二月の風は
昼まになっても、日かげの霜ばしらは、
「麦踏め、麦踏め。――
畑のなかで独り言が聞える。寒さと風に対抗しながら、それはだんだん大声となった。麦畑で、麦を踏んでいる老人の
むこうの方でも、ふたり程、
「
ひとりがひとりへふり向くと、鍬の手をやすめ合って、
「はははは。そうらしいな。寒さを克服なさるため、
「いや。……」と、ひとりは耳たぶへ手をあてがいながら、
「麦ふめ麦ふめ。芽をふめ芽をふめ。と聞えるが」
するとすぐそれは聞えなくなって、
「おううい」
やがて聞えてくる声に、ふたりはあわてて鍬の
「あ。呼んでいらっしゃる」
何はさておきと、駈けだして行った。
「お
ひざまずいた膝のつきよう、横においた鍬のおきよう、ただの農夫ではあり得ない。
主従ともに野良着はつけているが、老百姓のほうなど、なおさらそれに見えなかった。
「
「はいっ」
「あさっては、
「左様でございます」
「今月はわしが
「みな楽しみにしております」
「皿、杯などの数が足るまい」
「どういうご趣向にあそばしますか、お
「趣向など無用。へだてなく語りおうて、ただ一夜をたのしむのが
「ではさっそくお城下の
「いやいや、自身で求めに出向こう。ここ久しく、城下にも出ぬ。ほかに用事もあるし、そちたちも供するがよい」
老公はもう歩き出している。畑は
門といってもかたちばかりのもので、
「これよ、誰ぞおらぬか」
土間へはいって、
西山荘の
誰ぞおらぬか――と呼ぶ老公の声をきくと、うす暗い
「おまえではない。おまえではない」
公は、左右の手をさしのべて、二頭の鹿の頭をたたいた。
西山荘には、十頭たらずの鹿がいた。みなよく家人に馴れている。老公は鹿につきまとわれながら、
丸窓の下に、一脚の机がある。
家臣は、ここを
「いつのまに、畑からおもどりでしたか。少しもぞんじませんでした。……ちょうどご城下よりご家中の
「
「なにかお願いの儀がありますようで」
「古いあのことであろう。毎度申しおるゆえ」
「そうらしゅうございます。――ずっと以前、老公より惣左へ、お口約束をされた
「約束を。はて?」
「いまは会うこと成らぬが、
「おお、なるほど、
「惣左どのは忘れても、その日を待って待って待ちぬいておられるお方のほうでは、死ぬるまで、忘れる気づかいはない――と、惣左どのも、肩の重荷にしておられます」
「は、は、は、は。あれもさだめし、生涯の迷惑じゃったろうに。よいよい、こんどは約束を果してつかわそうから、そう伝えて帰せ」
「お目通りをねがいたい
「わしもこれから城下まで出かけるところじゃ。供をして来いといえ。
「え、ご城下へ」
その時、土間すそに、
「わらじを」
ふたりへいいつけながら、老公もすぐ立った。
ここから水戸の城下までは五里ほどある。老公の健脚にしても半日ではすこし無理。そう考えて、二臣は馬を曳きだしておいた。
老公は、それを見て、
「ひとつ、ご苦労をたのむとするかな」
と、馬へ挨拶しながら乗った。
「お出まし。お出まし」
剣持与平は、広からぬ部屋部屋へ、外から知らせた。
梅の枝の影が
お
老公は、百姓馬の背にまたがって、そこを通りながら、
「行って来るぞ」
と、右を見、左へいった。
この
「おう、もうあんな方へ」
後からあわてて追いかけて行くのは、
江橋林助は
どちらも若い。
そして老公の側には子飼から召使われているものなので、読書の
「林助、
老公が馬の背からいうと、林助はくさめを放った
「はい、どうもすこし。……
「若いくせに、畑へ出てすぐ風邪をひくようでは、いかんのう」
「そんな些細でひいた風邪ではございません」
「ホ、憤然と、
「
「ははあ、毎朝暗いうちから、山荘の裏のほうで、
「お眠りの
「たわけを申せ。あの頃は、わしはもう
「その風呂所で、実は風邪をひいたのでございます。千回も素槍をしごくと、満身、りんりと汗にまみれて来ますので、毎朝、われわれの
「大小か」
「いいえ、武士のたましいには違いございませんが、それをつつむものです」
「つつむもの?」
「はい」
「なんじゃ」
「申しあげかねます。……ちと
「ははは。
「お察しがつきましたか」
「
「そうです」
と、
「――そこで、はたと当惑いたし、はて、何者がかくしたかと、探し求めていますと、お手飼の鹿めが、それがしのその物をくわえて、遊んでおりました」
「さりとは、粋狂な鹿よの」
「おのれと、裸のまま、追いかけました。ところが容易に
「
「承知いたしました。が、ただいま林助の申しあげた話だけでは、まだ沈着なところがありますが、てまえの実見では、その時、裸のままで鹿を追いかけ廻して持て余していた彼の図は、実におかしいやら、気のどくやらで、何ともいえませんでした。老公へもご覧にいれたいくらいなもので」
「そうであろうそうであろう」
老公はひどく歓んで、右手で膝をたたいた。
「そうそう。わたくしのことを左様にお笑いあそばすが、老公にも、時折、お
林助はくやしがって、馬上の人の白髯へ、戯れかかるようにいった。
「なんじゃ、問うてみい」
「ほかでもありませんが、ただ今も、西山荘をお出ましの折、老公には、召される馬にむかって――ひとつご苦労を頼もうかなどと、挨拶をして、鞍へお手をかけられました」
「ウム。そのことか」
「ひとの背なかへ乗るなら知らぬこと、馬へご挨拶をなさるには及ぶまいと存じられますが」
「そうかな」
「違いましょうか。わたくしの抱く不審は」
「ちがうと思う」
馬は黙々と老公をのせて
里近くなると、田や畑に働いている人影は、遠く老公のすがたを見る者も、近く行き
「よいお
と、土民同士でする会釈を、同じように気軽に
「どう違いましょうか」
林助が追求すると、老公は微笑をおさえて、すこし真面目になった。
「わからんか。なんのために日ごろわしと共に百姓しておるか。――わしははや官職を
「恐れ入りました。そういう
「振落されるのは嫌じゃから、あらかじめ、馬のごきげんを取って乗る。しかし、
「ついでに、もう一つ、伺いますが。……きょう畑で
「それもすこしそちの勘ちがいであろう。そう申した覚えはない。……ただ、ようやく雪をしのいで青々と伸びかけた麦の芽を、むざと踏む
「――芽は踏め。根は張れ。そう仰っしゃっておられたのでございましたか」
「麦の芽は、領民の芽、わしが在職中は、また
林助も悦之進も、咄嗟に、
「百姓も町人も
憮然として老公はつぶやいた。
「根に力を蓄え、望みは、永遠の結実に持て。――そう
その時、後から追いかけて来た
「ご城下口まで、てまえもお供させていただきます」
と、馬上へ礼儀をしてから、馬のあとに従った。
老公はすぐ振向いて、
「
「ありがたい思し召。
「
「五十六、七かと思いますが」
「よい
「お子にはご運がなく、
「
「ところで。――ようやくこんどはおゆるしを賜わりましたが、いつごろ
「――左様」
と、すこし案じて、
「早いがよかろうな」
「もとよりお早いに越したことはございません。何せい、雪乃さまのほうでは、二十年やら三十年やら、実に長いあいだを、じっと、おゆるしのあるまでお待ちになっていたことでございますから」
「あさってはどうじゃ、早すぎるか」
「結構でございましょう」
「
「それはお
「なんのなんの、世間へ
「では、お旨のまま、雪乃さまへ申しあげておきまする」
馬の前に立って、肩をならべて歩いていた
いま、うしろ耳に、聞くともなく聞いたはなしから、ふたりは同じことを思い出していた。
――もう古いことだが、今もって家中の者が、時折うわさにする、それは老公の隠れもない
敢て、そのひとつと、断らねばならぬほど、老公の青年時代には、幾つもの艶聞がある。
(恋のために
と、いうような情熱が、
(恋は路傍の花。――恋を
と、いう風な軽い考え方に変って来たのであった。
うち気な、純情な、いやしくも貞操を戯れの火には投げない彼女のきれいな感化にもよるが、その前後、老公の厳父
「もし、ご
と、必死に
で、ふたりの恋は、きれいに終ったのである。光圀の姉、
朝まだき、水戸の
「皆はやいな。よく
老公は、往還の旅人に
そして、町屋の
ゆうべは
下町まで一緒に来た寺僧が、
「山門のお客様です」
といったので、木戸の役人も、老公とは気もつかない
老公もまた供の衆に、こうかたく口止めしていた。
「隠居の身が、のこのこと、城下へ参って、
西山へ退隠後、城下へ来たのは、わずかこれが二度目ぐらいなものであった。その一度は、公然お城へはいって、現在の藩主である自分の
「わしはすでに
世子綱条の
いまの藩情は、決して無事安泰なものではない。内にも外にも、多くの難事が横たわっている。けれどそうして全責任を綱条へ負わせたほうが、はやく彼を威信づけるものだし、またそれが王道の正しいすがたであるとも老公は信じていたにちがいない。
「
老公は供の者をふり向いた。
乗馬は、久昌寺にあずけて来たので、きょうは気がるな徒歩である。西山の梅を
「はいっ。――なんぞ?」
十歩ほど離れていたので、悦之進と林助は、老公のそばへ、大股に寄って行った。
老公は、左右の町屋を見まわしながら、
「わしが在城中と、綱条の代になってからと、城下の繁昌は、どう見えるな、さびれたか、盛んになって来たか……?」
「おそれながら、較べものになりません、何といっても領民は、
「では、さびれた方か」
「陰気になりました。以前と変りなく町々はうごいて見えますが、庶民のすがたに何か元気がないようで」
「なぜじゃろう」
「むずかしい儀で、われわれ若輩などには、お答えする知識をもちませぬ」
「ウム、む」
無理もないというように老公はうなずいた。
すると
「……?」
老公ですら、ちょっと目をみはったほどである。なぜなら、ゆくりなくも彼は、二十四、五歳の頃の恋人の
――似ている。
と、ふと思い出したからであった。
娘は、若い鶯のように、辻を斜めに、老公のほうへ小走りに寄って来ようとしたが、なぜか、うしろにいた渡辺悦之進が、あわてて顔を横に振ったので、はたと足を立ちすくめてしまった。
何かものいいたげな瞳を、悦之進のすがたへ注いだが、悦之進のあわてた顔いろに、彼女も顔をあからめて、道を曲ってしまった。
老公は、見送ってから、
「悦之進。いまの娘は、たれの娘か。――なぜそちは、素直にあいさつをしてやらなかったのじゃ」
と、かえって、彼の無情をとがめた。
悦之進は、まっ
「申しわけございません」
「それは娘にいうてやれ。わしに詫びることはない」
「路傍ではあり、お供の折、遠慮いたしておりましたが……父と父とが、極く親しくしていたので、それで」
「いずれ、家中の者の娘であろうが、その父親というのは」
「もう世におりませんが、
「なに、助左衛門の」
これには老公も驚いたらしい。余りにも、自分のうちに感じていた事と
似ていたはず。――いま去った娘のどこかに、自分の若かりし頃の恋人にそっくりな面影が見えたのは、偶然ではない。
白石助左衛門といえば、いまは亡き人であるが、
「では。……雪乃の娘か」
「さようでございます」
「そちも独身。
「いえいえ。そんな次第ではございません」
「それに似たような程度か」
「……どうも
悦之進は途方にくれるほど、ただ
槍術は天性の上手。剣は
「ははは、悦之進、ひどく閉口いたしたな。こんな折には、禅もだめじゃろ。そちの日頃よくいう禅の肚でも――」
「だめですな」
とうとう兜をぬいだ形である。悦之進は、腋の下に汗をおぼえながら、頭を掻いて、
「ご老公にはかないません。ご自身のお若いころに、人すぐれてご修行がありましたから」
「いいおるぞよ」
と老公は
「そちなどはまだわけて未熟、悦之進の学問武芸には見習うても、わき道には見習うな」
と、いった。そして、
「こう町中を連れ立って歩いては、微行も微行になるまい。
と、次の辻をひとり曲って行った。
気がかりにはなるが、老公の意志である。ふたりは老公のすがたが、
老公は、
「まんじゅう屋。まんじゅう屋。――誰もおらんのか。
返辞がない。
そこで老公は、少々、足のつかれを思い出して、折もよしと、
するとひとりのお
「菓子をくれい。おい、店番はいないのか。店番は」
と、さきに呼んだ老公と同じように、
老公の声よりもずんと大きいので、届いたとみえ、奥のほうで返辞がした。
「いらっしゃいませ。どうも失礼をいたしました。店の者をつい近所まで使いに出しましたので。……何をさしあげますか」
大きな塗りのかさね箱の蔭で、手をふき、たすきを
「おまえさんかえ。いま
「おれだよ」
お菰は、おれだが、それがどうしたんだ――といわぬばかり、しばらく無遠慮に
「菓子をくんな。上菓子を。もらいに来たんじゃねえ、買いに来たんだ。この通り金はある」
と、片方のたもとへ、手を落して、
主は坐り直して、
「売らないよ」
「なんだと」
「売らないってことさ」
「ここは
「ある」
「おれをお
「つける」
「もう承知はできねえ」
お菰は店のまん中へ、片あぐらに腰をすえこんで、かぶり物のきたない手拭をとった。眼も鼻も満足にそろっている顔をたしかに示そうという気らしい。
「
「知っていますよ、だからなおさらおまえに菓子は売れない。しかもわしの
「な、な、なんだと。……白まんじゅうめ、もう一ぺんいってみな」
「金はあるぞ、上菓子をくれ。――それが乞食のおまえさんのいえることばか。菓子などというものは、三食のほかのものだ。三度のご飯をたべる人なみ以上にも働いているおひとに一番たべていただきたいと思っている。
「なま意気をいうな。
「千人の商人のうちには、ひとりぐらいはそんなのもあるだろうが、人間の本性は、そんな
すごい眼の玉をむいて、いまにも吠えつきそうな顔をしていた
「……お
と、起って、
「また、いつかきっと、出直して買いに来る」
どう考えたものか、すごすご去りかけた。
菓子舗の主は、
「お待ち」
と、あわてて呼びとめた。
急に、虎が猫になったように、おとなしく帰り出したお
竹の皮に、あわてて菓子をつつみ、それをお菰の手に恵んでいった。
「悪くとってくれちゃあいけないよ。何もおまえを
「ありがとう」
お菰は、竹の皮を、押しいただいたが、そのまま上がり
「おあずけしておきましょう。何年か先まで――」
ぷいと、風みたいに、立ち去ってしまった。
気の毒そうな顔して、主は、ぼんやりあとの往来をながめていたが、まだもうひとり
「いや、どうも、とんだところを。お待たせいたしまして」
いいながらもう主はひどくびっくりしていた。あわてて土間へとびおりている。そしてあとのことばも知らないように、
「……これは、どなた様かとぞんじましたら、
「あるじ」
「はい、はい」
「さように人をみて、客にわけへだてしてはなるまい。いまのお菰がもういちど怒りにくるぞ」
「おそれいりまする」
「だが、そちのいったことはおもしろい。さむらいに武士道、百姓に百姓道、
「何せい、ここはあまり
「いやいや、すぐもどる。おまえこそ上にいなさい。ここは店、ほかの客も見えように。わしの用向きも、そのまんじゅうだが、いまでも舜水先生がおこのみのように
「ご註文がございますれば」
「あすの夕刻までに、西山荘へ何ほどか届けてくれい。宵をこえては味が変ろう」
「かしこまりました。……けれどつい今しがたも、あすの夕までに西山荘へそれをお届けするようにと、よそ様から同じご註文がございましたが、どうやら重なりますようで」
「なに、よそからも?」
「はい、白石様の
「そうか。では、ゆうべのうちに惣左がもうわしの返辞を告げたとみえる。――わしの好物と知ってあす来る折の手みやげに、
「むだになっても
「それで足る。それで足る。わしの用は無用になった。無用人がたまに出てまいればこんなものか、はははは」
老公は一笑してから、
「その使いで、ここへ見えた帰りであったか、白石の後家の娘を、ついそこの辻で見かけたが、なるほど、うわさにたがわず端麗じゃな。年は、いくつかな?」
と、真顔にかえって
自分のことでも
「お年はたしか、
と、いうことから、
「お名は、
などと立ち入って語り、その
「なんでも、ひと様の申しますには、あのおきりょうだし、また
「あろうな。……あってよいわけじゃろ。むなしく佳人に孤愁を抱かせておくはずもない。家中の若いものどもがな」
老公も気散じに相づちを打つ。――が、主の
「それなら分っておりますが、事情というのは、そんな浮いたはなしではございません。どうやら、心にもなく、さるお方の義理にひかれて、江戸へ行くことになるだろうとかいうおうわさで」
「嫁にか」
「さ。それがどうも、そうでもないらしいので」
「わけの分らぬはなしだの」
「まったく、
「はてのう。世話人はだれじゃな。その口ききは」
「ちと……申しあげかねますが……やはりご家中の、しかも
「うむ。そうか」
「つまらぬことをお耳に入れましたが、どうぞお聞きながしに」
「いや、何を聞こうと、隠居の身、大事はない」
「粗茶でも一ぷく、奥でさしあげとう存じますが」
「いやいや、
老公は、身がるに立つと、西山荘へもちと遊びに来い、などといって、
主は、道にまで出て、うしろ姿へいんぎんな礼をした。髯と梅の杖は、町の
「……なんだか、夢のような」
あり得ないことがあったように主はつぶやいた。天下の副将軍とも仰がれたおひとだろうかと、もういちど眼をこらして見直した。
茶ちりめんの頭巾はもう彼方の辻を曲っていた。
やしき町も出はずれる。
「……ここじゃな」
なつかしそうに、老公は杖をとめた。樹木にかこまれた閑寂な門。
「又左はもういない」
ここに立ってから、彼はあらためてそう思い直した。
いまいるのは、又左の一子又四郎である。けれど故人のいた頃からの口ぐせで、老公はいまも、又左の浪宅とここを呼んでいた。
「又四郎、おるか」
その老公の声を聞くまでもなく、あなたの母屋から、三名は駈けだして来て出迎えた。
三名とは。
さきにここへ来ていた従者の林助、悦之進のふたりに、又四郎を加えたものである。
「お休み所は、
又四郎はどしどし先へ行く。
老公は、あたりの木々や、庭のたたずまいを見まわしながら、
「結構」
と、うなずいて、家の中央を占めている書斎へ通った。
ふつうの武家の書院とちがい、そこにも次の
「すぐお弁当をめしあがられますか」
いま来たばかりというのに、もう性急に、又四郎は訊く。
老公はひたと坐って、
「まだ早かろう。
「もう
「さようか。さてさて達者なようでも、やはり年よりの足かの」
「粗末な
「馳走になろう。……が、むだなものは並べるなよ」
「はい」
「いそぐには及ばぬ。まず茶をいただこうで、しばらくそれにおれ」
「はい」
「又四郎も当年、もう三十に近いはずじゃの」
「悦之進どのと同年です。恥ずかしい至りです」
「なにが恥ずかしい。そちたちの世ではないか」
「にもかかわらず、かくの如くに、
「
「だめです。鈍才だから」
「鈍才も尊い。黙って、地下百尺にうずもれたまま、事成る日まで
「そんなのではございません」
又四郎は、無愛想にいう。
おまけにあばたがある。幼少にほうそうを病んだからである。とにかく、人好きのしない、むッつりやさんであった。
(――これでは家老の
と老公も、その顔を、しげしげながめ入っている。
この無愛想者の将来はまだわかるよしもないが、この男の
もと
苦学して、江戸に出、
老公の先代、
(予に力を添えてくれ)
と、初めてうちあけたふたりの学者のうちの実に一人であったからである。
それも半ばに。
卜幽は、
生前、多くは、
かれの死後、一子の又四郎を、報恩の意味で、光圀の家中に養っておいたが、長ずるにしたがって、持前のぶっきら棒から、たちまち藩老の藤井紋太夫と衝突してしまい、紋太夫の一派から
――その棒は、いまも直らない。老公のまえに坐っても、棒のままであった。
このお相手は、
いつまでも、黙っている。
で、自然、あべこべに、老公のほうから話題を出しては、話しかけるようにならざるを得ない。
「又四郎。退役後は、何して暮らしておるか」
「何もしておりません」
「飽かぬか」
「左様にも思いませぬ」
「勉学は」
「学問はちと
「なぜ、学問にあいそがつきたか」
「頭でっかちになり過ぎると、五体のつりあいがとれませんから」
「そこまで、そちは学問をやったか」
「ならないうちに、心がけておりますので」
「
「つとめて、おやじには似たくないものと、
「どういうわけじゃ」
「儒者などというものは、くだらぬものと心得ますゆえ」
「なぜ、くだらぬ?」
「智ばかりに
「又四郎」
「はい」
「人見のせがれは
「は。いいません。けれど……老公の
「まだ何か、いいたいか」
「いいたいことで、おなかが
「いうてみい」
「お家は亡びます。……いまのままでは」
急に、又四郎のからだが、ふしくれ立った。両の肩を二つの
「ははは、なにをいう」
老公が笑い消そうとすると、又四郎は、ぺたと、両手を畳へ落して、
「おわらい事ではありません。お家は亡びます。老公のお目があいているうちは、或いは、ないかもしれませんが、ご老齢に、ふとしたことでもあればたちまち。……」
あとはいい得ないで、額も畳につけてしまった。
一面、棒のように見える又四郎は、その突ッかい棒が
短所も長所も、知りぬかれている老公のまえでは、わけてもそうらしく、
老公は、あきれ顔に、
「なるほどこれでは、藩老の藤井紋太夫をはじめ、家中の者からも
と、嘆息をもらしたが、果ては、おかしさに、
「湯漬はどうした。又四郎。そろそろ空腹じゃ。湯漬を喰べさせんか」
と、苦笑しながら催促した。
はい、といって立つかと思いのほか、又四郎は首を横に振って、
「さしあげません。てまえの申しあげることを、お取上げくださらなければ、ご飯などさしあげるわけにはゆきません」
頑然と、いい張った。
これには老公もあきれ顔に、
「ひどい兵法じゃな。
「
「だまれ」
はじめて色を
「奸賊とは誰をいうか。
「おります」
「おらぬ」
「ご家老の
「これ」
老公は、横を向いてしまう。
そこにはさっきから、
「はっ、なんぞ?」
「うるそうてかなわぬ。この棒をわしの眼のまえから片づけてくれい」
「棒とは」
「ここにおる棒のような男」
「はい」
林助と悦之進はすり寄って、又四郎をなだめながら奥へ連れて行った。
「…………」
黙然と、湯漬が出るのを待っているあいだ、老公の
「藩の困苦窮乏は、たれが
かれは何事も基本をそこにおいて考えた。故に、それから生じているところの事々に、いまも深く責任を感じている。身こそ
かれが初めて、大日本史の編纂を思いたったのは、十八歳の時だったから、ことし六十五歳、四十七年目になる。
しかもなお、その業は、半ばであった。
それほど大がかりな、また多難な仕事であった。
初め、かれがその抱負を、
「お志はよろしいが、いかに副将軍のご威光と財力とをもってしても、そのような
と、
けれど、かれは、
「自分の一生でやりとげられなければ、二代三代をかけてやる。二代三代でも仕遂げ得なければ、子々孫々にわたっても」
と、誓って着手したのであった。
だからかれは初めから途中の多難も、今日の困苦窮乏にいたることも、知りぬいて、それを甘受している生涯なのである。
(――たれをか恨み、誰をか咎めんや)
藩臣のうちには、いまだにかれの心事もわからず、その事業に対しての不平やら、あげつらいやら、またこういう際にも、
――むずかしいもの
老齢六十五、何十年来藩政をみて、また天下の
わけても。
この
その仕事も、ひとは自分にくらべて、功利と
かなり有識な大名とか、幕政の参与あたりでさえも、
(水戸どのには、よいお
などと、かれの修史の大業も、かれらの
まして、より以下の者の無理解は、ぜひがないとするほかはない。
(もしご先代が、あんな途方もないおしごとに、何十年にもわたって、莫大な藩財をお
こういう
その
まだ、かれ自身が、藩主にすわっていたうちは、それらの不平も策謀も、抑えられていたが、
奸臣どもめ。
党主は藤井だ。紋太夫だ。
当然、その一派に対抗して、また一派が生じかけている。
が、少数だった。
なぜならば、それに激するものはたちまち、失脚するおそれがある。藤井紋太夫の
それと。
人はだれでも正義にくみすが、正義のために生活まではなかなか捨てて来ない。だから正義派の陣というものは、旗は多いが、人は稀である。
いちばん多いのは、
正義派の連中が、そのてあいをさして「いかだ組」と称しているゆえんである。
いわゆる奸臣の
「……困ったもの」
と、思っていた。
けれど、憎いやつ、
ひとり罪をおのれに
「――この
事実、そう考えるのであった。何十年来、藩にかかえておいた家臣は、身を
老公は、大ぜいの子をもった、父という気もちになっていた。
いわんや、その子のうちでも変り者の、人見又四郎という棒のごときは、眼に入れたいほど可愛かったにちがいない。
そのうちに
悦之進、林助も席にもどって、老公へ給仕する。
膳のうえは。
梅ぼし一ツ、
香のものの干大根を、老公はよい音をさせて噛む。歯はまだ壮者をしのぐらしい。胃欲もふつうである。
「棒はいかがいたしたか」
済むと、笑いながら、すがたの見えぬ又四郎の
悦之進も笑って答えた。
「醜態をお眼にかけたから、自分で謹慎すると申して、一室のなかに入ったまま出てまいりませぬ」
「泣いたので、間がわるくなったのであろう」
「
「呼んでこい、まいちど」
「参りますまい」
「わしの命じゃと申せ。あしたは西山荘に
「はい」
悦之進は、立って行ったが、しばらくすると、それへ戻って、
「謹慎中だから参られぬといいおります」
「強情なやつ。わしから謹慎を命じたおぼえはないが、ゆるすと申せ。予に、機嫌をとらせおる」
ふたたび、奥とそこの間を、悦之進は往復して、
「――それなら、お供してまいると、やっと腰をあげました。強情者は徳です、わたくしにも、さんざん機嫌をとらせました」
と、伝えて、棒の性格についてあれこれと、おかしげに考証していると、老公が眼で、
「おるぞ、おるぞ」
と、ささやいた。
ふと縁をふり向くと、縁のそとに、背なかを
「……いましたか」
悦之進は、口を
棒は、こっちを見もしない。沓ぬぎと並んで、背なかを向けたまま、老公の起つのを、むッつりと待っていた。
「どれ、参ろうか」
縁へ出てもなお、又四郎は無言のままで、老公がわらじの緒を自分でむすぶのを眺めている。
従者三名、四人づれとなった。きのうより暖かい。梅一輪一輪ずつの――句が思いあたる。
「ほう、
老公の馬はすすまなくなった。村道は人混みで喧騒している。手綱をためていると、かえって、馬が人に
「又四郎、又四郎」
老公は、鞍のそばへ、かれを招いて、何かささやいた。
棒は、ひとを掻分けて、老公の馬のまえに立った。
そして突然、彼方の
「よけろ、よけろっ。
すると、馬の上を仰ぐいとまもないように、老幼男女は、いなごのように、わらわら道をひらいた。
老公は、
「又四郎、これで心地が、すっぱりしたであろう。
と、いった。
「……はい。仰っしゃるように、気がからりとしました」
又四郎は、笑い顔をふりあげた。もう棒ではない明るさである。
――若い者の気もちをよく知っておいでになる。
かれは心のうちで、頭をさげていた。だが、いまのことは、自分に与えられた意味だけではないように思われた。
率直に、かれは訊ねた。
「もし、ご老公」
「なんじゃ」
「人ごみを追うなら、どう申しても、道をひらきましょうに、何故、特に
「その儀か」
と、馬のうえから左右を見て、同じ疑いを抱いていた林助、悦之進へもいうようにいった。
「新右衛門は、当所の
道は暗くなっている。
ゆるい坂。畑や
微風の折々に、
「おや。林助が……はて?」
悦之進がうしろを見る。老公も気づかれて、
「いつのまにか、おらんの。どこで遅れたか」
と、見まわしていた。
江橋林助は、すぐ坂の下から駈けあがって来た。何していたかと
「この下の河べりに、怪しげな男の影を見ましたので、
と、答え、
「油断はできぬ」
と、つぶやいた。
聞きとがめて、又四郎が、
「浪人ていの者か」
「いや、
「ことばは?」
「江戸者」
「ひとりか」
「ひとり」
「何していたのだ」
「脚をいためたので、休んでいるというた」
「変だな。……そしてそのまま戻って来たのか」
「何を問うても、すらすらと答えるし、不審もないので」
「念が足らん。おれが行って、もういちど捕えてみよう」
又四郎が、あとへ引っ返そうとすると、初めて聞えたように、
「やめい、やめい。つまらぬ
「でも。……さきほども仰せられたように、威なければで」
「曲解すな。百姓隠居の往来に、なんの物騒があろう。さなきだに、旅はさびしいもの、故なく旅人をとがめるな」
老公は、馬を降りた。
山荘の門にも、梅が白い。一日見ぬまにもちがっていた。
馬の口輪を曳いて、悦之進は
「お帰りあそばせ」
「おつかれでございましょう」
ぼんぼりの明り、花明り、老公の白い
あくる日。
きょうは晩に
たとえば、ぱん、ぱん、誰かが
だが、こんな日でも、悠長なのは、そこここと退屈なく遊んでいる鹿と、お
一年じゅう薬を刻んでいるのである。お女中でも台所人でも老臣でも若い者でも、手があいている折は、任意にそこへはいって、薬草を刻む。
「てまえにも、やらせていただきたいもので」
台所の
ある時、老公もここにあらわれて、居あわせた人々へ、
「みなよくやるのう。いったい何がおもしろくて精が出るか」
と、たずねてみたところ、その答えが、各

まず、お
「他念なく、薬きざみをしておりますと、思索がまとまって、日ごろ書物のうえで、疑念をいだいていたことも、書物から離れきったこんなあいだに、ふと、ははあ……そうだったのかと、ひとりでに
その次に、お
「この頃、渡辺悦之進どのについて、すこし槍術の稽古をしていただいています。一心になると、夜半でも、ふいに
また。
庖丁人の平九郎はいった。
「てまえはその、老公さまが、このたくさんなお薬草を、ご領内の窮民にお施しになるものと伺いまして……薬きざみをさせていただいておりますと、ご仁慈のお手つだいを勤めているという気もちが、何ともいえず、有難いのでございます。……へい、自分も貧家にそだちましたので、自分の刻んでいる薬が、どんな貧しい親や子のいのちを
そのほか。
「
という老人や、ふかい意味はもたないが、ただ老公さまのおいいつけだから、善い事にちがいないと思っていたしております――と答えたお
「なるほど。なるほど」
老公はさいごに、ここの係りである
「元和、そちもやるか」
元和は、恐縮して、
「いたしません」
老公はまたお
「そちは、どうか」
宗典も同様、あたまをかいて、
「つい、
と、正直にいった。
「そうか、なるほど。……いやそうしたものであろう」
咎めもないが、お
――今日、午ごろ。
その薬研の音がしている窓のそとに立って、
「江橋さん、江橋さん。
近所の百姓で、
そこの障子も明けないで、閉めてあるまま、窓のうちで、江橋林助が、
「
「それでございましょう」
「それなら、お台所へまわって、庖丁人の平九郎にでも訊いたらよかろう」
「どなたもおりません」
「いないことはない」
「おりませぬ。お
「うるさいな」
「
「やはりこん夜のお客衆に出すのではございませんか。遠くの流れへでもかついで行って、解けと仰せつかりましたので」
「あ。料理するのか。なぜ庖丁人がしないのか」
「老公はお鼻がきくので、もしほかの器に血ぐさいにおいが移ってはいけないからということでして」
「それであんな遠くのほうに置いてあるのか、途方もなく遠くにあるぞ、こっちへ
林助は、先にあるいて、庭園もほとんど尽きる所の、垣と畑のさかいまで行った。
不用な農具など入れてある
「なるほど大きい。これはわしでもひとりではちと無理だ。江橋さん、坂の下の小川まで、片棒かついでくれませんか」
「きょうはだめだ。きょうみたいなご用の多い日に、薬研のまえに坐っているのでも分るだろう」
「? ……。そういえば、さっきからすこし
「これでも、よほど我慢しているのだ」
「どうなすったので」
「だれにもいうな」
林助は、
左のふか股が半分以上も
「刀傷のようじゃございませんか。だれと斬り合いをなすったのですか」
「ゆうべだよ。老公のお供をして、
「ヘエ……そんな者が、うろついておりますか。もっともこの辺は、水戸様の前は
「つい、血気にまかせ、追いかけて捕まえようとしたものだから、相手のやつに、脇差で
「腕のつよい男とみえますな」
「貴さまも敵を
「いけませんよ。
「みんなに知れるのは仕方がないが、老公にわかると、お叱りをいただくからな。お叱りはありがたいとしても、ご心配をおかけするからな」
「てまえも先日、お
「貴さまは、碁が
「てまえのような百姓おやじを、親しくお召しくださるのも、碁ができるためですから、ここは碁盤の上だけと、行儀を守っていればよいのに、つい出すぎたお願いをしたものですからね」
と、彦兵衛は、大きな前歯で笑いながら、あたまを掻いた。
碁のうまい百姓の彦兵衛は、碁の余徳で、たびたび老公のお相手によばれるうち、ふと、欲が出てきた。
それは、日頃にはない欲だったろうが、
(ここの衆は、みんな刀をさしているし、わしもなんとか、刀をさしてみたいものだ)
と、いうことだった。
老公は、気がるなので、碁相手の彦兵衛にもよく隔てなく冗談をいう。で、それに馴れて、ある時、
(こうして、お武家方のなかへ、常々伺いますと、なんだか刀をさしていないと、妙に自分だけが、寝間着すがたでもいるように、気が
と、ねだッた。
老公は、いと易いことと、うなずいて、
(帯刀の手続きは、
といった。
彦兵衛は奉行の
すると、覚之丞は、
(うそを申せ、老公がそんなことを、ただ口伝えに仰せられるはずはない。
と、手代へいいつけて、座席から縁先へ蹴落した。
彦兵衛は、両方の手にワラ草履を持ったままで、逃げだして来た。
そして、その足で、
(お奉行の覚之丞ほど、不浄な者はございませぬぞ。帯刀のことを、願い出ましたところ、老公がなんだといわないばかりで、てまえが、西山荘さまのお内諾でと、かさねて申しますと、いきなり縁先から蹴落して……これこの通りでございます)
と、腰をなでてざん訴した。
老公は、笑って、
(痛いか)
(いやもう、ひどく痛みまする)
(忘れぬがよい)
と、老公は、すこし真面目づくっていった。
(刀をささぬ百姓には、刀をささずともよい境界がある。めぐまれたその気楽さや恩恵をわすれ、ふと見得に刀を身に飾ってみたくなるなど、
(……へい。よくわかりました。もう二度とは、身に過ぎた願いはいたしません)
と、彦兵衛が、身をちぢめて、詫び入ると、
(いや、ほんとに、刀のひとつもさしてみたいと、志を立てるなら、ひとの為になるような功を積むがよい。自分のために耕す田畑を、もういちばい拡げて、村じゅうの喰えぬものはみんな自分の鍬ひとつで喰わせてみせるという誓願を立てい。それからだの、そちの望みは)
(はい。はい……)
いよいよ背に汗をうるおしていると、もう一ついわれたというのである。それは、
(彦兵衛。馴れるはよいが、総じて、

