山谷堀の船宿、
それが馬鹿な売れ行きをみせて、馬琴物も種彦物も影をひそめてしまったので、一九は、すっかりいい気持だった。
『てめえの耳は、ぬか袋か。あれが気にならねえのかよ。なんでえ、あの
『よその子を、どうなるものかね。それに、御浪人じゃないか。うっかりした事を、いえやしない』
ふくれながら、女房は、外へ出て行ったが、戻ってくると、慌てて、大きな塩握飯を二つこしらえて、前掛の下に、小皿を隠して出て行った。
ひどい
『おや、坊ッちゃま、どうなさいましたえ』と、
『あれ、これが、欲しいんでございますか。これは、坊ッちゃまの
と、握飯の皿を置いて、大急ぎで帰ってしまった。
画家の田崎
『ああ、
と、握飯の皿へ、本能的にしがみついて、音をたてて食べているわが子、まだ、五歳の格太郎を、夫婦で、じっと見つめていた。
梅渓は、眼が熱くなった。お菊も泣いた。
『これだな、人間を邪悪にするのも、偉くするのも。この試練だ』
自分は、男泣きに、泣いているのだ。しかもこの七日程、
母性愛と、女のたしなみとに、つつましく、ただ涙の眼で、見まもっているお菊であっても、恐らくは、自分と同じであろう、と梅渓は思った。
数日後。お菊の兄の松井益太郎がきて、一息つけたので、梅渓は、
『
と、いって一九の家へ出向いた。
近所に、貧乏画家が住んでいるとは聞いているが、訪ねられて、会ってみると、一九は怖ろしい圧迫を感じた。衣服などは、
こいつあ、苦手だ。――と一九は、肚の中で
話が、自作の膝栗毛のことに及ぶと、飯田町と池の端も、甘えもンだといっている一九だが、なんだか、見透かされるような気がして、ツイ、口を
『評判は大したもんで。へい左様で。だがあいつあ実は、あっしばかりの智恵じゃねえんで、合作というやつでげす。――
と、そんな、話だった。
この江戸ッ子は、正直だが、やっぱり臭い。
『居るか。梅渓』
飢えている日も、訪れる声は、元気者ばかりだ。
妻のお菊の兄弟たちである。松井の四人兄弟というと、音に聞えている。長兄弥左衛門、次が益太郎、それから利兵衛、文蔵という順だ。どれもこれも、侍
妹の貧乏などは、眼の中には入らない。入りかわり、立ち代りだから
『そんな女は、梅渓には不向きだ、出て行け』
と、代筆の離縁状が、出かねない。
その日は、四人兄弟が、四人づれで出て、
『梅渓、面白いことがある、ちょっと外まで』
と、例によって、誘い出した。
なにかと思うと、神田の和泉橋に、
『よかろう。誰が
俺が、俺が、で兄弟喧嘩が始まりそうだった。結局、酔っぱらいが一人、斬り手一名、後詰三人と役割をつけて、
郡代横丁の居酒屋で飲んで、やがて、和泉橋へ出かけてゆく。梅渓は、わざと足どりを千鳥にして、辻斬を
『おいでなすッた』
と、呶鳴って、抜き打ちに後ろを撲った。
斬り役の文蔵は、梅渓が先を越したので、
『約束が違うッ』
と、不平をいいながら、
『俺にも
『俺にも』
と、またたく間に、
貞節な菊女を出し、こんな調子の兄弟を出した松井家にはたしかに一つの血がながれている。その血がやがて、菊女と梅渓のあいだに
松井家の祖は、家康の甲州入の折に、戦歿している。子孫は、三河の松井田村で、
その金の費いかたなども、振ってる。年中品川へ網打ちにばかり出て、金を
『
と、呶鳴りつけた。
半四郎は、びっくりした。楽屋入り頭巾をあわてて取って、大地に、額をつけた儘、ふるえ上った。男衆が飛んでいって、楽屋へ、急を告げる。顔役をたのんで来る。弥次馬や、町の女たちは、
『
と、木戸銭がないので、すぐ、人垣をつくって、わいわい押している。
『おおかた、近ごろ
と、芝居者が、駈けつけて来てみると、益太郎は、腰の
『貴様は、そもそも、男か女か』
