正成は弓杖をつき、すこし
もっとも、千早の城兵はいま、五体満足なのはほとんど少ない。将たちもみなどこかには、怪我か手傷を
でなければ病人である。
「……が、
いま、その
「意外にみな元気だな。山上にもやっと木の芽や草が
と、梢の色や地の力を見まわして、それも味方と
「はい。士気は病者といえあの通りさかんなものです。けれど貯備の食糧がそろそろ底をつきかけておりまするで」
「穀類か、まず」
「
「調べたのか」
「は」
と、了現はさっそく、ふところ覚えを、よろいの袖から取り出して、およその数量を正成へ

その方針を破ッて、当初、天王寺、堺あたりまで少数の兵でしばしばムリな奇襲を敢行したのも、敵の首があてではなく、塩、粟、干魚、海草などを帰りに運んでくるのが主要な作戦目的であったのだ。
もちろん、それいぜんから、山上にはあらゆる貯備に努めてはいた。
焼米、道明寺
河内名物のドロ芋。
その
また梅漬け、干柿、栗、およそ保存にたえるものは、なんでも糧倉へみたしていたが、しかし城兵一日の糧を、かりに米六合とみれば、千人で日に六石、古法の三斗五升俵にして十七俵強の容積である。それに副食物を加えた物が夜さえ明ければなくなってゆくわけだ。
もちろん合戦のすきにも、
「……む。……むむ。……だいぶ乏しくなって来たな。だがこれからは木の芽も食える、草も食える。虫、鳥、獣、何でも食おう。そして一日ここの籠城をささえれば、一日の勝ちだ。十日持てば十日の勝ちとしてよかろう。もしあと百日
正成は言った。
けれど正成のこの言も、いささか安間了現には聞き馴れていて、いまとなっては、鼓舞をおぼえないばかりでなく「……またおなじ仰せ言か」と、心ぼそくさえなってくる。
「お、
そのとき、正成は立ちどまって、千早谷の下で
正成は不きげんになった。
「了現。あれはまたぞろ正季が、無断で敵へ突いて出た武者声であるまいか」
「さようかもしれませぬ」
「こまッたものだ」
と、舌うちして、
「たれかいないか」
と、彼方の根小屋の一つへ手をあげ、そこから宇佐美弥次郎が駈けて来る姿へ。
「弥次郎、ひがし谷へ降りて、正季を呼んで来い。すぐ引きあげろと命じるのだ」
「はっ」
弥次郎は、勝負ノ壇へとび降りて、さらに崖の肌をすべるように、谷底へ消えて行った。
勝負ノ壇は、崖から谷のなだれへむかって、凸字形に
それは何十ヵ所とある。
敵軍が三面の崖を、その人海戦術で埋めつくして来るばあい、勝負ノ壇には、七、八人が一ト組となって初めに防ぐ。
まず、よじ登って来る目ぼしい敵を狙い打ちに射とめ、近づく敵は、刺しころす。――が、それでもなお後から後から屍をこえてしがみついて来る敵を充分にひきよせると、初めて本塁の上から、岩や大石の弾丸を投げるのだった。――しかしなお崖の肌にペタとくッついたまま
楠木勢の戦術は、今日までおおむね、これをくり返して来たのである。
関東武者の長技は、馬と弓だが、その二つともここでは用をなさなかった。
また楠木方に何百倍する大兵もこの隘地では活かしようがない。ときには、大軍なるがゆえの不利さえ多い。――これまで仕懸けた数度の総攻撃にみても、寄手の死傷は城兵の比でなかった。例による太平記調ではあるが、
――四方ノ坂ヨリ転 ビ落チ、落チ重ナツテ死スル者、一日ガウチ五、六千人ニモ及ベリ
軍奉行、長崎四郎左衛門ノ尉 、実検シケルニ、執筆十二人ニテ、昼夜三日ノ間モ、筆ヲ措 カズ、死者ノ名ヲ注 セリトゾ
と、誇張にはしろ言っているほどである。そしてそんな戦の後ではまた、はるか東坂下の軍奉行、長崎四郎左衛門ノ
で、度々の失敗にこりた寄手は、そのご、めったに無謀は仕懸けて来なくなった。軍令さえ出して、
「無断ノ動キアルベカラズ」
と禁じ、
「奇功ハ功ニ
と、かたく
正成はかえって
次に来るものを思うのだった。また一日の兵糧を一日むなしく食いつぶしていることが辛かった。
とくに、籠城心理には、退屈がなにより
すでに弟の正季は、それに耐えきれず、われから寄手のわなへかかってゆく者と彼には見えた。――まもなく、その正季は谷底から彼の前へ上がって来た。
「
正季はすぐ我から言った。
「何かご懸念のよしですが、仰せまでもなく、兵はすぐ谷から引きあげさせました。ご心配なされますな」
「つつしめ」
と、正成は叱ッて。
「ここはただ持久を計れ、堅く守って討ッて出るなとしてあるに、副将のそちみずからなぜ
「いや、挑戦はいたしませぬ。が、先頃からしばしば敵の小勢が、ひがし谷の
「なんの一、二ヵ所は断たれても、城中の飲み水が尽きるような惧れはない。むしろ今は一名の兵だに失うことのほうがよほど惧れだ。およそな敵の小うごきなどは、放って見ておれ」
「ところが今日は、下の沢道に、雑兵だけでなく、馬に乗った敵が二人ほど見えました。で、その馬が欲しさに、つい私までも駈けくだり、馬を射止めて帰ったわけでございまする」
「馬の
「はい。肉をほぐし、塩漬けとして、兵糧の足しにしようというのです。――なにせい、弓はあっても、矢ダネは尽きて、弓も泣いている始末。――多少の線は
正季の冗談まじりな弁解には、正成もかえって、じんと瞼を熱くしたような
「それもそうか」
と、うなずき、
「は、は、は、は」
と、共に笑った。
そういう考え方は正成もしたことがある。
一例だが、寄手の猛攻が昼夜もなかった一ト頃には、よく
無数のワラ人形を作って、武者姿に似せ、それを夜のうちに崖の“勝負ノ壇”やら随所の足場に立てておく。
山の朝まだきは、
けれど寄手も、やがては、一杯食ッていたと知り、もう近頃ではそんな
するとそこへ、頂上の転法輪寺から伝令があった。寺中にいる
「正季。ここをたのむぞ。行って来る」
正成は、安間了現と二、三の郎党を連れたのみですぐそこへ向っていた。
千早の
四条隆資は、
この頭は、おととし
あのとき後醍醐以下、公卿あらましは捕虜となったが、彼のみは土民のうちにかくれて頭をソリ容貌まで変え、ややほとぼりがさめてから、楠木城へ入って、ただ一人の公卿大将の位置についていたものだった。
「おう、
待ッていたとして隆資は、転法輪寺の内門に張りめぐらされた陣幕のうちへ彼を迎えて。
「さ。
「いただきます」と、正成はそれに腰かけ――「して。何の御用でございまするな」
「ほかでもないが、たんだ今、
「阿波から?」
「
隆資は声をのんだ。
公卿ともみえぬ皮膚の
「隠岐のみかどには、早や隠岐ノ島にはおわさぬらしい。同所の宮方や海賊衆にまもられ、かねて藤房卿がよろしくしておかれた
「ほ。それは近ごろの吉報ですが、して首尾のほどは」
「まだ、ご安着か否か、本土での消息は分っておらぬ。しかし二便、三便、ひきつづいての吉報がまいるであろう。のう……兵衛、長い籠城だったが、これで曙光が見えてきたの」
「まことに」
正成の胸にも、
このところ、
「無二無三踏みつぶせ」
とする大号令をいらだたせ、先にもまさる総攻撃をくり返してくるにちがいない。正成には、それに耐える最後の死守のほうがすぐ骨身へのしかかッてくる思いだった。
「ところで、この吉報を、さっそく大塔ノ宮へもお告げ申したいが、宮は吉野落ちの後、
「その儀は、正成におまかせおきくだされませ」
「したが
「お案じなされますな。しかと吟味して、頼みある男をつかわしまする」
宮への一書をあずかって、ほどなく彼は
遠慮がちにだが、その武士は、正成へ頼んでいた。
「軍務、お急ぎのところではございましょうが、ちょっとあちらの一坊までお立寄りいただけますまいか」
「お。治郎左だな」
そういっただけで、だまっている正成に、武士は、いちばい哀訴をこめて。
「決して、奥方のおいいつけなどではございませぬ。したが、さいぜんから
「…………」
正成は迷うらしい。
眼では彼方の一院の方をながめていた。
彼の妻子がおかれていた千早村も敵の占領下に入ったので、急遽、山頂の寺へ移されていたのである。日常妻子と会ってないことは、他の将士とも同様だった。
が、今はふと、
「会って行こうか」
と考え直したふうである。
必然な寄手の総がかりが始まるとすれば、あるいは、今日が今日かぎりの機会になるかもしれないと思う。そこで従者たちを、転法輪寺の前に残しておき、迎えの治郎左と共に、彼は朝原寺の一坊のほうへ歩いて行った。
途々の正成は、初めて個人的な親しみをその迎えの者にみせて、
「治郎左。
と、訊いたりしていた。
「は、まめにうごいておりまする。何もできはしませんが、少しでも姉ぎみのお力になれればと、幼いお子の
「それはいい」
正成は、うなずいて、
「それでいいのだ」
と、また呟いた。
冬ごろから伊賀の国中も平穏でなく、服部治郎左衛門と卯木の夫婦も、正成を
「あっ、父上だ」
どこに遊んでいたのか、目ばやく父の姿を見つけた多聞丸(後の
「お母あさま。父上が来ましたよ。お待ちしていた父上が」
しかし、内には母の声もしないので、そこの角から
すると、井の辺りで、喰べられる雑草を
久子は、うす暗い厨のすみへ駈け込むと、いそいで
外では、多聞丸が、
「お母あさま、早く来て」
と、小さい地だんだを見せながら言っている。
「もう、服部の小父さまが連れて、あちらまで来てますよ。何してるの、お母あさまは」
「すぐ行きますから」
と、久子はやっと子に答えた。
「多聞は先にあちらへ行って、お父さまに、ごあいさつをしていらっしゃい」
それからも、彼女は、もいちど手を洗ッたり、髪を濡らして、櫛など入れ、なお小部屋の蔭では、紅、白粉をさっと顔につかっていた。
籠城も百日余である。武者はもとより女子供も、骨と皮ばかりな“
さっきから、爺の左近や、服部治郎左が、
「曲げてお連れ申して来よう」
と、蔭で相談していても、久子はわざと知らない振りでいた。――軍務のことで、ついそこまで来たからといって、ついでに妻子の陣を、覗きに立寄るような
爺の左近にいわせれば、お気もちは察するに
それだけに彼女も、正成の室などという甘え方は捨て、子づれの女兵とも自分を思って、女で出来る仕事をさがした。大手
――が、その良人がいま、はからずこれへ来たと聞くと、彼女は新妻のようなほてりを体におぼえた。なお、それにもまして、良人が自分たち妻子へ姿をみせに来たことの裏には何か「……
彼女はやっと起った。
走り出してもゆくべきを、なぜか恐ろしかったのだ。そして濡れ縁を曲がってゆくと、すぐ良人の姿が眼に入った。多聞や三郎丸を抱きよせて、正成はまだ外に立っていたのである。
たまたま会った父の手には、子供の身にもたまらない厚みと親しみと、そして頼もしさをも感じるらしい。
「お父さま」
ただそう呼べるだけでもうれしいのか、多聞丸も三郎丸も、正成の手をつかまえて離さなかった。その手を自分の頬へ当ててみたり、肩へぶら下がったり、親鶏を途方に暮れさせている姿なのである。
遠くにひざまずいていた爺の恩智左近、南江正忠、ほかの兵らも、しゅんと、眼を熱くした。各

「さ、さ。……和子さまたちは、ちゃっとこちらへ寄っておわしませ」
爺は、寄って来て、多聞と三郎丸とを、両の手に預かった。そして正成へ、
「まず、お
と、うながした。
眸だけを見交わして、久子はすぐ式台の方へ廻りかけた。しかし「いや」と、それをよび返して、正成はそのまま濡れ縁へ寄って来て腰をおろした。そして、
「内へ通っている暇はない。ここでいい。久子、ここでいい」
と、はや仮のくつろぎを見せはじめた。
「どうだな」
妻のやつれを皮膚の下まで見ているような
「えらかろう。しかし、各

「はい。……ここの暮らしは、お案じくださいますな。和子たちもあのようでございますから」
「子供は強いなあ。子供にはかなわんよ。大人どもはつい妄想だけでも疲れはてる。……子といえば、
「でも、お元気でございます。末の幼いのを預かってくれますので、私までが大助かりをしておりまする」
「そなたは幾人も生み育てたが、卯木はこれまで二人も亡くしているそうだ。大事にしてやってくれい」
その卯木の良人服部治郎左衛門は、ほかの者と共にやや離れた所にひざまずいていたが、そう聞くと、あからめていた顔に一そうな充血を見せて、その面へ曲げた
「ここの旗、ここの
なにかもっとお
ただ二人きりになると、久子は急に胸のなだれを覚えた。良人のそばへ無意識にずり寄って、板縁についている良人の手のうえに、自分の手をそっとかさねて唾をのんだ。良人のそれは革の
ほどなく。久子の声で、
「お帰りです」
という触れがそこで聞えた。
爺をはじめ、人々は、
「もうか?」
と、あっけなく思ったほどらしい。遠くの陣幕の袖から、わらわらとそこへ出て来た。
草履をはいて、ついそこらまで、良人を見送るべく、外へついて来た久子のまぶたには、はっきり泣いたあとがみえた。意識的に人々は眼をそらして、つい正成の顔へも、かたどおりな礼儀しかなしえなかった。
「はや、御陣座へおもどりでございますか。せっかくお久しぶりでしたのに」
「いや、短くはない」
と、薄く笑って。
「
「めっそうもない。正直、われらまでがうれしいことでございました。わけて和子さまたちのおよろこびを見るにつけ」
「
と、正成はもいちど、多聞丸と三郎丸を、両脇にかかえ寄せて。
「多聞は幾ツになったかの」
「十」
仰向いていうその
「いい子になれよ。弟を可愛がってやるんだぞ」
「はい」
「母上のそばへ行け」
じつは自分を突き放していたのである。正成はのめるように足を早めだしたのだった。
すると、もう一
「おやかた。お供をねがいまする! ご陣中へお連れねがいまする!」
「や、おまえらは」
「
それについて、口々に。
「矢尾常正にござります」
「鷺平九郎の弟、十郎です」
「八尾ノ新介です」
正成は叱るようにさえぎった。
「待て待て。おまえらはみな重傷者ではないか。はやく体を
「いや、今日、転法輪寺へお見えの上、ご家族ともお会いなされたのは、すわや最後のお覚悟だと、あれなるほかの者もみな言いあっておりまする」
指さすところを見ると、一堂のうちには、まだ数十人が枕をならべ、そしてこっちを見ている様子だった。
「だから連れて行けと申すのか。覚悟の日だと申すのか。何をいうのだ。いまさらのように」
正成は、なだめるのに骨を折った。
「さいごの覚悟などは毎日のことだった。またおそらく近日には、これまでに見ぬ寄手の総がかりもあるだろう。したがここも
それから彼はすぐ、供の兵と安間了現の名を大きく呼んで、元の下り道へ急いでしまった。けれどその彼自身、弓杖ついて、痛む歩行をこらえてゆく姿であった。
二の丸、本丸。そういう
城という語はあっても、あの様式ができたのはずっと後世のことである。
しかし、一千の守兵が、
そこで新しい智恵が求められ、いわゆる楠木式築城の原始型なるものが、必要から生じたかとおもわれる。
槍なども
すべて、食うか食われるかが生み出す智恵だった。もちろん、寄手方でも智をしぼッて、あらゆる策はやりつくした。このところ短気な猛攻はやんでいるが、数日前から城の向い陣に当る一勢のうちでは、おびただしい土民と工兵の群が、千早谷の一角のすそを掘りだしていた。
「なにを、し始めたか?」
城方では、敵の意図に判断もつきかねている。
あとでは分ってきた計だが、これは千早の
こんな大がかりな作戦までしていたことは「和田文書」の内にある注進状の一ツにみても証拠だてられる。
和泉国の御家人
和田修理ノ亮 助家
茅破屋 (千早)の大手矢倉下の岸を掘るの時、
その若党新三郎顕宗 、腰骨をすこし右へ寄り
て射られ終んぬ
注進如件 定兼(判)
このほか。和田修理ノ
その若党新三郎
て射られ終んぬ
寄手は夜になると、間断なく、どこからともなく、
矢ジリの
これは、所きらわず、夜どおしなので、油断もすきもならなかった。そして毎晩城兵をおちおち眠らせないことと、山上の少ない貯水量を消火につかわせてしまうのが、火箭の狙うところであった。
「たれだっ」
正成は、
「正季です、正季にござりまする」
と、外の暗い所で聞える。
「近くに、火箭が落ちたのか」
「は。それはいま消しとめましたが、
「なに、大蔵が?」
大蔵は、連れの権三と共に、城内の
まもなく、兵の声が、
「大蔵、通れ」
と、暗闇のうちで聞えた。
「へい」と、答えておいて。「権三、てめえはここで待っていろ」
「親分、そして、どうしたらいいんで?」
「途々、言った通りだよ。おれが呼んだら駈けて来い。もし都合が変ったらおれの方から戻って来る」
言い残して、彼一人、兵の影に
荒土で塗りたたいた
その土小屋の一つへはいると、
「大蔵、達者か」
「ありがとうございます。おふた方にも、まずはお変りもなくて」
「いや大変りさ」
と、正季が言った。
「城兵みな骨と皮ばかりになりかけている。しかもいよいよ
「てまえの前身が前身ゆえ、こ奴、怪しいなと、ご用心の意味なんで?」
「ばかをいえ」
正季は、一笑をくれた。
「怪しむくらいならここへ通しはせん。わしが尊敬しておかぬ加賀田の
「あいかわらず、机に坐って、金剛の山絵図やら兵書をひろげ、毎日、首っ引きでございますよ」
「では、先生のお使いか」
「へい。じつはそれ以前に、吉野へ出向いていましたが、ついに吉野は落城です。そこでひとまず舞い戻って来たところ、その由、事つぶさに、楠木殿へおつたえしろと、隠者から申しつかり、さっそくこれへやって来たわけでございまする」
「大儀だった」
正成が代って。
「では、そちは吉野落城のてんまつやら、宮の落ち行かれた様子などにも詳しいの」
「へえ、あらまし、この眼で見届けもし、耳袋へも聞き集めてまいりました」
「それ、聞きたい」
と、正成がいうと、大蔵は黙って、それとはべつな内ぶところをさぐり始めた。そして権三から取り上げた例の敵方の手になる“水ノ手調べ”の書類を正季の前へさし出して。
「まず、こちらから御覧くださいまし。いささかお土産になるつもりで、途中手に入れた物でございますが」
正季は、繰りひろげていたが、その詳密なのに驚いた容子であった。もしこれが城下の敵将に渡っていたら? と呟きながら兄へも見せた。
正成は、それと大蔵の
「かたじけない、大蔵、礼をいうぞ」
大蔵は、苦労のしがいがあったと思う。
正成の面上には、ことばだけでない感謝が見える。それだけで、彼は充分、満足だった。
――世上、この人の首には、丹後船井ノ庄で一郡という懸賞がひろく言いふらされている。
その首は彼の前にあった。
しかし元々、正成の首を狙うなどは、大蔵の本心でもなかったし、また出来ないことは知っていた。
以前の彼は、六波羅の猟犬だったが、兵学者時親に飼われてからは、予言者の
「お役に立って」
と、功に誇る武者とは違って、その上、しごく謙遜しながら彼はいう。
「思わぬ途中の拾い物が、そんなおよろこびをいただくとは、てまえも飛んだ面目でございました」
「が大蔵。敵にとっては大事な秘図、味方にとっては致命的なものだ。どうしてこれが、きさまの手になど入ったのか」
正季の問いに、大蔵は旧部下の権三と出会ったことや、
「ほう」
正成は、
「のう正季。わしの首一つに、丹後一郡の賞がかけられたとは、
これが天下の反宮方から、あれほどに狙われている首の持主なのか。大蔵には、その人が、何かふしぎな者に見えた。
豪傑というのだろうか。いやそんな強げな大将でないし、智者ともみえない。あの加賀田の隠者のほうが、よほど学問もありそうで眼もするどい。
では何だろう、この人は。
こう対していても、べつに人を圧する威厳があるわけでもなく、いっかな無口で、茫洋としていて、彼にはつかみどころがなかった。けれど何か
「正季さま。ちょっと中座させていただきますが」
「どこへ行くのか」
「いま申しあげた権三めを、先にかたづけてまいりますから」
「かたづける?」
「かわいそうですが、背に腹はかえられません」
「よせ、手にかけるのは」
正成が止めた。
「放免の一人ぐらい、逃げたところで大事はない。それよりはまず聞こう。大塔ノ宮の御消息をはなしてくれい」
吉野城落つ
という悲報は、しばしば、寄手方の宣伝につかわれていた。
敵はそれの
「ここの城も
「たれのために死ぬのか」
「家郷の妻子は泣いていよう」
「降伏してこい」
「降兵には、充分な食を給与し、それぞれ、元の郷里へ帰してやるぞ」
など、さまざまな文句で誘っていた。
けれど千早からは、ほとんど一兵の降人も出なかった。脱走するほどな者はとうにふるい落されていたのである。それに“吉野落つ”と聞えても、味方による確報ではなく、吉野からの
それも当然で、裏金剛から
以下は。
大蔵の報告である。正成、正季も、吉野方面のことをその陣にいた者からじかに聞くのは初めてだった。
× ×
大塔ノ宮の名は、敵にも味方にも、なにか
おととし、
宮の抱負は予想外に遠大なものらしい。
十津川の郷士竹原八郎一族を
しかし、宮の理想どおりにならないのもぜひがない。
なるほど熊野、高野、いずこも朝廷との縁はあさくないが、衆徒の衆論はまちまちである。分裂、さぐりあい、中立主義、ここも世間のそとではないのだ。――正成とのしめしあわせでそれは進められていたものの、吉野築城はそうした危ない輿論のうえに敢行されたもので、そもそもムリな作戦だった。
しかし宮は、吉野を宮方の総本城とし、ご自身、全土の総司令官をもって任じ、いわゆる“大塔ノ宮
けれど、ひとたび、関東の大兵にせまられると、あまりにもその落城は早かった。
守兵は、郷士山僧などの混成で、ほぼ千早城と同数ぐらいはいたのであるが、すべてその用兵から作戦まで、正成のようにはゆかない。
かつ、吉野城そのものは、吉野の
吉野山も嶮である。
ふもとの吉野川から山上の愛染宝塔のとりでまでの間には、いくたの防塁もあったことだし、寄手の大兵も七、八日はいたるところで苦戦だった。
ところが。
山中の新熊野院の首座、岩菊丸という僧が、反大塔ノ宮の衆徒をかたらい、寄手に通じて山案内を買ッて出た。
むかし、文治の頃。
源ノ義経が吉野へのがれて来たときにも、妙覚院の主僧、横川ノ
それと似たものが岩菊丸であった。守兵の内情には通じているし、地理にもくわしい。――彼の手びきで、寄手の潜兵は、峰の奥深くへ廻って、ふいに愛染宝塔の
宮は、前線の蔵王堂に陣座していたが、後方、はるかな本塁の黒けむりをみて、
「これまでか」
と、自身、打物取って、敵中へ駈け入った。
宮は一たん、蔵王堂へひっ返して、蔵王桜に張りめぐらした大幕の蔭へ入り「別れの宴だ」と、有り合う杯をとって左右の武者と、三
時に。――宮方の一将村上彦四郎義光が来て、切に、ご短慮をいさめ、宮を初めわが子義隆をも、たって南谷から天河方面へ落ちのびさせた。
そして彼は、二天門の上にのぼった。
落ちてゆく、宮やわが子の
後日、寄手の大将
「宮ではない」
とわかり、大不首尾をかったというのは、巷間の噂で、真相ではない。
村上義光は、四十を出ていた人である。大塔ノ宮が二十六歳の青年であることはかくれもなかった。偽首だ、身代りだった、とはすぐ知れていただろう。
一方、落ちのびた宮も、
高野山そのものは、表面かたく中立をとっていた。
千早、金剛の戦雲もよそに、法門の徒は、一切軍事にあずからずとして、さきに大塔ノ宮から令旨をもって、
「吉野城へはせ
と、さいそくがあっても、
「僧家なれば」
と、その召しにも応じないでいたのである。
が、今日では事情がちがう。――宮は無力な
宮を追ッてきた東国兵は、はやチラチラ山上へ影を見せはじめる。二階堂道蘊みずからも、全兵力をひッさげて登山してきた。しかも大塔の地内にその本陣をおき、満山満寺の捜査にかかり出したのだった。
その
法力の功徳か、宮の御運がよかったものか。総大将の道蘊は、とどまること三日ほどで、むなしげに、
「かほど捜しても見えぬからには、宮はほかか」
と、下山を令して、引きあげて行った。
宮は大塔の
それからの宮のお姿は、またもや雲か霞かのようで、その在るところは、どうもよくわかっていない。
しかし、以後の大和の
つまり正面の金剛山でない裏金剛にあたる所。――そこの
おそらく、大塔ノ宮はいま、その中にあって、
そして、
× ×
「よくしらせてくれた」
正成は、とじていた半眼をひらいて。
「大蔵、その上にまたさっそくだが、そちならではの急務がある。すぐ行ってくれまいか」
あくる日、大蔵はもう千早の内にいなかった。
裏金剛を抜け、どこへともなく去ッて行った。正成から託された四条隆資の一状を持って、大塔ノ宮のご所在をさがし求めに向ったもののようである。
静かで無事な籠城が二、三日つづいた。
敵味方に一人の死者も出ない日が、ここでは妙にうつろな日となっている。
正成は、やぐらの床几に腰かけて、ゆったり、思案にふけッていた。
ここではあまり遠くまでの展望はきかない。
ひがしの北山、前面の
「あのあたりで、鈴ヶ滝の水を
それを考えているらしかった。
けれどそれには、
「
と考えられる。
城の守兵は、すでに千を欠いていた。残り少ない兵をさらに一兵でも失うのは良策でない。また堰工事をするとみれば、敵とて、あらゆる妨害はするだろう。
「……ま、それよりは、やはり持久か」
正成は、しきりにうずき出る智恵を、そばから自身否定し去っていた。籠城はただ頑愚なほどの辛抱にあるとおもう。ここの地勢は天険なのだが、妄想はそれに不安を感じさせてくる。そしてややもすれば、みずから破れのいとぐちを作りたがる。
「妄想スル
――今日も、ここにいると、折々妙な地ひびきがズンと体につたわってくる。敵の
だが、敵のそんな悠長な戦法も、ここ数日中には、変るだろう。――隠岐のみかどが首尾よく本土脱出に成功したその日に――その早飛脚が鎌倉、六波羅をおどろかせたとたんに、がぜん、
「そうだ」
彼はうしろを見て、
「
と命じ、安間了現に、一文を口述した。そして、それを廻覧板に清書して、諸所の
了現は、信じられぬ顔つきで。
「この御文言では、隠岐のみかどが、はや本土へ
「む、確報はまだ不明だが、敵の総がかりを見てからでは間にあわぬ。それいぜんに、一ばい士気をたかめておく要がある。すぐ触れを廻せ」
「こころえました」
やぐらの下で、了現がその主命のもんくを板に清書していたときだった。
城兵が“敵見山”とよんでいる北山へ今朝から出ばッていた正季が駈けて来て、ちらと了現の筆へ眼をくれたが、すぐ「兄者は上か」と、やぐら
「
「正季か。何を見た?」
「
「ふム。どの方面に」
「長野、観心寺、中津原口、
「そうか」
「敵のうちで新手の参加やら陣がえがおこなわれ、これまでにない猛攻撃を起そうとしているのではありますまいか」
「ならば、正季、
「とは、どういうご判断でございますな」
「後醍醐のきみの御脱出が、虚伝でないことを
「そうでしょうか」
「海賊岩松の密報だけでは、まだ、よろこぶには早いと思っていたが、敵にそんな色が現われたのは、鎌倉六波羅共に、それの衝撃をうけ、ここの寄手を叱咤してきたことにちがいない」
「なるほど」
「お
「では何ですか?」
「その逆だ。おそらく、長陣の寄手のうちから、ぞくぞく、所領の自国へさして立帰る地方武者が出ておるものと思われる。なぜならば」
と、正成があとを言いかけたときである。ふいに地震のような地鳴りが、ズ、ズ、ズっ……と、ここの
「
正季は、やぐら組の横木から、下の断崖をのぞきこんで。
「兄者。敵の
「敵ながら根気がよい」
正成は笑った。そして、
「寄手の苦計も、いよいよあの手この手と、
「わかりました。ここ千早の城下へ寄せている鎌倉勢は、みな去年から年をこえての長陣となっている地方武者。中には、九州、四国、中国などの武門もだいぶおりますから」
「それらは、留守の国元を案じ出して、気が気でなく、みな何らかの口実をもうけて、自国へ急ぐに相違ない。……が、正季」
「はっ」
「とばかり楽観してもおられまいぞ。いよいよ、一城の死力はしぼりつくされるだろう。また最後の決戦もいなみようなくされるだろう。よいな覚悟は」
兄の口から“決戦”という語を聞いたのは初めてである。正季は体の中を何かに吹き抜けられる気がした。
寄手がたの各陣所は、どこも

