉の重臣を一堂に集めて、こう穏やかでない顔して云った。
「彼はついに、火中の栗を拾いに出たものです。自ら手を焼くにちがいありません。情報なおつまびらかでありませんが、荊州の兵力を二分して、その一をもって蜀に入り、長途のつかれを持つ兵をして、強いて国境の
「予もそう考えていたところだ。諸卿よろしく
すると、議堂の
「誰じゃ、わが
おどろいて、その人を見れば、これは孫権の母公、呉夫人であった。
母公は
「そちたちは、江東八十一州の遺領を、いながらにうけて、父祖の恩に、今日を豊かに送りながら、なお荊州を望んで、どうするというのじゃ。荊州には、可愛い娘を嫁がせてある。玄徳はこの老母が
孫権は沈黙して、ただ老母のまえに、叱りをうけているだけだったために、評議は、一決せずに終ってしまった。
――今、荊州を収めなければまたいつの日機会があろうと、孫権は爪をかみながら、一室に沈吟していた。
張昭が、そっと来て彼の前にささやいた。
「べつに
「では、どうして母をなだめるか」
「一人の大将に五百騎ほどをさずけ、急遽、荊州へさし向けられ、玄徳の御内方たる妹君へ、そっと密書を送って、母公の病篤し、
「む、む」
「その折、玄徳の一子、
「その策は実に妙計だ。して誰をやろうか」
「周善なれば、仕損じますまい。彼は、
「すぐ、ここへ呼べ」
孫権ははや、筆墨をよせて、妹に送る密書をしたため出した。
その日、孫権に召された周善は、張昭にも会って、
五百の兵はみな
やがて目的地の荊州に着く。
周善は
夫人は、寝耳に水の
「えっ。母公には、明日も知れぬご危篤ですって?」
兄孫権の手紙を読むうちに、もう
「一刻もお早く、呉へお下りください。せめて息のあるうちに、ひと目なと、お姿を見たいと、御母公におかせられては、苦しき
周善のことばを聞くと、玄徳夫人は、いよいよ身をもんで、
「会いたい、行きたい、周善、どうしようぞ……」と、泣き沈んだ。
ここぞと、周善は、
「翼ある御身なれば、すぐにもご対面はかないましょうが、いかにせん長江の水速しといえども、船旅では幾日もかかります。すぐご用意あって、それへお召し遊ばさねば、ついにご臨終には間にあいますまい」
「……というて、いまは良人玄徳は蜀へ入って、この城においで遊ばさず」
「それは御兄上の孫将軍から後にお
「でも、孔明が何というかしれない。留守の出入りは孔明がきびしく守っているのですから」
「あの人に告げたら、断じて、呉へ下ることなど、許すはずはありません。自身の責任のみ大事に思いましょうから」
「飛んでも行きたい思いがする……。周善、よい智慧をかして
「されば、いずれこのことは尋常ではかなわじと考え、張昭のさしずにより
なにものも要らない気になった。ついに彼女は身支度した。周善は諸方の口を見張りながら、その間に早口に告げた。
「そうそう、
彼女の心はもう呉の空へ飛んでいる。なにをいわれても
ことし五歳の阿斗をふところに、夫人は、車にかくれて、城中から忍び出た。
呉以来、側近くかしずいている三十余人の侍女は、みな小剣を腰に
ざわめく
「待てっ。その船待てっ」
岸の暗がりに、馬のいななきやら剣槍のひびきが聞えた。
周善は
「いそげ、振り向くな」
と、
江頭の人影は、刻々、多くなって、騒ぎ立っている。中にひとり目立っているのは、常山の
「おういっッ。待て」
船の影を追いながら、
「のがすな。あの船を」と、十里も駆けた。
一漁村へかかった。
趙雲は駒をすてて、漁夫の一舟へ飛び乗り、
「あの船へ漕ぎ寄せろ」と、先に廻っていた。
呉の船は帆うなりをあげながら下ってきた。趙雲の小舟がそれへ近づこうとすると、船上の周善は、長い
「
と、必死の下知に声をからした。
「やわか。通すべき」
趙雲は、槍をなげすてた。
腰なる

「おおうッ。おのれ」
呉の兵は、彼の形相に怖れて、わっと逃げかくれる。趙雲はあたりを
「夫人っ、何処へおいでになるのですっ」