あとにも先にも、
おしゃべりがすむと、彦兵衛は急に忙しそうにして、猪をおろし、片棒の相手をよんで来て、重そうに
林助はあとに残って、足の繃帯をまき直していた。すこし
「おい。――江橋、おい」
誰か、いけぞんざいに呼ぶ。林助は思いがけない顔して、小屋の横をのぞいた。
「……又四郎か」
「江橋、坐れよ」
「こんなところで、何しているのだ」
「陽なたぼッこ」
「のん気だな」
「することがないじゃないか。われわれ若い者の
「あるさ、こん夜は
「箒をかついだり、芋の皮を剥いたり、ばかな」
「めずらしく、
「どうでもいい、そんなものは。それよりは貴さま、なぜ、ゆうべの相手を逃がしたのだ」
「ゆうべの相手とは」
「彦兵衛にはかくしても、おれにはかくせるものか」
「そのことか」
「不覚だぞ、林助。貴さまも軽く考えているか知らんが、ひっ捕えてみたら、きっとそいつの背後にある大きなものが分ったかもしれないのだ」
「逃がしたのは、不覚だったにちがいないが、何もそう大げさなものでは」
「ちがうちがう。老公のご身辺におるものが、そんなあき
「
「その程度ならたれも知っていることだ。お身近にいるわれわれでなくても」
「もっと微細にわたれば、綱吉将軍のお世つぎに、老公は
「そんなことも、一徳川家のくだらない家庭問題、老公のあの豪気が、それしきの煩わしさに敗れてお
「では、なんだ?」
「老公はな……」
急に声を落して、又四郎はあたりを見まわした。棒のごとく太い神経の男が、注意ぶかい
「老公のご本心としてはな……林助。徳川家などはいつ亡んでもかまわんという強いお考えを抱いていらっしゃるのだ。正しく
「……いいのか、又四郎」
「なにが」
「そんなことを、めッたに口にして」
「貴さまが、幕府のまわし者や、
「な、なに。この
「麺棒とはなんだ」
「もういちど、いってみろ。拙者を、武士でないというのか」
膝をつめよせると、手に
「ばかだなあ、なにも怒ることはあるまい。――貴さまに限っては、節操を売るような武士ではあるまいといったまでだ」
又四郎は坐ったまま、両股をぐっとひらいて、その膝へ、両の手をつッ張った。自然、
刀に手はかけたが、林助はその手を、どうにもできなかった。
にらみつけているまに、又四郎のほうは、笑いを浮べているではないか。その顔にはまたなんの邪心もみえない。
「おい、林助え。どうじゃあ」
あばたの一つぶ一つぶがみな笑っているような
「どうじゃ林助。おれといっしょにやらんか。貴さまの心根を、しかと、この眼が見とどけて、相談するのだ」
「……やらぬかって? なにを」
「老公のおん為に、いのちをさし上げちまうのだ。
「……?」
「いやか」
「わからない、わしには。老公へいのちを上げるなどということは、日頃のことで、ちっとも、改まったはなしじゃない」
「む、む」
鼻のまわりを、くしゃくしゃにして、又四郎は、
「偉い。やはり老公のお側にいるだけのものはあるぞ、貴さまは。――その通りだ。おれの口が足らなかった」
頭を下げて、
「いまのままで
「そうかしら」
「なぜといえばだ。大日本史を大成しようと
「そうだ」
「そうだろう。……とすれば、これは幕府にとって、この上もない反逆だ、家康公のお孫と生まれた老公が、
「そういわれてみると、老公のきょうまでのご生涯には、われわれ臣下が、ことばにもいえないご
「それは、なおご余生のこの先までもだ。――しかもご退隠以後、眼に見えない圧力が、水戸を、老公を、押しつめている。このあやうい今を、おれは坐視していられない。いのちをさし上げよう、そう決心したのは、きょうやきのうの覚悟ではないのだ」
「それでおぬしは、無口の不あいそ者になったのだな」
「そうだろう、何しても、
「…………」
「江橋、嫌なら嫌といってくれ。同じ心のわれわれ仲間には、よくお家の奸臣
燭台を持って出た。
明りのゆらがぬほどに、そっと位置をさだめてから、
「みな揃うて、お出ましを、あちらでお待ちしておりまする」
きょうに限って、
「いま、行く」
老公が奥へ去ると、鹿はまたあとを追って、台所のほうへ駈けて行った。
その台所にちかい炉のある部屋から隣りの
障子にはまだ夕明りが、
障子に交叉した梅の影と――客のすべてにある剛毅な風であった。
この風は、いわゆる水戸風である。おのずから老公を慕う若いもののあいだに生れた風である。
縁をしずかな足音が渡ってくる。――老公、と知ると、若ものはみな
「そろうたな、よう見えたな。日ごろはみな少将(当主
たれもまだ老公のすがたを仰がない。いつのまにか床の間をうしろに坐ってそういう老公の声を耳に知るだけであった。
「手をあげてよろしい」
老公のことばに、初めて、いっせいに胸が伸びる。――ああお変りもなくと、人々は眼をこらして老公の健康を、その皮膚や
わかれた親に会うように。
その位置は去っても、君公として、今なお、思いきれぬ敬愛を、ひしと抱いて。
「膝をくずせ、あぐらをくめ。ここは百姓家じゃ。わしもいまは少将の領土の民、おぬしたちも少将の家来、ひとつものじゃ。――それにまた、こよいは遊ぼうという
なお、いくらか固くなって、
「おことばにあまえて、気ままになされい。老公はこうしておいでになるのがお勝手なのです」
すると、客のなかの年長者から、
「しからば、おゆるしを」
と、平たく坐り直す。
つづいて、次々に、
「では」
「では」
と、みな膝を楽にした。
そのまえに、膳が運ばれる。幾つか銚子が要所をみて置いて行かれる。
「亭主どのに代りまして」
と、座の中にすわり、銚子のつるを
「こん夜は、申すまでもなく、汁講すなわち無礼講ですから、どうぞ十分に」
と、
「やりますぞ、大いに」
ひとりが、うけながら、ふといい出した。
「きょうこれへ参る途中、人見又四郎を誘いに寄りましたところ、きのうのうち、西山荘へお供して来ているとのことでしたが……あの棒殿はどうしましたか」
「そうじゃ、そういえば、棒も見えぬ。林助も見えぬ。悦之進、見てこい」
老公も、もう三、四
悦之進はすぐ、ふたりを呼びに立って行った。それにしては、遅すぎると、人々がやや
「見あたりません!」
と、悦之進がもどって来て、老公以下、一同へ告げた。
「夕方までは、たしかに二人とも見えたと申しますが、どこを捜してもおりませぬ。新しい
「異なもの?」
「はい」
みな杯をおいて、悦之進のほうを見た。老公の眼底にすら何か予感を怖れるかのような光がみえた。
「山荘のご門へむかって、左側の畑にあるいちばん
天こうせんを空しゅう
するなかれ、はんれい
と、黒々書いてある筆蹟はたしかに又四郎の書風にちがいありません。そのあとへまたするなかれ、はんれい
梅のたね
どこへ飛んでも
梅が咲く
と、これはまぎれもなく江橋林助の筆ぐせ。――察するところ、何故か、ふたりして心をどこへ飛んでも
梅が咲く
すると、座中の二、三が、
「やったな!」
当然な思いあたりでもあるように、舌を鳴らしてつぶやいた。
そのほかの者とてもみな、みだりに疑う者はいなかった。老公をめぐる若い者の心と心の結びには、ひとりの行為を、一方では
もちろん老公には分りすぎるほど
もし短いあいだの無事ばかり祈って、その怒りをやたらに抑えてゆくと、土壌は
また悪くすると、その情熱が、刹那主義の
いまの元禄の

「悦之進、
老公はそういうと、席を立って縁先へ出た。
はき物をと、求めるらしい容子なので、つづいて立った人々のうちから、ひとりが急いで
「どこじゃ、その梅の木は」
「は。こちらです」
ぼんぼりを持って、悦之進はさきに歩いた。老公の白いひげに明りがゆれて行く。――客の大半も、それ見たさに、
「この木でございます」
明りをそれへ近づけながら悦之進は、うしろの老公をふり向いた。
ふた抱えもありそうな古梅。
「…………」
老公はそれに対したまましばらく一語も発しなかった。
やや離れて、ひざまずいている人々も、その胸のうちを
老公としては、家臣とか
それがいま、日頃の
と。ふいに、
「
大きな声が風を割った。
老公は、抜きはなった脇差のひややかな
又四郎と林助が書き遺したそこの文字は、ひと太刀できれいに幹から斬り
「又四郎、林助のふたりは、もとより少将の家臣ではないが、こよいかぎり西山荘の出入りもとめる。みなもおぼえておけよ。両名は
いつにない立腹らしい。語気でもわかるほどであった。――が、十歩もゆくとすぐ常の老公にかえって、
「さあ、飲み直そうな。用でもない事のために、せっかくの酒をさました。隠居もこよいは夜もすがら参るぞ」
と、若い者たちのきげんをとった。
もとより身は
「……や。
山荘の門の内へもどりかけた時である。ひとりがうしろを見ていった。
「なるほど、駕の灯が三つ。……だいぶこれへ急いでくる」
「誰だろうか」
「まだ誰か、不参のものがあったろうか」
人々が、夜風に
「あれはわしの呼んだ客じゃ。汁講は男ばかりと限ってもおるまい。女のなきは、梅の月のないようなもの。面々が余りに虎になって
門から遠く、彼方の梅畑の近くで、駕はとまった。
そのまに老公と若い人たちは、もとの席へもどり、もうそこの明りから談笑の声がもれて来る。――あとに残って、駕の客を待ちうけていたのは悦之進だけだった。
駕の灯はもとの闇へ帰って行く。――それと反対に、三つの人影は、西山荘の門へ近づいて来た。
「おお、
悦之進から声をかけた。
「これは、
と、用向だけをのべてすぐ身をよけた。
見ると、
惣左衛門の
ひとりは、たしかにうら若い佳人だが、ひとりのほうは、もう
現にいま、悦之進のまえに、すこしすすんで、
「かねがね、惣左どのに仰せくだされて、こよい来い、
と、小腰をかがめている老女は、美人といわずに何といおう。髪も白い、からだも細い、
「承っておりました。老公にもおまちかねです。さあ、こちらへ」
案内に立とうとすると、こよいの
「こちらは、ご息女のお
と、口を添えた。
お蕗は、母のかげに、寄りそうたまま、黙って礼儀をしただけであった。
悦之進は、なぜか、
「はあ」
とのみで、それには
「おや、老公には?」
大勢のいる元の部屋へはいってゆくと、悦之進はまごついた。まるでさっきの様子とは座の景観がちがっているからである。

「悦之進か。ここじゃ、わしもここにおるよ」
ふと見ると、若ざむらい達の黒いあたまの中に、老公の白いあたまが見えた。
「あ、そちらで」
「わしのお客は、見えたか」
「ただいま、お控えまで」
「雪乃と、惣左か」
「さようでございまする」
「まひとりは、誰か」
「ご息女の蕗どのを、お
「ホ……あの娘か」
老公が、思いあたって、そう呟くよりもさきに、
「え、お蕗どのが」
満座の若ざむらいがみな動揺をおこしていた。急に
「いよう、思いがけない美人がこのあたりへ匂って来たぞ。猪鍋に天女が
と、手の杯を、
「
と、さけんで、ひとを笑わす男などもあった。
憂いの多い時代である。しかし憂えているばかりが憂国ではない。
こういう時、ほかの必要も大いにある。
――身命を大事にすること。
ごく手近に、この辺から憂国すべきであろう。自分自分の所有としている身命も実は国有物で、個々のいのちは国のいのちの一分子にすぎない。国の亡ぶ時、自分はない。
まして、侍は。
そこで憂いの多い若い仲間が、
ひと口にいえば、大いに喰らい、大いに飲む会である。
政談や
「それでは意味がないではないか。この藩政ご窮乏のなかに」
と、初めは、賛成しない者もあったが、それはそれとして会をつづけてくるうちに、いつかおのずから顔ぶれがきまってしまった。
形式を尊ぶものや、口舌だけの
「あれは牛飲馬食の会だ。このご節約の世に
などと相かわらず口舌の憤慨をしているらしいが、その汁講にきまってそろう顔ぶれを見ると、なるほど健康な胃ぶくろばかりだが、その代りに、みな、
「――事あれば」
と、各

もちろんこの人々の胸にもつ
ところが去年、その老公が隠居したので、一時は気落ちもしたが、その折、老公が発した藩士一統への
そういう若い
「わしも汁講の仲間にはいりたいが、参ってよいか」
と、
「あまり畏れ多いし、若い者ばかりの集まりですから」
と、謹んで断ったものである。
すると老公は、
「わしは老人ではないつもりじゃ。一百姓となっても、大日本史の
そんな返辞を返して、その
その時の約束で、
「おもしろかった。そのうち西山荘でも一会やろう」
といったのが、やがて今夜に実現したわけである。生きてゆく国土のさきに、いよいよ多事多端を感じるほど、身を、命を
けれど所が西山荘であり、余りに老公と身近すぎるところから、初めのうちは、やや固くなっていた今夜の集まりも、折から、美人
しかし意地のわるい老公は、かれらが、はしゃぎ立つのをよそに、
「そうか。……では、白石の後家も、むすめの蕗とやらも、控えに待たせておけ。茶など与えて」
と、悦之進へいった。ここへ通せとは、いってくれなかった。
すこし雰囲気が沈みかける。座の空気は微妙にうごく。老公は独りおかしく思う。
「さあ、飲まんか」
「飲んでおります」
と、誰かいう返辞までが、平凡になる。
「
「はい。仰せを、待ちかねておりました」
剣持与平が、酒番をやめて、座に加わる。老公はなお、台所の次をふり向いて、
「もう一名おるのは誰か」
「きょうの
「
「いつぞや、帯刀おゆるしの件で、失敗をやりましてから、お
「はははは。困ったわからずやだの。叱られたと思うておるのか」
「ちとお薬がききすぎた嫌いでございます」
「
「へい。へい……」
「なぜ
「でも。……はい」
「わしと碁を打つ腹がまえで、もそっと入れ。それ、杯じゃ」
「おそれいりまする」
「あははは。ふるえおる。なぜそう卑下するか。そちのみが、刀をさしておらぬからとて、卑下する理由はすこしもない。武士、百姓、何のちがいがある、ただおのずから職分の礼儀だにあればよいのだ」
「はい、はい。ありがとう存じますことで」
「その
「いえ、碁ばかりは、老公さまであろうと、負けられませぬ」
「その気概で、酒ものめ、交わりもせよ。みなにも、
そのあいだに、剣持与平は、若いものの間へ割りこんで、
「てまえ、年は各

構えると、若いひとりが、
「
と、座にあった大杯をひきよせて持たせようとした。
与平はすぐ銚子のつるを持って横にさし向け、
「いざ、あなたから」
と
「なんじゃ、おれが飲むのか。……待て待て、そう酌いでは」
「もう
「いや、弱音じゃない」
一息には飲みきれないで、二、三度、眼をつぶる。ようやく、大杯を
「こら、
呼んでもだめである。てんで耳がない。大笑いして、ひとりを
「こら」
大杯を持って、そのうしろへ坐ったのが、
「うれしい。実に、こよいは何となく、うれしゅうござる」
と、あらぬことをいい始めた。
酒名人の与平が、巧みに酒のあいだを泳いで、酒と戯れているなと、老公もややほの紅い頬をして、にやにやと眺めていた。
もとより無礼講である。こういう時だと考えたか、片手に銚子鍋、片手に杯と、両方に捧げて、ふらふらと起って来た酔客がある。
「こら、どこへ行く」
側の手が、袴をつかむと、
「老公へ、一杯さしあげに」
まっ直ぐに歩いたが、そのくせ、へたんと袴腰を落して坐った。
「おそれながら」
「ほ。わしにか」
老公は素直に、杯をとって、
「ありがとう。
「いえいえ。おあとの、おながれを頂戴いたしたいので」
「
返してやると、その杯を、
「時に、ご老公」
「なにか」
「……あ、あなた様は」
「どうした?」
「わかりません。ご……ご老公のお心が」
それまでも、すこしあやしい
左の手を、膝から
「……なんじゃ、泣きおるのか。はてさて、水戸の若侍には、泣き虫が多いの。又四郎ひとりかと思うていたら」
「いけませんか! 老公」
こんどは、喰ってかかっていう。
「いかにも、拙者は泣き虫です。けれど自分の事では泣いた
すると、隅のほうで、
「やあ、始まったぞ、大村が。大村五郎八が、老公をつかまえてやりおるやりおる」
これは見ものと、一時はみな眼をそそいだが、酒の座の通例として、局部的な充血はゆるさない。
あっちでも何か爆笑する。こっちの壁のすみでも何か一問題
もっとも、こうなって来たのは、近来の傾向で、その前には、だいぶ講中にも、正体のはっきりしないふた
ところで、老公も、あえてそれを咎めず、むしろ共に興じて、
「ほ、ほう。……親の死んだ時と、国を思う時だけは泣くか。さてさて不忠不孝なもの」
「これは、
と、五郎八という若侍は、変てこに威儀づくろって、
「なぜ、不忠不孝でござるか」
「おまえの泣くという意味は、涙をこぼすということか、
「もとより、女みたいに、ぺそぺそすることではありません」
「では、大村五郎八は、親にたいしては、親が死なねば痛心せず、国にたいしては、泣く時しか、心をいためぬということになるの」
すると、五郎八のうしろから、
「
と、ほかの者が、押しのけて、代りに老公のまえに坐った。
「拙者は、
「景助か。どうじゃ、まだ酔うには早かろう」
「まだまだ、酔うまでには、至っておりません。おながれを」
「そちも
「てまえが、代りに申しあげましょう」
「ほ。泣き上戸の気もちが、代弁できるほど分っておるのか」
「この一堂におる者の精神は、みな一つです。――老公、あなた様は、なんで副将軍のお職をお
「天下の副将軍……ふふん……あなた様の眼には、
眼だけでは足らなくなって、景助はここで老公の鼻を指さして、
「すなわち、あなた様という者がおる――ということに
と、手を膝へ返すと、一応、唇をなめあげて、ろれつを改めた。
「あるまい!」
「…………」
「ないからこそ、あなた様は、淡々と、官位栄職を、邪魔みたいにぬぎ捨てて、さッさと、こんなところへ……隠居などしてしまわれたのだ。
「怪しからぬか?」
老公は、笑う。そして心配そうに寄って来た
「わしは、怪しからん隠居だそうだ。怒るなと、そちから一杯、ついでつかわせ」
「いや、いらん」
景助は、両手をいっぱいに伸ばして、
「たとえ、老公のお杯なりと、ここのところを、われわれに
と、手の癖で、すぐそこらにある
「さあ、仰っしゃい!」
「なにをじゃ」
「なんで、お
「年を
「いや、それは、世のつねのこと。
「
「いいや、そうだ、
「…………」
「なぜ、私利私欲の賊臣と、国を
と、景助もあやうく、泣き声になりかけた。
すると――そう遠くではない、ふすま一重かふた
「……や、たれが」
「これは、
沸いていた酒の座は、急にひそとしてしまった。
いづれより
まづ咲きいづる
色を見ん
うゑて花待つ
にはの白菊
琴歌は、二度くり返された。まづ咲きいづる
色を見ん
うゑて花待つ
にはの白菊
「オ……宮のお歌」
にわかに皆、坐り直した。
一斉だった。こういう訓練をふだんにしていたかのように、誰彼といわず、ざっと畳の音をそろえて、膝をあらため、襟を正した。
すこし間を
たゞ見れば
なんの苦もなき
水とりの
あしに閑 なき
わがおもひかな
これは誰も知る老公の詠じた歌である。諸士はみな首をたれた。なんの苦もなき
水とりの
あしに
わがおもひかな
まえの白菊の歌は、老公がかつて水戸の
光圀をめぐる若い人々は、このお歌を、どんなに胸にきざんで、愛誦したかしれない。
その情熱は、このお歌のうちにひそむ深意を拝察して、その反歌に、
つたへもつ
すめらぎの
まかすべき
菊植ゑん 白菊のはな
それも老公から、あまり
はからずも今、琴にあわせて、宮のお歌を耳にし、また、老公の自作をあわせて聞いたので、多感なうえに、酒気を沈めている彼等は、泣き虫であると泣き虫でないにかかわらず、頭をふかく垂れたまま、ひとりとして、それをにわかに上げる者はなかった。
琴の音はやんだ。
老公はふすまのほうを見、
「いまのは
と、声をかけた。
ふすまを隔てたまま、遠く。
「みな様のご酒興を、少しはお添えできるかとぞんじまして……。おゆるしを待たずにむすめの蕗に申しつけました。おゆるしくださいませ」
「ほ……
「はい。歌は、年がいものう、ばばが自ら歌いました」
「雪乃。いつも健勝でよいの。むかしながら気のつくことではある。よういたした」
老公は、ふすま越しにいってから、若ざむらい一同へ、
「どうじゃな、そこのふすまを除いてもよかろうか。わしが皆のように若かった頃の知り人じゃが」
と、遠慮しながら訊いた。
もちろん誰にも異存のあろうはずはない。むしろ一同は、老公の
「われわれどもへ、なんのご遠慮など……」
と、いいたげであった。
老公は、座をかえりみて、
「
「あちらに控えておりますが」
「呼べ」と、いう。
「はい」
剣持与平が立ってゆく。与平は満座の若ざむらいを相手にずいぶん飲んだらしく思われたが、しゃんとしていた。
惣左が導かれて来た。
老公は見て、
「こよいはご苦労」
と、いった。そして、
「――隠居所はこのとおりな手狭、あらためて通す部屋とてもない。それに、いくら年
と、特にいいつけた。
惣左には、その心が、よくわかっていた。
もう四十年もまえの古い恋ではあるが、そのあいだ、相見ぬ日となってからは、ほとんど一度も会っていないふたりである。
だから老公の胸にも、
また。
かつてのふたりの恋は、きれいであったという。いやきれいなうちに、別離の日が来てしまったのだ。そして雪乃は、臣下の家に
――人なかこそよけれ。
老公の思慮はわかる。あくまで、ふたりのものを、きれいに持ち終りたいのが望みにちがいなかった。
「かしこまりました」
惣左は、いちど答えてから、
「こよい来いとの仰せは、おそらくその辺の思し召もあろうと、雪乃どのにも、
「そうか。……ムム」
さすがに老公のきげんもいと
若ざむらい達は、とりちらした膳や杯をもって、各

自分たちがまだ生れない前のはなしである。――老公と雪乃の恋は。その頃、かくれもない問題だったと聞いているふたりの
「…………」
青年たちは、どう見るか、粛然と、この
席がひらかれると、惣左は、次の間のさかいへ寄りそい、ふすま腰へひたと坐った。
「――雪乃どの、蕗どの。ここでお会いくださると仰せられます。おすすみなさい」
そう告げて、左右のふすまを開くと、彼は身を端へ退けた。
雪乃とお蕗の
そこの一部屋には、何もなかった。
それだけに、
老公の眼は、ややしばらく、母子のすがたにそそがれていた。どんな思いをなされているだろうか――とまでは考えても、居あわせた人々の若さでは、
「……やれ、久しいのう。さあ入れ。ふたりとも、もそっと寄るがよい」
やがて、老公からの、ことばであった。
ゆるされて、母とむすめは、近々と、老公のまえへ来て坐った。
手ずから杯を与えて、
「幾つになったか」
と、年をたずねた。
「ご隠居さまよりも、
と、ほほ笑んで答えた。
「
と、追憶のひとみを、ふと
「あの頃の三、四年は、あとで覚えもないほど、わしの血気は、
「ほんとに、お元気でいらっしゃいました」
「いやいや、元気というよりは、手におえぬ暴君、よくいう不良というほうじゃろう。わしの青年期のひと頃を思えば、これにおる少将どのの家中などは、若いに皆おとなしくて善良なもの」
「そう仰せられますと、いろいろな事どもが、思い出されて参ります。……お父君の
「いや、わしほど親不孝なものは少ない。父
「お産まれあそばす時から、ふしぎなご運命でございましたの」
「まこと、この光圀は、ひとの
「神の思し召でございましょう」
「仁兵衛夫婦が、あえて主命もものとせずに、わしの母を力づけ、ひそかにわしを産み落させてくれたのじゃが……ひとの心は、たまたま、
「表向き、三木家のお子と育てられても、お
「三歳の神童、
「小督さまとは、よいお名まえ。どんなおやさしい乳母様でございましたろう」
「ところが、色が黒うて、ただ男まさりな
ふる雪が
おしろいならば
手にためて
小督が顔に
ぬりたくぞある
とな。それから皆、あまり乳母をからかわなくなった。それが、わしが歌をおしろいならば
手にためて
小督が顔に
ぬりたくぞある
ふたりは、ふたり
話は尽きない。
あの頃は。あの時はと。
(なんという
(不幸の多い一生に、こうした知己があったらさぞ……)
人々は、ひそかに
(羨ましいといえるだろうか)
若ざむらい達は、考えさせられていた。――出来るかしらと、自問してみた。
それにつけまた人々は、老公の幼年から
みな藩の古老から聞いたことで、そのまま真実かどうかわからないが、まだ
老公がまだ八つか
江戸小石川のやしきの裏、ひろい
昼間、
(武士の体面を
と、手討にした。
その場所は、
晩になって、
(野犬が吠えておる。あの首はどうしたろう)
と、うわさになった。
頼房は、そばにいる
(首を取りに行けるか)
と、たずねた。
うなずいたので、頼房は、脇差をさずけて、では持って来いと、試みた。
昼間でも女たちは
仕方なく、首のもとどりに、縄を結びつけて、ごろんごろんひき
頼房は、そう
(もし戦場で、わしが仆れたら、そちはわしを助けるか、どうするか)
すると、千代松は、
(お助けしません。おからだをのりこえて、その敵と戦います)
頼房は、この子はと――その頃から特に愛をふかめ出した。といっても、膝にあまやかすことではない。男親が

そのひとつ。
これも千代松十二歳という夏の七月のこと。
日もあろうにわざわざである。頼房は子を連れて、やしきを出、舟にのせて、河幅のもっとも広い
(もとの岸まで泳いで帰れ)
と、千代松にいいつけた。
随行の面々が、色を失って、
(あまりな……)
と、
(これしきの苦難に負けるようであったら、世のあら波にはなお
と、
濁浪のなかを、敢然、子が泳いでゆくのを見ると、頼房もすぐ裸になっておどりこみ、彼方の岸へ泳ぎつくまでは、さも心配そうに、身の危険も忘れて、子の闘いを見まもって行ったということであるが――彼の訓育は何事につけこうしたふうであった。
その頃はまだ、こういう
すこし世が下って、
(そんな父親があろうか)
と、誰も疑うくらいになったが、光圀の少年期から青年時代は、まだ、戦国の余風が濃かった。粗野な江戸初期の文物のなかに、尚武剛健を骨とする武人がたくさんいた。
それが、
正保、慶安は、すこし
それが、元禄となると。
もう反動も懐疑もない。ものすべて
こう
たとえば。
かれが途方もない暴君であったとか、手におえない腕白若様であったとかいうことでも、それだけのものではなく、明けても暮れても、馬にのったり、鉄砲をぶっ放したり、泳いだり、喧嘩したり、
だから、夜遊びして、門の潜りを閉められると、
(開けなければ、開けて押通るぞ)
と、門の
(どんなものだ)
と、威張ってみたり、多分なる
お附女中などにふれるので、民間の子弟よりも、早熟な傾向があるところへ、学問によって智恵づけるので、この「
時代のせいもあるが、年少すでに
(権現さまのお孫にも、とんでもないお
と、悪評やら、痛嘆やら、ひどくいわれたものであった。
お
(ご
と、
(謝る、謝る。これからはおとなしく勉強する。爺に腹を切られると、わしはさびしい)
と、以後、改悛を誓ったといわれているが、どうしてなかなかひとの諫めなどで素行の改まる彼の性根ではなかったらしい。――おそらくかれの行状に顕著な変化を来したのは、父と共に鎌倉へ旅行した寛永二十年の夏がさかいではなかったかと思われる。
寛永二十年――光圀が十六歳の八月であった。
祖母の一周忌に参列するため、父や家来と共に鎌倉の
その祖母は、前年の八月に亡くなっていた。それからの一年間、かれは相変らずな素行のあいだにも、
(祖母はもういない)
それがこんど二度目に、鎌倉の寺へ詣でて、夏木立につつまれた
(いや、
と、いう考えが、ぽかと、夏雲のように、胸にうかんで来た。
(……どこに?)
と、眼をひらいて、
――どこかお顔が似ていらっしゃる。
けれど、かれが心のうちに見つけた祖母は、それでもなかった。
ふたたび眼をとじた時、なおはっきりと、ありかをつきとめた。
(あ、祖母君はいる。なくなったのは、おすがただけだ。ここにいる! ……ここにいた!)
そう知ると、かれは、とめどもなく膝になみだを垂れた。
衆僧の読経が終る。
焼香の順がくる。
父をのぞいては、誰よりもかれが先であった。兄なるひともあったが、その
(光圀。立たぬか)
父に促されて、
(……はい)
あわてて涙を横にこすった。
いつになく、しおらしい。
父の頼房が、あとで、
(なにを悲しむか)
と、夜も無口でいるかれを、人なき僧院のひと間でとがめた。
(悲しむのではありません)
と、光圀はまた涙した。
(うれしいのです。祖母君でも母上でも、またお父上でもわたくしでも、人間は亡くなっても、消え失せないものだということがわかりましたから)
(それはどういう意味か)
(身近なおひとが死んでから、初めて死というものを、恐いような、あじけないような、いろいろに考えさせられましたが……きょうふと、そんな恐いものでも、あじけないものでもない。死んだ祖母君といえど、まだここにいるということをつきとめました)
(どこにいると思う)
(ここにおります)
自分の胸を手で示した。
(そちにして、めずらしいことをいう)
頼房はそう深くも問わず聞きながしたが、それからの光圀は、まるでちがって来た。
思索的になった。
九ツの時、将軍の
それから二年、かれが十八歳の時という。
かれは、自分に兄というものがありながら、兄をしのいで、水戸家を継いでいる矛盾と不当な立場に、つよい自責を感じだした。
その解決と。
動機はちがうが、やはり同じその年、かれはひそかに、生涯の
やろう。やらなければならないことだ。
自分ならで、たれが、この
光圀は、心をかためた。
もちろんそこへ到達するまでには、夜の眠るまも、考えに考えぬいたあげくである。
大日本史。
そういう書名はもとより後からのもので、当時、かれの抱いた構想と信条は、
――
もって、日本の正しいすがたを、
年少、十八の光圀が、夢にもったのは、そういう理想に
藩の抱え儒者、
(どうだ、おん身方も、せっかくの学問を、この大業にうちこめば、死しても、本望であるまいか。わしの志を
と、だしぬけにそのはなしを、光圀から相談うけたとき、実に
が、どの程度かと、試みに、
(歴史も、おもしろいものですから、折あれば、お筆をとって、何か、書いてごらんになるもよろしいでしょう。いったい若殿には、国史のうちのどのへんの時代をもっともお好み遊ばしますか)
と、たずねてみた。
すると光圀は、
(いや、わしは学者でも史家でもないから、自身で筆を執ろうなどとは考えておらぬ。わしは、お
(では、よほど
(もちろんである。由来、わが国の歴史としては、
(どうじゃ、わしの考えは)
かさねて問われたので、ふたりは正直に、
(左様な思し召は、ご理想としては、しごく結構ですが、とても行われるものではありません)
と意見した。
なぜかとの光圀の反問に、人見又左がまず、三つの至難をあげた。
(
光圀は、すぐ、
(史学の才がないというが、いつでも、人材はないのでなく、人材の出る途がないから出ないのだ。わしがこの大業を
が、この乳臭児は、ふたつの呆れ顔を前において、なお
(まあ、費用など、案じるに及ぶまい。これが、一私人の栄華とか、城郭を飾るとかいう財なら、わしに奉行はできんが、
ふたりに口をきかせない。いや何をいま意見したところで、自分の理想を吐くに急で、耳にいれるいとまないような面色に見える。
(――いや、それよりもだ。事業にかかる前に、
あまりな大言に聞えた。人見卜幽は、たしなめる意味で、
(若殿。
(あんなものは、問題にしておらぬ。
(第一、いまの儒者中、将軍家をさして、国君と称したり、甚だしきは、
(わかりましたが……)
と、辻了的は、はじめて口をひらくと、詰寄らんばかり光圀を凝視していった。
(あなた様には、そも、どなた様のお子でいらせられますか)
(知れたこと、
(その頼房様は)
(徳川家康公の十一子)
(さすれば、あなた様には、
(それが、どうしたのか)
(ご
(将軍家へどうじゃと)
(……ちと、
(何が。どこが?)
(ご推察なさりませ)
(わからん。舌の
(権現様このかた、幕府のご方針として、あまりに、その……国体の本義などを明らかに知らしめますことは)
(だまれっ)
(はっ……)
(などとはなんだ)
(はい)
(国体の本義などとは何事か。徳川の宗家が何だ。ひとしく
了的のひや汗は、畳をうるおすほどだった。からくも人見又左があいだを取って、ていよく、光圀のまえを
(ほう……。あれがの? ……ふうむ……)
頼房は、うなずきうなずき、聞いていた。
ふたりの
けれど頼房の顔にはいっこう心配らしい
むしろ、嫡子の光圀が、大言したことばや、抱いている途方もない夢にも似た事業の性質を聞くと、
(そうか。そう申したか)
と、喜悦らしいものさえ、眼もと
最後に、ふたりの儒臣は、声を落して、
(若殿の思し召は、あきらかに将軍家へたいして、ご異端かとぞんぜられます。まさしく、水戸三十余万石のご浮沈にかかわりましょう。幸いにも、まだご
いいかけると頼房は、こは意外なといわぬばかりな
(ああ、これ、何をいう。――困り者の光圀が一転して学問に心をひそめ、こんどは体でもわるくせねばよいがと案じていたが、それくらいな望みなれば、
親馬鹿とは、かかるお方のことをこそいうのであろう。
(しかし、光圀のことばは、いちいち道理である。いや明らかな大義というものじゃ。将軍家のご制度に叛くとか、異端になるとか、そんな考えは浅すぎる。――光圀が、朝廷へ対し奉っての真心は、そのまま
と、まったく、常には聞かない
(よしやそのため、水戸一藩が破滅に遭遇するならば、これは世の中の間違い事と申すもの、光圀の思慮がわるいのでは決してない。――そもそも、あれがまだ十歳かそこらの頃ですら、戦場でもし父が斃れたら
ふたりは、ひたと、両手をつかえて、何か急に
この親にして、あのお子があったか――初めて大きな
しかも実に明らかな
いやその血は、このご父子だけが一であるはずはない。この国土のうえに
(何かわしは、学問の根柢からすこし考え直す必要をおぼえてきた)
了的もふかく考えこんでいた。
もちろん準備の程度に。
同時に、あらかじめ又左などが憂いのひとつとしていた財力――出費の額は、想像以上な数字にのぼって行った。
その年、史寮を移して、小石川の邸内のほうへ、新たに「
高台の
史館の
一、会館ハ辰半 ニ入 、未刻 ニ退 ク可
一、書策ハ謹 デ之 ヲ汚穢 紛失 スベカラズ
一、文ヲ論ジ事ヲ考フルニ各
力ヲ竭 シ、モシ他ヲ駁 ス所アラバ、虚心 之 ヲ議シテ独見ヲ執 ルナカレ