「ならんッ」
いくさ奉行の長崎悪四郎ノ
「病なら、陣にいて
「いや……」と、使番の武士は、まッ青になって、主人のために釈明しぬく風だった。
「元々、わが殿には、
「だまれ」
「はっ」
「不養生とは何事だ。この艱苦は全軍すべてがしている艱苦だ。みな、
「では、おゆるしの儀、相なりませんか」
「ならん」
と、手にしていた彼の主人の帰国願書を、
「こんな物は、いくさ奉行として聞きとどけ難い。持って帰れ」
と、使番へ突っ返した。
これは今暁のことだった。
けれど、その前日にも、同様なことをいって来た武族がある。
「この悪例は、
いまとなってから、長崎は後悔していた。
だが、あとで思えば、義貞のも
それに憤激して、いちいち告げてくる伝令へ、長崎は
「……なに、追い討ちかけて、引き止めようと申すのか。待て待て、それでは同士討ちの喧嘩になろう。捨てておけ。人間はこんなにいる。腰抜けどもが去れば、ここはかえッて強くなるというものだ」
喧嘩は多い。それもただの日の喧嘩でない。陣中喧嘩だ。すぐ血をながす。
やれオレの主人を
「われこそ」
の自負だけで、全く統一には欠けている。
いくさ奉行長崎四郎左衛門ノ尉も、これには手をやくだけだった。彼は、鎌倉の
ところがここの陣々にある
「なにを、円喜の子が」
と、その軍令なども軽んじられる風だった。
たとえば、この長陣中には、ひそかに江口、神崎あたりから遊女の群れを連れて来て、
「鎌倉の聞えもある。遊宴は相ならず」
と、それの禁令も出したことだが、おこなわれたためしはないのだ。
その
名越遠江ノ入道と、
一事が万事というならば、こんな一例でみても、その無秩序ぶりはわかるが、しかし、これが決してすべてでもない。――なおかつての、鎌倉武士の武士らしさを、こんな中でも失わず、
赤坂攻めにかかる前か。
四天王寺の大鳥居の左の柱には、たれの
武蔵ノ国の住人、人見四郎恩阿 、生年七十三歳
正慶二年(北朝年号)二月二日、赤坂城へ向つて、武恩に報ぜんがため、討死仕 つり畢 んぬ
という遺書があった。そしてまた、右方の柱にも「待てしばし子を思ふ闇に迷ふらん、六つのちまたの道しるべせん」と書いて、同筆で、正慶二年(北朝年号)二月二日、赤坂城へ向つて、武恩に報ぜんがため、討死
相模ノ国の住人
本間九郎資貞 が子、源内兵衛 資忠、生年十八歳
正慶二年仲春 二日
父が死骸を枕にして
同じ戦場にて命をとどめ畢 んぬ
と、書きのこされた文字があった。墨は以後の風雨にも、なお消えてはいなかった。本間九郎
正慶二年
父が死骸を枕にして
同じ戦場にて命をとどめ
思うに。こうした武士は、鎌倉勢のうちにも、まだまだ少なからずいたにはちがいない。けれど、そうした生命ほど、
なにしても、鎌倉表からの大軍令がここへ着いたのは三月下旬にちかく、事態としては、どうにも遅かったうらみがある。
近日、先帝ノ動座ヲ謳 ヒ、山陰一円、騒乱ノ聞エ頻々 タルアリ。
旁
。西国各地ニテモ、賊徒ノ蜂起 ヲ見ル。
スベテ一日モ、弛 ガセアルベカラザルニ、千早金剛ノ膠着 久シキコト、ソレ無策カ、過怠 カ。
即刻、死力ヲ惜マズ、賊寨 ヲ粉砕シテ、ソノ機鋒 ヲ、山陰中国ノ変ニ転ゼシメヨ。
いかにも、幕府部内のあわてぶりやら、またここの長陣にしびれを切らしている
スベテ一日モ、
即刻、死力ヲ惜マズ、
「やはりほんとだったのか」
長崎は一驚した。
先帝脱出のことは、この公報より寄手のうちの中国武士などのほうが、およそ早耳であったのだ。――彼らの動揺はそれぞれな国元から直報があったためで、遠く鎌倉を迂回してきた情報より早かったのは当然で、長崎も今やあわてずにはいられなかった。
副将の
「宇都宮治部大輔
と触れて、彼の千余騎がここへ着くし、そのほか新手の加勢も、ぞくぞく、千早城下へこみ入ってきた。
もちろんこれは鎌倉直命でやって来た督戦部隊ともいうべきもので、現地軍のダレを刺戟し、あえて味方同士の恥や功名心を
「正成、何者ぞ」
と、豪語を払い、楠木とは年来の宿敵、好敵手と、みずから称している者だった。
「なるほど」
公綱は、千早を望んで
「これが寄手数万を、百日の余もひきつけて、不落をほこっているという千早の城か」
そして、なお何か
「こう
とばかり、陣割りもまたず、中津原口から千早の北谷をのぞむ最短距離のところに、新手一千余騎と、自分の陣座をきめてしまった。
「人もなげな公綱」
「新手の加勢に、鼻をあかせられるな」
軍議も早々、総軍はわれがちに谷へせまった。尺地もみえないほど、千早の下を兵で埋めつくした。
新手の軍は、すべて千早の苛烈な抵抗を
公綱も知らないのだ。
「こよいは休め」
その晩は兵を
この城、東西深く切れて、人の登るべきやうもなし、南北は金剛山につづきて峰そばだち……
とあるとおり、井の底から空を仰ぐ思いがある。大手の千早谷、うしろの風呂谷、南がわの妙見谷、みなそうだった。どこも七、八百尺の切り公綱と共に、きのう着いたばかりの新手の友軍は、
「宇都宮ひとりに手柄をほこらすな」
と、これまた、ほかの絶壁へ取りついた。けれど、従来からいる現地軍は、
「公綱の一勢で陥せるほどなら、味方数万がこんな難攻はしていない」
と、
公綱にはそれも小癪だし、日ごろの大言のてまえもある。
「
断崖の途中から、下へむかって、部下を督した。
「おれすらこうだ。おれのさきによじ登って行くやつはいないのか」
「なんの!」
一族の若い三河守とその旗本六、七人が彼の横を越えて這いあがって行くのが見える。
が、どうしたのだろう。うちの一人がとつぜん断崖の肌から宙へ
「…………」
公綱が眼をひらいてみると、もう自分の上には一人の味方もいなかった。彼は自分の笠となっていた岩盤の一つへ手をかけ、その上に躍り立った。そして味方も見ろ、敵も聞けとばかり、わが剛胆をほこって言った。
「楠木はどこにいる。なぜ正成は姿を見せぬ。これは去年、渡辺橋から四天王寺へかけて楠木を取り逃がした宇都宮公綱だ。東国一の
すると、どっと笑う声がとりでのうちにわいた。彼の古風な武者名のりが、孤塁の兵にはなにか場違いな平和の歌の文句みたいに聞えたのかもしれなかった。たちまち一本の、いや幾すじものふとい麻縄が上から彼のすがたへむかって投げられ、
「
また、ほかの
「いざ登られよ」
「登って来い、公綱」
と、言い騒いだ。
公綱はその一つを引っぱッてみた。たしかである。次の足がかりまで、十尺ほど
公綱の大剛もここでは敵味方の物笑いをかったにすぎず、ただその日からの総攻撃の口火となッたにすぎなかった。
公綱も考えたろう。
戦争もすでに今日の戦争で東北武者の彼の夢にあるような、源平華やかなりし時代のそれではない。孤塁の守兵は、木の根や野鼠も喰べていよう。しかもその不落のとりでの上にうす黒くなっている雨ざらしの菊水の旗は、荘厳ですらあった。それが寄手側には、なんとも理解できず、なんでこんなに強いのか。死を恐れない者ばかりかたまったものか。内心、驚異の
「第一には、
「ただの矢も射あびせろ」
「そして城兵が、消火にうろたえているすきに、一軍は
「
「同時に、別軍は千早谷を全面にわたって這いのぼれ」
「妙見谷、北谷、風呂谷、一せいに進撃する。たとえ親が討たれても振り向くな。子が仆れても、ふみこえろ。屍に屍を積んで、今夕までには、千早城を踏み
いくさ奉行長崎や各軍の大将たちは、鎌倉表からの軍令奉書をまえにこう誓いあった。――またそのぐるりには、おもなる全軍の部将も立ちならび、主脳たちの作戦のしめしあわせに
「わかったな」
「わかりました」
「部署につけ」
「おうっ」
それぞれの持ち場へ、各軍の大将、各隊の部将、木の葉のように駈けちらかった。
朝がたには、宇都宮公綱の
千早城の大手、千早谷をへだてて赤滝山がある。
そのあたりには、ここかしこ、丸太組みの塔が林立していた。なるべく敵のとりでに接し、またなるべく小高い岩頭などをえらんで組んであるので、矢を射こむには、至近距離をなしている。
まもなく
たちまち、敵の上から、小さい煙が、幾ヵ所となくたちのぼる。
一
「
「いや、
千早谷をうずめた兵、北谷へ向った数千、すべて三方からとりでに詰寄った軍勢は、万に近い数だった。そのうしろで、押し太鼓のバチは狂気のような乱打をつづけ、
或る一距離は、一気に、
わああっ……
と怒濤になって、前進をみせたものの、それからさきは、うごかなかった。――死の壁だった。兵はみな、びょうぶのような崖のすそにへばりつき、地肌の凹凸をえらんで
部将の号令は声をからす。
一とき、
だが、ひとしく長くはない。やがて谷をうずめ、断崖のすそを染めた
すると、ふいに。
だ、だ、だ、だッ……
ど、ど、どっ……
と、千早谷から金剛谷にわたる連壁が鳴り出した。
「しゃッ」
「来たっ」
せつなには、人間の声が一切しなくなる。
兵も将も途中の断崖に抱きついた。怒りに
「くそっ」
「畜生」
「死んでたまるか」
彼らは、憎む敵の顔も知らないのだ。ただ乱岩飛石の暴状にむかッて叫ぶ。
そして生き残りがまた這い出した。そのすきまを後続部隊が埋めてゆく。けれどたちまち、次の石弾が降っていた。一瞬、土けむりに交じる灌木の飛片や小石は、ただ黒い飛沫にすぎず、それに捲かれてなだれ落ちてゆく人間の土砂は声もなく、また余りに
「いかに楠木でも」
一人の指揮将は、半顔を血みどろにして、亡霊みたいに叫んでいた。
「天魔鬼神ではあるまい。たかのしれた城兵の数だ。おれを楯にしてつづいて来い」
彼は勇猛だった。さすが鎌倉武士を思わせるものがあり、彼につづく七、八人もまた見えた。そしてその一群は、ほとんど、とりでの上に近い勝負ノ壇までしがみつき、上からの槍、長柄など物ともせず、敵中の武者足場へ跳びあがったようである。しかし、そこでは必殺を期していた楠木勢の乱刃に会い、すべてたちどころに
そこ一ヵ所ではない。とりでの外輪の全面に、
千早谷の右端の、はるか上のあたりにも、一団の
「
「先陣の道をひらいたぞ」
「これは大仏陸奥守の軍」
「小笠原彦九郎の一手」
「千葉大介の一勢」
「敵のやぐら下へせまって、ここの一高地をわが手におさめた。つづいてこい、味方の衆」
と口々なさけびを、また、もっと大きな
かねて、おびただしい人力と日数をかけて掘りすすめていた例の坑道を突破口として、
これはたしかに寄手の一成功にちがいなかった。
従来、どんな犠牲をはらっても近づきえなかった高さに達して、そこの小さい小台地を占領したことであるから、彼らが狂舞して誇ったのもむりはない。
たちまち、そのへんには、東国武者の旗じるしが、競うようにひるがえった。後日の軍功の
が、城中はしいんとしていた。
たったいま正成から、
「あわてるな。指揮をくだすまで、それぞれの部署にいて、勝手にうごくな」
と、やぐらの上から声があったばかりである。
「いいのですか?」
やぐら武者のひとり
「敵の顔一ツ一ツがよく見えます。そして断崖は土も見えません。全面、敵兵ばかりです。かまいませんか。おやかた」
「…………」
正成ものぞいている。
満一への返辞はなかった。
びゅッと、油くさい煙の尾がそばをかすめた。水をふくんだ縄ばたきを持った兵が近くに落ちた
「
それは火箭のような生やさしい物ではない。油ボロを
叫喚が起った。焦熱のうめきに山が揺れた。しかし猪突の敵は、体に煙を持ちながらでも迫ッてくる。城兵は、矢を射あびせ、もっと近い敵には、槍を投げた。それもただ鋭利な刃ものを棒のさきに植えた
「
正成の第二の令がつたわると、次には、敵の坑道の上あたりから、どうどうと、数条の滝水が落ちてきた。
水は、籠城兵にとれば、生命の水だから、
また日ごろ蓄えておいた火焔玉も、ほかの崖全面の敵兵へぶり撒いた。総じて、この日の防戦には、千早の守りもその最終的な死力を出しつくしていたかにみえる。
けれど、正成の指揮ぶりには、その日も何らさしせまったふうはなかった。おそらくは、晩雲の冷風に、
「雨、近し」
と察して、さいご的な戦法をとったものと思われる。
それはともかく、地下坑道に充満していた敵のうろたえは想像もつかない惨状だったとおもわれる。坑道内の傾斜を泥の濁流が
また、どこかでは、わあっと、絶え間なしに、逃げ足がなだれ打ッて行く。いつか谷には薄暮がこめ、北谷の奥までも、断崖という断崖すべてもうもうと煙っていた。火焔玉はなかなか燃えつきない。その火が、あたりの灌木を焼いて、鬼火地獄の観を呈しているのでもある。
もう絶壁の肌に、うごめく兵影は見あたらなかった。でも折々には大石の地ひびきが崖から奈落をゆすッてくる。谷が埋まるほど、石が積まれ、兵の死骸が、その間にはさまっていた。雲がいよいよ低く垂れ、どっぷりと夜が濡れてゆく。――やっと、そのころになって、諸所の陣から
雨は四、五日降りつづいた。
その間、
「
「十日とて
「いや、木の芽や草もある」
それを思うと正成は胸が痛む。隠岐のみかどの脱島を知っていらい、城兵は新しい勇気をもち直していたが、それにせよ限界がみえる。
しかし、関東の大兵を千早の下にひきつけて、時をかせぐを目的としていた正成の
さて、天気がよくなると。
寄手はまたも、次の苦計を編み出していた。後に“
正成は笑って見ていた。
すると
「ばば、出てみい。たれか
山荘のあるじは言った。
毛利時親だ。加賀田川の渓谷の彼方、千早からは西方二里余の山中である。
胴服に山ばかまの姿を机によせ、今日も独坐の恰好だった。近ごろは、集会の若者たちもとんと見えず、婆は耳が遠かった。しきりと書斎の声なのに、表ではなお耳ざわりな、
「たのもう!」
の声が、つづいていた。
「ちッ」
時親は自分で立った。
「や」
あるじと見て、急にうやうやしく腰をまげた武将がそこにあった。うしろの遠くには一小隊の兵をひかえさせている。
「何だね、御用は」
「は。てまえは千早攻めのいくさ奉行長崎四郎左衛門ノ尉殿の旗もとで、足立源五と申す者にござりまするが」
「こないだも来たな、岩切勘左衛門とかいうものが」
「は」
「なにしに来るのだえ? そうたびたび」
「主命をうけまして」
「へえ」
「毛利時親さまは、あなたさまで」
「ちがうよ」
「え?」
「ちがう、ちがう」
「では、大江時親さまで」
「どっちでもない」
「お
「ほんとだ、そこの
なるほど軒の木額には、
の三字が読まれる。
だが足立源五は、さきにここへ使いして追払われた同僚から、あいては稀代な
「でも、ご老体は、この家のおあるじにちがいありませぬ」
「あたりまえだ。召使ではない」
「それでけっこうです。主君長崎どののお
「うるさいな、再三」
だまって奥へ引っこんでしまった。それきりである。しかし時親は、やはり表が気になるとみえ、
そこへ婆が、贈り物の目録をもって来て、彼にみせた。兵の手で
「しかたがない、一人だけここへ通せ」
と、いいつけた。
こんな
「いかがでしょうか。主人長崎殿から、さきにもお願い申してあることですが」
「わしにかい」
「されば、いちど陣中にお越しを仰いで、種々ご意見を伺いたいと、切に望んでおられますので」
時親は、そっぽを向いた。客嫌いな老人のよく見せる癖である。が、ぜひなげに、
「いやだよ」
と、やっと口をきき出した。
「じたい、長崎殿の陣中へ出向いて、わしに兵法の講義をしろとは、まるではなしが、あべこべじゃなかろうか。そちらは実戦の専門家じゃろ。こちらは書物の
「いや、ご
「待ってもらおう。おまえさんに謙遜するいわれはない」
「ですが、
足立源五は、口をきわめて、老人のごきげんを取り結ぼうと努めるのだった。けれど時親のおもてには、てんで何の反応も見えてはいない。
「おやおや、そんなに有名かね。めいわく至極だ」
「世間では、加賀田の隠者と申しあげているよしですから、ごめいわくは察しられますが、まげてひとつ、主君のご懇望に、おききいれを給わりたいので」
「行ったところで、山中の一
「しかし里びとの話では、楠木多聞兵衛正成も、幼少のころ、ここへ通い、また弟の正季やら近郷の武士どもも、つねに山荘に集まって、ご講義をうけたものとききおよびますが」
「それはあったね、
「その正成に、とくべつ師弟のご慈愛はないのでおざるか」
「ないね。以来十数年も、正成はここへ見えたことはない。正季だけはよくやって来たが、あれは滅法な血気者、ここらに多い山家武者の若者と変らんしな」
「それだけで?」
「ま、そんなところだ」
「ならば、鎌倉どののために、寄手の陣中へ
「はははは」
時親は、
「
「ではどうしても」
「む、帰ってもらおう」
「隠者っ」
「なんだ! その眼は」
「しからば訊ねるが」
「
「脅しでない。腰の
はなしも最後とみたからであろう。足立源五は切り札を出してしまった。
数日前である。
いくさ奉行の陣所へ、一人の放免が駈け込み訴えに出た。忍ノ権三であったのだ。
その権三の取調べから、忍ノ大蔵のこともわかった。権三は千早の内から逃げ出して来たのである。眼に見てきた城中のもようを告げ、また、大蔵と隠者との関係などもしゃべりちらした。
もっとも、それいぜんから、
「加賀田の山奥に、えたいの知れぬ兵学者がいる」
との噂は入っている。
またその者は、正成、正季の兵法の師で、戦前には近郷の若い
「いちど、その人物をたしかめておく要がある」
いくさ奉行長崎は、
けれど、初めの使者は失敗した。とても生やさしいおやじではないといって、その
ところが権三の訴えで、千早と加賀田のあいだに、今もなにか気脈のあるらしいことが分ったので、彼はふたたび、
「奇っ怪な隠者だ。どうあっても、こんどは連れてまいれ」
と、足立源五を二度目の使いにさしむけたわけなのだ。――だから源五としては、初めは処女のようでも、居直ッてしまったからには、時親の首に縄を付けてでも連れ帰る
「隠者、恐れ入ったか」
以上。源五は事実をならべて、きめつけた。
「……いちいち、それらの申し開きが出来ぬとすれば、隠者も敵方の一人とみとめる。ま、いずれにしろ、陣地まで同道してもらおう。さあ立て」
「いや、ことわる」
「なに」
「めいわく至極だ」
てこでもうごく時親の容子ではなかった。その異相、俗に
「む、ぜひがない」
源五はこらえているつもりだが、語気は充分にもう感情と威圧であった。
「兵に命じて、しょッ引かせよう。老人にいたい目はさせたくないと思ったが」
「まあ待て。そこまでの思慮があるなら、もう一考したらどうだ」
「一考の余地はあるまい」
「ないことはない」
「では神妙にまいると申すか」
「いや、さほどわしに会いたくば、いくさ奉行の長崎自身、ここへ足を運んで来るのが、いちばん話が早分りじゃろう。長崎に来いと申せ」
「ば、ばかな」
「何ンでかね?」
「たわ
足立源五は、もう、がまんのならない顔で、そこの縁から表の兵へ、
「者どもっ、この老いぼれめを引き出して、馬の背にひッくくれ」
と、どなった。
土足の兵がこみ入ッてきた。が、時親はその老い骨を猫背に一そうぺしゃんと腰をすえて、
「うぬ、まだ立たんな」
源五は、火になって。
「世にうとい老学者と、手加減をみせておけばよい気になりおる。それっ、ひきずり出せ。この食わせ者を」
「源五、そこらの兵どもも、下にいろ。あとで後悔せぬがいいぞ」
「なにを、白々と」
「逆上するな。言いたくはないが、いまはしかたがない、申さずばなるまい」
「その申し開きは、長崎殿の御陣へ行って、申しあげろ」
「なんの、ゆるし乞いなどする気はない。かりにもわしは長崎四郎左衛門ノ尉には、目上の血縁にあたる者だ」
「こいつが、くるしまぎれに狂人を装う気か?」
「狂語と聞くなら、狂語と聞け。だが、わしの亡妻は、さきの鎌倉の
「…………」
「とだけでは、まだのみこめまい。それよ、わしがまだ六波羅評定衆の一員として、都にいたころに取り交わした、高資や泰綱などの書簡の
時親は書斎の一隅をかきまわして、一ト束の古手紙を源五の足もとに
「で、では」
この場の収拾もつかない
「あなたさまの御出身地は?」
「相模愛甲郡毛利の出」
「そして、もとは北条家の」
「そうだ、守護のひとり、越後の任地から、京都へ移り、しばらくは六波羅につとめていた」
「それがなんでこのような河内の山深くに」
「ここは、わが家の飛び領だ。そればかりでなく、人に会いたくなくなった。それも二十余年も前になる。円喜の子、四郎左衛門ノ尉などが、わしを知らんのもむりはないな。……しかし毛利時親といわず、大江時親といえば、寄手の大将、阿曾弾正、二階堂道蘊なども、うすうすはまだ覚えておろう。ともあれこの老体、こちらから出向くのは
あり得ないことも世にはある。源五はなおも預けられた古書簡を見ていたが、がぜん、おののきを覚えたらしい。極端から極端へ態度をかえ、早々に兵を追い出して、
「いずれあらためて」
と、ばかり逃げ去るようにここの山荘を立ち去った。
山荘の裏は段々畑で、かなりな耕地がひらけていた。
南むきの
「甚内さん、およびだよ」
と、告げていた。
やがて実直そうな半農半武士といえるような山着姿の老人が、段々畑のあぜをのぼって行く。そして山荘の内庭へ入り、そこで
「隠者さま。御用で」
と、遠くにひざまずいた。
「お、甚内か。……ついでに彼方の縁にある
「あれを」
「
甚内は、あるじの命のまま、書斎のぬれ縁に出ていた反古の山を何度にも抱えて来ては、焚火の上に積みかさねた。中には古手紙やら絵図古書などの類もある。時親は惜しげもなく棒のさきで落葉の下に突ッつき交ぜた。
まっすぐに黄いろい煙が立ちのぼる。
……ほどなく、白い灰のチリが、雪のように二人の肩に降りてきて、地の物はしずかな焔になっていた。
「甚内、ここの山家暮らしも、長いことだったが、ちと身の都合で、わしは居所をかえねばならん。そこでここの飛び領は、地券と共に、おまえらに譲ってやる。おまえらは従来どおり山畑を耕して食ってゆくがいい」
「や。そしておあるじには、どちらへ?」
「都の身寄りへと思っているが、この戦乱だ、そこも身をおく場所でなかったら、洛外の寺へでもひとまず隠れる」
そう言って、時親はまた、
「しかし、捨て難いのは、大江家伝襲の兵学の書物だ。兵書はわしの子のようなものだからの。といって持ち歩くわけにもゆかぬ。一トまとめにして書斎のうちに残してあるから、おまえらの手で或る時期まで、人目につかんように洞穴の内へでも
と、いいつけた。
「急なことになりましたな」
それ以上を甚内はたずねなかった。近郷一帯の戦場化を見て、おあるじの身の危なッかしさは、いつとも知れぬと、彼らも案じていたからだった。
