孫の愛で釣るように、手紙を出すごとにこう上京をすすめていた老母が、やっと来る気になって、三月三日に広島を立ち、途中、
『ほ、これは、どうして知れたのだろう』
茶店へ来ると、母を迎えに来た山陽は、
篠崎
『いつもながらお優しいお心、

『
『大坂見物の折には、
『
もう、随所で、そんな相談が交された。
山陽は、その間を、誰へも平等に快活な会話を
実をいうと、彼は、きょうの案外な知己の好意にすこし迷惑を感じた。なぜというに、この前――三年程まえに初めて母の

『彼は
と、暗にそれを偽善のように言いふらした例があるので、きょうは、誰にも告げずに来たつもりだった。
だが、彼の好きな信長の現われのように、芸州藩の一儒者の家から出て、預けられた茶山の塾の壁に「山
又こうして、すでに一家を成している学者、文人、画家などの一癖ある人間ばかりの間に立って、黙笑だけで頷いていても、彼の
『あ、お見えなされた』
そこへ、兵庫の浜から梅

×

もう一
卑屈な悪口屋の儒者が、瓜園の
『
山陽へは、その眼を見て、こう言っただけで、梅

茶をのんで、やがて帰る人があった。後日を約して、あらかたの人も去った。
今夜は、大坂の八百長に宿の支度がしてあるからという、篠崎小竹の好意に甘えて、近親のもの五六名だけが駕へ移ろうと支度をしていた時である。ふたりの男を連れた、同心ていの役人が、大股に歩いて来て、
『そこに居られるのは、頼先生の御母堂ではありませんか』
と、声をかけた。
『左様です』
と、門人の後藤松蔭が立って、
『何か御用ですか』
『てまえは、御母堂の乗っておられた便船へ、
松蔭の眼が、山陽を顧みた。
『母上、同乗して来たお方が、あの様に申して下さいますが、船中で変ったことでもあったのでございますか』
梅

『いいえ、何ごとも』
『路銀などはございますか』
『失くしておりませぬ』
それを聞くと、同心ていの男は、山陽の方へていねいに会釈をしながら、
『いや、それならば結構でした。実は、便船のうちに、ひとり悪い者が乗りこんでおりましたから、御老体につけこんで或は、何か御災難がありはしまいかと案じられましたので、老婆心までに、ちょっとおたずね申してみたのです』
山陽は、
『それは、わざわざ御親切に、――して、失礼ですが御所属は?』
『大坂の大塩平八郎配下にござります』
『ああ
『計らずも山陽先生にお目にかかって、
『わけての御好意。まだ拝眉を得ませぬが、
――立ち去るのを見送って、山陽は、
『さすがだな。やはり大塩の下には良吏が居る。噂はうそじゃない』
と、呟いた。
×
夕刻、八百長の楼上にくつろいで、とにかく、母の落着きをながめた山陽は、初めて、三年ぶりの甘やかな気持に浸った。
父の春水を
あとから聞きつけた者が、ここへも、ちらほらと刺を通じて、見舞をのべに訪れた。が彼は、この
そこへ、一荷の鮮魚が、贈り物として、母子の間に運ばれた。
『どなたからじゃ』
取次いだ宿の女中も分らない顔をして、
『室津から同船した者といえば分る。お見それして、飛んだ失礼をしました。これをお慰みに上げてくれと言って、置いておいでになりました』
『では、大塩組のお役人か』
『いいえ、三尺帯を締めた色の小白い町人衆でございますが』
『名は』
『告げずに行ってしまいました』
山陽は笑った。
『人違いだろう。食べた後で、取り返しに来られては困る。下げてくれ』
『でも、はっきりと、頼先生のお年より様に、と申しましたが』

『よい、よい。あちらへ下げて、みんなして食べたがよい』
と、言った。
膳が来て、梅

『母上には、何かお心当りがあったのでございますか』
『無いこともないがの、つまらぬことじゃ』
『仰言ゃって下さいませ。私は何だか、大塩配下の役人が注意してくれたことばがあるので、気味が悪うございます』
と、松蔭は言った。
『おおかた、ごまの蠅とやら、
と、梅

途中、便船が
梅

話はそれだけの事だった。ただ、梅

山陽は、どっちとも考えなかったが、やはり母の解釈をそのまま持たせておきたい気がした。けれど又、学者気質のほかに大坂町人の特質をも多分に持って、計数もたしかなら世俗にも通じている小竹のことばをも、そう一概には笑えなかった。
×
戸を
もう母は眠ったらしい。
小竹と二三の者も帰り、松蔭も別間へ退がって

叔父の
何くれとなく、彼が寝もの語りに訊いているうちに、

『がっかりなすったのであろう』
山陽は、そう思いながら、ふと、母の床のわきに、枕刀のように置いてある杖に目をとめた。
珍しい杖を持っておいでになる。――
彼は、幼児の稚気を親が笑う時のように、老母の気もちを罪なくほほ笑んで、その笑いの影を顔に持ったまま幸福な眠りに落ちて行った。
あくる朝は、食事を


山陽はひそかに
四十五の年齢になっても、まだ母の悩みを自己の悩みとすることのできない幼稚な自分を知った。
何が老母の怒りを
山陽の名に反感をもつ
その顔いろを

そして、東三本木の家へ着いた。加茂川の崖に
梅

×
『わしは果報すぎるようじゃ。なんぼでも、
梅

三本木のわが子の家に着いてから、すぐその翌日、家族づれの嵐山の花見を皮切りにして、夏から秋への半年の間は、殆ど、毎日のように、諸処の見物と招待に暮れた。
柏葉亭の宴は、ことに楽しかった。自分がもてなされることよりも、近畿洛中の名ある人々から尊敬にとり巻かれている山陽を見るのが欣しかった。
『襄よ、襄よ』
来るにも帰るにも、彼女は彼をそう呼んだ。
それと、国元からたずさえて来た象牙がしらの杖も、常に、梅

