都は紅葉しかけている。
高尾も、鞍馬も。
その日、二条加茂川べりの
流れにのぞむ広間の
「いいなあ、秋の水音は」
「肌ごこち、なんともいえぬ。河原は昼の虫の音だし……」
また、べつな組では。
「――今日は、何人ぐらい集まろうかの」
「いや、ほとんど洩れはあるまい」
「
「それよ。何ぞの報告もあるにちがいない。長い忍び行脚から、両三日前、
かかるうちに、追々、参加者はふえていた。
――顔ぶれを見ると。
僧では、
また武士側は、
さらに、儒者とも医師ともみえぬ者も、交じっている。
要するに、この文談会の趣旨というのは。
僧俗貴賤の階級も問わず、ただ文雅に心をよせ、好学の志を持つものを以て集まる――というのであったから、この
そして、自作の詩文を評し合い、また、時代の新思想とされている宋学を論究したり、時には、当代の
が、それは表面の
ここの会場水鳥亭も、たれの
だが、会合も、回をかさねること、すでに二十たびをこえ、そのつど顔ぶれもふえ、またさかんになるに従って、会後の
無礼講は、無礼問わずである。
僧は僧衣を
これには、近くの堀川や六条あたりから、
なにしろ、妙な会である。
時流的なばさら遊びが目的の会なのか。学問討論が中心か。それとも、これは偽装で、べつに意図するもののある秘密の結社なのだろうか。
ほどなく、人々の間に、
「お。見えられた」
と、ささやきが流れ、水鳥亭の広間には、この秋の日に、さらに一色彩を加えたような明るさがうごいた。
「やあ、遅くなりました」
声も、ほがほがと、よく
見れば、いま
眉目清秀とは、この人のことか、年ごろ二十七、八。いやいや、そんな風采を、再びここで述べる要はなかった。読者は思い出して欲しい。
かつて高氏が、忍び上洛の帰途、淀の川舟のうちで乗り合せた一見すこぶる異彩な若公卿があったことを。
後日には、高氏も名を知ったが、あの淀川舟で、乗合いのちんぴらどもをたしなめ、彼らの杯で酒を痛飲しあったり、また、船中の男女の
「おそかったの、蔵人どの」
「みなもお待ちしていた」
「さあ、これへ」
さきに集まっていた面々は、日野資朝、花山院、伊達、洞院の諸卿など、いずれも蔵人以上な官位の者だったが、ここでは席次も問わず、
「今日の集まりは、一に
たちまち、
一同、かたずを呑みかけると、俊基は、ちょっと眉をひそめ、
「……あ。どなたか」
と、東山に面している水欄の方を
「対岸から、ここの内が見えるはずもないが、なんとなく、気が散りますな。そこの縁の
「いかにも」
土岐左近が立って、そこの簾八枚とも、みな垂れて、座にもどった。
俊基はまた、武士の多治見国長や、足助次郎を見て言った。
「いつも、

「お案じなく」
「裏の河原のあたりも」
「御念にはおよびませぬ」
「……ならば安心」
若いが、あらわにも、盟主の風をみずからゆるしているかのような俊基だった。
志士的な語気、多感らしい
それに宋学の
一味の公卿には、日野姓が二人いる。
日野蔵人俊基と、もうひとりは権ノ中納言日野資朝だ。
資朝の方が、身分も上だし、年も二つ三つ上だった。系図上では一族だが、近親ではない。風貌も一方の水際立った美丈夫なのにひきかえて、彼はやや
また、
いつも、同姓俊基の余りに切れ味のよすぎる弁舌を、危ぶむように、眉ごしに、じろ、じろと見ては、猫背ぎみに、物を案じているといった風。
が、世間では二人を、
“日野の双輪”
と、
兼好法師の“
――ある時。
西大寺の
するとまた、ある日。若い
――彼の挿話は、も一つある。
京極ノ為兼が、武家の迫害にあい、六波羅武士の手に捕われて曳かれた日、人ごみの中で見ていた資朝は「……何も一生、世にあらん思い出には、いっそ、かくもあらま欲し」と、傍若無人な言を吐いて立ち去ったという。
彼の倒幕の誓いは、このとき腹にかたまったものだといわれるが、いずれにしても、寡黙のうちに嘲風をふくみ、骨の髄からの闘志と反骨の人だったことは、疑いない。
また、年下の日野蔵人俊基にも、こんな一話が、巷間に伝わっていた。
彼が、
鳥を愛するのかと思うと、そうでなく、折々、
村民の訴えで知った俊基は、ただちに、坊主どもを
この日野俊基、まえの資朝。いずれも、従来の古い公卿型ではない。そんな行為のうちにも、革命者たるの素質がすでに
いや、現朝廷に仕える若い朝臣のあいだには、およそ現代の
簾をたれ籠めた水鳥亭の欄にいつか夕陽が
この日の“文談会”は、ほとんど日野俊基の木曾、北陸、東国にわたる旅の報告で終始した。
忍び遊説ともいおうか。従来も日野資朝や、一味の若公卿は、身を山伏にやつしたり、医師
ひそかに、世情を視察し、また辺土の反北条武族を見とどけ、もし、朝廷への加担確実な者とみれば、これを説いて、他日の約を、極秘にむすんでおくためであった。
しかし、北条勢力の堅密な北陸、東国などへ、大胆な足をのばした者は、これまでのところ、一人もない。
それだけに、人々は、大きな期待を彼によせていたし――また俊基の報告も、多くの者の希望を、がっかりさせはしなかった。
「諸国、
――述べ来って、彼が、ちょっと息をやすめたときだった。
座中のひとり、三位
「それは、蔵人殿の足跡の多くが、天皇領や院ノ御領なので、みなさように口を合わせるのではないかな。思うに、地方の武士どもは、かつての
「いや、逆です」
俊基は、口をにごさない。
ものを
「――御懸念は、無用といえましょう。なんとなれば、仰せの承久ノ乱は、すでに百年の昔。
「……むむ、いかにも」
多くの顔がうなずいた。彼の明快な理論に、聞くも酔い、彼自身も酔っている観があった。――が、人々はそのとき、何かにぎょッとした容子だった。
かねて、警戒のため設けておいた
「すわ」
と、白けわたる一同の顔を
「足助(次郎)。観てまいれ」
と、すぐいいつけ、それから、静かに微笑して見せた。
「ここへ六波羅者の近づきうるはずはない。立ち給うな、立ち騒いではまずい。そのまま、そのまま」
出て行った足助次郎は、すぐ席へもどって来た。
息をつめていた面々も、彼の平静な物腰に、まず胸をなでおろした態で。
「足助、何の知らせだったのだ。いまの鳴子は」
「大事はございませぬ。河原に立たせておいた見張の一名が、近くに怪しき男の
「なに、怪しい男が」
すぐ一同の神経は
「して、その者は?」
「ただちに、ほかの数名が、追ッかけましたなれど、つい捕えそこねた由でござりまする。が、六波羅者でもなさそうなとのこと」
「とは申せ、何やら、安からぬことではあるの」
消えない動揺のいろを見て、日野俊基は、言い出した。
「いや、折もよしと申すもの。あらまし、御報告はすんだ。ここらで、いつもの無礼講へ移るとしようではないか」
「それがよい」と、二、三はすぐに同調した。「――その怪しい男が、万一、六波羅の
「だが、約束の
「灯ともし頃には揃うはず。秋の陽の落ちるも早し、とこう一
酒は鮮やかに気をかえる。
配膳となると、偽装にかくれた安心感も手つだって、席上の景から、人々のことばの軽さまで、さやさやと一変した。そしてもう、お互いの冗談や笑い声すらわいてくる。
そのうちに、烏丸ノ成輔が、
「はて。ここの膳には、いつまで、人が坐らぬと思うたら、大判事
と、いぶかり出した。
「いやなに」と、酒の運びに手をかしていた武者の一人が。
「ついさっき、大判事どのは、俄な御腹痛とか申されて、先に一人お帰りでござった」
「……無断でか」
無口な日野資朝が、にがりきって、杯をふくむ。――それを横目に、日野俊基は、からからと笑っていう。
「章房は、ちと変屈人よ。毎回の無礼講でも、みなは冠、烏帽子も放ち、ぞんぶん赤裸をみせるのに、彼のみは、
そこへ灯が運ばれて来る。
燭台の一つ一つは白い手に持ち捧げられていた。君立ち川、六条などの遊君や白拍子たちだった。月例、欠かさぬ二次会なので、馴じみでない客、馴じみでない妓はない。
「やあ万珠、ここへまいれ、ここへ」
「やよ、
灯は新しく、酒は美味い秋の宵である。まだ無礼講も序の口なのに、どんなわるさを始めたのか、はやくも、片隅の方では、きゃっと、くすぐッたげな嬌笑が流れるやら、杯の満をひいて、朗詠を吟じ出す者などあった。
小膝を

「法印。得意の
「それよ、いつものお
「所望、所望」
すると、聖護院のなにがしと、日頃は、もっともらしい
「さらば
立ち際からの狂言ぜりふで、すぐ丸裸となり、宴のまん中へ這い出して来た。
人々はもう腹を抱えて、
「うまいわ、夜這いの法印」
「法印は、夜這いも、仕馴れており申せば」
やんやと、弥次る。
黄いろな
構へて
二タ夜は寝にけるわ
真夜中に
逃げけるわ
――
すると、遊女の一人が、褌の端をつかまえて、引っくり
武士は武士で、これまた見かけによらぬ芸を出す。公卿はもとより隅におけない。すべて男性には、こんな半面もあってこそ、まことの男性、まことの人間なる者であると、自他共に、誇っているかのようである。
催馬楽、田楽、諸国のひなぶりなど、およそ毎会ここでは出つくしていた。古今、宴会芸術の芸統には、そう時代の違いもないらしい。その頃流行った“
――が、偽装とはしていても、文談会のこの
それと、もひとり、日野蔵人俊基だった。
いかに辺りの杯盤が崩れだしても、彼のみは、その志士的行儀をくずしていない。
「
と、土岐左近をつかまえて、ほかの
「この頃、近江の若入道はどうしておるな。ここ消息もないが」
「佐々木でおざるか」
「さればよ。御辺がひどく惚れこんで、以前、身の
「いや、さような
「はははは」と、俊基は手の杯を、左近へ与えて「どうやら、土岐は少々、あの若入道に、まいられておるそうな」
「これは、心外な」
と、単純な彼は、すぐムキな顔になった。
「一朝のばあいには、近江の要衝を占むる佐々木の向背こそ大事との仰せに、拙者が心をくだいて、お
「いうな。それやこの俊基だったにちがいない。だが、その後、いささか悔いておるわえ」
「はて。なにゆえ」
「東国の旅中、よく小耳にはさむところでも、佐々木道誉の聞えは、余りに評判がよすぎるようだ。
「あるのです」
「ある?」
「近江源氏といえば、頼朝公の創業下における第一の功臣。その家柄でありながら、末代、北条ずれの
「それや、足利にせよ、新田にせよ、おなじことがいえるわ。ひとり近江の佐々木のみかは」
「が、執権の暗愚をみて、幕府久しからずと、取って代らんとする同様な武門は、なお世上にはありましょうとも、富力、地の利、それに人望。たとえば、あのような器量をも、あわせ持っている大名といったら、まず佐々木を措いては他にありますまい」
「それもそうよ。……みんな頼朝になりたいのだ。北条に代って、鎌倉の開祖頼朝なるものに、なってみたいという野望が彼にもある。足利にもある」
「足利とは、あの高氏と申すあばた
「さよう」
「わははは」と、吹き出して。「あれや、馬鹿でおざるよ」
「どうして」
「かつて、伊吹の城で、見とどけておりまする。家柄こそは、正しい源家の
「いや先年、淀の川舟でちらと見たが、どこか茫漠としたあの面つき、また、捨て難い」
「拙者の眼とは、えらく違いますなあ、伊吹の夜では、酒の上とは申せ、お抱えの田楽女に手をつけるなど、イヤもう他愛もない阿呆ぶり。そんな者に、秘事の端でも洩らしたのは、一
ここでの、二人の私語は、いまや、
「やよ
「土岐もこれへ来て、美濃踊りでもしてみせんか」
それを
「罷らん、罷らん」
と、杯を持ったまま座を宴席の中ほどへ移してゆこうと起ちかけたときである。
またしても、河原にいる見張の者から、
「ちと、お静かに」
という注意があった。
昼、怪しげ男を捕り逃がしたこともある上、いつになく今夜にかぎって、
一同、酔も
が、日野俊基ひとりだけは、まだ立たない。
こういうさいにも、彼のみは、人々の帰りをさいごまで見届けた上で――としているのか、残っている妓を相手に、なお一隅で痛飲していた。
「……どうした。いやに森閑として来たではないか。俄に、川音が耳につく」
「そのはず。もうここには、あなた様しか残っておりません」
「はははは。いやそうか。万珠、浮舟、いっそ、そなたたちと、ここで
「いいえ、お起ちなされませ。お館の近くまで、送ってあげまする。……まあ、重い」
もとより、俊基は、まだ充分に正気である。わざと妓たちの
「誰だ。……まいる者は」
「土岐左近の弟、
「……で、
「は、兄のいいつけにて」
「要らぬことだ。戻るがいい」
「いやお見届け申さぬことには、後で……」
「では頼春、つきあうか」
「どちらまで」
「堀川のさる家よ。万珠、ちょっと、いつもの家へ立寄って、もう一献、
妓たちには、思うつぼにちがいなかったが。
「およろしいのですか。北ノ方さまに」
「よけいなことを」
「でも、蔵人さまの北ノおん方は、たいそうお美しゅうて、仲のよさ、人目も羨むほどなと、さきほども誰やらが、仰っしゃっておいでたではございませんか」
「さればこそ、夜を更かし、妓たちを見て戻る」
「なぜでございます」
「寝もやらず、待ちわびているわが妻が、またいちばい、
「まあ」――と仰山に。
「さアもう、かんにんならぬ。ぬけぬけと、そのお
君立ち川の
供の船木頼春も、そこでは、したたか飲ませられた。それを、やっと切上げつけて、日野俊基を館まで送り届け、それから四条のわが屋敷へ帰って来たのは、もう夜明け近かった。
彼にも若い妻がある。六波羅勤番の一奉行、斎藤
「
「まあ、どちらから」
「なんだ、そのあいさつは」
「お兄君はとうに御帰邸。ゆうべの宴は、ご一しょではなかったのですか」
夫妻はすぐ
良人の頼春が、こんな深酔いして、明けがた近く帰ったなどは、初めてのことだった。嫁して以来の大事件といわねばならぬ。もし、これを甘やかしておけば習性にもなるだろう。また、脱がした良人の狩衣から、彼女のするどい
「……あやまる」
良人は、深く
「ゆるせ。なにしろ眠たい。はなしは、あしたにしよう」
「いいえ、そんなことで、ごまかされはいたしませぬ」
妻の
「さあ。仰っしゃい」
「なにをいえというか。何をば」
「ま、白々しい。白拍子やら遊女やら、いったい、どこの女と寝たんですか」
「ば、ばかをいえ。いつ、たれが」
「それ、ごらんなさい、その
「ならば、離れて寝ろ」
「寝かすもんですか」
「うるさいっ。ひとが疲れておるのに」
「そんなおつかれは、わらわのせいではございませぬ」
「そなたは、どうかしているな。今夜のそなたは」
「はいっ。これがどうもせずにいられましょうか。ですから、わらわは初めから、都住居などはいやじゃと申していたのでございましょう。それをあなたは、いや男の立身の道は都にある、そなたも都の水で磨いて、美しい輿にのせ、奈良も見せよう、男山へも共に詣ろうなどと、お上手なことばかり仰っしゃって……」
さめざめと、波路は後ろ向きに坐って、泣きはじめた。
いいあんばいである。泣くだけ泣かしておけば気がおさまるにちがいない。良人は小康をえた心地だった。そのまま空寝入りを持ちかけていたのである。
ところが、やがて泣きやむと、波路はするすると千鳥棚の下へ寄ってゆき、コトリと、
「あっ、ばかっ。何をする」
頼春は刎ね起きた。その手から懐剣をもぎ取って遠くへ
そして良人は、この若妻の余りな嫉妬を解くために、文談会一味の秘事やら、また日野俊基をその夜送っておそくなった仔細までを、つい正直に打ち明けてしまったのだった。で、彼女も一応、得心した
「な、なんじゃと。まことか、そのはなしは」
六波羅倉奉行の斎藤四郎左衛門利行は、仰天しても足りないように眼をむいた。その日、訪ねて来た、むすめの波路を前においてである。
「なんで、定かでもないに、お告げしにまいりましょう。この秘事、誰にも洩らすな、洩れたら一味の破滅ぞと、良人も恐い顔して、打明けたことでございまする」
「では
「兄左近どのに、引入れられたに違いありませぬ。日野蔵人さまとは、
「して、その文談会とやらに
「そこはよう聞きませぬが、他日の勅を待って、旗上げを誓うている武者は、なお、諸州には沢山にありますとやら」
「ば、ばかな」
骨髄からの鎌倉御家人で生涯して来たこの老武士は、こめかみに、青筋をふとらせて。
「生白い若公卿ずれの才覚などに、なじか北条殿の
「まあ、そうお怒りにならないでも……」
一徹な
「それが良人の本心とは思えませぬ。どうぞ、父上さまから、六波羅ノ庁へ、おとりなし下さいませ。……そのお
「むむ。そこはよくぞ気がついた。……さもなくば、後日、この利行まで、謀反人の一人に数えられたかもしれん。さっそく、探題殿まで急訴に及ぼう。そちは、ここで待つがいい」
「いいえ、わらわは戻りまする」
「ならん。頼春の顔を見たら、そちはまた、ここへ来たことを、隠しえまい」
「でも、夫婦の仲、怒られても、いッそ申さいではいられません。ただ、どうぞ良人が罪になりませぬように」
「頼まれずとも、娘の聟だわ。……はアて、これは気ぜわしないことになったもの」
利行は、すぐ馬をとばして、出て行った。やがて六波羅総門を入って右へ、倉奉行の役所に駒をつなぎ、すぐ北ノ探題、
「四郎左こと。常盤殿
と、申し入れた。
折ふし、北ノ庁では、常盤範貞を中心に、府臣数名が、
「なに。四郎左が?」
錠口の取次を聞き、範貞は、ほかの顔を見廻した。
「どうする、各