あくる朝、時親は、甚内の息子の番作に牛を曳かせ、牛の背にのって、
「あとは、たのむ」
とだけで加賀田の渓谷から人里の方へ降りて行った。もう帰らないつもりだろうか、いつかはまた帰るつもりなのか。その姿を見送っていた甚内にも、わからなかった。
いくさ奉行長崎の
すると、その騒ぎと入れちがいに、
一方。――牛の背に乗って牛の歩みまかせに、人里へ降りて行った毛利時親は、まだ高野街道の途中にいた。
しょせん、金剛のすそから石川平野は、関東勢の
「えらいこっちゃな」
時親は牛の背で世間を見物顔していた。いたるところの非常時騒ぎが、彼には苦笑ものらしい。
千早一つを陥すのに。
また、大塔ノ宮ただ一人を捕えるために。
彼にすればこの大げさな動員や輸送のほこりも滑稽なる狼狽か無策の
「おや、いけねえ」
ふと、牛を止めて、甚内の息子の番作が、牛の背へ言った。
「隠者さま、また兵隊の
「恐れんでもいい」
「ようございますか」
「だが番作」
「へえ」
「隠者と呼んだり、時親さまといったりする口癖は気をつけろ。……
これまでの訊問にも、彼は
道は、
ところが、しばらく行くと、宙を飛んで追ッかけて来た武者がある。さっと牛の前へ廻って、正視してから、こう言った。
「これは加賀田の老先生、どちらへおいでになりますか」
「ちがう」
時親は顔を振った。
「わしは吐雲斎と申すもの」
「吐雲斎? それは御書斎のお名でしょう」
「はははは、そこまで知られていたんでは、しかたがないな」
「主人と共に、二度ほど山居へお伺いしたことがありまする」
「ご主人とは」
「石川殿で」
「お。
「近くに御陣しておられます。ぜひお呼びしてもどれとのこと。おいそぎでなくば」
「いや、急ぐのだが」
「でも、まげて、ご休息でも」
「そうするか?」
あまり逃げ腰なのもいい智恵ではない。時親はすぐ分別する。番作に何か耳打ちして、牛と彼とを路傍にのこし、ひとりその武者について行った。
散所ノ太夫義辰というのは、石川豊麻呂の父である。子の豊麻呂は、楠木正季らの若い仲間のひとりで、戦前には加賀田の山荘にもまま顔をみせていた冠者だった。――行ってみると、義辰は派手な
「おう、やはり加賀田の老先生でござったな」
散所ノ太夫義辰は、自身、
「山の隠者が、おめずらしく、今日はどこへお出かけで?」
さっそくに、いぶかり顔をしてみせた。
「山といっても……」と、時親は上唇をそらして、笑うのかと思うと、笑うのでもなく真面目くさって。
「近ごろ、
「では、千早の孤城も、まだ陥ちぬとのお見通しですか」
「わからんな。それは、さて、わしにもわからん」
「兵学から観て?」
「兵学では、あてはまらぬのだ。従来の兵理なら千早はとうに陥ちているはず。理や術ではない。何か千早はべつなものだな」
「何でしょうか、それは」
「わしもそれが知りたい、と思って、加賀田にこらえていたが、このぶんではいつ大戦が果てるともみえん。かたがた、寄手のいくさ奉行などに、不審をかけられ出したので、退去に
聞く方の義辰は、
「いかがでしょう。こよいはここの寺院に御一泊くださるまいか。陣中ながら粗餐なと差上げたいが」
「いや、それよりは、お願いがある。木戸の訊問で、いちいち迷惑して参ッた。――
「おやすいことだ」と、すぐのみこんで「――どこまでの通行手形を?」
「道は廻りだが、都へ入りたい」
「よろしゅうござる。が、その代りに、それがしの悩みのためにも、一言、底意なき御意見を、おもらし給わるまいか」
「お悩みごととは」
「じつは」
と、義辰は、家来を遠ざけて打明けた。
彼の嫡子、石川豊麻呂についてであった。豊麻呂は、楠木正季らと共に、同志的な誓いを
ために、親の義辰は、寄手の諸大将から異端視され、鎌倉幕府の聞えも、もちろん、かんばしくない。本拠の石川城をすら
しかも、千早が亡ぶか、寄手の長陣崩れに終るか、それの
「……さあて?」時親は返辞に窮した。「……わしも神ならぬ身」
寄手の兵数には、こんな分子も交じっていたのだ。それから答えを引き出せば、或る仮定は出せないこともない。けれど彼はただ顔を
時親は、まもなくまた牛の背で、元の街道の一行人になっていた。
「ぜひ、一夜は」
と、ひきとめられた散所ノ太夫義辰の陣を、逃げるように辞し去って来たのである。
何か、ほっとした気もちで、
「番作、なるべく急げよ」
と、そこで言った。
番作は笹のムチで、折々、牛の尻をたたいた。
時親のあたまの中にはまだ義辰が溶け消えていない。やはり人里だ。人里に降りるとさすが人間臭い人間にさっそく出会うものだとおもう。
――子は千早の内にあり、親の自分は寄手にいて、人なみ以上、この大乱の渦中にある身でありながら「どっちへ本腰を入れたらいいのか?」と、迷っている凡将の
だが、何となく、彼の後味の悪さは
「わしも神ではないからな」
といって逃げたあのことばである。
なんと、いやなまずいことを言ったものだろう。加賀田の隠者時親は、長いこと兵法の神のごとく山では思われていたものだ。そして自分も自分のもとに集まってくる若い
そしてまた、ひそかにこう思っていたのは事実である。「――戦争よ起れ。ほんとの戦争が起れば、わしの兵学が実験できる。机の上の兵理をこの眼で地上に見られもする。わしの大江兵学に一だんの考究を加え、日本流の
果然、時代はこの山中の老学者の夢をよろこばせてきた。彼の予言じみたものが、世上の時相となってくるにつれ、その山荘には、いよいよ若い崇拝者を増し、彼らは彼を神仙視して「お師」と、あがめ合っていた。
義辰の子、石川豊麻呂も、楠木正季らと共に、そのころの門輩のひとりだった。南河内に兵火があがるやいな、赤坂、千早の一員となって、親にも
「吐雲斎さま」
番作が、その浮かない顔へはなしかけた。
「そろそろ、
「やっと百舌鳥野か」
「堺へ出ますか。それとも」
言いかけたとき、後ろの方で呼ぶ者があった。時親は、またかと言いたげに振返った。
「おや、大蔵らしいな」
時親は、そばめていた眼に安心をみせた。
やがて追ッついて来た男は、牛の背のそばへ来て、
「おう、御無事で」
と、汗をぬぐった。
「大蔵、よくわかったな」
「万一、都に行くばあいは、この家かこの寺かと、いつか伺っておりましたから」
「その日が来たのだ。いくさ奉行長崎に体を持って行かれてはたまらんからな」
「いろんなご報告がございます。どこかでご休息でも」
「いやいや、路傍で密語などしていると、かえって道行く兵に怪しまれる。歩きながら聞かしてもらおう。番作は離れて来い」
番作に代って、牛のムチを持ちながら、大蔵は歩き歩き話し出した。
多くは、千早の状況で、正成、正季ら以下、城中の士気やら食糧の状やら、また、その戦略ぶりなどだった。
「ふム、ではまだ持ちこらえるかな。奇蹟だな。驚嘆にあたいする。して、おまえはあれいらいずっと千早の内におったのか」
「そんなひまはありません。すぐ楠木どののお使いとなって、裏金剛から大和へ脱け、大塔ノ宮さまの御本拠と千早との連絡に働いておりましたんで……。へい、それで首尾よく裏金剛から千早のうちへ、かなりな兵糧を運びこむことも出来たようなわけで」
「それは殊勲だ、よくやった。するとなにか、宮にもそれと同時に、裏金剛から千早へ合流なされたのか」
「いや、宮さまのご所在だけはこの大蔵にもとんとつかむところがございません。宮の党は大和にあって、金剛山の裏から楠木勢を
「叡山に?」
時親はうめいた。
傍観者の彼の胸に描いている戦図のうえで、大塔ノ宮のうごきは、彼の兵学観からいって、もっとも興味ぶかいものの一つと観ているらしいのだ。――宮が千早に入ろうとせず、叡山に入ったということがほんととすれば、その意図は、叡山の大衆をつかって、直接、六波羅を奇襲し、洛中そのものを、関東勢力から宮方の軍治下に、奪いとってしまおうとする
「おもしろい」
「ひょっとしたら都では、
と、時親は灰みたいな老いの中に異常な熱をふと持ったようだった。
「……さて、日暮れも近そうだな、大蔵」
「今夜はどこに
「四天王寺と思うているが」
「じょうだんを仰っしゃってはいけませんぜ」
「なぜかい」
「堺や天王寺辺は、関東勢で、うっかり
「なるほど」
参ったという顔をする。
世の大乱も
「大蔵、まかせる。都へ入りさえすればいいのだ。道すじなどはどうでもな」
「ですが身を寄せる先の、おこころあては」
「大江
番作は途中で加賀田へ帰してやり、あくる日の二人は、淀の堤を北へあるいていた。
淀へ出たのは、舟を求めるつもりだったが、これは大蔵の目算はずれで、糧米の輸送船や警兵の小舟はあっても、ただの淀川舟などは見かけもされなかった。
「これもよからん」
負けおしみでなく時親はそう呟く。そして牛の背からの世間見物にむしろ満足顔だった。
けれど次の日はもう彼もそんな傍観者ぶりではあるけなかった。夕ちかく、道は八幡のへんにかかっていたが、対岸の
「なんじゃろう?」
赤い煙を遠くに望んで、時親は思慮にあぐねたさまだった。するといつのまにか牛のそばから消えていた忍ノ大蔵がどこからかもどって来て。
「赤松勢だそうですよ。
「ふム。さかんなものだな」
「前の月には、その赤松勢のほうが勝ち色で、一時は桂川、
「たれに訊いた?」
「そこらの者の噂です。てまえも久しく都は見てないので」
「したが、赤松勢も山崎まで撃退されているのじゃから、都にはいれぬことはあるまい」
「それや、どんなことしても入れぬことはありませんがね、夜道はやめましょう」
「あやうきには近寄らずだ。なにも夜道を行くことはない。だが泊るところはあるか」
「いい寝床を見つけておきましたよ。このさきの漁小屋でさ。子づれの女が住んでいましたが銭をやってほかへ追い払っておきましたから火の気もあるし
そこは。
堤の蔭に
牛をつなぎ、身をいれるばかりな小屋のむしろに坐って、ふたりはゴロ寝ときめた。だが夜は長すぎる。山崎ばかりでなく、鳥羽、伏見、あっちこっちの空も赤い。大蔵はどこからか酒を買って来て、
「どうです、おひとつ」
と、時親にすすめた。彼もまた欠け茶碗へ手酌で飲むことしきりだった。そしてなにか言いたそうなふうでもある。時親はにがりきった。酒茶碗には手も出さない。
「先生」と、大蔵は唇をゆがめた。これは彼が酔に達した証拠である。「いちど腹を割ッたところを伺ッてみてえもんだと、かねがね思っていたことですがね」
「なんじゃ?」
「いったい、先生って者は、宮方なんですかそれとも幕府方なんですか」
「いずれでもない」
「どっちでもねえんですかい。ふうム? ……」
ただ酒がからんでいる風でもなく、あぐらに首を突ッこむような恰好で大蔵は考えこんだ。
「じゃ、もひとつ訊きますがねえ先生。……どうしてこんどは山を降りちまったんですえ」
「大蔵」
「おや、なにか気に食いませんか」
「きさまの一命はわしに助けられたものだったな。酒もつつしみ、一切の命に服し、生涯をわしにくれるという約束だったな」
「ということでしたかね」
「なんだその
「こん夜だけは、ということでまあ今の返辞を聞かせておくんなさい」
「途々も聞かせたろうがの」
「あれだけですか。身の素姓が知れたので寄手の大将が迎えにきた。寄手の陣に迎えられれば自分は元来北条氏の一族だから北条方につかねばならん。それだけですかい」
「栄達はのぞまんのだ」
「それはいつも伺ってたから、さすが、おえらい隠者だ、おえらい学者だと、すっかり心服していたんですがね」
「なにが不服でそんなことをば今夜にかぎッて言い出すか」
「
「たわけ者、兵学は兵学だ、戦を起せということじゃない。当代のこの大乱は必然におこったものだ。時親一個がけしかけたところで始まるものではない」
「ですがさ、そんな風にこち
「だから寄手の迎えにも行きはせん。たとえわしを軍師とあがめると申しても」
「そこが分らないじゃありませんか。てまえがあなたなら、大蔵は軍師として立つね。侍だもの。自分が北条一族なら一族のためにはっきり立つな。それもりっぱだ」
「大蔵、寝ろ。うるさい」
「もすこしいわしておくんなさい。てまえも
「こやつ」
「怒ッちゃいけませんよ、あんたほどな大人物が。――あっしの不服とするところは、なぜあくまで先生も山にいて下さらないかというこってすよ。あなたにすれば教え子だ。それが千早にたてこもって、木の根や野鼠を食ってるンだ。それを見捨てて山を逃げ出しちまう“お師匠さん”なんてものがありますかい」
どうやら大蔵の言いぐさが酒の上でもないようだとみると、時親は、ほんとに怒って坐り直した。
「きさま、本性か」
「本性ですとも」
「では何事も、きさま、承知のはずではないか」
「でしょうか?」
「わしには宮方も北条方もない、ただ兵学あるのみだと、きさまにだけは申してある」
「む、ききましたね」
「時世観、宇宙観、そんなことは、きさまにいっても分らぬからいわん。けれどわしの願望は、たまたま身にうけ
「うかがいましたよ」
「ならばなぜ、しちくどく、こん夜にかぎって、それをへんにごねおるのか」
「あっしは元々、伊賀生れの
「しれたこと」
「すぐ
「まだ、もんくがあるのか」
「言いたいねえ」
「いってみろ」
「と、出られると、こっちは学がねえんだから、このもやもやを巧くは口に出せねえが、ざっくばらんにいって、おれは
「それが」
「忍の仲間じゃ第一に二た股者は人間とは見ていねえ。仲間同士のほかは
「単純だな」
「だが先生。そいつがあればこそ、あっしは、おまえさんに助けられた恩を恩とかんじて、いいなり気なり、御用をつとめて来たッてものじゃありませんか」
「かねもふんだんに
「けっ。かねだといやがる。これでもいぜんは六波羅の放免がしらだ。そんなものに目がくらむ俺か。恩にひかれて、ついおまえさんを買いかぶったまでのことだよ。……ところが、二度三度、千早のとりでに入ってみて、こいつはと、正直考え直したのだ。正季どのはいまだにお師といえば
「あわれなやつだ」
「どっちがですえ」
「おのれというおろか者がだ。まだ酒癖が直らんな。これ大蔵、一ト晩寝てよく考えろ。おのれはどうかしてるぞ」
老獪である。時親はやっぱり腹を立てなかった。下郎のたわ言、いわせておけと、木枕をとって、うしろ向きに寝てしまった。
眼がさめた。もう朝らしい。ひばりか、よしきりの声か、川面の霧がうッすら陽の色をさまたげている。
いつかしら、大蔵の姿は小屋に見えなかった。
時親は何かぶつぶつ言っていたが、あきらめたふうである。やがて、むしろを立って、河原の葦の下へ行き、口をすすぎ、顔など洗って、ゆうべつないでおいた牛のそばへ歩み寄った。
すると、堤の蔭に腰かけこんでいた大蔵が牛の向う側から、のっそり立って。
「先生、おはようございます」
「なんだ、いたのか」
「へ、へ、へ」
「きさま、あれからよそへ行って、よそで寝たな」
「じつは酒を買いに行ったとき見た女があるんで、それと約束しといたもんですから」
「よく約束を忘れぬほど性根があったな。さんざんわしに毒づきおった。おぼえておるか」
「どうも、その」
面目なげに、大蔵はあたまを掻いた。それも指の先で横びんを掻くようなのでなく、大きく腕であたまを抱え込んで見せ。
「何か先生へたんかを切ったんでございましょう」
「きさま、なかなか油断はならん。生酔い本性たがわずだ」
「いえね先生、ここんとこ、変にイラついていた自分が自分でもよく分っていたんでございますよ。なにしろ長いこと
「自分で申すわ。あきれたやつだ」
「もう、ご心配はおかけしません。今朝はあたまがスウとして気も柔らかになりました。ついでに、ゆうべの女に朝飯を持って来るようにいっておきましたから、ま、もいちど小屋へもどって」
と、大蔵は湯など
そこへこの辺の
「しようがねえな、ほれ」
と大蔵は、なにがしかの
「だいぶ今日は武者に会うな」
「いますね、ずいぶん」
「対岸の赤松勢を
「桂川か、七条辺か、あっちではもう合戦じゃありませんか。今朝もまっ黒に煙っている」
「むずかしいな、だいぶ。これや京へ入るのは一ト骨だろう」
「むりはよしましょうぜ。遠くても深草へ抜けてみたら」
「そうだな、大和口には煙もみえん。大蔵、いずれ木戸の調べもあろうが、
「ぬかりはございません。そして、てまえは薬持ちの
洛内はもう鼻のさきに来ていたが、深草を過ぎたころからやたらに兵馬の
往来止め
の制札だった。
やっと、時親と大蔵が、京の大和大路の口、極楽寺へんにたどりついたのは、また一ト晩を、木賃に寝ての翌日となっている。――しかしその日、法勝寺一ノ橋二ノ橋なども、遠くから見てさえ陣気もうもうの様子である。二人はおそれをなして、ここでも道をわざわざ
「大蔵、
「さようで」
「このあたりは?」
「
「羅刹谷」
「名は不気味ですが、ながめは
「ちょっと降りよう」
「また、
「なにせい、年をとると、尻の肉がうすくなってな、
自嘲しながら、時親はもう牛の背から降りていた。
岩つつじの間に、二人は腰をおろした。しばらくは眼を、西の京から東の京へ、また加茂川や丹波ざかいの山波へまでさまよわせる。
「なるほど、都の顔は、焼けあとだらけだ。いちど赤松勢が攻め入って、六波羅もあぶなかったという噂は噂以上だわえ」
大蔵はつぶやいた。けれど、黙りこくっている時親の横顔をちらとのぞいて、彼もそれきり黙りこんだ。
途々にも聞いている――
桂川をやぶって赤松勢がなだれこんだ合戦の日には、洛内数十ヵ所から兵火がもえあがり、新帝(光厳天皇)の
「大蔵」
「へ」
「どうもわしの訪ねる
「焼けているかもしれませんね。いや家は残っていても、おそらく人は住んでおりますまい」
「さてどういたそう?」
「ほかにお心あては」
「壬生がだめだとすれば、
「寺ならなにも」――と大蔵は立って、急に近くの阿弥陀ヶ峰や東山を見まわして言った。「このあたりだって、寺はいくらもありますぜ。それに、てまえが存じ寄りの寺もある。ひとつ、お気らくな当座のおちつき場所を、てまえが行って、諸所問い合せてみましょうか」
しばらく考えていたが、時親は。
「では、さがしてもらおうか。身さえおける所なら、壬生ともかぎらぬ。
「寺ならいいんでございましょ」
「が、なるべくは、武者などのたちよらぬ、静かな寺院の一室なと借りうけたい」
「お案じなさいますな」と、大蔵はこころえ顔に「――小寺ですが、てまえが六波羅にいたじぶん親しくしていた和尚がいまも鳥部野にいるはずです。もし、そこがだめでも二、三ヵ寺はめあてもないではございません」
「たのむ」
「じゃあ、ここでお待ちくださいますか」
「待っておる」
「ちょっと、ひまはかかるかもしれませんが、先生、ここをうごいてはいけませんぜ」
「うごくまい」
「迷い子になると、てまえが捜すに苦労しますからね」と、大蔵はそこらの岩へ、牛の手綱をぐるぐるまわして、
「やい、てめえも、草でも喰べながら、おれのもどるまで、おとなしくここで待っているんだぞ」
と、いいきかせ、やがてすたすた瓦坂の方へ降りて行った。
しかしこれが何と、行ったきりで、待てどくらせど、なかなか帰って来なかったのだ。
時親は次第にいらつきはじめていた。おとといの晩のこともある。また酒か女にでもかまッているのであるまいか。下郎根性はぬけないものとみえる。きのう今日は、あんなに酒の上を悔やんで神妙ぶッて見せながら――と、すこぶる腹がたって来て、どうにもたまらないらしい
すると、案のほか。
忍ノ大蔵はいかにも懸命らしく、やがて坂下のほうに姿をみせた。そして、やや息ぜわしげに登って来ると、時親のまえに立って言った。
「どうも、お待ちどおさま。先生いいところが見つかりましたぜ」
「あったか」
「ありました」
「ご苦労、ご苦労」
時親はすぐ機げんをよくして。
「して、何と申す寺か」
「寺ではありませんがね」
「寺院でない? それではどんな家か」
「六波羅です」
「六波羅のどの辺?」
「
「な、な、なんじゃと」
「おどろくのかい、兵学の大先生がよ。
「かっ」と、時親は刀に手をやって「大蔵ッ、気が狂ったか」
「そちらさまでしょう、気がちがいそうなのは。こちらはかくの如く、たいへん正気でございますがね」
「う、うぬっ、何を考えて」
「
「ち、千早へ」
「おおよ! てめえのような
どうみても、今日の大蔵には酒の気はない。乱心でもない。しかも語気は、おとといの晩よりすさまじい。
時親は、かあっと、赫怒を、肩の息にあらわしてきた。
「下郎っ」
はったと、にらんで。
「わかった、きさまの
「言いなさんな。正成どのは、おまえさんのことなんざ、悪くもいわず、よくもいわずだ。ましてこの大蔵の
「…………」
「だが、おれは見た。人間もほんとに信じあって一つにかたまると、こうも強く美しくなるもんかっていうことをね。人間を見直したよ。やくざな俺までがあの籠城には手をかしてやりたくなるんだ。千早の中へはいったのが身の
「それが正成の魔力だわ。
「ごめんだ。あっしは千早へ舞いもどる。おまえさんは、あっしがいいおちつき場所をきめておいたから、六波羅の内へ入って、せいぜい、鼻毛の毛抜きと
「だ、だまれっ」
「だまるさ。もう、おさらばだ。長居はしていられねえ」
「待て」
「まだ用か」
「きさま、わしをここにおき去りにして、しんじつ、千早へ走る気か」
「くどいな。さすがおまえさんも山を出るとまるで木から落ちた猿だったね。さっきから、足もとも見ていねえンでしょ。下の道をごらん、山すそを覗いてごらん。もうお迎えが来てるんだぜ」
「なに、なんじゃと?」
「おれはどこまで親切者さ。じつは六波羅の検断所へ、かくかくの人物がここにおりますと、密訴しに行っていたんだよ。すぐこの下まで、六波羅兵を案内して来ているのさ。呼んでやろう。――爺さん、逃げてもおそいぜ」
あまりのことに、ただあやしみにとらわれて、時親は、嘘かと思ったほどである。が、大蔵はひらと一だん高いところへ駈けあがって、下をのぞみ、大声で何ものをか呼んでいた。そしてもいちど、時親の頭上へ悪罵をあびせかけるやいな、一散になお上へむかって逃げ走ってしまった。
「しゃッ。この
時親は、狼狽した。
大蔵の悪口雑言は決してそれだけのものではなかったのだ。事実、眼の下からは、数十人の兵がわっと道もえらばず駈けあがって来たのである。時親は髪さか立ててそれへ呶鳴ッた。さすがその
「待てッ。わしは逃げん! わしは逃げんからまず忍ノ大蔵をさきに引ッ捕えろ。