と、鏡のような眼をいからせて
その声に、夫人のふところに眠っていた幼君の
「無礼でしょう趙雲。なんですかその血相は」
「お留守をあずかる孔明にも何のお断りすらなく、城中を出られるのみか、呉船に召されて江を下るなど、あなたこそ劉皇叔のご夫人として穏やかならぬご行動ではありますまいか」
「呉にいます母公が、あすも知れぬご重態との知らせに、軍師へ相談している
「しからば、何故、阿斗の君をおつれ遊ばすか。皇叔にとっても、わが国にとっても、たったお一方の大事な珠玉。かつて
「おだまりなさい」
夫人は、
「そちは唯これ陣中の一武士。劉家の家事に立入るなど
「いやいや、あなたが呉へお還りあるのを止めはいたさぬ。ただ幼君の御身は、誰がなんといおうが、国外へやるわけには参りませぬ」
「国外とは何事ぞ。呉と荊州とは境こそあれ、この身と皇叔とによって
「なんと仰せあろうと、幼君はおあずけできません。お渡しなさい」
「あ。何をしますかっ」
夫人は、悲鳴をあげながら、侍女たちを振り向いて、
「この無礼者を、追い出して
と、さけんだ。
だが、趙雲は苦もなく、夫人の膝から、
そしてさっと、船上を走って、
かかる間も、
「近づく者は、一刀両断にするぞ。

弓と槍と
すると、いつのまにか近づいていた田舎町の河港の口から、十数艘の早舟の群れが扇なりに展開しながら近づいてきた。
近づくに従って、その早舟の群れからは、鼓の音や
「さては、呉の水軍」
趙雲は
この上は、幼君を
ところが、水中から声があって、
「呉の船待てっ。わが君の留守をうかがって、幼君阿斗をいずこへ伴い参らすぞ。燕人張飛これにあり、船を止めろっ」と、龍神が吼えるかと疑われるばかり聞えた。
「おお、張飛か」
呼びかけると、一舟の中から、
「趙雲そこにいたか」
と、下からも呼び返しながら、はやその張飛をはじめ、荊州の味方は、たちまち、八方から
張飛が船上へとび上がると、出合い頭に、周善が
「くわっ」
と云ったとたんに、彼の一振した一丈八尺の
「虫けらどもが」
張飛の眼にふれたらさいご、その者の命はない。呉の兵は人の
「一匹も生かすな」
殺伐するに仮借のない張飛は、歩むところに
すると一隅に、侍女たちに囲まれたまま、立ちすくんでいた玄徳夫人のすがたがあった。
「…………」
「…………」
夫人は必死な気位を持って彼を見下ろそうとした。
しかし張飛のらんらんと燃える眼は、決して、夫人の眸を避けなかった。
やがて、彼がいう。
「
「……家臣たるものが、主にたいして、そのようなことばを
「……君家を護るは、いうまでもなく、士道のひとつ。たとえ主君の夫人であろうと、それがしはあえていう。お帰んなさい。帰らなければ、引っ吊るしても、荊州城の奥へほうりこみますぞ」
夫人は白くわなないた。
「……ゆ、ゆるしておくれ。ゆえなく城を出たのではない。母公のご危篤に前後もなくお枕もとへゆくのですから。……もしそち達が、
「なに、
これには張飛も
「おうい、趙雲、ちょっと来てくれ」
「なんだ」
「こういう次第だが、どう処置したらいいか。もし夫人が入水して死んだら、やはりわれらは、臣道にそむくだろうか」
「もちろん、かりそめにも、主君の夫人、また皇叔のお嘆きを考えてもむざむざ、夫人の死を見ているわけにもゆくまい」
「では、幼君だけ取りかえして、夫人はこのまま呉へやるとするか」
「そうするしかあるまい」
「よし、もう一言、いい分をいっておこう」
張飛は、夫人の前へ戻って、
「あなたの良人は、いやしくも大漢の皇叔。ゆえに、われわれは、臣節を尊んで、あえてあなたを
告げ終ると、
「おい、趙雲。行こうか」
と、早舟へ跳び移った。
趙雲も
そしてその余の早舟十数艘を漕ぎ連れて、近くの
「よかった。――実によかった。阿斗の君の無事を得たのは、真に二人の働きである」
孔明は、仔細の報告を、そのまま詳しく書簡にしたため、すぐ蜀の