ここには、さきに宮中御産祈祷の件で、その真相調べのため、鎌倉から派遣されていた武者所の
そのほか、六波羅大番の
たえず朝廷を監視する。治安に名をかり、
六波羅の使命は、ほとんど、それだったといってよい。
従って、放免(密偵)組織は精密だった。むかし平家が
たとえば、文談会なども、とうにここの耳へは入っている。
――が、容易に手入れが出来ぬもどかしさはあった。何しろ対象が朝廷である。かつは一味の者も、権中納言、参議、蔵人など、すべて堂上人ばかりなのだ。
わけて僧侶は、厄介者だ。叡山系の法師、南都の僧侶。いずれも下手には触れられない。
かねてからの疑惑、中宮御産祈祷の怪なども、北条氏
かつて、遠い
“――加茂川の水と、山門の法師ばかりは”
と手を焼いたことそのままの状態が、現在もつづいていた。対朝廷の難しさもだが、その僧団扱いにも、六波羅ノ庁は、つねに周到な細心と、
とはいえ、限界がある。月例の文談会は、まだ一事例にすぎない。諸国の不平武士と、若公卿との密契、宮中内々のおうごきにも、はや、我慢のならぬものが、歴然とあった。
で、この夏。
ついに南ノ探題、
――武断もやむを得ず、積年の
との命はない。
維貞の飛脚では「評定所衆のうちには、果断この時となす説も少なくないが、なにぶん執権(高時)どのには、事を好み給わず、ひたすら穏便にとのみの上意なれば……」と、昨日今日も、まだ、もたついている評定ぶりが
その維貞も、歯がゆかろうが、ここ六波羅に在って、朝夕に、眼に余る実状を見つつある常盤範貞にすれば、
「なんのための六波羅探題か。これでは、宮中の若公卿ばらを、ますます思い上がらせ、ひいては、北条幕府の内ぶところを、公卿や僧にも、いよいよ甘く見させるばかり……」
と、職を蹴って、引き籠ってしまいたいくらいにも、
そこへまた、昨日からの、目明しどもの情報だった。
口を揃えて、彼らは告げる。
「――久しく姿の見えなんだ日野蔵人俊基どのが、文談会に姿を見せ、また会衆もこれまでになく多勢でした。てっきり、彼らの陰謀が着々すすんでいるものに相違ございませぬ」
急遽、北ノ庁の一室に、常盤範貞が腹心をあつめて凝議しだしたのは、そのためだった。
また、時も時といおうか。
その場へ、船木頼春の
その晩である。
六波羅ノ庁は、公然と、在京中の武家や、大番の士にたいして、足止めを命じ、
「――明日中に、兵馬の用意をととのえおけ。行く先は、
と、
そして、なお、
「発向の時刻には、総門の太鼓を打ち鳴らし、大和口の広場にては、勢揃いの陣貝あるべし。それより一
ともあった。
もう数ヵ月前から、摂津ノ葛葉地方に、地頭と土民の紛争が起っており、それがなかなか下火になりそうもない騒ぎだとは、たれもとうから耳にしている。
で、召集の出た夜の反響も、
「たかの知れた
と、みな観ているせいか、しごく静かなものだった。
ところが、じっさいには、明日を待たず、その夜の夜半、すでに六波羅広場と、七条河原の二た手においては、一部の兵馬が黒々とむらがり、
「いざ、行け」
との、上将の指揮を、待ちかまえていたのである。
探題の常盤範貞以下、六波羅の主脳は、この夜みな武装して、大和口の陣見場にあった。
昼、すでに鎌倉へは、早馬も飛ばしてある。「――はや猶予はなりがたい。探題の権限において、今晩、謀反人どもを、一網打尽にし、不日、鎌倉表へ差し立てまいらすべし」という、断乎とした事後通牒なのだった。
つまり、まず味方をあざむく計をとって、主謀者の公卿や武士どもを、京の中から
「抜かるな、
この手の主将は、小串三郎則行。
「仰せまでもないこと。明け方までには、
やがて千余人、わざと五条大橋は渡らず、ひそやかに、加茂の下流をこえて行った。
この夜は九月十九日。
ときどき、雲間から顔をあらわす月が邪魔だった。
おなじ頃、七条河原に集合していた兵もうごき出している。手勢は、山本九郎時綱のひきいる約千人。――陣貝、
すでに、洛中諸所の
かくて山本勢が、第一に押しよせた先は、四条坊門ぢかい土岐左近の屋敷だった。
「ひそまれ――」
山本時綱は、兵をうしろに伏せさせて。
「まず、おれが内の様子を窺うてみる。内より合図をなさば、裏表よりいちどにかかれ」
血気な主将である。
わずか郎党三名をつれ、自身、土塀をこえて、邸内へ忍び入った。
そして中門から内を窺ってみると、
さすが、土岐左近頼兼は、
「はてな?」
それより少し前に、邸外の気配にいぶかりを抱いて、寝床から立っていた。
中門の廊へ出てみたが、異状はない。
「さては異な物音は、近所の屋敷か。明日の摂津葛葉の出支度を、今から、気早にかかっているものとみえる」
――もう眠るまもない時刻。そう考えたのだろうか。彼はそこの
すると、荒々しい杉戸の音が、遥かに聞えた。つづいて、みしっと、人の跫音が近づいて来るらしいので、
「たれだっ」
彼は、櫛を投げて、刀掛けに架けておいた大太刀を、横づかみに持った。
――とたんに、
「謀反人頼兼、うごくなっ」
大喝と共に、彼の眼にとびこんで来たのは、物ノ具
「ややっ。おのれは」
「鎌倉殿の
「たわけた雑言を。……謀反などとは、何を証拠に」
「それこそ、世迷い言よ。証拠はいくらでも六波羅ノ庁にあがっている。わけて、なんじの弟船木頼春の妻が、親の斎藤四郎左の許へ、密訴に駈けこんだのを、どう言い解くぞ」
「な、波路がか?」
さっと、形相を変えるやいな、大太刀を抜き払い、
「時綱っ。日頃のよしみだ。
と、躍りかかった。
「なにをッ」
火花が匂う。
寝まき姿のままだが、自暴の切ッ先は、鉄装の相手を無茶苦茶に追いまくした。――時綱は、受け太刀ぎみ、
時綱の郎党三人は「やや、おあるじの危急」と見、こなたへ助太刀に飛んで来た。が、時綱は、斬りむすびつつ、背なかで叫んだ。
「おれは捨ておけ。それよりは、合図合図」
もちろん、このときすでに、土岐家の宿直も、侍部屋の面々も、
そのまに、庭の大木の上へ、よじ登っていた時綱の郎党の一人は、
「かかれ、かかれ」
と、長い旗を、腰から解いて、暁暗の空へ、へんぽんと、吹きなびかせた。
――後の史家が、
「わああっ……」
と、目標を圧縮してゆく武者声の潮、矢ひびき、太刀音。それも見るまに黒けむりとなり、真紅の
「残念だっ。女房にあまい頼春とは知っていたれど。……ええもう、追いつかぬ」
土岐左近は、戦い疲れて、自室に駈け入るやいな、腹十文字に掻ッ切って、炎の下に俯ッ伏した。
――同時刻。
小串則行の一勢は、京極附近で、ふた手に分れていた。
一手は、駿河の住人足助次郎重成の宿を
が、一方。
錦小路高倉の多治見国長を襲った本隊は、完全にそこの土塀を取りかこんで、矢を射こみ、裏門表門から、武者声をあげていた。
こんな不意を見ようとは、つゆ思わず、多治見はその晩も、文談会で馴じんだ遊女を宿所にまねいて、おそくまで飲んだあげく、共に寝所へはいっていた。
妓こそは、災難であった。
「――きゃっ」
自分の悲鳴に気を失った。
それを耳にし、一番に躍り出ていたのは、
「殿っ」
奥へ駈けこんだ孫六は、
「六波羅の討手な
「孫六か」
と、内の声で、
「矢さけび、ただ事ならじと、身は鎧うた。門をかためよ。
と、聞えた。
彼が、門櫓に立ち、
「代々の北条殿の恩顧もわすれ、大それた逆を
「よも姿は見せられまい、畜生武士」
「外道め、忘恩の徒め」
あらゆる悪口を、矢に
「だまれっ。いずれが外道か」
多治見は、
「――天下の声に聴け。ときの外道は、執権どのを
大言ほどなものはある。
彼の矢に
また、寄手の伊藤彦次郎父子は、功名にかられて、
無残、ここかしこである、酸鼻な状も、言いようがない。
矢は尽き刀折れて、多治見国長も、ついに櫓の上で立ち腹切った。――黄煙は暁の辻を
さてまた、やがての六波羅は。
この朝、ぞくぞく
だが、常盤範貞も、彼以下の雑賀隼人や長井遠江らも、満足ではない。
「これらはみな、土岐、多治見の下郎、
「かんじんな左近や国長は自刃させ、足助次郎も取り逃がし、かかる召使どものみを、捕えて来たとて何かせん」
討手の将として向った小串と山本の両将は、
「げに、その段は、抜かり申した。したが、この雑輩の中にも、文談会の仔細を見聞きした者がないとは限り申さぬ。拷問にかけて、一人一人おただしあるも、むだではございますまい」
少々、むかッ腹気味に、抗弁した。
「それや、無益よ」
雑賀は、
「これだけを、拷問にかけるなどは、たいへんだ。また、
「いや、無礼講の酒席に、月々よばれていた妓どもをしょッ曳いて来て、それらの妓に、
「なるほど、それもいい考え」
これには手間暇もかからなかった。
その日、二十余名の遊女や白拍子が、女牢の前に長く敷いたむしろの上に、ずらりと坐らせられた。――けだし、世間に奇事が起ると奇観も生じる。まことに、
「嘘をいうなよ」
「知っておる顔を、知らぬなどと申して、後に分ると、おまえたちも同罪だぞ」
彼女らの前を、
不運な
もっとも、六波羅当局としては、これらの枝葉に属する小者の取調べなどには、そう重点をおいてはいない。
より重大な、未解決のものが、その日まだ、手入れも出来ず、
一味の公卿の門である。
誰々と、名も居る所も、明白に分っていたが、朝廷の臣である、しかもみな後醍醐の寵臣なのだ。討手の
しかし六波羅も、これには本腰だ。朝廷への申し入れは、手続きなどという形式のものではない。洛中諸所に軍兵を布き、示威のかたちをとっている。――そのまん中に、手も足もうごかしえない大内山の森、内裏の諸門が、しいんとして在った。
が、十九日も明けてからの、宮中の驚愕と、徐々に増しつつあった不安は、どんなであったろうか。――外部からさえ、思いやらるるものがある。
その重くるしい宮門には、やがて、ひきもきらぬ公卿の車駕が、参内していた。宮中奥ふかき所の昼夜、どんな協議が行われたのか。――すでに事変後三日めの朝であった。そこを崩れ出るごとく退がッて来た公卿車の一つに、日野蔵人俊基の姿も見られた。
彼の館は、七条丹波口だった。ここらはもう京も
遅々たる
「……お。いつか、わが
車のうちで、
しかし、彼はいつもと変っていない。ふてぶてしいばかりな寝ざめ顔を、一つ撫でて、
「菊王」
と、車の簾から外を覗く。
走り
「はいっ」
すぐ
「お眼ざめでしたか」
「ム、だいぶ寝たわ。途中、何か変りはなかったか」
「大ありでした」
「あったろう。どんなことがあった」
「辻の
「そんなことか」
「でも、あれ
「そりゃ、彼らの役目だ。この俊基も、彼らの眼には、極悪人とも見ゆるのであろうよ。……やんぬる
「おっ、おあるじ。ざ、ざんねんでござりまする……」
菊王は肩をふるわせ、とつぜん、轅にしがみついて、泣きじゃくった。
ちらと、車上の人の眉にも、衝きあげられる感傷がかくせなかった。が、俊基はわざと
「……そうれ。牛が歩みを止めてしもうたわ。菊王が何を泣くかと、牛めは振向きながら、
「畜生っ」
菊王は、宙へ向って、
館はもう見えている。館づくりというよりは、雅趣のある荘院風といった
もともと、彼は儒学の家の生れだった。どこか身についている文人肌はそのせいであろう。館の北の
門のあたりの車ぎしりを知るやいな、小右京は、まろぶが如く、
やっと、
「……お帰りなされませ」
精いっぱいの
「小右京。ここは都の隅だが、さだめし一昨以来の洛中の騒動、ここにも聞えていたであろうが」
「は、はい。聞きました」
「ならばもう多くを語ることも
小右京は、胸がつぶれた。悲しさの上に悲しい驚きに打ちひしがれて。
「では、鎌倉へ。……曳かれておいでなされまするか」
「おう、よもや縄目の
言いかけて、俊基は、ふと眼を
そこに、うずくまっていた家職の侍、後藤助光の姿に、ふと気づいたからだった。
「助光、またしばらくの留守となろう。あとを頼むぞ」
「口惜しゅうはござりまするが、ぜひもない儀と、つい今ほども、北ノ方さまを、お慰め申しあげておりました」
「それよ。そちを、宮門より先に走り返らせたのも、まずもって、小右京に覚悟させおいて欲しいためだった。……この
「はっ。おん名残の夜を惜しませなされますか」
「思えば、わが妻ほど、あわれなるはあるまい。つい先頃、長の旅から帰ったばかりを、また先知れぬ
優しいことばは、かえって、小右京のつつしみを寸断にした。
良人の袖の蔭に身もだえの唇を噛んで「……いいえ」と、その黒髪は顔を振るらしかった。
常々、
この期になって取り乱すのは、日ごろ良人からいわれていた誓いを
俊基は、妻のすべてを体で感じとっている。しかし依然、
「こよいは、そちや菊王も交じえて、心ゆくまで、別杯を
「ごもっともにござりまする。では、何かと」
両手で面を
「いま申した身の心もち、妻のそなたも分ってくれぬはずはあるまい。およそ、朝政を一新し、百年の毒賊北条の府を
「い、いえ。……ただ
「女とて、いまの世に生れたのが、そもそも宿業。俊基のおらぬあと、悲しゅうなったら宋学の書を読め。わしの姿は、その中にある」
「ええもう。
「再び会えるか、これきりか、そこは天命。――いや小右京。まず何よりは今を惜しもう。そなたも夕化粧して顔を直せ。俊基も身清めしよう。そしてそなたの琴に、久しぶりで、わしも琵琶を抱いて
軒の月は、二十日過ぎ。
匂う小右京の黒髪に、月の光がすべっている。
琴を前に。白い指のまろび出す音階は、
飽かずして
別るる君が名残りをば
のちのかたみに
つつみてぞおく……
これは平家都落ちの夜、仁和寺ノ宮が平ノ経正へ賜わった惜別の歌だった。別るる君が名残りをば
のちのかたみに
つつみてぞおく……
――聞きすましつつ、琵琶を抱いていた良人の俊基は、
「オオ。さらばわしも」
一
くれ竹の
掛樋 の水は変れども
なほ住み飽かぬ
家のうちかな
ほんとは、「宮のうち」とあるなほ住み飽かぬ
家のうちかな
明くれば
宵には、家職の侍、後藤助光と、侍童の菊王も加えて、しめやかに、別れの小酒盛りを酌み、なお飽かぬ思いを夫妻は琵琶と琴に寄せていた。
これには、ふたりにとって忘れがたい、そもそもの思い出もある。
あれは元応二年の春。
后のお姉ぎみの永福門院やら、大納言為世の
みかどから「俊基、琵琶せよ」との
二人の恋を知っていた人々の意地悪だった。
琵琶と琴の
「小右京。……あの折の“熊野”をまだ覚えているか」
「どうして、忘れえましょうぞ」
……やがて。
すると、そこの灯を、忍び足に、外から覗いて、ほどなくまた、桂川の方へ立ち去って行った武者どもの黒い影があった。
「のら犬めらが」
菊王と助光は、
宵から、附近には、ここを見張っている
――が、
――と、墨のような丑満頃、
「菊王。菊王やある」
と、奥の方で、おあるじの呼ぶ声だった。
「菊王。まいりました」
「お……。もそっと、寄れい」
「はい」
と、かがまり進んで。
「なんぞ御用にござりますか」
「さればよ……」
俊基は、まだ墨の香もする自筆の手紙を、小さく封じて、膝の上に握っていた。そしてこの侍童菊王の、性根の底までを見入るような
「菊王。頼みなある。そちならではと、見込んでの頼み。してくれるか」
「何事か存じませぬが、菊王ならではとの仰せ、うれしゅう存じまする」
「余の儀でないが、俊基が鎌倉へ送られた後、機を見て、この一書を、
「なにかと思えば、いとおやすいことで」
「いや、やさしくない」
そこが、不安であるように、語気きびしく、釘をさした。
「聞けよ。かりそめにも、過って、この書状の
「は。はいっ……」
「気の小さい奴、なんで
「はい」
「出来るか」
「いたしまする」
「かかる大役に、わざと
「心得まいた。菊王が命にかけても、きっと六波羅の眼をのがれてみせます」
「とは申せ、急ぐなよ。およそ世間のほとぼりもさめた頃、忍びやかに持って出るのだぞ」
「ですが、おあるじ」
菊王は思わず、にじり出ていた。
そこまで、俊基の信頼をうけたことにも、また大任の重さにも、身のうちの感激をそのまま、ふくら雀のような姿にして。
「……御書状を、おとどけ申しあげる先のお人とは、そも、どなた様でござりますな」
「
菊王は、
「楠木多聞兵衛正成どのと申されますか」
「そうだ」
俊基は初めて、手の書状を、彼にあずけた。そして、もいちど、ことばをあらためた。
「ゆめ、人目にかかるなよ。楠木が屋形を訪うにも、途々、うかと人に道など訊いてはならぬ。ああこれで、一
「おあるじにも、どうぞ御安心あって」
「む、
ふっと、
物見だかい京の庶民は、その朝まだき、六波羅兵に取り囲まれて行く日野俊基の乗物を、辻々で不安そうに見送っていた。
輿でなく、牛車だった。
そのうえ護送の列は、すぐ東海道へは下らず、六波羅の内へ入ってしまった。
なお、これにつづいて。
べつにもう一組の護送兵が、二条辺から一
「……後のは、参議殿じゃった」
「日野参議資朝卿も、捕われてか」
「日野と日野、揃いも揃うて」
「次には、誰が曳かれるやら」
何かは知らず、これを皮切りに、果てない余波もあるのではないかと、街は底知れぬ恐怖をたたえた。
けれど、その日の六波羅検挙は、こう二人の朝臣の
思うに、事変後、揉んでいた朝廷交渉の帰結が、この答えを見たのであろう。
およそ、公卿一味の数は、どれほど多数か分らない。そこで、主謀者と見られる日野の二朝臣を目標に強硬な主張を朝廷へ迫ったものにちがいない。
ともあれ、先に六波羅が発した
それの着京が、十月一日。
なおこの頃までも、日野の二朝臣は、六波羅の内に、室を分かって、拘禁されたままだったのである。
「さだめし、お退屈であったであろう。だが、明日はいよいよ東国へ追っ立てまいらせる。何ぞ、都にお言い残しはないか」
三日の夜であった。
工藤右衛門次郎ひとりが、ふと俊基の室へ来て、やや揶揄的にこう言い渡した。
「いまさら何の」
俊基も冷ややかに。
「それより、べつに頼みがある。道中は資朝卿ともご一しょと思うが、何かの折、いちど、会わせて給わるまいか」
「さような儀は、鎌倉のみゆるし得ねば、一存での計らいなど思いもよらぬ。……が、いちど御辺に会いたいという
「はて、どこの女性が」
「斎藤どののむすめ御でおざる。と申してお分りなくば、船木頼春の妻波路といえば、お合点あろうが」
俊基は答えなかった。
嫉妬ぶかい船木の妻が、親の斎藤利行に良人の行状を告げ口したことが、少なくも大事発覚の口火になったものとは、彼もその後に耳にしていた。
その女が、なんのために。
しいて考えれば。
良人頼春の兄土岐左近や、多くの一族郎党も寄手の前に討死をとげさせ、その他、女の嫉妬ひとつから、この大事変をひき起したので、さすが後では
「いやいや。今さら女の詫び言など聞いたとて、何かせん。そんな姿も見とうはない」
ところが、工藤が去ると間もなく、それらしい女が、そろと、部屋の隅へ来て坐った。
――見れば明りもとどかぬ墨のような壁を背に、白い顔が、ものもいわずにいるのだった。
彼女は
泣き入る風情はなし、前非を悔いて、俊基のまえに
しばらく、素知らぬ顔していた俊基も、ついに言った。
「女。……何しに来た」
すると。――片隅から少しにじり出た波路の白い顔が、初めて灯影の輪に入っていた。
「あなたが、良人の頼春をたぶらかし召された、日野蔵人どのでございますね」
「はて迷惑な。そちの良人をたぶらかした覚えなどはないぞ。何を血迷うて」
「いいえ。良人の頼春のみか、あなたのお口に乗せられて、土岐左近どのも、多治見の一族も、みな無残な最期をとげておりましょうが」
「それこそは、
「ホ、ホ、ホ……」波路は必死なのである。
「女の一念です。どこへお隠しなされようと、探し出さいではおきませぬ」
「誰が、誰を隠したか」
「あなたさまが」
「この俊基が」
「はい。良人の頼春を、どこかへお隠しなされたでございましょうが」
こんどは俊基の方で、からからと笑った。そして「この女、すこし気が変なのではないか」と疑った。
が、
「たしかに、いつぞやの兵火の晩、あの騒動の直ぐ前に、良人の頼春は、あなた方一味の隠れ家か、御所の内へでも、走り込んだにちがいありませぬ」
「裏切り者の頼春が、どうして、われらの前に姿を見せよう。そちは何かに、
「いいえ。まだ魔の夢に憑かれているのは良人てす。――六波羅の討手が、各所へ押し
「そうか。……それでは、そちは、去られた妻か」
「なんで、去られたままでいましょうぞ。良人のことばは、一時の逆上にすぎませぬ。飽きも飽かれもせぬ仲を、こんなにしたのも、みな、あなた方のせいというもの。さ。良人を返して下さい。いいえ、良人の居る所を、あなたは確かに御存知のはず……」
「知らぬ。知るわけはない」
「まあ、しらじらしい」
ことばも尽き、波路はつかみかかりそうな血相を見せた。――が、そのとき、物蔭で立ち聞きしていた工藤右衛門次郎が、傍の武士に目くばせすると、武士たちは、つかつか入って来て、むりに波路の身を外へ
初めて、波路の泣き声が外に聞え、狂い狂い遠くへ消えて行った。
俊基、資朝の鎌倉
本来ならば、この東下は、
放ち囚人(任意の出頭)
ということになっている。その公称からも、衣冠や乗物などすべて、護送するにも、平常の礼をとるべきなのに、事実は流刑の罪人と何の変りもない。
おそらく、六波羅の底意としては、
「これ見よ。関東の府にそむかば、きのうまでの朝臣たりとて、かくの如きものぞ」
と、路傍の見せしめとするのが目的の一つなのだろう。
そのためか、警固の兵もおびただしい。
騎馬には工藤右衛門次郎、諏訪三郎兵衛の両使のほか、直訴の証拠人として、波路の父、斎藤四郎左衛門利行もまた、列のうちに加わっていた。
要するに、事々、幕府の示威であり、二
しかし張輿の上の二人――俊基の眉にも、資朝の姿にも、人目を
列は、幾たびも、立ちよどむ。わけて粟田口から蹴上への、坂の辻では、
「退けい。退きおろう」
と、武者輩が、声をも
蹴上を越えれば、京も
「そこまでは……」
と、五条辺から、輿の後について来た群集も多かったのだ。俊基の眼も、
「……おお、いずれも
以心伝心。
揺れやまぬ沢山な顔のうちでも、知り人の顔はすぐ眼にとまる。微笑で
「……や、菊王も」
そうした中に、菊王の姿も
だが。――彼に托してある楠木への密書に考え及ぶと、その彼が、もうこんな巷に出ていることすら不安になった。……で、わざとその菊王へは、眼にものいわせて、きッと怖い顔してみせた。
すると、菊王は、振っていた手をひっこめて、急にくるっと、人ごみを分けて、蹴上の中腹にある大きな
見ると、榛の木蔭には、一
「あっ、小右京よ。……小右京」
つい、不覚な涙に胸もみだれかけたが、しかし彼は、ゆうべ見た人妻の波路をべつな心で思い出していた。
究極に立った女の愛と、男の愛との、折合いのつかない食い違いが、小右京と自分の間にもなくはないと、考えられた。何かむごたらしい両性の差が、自分らの上にもまざと在るのを知った。
木曾川で数日川止めに遭ったほか、概して道中の日和はよかった。ただし護送
特に、峠などの山坂にかかれば、そのたびに、
「お乗り換えを」
と、うながされ、資朝と俊基は、輿の上から、裸馬の背へ移された。
初め、武者どもは心ひそかに「――鎌倉殿を仆さんなどと、夢では、大それた野望をいだく公卿も、馬にはよう乗れまい」と見ていたが、俊基も資朝も、上手であった。いっこう乗馬も恐れない。
かえって、
「ここは、どこ」
と、訊ねたりした。
「宇津ノ山でおざる」
護送の兵は、むッそりいう。
俊基は、眉に迫る晩秋の富士を仰いで、
「はや、
と、咳いた。そしてとつぜん、伊勢物語の
駿河なる
宇津ノ山べの
うつつにも
夢にも
人に会はぬなりけり
すると、それに応じて、前を行く裸馬の背からも、日野資朝が同じように、晴々と、こう歌った。宇津ノ山べの
うつつにも
夢にも
人に会はぬなりけり
きのふの声に驚かん
今日はうつつの
宇津ノ山越え
「ち。うるさいな」
工藤右衛門次郎のそばから、すぐ一名の武者が、馳せ戻って、裸馬の二人へ呶鳴った。
「両所っ。話を交わしてはならん。黙って行かれい」
俊基が、笑って答えた。
「話はせぬ。これは古歌だ。これだけいる鎌倉武士、伊勢物語の歌の一つぐらい、知る者はいないのか」
――ほどなく、峠も越えると、安倍川の西だった。
公役の宿所には、それが大勢のばあいほど、土地の小寺院や長者屋敷などが、まま利用されていた。
その夜も、二人の身柄は、宿場うちの無量光院へ泊められたが、しかし、室は例の如く隔離された。資朝、俊基、どっちからも、一方はどこにいるやら察しもつかない。
晩の
「……俊基さま。蔵人さま」
どこかで、誰かが呼ぶ。
俊基は、何度も耳を疑った。そしてついに室の障子を開け、そっと廻廊の闇へ首を出してみた。どうも、声は床下らしい。
つい先刻まで、廻廊の角に頑張っていた警固の者も、宿場の灯にそそられて行ったか、いつのまにやら影も見えない。
と、見さだめて、
「たれだ、床下に潜む者は」
俊基は、廊の
「おっ。蔵人さま」
まぎれなく地には人影があった。べたと土に這い伏したまま、上の人をじっと見上げている。
俊基は、警戒した。うかとは口も開けない気がして、なお、しげしげとその顔を見まもっていたが、
「や、そちは」
仰天せざるを得なかった。
すると、下の影は、そのまま
「船木頼春にござりまする。……生きて、おん前に出るなど、死以上の苦痛にござりますが、妻の嫉妬から、思わぬ大変事を
「あ。待て」
俊基は彼の声を抑えて、要心ぶかい眼をくばった。
彼は、それでもなお、気がすまぬらしく、廻廊の角まで立ち、裏手を見た上、戻って来た。
「ひそと申せ。どこにも人は見えぬが、夜気のしじま……」
「お気づかいなされますな。夜番の武士もこよいは諸所で、飲み
「して、そちは何のため、これへ来たか」
「妻の
「うウむ。では本心、裏切ったわけではないのか」
「妻の波路に、ふと、事を打明けたは、一生の不覚でしたが、頼春も武士の端くれ」
「ならば、死ぬな。事もはや、今日の仕儀と相なっては、追ッかけにそちが死んで見せたところで何になろうぞ。大事はまだ、ここで終ったわけでない」
「とは申せ。兄左近や一味の多くを討死させたのみか、
「さまで、悔やむなれば、なおさらのことだ。その
「と仰せられる意味は」
「たとえば、時を待って、河内の楠木多聞兵衛正成をたずねて行け。かならず、そちによい死に場所を与えてくれよう」
「はっ。おことばを
「が、さし当って、べつに一つの頼みもある。……頼春」
肌着の深くから、小さく結んだ文を取出して、彼はかさねて、下の顔へ、こう