と、半四郎に、奇問を発している。ふるえ声でいった半四郎の答えもよかった。
『はい、実は、男でございます』
『男だと。
『
『甚しい目障りじゃ。しからば汝は、役者という者か』
『岩井半四郎にござります』
『ほ。評判の大和屋だな。白昼、真っ白な妖怪が歩いて来たから一刀の
と、わざわざ、金座で
『――はて、うららかな』
と、扇子で、顔を
然しこういう人間は、松井の四人兄弟ばかりでなく、すでに末期相を
ぼんやりしている勤番者を見つけて、喧嘩を売る。又、八丁堀同心とみると、わざと突っかかる。どてらに、三尺帯か何か締めて、ふくらんだ
『脱ぎませいッ』
と、眼ざわりな、どてらを叱りつける。
待っていました、という調子で、どてらを脱ぐと、松井家が拝領した立て
繩は打てない。奉行は狼狽する。
急に、役人
『早く処分をいたさんか、取調べは如何いたした。
代り番こに、どなる。がんがんと
奉行は、手を焼いて、
『まず、御内聞に、御内聞に』
と、退きさがると、小役人が、扇子の上に、金を包んで、
『どうか、今日の所は』
と、来る。中には、役宅の裏へまわして、馳走する奉行もあった。これは、だいぶ
『少し、
と、こんどは、府外へ眼をつけた。
『すばらしい、釣場だ』
と、釣竿をかついで、出かけた。
袖の下で、帰って貰うと、またやって来るのだ。小費いがなくなると、
『どうだ、中川へ』
『よかろう』
と、帰りは、千住か吉原の予定をもって、釣竿をかつぎ出す。
中川番所でも、呆れて、
『また来た』
と、笑って眺めているほかなかった。
拝啓、今年はだいぶ鱸 の魚鱗多く窺 われ、ほかの魚族も、よき潮模様 と相見え候ところ、近来さっぱり御途絶 、いかがなされ候哉 、秋日 を卜 し、御一釣 おすすめ申上候
しまいには、番所から、こんな手紙が来るほど懇意になってしまったので、もう兄弟の商売は上ったりである。それに、梅渓も、漸く画道の
彼は、野州
士分といっても、足軽に毛が生えたぐらいな格に過ぎない。尤も、藩主戸田
梅渓は、その小藩に運命づけられて生れた。幼名を頼助、後に恒太郎、
便宜上、ここから先、草雲でよぶ。
草雲は、貧乏な君侯と、貧乏な父と、貧乏な自分とを、小川町の藩邸の長屋で生れた時から、持っていた人だと云える。父の常蔵は、足軽二人
この頃、二人扶持が、どんなに
それは、草雲の母ます女が、彼を
『それは弱った。そちの食養が乏しいためか、生れる子は、清も
闇から闇へ――というのである。ます女は、夜更けてから、
『買って来たか』
『いえ……。やめました』
彼女は、良人の顔いろを見ながら、こういった。
『実は、この子を
と、帯の間から、一粒の白石を、出してみせた。
『あの時もし、母が、一服の黄王散を飲んだら……』と、よく語りもしたといえば、これは伝説でなくて、事実に違いない。私も信じる。
だが、私の信じるのは、夢でなくます女の母性愛である。良人を思い直させた彼女の尊い機智に涙ぐまれるのである。鼠屋の前から、黄王散を買わずに、愛の機智を拾って帰ってきた彼女の姿を想い、母胎を想い、そこに宿る無形の白石子を想い、ひいては又、松井家から草雲に嫁いだ菊女、その仲に
生れた草雲は、ひどい腕白者だった。田崎の腕白は、小川町の藩邸に
やがて、きゃッ、という悲鳴が、
老女のせがれが、出てくる、腕白の親が謝罪にゆく、手討にするの、しないので長屋中の騒動になった事もある。
田舎へ、子守奉公にやったが、帰されて来ること、
『これは、縛るに限る』
と、草雲は、十歳で、
当主
然し、小坊主の瑞白は、ちっとも拘束されてはいない。それにこの御隠居が、変り者で、老童が
風呂にはいった時だ。御隠居の大殿様、瑞白が、浴槽をまたいで入る所を、手をのばして、彼の可愛らしき物を、ぎゅっと握り、