一、席ニ在 ツテハ怠惰 放肆 ナルナカレ
このまた。
まもなく、
年を
その足跡は、山陰、山陽、西海、北陸の諸道にわたっている。
民間だけでなく、ずっと後ではあるが、光圀の書面をたずさえた
元善の使命は、まだほかにもあった。光圀のむねをうけて、吉野時代の事蹟を親しく探って帰った。
(どこには何がある)
と知れば、
そのひとつひとつでも、みな深く秘蔵している重宝であるから、水戸家の名と、光圀の真心をもってしても、目的をとげるまでには容易なことではなかった。
もちろんそれ以外にも、
(こういう
とか、或いは、
(どこの旧家には、
とか聞けば、史館に勤めている以外の家士でも、遠路やかねに惜しみなく派遣を命じて、それを求めてくるといったふうであった。
だから史館の書庫には、およそこの国の歴史に関する秘記珍書はたちまち
そればかりでなく、一方ではまた、ようやく脱稿になったものを、版にのぼすため、そこにも新しい部員やら費用もかさむばかりだった。いま元禄四年までに、やっと出来あがっているのは修史義例、
わかっているのは、どう長く生きようと、およそ知れている自分の
国家的な文業もよいが、光圀のは、余りに規模が大きすぎる。遠大すぎる。せめて、自分の
そう心からかれを思って、さる大名が、ある折、かれに忠告したところ、光圀は、
(あなたのご領内にも、
と、まったくべつなことを反問して、そのあとで答えた。
(一本の杉や檜が、材木として伐り出されるには、
あとは説明しなかった。
ただ、そのあとで、いわずともおわかりであろう――というような
(死後の花見とでもいいましょうか、生けるうちはいうまでもなく、死後にもよい花見をいたしたいという人間の欲でござるよ。……けれど理も智もなく黙々と杉苗を植えている老爺の欲のごときはもっとも崇高な欲望ではありませんか。光圀も欲情甚だしきためにあんな愚かなことをいたしております)
と、つけ加えていったという。
それと似たはなしであるが、光圀はよくこういうことも、左右のひとに語った。
(よくひとは、花の美は、
かく正直にいって、
(だから人間が、ほんとうに、わたくしなき、きれいな奉公なり仕事なりができるのは、隠居の後かもしれん)
と笑って、
(――というて、壮年や初老のうちでは、真にわたくしなき奉公ができんというのでは決してない。ただ、そのわたくしが、年とともに
ここでまた一笑を加え、さらに次のように述懐した。
(――故に、わしの志業にも、
ひとの問いでなく、みずから自分にむかって、かれは問うてみたことがある。
(いったい、自分の勤王心は、たれから
――と、いうことを。
疑いもなく、光圀は、
(父であった)
と、いまさらに思う。
その父
特に、領内の
わざわざ京都から
敬神。――神への道。
そこを
そうして神の投影を、心泉にうけていた頼房には、自身、たれより身近な幕府の
よく拝賀の折などに、三百諸侯が、口をそろえて、将軍家へ賀していう、
(ご政道は
などという
だからかれは、家康の
その親にして光圀があったといえよう。光圀が、修史の使命と眼目を、国体の
(わしの子だ。そうか。さすが光圀である)
と、歓んだというのを見ても、頼房が、光圀の幼少から、父として、何をもっとも注ぎ入れようとしていたか、よく察しられるのである。
幼少にうけた感化としては、光圀にとって、もうひとり、重大な役わりをした女性がある。
そのひとは
光圀は、そこで生れたので、そのまま五、六歳ごろまでは、武佐子が
(うんば。うんば。おはなしをしてい。おもしろい、おはなし、していのう)
毎夜、かの女とともに、添寝しながら、幼な児はせがむ。
かの女はまた非常に、はなしが巧みであった。
「夜がたりの
と、いわれたこともあるほどだった。
なぜ、そんな異名があったかといえば、武佐子は、三木家に嫁ぐまえまで、京都で宮仕えしていたのである。
夜ごとの寝ものがたりに、かの女は、どんなはなしをして聞かせたろうか。
おそらく、古今の史上のはなし。
この
すめらみことのおわす都のはなしなどもしたであろう。――すやすやと、神そのままなたましいに、かの女は、乳以上の乳を捧げていた。
(きょうは、わしの誕生日ではなかったか)
(さようにございまする)
(――だのに、なぜこのような馳走をたくさんに、
(そのためわざわざ、
(また失念いたしたの。光圀の誕生祝いには、かならず
(あ。左様でございました)
家臣はあわてて、膳部を
年に一度のことなので、膳部の係りも、初めのうちは、よくこんな失態を演じたが、後々には、光圀の親思いが、家臣の個々の心にも沁み入って、決して忘れなくなった。
生母の久子が世を去ってから後である。光圀は、自分の誕生日には、かならず梅干と粥ですましていた。
(
と、侍臣へいった。
また常にいっていた。
(わしほど幸福なものはない。父にめぐまれ、母にいつくしまれ、さらにこの国のうえに、
かれは幸福感を偽るひとではない。晩年にいたるほど、つねに何ものへも恩を思うことが深かった。
(いまの身にうけている文化の恩は、すべて、先人の遺業である。われもまた後人へ、何ものかを遺してゆかねば、着逃げ喰い逃げの人生とやいわん……)
などと戯れのことばの端にも、その
かれが古人にたいして、ひとなみ以上尊敬をいだく風があるのも、そういうところからも依って来ている。わけてかれがもっとも
目下、西山荘を去って、かれの
(はからずも、河内の一院で、
と、なお感慨をいろいろと書いて来ていた。
楠公の事蹟も
(いたましや、何がな、わずかのご事蹟でも見出したら、草をわけ、地をかえしても、つぶさに調べよ)
とは、かねて老公から、その地方へ出張中の
で、十竹の報告を得ると、かれは、天意というか、
(ゆうべは、
と、侍巨へいったほどである。
さっそく、老公は、旅行中の十竹へ向けて、それから二度三度、書面を送っていたようである。
楠公一族が、忠烈な
(そんなことをなされても、よろしいものであろうか)
もれ聞いたひとは今、大いに
*
酒も冷えよう、
――さて。
「……もう、おいとまをいただきましょう」
と、娘のお
「待つがよい」
老公は、帰り途を案じて、駕はあるのかと、
「駕をととのえて
と、止めた。
「では、不つつかなお酌などいたして」
と、

お蕗も、母に
「は。どうも」
と、杯を押しいただくもあり、なかには手のふるえていた若ざむらいもあった。
そのうち、
「駕がまいりました」
と、表から告げてくる。
雪乃
帰るまぎわまで、かの女は老公に、もっと何やら打明けたいようなものを、胸にもっていたらしく見えた。
察しのはやい老公は、
「また参れよ」
と、いった。
――またの折に。それを
「雪乃どのには、ちょっとでも、ご隠居さまとおふたりきりで、おはなし願いたいご容子に見えましたが」
「惣左も、そういうたか」
「はい。……何事かいま、ご息女のお蕗どのの身について、ひと方ならぬ心配事が起っておられるそうで……。そのことにつき、何かご隠居さまのお智慧なりお力でも拝借したい考えでいたのではないかと察しられますが」
「む。おととい、城下へ出た折、そのようなうわさを、わしもちらりと小耳にはさんだが、べつに急いだことでもなかろうと考えて帰したがの……」
「それが実はひどくさし迫っている事らしゅうございます」
「聞いてやればよかったの」
「いずれまた、日をあらためてお願いに参りましょう」
ふと、老公のひとみに、気がかりらしいものが浮いた。
おととい城下の菓子屋のあるじが、お蕗のことをいろいろうわさしていたが、あのことばのなかに、なにか思いあたるものがあるらしかった。
そのまに、酒や膳は引かれて、若ざむらいたちのまえには、一個ずつのまんじゅうが配られていた。
まんじゅうは、紙につつんで、持帰ろうとするもあり、その場で喰べているものもある。
老公は、茶をのみながら、まんじゅうを割っていた。
座談は、茶となってからのほうが、まじめに
そこへ、思わぬ出来事が起った。あわただしい声は、山荘の門をたたいて、ここの平和と陶酔を
雪乃
「ご家来さま。たいへんじゃ。すぐに。すぐに来ておくんなさい」
と、駈けこんで来て、
「はやくせぬと、駕のうちの
と、口々にいう。
「なに、暗討ちに」
総立ちになった時、もう若ざむらいの
「すわれ」
老公はたしなめた。ここの人数の半分も行けばもうよろしいというのである。
縁先では、山荘の家臣たちが駕の者や百姓たちの、ことば多くて要領を得ないはなしを、
そのあいだ――開けひろげてあるために明滅の烈しい
が、すぐに、剣持与平が訊きとったことを、そこへ来て老公へ早口につたえた。
「ご門を出てから十町ばかり参ったところ――あの
「あいては何名ほどか」
「五、六人という者もあり、もっといたという者もあり、一致いたしませぬ」
「身なりは」
「それも、すこぶるあいまいで、浪人じゃと、ひとりがいえば、いや
「
「悦之進どのには、聞くやいなや
「不届きなやつ。いかような変が起ろうとて主人のゆるしも待たず駈けゆくなど、事にあたって進退のわきまえせぬ
「承知いたしました」
かれが去ると、また、ふたりの家臣へ、
「
といいつけた。
入れかわりに、息せきながら二、三の者は、もう報告に帰って来た。
「惣左どのは助からん」
と、その人々は、悲調をおびた声でさけび、なお、
「蕗どのも、雪乃どのも、駕ぐるみ、影もかたちもない。――諸方、手分けしてさがしておるが」
と、絶望に近い声を放ち、ふたたび身支度を直してすぐ出て行った。
あわただしい出入りがつづいた。その中へやがて、悄然と影を見せたのは、郡奉行の
管下の治安にあたっている責任者として、覚之丞は、自決の決意を眉にたたえていた。――庭上から老公のすがたを遠く拝して、
「申しわけもございませぬ」
と、
「
庭を見やりながら、老公は、叱るようにいった。
「……はっ」
職責を感じるの余り、覚之丞はなかば
「ここへ詫言などとは、なにを血迷うているか。そちは藩公の役人ではないか。わしは藩主でも何でもない。まだ事件の目鼻もつかぬまに。……去れ、去れ。はやく行ってさしずをせい」
「はっ。……さし当っての処置はすべていたして参りました。惣左どのの遺骸は、検視のうえ、
「下手人どもは捕まりそうか」
「さ、それが……おそらく至難ではないかと思われまする」
奉行の口からなどいえないはずの
が、老公は、
「……だめか」
と、うめいて瞑目したきりであった。覚之丞のことばを是認しているとも受けとれる。問題は事件の表面だけのものではないらしい。
地にひれ伏している覚之丞と、明滅しきりな燈火の一室に沈思している老公とのあいだに、どこやら遠く、
覚之丞はまた、そっと、
「口にこそ出しませぬが、平常に。……十分、
「不慮のこととは、これをいうのであろう。この隠居すら考えられぬことじゃった。ぜひもない」
「……ただ、ご隠居さまのお身になんの事もなかっただけが」
「わしの身辺へは、あまりに近づき難いため、わしへかかるべき災厄が、思わぬものへ
「無念にぞんじまする。これが、表だってもさしつかえない儀ならば、かならず下手人どもは、あす一日をまたずに
「やめい。やめい」
あわてて老公は顔を振った。城下を離れた
「覚之丞」
「はっ……」
「もし、夜の明けるまでに、手際よく、下手人のかたのつかなんだときは、詮議の手は
「すべては、わたくしの落度で」
「いやいや、不慮の変じゃ、神かくしじゃ。むりに追い求めれば、死なずともよい
帰るべき客は帰った。
眠るべきものは眠りについた。西山荘の門は閉じられ、
「眠れよ。……たれじゃ、まだ灯ともしているものは。……眠れよみなの者」
お
まもなく、寝所のあかりが消える。
召使の人々は、
「おこころを
と、ささやきあって、みなひそと寝床へはいった。
けれど、たれも寝つかれなかった。わけて
――がたん
と、どこかで風の音がしても、首をもたげて、悦之進がもどって来たのではないかと耳をすました。
「あのひとは、狂気してしまいはせぬだろうか」
そんな
いつかうち明けられたことがある。――自分とお蕗どのとは、親のゆるした仲であると。
そういう過去のあるなしにかかわらず、恋していたことは事実だった。
そのお蕗と母の雪乃が、
老公は、さき程、甚だしく
「……もし自分が悦之進の身であったら、やはり前後もなく駈け出していたにちがいない」
文八は、心からかれに、同情しながら、寝もやらず、もし裏門でもほとほと叩く音がしたら、すぐ起きて行こうときき耳をたてていた。
――が、悦之進は帰って来ない。
べつな不安が文八のむねにこみあげて来た。あるいは、くせ者を追撃して、どこかの山林で、追いついたはよいが、かえって大勢の相手のために、返り討ちになったのではあるまいかなどと。
実際、
「郡奉行の鷲尾どのと、老公のおふたりをのぞいては――」
文八は、おとといの夕方、
たれいうとなく、
(老公のご身辺も、よほどご注意申しあげぬと……)
などと暗に危険を
といって、そのひとに、
(なぜ?)
と、たずねても、誰も答えはしないのである。また、明確に分っているものもないのである。
にもかかわらず、この
(老公は由来、幕府から
それらの事が、つねに人々の心を、なんとはなく
しかし、それと雪乃
「ああ、
寝がえりを打った時、
「すこしでも寝ておかねば」
と、あすの勤めを思って、文八はそれから
とろりと、したかしないか、と思ううちに、はや戸を繰る音が玄関でする。
「……老公のお目ざめ」
かれは、がばと起きた。
いつもなら悦之進が、もうお側に
あわただしく、身じまいをととのえて、お座の間へ行ってみた。
老公のすがたはない。
いちばん奥の端の――三畳間へ伺ってみた。お学問所である。
「たれじゃ」
ふすまの音に、老公はふり向いていう。そこにおられたのである。
「文八にございます」
手をつかえると、そうかといったのみで、机のうえで、何か書きつづけていた。――渡辺悦之進はまだ帰らぬのか――文八は訊かれることを待っていたが、
「はやいのう、
老公は、そういっただけであった。
「ありがとう存じまする。……なにか、ご用を仰せつけください。悦之進どのも、まだもどりませぬから」
「そこの
「
「茶を入れい」
「はい」
馴れない手で茶を汲んでさし出した。老公はいつもと変らない朝の顔である。しずかに
「文八、これが分るか」
と、机のうえの詩稿を出して見せた。
文八は、口のうちでいちど読んでから、
「その通りじゃ。……山に対してふと思いおこしたのじゃ。わしの詩ではないが……誰でもよい。よい詩であろ」
「はい」
と、いったが、文八には、十分わかっていないようだった。
ゆうべのはなしなど、少しもないのである。老公はまた、もう一詩を示して、
「ちと思うことがあるから、きょうは終日、たれにも会いたくない。そちは、なるべく門にいて、客を
それを見ると、これも老公の作ではないらしいが、こんな
山城、門ヲ
コノ山、
文八が伺うと、いいとも、いけないともいわず、老公はまた、窓から見える彼方の山と対していた。
文八は、外へ出た。
たれも彼も、よく寝たものはあるまい。山荘の雨戸はもうすべて
すると誰か――かれのうしろから、おうっと、山犬のような声して呼んだものがある。ふり向いてみると、悦之進だった。ふり向かなければ、かれの声とも思えないほど、一夜のうちにおそろしく野性なしゃがれ声に変っていた。
いや、そのすがたや容貌は、もっと変っていた。髪はみだれ、袖は裂け、
「おう……」
「おうっ……」
ふたりは相寄って、
「どうした?」
まず文八から訊ねた。
悦之進はつかれきっているらしく、すぐには、ことばも出なかった。いや肉体の疲労もさることながら、頭も混乱していたにちがいない。
問われたことには答えもせず、
「……ご隠居さまには、はや、お眼ざめか。それとも、
それだけが――何かにつけ老公のことのみが、気懸りらしく、そう問い返した。
「いや、あれから、すこしばかりお
「……そうか」
すこし平静に返って、
「文八。わしの衣服を、あれまで持って来てくれぬか。このすがたでは、お目通りにも出られぬ」
悦之進は、裏庭の石井戸のほうへ歩いて行った。
手足の泥など洗い、髪も直して身なりをととのえるつもりらしい。
「心得た」
気がるに、
そのあいだに、悦之進は、顔を洗い、口をそそぎ、髪のみだれも直していた。
衣服をととのえてから、悦之進はまたそっと、友にたずねた。
「今朝ばかりはついお
「いや、べつに……。何ごとも平素とすこしもお変りは見えぬ。……だが、貴公のすがたを見ると、あいての者と、行き会ったかのように察しられるが、追いついたのか、下手人をひとりでも、捕えたのか」
「……いや。……いや」
何をきいても、悦之進は顔を横にふるだけであった。
その悲痛極まった面色は、あまりに追究すると、ついには悲涙をすらたたえそうに見えたので、文八も問うことをやめて、黙然、相対していた。
努めて平静にもどろうとしているらしい悦之進であったが、やがてやや心に自信がそなわるといつものような調子で文八に頼んだ。
「すまないが、老公へそっと、お取次ぎしてくれないか。……朝夕、お側に仕えているおれが、ひとに取次ぎをたのむなどというのはおかしいが……今朝はなんだかお叱りがあるような気がする。ゆうべ、おいいつけも仰がずに、無断で駈け出したことも、あとで不覚をしたと悔いられているし、なお、毎朝のご用を欠いて、今頃、もどって来たことも、重々、お詫びをせねばならぬ」
「そんなお心のせまいご隠居さまではあらせられぬ。……ひとりで行き
文八は、さきに歩いた。
そして三畳間の学問所の横からおそるおそる近づいた。
ふたりのすがたを、老公はすぐ窓から見た。文八が、縁にあがって、ものをいうまで、こっちを見なかった。
「……申しあげます。悦之進どのがただいま、もどりましてございまする。
かれに代って、文八は
「渡辺悦之進のことか。悦之進なれば、もはや山荘へもどるには及ばん。いとまをつかわすであろう。そう伝えるがよい」
と、老公はかろくいい放して、そこの小障子を内から閉めてしまった。
ここは街道の側といってもよい近さにある畑の中なので、往還の旅人の眼にはすぐ触れる。
くわしくいえば、
で通っている。
八月。まだ残暑であった。
茫々と、草ばかりである。河原のほうから
ぼくっ、ぼくっ……
土をめくる強い鍬の音がする。ひと鍬ごとに、気合いがはいっていた。
「旦那。……旦那にそう働かれると、わしども職人は、煙草やすみもできませんよ。すこし汗でもお拭きなすってください。
ほかにも、壇石が横たわっている。それにかかっていた弟子たちも、親方のことばとともに腰をのばして、
「ほんとですぜ、
と、
「あははは。悪かったな」
鍬の音はすぐやんだ。
いま、その頂きの土を、掘り起しては、下へ掻き落している人がある。
「やすめ、やすめ。なにもおれに遠慮はいらん。おまえたちは職人だ」
鍬の柄を立てて、胸をのばす。顔にも胸毛にも、りんりと汗が這っている。湊川のかぜは快くその
この春の初めから、ここへ来たり
「いけませんよ、旦那あ」
権三郎の
「おまえ達は職人だから休めといわれたんじゃ、よけいに休むことはできませんや。旦那の一所懸命は、お役人の
「なんだ、役人の一時仕事とは」
「こちとらの仕事を見ていて、時々、これ見よがしに、手出しをして見せる。……止めたい時には止められるんだから、いくらだって、力を出せますよ。そしていいかげんな頃になると、すずしい顔をして行ってしまう」
「こいつめ、
親方の権三郎が、為吉の顔を押しとばすと、
「
「ははは、おかしな男だ。しかし、あれがおるので、ここの作業場はつねに明るいな。ああいう男は、よく小馬鹿にされがちだが、実はなかなか大事な存在だ」
塚のうえから降りて来ながら、佐々介三郎がつぶやくと、石工の権三郎も、
「旦那、為のいるところで、そんなことを仰っしゃっては困りますぜ。あのお天気を、よけいおだてるようなもんでさ」
と、ともに歩いて、そこからやや離れたところに見える丸太と四分板囲いの小屋へはいって行った。
小屋の中には、
また、この碑の下に
道理で小屋こそ粗末なものだったが、
「もう、工事は、いまが半ばというところだな」
「さようで」
と、一枚のむしろを持って来て、権三郎は、彼のために草へ敷いた。
それへ、腰をおろしながら、
「いや権三、春以来、この事では、ずいぶんそちにも無理をいったが、ご費用には限りもあるのに、仕事には、やかましいことばかり申して」
「どういたしまして。そう仰っしゃられると、てまえが面目ありません」
「なぜか」
「始めのことを思い出します。……初めて旦那が、図面をお持ちになって、いくらでひきうけるかと、おはなしにお越しなすったときは、水戸さまと聞いて、あいては大名、これは取り放題のうまい仕事がころげこんで来たと――このご建碑で、正直、てまえ根性では、ひと
「気のどくしたな。とんだあてがちがって」
「いえいえ、あてがちがってくれたからこそ、てまえは今日でも、いえ一生涯、いい心もちを持っていられると、真実、ありがたく思っております。……もしそれが思いどおりに行って、この碑で、
「そちの義心や、職人どもがみな献身的にやってくれていることは、先ごろ書状のうちにもしたためて、水戸の西山荘においであそばすお方へも達しておいたぞ」
「旦那のおかげです……。まったく、旦那が、毎日のように、この碑に
「そうとも」
介三郎は大きく
「正成公ばかりではない。――古人はすべて死んでいない」
「……へえ、そうでしょうか」
石屋の権三郎はまた分らなくなった。
楠木正成にたいしては、彼も十分にそれが理解できたが――古人と、ひろくいわれると、
介三郎は噛んでふくめるように、
「たとえばだよ、おまえの
「……ええ、日蓮さまも、ずいぶんご苦労なさいましたからね」
「
「てまえも小さいとき、うちは貧乏だし、体はよわいし、死のうと思ったことなんかありましたが……そんなときには、誰か、自分を力づけてくれるものをさがしますね、いまの人よりも古い人のなかに」
「生きているひとなら力になりそうなものだが
「だから、古人は、生きているといえるわけで」
「いやいやまだ理由がある。――国に国難がおこれば、
「なるほど」
「だから、この国の土中にかくれた、過去の偉大な白骨は、この国の非常なときに応じて、いつでも、その時にふさわしい古人が、現在の生きているものから呼び迎えられる。そして文学やら絵やら
「ははあ、そうですか」
「そうだろう。……知らぬまにその人のなかには、古人の意志が住んでいることになる。たとえば、おまえが半年のあいだ、正成公の碑にむかって、カチカチカチカチ
「なんだか、わかり出しました」
「だから、古人は白骨であるが死んではいない。つねに今の生けるひとのたましいをかりて、次の時代までの働きをしている」
「おもしろいものですね」
「いや、こわいな、ひとの
「ちと、むずかしい」
「はやいはなしが、この碑を建つという仕事にせよ、及ぼすところは、無限だろう」
「だが旦那、いったい黄門さまは、何を思い出しなすって、ふいに、楠木正成さまの碑なんぞお建てになる気になったんですか」
「いまの世のなかへ、地下の正成公を、およびする必要をお感じになったからだ。――ただ草
職人かたぎだ。初めのうちは、こんなはなしなどに、耳をかたむける石屋の権三郎でなかったが、佐々介三郎のそばにいるうち、いつか変ってきたのである。
ところが、その親方の
「
と、みなから呼ばれていた。
その勘太というのは、この五月上旬、佐々介三郎がいちど国許へもどって、西山荘の老公から直接いろいろな指図を仰ぎ、またその折、老公の筆になる碑銘の「嗚呼忠臣楠子之墓」の
拾ったというと
――どじめ。しっかりしろい。
と口ぎたなく罵られるので、介三郎が見かねて訊ねてみると、後棒が、
――こいつはまだ、箱根で稼ぐなんざ、無理なんでさ。なんたって、つい一月ほどまえから、初めて駕をかつぎ出した野郎ですからね。まだ一人前の雲助たあいわれませんや。
それから介三郎は、
――もや助、もや助。
と、おもしろ半分に呼んで、つい三島まで乗ってしまったが、三島の休み茶屋で、そのもや助が、
――旦那がいつも、下に置いたことなく、大事そうに持っている物は、いったい何ですか。
と、たずねた。
介三郎が答えて、
――じゃ旦那は水戸ですね。
と、ふと、人なつこい眼をした。
――旦那あ、旦那アあ。
と、追いかけて来た。
そして、
つい
勘太は実によく働いた。
ほかの人夫や職人とちがって、酒ものまないし、夜遊びにも出ない。だから仲間には、
――
と、
いまも小屋の蔭に。
その勘太はぼんやり立っていた。彼としては、介三郎が石権にはなすのを熱心に聞き入っているつもりだったが、ほかの職人たちの眼から見ると、いかにも、いるところを離れて、うつけているように見えるのである。
「やあい、もや助。水でも汲んで来い、河原へ行って」
草のなかで、煙草休みをしている職人たちの
勘太が、われに返って、
「へい。すみません。いま汲んで来ます」
と、小屋のうしろから、二つの水桶を
水くみ桶の天秤を肩にあてがったまま、勘太は、
「おお、冷てえ……」
ふたつの桶に水をみたした。
ずしんと、肩に水の重量が加わる。勘太は、しばらく水のなかを去らずに、水底を見つめていた。
赤くさびている
「もしかしたら、
佐々介三郎から聞いている楠公のはなしが頭にあるからであった。
七たび生れて国を護らん
とさいごにまで、天地にちかって戦死したというひとの心を考えて、勘太は、「……そうだ、うそじゃない。佐々さんもいったように、死んで消えるのは
勘太は、身ぶるいした。
つみ重ねてきた半生の悪行を怖れずにいられなかった。
「……だが、まだおれは三十まえ、あとの半生で、とり返しのつかないこともなかろう。……ああ、そういう気になってから、おれの人相も、自分の
じっと、桶の水まで澄んでいた。勘太は、水桶のなかに映っている自分の顔に
「やーい何を見ているんだようっ。もや助え、
河原のむこうで、大声がしたので、あわてて水を上がってみると、仲間の
「為吉さんか。どこへ行きなすった」
「
「なんて?」
「碑ができるために、黄門様から白米やら
「あははは。なんていったね」
「
「お世辞じゃ何もなるまい」
「なに、かたい約束をしてきたのさ。親方も、佐々さんも、
ふたりは、もとの仕事場へ、いっしょに帰った。
「水が来た」
「茶が来た」
と、みな寄りたかって、冷たい水で、汗の手拭いをしぼったり、渋茶をのんだり、ようやく、残暑の苦熱を
「さあ、やろうぜ」
また夕方までの仕事にかかった。
介三郎も、鍬をとって、塚のうえの
(土かつぎも、身のほまれ)
と、すすんで鍬をもちたくなったのである。
鍬の音、鑿の音。――それから土台に敷く大石を、てこで塚のうえに押上げる人夫たちの
すこし先の街道には、旅人たちが立ちどまって、不審そうにささやき合っていた。
「なんでしょう。あんな畠のなかへ」
「何か、碑が建つらしゅうございますね」
「だれの碑で」
「さあ、たれの碑やら?」
道具片づけもすまして、
「もし、お職人さん」
と、呼びかけてたずねた。
「――いったい、あれや何です。何があそこに建つんですえ」
為は、ぶっきら棒に、
「碑さ」
「碑はわかっているが、たれの碑で」
「うるせえなあ。ここを通るやつは、きっと訊きゃあがる。分らなければ分らねえでいいじゃねえか。建ったら、お詣りにおいで」
「でも、畠のなかへ、いきなり出来るものにしちゃあ、おそろしく、立派じゃございませんか。たれか、金持の地主でも、あそこに
「なにを、この野郎」
「……おや」
「なにが、おやだ」
「怒らなくってもいいじゃありませんか」
「怒らずにいられるか。いうにことをかいて、金持の守護神の碑かとはなんだ。やいっ」
「褒めたんだからいいじゃありませんか。すばらしい碑が建ちそうだから、それで」
「よしてくれ。こうみえても、おれたちのしている仕事は、そんなものたあものが違うんだ」
「へえ……。では、誰ので」
「謹んで聞けよ。
「楠木? ……なんていうひとですって」
「正成公。正成公を、知らないのか」
「聞いたことがありません」
「あいそが尽きるなあ」
「どこのお方で」
「ばか野郎、この
為は、唾をするように、そっぽを向いたが、そこにも、うす汚い浪人者と、旅商人と、この辺の
「ねえ、ご浪人、おまえさん侍だから、よくご存知だろう。このあんぽんたんに、はなしてやっておくんなさい」
「なにをじゃ」
「正成公のことを」
「知らんて、……身ども、いっこうに、左様な人物のことは
その尾について、船持旦那が、
「
と、見まわした。
町人にさえ、そのくらいな知識があるとすれば、黙っておられんと、急に腰の大小を思い出したらしく浪人者は、
「あれは、足利将軍家の祖、尊氏のために滅ぼされた賊軍じゃ。
少々、おもしろくない顔色はしていたが、まさかと思っているまに、為は浪人者のまえへ歩いて行って、
「この味噌ッ
大きな
半分の顔を、両手で大げさにかかえて、
「ア痛っ。――おのれ、なにをいたした」
「撲られているくせに、何をされたか、わからねえのか」
「よ、よくも」
抜く手がのろいので、そのすきに、もう一つ、ぱんと喰らわせて、
「正成公を、知らねえのはまだ我慢もできるが、知らねえくせに、与太をとばすのも程にしやがれっ。さむらいのくせにしやがって――この生れぞこないめ」
そしてすばやく、連れをふりかえるやいなや、
「勘太っ。それ、逃げろ」
と、駈けだした。
痩せてもかれても、さむらいはさむらい。浪人者は、
「こやつ」
と、
旅の者、土地の者たちは、
「あぶないっ」
と、どっちへ組すともつかず、声を放ちあった。
抜いたからである。
そしてその白い刃ものが、
為は、とたんに、草むらの中へ、横ッとびに走りこんだ。
幸いなことには、浪人者の腕がにぶい。為が蹴とばしたので、その上へふりかぶった刀まで取り落して、横仆れに、腰をついた。
「素ッ首を」
「なにを」
格闘が始まった。
しかし、そうなったところで、幾ぶんでも
「やあいっ、誰かっ、助けてくれえっ」
ついに為は、ありったけな悲鳴を出して、浪人者の下にもがいていた。
すると、その浪人者が、またかれの体のうえから見事にひッくり返った。遠くで見ていた者が笑いだした。
為の連れの者の勘太が、ひっ返して来て、うしろへ近づいていたのも知らず、浪人者は、安んじて、
「為さん、さきへ帰んな。おれがひきうけた」
勘太が立ちむかうと、まるで闘いはちがって来た。浪人者のほうが、手玉にとられて、かかッても、かかッても、気味よく叩きつけられてしまうのであった。
「おぼえておれ」
どこかでまた、ひとが笑った。浪人者は、その笑い声にすら
「やあい、これは、置いてゆくのか」
勘太は、浪人者の落して行った刀を、街道のほうへ、
そして、為をうながして、
「さあ、行こうよ。大事な仕事の終るまでは、土地の者などと喧嘩しちゃあ、
河原に添って、歩き出した。
為は、彼の顔を見ていた。
「勘太。おめえは、途方もなく強いんだな」
「よせやい。あいてが弱すぎるんだよ。おれの
「そういえば、いったいおめえの故郷は、どこなのか」
「東のほうだよ」
「東の方だって、広いじゃねえか」
「箱根のむこうさ」
「へんにかくすなあ」
「おう、もう来たぜ、
門前町といっても四、五十戸にすぎない部落である。広厳寺がその中心をなしている。
職人たちは、そこここの百姓家へ泊っているのであった。ふたりも農家の一軒へはいって、湯を浴びたり、汗くさい仕事着をぬいで、
「……あ。どっちの木も、しっかり根がついてら。これなら枯れっこはない」
勘太は、ここへ来ると、きっと二本の低い木の下へ来て、見まわった。
紅梅の木と、松とであった。それはもと、誰が植えたものか、畠のなかの
べつに名人の上手のというわけでもないが、
その晩も。
蕎麦切と新酒で職人たちが腹にも酔にも満足してしまうと、
「旦那、また、尺八を聞かせておくんなさい」
と、せがみたて、
「おい、お坊さん、旦那の部屋へ行って尺八を取って来てくれよ。たのむから」
と、わあわあいう。
介三郎は、この寺の一室を
「そうじゃ、持ってこよう」
聞きたいのは、職人たちばかりではない。僧たちも、共々に
「吹くよ。吹くから待て」
むりに、手へ尺八を持たせられて、介三郎は、くすぐられたように体をまるくした。四十をこえていても、酔うと子どものように、他愛なく笑うひとだった。
「旦那だって、吹きたいんでしょう。こんなに、大勢から、やんやと持てては」
「ばかをいえ。おまえたちに聞かせるほどなら、野中でただ独り吹いていたほうが、よほどよく吹ける」
「そら、始まったぞ。旦那の
「でも。ほんとだ」
「そんなに、わしらの耳はふし穴ですかね」
「まあ……な」
「ひどい、ひどい」
親方の権三も、職人たちも、わざと
すると、隅にいた勘太が、
「こちらの耳がふし穴でも、
と、いった。
介三郎は、ぎょっとしたように振向いて、
「もや助か。生意気なことをいうなあ。どこで覚えた、そんな文句を」
「あそこに書いてあります」
「どこに」
「床の間に」
見ると、なるほど、二行の
「……どうにか」
「えらいな」
「でも、これくらいは、わしの国では、
「ふム……どこだ、
「えっ」
「生れはどこか。そちの郷里は」
「さ……その、
勘太は、ひどくまごついて、後悔のいろすら見せた。
「おかしな奴だな」
一笑を放って、介三郎は身を起すと、突然、縁がわのほうへ立った。開け放した
「みんな、寝ころんで聞いていいぞ。おれは、
「へえ……じゃあわし達は、耳はふし穴で、身はおけらですか」
「あははは。そんなに
と、尺八に眼をふさいだ。
夜の蛙みたいに、いつのまにかみな考えているような恰好していた。膝のあいだに顔を
「……虚空という曲だよ」
そう教えてから介三郎は
「――竹の孔からながれ出て天界へのぼってゆく尺八の音に乗せて、自分のたましいをも
そう
かれらが、どう聴いているか。
それは、吹いている介三郎にもよくわかるのであった。
従って、妙音の出るも出ないも実は吹き
吹くもの、聴くもの、いつのまにか一つになる。そのとき一管の竹は、いったい誰に吹かれているかをつきつめると、これは神でしかないことになる。
――さて、それは
「ああ、よかった」
わけは分らずに
にわかに彼らは立ち始めた。あとはめいめいの農家の宿所に帰って、寝ることしか考えていなかった。
「勘太、おまえは、何を泣いていた。尺八をきくと、泣く癖でもあるのか」
帰りかけるかれをつかまえて、介三郎がいったのである。どうやらそれは本当らしい。勘太はあわてて顔をそむけた。
「嘘ですよ、旦那。泣いてなんぞいやしません。……そんな変な癖なんか」
草履が見つからずに、皆よりひと足おくれて出て行った。
雨が久しく降らないので、土が乾きぬいていた。勘太は、この春塚の上から移植したばかりの梅と松が、その帰りがけにも気にかかったとみえて、
部落のほうへ向って、低い石段がある。そこをかれが降りかけたときだった。
「あっ。畜生っ」
よろよろと下の段までよろけて行って、勘太は、べたりと、坐ってしまった。山門を閉めに来た僧侶の影が見えたので、刀を片手にさげた浪人者は、
「ざまを見ろ」
と、一声の悪罵をあびせて、村道から湊川のほうへ向って逃げ走って行った。
佐々介三郎は、寺の一室へはいって、眠るべく帯をときかけていた。呼びたてる僧の声に、解きかけた帯をしめ直してすぐ山門へ行った。勘太のうけた切傷は、あいての腕がにぶかったのが倖せで、後頭部をそれて背なかを斜めに斬っていた。傷口は長いが、
「だいじょうぶです、旦那。……大丈夫ですから、自分の宿へかえります」
介三郎の肩に
しかし、夜があけて、いつものように介三郎が仕事場へ出かけようとすると、勘太もむくりと起きようとする。どこへ行くかとたずねると、
「……仕事場へ」
と、どう止めても、行くといい張って、きかないのであった。
介三郎はついに大きな声を出してどなりつけた。
「ばかっ」
そして、わざと、不きげん極まる顔つきして、さッさと出かけてしまった。
「どうかいたしたのか」
様子がおかしいので、介三郎はすぐたずねた。あたりを見ると、小屋のなかに仕舞っておいた道具箱の道具が所きらわず
「どうもこうも、ありやしませんや。ごらんなさい、小屋の裏を」
石権が指さすので、そこをのぞいてみると、小屋の背なかが
「ゆうべの、
為ばかりでなく、職人たちはみな青すじを立てている。このごう腹が
「仕事を休む。そいつはいかん。……まあ、
「どうしてですえ」
「つまらんではないか。泥棒に追い銭のようなものだ」
「できませんよ、このむらむらする虫を抑えて、仕事をしろなんていっても」
「仕事をしているうちに、自然と仕事にむらむらも忘れてしまう。さあかかろう」
「いやだ。やるやつはやれ。三度のお
為はきかない。
むっと、燃やした顔と、ことばの勢いで、すぐにも何処かへ行きそうにした。介三郎はゆうべの次第をきいているので、かれの強がりを先にたしなめた。
「為。――意気はいいが、また浪人者に追いまわされて、悲鳴をあげては何もなるまい。それに、ここらの形跡を見ると、ひとりでやった狼藉ではない。三人ぐらいな仲間はあるらしい。……だいじょうぶか貴様、ひとりで参っても」
「……へい」
「よせよせ。介三郎にまかせておけ。さあ権三、親方のそちから仕事にかからんではだめではないか。晩にまた、わしが尺八でも聴かせるから、きげんを直してかかってくれ。さあ、かかってくれい。……頼むから」
介三郎はもろ肌をぬいで、
「やれよ、みんな」
親方の石権はそれを見ると、急に職人たちを叱りとばした。けれど我慢のならない
その日は、誰もかれも、むッつり無口をつづけて、ただ仕事だけをしていた。
あくる日も。
次の日も。
まるで嘘のよりあいのように、仕事場は気が冴えなかった。
時々、ため息のように、
「ごう腹だなあ。考えだすと、おらあ癪にさわって、たまらねえ」
親方の石権も、職人たちも、それを聞くと、いささか慰められたように、
「
介三郎へ、つらあてのように呟いたりした。幾ぶんかれの武士精神を疑っているらしい
これだけで終っていたら、あるいはかれらのごう腹虫も、いつとなく解消されていたかもしれないが、その事あってから約七日ほど後、ここの人々がつねの如く
「……あれだよ」
「あれか。……ふうむ」
「なんだい、侍のくせに、鍬をもってるなあ」
「
「水戸か。なるほど」
何がなるほどなのか、顎をしゃくったり、眼まぜをしたり、鼻で笑ったりして、
ふと、為がふりむいて、まっ先に眼にかどをたてた。
「あっ、あいつだ」
ほかの連中もひとしく、
「畜生。なんていけずうずうしいんだろう。勘太を
みな後方を向いて、挑戦を示した。石権も、
いや、もっと物すごい血相を一瞬見せたのは、ついきのうから、まだ傷口の治療も十分でないのに、むりに働きに出ていた勘太だった。
ふだんの柔順を一変して、兇猛に近い眼いろにすら見えた。
けれど、その勘太は、すぐうつ向いて、石のこばを鑿でくんくん叩きはじめた。懸命に彼方を見まいと、自制しているらしいのが、鑿の音にもわかるのだった。
「おい、みんな、これ権三までもどうしたものだ。……なぜ仕事をやめる、仕事をせい、仕事を」
ひとり佐々介三郎だけは、初めから眼もくれずに、黙々、鍬の手をつづけていた。
「あれほど、わしがいってあるのに、聞きわけのない。……こうして働いている汗にも、蠅もたかれば
介三郎のことばには、たれも逆らう気になれないのである。
この数日で、仕事はいちじるしく進んでいた。虫を抑えて、仕事へ
あとはそのうえに
「……あっ。ヤ、ヤ、あのけだもの」
どうも気を散らすのは、いつでも為が先であった。為はまた頓狂な声でどなった。
「野郎、こっちを向いて、
「為っ、うるさい、黙って仕事せい!」
介三郎はめずらしく、為のおしゃべりを、一喝して、あやうくまた
何をやっても怒らない――いや怒れない弱虫と、あまく見たにちがいない。
三人ぐみの浪人者は、それからというもの、毎日のように大手を振って、そこの街道を往来した。
時には、遊び人ていの男を
見るな、聞くな、いうな。
介三郎からそう固く封じられている職人たちは、歯がみをして、ただ仕事に精をそそいでいた。
碑の壇石は敷かれた。
九月に入っては、
十月には、碑の裏面に彫る「
この文章は、
筆者の岡村元春は、介三郎の旧友だった。また、碑の正面は光圀の「
「ともあれ、年内には相違なく、出来あがろうな」
介三郎のことばに、石権は責任をもって答えた。
「かならず、やり上げます」
「たのむぞ、明春には、老公へもよいお報らせして、およろこびを得たいからな」
「うけあいました」
十一月にはいる。
このあいだ、雨の日やら、湊川の
このあいだに、佐々介三郎は、京都や大坂などへ、幾たびか出かけていたが、いつも数日で帰って来ていた。
例の浪人者と、職人たちのあいだが、旅へ出ても、気にかかるからだった。
勘太は、湊川から、
幾百年ののち、光圀という故人も知らなかったひとが、この碑を作り、そして自分たちがこうして今、それを世に建てる前に、湊川の水で洗っている――
もし霊あれば、湊川の水は、かならず正成を再生させるであろう。七度生れかわって国を護ろうとさけんだあの霊が。
「…………」
水を汲みに通いながら、勘太はそんなことを考えていた。するともう冬ざれの草原を踏んで、がさがさと歩いて来た四、五人がある。
例の三人づれである。
ほかにこの土地のばくち打ちの親分らしい
「この辺ならいいが、小屋がけにするにゃあ、石ッころが多くてしようがねえ。あの
たびたび通る浪人者は、こういう仲間につかわれている用心棒とでもいうものか、二本の刀のてまえもなく、それにペコペコしていった。
「そうだ、あの石屋の小屋が空いていたが。あいつを借りうけて、
碑は竣工に近づいている。
職人たちは、黙々と、冬日の下に身を屈めて、各