「――じつは、かねて意中をしたためおいたこの一書を、折あらば、資朝卿の
おそらく、当夜の手越ノ宿では、護送使一行のあらましが、女を買いに出たり、宿所へ酒を持ち込んでいたのであろう。なにしろ
――それも、ばたとやんで、山門の
俊基は、ふと眼ざめた。
背中の下で、
「さては、頼春か」
すぐ起きて、廊の欄へ、顔を見せた。と、その顔の前へ、下から黙って人の片手が伸びてきた。
手は一通の書を示している。
すばやく、受けとって。
「資朝卿の御返書か」
たずねたが、手を引くやいな、下の頼春は、別れの辞儀を見せたのみで、何もいわず、
「……さてこそ」
廊の隅々には、打ち重なったまま、
資朝卿の筆に間違いない。
その中で、資朝は、こう告げている。
――自分が思うところは、そのまま、貴公の思うところと、一致していた。
罪は一人がかぶればよい。
貴公は、我れ一人死の庭につかんと仰せあるが、自分の覚悟もすでに極っている。貴公は世に残り給え。
なんとなれば。
貴公の英才や俊敏な活動力は、自分には真似もできないことだ。我れとて多少の自負もないではないが、一世の上に大機運を呼び起し、時乱の先駆に立ってゆくほどな素質には欠けている。
かつは、貴公よりも、自分の方が上卿(上官)であり、年上でもある。鎌倉の司断 も、おそらく張本人は、この資朝と見るだろう。もし貴公が、主謀者は我れなりと主張しても、それにより、資朝を不問に付すはずもない。
さすれば、貴公の死は、むだになる。
大事は今がほんの端緒 。一名の生命といえ、おろそかにはならぬ。みかどの御為、一新の世直しの為、貴公は生命を惜しまれたい。
罪は、資朝が一身にかぶる。
鎌倉の裁きに屈せず、貴公はあくまで言い抜けろ。友を売るなどという小義にこだわらず、助かって欲しい。そして再び貴公が都に帰って、帝座の周囲を鼓舞する日のあらんことを、神かけて祈る。
――もう二度とは、こんな好機にも恵まれまい。これを以て、資朝のこの世における遺言の筆を擱 く。
君よ迷うな。
読後、御火中の事。
読み終ると、俊基はすぐそれを、灯にかざした。罪は一人がかぶればよい。
貴公は、我れ一人死の庭につかんと仰せあるが、自分の覚悟もすでに極っている。貴公は世に残り給え。
なんとなれば。
貴公の英才や俊敏な活動力は、自分には真似もできないことだ。我れとて多少の自負もないではないが、一世の上に大機運を呼び起し、時乱の先駆に立ってゆくほどな素質には欠けている。
かつは、貴公よりも、自分の方が上卿(上官)であり、年上でもある。鎌倉の
さすれば、貴公の死は、むだになる。
大事は今がほんの
罪は、資朝が一身にかぶる。
鎌倉の裁きに屈せず、貴公はあくまで言い抜けろ。友を売るなどという小義にこだわらず、助かって欲しい。そして再び貴公が都に帰って、帝座の周囲を鼓舞する日のあらんことを、神かけて祈る。
――もう二度とは、こんな好機にも恵まれまい。これを以て、資朝のこの世における遺言の筆を
君よ迷うな。
読後、御火中の事。
油も尽きていたか。紙が燃えると、反対に燭は消えた。
しかし、枕についた顔は、闇に迷い漂う物みたいに、ぽっかりと眼をあいていた。
「……資朝卿のお旨は、さながら、さきに自分が、妻の小右京や頼春に与えたことばと何の変りもない。今度はそれをわが身が受けることか。さても死にたくはないものかな……」
あくる朝の安倍川渡りには、手越ノ遊女たちの一と群れが、河原まで送りに来ていた。
もとより囚人輿には、
およそ海道宿々の遊女は、いよいよ殖えるばかりに見える。公私共に、男の体は、遊女から遊女の手へと、夜ごと引き継がれてゆくような旅だった。――ここから先にも、
だが、路傍の花も、道々の風光も、何の旅情でもありえなかった。日ならずして、護送の列は、鎌倉の府に入る。
少憩の後、
「両名の身は、審問の相すむまで、侍所に預け置かる」
と、沙汰される。
ここでも、日野資朝と日野俊基とは、顔を合せる折もなかった。
おそらく、資朝も俊基も、
「裁きは、すぐにも」
と予期していたろう。
が、その審問はなかなか開かれそうもなかった。そしてこの直後、時局の側面的な変化が、朝廷と幕府の間に、見え初めていた。
× ×
× ×
資朝、俊基が関東の
六波羅の探索は、ますます露骨を極めていた。
何のかのと理由づけては、白昼、
「いまいましさよ」
朝廷の自尊には、耐えがたい侮辱であった。
特に、天皇
まだ、法皇
常に何かの燃焼がなければ、あり余って、持て余すような健康と智と豪気とを併せておられるような御肉体だ。
それが志を共にする公卿側近や、野に潜む宮方の
「時は近い」
と、理由もなく気負わせつつあったことは否みえない。
たとえば、近来の文談会なども、六波羅など眼中にもない振舞だったし、そこでの口吻は、みな天皇の御意志かの如く受けとられ、倒幕の大業も、
が、ひとたび、武家の武断に出会ってみると、現実には全く手も足も出ない朝廷だったことを、いやでも思い知らされぬわけにゆかない。「いまいましさよ」との
しかも、この先まだ第二波、第三波と、どんな圧迫があるかと観ている公卿たちは、昼夜、みかどの御無念そうな眉を
ようやく、何か打開の一案が見いだされたものであろうか。
その集議は、やっと、
「ともあれ、それに」
と、やや落着いて、夕べをさかいに、ひとまず諸卿は
やがて、お湯殿の
「はい」
と、
后町とは、女官たちのいわゆる御所ことばで、正しくは
「……お召しとや。すぐ
そして、庭と大屋根、水と欄とを、およそ幾棟か知れぬほど巧みに組みあわせた後宮建築の廊を、いかにも王妃の艶とは、この女性にきらめいている物かとばかり、
まことに、彼女のほこらしさにすれば、
「……七
彼女が中殿へ伺った頃は、みかどはすでに、
しめやかに、そこでしばしお二人だけの晩餐になる。
それが終ると、席はまた清涼の昼の
「……では、鎌倉へつかわすその
「さよう……。集議、ぜひもなければと、ついに今日、それには極ったがの。さて、その文案は、むずかしかろ」
「
「申さば、天子の私信。このたびの変も、陰謀とやらも、全く、天子自身は、あずかり知るところでなかった――という言い訳を遣わすようなもの。北条方とすれば、まさしゅう、天皇の詫び状なりと、鬼の首でも取ったように、見るであろうよ」
「ま。くちおしい限りではございませぬか。万乗の大君をして、さまで幕府の
「…………」
後醍醐は、お耳をすました。――そのとき
「
みかどは、呟かれた。
あらかじめ、その者の伺候を、お待ちうけだったような御容子でもある。
廉子は、みかどのお側を立ち惜しみながらも、
「大炊どのがお見えとあれば、また夜の集議に、他の人々も
と、ぜひなげに、退がりかけた。
「いや、いてもよい」
後醍醐は、眉で抑えられる。
――と、もう殿上ノ間の端に、
「冬信よの。告文の案は、
「仰せつけのまま、謹んで、浄書つかまつりました。……なれど、異例なる綸旨ゆえ、辞句にも甚だ苦しみ、
「さもあろう。天子が幕府の機嫌をとるような告文など、いかなる代にも、朝廷の内記が、筆にした
お声の裏には、自嘲と憤怒の響きがある。
ほかに策なきままの我慢のお
冬信は、やや進み出て。
「聖旨に添い奉りますや否や、いちど
「それには及ばん。さっそく諸卿を召入れて、みなの意見に問え」
「では、これへ」
「……
「はい」
彼女は、
「鈴ノ綱」とよぶ
五位ノ蔵人がすぐ御用を伺いに来る。それが去ると、一たん休息に退がっていた人々が順次見えて、各

大納言
なお、しばらくしては。
すべて、これらの公卿は、後醍醐が即位の頃からの、いわゆる“
大覚寺派とは、何か。
持明院派とは何か。
これは今、ここでの説明はむりであるが、一言でいえば、皇室自体の数代にもわたる派閥の“皇統争い”なのである。言い換えれば、朝廷の内部も、一つでなかったことなのだ。悩みはまた、ここにもあった。
しかし、みかども、
「ここには、選ばれた者のみあるぞ。なべて一心同体の人々」
と、その御態度からして、特にお親しみを示されていた。女性では、三位ノ廉子もまた、同志の一人として、ゆるされていたのはいうまでもない。
「――冬信。いずれもへ、告文の奉書を廻して、一覧に入れよ」
やがて後醍醐のおんみずからな、おさしずであった。
草案には、さまざまな意見が出た。
「かりそめにも、天子のみことのりとして、かかる辞句は、御威厳にかかわろう」
「これでは、あたかも関東への詫び状か、上が臣下へ、誓書を与えるようなものに似る」
「あくまで、朝威を失わず、しかも日野資朝らの陰謀には、何ら、みかどには御関知なしとする、そこの辺を、もそっと強調すべきではないか」
等々々、文章上のことなら、公卿の得意とするところである。末梢の論議となると、なかなか尽きない。
だが、遊戯沙汰の文章とはわけが違う。もし執権の
「やむを得まい。辞句の端などに余りとらわれるな。そもそも、告文その物が、すでに
最も御無念であるべきはずの後醍醐が、究極では、最もあざやかな御観念ぶりであった。
「さは申せ、みなの意見には、捨て難いふしもある。冬信、まいちど案を練って、清書してまいれ」
「はっ」
と、大炊御門冬信は、ふたたび
「――冬信、読め」
と、すぐの御諚。
公卿たちはみな、居ずまいを正した。聞きすますうち、或る者は、屈辱感にふるえ、或る者は、悲憤を面上にみなぎらした。
わけて、女性の
一人の女性の
宮妃もあまたな中で、一人廉子のみが、こんな折さえ、お側に
やがて、夜も更けて。
「さらば、関東への勅使には、宣房がよい。宣房、
と、お名ざしであった。
これには、誰の異存もない。
そこで、次の日、万里小路ノ大納言宣房は、七十ぢかい老躯をもって、関東下向の旅についた。
副使は、三条公明。
もちろん、勅使とあっては、鎌倉方でも、粗略にはできない。
幕府は、極楽寺坂まで、大勢の騎馬
「折あしく、発病のため」
と
で、勅の告文は、
「さて、朝廷の告文とあるが、いかなる
と、北条一統の群臣は、高時の簾を中心に居流れて、
勅の
「城ノ介、読め」
高時のことばに、彼が、はっと進みかけると、
「あいや、秋田、待て」
と、それをさえぎった。
二階堂殿もお
「朝廷のおん文筥は、これを開かずに、勅使へ、お返しあって然るびょう思われる。……さまで皇室を
聞くと、人々は色をなして。
「これや二階堂どのには、不思議なことを仰せある。告文を見ては、なぜ悪いか」
「読まずとも、綸旨はおよそ拝察に難くない」
「とはいえ、勅使をして、わざわざ関東へ降されたものを」
「なおさら、封のまま、お返し申すのが、礼ではないか。およそ天子が武臣へ、告文を以て、御身の潔白を立てんとされたなどは、和漢にもその例なく、何とも、情けない朝廷のお姿ではある。ここは
うなずく顔もなくはなかった。
しかしその二階堂道蘊の顔を睨まえて「……さらば御辺は、朝廷方か」と、今にも詰め寄りかねないような武人が、じつは大半以上であった。
ところが、この険しさも、とつぜん、奇児の哄笑みたいな調子外れの高笑いに、すぐはぐらかされてしまった。――上座の執権高時が、つづいてこう発言していた。
「二階堂。なにもさように、事むずかしゅう考えずとよかろうが。……せっかく下向した勅使も、開けぬ文筥では、持ち帰るにも、
日ごろ、小児のような他愛もないことをいうかと思うと、時には、こんな理窟も述べる高時だった。こんな折の彼は、自己の自意識を、見事、名君のように
「なじか苦しかろうぞ。城ノ介、それにて読め」
「はっ」
秋田城ノ介は、三方を押しいただいて、広間の中央へ戻って坐った。そして高時の方へ向って、告文を読み上げた。
ここで「太平記」の原本には、腑におちない一条が見える。告文の
天ノ
つまらぬ作為である。当時、彼も鎌倉へは来ていたが、それは日野資朝、俊基の審議に加わるためだった。身分の上でも、彼が勅書を読むなどは、あり得ない。
このあと。
幕府の内部では、対朝廷策に異論百出、さまざま揉めた様子もある。だが高時の、
「何事も穏便がよい。穏便に」
という言が、こんども最後の重きをなし、勅答は穏やかに、先の告文とあわせて、朝廷へ返進された。これで一応、事変は解決したかに見えた。
とはいえ、日野資朝と俊基の身は、依然、解かれず、その年、正中元年も、ほどなく暮れた。
表面、あくまで無事を
それには、先頃の正中ノ変も、極力、小範囲にすませ、これ以上の不安を世間にかりたてるべきでない。
幕府方針は、現地の六波羅とは逆に、そういう方向のもとにその年を越えたのだった。
――がしかし、日野資朝、俊基の処分までを、いつまで延ばしているわけにもゆかない。
正中二年五月となって、やっと、その裁断は下された。
日野資朝の身は、死罪一等を減じて、佐渡ヶ島へ
「あきらかな証拠もなし、その身分も一蔵人に過ぎぬ者なれば」
と、
もっとも、この処置が一般にまで知れ渡ったのは、夏も終りごろで、すべては誰も知らないまに、執り行われていたのだった。
それだけに、事後にこれを聞いた人々は、
「ちと、ご
と、首をかしげ、特に、武者所のうちには、
「一方は遠流。なのに、一方を無罪とは」
と、それに不満な声もなくはなかった。
けれど、主脳者の高等政策と、武力主義の武者所との意見の相違は、これにかぎらず、毎々のことだった。で、まもなく今度の不平も、いつか忘れられていた。
その武者所への出仕を、高氏はここ一年ほど、黙々と、精励していた。
およそ、鎌倉御家人の、みな
――今日もである。
彼は、眠たげな
溜りに詰めている大名たちの、強がり話や、時局談議などには、なんの興味もないらしく、いつも居眠りを催すので、その方が彼には人々への気がねだった。――で、いつもよりちと早い退出とは思ったが、
「十郎、十郎」
と、郎党の佐野十郎をよび、彼と共に、駒ツナギの方へ歩いて行った。
十郎は、残暑の蝿を追いやりながら、駒を寄せて。
「さきほど、
「なんと」
「涼やかなお夜食でも上げて、語りたいこともある。御帰途を、立ち寄ってくれまいか」
「ほ……。ならば、そちだけは大蔵へ帰って、その由、父上に申しあげておいてくれい。わしの帰りを、お案じあってはならぬからの」
武者所の門を出ると、高氏は一人、ぶらんぶらんと、馬の気まかせに道を扇ヶ谷の方へ歩かせていた。
すると彼方から、辺りを払うような大名の一列が、夕陽を負って近づいて来た。――馬上、
「や。高氏どのか」
道誉は、何と思ったか、われから先に駒を下りて、愛想よくこう話しかけた。
「つねに近江と鎌倉の間を
彼が下馬したのを見ては、高氏も鞍を下りないわけにゆかなかった。またその愛想笑いにたいして、ニベもない宿意を以て
「お。いつもお変りのうて」
「何さ、何さ」
道誉は、胸の前で、サラリと唐扇を開いて、ばさらな扇使いに、
「去年。
これが何より道誉の言いたかったことかも知れない。
彼と土岐との、微妙な関係を知る者といえば、高氏一人あるだけと、道誉も内々、気味わるく思っていたに相違なかろう。――だが高氏の方では、そんな機会を利して他を失脚させようなどという気は毛頭持っていなかった。
むしろ今、彼の言いわけを聞いてから、初めて旧事を思い出し、そして、道誉のぬけぬけという厚顔さを、心のうちで、天晴れな奴とも思ったほどである。
「いかがであろう」
道誉は誘った。
「おさしつかえなくば、
「かたじけないが、じつは、扇ヶ谷までまいる途中。いずれ後日にでもまた」
「それや惜しいが、上杉殿とのお約束があっては、お引止めもなるまい。そうそう。それで思い出したが」
と、道誉は、ちょっと、あらたまって。
「昨日、執権
「ははあ」
と、高氏は
「はや、お聞き及びか」
「太守(高時)のお口から洩れたこと。よも今度は、お間違いではおざるまい」
「いかにも、都のあの変事で、去年は
「さだめし、蔭では悲しむ名なし草の花もあろうが」
「え?」
「いやなに。いずれ盛大な御披露もあることでしょう。そのせつには、お招きの端に、この道誉もぜひおわすれなく。……またお日取りの極り次第、こちらからも、さっそくお祝いには参上するが」
いつの場合も、妙に
「行く末、ああいう男を、敵にまわしては、うるさかろう。あの地位、あの婆娑羅、嘘も平気で忘れうる人間の無恥と粘りづよさも、時によれば、道具といえぬこともない」
と、考えたり、また、
「……口ではこのたびのことを祝しながら、また口振りをかえて、さだめし蔭ではそれを悲しむ名なし草もあろうに……などと申しおったが、あれは何の意味でいったのか?」
などと、こだわるともなく、道誉一流のヘンな後味の語に、彼の茫洋たる性情にしても、つい、どこか引ッかかっている顔つきだった。
扇ヶ谷では、中門から玄関へ打水して、憲房自身、出迎えていた。
供も連れぬ彼の姿に、憲房はその軽々しさにあきれたが、これがこの甥の良さだというところも買っている。召使にいいつけて、すぐ風呂へ入れ、汗臭い狩衣を
そして、水のせせらぐ一亭に
「伯父上。……評定所やら、御政治向きの面もすべて、ここはだいぶ、お
「されば昨年来の一件も、まず一と落着のかたちで、ほっとしておりまする」
「が、奥州の騒乱は、まだ片づきますまい」
「あれには、柳営でも手を焼いておりますな。近く、
「中央の御処理も、じつはそれゆえの御寛大なのですか」
「それもあるし、大きな声ではいえませぬが、幕府の策としては、どうしても将来、今上後醍醐の譲位をやむなくさせて、
「なるほど……」
高氏は、うごかしていた
憲房も、杯を
「ときに、婚儀のお日取りですが」
「はあ」
「この秋の
「それはまた、急ですな」
「急がよいとは、赤橋どのの仰せでもあるらしい。すでに
「高氏はいつでもかまいません。すべて
「では、それもお任せして給わるか。菊ノ節句、悪くない日でございましょうが。登子の君にもさだめし待ち久しいことでおざろう。……では、それときめて」
憲房は、さっそく、高氏へ一
蛍が二人を
吉日は近づいた。
かねがね、噂もなくはなかったが、足利、赤橋両家の婚礼が、いよいよ
「さては、ほんとか」
と、驚いたさまだった。
噂はあっても、今日までのところ、おおむねは、
「赤橋殿と、足利家とのツリ合いでは」
と、まず疑い、
「わけてまた、なんの取り柄もない、どちらかといえば
と、多くは、一笑に付していたのである。
それだけに、事実と知ると「――兄守時どののお気も知れぬ」とか。「あんな
「そうだ、さっそくお祝いに参じねば」
と、世渡りの如才は忘れず、鶴ヶ岡の赤橋邸へも、大蔵の足利家へも、それぞれ、ひきもきらぬ客だった。
赤橋家はともかく、足利家にこんな現象はめずらしい。
当主貞氏は長い病身で、営中でも忘れられていた程だし、一子高氏は
しかし、当の高氏は、いっこう違ってきた風もない。日が迫っても、出仕はしていた。そして相変らず、ぶらんぶらんと馬まかせの
「ほう。このおびただしい荷は、どこから来たのか。なに、嫁御寮の
いま、屋敷の式台をのぼった彼は、足の踏みばもないほどな荷物を見て、なにか当惑そうな顔でもあった。しかし、うれしくないはずはなく、
「もう、数日だな」
呟きながら奥へ通った。
きのうまでは、
父貞氏の病間には、ちょうど憲房も来合せていて、高氏を見ると、すぐ告げた。
「祝言の前に国もとから母上の清子どのも見えるそうじゃ。舎弟
「え。母上のみならず、弟も、草心尼
父もさぞと、彼は、父の姿を見て言った。息子の挙式がきまってから、貞氏も
ところへ、表の小侍がこう取次いで来た。
「――若殿。ただ今、佐々木道誉どのの
「なに、佐々木から」
取次を
高氏には、いつぞやの途上の彼が、あの折の後味のまま、すぐ思い出されたことらしい。
また、父貞氏や憲房にしても、それぞれが、道誉という人物にたいしては、かねて特異な感情と、警戒をいだいていた。――すべては、まだ足利家の曹司(部屋住み)高氏にすぎない巣の
「取次の者」
憲房が向き直って訊ねた。
「――諸家から祝言のよろこびもまいるが、女使者とは、異な使いではないか。佐々木家の者に違いないのか」
「相違ございません。巻絹十
「はて。名は」
「女性なので、わざとお訊ねは、さしひかえましたが」
「では、佐々木が
「いや、どこやら
「はははは。白拍子を祝言の使者によこすとは」
憲房は、急に笑い出し、
「いかにも、婆娑羅な彼の思いつきそうなことではある。……とはいえ、ともあれ佐々木の名代。西の書院へ、お通ししておけ」
「はっ」
と、取次は小走りに退がって行く。そして、憲房もまた、
「どれ。……会わぬわけにもまいるまいて」
と、起ちかけた。
すると、高氏がすぐ、
「いや、私が会いましょう。伯父上、その使者には、高氏が会いますから、どうぞ、おまかせおきを」
と、やや慌て気味に、さえぎった。
そして、いぶかるような父貞氏の眼を横顔に感じながらも、高氏はしいて大股に、自身、書院の方へ出て行った。
何気なく見せて起って来たものの、彼の一歩一歩は、
先ごろ、道誉が
「もしや、婆娑羅めが。……いや、まさか?」
小心な自己、弱い自己が、その間、だらしなく彼にも意識されていた。――すでに、西の書院の内が、中ノ坪の高欄ごしに覗かれ、端然とひとり坐っている水干姿の女使者の白い横顔も見えていたのである。
そして、そこの
「オオ……」
思わずぎくと立ちすくんだ時、微かだったが、女の声が、内からも洩れて、その感情を、じっと抑えるかのように、白い顔が振り向いた。
「藤夜叉だな」
ツツツと、高氏は足つき荒く内へ入った。そして、彼女の前に、いや、わざと遠くに、どかと坐った。
この
使者に名を
「…………」
が、藤夜叉は、すぐ手を下につかえてしまったきりだった。しばらくは、面も上げず物もいわない。ただ、ポトリと涙の音がその辺でする。
高氏は自己の煩悩と当惑を、意識なく、男の憤怒にスリ換えていた。愛情などは、みじん感じさせぬ
「なにしにまいッた。藤夜叉」
「…………」
「この折と、高氏を困らせにでもまいったのか」
「……ま。なんで」
心外な、と彼女は濡れたままの顔を上げた。
「まこと。道誉さまのおいいつけで、ぜひものう、お祝いに参上したまででございまする」
「うそをつけ。そなたが望んだことであろうが」
「高氏さま」
「それみい、その
「女ごころ。ゆめ、お怨みせぬとは申しません。けれど、今日はちがいます。取りみだれぬうちに、お使いの口上だけを申しまする」
「よせ。心にもない祝いなど聞く耳持たん」
「でも、申さいでは帰れません。このたびはおめでとうぞんじまする。心ばかりな品々は、この目録と共に、どうぞお納めおき給わりませ」
「なぶるのか、わしを」
高氏は、彼女がそこへさし置いた目録の奉書を、すぐ引ッ
「女っ」
「……はい」
「それは道誉の口上か。そなたの皮肉か」
「道誉さまです。道誉みずから参上するところなれど、風邪ごこちゆえ、あしからずとの、おことばでもありました」
「ならば、なぜ断らぬ。道誉のいうがまま、かような使者となって、のめのめ来たか」
「
「そ、そんな所に……なぜいつまで、飼われているのだ」
「たれがいたいことがございましょう。けれど、時節の来るまで、おとなしく、じっとそこにおれと仰っしゃったのは、高氏さま、あなたではございませぬか」
「なに」
「忘れもせぬ
彼女はもう場所がらも見得もなく、水干の袖に面をおおって泣くばかりであった。
そうだ。――不知哉丸。
ふたりの仲の子。
思えば、情痴の争いや涙の遊びだけで、事のすむ自分たちではなかったのだ。
高氏は、いまさらのように、かえりみる。
決して忘れ果てていたわけではないが、断ちきれないその
「案じるな。……子のことは」
彼もつい、彼女と共にぼろぼろ泣いて。
「不知哉丸の身は、その後も、つつがなく、
「預けられた田舎はどこでございましょうなあ」
「三河の
「近江とこことの
「よすがいい。時来たれば、会わせてやる。――三河一色、
「ああ、見たい」
藤夜叉は、また、身を揉んで。
「この秋は、四ツになります。遊ぶにも、はや駈け歩いておりましょうに」
「もう四ツかのう」
「あなたは、見とうも何ともありませぬか」
「……藤夜叉」
「あい」
「今となって、何の愚痴だ。そなたも、一切は得心ずくで、右馬介の手に、和子を預けたはずであろうが」
「よう、わきまえてはおりまする。われとわが身に、いい聞かせてもおりまする。でも、女の哀しい身は、眠られぬ夜々を、どうする
「鬼に」
高氏は、さっきから見ていたのである。以前にはあった野性美は
と、廊の外で、小侍の声だった。
「若殿、お召しでございます」
「たれが」
「御病間の方で、大殿が」
「そうか。いままいる」
――それを、
「藤夜叉、はや帰れ。……そして立帰ったら、道誉に申せ。おこころざし、まことに過分、高氏、きもに銘じおきますと」
「あ、お待ちなされて」
起ちかける高氏の袂へ、初めて、藤夜叉の白い手が
「近いうちに、もいちどお目にかかれましょう。けれど、その日は、こんなお話もなりますまい。どうぞ、もすこし下にいて」
「なに、また近いうちにだと」
言いかけたが、そのときチラと、北廂の簾の外でうごいた人影が見えたので、高氏は、はっと口をつぐんだ。――しかもそれは、伯父の上杉憲房らしく思われた。
伯父の憲房は、その夜も、次の日も、藤夜叉のことについては、何もいわない。
高氏にすれば、それもまた、こそばゆかった。彼らしくもなく、当座は父や伯父の顔いろがつい見られてならなかった。
しかし、数日の邸内は、そんなものを、たれの胸にも置かせない忙しさだった。
――貞氏すらも、家臣の肩にたすけられて、その病間を出で、新装された広間や、若夫婦のために改築された新殿のあちこちを、見て廻って、
「見ちがえるようになったの。これで、身の
と、洩らすなど、とにかく
その上にもまた、
「いよいよ、明後の夜は、嫁君のおん輿入れ」
と、