『ほ。
と、からかわれた。
幾日かすぎて、又、御隠居の
『オヤ、この
『小僧』
と、御隠居は、掴まれたまま、振り向いて、
『
と、笑った。
更に、この御隠居には、妙な一
『みんみんみん……』
と、独り言をいう。
なんの真似か、家来も、訊いてみる者がなかったが、どうも、
『小僧、それも覚えたか』
この老蝉と幼蝉が、共鳴して、庭をぶらついている時などを思うと、それを眺めている家来たちの、変な顔も、想像されてくる。
二十歳の時、草雲は脱藩して江戸へ走った。画心壮心二つながら、燃えて、じっと、小藩の禄を、
菊女を
『あの、まことに――』と、お菊はよく、顔を
『いつも、いつも、申しかねるのでございますが』
それだけいうと、隣の細君は、すぐ察して、
『お米ですか』と、いってくれる。
『いえ、今日は、その白米は少々ととのえましたが、醤油も、味噌も、きれまして』
『おやすい御用、たんとはございませぬが』
細君は、お菊より年上だった。六畳間には、顔の長い、頬の
『これをさし上げます程に、お宅様に、今夜だけの
お菊は、まっ赤になって、
『所が、
『おや、おや。それでは
と細君は、お婆さんと見えない、ほがらかな声で笑った。これが若い時は
夜になっても、三軒長屋で、灯りがついたのは、左隣りの一軒だけだった。草雲の家は真ん中で、右が星巌、左が灯りのつく家だった。無月の晩などは、狭いだけあって、左の家は、小ぢんまりと、
お墨は三十五六らしいが、まだ十六、七のお房にまけない気で、よく朱塗の鏡台へ、ぺたんこに坐って、いかに老いまじきかと、苦心
彼女の母は、人の
その蒿岳は、もう両三年前に死んでいた。生活費は、困らないようにしてあったとみえて、つましくはあるが、
堀の裏
岸田吟香、松浦武四郎、栗田万次郎、富岡鉄斎、林
『田崎は、できる。親父も親父だが、あれも俊才だ』
といっていた。
その癖、どうかして表で会うと、お房は、襟もとまで紅くなって、気のつかない振をした。眸があうと、唇を乾かして、苦しそうに、ただニコッと笑う。格太郎も、微笑する。それだけの年月が二年もたった。
一方――父草雲はといえば、年ようやく
年
彼に、画心の眼をひらかせた人は、金井
江戸へ出ては、

ひとり草雲のみではないが、この時代の画人や詩家が、どんなに「紙」を尊んだか、惜しんだかを、私たちは、今の
むろん、草雲の如きは、紙に不自由すること、米以上だったろう。

だが、そうして描いた画が、金に代ることは、まだ四十五の草雲にはなかった。――尤も、米を得るべく、遊歴もやり、大道に
『よく、私たちは生きてきた』
と、妻女のお菊は、つくづく思う。
まだちッとも、先に光の見出せない二十五年の真っ暗な行路に、彼女も、少しつかれが見えた。大道で、良人が凧を売れば、共に顔をさらして
『もし、自分にこの妻がなかったら……』
と、時には、草雲の眼にも、神の如く見えたお菊も、女である。近頃は、
そういう所へ――実にそういう所へだった。
或日、ひとりの画の依頼者が来て、
『この絹地へ、秋の
『絹へ?』
草雲は、胸がつまって、思わず、依頼者に聞えては恥しいような
『承知いたした。いつ迄』
『秋の私宅開きに、表装して懸けたいと存じますので』
帰ってゆくその人の
『菊、よろこんでくれ。――これを一つ描き上げれば、少しはおまえのしのぎがつこう』
一度だって、この家に、訪れた事のない純白な絵絹をくりのべて見せると、お菊は、二十余年の闇に、ぽちと、花か、光か、とまれ希望の
『ま……』
と、いった儘、ぼろぼろと涙を流した。
『よしっ、俺に与えてくれた天の機会だ。俺はこれをもって、世間に問おう』