介三郎は、遠く離れて、碑面をながめていた。
石権もそばに立っていた。
――と、職人たちの中へ、ぶらりと、ふところ手や、肩をいからして、浪人者の三名が、彼方から来てじろじろ見まわしていた。
「ああ、これか」
と、ひとりが、ふところ手のまま、楠公の碑を仰ぐと、ほかのふたりが、
「そろそろ出来あがりらしいが、小一年はかかっている。つまらねえものに、金をかけたものさ。雨ざらしにするものを」
と、せせら笑っている。
職人たちは、生唾をのんで、
見るな、聞くな、いうな。
の
すると、浪人者のほうから、
「おいおい、たれか、はなしの分るのはいないのか」
「…………」
いよいよみな黙りこくッて仕事に向っていると、また、
「耳がないのか。どいつも、こいつも」
為吉が、ついにいきなり、
「なんだっ」
と、腰をあげて、三人を
へらへらと、ひとりの浪人者が笑い出した。そして
「やあ、いつかの大将だな、そういつまで眼にかど立てているな。よく水汲みしておる、勘太というか、あいつもあれ以来は、すっかり俺におとなしくなってしまった。武士にたてを突くなど、損得を知らぬ
「ここは仕事場だ、あっちへ行ってくれ」
「わかったか。ははは」
「あっちへ行ってくれ」
「いや、きょうは俺のほうから用事があるのだ。そこの小屋が空いたようだから、三日ばかり貸してもらいたい。ついでに、貴さまたちも、三日ばかり仕事を休め」
「じょうだんいっちゃ困る。年内にやりあげるので、あとの日数も足らないところだ」
「だれが、じょうだんを申したか、まッこのとおり、俺はほん気でいってるのだ。俺のほうでも年の暮どうしてもここが
「要用だって、ひとの仕事場へ来て、仕事を休めの、小屋を空けろのと、そんなばかなはなしがあるもんか」
「こら、こら、その
この浪人たちの日常語は、無頼の徒とすこしも変るところはないが、あいてを脅かそうという意識をもつときだけ、武士言葉をつかう習性になっているらしい。同時に、ヘンに肩を張って、刀の
「なんだい、為」
うしろへ人の気配がしたので、浪人たちはすぐ身をねじった。石権と介三郎が、だまって聞いていたのである。
介三郎へは、さすがに少し小気味のわるいものを感じているらしく、浪人者はかれを無視して、石権へ懸合いにかかった。
「親方か、その
「そうです」
「いま、聞いての通り、
石権の顔いろが変った。こめかみの辺に青すじが
そういう危険がすぐ眼に見えたので、介三郎はあわてて側から口を出した。
「やあ、てまえは
すると浪人三名も、
「申しおくれた、この
「それがしは
「やつがれは、
「あいや、それは承ったが、餅つき興行とやら、盆ござとやら何をいたすことですか」
「いうまでもなく、
「あ。しばらく」
「なんだ。嫌というのか」
「すると……ばくちですな」
「いかにも」
「
「知れきったことを」
「それを
「やれるから、やるのだ」
「役人が参りませぬかな」
「役人。……役人などはおれたちの飲み友達だ。それに今年が初めてじゃなし、ちゃんと、渡りがついておる」
「……ふふむ」
介三郎は感服のていを示して、敢て、それ以上はいうことを好まぬように、
「では。おやりなさい」
「いいな。むむ」
と、
「あの
「工事は休めぬ。職人どもの仕事はこれにて続けておるから、そちらは、こっちにかけかまいなく」
「でも、雑沓するぞ」
「まさか、墳墓の地域にまで、混雑はして来ますまい」
「小屋のまわりと、通り道だけだが」
「しからば、ご随意に」
「はなしは、まとまった。……おういっ、親分」
手をあげて、彼方をさしまねくと、花隈の熊と、生田の万は、まるで亀石みたいな大きな顔を持ってのそりと歩いて来た。
「どうしたい、懸合いは」
「つきましたさ」
「ついたか」
「さっそく、蓆掛けですが」
「小屋はできているんだから造作あねえ」
「でもいろいろと、持込ませなくっちゃなりますまい」
「あさってからのことだ。あしたでいい。そうきまったら、そこらへ飲みに行こう」
「また、ですか」
「何をいう。悪くもねえくせに。はははは」
ぞろぞろと、街道のほうへ出て行った。
眼を三角にして、青すじを立てていた石権は、見送っているうちに、口惜し涙というのであろう、ぼろぼろと、こぼれるのを、あわてて横腕でこすると、
「だ、旦那っ。虫をころすのも、いいかげんにしておくんなさい」
と、いきなり介三郎の肩を突いて、喰ってかかった。
ついに親方の石権が、堪忍ぶくろを破ったと知ると、職人たちも
「やろうっ」
「やっちまえ、やっちまえ」
「こうなれやあ、血の雨でも、槍の雨でも持って来いだ」
「佐々の旦那あ、見ていておくんなさい。しっ腰のない主持ちのおさむらいなんぞにゃあ、どうせ喧嘩はできまい」
そこらの
すると、その中へ、
「待ってくれっ。みなさん、待っておくんなさい」
「あ、勘太じゃあねえか」
「へい、勘太です」
「ばか野郎、なんで止めるんだ。いわばてめえの
「いけません、いけません。仕事と喧嘩と、どっちが大事か考えておくんなさい。後生ですから、もうひとつ虫を抑えて」
と、勘太はまた、石権のまえへ来て、
「親方親方。あなたもまあ、ここんところは……」
と、口を極めて、
「お腹のたつのはもっともですが、佐々の旦那にしろ、何もあんな虫ケラどもが恐ろしくて、あいつらの難題をご承知なすったわけでもございますまい。――わしなんざ、現にあの中の浪人のひとりに、闇討ちをくらって、そのときの
「…………」
介三郎は、勘太の
楠子一族のことを思えといわれたような気がしたか、石権もはっと、自分の怒りをくだらないと悟って、
「いや旦那、大きにてまえの浅慮でした。もう何もいいますまい。……それにしても勘太、おめえからお講義を喰おうたあ思わなかった。おめえもまたいつのまにか、佐々の旦那にそっくりな
「どうも面目ございません」
「なんの面目ねえことがあるものか。おれだって
「ここのお墓の土をふみ、湊川の水を毎日汲んでいて、身に沁みなかったら、人間じゃございません、一日ましにそう思って来たせいか、もうここの仕事も、年内でおしまいになるのかと思うと、なんだかさびしい気がします」
「てめえにそういわれると、あなにでも入りたくなった。佐々の旦那、つまらねえことに暇をつぶしました。精出して取り返しますから、旦那も気を直しておくんなさい」
その日もここの仕事場は、そこらの畑や枯れ葦に夕霜の白く暮れるまで、みな仕事から離れなかった。
次の日となると。
「なるほど、ここはお
と、
「こいつあいい」
と、その晩から、寝泊りするらしく、夕方には、七輪で煮ものしたり、酒など
すぐそばの墓山では、碑を中心として、介三郎以下の者が、
この
そして、その四方に、
用なき人、入るを許さず
と、板ぎれに書いて、にわかに隣り合った
「罰あたりめが。大雨にでもなればいい……」
と、職人たちや、
「ばかをいえ、大雨になんぞなられたら、こっちも困る」
といったので、その日初めて、みんなして笑った。
あくる朝、来てみると、仕事場の附近は、まるで景色がちがっている。
「三日の辛抱だ。たのむぞ」
介三郎は、みなへいい渡した。
「だいじょうぶです」
一斉に答えた。我慢というものは、こうなると、自分の意地にたいしてすることになるらしい。
「……頭が痛くなった」
寒さも夜も忘れはてて、小屋のあたりでは、
すると突然。そこの蝋燭の灯が大勢のあたまの上に
「――な、なにしやがるっ」
「野郎っ」
わけがわからない。
総立ちになって、そこにいる人間が全部、小桶のそこの
こういう仲間の喧嘩ばかりは、いきさつも心理も局外者にはよく分るところでない。
「こいつあ、おもしろい」
石権や職人たちは、帰りかけたところだったが、高見の見物とながめていた。
「わかった。この喧嘩は、おととい連れ立って来た、
「そうかな」
「そうだとも、両方でわめき合っているいい分で知れるじゃあねえか。初めはふたりの
「……ふふむ、そうかな」
「そうかなあって、てめえだって以前はああいう仲間とつきあったこともあるんだろう」
「あるから、浅ましさに、身ぶるいをしてるんだよ」
勘太のことばは、かれの心を正直にもらした
ところが、喧嘩の渦は、やがてこっちの
血まみれになって、ひとり碑の丘へ逃げあがって来たのがある。おそろしい形相で、それを追いかけて来たのは、かねてから顔もよくわかっている
さっきからそこに立って、腕ぐみしたまま、黙然と見ていた
「
と、かれらへ向って一喝を与えた。
甚兵衛も一角も、およそかれという者を甘く見ぬいてなめきっているので、ちょっと、
「だれかと思えば、てめえはここの墓番だな。邪魔すると、ついでに、ぶった斬るぞ」
「降りろっ。足が曲がるぞよ」
「な、なんだと」
「汝らの足に踏ませていい霊地ではない。降りねば、投げとばすぞ」
「こいつが、大口を」
吠え終らないうちを、大口の証明は介三郎が伸ばした両腕によってなされた。かれはふたりの浪人者の襟がみを、まことに無造作につかんでしまった。いくらトゲを立て毒を吹く悪魚でも、
「かッ……こ、この」
「ちく、ちくしょうっ」
ふたりは、しきりと刃ものを振ったが、介三郎の足にも腰にも触れることはできなかった。介三郎は、そのままぐんぐんと歩き、
「やめろっ、やめろっ、喧嘩はやめいっ。――この
と、声をからして
大げさにいえば
「やめぬかっ。やめんか!」
両手に吊るしている甚兵衛と一角を振りまわして、介三郎は
この事態にたいしては、
「墓守の
「あいつをのめせ、あいつから先にたたんじまえ」
「こっちの勝負はそのうえで来い」
べつな強敵を迎えたかれらはたちまち、ならず者とならず者との団結の精神をあらわして、
かくなれば、日ごろ介三郎から戒められて、我慢に我慢していた職人たちも、黙視しているところではなかった。
「見やがれ、うじ虫」
「ござんなれだ」
「ふみ潰せ」
と、猛然、それに当って、さながら
これは怖ろしく強かった。
かれらは、自分たちの腕力が、正しいことを知っていたし、半年の鬱憤をいま一度に爆発させて
わけても、ふだん黙々として、だれよりも堪忍のつよそうだった勘太は、事ここにいたると、たれよりも兇暴な
「勘太、勘太っ。そう殺すな。斬りころしてはならん。みね打ちをくらわせい」
気がついて、介三郎はそう
「みね打ちで、みね打ちで」
自分にもいい、勘太にも注意したのである。けれど、われ知らず突く手も出るし、返す切ッさきに当る者もあるので、時折、刀のさきからぴゅっと鮮血がとんだ。
勝敗はすぐ決したといっていい短時間のうちに終った。わっと、
逃げるを追って、職人たちは、ここぞとばかり、丸太でなぐる、足を払う、金づちで叩き伏せる、
そのあと……
ほっと大息を肩でついたまま、みなしばらくは、茫然と、各


「……ううむう。ううむ」
うめいている者、うごかない者、かさこそと、血まみれのまま、這い出してゆこうとする者など――ずっと見まわしても二十人のうえはある。
「権三。おるか」
「へい」
「勘太、どうした」
「どうもしません」
「みんな来い」
介三郎は呼びあつめ、
「怪我人や、気を失っているものを、ひとまず小屋へみな運びこめ」
「へい」
「むしろや、ふとんや、何でもあつめて、寒くないようにしてやれ。――それから勘太、おまえが怪我をした時かかった医者を急いで呼んで来い」
「へい」
「それから
「へい」
「おまえは寺へ行って、ぼろきれや焼酎など、応急の手当てをする物やら、もっと寝具など、たくさん借りて来い。ひとりでは持ちきれまい三、四人つれて」
為も勘太ももどって来ないうちに、広厳寺の僧たちが、提灯をたずさえて、駈けつけて来た。
「たいへんな事になりましたものですなあ……」
凄愴な光景を見て、僧たちは歯の根をふるわせていた。
「どうなさるおつもりです、
「いま、土地の役所へ、使いをやりましたから、検視が来るでしょう」
「きついご迷惑がかかるかも知れませんな、死人もございましょう」
「四人ばかりは助かりそうもない」
介三郎は、小屋のうちをふり
「――が、ご心配には及びません。いい開きはそれがしが十分いたしますゆえ」
「
そうこうしているうちに、為と四、五人の職人がもどって来た。介三郎は人々を手伝わせて、怪我人たちの手当にかかった。
介三郎や石権や勘太などが、その
「……み、みやがれ」
「
と、うめきと共に、声に出していう者もある。
そのなかに花隈の熊も、片腕を斬られてころがっていた。番犬浪人の
「斬ろっ、斬るなら斬ろ」
大八は、血にあがって、いうことも少し狂わしく、わめきつづけていた。
為がいった。
「佐々の旦那。寺からいろんな物は借りて来たが、いっそのこと、寺の衆に頼んじまったらどうです。こんなうじ虫」
「わし達の手にかけた者だ、
「えっ、そんな面倒まで、見てやるつもりですか。寺に頼めねえなら、村の百姓家へでも運びこんでは」
「いやいや、百姓たちの迷惑になろう。こんな血なまぐさいものを、村へ持ちこむだけでもおもしろくない」
「では、どうするんで」
「この小屋が
「へえ……この寒いのに、ここへ寝泊りするんですか」
「ぜひもない」
「
「……まあ、そんなものかな」
介三郎は苦笑をうかべた。
提灯の灯と人影が一かたまりになってここへ来た。役人とすぐわかる。小屋に近づくまでのあいだ、枯れ草に提灯をかざしていた。血が黒く光るのである。
「ところのお役人方でござるか。ご苦労にぞんじます」
すすんで介三郎のほうからいった。羽織を着たのが、上役とみえる。この辺の海からあがるトラ
「おてまえは?」
「もと水戸家の臣、佐々介三郎でござる。よんどころなく」
いいも終らぬうちトラ
縛れ――と命じられたが、かれの部下は、介三郎のそばへただちに寄りつけなかった。
「なに」
らんと、
上役のトラ
「ともかく、参るがいい」
「どこへ」
「代官所へ」
「行く要はない。……それよりも、はやく死人、怪我人などの検視をすませてもらいたい。さもないと、手おくれになる重体もおる」
「なにをいう、その
これはトラ河豚のいうほうが常識では正しそうだ。しかし介三郎は、屈服しない。
「逃げかくれするこの
「いや、逃げるおそれがある。縄をうけろ」
「ばかなっ」
「なにが、ばかだ。十手が見えんか」
「この碑のできあがるまでは、死すともここを去る介三郎ではない」
「水戸家のご隠居が寄進とかお物好きとか聞いておるが、この碑はいったい何じゃ。かような場所へ、かような物を建てたりするゆえ、ところの者と、不測の争いを起したりいたすのじゃ。いずれにせよ、代官所まで参ってものを申せ」
「お役人」
「なにか」
「おてまえは、ほんとにこの碑が
「知らん……こんな畑のなかの
「ああ」
介三郎は、天を仰ぎ、
「……?」
トラ
介三郎の男泣きが
トラ河豚の連れている七人や八人のものでは、所詮、うごかし得ないことをかれも
「怪我人は何名か。死人は……どこに?」
などと、そそくさ、提灯を取って歩きはじめた。
そしてかなり時を費やして後、
「佐々介三郎とやら、これだけでは相すまんぞ。数日のうちあらためて呼出す。左様心得ろ」
いいすてて立ち去らんとした。
「しばらく」
介三郎は呼びとめていった。
「仰せの儀、かしこまってござるが、ひとつ、伺っておきたいことがある。――ご当所におかれては、賭博はお構いないものでござろうか。ご法令はないのでござるか」
「ば、ばかな。天下いずこに、そんな所が」
「しからばなぜ、白昼、しかも街道からさえ見えるところで、小屋がけで、かかる
「その小屋は、そのほうどもの小屋だろうが」
「露店が出、喰い物屋がならび、きのうきょう、このような雑沓を」
「畑の中まで、見廻ってはおられん」
「左様か。……したが、あの小屋のなかに
「だまれ。役人を何だと心得おるか。かならず
いいすてると、トラ河豚以下、足早に立ち去ってしまった。
小屋の中に枕をならべている怪我人たちが、寒くないように、また、雨でも降って来たときにも
そればかりではない。
朝夕には、
ともに、むしろを
「旦那、どうするんです」
石権は案じていう。
「もう年内の日も幾日もありませんぜ。このぶんじゃあ、とてもお石碑のまわりまできれいに仕事は終りませんが」
「どうも……ぜひもない」
「正月を越したくねえもんです。何とかして」
「不測の天災と思うてあきらめるのだな」
「旦那がそうお覚悟ならばようございますが……だが、あんな犬畜生みてえなのを、いくら親切にしてやったところで、
「まあ、そう悪くいうな。……かあいそうに、枕をならべて聞いている」
「
どうせ間に合わないものと、投げ出したか、石権もこの数日は、焚火にばかりあたって仕事に手を出さなかった。どう
けれど怪我人たちは、この十日ぢかくで、あらまし皆、元気を恢復していた。
ほとんど、完全にもとの体になった者も、幾人かいたが、まだ起きられないでいる者を捨ててゆくのは、さすがに彼等もしのびないところと見えて、癒った者は、まだ横たわっている者の看護をしていた。
「あれをみろ。やはりかれらとて、犬畜生ではない」
焚火のうえに、木の股を組み、それに懸けた
だが、かれほどな歓びを、
「当りまえだ」
と、聞えよがしにいった。
その声を、打消すように、
「おい、みんな」
介三郎は、小屋の人々を、振りかえって、
「どうだ、小屋の中よりは、火のそばで、みんなかたまり合ったほうが、暖かそうだぞ。起きられる者は、これへ出て来てわしらと一しょに雑炊を喰わないか」
すると、半分は出て来て、
「じゃあ、すみませんが、あたらせていただきましょう」
と、職人たちのあいだへ、小さくなって割りこんだ。
その中には、浪人者の
けれど、赤々と燃える火に、顔をあげているのが辛そうに、膝をかかえて、
ひとを見れば
「ご浪人。ご両所」
「はっ……」
「雑炊が煮えたらしい。さきにあなた方から箸をつけておやんなさい。拙者もいただこう。さ、茶碗をお出しなさい」
「いや、自分で盛ります。どうもおそれ入ります。これは恐縮千万で」
まるで人がちがったように、ふたりは肩をせばめて、茶碗をうければその茶碗を押しいただいた。
そのうちに、小屋のうちから、またひとりのそっと来て、介三郎にささやいた。
「旦那、わしらの飲みのこした酒が小屋にありますが、おあがりになりませんか」
「おう、
「持って参りましょう」
熊は大きな酒徳利をさげて来た。そのまま焚火にあたためて、介三郎がまず茶碗にひとつうけ、浪人の
けれど石権をはじめ、職人たちのほうは、かれらの飲みのこしなどをうけるのは
「なぜ飲まぬか。たれもかれも、眼のないほど好きではないか」
介三郎にいわれて、
「うまいなあ……」
ひとり介三郎は舌つづみ打って、
「こうして大勢で酌む酒のうまさ。貧しいためなおさらうまいな。だがこれは、酒の味か、人の味か。……考えてみると、わからんぞ。もし、たった独りぽっち、この寒夜に、この闇の野原で、飲んでみたとして、この味はあるだろうか。ははは、分りきったこと、芭蕉や西行でもなければ、耐えられることじゃない。……してみるとこれは、酒を飲むとはしているが半分以上、人間が
と、飲みほした一杯を、すこし距てている
「なんと、そうではあるまいか」
「それに違いありません。……いやなんとも、きのうまでの自分は面目ない限りでござる。何事もどうかおゆるしを」
「いやいやおたがいがその人間でござる。一日のうちでも、朝には善性をあきらかにして、善人となりながら、
「ありがとう存じまする。貴殿すらそうかと思うと、何やら、ほっと助かったようなここちがしまする」
「なんの、それがしなど、まだ未熟未熟。ずいぶん心がけながら、一日のうちにはまだ幾度か、ふと心が
「…………」
浮田甚兵衛のそばにいて、じっとさっきから介三郎の
「失礼ですが、それまでに、貴公はどこでどういうご修行をつまれたので……?」
「修行などというほどなことはしておりませんが、
介三郎は語りつづけて、
「その頃、水戸のご当主、いまの西山荘の老公には、大日本史のご編修を思いたたれていた折、ご邸内に
と、むすんだ。
牟礼大八が、また
「して、武芸はどこでご修行になられましたか」
「ほんの、たしなみ程度、何流というような、履歴は持ちません。それがしのいささか上手は、尺八だけでござるよ」
と、笑い消し、
「どうです、まだだいぶ残っていますぞ」
と、酒徳利をまわした。
焚火と酒と、たれの顔もみな赤い。けれど、酔うほどに、かれらは、きょうまで覚えたことのない情熱に
「ゆかしいご謙遜、いよいよ敬服しました。貴殿のようなお方こそ、真に強くてやさしい
と、浮田甚兵衛が代って、心からあたまをさげた。そしていうには、
「身の恥はもうつつめど及ばずですから、あからさまに恥ずかしいお訊ねをいたすが、それほどな
「いや、そこへ気づかれたら、ぜひ深くお学びあるがよい。何をつつもう。先頃、各

「それは、どういうご事績ですか。……もし、あの時、あなたがわれわれを、みなごろしにしようとしたら、みなごろしの目に遭ったでしょう。……数百年まえの
「では、おはなし申そうか。……たれか、焚火へ薪をもすこし差しくべないか」
「へい」
と、職人の
介三郎が、楠公を語るときは、石権を始め、ひとみをかがやかし、そのあいだ一語も発しないのが常であった。
また、花隈の熊だの、そのほか無智な者も、碑にたいして、日頃から疑問をもっていたし、牟礼大八や浮田甚兵衛と似たような、真人間への意欲をしきりと抱いていた折なので、みな神妙に耳をすました。
「この湊川で――」
介三郎はまず、遠くを指さした。
みな振りむいた。
ただ暗い冬の夜と、寒々しい枯野のなかを、湊川の水音は
「――
介三郎は、杯をなめた。
さし足した薪が、新たな焔を作って、どかどかと焚火を
「
焚火のけむりの上を、千鳥がこえて行った。たれも仰ぐ者はいない。介三郎の面からすべての眸はうごかなかった。
「――暗さは暗し、うしろに敵は迫る。度をうしなった足利勢は、ただ
「…………」
「正行はそれを見るや、追撃の兵をとめて、あれ救え、
「…………」
「夜明けの河水にひたされて、鎧の下着も凍えつらん、者ども、諸所に火を
「…………」
「あわれや
「…………」
「わしは、このはなしを思い出すたび小楠公その人はもとよりだが
「…………」
いくら語りつづけていても、たれひとり口をさしはさむ者もなかった。ただ鼻をすすったり、ぼたぼたと涙をこぼす
かれの話術がうまいためではない。かれ自身が、たれにも劣らぬほど、楠公父子、また楠公夫人を、崇敬していたからである。
その信念と情熱をこめて、
「
と、いい足した。
そして、更に、
「大義とはここだ。
聞き入っている人々は、うなずくことすら忘れていた。ここだけでなく、小屋の中に残って、藁ぶとんにくるまっている者まで、みな声もなく涙をながしていた。
「……が、わしは思う。
介三郎自身も、いつか語りながら泣いている。
そして、楠公夫人が、なお遺る幼児をいだき、三男の
わけて夫人が、良人の死後、一族もみな討たれて少ない
「ひと口に十二年というが、そのあいだは、

かれがここまで語ってきた時だった。何か頷き合っていた浪人の浮田甚兵衛と牟礼大八とは、ものもいわず、ふいに立ち上がったかと思うと、やにわに闇を衝いて湊川のほうへ駈け出して行った。
「あっ――どこへ?」
おどろいて、介三郎が腰を立てたので、ほかの者もすべて、
「おやっ?」
と、突っ立って、湊川の闇を見まもった。
駈け出して行ったきりもどって来る
「もしや?」
次には彼が、口のうちでそう呟きながら、まっしぐらに駈け出していた。
あとからあとから、みな続いて行った。さむらいだけに、ことによると、
たれも、すぐ感じたことは、同じだった。果たして。
介三郎たちが、湊川のながれに近づいて、
「あっ、身を投げたっ」
たれかがいった。
溺れ死ぬには十分な激流の深いところもある。介三郎も舌うちして、
「ええ、
と、河原へとび降りた。
すると――
そこにはふたりの衣服が脱いであった。風に飛ばないように大小が乗せてある。ぬぎすてた草履も二そく、ぴたりと揃えてあるところは、取りみだれた者の始末ではない。
「……はてな?」
水のうえは明るかった。
介三郎はそこに意外なものを見出したのである。水面から顔だけ出しているふたつの影だった。溺れもせず
眼のせいではないか。
岩の突角でも、そう見えるのではないか。
疑ったが、それを見たのは、彼だけではない。河原に立った者はのこらず怪しみの眼をこらして、同じところを見つめていた。
試みに、介三郎が、
「おううい。……
呼ばわってみると、初めて、寒流の中からその首は少し仰向いて、
「そうですっ。大八と甚兵衛でござる。どうぞ、お気づかいなく」
と元気よく返辞した。
いよいよ
「何をしておられるのか。この
と、質問すると、ふたりは異口同音に、
「おわらい下さい。こん夜かぎり、浮田甚兵衛、牟礼大八のふたりは相果て、明朝から生れかわるつもりでござる」
「なに、生れかわる?」
「さればで」
と、ふたりは、かがめていた身を水の中にざっと立てた。胸からうえを水面にあらわして大きく答えた。
「骨髄にまで沁みこんで来た半生の
いい終ると、また身を沈めて、ふたりはまったく動かなかった。
「ああ、かれらは、無自覚のうちに、
介三郎は、
ふたりはやがて川の中から上がって来る。もう寒そうでもなかった。体を拭き、衣服を着直すと、目もくれず、楠公碑の前へ行って並んで坐った。
そして、川の中から介三郎へいったことばを、また繰返して、
「無智不遜なるきょうまでの無礼は、何とぞおゆるしくだされい」
生けるひとへでもいうように、幾たびも罪を謝していた。
すると、そのふたりに
「何とぞおゆるしを」
と、一せいに伏し拝んだ。
ある者は、
「きょうまでの
といい、ある者は、
「あしたから、たましいを入れ代えます」
と誓い、またある者は、
「ご照覧ください」
と、いった。
介三郎も皆のうしろに坐っていた。
その証拠には、このとき突然、もう黙っていられないように、ぬっくと立ちあがるなり、
「おうっ、みんな、よくそういう気になっておくんなすった。決して、ひと事じゃあねえ。おれが生き証拠だ」
と、どなった者がある。
たれかと見ると勘太である。勘太はみなまでいいきれないうち、おいおいと泣き出していた。
一同はあっけにとられて、かれの狂態を見まもった。かれを知りぬいているはずの介三郎さえ、唖然としていた。
「聞いてくれ、みんな」
勘太は、わめくようにいう。
「なにをかくそう、おれの前身は、お
――ところがついこの春、水戸のご城下で、初めて怖い世間にぶつかった。多寡が菓子屋のおやじだが、骨身に
何を訴えようとしているのか、初めはよく分らなかったが、やがてかれが、水戸の城下に近い
勘太の前身を聞いて、みな意外な顔していた。
また、かれが
驚いたのは、佐々介三郎である。つかつかと勘太のそばへ歩み寄って、
「さては、おまえは水戸の者だったか」
「ご領民でございます。水戸のお名を汚すような」
「いやいや、前身は知らぬが、わしが知ってからのおまえは、見上げたものだ。何ぞ、身の上に仔細のある者とは疑っていたが」
「菓子屋の軒から。――ようし、いまにきっと、ここの店へ、上菓子を買いに来て、亭主に手をつかせてみせるぞ――と、そう心に誓った日から、そのままご城下を去って、あちこち、地道な働き口をさがしておりました。が、いい奉公口も見あたらず、箱根に来て、駕かきの仲間にはいっているところを……実あ旦那にお目にかかって、おすがりしたわけでございました」
「そうか。道理で……おまえのあの時の顔つきは怖ろしく真剣だった。いや、その後、ここへ来て
「旦那っ……伺います、正直に。……こうやって働いていたら、てまえは人間になれましょうか」
「なれる!」
「菓子屋へ行って、上菓子をくれといっても、辱しめられない男になれましょうか」
「なれるとも」
「いや、ここへ来てから、もうそんなけちな意地は突っ張っておりません。……正成公と同じ
「ばかっ」
介三郎は、力ある手で、かれの肩をつかんだ。勘太は、ぺたと坐ってしまった。
「なれないでどうする! いやどんな者だって、
すると、花隈の子分らしいのが暗い大地から、
「旦那っ、あっしらでも?」
といった。
介三郎は、力をこめて、
「そうだ――もちろんだ」
右へも、左へも、問うものへ、いちいちいった。
次の日である。
この楠公碑のまわりには、戦いのような活動が起されていた。ある者は石を磨き、ある者は土盛りをいそぎ、ある者は外側の柵の杭を打ち、ある者は参道を作るなど――必死といっていいような労働に美しい一致を見せていた。
街道を通る者は、眼をみはってみな意外そうに振向いて行った。
この辺のダニといわれていたならず者が、みな神妙に働いているのである。その仲間の顔役も浪人者も、いまでは、わき目もふらない真面目な一労夫だった。
喧嘩の晩、十手を手に、かけつけて来た土地の役人も、その後、例のトラ
かれらの協力で、その前の晩までに、すべての工は終っていた。一時は年を越えるしかないと介三郎もあきらめていたものが、予定どおり完成したのであった。
「長いことだった。さだめしおまえ方の
竣工の日。介三郎は、
ただこの四、五日のあいだ、必死に手伝ってくれた
「いや、そんな物をもらったんでは、わたし達のご奉公になりません。生れて初めて、
と、頑として受けない。
「いやいや建碑のできた祝いとして、
と、介三郎もまた、
「では、ありがたく頂戴いたすが、いずれ形だけでも、建碑の祭はなさるのでございましょう」
と、訊ねた。
「正成公の命日は、五月二十五日だが、
「では、その日にまた、ここでお目にかかるといたそう。みんなも、その日には、来るだろうな」
仲間の者へ念を押すと、たれもかれも、
「やって来ます」
「参りますとも」
異口同音だった。
小屋はその前にとり払われていた。怪我人はほとんど全治して帰っていた。石権以下の職人たちも、
「それでは、初春にまた」
と、各

勘太は家がない。
介三郎について
介三郎は、あくる日、委細を書面にして西山荘の老公へ宛て、
「飛脚屋に頼んで来てくれい」
と、勘太に託した。
勘太は、町の飛脚屋まで行った帰り途、気にかかるので、街道から碑のほうをすぐに眺めた。
すると、近所の者らしい百姓が、正月の
勘太は、それを見ると、飛ぶように広厳寺へ帰って行った。
そしていま
「もう湊川の碑の前には、朝から鏡餅をあげたり参拝している者が六、七人もおりましたよ。なかに人品のよい旅のお武家などもいました。若い女も見えました」
と、まるで自分が
介三郎もさすがに喜色をいっぱいに湛えて、
「そうか。そうか」
と
「日月いまだ地に堕ちずです。
といいかけて、ふと和尚の顔を見て急に笑い出しながら、
「いや、あなたは、僧侶でしたな。
と、さらに哄笑した。
広厳寺の和尚は、首を振って、
「なんの、そんなことはありません。寺院だから、僧侶だから、神をうとんじるなどということがあってよいものでしょうか。佐々さんにも似あわない仰せだ」
と、やや憤慨にたえない
「神を祭るのに、きわめて清浄を貴ぶ風習から、
和尚の言にうなずいて、介三郎はにこやかに、
「そうでしょう、庶民のうちにはいると、神も仏も、本来のものは稀薄になって、形のうえのことが、重大に支配して来ますから」
「拙僧はこう解しています。仏法渡来までの日本には、仏教はなかったのでありますし、神は日本とともに、その
「これはまた、寺院におられながら、思いきったご解釈ですな。仏徒の方々のうちには、そうはっきり考えているひとが、ほかにも多くありません」
「まず、少ないでしょう。むしろ神事の祭と対立しているように、
「対立などは困る」
「ですからはっきり拙僧の申したように、庶民も分っていなければいけません。妙な迷信や混信の弊もそこに生じましょう。拙僧の解釈はきっと仏徒には不平でしょうが、そもそも、はっきりした国体のうえへ、中古に
「同感ですな。貴僧から神祭の大事をうけたまわろうとは思わなかった」
「いやどうも、佐々さんに神祭の大事を説くなんて、これなん、釈迦に説法というものでしょう。――が、その釈尊にしたところで、彼は異国の聖者ですが、
「いや、うれしい。神をもって人にふれるときは、神でない人は世界にないようなここちがする。これがこの国の国風というものでしょうか」
「とはいえ、実は楠公碑の建立で、あなたがこの寺へ泊って下されたために、朝夕、いろいろなおはなしに接し、だいぶ愚僧も、あなたから学んで来たのです」
「それはご謙遜にすぎる。……が、借問しますが、貴僧のお説によると、
「神棚。……いやそれは、ありませんな」
「どうしてないので?」
「どうしてということもござらぬが、代々の
子ども、女、老婆、百姓、町人――通りがかりの旅人までが、大きな輪を作って、碑前に祭り合う人々を見ていた。
いま……神官がのりとをあげている。
両側に立ち並んでいる人々は、何かの事でこの建碑に関係のある者ばかりだった。
広厳寺の坊さんもいる。
土地の者が眼をそばだてたのは、その中に、
終って、