足利ノ庄の国もとから、高氏の母清子が、次男の直義、老臣、それに草心尼と覚一の母子までをつれて、ここへ着いた。
いや、そのほか、三州知多の吉良、
「御盛儀のおん祝いに」
と、続々出府して来て、鎌倉じゅうに分宿していた。
それは、驚くべき人数となった。――野州足利ノ庄は、足利の本拠といえ、まことに微々たる一僻地にすぎないが、やはり古い名族だけのものはあって、他州に分布されていた血流がたまたまこんどのよろこびを機会に集まったのを見ると、
「さすがは源氏の嫡系、足利党もゆゆしきもの」
と人々は、その潜勢力に、いまさらの如く、眼をみはったようである。
そうした中で、貞氏の病間も、肉親たちの和やかな笑いに、時ならぬ春を呈していた。
――高氏の眼には、父と母が、夫妻として、こう打揃ったのを見るのも何年ぶりかと思われた。そしてこんな
「やがては、求めないでも大乱は
こんな日にも、日頃のぶらり駒の背の上でも、世は必定の大乱と見ている先見だけは、いつも高氏の胸にある。
その兄の隙を見て、直義が、ふと誘った。
「
「オ、直義か。まだ二人だけで落着いたはなしも出来ずにいたなあ。そのくせ、わしは用なしのぶらり駒よ、用がなくて困っているほどだ。行こうか」
屋敷裏の丘は、
「あすの夜ですなあ、もう」
「なにが」
「なにがッて、兄者人……。はははは」
直義は、兄を指さして、からかった。
「――お
「わしの嫁迎えか」
「もちろんです。同時に、足利宗家の御当主、もう兄者人などと甘えて呼ぶこともなりませんな」
「では、どう呼ぶのだ」
「正しく、殿とか、高氏様とか」
「つまらんことを。……なあ直義、おたがいは、いつまでも、腕白時代の
「ほんとですか」
直義は、並んで腰かけている兄の膝がしらを、固くつかんで。
「では。この弟が、何をいっても、御勘弁くださいましょうな。もし、お気に障ったら、幼時のお互いみたいに、直義の頬を
「いってみろ、何かは知らぬが」
「置文のことです」
「……置文」
高氏の眼と共に、直義も辺りを見廻した。鎌倉中、
「いつか、
「…………」
「ところが、まもなく、北条一族たる赤橋殿の
「わからぬというのか。兄の本心が」
「正直、不安でなりません。いつのまにか、御変心ではあるまいかと」
「ばかだなあ、おぬしは」
「直義の疑いが、馬鹿げていたら、本望ですが」
「弟……。明日の夜わかるよ。まず、おぬしにとっても
「冗談はよして下さい」
「今日こそ、お胸の底をたたいておく日と、直義は、足利一族の運命の
「怒ったのか、直義」
「あたりまえだ」
「そう
「何を、いらざるたわ
いきなり、直義が胸いたへ突いて来た腕を取って、高氏の体も、
――兄弟喧嘩と、早合点したに違いない。さっきからそこを少し離れた所にぽつねんと坐っていた者は、驚いて人を呼びかけた。だが、声も揚げ得ず、その墨染の袖を頭からかぶって、草むらを這わんばかり、ふるえていた。
つかみ合ったまま、諸仆れに、萩や桔梗を体にかぶった兄弟は、幼少の頃よくやった
そのうちに、高氏が、
「ははは、あははは」
体じゅうで笑い出すと、直義も急に、くすぐッたそうな声をあげて。
「ハハハハ。……あ、
「いや、本気だ本気だ。もっと怒れ。怒らないのか、直義」
「怒れない」
一そう、兄のふところ深くへ、その顔を突っ込みながら、直義は泣き出しそうな声で言った。
「たとえ、どうなっても、直義は兄者人の弟です。怒ってみても始まらない」
「そうだ。かつて、わしが
「そんなこと。……それよりも兄者人には、きっと、べつに本心があるのでしょう。それを明かして下さい。この弟を、弟と信じて下さるなら」
「さほどまでにか」
高氏は、寝たまま、また、弟の襟もとをつかんだまま、恐いような顔を示して。
「では、いうぞ」
「お胸の底、打割って下さいますか」
「置文に誓うた心は、今日とて、少しも変っていない。たとえ、北条一族の
「おゆるしください」
「とは知らず、直義の小心から推量などして、雑言を吐きちらし、申しわけもございませぬ」
と、彼は手をつかえ、高氏はその肩につかまって、共に起きて、草に坐り直した。
「したが、直義。わしの心底はまだ、父上にも伯父上にも、いうてはいない。洩らすなよ、誰にでも」
「が一人、右馬介だけは、とうにお胸の奥を読んでいましょう。折々の便りにも、彼が未来にかけている心がけがみえまする」
「オ。右馬介はいま、どこにいるのか」
「兄者人へは、便りもよこしませぬか」
「以来、何も」
「要心ぶかく、わざと、書状などひかえているのでございましょう。――昨今、摂津ノ住吉辺に、
――しっと、高氏は眼で、彼の次のことばを抑えた。どこかで、女性のまろい声が澄んだ尾を曳いて流れてくる。
たれかを、呼び求めつつ、丘の
「――お母アさま。ここです。お母あさま」
と、ふいに一人の小法師が立って答えた。
不覚。
こんな丘に、人の耳があろうとはと、虚をつかれたにちがいない。
「たれだっ?」
直義も、また高氏も、思わずその小法師の方へ、眼をそそいだ。
小法師の姿は、この真昼を、闇夜のように手さぐりしていた。身の
「あっ。……直義さまでございますね」
と、雲へ問うように、顔を澄ました。
「おお、誰かと思えば、覚一だったのか」
「覚一でございます」
「さっきから、そこにいたか」
「はい」
「わしたちが話していたことを、聞くともなく、そこで聞いたか」
「……い、いいえ」
あわてて、首を振り、
「なにも存じません。ハイ。いつのまにかトロトロと居眠っていたのでしょうか。母の呼ぶ声に眼がさめました。そしたら、あらぬ方で、べつなお声がしたので、またびっくりしてしまったんです。――そこには、高氏さまもご一しょでございますね」
「覚一。久しかったなあ」
「おおそのお声。……おなつかしゅうございまする」
「そちとは、都の六波羅で、別れたきりよの」
「はい。お変りなく、と申しあげても、
「ムム、あの頃よりはな。……幾つになったの」
「十四になりました。あの折お誓いしたように、琵琶は片とき離さず
「よい折に、いつか聴こうよ。――おお母の草心尼が降りて来る。母と一しょだったのだな」
「ええ。晴れのお屋形の
丘の上から近づく母の跫音にさえ、覚一はそぞろな両手を空にまさぐって、もうすぐ他愛ない子に返っている。
草心尼は、花籠を腕にかけ、高氏たちを見ると、遠くからホホ笑みかけていた。
以来のあいさつは、昨日、大蔵に着くと早々すんでいたこと。ここでは、内輪同士の親しさがあるだけだった。――ほどなく、四人皆して覚一の足もとを
一夜あけると、大蔵の邸は、花嫁の輿の道すじから、門前門外、すべて
かぞえきれぬ程な間ごと間ごとの
「盲の子連れなどがおりましては、かえって、こよいのお
と、覚一を伴って、扇ヶ谷の方へ移って行った。
その晩の扇ヶ谷家は、憲房以下、あらかた宗家の婚礼に行っていて、広い邸内も、無人にひとしいひそけさだった。
母一人子一人のふたりぼッち。草心尼にも覚一にも、こんな晩は、むしろ
「覚一、淋しゅうないか」
「ちっとも」
「どうしたのじゃ。きのうの昼、御兄弟がたと、大蔵の丘を降りてから、いつにもなく、無口のような」
「そうですか、じぶんでは、気もつきませんが」
「はしゃぐ時は、よう、はしゃぐ癖にして。……やはり
「お母あさま」
覚一はすり寄って、その手さきで、母の膝をさがし当てた。
「私はいい子か悪い子か、じぶんでは分りません。それに生れながらの
「ま。なんで母にそんなことが出来ましょうぞ。そなたの
「でも、覚一が都に出て
「オオ、そのように、おきびしいのか」
「それくらいはまだ、なんでもありません。寒稽古には、霜夜の庭の素むしろに坐らされて、
「覚一。もういわないで」
「おや。お母あさまは、何をお泣きになるんですか」
「だって。……聞くだにもう辛いものを」
「ごめんなさい。お母あさまを辛がらせようとて、こんなことを、初めて、お聞かせしたのではございません。覚一には、この頃また、その恐いお師匠さまが、無性に恋しゅうて、ならないのでございます」
「そんな
「ええ、なぜかお慕わしいのです。都から帰ってからは、覚一は毎晩、お母あさまのふところに抱かれて眠り、なんの不幸も知りませぬ。けれど、せっかく修業中の芸の道は、とんと崩れて、ちかごろ駄目になりました。
「覚一。なにをいうの」
草心尼は、ひしと抱きよせて。
「……まだ遊びざかりのそなた。その上、眼さえ不自由なのに、日頃の母のことばも、よう聞きわけて給もるわいの。いかに、修業の道だからとて、そんなにまで、われと我が身を
いつもなら、覚一とても、図にのッて、母の暖い香に、そのまま甘えているだろうに、なぜかこよいの彼は、その膝をもじもじ去って、両手をつかえた。
「おねがいです。お母あさま、もいちど覚一を、都へやって下さいませ」
「……え?」
草心尼は、かたく自信していた母の懐に、ふと、
「……ど、どうして」
「もっと、琵琶の修業をつみ、おなじ一生の道とするなら、その道を究めるところまでやりたいのです」
「そしたら、なにも母のそば離れて、遠い都へ出ないでも、そなたに教えて給もるお師が、この鎌倉にないこともあるまいに」
「いえ、鎌倉には、良い師はあるまいと、人も言いますし、ここは長く住む地でもありません。今にきっと、恐ろしい修羅の地に変りましょう」
「そなた……妙なことを、お言いやる。……なんで、この鎌倉の府が」
「いまは、申しませぬ。そら恐ろしゅうて、口にも出せませぬ」
「覚一」
と、彼女はつめ寄って。
「なぜ、母にお隠しなさる」
「ただの隠し事などではございません」
「いうて
「じゃあ、お母あさまだけのこと、言ってしまいますけど……」
覚一は、針を並べたような眼で、しばらく、辺りの気配を、心の耳で聴いていたが、やがて
「お母あさま。……高氏、直義さま御兄弟は、北条家を仆して、天下を
「げっ。……そ、そんなことを、ど、どうしてそなた、推量しやった」
「なんでそんな恐ろしいことを、推量など致しましょう。きのう大蔵ヶ谷で、お
「ああ……。あのことも」
彼女の記憶は、鑁阿寺の或る朝、メラと失せた一片の紙片の焔にすぐつながっていた。その朝の高氏の異様なまでの素振りと共によみがえってくる。
「のう覚一。ひょんなことを、ふと耳にしたものよの。魔の声じゃ。耳を洗うて、忘れたがよい」
「はい。けれど、
ふとした、子のことばにも、真理があり、
……ほんに。
彼女も今にして頷かれた。
亡き良人の願いもあったし、じぶんたち母子の願いも、武門の蔭には寄るまいと念じている。
けれど、
都は広いと聞く。
かつての承久ノ乱や、
「……そうだ。都に行けば」
彼女の思案は傾いた。
都でなら、武門の蔭に頼らなくてもすむし、覚一が天性好む琵琶や芸術の道へいそしむにも、何かにつけて便がよい。
「この子をだに、つつがなく成人させて、弓矢ならぬ芸道に生きる道をつけてやれば、それで、亡き良人への、自分の御供養はすむというもの」
思いさだめて、草心尼は、ついにその場で子の覚一へ約束した。――この鎌倉まで来ている
覚一は、狂喜した。
――こんなにも、それを望んでいやッたのかと、彼女が涙ぐまれるほどに。
「お母あさま。そう伺ったら、もう何だか、ここは鎌倉でもなく、都の隅で、今宵を二人で過ごしているような気がして来ます。……それにつけ、お師の禅師にお目にかかれば、師を離れている間、どうであったか、琵琶を持てと、さっそく
「オオ、聴きましょう」
「幾つか、習うた平家ノ曲。その内のなにを語りましょうな。特にお好きな曲は」
「さあ……。
「
「わけても好きじゃ」
「では。……すみませんが、そこの琵琶をお取りくださいませぬか。大原御幸も、まだみなは覚えませぬが、
袋を解いて、覚一は琵琶を抱いた。
――女院 重ねて申させ給ひけるは。
わが身、平相国 のむすめとして。
天子の国母 となりしかば。
みな掌 のままなりき……
母の草心尼は、聞きとれた。いや、わが身、
天子の
みな
その時刻。――ちょうど、覚一小法師が、扇ヶ谷家の留守をほしいままにして、大原御幸の一曲を母に聴かせていた、同じ宵頃のこと。
鶴ヶ岡の社頭は、火に染まっていた。
赤橋家の門から、反り橋、若宮ノ辻までの、たくさんな
「はや、
「御一門の騎馬のお列も」
若宮から東、横大路いったい、黒い人垣のとだえもない。
みな盛装の花嫁を見ようとするのらしいが、華麗な
輿にはまた、幾つもの女輿がつづいて行った。
お供の
さらに供侍や、小者までも、晴れ着ならぬ者はない。当夜持参の嫁入り調度も、まばゆいほどな列だった。――三ツ
この宵、ともされた
もっとも、花嫁の輿が、赤橋家の門を出たのを合図に、聟方の屋敷でも、門をひらき、
「それ」
と親族、
そして、嫁方の
さて。――輿が
上ゲ畳の
両家一統、家臣たちまで、その間、ほのかに、杯事を拝しながら、粛然と、ひかえている。
――やがて三々九度が終り、同時に、御簾が上がって、
「幾千代、おめでとう存じあげまする」
一同、揃って祝いをのべる。
さきに、嫁迎えの使者が、途上で、こちらの脂燭に移し取って持ち帰った嫁方の火は、すでに
そして四日目、初めて、色直しの衣裳にかえて、登子も足利家の北ノ方となった
その日は、夕方から雨となって、さしもつづいた盛儀の門も宵のまに閉じ、大蔵ヶ谷の大屋根は、早くからみな寝しずまった。
婚儀の大宴は、よるひるなく、三日もつづいたのである。
登子が気疲れしたのはむろんであろう。聟の高氏にしても、連日の行事に加えて、郷党どもの祝いをうけたり、客座へ臨んだりなど……思えば
「外は雨か?」
「そのようでございまする。たそがれ頃から……」
登子は棚の
ながやかな黒髪とその姿を、匂いの糸がゆるく巻いてくるにつれ、
「まるで、大風のあとみたいだなあ、今夜の静けさは」
「侍部屋や
「登子」
「はい」
「そなたも、疲れてか」
「いいえ、あなたさまこそ」
「わしすら、少々疲れ気味に思われる。ましてそなたは、と察しられるが……。しかし一生の門出ではある。ふたりにとっても、二度はないこと」
「ええ」
「このまま、もすこし話していたいが、眠とうないか。だいじょうぶか」
「なんのお気づかいを」
「……もそっと寄れ、もそっと」
「……はい」
新妻はまだ、体がふるえる。
さきに良人の烏帽子だけはとって、
「ほかでもないがの、登子」
「はい」
「いっそ、むくつけにいおう。そなたは一体、この高氏のどこを見て妻となる気を抱いたのか」
「…………」
「守時殿という兄のすすめでぜひなく
「上杉殿と兄君のおはなしだったのは、申すまでもございません。けれど私もすすんで望みました」
「どこがようて」
「わかりません」
「わからぬままに」
「ええ、わからぬままにも、身の生涯をお
「ならば、あらためて、告げねばならぬ。……登子、形どおりな祝言や初夜の式もすんだが、まことの
「えっ。……?」
「なにも知らずに嫁いだそなただ。知らぬがままに連れ添うなれば、それまでのことですもうが、しかし、さまでの秘事を抱きながら、妻となる者へ、