彼の必死な精進は始まった。
絹はわくに張られた。下絵をつける。十度も、二十度もつける。
同時に、彼は、朝か夕かを、浅草の観音へいって礼拝することを日課にしていた。秋に近く、やがて、絵は描き上った。
『む……』
と、筆を
『
と、すぐ思ったが、日課を思いだした。観世音にも、この
彼は、草履をはいた。
十三文の足袋を
『菊、今帰ったぞ』
路地はもう暗かった。――おや、灯りが、まだ――と思いながら、
『格太郎も、まだ帰らぬか』
草履を脱いだが、返辞がない。
その癖、人の気配は、するのだった。
『菊、菊……』
と、つづけて呼んだ。
すぐに、むかっと、草雲はしたのだった。心では、泣いてやっている時でも、妻にはいつも、反対なものを、激しく
『ばかっ。なぜ、灯をつけない。こんな真っ暗な中で、何をしておるのか』
『わたくし……』
と、細い声が、答えた。
そして、妙に、しいんとした暗闇の中に、白い顔が、彼をふり向いて、笑った。
『あっッ』
草雲は、全身を硬ばらせて、側へ行った。
見ると、出かける時に、壁に立てかけていった七草の絵が、畳に横にされている。そして、前に、きちんと坐っているのは、妻のお菊であった。いつも、草雲が画筆に向うように、そこに、筆洗を置き、
それだけならよかったが、お菊は、筆に墨をふくませて、良人が一心をこめて描き上げた秋草の絵を、まっ黒に塗っているではないか。
もう、その手を、掴み止めても、間にあわないのである。七草の絵は、無残な
が、すぐこういう場合に、いつもの
静な、やさしい言葉で、
『菊……。お前、何をしておるんだ』
『はい、わたしは、七草を消しているんでございます』
『どうして』
『淋しい花、秋の七草、どれを見ても悲しゅうございます。それでなくても、秋なのに。……畳から、こんな草が
言ってるまにも、墨が、すッすッと、絹の上を走った。
ぽんと、壁へ筆を抛った。――はっとして早雲は、妻の痩せた肩をつかんだ。同時に、彼女は、うつろな眼をして、
『ホ、ホ、ホ、ホ』
と、高くわらった。
『おいっ。しっかりせいッ、気をたしかにせんか! 菊っ――菊っ――』
彼は、狂う妻を、大きな両腕の中に、いっぱいに抱きしめた。怖らくは、彼が生涯にあらわした愛のうちでも、最大の力と涙をもったものに違いない。
お菊の良人思いな声は、とうとう二度と聞くことができなかった。
貧は、彼女を
青白く、寝床に痩せて、あの夜から、起たなかった。時に、畳の目へ、紙をなめては、
『お前、何をしているのか』と、訊ねると、
『あんまり、
と、答えた。――それがもう肌寒い冬の風が、訪ずれ
程なく、彼女は、生涯を終った。格太郎の悲しみを、草雲は見ていられなかった。同時に、この衝動が、若い彼に、
それが、動機ではないが、果して、次の変化は格太郎の上にきた。恋はいつか隣り同志で結ばれていたのである。
菊女の死に、草雲は、それを忘るべく遊歴に出た。その留守のまに、お房と格太郎の接近する機会があったものらしい。
不義という言葉が、まだ厳正な制裁をもつ時代だったが、草雲は黙って見ていた。わが子の理性を信じたい。同時に、その格太郎は、表面、非常に優しくは見えるが、心には――血には、母の菊から
『母の
たった、一粒種である。草雲は、それを思う。父としてそれを案じる。
草雲四十七歳。世は文久元年。
彼は、格太郎を塾に残して、
急に、彼が、画筆をすてて足利へ戻ったのは、加速度に
隣りの
彼の勤王論と、国家愛とは、
東北諸藩の例にもれず、足利も、小藩のうちに佐幕派、勤王派、二論にわかれて、しかも、時勢のはやさから遙かにとりのこされてどっちつかずに、ただ
そこへ、彼は、帰藩した。
『なに、佐幕派と勤王派と。ばかなっ、今頃になっても、まだ眼があかぬか』