「お礼申します。
その日、佐々介三郎は、つねとは違って、新しい旅支度でここへ来ていた。祭がすむとともに、ここからすぐ水戸の西山荘へ帰るべく、一切の準備をすましていたのである。
かれが、改まって、そう挨拶をしたので、はや出立かと、
「もうお別れでございますか」
「まことに、お名残り惜しいことで」
などと

「旦那、ちょっとお待ち下さい。――いつぞや頂戴した
花隈の熊と、その子分がいった。
八百屋籠にはいった蜜柑、空箱に入れた切餅などが、そこに山と積まれた。介三郎は、かれらの性根から、きょうの
「やあ、ありがとう。では、わしも撒いて行こうか」
「みなさんも手伝っておくんなさい」
「よろしい」
「心得た」
広厳寺の和尚も、浮田甚兵衛や牟礼大八も、みな蜜柑や餅をかかえて、
「まつりじゃ、まつりじゃ。よろこべ、ことほげ」
「碑のまつり、人のまつり、世間のまつり、
ばらばらと、陽にかがやいて蜜柑は降る、切餅はぶつかってくる。
女子供も、年よりたちも、旅人も百姓も、嬉々として、蜜柑を追い、餅と戯れた。
それがすむと、花隈や生田の子分たちは、牟礼、浮田のふたりに従って、街道のほうへ歩いて行った。
そして、介三郎へ向い、
「きょう限り、旦那ともお別れですが、こんど何処かでお目にかかるときは、きっと、生れ
ということを、
「お国許へ、何よりのみやげだな」
介三郎は、連れの勘太をかえりみてそういった。幾たびも、振返った。湊川の白いながれも自分を見送っているかと思われた。
佐々介三郎が江戸へ寄ったのは、もう二月にはいっていた。兵庫からこう日数のかかるわけもないが、途中何かと公私の用を果して来たからである。
「いよいよ旦那とも、お別れの日が近づきました」
と、供の勘太はそれが苦になるらしく、日本橋の
「旦那、どこまで行っても、
と、自分からいい出した。
旅のあいだに、勘太の考えは聞いていたので、介三郎も止めようとはしなかった。ともあれ初志をつらぬいて、水戸の菓子屋の
「なに、ここで別れる? ……。これからどこへ参るつもりか」
「あてなどはございません。
「じゃあ、もう一晩
「でも旦那は、これから真っすぐに、水戸様の小石川のおやしきへおいでになるんじゃございませんか」
「もう日も暮れたから、
「この辺には、
「あれでよかろう。
浅草門から横へはいった裏町であるが、片側は柳や桐の火よけ地で、江戸の中だが田舎びている。家は小さく、客もすくない。二人はそこに
「旦那。断っておくのを忘れたが、風呂はないよ」
老爺ぶりがよいと、介三郎が特に認めたその老爺が来て――せむしのように腰の曲っているせいか坐りもせず、片手のきせるをうしろに当てたまま縁側から不愛想にいう。
「なに、風呂がない。
「風呂桶を
「それは」
と、軽い失望をもらすと、老爺はきせるを往来の方へさして、
「なに、すぐそこまで出れば、銭湯はいくらもある。安いのなら
食後。まだ宵のころ。
ふたりは手拭を持って、往来へ出て行った。
「勘太、行ってみようか」
「どこへですか」
「ちょうちん風呂とかへ」
「
「おまえはまだ、そういう所へ足ぶみするのは、
「何しろ、性根を入れ替えてから一年にもならないので、どうも自分でもまだ自分に保証がつきません。
「ははは。弱いやつ」
「旦那、おひとりで、見ておいでなさい」
「
介三郎にとっては、どっちへ入っても同じことらしい。何のこだわりもなく、色めいた町のほうへ曲がって行った。
「ああなりたいものだなあ」
勘太は、介三郎の影を、見送っていた。
「――もし、やましい気もちがあれば、ああいう風に、あっさりと
羨ましげな面もちでさえあった。そして、かれは反対なほうへ、黙々とあるいた。夜風に手拭をぶら下げて。
「――コレヲ最期ノ

太平記二十六巻の
勘太は、知己に会ったように、人ごみのうしろに立ちどまった。
原書に時々
だが、
見まわすと、あらかたの者が、町人層のうちの貧しい者だった。子を負った女だの、感にたえて眼を
近ごろ、どうかすると、この太平記読の小屋が、
もっとも、ほかの世間は、余りにも
まだ春さきのうすら寒い河岸ぷちに
「……そうだ、さきに湯にはいって来よう」
勘太は、つい聞き入って、
ここも贅沢とは縁なき衆生の来るところで、一枚のびた
その湯気の中で、ひとりの男が、ひとりの男へ、こう大声ではなしていた。
「おい、水戸様のご隠居様が、この頃、気が狂ったッてよ。
西山荘の老公が発狂したとは――うわさにしても余りにばかばかしいので、勘太は
「ほんとかねえ?」
と、湯ぶねの中のひとりはいう。
「ほんとだとも」
一方は流しへ上がって、
「おらあ今日、仕事先で聞いて来たのだ」
「この頃は、どこだえ」
「仕事場かい。神田橋内さ」
「じゃあまだ
「お
「へえ、また柳沢家へ、将軍さまのお成があるのかえ」
「いうなよ、あまり」
植木屋でもあろうか、自分のかかとと軽石を持ちながら、勘太をふり向いた。
勘太は、つんぼのように、体を洗っている。植木職人はすこし声をひくめて、
「水戸のご隠居が気が狂ったということも、ご家来衆の口から、そこで聞いて来たわけさ。まだ世間じゃ知らないらしいが」
「ふーむ……」と、感心して、
「えらいお方だと聞いているけれど、
「将軍家の
「なにか、乱暴でもするのかな」
「いろいろやるらしいよ。だが、なんたって、前中納言、ご三家のうちだ。めったなことは洩れないように、
果ては、見て来たようなことをいう。また、聞き手のほうも、あいての者がいよいよ図にのるようにいちいち感心して見せる。
勘太の影は、いつのまにか、体をふいて、
植木職人の男は、外へ出るまでしゃべりつづけていたが、あいてが、
「じゃあ、おやすみ」
と、湯屋の軒からわかれてしまったので、太平記
――で、また戻って、河岸をすこし歩いて来ると、自分のまえに、突っ立っている男があった。
勘太である。植木職人は、ちょっと足をすくめたが、
「なんでえ、へんにおれを、
と、鼻ッぱりを示した。
勘太は感情がかくせない性分らしい。気がついて、あわてて
「ごじょうだんでしょう。追剥ぎなぞじゃございません。ちょっと、伺いたいことがあって」
「おめえはいま、銭湯のなかにいた男だろう」
「そうでございます。おはなしを聞いていましたところ、水戸様のご隠居が」
「おいおいそんな
「往来でいえないことを、銭湯で仰っしゃるのは、おかしいじゃございませんか」
「喧嘩を売るのか」
ばっと、大きな
口よりも手が早いのを自慢にしているここの小市民だった。不意をくった勘太はおどろいたが、相手は当然なように、
「土百姓め!
と、大きく見得を切った。
古来から極めて尊重されて来た「百姓」という
将軍さまといえば、無上のものと思い、希望といえば、やりたい
だが。
今日その、やりたい三昧をやり得ている将軍家以下の武家権門の
三河武士が主君
家康も幼少、三河も弱小であった時代には、稗、粟さえ満足に喰えなかったのが――いまの諸大名や旗本の祖先たちであった。
こういう語り草さえ残っている。
近藤なにがしという藩士が戦功によってすこしばかり
ところが、財務の
(ご加増は返納申しあげたい)
と、家康へ断りに出た。
家康は、事情を聞いて、処置に困ったらしく、そのときこう
(数年前、わしが城外を見まわりに出たことがある。その折、田の
と、
近藤なにがしは、感泣したきり何もいえなかったとある。
こういう例を見ても、いまの諸侯や旗本の祖先が、どんな艱難の中に、志を立てていたかがわかる。その祖先といっても、まだ決して遠くはない。いまの元禄人士からつい二代前か、三代前の人々である。
それはともかく。
勘太もまた、いまの人間だし、百姓ということばをやはり
「百姓がどうしたと?」
いうやいな、あいてが自分を撲ったとおりに、あいての横顔をはたきつけた。
与えた打撃の度は、もちろん勘太の手のほうが強かった。さきの十倍もある力で返した。
撲り返したとたんに勘太は後悔していた。
そのときかれの頭にはまだ十分な反省があったのである。だからすぐ次には、逃げだそうとしたものを、
「やったな」
と、あいての男は、よろめいた身を
ほとんど自覚なく勘太は身をすこし沈めてあいての者を肩ごしに投げつけていた。
もういちど、その男は、
「やりやがったな」
と、顔じゅうを、火にして起ちかけたところを、
「見損なうな」
と、勘太も
「みんな、来てくれえっ。この野郎を、たたんでくれっ」
必死に、勘太の足にしがみつきながら、大声でたれかを呼びはじめたので、勘太も逃げようと努めたが、離せばこそである。
「ええい、面倒くせえ」
本来の兇猛性がついにかれの中で
自分を追うものの跫音が、すでに近く聞えていたからである。
――ひとごろし。
――辻ぎりか。追いはぎか。
――逃げたぞ。河岸ッぷちへ。
そんな声々に、逃げまどった勘太は、
「
たちまち見つけた
そのうちに、石の一箇が、勘太の
二、三人を傷つけただけで、かれは、大勢に組みしかれていた。
そのうえ、かれを捕えた町人たちは、かれの処分について、また喧嘩をしはじめた。
そうされなくても、勘太はもう十分に打ちのめされていた。もう虫の息のように、うごきもせずにいたが、まわりの囲みに、隙間を見たので、ふいに躍りあがって、驚く人々をつき仆して、猛然と町の闇へ駈け出した。
こんどは足のつづくかぎり逃げた。そして夜の更けるのを待ってようやく元の
表の戸は閉まっていたが、手をかけてみるとすぐ開いた。自分の帰りのおそいのを案じて、寝もやらずにいる佐々介三郎のすがたがもう眼に見えるここちがした。
「……いま、帰りましたよ」
そっと声をかけてみたが、旅籠のおやじもその家族も、土間のそばの一室に
そしてただ奥の一間にだけ、まだ寝ない明りがあかあかとさしていた。
手さぐりで
こんなすがたを不意に見せて、介三郎を驚かせては済まないと考えたにちがいない。かれは土間の戸をそっと開けて裏へ抜けて行った。――井戸がある。
小桶へ水を汲みあげた。額の血をぴしゃぴしゃ洗う。手足の泥、着物の血しおなど、星明りに見つけて
「…………」
ほっと息をつきながら見まわした。屋根をわたる小猫の跫音にもまだ神経がすぐ
小桶の水をあけて、また満たして、終りの一杯を、かれは、明りのもれている濡縁の下まで持ち運んで来た。そして片足ずつ入れて雑巾で拭いていると――
「は、は、は」
「あははは」
閉めてあるそこの障子のうちで、明りも揺らぐばかり、大きな声してたれか笑った。
一方の声はたしかに介三郎にちがいないが、もうひとりは誰だか分らない。――勘太は、そこの部屋に、客が来ていようとは、いままで、気づかなかったので、急に、身をすくめて、上がるのをためらった。
部屋の中はまた、ひとがいるのかいないのか分らないほど、ふたたび小声に返っていた。夜も更けているし、同じ棟に眠っている相客たちもあろうかと、遠慮しているらしく思われる。
だが、その
「――いや何もおれとて、老公のなされているご事業にたいし、またご精神にたいし奉り、
これは客の声である。
介三郎は答えていう。
「老公がいつも口ぐせのように仰せられるのは、死後の花見ということだ。生きている短いあいだにしたことを、生きているまに、その効果をご覧なされようとはお考えになっていない」
「百年の後を待つということか。なるほどそれは、老公のご人格らしいし、またゆかしいお心がけにはちがいない。けれど、いちど根まで枯れ果てた木から花は見られまい。世の中の
「心配するな、又四郎、まだそこまでは元禄の世も腐ってはいない」
「いや、貴公はあまり知らないからであろう。西山荘にいなければ、古書や遺蹟をさぐって歩き、また楠公碑を建つことにも、一年あまりか没頭して、京、大坂や江戸の世相を――いやその裏面をふかく観られる機会も少ないため、いわば世俗のことにはうとくおられる」
「どれほど、世相が
平常無口で無表情で「棒」といわれているほどだが、何か心火に触れると、たちまち激情を発しるだけでなく――それを実行せずに
その「棒」の又四郎、すなわち人見又四郎が、
天こうせんを空 しゅうするなかれ、はんれい
の一句を、西山荘の門前に書きのこして、去年、夕方、勘太と共に外へ出て――勘太とはべつに、
もとよりふたりは共に西山荘に仕え、老公の
(ここは夜どおしでもいいのだから、夜を徹して飲もうではないか)
と、ある限りの湯女を一席にあつめ、ある限りの酒と
(ああいう場所では話せぬこともあるから、おれの旅籠へ来てごろ寝をしないか)
と、この
ここには元より乏しい火の気と渋茶の
渋茶を飲み飲み、ふたりは心のそこのものを、たがいに
「…………」
又四郎は、さっきから黙ってしまった。この男が黙り出すと、あいての根気を疲らすのであった。うすあばたのある人好きのわるい顔が、むッそりと不愛想極まる眼を反らしていると、たいがい
「おい。どうしたい?」
介三郎がやがていうと、
「どうもせぬ」
という返事である。
「眠くなったか」
「ばかをいえ」
「……では一体、さいごのところ、おぬしは現状の世にたいして、どう生きて行こうというのか。まさか、
「どう生きて行くと? ……おろかなことを、おれは、どう死のうかという死に方しか考えていない」
「同じことではないか」
介三郎が、かれの浅薄を、叱るようにいったときである。どこか更け沈んだ裏の遠くのほうで物音がした。――ばりばりと竹でも折れたような響きであった。
ふと、ふたりとも、口をつぐみ合った。しばし耳を澄ましていた。
――が、それきり何の気はいもなかったのでまた、介三郎のほうから、
「老公のお怒りも覚悟のうえで、西山荘を出奔したからには、いずれは――生きようなどという道を選んで出たのでないことは分るが――それにせよ何をそう思いつめたのか。又四郎。おぬしはちと行き過ぎておりはせぬか」
「自分ひとりなら知らぬこと。
「江橋はいま、どこにおるか」
「やはり江戸表に来ておるが、近頃、あるところへ住みこんでおる、訊いてくれるな」
「訊くまい。それは。……しかしおれが貴公の胸を叩くぶんには、いくら問いつめてもかまわぬと思う。君とおれとの交友だ。ゆるすだろうな」
「む、む。何を……」
「およそ察してはいるが、おぬしの抱いている真底の目的を。意図を。――打ち明けられぬか」
「
「もとよりのこと」
「また、止めてくれるな」
「それほどの決心なら、止めても止まるまい。とにかく聞こう」
「老公が職におられた時から、暗に老公のご献策をさまたげて、ご退職後は、わが世の春と、いよいよ思うままに
「その
「万民のため、かれを刺す。つづいてかれと結んで、水戸家のうちに、自己の野望をもくろんでおる不敵な賊臣――
「……そうか。……よかろうといいたいが、世の中というものは、また、時流の
「その禍いのないようにおれはすでに水戸の臣籍から浪人している」
「そんなことでは……」と、つよく否定して、
「ともあれ、血気はよせ、力でへし曲げようとするような覇気はつつしむことだ。老公のお考えは、もっと遠大なところにある」
「間にあえばいいが、間にあうまい。やがて吉保は宰相にものぼり天下を
「そうしたら、そうさせておけ。歴史をみろ、長くつづくわけはない」
「そんな世に一日たりと生きていたくはない。黙視しておれるものか」
「とにかく、いちど帰参したらどうだ。おれが帰るとき
「ば、ばかな」
身をふるわすように、又四郎はつよくかぶりを振ったが、そのとき、二度目の物音が裏のほうで耳近く聞えた。――そこの破れ垣根からむこうは、稲荷の森だったが、さっきからその辺を、無数の
「待て。……はてな?」
介三郎は手をあげた。又四郎の口を抑えるようにである。そして、
又四郎の耳もそばだっていた――あきらかに、ただならぬ気配が、障子の外にまで迫っている。灯の気が、急に
「何者だっ!」
障子へ向って、膝を建て直すとたんに、かれは
介三郎もまた、さっと、うしろの
猫の跳ぶような跫音が、ばらっと、縁の上から下へ降りた。ひとりやふたりの物音ではない。
又四郎は、ふり向いて、介三郎へ小声をかけた。
「……迷惑をかけたなあ。隙を見て、外へひっぱり出すから、貴公は、そのまま坐っていてくれ。貴公を縄にかけようとはしまい」
「迷惑などかまわぬが、何だ……いったい?」
「町奉行の手先だろう」
「
「捕手に追われる覚えはないが、罪のあるなしなど問題ではないのだ。いまの幕吏の半分は、吉保の私兵といってもいいものばかりだからな」
「もう、先にも、
「水戸浪人と聞くだけでも、吉保はおぞ
いい終ると、又四郎は、身をのばして、ふッと行燈をふき消した。そしてそのまま、介三郎のそばへ寄って来て、かたくかれの手を握りしめていった。
「
がたっと、障子の
「――何か用か、野良犬たち、外へ行こう。ここは
あたりの暗がりへ向って又四郎は話しかけていた。井戸の影にも、木の影にも、縁の下にも尻に根の生えているような人影がうごかずにいた。又四郎はくつくつ笑いながら、裏手の垣根をこえて、
だが、かれのあとを、すぐ追いかけて、組みつこうとする者も縄を投げる者もなかった。
この辺の
「……おかしいぜ?」
「神田河岸で、植木職の
「あの田舎者も、たしかにさっき表から、この旅籠へ
「じゃあ、ほかの部屋だろう。宿のおやじを起してみろ」
やがて、群れかたまった、大勢の影は、がやがや評議していたがふと縁の上を見ると、そこに、大刀を杖ついて、じっと自分たちを
「何があったので?」
旅籠のおやじが眼をさまして起きて来た。ほかの部屋でも眼をさましたらしい物音がする。介三郎は、まだ縁に立っていたが、
「いや、何でもない。わけは明朝話す。ほかの客たちにも、眠ってくれるよう、詫びておいてくれい」
おやじは、
介三郎は、戸ぶくろの雨戸を、引き出そうとしかけた。すると眼のすぐ下に、何やら黒いものがうごいている。縁の下からそれへ這い出して来て両手をつかえている勘太だった。
「あっ。勘太ではないか」
思わず出た大声に、介三郎は自分ではっとしたくらいである。どうしたろう? もう戻って来なければならないのに? ……と、又四郎とはなしているまも心にかけ、いまもいまとて雨戸を引出しかけながら案じぬいていたところだった。
「なんでそんな所に坐っているか。勘太、なぜ上がらないのか」
すると勘太は、
「申しわけありません」
と、ばかりいって、しばらくは顔を上げなかったがやがて、じっと仰いで、
「すぐ、お別れ申しますから、ここでお詫びだけして参ります」
「なに、別れに来たと。あしたの朝でもよかろう」
「それでは、気がすみませんから、夜の明けないうち、自分から自首してまいります」
「自首して出ると? ……何をしたのだ、いったい」
「ひとをひとり打殺しました。些細なことから、銭湯の帰り途に」
「えっ、おまえがか?」
介三郎は、耳を疑った。
今日までかれが側において見ている限りにおいて、こんな柔順な男は少ないとすら思っていた。いくら勘太自身が自分の口から前身をはなしたり、その時分の兇暴だったことを語ってもそれはいまの勘太とは違う人間のようにしか聞かれなかったのである。
「……う、う。そうか」
介三郎はうめくようにいってから、畳の上の行燈を手にさげて来て縁においた。
洗っても洗いきれない血のあとやら、
「湊川でも、あれほどな我慢のできたそちが、なんでそんな乱暴したか。勘太、わけがあろう。何かわけがあろう」
「あとで、考えてみれば、大してわけもありません。ただ、銭湯の中で、水戸のご隠居さまが近ごろ気が狂ったと、うわさしている男がいまして、そいつが、柳沢家に出入りしている植木職の
「なに、お国表の老公が、ご発狂なされたと、町はうわさしていたか」
「嘘か、ほんとか、何しても、聞き捨てにならないことと、その男が、銭湯を出たあとをつけて、呼びとめたのが、まちがいの
勘太は何べんも頭を下げ、また何べんも介三郎のすがたを仰いでいた。
夜が明けては――と気が
ふつうの諸侯のそれよりは倍も広い。もっともここも以前は水野、松平の二家にわかれていたのを、吉保が住むようになってからひとつに併せてしまったのである。
「いちどは、こうしたやしきの
独り数寄屋の一室にさっきから長いこと待たされていた客は、
「どれ見ても、大したもの」
彼には、そういうものを
上流のひとと交わるには、また文化人のあいだに出る話題から
いま、この客をみると、いかにもそうした社交人のあいだにおいて、五分のすきもないほど、ぴったり時勢にあてはまっているさむらいだった。
年はやがて五十にもとどこうが、そうは見えない。ゆかしげに上品に、総じて若づくりのせいもあろうが、髪はひとすじも白くなく、きれいになでつけ、
――うしろの
音もなかったほど静かに。
そしてひとりの美人が、かれの前に茶を改めた。
すこし
「まことに、お待たせいたしました。あいにくと、お
吉保の侍臣からいわれて来たことばを、そのまましとやかに告げると、客は、
「いやいや、ごもっともでございますとも、
さきは
「では、もうしばらく……」
「……さて、表の客も、
すこし
このひとのことを、世評では名家老といっている。
武家やしきには、ひとつの剛壮な様式があるが、ここの廻廊に立つと、多分に京風が加味されてある。
廻廊に
主人吉保の好みであろう。
夕方から数寄屋のほうには、ぽつねんとひとりの客――水戸家の藤井紋太夫が来て待っているというのに――ここの客書院では、興も
「もう、もう……」
客は
「――近江は、牛のような」
と、吉保は笑った。
座の美姫たちも――笑う。
「牛とは、おひどい」
庶民に向ったら、どんなに
吉保はことし三十六、どこか貴族気どりに取り澄ますくせはあるが、笑うと実にきれいな歯を見せ、座談といい、すがたといい、いかにも垢ぬけのした知識人という感じを誰もうけるらしい。
「ゆるせ、もういわぬ」
かれはまたそう機智をいって笑わせた。洒落というものを近ごろどこかで覚えて来たらしい。紀の国屋文左衛門などという町人とも、格別の交わりがあるので、文左衛門をめぐる俳諧師や画家などと
――が、その重秀もそのなかまとみえ、決して眉などはひそめない。むしろ笑いたくない場合も
「さすがのてまえも、今日の
「待て、酒はすすめぬ。
「ありがとう存じますが、明るいうちから、まだ
「……む、む、数寄屋の客か。……あれはまだ待たせておいても大事ない」
「どなた様ですか」
「水戸の……ほれ、あれじゃ」
「藤井紋太夫とやらで」
「されば」
「非常な才人だそうでございますな。よくうわさを聞きますが」
「さようか」
「失礼でございますが、水戸家における柳沢侯じゃという評をなす者などございます。おそらくあなた様につぐ才人であろうと……」
重秀はここまで調子にのっていいかけたが、かれの顔を見て急に口をつぐんでしまった。
自分と似ているような存在――対比されるような才腕の持ち主を――たれも好かないのはひとの通有性であることに、ふと気がついたからだった。
「ふム……そうかな」
吉保の返辞は果たして白々しい。
およそ泰平の世に、吉保ほど破格な出世をして来たものはなかろう。
すべて将軍綱吉の恩寵によることはいうまでもない。
いま、五代綱吉の
その五士とは。
まず柳沢吉保を筆頭に、
一僧とは、たれも知る、綱吉の生母
だが、その五士のうちでも、はや
寵はいま、吉保一人にあつまっているかに見える。荻原重秀のごときは、吉保に附随しているために――五士のうちに数えられているといっていい。
もっともかれの職は、勘定奉行という要路にあったから、そして経営の才物にはちがいないから、綱吉も重んじ、吉保も利用し、身分は三千石前後だが、隠然たる一方の力量であったことは間違いない。ただ上官への
吉保の出世にしても、決して、理由なく築かれたものではない。
二十三歳のとき、綱吉が五代将軍の職につくとともに、抜かれて
(この男こそは)
と、無二の者と思いこませただけの誠を尽して来たことは、これも、ちがいのない事実である。
だが、かれの誠意は、奉公というよりも、奉私に近いものだった。天下の政務に仕えることをわすれて、ただ綱吉という人間に仕えすぎた。そういう嫌いがあるというよりも、余りにあり過ぎて、ために政治が
いったい、吉保もそうだが、綱吉将軍も世間に思われているような暗愚なひとでは決してない。
むしろ名君となる質があったひとといってよいのである。
壮年から好学のひとで、学問においては、おそらく臣下のたれもかれに
十何年間というもの、紛争に紛争をしつづけていたが、幕府の
しかも綱吉が、就職の第一に手をつけた時務のひとつであった。
(この将軍家が出ては)
と、戦慄もしたり、また末たのもしくも見たり、とにかく大きな期待をもたれたものであった。
ところが、だんだんちがって来た。かれの母に仕えるのは大孝でなく小孝にすぎなかった。生母
もっと
名君の質のある人でも、名君といわれるまで、生涯をつらぬくには、容易な人間達成ではない。
なぜなら、王侯の位置にいて、周囲から甘やかされ、わがままも自由にきく境遇にあるだけに、人なみな身の処し方では、名君たり得ないからである。
綱吉はたしかに、名君の質だった。けれど、将軍の職たる中途で
それが、常人ならば、かれはついに駄目だったというだけですむが、為政者の首脳だけに、一世を
かれをそうさせた者が、輔佐の侍臣にあるとすれば、吉保の罪は個人的な罪ではすまない。
「
と、一部に義憤の声のあるのは、そのためである。
世上に聞えているうわさでは、水戸の副将軍が退いたのも、吉保の策謀だという。
いや水戸さまと綱吉将軍とは、元来がご気性があわないのである。将軍家がおきらいなのだ。ために、水戸さまは
すこし
吉保と光圀とは、まさに正反対なひとである。
その施政方針も。
また日常も、家中の風も。
思想も――といいたいが、柳沢吉保とても、皇室、国家、というものにたいしてだけは、そう光圀と
かれはただ、より以上、おのれを愛しすぎる人間だった。精神のひとでなく、物のひとだった。いやそういうよりも、幕府至上のうえに立った
かれには自己の家運とか子孫とかは案じられても、国家の永遠にたいしては二義的な考えしか持たなかった。
当然、光圀とは、生命観も、国体観もちがう。
さりげない座談のうちにも、ふたりは相合わぬものを、どうしようもなかったに違いない。
しかも、このふたりも、君側にあった、綱吉の補佐だった。
綱吉は、光圀を避けたのであった。吉保に傾倒したのである。――この大きなわかれ目から吉保のほうへ傾いた綱吉には、元来からそれだけ
吉保は、事々に、光圀を
桂昌院も、光圀はきらいであったし、大奥の女性群はほとんど、光圀の国策はよろこばなかった。吉保の幕政を支持した。ここの声は、将軍家をうごかし、副将軍をのぞき、政治をゆがめることなど、
わが世の春は、いまや吉保に来かけている。大奥の女性には女性らのほしいままを、将軍家の小欲にはまたあらゆる栄華を、それから自分にも。一門にも。
さて、その夕べ。
客の
いかにも
のちに思いあわせると、それから二年と経たないうちに、悪貨
幕府に金がなくなって来たのである。綱吉の栄華や大奥の奢侈に費やされたことももちろんであるが、大奥の女性を経て、
ひいては、世をあげて、
重秀は、勘定奉行の
(これは、貨幣が足らないからである。質よりは数の問題だ。寛永このかた、文物の進歩や社会の推移は著しい。にも関わらず、貨幣はそのままになっている。――当然、
こういう経済観の
純良な
分りきっていた結果は、そのあとで、当然にあらわれた。物価の
(これは柳沢どのと、荻原近江守とが、
とまで、諸人の
それは後のことだが、下地の相談は、すでにこの頃からあったかも知れない。――吉保は、重秀が立ち帰ると、
「ああ、ちと酔うた」
と、ものうげに、両手をうしろへ落し、
「殿。……昼からのお客つづき、おつかれでございましょうが、なおおひとり数寄屋のほうで、久しくお待ちでございますが」
もしや忘れているのではあるまいかと、侍臣がおそるおそる促すと、吉保は、はっきり覚えているらしく、
「水戸家の藤井か。……どうせ夜に入ったことじゃ。まあよかろう」
と、なお悠々
「
と、たずねた。
かれが、つかれるとよく
「は。早くから呼びおいて、別室で夜食を与えておきました」
さりげなく、侍臣はいったが、ふと「夜食」ということばを、用いた者当人が、はっとした
吉保のことを、世上で「夜食の少将」とあだ名していることをふと思い出したからである。けれど吉保には何の
「……どれ、会ってやろうか」
やがて、身を起すと、廊下を遠く渡って、数寄屋のある
新殿は
数寄屋もそれに附随していた。
本殿はみだりに
「お。……お見えらしいな」
水戸家の臣、藤井紋太夫は、遠く夜を
「お待たせいたしました。こちらへお通りくださいませ」
美しい
遠く、紋太夫は座をとって、時候のあいさつから始まって、目通りのかなった歓びなど、礼儀はいんぎんを極める。
吉保は、あっさり、
「待たせて、気のどくであった」
と、いったのみである。
それから雑談にうつるとすぐ、
「みな、遠慮せい」
と、左右の者、すべてを、遠く退けてしまった。
「その後、西山のほうは、変りはないか。隠居の動静は、近ごろどうじゃな」
「まったく、百姓めかして、他念なげにはお見うけされまするが、本来、豪毅なお気性、あのままとは存じられませぬ」
「もとよりのこと、ゆめ、あの隠居には、油断はならぬ。天下に怖いものはないが、この吉保にも、あの老人だけは苦手である。思えばそちはよくもよくも、ああいう主君の
「おからかい遊ばしては困ります。そういう論法でいえば、あなた様が将軍家や大奥をうごかされる才腕など、何とお
「ははは。さほどでもない」
「ご謙遜です」
「いうな。口舌では、
「――が、てまえの望みは小さく、あなた様のお
「何しても、助力してくれい。わしの望みの成るは、そちの望みが成るも同じと思うて――」
「さればこそ、水戸家だけでも
「いや、いや。不満どころではない。水戸殿をして、隠居のほかなき窮地へまで追い
「水戸のご隠居には、ご在職中から、
「そうだ、今とても。……将軍家のお心もまた」
「……ですが、ほんとのところは」
紋太夫は急にあたりを見まわし
「ほんとのところとは?」
吉保も、要心ぶかい眼をちらと光らせた。奸智は奸智を知る。ふたりは共に、乱世の臣なら一方の
紋太夫は、うごかさぬ程な唇から、にやりと囁いた。
「……打割ったお胸のなかを、敢て、臆測しますならば、あなた様が、将軍家のお
「では誰じゃというか」
「まだお
「なに。なに」
これほどあわてた顔色をひとに見せたことがこの人にあるだろうか。それを紋太夫は、すこし身を低めにしながら、じっと、仰ぎ見ているのであった。
「ばかな。……めったなことをば」
うち消そうとするのを、
「おかくしなさいますな」
小声だが、強い
「――すでにてまえは、水戸家の重職にありながら、先主
「たれが、そうでないと、そちを
「ご銘記ください……」
紋太夫は、凄味のある眼を、すぐ
「――てまえにしてみれば、その事は、実に、職を
「さればこそ、
「なぜ、もう一歩、吉保のために、あらゆる智もかせ腕もかせと、てまえをお用い遊ばしてくださらないか。ひがみでもございましょうか、紋太夫はそうおうらみに存ずるのです。――あなた様のお望みが、老中の職や、諸侯並ぐらいなもので、ご満足あろうとは、てまえには信じられません」
「…………」
吉保は、斬りこまれたかたちである。が、大きく
「……惜しい男だ。紋太夫、そちが水戸家の老臣でなかったら、いまでも、もっと要職へ登用してやれたろうに」
「おことばですが、てまえにも望みがあります。あなた様のお望みを小さくしたようなものが。……それを知るものは、あなた様よりないはずです。また、あなた様の遠大なお胸の底もおそらく、紋太夫しかまだ知りますまい」
「油断のならぬやつ。もういうな」
「いいますまい。――が一言、お
「……。シイ」
吉保は、手をもって、彼の口を制しながら、
ふすま越しに次の間から小姓の声がしている。遠慮を命じられているので無断に開けないのであった。吉保はふと気づいて、
「なにか。開けてもよい」
と
「
小姓のことばを聞くと、吉保は急に思い出したらしく、
「そうそう、夕方から待たせてあったな。待ちくたびれたと見える。もう
ふすまが閉まる。
小姓の跫音が静かに遠ざかると、紋太夫はかれに訊ねた。
「杉山検校でございますな」
「そうじゃ、時折、眠りにつくまえ療治してもろうておるが、老人気短か者で、よう
「
「そちの長座ではない。吉保の身勝手じゃ。まあ話せ」
と、かれにもなお、紋太夫を通して、訊きたいことがあるらしい
吉保の気にかかるのは、何といっても、光圀という存在である。その後、まったく世を遠く離れて隠棲しているに違いないが、かれには、むしろそのほうが捕捉できない気味悪さであった。
「西山の隠居には、昨年から、兵庫の湊川とやらに、楠公の碑を建てにかかっておるとか聞いたが、もう出来たのかな」
「係りの
「どういう本心かの」
「本心とは」
「隠居の考えのあるところは。――水戸の田舎にひき籠って、鍬など持っているかと聞けば、古文書や史籍を借ると称して、
「一切、お
「いつか
「それは公儀へも、ちゃんとお届けした上の公然なる旅だけを仰っしゃったのでしょう。どうして」
と、紋太夫は失笑をもらして、
「なかなかそんなものではありません。三十四歳で当主につかれるまでのあいだは、何分、ご自由でしたから、お