「…………」
「幼少のとき、この高氏は、さる
「なにを仰せかと思えば」
と、登子はむしろ、ほっとした笑みを持って。
「武門誰とて、何事もなく一生過ごせるものとしておりましょう。武人に剣難の相があるのは、あたりまえです。嫁ぐ前から身にいいきかせておりまする」
「そうか。覚悟してか」
高氏は、言ったが、改まった面持ちは、なお解くような容子もない。まだ、まことの
「したが登子、それだけの覚悟で添うには、なお足らぬこの男かもしれぬぞ。古来、弓矢の
「…………」
「たとえば保元、平治ノ乱、以後の大小の合戦にも、そのような例は、幾多であろう。かぞえてもかぞえきれまい。さればもし、この高氏が、かりに北条殿に弓を引き、そなたの兄、守時殿をも、敵とせねばならぬ日があったとしたら……そなた……そのときは、何とするか」
「…………」
登子は氷った花のように、まじろぎもしなかった。といっても、たましいを失った色ではない。女性が真底から真剣に自己を
高氏はその息のままで言いつづけた。
「さ、そうしたときは、何とするぞ。
「思い返せとは」
「今なれば、ない縁としよう。ほかの口実をもうけて、和御前は処女の肌のまま
「おたわむれを」
「たわむれではない」
「むごい仰せです」
「むごくはない。慈悲でいうのだ」
「では、いつの日か、まこと、そのようなお心ぐみが、おありなのでございますか」
「あるとしたら?」
「ないとしても、あるとしても、妻の身には、おなじことに思われます。あなたさまの御一生が、そのまま登子の一生となるばかりのこと……」
「修羅の
「ええ、地獄へでも」
「良人が
「はい。羅刹の妻となりまする」
「登子っ」
彼は寄って、いきなりその花の顔を、抱きしめた。
「もう、終生離さぬ」
この乱暴に似た力の方が、はるかに彼女を驚かせたにちがいない。
あわてて高氏は灯を吹き消した。なお、黒髪に埋めてやまぬ
高氏のあたまを、ふと、牧の小娘や、藤夜叉との梅の香の闇がかすめた。しかし彼の本質にある性情だろうか。彼の乱暴な愛情の表現は、みずから制御を加えることもできなかった。
――朝。登子は鏡にむかった。
鏡は、女になった女を
髪
「いまは身も心も、足利登子。又太郎高氏殿の妻――」と。
いわゆる五日目の“里帰り”であった。
登子は、良人と姿を並べて、兄のひとみの前に出たとき、わけもなく頬から耳の根までを
さすが北条の大族赤橋家らしい。――登子のいとこ、
「これは、聟殿におわせられるか」
と、名のって出た。初対面が、あらかたである。
中でも、眼をひかれたのは、登子の妹たちだった。二人の幼い妹たちは、姉の聟君なる人を、もの珍しげに、ぬすみ見たり、はにかんだり、やがては馴れて、酒宴の間に
後に、この妹の一人は、
ともあれ、高氏は、赤橋家の人々とも、その日の一日でもうよく溶けあっていた。むしろ登子の方が他人行儀に見えた。彼女は始終、自分を外がわにおいて、良人と里方の者との融和を見ながら、ただ
おそらく、ただの里帰り以上な複雑さが、彼女の胸にはあったであろう。――ゆうべ閨に入るまえの良人のことばが、ふと思い出され、そして、ここでの高氏の無邪気さや他意なさも、逆に底知れぬ人のように見えていたかもわからない。
一日おいて。
結婚七日目には、また、夫婦そろって、執権ノ亭に
「なるほど、似合いの
と、いった。
ほかにも
「まこと、北条御一門の内に、花を加えられたようなもの。祝着この上もございませぬ」
高時は、大きくうなずいて、さらに言った。
「高氏、登子。ふたりとも今日は夜まで遊んでゆけ。高時もともに遊ぼう。お
柳営八亭の一館に、高時がよく大遊宴につかう
「みなも、思うざま、飲むがいい」
いつにもまして、
「今日は高時より、一族高氏と登子への馳走なれど、御家人どもには、ふたりの披露でもあるぞ。一同で祝福してやれい」
大杯を手に、彼は号令のようにいった。高氏夫妻、佐々木道誉、ほか百名余の盛宴である、自然声も大きくなる。
高時にすれば、これもよい口実の遊びなのであろう。“うつつなき人”高時は、また常に“うつつなき遊び”を探している人でもある。
で、集められた群臣も、いわゆる重職や幕府序列の面々ではない。遊楽において、日ごろ彼とよく駒の合う臣下や芸能者ばかりなのだ。
およそ、技術芸能の士を愛した点では、北条代々でも、高時ほどな太守はなかった。
建築、絵画、彫刻、染織、
同時に彼は、その者たちを、遊楽の取巻きと見て、おもちゃにしたことも
いつか、
――で、それを
「はや、おいとまを」
と、良人へそっと、うながした。
だが、高氏は居眠っていた。いちど、暇を乞いかけたとき、かえって、執拗な高時に、大杯を
「殿。……」
登子に膝をつかれ、彼は大きな眼をあけた。きょとんとして、まるで涎くりの
「殿、いまがよい頃です。太守にお礼を申しあげて、お退がり遊ばしては」
「そうだな。そなたも大儀だろう。高氏もはや、これ以上は」
俄に、
「こらっ、虫食い
「登子が戻りたがっておりますゆえ」
「登子が」
高時のきらつく眼が、無遠慮にふたりを撫でた。
「はははは。この男、虫食い瓜に似もやらず、
「これは、きつい、おからかいを」
「道誉、道誉」
身を反らして、高時は、右がわの列座にいる佐々木道誉を眼で拾って。
「――閨いそぎの若夫婦は、はや戻るなどと申しおる。そちは、今日の馳走に、高氏へ何やら見せたいものがあるとか申していたではないか。帰してもよいのか」
「これは、したり」
響きに応じるような調子で、道誉も、高時に次いで、派手にいった。
「太守をはじめ、満座すべては、みな
それに相槌打つかのごとく、近くに居流れていた
「せっかくの座もしらける。まあ、おられい」
「
「高氏どの。まあ、もう一
と、攻め囲む。
高氏はまた飲み出した。登子の帰りたがっている気もちも思いやられつつ、ままよと、腹をすえたのらしい。さらに、高時が
「みごと」
高時は、ちょっと、こじれかけていた機嫌を直して、
「もひとつ、どうじゃ高氏」
「いやもう」
高氏は、唇のしずくを横にこすった。
「駒に水を飼うにも、少々は息休めさせねば、首を振りまする」
「はッははは」高時は奇声をあげ――「この男、思いのほか荒駒らしい。かつての、鳥合ヶ原では、
君側の左右以外な末端の方では、ここのことは何も分っていない。末席は末席で、それぞれ
そのうちに舞台では、昼、田楽十番を出して喝采をはくした
「ははあ、これだな」
高氏は思いあたった。
「――これが道誉の馳走だったのか。何やらこの高氏へ見せるものがあるはずと、最前太守も彼にむかって、何か謎めいたことをいわれていたが」
しかし、これは安易なひとり合点と、まもなく、分った。
終始、笑いどよめきのうちに、八番が終って、また、
藤夜叉であった。
「…………」
高氏は、ぎょっとして、
視線をそろえて、登子も舞台の藤夜叉を見すましているに違いなかろう。また、道誉の底意のある眼が、太守高時の蔭から、自分の表情を、見ぬ振りしつつ見ているようにも思われる。
「…………」
しかも、板の上の藤夜叉は、まだ一ト振りの鈴も鳴らさず、足も踏まず、その白い白い舞台顔は、泣くかのような眉をしていた。
「…………」
見るに耐えず、眼をふさいだものの、心の耳はおおうべくもない。
むごい、
座興とか皮肉とかの度もこえて、これは高氏への、刑罰にも値する。
「こんな悪戯の、どこが、執権の
高氏には、両者の気もちがわからない。いかに
だが、この皮肉な贈りものは、道誉として、よほど前々からの計画だったものだろう。――結婚前に、ふと途上で会ったときの彼のことば。また、藤夜叉を祝言の使者として大蔵へさし向けて来たなどのこと。
さらには、藤夜叉がその折「――近いうちに、もいちど、お目にかかれましょう」と、いったことなど思い合わすと、すべては、道誉の書いた筋書と、
その道誉は、まま自身筆を執って、田楽狂言の
が、鵺の意図は、果たして、これだけのものだろうか。
自分と藤夜叉とを、大宴の
「いや、底意は知れぬ」
――ふと、火花のような疑いが彼の暗い
もしや、道誉はすでに、藤夜叉のからだを、自分の夜の室にも入れているのではないか。いつか藤夜叉も、道誉の欲情になやまされているらしい嘆きをふと洩らしたこともある。
――とすれば、道誉のお抱え芸人の藤夜叉に、身の守れようわけはない。もう、とうに主人の肉欲に飼われた一片の美肉とされているのだろう。そしてその
「……ただ藤夜叉には、
彼は、登子がそばにいたことも忘れていた。
世に“うつつなき人”といわれている高時よりも、彼の方が、登子の眼には、あやしまれた。登子は泣きたさを
高氏の手は、その間、無性に杯を忙しくしていた。飲めど飲めど、酔も味も知らない彼であるやに見える。
すると、その顔を、とつぜん拍手と喝采のあらしが吹いた。もう藤夜叉の姿は、舞台から消えている。――いや舞台姿の彼女は、いつか高時の御前に召されて、すぐ眼のまえに来ていたのだった。
高時には、
「道誉」
やっと、彼の眼が横へそれる。
「――
「太守」
「なんだ」
「芸能の徒は、容姿を
「芸は申すまでもない。したが、その上にもの
と、高時は着ていた
「
「いや、これは先頃、近江より召し寄せました者で」
「なんの、過ぐる年にも、近江田楽の花夜叉一座を、鎌倉へ連れ下って来たではないか」
「あのせつは、藤夜叉も、病気しておりましたゆえ、上覧の日には、惜しくも洩れたのでございましょう。何はともあれ、
「ムム気に入った。道誉」
「はっ」
「もらっておくぞ」
「え。藤夜叉を」
「問うまでもあるまい。柳営召抱えの
「太守、その儀だけは、せっかくですが、御意まかせにもなりませぬ」
「なぜ」
と、するどい。
「はははは。ごきげんをそんじましたな」道誉は、あつかい馴れているらしい。かろく
「――藤夜叉の身は、道誉一存になるものでもございません」
「当人に訊けと申すか」
「当の藤夜叉とて、大いに迷い悩みましょう」
「では、たれに問えとか」
「今夜の主賓高氏に」
「高氏に?」
「されば、藤夜叉の身の抱え主はこの道誉。したが半分は、高氏の持ち物なりともいえまする。……のう、高氏どの」
――もうこのときは、高氏の全身に、かつて覚えのないほどな酒量が廻っていたのである。彼の低く崩した姿勢がすでにそれを示しており、道誉の挑戦に応ずるごとくくちびるを
「……な、なンと仰せか。近江の
居ずまいをかえかけたが、また腰をくだき、ぺたと、片手を後ろへついた。
登子は、おろおろした。
いかに無礼講でも御前である。もし執権の激怒にふれてはと、良人の袖を無意識に引く。
が、高氏はその新妻の手も払って、邪けんにいった。
「登子、まだいたのか。なぜ、さッさと退出せぬ。だ、だれが何ンと止めようが、そなたはわが妻。良人の命だ。帰れ、帰りおろうっ」
「ま。そうお叱りあるな高氏殿」
道誉は、あくまで口さがない。
「何もご存知ない北ノ方へ、そう、がみがみな仰せは自体ご無理だ。登子の君こそ、お気のどくよ」
「いらざるご
「げにもナ」
と、苦笑を放っておいて。
「藤夜叉、藤夜叉。――いつもそちが、ひと目拝みたいと望んでいたお
「ま、お戯れにも程がある――」驚きの余り、彼女は、高時の前もわすれてさけんだ。
「ちがいます。藤夜叉は、ついぞ、そのようなこと、道誉さまに申した覚えはございません」
「まあ、よいわさ。いったのいわぬの、争いなどは」
「……でも、わたくしは」
「太守」
高時をも味方にいれて、道誉はねばねばとその
「
「美人は呵責せよとの談義か」
「いちばい、色には動きを加え、露も捨て難い風情を増しまする」
「待て待て。そちの色道談義は聞きあいておるぞ。それよりは、この藤夜叉の身、いったい誰の持ちものときまるのか」
「高氏にお訊き願います。道誉としては、御献上も異議ございませぬが、高氏がどう言いますやら」
まるで奴隷主の口吻である。のみならず、新婚の登子を前に、高氏の秘をあばいて、奇を好む君侯のさかなに供し、共に
すると、やにわに、そばの大杯をつかみ取って、高氏が、
「おお、杯をつかわそう。……藤夜叉、これへ来い」
と、さし招いた。
深いわけは分らぬまでも、君側の近くにいた
「すわ、何か?」
と、一瞬の酔いを皆さました。
「……いただきまする」
案外、藤夜叉は素直に、高氏のまえへ寄っていた。火と火のように、二人の眸がカチと会って燃え合った。高氏はちょっと、登子へも気がねする風ではあったが、
「藤夜叉、
「殿。……」
藤夜叉は、なみなみとつがれた大杯を両手に。眼にも、いっぱいな涙をためた。
「なぜ、このお杯が、これきりの御縁になるのですか」
「胸に問え」
「問うてみることはありません」
「面倒だ。いうことは何もない」
「私には、海ほども山ほどもありまする」
「聞きたくもない。はやく飲め」
「はい。……もひとつお
彼女の顔を、大杯が隠した。
注がれると、またすぐ飲みほした。
そして、三度めの杯の酒を、いきなり道誉の顔へ向って浴びせかけたのだった。とっさ、その杯を胸の下に抱いて、わっと彼女は泣き伏し、満座はあッと驚きの声をあげた。
とっさに、道誉は顔をよけていた。――ために彼女が浴びせた酒の
「アっ。……」
高時は、ぶるっと首を振って、耳の穴へ指先を入れていた。
耳へまで酒が入ったものらしい。その手で襟くびも撫でまわす。途端に何か、理由なきおかしさが、彼をくすぐッたものか、小児のようにクックッと笑いかけた。
――が、道誉は、仰天せざるをえない。
「こは、畏れ多いことを」
あわてて、自分の袖で、高時の胸やら膝を拭き廻った。近習のすべても、一せいに、
「ぶ、不礼者めが」
と、藤夜叉の姿一つを
「しゃッ、
と、青筋たてて、突ッ立ちあがった。
「この慮外者、甘やかせば図にのッて、天下の執権職を愚にしおったな。おのれ、手討ちにしてくりょう。
大喝と同時に、その
側臣たちは、どぎもを衝かれ、あッとわれがちに座をうごいた。いや満座百余の人々も、総立ちに
「女は。女めは、どこに」
と、もとの大広間へと跳び返って来る。
高時の跳び歩くところ、酒器やら膳が音をたてて転がッた。彼自身も勢いよく突ンのめりかける、それを抱きささえ、或いは、なだめようとする近習たちの、
「あっ、おあぶない」
「太守っ、おしずまりを」
などと、うろたえ合う声々のどこかで、
「薙刀を取れ。お手の薙刀を、おあずかり申せっ」
道誉もまた、絶叫していた。
とはいえ、その道誉、その高時、側臣すべてが、昼からの深酒で、泥の如くみな大酔していた
そうした席を、いや渦中を。
すばやく、大廊下の方へ、ただ一人、だだだっと駈け抜けて行った者がある。
高氏だった。
その手は、黒髪長き人を、横抱きにし、
「悪かった。もう、そなたを疑うまい。すぐ
しかし、藤夜叉の体は、離れもしない。
とどろく
どっと、一
宴の灯はことごとく消え、
末席にいた諸職の
何しろ、高時の手には、薙刀があった。
過失か、
「どこへ隠したっ。女めを探し出せっ。――藤夜叉をどこへやったぞ」
日ごろの高時の声でもなかった。獣声にちかい、五
さえぎる家臣は、見さかいもなく、薙ぎ払われ、蹴仆された。いちど、
「楽屋はどこぞ」
と、舞台わきの細殿を覗き、そこの
大勢の田楽役者の男女も、まっ暗な中で、ただわななき伏していたことだろう。さっきから楽屋の内は、墓場みたいにしいんとしていた。――そこへキラと、薙刀の光が流れこんで来たのである。無理はない、キャッと一せいに、躍りあがった。
ところが、それは高時の酒狂上の発作を、つい
これは、
だから、楽屋じゅうの驚愕もさることだったが、高時にも、彼らの悲鳴が、化け物どもの
「あッ
彼の薙刀が、車のような光の輪を描く。
その手ごたえのたび、ひいッ――と聞く闇の血を幻覚の誇張のまま感じ取って、高時は例の奇声で、急に、きゃッきゃッと、笑いはじめた。あたかも、子供がトンボの群れに酔ってもち竿でも振るようにである。その薙刀を、振り廻し振り廻し、ひとりも
杉戸の外で、わいわいいうのは聞えるが、家臣たちも恐れて入っては来なかったし、役者たちは、恐怖の
――すると、一
「
と、その襟がみを引っつかんでいた。
「田楽たち。逃げろ、逃げろ。いまのうちだぞ」
同じ扮装の天狗だが、この一天狗が、田楽仲間でなかったことは、論をまつまい。――が、高氏の声に似ていたと気づく者も、たれ一人なかったようだ。
「かっ。離せ」
異常な力だ。これが柔弱な執権どのとは思われない。――高氏もとっさに
「おのれ」
魔気のこもった薙刀で、
「
と、斬りつけて来る早技も、高時の芸には似気ないものだった。高氏は身を交わしつつ、やっと、彼の手もとをとらえ得た。――そして、その寸間に、先を争ってどろどろ逃げ出す田楽天狗の男女に
だが、高時もとどまってはいない。
むしろ、その跳躍と薙刀のえがきは、限られた一室から、華雲殿全体の空間を持って、一躍、水をえた魚に似る。
ただ、逃げ廻る烏天狗の影は、みな一様な扮装だから、どれが高氏かは、分りそうもない。
もっとも、たったいま自分を痛めつけた者が、高氏の変装とは、乱心の高時の
「……登子はどうしたか?」
狂気でない高氏の方には、その気がかりもある。彼がふと、あらぬ方向へ一
「弱法師、お気をたしかに」
と、高時の前に、大手をひろげて立ちふさがった。
さすが物狂いの人も、はや息を切らした
高氏は、ばッと相手の肩先を
――天王寺の弱法師
よろぼふし
夜々 の通ひは何方 ぞ
知るまじとて
木々は知る 露は知る
如法 暗夜にも一眼 あり
鞍馬おろしも誘ふ
魔界外道 の谷はここ……
ふと、うつつに返ってか、高時もすぐ日ごろ好む田楽歌のよろぼふし
知るまじとて
木々は知る 露は知る
鞍馬おろしも誘ふ
魔界
「オオ、お気がつかれた」
家臣たちは、狂喜した。
「やあ、田楽の者ども。またもごきげんを損わぬうち、みなこれへ寄ッて来い。皆で舞え舞え、歌え歌え」
すると、生ける心地もなく隠れていた田楽役者たちも、そこかしこから「……おおうい」と、一せいに
妖霊星 えうれいぼし
天王寺の
えうれいぼし
これは、ひとり高氏だけの耳に、こう聞えていたのである。弱法師と歌っている合唱が、天王寺の
えうれいぼし
しかもこの晩には、よくよく
風はないが、火の粉のキラめきや黒けむりが、ここの大屋根の上をも、さかんに越えてゆく。
五町四方の出火のばあいは、武者所の常備兵が、ただちに動いて、執権御所の寝殿、四門、辻などを固めるのが
……えうれいぼし
えうれいぼし
天王寺の妖霊星
怪異な舞と歌ごえが、なお一だんとえうれいぼし
天王寺の妖霊星
すると今し、その妖霊星の一ツにも似て、メラと赤い焔の翼をもった大きな火の粉の一ツが、尾を曳いて、鶴ヶ岡社頭の森へ消えこんでゆくのが眼を射た。
ふと、それに眸を吸われたものか。
高時は、舞っていた手の薙刀を、ふいに、小わきへ持ち直すと、その光芒を追っかけて、
「あッ。そこにも」
と、憑かれたように大廊下を駈けだしてゆき、とたんに、勢いよく、
その高時と共に駈けて、彼を抱きささえた家臣の二人も、かえって、彼の怪力に振りとばされた。高時は、肩を揺すって、
木々は知る
露は知る
如法 暗夜にも一眼 あり
と、薙刀舞もあざやかに、しかし、何十ぺんでも、同じ歌をくりかえすのだった。露は知る
……鞍馬おろしも誘ふ
魔界外道の谷はここ
魔界外道の谷はここ
だが、狂乱の人には、飽くことがない。ついには、肉体的な限界において、彼は急にバタッ――と仆れてしまった。何か少し吐いたようだ。蒼白な手はまだ、虚空にものを掻き探している。
「や、や。御失神か」
「それっ、典医を呼べっ」
主君の体をとりかこむ者、
「待てっ、高氏」
ちらと、見つけて、追っかけたのは道誉だった。
後ろから、むずと、相手の
「執権の君の御重態を眼に見つつ、どこへ失せる。おぬしゃ高氏にちがいあるまい」
「いや、ちがう」
「では、誰だ」
「……今宵の天狗の一人」
「なんの、その声はあざむけぬ。
「むむ、そうかおぬしも、伊吹の
あっと、道誉は身をくねらせたが、遅かった。高氏の手のひらが、いきなりピシッと、彼の横顔を打ったのである。のみならず、彼がよろめきを立ち直さぬ間に、その五体は、
「……登子、登子」
天狗は後も見なかった。ただ気がかりな彼女を求めて、あなたこなたと、駈けさまよった。
「やあ、執権御所には、ご異状はない。お引返し下さい。近くの火災も、あの通り下火でおざれば」
警備の将は、声をからした。が、後から後から、参入の御家人はひきもきらない。
当時の武士習性では、
火災即乱、乱即火災
「すわ」といった心理がすぐ手伝う。
まして、執権御所の近火とあっては、
その上にもである。この混雑に加えて、底波のような噂が揺れつたわった。
ついさっき、華雲殿から典医寮の方へ、色を失ッて駈け出して行った数名の口から洩れたことかもしれぬ。誰いうとなく、
「太守の御重態らしい」
「執権どのが、御危篤とは、ほんとか」
などと、不安めいた
「さては、何かあったのか」
火を見て、兄の迎えに来ていた
「兄は、どこに」
もう両御門の広前も探し尽していたのである。この上は、まだ華雲殿の内かもしれぬと、諸侯ノ間、侍者ノ間、
灯影はない。半身は
「もしや……。そこにおいであるは、姉君ではございませぬか」
「オオ、御舎弟さまですか」
「直義です。近火はともあれ、余りな御帰館の遅さに、お迎えに来てみれば、果たして、なにか華雲殿の御宴に異事があった様子。兄上はいかがなされたでしょうか。兄はまだ御前からお退がりではないのですか」
「いいえ」
登子は、おちついた声だった。
「……殿はここにおられまする。直義さま、おすすみ遊ばしませ。さいぜんから、ようお
「えっ? かかる場所で」
直義は坐っていた所から、膝歩きにツツツツと、簾の内へ進み入るなり、
「ど、どうしたのです、寝ているとは。……やあ、大の字なりの、この
唖然として、ただ見入るばかりだった。のびのびと横たわっている大きな四
「これやひどい酒の匂いだ。こんな兄は見たこともない。よう姉君は御辛抱しておいででしたな」
「でも、この登子をお案じ給うて、私の身を、ここに探し当てると、もう堪らぬ、
「して、執権殿の御前の首尾は」
「それはもう……」
と、笑いこぼして。
「どちらもどちら。天狗と天狗の
直義は、あきれた。
大宴の始終、高時の物狂い、天狗騒ぎなど、それを話す登子からして、しごく平然なので、美しいこの
「ではその間、あなたは、どうしておいでだったのです」
「わが
「恐ろしくもなく?」
「それはもう、
そうは言いながらも、登子の姿のどこにも、そんな萎縮は見えもしない。まだ小むすめともいえばいえるこの嫂は、ひょっとしたら白痴か、なにか足らないのではあるまいか。さもなくば……と、直義は思った。
「ともあれ、姉ぎみ。……いつまで、ここにいるわけにはなりませぬ。直義も手を貸しましょう。兄上を起してください」
すると、寝ていたはずの高氏が、むっくり起きて、体の上の
「弟。案じて来てくれたのか」
「ヤ、お眼ざめだったので」
「よいここちで、そこの話を、遠くのように聞いていた。宵は地獄、深夜は極楽。いや、今日一日はおもしろかったな」
「大杯また大杯と、御辞退もせず、おかさねになられた由。なかなか、まだ酔いはお醒めになりますまい。……さ、直義の肩におつかまりください」
「つかまって、どうするのか」
「はや夜半。ともあれ、御帰邸なされては」
「ま、待て。……高氏、大酔はしたが、
「何ンたる沙汰。お物狂いの果て、執権どのにも、御重態とか」
「あわてるな。はははは、
「まさか、兄上には」
「だいじょうぶ。酒乱はしても、狂乱はしていない。だが騒動まぎれに、高氏逃げたり、といわれては心外だし、言い開きも立たぬゆえ、寝ながらの
「いや、ご一しょに退がりましょう。辻々はまだ、あの火事騒ぎ。直義にも、おきれいな嫂の保証はできません。かたがた、兄上にしても、ただここにおいでのみでは、無意味ではございませぬか」
「それも、そうか。では二人とも、小町御門の袖の外にて、わしの行くのを待っておれ」
高氏は、先にどこへか出て行った。また、その足どりは
一室に入って、高時の
「……さらば、よろしく」
と、言いのこして、退出を告げ、やがて、二人を待たせておいた小町御門の外へ退がった。
「直義、乗物は?」
約をたがえず、二人はいたが、見れば、登子の
「いや、兄上たちは昼、正門の若宮御門からお入りだったはずでしょうが」
「ア、そうそう。供の者も乗物も、若宮御門の方へおいてあったのだな。――そこはまだ、火事の混雑ならんと、つい、小町御門でと口に出てしもうたが」
「ここへ、姉ぎみ一人おいても行けずと、むなしく
走りかけると。
「直義、それには及ばん。おぬしの駒は、それであろうが。――その馬貸せ、登子を乗せて、わしは、ぼつぼつ先へ行こうよ」
「姉ぎみと、
「夜半すぎだ、おかしくもあるまい」
「お
「この兄は、わがままものだな」
「なんの。いざ、どうぞ」
さきに登子を乗せ、高氏もすぐ
なおまだ、火事場の
「のう登子。今日ぞ、そなたも、あきれたであろ?」
「ええ、人々の婆娑羅には、あきれましたが」