彼は、家老川上
川上は、とくから草雲の勤王論に、心服している一人だったが、
『弱った状態でのう』
と、煮えきらない。
『然し、御家老は、藩の指導者、何を憚って』
『だが近来は、若い奴らの元気が
川上の当惑というのは、江戸詰の藩士が、殆ど佐幕に傾いて、国許の指令ではうごかない状態にあることだった。そして、家中の大多数は江戸にあって、国許の家中は、半数にも足らないのだ。
『よろしい、不肖、草雲がまとめてみましょう』
かれは、早速、江戸藩邸の佐幕派へ、長文の意見書を発した。川上から、
とこうする間に、年が改った。慶応元年だ。京都を中心とする政変や兵変や、あらゆる険しい風雲は、足利の勤王の少壮派十一名を、極端に刺戟して、
『川上
と、さけんで、
『斬ッちまえ! 斬ッちまえ!』
と、いい出した。
『斬るなら、江戸詰の佐幕派の頭目も』
『むろんだ。その前に、よろしく吾々は、脱藩して、事を決すべきだ』
真っ昼間、十一名の若侍は、蔵から
『天に日輪あれど、当藩は、昼間でも暗うござる』
『おお暗い、暗い』
と、藩邸の門を、堂々と通って、脱藩を声明してしまった。
白張提灯の
ともすると、その草雲にさえ、斬ってかかりそうな眼をしている十一名を前に並べて、彼は、
『おれに任せろ、田崎も武士だ』
ひとまず、抑えておいて、彼は江戸へ急いだ。佐幕にかたまっている江戸詰の藩邸へゆくのは、自身を死地へ投げるも同じである。彼は、むろん、死を
ここには、藩でも、
藩邸の評定の間に、殺気にみちた眼が集った。刀と人間とが、厚ぼったく居流れた。草雲は、一方に、坐った。
しずかな語気が、だんだんに、熱を帯びてゆく。――彼が、大義をさけび、時勢を説明し、また、この時代の岐路に立つ戸田藩の正しき方向を、
『だまれっ、
と、どなった者がある。
同時に、それを口火にした
『なんだ! 貴様に他人の思想を指導する資格があるか』
『
『吾々に、勤王の大義を説く前に、なぜ、己れの子に説かん! 汝の一子、田崎格太郎は、われ等の同志だぞ、佐幕派だぞ』
草雲は、ぎょッとした。
然し、すぐその顔いろは、微笑をもって、広間の昂奮をしずかに眺め廻していた。
『――格太郎。成程。したが、あれは
きっぱりと、言った。そして、すぐその言葉にのせて、
『子は親を、親は子を、骨肉互いに
と、一息に、そこ迄いって、
『――論の余地がござろうか、如何に!』
があんと、一言の
『また、各


いつの場合も、誠意と熱は、人を衝たずにおかないものであった。江戸藩邸の反論は、こぞって、彼の赤誠に屈伏した。
すぐ、国許へ、早打が飛ぶ。
戸田藩一致、全藩勤王へ――である。
彼はさだめし、ほっと、肩の重荷を下ろしたであろう。
『だが、これから!』
草雲は、不眠不休のからだを、
わずか見ぬまに、見違えるほど、
『…………』
草雲は、路傍の樹蔭に、自分の姿と、涙で熱くなったその眼とを、
お房は、気がつかない。
何処へ、何の使にゆくのか、小風呂敷を胸に、もっている。そして、背の子を、あやしながら、彼のすぐ前を、通ってゆくのである。
『ああ、子まで
彼は、心で、自分の喉を締めつけた。お房っ――わが子の嫁――思わず呼んでしまいそうでならない。
『
彼は、お房の母親が、格太郎と彼女との恋を、いかに憎悪しているかも、前からよく知っていた。あの火之見横丁の家にも、若い二人はもう住みきれまい。どこに、
慕うにも慕えない、呪われた骨肉、――格太郎はその父を、お房は、母を。
何と、薄命な、夫婦だろう。
草雲は、眼をとじた。
『これも、時代の一縮図だ。ぜひもない犠牲者……』
眼をあいた時には、もう傷々しい彼女は、遠いすがただった。町は、やがての戦禍を予感するように、騎馬の人々、刀槍の人々を、