「どこへ行ったのか」
「
「ふム……。その頃、そちは?」
「まだ、お小姓の端、ちょこなんと、加えられたばかりの幼年でございました」
「その影武者めいた幾人もの家臣は、いまでも、西山荘の隠居の身近におるのであろうか」
「いや、お若い頃のことです。その後はもう……」
「とにかく、正面を見ただけでは、
「あなた様とは、よい
「そうか」
「いまのところでは、たしかにあなた様のご勝利といえましょう」
「……紋太夫」と、吉保のあたまはべつの方へ向いていたらしく、
「――そうして、水戸どのが若い頃には、
「もとよりです。ちと口外を
「かまわぬ。邸内の深殿、ここには、ひともおらぬし」
「極秘ですが、
「何のために?」
「ご
「でも、水戸は三家の一、また黄門光圀は、
「いや、あの方には、そういうご思慮はとんとありません。何を仰っしゃるにも、大義と国体です。権現さまの幾多のお子お孫たちのうちにも、たったひと方、とんでもない
「何しても
吉保はそろそろ寝所を思うて、杉山検校の療治の手に、安々と身を横たえたくなって来たらしい。眠たげなつかれを顔色に
「時に。……紋太夫」
と、話題をとばした。
「いい忘れていたが、昨年、そちの手から贈ってくれた献上の名花は、においといい、色といい、稀な名花には違いないが、ただひとつ、困った癖がある。あれには、ほとほと
「名花? ……。あ、あの、てまえよりさしあげた
「そうじゃ。
「お困りとは、どういう点で」
「あれが当家に来てから、はや一年近いし、そのあいだ、将軍家のお成りも、一、二度ならずあったが、
「ははあ。すがたに似あわぬ
「何せい、いくら美しくても、唖では困る……」
「すこしご
「そうもなるまい」
「てまえが責めましょう、折を見て。……いや、いまでも、これへお呼び下されば」
「実は、お蕗の身は、惜しいものだが、そちの手へ戻すしかないかと、あぐねていたところじゃ」
「もう一応、説きもし、責めもして、その上におきめください。てまえの手に帰って来れば、
「生かしてはおけぬ?」
「何せい、
「
と、吉保は急に冴えた
「では、呼んでみるか。……これへ」
「そう願えれば」
「しかし、わしは検校を待たせてあるが。――こういたそうかの。お蕗を隣室へ呼んで話せ。わしはここに寝ころんで、検校に療治してもらう」
「検校は
「盲人には、隠してもむだじゃ。わけて勘のよい杉山検校、諸家の内事は、みな知っておる。しかし、わしへ叛くようなことはない。紀の国屋文左を、当家へ
吉保は、小姓を呼んで、
「検校をここへ」
と、いいつけ、また、べつの家臣には、女部屋の
出入りの自由を禁じた特殊な一棟があるとみえる。
そのとき藤井紋太夫はもう席を次の間へ
「
と錠番の者や、ほかの家臣をしりぞけた。
ふすまを隔てて、吉保は、
検校はもう七十近いので、耳は遠く眼はもとより
(
という世評があるので、吉保は、そのままを信じてもいなかった。だが常々、かれには十分な恩恵をほどこしてある。諸家の内事を訊ねたり、何かの
「検校」
「はい」
「
「はい」
「そのへんを、ちと強く」
「ここで……」
「むむ。待たせたの、こよいは」
「困りました。他家へまわるお約束がありましたので」
「他家とは、どこか」
「ご老中の……」
と、いいかけて、検校はふと、見えない眼を、ななめに天井へ上げた。ふすま越しに、紋太夫の声がしたからであろう。
あり得ないことが世の中にはままある。
どうして、かの女がここに。
また、かの女の母は、いまどこにあるか。
それらの経路を知るものは、お蕗自身と、藤井紋太夫しかないようである。
紋太夫は、はなしかけた。
「蕗どの。体でもすぐれぬか。ちと顔いろがわるいが」
「…………」
「折入って、ちとはなしたい儀がある。もそっと寄らぬか。――何を遠慮。そなたの
と、自分のほうからにじり寄って、かの女の眸を正視した。
「蕗どの」
「…………」
「こよい、所用あって、吉保様にお目にかかって、何かのおはなしの末、聞けば、そなたはここへ来てから、とんと物をいうたことがないそうではないか」
「…………」
「将軍家のお成りにも」
「…………」
「将軍様が、怪しまれて、
「…………」
「それは、まったくか」
「…………」
「蕗どの」
「…………」
「これ」
「…………」
何たる無反応であろう。ひとみも動かさない、顔いろも変えない。
ちと、
「――蕗。そなたは、この紋太夫にも、唖のまねを守ろうとするか。藤井紋太夫を、あまい人間に見ておるのか。かりそめにも、そなたの
「…………」
「返辞をせい。蕗」
「…………」
「口を開かぬかっ」
「…………」
「いわぬ? ――何としても口をあかぬな。……そうか、もう
「…………」
「ぜひもない。この上はせっかく
「…………」
依然、ものはいわなかったが、ついに、たもとを噛んで、がばと
さっきから闇の中にじっと背をかがめていた男がある。園内は広いし、そこここに樹々があり下草があるので忍んでいるには恰好であった。
やがて、主客ふた間に別れて、その一間のうちへ、お蕗のすがたがかくれ、程なくそのひとらしい忍び泣きが、
「あっ」
彼自身、その居どころを告げるような大声を不意に発して、
だんと、地ひびきがした。
羽がい締めに組んで来たうしろの者を、肩ごしに前へ投げ出したのである。
いうまでもなく、ふたつの部屋の灯もただならぬその物音に揺れうごいて、
「何者だっ」
「何事?」
とすぐ縁へ立ち出で、あわただしく家臣を呼ぶ吉保の声もした。
男は、すばやく木の間へ逃げこみ、追いかける者を、なお二、三投げとばしていたが、たちまちそこは、むらがり寄る家臣の包囲するところとなって、嵐のごとく
「出ろっ。――出ぬかっ」
と、縄の端を持って、家臣たちが無理無態に引っぱり出したのを見ると、すでに男は高手小手、鞠のように
「
吉保は庭へ降りて来た。
そして、男のそばへ近づいた。
「――明りを」
と、もう一度、それを促して、
「だれぞ、この者に、見覚えはないか。どこの小者か」
すると、家臣のひとりが、
「やっ、この者は、いつも検校の供をして、ご当家へもたびたび来ておる
と、さけんだ。
「なに、検校の?」
ひとしく
そして意外ともしなかったのは吉保だけであった。むしろこの獲物をよろこぶ色さえ顔に見せて、
「その辺の樹に
かれは、静かに室へもどって、ふたたび検校へ背を向けて坐った。
「もうすこし、肩をたのむ」
検校は、すぐかれの肩へ手をのべたが、指先にみだれがあった。
「……何があったのでござりますか。お庭先で、
「検校、曲者は、そちのいつも連れておる者だという。物騒な人間をそちは供に連れあるくな」
「えっ? ……わたくしの」
思わず腰をついて、検校は吉保の背で大きくためいきを洩らした。すると、そこのふすまを開けて紋太夫がまた告げた。
「検校には、おそらく近ごろ雇い入れた新参でござろう。いま、てまえが見て参ったところ、案のじょう見覚えのある者でした。――曲者は水戸の者です。しかも西山荘のお側近くに仕えていたさむらいの一名にちがいございませぬ」
検校は、見えぬ眼を
日頃、まめやかに、盲人の自分に仕えて、よく気づくので、愛していた若い小者が、水戸のご隠居の
「ありそうなことだ」
吉保は冷静を欠かない。むしろこの際は検校を咎めず、検校を利用するのが賢明としているらしかった。
「吉保の身辺に危害を
と、ひとり
検校の落度をここで咎めるよりは、検校の恐怖心をたくみに捉えて、自分の流布したいことを、この盲人の口から世間へいわせたほうが賢明である。そう吉保はすぐ考えていたらしかった。
紋太夫もすぐかれの意中を読んでいる。で共々、口をあわせて、検校に聞かせるためいった。
「さだめし、ご不快でしょうが、どうぞてまえに免じて、お忘れください。ご隠居の狂暴はきょうに始まったことでなく、西山へのご退隠も、すべてあなた様のさしがねのように、
それからなお、過去にまでさかのぼって、光圀の在職中に、叛意のきざしがあったのを諫言したとか、また
「はや、夜も更けよう。帰ったがよい」
吉保にいわれて、検校は、檻から放たれたような気がした。
「こよいのことは、何とぞ……」と、思い出したように、何度も詫び入った。
「まさか故意に、あのような供を召連れて来たわけでもなかろう。ただあの男の――水戸の
検校が帰ってゆくと、
「てまえも、はや」
と、紋太夫もいとまを告げ、また幾日かをおいて来ることを約した。
彼の帰るのを
――が、長い廊下を遅々と歩いてゆくあいだ、かの女は庭のほうを、
老公の家臣が、水戸のひとが捕われている。ということを知っただけでも、彼女の胸はさっきから
けれども、
大きな木の影は星をかすめていたが、木の根がたの人影は分らない。ただあのあたりにと、眸をいためただけで通りすぎた。
しかし、そこに縛りつけられている江橋林助のほうからは、たしかに見えた。彼女のすがたが。
「あっ。……おおお蕗どの」
思わず立って、声をあげようとした時である、うしろに番をしていた武士が、すぐ大きな手でかれの口をふさぎ、もうひとりの番の者へ、
「おい、手拭をかせ、手拭を」
と、締めつけながら、あわてていった。
おもての
どぶ板が鳴る。どぶの下から蠅が立つ、それがみんな肥ったおかみさんの体にたかった。魚のにおいがするからであろう。
「
格子も開けるには及ばなかった。狭い土間は開け放しだし、ふた間しかない家は、
おかみさんは、上がって来た。
主人公は、破れ畳のうえに、眼も
「まだ起きるのは嫌かい」
自分の息子でも呼ぶように、おかみさんは側へ坐った。前垂れを
(どこへ置こう?)
と、
「しいッ」
猫が下へ跳ぶと、又四郎は大きな眼をして、
「おばさんか。――う、うっ。ああいいところへ来てくれた。水を一ぱいくれないか。汲み立ての冷たいのが欲しいな」
と伸びをする、眼をこする、なかなか体は起こさない。
「お祭だからいいけれど、あんまり飲むと、体をこわすよ又さん。――おまえさんだけは毎日お祭なんだからね」
うしろへ廻って、大きな体を押し起してやる。又四郎は、やっと坐って、
「よく寝たなあ」
「寝られるはずさ、
「晩になると出かけるか――。あははは」
「笑い事じゃないよ、おまえさんは」
「うるさいな、おふくろみたいに」
「まだ、お
「おりません」
「おや、いやだね、この人は、急にお辞儀などをして」
「おふくろみたいにといったが、思えば、おふくろも及ばぬご親切。申しわけない」
「まだ酔ってるのかい」
「ははは。だから早く水をください、それから、
「いま喰べるなら、お湯を沸かして、お茶でも入れてあげよう」
「
「ないだろうね。……ええ面倒だから、もう一走り行って、お湯もお茶も、
「では、その間に、顔を洗おう」
「そうおし、そうおし」
おかみさんは、体の
「又さん、顔をお洗いかい」
「台所の桶も煎餅みたいに乾いてしまった。タガの
「何から何まで、独り者って、しようのない者だね」
おかみさんは、壊れた桶をそっと井戸端まで持って行った。やがて、冷たい水手拭をしぼって来ると、又さんの頭を抑えて、その顔をうしろから子どものようにぐるぐる拭いてやった。
それから、膳を出して、
又四郎は、さっそく箸を取って、頬ばりながら、
「ありがたいなあ」
と、むしゃむしゃいう。
「なにがさ」
「渡る世間というものが」
「時々おまえさんは、しおらしそうなことをいうね」
「時々か。ははは」
「酔っぱらって、憎ていなことをいったり、あんまりわがままをいうと、もう
「そんなはなしをすると、また飲みたくなってくる」
「晩におしよ」
「あ。……
「路地の口で、いつまでお神輿が揉んでいると、お
「お次さんも、祭でお暇をもらって来たとみえるな。しばらく、お次さんの顔も見なかった」
「実はね、又さん」
おかみさんは、真顔になって、急に声をひそめ出した。
「うちのひとが事情のよく分るまで、おまえさんの耳に入れるなというものだから、きょうまで内緒にしておいたけれど、お次は、もうとうに、杉山検校さまのおやしきから、お暇を出されて、家へ帰っていたんだよ」
「えっ。お暇になったって」
「世間に見ッともないから、しばらくは親類の
「お次さんが奉公している縁故から、弟の
「いい
「はてな」
又四郎は箸をおいて、その腕を胸に
その眼を見ると、おかみさんはふと怖くなった。この人はおさむらいであったと、改めて思い直すのだった。
又四郎の眉に、いよいよ憂いの濃いものがある。今も今とて、昼寝の手枕に、江橋林助の夢をありありと見ていたほどである。
よく林助の夢を見る。けれどそれは、余りに彼の消息を案じているせいだとのみ、いつも、いい
何よりの懸念は、彼は、いわば敵地ともいうべき柳沢家へ、検校の供をしては、たえず出入りしている点だった。もちろんそれは、林助から進んで、二人の
「……おっ
外で、女の声がした。
お次と又四郎とは、その母親以上、よく知り合っていた。
江戸に来てから、転々、住居も
お次の親の
(むすめの大恩人)
として、かれを遇すること、
かれが、何とはなく、世間の目を忍ぶらしい身の上にある事を知っても、かれを疑わないばかりか、ここの
(又さんは困り者だよ)
と、いいながらも、その困り
お次が、杉山検校のやしきへ、長年、お針奉公していると聞いたとき、又四郎はひそかに、
(この機縁を)
と、深く期したのであった。
検校と柳沢家との関係を
水戸出奔のときから生死を誓っている江橋林助を、弟と
が、いまとなってみると、魚松の
しかし魚松の夫婦は、今日まで愚痴らしいこと一つ聞かさなかった。とりわけおかみさんの親切は以前にまさるとも変らなかった。
「――お次だろ。ばかだね。なぜそんなとこに隠れて、蚊みたいな声を出しているのさ」
坐っている所から、すこし身を曲げて、おかみさんは
鹿の子
「……あの。お茶を持って来たんですけれど」
と、ようやく、
「なんだえ、そんな所へ、置いて」
おかみさんは、たしなめた。――というよりも、この祭に着飾らせたわが
「上へあがって、お茶でも入れておいでなさい。十九にもなって、三年も人中で奉公もして来ながら、どうしてこの
母親に叱られてばかりいるつつましい娘は、
お次は、口ごたえもせず、破れ畳のうえに坐って、茶を入れ、茶卓を拭い、やがて又四郎のわきへ、
「すこし、お
と、そっとすすめてから、
「その後は、ごぶさたばかりしておりまする。いつも、おすこやかで、何よりでございます」
又四郎も、坐り直して、
「いや、その後は、ついお目にかかる折もなかったが――いま聞けば、もう検校のおやしきにはおられないのだそうだな。それについて、詳しく訊ねたいこともあるが……」
いいかけるとすぐ、おかみさんは立ち上がって、思い出したように、土間口の下駄へ足をおろした。
「たいへんだよ、わたしはまあ。夕方になるのに、お
茶をのむ。茶碗をおく。
又四郎も、ちと所在がない。
「…………」
なおさらお次は身のおき場に困った。といって、帰りたそうでもなかった。
往来のざわめきが手にとるように聞えてくる。
「……あの。何かわたくしに出来ることならさせていただきます。お夕飯は、もっとあとでようございましょうか」
お次の胸も何か
「あとで、よいです」
すこし硬くなって、
「お次さん、聞きたいことがある。もすこし、寄ってくれい。壁にも耳という。ちと
「はい。……何かわたくしに」
「林助のことだが、実は、この日頃、案じているせいか、夢見が悪い。それにぷつりと便りも断えている。それについて、お次さんは何か聞いていないだろうか」
「…………」
お次は、
「――何か、小耳に挟むとか、こんな事があったとか、お次さんが、検校のやしきから出されるまでに、変った事はなかったろうか? ……訊きたいというのはそこだ。思い出してくれ。何か、あったろう。第一お次さんが、長年、何の落度もなく奉公しておりながら、理由もいわずに、暇を出されたというのがいぶかしかろう」
「…………」
「
「……又四郎さま」
お次は、急にうしろを見まわした。そして物に
「そう仰っしゃるのは、あなたにも何か、思い当りがおありなんでしょう」
「ないこともない。そなたが打明けてくれるなら、わしも
「申します。いいえ、一度はお話してしまわなければ、身が
「たのむ。……して、仔細は」
「わたくしがお
「そのとき検校は、何か、特にいったか」
「あなたのお察しどおり、決して世間に口外はならぬぞ、もしひょんな事が、そなたの口から出たと知れたら、怖ろしい禍いが身にふりかかろう。そなたばかりか両親の身にも……と、きつくいわれました」
「口外するなとは?」
「林助さんが帰らないことです」
「その林助は……柳沢家へ供をして行ったまま、どうして検校のやしきへもどらないのであろう」
「お
「なに、殺されたと」
そのとき
祭の宵となった。軒ならび祭
魚松のおかみさんは、約束の物を
「どうしたんだろう?」
明りもついていない家の中を覗いてつぶやいていると、隣りの女房が
「今しがた、ふたりで、他人みたいな顔して、出かけて行ったよ。他人みたいな顔してさ。ホホホ」
「まあ、そうですか」
おかみさんも、一緒に笑った。この界隈は気楽な世間だった。ありがちな事としているのである。
――どっちからいい出したともなく、宵にふと、ここを出た
又四郎が先だった。
お次は五歩も十歩もあとから、黙って、かれの影を慕ってゆく。
「…………」
かれが立ちどまれば、お次も立ちどまった。もちろん又四郎は知っている。けれど
「……殺されたろう。もうこの世のものではあるまい。かわいそうな事をした」
たれもいない。
又四郎のつぶやきが、
古材木が揚がっている。それを見ると急に足のつかれが思い出された。又四郎ですらくたびれた程なので、お次は思いやられるが、かの女に休もうともいわなかった。ひとり、そこらに落ちている
「…………」
お次は、岸へ寄って、河波をのぞいている。しゃがみ込んだすがたの上に、茂りきった柳が枝をひろげている。
「……ああ。きれいな晩」
まったく、問題は別である。
かの女のつぶやいている事、仰いでいる眸のさき。それと又四郎のうめきとは、ふたりの位置のように、何のつながりもなかった。
夜空を斜めに、
「死なしたか。あの惜しい若さを。……おれのためではないにしても」
又四郎の眼にはいま、満々たる大川の水も見えない。天をつらぬいている
ただあるのは、朋友
自分さえ誘わなければ、かれはなお西山に仕えていたろうに。
この江戸へ来て落命することはなかったろうに。
罪をすべて、自分に帰して、痛恨するのだった。自分のなさんとする目的も、かれの向って行った目的も、決して、自我のものではない。――そう分りきっていながらもつい小さく責められるのだった。
「……又四郎さん。こんな晩に死んで行ったひとが皆、あんなお星さまになっているんじゃないでしょうか」
いつかしら、かの女はかれの横顔を、遠くから見つめていた。
死――という呟きが、ふと、かの女の耳に聞えて行ったからであろう。
「? ……」
又四郎は、
「お次さんか。……まだいたのか、そんな所に」
「だって、あなたが、帰れともいわないのに」
「来いとも、いわなかった」
「又四郎さんは、おひとが悪い。だまって、
「は、は、は」
又四郎は、起ち上がった。
また、歩き出すのかと、かの女もすぐ起ちかけたが、そうではなかった。
寄って来て、肩を抱いた。
お次は、おののいて、
「ひとが来ます。……みっともない」
「来てもいい。ふたりはきれいだ、何でもない」
「……けれど、わたしの心は」
「人目を咎める?」
「ええ……何ですか、あの」
「お次さんは、わしが好きか、ほんとに好きか」
又四郎は怖い顔した。
かれが手を離すと、お次はかえって、すがりついた。
「……いけませんでしょうか」
「ばかっ。泣くな」
まるで突っ放しているいい方である。けれど、馬鹿といわれても、何をいわれても、女性はその中につつまれているものは知っている。お次は、かれの胸から顔を離さなかった。
「わしは、嫌いなんだ、大っ嫌いなんだ、泣くことが。――なぜならば、自分もすぐにつり込まれるから」
背をかろくたたいて、
「泣くのはよせ。しかし、ほんとうの話をしよう。こういう夜は二度ないだろう――。え、お次さん」
「…………」
「わしがどこのさむらいで、どなたにお仕え申して、また、なんの為に江戸へ来たか、何も知るまい。……が、それは順にはなそう」
「いいえ、知っています」
「知っている」
「林助さんでも、ただの小者や中間ではありませんでした。あなただって」
「女の眼は怖い。そこまで読めていたか。ではいう、わしは水戸のものだよ」
「黄門さまのご家来でいらっしゃいましょう」
「そうだ。――わしのことを、ひとは皆、棒だという。棒の又四郎と
「…………」
「分るまい、こんなはなし」
「いいえ、分ります」
「分ればそなたは、おれが
と、又四郎はふと、身を
「わが老公のお考えあそばしているように、この国を正しく建て
銀河の夜には、ふしぎな男女の出来事が多いという。平常の心理では理解できない心中沙汰などがそれである。
「まったく、若いものの
魚松のおかみさんは、毎日のように、
あの晩、ふたりの
元禄という当時の庶民は、こういう奇行をなす男女があると、唄にしたり、劇に仕組んだり、
けれど浮薄な世態は、それを飽きるとすぐ捨てて、また次の興味や刺戟をさがしていた。――だからふたりの死を、今から疑ってみるなどというはおろか、そんな男女が、いつどこに、生きていたか消えて行ったか、親身の親でもなければ、思い出してみるひともいなかった。
ところが、その後、
お
もっとも、かの
程なくかの女は、
すると、それから後、いく度か、ここの
「紀州の本山にいた頃の友だちなので、いやな顔もできぬが、ひとの顔さえ見れば無心、浪人しても心までああ
と、聞えよがしに
だから
「来たよ、またあの薄あばたが」
と、小ばかにした。
編笠をぬいでも、そのさむらいの顔は、あまり立派でないらしい。年の暮にもやって来た。
「
お小僧と寺男は、落葉を焚きながらささやいた。帰るすがたを見るとこの寒さを袴一枚、裾のほころびも、見るからに見すぼらしい。
「いいあんばいに、この頃、ちっとも来ないね」
住持の身になって、うわさしていた。それがもう、年をこえて、梅のつぼみのやや白くなりかけている二月だった。
元禄八年である。
「いけないよ、うわさなどするもんだから、とうとう来たよ」
寺男が、
「どれどれどこに」
久しく見ないと、なつかしくもあるのか、首を出して覗き合っていた。
奥まった
「恐らく今日が、こうしてお会いする最後でしょう」
と、又四郎はいった。
住職もまた、その語をあえていぶかりもしない。
「ご一心をつらぬかれるよう蔭ながらお祈りしている」
と、いったのみである。
後に思い合せると、ここの住職は、又四郎の父
父の門人として信頼のおける点からも、又四郎はその
もちろん、去年、この寺にしばらくいて、後に、藤井家へ小間使として入った
筆まめな女文字の便りは、この寺へも来、又四郎の手許へも、いろいろな方便をもって、たえず届いていた。
彼は
みなお次の
そればかりでなく、いまなお、柳沢家のうちに、盟友
やがて、水戸家に対して、重大抗議をなすべき
しかも、次の将軍家
水戸の当主
「まず、元兇を。――次に藩の害賊を」
又四郎はみずから固く誓って、機を
その日は来た。お次からの知らせによると、この春にはまた柳沢家へ将軍家の臨邸があるらしく、その準備のうわさも聞くが、それを前にして、近頃、紋太夫が柳沢家へ行くことも足繁くなっている――と。そして一夜の機会を教えて来た。
それは彼が寺に姿を見せてから、数日の後だった。
彼は単身、柳沢家の塀をのりこえ、邸内へ潜入した。
もちろん人目立たない軽装をし深く
かれが第一に求めたのは、林助の監禁されている邸内の牢獄だった。
屋外か邸内か。それとも、どこかに牢獄らしい一棟でもあるのか。
その辺のことは、かれには皆目予備知識がない。遠まわしなお次の便りからそれを突きとめておくなど、求めても無理であった。
「知れないうちは、五日でも七日でも、ここの
又四郎はここへ来てから、そうも考え直した。邸内に入ってみると、
「
ともすれば、危険な敵地であることさえ忘れがちになった。又四郎はそこここと、逍遥していた。
すると
石橋の上を、三名の影が渡って行った。
「まったく、ものをいったことがない。たれもあの女の声を聞いた者はないだろう」
ふと、そんな
けれどかれは、その一語から
「もしや、ここに?」
かれはいつか、その浮御堂を巡っていた。そして窓を仰いだり、橋廊下の上の戸を窺ったりしていた。
そこは厚い板戸で錠がおりている。窓も閉まっているし、灯影も洩れていない。
「……やはり誰もいないのか」
と、思うほかなかった。
ところが、微かな音がした。たれか小窓の戸を内から細目に開けたらしい。又四郎は、下に這って、のぞき上げた。
――林助か? 胸おどらせて。
白い顔が見えた。男ではない。江橋林助ではなかった。
白い顔は風の音を聞いている。又四郎の眼はらんらんと自然身は伸びあがっていた。
そして両手で口をかこい、できる限り、声をひそめて、窓の白い顔へいった。
「お
ふいに、小窓の戸は閉まった。それほどな小声もかの女をいたく驚かせたらしい。又四郎もふたたび身をその下にかがませていた。
しばらくすると、また、小窓の戸は、一寸ぐらい開いた。注意ぶかく、次には、五寸ほどあけた。そして、みな開けた。
「どなた?」
「わしだ。……
「お、お」
「蕗どの。出られないのか。どこか、破っても」
「出してください」
低い――歯の根でいうような小声ながら――その微かな
「よし」
非常に簡単なことのように、又四郎は脇差を抜いて、橋廊下を跳びあがった。この厚い板戸を切抜こうとするらしい。
かの女は、内から告げた。そんな所にいてはたちまち人目につく、床下へ床下へ――と教えるのだった。
お蕗は畳をあげて位置を示した。又四郎はその下へ来た。まもなくかの女は外へのがれ出した。夜はまだそう
それからの約
では、それからのお蕗は、どう方向して行ったかを先に見ると、かの女は、又四郎の庇護の下に、ここの高い囲いを脱し、その夜、元の世間へのがれてしまった。これだけは確かである。
一方、又四郎はというと、かれには初めからの目的がある。吉保と紋太夫の身辺へ迫るまえに、どうしても盟友江橋林助を救っておきたい望みに燃えている。そしてかれのいる所も、いまはおよそ突きとめていた。
かれがお蕗の口から知り得たところによると、新殿の数寄屋に近い路地の植込の蔭へ、朝夕さむらい達が立ち寄っては、何ものかを警戒しているように思われる。林助が捕われた場所もその辺であったし、当夜、ほかへ引き立てて行った様子もなかったから、林助の身は、いまなお、あの周囲をそう遠く隔てぬところに隠されているのではなかろうかというのである。
かの女の想定の下に又四郎は
なぜといえば、この風雅な井戸のうしろに、一本の六尺棒がおき忘れてあるのを見出したからである。それは、
又四郎は手に取って
「……それにしても、こんなところに?」
と、不審を禁じ得ない。
――なにげなく。
かれは六尺棒の先で、井戸のそばの地上を二つ三つコツコツと突いていた。心のうちの焦躁が突かせたのである。
すると、驚くべきことには、それに対して井戸の中から答えがあった。井戸の底から確かに聞えたのである。
「おういっ」
と、呼ぶ声が。
又四郎は、棒を投げ捨て――
「おういっ、番人っ」
と、あきらかにいう。
井戸蓋をあげて、もう一度、耳を傾けた。――その影が、下からは見えるのではあるまいか。
「番人、
空井戸とみえる。水も見えぬ、星も見えぬ。
われを忘れて、又四郎は、その中へ身を屈した。そして、
「
「……?」
「林助え、林助か?」
「……だ、だれだ」
「わしだ。人見又四郎だ」
「えっ……?」
「そこは、空井戸か」
「そうだ」
「ずっと、そこにいたのか」
「夜も昼も」
「待て、いま、
いいながら、背を起そうとしたとたんであった。うしろへ這い寄っていた二人の番の者が、かれの足を
地の底には、一息のうめき声のほか、何も聞えなかったが、地上はそれからの
年毎の梅はことしも
そのほとんどが、近村の農民であった。孫に手をひかれた老人もあれば、子を負いながら片手に馬を曳いて来る百姓の女房もある。そして、そのすべてのものが、かならず自製か自産の何物かを携えて、
「これは、畑で出来たことしのお
と、
「きょうは、お蔭さまで、うちの馬が仔を産みましたで、少しばかり草餅を
と、取次ぎを仰ぐ者もある。
初ものや四季のめずらしい物。祭や盆や正月の行事など、何かにつけて、百姓たちは、神棚や仏壇へ上げるのと共に、西山荘へも持って来て、取次ぎの者からたった一言でも、
「およろこびであったぞ」
とか、また、
「珍しいと仰せられていた」
とか聞くのを、無上の楽しみとも歓びともしている風であったが、この四、五日は特に、かれらのうちでも日頃ここへ見えない女子供や老人までが、訪れて、
「――ありがとうござりました。おかげ様でこの通り達者になりました。きっと精出して働きます」
と、ある者は、老公のいる
一把の野菜、
老公もその
「ありがとう」
の意を示すのが常であった。
おととしから去年にかけて、ここで製した「救民良薬」を諸所へ配布して以来、その施薬の効によって、
また老公が多年に亙って、奨励して来た産業や善政のたねも、近年にいたってようやくその
たとえば、松や杉の植林にしても、初めのうちは、労力を徴発されるので愚痴の声もあったが、すでにその木々は五尺、七尺と伸びていた。そして、
(山の繁りは国の栄え)
を事実に示していた。
落花生、さつま人参、朝鮮茄子、葡萄、
新しく
製紙、製茶、養蚕、織物などいうまでもない。非常な進歩を示して来た。殊に
「まあ、可愛らしい。……お
旅すがたのふたりは、時折、そんな平和な風物に、杖をとめて見惚れていた。
わけて、江戸むすめのお
どうしてこの
後では自然分ることであるが、一応その経路を説いておくほうが順序であろう。
又四郎に
お蕗からの
(何しても、たいへんな事に
と、
それをたしなめて、
(わたくしの身は去年の秋祭の晩に、もう死んだものと思ってくださいませ。又四郎さまがもう一度生きて来ないうちは)
と、飽くまで
また、そのお次を力づけて、
(もう一度人見様が、この世へ立ち返らないとは限りません。又四郎さまといい林助さまといい、空井戸の底に生きていることは確かですから)
と、あらゆる思案も憂いも共にしてくれるお蕗という者がいるので、お次はよけい心づよかった。
そしてこの上は、一部始終の経過を、西山荘の老公へお訴えして、老公のお力にすがるしか途はないという最後の考えに行きついたのであった。
ふたりが身を旅すがたにつつんで、江戸から府外へ脱け出して来るまでにも、実に
(これは容易ならない問題)
と、
(当然、水戸へ)
という見当はすぐつけたであろうから、恐らくは
お蕗はもとより老公と面識があるし、老公の
「
折ふし
「えっ、お蕗どのですと?」
さむらいは穴のあくほど見ていたが、やがて土間へ駈け入って、奥の方へ、
「
と、一大事でも降って湧いたように呼びたてた。もっとも、おととしの春、
その日、老公は留守だった。数日前から

「春にも名月あり、夏にも名月はある」
のであった。
月ばかりでなく、人を観、人を賞するにも、その見方があるらしい。
貴人なるがゆえに
妻はあったが、貧農だし、その妻がまた病身なので、母への孝養が怠りがちとなるのを
村のひとは、これを見ると、
「
と、笑った。
田へ出て来ると、弥作は、老母や荷物を、やおら降ろす。そして春なら柔かい草のしとねに母を置き、夏ならば木蔭の涼しい所に、冬は
田を
かれの母は、何よりも酒が好きなので、酒の買ってやれない日は、そのすがたを畑から見るのも恐ろしかった。
「早く伸びて酒になれ」
麦を耕すにも、稲を植えるにも、弥作はそう祈るほど、それを楽しみに働いた。
ある日、弥作の貧しい家に、
「弥作さんというのは、おまえかい?」
「はい。わしが弥作でございますだが」
「いくつだね、おふくろどのは」
「もう七十二になりますだ。あの通り背もまるまッて、まるで子どものようで」
「これで、酒なと買ってやるがよい」
一封の金をおいて、供の人でも待たせてあるのか、家の横ではなし声がしたと思うと、すぐ見えなくなってしまった。
あとで、なにげなく、封をひらいてみると、
「弥作。そちは何と見たか、勿体なくも、そちの
弥作は聞くと、声をあげて、泣き出した。そして、西山の方角へ向って、顔に土がつくばかり何度も何度もお辞儀をしていた。
老公も、帰ったあとで、
「きょうは
と、いかにもその日は、老公までが楽しげであったという。
自身、
「わしには、親が三人ある」
といって兄にもよく仕えていた。
かれの母は
母親が神まいりや
老公は、この家族の家へも、何の前触れなしにすがたを見せた。
そして炉ばたで、半刻も家族のものと話しこみ、後、藩主の
「まだおまえは若いし、わしには子のできる望みもない。わしはやりたい放題をやった身だから、おまえが去っても決して恨みには思わない。どうか今のうち
と、頼んだが、かれの妻がいうには、
「あなたがそんなやさしい
かの女が一家の計を細腕に支えて、田を打ち畑を耕しているすがたは、悲惨というよりはむしろ美しくさえあった。老公が、かの女の家へ、無税の田を与えまたその家を訪うたとき、
「まことの美人である」
と、いったというので、居あわせた
こういう例は数えきれない。
土民に対してすらそうである。士に対してはもっと濃いものがあった。かつて家臣
「そちも酒好きであるから、後刻、酒肴を送らせるよういいつけておいた。酒が参ったら、この杯にて、子供らと共に酒を酌み、しばし病苦を忘れたがよい」
と、
また、こんな事もある。
若ざむらい四、五人して、武芸の猛稽古をやった後、雑談にも
「不覚不覚。何のための武芸の鍛練か」
「武士のたましいを!」
「自分らの士道は
悲涙をたたえ、
すると、老公は、これに厳戒を下すかと思いのほか、切腹などには及ばんと沙汰した。老公のいう理由はこうであった。
「熟睡中で知らなかったものは仕方がない。ただこの後は、
人間の
時には、
「ご寛大にすぎる」
という非難すらある程である。
極言する者は、
「それだから、藤井紋太夫のごときが、
と、までいった。
けれど老公というひとは、国を愛するがように、個々の人間をも、どうしても憎みきれない天性らしい。月に憂い、酒に放ち、花に悲歌し、老来いよいよ多情多恨な凡人面さえなお若々しいところさえある。
おたがいは人間である。ゆるす――ゆるしあう。
ただそれこの
すべてを
だから前に
死罪をいい渡された二名の囚人があった。よくある例で、前々から
一方の目附役は、
「二つ胴にして、見事な成績を得ました」
と、藩庁に届け、
三木松兵衛は、
「まず、相当に斬れました」
とのみで、わずかに斬った髪の毛だけを
「松兵衛は、囚人を逃がしたらしい」
と、問題になりかけた。事実、かれは殺すにしのびず、囚人に衣服路銀を与えたうえ、
為に松兵衛の身が罪に問われそうな形勢であったが、すぐ翌々日、光圀は家臣のいるところへ彼を召して、
「松兵衛、おとといの試し斬りはまことに上出来であったぞ」
と、称讃したため、ついに事なくすんでしまった例などある。
また、農夫の

「この首が落ちたら鶴が生きるかの?」
と、たずねた。
光圀は、刀を下ろして、刀の
「これから法は犯すな」
と、諭し、また家臣へ向っては、
「禽獣のため、人を殺すは
長作の身は、命じて長屋で飯を食べさせ、領外へ逐放してすましてしまった。
かれの
――もののあわれを解さぬさむらいは、たとえば香も色もなき花にひとしい、とは老公のよくいうところであった。
かれの
月の夕べ、花のあした、多感な老公はおそらく魂魄となるまでそうした人の悩みを身の患いに悩むであろう。時に酒を呼んで、