冬じゅうにはなかった。春になって、それもつい先月頃からのことである。
ときどき、
ここは、洛東の三十六峰もずっと南端れの、世間からいえばほとんど世間外な山寺や古別荘ばかりな所なので、たれはばかることもいらないせいだろうか。その

小

こん夜も、
法師は
からだつき小さく弱々しいが、年のころは二十一、二か。
「…………」
いま一曲を弾き終ったが、なにか自分では、とんと不満であるらしい。
「……?」
そのさまを見つめていた。
やがて。尼がたずねた。
「覚一、どうかしたの?」
「ええ」
琵琶を膝に立てて。
「へんです。こん夜は」
「そんなことないでしょう。ここで
「いえ、お母あさんにはそうでしょうが、覚一には何だかいつものようでないんです。琵琶のせいでもないらしい」
「では、もういちど、
そのかすかな音にうなずいて、覚一はふたたび、忠度都落ちの一節を
「ああ、やはりいけない!」
「どうしてなの、覚一」
「お母あさん。……どこかに人の気配がしませんか」
「いいえ、たれも」
「床下だ。私のいるこの部屋の下にちがいない。人間がいる」
「えっ?」
草心尼は血のけをひいた。
――ここの床下にたれか人間がひそんでいる?
思うだけでも、ぞーと、草心尼は肌がさむくなった。
「まさか」
しかし、この子のかんは時によりびっくりするほどよく
「……
やがて覚一が、膝の琵琶を、そっと横へおきだしたので、彼女はあわてて。
「およしっ。覚一」
「でも、気にかかるではありませんか。気味がわるい」
「ですから、怪我でもするといけないもの。ひょっと盗人でもあったら……」
「盗賊ならなお心配はいりません。欲しい物を持って行かせればいいのです。お母あさん、
「だって、そなたは
「私には無用ですが、床下に潜んでいる者が不覚な狼狽をせぬように明りをみせてやるのです。ご心配なされますな」
覚一はまもなく、小さい紙燭の灯を片手に、廊の
とたんに、その明りのゆらめきを下で破って、カサッと、生き物でも
「……? ア、逃げた」
覚一はほっと
いったい何者だったのだろう。
すぐる年には、足利高氏の一勢が、しばらく住んでいたことのある
でも覚一は、ここが気に入っていた。――ついこの間までいた小松谷の探題北条仲時の邸よりは、山静かだし、武者出入りもなし、何よりはまた、琵琶を弾くにも歌うにも、たれに気がねもいらないのが好ましく、
「いつまで居たい」
と、いっているほどなのだ。
これも先月の赤松勢の洛内乱入のせいだった。――新帝以下、すべて六波羅へ疎開され、そのおびただしい方々のお住居には、探題邸をも明けねばならないことであった。――草心尼母子が他へ移されたのもそのためで、またそれほど都のまもりがいまは危険にひんして来たことでもあった。
「おやっ。か、覚一」
「どうしましたお母あさん」
「なんであろ。また
「え。こちらへ向って」
「おお、大勢で」
怪しむまもなく、たちまち六波羅兵の十数人が、手の
「この家のお人か」
と、上へ
草心尼が「そうです」と答えると、仲間同士で何かささやきあっていた兵は、ふたたび、
「では、探題殿の
と、かさねてきいた。
「はい。先の月、小松谷からここへ移って来たものですが」
「それは」と、兵の中のかしら立った者がちょっと礼を見せて、
「お驚かせして、相すまんことでおざった」
「何かあったのですか。こん夜」
「たそがれこの近くで、一人の
「盗賊でも」
「いや以前、六波羅で放免がしらをしていた忍の者でおざる。それだけに素ばしッこい。今もこの
兵のかしらは、そう話してから、高床の床下を覗きこんだり、ほそ谷川のあなたこなたへ、松明を振らせてしきりに騒ぎぬいたすえ、やがて
「どうもお騒がせ申した」
と、わび、
「もしまた、明日にでもあれ、怪しき男がこのへんを徘徊していたら、おそれいるが、お
と、いいおいて立去った。
――ふと、こんな
「……お母あさん」
「なあに」
「まだお手紙のつづきを書いていらっしゃるのですか」
「もう終りました、やっと」
「ずいぶん長くかかっていらっしゃいましたね。鎌倉の
「いいえ」
「では……。ああわかった」
「あててごらん」
「三河の
「そうですの。よくわかるのね、そんなことまで」
「だって、この春その藤夜叉さんから大そう長い長いお便りがあったのに、ご返事も書けずにいると、日ごろお母あさんも苦にしていたではありませぬか」
「そう。やっとそれをこん夜書いたのだけど、文字というものは、不便なものね」
「けれど恋歌などは、わずかな字かずで、どんな思いも思う人につたえるではありませんか」
「ま。この子が」
と、母の眼は驚きをもった。
「いつか恋歌なども知っているのね。ところが、藤夜叉さんの持つ悩みは、そんなきれいな、やさしい悩みではないらしいのよ」
「悩み?」
覚一は、小首をかしげる。
「……藤夜叉さんは、それをお母あさんに訴えて来たんですか。いつかの長いお手紙で」
「ええ、あのおひとの以前は、人も知るように近江の
「どんなことを」
「それがね」
と、草心尼は何事にもかくしへだてのない子の覚一にさえ、ちょっと言いにくそうな言い濁りをかすめて。
「なにしろ、そんなお
「去年の春?」
「高氏さまが、一時この羅刹谷を御宿所としていた頃がおありだったでしょ」
「あ、そのころ、藤夜叉さんが、お子の
「ところが、かわいそうに、高氏さまはすげなく鎌倉へおひきあげになってしもうた……。そしてそれからのことでしたろ」
「そうそう、あれは後醍醐のきみが、隠岐へおうつしされるというので、洛中洛外、大へんな
「その夕のこと。東寺のへんで不知哉丸さまがお一人で、迷子になって泣いていたと、
「でも、そのごは一色村へ帰って、お子の不知哉丸さまと一しょにお暮しなんでしょうに」
「そうなの……そうなんだけれどね、そこにあのひとの、何かの悩みが今もって、心の深いきず
「だから、それは何なんです」
「書いてないんです、はっきりとは」
「書いてなくては、慰めて上げようもないではありませんか」
「けれど女の私には、そんなときの女の身にどんなことが起っていたか、分らなくもない」
「へ。わかるんですか」
「きれいな女のひとにはね」
彼女は、それだけをいって、ふと黙った。
もう遠い以前だが、足利ノ庄にいたじぶん、姉の使いで、隣国の新田義貞のもとへゆき、その晩、義貞にせまられて、恐ろしい桜吹雪のやみを
藤夜叉の手紙とても、決して男の名とか、佐々木道誉への恨みなどを、あらわに書いているのではなかったが、女の秘密といい、心身のくるしみと言ってあれば、もうそれだけで、尼の身の彼女にも、或る察しと、思いやりはつくのであった。
「そして? ……」覚一はなお訊きほじって。「お母あさんは一体、どういうご返事を藤夜叉さんへ書いたんですか」
「いつの世でも、女の道はけわしいもの、と」
「それはお母あさんの、ご自分の身の上も言っているのでしょ」
「そうなの。私には、おまえというものがあるので、どんなむごい月日に会っても、これきりだの、もう駄目だのと思ったことはありません。……おなじことは、藤夜叉さんにもいえるでしょう。あのお方も親一人子一人のようなものですからね」
「それに、高氏さまというお方も、いらっしゃる」
「でも、いろんなご事情から、高氏さまはまだ、不知哉丸さまとは、ご父子のご対面もなされていないし、藤夜叉さんも日蔭のひとでしかないんですよ」
「…………」
「だから女とすれば、あれこれ悩むのもむりはない。そのうえ藤夜叉さん自身にも、何か、ふくざつな事情があって、去年一色村へ帰ってからも、日夜、そのことで苦しんでいるらしいんです。……ですから、ひたすら
「地蔵尊のお絵をですか」
「ええ。……私たちが都へのぼる日、お
「それなら藤夜叉さんも持っていますよ。高氏さまからいただいたものだといって、地蔵菩薩のお守りを、いつも肌身に持っておいででした」
「では、あのひとにも、信仰はあるのかしら」
「いえ、お母あさんとは違います。地蔵菩薩のお守りも、藤夜叉さんのは、信仰で抱いているのではありません。男の愛のかたみとして、始終、涙に濡らしていらっしゃるのではございませんか」
彼女は覚一のませたことばに眼をあらためた。まアこの子は、と言いたげな
あくる日のことである。彼女は日課の法華経も
「覚一。ちょっと待って」
彼女はふと耳をすました。そして机を立ち、
「ゆうべの衆が、またなにか、騒いでいるような」
と、廊へ出て行った。
近くには何も見えない。彼女はつき当りの杉戸をあけて、低い階だんを降り、また廊を行って、
すると、眼に入った者がある。
大太刀をさしたわらじ
「人違いするなっ」
男は、どなっていたが、取りかこんだ六波羅兵は、耳もかすふうではなかった。
「それっ」
彼らは、まちがいないものと、まったく思いこんでいる。すでに男は、太刀に手をかけていたが、なおも、
「人違いだっ。おれは、そのほうらの申す
と、言いつづけた。
こなたの廊の端へ来た草心尼は、びッくりして、いちどは
「あぶないッ。待ってください。そのお人は、私のよく知っている者です。足利殿の御家来です」
このきれいな一ト声は、男の百言よりも、すぐ兵の反省を突いたらしく、遠くから兵の頭が、尼の顔をさがして言った。
「おっ、昨夜の
「止めて給われ」
「あなたも、まちがいだと仰っしゃるか」
「まちがいです」
「ではその者は、誰だ?」
すると、ひるみかけた兵をしり目に、男自身がこう名のった。
「足利どのから御勘当の身、旧主のおん名にはかかわりはない。浪人一色右馬介ともうす者だ」
「相違ないのか、
「相違ありませぬ」
「が、念のためだ。待ってもらおう」
打ッた釘のように、兵の頭はこの配置をくずさなかった。しかしまもなくここへ来た三、四人の放免たちによる“
「申しわけない。
と早々、麓のほうへ散って行った。
やがて、一室へ通された右馬介も、深く詫びて。
「草心尼さま。……おかわりものうて、まず何よりでございまする。覚一さまには」
「ただもう琵琶の励みに一念でございますが、あなたはどうして不意にここへ」
「久しく、具足師の柳斎となったり、また洛内にひそんで、
「鎌倉へお帰りか」
「いえ、まだ表面のご勘当は
「三河へ?」
「はい」
「それは……」と彼女は息をかえた。すぐ藤夜叉への
「いやべつに」
右馬介はかろく打消しながら、またなにか思い直した風でもあった。
「いずれお分りになりましょう。戦は大きくなるばかりです。したがって、高氏さまの御出陣もまぬかれますまい。あるいは急な実現となるような気もいたしまする。そこで折入って今日は、ちとお願いがあるのですが」
きいてみると、右馬介の頼みというのは、今夜、この
「おやすいことです」
尼は言った。
おもてむき勘当とはいわれているが、右馬介と高氏の仲、右馬介のおびている密命など、尼も薄々は知っていた。否む理由はなにもなかった。
それにしろ右馬介のあらわれは、尼にも唐突に思われたし、またなんのために、この
その夜、羅刹谷の一亭へ右馬介を訪ねてきた七、八名の侍がある。つまり密談の集合所にあてるためだったのだ。
しかも侍はみな、阿波の海賊岩松経家の部下で、なかには経家の実弟、岩松
この吉致は、かつて隠岐の島へ潜入して、後醍醐の脱出をたすけ、また
いま思うと。
千早の寄手に加わっていた新田義貞が「――病のために」と触れて、いつはやく自領
また、それだけでなく、――吉致はなおこの上にどうしても、いちど足利殿(高氏)にお会いせねばならぬ、しかも緊急に――と言っている。
ところが、新田足利の両家は、多年、人も知る
いまもって、国もとの隣国間では“新田とんぼ”と一方でさげすめば、一方もまた“足利
それゆえ、そんな
密会の目的がこうだとすれば、なるほど、現下の洛内ではめったに、こんな集合は危険で出来まい。――右馬介がここを選んだことにもうなずかれる。
そして彼が、吉致にどんな
朝は、
「…………」
きまって、朝の一ときを、彼は高床の欄のほとりに坐って、独り耳を洗っている。
あらゆるものが音楽であった。ほそ谷川も鳥の音も、雲の歩み、木々のさみどりまでが、彼には、楽譜となって、見えもするし、聴えもする。
「覚一さま、ここにおいででしたか」
「お。右馬どのですね」
「昨夜はさぞ、ご迷惑でしたでしょう」
「いいえ、なにも」
「いや、おさまたげしたにちがいない。しかし、さっそく今朝は拙者も退散いたしまする」
「お帰りですか」
「は。三河へ」
「三河とは、一色村でございましょうな。右馬どのの故郷ですね」
「さようです」
「母が、藤夜叉さんへのお手紙を、おたのみしたいと言っておりました。もすこしここでお待ちくださいまし。持仏堂で朝のおつとめをしておりますから」
「それや、ちょうどよい。藤夜叉さまには何よりのおみやげと申すもの」
「右馬どの……」と、覚一は両手の指を揉み合うように膝のうえでもじもじしながら、
「……よくは存じませんが、藤夜叉さんは、何か大きな悩みでも常におもちなのですか」
「さ」
はたと、返辞に窮したように。
「おありかもしれません。なんといっても
「高氏さまのお子なんでしょ」
「は」
「なぜ、ご一しょに、お暮しもないのでしょうね」
「さまざまな、ご事情と察しられます。もひとつ、いけないのは、この乱世です」
「乱世なればこそ、なおさら、せめて
「いや、それがです」
右馬介には、彼の一語一語が自分を責めるように聞えて何とも辛かった。そのためである。しいて、話をほかへ
「この大戦では、なかなかそうもまいりますまい。それに、たとえば、ここのお住居ですが、こことて、いつ恐ろしい武者嵐に掻きみだされぬ限りもありませぬで」
「かくごしています。母ともいつも言いあっています。けれど、母と私は、いま持っているこの倖せを、どんな浅ましい
「おうらやましいことだ」
右馬介は腹から言った。自分の身にもくらべて言ったことだったが。
「藤夜叉さまには、もっと、うらやましいことでしょう。しかしあのお方の位置は、あなたがたお
「なにかそんな変事が近々に起りそうなのですか」
「いや、まだ」
ぷつんといって、右馬介は急に口をとじた。
けれど
遠くの持仏堂から洩れていたすずやかな朝のおつとめの声がやむと、まもなく草心尼もここへ姿をみせ、藤夜叉への手紙を、右馬介の手へ託した。
「きっとお預かりいたしました」
と右馬介は、それを肌におさめてから、
「では、ごきげんよろしゅう。いずれ夏ともならぬうち、またかならずお目にかかれましょう」
と、まもなく、羅刹谷を早い足で降りて行った。
右馬介は、ひとまず七条
洛内の民家はあらかた軍に徴用されて“赤松焼き”と人の呼ぶ焼け跡だらけであり、無事な繁昌をみせている辻はおおむねが売女の巣か、軍の食糧調達所と化している市場か、さもなければ、右馬介が隠れ家を置いている職人町のごとき一劃に過ぎなかった。
鍛冶、弓師、馬具師のたぐいが黒い軒を接しあい、もうもうと煙のなかに住む矢ジリ鍛冶の小屋だけでも何十軒という数だった。そして始終、六波羅武士がやって来ては、諸職のものを督促したり、また、ばか話をしちらしていた。
しぜん、そんな間には、幕府がたの機微などもまま聞かれた。――先帝の隠岐脱出によるいろんな噂も、ここにはどこより早くひろがっていた。
また、ちかく第四次の鎌倉軍が上洛するだろうという噂もたかい。
しかし、いったい都の内では、一時といえ、どこにそんな将士を
事実、千早城さえ持て余して、一面では赤松勢に山陽道ののどくびをしめられたまま、あがきを失っている六波羅の窮状をみると、右馬介にも、第四次の関東軍の増派はまちがいないものと信じられた。――しかもこんどこそは、足利家にもいやおうなしの出兵令がくだるであろう。――そしてこのことは、彼の推測だけでなく、もし増援のばあいは、その大将には、名越殿の一族人か、佐々木道誉か、さもなくば、足利又太郎高氏のほかあるまいと、一般の下馬評もすでに言っているのであった。
「時は来た」
と思い、彼はここのところ、体がいくつあっても足りない気がした。――つい数日まえには、丹波の
やっと今日は、それもすまして、
「帰ったよ」
と、わが隠れ家へちょっとだけ顔をみせたのである。
ここには、あいかわらず彼の手下の具足師が七、八人で小ぜまい男世帯の仕事場をもっていた。それも住吉の時代とちがい、みな一色村から呼びよせた腹心の者であり、具足師をおもてにじつは終始一貫、彼の持つ秘密な使命をはたしていたものだったのはいうまでのこともない。
「おや、お帰んなさい」
雑然たるそこの仕事場に迎えられて坐りこむと、右馬介は居合せた手下の者へ、ゆうべの会合のもようをざっと告げ、自分はこれからすぐ一色村へ立つが、やがて近い或る時機をみたら、一同はすばやくここの世帯をたたんで、丹波の篠村に結集していろと、あとの策をさずけていた。そして、
「まずは、ここもこれでよし」
と右馬介はまもなくまた、魚ノ棚を出て行ったが、しかし彼はなお、その日には京を立っていなかった。
朝廷すらも六波羅へ御疎開となった情勢では、一般市民がみな家もすてて山野へのがれたのはむりもない。
だから洛内は
右馬介は、そんなあわれな者たちを見あきるほど見て、やがて仁和寺附近の尼長屋を曲がっていた。元々は一院の尼寺に附属して尼衆や後家ばかりの住んでいる所だったが、いまはそんな風儀にかまいなく疎開の男女がそれぞれ
「ごめんください。どなたか、おいでございませぬか」
と、右馬介はそっと奥へおとずれていた。
「おう、これは」
顔見知りらしい
むっちりと肥えた
右馬介は、たずねた。
「
そのことばで、ここの親子が何者か、素姓も分るというものだろう。日野の中納言
阿新丸とは、佐渡ヶ島へ渡って、父の資朝に会おうとして会えずに帰ったあの少年なのである。
「……あの子はもうここにおりません。隠岐の
こう語るのも憂わしそうな母親だった。――日野家の領は、
右馬介は、佐渡で会った阿新丸との縁で、そのごもしげしげここを見舞っていた。――また去年――高氏が羅刹谷から鎌倉へ帰る折には、日野
「そうですか。阿新どのも、はや十六、七におなりですな」
「なにしろ、きかない子ですし、それによく小右京さまを訪うて来る菊王という者と、いつも血気なことばかり話しあっていたようですから」
「無理もありません。父ぎみやら俊基
資朝の後家は、背にまとい付いている子の頬へ、頬ズリを与えるように