幕末日本の象徴のように、浅間山は、噴煙を吐いていた。
錦旗の東征は、もう時間の問題である。
西、長州と呼応して、すべての聯絡は、とれていた。そして、佐幕色の多い東北諸藩の中にあって、小さいながらも、この二つの藩は、勤王で一体になることを誓った。
すべての手はずをあわせて、草雲は、足利へ帰った。第一に、彼が着手したのは、先に、誓いを残した少壮の十一人組を中心とする、民兵赤誠隊の編成だった。
山藤三之助、
その頃、新式の元込銃は、一挺が二十五両だった。貧乏な戸田藩では、隊は、編成されても、新式の銃器を買って、兵に持たせることができなかった。
民兵隊の兵は、軍費、服装、自分持ちだったのである。藩からは一人あて、一日米一升の
一方、江戸は、上野に火があがった。
業火の海に、惨鼻な血が、
格太郎は、気ぶりも、父にそれを見せなかったが、塾を中心とする学友たちと、とくから、佐幕派にひき込まれていた。――血と、雨と、泥と、官軍の撃つ弾とを浴びて、みじめに、上野から崩れ落ちてゆく、敗兵の中に、若い彼が見出された。
塾の盟友、松浦武四郎、岸田吟香、栗田万次郎など、同士、七人といっしょに、落ちて行ったが、途中で、みんな、散々になってしまった。
彼は、母の菊女の
母は、この寺の土に眠っているのだ。父は――妻は――子は――格太郎はやがて
たった半年、社会は、急激に変ってしまった。何もかも、御新政気分だった。
田崎格太郎夫婦の名で、生き残りの戦友たちに、廻章がまわってきた。
当時の憶い出を語りながら、一
『田崎も、無事だったか』
岸田吟香は、別れて後、初めてこの消息を手にしたのだった。
早速、その日に、出向いてみると、六人ほどの生き残りの同志が集っていた。
『やあ、生きていたか』
『貴様も』
と、いった調子で、
『田崎はどうした』
『愛妻を連れて来ている』
『ふウむ、お房さんか』
『そうだ、嬰児は、かあいそうに、死んだそうだが、お房さんは相変らず美しい』
『
騒いでいるうちに、夫婦は、静にそれへ来て、一別以来のあいさつをした。お房は、秋の七草の裾模様を着ていた。格太郎は、うす色の羽織小袖、
主人側が、静なせいか、何となく、酒もしんみりとして、別れたのである。それから間もなく、岸田吟香は、彼の宿望だった
『そうだ、これはいつか、田崎夫婦の招きで、笹の雪へ行った晩、帰りに渡されたあれだ……。一月程たってから、思いあたることがあるから開けてくれといわれて、つい、忘れていたが、何だろう』
封を切ってみると、それが、田崎格太郎夫婦の生涯の別辞だった。
『遺書とは……遺書とは、ああ、誰も気がつかなかったろう。これは、大変だ』
と、思ったが、船は、太平洋の波を蹴っていた。
× × ×
湯沢謙吉に、安田治太夫という、
その
『ちょっと、お伺いいたしますが』
と、いう者がある。
『なんだ』
用をすまして、振向くと、赤合羽を着た男が、状箱を首にひっかけて、
『この御屋敷に、田崎草雲という先生がお住いでございましょうか』
『ム、俺たちも今、先生をお訪ねして帰って来た所だ』
『どちらで?』
『その正門を入る』と、安田が、指をさして、
『――入ったら、右について、お長屋へかかると、一番東外れにある二階家だ』
『有難うぞんじます』
と、男は、飛ぶように、急いで行った。
『何だろう? 江戸飛脚らしいが』
と、二人は見送って、
『もしや、御子息格太郎様の身辺に……』
『そう……以来ちっとも、沙汰を聞かぬが』
『然し、それを口に出すと、先生は、いやな顔をされる。気にかかるが、また日を改めて、出かけようじゃないか』
二人は、藩邸の長屋をふり顧って、帰って行った。