「申しあげます」
「なにか」
「ただ今、西山から
「与平が。……早馬とは」
「すぐお目通りいたして、何か火急にお耳に達したいと申されておりますが」
「呼ぶがよい」
「はい」
「あ。これこれ」
「はっ」
「そちではない」
と、左右を見て二、三の従士に、
「そちたちもしばらく遠慮しておれ。わしの呼ぶまで」
「はっ」
取次ぎにつづいて、人々も退った。入れ代りに与平がすがたをあらわした。めずらしくも、与平は額に汗している。ただならない問題が起ったらしいことは、その
「何事だ、与平」
「実は……江戸表から今日」
「待て待て」
「……はっ」
「ゆるりと聞こう。そちも、
いちど遠ざけたが、
「剣持にぬる茶をやれ」
と、いいつけた。
与平は反省した。これは少し自分があわてているなと。――で、かれは十分な落着きを一碗のぬる茶にとりもどしてから、あらためて火急なる用件の内容を順序を追ってはなした。
まず、西山荘へ、お
また、その悪謀の元兇が、意外にも藩の老職たる
柳沢家の内部、柳沢家と紋太夫との関係、ふたりの黙契している野望――あらゆる
「以上は、お蕗とお次とが、
と、むすんだ。
「そうか」
常のとおりな頷きであった。
けれど、常とちがっていたことは聞きとるとすぐ、
「西山へもどるっ。馬の用意、すぐ馬の用意っ」
夜はかなり更けていた。時ならぬ馬蹄の音がする。西山荘の門には、
「お帰りっ」
「お帰りですぞっ」
いつになく駈けこんで奥へ告げ渡る従士の声にもただならない響きがある。と、もう一同が迎えに出揃わぬうちに、老公は剣持与平を従えて奥の居室へ通ってしまう。
「
と、いう
それから間もなく
その間にまた、
「
と、召す。
介三郎は、
(西山のお
と、懇ろなことばを賜わってここへ帰山して以来、ずっと老公の側に仕えていた。
さっき、老公が玄関をあがって来たとき、板敷に手をつかえて、すがたを迎え、その
なぜならば老公のこよいの眉には、長い奉公のうちにもまだ見たことのない剛毅な気宇がみなぎっていたからである。
側に仕えている者でも、日常は老公のやさしい仁愛のみに触れているので、つい老公の剛気や武断な一面を、もう冷えた灰を見るごとく忘れてしまう傾きがあった。
介三郎も、はっと、せつなにそれを老公の眉に思い出したのである。
呼ばれると、かれはすぐ老公の居間へ伺った。与平も側にあって、何やら熟議しているうちに、不老沢の大森典膳があわただしげに来てここに通る。
依然、障子は閉められたままである。気のせいか室内の灯はいつもより
誰の気くばりか、庭口にも遠い垣のあたりにも、見張の者がおかれている。夜はいよいよ更けてゆく。
お
おそらく
すでに、五更にも近くなると、
しかもなおそこの席は終らなかった。お蕗が
やがて、介三郎や与平も退って出る。そのあと、老公はつねの如く、うがい
「昨夜は一睡もおやすみにならなかったようですが、お脈には何のおかわりもございませぬ」
むしろ不思議そうにいうと、きのうから初めての一笑をふと口のあたりに洩らして、
「わしはまだ六十七。ひと夜ぐらい眠らぬとて、脈がみだれるほどな年ではない。いま光圀の気脈がみだれてはなるまい。そう思うているせいであろうか」
と、いった。
「生来、ご長命の
と、
「――ま。ともあれ、これからお
「ウむ。一睡しよう」
老公は、素直にうなずく。
宗典はそこを退るとすぐ、寝所にしとねの用意をするようにいいつけていた。
朝の陽は高くなる。
縁に、障子に、壁に、梅の木々は、のどかに影を投げていた。ひと間、静かに閉めきってある所が老公の寝室らしい。
やがて大きないびきが洩れていた。鶯がどこかで啼きぬく。
表面、この日も西山荘は、つねと変りはなかったが、一部の人々は、ひそかに旅立ちの支度をしていた。
馬には
そこを、そっと覗いて、
「介三郎どの」
介三郎はあわてて、打粉ぶくろを
そして初めて、膝をうしろに向け、
「文八どのか。何だ」
「……あなたに、お会いしたいと申して、ご門の外に、待っておるお人がいる。ちょっと、お顔をかしてあげて下さい」
まるで頼むような取次ぎである。
「わしに会いたい者が? ……。はて、お玄関へ訪れぬのか」
「そこは、ちと……参りにくい事情があるのでしょう」
「だれだ、いったい」
「…………」
文八は、入って来て、かれの側に膝を折った。そして、何か耳へささやくと、介三郎の眼うちにも、明らかに
「……そうか!」
すぐ起って、介三郎は文八より先にそこから出て行った。裏口から草履を
大股に、門を出て、十歩ほどで立ちどまった。
右を見、左を見る。
すると、彼方の麦畑のそばにある梅の木の下に、ぽつねんと
介三郎も青年の修行時代、かつては長く虚無僧寺に籍を置いていたこともある。佐々十竹という別号は、そのときからのものである。かれはすぐ自分の
「おお」
かれが足を早めると、
「おうっ」
彼方の影も、駈け寄って来た。
「佐々どのか!」
と、まずいう。
なつかしさに溢れている声であった。
介三郎はいきなり手をのばして鼠色の
「
と、笠のうちを覗いた。
渡辺悦之進の眼には涙があった。――お蕗
「はなしたい事があって、実は、江戸表から急いで来た。どこぞ、人目にかからぬところへでも」
「なに。貴様も江戸から?」
ふたりは、西山荘の門をうしろに、どこへともなく歩き出した。
道から離れた梅林の中。古い木の切株も腰かけるに手頃である。渡辺悦之進は
「佐々氏、お久しゅうござった」
「変ったお身なりで……以来どうしておられたか」
「ひたすらご
「いうてはいいか悪いか知らぬが、お身とは親もゆるしているとか聞く蕗どのも、きのうにわかに西山荘をたずねて来ておるが、ご承知か」
「存じておる」
と、やや顔をあからめて、
「
「ではお身も……人見又四郎と共に?」
「いえいえ、又四郎とは会いません。人見の犠牲的な
「蕗どのの危うい境遇を知りながら、なぜ、お身が救うてあげなかったか。ことばの一つもかけてやらなんだのか」
「
「では蕗どのが何を告げるため江戸からこれへ参ったかそれも?」
「ことばこそ
「――ある決意とは?」
「それこそ、吉保が年来胸底に
「ううむ、怖ろしい相手ではある。……しかし、そんな生き証人になる者がいるだろうか」
「おりますとも」
「それは、どこの何者」
「あまりに近いので、よもやと誰も思うでしょうが、藤井紋太夫、かれこそその切札となる
「まさか、ご主君を」
「かれに君臣の道が明らかに見えているくらいなら、今日の禍いは起りません。かれはもう道義の
人として考えられない人物などを家老に持っている一藩の不幸はいうまでもない。
そんな人物ならすぐ除けばいいようなものの、かれには
加うるに、どういうものか、老公の
かれの戸籍を見ると、かれは幕府の旗本
よく学問し、よく人と交わり、
けれど、次第に出世して、
現在千八百石を給されているが、日常、柳沢吉保の豪奢なる生活を見たり、元禄の世態の中に、
(この才能をもって生れ、たかだか千八百石がせきの山とは)
と、みずから不満を
(あれはお用いにならぬがよい)
と、光圀の師
けれど光圀は、
(人にはかならず
と、なおさら眼をかけて、ときには師のごとく臨み、ときには骨肉のごとく語らい、ときには良友ともなってやるなど、かれを一個の家老とまで仕上げるには多年の愛と主たる心を
が、その結果は。
老公の今日の気もちは。
それを思うと、介三郎も悦之進も、涙なきを得ないのである。
だから
(刺しちがえて!)
とは、老公をめぐる臣下の誰もがすぐに思うことだった。
それをばなお、どこまで家臣に寛大なのか、甘いのか、老公は、
(めったな血気に
と、かたく封じ、たとえば人見又四郎が出奔の後も、又四郎の名は、おくびにも口にしないほど、厳として家臣たちの勝手な行動をゆるさないのであった。
ふたりは、人目を避けて、余りに旧情をあたため過ぎていたが、やがてお互に、そうしてはいられないいまの場合を想起して、
「ときに、今日これへ来たわけは?」
と、介三郎から質問した。悦之進は、それに答えて、
「この際、にわかに、老公には、江戸へご出府あると聞いて、
「えっ。……老公のご出府を、もうお身まで知っているのか」
「かねてから、江戸表のほうにも、しきりと
「そのお沙汰は、とくからあるにはあったが……いま、にわかに出府あるとは、まだどこへも触れていないはずだが?」
「


「それとて、つい昨夜から明け方までのあいだ、殊には、極秘の事、外部にもれるわけもないのに」
「いやいや、悪徒の奸智とは、そんな手薄なものではありません。かれらの内輪にはいって、深くその組織を知ると、
「……ではもう昨夜のことまでも」
「もとよりご城内の、かれらの一組には知れています。そして
「それをまた、貴公がどうして
「
と、悦之進はさし俯向いて、
「……実は、老公からご勘気をうけて、ここを追放されたことは、かくれもなく知れているので、それを幸いに、わざと、老公をお恨みするかのごとくいい構え、藤井紋太夫のところへ、暮夜ひそかに訪れ、かれらのふところへ入って、それがしも悪徒の誓約に連判いたした。……
「う、うむ……。そうだったのか」
「――だから、ここにも
「なんで疑おう」
「この際、老公が江戸表へのご出府は、断じてお見合せねがいたい――ということだ。仔細は、
「もとより老公におかれても、このたびこそは、それくらいなご決意にはちがいないが」
「――ですから、お止めしたいのです。悪徒も、悲壮な決意をただよわせています。万一、老公がご出府ある場合は、その途中を擁して、お乗物を襲い、おいのちを縮め参らすか、あるいは、途中手をまわして、毒をさしあげ、世間へ狂死といい触らさんかなと――いまやかれらも、
急に、かれは口をつぐんだ。
梅林の小道をだれか来るような跫音がうしろでしたからである。
ふり向くと、ふたりは、愕然と立って、身を退けた。
すぐうしろへ来ていたひとは
とりわけ、
木の根がたに、平伏したまま、
「
「……はいっ」
「久しぶりであったな」
「おこたえを致しまするにも、畏れ多うござります。以来、拙者めは、かりそめとは申しながら、藤井紋太夫の徒に」
「いうな」
横を向いて介三郎のうえを見た。――梅の花で
「申しつけておいた支度は調うておるだろうな。出府の駕や供の用意は」
「はっ。――
「これこれ、悦之進とは、だれをいう。渡辺悦之進なれば、とくに勘当申しつけてある者。これに来るわけはない。――それにおるは、そちが虚無僧寺にいた頃の旧友、格外という者と思うが、ちごうたかの」
「あっ……そうです、仰せの通り、てまえが佐々十竹の頃の友、渡辺格外に相違ございません」
「そうだろう。――格外」
「はい」
悦之進は、感涙につきあげられていた。
「ふたりで、供をせい。格外もわしに
「えっ、従いて来いとの仰せは?」
「もとより江戸表へ」
「……お! お待ちください。――その儀については、いささか、ご注意申しあげたいことがござりますれば」
「途中のことか」
「万一にも」
「道中の不安ならば案じぬがよい。――いや、このたびこそは、たとえ西山から江戸までの途すがら、いかなる障壁、いかなる危害が、待ちもうけておろうとも、光圀はかならず参る。参らんと
「――とは申せ。大切なおん身にござりまする。何とぞ、ここは」
「しかし光圀とて、
「はっ。……して、ご隠居さまには」
「しばし、この梅ばやしの奥で、梅の花でも観ていよう」
「お支度などもございましょうに」
「供人を連れ、医師をつれ、出府の道中して参る光圀は、もう支度もすまして、はや乗物の内におろう」
「えっ……? では」
「ひそかに行け」
光圀は、なおも木蔭の
介三郎はすぐ察した。
老公は、老公の身代りを駕に乗せて、世間の眼を、それと信じさせ、自身はあとから、べつに密かな行動をとる考えでいるにちがいない――。
もちろん、その「影の者」なるものは、呼べばいつでも山荘へ来る。そして、どっちが本物の老公なりや、側近でもちょっと見たぐらいでは分らないほど、容貌もすがたもそっくりに似せて来るのであった。
それから
大勢といっても、医師、茶道の者、その他の小者を加えても、二十名は出ない。
「ご隠居さまが、江戸へお上がりじゃそうな」
「いつ、お帰りやら?」
伝え聞いて、
まぢかに、そのお駕籠を路傍から拝した者が、あとで語りあうことには、
「塗駕籠の
――が、その駕籠の列が遠く去るのを、岡の梅林からひそかに見送っている人にも、白い髯と、鼻すじの
もちろん、ほんとうの光圀は、決して去った駕籠の内ではない。
「
「いや、ちょっと」
格外渡辺悦之進は、樹の数にして、七、八本ほど前のほうへ這いすすんで、西山荘の裏門から一路この林の中を抜けてゆく小道へじっと眼を向けている。
「ご隠居さま――」と、身構えのまま、手を振って、
「おそれ入りますが、お
「なんじゃ、屈めと?」
老公は、いわれるまま、すぐ身をかくしたが、何のために格外が、鷹のような眼をしているのか、まだ分らなかった。
するとやがて、西山荘の裏門から、ひとりの男が、おそろしいす
「しっ、畜生っ。……帰れっ」
男は、石を投げたり、
「ちぇっ。……日頃の恩を、
矢のように、先へ心は
白刃を見ると、鹿もぱッと遠く跳んだ。ところが、それとともに、男は異様な呻きをあげて、勢いよく草むらへぶっ仆れた。そして、手足をばたばたさせていた。
もう、鹿も寄らない。その代りにすぐ側へ駈け寄っていたのは格外渡辺悦之進だった。老公もつづいて側へ行ってみた。
「この
と、格外は、
「おお……日ごろ台所におる庖丁人のひとり。格外、なんでむごい手を下したのじゃ」
「見過ごせば、たちまちすべてを、ご城下のさる場所まで、密告しに走りましょう。この庖丁人も、紋太夫の息のかかった一名です。幸いに、その後の渡辺悦之進は、ひとつ穴のむじなと化してこやつの顔を見知っておりましたから、未然に防ぎが出来ましたものの、ご身辺諸事、およそかくの如きものと思し召し、ゆくゆくご油断あそばさぬように」
老公は憮然としていつまでも唇をつぐんでいた。その唇は白髯につつまれながらやや
「格外、その者をころすなよ」
と、注意することを、なお忘れなかった。
格外は、老公の寛大に、むしろ呆れたが、気がついてみると、庖丁人の男の抵抗は、もうぐったり弱まっていた。
急に、起って、
「
と、
「手当しても、助からねば、天命といえよう。ただ手当だけは、加えてつかわしたいが」
介三郎は、わらじ
「ご隠居さま、お身まわりのものすべて、持参いたしました。ここで遊ばしませ」
と、べつに鞍へ着けて来た老公の旅の物を、何かと、草の上に
「よし、よし」
老公も草のなかに坐った。
そして、脚絆をつけ、わらじを
「それでおよろしゅうございましょうか……まだ何ぞ」
「これでいい」
と、愛馬の鼻づらを撫でて、
「ご苦労をたのむぞ。このたびはちと遠方――」
と、つぶやいて、また、
「介三郎」
「はっ」
「もういちど、留守の者へ、いい残してまいれ。これに仆れておる台所庖丁人、不愍なればよく手当をしてつかわせと」
「承知しました。――では、そのうちにお支度を」
「よし、よし」
老公は、鞍のそばへ寄った。何といっても老躯である。介三郎と格外は、左右から身を
山荘の方へ駈けて行った介三郎は、垣の陰に並んで、よそながら老公を見送ろうとしている留守の衆へ、早口に、老公の伝言をいいのこして、すぐ西の方へ駈け出した。
余りにうららかな日であった。
その細道をいま、
そのあとから、ひとりの
距離にして、小一町ほども後から、またひとり追いかけてゆく者がある。いうまでもなく、佐々介三郎であった。
畑の向うは、傾斜になっている。そこを降りると村がある。馬上のひと、つづいて行く鼠色の衣服の影――たちまち畑の果てに没して行った。
「おういっ、悦之進っ。……すこしやすめ。待ってくれい」
介三郎は、手を振っていた。こういう急場となるとつい、格外というかれの
小石川の本邸でさえ、その不意打にうろたえた程だった。西山を出た老公が江戸へ向われたとは、早速、水戸の藩庁から通告はあったが、道中の日程を計ると、その到着はまだまだ数日の後と考えられていたからである。
表門から、また玄関からも、事の不意に驚いた諸士が、
「ご隠居さまのお着きですっ」
「ご老公がおわたりになられましたっ」
と、あわただしげに告げてもなお、奥のほうでは、信じなかったくらいだった。
二名の供と一頭の馬は、汗と埃にまみれたまま、大玄関へ上がってゆく老公のすがたを見送っていた。
右往左往という文字どおりな
そして、一室へ落着いた。
陽にも焦け、埃にも汚れ、いかに道中を急速に上って来たか、その
「
と、まず
「
と、あいさつの為、次々に、ここへ来ている家臣たちを見ていった。
「いや、たしか今し方まで、おられたはずでございますが」
と、ひとりがすぐ、彼のすがたを求めに起ちかけると、
「いや。呼ぶには及ばん」
と、老公はなぜか制して、しかもそれが不自然にひびかぬように、
「何ぞ、忙しいことに
しかし、間もなくその紋太夫は、主君
綱条は、あえてその席を占めなかった。やはり子として厳父の
「どうしてお供もわずかしか連れず、かくは
と、いぶかし
藤井紋太夫は、その綱条の陰に慎んでひかえていた。どう見ても忠良な側臣である。また一藩の国老として見劣りもなく、叡智で物静かな人品である。――老公の眼は、時折、かれのほうを見た。紋太夫は、終始、うつ向きかげんに控えていたが、決して、
「……ともあれ、ここはご休息なさるにしては
――ただ、そのあとから、
あくる日。――多分そうあることとは予想されていたが、果たして、老公は
破綻、敗北、すべて画策が
(ついに事ここに至ったか)
と、さすがの藤井紋太夫も、悲痛な覚悟をきめたらしく、
その朝、あらかじめ内意を仰いだことはもちろんであろうが、将軍以外、柳営の人々にとっても、老公の登城にはみな唐突な感じをうけたらしい。
将軍
「
と、光圀は一応謝して、
「そのまえに
と、いった。
綱吉は好まないふうだったが、
光圀も対して坐った。
そのきびしいすがたは、将軍家の高きに在りながら、綱吉の眼はよく正視することができなかった。
「…………」
黙然、
光圀はいった。
「上様には、近頃だいぶ、このお学問所にも、ご着座がないとみえますな。
――嘆いて、なおいう。
「平常、あまり
かれは、
講義が終ると、光圀は、
「おそれながら、あなた様は、この天下をたれのものと思し召すか」
と、たずねた。
綱吉がいつまで、答えずにいると、
「将軍職なるものは、そも、どなたからお
と、釘を打ちこむような語気をもって、最後に、なお、
「ひが目の
と、臆面なく述べた。
衷心のものを吐いて、いうべきこともみないい終ると、光圀は座を
「それもこれも、
と、綱吉の
別間のほうに饗応のしたくをして待っていた将軍家の側近たちが、追いすがるようにして、せっかくの
「田舎にひき籠ってからは、とんと美食に馴れぬせいか、たまたま食べつけぬものをいただくと
と、一笑して去った。
たれも居合せなかったので世間ばなしの末、忠朝はこんなことを話し出した。
「どこから出た
すると、光圀は、
「は、は、は、は。いや火のないところに煙はたたぬと申せば、多少は隠居にもそんな
と、あとは雑談などにまぎらわして、その事については、べつに深くも訊かず袂を分った。
いま、忠朝が世間ばなしのうちにした事なども光圀はもっと
城を
奥へはいった老公は、そのまま一室を閉じて、いと物静かなままなので、表の者は、
(お昼寝か)
と、思っていたが、やがて湯殿に湯の音が聞え、そのまに燭台が運ばれて行った。そして夜食も手軽く終ったかと窺われる頃、
「――ご家老。ご家老はどちらにおられますか。藤井紋太夫どの、ご隠居さまがお召しでございまするぞ」
と、奥の家臣が、あなたこなたの部屋をさがし歩いていた。
まだ明りも
「ご家老さま」
自分をさがしに来た者の声に、紋太夫ははじめて、腕を解き、
「何か」
と、その中でいった。
「あっ、ここにおいででしたか。――先ほどからご隠居さまが、しきりと、お呼びでございます」
「……そうか」
と、重い息のように答えて、
「ただ今、お伺いいたしますと、
「かしこまりました」
ようやく、ひとり心をとり直したように、どこかへ立って行った。
髪の毛を撫で、鏡をとって、
「どこにおいで遊ばすか」
と、近くに
静かに、かれはそこを、渡って行った。そして、焔の白くゆらぐ障子の内へ、縁側から両手をつかえて、そっといった。
「紋太夫にございまする。お召しの由、参りおくれましたが、何ぞ、ご用でございましょうか」
「紋太夫か。はいれ」
かれが、そこを開けると、老公は書見台を横へ押しやって、膝の
「あとを、閉めたがよい」
「はい」
ふと、次の間をふり向いて、老公は、明りの影から遠くひかえている者へ、
「介三郎。そちは、
と、いいつけた。
次のその部屋の薄暗い加減もあろうが、介三郎の白眼が、らんとして紋太夫のすがたを睨まえているように見えた。
介三郎は、ちと、立ちかねて、もじもじしていた。
「立たぬか」
再度いわれて、
「はっ」
介三郎は縁へ出た。そして橋廊下との境の杉戸もあとから閉めて行ったようである。
「…………」
ややしばし、
「紋太夫、もすこし寄れ」
「……はい」
「いかがいたした?」
「は」
「顔いろが悪いのではないか」
「実は、両三日前からちと、風邪をこじらしました気味で」
「それは生憎な……。さだめし体も
と、
「世捨て人にもひとしい隠居ながら、さて、後々の愚痴は捨て難きもの。それにつけ、何かとそちの事は思い出しておるぞ。主従は
「……はい。夢のまに」
「三十年。いや、もっとになろうわえ。そちは、
こよいそも、何をいおうとする老公なのか。紋太夫はそれのみ怖れて、耳は熱して口は渇いた。夜も静か、老公の声もいと穏やかなのに、ひとり胸の中で
影を描いてひとり影に恐怖しているのである。蒼白なかれの
けれど、老公のことばは、依然、平常と変りはなかった。いや、常よりも
「――いわずとも、その方とて、よく心得ておろうが、
と、いよいよやさしく、
「ひとは誰でも、順調に
「……はい」
「媚びる者に惑わさるるなよ。
「…………」
「紋太夫」
「……はっ」
「わしを信じろ。わしはまた、飽くまでそちを信じよう」
「…………」
畳に汗の音がするばかりだった。紋太夫の膝の両手は、いつか下へ辷り落ちていた。
「……のう。主と家臣とは
「…………」
「武骨者の短所といおうか。光圀かつて、大藩の主にありながら、しきりと思いを国のゆくすえにのみ
大いに、彼の功を称し、また一転して、こういいたした。
「人生、四十五十の境ほど、
――わなないている。
紋太夫は、それをかくせない。
始めは、心のうちで、あらゆる弁抗を考え、また、
(なんの、世事、
と、生来の才智が、あくまで自己の非を蔽う理論を立てて、強いて、心のそこで
かならず、いまに老公の激烈な詰問があろう、叱責がいい出されるだろう。そう予期していたところが、それはちくと触れたのみで、あとは、数十年以来変らない温情にみちたことばのみである。
あまつさえ、この後とも、頼むぞと、すこしも主君顔をされない老公の真情にいたっては、さすがに狡智厚顔なかれも、
(ああ、
と思わず身がふるえて来たのである。どうしてこんなお方に
「…………」
かれはやがてさんさんと
涙はおろか、
「……おっ……お……おゆるしください。紋太夫、いまさらの如く、夢のさめたここちにございまする」
かれは我ともなく
つかえている両手のうえに、がばと、
「
つと、かれは胸をあげた。やにわに後へ退がったと思うと、障子へ向って、ご免といいさま、胸元をひろげかけた。脇差を手に、腹を切ろうとしたのである。
「おろか者っ」
老公が大喝したとき、たれもいないはずの次の間からも、
「――あっ、何を召さる」
跳びかかって、ぱっと、紋太夫の
虚無僧の
「――腹を切れと、おいいつけならぜひもないが、
「や。……お身は、悦之進だな」
「そうです」
「…………」
紋太夫は一語もなく、また自刃する力さえ失ったように、黙然、うなだれてしまった。
格外は、なぐさめて、彼にひとつの暗示を
聞くと、紋太夫は、
「明朝、水戸へお立帰りの
そう告げて、悄然、どこへか立ち去った。もちろんその夜、かれのすがたは、邸内にそれきり見えなかった。
ときならぬ春雷は、
「こういう日を、駕籠のうちに、とざして行くは惜しい」
好んで馬の背にゆられてゆく老公を、
べつに、一挺の塗駕籠は、小石川の
また、そのとき供の内へ、ふたりの者が途中から加わった。ふたりとも笠をいただいて、始終うつ向き加減に、一言も発せず、供に従って歩いているだけなので、佐々介三郎、渡辺格外のほかには、何者やらいっこう知れなかったが、水戸にはいって後、誰にも分った。
一名は
そして、駕籠のうちの老美人は、
こう三人は、老公が江戸を立つ朝、時刻をはかって、府外のさかいに待ちあわせていたのである。すでにこの世の者ではあり得なかった三人が、こうしてつつがなく、しかも同時に、老公の帰山の供に加わり得たということは、もとより自然の運命ではない。老公に助けられたものだった。老公の
この急速な
かれが痛感したにちがいないであろうことは、十年の快楽も、この一夜に
留守のまに、西山の梅は散っていた。けれど、大根の花、菜の花、
「久しぶり、また
帰山後まもなく、老公からいい出されたのである。それが、ふたりへことばをかけられた初めのものだった。
ふたりは、
「きょう
「もちろん、お咎めのある者へ、そんなご用を仰せ出されるわけはない。……だが、悦之進にはまだ何のお沙汰もないな。悦之進は、ここへ帰ってからも、毎日、
「いや、今しがた、お召しをうけて、お部屋へ伺っていた。恐らく同様なおことばを賜わっているだろう」
うわさをしているところへ、その渡辺格外が、老公の部屋から
いや、歳月の行くところ、人のあるところ、いつの場合でも、まったく同じということはあり得ない。
この足かけ三年のあいだに、歿している老人もあった。なぜか、来ない二、三の顔もあった。多少なりとも藤井紋太夫の問題は、ここにも無影響とはいいきれないものがある。
そのかわりおととしはいなかった
又四郎も今夜はおとなしい。棒のごとき無口は相かわらずだが、空井戸の底の哲学と、都会の実世態とは、だいぶ彼を学ばせたらしい。
かれに比して、林助のほうは、そう変らない。ちょっと、小さな戦いの前線へ行って、いまは帰って来ているというふうだ。こんな夜なども、嬉々として友と飲んでいる。
「吉例だそうですから、茶を煮て、老公のお好みのまんじゅうをさしあげよう」
ひとまず、酒のかたづいたあとで、介三郎は客一同へそういった。例の老公好みの

「また、雪乃のみやげか」
老公がたずねると、
「いえ、これは別人の献上でございます」
と、介三郎から披露した。
「てまえが、
そのはなしは、老公も、介三郎からとくに聞いていたし、家臣たちも聞きつたえて、近頃の異聞とみな記憶に新たなことであった。
けれどその勘太は、介三郎がここへ帰山した当時、
「いきなりこう申しましては、ご不審でございましょうが」
と、介三郎は、つぎにそれをいい足した。
その言によると、あの折、勘太は自首して出たことが、かえって幸いして、奉行の公平な裁断の
まま、かれ自身が
(心から生れ変ってやり直す気なら、なにも他郷をさまよう必要はあるまい。
介三郎に
「こよい汁講のある由を、どこで聞きおよびましたか、てまえまで、
終始、老公は感動のうちに聞いていた。その勘太は、まんじゅうをこれへ届けると、すぐ立ち帰ったのか、とある老公の
「いえ、まだお台所の外におりましょう」
と、介三郎は答えた。
「こよいは、大ぜい様のお集まり、何かのご用もありましょう、ぜひ手伝わしてくれいと申し、お台所の外に佇んでおりましたが」
聞くと老公はすぐ、
「呼べ。これへ呼べ」
と、かさねていった。
老公は自身、縁がわまで出て、
「勘太にも、
と、いった。
人々は、かれの光栄を、かれの身になって歓び合った。ところが勘太は、
「ご
「ははは。そうか」
老公は、哄笑して、
「偉いお方と約束したの。しかしおまえも神と語れる人間になったわけじゃ。めでたい。めでたい」
「ご褒美をください。……ご隠居さま、勘太に、おねがいがございます」
「褒美をくれと」
「はい。……まだ人間の端くれでございましょうが、この頃はもう怠けてはおりません。へい。遊び暮してはおりません。また、悪い事はしていません。湊川の土かつぎを、いつもしている気で、働いていることは
「だから? ……。何を望むのであるか」
「その、おまんじゅうを一つ、ご隠居さまのお手から、拝領させてくださいませ」
「……あ。これか」
老公は、盆のうえの、
介三郎も。――また介三郎から、かねて勘太の身の上を聞いていた人々は、ひとしく勘太の心根に眼の熱くなるここちがした。
かれにとって、一個のまんじゅうは、いま最大な希望にちがいない。人間の段階を、諸人とともに踏み上って行こうとする最初の自信と、よろこびとを、かれはまんじゅうの味から身に
(うまい菓子が食べたければ人なみになって来い。わしの店で売る菓子は、おまえ方のような怠惰な者に食わせるため
おととし、
「介三郎」
「はっ……」
「勘太へ、まんじゅうを取ってつかわせ」
「ありがとう存じまする」
介三郎はわが事のように礼をのべた。そして自分の
「勘太……。いただいたぞ」
と、縁先へすすみ出ていった。
勘太はまんじゅうを喰べた。
押しいただいて、それを二つに割って、口へ入れるまでの間に、
「…………」
「みなも
ふと、老公は、席を顧みて、一同へいった。老公も喰べた。
先生は常州 、水戸の産なり、その伯 疾 み、その仲 は夭 す。先生 夙夜 膝下 に陪 し戦々兢々 たり。
その人と為 りや、ものに滞 らず、事に著 せず、神儒 を尊んで神儒を駁 し、仏老 を崇 めて仏老を排す。
常に賓客 をよろこび、ほとんど門に市 る。暇 あるごとに書を読みかならずしも解するを求めず。よろこべど歓 びを歓びとせず憂 へども憂ひを憂へとせず……
誰かと、吟ずる人を見ると、座中もっとも沈黙をまもっていた人見又四郎であった。その人と
常に
みな襟を正し、みな
この一篇の文章はたれも
石は朽ちない。朽ちないものへ、あえて自分で自己を書いた老公の心理には、寿碑を建つほど生きてもなお――何かなおこの世に
――月の夕 、花の朝 、酒をくんで、意に敵すれば、詩を吟じ情を放つ。
声色 飲食 は、その美なるをこのまず、第宅 器物 はその奇なるを要せず、あれば則ちあるに随 ひてこれを楽しみ、無くば則ち無きにまかせて晏如 たり。
蚤 くより史を編むに志 あり、されど書の徴 すべきもの罕 なり。ここに捜 りここに購 ひ、之 を求めて之を得たり、微 しく選 むに稗官小説 を以てし、実を
ひ、疑ひ闕 き、皇統を正閏 し、人臣を是非し、輯 めて一家の言 を成せり。
元禄 庚午 の冬、しきりに骸骨 を乞うて致仕 す。はじめ兄の子を養 うて嗣となし、つひにこれを立て以て封 を襲 がしむ。
先生の宿志 、ここにおいてか足れり。すでにして郷 に還 り、即日、収 を瑞龍山 先塋 の側 に相 し、歴任 の衣冠魚帯 を
め、載 ち封し載ち碑 し、自ら題して、梅里先生 の墓 と曰 ふ。
先生の霊は永くここにあり嗚呼 、骨肉は天命終るところの処に委 せ、水にはすなはち魚鼈 に施 し、山にはすなはち禽獣 に飽 かしむ。何ぞ劉伶 の
を用ひんや。
その銘 に曰ふ。
月は瑞龍 の雲に隠 るといへども、光はしばらく西山の峰 にとどまる。
碑を建て、銘 を勒 するものは誰ぞ。源光圀 字 は子龍 。
*
先生の