「自分の良人には」
「驚きもいたしませぬ」
「はははは、強がらいでもいい」
「いいえ、真実」
「よくよく物驚きを知らぬ
「
「……むむ」
二人は、結婚四日目の雨夜の
しばらく、黙りあって。
「いや思えば以前、聞いていないこともなかった。赤橋どのの
「そのような蔭口、殿もお耳になされましたか」
「その男が、わしだった。――降るほどな縁談、みな
「いといませぬ。さまざま人は申しまする。この私を、古い平家の
「そりゃ、
「ま、殿までが」
それきり二人の声もしない。折々、石にひびく
すると、後から、追っかけ足が、
直義はふり向いて、
「やあ、先駈け御免。……お
――執権御不例
と一般にまで、高時の病が
なぜか、それまでは、
「困ったもの」
と、眉をひそめ合って、当夜の聞取りやら、善処に当った重臣の意が、さしずめ、そこに帰したのだろう。
世上への外聞もまずい。
内には、綱紀の
従来とて、高時の風狂的発作は一再でないが、おちついた後は、月余で常態に復している。こんどは前例にないお物狂いであったが、やがては御本復を仰ぐに相違あるまい。「……天下多事のさい、かかる御風狂沙汰は、都への風聞もいかがなものか。まずまず秘しおくに
ところが、その後。
鎌倉
……えうれい星
えうれい星
怪雲殿 の
えうれい星
と、歌うのだった。しかも声のありッたけ、歌い狂い、舞い狂い、往来の女衆には悪さをするし、街の迷惑などもかまッたものではない。大人たちが、防衛のため、大喝したり、水でもぶッかけると、むしろ彼らはえうれい星
えうれい星
天知る
地知る
天狗知る
魔界外道 は
火のくるしみ
水くれ 水くれ
水をくれーいッ
と、絶叫をくりかえし、その果て、わアッと地知る
天狗知る
魔界
火のくるしみ
水くれ 水くれ
水をくれーいッ
いったい、こんな童戯が
いや、現象を見てからの、そんな、せんさくなどは愚にちかい。上が下へ
が、往々には、誤まった、いわゆる巷説もよく
「こは、捨ておけず」
となって、俄に、御不例と公表したのは、手おくれにせよ、一般の疑惑をとくに、多少の効はなくもなかった。
しかし、こんどに限っては、以後なかなか御全快披露目の触れもない。年の末、十一月下旬、高時の子、
ところで、高氏の方だが。
柳営の諸事情が、彼には幸いしていたものか、華雲殿の件は不問のまま、その年を越え、彼のぶらり駒は、依然何の
七里ヶ浜の“大馬揃い”は、恒例、正月二十日だった。
これは壮観をきわめる。
武権鎌倉の府の強兵幾万、なお健在なるかを、この日には、思わせる。
“うつつなき人”高時の下でも、俗に七
御家人にしても、またそうだ。
高時好みの細太刀を
むしろ、数は逆である。
日ごろ、彼らの浮華に反目して、古風を頑守し、本来の気風と弓取の面目を失うまじとしている武士もまた多かったのだ。さもなくば、北条九代の末が、一日の戒令にせよ、ともかくも支配の地位を、今日に保っていられるわけもなかった。
「その
と、平常、肩身せばめている
各家の紋を打った幕舎やら、それぞれの旗じるし、駒つなぎ。
それが、
この日、足利家の兄弟も、もちろん家の子郎党を
「十郎、兄上はどうした」
「はっ。殿にはまだ、御指揮の大将方と共に、お
「そんなわけはない。貝始めの式はすみ、はや大将方も、
「それでは、彼方へお渡りかもしれませぬな」
「駒は、お曳きか」
「
「弓は」
「お弓は、人見新助へお持たせあって」
「やはりそうか。……やれまた、心もとないぞ。十郎、殿の様子を
さっきから、眉くもらせて、何かそぞろな直義だった。
彼のそんな気がかりは、なぜかといえば、ゆうべ佐々木道誉から兄高氏へ、意外な
――扨々 、御不音ひさし。その後は、侘びられつつも、華雲殿このかた、拝面の機もめぐまれず、遺憾しごく。
ついては明日、曠 れの場を用ゐ、馬上帯弓 の装 ひにて、久々の御あいさつ申さむとこそ存ずれ。お覚悟いかに。
闇の角力 は味気なきもの。弓取りは弓取りらしく、白日下 にての見参せむ。
御侍者
ゆうべ、道誉からの文使いをうけた折、高氏はその手紙を、直義にも見せ「これ見ろ、なんと女みたいな筆蹟ではないか。あの婆娑羅が」と、ただ笑った。ついては明日、
闇の
伊吹てんぐ
足利てんぐ殿兄には、なんの感情の揺れもないが、直義は読んで腹が立った。
なるほど筆蹟は見事だが、その文意たるや、驕慢な
馬上帯弓の上で御あいさつ申さむ――とある大言ぶりも、自信満々だ。多芸な道誉が、
その道誉として。
いつか、華雲殿の闇で、兄に叩きつけられた不覚は、到底、忘れえない恨事であろう。以後、あの件については、道誉も一切、その鬱憤や風当りらしきものを、向けても来ず、他へも洩らした形跡はないが、いまは読めた。
必定、万人環視の
今日となっては。
七里ヶ浜大馬揃いの盛観の中にあって、直義もゆうべのことなど、行事の指揮に、思い出すひまもなかった。
が今、床几で一ト息ついた間に、ちらと、不安にかすめられたので、佐野十郎を馬場の方へ見せにやったわけだが、
「はて、いかにせし?」
その十郎も、なかなか戻って来ないのである。
陣の行事も
ことしは、高時が病中で上覧
「なにせい、
何となく、彼の先入主は拭いきれない。
かつての鳥合ヶ原では闘犬と取っ組み、華雲殿では不敵な酒狂沙汰を振舞ったらしい。またぞろ、その兄が道誉の挑みに乗って、取返しのつかぬ醜態でも演じなければよいが。
もしまた、道誉との騎射競べに勝ち得るとしても、先の宿怨を深めるだけで、将来のためには、よろこべたことではあるまい。
「ああ、将来……」
兄弟には、ひそかに期するものがあるはずではないか。その兄が、と直義には憂えられもし、疑われ出しても来る。
――すると、まもなく、彼は彼方に意外な二人連れを見出し、我ともなく床几を立った。
兄高氏と佐々木道誉が、駒を並べて、何か談笑しつつ
わけがわからぬままにも、直義はすぐ、兄と道誉の二騎の前へ、駈け寄っていた。
「兄上、郎党たちは」
「あとよりまいろう」
「佐野十郎には」
「会わぬ。何か、火急か」
「いやべつに」
兄との会話は、そこで、ぷつりと切って、不承不承に、連れの道誉の馬上へも、形式的に
「佐々木殿か。まずは、馬揃いも事なく相すみ、同慶にぞんじまする」
「オ。御舎弟だったの」
道誉は、高氏の横顔へ、チラと訊ねてからまた直義の面をじっと見入っている。
「直義どの」
「なんだ」
つい、反感が
だが道誉の方には、こたえもしない。頬の
「む。なかなかよい弟御だ。兄思いだわ。ひそかにお案じだったとみゆるよ。ハハハハ、いや、昨夜のそれがしよりの
「……?」
直義は、
そのまに、傍らの高氏は自分の駒を降りていた。「……直義、ちょっと、こなたへ」と眼でさしまねいて
「怒るな。色になど出して」
「はっ」
「事はなかった。なかったのだ何事も。それならよかろう」
「よくはありません。ゆうべ道誉が文使いで、物々しゅう、今日の
「いや、わしは立合うつもりだった。彼は騎射の上手。高氏はここ両三年、とんと武技の修練には遠ざかっておるから、結果は、負けるだろうが……。負けたら、道誉の腹も
「恥をも、お覚悟で」
「そうだ」
「直義には推し
「まア聞け。ともかく
「そして?」
「道誉が何といったと思う」
「わかりませぬなあ」
「わしを見ると、
「何、あれが、洒落文ですと」
「見事まず、こちらの
「狐め。ばさら狐だ」
「いや、そのあと、いんぎんに
「ははあ、それで駒を並べて」
「まずは、そんな仔細」
「ちッ、馬鹿気ている!」
直義は、もう耳もかさない。
弟の、弟らしい
「まあ、さようにくさすな直義。ばさらにはばさらの取柄もある。道誉とて、当代少ない一人物だ。あの才能やら変通自在な妙所は、この高氏にはないものだけに魅力がある」
「そうでしょう、
「毒は捨て、美肉だけを、味わえばいい」
「
「高氏は賢人とちがう」
「では……」と、直義は、あらわに感情を
「どうしても、道誉の誘いにまかせて、今日のお帰り途を、
「行くと、約して、ここまで同道して来たこと――。おぬしは、郎党をまとめて、浜奉行の引揚ゲ貝と共に、ここの
「そんな御指揮代りは、いとやすい勤めですが、しかし……直義には、御量見が知れませぬ」
「なぜ」
「思うてもごらんなされ。かつて兄上が、忍び上洛のお帰りに、ふと
「そうだったなあ」
「と、仰っしゃりつつ、またもや彼奴の
「案じるな。乗っても、こちらは露の玉、芋の葉の上で、コロコロ遊んでいるぶんには、つかみどころもあるまいが」
「兄上っ」
「ほ。目にかど立てたな」
「兄上までが、ばさらな言い方、
「そこは、わからぬ」
「直義も同道いたしましょう。何やら、安心なりませぬ」
「よせ。そのような
「お供もなりませぬか」
「おぬしには、後を頼む。――オオ、――道誉も外で
高氏は床几を
幕舎の隅へ眼をやって、そこのよろい
「行って来る」
すぐ、
「やあ、お待たせした」
と、声をかけた。その高氏には全然なんのこだわりも見えない。共に、
直義は、ぜひなげだったが、道誉へも聞えよがしに、わざと、その背へ向って、
「兄上っ――」
と、もいちど呼んだ。
「お後からすぐ、人見新助、御厨ノ伝次、佐野十郎など、いつものお
道誉の“
ここへ、おととい頃から、旅装を解いた客があった。海道沿いの便利な地だし、社交家の道誉とて、
客は、新田義貞だった。
都で二年余の禁門大番をつとめおえ、まずは執権高時の御病気伺いなどもすまし、それから郷里
一つには、折ふし、大馬揃いの前日とも聞えていた。で、そんなさいに
「当日には、ほど近い七里ヶ浜より、高氏どのを
などと、いい残して出て行ったことにも、義貞は幾ぶん心をひかれていた。しかし、果たして高氏が、来るか否か。
「……おそらく来まい」
自分にひきくらべて、義貞はそう思った。
高氏とは、
あの直後。――自分は大番に
ところが、七里ヶ浜のその日、
道誉は自身、高氏を伴って、何の触れもなく、義貞のいた奥の書院へ案内して来たものである。
「やっ。新田か」
高氏には、義貞の姿が、不意だったらしい。ふと、立ち入りかねた足もとだった。
「オオ、足利よな」
義貞があわてたのは、ちと意味がちがう。
彼の膝には、ゆうべからの
義貞は、こんな行状を、ひとには見られたくない
「これや、御亭主には、おひとが悪いぞ。触れもなく、不意に余人をお通しあるとは」
「はははは。だが新田どの、それくらいは、ゆるされい。――
彼は、ひとりで自己の作為を愉しんでいう。そして、いたたまれずに退がろうとする義貞の女へまで。
「これこれ、隠れることはない。すぐ酒宴にしよう。彼方へ席をかえよと、みなへ申せ」
あらためた宴の席では、いながら夕富士が望まれた。
何かと、亭主役の心入れを見せながら、道誉は、
「それがしは近江だが、御両所には領地隣りだ。事あらば、
高氏とて義貞とて、それに異存のあろうはずはない。
「いや、仰せまでもなく」
互いに、杯をあげて、ほほ笑みを見せあった。
いわれてみれば、往年の確執も、問注所の対決で、解決した形ではあったが、相互の胸のうちまで、きれいに、うち
その後も、
――だからそのことを、道誉が真に憂えてくれての扱いなら、この一会は、高氏義貞にとっては、願うてもない
だが、道誉の真意がどこにあるかは、高氏には全くつかまれていなかった。身は、芋の葉の露と
同様に。
義貞の容子にも、どこやら道誉の言を、そのままには受けとってない
――むしろ、高氏と同座している限りは、世良田源氏、新田小太郎義貞たるものを、あくまでくずさず、固執しているらしい風さえある。
で。めずらしく、
自然、話はかたく、女たちも、座に消えがちで、君子の
「ときに、執権どのの御不例もだいぶお久しいようですが」
義貞が、静かな口調で、訊ねたのである。
「都においても、さまざま臆測が行われていますが、ほんとのところ、近ごろの御容体は
その問いに、道誉は急に、声をひそめた。
「じつ申せば、日は
ちらっと高氏の横顔を見て。
「そこで当然、次代の執権職は、誰かとなるが、御一族中では、赤橋守時殿などが、最も望みを
当の高氏よりも、この話は、義貞の気色を、妙に
まだ赤富士が、夕空に見えた。
夕から夜へかけて、高氏は、供の郎党たちと共に、鎌倉府内へさして帰る途々、馬上の黙想は、いつか、道誉一人のことに、とらわれていた。
道誉、佐々木道誉。
自分にとって、こんな妙な、ニガ手な存在はないと思う。
「彼こそ、当代、婆娑羅者といわるる者の代表だ」
と、分ったような心得でいるが、事しばしば、彼との交渉になると、さて、分らないだらけになって来るのである。
二人の間には、いつも一匹の
「頭に、おくな。おかねばよいのだ」
こんな
では、宿命的な仇敵か。
否々、時により、案外な好意をしめし、あのあいそ
「わしの小心を見抜かれたか」
高氏は元来、自己を大胆者とは、信じきれていない。むしろ小心だと思っている。
自分が道誉を無視しえないのも、そもそも、その小心が抱いた過大な大望のせいだと気づいた。――道誉のごとき地位と才物は、将来、敵に廻しては厄介にちがいない。あわよくば、行く末、味方にもしようとする
立場をかえて。
なぜ道誉が、つねに自分を目のかたきにしているのか、からみたがって来るのかを考える。
或いは、彼も自分同様、ひそかに天下を窺っているものかもしれない。――もし将来の天下におなじ野心を抱く者なら、類は類に
「そうだ、好敵手」
やや道誉が分りかけてきた気がしていた。
単なる婆娑羅大名としてでなく、一朝の変には、天下へ手をかける下心もある野心家として彼を見直すと、伊吹以来の事々も、今日の新田義貞を加えての一会なども、すべて彼の深慮遠謀の反映と解されぬでもない、と思った。
「おもしろい。中原の鹿は、誰が
暗い夜道の馬上、高氏は、部下のたれも知らない闘志と夢に、その
おそらく、直義の話は家中に伝えられていたろう。登子も、母の清子も、みな案じ顔でいたらしく、彼の姿を見て、大蔵の灯は、一ぺんに憂いを解いて華やいだ。
その後、いくばくもなく。
北条高時は病のため、執権職を
の彼。その高時は、いよいよ公にも
おなじ三月十六日。
次代執権は、金沢貞顕ときめられたが、何か内紛の結果だろうか、四月に入ると再度、
赤橋守時を執権に、北条
偶然ではあるが。
鎌倉改組と、わずか二日ちがいで、朝廷でも、改元ノ儀が行われ、この年を、
とするの令が、天下に
が、すべては単なる時事にすぎず、事そのものに、格別な意味はない。けれど、高氏には、一驚を覚えられた。
妻の兄守時が、執権の栄座に昇ったなどという感慨ではない。――百日も前に、これを積良の別亭で言っていた道誉の予見の誤まらぬことだった。
「ふしぎな存在」
このばあいにも、彼は、それを感じる。
世には、機密のウラを
いかに道誉が、日ごろ、高時のふところ深くに住み、柳営を中心とする
「いや、彼をそこまでの人物と観るのは、ちと兄上のお
直義は、それを笑った。
「万一、赤橋殿へ執権職が廻ったら、足利家とも不和ではまずいと、彼一流の目先キ買いに過ぎますまい。それが
こう見る直義は、依然、彼への毛嫌いを捨てなかった。
ところで、妻の兄が、執権になったからとて、高氏の柳営における地位職位が、俄に昇ったわけでもない。また、そんな守時でもなかった。けれど世風の
道誉もまた、いつかその中の一人とはなっている。来れば人の及びもつかぬ
「華やかで、いつも御陽気に、おかしげなお客」
と、していた。
すると、その年の秋。
物々しい
「……お暇乞いにまいりました。北ノ方様へ。そしてもし、おいででしたら、殿にもお会わせ下さいまし。覚一と、覚一の母でござりまする」
と、取次ぎを乞う声までが、つつましかった。
「まあ、それは、お名残り惜しい。あすのお立ちとは」
と、良人の帰るまでを、わが居間に遊ばせておき、
いうまでもなく、覚一の願いがやっと叶えられて、
とはいえ、このことは、誰にも
が、そんな軽々しいまねは、いくら覚一にせがまれても、草心尼にはやはり出来ない芸だった。――で、
「もってのほか」
と、はたせるかなの、ただひと
しかし、さきには自身が、六波羅大番のさい、幼少の覚一を携えて行ったほどな憲房である。
「よせとはいわぬ。一年ほど待て。そして琵琶はまず
と、いう意見。
「はい」
以来、伯父の指示にしたがって、覚一は、学業の師に就いた。
師匠は五十二、三のお坊さんであった。二階堂の永福寺に近い“
子供ずきらしく、とくにまた、
「ほ、来たな。今日は一人で来たか。いつも
だから覚一も、しごく気やすく馴じんでいたところ、或る折、
師の名は
諸国、居る所に禅風を興して、また
いや、驚きは、それだけではない。
ここへは、人知れず、大蔵の足利高氏も、夜陰、或いは早暁に、師の禅語に接すべく、折々ただ一人で、通って来ていたことだった。
覚一は、或るときそれを、次の間にいて、体で知った。
自分にたいする師とは、別人のような恐い疎石禅師のまえに伏して、必死に、教えをうけんとしている高氏の声を……その姿までを。
だが、そんな高氏は、世間、誰も知ってはいない……。
「草心尼どの。お待たせしました。殿がお帰り遊ばしたようでございまする」
今、その高氏が帰邸したらしい。登子は、いそいそ出迎えに立って行った。
かろやかな
「
「もうもう、子のせがみには負けまする。子ゆえに生きている身ではございますが」
「したが、末はお楽しみよ。……のう覚一、学業もだいぶ進んだそうではないか」
「いえ」
覚一は、不意をうけて、俄な、はにかみ顔をした。
高氏の声に、彼はさっきから、一年も通った南芳庵の冷ややかな
なぜか、師もいわず、高氏も禅師のことは、ついぞ何も語らない。……で、覚一の小さい分別も、それには触れないで、ただ、
「琵琶は琵琶としても、やはり学問もしなければ、ほんとの修行でないことが、薄々、分ってまいりました。都へ出たら、なお懸命にやりまする」
「オオ、やれよ、母御に精進を見せて上げよ。さし当っては、都のどこに住まわれるか」
草心尼が、それには答えた。
「上杉どのから、六波羅の
「ならば、おちつき先は安心だが。……して、道中は」
「上杉家の旅馴れた武士二人、都まで、供して下さることになっております」
「供は、二人か。お若い
「いけませんとも、そんなお身軽では……」と、登子も、それには自分の意見を
「長の
「ホ、ホ、ホ……。それは北ノ方様なればこそ。尼などは、身を貧しゅう持っておりますゆえ、旅路にも、なに恐ろしいものはございませぬ」
「いえ、それだけでなく、あなたは余りにお美しいから。……のう殿、たれかしかるべき豪の者を、わが家からも、さし添えておやりなされませ」
「そうだな。御厨ノ伝次か人見新助か。む、伝次がよからん。……そして立つ日は」
「尼前は、明朝と仰っしゃいます」
「今日が名残りか。では母上(清子)も入れて、
その清子は、病夫貞氏と共に、まったく表方には姿をみせず、隠居所の別殿にこもって、近ごろは“
「――お地蔵さまという
伯母の清子が、覚一に与えた
草心尼と覚一の旅は、今日で十日をこえている。
京、鎌倉の間は、ふつう十三、四日とされているのに、ふたりはまだ、やっと東海道も半ばにあった。
「ともかくも、事なく、京へ着きさえすれば……」
覚一の杖の端を持って、おなじ
「オ、寺がある。……お二た方には、ここでお待ち下されまいか。寺へ参って、宿を頼んでまいりますれば」
高氏の命で、ふたりに付いて来た足利家の侍、
ほかに、道中の供人は、もう二人いる。
上杉家の家来、
初めのほどは、この二人も、まめやかな良い従者であったが、主家を離れて遠い旅の空となるにつれ、また、
「や、お待たせしました」
伝次は、すぐ戻って来て、
「寺中には、
と、母子を導いて、妙厳寺の一房へ入った。
旅の夜々にも、やや馴れて来た。時には、借る宿もなく、木蔭に
その夜の、夜半ごろである。
御厨ノ伝次は、ふと、木枕から首をもたげて、
「ははあ、また出かけたな。さもしい奴ら」
藤五と八郎太の、もぬけの殻の寝床に気づいて、にがり切った。
これまでの
伝次とて、武家奉公の身だ、主家での窮屈さは知っている。それから解放された旅空では、日ごろの
「下郎根性。この数日は、お供するにも誠意は見えず、ぜひなく
起き出して、彼らが酔って帰るのを、待ちうけていた。
――やがてのこと。それらしき人影が、山門からもどって来た。だが二人は、そのまま
近くの物蔭で、御厨ノ伝次が聞くとも知らず、二人は言い争いをやっていた。その争いも、ひそひそ声から次第に、
「なに。道義にそむくと。そんな形もないものにとらわれて一生の運を逃がす馬鹿があるか。主家が何だ」
言いつのッているのは藤五で、一方の声は八郎太だった。
「八郎太。どうしても、おれの相談には乗れねえのか」
まき舌である。
八郎太は
その生酔いの今切藤五が、
「ええおい。そう迷っているうちには、やがて都へ着いてしまうぞ。目をつぶって、ここで一生の運をつかむか。それとも、盲法師と
「だって、きさま、あれは主筋のお方だぞ。よくそんな恐ろしい量見になれるなあ」
「主家にいればこその主筋よ。捨てる気になれば、あかの他人だ。それやあ、むかしは主従苦楽を共にし、君臣一如の義もあったそうだが、当節の主人は、わが身の
「きさま、何か、主家に恨みでもいだいたのか」
「いや、鎌倉御家人、一般をいっているのだ。阿呆な主人が、ふた言めには、武士の道だの、忠節だのと、自分は持ちもせぬものを、家来には押しつける」
「待て。おれたちのお
「分らぬ奴だな。上杉家や足利家がと、いつ言った。……しかしだ。武家全般の
「それにしろ、恩をあだで返すようなまねは、どうかなあ」
「ちッ、恩のへちまのといっていたら、生涯、
「藤五。きさまの野心は、あの
「正直そうだ。しかし、尼前の肌にはなお、上杉、足利御両家から
「……でも、供は二人だけではないぞ。もひとりの邪魔をどうする。御厨ノ伝次を」
「それや、かたづけるまでのこと、造作もない」
「足利家のうちでも、豪の者だと聞いているが」
「なあに、二人に一人。
ついつい一方は、いつか説きつけられた恰好である。
――物蔭にしゃがんでいた御厨ノ伝次は、這うように、そこの
やがて、二人もあとから、入って来た。
日のみじかい秋。
朝は暗いうちから、
何かと、身支度一つにも、手間どりがちな草心尼母子でさえも、豊川ノ
「お母あさま。ここから先、二里ほどは、
「よう知っていやるの。見えるように」
「でも、覚一は以前、二度も通っておりますもの」
「ほんに、そなた程も母は知らぬの。鎌倉から西は初めての旅」
「ここは、よう旅人が迷うので、遠い以前、北条
「どうして」
「だって、昔の御執権は、旅人の上にまで、そんな思い
「いうとおりじゃ。柳並木も名残りのみで、
「それがそのまま、いまの世の景色です、
「どんなことでした?」
「貧しい者の
「飢饉つづきのせいもあろ」
「ええ今年も
「まこと、鎌倉の御繁昌と比べては、思いも及ばぬことばかりよの」
「いいえ、上のお暮し方を、自然、世の人が真似しているのでございますよ。……でも、お母あさん、その鎌倉の内を、まずはようやくのがれ出して、いくらかホッとなすったでしょう。遅かれ早かれ鎌倉の府は、今にきっと、兵馬の
そのとき、一ツ杖の
かなり離れていたはずの、供の今切藤五、羽鳥八郎太の二人の足音が、すぐ
その後ろからはまた、御厨ノ伝次が、黙々として
すると、この奇異な一行五人づれの遅い足どりを、さっきから、待つかのように、
道ばたの
近郷の武家の女か。
それにしては、どこやら
「…………」
まだ朽木の幹に腰かけたままでいたが、いま通って行った草心尼母子と供の三人を、見ぬフリしつつ、笠の蔭から見送っていた。
それからほど
「よそうかしら」
何かに迷う風でもあり。「……いやいや、そうでない」と、思い直す風でもあった。
先の草心尼たちの影とは、もうかなりな距離。彼女も同じ方へ歩いて行く。努めて、足を遅くしても、茫々二里の本野原では、他に道くさを取らせて、わざと手間どるすべもない。
やがて、いやでも追いついた。そして彼女の姿が、つつましやかに草心尼のそばをスリ抜けて、幾足か先へ歩いたと思うと、その袂から、何やら落ちた。
草心尼の眼は、それを見たが、彼女は気づかぬ風で歩いてなおゆく。それは、よほど
「……もし、先のお方」
草心尼が、呼びとめて、落し物を教えると、彼女は、さも意外らしかった。――が、地上に
「おや、和子は、お目が御不自由なのでございますね。まあ、その御不自由なお子を連れて、どちらまでおいでですか」
などと、歩調を合せながら、なにかと話しかけて来た。
女は女同士の気やすさの上、つい誘われる
「私にも、
と、問わず語りまでしてくるのだった。
それのみならず、旅の先を問われたので、草心尼が、
「この子の、琵琶の修行のために、都へ出ます」
という答えに、
「それはまあ、たいへんですこと。でも、御修行なら、やはり都でなければいけませんね。都でなら、
と、その道の
そうなると、母の尼よりは、覚一の方が熱心に、話題を出したり、興じ入って、よい道づれを得たように、すっかり仲よく
供の武士三人は、各