その湯沢と安田とを、たった今、玄関へ送り出したばかりな草雲は、すぐに、二階へ上って、もう南向きの窓の下で、画筆をとっていた。
赤誠民兵隊を号令した馬上の田崎恒太郎と、
『はて、風邪をひいたかな』
草雲は、ふと、そんな気がした。――背すじに、しいんと、冷たいものを感じたのである。ゆうべも、
余り、眼が疲れたので、絵筆を持ったまま、脊骨をのばした。と、うしろの
『眼の疲れだ……』
彼は、そう呟いたが、いつ迄も、見つめていた。秋草ばかりではない、人影が、そこにみえるのだ。七いろの草は、その人影の裾模様だった。泣いているように、
『あっ、格太郎……お房……』
どんどん、どんどんどん。
階下で、その時、誰か激しく戸をたたいている者があった。
降りて行くと――
『おお、旦那様』
『や、植木屋の松蔵か。……ウーム、分った。お前が、飛脚として、わしの家へ来るからには、格太郎が切腹を報らせに来たにちがいあるまい』
『えっ、どうしてそれを』
『まあよい、状箱のは、遺書か』
『いえ、小川町の御藩邸からで』
江戸にいた頃、草雲に、近づいていた松蔵は、彼の気持を読んで、そういった。遺書といえば、或は、それすら手にとらないかも知れないと思ったのである。
それを持って、草雲は、黙って二階へ上って行った。いつ迄も物音もしない――
上れとも、いわれないので、松蔵がぼんやりとそこに腰かけていると、あわただしい、跫音をさせて、さっき、辻便所で会った安田と、湯沢の二人が、息を
『おお、江戸の飛脚――』
と、松蔵を見かけるとすぐ、
『今、よそでも聞いたが、先生の御子息は、江戸で、自殺されたというじゃないか。それは、まったくか』
『もう、御重役にも、お報らせが参りましたか。悲しい事には、それはほんとでございます』
『うーむ、して又、何処で』
『伝法院の火之見横丁で――ヘイ前に、お住居になっていた空家でございました。御夫婦ともに、
『御子息は、腹を召されたか』
『横に、こう一文字に斬って、前へ、お倒れなすって居ました。背中から、刀の切ッ先が、二寸ばかり突き抜けて』
『お房どのは』
『短刀で、乳房を突き、そして喉を……』
湯沢も安田も、胸がわくわくして、それ以上訊かれなかった。この悲報をうけとった草雲の気持を考えると、たまらない気がするのである。
『では、なぜ早く、先生にお告げせんのだ。手紙でも、持って参ったか』
『はい、もう、お渡しいたしました』
『なに、もうお告げしたのか。はてな、それにしては、ばかに、お静かだが……』
と、胸騒ぎを抑えて、二人が、二階へ上ってみると、草雲は、さっき訪ねた時と、位置も、顔いろも、寸分も変らないで、一心に、絵絹へ向って、背をかがめていた。
『先生! 先生!』
思わず、
『オオ、御両所、何かお忘れ物か』
『いえ……そ、それではない。御心のうち御推察申し上げまする』
『格太郎のことを申さるるか』
『自殺して、不孝の罪を、おわびなされたからには、もう不忠不孝の罪も消えたわけです。早速、お支度なされて、江戸表へ』
『はて、草雲は、今のところ江戸表へ、何の用事も持っておらぬ。それよりは、この絵こそ大事、明日までに描き上げて、君命どおり、お手元へ、差上げねばならぬ』
『でも、でも……。それは余りといえば』
『いや、格太郎のことならば、御同情は
と、いった。
だが、草雲の耳には、さっきから、山谷堀の裏長屋でよく泣いていた、マンマー、マンマー、というあの声が、どこかで聞えてならなかった。
〔作者附言〕この稿は、まったく日時の余裕がない上に、匆忙の裡に書上げたので、未定稿です。談話、文献の史証を与えられた故草雲の高足、小室翠雲氏その他、筆累の現存の諸氏に敢て末尾に謝意を表します。
(昭和七年)