「
「いない」
と、その
「……でも、じきにお帰りになりましょう」と、資朝の後家は、右馬介の方へ。「今朝ほど、
「ほ。双ヶ岡へ何のご用で?」
「ご存知でございましょうが。兼好法師という、おかしげなお人を」
「吉田山の法師ですか」
「そうですの。その吉田山も六波羅兵の陣場になってしまいましたので、先頃から双ヶ岡へ、
こう聞くと右馬介はかえって安心した容子であった。彼女の無事さえ知れば用は足りていたのである。
がしかし、多少の不安が
「いや、お目にかからずとも、ご無事とさえ分ればよいこと。おもどりになったらよろしくおつたえおき下さい。いずれまたすぐ、上洛のときは、さっそくお目にかかりますれば」
と、言いのこして、まもなく彼の姿は、先を急ぐように、
彼の旅は寸陰のまも惜しんで、ほどなく海道の名古屋、岡崎から
あらためていうまでもなく、この地方は足利家の支族のものが古くから郷主として、また開拓者として、根をおろしてきた村々だった。
だからこの
郷党の珠
のごとき
といっても、半農半武士的な野性の中ではあるし、不知哉丸もとかく、ひよわい質だったので、なるべく陽なた臭くと、野馬や
「いつも村はのどかですな」
右馬介は、わらじを脱ぐとすぐ、生家の大きな
めったに帰郷することはなく、稀れに帰って、老父の刑部にまみえるときは、いつもこうするのが癖のようであった。
「いや、ここらもそろそろ、のどかではなくなったわえ」
刑部は眉さえ白い老齢だが、体はすこぶる頑強であった。すぐ自分の居間へ右馬介をいざない入れて、
「どうだな、上方は?」
と、水入らずの仲になる。
「待てば海路とやら、
「む。ご舎弟直義さまの名で、そして諸事の奉行には、
「馬匹、食糧、兵具、何かと大量にのぼりましょうな。足利ノ庄のご軍備は知れたもの。大蔵のおやしきには、なおさら、かたちばかりの用意しかございませぬで」
「さ……それで若い者から長屋侍も毎日みな出払っておる。わしを留守番役の恰好でな」
なるほど、くぬぎの防風林と
それだけに、父子の密談はかえってゆっくりできた。とくに中央の情況を刑部は熱心にききほじった。そしてなんども大きくうなずいた。
「そうか、それでは六波羅もさらに援軍を求めずにいられぬな。そして高氏さまの御出兵もこんどはまちがいあるまい。幕府も任命の大将を
「されば、次の大将は足利殿であろうと、京でも、もっぱらな下馬評です。いまおはなし申しあげた岩松党の
「では右馬介、そちはもう都へは引っ返さぬ気か」
「はい。ここにいて、殿の御上洛の
「藤夜叉さまにはまだ私の帰家を御存知ないようですな」
「ム。まだ告げてない」
「さっそく、あのお方にも、お目にかかり、不知哉丸さまの御無事も拝したいとおもいますが」
「おう、去年のことがあっていらい、人に会うのも
「では」
と、彼はやがて、老父をのこして、ひとり渡りの廊をすすんで行った。北の
藤夜叉と不知哉丸とは、じつの母子ではあっても、あまりに藤夜叉がまだ若くてきれいなせいか、よそ目には、姉と弟のようだった。
それに一色家以下郷党のすべても、不知哉丸へたいしては、
おん曹司
あるいは、
わか君
と、
「藤夜叉、藤夜叉」
として、呼びすてにしてかえりみないふうだった。
このこと一つでも、かの草心尼
だから、なにも知らず十一にもなった不知哉丸は、わがままいッぱいで、
「ばかっ、藤夜叉のばかっ」
つづいて、一そう
「
と、不知哉丸の足のさきが、なお双六の駒を、けちらしているのであった。そのため右馬介は、顔を出すのも
「…………」
藤夜叉はまだ、右馬介の方にはなにも気づいていなかった。ただ胸がいっぱいな容子であった。この小暴君の暴君ぶりも、可愛くてたまらないのに、そのことと、母のじぶんの
……が。やっと言った。
「ごめんなさい、若さま」
「知らない!」
「そんなこと仰っしゃらないで。……さ、やり直しましょう」
「ひとりでおやり! やりたいなら」
「だって、双六遊びはひとりでするものじゃないでしょ。ね、ごきげんを直して」
「そんならなぜおまえは、一人でするみたいなことをするのさ。ばかっ」
「ほんとに、ばかでしたわ。こんどは、気をつけましょうね」
縁へ飛んだ駒の一つを拾うために、彼女はなにげなく体の向きを変えて、手を伸ばした。そして、さっきから遠くにひかえていた右馬介の眸に出会うと、とたんに、その瞼は涙の
それをしおに、右馬介はわざと陽気に声をかけた。そして膝をも前へおしすすめた。
「や、せっかく、双六遊びの、お愉しいところを」
藤夜叉も、あわてて涙をかくしながら、座をゆずって。
「……ま、いつのまに右馬どのには。……若さま、右馬介がみえました。また、おもしろい都ばなしがおありでしょうに」
「若ぎみには、いよいよ御成人でいらっしゃいますな」
「――右馬!」と、不知哉丸はまだほんとには、機げんも直りきッていない顔つきで「いつ来たの? おまえ」
「たった今しがたでございまする。はい、このたびは、火急な用でくだりましたので、若ぎみへは、何の都土産もございませぬが」
「いらないよ」
不知哉丸は、ぷいと立って。
「右馬! 藤夜叉は
「は、は、は。若ぎみは負けずぎらいでいらっしゃる。武将のお子だ。それはけっこうですけれど、負けて怒ったりなされてはいけませんね」
「だって、藤夜叉のは、いつも人をだますからさ。ただの勝ち方ならいいんだけれど」
「晩にはひとつ、この右馬がお相手つかまつりましょう。右馬を負かしたら、若ぎみもおえらいがな」
「きっとかい」
「はい」
「じゃあ、何を賭ける」
「何でもお賭けいたしまする」
「よし。藤夜叉なんかおもしろくない。右馬めを、きゅうきゅういわせるぞ」
「腕をさすって、晩の勝負をお待ちしましょう。ですから」
「ですから何だい?」
「少々、藤夜叉さまとここでおはなしがあるのです。若ぎみにも、大人のはなしなどはおもしろくありますまい」
「そうだ、弓の時刻だ。このごろは若党たちがちっとも
「おう、それはご立派なお心がけだ。右馬介もあとからお的場へ伺いまする。そして若ぎみの御習練ぶりを一つ拝見させていただきましょう」
「来る? きっとだね」
不知哉丸は、ひと間のうちへ入って、弓袋を解き、美しい弓を片手にすぐ庭へ駈けおりていた。そして北庭の的場の方へ走って行くその
「藤夜叉さま」
右馬介は、われに返って。
「さぞお可愛いでしょうな。憎まれざかりで、お手を焼くこともままでしょうが」
「ええ……」と、藤夜叉のおもては、母である以外のなにものでもなく「仰っしゃるまでもございません。……ただいつになったら、あの和子が、晴れて
「いや、遠い日ではございませぬぞ。ようやくその日は近づきました。およろこびなされませ」
「えっ、ほんとによろこんでもよいのですか」
藤夜叉は胸がさわいだ。父子の対面の日は近いという。もしそれがかなえば不知哉丸も、
隠し子
ではなくなるのだ。自分もまたその日からは、“日蔭の女”ではない。思うだけでも、体のうちにあけぼのがさして来る。
彼女という悲母の悲願は、それ一つにかかっていた。自分は元々、
「……右馬どの。もすこし詳しくおきかせ下さいませぬか。どうしてその日が近いと分るのでございますか」
「じつはです」
と、右馬介も彼女の真剣さに気押されて、たんなる慰め言ではすましていられなくなった。
「ほぼ、殿のご上洛が、実現になりそうなのです」
「上方への御出馬が?」
「はい」
「いつですか」
「いやまだ、幕府の任命は出ておりません。けれど、確実なところから洩れた取り沙汰です」
「でも、風説ならこれまでにも、幾たびとなく同様なことが、海東でも言い
「さ。それは幕府内に、殿を視る眼の
「途中、この一色村へもお立寄りになられますか」
「いや三河路はお通りになっても、道をまげて、一色村までは、いかがでしょうか。そこは予想しかねますが、この近傍にて、馬匹、食糧などの装備を加え、また
「……右馬どの!」と、すり寄ッて。「それならまたとない
「時は近い、と申したのはそのことです。かならず、あなた様と若ぎみのお手をひいて、殿の御陣所へうかがい、右馬介が十年の労と一命に替えても、ご父子の対面を、お願いつかまつる所存でおります」
「ご恩は忘れませぬ。ああ、うれしい。けれど、なろうならば、その上に」
「なお、まだ何か?」
「殿へおすがり申してみてください。和子もはや十一です。しかも父高氏さまにとっては一代の御出陣。いっそ合戦にもお連れあそばして、そのよい日を不知哉丸さまの
「なるほど」――右馬介は感動した。しかしこれは不知哉丸を擁している郷党たちの意見もきいてみねばならず、彼にもひきうけられる自信はなかった。
「そうそう、つもるおはなしで、つい申しおくれましたが」
右馬介は、急にふところをさぐりだした。そして、
「これは、草心尼さまからおあずかりしてきたお手紙でございまする。なにやらあなたさまのことを深くお案じのようで」
と、藤夜叉の前にさしおいた。
藤夜叉はそれをすぐにはひらいて見なかった。なつかしさやら、また自分のくるしみをどう解いてくれたやら、すぐにも見たいのは山々だったが、
で、さりげなく、
「さだめし、おふた方はいつもお倖せでいるのでしょうね。覚一さんも日ごと琵琶のお師の門へお通いになったりして」
「どうして、都の内も昨今は、それどころではありませぬ。みかども公卿も六波羅へご疎開の騒ぎですし、草心尼さま母子も、羅刹谷のおくへ移されたような心細い有様ですから」
「でも、あのおふたりを思うといつも羨ましい。なんのご苦労さえないようにみえる。それにひきかえ、和子と私は、よほど
「いやいや、やがては、晴れてよいご身分になるはずです。ただこの大戦がおさまるまでのご辛抱だ。それはしかし、やさしいご辛抱ではありませぬが」
そこへ、不知哉丸がまた、駈けもどって来た。小袖の片肌をぬぎ、弓をかかえて庭もから、
「藤夜叉」
と、昂奮した声で、
「右馬介も行ってごらん。いまね、鎌倉のお使いが
「えっ、ほんと」
「ほんとだとも」と、四
「ま、お待ちなされませ。
「右馬、わしもみなと一しょに弓を持って戦に行くのだ。藤夜叉は女だから行けないね」
そのとき、浜の方で貝の音が鳴り出していた。
郷党の野や家へ、集合を告げているのであろう。すでに七郷の足利党は、西に戦雲をながめ、ひがしに鎌倉の空を見て、
「令は、いつか」
と、出動を待ちぬいていたことだった。とくにこの地方は、足利家の穀倉でもある。営々と半農半武士の黒い汗と代をかさねて、武具や馬匹を蓄備してきた財源の地でもあり、すべては、
「今日のために」
と、言わずかたらずな誓いが、畑にも野にもみちていた
――やがて藤夜叉と右馬介とは、不知哉丸に引かれて、庭山の小高い所にのぼっていた。そして遠くはない浦の方を眺め合った。――
幕府の第四次の召集令は、鎌倉近傍だけでなく、遠くは房総から、甲信の方面にまでわたっていた。それも、
一々参府 ニ及バズ、各、領国ヨリ即日、出兵セヨ
という急命で、そして、それの総帥には、北条一族中での大族、
名越尾張守高家
が任ぜられ、べつに、副将とはいわず、からめ手の総大将として、
足利又太郎高氏
が、あげられていた。
高氏は郷里足利ノ庄に居ず、去年、京の
「はて?」
とそれを怪しんだ。
こんどの出兵令をうけた二十一藩のうちに、近江の佐々木道誉の名は編成の中になかったはずだからである。
それもあるし?
道誉といえば、たれも知るように、
「ありえぬことだが」
と、いぶかる足利家の家中であったが、
「いや、ありえなくはない。ありそうなことでもあるわ」
と、ひとり
幕命がくだったのは、おとといだったが、ゆうべの夜半までは、高氏、
その
「兄高氏事、このところ、病気のため」
と、釈明につとめたのだが、二度めにはことわるに辞もなくなって、
「ここ数日の、ご
と、願い出ている。
しかし
で、お受けのほかなく、今朝は高氏自身が、
「病を押して」
という前ぶれのもとに、執権のやかたへ伺候していたが、事はそのあとなのだった。
なんの発令も聞かない道誉の俄な出陣と聞いて、直義も意外な念にうたれていると、その一室へ師直が姿をみせて、彼一流の献策をささやいた。
「いやなに、道誉への不審なら、てまえ一存の儀に、おまかせくだされい。――出陣の列もつい今しがた、二階堂の門を出たばかりとか。追ッかけて、あの若入道を途にとらえ、腹をさぐってまいりまする」
昨今、鎌倉は軍都でしかない。しかし北条九代、とくに今の高時の代では、一面
「さぞ、見ものであろうよ」
と、辻々は見物人で賑わっていた。武者の出征や行列などは、ただの往来人のように見あきている鎌倉の住民なのだが、
「道誉どのが」
と聞くと、格別な興をそそられてくるのらしい。あの
その佐々木道誉の陣立ちは、さしてたくさんな兵ではなかった。多くは近江伊吹の国元においてあるからであろう。二百たらずの小勢であった。けれど二階堂のやしきから貝の音にしたがって歩武堂々と町なかも意識して
馬上の道誉は、黄の
道誉笠
と、いったりした。
旗さし物は、黄に白抜きである。旗本十二人のいでたちも、兵の笠じるしも、荷駄の
「とまれ」
という令に、鶴ヶ岡の大鳥居の前で、ややしばらくの停頓をみせていた。
道誉の姿が、そこで下馬して、森のうちへすすんで行くのが小さく見えた。社前に祈誓をこめて行くのだろう。いかにも神妙な大将におもわれた。
さらに彼は、若宮大路の執権邸の前でも下馬して、柳営内の
「や、何者だろう、あれは」
道誉の不審に、
「はて見たこともない?」
と、旗もとたちも、眼をこらしあった。
しかし、そのまま駒波をすすめて行くうち、道誉がまず驚いたような口調で言った。
「あっ、
左右の士はなおいぶかった。
「ご存知の者ですか」
「知らいでか。足利家の国家老、高ノ師直という男だ。……あの師直めが、さて何しに?」
先廻りしてここに彼を待っていた師直は、列が近づくやいな、
「おそれいりますが、しばらくのおとどまりを」
と、道誉の馬前にひざまずいて心からな辞儀を作った。
「なにやつだ」
わざと空とぼけて、道誉は。
「
「お見忘れでございましょうか、足利殿の内の者、高ノ師直と申しまするが」
「あの
「は。その陪臣で」
「かかる途上へ何のために」
「御発向とうかがったのも今朝がたのことで、ぜひなく」
「して、何だ?」
「ご出陣のお祝いを述べに」
「お祝いに?」
「それと、一度は深くおわびごとも申し上げねば相なりません」
「あれ、覚えているのか」
「重々申しわけなく存じております。あれはつい百日ほど前の、左様左様、年の瀬もおしつまった
「よくこの道誉を、したたかな目にあわせたな」
「それが、あとでは、まったく何の
「ばからしい。そんな酒乱の尻ぬぐいを、この出陣のさいに聞いていられるか」
「わきまえてはおりまする。しかし、おたがい武門は、かく続々と前後して戦場に出で立つ折。いささかな悔いも残しておきたくありませぬ」
「勝手に詫びろ。また足利家でも、いやおうなく、今明日には出陣だろう。どっちから祝いに出むくこともあるまい」
「いや。これへ参ったのは、師直が一存にすぎず。なにとぞ、過ぐる日の無礼は水にお流しあって、師直が心ばかりな、とっさのお
ねばることでは、道誉はとうてい彼の比ではなかった。師直の主人高氏は、道誉をひどくニガ手としているが、師直は何らそうした風ではない。いつかの初対面のときからして、彼は彼を呑んでいた。
師直は急に、浜のなぎさの方を振りむいた。そしてこう大声で呼ばわった。
「おうい、なにしておるか。はようせんか、はよう」
さっきから浜には一そうの花見幕をめぐらした屋形船がついていたが、声とともに鳥籠のフタでもあけたように女たちがこぼれ出て来た。鎌倉一流の白拍子たちである。
――やがて行軍の部下は砂丘のあたりで休息を命ぜられ、道誉もいつのまにか、彼女らのとりことなって、屋形船の内にいた。
彼女らは征途にのぼる武将の歓送には馴れきっている。
――それなのにと、彼女らはいう。そのわたしたちに黙って立つ法はない。そうはさせるもんですか。さあわたしたちの出陣祝いをおうけなさい。わたしたちの千人針を持たないで
「ま、待ってくれい」
道誉は応酬に狼狽した。
「ま、待て。どうして知ったのだ、きさまらは」
「じゃの道はへびですもの」
「師直めに教えられたな」
「ご恩にかんじておりますわ。師直さまを」
「ふざけたやつだ」
「どちらがですえ、
道誉は閉口した。さすが兵に気がねもあるのである。女たちのさす杯を片ッ端からみな干して、さっそく錦の
「めでたく凱旋したらまた会おう。留守中あまり浮気するな」
と、戯れながらやっと振り切って女たちの中から立った。
すると師直が船の外で言った。
「白龍。なぜあちらの大勢にも
「はいはい。ただいま」
白龍は、
そのあいだを、師直は巧みにこなたでとらえていた。――先を急ぐ道誉の身の寸間をである。――道誉は屋形船の花見幕から体をあらわしたが、なぎさの浜に師直がひざまずいていたのを見、彼もそのまま船べりに腰かけた。
「師直」
「は」
「つまらぬ洒落だな。これが道誉への出陣祝いというつもりか」
「いささか御一興になろうかとぞんじまして」
「うそをつけ。そちはわしの腹を知りたいのだろう。女どもをつかってさぐりに来たのだ。わかっておる」
「さすがは御明察……」と、師直は悪びれもせず、その不遜な体躯をすこし
「まったくは、その通りです。何ゆえの俄な御発向か、主人のため、お伺いにまいりました。――このたび大命をうけた出陣の簿には、佐々木家のおん名はみえておりません。しかるに、第一番の御発向とは」
「そのことか。つら構えに似げなく、主家を思うらしい料簡にめでて教えてつかわす」
「はっ。ねがわくば」
「わが行く先は戦場ではない。とかくお味方中にも、二心疑わしき不心得者があるため、それの監察にまいるのだ。すなわち、執権高時公のお
一本
が、師直もさるものだ。陪臣の低姿勢を、くそまじめなほど守ッているが言辞はどこか、ぬけぬけしていた。
「ははあ、つまり三軍の“後ろ目付”でございますな。二た股者くさい大将は
「にくまれ役だ、こいつはな。しかし高時公の台命なればぜひもない」
「いや、なかなか。さすがお目のつけ所は大きい。おそらくあなた様のご献策と人は拝察いたしましょう」
「ばかなことを」と、道誉はちょっと目かどを立てて「柳営には、
「さようかも知れませぬが、しかし当今での御人物は、近江殿とたれも評しております。主人高氏なども日頃さように申し上げておりまする。されば高時公のお目からみても……」
師直はここでにゅっと笑ってみせた。毛ぶかい木像蟹が腹の裏がわをチラと覗かせたような白い歯だった。言外に相手の急所をくすぐッているのである。いつか白龍の家では、酒の上だがそれを口に出したこともある彼だ。――足利家の者も盲ではないという意味をである。――そして一体、道誉自体の
「…………」
ふたりの眼と眼が戦った。
道誉の方にも或る覚えと警戒があることは否めなかった。それなのに、高圧的な先手を取ッて釘を打つような言を
「ま、どちらにいたせ、晴れの御出馬、大慶この上もございませぬ。さっそく立ち帰って、直義さまへ、仔細、おつたえ申しおきまする」
「ご
「何せい、今朝は殿もお留守のさいに、俄な佐々木どのの御出陣と伺い、いや意外な噂におどろきまして」
「狼狽したか。はははは、御仮病でいたなら、さもあろう」
「なんの、それに虚構はおざりませぬ。切に御自重をねがっていたのは、われら家臣どもで、殿にはムリなお体をおして、はや今日は、執権邸へおいとま乞いに参上なされておられます」
「当然だろう。……いやいずれ御西上の途中では、いやでもわが領国近江路でお目にかからぬわけにゆくまい。くれぐれ、このたびは心して近江を越えよと、高氏どのに言っておけ」
あきらかに挑戦的な口吻だ。ふくむところ歴々である。言いすてるやいな、師直ごときは眼のすみにもないように道誉は待たせてある山吹揃いの一軍をひきいてすぐ進発し出した。けれど、そんな道誉も、砂丘にのぼッて見送る女たちの白い手にたいしては、馬上から振向いて、金扇を開き、ひらひら
柳営、執権御所内の石ノ庭に面した控えの一室は、
と称されている。
北びさしの冷んやりと陽に遠い夏向きな用部屋だった。
「石澗の間は、
などといわれたりしている所でもあった。
もう
高氏は、公式の
だが、彼は退屈そうに
石ノ庭と話していた。
白砂の石のほか、一木一草もつかっていない庭なのだ。初めのほどは「なるほどこの庭の造意は、石を観せるところにあるのだな」と見ていたのだが、一つ一つの石をその心ぐみで観賞していると、どうも
さして、名石らしい名石はないのであった。どれも頑愚な凡石か、
では、この庭は何をみせようとしているのか。
たしかこれが造庭には、円覚寺のうちのえらい坊主があたって、庭師とのあいだに、こんなばからしい庭をと、大論議があったものとか聞いている。そしていずれをとるかは、執権のご
変っている、ただそれだけの庭だろうか?
高氏は、やっと見つけた。いや彼の禅の師、
それをこの庭は提唱していた。
見るべきものの何一つ置いてないのは、人の心を
とまれ高氏は膝の冷えもわすれていた。そのうちに静かな眸をうごかした。はるかな橋廊下を渡るとどろな足音がふと耳に入ったからである。きらやかな群臣の中に高時のすがたも見えてすぐ奥殿へ消えて行った。
「足利どの」
やっと、うしろに声がした。高時の側近のひとり
「いざどうぞ、ご
「お取次、恐れいる」
「あなたこそ、ご病中とかを」
「いやさして大事でもございませぬ。して今しがた、お表から奥へお成りのようでしたがあれは?」
「お
「ほ。立たれましたか」
ほとんど無表情にちかい高氏のつぶやきだった。
つやつやしい直線の大廊下をつきあたると、そこから
「足利か」
「はっ」
高氏は、台下に平伏した。
まん中が台座のお人だ。
その高時は久しぶりに見る高氏であり、高氏もまた、ここは不沙汰なここちであった。おととしは父を亡くし、去年の春にわたっては征地に暮れ、帰陣いらいは、病をとなえてひきこもったまま、今日にいたっていたのである。
だが。
その病中と称していた高氏の血色よりは、高時のほうがどう見ても顔いろが悪かった。白いといっても、こんにゃく色でつやがなく、お