本野原もすぎて、道は、
「それほどな坂でもなし、歩きましょう。歩きましょう」
と、母と彼女のあいだに
その人々の背へ、藤五は、さっきから、眼を光らして。
「八郎太。何だろうな。あの市女笠の女は」
「さあ、わからぬが、
「ばかをいえ」
藤五はすぐ後ろを振向く。――要心の的の御厨ノ伝次は、二十歩ほど後ろから、気のせいか、恐い眼つきで、ゆっくりと歩いて来る。
「なあ、八郎太。いやに、馴々しい女だぞ。おぬし、訊いてみないか。どういう素姓で、どこへ行く者か」
「よし」
八郎太は、たちまちそばへ寄って行った。そしてしばらく、女に話しかけていたが、すぐ戻って来て、藤五の耳へ

「わかった。
「すると女は、矢矧まで、道連れになるつもりか」
「いや、途中、
やがて
「さ。内よりは、外がよろしゅうございましょう。上も紅葉、下も草紅葉。
と、
こっちから、見ると。
「……もし」
急に、女は声をひそめた。
「え?」
草心尼は、女のひとみの鋭さに、はっと、手の
「……もしや、おふたり様は、鎌倉の足利殿に、お
「そうです。……どうしてそれが、お分りになりました?」
「彼方にいるお供の武士は、たしかに足利殿のお内で見た覚えのある顔でございます。ほかの二人もまたどこやらで」
「では、大蔵のおやしきを、御存知なのでございますね」
「ただ一度、お伺いしただけですが」
「まあ、思いがけぬ御縁ですこと。さいぜん、
「それよりも、私は」
彼女の眼くばりは、時折、彼方の軒へ、忙しげにうごいて。
「たいへんな事を、お耳に入れねばなりません。おふたり様の上に、恐ろしい運命がかかッているのです。……それを、私はゆうべ、わが子の病気平癒の祈願のため、あの妙厳寺の
聞くうちに。
草心尼は唇を白くした。覚一の姿も、石みたいなものに変った。
「まさか」
と、信じられない気もしつつ、母子のふるえは、どうしようもない。
女は、三人の従者の方を、たえず注視しながら、低い一語一語に、他人思いな情をこめて、
「御要心なされませ。何とか、ここの御危難を
と、告げてやまない。
それを、くるめていえば。――彼女は、自分が夜籠りしていた荼吉尼天堂の縁で語らい合っていた従者どもの恐ろしい
「覚一」
「お母あさま」
「……どうしようぞ」
ふたりは、こう呼び合ったきりだった。死所は一つにと、もう誓うように、覚一は母の手をさがす……。
女は、眼をそらした。自分も母でもあり、
「ご心配なさいますな」
彼女はまた、早くちに。
「気懸りは、今夜だけのこと。……朝ともなれば、私にもよい思案がありまする。……今日は、ぜひなくお別れいたしますが」
「待って下さい。いま御思案と仰っしゃったのは?」
「ここから山越え六里の南、
「えっ。では
「足利家に御縁の深そうなお二た方が、途中、
「上杉殿の身寄りの端、一子覚一と、草心尼とお告げして給われば。……そして、あなた様は」
「あ。私ですか」
彼女は、ためらった。が、遂に思い切った容子で。
「
「……え、藤夜叉」
「はい」
「とうからお名は聞いていたような。たしか、鎌倉表で」
「ええ。今は一色村に来ております。けれど、ゆめ、世間に知られてはなりません。日蔭の身です。どうぞ。誰へもいうてくださいますな」
もう彼女は、市女笠を持って、立ちかけている。――茶屋の軒ばの、御厨ノ伝次も、羽鳥、今切の二人も、まだ何ら気づいてはいない様子だった。
「……ネ、覚一さま。お気づよう自身を支えていらっしゃいませ。今夜だけを、じっと、
言い残すと、そこからすぐ
まもなく、従者の三名も、
「いざ、ぼつぼつまいりましょうかな。秋の短か日、追われるようでございましょうが」
と、うながして来て、一同、山茶屋の軒を離れたが、歩き出すとすぐ今切藤五は、きょろきょろし出した。
「おや、
「
「妙な女もあったもの……」と、疑いもせず、藤五は笑って、
「われらには一ト
「いや、遊女めかした風はなかった。遊女ではあるまい」
「じゃあ、何だろう」
と、こんどは御厨ノ伝次へ。
「貴公、何だと思う」
「わからん」
伝次は、そッ気ない。
夜来からの藤五、八郎太、二人にたいする侮蔑と憤激で、満身は針となっている。
「八郎太、分ったよ」
「どう分った」
「あれや、建部の
「ひょっとしたら、ほん物の白狐であったかもしれぬぞ」
「よせ」
藤五は、いやな顔をして、
「
それきり二人は黙った。ちょうど、道もジメジメした長い
もし
山中五里。――その夜の泊りも、ひどい
もっとも、
とすれば、草心尼と覚一が、やっと身を休めうるほどな破れ屋でも見つけたのは、まだいい方であったかもしれぬ。
だが、

そのうちに、ガタと板壁の隣で、物音がした。抱きついている覚一の手のさきを、尼は乳のあたりで痛く感じた。
「おいっ、
まぎれない従者の八郎太の声である。つづいて御厨ノ伝次の声がするどく聞えた。
「この
「何でもいい。一しょに来い」
「よし出てやる。今切藤五はどこにいるんだ」
八郎太と伝次の二人は、のッけから語気あらあらと闘っていた。従者三名のうち、もう一名の藤五は、どうしたのか、声はしない。とにかく、一瞬にガタガタと物音を蹴すてて、小屋から外へ出て行ったらしい。
「あっ。何であろ、ただ事ではない?」
起き直った母の袂を、覚一は無意識にかたくつかんだ。
「お動きなさいますな。じっとしていましょう。それしかありません。疎石禅師が仰っしゃいました。
「妄想スル
「きっと、こんな時の、心の持ちようを仰っしゃったのでしょう」
「だって、藤夜叉の告げが、ほんとだったら、こうしてはいられまいがの」
「こんなときは、
「今、従者たちが、
「お心あてとは」
「ここは
「でも、今夜さえ無事にこせば、一色の衆がこれへ来ると言ってましたし、従者どもの仲間割れも、何やら変です。もすこし、様子を見てからでも」
つい尼も、ためらわれて来る。
――すると。
獣ではない。まさしく、人間と人間のもの。
どこかで、吠え合うような声が聞え、だ、だ、だッと、跫音に交ざって、ぎゃッと、異様な一と声が、彼方の闇をつンざいた。
「か、覚一」
「お母アさま!」
思わず両手で、耳を
自分の恐怖だけではない。母の本能も彼女を
「いけない。……何かもう虫が知らせる。さ、お立ち、お立ち。母が付いている。ここを離れて、夜さえ明かせば」
夢中で、子の手を引ッぱった。覚一とて、
ところが……。
従者三人のうちでも、ただひとりは、供する主筋の母子を、密かに、警固していた者はあったのだ。
しかし、その御厨ノ伝次は、ちょっと前、八郎太に連れ出されて、隣の
「なにっ、おれにも腕を貸さないかと、
それに対して、なおまだ、なにか口巧者に、説得しようとする八郎太に、多くもいわせず、いきなり機先を制して、伝次の方から抜き打ちを浴びせた一刀が、ぎゃッと、
八郎太は、ころがった。血に
初めから、相手は豪の者とわかっていた。だから今切藤五も考えた。もし、うんといわぬ場合は、奴の
「藤五ッ。た、たすけろっ」
八郎太の叫びに、物蔭にいた今切藤五も狼狽はしたが、
「うぬっ」
もちろん、その加勢には、必死が
豪の者御厨ノ伝次にも、不覚が生じた。八郎太へ、追い太刀を振りかぶり過ぎたため、身をひるがえすに遅かったのだ。
「八郎太、しっかりしろ」
相手の挫折に力をえて、一人の敵に、二人はやっと、息を合せた。といっても、
「やいっ、藤五」
「伝次。考え直したか」
「くそ。それでも、きさまは人間か」
「おおさ、人間なれやこそ、
「よく
「だからこそ、飽き飽きしたのだ。きさま、つまらぬ忠義立てすると、二つとない命もここでおしまいだぞ」
「気狂いか。魔に
「うるせいッ、談義などは」
「鬼にも耳がある。まあ
「いらざる世話だ。そんなものをかまッていたら、一生の日が暮れちまう。この世を楽しむほかに何がある。人間ならそれが本筋なんだよ。きさまのようなのを
「よしっ。そんなに楽しみが欲しいなら、
「けッ。笑わすな」
太刀は
ついに、その一ツの影が、がふッと、血音を抱いて起たなくなった。返り血は、御厨ノ伝次の横顔を半分消した。思わず、彼が左の
「畜生っ」
ひと声、迫った。
その胸へ、伝次の頭がぶつかった
血泥にまみれた藤五の影は、悪念のかたまり、そのものだった。――勝った、もうしめたもの! よろめき歩きながらもニタついていた。
そして何かに、つまずいた。
それは、自分が悪へおびき入れた弱気な八郎太の死骸だったが、彼の眼にはもう
しかし、それはそれまでのことでしかない。
「やっ? ……ヤ、ヤ」
「しゃッ、逃げやがったな」
ふたたび、その
「……
藤五は何度も言ってみる。
「知れたもの。……逃げようたって、逃がしてたまるものか」
彼とて、その足つきは、そう自由でもない。御厨ノ伝次を相手に、数ヵ所の
気はあせる。精根も尽きかける。しかし、この苦痛は、富をつかむ代価だと彼は励む。だが、眼はぐらぐら揺れ、口は
……がぼ、がぼ、と夢中で水を吸ッていたのである。すると、その水は急に火の色になった。ぎょッとして上を仰ぐと、上の
「何者だっ。そこにおるのは」
と、上で呶鳴る声がした。
「旅の者よ」
藤五が、
「旅の者とだけでは分らん。素姓をいえ」
「おぬしらこそ、どこの者だ」
「おれたちか」
顔見合せている風だったが。
「これは三州一色党の者。ちと尋ねるお人があって夜行の途中」
そう聞くと、藤五は色を失った。――が、その狼狽した自分の挙動も、暗がりの上と下、気どられたはずもないと、いっそう、ぐっと落ちつき払って。
「それや御苦労な。……自分事は、花山院家の
「やあ、お見それした、おゆるしあれ。が、東からこの
「さよう。見たような気もする」
「や。どこで」
「
「ではまだ、ずっと東の方の道よな。さもあろう、
松明の幾ヒラめきは、すぐ山蔭の道へ消えて行った。つづいて後から、
それを見送りすますやいな、藤五はピョンと起ち上がった。だが膝ぶしは
一色党の六、七名は、たちまちのまに、そこの一平地で、一軒の山小屋と、また小屋から少し離れた所の地上に、一個の死体を見いだしていた。
いうまでもなく、羽鳥八郎太の死骸。
「すわ、何かあったぞ」
人々は、途中気がかりにして来た予感を眼に見せられた心地であった。血の香に吹かれた
「小屋は見たか。二つの寝小屋は、人はいないか」
「いない。……怪しいのは、さっき、流れで水を呑んでいた男だが」
「あれを加えると、この死骸の従者と、二人になる。従者は三名と伺っていた。もう一人を探せ。そいつが、草心尼さま母子を、どこぞへ、かどわかした者かもしれぬ」
「そうだ、死骸も
そこへまた、東の道からも、数名が来合せた。すべて一色村の党人だ。
ここで、いささか説明を加えるなら、その一色村は、かつての日、高氏が忍び上洛の
彼は、勘当の汚名を負い、いまは主の高氏と離れて、郷里にもいないが、しかし、彼の父一色
さらにまた、宗家高氏の隠し子を――
会うてもよい、尋ねて行け、と高氏からゆるされて、藤夜叉が村へ入ったのは昨年の秋ごろだった。それから、ざっと一年目である。ゆくりなく、足利家とは縁も深い
ともあれ今、一色党の面々は、小屋を中心として、八方へ手分けにかかった。谷間へ降りて行った者が、やがて、気を失っていた御厨ノ伝次を見出した。ほどなく伝次は人々の手に
彼の言で、いきさつはすべて、明瞭になった。それにつけ、返す返すも残念なのは、先に、渓流のほとりで見かけた京の公卿侍といっていた奴、あれこそ今切藤五であったに違いなかったものをと、人々は地だんだ踏んだ。
「まだ遠くはないぞ、追っかけて引っ捕えろ」
一手の者は、ただちに藤五の行方を追跡し、他の者は、あなたこなたと、草心尼
ところで、この恐怖の
ふたりは、まっ暗な真空の中に、一ツ体みたいに抱き合っていた。しょせん逃げおおせぬとあきらめてか、途中、小さい
覚一は、妄想スル
覚一は、ふと。
「おや、小鳥の声だ。お母あさま。夜が明けたんでしょ」
「そう。まだ暗いが」
「ああ。……
「主従も信じ合えず、同僚も信じ合えず、あの者たちを見ても、恐ろしい世になったものよの」
「でも、死んだのなら、可哀そうな気もします。私たち母子の供に
覚一は妙に沈んで言った。
尼にはちょッと
生来、そういう子なればこそ、琵琶一筋に生きようなどと、世間の子とも違った考えを早くから持ったものであることも、母の彼女が、たれよりもよく知っていたはずだった。
「おおういっ。ここだ、みな来いっ」
どこかで、ふいに大声がしたのである。――と思うと、堂の附近へ、俄に、がさがさと
「見つかったか」
「む、相違なくそこの
「や、あの内にか」
「ふと、お
「なぜ早くに知らさぬのだ。おれたちは、血まなこなのに」
「いやいや、
「駒は、どうした」
「駒は彼方だが」
「たれか、それも曳いて来い」
やがて、顔が揃うと、年かさの一人が、やおら
「――内なる尼前のおん
「…………」
「さ
「…………」
「――これより山越えで南へ五、六里。一色ノ
「…………」
「なお、なお。ご不審でもございましょうや。不知哉丸さまと申し、藤夜叉さまといい、お胸におちぬのは、ご無理もございませぬが、みな宗家高氏さまのお
いつまでも、堂の内は、人などいないようだった。
けれど一同が息をのんで待つ間のしじまは、見えぬ所で、しずかに涙している草心尼母子の姿を皆の瞼に思い泛かばせていた。
……やがて、コトリと内で気配がうごいて。
「覚一、どうしやる?」
「どっちでも、私は」
「では、勿体ないが、お迎えにまかせましょうか」
御堂格子が、少し開いた。
その二つの顔を、東の紅雲も待っていた。せつな、尼はまぶしげな
なんといっても、みかどもまだ御壮年だし、ひとしく、人間でもあろうではないか。

山伏ていの男が言った。
相手は、この辺の学僧らしい。
腰かけている路傍の石から、春の
しかし、それには興もなげな二人なのだ。一般に、時事の論議がさかんである。わけて知職人の多い南都は
「いや、お説はお説だが」
と、一方の学僧も、
――なるほど、六波羅根性とは、よくいわれた。鎌倉
しかし、五年前に、ご承知だろうが、“
だから六波羅の放免根性にかぶれるわけではないが、民もおのずから「またいつ、正中ノ変みたいな大事が降ッて湧くンじゃないか」と、つい不安も生じ、あらぬ疑心にも、ひッかかると申すもの。
しかのみならず、だ。
お
この三月中には、さらに叡山へ
正直、かくいう自分も愚民と共に、世の先を案じる者だが、考えてみると、あんたは霞を食ッて生きている山伏だったな。――山伏殿にはかかる民の
すると、ふと。
そこから少し離れた路傍でも笑う声がしたので、二人は驚いて、口をつぐんだ。どこか都びた風采の旅の主従が、さっきから聞き耳すましていた風だった。
これは、いけない。
山伏と若僧とは、すぐ路傍から立ちかけている。
二人とも、人なきものと安心して、つい
宮方びいき、鎌倉同調、いずれにしろ、現今、それに神経をつかッていない者はない。
――で、この二人もたちまち声を消して、奈良街道を、西と東に別れ去ってしまったが、おなじ路傍に脚を休めていた
「はははは、何を慌ててぞ、あの両名は。……どれ、わしたちもそろそろ行くか」
と、やおら、腰を上げ出した。
「
歩き出すとすぐ、若い郎従は、
「きっと、いま去ッた法師と山伏は、われら主従を、六波羅筋の武者と思い違いしたものでございましょうず。なンとも、ぎょッとした顔つきでした」
「さようかナ。菊王はそう見えもしようが、わしはまさか、六波羅武士とは見えもしまい。
「なかなか」
と、菊王は首を振って。
「
「というて、公卿の
「吉野、大峰、
「いや、
「そうです、今では、
「されば、輿論が先走って、
法隆寺の塔をうしろに、この主従の遊山めいた足は、龍田から河内へ向っていたのだった。
それはいいが、とうに先に行ったはずの、さっきの山伏が、いつのまにか、主従の後になっていた。しかも、のこのこ後に
「もし。途上、まことに失礼なれど、それへおわたりあるは、
「いや、ちがう、ちがう。人違いだ。
ぶあいそに菊王は、後ろの山伏へ、首を振ってみせた。
でもなお、
「こなたは、
しかし、従者のそんなことば程度で、ごまかされる山伏ではなさそうだった。にやにやと、それはそれでソラ耳にうけ流している。そして彼自身が日野俊基とにらんだ者のそばへすり寄って、歩調も共に。
「……げに、お久しゅうございましたな。はや六、七年も前のこと。
「…………」
「さいぜん、龍田の路傍で、ふとお見かけした折も、すぐ思い当りまいたが、居合せた若い学僧は、宮方不服の輩と見えましたゆえ、わざと、眼をそらせて、立ち去った次第でございまするが、何はともあれ、いつも御健勝の
「…………」
「次いでは、五年前の秋、あの正中二年の騒ぎでは、あなた様にも、日野
「…………」
答えないでも、山伏の方はいくらでも、問わず語りにしゃべりつづける。といって、耳もふさげず、弁ノ殿とよばれていた日野俊基も、ついには、
「山伏」
「は」
「そちの
「
「名は」
「当麻寺の
「八荒坊か。覚えておこう」
「して、あなた様には、東大寺
「わしか。わしは絵所の絵師だからの」
「へへへへへ」
「身まま気ままよ。みかどの供奉にも及ばんのさ。ところで、八荒坊とやら、ちょっと待て。そこに立って、わしを見ておれ」
「な、なんの御用で?」
「よい
腰の
「いや、今日はちと急ぎまする。いずれまた。――ごめん」
とばかり、一目散に逃げ去ってしまった。
「あ。うさんな山伏」
「追うな。菊王」
「でも、みすみす」
「
俊基はただ笑って見送っていた。もう彼方だった八荒坊の影は、たちまち、王寺の辻の辺りで見えなくなった。
菊王はいまいましげに。
「何もかも、おあるじの御本身をば、知り抜いていたような
「知れたこと。――
「偽宮方」
「六波羅の放免(密偵)どもも、次第に、賢うなって来たわ――宮方の密使や説客などが、まま山伏すがたを
「すれや、一大事だ」
「何が一大事?」
「なにがと仰せられますが、これよりは長のお旅路、しかも、ゆゆしき御秘命を持たれるのに、この先、何となされますか」
「なんともせぬ。
「はて。ここだけは、蝶もうららな道ではございますが」
菊王としては、行くての空へ、眉をくもらせずにいられなかった。
ことしは、
その三月十二日だ。
すぐる三日間にわたる天皇の南都行幸は、
もっとも、正中ノ変で、いちどは鎌倉表まで、さしたてられた経歴さえある日野俊基は、これを幕府側から見れば、野に放ッておくにしても、つねに眼の離せぬ前科者であり、注意人物だったのはいうまでもない。
また、朝廷でも、幕府をはばかッて、以後は彼の蔵人の職を
が、絵所の
その点、従者の菊王もまた、しかりだった。
彼は、俊基が鎌倉へ曳かれた折、主から見込まれて、河内の
けれど、そのときの内容、それ以後の正成と俊基との交渉などは、何も聞くところはない。
おそらくは、六波羅の眼にはばめられ、あれきり途絶えているのではなかろうか。
「……とすれば、これから河内へ入るのだし、途中、楠木殿との御対面なども、お胸の予定にあるのではないか」
菊王は、そんな察しも抱いてみたが、それにつけ、偽宮方の八荒坊が、何か、不吉な白昼の魔の影みたいに、思い返さずにいられなかった。
終日、生駒山を右に見つつ歩いた奈良街道は、やがて、河内平野の無数な川すじと、川に
さっきから人待ち顔に、安福寺の下に
「弁殿。――馬を用意してまいりました。どうぞ、ここよりは馬の背にて」
「オオ、
「お報らせをいただいてより、
「
「は。まずは事なく」
「久しゅう会わんので、
「ぞんじおりませぬ」
と、菊王は、その人へむかって、会釈をしながら。
「
「申しおくれた、それがしは船木頼春……」
と、いいかけて彼は、ちらと、
「じつ、お恥かしい次第だが、わが妻の嫉妬が
と、彼はいった。
それは、つねに
彼の
俊基も共に、思い出さずにいられないものがある。――その頼春が自分へ近づいて来たのは、自分の身とて、生きて帰ることなどは、ゆめ考えられなかった鎌倉護送となって行く日の途中であった。
深夜。――宿所の床下へ忍んで来て、男泣きに詫びる頼春をさとし「……妻の
ところが、その後、俊基が都返りしてから知ッた頼春の消息によると、教えられたとおり、頼春は楠木家を訪ねて行ったが、正成は会ってもくれず、また、家族を通じて、じぶんの
俊基は気の毒に思い、頼春のために再度、おなじ河内石川の住人
「いざ、ご案内を」
頼春は、一別以来の恩人のために、馬の口輪を取って行く。
玉手や
「やあ、ようこそ」
宏大な住居である。
散所屋敷とよぶよりは、むしろ、石川城といった方がふさわしい。
あるじの散所ノ太夫義辰は、みずから大玄関に出迎えていた。よくある
眉は植えたものみたいに
「太夫。いつもお
日野俊基は、客殿のしとねに、くつろぐやいな。
「久々だが、会うたび、お若うなって見ゆるの。御子息の
「はっ。お引立てのおかげを以て……」
と、義辰は、折るのにもくるしそうな体を曲げて、客へ、貴人の礼をとった。
「かくのごとく、一家皆、
「いやいや、それがよいのだ。……この身も、知っての通り、鎌倉
「が。このたびは?」
「されば。どうしても、この俊基ならでは、ほかに堂上人では、
「では……」と、義辰は俄に、その
「いよいよ、禁中のおしたくも
「いや、なかなか。一朝には、そこまでのお運びにはいたらぬ。この河内はもとより近畿一帯、ひでりの雨を待つように、世の世直しを望む風は
「して、こんどの御使命は」
「特に、太夫にだけは明かすが」
俊基はあらたまって、その目的を、うちあけた。
先日の南都行幸も、次いで予定されている叡山行幸も、すべては、朝廷お旗上げの御準備にほかならない。
まず僧団勢力を、味方にひきいれておくことは、対関東の作戦上には、欠くことのできない策である。――で、天皇
「その密使として、これから高野をはじめ、諸山へ
天皇
ということばは、初めは雲の上の

だが、天皇御むほん?
どうもおかしいではないか。こんな語は、ことばの意味をなしていないと、いう者もあるにはあった。
武家もなく、幕府もなく、また院政だの、公卿の専横もなかった以前の世は、
その天皇。――今とて一天万乗の君と仰がれて
こういう、一部の見解へ。
いや、それは現実を知らなすぎる。
武家幕府が
そのほか、現幕府の悪をかぞえたら、かぞえきれまい。
次の皇太子に、どなたを立てるか。そんな皇統の世嗣ぎにまで
また反鎌倉の公卿には、あらゆる監視と迫害をおこたらず、いつかは、その地位から追放せずにおかないとする、たてまえをもとっているのだ。
いや公卿はおろか。
天皇後醍醐の退位すらも、今では、時機の問題と、
北条幕府から観て、好ましからぬ皇太子は、皇太子にもなれず、また危険視される天皇は天皇の
天皇御むほん
と、聞えるのも、ご無理はなく、その
どっちも、時の声だった。
いずれにせよ、今はもう、朝廷にそのおしたくがあることだけは、極秘極秘といいつつも、自然、半公然となっている。
なればこそ、右少弁日野俊基は、みずから笑って――蛇が穴を出る日が来たので――といったのであろう。
そして、密偵の八荒坊に出会っても驚かず、散所ノ太夫義辰を訪ねても、すべてを平然と、打明けていたものにちがいない。
「弁ノ殿。……はやお目ざめにござりまするか」
朝。
春眠暁ヲ覚エズ――というほどな今なのに、俊基の寝所では、小鳥と共に、はや、かすかな物音がもれていた。
「オオ、御子息の豊麻呂か。……入るがよい」
「豊麻呂です。ゆうべは、父や頼春や御従者も交じえて、深更までのおん物語り。それなのに、こうお早いのは、何かお寝苦しいことでもございましたか」
「いや、この俊基は、家にあっても、常々、人の半分も眠れば足りる性分。それに
「では、あなたの書院へおわたりなさいませぬか。そこの亭は、四望、眺めもよろしゅうございますから」
豊麻呂は、妻戸の外に出て待った。そして着がえや朝の
「よい息子だ。よい武者として、行く末御用に立てられよう」
逞しい豊麻呂の後ろ姿にも、日野俊基は、すぐそう思う。――それは彼が、親の散所ノ太夫義辰にも増して、多年、
「なるほど、ここはよい眺めよの。――
「すぐ下の流れは、石川です。彼方の屋根は
「思い出した。“古今六帖”のうちに」
と、俊基は微吟する、
河内野や
片敷山 の片山に
ゆきか花かと
波ぞよせくる
「……ごぞんじか」ゆきか花かと
波ぞよせくる
「いえ、文事はとんと」
「むりもない、由来、武門のお家柄だ」
「ところが、ここ数代のわが家は、本来の面目を次第に失って、あらぬ家職に変ってまいりました。散所ノ長者とか、散所ノ太夫などと、
「そのお悩みはもっともだ。まことの生命は、財宝などで生きがいを覚えられるものではない。まして和殿のごとく、生れながら財宝の中にあれば、なおのこと」
俊基は、彼の悩みを愛するような口調であった。
その純情と若さへ、さらに、油をそそいで。
「そもそも、御先祖といえば、源ノ義基公よりずんとお古い家といえよう。
「折入って、弁ノ殿へお願い事がございますが」
今朝の豊麻呂の用ありげな容子は、さてはこれだナと、俊基は微笑をみせた。
「ほ。何を」
「うけたまわれば、弁ノ殿には、これより
「そりゃ、何の為に」
「昨夜のお話には、宮方お旗上げの機も熟せりとのこと、一日も早く、この豊麻呂も身を国事にささげたい一念に駆られまする」
「や、あっぱれな」
俊基はその意気を
「お心はうれしいが、いざ
「お
「ご合点かの」
「父に逆ろうてもとまで、思い
「それよ、その誠意だにお失いなくば、ゆく末、御奉公の場所はいくらでもあろう。父の太夫以上にも、俊基としては、和殿を頼もしゅうぞんじておる。くれぐれ自重していただきたい」
豊麻呂は、感激した。こうまで、この貴人は自分を信じ、また朝廷でさえも、わが家を、頼みと思し召しているのだろうか。彼は、俊基とこう対しているだけでも、若さに燃え、生きがいに
いつか、散所屋敷の大家族も、みな起き出た様子だった。――この朝、出立を前にして、俊基とあるじの太夫義辰は、もいちど一室に入って、何やら長々と密談していた。そして、話のさいごに、
「……では、立寄るのは見合せよう。しばらく、様子を見た上の他日としても遅くはあるまい」
といったのは俊基のようだった。その一語を打切りに、二人は密談の座から外へ出て来た。
おそらく、彼はここで、
正成にたいしては、近ごろ、俊基も少なからぬ疑問をいだかせられていた。
すでに自分が鎌倉から生還したことは、河内赤坂の僻地にいる正成といえ、聞きおよんでいるに違いないのだ。――さるを、かつて菊王に托してやった自分の遺書同様な書状にも、以後なんの返しもないし、また船木頼春が訪ねて行っても、それにも、
「楠木の本心、はたしてどうなのか。石川を訪うた足で、遠くもない水分へも、ちょっと立ち寄って、彼の真意をたたいてみようか?」
まだこの朝までは、そう考えていた俊基だった。けれど太夫の義辰の今朝の意見を聞いて、まずこんどのところは素通りしようと、急に考え直したものらしい。
やがて、別辞を交わして、主客共に、そこの座を立ちかけたときである。
「まずい!」
先に大玄関へ出ていた豊麻呂が、あわただしく駈け戻って来た。そして父の義辰へ、
「父上、弁ノ殿の御出立を、ちとお待ち願って下さいませぬか」
と、あとは片隅で、