先生の霊は永くここにあり

その
月は
碑を建て、
むかし、

(わしが死んだら、この

といっていた。
「劉伶の

(わしが死んでも、それには及ばんよ。ねがわくは
月ハ
ただしこれは、里のうわさと、何かにつけ、老公の健康を案じる一部
余りに、老公のすがたを見ないからであろう。また、折々の客を辞して、西山の門は、いつも変らない
秋もすぎ、やがて冬も、人目立たない間に、いつか
十一月の
霜の白い朝だった。
庭の一隅で、
「きょうはちょっと、城下まで行って来たい。留守をたのむぞ」
と介三郎がその出がけに立寄って、共に焚火へ手をかざした。
「いいとも。――が、ご隠居さまへは?」
「いま、お願いして来た。十年一日のように、あの
「むむ。……わけてこの、一、二年のお悩みは、さすがにお体にこたえたらしゅう拝される」
「憎いの」
と、介三郎は、ふいに、きっと下唇を噛んで、
「それもこれも、みな
「いまとなっては、老公もすでに余りに老境。当主
「なぜ、この春、ご出府のとき、ひと思いに、悪徒を裁き、紋太夫に腹を切らせなかったか……。ああ、老公のご仁慈も、かかる結果を見ては、お恨めしい。もどかしい。――考えると夜も眠られん」
「
「ひとり又四郎に限らず、いつ何が起るか、予測はできぬ。悪徒の一味はまた恐らくそれを待っていよう。――うかつに起てば、暴徒、逆徒などと、あらぬ汚名をきせられるのは当然だ。
「やめよう。……ああ煙たい」
悦之進は、棒のさきで、落葉の火を掘りながら、顔をそむけた。
「いかになりゆくやら。――要するに水戸も
「悦之進。では、行って来る」
「帰りは、夜か」
「さあ、分らぬが」
「夜にかかったら、途中、油断を召さるな」
「ははは。それだけは、だいじょうぶ。……きれいに染まったなあ、
呟きながら介三郎は、もう解けかける霜の道を、ひとり淋しげに出て行った。
どこかで
「女房。――女房」
「
「はい」
魚を焼いていたひとであろう。勝手口から出てゆくすがたが見える。荒涼、廃園にひとしいほど、あるじの又四郎が住み荒していたこの家も、どこか艶が出ていると思われたら、故あるかな、このひとがいた。
このひととは、いうまでもなく、かれが呼ぶところの女房である。お
(ぜひ
これはその後、老公の命によるものである。
(棒に花が咲いた)
と、かれの友はからかったが、又四郎としては、そうてれてもいない。
お次の親たちが江戸から来て、いとも質素に、
けれど、棒は相かわらず棒を脱却していない。書斎を閉めれば、読むか、寝ているかである。書斎をひらけば、独座、鼻くそを掘りつつ、雲を見ているか、毛脛を撫でているかぐらいなものである。
ひとりぶつぶつ何か呟いていることがある。お次は一緒になってからよけいに、
(変なひと)
と、思っているらしいが、銀河の晩、大川端をさまよい歩いたあの当時から見ても、その愛は、決してそれ以下にはなっていなかった。
(空論の徒を
棒のひとり
(これからは、大いに学問もしてみよう。同時に、実践も併行してだ。――人生しつつ人生に学ぼう。もっと世間に対して謙虚に教えを乞おう。……まず女房をもってみるなど、至極いいことだ。家庭をもたないうちの国体論など、いまにして思えば、その
いまも夕雲の赤きに対して、かれはそんな
やがて、妻のお次が、庭石づたいに、客を誘って来る
「又四郎。何しておる?」
「おう、
「寒いのに。……禅か」
「禅?」
苦笑して、
「なあに、女房どのが、
「では、玄関へまわろう」
「迎えに立つのが
――
「何も、ございませぬが、お寒さしのぎに」お次はそこへ酒を出しておいてから、何くれとなく、主婦の仕事を片づけていた。そして、
「控え徳利のお酒はまだございましょうか。……鍋のお火加減は?」
と、客に馴れないすがたを、部屋の端に見せた。が、又四郎も客の介三郎も、かの女に、一顧を与えるでもなく、杯を下に、凝視と凝視をむすんで、無言をまもり合っている。
――見れば、酒も
「なぜだ。なぜ不同意か」
激越な語気である。かつてこんな語気を吐かない介三郎の口からそれがいわれているので、主客の感情が、
「理由はない。嫌なのだ。ただそれだけだ」
噛んで吐き出すように又四郎は
「……では、おぬしが、かつての情熱は、うそだったのか。お家を泰山の安きにおき、老公の意を安んじ奉るには、身をすてて、奸を討つしかないと、
「佐々。……嘘とはなんだ」
「わるいか。こういったのが」
「嘘も、ただの嘘はまだ流しも出来ようが、情熱を
「…………」
介三郎は
介三郎が、これへ坐るなり、胸のそこを割って、かれに求めたのは、要するに、
(もう事態は最悪だ。われわれ側臣の
と、いうことであった。
又四郎に否やのあるはずはない――と、会うまえから、信じきっていた介三郎は、かれの一言に茫然とした。
(いやだ。そんな無謀は)
それからの論争なのである。
かつては、又四郎の行為を、粗暴といい、無謀とわらった介三郎が、位置をかえて、又四郎からたしなめられた。
(
そして杯を洗い、
「佐々さま。いかがでございますか。何もございませぬが、まずおひとつ」
と、すすめ、良人の又四郎へも、
「ちと、冷えましたが、お酒をあたためるまで、あなたも、すこしお客さまへ、おすすめして上げてくださいませ」
と、双方を程よくなだめた。
介三郎は、快くのみほして、
「お内儀、とんだ客で驚かれたであろう。この客は、あなたの良人へ、
と、笑ってすぐ、
「又四郎、さらばだ」
と、席を起った。
又四郎は、そのまま、
「帰るのか」
「友ならぬ異心の友と、酒を飲んだところで
「そうか」
「――が、もう
「なに」
「貴公はしきりと、いちど失敗した
さっさと、部屋を出て、介三郎はうろたえるお次より先に、ひとり玄関へ去ったかと思うと、もう庭の闇で、門の
ちびり、ちびり、又四郎はそのあいだを、手酌で二、三杯飲んでいたが、ふいに起って、
「お次、
と、障子をあけた。
帰った客のことばといい、良人の顔いろといい、お次は、胸さわぎに、答える声も出なかった。
「出さないか。草履だ。はやく持って来いっ」
どなられて、はいと、うろうろ立ったが、また叱られた。
「玄関へではない。ここへ持って来ればいいのだ」
大刀を腰にして、かれは
「戸を閉めて、さきへ
門を出ると、又四郎は急に足を早めた。元より介三郎のあとを追って。
「おういっ」
暗い冬の風のなかに、先の影は立ちどまった。――振り向いて近づく跫音を待っている。
もう町に近い枯れ野だった。道の曲りかどに高い
「佐々。待て」
「……お。又四郎か」
「はなしがある、いいのこしたことをいいに来たのだ。そこの木の根へでも腰かけてくれ」
「もうはなしはないはずだが」
「――と、おれも思ったが、つらつら考えてみると、同じお
「その友を裏切っても、おぬしは独り無事でいたいといったではないか。にわかに恥じて、追いかけて来たか」
「いや、その考えに、変化はない。……が、以前、貴公に
「無益だ。拙者のかたい……」
「ほかならぬ佐々介三郎の思い極めたこと、おれの諫めなどは、むだとは思うが、
「おぬしにも信義はあるのか」
「何とでもいまはいえ。いわばおれは敗軍の将、甘んじて
「その態度は、きのうまで、われわれがじっと取って来たものだ。貴様がいまになって、そんな事をいい出すのは、口実としかうけ取れん」
「まだ早い。そう思うのだ。ほんとに堪忍をやぶるのは、老公をお見送りしてから後でもよいことだ」
「お見送りして? ……」
「はや、ご老齢。お待ちするわけではないが、天寿にはかぎりがある」
「気のながい」
「いや、短い人命なればこそ、長い先を考えるのだ。老公を見たまえ、百年はおろか、
「しかし、お家の危機をどうするか」
「それだけを、何とか、必死に支えよう。おたがいが力を
「その方法があるくらいなら、なんで佐々介三郎がさきに立って、おぬしに大事を
「ないか」
「ない。断じてない。……おぬしはその後の江戸の事情を知るまいが、この春、藤井紋太夫が
もちろん又四郎には良策はなかった。といって彼は、自分の考えに、毛頭、訂正の必要をも感じていない。
もうだめだ! とか。
いまが最後だ! とか。
こういうことばにも、又四郎は近来、そうすぐ悲痛に打たれなくなっていた。なぜならば、かれはかつて空井戸の底で、毎日毎日、それを呻いていたものだった。そしてそれが決して、最後でもなく、だめでもなく、
最後だとか、だめだとか、そんな絶対的な声を、同じ者の口からも、世間のあいだにも、たびたび耳にする事実に見ても、それが真実のだめや最後でないことが分る。
真実のだめ、ほんとうの最後、そんなものは、意識の
いや極言すれば、この世の悠久を信じる人間には、最後もだめもないはずである。すくなくも老公を中心として、生涯を国史の編修に捧げた者の心のそこには、それがなくてどうしよう。――老公の
「…………」
又四郎は、そういう意味のことを、介三郎へ答えたかった。けれど平常から思慮の深さでは自分などの遠く及ばない人である。その思慮深い介三郎へ今さら何をいおう。釈迦に説法でしかない。――で、彼はやにわに介三郎の手くびを
「果てしない押問答、むだな争いというものだ。このうえは、西山荘へ参って、老公に是か非かのお
と、促した。
「ばかな」
振払って、介三郎は、
「かような事は、老公のお耳に入れてすべきことではない。たださえ憂いのお深いところへ」
「お耳に入れても、入れないでも、結果は同じだろう。ご心配をかける点も同じだ。凡庸なご隠居さまなら知らぬこと、老公ほどなお方、べつに仰天はなさるまい。――やるがよいと思し召せば、眼をおとじ遊ばしても、やれと仰っしゃるに相違ない。また、拙者の考えと同じなら、よせと
「……むむ。そのことばには一理がある。事ここに至っては、老公におかれても、はや是非なしと仰せられよう。又四郎、来いっ」
意を決したか、介三郎は敢然、大股にあるき出した。
否やはない、又四郎も歩いた。
町へ出る。街道すじは、寝しずまっている。
夜半の風は、針のようだったが、ふたりは寒いとも思わなかった。いや二里もあるくと、肌に汗をすら覚えた。
飽くまで無言のまま歩いた。
いつか、道はほの明るい。朝霜のうえに、田の
「お。……夜が明けた」
急に、はなしかけたわけではない。一方の
そして、
「やっ? ……。彼方から来るお駕籠の列は」
「老公のお出ましらしいぞ」
「はてな。
「もしや、ふたたび」
共に身を橋の傍に避けて、霜の大地にひざまずいていた。
供の顔ぶれはいつもより目立って多い。
――といっても、駕籠、
「やっ? ……。
と、さも驚いたように、立ちどまった。
駕籠のうちで、老公の声がした。――停めよとある。そして、
霜より白い
「介三郎でないか」
「はっ……」
「又四郎もいたか」
「……はい」
ふたりとも、ただそれしか、答え得なかった。
老公の裁きを仰いだ上と、ゆうべから五里の道をあるき通して、ここまで持って来た是か非かの
駕籠をあけて、寒い外気に触れたせいか、老公の鼻はすぐ赤らんだ。しばし
「にわかな出府にかかわらず、両名とも、よう待ちうけたの――おそらく、このたびの出府が、
と、いって、すぐ駕籠の塗戸をしめさせた。
「…………」
ふたりは、顔を見あわせた。
もう駕籠はさきへすすんでゆく。
「すこしも知らなかった、ご出府とは。……お支度にあたって、ご隠居さまには、拙者の帰りの遅いのを、お怒りではなかったか」
「そんなご容子はいささかも窺われなかった。渡辺悦之進どのからも、おとりなし申しておったし」
「悦之進といえば……悦之進だけが、お供のうちに見えぬが?」
「ゆうべ、先に、
「そうか……」
と、ふと、また、駕籠のうちから洩れる
「すこしお風邪気味のように窺われるが、どうして、かくは急に」
「侍医の
「――おそらくこれが、出府の終りであろうなどと仰せられたが」
介三郎は、胸のうちに、素足で霜をふむような
人見又四郎も
江戸表に着いて、小石川のやしきに入ると、老公は、風邪ごこちやら、多少つかれ気味ともいわれて、四、五日は陽あたりのよい南の一棟に静養していた。
「ご隠居さまが渡らせられると、何となくこの
と、小石川の家臣たちは、お
そういう空気を
日頃は
障子にも、廊下にも、冬日はいっぱいに
「玄桐どの、玄桐どの」
侍医の井上玄桐は、たれか? ――とうしろを振りむいた。そしてやや曲り加減の腰を急に伸ばし、
「やあ、紋太夫どのか」
と、若い者みたいに、元気に笑顔を示した。
紋太夫は、歩み寄って、
「今朝がたは、どんなご容体でございますな。夜前はちと、ごきげんにまかせて、お相手とはいえ、
「いやいやご隠居さまには、今朝ほどはもうお床を払っておいでなさる。まだ、お
「やはり軽いお風邪の程度とみえる。壮者もしのぐお元気、ご心配はないでしょう」
「が、何といっても、お
「多少は、お弱りが、窺われますかの」
「おととしよりは去年、去年よりはことし、あれほどお好きな
「このたびのご出府には、何ぞにわかに思い立ち遊ばしたことでもおありなのであろうか」
「いや何、別して、ご用のあるわけはない。――やはり仰せられている通りでおざろう」
「どういうことを仰せられているので」
「申すもちと辛いが……ご自身でも、はやご老齢を観念あそばされたか、このたびが、江戸表の
「では、こんどを、最後のご出府として?」
「お胸のうち、ひそかに、このお
「…………」
長年仕えている井上玄桐は、ふとかなしげな眼をそらした。紋太夫も、
ふたりは、相伴って、老公の部屋へ行った。拭き磨いた廊下に、冬日が
(どうも、さして、ご老衰ともお見うけされないが……)と。
ゆうべも、
「紋太夫か。そちの見えるのを、心待ちにしておった。そちならでは、かなわぬ儀もある。ちと相談じゃ、もちっと寄れ」
と、いった。
思いもうけぬ相談事であったらしい。まもなく紋太夫は
けれど悪いことではなかったとみえ、かれの
(――まず、この分ならば)
と、肚のそこで、ひそかに
かればかりでなく、かれと
もちろんそれらの輩は、紋太夫の一味であって、紋太夫と同じものを抱いて老公を
それはともかく、数日の後、在府の家中一統の者へ、老公の名をもって、それぞれ案内状がまわされた。
能楽の招きであった。
小石川の邸内には、以前から
先々代
予もはや六十有余、この歳寒 をこえては、ふたたび出府の儀もおぼつかなく思われる。
就いては、このたびを江戸への出納 めとし、また家中の子弟どもへもそれとなく名残を告げたく思うにより、一日、妻子眷族をみな連れて、能楽堂に寄るがよい、予も、舞い納めに舞うであろう。
そして月日は、元禄七年十一月二十三日とあった。就いては、このたびを江戸への
その日にいたるまでの数日間というもの、紋太夫やその他の家臣は、当日の支度に忙殺された。
「……天気はどうかなあ?」
それも案じられたひとつである。
何分、
「もし降りでもしたら?」
と、万一の場合までを考慮して、手配は万全を期していた。
二十三日の朝は、幸いにも、好晴であった。しかも風さえなくて、あたたかな冬日が、邸内の
定刻に近づくと、さだめられた門から庭づたいに、拝観者の家族は
子の大勢なものは大勢を従え、祖父母や両親のあるものは、祖父母両親にかしずき、きょう初めてご邸内を
同家中なので、その一組一組とのあいだに、日頃の疎遠のあいさつが交わされていたり、大きく成った子を
「……あ。もし」
「――皆さま方は、藤井紋太夫どののご家族でいらっしゃいますか」
すると、他家の女房たちと、何か
「はい。これにおりますのは、紋太夫どのの母御、また子息たち。わたくしは、妻でございますが」
と、しとやかに礼を返して、用向きをたずねた。
「お迎えに参ったのです」
「――特に、老公のお旨で、ご家老のご家族だけへ、あちらでそっと、お目通りをゆるされるそうでござる。てまえどもに
と、秋山村右衛門と二人して、先に立った。
「えっ、お目通りをたまわりますとな」
紋太夫の母は、光栄にわなないて、もう涙ぐんでいる。妻は、その手をとり、ふたりの息子は、あとに従った。
息子はどっちも父の紋太夫に似て端正の
「可愛いさかりですな」
そのせいか、三右衛門は、案内に立ちながらも、その二少年ばかり見ていた。少年たちの母は、かれの世辞を笑って、
「どういたしまして、可愛いさかりなどは、とうのむかしでござりまする。ふたりとも、きょうばかりは、
「ご老母は、おいくつか」
「六十になりまする」
「紋太夫どのの……?」
「いえ、わたしの」
「ご家老には、こう打揃ってご家庭でもめぐまれておられますな」
「いえいえ、年じゅう忙しい身なので、わたくし達と、
よく語る夫人である。それに今日は気も浮々しているらしい。なお何かいいかけたが、老母がそれとなく袂をひいたので、ようやく口をつぐんだ。
かの
奥庭だろうか。木立のなかに、五輪の高い石の塔が見えるほか、ここらにはきょうの客も見えないし、家臣の影さえ見当らない。
「……おや?」
ぎょっとした。――かの女の唇は白くなった。すぐそこに、
「おそれ入るが、あれへお乗りください」
三右衛門と村右衛門は、そこに並んでいる
しかも、その側にまた、べつな侍が三人、
「やあ、ご苦労でした」
「お待たせ申した」
双方のあいだに、こう会釈があって、三右衛門はふたたび、紋太夫の妻をうながした。
「ともあれ、これにお乗り下されば、委細はあとで分ります。――老公のご命令であります」
「……はい」
老母の顔を見、また、うしろにいる二人の息子を顧みた。
息子たちは、何のためらいもない。母に
「これに乗って、どこへ行くんだろ」
それだけが不審そうであった。
剣持、鹿野のふたりは、老母を介添えして、駕のうちへ移し入れ、やがてほかの三挺も納まると、
「駕の者。急いで行け」
と、不浄門の陰へいった。
駕は、門の外へ出た。――剣持、鹿野のふたりは先に立ち、ほかの三名は、後に
そう遠くではない。時間にしても短かった。――
紋太夫の妻が、そう思っていた頃、駕はふいに、坂道の途中でとまった。
「あっ。
駕のうちから出されると同時にかの女は口走った。
将監というのは、藤井家の親戚で、紋太夫には伯父にあたるひとである。
「ご子息たちも降りられい。ご老母も……」
ここまでは、海野三右衛門や秋山村右衛門も、至極、鄭重であったが、紋太夫の家族四人をそうして、門の内へ突きやると、
「――お渡しいたしたぞ」
と、もう
門内には、十名ばかりの役人が、奥の出入口を監視していたが、
「おう、たしかに、受取った」
と、その
断るまでもなく、みな水戸家の臣だ。家宅捜索でも行ったらしく書院などに、
紋太夫の家族たちが、そこの奥へ引っ立てられて行ったかと思うと、やがて、わっと泣く少年たちの声と、すすり泣く女の声とが一瞬、洩れて来た。
「裏手の戸、通用口、勝手元、すべて外との往来を禁じるのだぞ。戸などは、釘づけにしてよろしい。
上役の一名が、何か、見つけ出した手紙の束や書類など、一抱えにしながら、あとに残る部下へいいつけながら門を出て来た。
「やあ、ご苦労」
あいさつを交わしながら、海野三右衛門がたずねた。
「どうしたのだ? ……だいぶ泣き声がするが」
「いや何。奥の一室まで来たら、
「そうか。するとやはりきょうのことは、虫も知らせていなかったとみえるな」
「知ろうはずはない。……けれど老母はさすがに、立派なものだな。――こういう日が来るのはむしろ遅すぎるくらいだとつぶやいていた」
「むむ。そういっていたか」
「もし、何の事もなく、きょうのご隠居さまのお能を拝見していたら、そのほうがかえって、心のうちは苦しかったろうに……。そういって、泣き狂う紋太夫の妻をなだめておった」
話しているうちに、もう
「これから、どこへ?」
「そうだ、時をたがえてはなるまい。すぐ藤井紋太夫の
駕について来た人々は、ふた手にわかれた。一方は飛ぶがごとく元の道へ、また、海野三右衛門、剣持与平、鹿野文八の三人だけは、べつな道へ急いで行った。
江戸川の
そこの表門へ向って、四、五軒ほどてまえの屋敷塀の角まで来ると、
「待てっ」
と、横からとび出して、両手をひろげた男がある。
何者かと、
「やあ勘太、そちもここへ、何かしに来ているのか」
剣持与平は、かれの物々しい足ごしらえや、道中差を落したすがたを見て、不審にたえないような顔をした。
勘太は、剣持与平らの不審にこたえていう。
水戸表でもこんどの老公の出府に不審をいだく者がすくなくない。
ある者は、
(きっと、大事件が起る)
と、風説し、また一部では、
(こんどのご出府こそ、老公がさいごのものとなるであろう)
といっている。
宿場問屋に働いている自分ごときものには、
(何か、自分のようなものにでも、出来ることがあるなら、お役の一端にでも立ちたい)
という気持がおこり、急に江戸へ出て来て、
(べつだん事件も何もありはしない。また、志はありがたいが、そちなどの力をかりることもない)
とあっさり断られたので、この前、泊ったことのある浅草見附の
(すこし手が足りないから、貴様も来い)
とのことに、どこへ何しに行くのやら分らないが
与平は、苦笑して、
「そうか。ではそちは、ここに立って、見張をしておれといいつかったのだな」
「へい。たれか、不審な者でなくとも、この邸へ来る客とか、また、
「大事な役目だ。ぬかりなく頼むぞ」
「承知しました。……では、旦那がたも」
「ムム、
と、剣持与平と海野三右衛門のふたりも、勘太をのこして、土塀のみねをこえ、
白昼、どうしてそんな行動をとるのか、内部でどんなことが行われているのか、彼自身正直にいっているとおり、勘太には
ただ、うっすらと、察しのつくことは、ここが藤井紋太夫のやしきである点から推して、いよいよ最後の断が、悪人の元兇に下されて来たにちがいないということだった。そして、その正義の
一方。
邸内に飛び降りた剣持与平は、すぐ表門の小屋をのぞいてみた。門番一名と、
「…………」
与平たちの姿を見ると、かれらは大きな恐怖の眼をして、たちまち顔を土気色にした。すぐそこを立ち去って、裏門のほうへ廻ってみる。――途中、ふた棟ある
裏門は、閉まっているきりで、異状はない。だが、庭へはいると、そこここに、
「だいぶやったな。……それにしては静かな」
と、つぶやきながら、書院の縁に近づくと、すぐそこの障子の蔭から、
「やっ、あぶない。貴公とは知らず、すんでに」
と、太刀を片手にした渡辺悦之進が、
「思いのほか、留守には、家来やら用心棒やら、さむらいどもも大勢おったらしいのに、よく手際よく……」
出あいがしらに、剣持与平が
「いやいや、
「して、ほかのご両所は」
「江橋林助はいま、その女たちを、奥の一室へ閉じこめて、
「まだ、見つからぬか」
「柳沢との往復の文書が、その
「まだ、お国許におる一味の者とやり取りした手紙が、たくさんになければならぬはずだが」
「用心ぶかい紋太夫のこと、そういう後日の証拠となるようなものは、ことごとく焼きすてておるのではあるまいか」
「土蔵を見たか」
「まだ見ない」
「よし、われわれは、土蔵へはいってみよう」
「だめだ。鍵のありかが知れない」
「
「その用人が、頑強にてむかいして来るので、介三郎が、斬ってしまった」
「……ちと、早まったな」
すると、奥のほうで、
「悦之進、悦之進」
と、その介三郎の声がし、すこし間をおいてから、また、
「あったぞ、だいぶ」
と、狂喜しているのが聞えて来た。
みな、そこへ駈けて行った。ふた間、三間ほど、家捜しして、足の踏み場もないほど家財調度のちらかっている中に、一個の
「おお、それがみな、一味の往復したものか」
「急場だ。つぶさに、選り分けてもおられぬが、だいぶそれらしい者の名が見あたる……」
「およそに、持って参ろう。仰せつけには、多分なものは
「おお、連判か」
「それはないか」
「ない。……どこを捜しても」
「あとの反古はもうよい。それを捜せ。それひとつが欠けては」
かねて、紋太夫の手許には、かならず一味徒党の連判した
しかし、ふつうの物とちがい、常識でもそういう重要なものを、
「土蔵だ。土蔵にちがいない」
こう信じて、江橋林助と与平は、土蔵の扉や窓へ寄って破壊を試みたが無益だった。
――すると、それまで、いたのかいないのか分らないほど、薄暗い一間に佇んで、しんと口を閉じていた人見又四郎が、血に
「わかったっ」
と、ふいにその血刀のさきで、茶の間らしい
紋太夫の手飼の家来やら食客らしい者など、約十名あまりも出合ってよく防いだが、わけても、最後の最後まで、奮戦に努めて死んだ
その用人は、五十がらみの小男だったが、非常な敏捷さで、
――又四郎はふと、その用人の行動を思い出して、
(なぜ彼が、わざわざここへ引っ返して、最後まで、その室をうしろにして、斃れたか?)
を考えていたのであった。
そう疑いながら、何気なく、その用人の死骸の位置を、ふた間ほど隔てた一室から見直していると――まだ虫の息ほどな余命をもっていたらしく――かれの最初斃れたところにその姿はなく、いつのまにか、六、七尺も室内のほうへ向って居どころが変っていた。
――のみならずである。
その用人は、見ているうちに、二寸、三寸と、畳に血のあとを引きずりながら、大きな炉のそばまで、這いすすんでゆき、しかも、時々必死の眼をつりあげて、
もとより虫の息なので、かすかに首を
「……?」
又四郎が、はっとしたのは、その姿に打たれたからだった。そして、ややしばし凝視の後、われを忘れて、
「わかった!」
と、ほかの人々へ向い、刀でそれを指したわけだった。
かれの声を耳にするやいな、
「何。わかったと?」
佐々も江橋も、また剣持も、わらわらと、又四郎のいる所に寄って来た。
そして、いとど忙しく、
「どこに?」
「連判があったのか」
と、又四郎の手を見、その顔を見、口々にたずねた。
又四郎は、血刀をもって、炉のほうを指したまま、
「あれを見たまえ」
と、いった。
すでに一念のほか何もなくなっている瀕死の用人は、なおやっていた。なお
「……?」
「なんだろう」
「何をやろうとしているのか」
たれにも
又四郎は、炉のそばへ進んで行って、
竹の斬り口は、炉の中に落ちこんでいた。炉には、勢いのいい火があった。又四郎はすばやく手をのばして、あわや焔になろうとする真っ黒な一巻を救いあげた。
「これだ。――一味の連判はこれにちがいない。ご一同、念のため
又四郎からそれを渡された。人々は、佐々介三郎の
果たして、陰謀組の一味、
「……ああ、彼も」
「あの者も」
むしろ意外な名が多い。人々は一瞬、
「よそう」
介三郎は、途中でふいに、連判の巻を、くるくると巻き納めていった。
「まだ、老公のお手もとにも出さぬうちに、つぶさに
「もっともだ」
と、人々みな、異存はない。
「さらば、引揚げろ」
とばかり、さきに手文庫やその他から捜索した往来の書簡反古などと共に、介三郎が
「又四郎は、どうしたか。――又四郎がまだ残っているらしいが?」
と気づいて、そうだと、急に足をとめて、しばらく出口に佇んで待っていた。
が、容易に見えないので、
「何をしているのやら?」
「日頃も、こんな時も、変りのないのろまさだからなあ」
「あれでは、単身、柳沢家へはいっても、空井戸へとびこんでしまうわけだ……」
などと、はや幾分の余裕を生じたので、苦笑しながら待っていたが、依然、あとから出て来る様子がない。
「けたいな男」
と介三郎は呟きながら、ついに家の中へもどって行った。剣持与平も
――見ると、
あとに残った又四郎は、ただひとりで、炉べりにあった用人の死骸を、次の仏間へ運んでゆき、藤井家の仏壇の下に、敷物まで与えて鄭重に寝かしている。
そして、こんな急場というのに、香炉を移して、死者の前にすえ、
「ああ……さすがだ、又四郎であろう」
一刻もはやくここは去るべき場合とは知りながら、又四郎は、あわれと、それに
介三郎も、思わず用人の死骸に手を合せた。誤まった道にこそ立て、その主を裏切らず、その主従の道に殉じていった心根をあわれな限りに思った。
「又四郎……」
と、合せていた
「――
その日の
その能舞台のある建物の位置は、大書院と
一段低く、そこと能舞台とのあいだの庭は、すべて、幕囲いと
そのどこにも老公のすがたは見えなかった。が老公は、きょうの観客ではなく演者であるから、たれもそれを異として怪しむものは一人もない。
ところで、光圀その人は、まだ楽屋の鏡の
そこをさして。
いま、大玄関を上がった一組のうちから、佐々介三郎ひとりだけが、かなり大股な足運びで、廊下を曲がって行った。
玄関に上がった一組とは、いうまでもなく、藤井紋太夫のやしきから引揚げて来た、渡辺悦之進、人見又四郎、江橋林助などの面々である。
介三郎ひとりが、紋太夫の家から押収して来た例の書簡や連判をひと抱えに持って、奥へはいって行った後も、悦之進や林助や与平たちは、壁の陰からのぞいて、
(首尾
と、奥のほうを、いつまでも
(いかにも)
とばかり

一方の佐々介三郎は、勝手を知っている老公の居間なので、いつもの通り
「何者だっ」
と、烈声をひとつ喰った。
見ると、
「おお、佐々どのか」
と、声をひそめて、かさねていう。
「……お待ちかねだ。二度ほど、介三郎はまだかと、
と、促す。
「ご免」
と、介三郎は通ってゆく。
ふたりはまだ後にのこって、
「ただいま、もどりましてござりまする」
介三郎が、縁に手をつかえていうと、すぐ物のひびくように、
「帰ったか」と、老公の声であった。
「はいっ、ちと、遅う相なりましたが、諸事つつがなく」
「つつがなく運んだか」
「まずは」
「やれ……」
と、初めてほっとしたように、老公はつづいていった。
「大儀であった。はいれ、介三郎ずっとはいれ」
そこには介三郎より前に他のふたりの臣が来ていた。
さきに、藤田
ふたりの協力によって、将監の家から没収して来た古手紙や覚え書らしいものが、老公の膝のまえに、
そこへ、介三郎が、縁からにじり入ると、老公は、わずか二、三の書簡だけをべつにして、
「村右衛門、あとはみな、一束にからげておけ」
と、命じ、すぐ膝を向けかえて、
「介三郎、そちが持参のものを見せい」
と、急いだ。
彼方の舞台から聞えてくる
――と、察して介三郎も、
「はっ」
と、
そして、老公の調べに手伝いながら、反古書簡など、一通一通、
老公は、その数あるうちから、たった一片の覚え書と古手紙とをわきへ取りのけたきりだった。
が、やや不満そうに、
「これだけか」
と、問うのを、介三郎は、
「いえ、なお、もう
と、最後に例の連判の一巻を、前にさし出した。
老公の頬に、すこし
「よし」
うなずいて、
「……これだにあれば」
と、独りいった。
そして、村右衛門と、阿部七兵衛にむかい、
「
といった。
ふたりは、
「かしこまりました」
と、礼をして、それを
「…………」
その後、老公は、ややひとみを
「この一巻と、三、四通の文章とを、
「心得ましてございまする」
「では、供をせい。……ぼつぼつ彼方へ参ろう」
いいながら、老公は、しとねから起った。
夜来、側近の者どもすべてに、きょうの物々しい手配は水ももらさぬように命じられ、ここまでは、ただ老公の命のまま仕果して来たが、これからのことは――老公の意中は――
舞台はいま、うしろに
ほっと、観衆の息が、大きく放されると、ゆるい波のように、おちこちの囁きがわいた。
「何というお
「お
「芸のお力……」
「いえいえ、天性のご気品」
「いずれにしても、いまのお
ちょうど、時刻は
家中の家族たちへ、殿よりとして、弁当の折と、
うしろの大書院の
また、その日のお客、九条家の諸太夫や、閣老の
一番の能には、絶倫な精力をついやすものとは、観るだけしか知らない者でも聞いているので、きょうの老公の舞いぶりを見て、その健康を祝しあう声に満ちていた。全藩の家族が、一家のように、
事実、非常なる気力と体力を消耗するにちがいない。老公は、楽屋に入って
「水を」
と、求めると、鏡の間のひかえから、佐々介三郎、つと寄って、盆を捧げた。
それへ、手をのべながら、
「水か……」
主従は、眼を見あわせた。
何かに、はっとしたように、介三郎は老公が干した
「おつかれにございましょう」
紋太夫が、それへ来て、平伏する。ほかの家臣も、ぞろぞろと並び出て、同様に、老公の疲労を気づかっていう。
「さしたる事はない」
平常の呼吸にかえっていた。手ずからそっと襟や額の汗をぬぐう。
人々が寄って、衣裳を解いた。老公は身をまかせている。そして、終ると、
「次の
と、ねぎらった。
「――ご隠居さまには」
と、ひるの支度を訪ねると、
「いま喰べては舞うによろしくない。
と、いう。
「では……」
それぞれ礼をほどこして
「…………」
光圀は、黙然と、ただひとりそこにいた。
鏡の間のひかえにいる佐々介三郎は、いまに老公が呼ぶか、何か、命じるかと、じっと、それのみ待っていた。
藤井紋太夫一味の連判と、証拠のもの四、五通をふくさにくるんだのを
しかし老公の声は、いつまでたってもしなかった。
ようやく、聞えたと思うと、
「介三郎。ぬる茶を一碗」
と、いう声だった。
「はっ」
と、それにさえ、何か胸おどらせながら、側へ寄ると、光圀はすぐ、
「ふくさの物をわたせ」
と、早口に求めた。
介三郎の護持していたふくさづつみの品は、かれの
それから一碗のぬる茶を飲んで、次に、
「
と、命じた。
水滴の四、五滴を硯へ落して、介三郎はやわらかに
それは一ツ何々というふうに箇条書にかきつづけ、料紙二枚半にも亙った。
「
と、介三郎へ筆を返すと、自身
介三郎は
(まだ何ぞ、ほかにご用はありませぬか)
という意味を、眼をもってたずねた。
(…………)
光圀も、無言のまま
礼をして、介三郎は静かに
「そろそろ、おしたく申しあげて、およろしゅうございますか」
と、伺った。
光圀は、うなずいてみせる。
装束方も後見も、能に心得あるお抱えの人々である。光圀は厳かな大人形のように、身をまかせたままだった。
「
と、とどめて、
「時刻は」と、訊く。
なお余裕のある旨を答えると、さらばと起ち上がって一同を顧み、
「少々存ずる旨あれば、鏡の間より予が呼ぶまで、
と、いった。
いい終るとすぐ光圀は隣の鏡の間へはいった。
ここは舞台と同じように拭きみがいた板敷である。一隅に装束をあらためる鏡がすえてある。橋がかりへ出る口には幕が垂れているし、
遠ざけられた人々も、静かに楽屋を出て行った。その人々のひそかに思うには――おそらくこの
が、光圀は、そこにすえてある
「介三郎介三郎」
と、ふたたび呼びたて、
「下段の間には誰と誰とがおるか」
と、訊いた。
介三郎が、
「お医師井上
と、答えた。
すると、光圀は、
「玄桐をよべ。そちは、起たんでもよい。そこからよべ」
「そのへんに藤井紋太夫がおるであろう。紋太夫にこれへと申せ」
と、いいつけた。
藤井紋太夫はまだ何も知らない
自分のやしきに起っている出来事も。
また、ここに招かれて来ているはずの妻子や老母が、きょうの見物のうちにはいなかったことも。
虫の知らせも覚えぬらしい。
庭へ
「おや、ご家老は、どちらへ行かれたか、今し方、ここにお見えであったが」
井上玄桐は、さがしていた。
「ご家老。――ご家老ならあれにおられますよ」
毛氈の上から一人が指さした。見るとなるほど、彼方の廊下のかどに、陽溜りの鴨のように、庭へ向って、しゃがみ込んでいる者がある。
ひとりは鈴木
紋太夫は、食後なので、
玄桐は、うしろへ寄って、
「紋太夫どの。老公のお召しですぞ」
と、告げた。
紋太夫は、ふり向いて、
「は。どちらに?」
と、すぐ起った。
「はやご装束を直されて、
と、聞くと、紋太夫は、小走りに廊下を渡って、下段の
「……お召しでございましたか」
「紋太夫か」
と、横を見た。
「はっ。……紋太夫にござりますが」
「寄れ」
「はい」
「もすこし寄れ」
「……はっ」
板敷のうえである。身ごなしのよい紋太夫は、居ずまいを崩すことなく、つつつつと辷り寄って、更に、ぴたと手をつかえ直した。
――と、同時に光圀の体も、
「…………」
敏感な紋太夫は、このとき初めて、何かを感じたらしい。――それまでの何気なさに、ぎょっと、内面からの脅迫をうけたらしく、ぶるっと
「…………」
「……何ぞ。……なにか、ご用にございましょうか」
「紋太夫。いま申すことが、光圀さいごのことばであるぞ。胸を落着けて聴けよ。――この春のころ、あれほどにまで、予が、自身のいかりを
「……あっ。な、なにを
「いうな」
「おまちがいですっ。……何者かの、
板敷を叩かんばかりに、紋太夫は必死となってさけんだ。
「
と、叱りつけて、光圀は、
「なおなお、今日に至っても、この光圀を、
と、
しかし紋太夫は、耳も貸さぬ勢いで、すぐ抗弁をつづけた。
「何とて、ご隠居さまをば、
「多言は無用」
と、
「とまれその方が、わが
「な、なにを、証拠」
「さこそ――」と、苦笑をゆがめ、
「おおかた、証拠よばわりなど
と、ふくさを膝に解き、さきに
紋太夫はそれを、板敷のうえに
ここ生涯のわかれ目と、懸命なせいもあろうが、由来、機智縦横な彼ではあり、満身の智恵をしぼって、自己の正当を述べ、自己の罪条をいい
「待て」
黙って、数箇条の言い開きを聞いていたが、光圀は、途中で制して、
「さらば、これは何か」
と、連判の一巻を、かれの前においた。
「
光圀は、ひややかに、
「一見にも及ぶまい。その方としては内容の、一行一行、
「……いえ! いえっ」
襟すじからさっと面上いっぱい蒼白の気を漂わせながら、かれは強く首を横に振り出した。
その動作とともに、急に、
「ぞんじませぬ! お、おそれながら、
「ないかっ」
「ああ、余りと申せば」
「余りとは」
「ご、ご
と、いうやいな、紋太夫の手は、連判状をつかんで、
折返してある屏風の一端に、どっと、背をぶつけた。より早く、
「悪人とは申せ、そちも一藩の国老ではないか。……卑怯はすな。
と、半ば、諭すように、半ば怒り
下段の
(あっ、何か?)
と、色をなして、そこを窺い合った。
と、光圀の声で、内から、
「何事でもない。各

と、聞えた。
ぜひなく、人々は
そのあいだといえ、光圀は、左の拳にあつめた藤井紋太夫の襟元を、
「おしずまり下さい」
反対に、紋太夫のほうからいった。
いちどは、身を退いて、逃げかけてみたが、考えてみると、鏡の間は、次のひかえ部屋と、一方の下段の間とに、囲まれているのである。所詮は、逃げ
「……事、ここに至りましては」
紋太夫は、つかまれている襟元を、切なそうに伸ばして、がくと、
「さいごのお慈悲を仰ぎまする。ねがわくは、紋太夫にお手討を賜わりますよう……」
「本心か」
「紋太夫が生涯の言はみな嘘であろうとも、この一言に偽りはございません」
かれの
「――われながら、私は、私という人間を持て余しました。幼少、ご恩顧をこうむってからのご奉公も勉学も、決して、君を
「…………」
涙の
「八幡ご照覧あれ、この春、ご隠居さまの
「…………」
「ご隠居さまのご仁慈をもっても、ご意見をうかがっても、なおかつ、自身のそれほどな反省を以てしても、この性根と悪縁は生れかわらぬ限り
「よくぞ申した」
光圀は、離した手をうしろへ伸ばして、
「不忠者っ」
と、叱って、一刀のもとに切り伏せた。
とどめを刺して、絶命したのを見とどけると、紋太夫の袴で、刀ののりを拭い、鞘に納めて元の位置へ立てかけた。
「
ひかえの毛氈を持って来て、介三郎が、死骸へかぶせていたときである。あわただしく、後見たちが楽屋からはいって来て、光圀を
「はや、舞台のお時刻でござりますが」
「――時刻か」
「はっ。おしたくは?」
後見や
「よかろう」
光圀は、鏡の前に立って、
「介三郎、うしろは?」
返り血はかかっておらぬかと訊ねたのである。介三郎が、何の汚れも見えませぬというと、うなずいて
「
と催促した。
後見と装束方が寄って、光圀の顔に
「
「はっ」
手渡すと、もう光圀ではない。
「――お幕っ」
声とともに、龍神は橋がかりへ出ていた。すでに水を打ったように出を待っていた、見物の眼は、ひとしく舞台にこころを奪われていた。
たれか知ろう、この
無心に能を見物している藩士の家族のうちには、紋太夫の連判に名をつらねている者の妻や母や子達もかならずいるはずだった。――が、春日龍神は、その罪を追おうとはしなかった。いやそれらの家族たちまでも、ひとしく今日の一日を楽しませていた。
*
楽しまずして何の人生ぞや。老公の口ぐせである。
楽しみある所に楽しむことはたれもする。が、そんな浅い楽しみ方ではまだ人生を真に噛みしめたものではない。
楽しみなき所にも楽しめる。
苦しみの中から苦しみの楽しさを汲み出せ。
こんこん人生の楽しさはそこから無限に湧いて来よう。
なぜならば、人生とは、母胎の陣痛から始まって、すべての
「……介三郎、悦之進。落葉をかぶせて火をかけい」
ここ西山荘の庭の一隅。
江戸表から帰来早々、老公は一夜人々をあつめて酒をもてなした。何かこころに一快を覚えるものがあって、家臣やその家族をねぎらう意味らしくあった。
その席につく前に、老公は庭へ出て、左右の者にかく命じたのである。ひと山の落葉はすぐ美しい焚火となって冬の月を
「……これでよい」
老公はにことした。
藩中の加盟者三百余名、もうたれ一人とて罪に問われる心配はない。
「みな、わたくしの臣ならず、一藩のものではない。世の
それしかなかった。
折ふし、落葉のけむりを仰ぎ、ひとり
月は