そして、とつぜん、
「こらっ」
と、大喝が出たので、人々はひやりとした。
「高氏っ、どうしたのだ、
「は。そのため、押して今日まかり出ました。家中一同、病を案じてくれますなれど、天下の大変、一身をかえりみている場合でもございませぬゆえ」
「どこがわるいのだ。こう打見たところ、どこがどうとも見えはせん」
「いや、ふと折には忘れますが、また俄に左の半身が
「
「さようかもしれませぬ。医師もわからぬと申しまする。まじないしてくれた祈祷師は、犬神のたたりだろうと申しますが」
「犬神の」
「されば、遠いいぜん、犬に噛まれた歯形の
「犬神はこの高時の守護神だ。高時に不忠をなしたやつにはかならず
「は」
「それだわえ! いやそれなら仮病ではなかったかも知れんぞ。足利のひきこもりは仮病なりと、もっぱら、そこらでは蔭口しておったが」
左右の側近輩はぎょッと顔から顔へ
「不徳のいたすところです」
と言っただけであった。かさねて平伏していた。そして天下多端のときに、この遅れは申しわけないと詫び、さっそく台命を拝受して、武門の当然をつくし、年来の汚名をすすぎますると、今日の主旨たる奉答をした。
「……ウむ。ウむ。……うむ」
高時はなんどもこっくりして聞きすました。そしてやおら、聞き終るとあらたまって。
「よくいった。それでこそ赤橋の
「こころえましてござりまする」
「だが、条件があるぞ高氏」
高時はだまった。あとは長崎円喜にいわせようとするのらしい。が、老獪な円喜はすましていた。
「ご条件とは?」
ついに高氏から言って出た。
悪びれまいと自分へいってきかせる姿で、
「何事にございましょうか」
と、かさねて訊いた。
やはり自分から申し渡すのかと、高時は、調法者の道誉を、うつろな中に思っていた。
「足利、ほかではないがの」
「は」
「そちの妻子の問題だ。
「はっ」
「子は二人か」
「さようです」
「幾つと、幾つ?」
「
「ほかには」
「…………」
高氏はやや間をおいてから、
「ございませぬ」
と、明答した。
すると高時は、ク、ク、クと噛みころし切れない笑いを白い歯にもらした。側近諸大名みな、緊張していた氷のような空気にひびいて、それは王者の彼の笑いとも聞えなかった。謁見ノ間の天井裏かどこかで、べつな
「やい、高氏」
がぜん、高時の調子も、するどく変って来て。
「犬猫ではあるまいに、じぶんが産ませた子を忘れているやつがあろうか。……道誉から
「あ、いや」
「ないというのか」
「まこと、よそには本年十一と相なる
「それみい!」
と、したり顔に。
「年順でいえば、しかも長男ではないか」
「が、仔細なございまして、
「どこにおいてあるのだ、その隠し子は」
高氏は冷たい肌を這う油のような汗を覚えた。あの道誉が、そもどんなことを高時の耳に入れていたのか。燃え得ない、憤怒がいぶる。
「じつは、お耳をけがすまでもないかと存じてはぶきましたが、その一子は生れながらの病弱者とて、しょせん、武門の子たるにはおぼつかなく、三河一色の
「ふ、ふ」
高時はその兎のような両耳をそらして。
「まあよい。それで子の数は三名なりとみとめられる。そこでだな、足利」
「はっ」
「このたび足利が出陣なさば、かならず彼は、妻子すべてを
出陣は、即刻に。
妻子はおいて行けという。
つまり高時が求めているのは人質なのだ。
いやこれは高時の権威をかりていわせた幕府一部の者の底意だろう。わかっている、と高氏は腹でうなずく。覚悟のまえの今日の
ほんとなら出陣命は、とうに今日を待たず、足利家へも当然
それがそのことなく、つい今日に至っていたのは、幕府内の一部に、高氏を危険視して「虎を野に放つようなものだ」とさえいっている声があったからにほかならない。またそれと高氏のひきこもりとも、無関係ではなかったろう。
しかし幕府もいまは、出軍につぐ出軍で、四次の大将として派す適格な人物というと、はや持チ駒もとぼしくなっていた。といって鎌倉府営の守りはこれまた、手薄にも出来ず、大釜の底もつきかけてきたかたちなのである。で、やむなくここに、
足利登用
となったわけだったが、同時に、佐々木道誉をして、近江の後ろ備えにやり、さらに総軍の後方目付を任じるなどの用意を見ても、いかに幕府の一部が高氏を戦場へ放つことに気をつかっていたかがわかる。
「異存ないか、高氏」
高時に念をおされて、高氏はふと、なにもまだ答えていなかった空虚にはっと気がついた。
「仰せつけ、かしこまってござりまする」
「よいな」
「はい」
「では、出陣前に、
「は」
「まだいたな。いちばん上の不知哉丸とか、これも鎌倉へまとめておこう。そうだ。
「承知いたしました」
「よし、それで第一の条件はすんだ。が、まだあるぞ」
「まだ、なにか」
「
高時は声を大にした。
「わが
これはいやだといえる筋あいのものではない。けれど侮辱ではある。出征の大将すべての慣例ではないからだ。高氏が憤然とするかどうか。諸大名はみな、彼の
「なにかとおもえば」
高氏は硬めていた体をほぐして胸を上げた。そして面には微笑に似たものをもって、はじめて、高時を正視した。というよりは、あわれむような深い
「何のむずかしいことでもございません。さっそく帰邸のうえ、
と、
「諸般の支度も、これからでございますゆえ、恐れながらこれにてはやおいとまを」
と、さいごの拝をした。そして高時のうなずきを見るなりすぐ座をすべった。
供がしらの侍が、
「お帰りいっ」
と大きく奥へふれこんだ声は、大蔵の足利屋敷のうちを、異様なまでにどよめかせた。
「ご帰館だ」
「いよいよか」
家中たちの足音にはもう戦場へつながっているひびきがある。
おおぜいの一
「暑いのだ、先に着がえる」
声のするあたりで、登子は侍女のさしずをしながら、共に自分も忙しげにしていた。
「ご首尾、どうあったかと、みなもお案じいたしておりました」
「なにがよ」
「あまりに遅い御退出なので」
「えらかったわえ。じつは病人のはずだからな」
高氏は廊へ出てもろ肌をぬぎ、熱い湯のしぼりで、顔をふき、背を拭わせた。それから一ト間のうちで、着がえをすますやいな、
「直義、いたか」
「ここにおります」
「こっちへ入ってくれい」
「
「これしきは何でもない」
「
「まずは、おぬしも察していたようなものだったよ。ただ二つの難題だけでな」
「いかなる御難題を」
「あとではなす。――とりあえず、陣ぶれしておけ」
「では、ご決定で」
「む、きまった。明朝
「こころえました。……兄者」
「弟」
「ついに来ましたな」
「ああ!」
「では、さっそく、
「師直は」
「はや立帰るかとおもわれますが」
「どこへ行ったのか」
「じつは、
「さぐりにか」
「そうです。事ただならずと、師直も憂慮して、道誉の途中を待ち、
「いらぬことだったな」
「そうでしょうか」
「佐々木のことは、
直義は兄をおいて、そこをさがった。兄高氏にも
「あす
と、公式に発表した。
しずかな布告だった。あらかじめ内々のしたくはすでにすすんでいたことがわかる。老臣、侍頭、旗奉行などから一言の答えを呈し、そしてそれぞれな長屋や武具倉へ別れ別れに群れをくずした。昼の澄んだ空に、鎌倉山は
まもなく、高ノ師直は帰って来た。
それらの腹心に、老臣の紀ノ五左衛門、弟の直義、みなそろったところで、高氏は初めて乾いた唇から営中のもようを話した。
「仰せには、出陣と共に妻子を質として鎌倉へのこして行け。また、
「…………」
ぐっと、みな息をつめ、そしてどの顔にも、青味が走った。
が、ひとり直義は、兄の沈んでいる苦悶のいろを、烈しい
ちらと、高氏も眼のすみで弟のそれを射返した。
「もちろん、わしはお受けして退出してきた。ほっとしたよ。ありがたいことだったのだ。なぜならば……」
と、高氏は言いつづける。
「妻子をのこせとの
と、上杉憲房を見て。
「
「こころえ申した。たしかな者を添えて、一時扇ヶ谷へ
「たのむ」
「
「登子へは、よくわけをはなして、すでに得心させてある。千寿のことも」
「ご得心なされましたか」
「まずはの」
多くはいわない。それだけに人の
こんなあいだも明朝の出陣支度に沸く武者声やら物音は、まるで
「五左衛門」
「は」
「老臣役だ、そちは当家の
「お供のならぬのは残念にござりますが、ご
「
やがて高氏は、いちど私室へひきとった。どこかで遊んでいた千寿王(後ノ足利
お居間
と聞いたのだが、直義はふと、そこへ来るなりためらった。
兄の声はせず、すすり泣きがする。幼い者二人らしい。
そっとのぞいてみると実子の千寿王と竹若を前におき、高氏が何か言いきかせているのであった。理解力のある大人へでもするような
「……ち」
直義は唇を鳴らした。なんたることだ、このさいに、と。
子供との別れにさえこれである。
「
「……。直義か」
「そうです、ご休息で」
「いや、かまわん、何だ」
「ちと」
わざと外に控えたままでいた。すると、高氏になだめられつつ、眼を泣きはらした千寿王と竹若が、廊へ出てきて、中の坪の向うへ渡って行った。
直義は、それに眼もくれず、すぐ兄の前へすり寄った。
「ときもとき、妙な男が、天から降って来たように御門前へまいりましたが」
たれか? と高氏がきくと、直義はともかくこれを先にと、その男が持参した一状をまず見せた。――一色右馬介の筆で、名宛ては直義になっている。
「…………」
高氏は熟読して、弟へ返した。
「ひとりか」
「ひとりです」
「岩松経家の実弟
「はい。一見ただの旅商人にすぎませんが、ちょっと話してみても尋常な
「もう、訊いてみたのか、用むきは」
「いやいや、身素姓と、右馬介のことなどを、ことば少なく申しただけで、密々な大事の儀は、足利殿
「どれ、もういちどそれを」
と、高氏は再度、右馬介の手紙を仔細に見て、やっと信をおいたようだった。――となると、密使吉致と会う場所には、とくに注意が要される。
そこは裏山だが、大蔵やしきの庭つづきだ。
高氏はさきに行って待っていた。やがて直義が一個の男をつれて行く。男は笠売りか何ぞのような身なりだった。が一ト目で高氏にも信じられた。
どんな密談がおこなわれたかは、余人たれとて知るものはない。
ただこれも偶然や無理な結合でない自然なうごきの一つであったことは、後日おのずとわかってくる。なぜなら岩松党は元々、足利家の祖を父系とし、新田を母系として生じた一支族であるからだ。
「では早々、新田殿とも打合せ、共に前途のよい御武運と
吉致はこう別れをつげ、まもなく大蔵ヶ谷を立去った。その足で彼は飛ぶごとく、新田義貞の領地
長いあいだ、不遇に閉じ、先主の
馬までが出陣を感知するのか。馬つなぎではバリバリとまぐさを噛みあう音がすさまじい。それほど邸内の
「……まいる途中、
早暁の客は言った。
登子の実兄、北条守時、あの赤橋殿なのである。
彼の許へも、高時の令がつたえられていたにちがいない。
「台命により、妹の身をうけ取りに参上した」と、いま書院に坐ったばかりであった。
高氏は、卯ノ花に
「おそれ入る」
と、何度も詫びてはその人へ自嘲をみせた。
「おわらい下さい。妻を質に出さねば出陣も出来ません。世にこんな良人がありましょうか」
「いや、なくはない」
守時は静かに笑む。いつもこのような人ではあるが、今朝も事なげな姿であった。
「治承の世にも、木曾殿(義仲)がそうでしたろ。頼朝公に
「…………」
高氏は守時の唇もとを見まもった。見ているだけでもおそろしかった。
ふとしたらこの人は、たれよりも深く、この高氏の胸を覗き知っているのではあるまいか。
もし、そうだとしたら?
高氏は畏敬と
「だのに、自分は」
と高氏は身に責められる。自分はこの義兄をあざむいて来たにひとしい。いまもまた、だまして立つのだ。
北条一族中でも、もっとも北条血液の濃い正しい赤橋家である。あくまで守時は
「殿……」
声に気がつくと、あたりは
「はや、お時刻のよしでみな揃うておりますが」
「むむ」
と、守時の方を見て。
「では、赤橋どの、出陣の式の大床から、すぐそのまま立ち出でます。よろしく留守の事どもを。またおわずらいでも、
明けがた、母の清子と共に持仏堂へぬかずいたとき、高氏は祖先への報告も、母との別れも、すましていた。
すでに出陣の式だが、いまは言いおくこともない。
こうして一族は、戦場へ。
妻は、
また子は子で、幕府の監視下におかれ、祖母はひそかに足利ノ庄へ落ち行くなど、三方四方への別離であったが、たれも泣いてはいなかった。もう泣くなどという平常心は誰の顔にも遠くになっていたのである。
「おねがいする」
高氏はここでまた、赤橋守時へ心からな
「たのむぞ」
と、かさねて言った。
馬出しの広場では、はや貝が鳴っている。高氏、直義のそばへも馬が曳きよせられた。高氏のは、
この日、路傍の見物も少なくはなかったが、さきの佐々木道誉が出勢の華やかさとは、比かくにならぬ地味で黒っぽい陣装いであり、町の眼も歓呼に弾むことはなかった。ただ黙々と流れゆく具足、馬蹄の音に、声なき辻が後にされるだけだった。
「下馬!」
声の下に、高氏も降りた。
鶴ヶ岡八幡の下だった。高氏は、山上まですすんで参拝をとげた。そして柳営の前では、ふたたび横隊の整列を令し、
「台命によりただいま出発いたします」
と、高時のいる
もちろん、高時は桟敷にあって、この朝の閲兵にはかくべつ眼をこらしていた。柳営の門は、高氏へ開かれて、
「すぐ、台下へ」
と、彼一人を、内へ通した。
高時は、きのうの人とは見えぬほど、今日はきげんもよく、愛想もよかった。自分の
「心底、
として
「これは頼朝公の後室、二位ノ
と、高氏へ与えた。
このほかなお、乗りかえ馬一頭に、こがね造りの太刀一振りを
「また会おう。手柄して来い。妻子のことは心配すな。この高時が預かっておれば、心配すな」
と、この“うつつなき人”は再三くり返して、高氏を励ましながら、自身も朝の微酒に頬を赤く染めたのであった。
上々な首尾だった。
錦のふくろに入れた拝領の“白旗”を胸にかけ、また
「では、ご威勢を負って行ってまいりまする」
と、高氏は退出した。
そして柳営の外においた将士の前へ帰って、拝領の品々をしめし、
「一同しておこたえせよ」
と、
将士二百八十騎は、その整列をただしたうえ、柳営の桟敷へむかって高らかに、
おうっっ
おうっッ……
三たびの万歳を
このとき、高時以下、重臣もみな立って、桟敷からこれを見送っていた。執権とすれば、これは最上な大将にのみ与える最上な歓送の意であった。
駒波は、若宮大路から大町を小駈けに駈けた。高氏の駒、直義の駒、上杉の駒、師直の駒、どれも
ほどなくこの一勢の影は、金洗い坂の府門を出て、稲村ヶ崎もすぎ、ようやく、七里ヶ浜のへんでは、その歩調もすこしゆるやかだった。
「
直義はふりかえって。
「ごらんなされませ、鎌倉の府もはや遠くになりました」
「むむ。思い出はいろいろ多いな。よくぞ、きょうまで住まわせてくれた鎌倉だった」
「もはやお還りにはならぬお覚悟で?」
「わからぬ。あしたのことなどは」
「それはそうだ、身の一命すらあしたの先は。しかし今日の
「それこそは」
と師直が、とっさに、ことばをさしはさんだ。
「神意とか吉兆とか申すものでございましょうぞ。なんとなれば、源家の白旗は、ほんらい平氏の北条家にあるよりは、源氏の家につたわって来るはずのもの。はからず、それが今日のご出陣にお手に入るとは、偶然ではござりませぬ」
「む、偶然ではない!」
直義も言った。
また高氏もうなずいた。そして胸にかけていた旗ぶくろの
「
と、それを、旗手の武者へわたした。
ふるびてはいるが、まだ生きていたかのような灰白色の一
ここでも、七里ヶ浜の波に交ぜて、誰からともない鬨の声がどっとあがった。執権邸の前でしたそれとはことなる本心からの唱和だった。これでみても、すでに将士のあいだでも、足利家のうちに
三日め、行軍は箱根越えにかかっていた。高氏は、
「箱根権現に戦勝の祈願をこめん」
といって、ここでまたまる一日を
しかし、じつはほかの予定もあったことらしい。その日、
「そちたちは参陣におよばん。べつな大事に差し向ける。いかなる任務かは、師直によう申してある。師直より聞くがいい」
と、いいわたした。
師直はその二十名を、近くの山林のうちへ連れて行った。そしてどんな密命が言いふくめられたのか、ほかの兵にはわからなかった。――後日には、あのときすでに、そんなご用意であったのか――と高氏の遠謀をみな思い合せたことではあるが、そのさいはただ、
「ふしぎな御配慮を」
と、あやしんだのみだった。
えらばれた二十名は昨日今日の家士でなく、みなたしかな侍ばかりだったのも、いかに重い使命であったか察しられる。
「では」
と、彼らは、師直がいうところをよくのみこんで、
「こんなとき、先を駈けて、御馬前ではたらけぬのは残念ですが、しかし御命とあれば」
と、みなかしこまった。
彼らはその場ですぐ
師直は、高氏の前へ出て、
「仰せのこと、しかと、いたしておきました」
と、報告し、
「いずれも、ぬかりない者ども。あとの御懸念はもう、ご一掃あってしかるびょう存じまする」
と、つけ加えた。
すると高氏のおもてには、はた眼にもわかるほど、
行軍はつづけられる。
兵は五百とふえていた。野営、宿営をかさねつつ、それからは、ひたいそぎに海道を馳せのぼった。そして三河の
「おう御本軍だ」
「御宗家の殿だ」
「一同、一日千秋の思いでお待ちしておりました。まずは、み気色もうるわしく」
さっそく、一色刑部が郷党を代表して、馬前の
矢作ノ宿はそのころ海道きっての大駅だった。無数な民家の平原は川の西岸にのぞまれ、
「たれとも久しぶりよ。しかしここでは、いちいちの
高氏はしきりにいう。
そこで三河足利党の出迎えにまもられながら、高氏以下、矢作の大橋を西へとどろに渡りはじめた。
ひとしきり町じゅう喧噪の渦となったが、灯をみる頃にはひそまり返り、そして本陣にあてられた柳堂の一劃だけがいつまで夜の闇をかがり火にこばんでいた。
軍需も兵も、ほとんど三河在国の足利党の手で、この地に用意されていたのである。その晩、高氏が親しく面接した者には、
吉良
今川
一色
などの当主から、
「こんな盛観は、分流の家々にとっても、初めてのことだ。ご先祖の意にもとづく、ふしぎな会同ではあるまいか」
と、みな言いあった。
それはそのまま高氏の気もちでもあったろう。同族十数家の最上座におかれた彼の複雑で多感な意中は想像に難くない。
「刑部」と、やがて一色刑部へ。
「ざっと、心得おきたいが、家々によって集められた兵数はほぼどれほどか」
刑部は郷党中での、最年長者であった。だが、
「兵の奉行は、今川、吉良の両名が勤めまいた。何とぞ両名へ、おたずねのほどを」
と答えをゆずる。同時に、
「その儀も、お力づよくおぼしめし下されましょう」
と、まず言った。
そして各