「太夫、何事ですかな?」
「いや、驚くには足りませんが、いま、せがれが
「ははあ、それは六波羅の放免で、
「や。御存知なので」
「きのうすでに、奈良街道にて、後になり先になりしていた白犬があった。その偽山伏にちがいあるまい」
「てッきり
「父上、一案がございまする」
「それは」
「弁ノ殿のお身なりを、そのまま船木頼春に拝借させ、供の菊王をつれて、そのお方になりすまし、ともかくここは立つのです」
「
「はい」
「いい考えだが、当のお
「まず私自身が、家の
「さ。うまくゆくかな?」
太夫は慎重で、なお決断には迷う風だった。それを、かたわらで聞いていた頼春は、すすんでその役を買って出た。
「ご名案です。弁ノ殿さえ、御異存でなくば、八荒坊を打果すなど何の造作でもありません。御意、いかがでございましょうや」
「いや、六波羅蠅は、旅の付き物だが、きのう見た一匹は、放免どものうちでも、
俊基の同意に、豊麻呂の案は、たちどころに実行された。
そして、その二人が、坂下ノ辻を南へ折れて、高野街道を歩き出すと、果たして偽山伏の八荒坊が、ひたむきな様子で、先の二人を
「ははは。釣られ山伏」
物蔭で俊基の笑う声がながれた。
「いざ、この隙に」
と、豊麻呂はすぐうながした。散所屋敷の岡には、平常、何百人もの部下が住んでいたが、今その二十名ほどな仲間内に、俊基の竹ノ子笠の顔もまぎれ込んでいた。そしてこの一団は、高野路とは逆に、北の方へ急いで行った。古市の宿場は、早い足なら一と息のまであった。
古市の出屋敷とは、つまり
散所ノ太夫自身の居館は石川の岡なので、古市は彼の城下町勢力というものだろう。とにかく南河内、北河内きっての繁昌な大部落だった。出屋敷は、そのまン中にある。
「どんな
豊麻呂は説明する。
赤土の破れ土塀は三町四方もあるという。建物はおおむね土倉か、ほッ建て小屋にすぎぬが、
「なるほど、盛んなもの」
俊基は、彼と共に一ト棟の縁に腰かけた。そこが主要建物らしいが、古びた田舎役所に似た程度のもの。――存外に気らくであった。
「お
豊麻呂のそんな気苦労を聞くよりも、俊基には、はからずもここで見られる散所の民の生態やら、また、彼らの手によって運輸されたり、
各地にある“散所”というのは、
ところが、その不毛を好んで集まり住む人間が、年々多くなっている。――苛酷な地頭に
散所と、散所民は国々にある。
わけて、ここ古市は、
散所ノ太夫は、すなわち、それだ。
もっとも、五位相当の太夫の官名は
理由は、散所民には、公共労働の奉仕や、
いや、もっと重要な任としては、
俊基の才は、早くから、ここに目をつけていた。将来における宮方の軍需の一端を散所の人力と経済力にも結んでおくため、
散所者は、気が荒い。
これは例の、
見栄、風流なんて、余地のある生き方ではない。食うか食われるかの職業から来たものだ。
陸上の運輸、水上の舟行、どこでも喧嘩ッ早いわめきの中で生きていた。
職とする仕事も、運輸だけではなく、魚貝の売買、塩の仲次ぎ、小酒屋、石切り、鍛冶、車造り、馬子、
まだまだ職目をあげれば、きりもないが。
散所ノ太夫の出屋敷では、これらの散所民に、保護と制裁と、また公の交渉を代行してやっている代りに、
さらには、公卿や寺院の荘園の運輸は請負っているし、鎌倉方の地頭の運搬へも手は貸すが、なかなかただでは通さない。相手の足もと次第では、まま
必然、散所民なかまの小喧嘩などとは型のちがう集団の大喧嘩も、しばしば起った。――喧嘩のもとは、おおむね武力のない公卿が、武家の地頭に土地を
「よし。この上は」
と、集団の暴力となり、地方紛争の小合戦と化すのであった。
そんなさいも、散所民の結束はつよかった。
元々、地頭の
「鎌倉。鎌倉たアどこだい」
といった風な反骨はどこかにあり、何かといえば、
「おれたちは、宮方だ」
とも、公言して
それはいいが、彼らの気負いと結束力では、つい衆の勢い、相当あくどいこともやってのける。平時の荷抜き、喧嘩まぎれの掠奪、放火、暴行、私刑のやりくちなど、やはり
悪党
と、なしていた。
だから、この不毛を食う不毛の民を支配している石川の散所ノ太夫義辰も、時の
さらには、おなじような土豪的勢力をこの河内の山野にもっている錦部郷の
悪党の族
にほかならなかった。
いや、世はまさに、悪党時代といえなくもない。――武力と政治をにぎり、或いは、格式と典礼だけをもって、民へ臨んでいる幕府人と朝廷人だけが、ひとり悪党の名称をまぬがれているのも、何だか不合理で、おかしく思われるほどな世相であった。
――一方。
さきに高野街道へ向って行った船木頼春と菊王は、意識のうえで、わざと小道の横へ隠れたり、急に足を早めたりなどして見せながら、折々チラと、遠い影を振向いては
「はははは。巧く釣ったな」
「まこと、まんまと釣れました。さすが八荒坊も、すっかり、あなたを弁ノ殿と思い込み、眼もはなたず
「こなたの手くだを手くだと知らず、はるか後ろで、
「だいぶ山路も深くなりましたが。……どうです、もうここらで、ひと思いに」
「いや、まだ人里が近すぎよう。いま
小半日はつい歩いた。なんといっても、紀州高野と河内との
「どこまで行ってもおなじでしょう。ほどなく、この先はもう紀見峠」
菊王は歩み歩み、一方の頼春をうながしていう。
「余りに遅くなっては、古市でお待ちうけある弁ノ殿の方も、気がかりでなりませぬ。……それに、はや陽も斜め」
「よし。やろう」
頼春はツイと道を
やがて、後ろの八荒坊の跫音が、しじまを打って、すたすたと近づいて来た。が、急に、
「おや?」
と、怪しむかの如く、一たんは立ちどまった。そしてまた、大股に、二人の前を過ぎかけた。
待て。
ともいわず、頼春は手にヒラッと太刀を見せて、相手の背へ跳びかかった。いや、それの寸前には、菊王もすでに八荒坊の脚もとを抜き打ちにびゅッと低く
しかし、二た筋の白い閃光は、いずれも空を打ッてしまい、およそ予想もしなかった姿態を描いて勢いよく泳いでいた。そして、その体勢をまだ持ち直さぬ間に、
「しゃッ、
と、八荒坊のあざ
「なにをッ」
菊王は身を
「死にたいのか、この公卿小僧」
八荒坊がビシッと構えた白木の杖を越えてまでは、どうしても、踏み込めなかった。
側面を窺う頼春にしても、おなじで、一
それのみならず、余裕
「やい、船木頼春。うぬも名だたる六波羅のお尋ね人。多年探しあぐねていたところを、よくもわれから姿を現わして来おッたな。こっちから礼をいわずばなるまいて。したが、礼は六波羅の白洲でいおう。そして日野俊基も、一つ白洲で会わせてやる。主思いの菊王も、ありがたくお縄をいただいて、好きな主の側へ行くがいい」
八荒坊の大言は、残念ながらけれんではない。菊王も頼春も、その舌さきの一撃だけで、驚愕の下に、戦意までも打ち
「さては、裏を掻かれたか」
二人とも生色はない。
思うツボとしていた結果が、逆に、釣られていたのは、まさにこッちだったのだ。
なにもかも、こちらの計は見抜いていながら、あたかも釣られたような振りをして来た八荒坊だったのかと、いまさら知って、頼春の太刀も、菊王の切っ先も、
「何をこの放免一人ぐらい」
と、心では

「はははは」
大人が子供の棒キレを見るように、八荒坊はなお言った。
「放免は放免でも、おれをただの諜者の下ッ端と見くびっていたのが、そもそもそッちの落度だったのだろう。――きのう奈良街道で俊基朝臣が、おれの
「…………」
「こう見えても、おれは六波羅の放免すべてを締めくくッている諜者組のかしら、本名
「う、うぬっ」
頼春が、一歩ニジリ出すと、彼も半歩ほど
「なんだと」
「そう聞けば、なお以て、宮方のお為にも、生かしてはおけぬ」
「笑わすな」
大蔵は、また、あざ
「この俺一人をすら、もてあましているくせに、それ、てめえたちの左右にもう来ている人数を、どう防ぐのだ」
それこそ彼の詭弁にちがいあるまい。二人はもとより
「突け、菊王っ」
頼春はおめいた。もちろん、彼自身も振りかぶった太刀と共に躍りかけた。
しかし、二人の皮膚には、眼で見たものでない圧力がとッさに迫った。で、起した行動は、無意識に、当の大蔵を
「や。しまった」
次の事実は、単なる感覚でなく、二人がその眼でまざと見たものだった。
いつのまにか。――この
大蔵の落着きと、そのからかい口調は、時を稼いでいたものに違いない。「――それっ」と手を振るやいな、彼自身は、後ろの
あとで考えれば。
とッさに、忍ノ大蔵が、すばやく灌木の
ぴゅん――
と、あきらかな
しかし、場合が場合である。
菊王も頼春も、そんな意外な変化が、自分たちの死地の一角に、はや起っていたなどとは、もちろん思いも及ばず、眼はすでに左右から迫った山伏姿の諜者群にむかって、まったく血ばしッていたのだった。
「これまでだ、頼春どの」
菊王がいえば、
「おう、死のうっ、菊王」
頼春も叫んでいる。
六波羅へ曳かれても死だし、ここで斬り死にしても死だと思う。
この捨て身へ、諜者方は、衆をたのんだ形がなくもない。いや放免頭の大蔵から、あらかじめ「手捕りにしろ」と命じられていた寸法もあったろう。大勢、
いや、予想の狂いは、それだけに止まらない。
諜者たちの二、三がとつぜん異様なぶッ仆れ方をし出したのである。不意に自己を失ったような引ッくり
「わっ、矢が来るっ」
「ほかにもいるぞッ」
何がいるとも分らぬだけに、彼らの狼狽は、はなはだしかった。われがちに、逃げまどった。おそらく、頼春、菊王の二人は、これを自身の威力とのみ信じて、相手を追ッかけ廻したことにちがいあるまい。――菊王のごときは、逃げる者をのがさじと追って、つい遥かまで行ってしまった。
「……ああ」
逃げ散る白い影を
「おおいっ。……菊王っ」
すると彼方で、自分を呼ぶ声がした。はッとわれに
「……あっ、誰だろ?」
急に菊王は立ちすくんだ。
近づいていいか悪いか、一瞬彼には判断もつかない人影を頼春の前に見たからだった。
それは狩衣姿の年若い武士たちであった。うち二人まで、手に弓を抱えている。
その三名の前から、振向いていた頼春は、彼のためらいを見て、手を高くさしまねいた。
「やあ菊王、何しておるのだ。わしたちを救うてくれたお人たちぞ。早く来て、お礼をいえ、お礼をいえ」
「あ。そうか」
やっと、菊王にも事情の少しが分ったらしい。そこへ走り寄るなり三名の武士たちの足もとへひれ伏した。しかしまだ半分は、依然、無我夢中のような早口だった。
「さては、われらが助かったのは、御加勢のお蔭でございましたか。ああ、何とお礼を申し上げてよいやら」
共に、頼春もくり返して。
「思わぬ御助勢を給わり、あたら犬死をまぬがれました。……失礼ながら、いずれの
「いやいや、名のるほどな者ではありません」
三名は顔見合せて、微笑をふくむだけだった。そして、
「いずれもこの近くの
中でも年かさの一人が、
さっきから、その人の姿ばかりを、穴のあくほど見ていた菊王は、とつぜん、
「もしや、あなたは楠木家の御舎弟さまではございませんか。いやそうだ。
と、それまでのためらいを破って、他の人々を驚かせた。
正季とよばれた当の人は、
「はてな?」
見まもるだけで、
「そちは誰だ」
とのみ、小首をかしげ、すぐには思い出せぬ風だった。
が、菊王はなつかしげに。
「……あれは、もう五年ほど前。わがお
「オオ。では日野殿の侍童で……あの頃はまだ幼びていたが……菊王とやら申した者か」
「そうです。その菊王でございまする」
「これはまた!」
正季は、連れの若者たちをかえりみて、言っていた。
「どうしよう。聞かれた通り、この者は、日野朝臣がまたなき者と頼んで、
「しかし、そちらのもう一名は」
「申しおくれました。それがしは……」
頼春も、俄にすすみ出て。
「いちどは、水分の御門をたたいたこともございますが、正成殿にはお会いかなわず、空しく
「船木殿とはあなたか。いやお名だけは薄々聞いておる。この上は、おつつみするも無益だ。自分は正成の弟、楠木正季」
つづいて、他の二人も、
「拙者は、
「てまえは、この辺の郷士
あからさまに名のった上で、さて訊ねた。
「なんでまた、御両所には、かかる所で、六波羅放免の偽山伏などに取り囲まれておったのか」
正季らの質問に、二人が事のわけを、打明けていた隙だった。
後ろの灌木の茂みから、カサコソと這い出しかけた者がある。――ふと振向いた中院ノ俊秀と天見ノ五郎が、
「やっ、あれ逃がしては」
と、すぐ跳びかかって、
「この
五郎の足蹴を食って、
「く、くそっ」
と、死力であがいたが、
「まあ、そう手荒にせんでもいい。もう、逃げも出来まい」
楠木正季は、年上らしくそういった。そして、泥土の上の容貌や
「これか。これが六波羅の放免頭の忍ノ大蔵なるものか。……多年、こやつの配下には、われらもずいぶん苦しめられたものだが、しかし敵ながら珍重すべき手腕の奴。ひとまず、お師の山荘まで引ッ立て行こうじゃないか」
彼の提案に、五郎も、俊秀も、よかろう! となったらしい。すぐ細ヒモで大蔵の両腕を後ろに
「これより
菊王と頼春にも、ようやく、どことも知れぬ体じゅうの痛みが思い出されていた。――古市で待つ日野俊基の方も気がかりではあったが、
「では、仰せに任せて」
と、三名の後について行った。
いつか陽も山蔭。――高野街道をすこし戻って、西へ入ると、山はいよいよ
やや不安を覚えたのか、菊王がそっと、中院ノ雑掌俊秀にたずねた。
「各

すると俊秀は笑って。
「いや、もう遠くはない。そこの加賀田川を渡れば、すぐ灯が見えよう。人に会うのは好まぬお師だが、ほかならぬあなた方ゆえ、お連れ申すわけ。お会いになってみればわかる」
なるほど、加賀田川というのか、まもなく渓流の音が耳を打って来た。短いが、
「ちと、お待ち下さらぬか」
中木戸の辺に二人をおいて、正季たち三名は、わが家のように玄関へかかった。
五郎だけは、縄付きを曳いて
「……が。何と閑雅な」
その晩。
菊王と頼春は、山荘の
正季たちが、途々、師とよんでいた人である。
「よう、お越しなされた」
気がるな口調で、
「てまえが、この
と、若い二人が恐縮するほど、
しかし、どこか、それだけではない、食えない人柄のようなものも感じられる。自分のせがれか孫のような二人にたいして「――山家のおやじで」などという挨拶からしてそうである。
勢い、二人は固くならざるをえなかった。そして、先に正季たちに打明けた今日の事情を、もう一度、ここで語ると、
「ほう、それはそれは、とんだ御災難だったの」
と、とぼけた相づちを打つ程度だ。
それから、やや打ちとけて来たかの頃、
「かねがね、日野朝臣のお噂なら、この
からからと笑って言った。
二人はようやく、その人を、正面切って見ることができた。
六十がらみだ。
が、何とも異相だった。
俗にいう
両のモミ上げは、わざとみたいな縮れ毛が渦を巻き、半白の髪を、むりに結い上げているのである。この年配で、こんな世話のいる蓄髪を敢てしているのは、世間流行の“入道”の
「わしは、早寝の
夜食がすむと、時親は客にかまわず、はや眠たげな催促をみずからして。
「朝起きには負けぬが、夜はかなわん。あんた方も、早う休まっしゃい。明朝またお目にかかろう」
そういって、さっさと寝間に入ってしまった。
正季たちも、この夜はみな、山荘に泊ったらしい。――翌朝、頼春と菊王が眼をさまして、裏庭の流れへ、朝の
毛利時親
ふたりには、この名が、ゆうべからの謎だった。今も、顔見合せて、
「なあ菊王。何者だろう、ここの
「どうも、分りませんな。世にいう
「隠者にせよ、名ぐらいは多少知れていそうなもの。毛利時親などという者は、かつて世間で聞いたことがない」
「お。……正季どのが、こちらへ見えます。ひとつ、正季どのに伺ってみましょう」
「御両所。ゆうべは、よくお眠りなされたか」
正季自身は、寝不足な朝の顔をして、そこへ来るなり二人へ言った。
「夜半すぎ、納屋へぶちこんでおいた忍ノ大蔵めが、縄目を噛み切って逃げようとしたのです。その物音で、きっと、ろくにおやすみ出来なかったろうとお察し申していたが」
「いや、全く気づきませんでした。お恥かしいが、正体もなく寝入ったものとみえまする。して、大蔵めは」
「五郎がちと手荒にしたので、今朝はぐったりと、ヘバっております。ところで、
「どうぞ、いかようとも」
頼春は、それを
「さっそく、今朝は自分たちも、お暇をつげたく存じますが、ここの毛利時親どのとは、そも、いかなる
「御不審よな。あれへでもおかけなさい」
正季は歩み出して、
そこで二人は、楠木正季の口から初めて、ここの
毛利時親は、大江氏の族である。だから都や鎌倉では、
大江時親
で知られている。
生地は越後だ。同国佐橋郡ノ南条の守護、
しかし、六波羅の評定衆に加えられ、その才はほどなく、鎌倉の
ところが。
しかし、ただの変屈か、いまの世にあきたらない
とにかく、その時親が、この南河内川上郷の奥へ引き籠ったのは、もう二十何年も前からであった。古さからいっても、土着の人と変りはない。そのうえこの辺は、彼の父祖以来の領所(飛び領)であった。ひどい山間で
ここで彼は好きな読書三昧に送っていた。家書には、兵学の書も多かった。――かの有名な兵学者
「こんな山おくに、妙な人がいつか巣を懸けて、毎日、
当時。
これまでの“
これがどうも、おかしいのである。なぜ、八歳でなければいけないのか。
おそらくは、伝記筆者がその勉学ぶりを、なるべく幼少な姿に仮りたかったのであろう。ほかの理由は見いだせない。
では?
と当然、べつな疑いが付随してくる。
そのことすでに、そんな根拠のないことなら、大江時親なる兵学者が、当時、河内の山間に住んでいたというのも、あてにならない仮説ではないのか。
だから
で、作者は。
正成の弟、正季の口をかりて、大江時親、すなわち毛利時親の素姓を、前段でやや語らせたわけであるが、事のついでに、もうすこし、時親の実在と、その人の生涯とを、手みじかに、この一章で、
時親を、大江氏で呼ぶのは、たとえば、正成を楠木正成といわずに、
その毛利姓は、
そして、この微々たる家が、やがて信長、秀吉などの戦国時代にいたっては、かの毛利
しかし毛利家の「毛利系図」の上では、相模愛甲郡時代の季光や、越後に任国していた頃の経光などは祖流に加えず、河内のおくへ隠遁した――つまり正成の住居、
家祖時親
と、系譜の初代にすえているのである。
なぜといえば。――晩年、安芸の吉田へ移って、郡山城の芸州毛利家の基礎をなした最初の人が、この時親だったせいであろう。――ただ彼が、河内の加賀田をすてて安芸へ下った年代となると、それはいつ頃ともしれないが、おそらくは、やがてこの地方の
とにかく、それまでは、加賀田の一隠者として、この地にいた時親なので、彼と正成とが知りあったのも偶然ではない。
正成の住む
そして、大江氏の家学たる兵法上の智識なども、正成に汲む意があれば、汲むに尽きない、山の泉であったろうとも考えられる。
× ×
× ×
「……さては、そんな御素姓のお方でしたか。いや、わからぬもの」
聞き終ってからも、頼春と菊王とは、まだ自分自分の想像を加えた感慨に、何やらくるまれている風だった。
「かかる山奥に」
という菊王に、頼春も、
「げに、人はどこにも住むものではある」
と、あらためて、
二人にすれば、加賀田の隠者、毛利時親をここで知ったのは、一つの大きな発見だった。また
「が、正季どの」
頼春は、なお
「さまざま伺って、お師(時親)の前身やお人柄のほどもよく分りましたが、しかし、はや世に
「ごもっともだ」
正季は、みじんも、疑っていないらしい。
「昨日今日のお住居なら、
「では、朝廷のお企てに、内心では、好意を寄せておられるものと、見てよかろうか」
「……とも、お口には出したことはない。しかし、われら皆、鎌倉には服していず、事あれば宮方へも
「なるほど」
「さるに、そのわれらへ、
「げにも、仰せの通りだ。日野殿にも、およろこびなされよう。かかる山間にまで、そうした宮方の支持者があると聞かれれば」
「いや、それとて、日野殿以外には、お洩らしあるな。お師が、第一のお嫌いは、世間の
「ほ。今日はここの御講義日でしたか。では、お兄上正成どのも、やがてお見えか」
「いや……」
正季はそのとき、どこか力のない色を見せたが、すぐ微苦笑に代えていた。
「兄の正成殿は、もう、さっぱり不勉強です。よい奥方を迎え、よいお子を持ち、かつ良い御家庭の父になりすましておられる。人間、余り環境にめぐまれると、好学の気も世への志もなくなるものか、ここ数年は、とんとこの加賀田へもお見えはない」
頼春と菊王は、眼を見あった。
日野俊基が、正成を訪れないわけも、何か、分ったような気がしていた。