「あわせて、三千一百騎を、すべてここの
と、述べ終った。
「いやまだある」と、高氏は
「が、ただひとつ、遺憾がございまする」
「何が不足か」
「まだ細川がここに会しておりませぬ。
「駈け遅れか。いまに見えよう」
「いや、異心ではないかと、日頃の
「はて、気短な」と高氏は笑って見せた。「わしにまかせろ。そんなことは、わしの分別に預けておけ」
あくる日、高氏は伯父の上杉憲房を、矢作の上流二里ほどな
同族の一家細川和氏の郷土である。もちろん不参の意をさぐらせるためだったが、高氏は、
「たとえ、我は宗家であろうと、平常なんらの
と、憲房の老熟な思慮にくれぐれ善処を
三河足利党は十九家もある。だがその一家といえ、ここで会同の陣に欠けることは、彼の門出としては一大
政治的に。
高氏はべつに自分を曲げてもいない。穏便にこしたことはないと考えるだけだった。われから
「殿」
「師直か」
「ご舎弟のおことばで、なるほどと感じたことにございますが」
「とは?」
「おゆるしを」
と、師直はずっと、高氏のしとねのそばへ寄って来て声をひそめた。
この男が、直義の名をかりて、何か献策に出るときは、じつはおおむね自分のやりたいことなのである。直義へ話すのは、高氏へ申し出るまえの一種の瀬ブミに過ぎないのだ、ということは高氏も見ぬいている。けれど往々、聞くべきものが多かった。自分にない才略をこの男はもっている。事態の進展につれ、高氏は知らず知らず師直を重用していた。
「ほかでもございませぬが。細川の一例に見ましても」
師直は、主君のそばへ、
「いっそ、矢作御滞陣のまに、ここで同族一統の連判をおとりになっておかれたほうが、万、上策でなかろうかと、ご舎弟さまのご意見にございますが」
「うちあけるのか、高氏の腹を」
「さようで」
「さて。いまはどうかの?」
「いまを
と、師直は、はっきり自分の意見を吐いた。
従来、大望のことは、足利家内部でもごく少数にしか洩らされていない。この三河在国の分家間でも、うすうす感づいているか否かの程度である。つまり
「一歩都に入れば、はや現地の戦況やら流言やら、またお味方の駈引きとて、容易ではありません。鉄は熱いうちにとか、矢作の御陣は、絶好なその固めのときかと存じられますが」
と、切にその必要と急を説いた。
高氏には、連判というようなものも深くは信は持てなかった。むかしは知らず、いまの時世だと思う。
そんなもので人を結束しうるほど生やさしい世情でない実例は、いやというほど社会全面で観て知っていた。けれど直義も師直も、切にそれをすすめ、そしていまをおいてはその好機はないというままに、
「まかせる」
と、彼はあっさり同意した。そしてすぐそれも忘れ顔だった。
なにしろまた、柳堂の本陣は、それほどに忙しくもあった。たえず、三河武者の訪れや早馬の到着を見、高氏のまわりには、もう軍事でない遠いさきの政略まで始まっている。
上野国の新田からも早馬の密使が来た。これはさきに鎌倉で別れた岩松吉致がもたらした何らかの
「師直、書け」
と、師直に口述して、執筆させた。
また上方方面からの情報も、ひっきりなしにとどいた。六波羅のもよう、赤松勢の進退、千早金剛の戦況、
「
直義から念をおしてきた。
「よし」
との、ゆるしをえた直義は、師直からそのむねを、すぐおもなる将にふれさせた。
――場所は、日ごろ
その“家時公ノ置文”の由来から説いて、高氏はこの夜はじめて、大望の本心を一同にうちあけた。
一瞬はみな無限の感に氷りつめた座であった。けれどやがて、ほーっと大きな吐息を聞きあった。それは熱い息吹きだった。一人として狼狽してはいず、意外とはしていなかったのである。連判は即座に書かれ、書いた者の順から、家時の霊に焼香して座へもどった。
――そして皮肉にも、執権高時から贈られた源家重代の白旗は壇の香華のように香煙のわきに垂れさがっていたのである。終ると一同声を和して、高氏へ誓った。
「祝着にぞんじまする」
連判の
けれど翌朝、もう一家の名が加判された。
細川和氏であった。和氏もまた弟の頼春、
明けて六日の昼。
高氏が陣座する柳堂の一房は
「今日中にも出発か」
と、全軍は
ゆうべは、深夜の謀議だった。今朝は、連判に欠けるかと不安視されていた細川兄弟も着陣した。それやこれで高氏は眠っていない。おそらく彼は午睡中か。柳堂の内といい鶯の声――余りに静かな陽ざしである。
するといま柳の間を縫って、
「
と、直義は、それへ言った。
「まだお目ざめにならんようだ。
「は。いや
男は、一色右馬介だった。うしろを見て。
「若ぎみ。さぞ、ごたいくつでございましょうな」
「藤夜叉、あの大橋を渡ってみたい。行こうよ。町へ行こうよ」
「ま、おききわけのない」
藤夜叉は眼で叱った。
「一色村をお出になるとき、あんなにようお話し申しておいたでしょう。そしてようおわかりだったではございませぬか。お父ぎみと初めての御対面をなさるのです。もう村の
「…………」
父とはどんな人か。彼の童心にもそれは異常な好奇心とも恐さともつかないものを抱かせていた。なつかしさといっては何も知らないのである。顔も見ていず、ただ自分にも父はあると、かねがね聞かされていただけなのだ。
だから子の彼よりは、今日の機会を待ちに待ったのは、いうまでもなく母藤夜叉なのである。藤夜叉のどこかには死の影すらみえないではない。一心であったし、ことによれば、死まで考えているのではないか。青いほどな唇の
「お、
直義が池のほとりでつぶやいた。
一切は、刑部から直義へはなして、直義のとりなしを力に運ばれていたのであった。直義は同情をこえて、兄の非情に義憤すらおぼえていた。きっと会わせてやる! そう言って励ましていたのである。
刑部の白い眉は明るかった。せかせかとこれへ来て。
「いましがた、殿はお目ざめでおざる。そして、かような
と、高氏の言そのままを、直義へつたえた。
「――すぐ会おう、右馬介なら待ちかねていた、久しぶりな右馬介よと、ありがたい仰せにござりまする」
「藤夜叉のことは」
「てまえからはまだ何も申しあげておりませぬ。そのことは、ご舎弟さまのお口添えもなくてはかなわずと存じますので」
昼寝のあとのせいか、すこし顔は青味をたたえていた。しかし高氏は、右馬介を前にみると、
「やあ」
と、いかにも爽快らしくわれから言った。ほとんど主従のへだてなど取り
「右馬介、ついに待望の日を持ったな。世間ていの勘当も今は無用、晴れて帰参してくれい」
「もったいない仰せです」
「いや真情だ。
高氏は、一領の
「帰参のしるしぞ」
と、彼に与えた。そしてなお、
「高氏はまだ上洛途上で、大望の成る成らぬは、一に天運にあるが、もし、こころざしを遂げえたあかつきには、右馬介、まず第一にそちの功をあげるであろうぞ」
とも誓った。
すると。右馬介は「いえ……」と、それへつよく固辞を見せた。その眉と、高氏の
高氏には、薄々わかっていたのである。――午睡に入るまえ、近侍の者からふと耳にしていたことなのだ。――美しい
「おねがいがございまする」と、右馬介は言いつづけていた。
「――もし私の寸功でもおぼしめし下さるなら、それに代えて」
「なんだ、言ってみい」
「このさい、晴れて御父子のご対面を仰ぎとう存じまして」
「連れてきたのか、
「はいっ」
「たぶんそれであろうと思うていたよ。予感は
「それとまた、もうお一ト方にも」
「藤夜叉にもだと?」
「なんのお迷いでしょうか。時節がきたら、父子の対面もしてやる、いつまで日蔭者ではおかぬ、藤夜叉もきっと高氏の室に入れてつかわすと、かつて鎌倉の小壺ノ浦で、殿はかたいお約束をつがえておいでなされます」
「責めるのか、右馬」
「いえ、さような儀ではございませぬが」
「忘れてはいない」
「ならば」
「まあ聞け。わしとてわが子の成人ぶりはみたい。まして不知哉丸は初めての子だ。したが何たる薄縁か」
「ぜひもございませぬ、今日までのご事情では」
「ところが、薄縁はなおどこまでも薄縁だ。道誉めの告げ口で、相模入道(高時)どのへ人質に上げねばならん。とすれば、なまじ相見ぬほうが、父子いずれにも、いッそましではあるまいか。そこを迷うのだ、右馬」
すると、
「兄者はあまり
「ならんっ、入れるな」
高氏は、とっさの大声で。
「いらざる扱いをするな直義、会うていいほどなら、何もそちの扱いには待たぬ」
「でも、藤夜叉といい、和子といい、余りに不びんではございませぬか」
「ふびん? わしの
「こは
と、直義はなお遠くで抗弁の肩を張った。いや後ろへ連れてきた
「今日にも、鎌倉の使いがあれば、
それに力をえて、右馬介も、
「まげておきき届けを」
と、声をしぼって、
「それはまた、年来、一色党はじめ三河在国一同の、切なる望みにもございますれば」
と、高氏へすがった。
不知哉丸の成長に、三河諸党の愛護があったことは高氏にも否めない。高氏は隠し子とみても、彼らは宗家の嫡子として奉じてきたのだ。
ふと彼は思慮に返って、しばらくは沈黙していた。そして一とき直義へみせた感情も、次のことばにはなくなっていた。
「いや、直義、思い直した。悪かった。不知哉丸をここへ連れてきてくれい」
「えっ、ご対面くださいますか」
「子だけに」
「藤夜叉どのへは」
「女には会いたくない」
「これはまた、いかなるお
「
「…………」
廊の
「あ、ありがとうございまする! ……。うれしゅうございます! ……。わ、わ子様さえ、じつの
押しやられたのか、不知哉丸もまたそこでわっと泣いた。その子をおいて、狂おしげな姿は、その悲泣を袂につつんだまま、さッと、廊をどこへともなく走り去った。
「藤夜叉どの。藤夜叉どの」
捨ててはおけず、右馬介はすぐ起って、彼女を追った。
暗い所へまろび入るなり、藤夜叉は体じゅうで泣いた。泣くによい小部屋であった。
つーんと、あたまのしんが、冷たいうつろになったとき、もう涙もなく、平易な行為のように指は帯のあいだをまさぐっていた。塗りの懐剣なのである。唇に仏のみ名も出なかった。
「あっ、なにを」
そのとき、おどり込んできた人の声に、彼女の手は急いだが、
「ばかな」
とばかり、右馬介の手にもぎ取られていた。そしてその短い白刃が、自分から届かぬ所へ投げやられた音を聞くと、
「なぜ止めるんです!」
藤夜叉は、食ってかかるような形相をふりみだした。
「死なしてください。いいえ、そなたこそは、殿と私とのこうなった初めのことから、今日までのこと、何もかも知りつくしているくせに」
「ま、おしずまりなされ。死んでは何もありませぬ」
「何もない、だからこそ私は死にたい。……そなたは一体、私のこんな苦しみをいつまで見ていようとする気かえ」
「めッそうもない」
「でも、そうではないか。時節を時節をと、そなたがいうにまかせて今日までも」
「まったく、ようお忍びくださいました。けれど、ここ十年の足利家は、じつに危ない中にあったのです。殿のお立場のむずかしさは、なかなか、
「嘘、嘘、嘘。いまとなれば、私はそなたにていよく
「おもしろがる? ……。情けない、ああ、そのお口走りは、どうかしていらっしゃる」
「なんの狂気していよう。ただこの身を、どうしてよいのやら分らぬことが狂おしい。殿やそなたばかりを恨まれもせぬ。……わが身にも深い
「去年の。……あの、高野川へお身を投げたそれ以前の?」
「訊いて給もるな」
とつぜん、彼女はまた、その泣き顔を深く埋めて。
「いえません。たれにもそれは話せません。ただ死ねば何事も
めんめんと、糸のような恨みそのものが、彼女自身をなぐさめているようだった。が、そのとき障子の外で、誰かエヘンと二度ほど
「一色どの。内か」
「お、どなたで」
「
「あ。少々の間、ご猶予を」
「いや藤夜叉どののことなら、お案じあるな。師直がようなだめて進ぜる」
右馬介が
「…………」
そして遠くに放ッてある懐剣の白刃を拾い、それを
廊の
「さ……藤どの。ここはひとまず
「……どうぞ、もう」
「はははは。放っておけとか。だがお身さまはいま何とここで
「…………」
「ごもっともだ! そのお口惜しさはようわかる。殿とのお
「…………」
「が、それも
「…………」
「のう、師直めにまかせられい。このほうもいささか苦労人のつもりではある。さいぜんも物蔭で聞いておれば、お身さまには、誰にも話せぬことがあるという。さ……それだわ! 藤どのをこう悩ませているわけも、殿が会わぬというご
「え、殿がなにを?」
彼女は、つき上げられたように胸をおこした。
師直はそのとき見た。彼女のひだりの瞼の、うす青い
「いやなに」
師直は笑いにごして。
「殿もくわしくは、ご存知あるまい。よしお耳になされても、何をいうやら知れぬ道誉のこと、お取上げにもなるまいが」
「あの、道誉が何を」
「じつは、師直も聞かされておりまする。鎌倉での酒の座でな。たくさんな白拍子のなかでおざった。さも自慢げに、道誉がかたる女ばなし。ふとそのなかでお身さまのことも言いおった。まるで藤どのは自分のものでもあるように」
そのまま
「来てくれたか、
師直は、声をひくめて、寄って行った。
「
「耳をかせ」
「では、あの
「ム、きさま、預かっておけ」
「陣中に。いや弱りましたな」
「何の、兵をつけて、民家へでもおけばよい。困ることがあるものか」
「
「おそらく、殿からはお訊ねあるまい。ご舎弟や右馬介は、もてあましているのだ。師直がその才覚を背負ってあげれば、よろこばれる」
師泰はにやにやした。好色な兄のこと、あるいはまた例の病気かもしれぬと。
「そして都まで連れて行き、戦陣のひまには、お通いになるおつもりなんで?」
「ばかな。
師直は、声をころし、眉の真ッ
「かりそめにもまだ、主君のお持ちものだ。拾えと仰っしゃったわけではない。それにの、いくら腹は借りものでも不知哉丸さまのご生母でもある」
「とすれば、ちとご酔狂なお世話ではおざるまいか」
「まあ、みておれ。おれが藤どのを有効につかってみせる。およそ大望のおん大事には、あまたな
「お。鎌倉の
師泰は、俄に、おもい出したふうでいった。
「つい今、
「いよいよ、みえたか」
予定されていたことではあるが、それにしてもの一問題だ。また新たな屈辱感が誰にも燃えいぶることだろう。わけて不知哉丸を珠と守り育ててきた三河諸党の者が、やすやすそれを渡すかどうか。
「こうしてはいられぬ」
師直は、つぶやいた。
「ともあれ師泰、申しつけたぞ。藤どのの身は、きさまに預ける。もし万一などあらば、兵のおこたりとはいわさん。
「これはきついご命令だが、かしこまってござるわ」
不承不承のようだが、足利家という野望の
彼は足を戻して、小部屋の内の藤夜叉へ、なにか気がるな声をかけた。そしてすぐ、せかせか急ぎ去ったが、もいちど、廊の曲がりで振向いた。
そのとき、師泰の連れてきた十名ほどな兵は、はや彼女の体を
一室でいま、高氏は不知哉丸を見た。そばへよんで、しげしげとながめていた。
初めて見るのだ。
親として、十一年目に。
が、この子の父とはおもっても、実感にはなって来ない。
子の方でもまたそうなのだった。藤夜叉の姿が見えなくなったので、一時は泣いたが、なだめられ、いまはかえって、きょとんとしている。
父ぎみとの御対面のときにはこうと、おそらく、稽古さえしていたのだろう。答えることもちゃんとしていた。行儀よく日頃の小暴君ともみえない。
「……似ている」
高氏はじっと見入る。藤夜叉の乙女のころとそっくりなのだ。ひよわそうな、どこか、神経質らしい眸だけは、まったくちがう。
「なんになりたい」
高氏がきいた。
「武者に」
と、答えてから、
「大将に」と、いい直し、
「弓も上手です」
と、訊かれもしないうちに、不知哉丸は自分から言った。
「ふ、ふ」
高氏はニコとしてみせた。
想像していたよりも、これはなかなかいい子だとおもったのである。すこし、おれの子だなという感じがわく。同時に、ひどくいじらしくなって来た。
座には、直義、右馬介、そして一色刑部もいた。刑部は、白い眉を
こんな所へ、
約束どおり、不知哉丸を
「ただいま、
と、聞えたのである。
高氏は、はっとした。なぜだろうか。柳営で高時から難題を出された日も、また出陣の朝、千寿王を
「刑部、知っての通りだ」
「はっ」
「ぜひもない、そちは上使の宿所へまいって、使者の工藤、
「さ。……てまえはちと」
「何か
すると直義が横から言った。
「兄者。使者の饗応役には、私が当りましょう」
「おぬしなら、なおよいが」
「刑部がいなくなっては、不知哉丸も淋しがります。また、一色党から三河諸党の間には、不平の結果、多少不穏なことが起るやもしれません」
「そんな
「あります。ここの者どもは鎌倉表にあるのとちがい、屈辱に忍ぶことなど考えておりません。わけて一統の連判もおこなわれたこと。気がたっています。刑部が行っては、おさまりがつかないでしょう。直義がまいりまする」
彼が立ってゆくのを、高氏は黙ってみていた。そしてその眼はまた、自分の前の不知哉の顔へもどっていた。
約束によって。
と、不知哉丸の身を受けとりに
長者の子孫はもう住んでいない。けれど矢作の宿には、牛若と
長居せそ 心してゐよ
あづさ弓
矢はぎの川の鷺 のひとむら
これは「新六帖」にみえる行家の歌である。この歌ぬしもまた、この地にかかって、ぜひなく歓喜往生を遂げた旅の一人であったのだろう。あづさ弓
矢はぎの川の
「いやどうも、征途のお途中、何かとせわしい御陣中へ伺って」
と、鎌倉の二使は、恐縮のていだった。
が、恐縮と、歓待に甘えるのとは、べつらしい。好意をよろこぶのは人の礼で、自然、宴に浮かれるのは旅情であるとしているような両使だった。
「では、はや深更にもなり、旅のお疲れもございましょうゆえ」
と、彼らの接待に臨んでいた直義はいとまをつげて。
「あらためて兄高氏もいずれ上命を拝しますが、何せいまだ、三河の手勢も揃わず、軍備混雑のさいでございますれば、明日も何とぞなおごゆるりと」
「お、ごもっとも。当方はお使いの役さえ果たせばよろしいこと。ご都合で一両日はいかようにもお待ち申す」
と、工藤は杯を洗って、もひとつと、直義へさし、直義はうけて、その返杯をさいごに起ちかけた。
「だいぶそれがしも
「あ、ここにみえるたくさんな女たちは」
「郎党どもではお世話の儀もとどきかねましょう。止めおきますゆえ、どうぞお気ままに」
彼も酔っていた。夕方からの饗応役で、夜半にちかい。しかしそこの門を辞すやいな、直義は柳堂へ馬をとばした。本陣柳堂までには一里余もある。
陣門を入って、柳堂の
「殿は」と、訊くと、つい今しがたまでは、今川、細川、吉良、その他の諸将と、何やらご評定に
直義はすぐ池のほうへ歩いた。そこから野や
「……?」
案のじょう、一色党の幕舎だけが、かがり火、人影、ただならない気色にみえる。彼はそれへ駈けた。彼の姿をみると、槍長柄で外をかためあっていた武者ばらも、
「おっ、直義さまだ。ご舎弟さまが見えられたぞ」
と活気だち、その声は、とばりの内で、夜半の野評定をひらいていた車座の輪へひびいて、そこの人々の顔を一せいに振り向かせた。
車座は燃えていた。かがり火もその激昂をたすけ、どの顔の
一色をはじめ、吉良、今川、石堂など三河党の将はあらましいたが、宗家の将では、高ノ師直、
「おう、よい折へ」
みな目礼で直義を迎えた。
野評定だから上座もなにもない。直義は輪の中へ割って入って無造作にあぐらをくみ、急に押し黙った面々を見まわして、
「
と彼から、訊ねた。
「さればで」
刑部が受けて、深刻そうに、
「ちと難しく相なッておりまする。まず誰か、事のいきさつを、ご舎弟へおはなし申し上げないか」
と、他へうながした。
仁木義勝が説明にあたって出た。――そのいうところをきけば、こうである。
三河党としては、若ぎみのお身は、なんとあろうと、渡しかねる。断じて鎌倉へは差出さぬ。
すでに、
「使者などは追ッ返せ」
「いや斬ってしまえ」
これがこの宵からの、輿論だった。そして三河者の血気な一団は、言いあわせて、不知哉丸の身を他へ隠すなどの騒ぎを生んでいたのである。
柳堂の高氏も、おそらくこれには困惑したろう。あいにく上杉、細川の二老は、その日、或る秘命をおびて、どこへか出発していたあとなので、高ノ
「殿は、大望大事として、お胸をころしておられようが、かかる屈辱にわれらは耐えぬ。またこのさき、いつまでそんな偽装をかまえてはいられぬ」
と、
「一味連判のうえは、大望は殿おひとりのものではない。殿にはどこか弱気もある。それらの支障は、われらの捨身で、一難一難、押し切らいでなるものか」
とも揚言し、また、
「何、不知哉丸さまを、どこへ隠したとな? 知るものか、若党ばらが血気一存でしたことだ。われらは何処とも存じていない」
こう
いずれをえらぶか?
を、迫られた形となり、さすが腕ぐみの中にじっといつまでその眉をうずめていた。
まだ大望途上の、その一歩に。
はやくもここでは、未来の足利将軍家をなすその基盤に、むずかしい分子を
「よしっ、やろう!」
「えっ、やろうとは?」
問い返す師直を、直義はしり眼において。
「三河衆一同の言い分はもっともだ。元来、石橋をたたいて渡るようなのが、殿のすぐれたところでもあるが、弟のおれにも、時にはその優柔不断もどうかと思われることがままある。やろう! 不知哉丸を渡さぬことに、この直義も同意なるぞ」
聞くと、車座の三河党はみな、この若大将の断に「おうっ」と、高いどよめきを示した。元から三河在国の面々は、宗家との交渉も、不知哉丸の身についても、高氏よりは、このご舎弟のほうに、より直接に、親しんでいたことでもあった。
が、師直としては立場もなく。
「やあ、ご舎弟までが、火に油をそそぐようなおことばでは、いよいよもって、殿は御困難のほかおざるまい。そも、いかなる策をお持ちで鎌倉の二使にたいするお考えでございますな」
「師直もおれに従え」
「よくば従いまする」
「ではただちに、柳堂の御本陣をすすめ、一路、都へ軍をいそげ。おれは
「さようなこと、殿がご承知ありますまい。ご立腹はあきらかなこと」
「詫びはあとで直義がいたす。――こんなさいにも、殿は柳堂でしんと寝所に
「ご一理とも存じます。しかしまだ都にも臨まぬうち、足利家の異心をみせては、前途の難、どうありましょうか?」
「ここは鎌倉と都との、ちょうど海道のまん中にあたる。鎌倉へ知れる頃には、
「いやいや、途中には、近江の関がありまする」
「近江の関?」
「お忘れあってはなりますまいがの。佐々木道誉はなんのために、ひとあし早く帰国を命じられていたでしょうか」
「む、もしあの若入道めが、
「それまでのお覚悟ならば」
「この四千余騎。佐々木ごときが何であろう。むしろ伊吹を攻めて、あの要害と地の利を
直義は誇った。自分のことばにだんだん魅せられていたのでもある。
そのうえ三河党はみな、彼への心服をみせて彼のさしずを仰いだので、直義はその場で一切の指揮をとった。
すなわち仁木義勝、石堂綱丸、畠山大伍らの各隊は、すぐ鎌倉の二使が泊っている宿所へと駈け向ッて、ふいに夜討の火を放ち、一方、他の三河党はすべて、本陣柳堂の外に軍勢をそろえて、ほとんど強請的に、
「殿、ご発向をねがいまする。すぐさまこの地をお立出で願わしゅう存じます」
と、声々に呼ばわり合った。
「師直っ、師直っ」
すぐ寝所を出ていた高氏は、寝まき姿ではなかった。はや
「殿」
走りよって、師直は早口に
「直義は」
その問いに、師直が答えるまも
「これにおります」と、姿を見せ、
「兄者、おわびはいずれ、先の途上にてつかまつります。ともあれ、おいそぎを」
「いやあわてるにもおよぶまい。どうしたことだ、おぬしこそ先ずここへ上がれ」
「土足、おゆるしを」
直義は階を上ってひざまずいた。
「寝耳に水のお驚きでございましょうが、いま師直が申しあげたごとく、三河在国のやからは、かたく一致して、おことばもきき入れませぬ」
「そのうえ、そちも同意では、しずまるはずもない」
「事ここに及びましては」
「ぜひもない、世は
「工藤、
「下策、下策」
高氏は、はじめて叱った。
「無力同然な使者の一行、そうまでせずとも、われらが洛中へ入る日まで、
「事このばあい、さような手ぬるい手段はとっておられませぬ。……おお、はや彼方に火の手があがりました」
「あの火の手がそれか」
「されば、使者どもは半夜をこえた深酒のあげく、遊女を抱いてうつつを抜かしおりましょう。そこを不意に、仁木、畠山の夜討に襲われ、火をあびせかけられたこと。供の一人も逃げ落ちは出来ますまい。いざ兄上、あの焔を、吉運の
「不知哉丸は」
「お案じなされますな。
一とき、高氏は何もいわなかった。師直、直義らに打ちかこまれてやがて馬上の人となった。
いまは下剋上の世風だと彼はいった。幾多の例を、日ごろの世上や他家に見聞きしていたからだが、ひとごとではない、地方の小分党の上に立つ足利家も、時勢の外の組織ではなかったのだ。よくよく心して衆の荒駒に乗る覚悟でなくば、天下の事を成すなどは、夢の夢でしかありえまい。そのことを高氏は、よほどきもに銘じたようだった。
高氏は黙々と、前途へ馬をいそがせた。つづく全軍もくろぐろと流れ出す。が、直義はなお
本軍の高氏軍は、
直義はここで追いついた。
「使者
と、すでに残虐な血まつりの血を
高氏は、うすら笑いに、
「そうか」と、聞いただけだった。
弟にはこの兄が、決断に欠け、どこか臆していて、依然“ぶらり駒”の大将に見えてならないのかもしれぬ。
が、高氏からみると、やや心もとない。直義はじめ幕僚すべて、大望、むほん、それだけで、もうまったく、ほかは見えなくなっている。
火の玉の意気も大事だが、
そこですでに。
矢作を立つまえに、上杉憲房と細川
それやこれや、彼の胸算用は人知れぬ忙しい
軍日誌によると、一ノ宮、大垣、垂井の間をほとんど四日たらずで行軍しており、あげくに
だが、関ヶ原を見つつ、
「ただ事でない」
と、先を駈けていた物見組がひっ返してきて、あわただしく中軍へ知らせた。
「このさきの松尾山から不破ノ関の高地には、不審な大軍が望まれまする。常備の関所兵とちがい、物々しく陣をかまえ、一戦いつでもと、こなたへ
このため、高氏の兵馬は一時、野上のあたりに停頓をよぎなくされた。
「伊吹の兵か」
「それよ、佐々木勢だ」
と、殺気にそよがれた全軍は、一とき、声をのんで行くてを睨んだ。が、高氏は、休息を
直義はすぐ、三河党の諸将をうしろに、高氏の床几の前へせまってきた。佐々木との
「いずれにせよ」
と、直義はここでもまた、兄を激励するような語気だった。
「お覚悟までもありますまいが、かねがね、われらの
すると、高氏はきき返した。
「なんのためにだ?」
腹が立った。直義の顔はおおいえない色である。
「何のためにとは、兄者、あなたこそ目前の危急を、何と見ておられまするな」
「危急というほどなことはあるまい」
「ご悠長な。あの佐々木道誉めの布陣は、あきらかに、われらへむかって、ござンなれと誇っているのに」
「だからといって、道誉と戦わねばならんという法がどこにある」
「しゃッ、まだそんなぬるいお考えでおいでるのか」
「直義」
高氏はちょっと眸をつよめて。
「すこしおちつけ。そちを弟として幼少からよく知っていたつもりだが、鎌倉をはなれていらい、どうもおぬしは少しいぜんの直義とは、ちがって来ておる」
「ちがってなどおりません」
「いや大事に立ちむかうと、自分も知らぬ自分が出てくる。ここでいっておくがの」
「なにをです」
「
「気長になれと仰っしゃるのですか。いま、このような難関を前にしても」
「気長にとはいわん。ただ望みをとげようためには、何事も忍び、また遠くも思わねば」
「したが、ぐずぐずしていれば、道誉は気負う、後ろから鎌倉の討手がかかる。われらはここで立ち往生だ。自滅のほかはありますまいが」
「なんの」
頬を
「わしと道誉とは十年の交わりだ。その間、互いのもつれはしばしばだったが、要するにみな
「ああ、兄者の眼は、誤ッていらっしゃる」
「誤っているかどうか。それが今こそはっきりしよう。これまではまあ男と男の
「それゆえ彼も、不破の道を断ッて、わが足利勢に思い知らせ、鎌倉への忠義だてを、誇っているのでございましょうに。……ともあれ、ここでは地勢も不利だ。とりあえず陣地をほかのよい所へ」
「無用無用、むしろ半里ほど遠くへ
「退くのですか」
「そうだ、そのまに高氏自身、伊吹の城へ行くとする」
「えっ」
「なにしにです

「あいさつに」
「道誉へ」
「さればさ」
「……?」
直義はあきれて口がきけなかった。
彼のみでなく、居あわせた諸将も茫然のていだったが、高氏はさっさと、小姓武者に手つだわせて、大よろいをぬぎ、腹巻と陣座羽織の軽装に着かえ、また湯漬けを掻っこんで、終るとすぐ、観音堂のぬれ縁へ、高ノ師直を召し寄せていた。
なにを命じられたのか。
師直はひどく驚愕した容子で、やがてあたふたと、高氏の前から退がって来た。そして、
「ご舎弟さま! 殿が再度およびでございますぞ」
と、附近の馬混みのあいだへ、どなった。
「おう師直、そちも殿より聞いて来たか」
「うかがいました」
「どう思う」
「どうもこうも、ご真意のほど、相わかりませぬ。殿ご自身が、伊吹へまいって、道誉と話し合わんなどは、火中の栗を拾うに似たもの。むしろ、この師直をおつかわしあって、と愚存を申しあげてみましたなれど」
「だめか」
「お取上げなく、はや観音堂の縁でお身支度もすまされ、供も小人数でよい、供頭は
「なに、不知哉丸をも連れて行くと。……いや不知哉丸母子とたしかにいわれたのか」
「てまえも耳を疑い、つい訊き返すと、にがりきったおん眉で再度、そうだ……とばかり、きっぱりと」
「はて、
「いや、意外にお目の細かい所もある。藤夜叉どのの身を、弟
立ちばなしの二人の姿が、観音堂の方から見えていたか、小姓武者が駈けて来て、
「直義さま、お召しです。師直もなぜ早くせぬかと、ご立腹でございますぞ」
と、大声でいった。
「おっ、ただいま」
急に二人は左右へわかれ、一方の師直は、宿場端れに馬立ちしていた
「若ぎみを
と、高氏の命をつたえ、またその足で、弟の師泰に会い、仔細を語って、
「
と、せきたてた。
師泰には一そうわけもわからず唐突だった。しかし主命と聞き、これもあたふた、一民家の門内へ駈けこんで行った。そしてまもなく、つい今、兵にいたわられながら休息に入ったばかりの藤夜叉を、ふたたび輿へのせて、往来へ出て来た。
そのころ、高氏は観音堂の森をはなれて、桃井直常を供頭に、わずか四、五十人を連れたのみで、もう街道を不破ノ関のほうへゆるやかにあるいていた。馬上は彼と供の侍、数騎だけである。――追いついた師直は、藤夜叉の輿を、桃井の人数へわたした。も一つの不知哉丸の輿も、さきに列へ加わっていた。
高氏は振向いた。後ろに二つの輿が揃ったのを知ったとみえる。同時にその駒脚はやや小刻みな
直義、師直、師泰、多くの顔も、どうしようなく、ただ遠ざかる列を見送っていた。
「…………」
「…………」
ほっと、
われに返って、師直は。
「ぜひもおざりませぬわ! この上は全軍を一だん
「ばかな」
直義は耳を朱にした。
ついに、なんと
「師直。軍を退げろとは、わしにも言いおかれていたが、わしはいやだ。
「とは申せ、手のほどこしようもございませぬ。この師直めがおいさめも、今日ばかりはお耳をかすことではなかった」
「ともあれ、陣を退くなど、もってのほかだぞ。むしろ前へ出ろ。そして四千余騎、街道をまん中に三手に備え、いつでも、不破、伊吹など一ト揉みの気勢を示せ。神だのみするよりは、そのほうが、はるか兄者の強味となろう」
直義の指揮下に、全軍は前へ押しすすめられ、佐々木方の
こうしたあいだに。高氏は後のうごきも知るはずなく、山と山とにせばめられた不破ノ関の
「直常、木戸のうちへ物申せ」
と、いいつけていた。
直常はただ一騎で柵のそばまで進み、これは足利又太郎高氏ご自身であること、そして、佐々木殿へお会いしたいという由を、声たからかに言い入れた。
佐々木方では、とうに、遠望しあっていたが、供は少なく、二つの輿も? と怪しんで、鳴りをひそめていたものらしい。
すぐ柵門のそばの関屋から、一人の武将があらわれた。そして直常と、二、三応答のすえ、
「しばしお待ちを」
と、馬へとび乗って、どこへともなく駈け去った。
よほど意外だったらしい。武将のあわて振りにもわかる。まさかとみていたのが、まぎれない足利殿とわかって、仰天したものとおもわれる。
時に、佐々木道誉はどこにいたろう。
いや彼の床几はどこにしろ、彼もまたその伝令には、
「いざどうぞ。……わが殿には、伊吹のお館の方ですが、さっそくそこへ伝令いたしおきましたゆえ、どうぞ伊吹の御門の方へ」
伊吹の城は、なお不破から北へ、一里余の奥にある。高氏は道の
その陣羽織は、
「
「沢にはまだ、雪が消え残っている所もままありますが」
「かまわぬ、かまわぬ」
道誉の馬はあとだった。
先を飛ぶ
早川
道は、
道誉もあわてたのである。
彼は藤川の高地に
「えっ、ほんとか?」
と、意外なあまり声を放ったほどだった。
いかに高氏が困惑しまた逆上しても、ここで盲目的な攻撃にはよも出られまい。おそらく弟
「自身来るとは、あくまで、野放図もないやつだ。さらに二つの輿を列に連れていると申すが、誰なのか?」
そこで道誉は、高氏の先を越して、伊吹の館で、彼を待つつもりらしいが、その行動も意図も依然、彼は
「まだ見えんな」
伊吹の
「大弥太。そちはここにいて、迎え役に立て。兵をならべ、槍ぶすまで迎えるのだ」
「こころえました」
「また民谷玄蕃は、二の
いちいち、手順までいいつけてから、道誉は
「主膳、主膳っ」
道誉は自室から呼び立てて、
「いそいで酒を一

と命じ、そのまに侍女の手で大よろいを脱ぎ、常の

「やがて、足利と申す客が来よう。まいったら、おあるじは今、お昼寝中と、待たせておけ」
と、侍女たちへ命じ、顔へ扇子をあててしまった。
疲れてもいたらしいが、ほんとに眠る意志ではないにきまっている。横たわった道誉の顔は、扇子の下で、考えている。
彼にも、彼の描いている“天下図”はもちろんあった。風雲の渦中にある一身も、位置する近江伊吹の重要さも知りつくしており、それの腐心経営は、人後に落ちるものではない。いやこんな時代の来ることは、たれより早く敏感に時流を観ていた彼でもある。
「いよいよ天下分け目のその日がきた。この道誉にとっても、ここは生涯の分かれ目か」
彼が、いよいよと察知したのは、つい二日前である。
上杉憲房と、細川和氏とが、従者わずかを連れ、急ぎに急ぐふうで、不破ノ関を西へ越えて行った。
「怪しい?」
と見、それには目はしのきいた家士をして尾行させ、何の目的で、どこへ行くかを、突きとめて来いと、追わせてある。
ところが、今暁におよんでは、明々白々な足利の叛証が、彼の耳へとどいてきた。かねがね、海道の宿駅に撒いておいた諜者から、
「ついに、やったか」
彼は驚かない。ただちに、不破ノ柵を閉じさせて、国境の険をかためた。鎌倉方とすればこれは当然な措置である。執権高時への忠節に見事こたえたものとして、これは四隣の眼にも不思議ではない。
なお彼の眼はぬかりなく、べつな見通しも持っていたようだ。――すなわち高氏と同時に、幕府から第四次の総大将に任命された名越尾張守高家の手勢は、まだ西へ越えてはいないことだった。
その名越軍は、高氏より数日おくれて、鎌倉を立つべき予定となっている。――とすれば、高氏がもし一戦覚悟で不破ノ柵へかかって来ても、たちまち背後からは、名越尾張守の軍勢が着く。高氏は自滅に落ちいる。
そうなれば、それは高氏に運のないこと。自分は、
「はやくも、足利のむほんを、その出ばなに討ったる者」
と、功を鎌倉にほこり、なおしばらく天下の情勢を見ていよう。道誉は、どっちにころんでも、不敗の陣ときめこんでいたのである。――ただ一つ、彼に誤算があったとすれば、それは、使者でもなくて、単刀直入に、高氏みずからが、これへ来たという意表外なことでしかない。
が、こうなればもう、その高氏との会見は、一高氏との会見ではない。生涯の運命も今日の対決できめねばなるまい。また彼との、十一年にわたる感情、いきさつ、一切の総決算でもある。そもそもの十一年前から今日まで、なお底知れぬあのうすあばたのことだ。なんとしても不気味は不気味である。ばあいによれば、相手と刺し違えんなどの
「……まだか、足利は」
そら寝も気が気でなく、顔の扇を
次室にひかえていた侍女が、
「いえ、もうとうに」
と、それに答えた。
「仰せつけのまま、御家臣方が、さきほど大書院へお通し申しあげて、ただおひとり、お待ちをねがっておりまする」
いましがた、高氏は大書院へ通されていた。そのままで茶菓も出ない。
春の遅い伊吹は小鳥たちの目ざめもまだ新鮮だった。遠い
「ああ、あのときのままではある。自然はなにも変っていない」
高氏は十一年前を想いおこす。――十一年前の十八歳の春だった。
途上で佐々木道誉なる者と知り、みちびかれて、この伊吹城に、一夜の歓待をうけたあの日も、はじめて通された室は、この大書院であったと想う。
「その道誉とは、つきぬ奇縁か」
でなければ、よくよくな、
「悪縁か?」
今日までの彼との公私、表裏、さまざまなものが回想の糸にもつれてくる。が、今日こそは、と唇が噛まれた。高氏の肩には、足利の族党四千の将士からその家族までの浮沈が今かかっていた。しぜん心もからだも
「…………」
チラと、道誉はもう廊の口に
「佐々木でおざる。お待たせ申した」
「お」
高氏はわずかに膝を向け直して、
「久しゅうおざった」
と、
「なんのいとまもなく、陣装のままで伺ったが、おゆるしをねがいたい」
「いや
「して。足利どの、今日の御用は?」
「使者では心もとなきまま」
「はて、お身軽なことではある。大将ご自身」
「それほどな、折入ってのお願いの儀でもおざれば」
「ま、お待ちあれ、無駄なお手などつかれぬうちに、一言先に申しておこう。
「何、弓矢にかけて?」
と言った高氏のその唇もとが、道誉の方には必然な挑戦の笑みかのように眼に映った。そこで道誉はまたも間髪をいれずに、こう言いかぶせた。
「おう、足利勢の何にでもかけて、通れるなら、通ってみられい!」
「いやそれほどなら」
と、相手の鉾を交わして高氏は逆に澄まし込んだ。
「自身、出向いてはまいらぬ。そこもとを、鎌倉殿の代官、いや高時公のご名代とも存ずればこそ伺ったので」
「はて、いまさら何を」
「じつは、お手もとにお預かりねがいたい者を連れてまいった。一子
「なに、このほうにそれを預かれとな? 一体それは何の意味で」
「人質にです」
「人質に」
「ご不審でしょう。が、じつは鎌倉表を
「……足利どの」
道誉は、刺された
「お耳へ入れたのは、このほうだった。何かの世間ばなしが出た折にな。それが御辺には、まずかったか」
「よくもわるくも、昨日のことは昨日と過ぎた。今日はその
「筋違いだ。
「ところが、はやお聞き及びのはずだが、
全然、退屈な中でする話みたいなのである。道誉はぴらと頭をかすめられた。こいつはほんとの馬鹿なのではあるまいか。
「なにをいうかと思えば」
と、道誉は内心の興ざめを、露骨にして。
「――
「されば、海道の途中で、はやそのような不用意をなさしめたのは、なんにせよ高氏のまずさでおざった。とはいえ、わが足利五千騎は、
「では……では何か、御辺は鎌倉殿へのむほんをば、自分でもみとめるのか」
「いかにも。人は知らず、そこもとには、とうからようご存知のはずだった。隠してみても仕方がない」
高氏はなお、静かに。
「この高氏がむほんと聞いて、そこもとが、急に
「ば、ばかをいえっ」と、道誉は激したが、落着きを取りもどして言った。「……ははあ、三河党に
「それは佐々木氏、そこもとらしいが」
「足利殿っ、ここは伊吹の城中だぞ」
「武者隠しには、武者を隠してあるということか。そうか。外聞をおそれるなら、ほかの席へ移ってもよい。たしか大庭の遠い隅には茶堂があった。……十一年前、一夜のごやっかいになった折は、茶をと、そこの茶堂へ行きましたな」
「それがどうした」
「おわすれか。茶堂の外に家臣をぐるりに立たせておいて、この高氏を抱き入れるおつもりだったか、そこもとは、日野
「…………」
「やがて正中ノ変となった。あまた宮方の人々は、斬られ、流され、むざんな
「出ぬはずよ、あれは違う」
「どう違う」
「当年、無断上洛の又太郎高氏をこころみたまでのことだわ」
「では、それもよし。しかし先年、後醍醐のきみの隠岐送りにあたって、獄中から護送の途々、何かと、
「武士のなさけ」
「すると、
高氏はとつぜん、ばかでかい声を発して、なにもかも、かなぐり捨てるような調子で、あぐらの片膝へ、一方の肘と肩とを、らいらくに落して見せた。
「なあ佐々木殿、いや佐々木と呼びすてるぞ。もうお互いに、腹の底の腹巻は
「…………」
「いやならよせ、拾ってやらぬ。いささか高氏を知る者と思い、他日天下の分け前も取らせてやろうと、急ぐ道をも、わざわざこれへ立寄ったのだが、はなしに乗らぬものはぜひもない。惜しい男だが、自滅を待つか」
いうだけいったふうである、いやまだいくらでもある余地をみせて、高氏は庭のほうへ顔をそむけた。一とき、その眼はらんと光ってみえた。いつか陽も夕めいた濃い木蔭には槍の光がしきりに遠くを歩いている。武者隠しのふすまの蔭にもコトと小さい物音が二、三度した。しかし道誉はそれも自分の呼吸も忘れていた。ただ目の前の横顔を
ころそうと思えば殺せる。生け捕ろうとすれば生け捕れる。いまなら、道誉の意のままだろう。
その危険を、高氏が感じないはずはない。が、感じていないかのようである。――庭へ眼をやっている。危険極まりないことだ。
もっとも高氏にすれば、ここへ臨むときからすでに、八方やぶれでいるのかもしれない。しかし、それならなんで
「足利」
やがてであった。道誉も彼を呼び捨てに。
そして、喉のへんで圧しつぶされたような声とひとつに、ぼってりと柔軟なその体を、膝ぐるみ、ぐいと前へのり出していた。
「お、道誉」
高氏も彼を正視する。
その眸を道誉はとらえた。ねばりッこくいつまで相手を離さなかった。なお奥底のものを見極めようとするのらしい。こういうとき、彼の如き人間の眼気には長く耐えられないのがふつうだが、高氏はふんわりしていた。つい先に
「訊くがの、足利」
「なんじゃ」
「勝算はあるのか、勝算は」
「なくてどうする」
「おとろえても、相手は天下の幕府だぞ」
「知れたものよ」
人を吸いこむような柔らかい顔でいながら、高氏は
「
「むほんをくわだてながら、恐ろしくないなら嘘だ、大きなばくちではあるまいか」
「いやこの身には、
「…………」
「
「それでよいのか」
「どんな勲功にもまさる大功としよう。きっと、後日にはその功におむくいする。また高氏が今日、
「…………」
「それも長くはあざむけまいが、今後十日のうちには、関東の野から、べつに叛旗をひるがえす者があらわれる。それまでの時を
「えっ、東国の野から?」
「む。新田が
道誉も急に腹の底をかえていた。高氏はほんとにおれを信じている! そう彼も信じ込んできた容子だった。
さもなければ。――高氏が単身でこれへ来るなどの離れ業に出るわけもない。また、われから我が子を質子に連れてくる馬鹿もあるまい。
こうすべてに、あけっ放しな高氏が、彼には次第に利用価値の大きな愚直そのものにおもわれてきたのであった。
よし、ここは恩を着せておこう。望みどおり“むほんの旗”を進めさせ、倒幕の荒仕事は、ぞんぶん、彼にやらせておけばよい。そして、その収穫は、悠々とあとから我が手に収める工夫をしてもおそくない。――とっさに彼はそう考えた。軍事には自信もないが、その方には自信があった。
「足利!」
ふいに、道誉は立上がって、
「見せるものがある」
と、壁の前へ歩いて行った。
そこを押すと、壁の一端が袋戸のように開いて、
彼らは、主君の唐突な行為にあわてて、
「あっ?」
と、ひとしく辱じるような顔を、まぶしげに、しかめ合ったが、
「去れ」
と、道誉はなんの
「
「おう、承諾してくれるか。それで当家との黙契も成ったとわかれば、士気はまた一だんと振うだろう。ではすぐ不知哉丸をこれへよんで」
「いや、待たれい。前途お心はせくだろうが、そうきまったら、ちかいのしるしに、一
柏原には、道誉の妻子の館がある。そこへ足利勢の駐屯をゆるしたなどは、さっそくな彼の協力のしるしにせよ生やさしい好意ではない。大度量のあるところを、道誉も、高氏へ見せようとしたものか。
いずれにしろ、ついに、打開が見られたのだった。高氏は、供の桃井直常の弟、
「急いで行け」
と、野上へやった。
じつは彼も、あとの直義だの、三河党の血気どもが、何をしでかさぬ限りもないと、気が気ではなかったのだ。
同時に、不破口の兵へも、道誉の命が、行きわたった。――それらの指揮をば、道誉は席を移してから、例の
――もう暮色が降りていたのに、内からは、灯を求める声もしなかった。そしてただ、水屋ざかいの壁の蔭に、さっきから、身をかがめていた女があった。女の白い横顔は一本のこぼれ針みたいに、しんとそこの暗がりに澄みきっていた。
「よく
道誉すら、高氏の飲み振りには、目をみはった程である。高氏は、ぼうと、おもてに
「美味くてならぬ」
と、
「あの頃とは、だいぶお手が上がったの」
「さよう。十一年もたてば、高氏とて、すこしは大人になり申そう。それにこの伊吹へまいると、なぜか大酔がしたくなる。かつまた、今日は二人の間に、
「いや、飲んでおる」
「はなしは、すんだはずだな」
「
「ならば、もそっとお身も飲み給え。もし高氏が、武運つたなく、
「なにをば?」
「あとの天下をだ」
「まだ取りもせぬ天下をば。あはははは、これは、少々ご機嫌におなりとみえる」
「うむ、上機嫌でおざる」
大きく、うなずき込んだ首を、高氏は襟もとふかく埋めていたが、やがて、虹のような息と共に、面を上げて、ニヤニヤと相手を見ていた。
「いかにも! まだ取りもせぬ天下の皮算用などは止めにしよう。それよりは、
「何を」
「おいよせよ。そんな立派な顔はするな。断っておいたではないか、もう密盟の話のほうは打切りだと。これからは凡愚と凡愚の交わりで行くのだ。その引出物に進上したいものがある。受け取ってくれまいか」
「貰おう、馬か、太刀か」
「そんなものではない。美しゅうて
「はあて、何であろ」
「藤夜叉だ」
「えっ?」
「こうなるのもぜひがない。元々は当家お抱えの
「よいのか、それで。……それでそっちの胸は」
「ははは」と、高氏は自分の声を遠くに聞くような自嘲で言った。
「よいも悪いもあるまい、高氏は負けたのだ。なにしろ、ひどい執念の恋がたきだった。ざまはない!」
「いや、こちらもだ」
と、道誉は大いにあわてたらしい色をかくして、
「御同様に、ざまはない。だが女嫌いの御辺が持つより、やはり花は風流なあるじの室がいいかもしれぬ。花も
そのとき、武者の早い足音がここへ近づいていた。それを知ってか、茶堂の水屋にひそんでいた女の影は、さっと、野の生き物みたいに裏の
客殿に客のある夜は、
するといま。――遠い
「たれじゃえ?」
水仕部屋の障子の内で、お
が、奥へとつづく黒い
藤夜叉だった。
昼、伊吹城へ着くとすぐ、桃井直常に付きそわれて、
ところが、彼女にすれば、ここは故郷といってもよい所だった。およそ城内の勝手ならどんな隅々までも知りつくしていたのである。たとえ桃井直常が表に監視をおいているにしろ、なんの
そのうえに。
ここへ来て、ここの
「死ぬほどなら、いのちにかけても……」
彼女は暗い中で、たれへともなく、唇を噛んでいた。高氏とも会って、いちどは、この恨みを、としているような一念の眸であった。
その高氏と道誉との、男同士の勝手な話を、彼女はさっき、茶堂の物蔭にいて、すっかり聞いていたのである。もう涙などこぼれもしない。――おのれの大望とやらのためには、子まで生ませた女を品物のように
「……おお、こよいを過ごしては、またと恨みをいえる日もあるまい。朝ともなれば、殿は、
藤夜叉は、やがて立った。姿は、よろめいてさえ見える。そして燭台のある一ト間へ移ってそこの
やがてほど
「藤どのでございますな。そこに、おいででございましたか?」
と、念を押すように言っている。
藤夜叉は、化粧を直していたのである。すました
「え、藤夜叉です。そなたは」
「今日、お供をしてまいった警固の桃井にござりまする」
「この身はまさか罪人でもありますまいに、なんで警固が
「いや悪くおとりくださいますな。万一の
桃井は何も知らない様子だった。けれど、万一とはどういう意味で高氏が言ったのか。藤夜叉はすぐ男の無情に
が、桃井はそんな彼女とも気がつかずになお言っていた。
「ところが、たそがれふと、どこにもお姿が見えぬと騒ぎおりましたゆえ、役儀上、伺ってみたまでで、決して、監視の眼を光らすなどの悪意でではさらさらございませぬ」
「では、この身をさがしていやったのか。ホホホホ」と、わざとらしく。「ふと庭へ出て、庭をあるいたのですよ。心ないことでしたの」
「いやなに、お夜食の時刻でもございましたので」
「夜食?」
と、ちょっと、間をおいて。
「それよりは、不知哉丸は、どうしていますか」
「ここの侍女たちと、遠くのお部屋で、はや
「……そう」
と、彼女のそれは、母の安心感に沈んでいたというよりは、もっと深い孤独の底の声だった。
「桃井どの」
「はっ」
「どこぞに、料紙とすずり箱はありませぬか」
「持参いたしましょう」
直常はいちど退がって、ふたたびそれを持って、
彼を待たせて、彼女は筆をとりあげていた。稚拙な、子どものような仮名文字で、やっと、短いことばを書きつづった。そして、いちど封じかけたが、また、なに思ったか、ふところの守り袋を出して眺めていた。
――それは十一年前、初めて、高氏とここで会ったときに、変らぬ
「……あ?」
と、そのうちに驚いたのは、それを
もう無造作に、それを手紙の内へたたみ入れ、さらにべつな料紙で封をした上へ、
殿へ
と、だけ書いたのを、藤夜叉は、桃井の手にわたして、そして、頼んだ。桃井は、このとき初めて、なにか異常なものを彼女の眉に知って、つい、高氏への取次ぎを、
一方の茶堂では、宵すぎから茶堂らしくない殺伐な酒景を呈していた。たそがれ高ノ師直や仁木義勝らの一隊が、着陣の報をかねて、
つまるところ、上下一体、天下分け取りの分け前に、ひとしく気が立っていたのでもあるが、しかし、
高氏
道誉
の、じつは
「すでに一約の上は」
と、二人とも、赤裸になりあっているようにみえるが、酒に寄せて、じつは複雑な腹のうちの闘いを演じていると思われないことでもなかった。
もちまえの毒舌をしきりに
相互の家臣は、はらはらしていた。
せっかくな約も一ぺんに破れ去るかと、いくども、酒の気を吹きさまされたほどである。だが、ふたりの
「いや、おっくうだ。ここでいい、ここで」
とばかり、彼は、茶堂の書棚の数冊を取ってそれを枕に、大の字なりに眠ってしまった。
ぜひなく家臣たちは、夜の
殿へ
と、封の上に、藤夜叉の
さっき、まだ杯盤もちらかっていたうちに、桃井から
封は切るまい
と、しているらしかったが、殿へ、としてあるたった二字にさえ、その
うそつきです
あなたは
うそつき地蔵です
こんな物 こうしてやる
一生がい 恨んでやる
死ぬものですか
あなたは 私が
死ねばいいと思っている
にちがいないけれど……
藤夜叉の乱脈な筆は、こんな意味に読みとれる。あなたは
うそつき地蔵です
こんな物 こうしてやる
一生がい 恨んでやる
死ぬものですか
あなたは 私が
死ねばいいと思っている
にちがいないけれど……
白い紙へ、女の怨みつらみを、抜け毛みたいにバラ
そして、夜すがらでも、私はそこにお待ちしているでしょう、もし来てくれないなら、じぶんにもさいごの決心があると、そこだけは、男にとれば強迫とも感じられるような烈しいことばづかいを、そのまま筆に使っているのでもあった。
「…………」
やっと、読み判じてきて、高氏は一そう女があわれまれた。
やはり彼も藤夜叉を愛していたというほかはない。こんな愛憐を一人の女に集中して、理性も何も失いかけるなどは、これまで彼も覚えなかったことだろう。とつぜん、自分の中の
かえりみると。彼の大望の素志が固まったのは、彼が藤夜叉を知ってまもない後からのことだった。――かの
それの野望へ賭けた人知れない
すると、そのうちに。とつぜん、彼は夜の
そして陣座羽織をぬぎ、えぼしもそこにおいて、ばっと、茶堂の水屋口からおもての闇へ出て行った。すぐ、それと気がついたものとみえ、つづいて
「……殿っ」
と、どこかで呼びかけると、高氏は一ト声、
「来るな!」
と、叱るように後ろへ言った。そして
来るな、といわれても、師直は寄って行って、おあるじの背をさすらずにいられない。
「……いかがなされました。……殿。……お薬でも持たせましょうか」
高氏は苦しそうであった。吐いたあとも、流れへ、かがんだままでいた。
からになった胃の腑に、すがすがしい落着きを持つと、高氏はやがて、顔を水面にひたして、その水しずくを、横に拭きこすりながら身を起した。そして、口にもふくんでいた水を、こころよげに吐きすてて、
「師直か」と、下を見すえ「――大事はない」
と、しいて白く笑った。
「いやお顔いろもすぐれず、ほどなく四
「おおよ、それでいい」
「しかし時刻をのばしても、充分お
「なんの、いらぬ
「はっ」
「いっそその辺をひとめぐり歩いて来る。だが、
高氏はもう先へ歩いていたのである。師直は追わなかった。跪いたままでそれを見送っている。彼には、とっさに分ったのだ。やがて、にゅうっと、髯だらけな中の目鼻が苦笑をたたえ出した。
――高氏の影は、十一年前の記憶をたどりながら、大庭を避けて、梅の木の多い方へとさまよっていた。だが、うすら覚えも残っていず、遠いあの夜の、白々とした花だの春の
「……。お」
彼は足をとめた。
つと、彼の目のまえに自分の影をさらした藤夜叉も、すくんだように、うごかずにいた。
「藤夜叉」
「…………」
また、ややまをおいて、
「藤夜叉、待っていたか」
と、寄って行った。
そして高氏は自分の心が命じるままに、ただの男になって彼女の肩へ手をのせた。女の誤解をなだめて、その不びんな恨みつらみに、ことばを尽して、よく得心を与えてやろう。それは当然な男の
だが、藤夜叉は、
「白々しい」
いきなり肩を外して、憎そうに、その手を振りはらッた。そして、
「殿」
と、恐い目で睨みつけた。その顔は、
ぎょっとして、高氏は、
「これっ」
叱りながら、無意識に体を退いた。すると彼女は、とたんに、その胸にむしゃぶりついて、体じゅうを揉んで泣いた。
怨むにせよ愛するにせよ、彼女の
「気がすんだろう」
すこしおちついたのか。彼女もやっとゆるい
「藤夜叉。……おまえとの仲もこれだけのことだった。そう思ってくれい。伊吹はおまえのふるさとだ。ふるさとへ帰ったつもりでこれからは倖せに送るがいい」
「倖せに?」
彼女はわれから肩を振りほどいた。しかし、
「なんのことです? 倖せにとは」
「ま、おちつけ」
「いいえ、いまこそ、私は夜叉です。殿という憎い男を、責めずにはいられません。食いころしてもあきたりない」
「わるかった。高氏がわるかった。こう、あやまる」
「そらぞらしい」
なぶられた炎のように、かえって彼女の盲目な手が烈しく高氏の体を突いた。けれど、男の革胴や具足の五体は、石像か金物のようで、
「ち、畜生」
「なに」
「あなたは、鬼か畜生ですっ。まだ何も知らなかった私をとらえて、この梅ばやしの花の木蔭で、いやおうなしに、私の一生をきめてしまったのは、あなたという男ではありませんか。こうなったのも、あなたのせいだ。このさき、どんなことになってもあなたのせいです」
「しっ、静かにいえ。だからこそ高氏もわびておる」
「もうそんな優しげなお口にはのりませぬ。これまでのこともみな嘘ばッかり……。なに一つ誓ったことは果たしていず、あげくに、ここはおまえのふるさとだ、ふるさとに帰ったつもりになれとは、あんまり虫がよすぎます。このままになどいるものですか」
「ではどうする」
「一生つきまとって、あなたを責めずにおきませぬ」
「高氏のくるしむのが、おまえの眼にはたのしいか」
「でもあなたこそ、ご自分の大望とやらを遂げるためには、私などは、どうなってもよいのでしょ。いいえ、その恐ろしいお望みのため、この私までを、伊吹の入道の
「それもよかろう」
さからわずに、彼は言った。
「恨むなら恨め。わしはおまえを憎いとは思わぬだろう。また生涯忘れもしまい。
と、聞くと、彼女のどこかで瞬間、べつな女が、切なそうな息を内へひいた。不知哉丸を思い出させるなどは、むごい言だったのである。
高氏は悔いたが、追いつかなかった。それは女の心理をなお夜叉そのものにしてしまった。
「あなたは
「
「さもしいお方だ、そんなにまでして、身の栄花が欲しいのか。天下とやらを取りたいのか」
「だまらぬか」
「だまりません! あなたは、ご自分の
「藤夜叉」
「なんです

「ならばいうぞ」
「いってごらんなさい」
「そなたはすでに、他人の女ではなかったのか。さ、なぜ道誉へ身をゆるした」
「ひぇっ」
「おめおめ、この高氏の前へ出られた女ではあるまいがの」
「…………」
「それは、道誉の
「もしッ……」と藤夜叉は叫びかけて泣きくずれた。そのまま、地の底へ沈みこむようなもがきをしばらくしていたが「いいえ、いいえ!」と、自分を打つように、その黒髪を掻き上げて――
「言ってください。お胸のいえるまで仰っしゃってください。そのことは、私から言いたかったのに、言えないでいたんですっ。……殿っ」
と、高氏の足もとへすがりついた。それには巨木も揺れそうな必死の訴えと悔いがわかった。しかし高氏は恐れるように、その藤夜叉を力まかせに蹴とばした。そして、たまらない自己嫌厭の中に吹きくるまれていた。
女を挟んで道誉と争いたくなかったし、また道誉という男を
「もっと、仰っしゃって!」
彼女はまたからみついた。そして嵐のような烈しさで、せがんだ。
「もっと打って!」
「うるさい」
「打ってッ」
「ちっ、どうなとなれ」
肉の音がした。地が
やがて、彼女はたれかに抱きおこされていた。高氏でないことはもう知っていたのだろう。素直に起きあがり、そしてものもいわず、うなだれたまま、どこへともなく歩みだしていた。
「藤どの……」
呼ぶ声に、その後ろ姿は、初めて人がいるのを知ったようにふりむいた。
青い朝がいつか明るみかけている。自分の涙で濡らした大地のあとに、師直の影が、うッすら、歯をむいて笑っていた。
「よかった。……どうやらお心を取り直されたか」
「…………」
「一人の男に
「…………」
ちらと見ただけで、藤夜叉はまた足を先へむけていた。いちど見過ごしていた師直は、急に二十歩ほど躍って、いきなり彼女の背を後ろからかかえこんだ。
「……のう。ご縁なあって、
「…………」
「殿は元々、ああしたお方だ。無情というものではおざらぬ。いずれは若ぎみと共に、藤どのの身も、伊吹から迎え取るお胸でいるには相違ない。あなたさえおいやでなくばだ。……またこの師直もそうなるように、お側にあっておすすめする。……ま、ここしばしのご辛抱だ。あの道誉のごときは、どうにでも、お口のさきでだましておかれい」
はっと、師直は彼女から手を離した。そのとき伊吹城の
すでに中門の遠くには武者のむらがりが朝霧のうちにきらめき出し、茶堂の疎林にも馬のいななきが流れた。師直はあわてて、もいちど、藤夜叉の肩ごしに、ひと言ふた言、柄にもない優しいことばを

「……もう朝か」
彼女には何か、自分の
まもなく、朝霧のやぶれをとおして、さんさんと、騎馬
「どこに?」
彼女は高氏の姿ひとつを眸にさがした。男のすすんでゆく野望の道には、一人の女など路傍の花ほどでもなかったのだと、彼女は知った。それなのに彼女はなお男の行くてのけわしい道に