その芝居小屋で、追い込みの中から梅

『今のは誰でございますか』
と、ふしぎそうに梅

『あれじゃよ、いつぞやの盗児はの』
『え。……八百長へ鮮魚を贈って来た、あのごまの蠅でございますのか』
『ごまの蠅?』
梨影女も、熟生の竹井も、うしろを振り顧って、うす暗い土間を物色した。無数な人間の首の中に、色の小白いにこにこした男の顔が感覚的に眼に映った。
『見るのじゃない、見るのじゃない』
梅


その間には、誰が京都へ来た会とか、誰が江戸へ帰る送別とか、個人個人の催しやら、よろこび事にも折あるたびに招かれて、六月半には、もう広島へ帰る帰ると云い暮していたが、盆をすぎ、十五夜もこえて、九月になった。
×
山陽の生活は、こうして居る間に、まったく、母とはべつになって、彼は彼で、詩社の交友とか、知己の留別とかに、いやでも外出がちになり、帰りはきまって
外で飲む快酔と書斎のうちの徹夜と、山陽の生活はこの二つを出なかった。母屋で寝ている

――また、或る晩は、山陽の居間で金をかぞえる音が聞えた。そんな時、梅

ほそぼそと、
『母上、ちと、お体でも
書斎を出た山陽は、腰が痛むといって、早めに寝た母のそばへ寄った。
梅

『そなたも疲れて居ように』
『いえ、私の疲労は、一
『わしもそろそろ広島へ帰ろうと思う。夢のように、半年を過しました』
『京都の冬は底冷えがいたしますから、冬はやはり広島の屋敷でお暮しがよいと存じます。然し、永い御滞留で、後の淋しさはひとしおでしょう』
話しながら、山陽の手は、骨ばった母のからだに哀れっぽい
梅

『
と、呼んだ。
『はい』
『そなたに揉んで貰うことも、久しい前のことのう』
『殆ど二十何年ぶり。広島の屋敷におりました頃は、
『それも、あの頃のは、そなたがわしから遊興の金をせびる手であった。そうしては、屋敷を出ると、悪友どもと一緒になって、何とやら狂句をいうて、わしの甘いのを笑い合うたそうじゃの』
『ははは。そうそうあの句は……おふくろは勿体ないが
『おふくろは勿体ないが騙しよい。……成程のう、そういう
『父上の解しない半面でございます』
『わしも知らぬ』
と、梅

『けれど、子供はやはり、お父上のように、鬼になって育てねばいけぬ』
『然し、私の今日あるのは、父上の
『とすると、わしは今、その二つを持たねばなりませぬな』
『世の中に、自分を叱ってくれる者のないこと、こんな、淋しいものはありませぬ。父上が世を去られた途端に感じたことでございますが、人間は、たえず自分で自分を鞭打つことはいたしますが、自分の力では、
『…………』
『わけて、只今の私は、大事な時期に立っております。二十余年来、生命をかけて、墨と朱にまみれて参った外史の修正は、もう一両年のうちには、完稿として、世の中に送り出せる迄になりましたが、山陽は、それ位のことでは、死にきれませぬ。日本楽府、政記、そのほか、修史の業は何年あってもやりきれません。漢学革命もまだです、詩もまだです、書もまだです、山陽はすべてにまだの人間です。これから物になるか成らぬかの分れ目にいる人間です。だのに、ともすると
『襄、襄よ……』
梅

『そなたに済まぬことじゃ。わしは、やはり女親じゃった。わしには、強い、男親の力はもてぬ』
『母上、お気にかけて下さいますな』
『いえのう……初めて言うが、この老母こそ、広島を立つ時から、そなたを叱るつもりで
身を起した。そしていつもそばに離さぬ杖を、山陽の前に置いた。
×
芸州の城下には、よく九州や広島へ旅する文人や画家が足をとめて、その土地が、山陽の郷里であるところから、自然と、彼に反感をもつ者の
彼は拝金家だという者がある。彼の家へ行って酒が出れば、いつも
又、
日本外史、あれはまだ完稿にならないから、内容について、批評の時期ではないが、およそは知れたものだろう。彼は、あれを版行の前から上手に宣伝をし、
又、嘲笑して、説をなす者があった。
それよりは、女弟子の
知っているか。知らない者はなかろう。
あのふたりの交情は、もう十数年前からのことで、今日に始まったことじゃないが、
気の毒なのは、お人のいい梨影女さ。山陽は、すまして口を拭いているけれど、細香女史があの美貌で、あの名門の娘で、とにかく詩画の才能を持ちながら、三十幾歳かになっても、いまだに
――そんな噂、そんな悪罵。

或る日。――彼女は思い余って、
『茶山様、ご在宅でござりますか』
黄葉落陽村舎、
茶山は、梅

『ご尤もじゃ』
と、同情した。
『何やかと、世間でいう噂は、まことでござりましょうかの』
『あの仁の天性とみえる』
茶山は、暗に裏書きをした。
梅

『その心を
と、前の杖を出した。
わけを訊くと、杖は、使用したことはないが、亡夫春水の
茶山は、ちょっと当惑した。なるほど、梅

こう考えたので、
『いや、それならば、
と、小刀をとって、杖の肌に文字を刻んでくれた。
それは、梅

山陽がまだ久太郎といった部屋住み時代、

歌は――思うことなくて見ましやとばかりに後の今宵ぞ月に泣きぬる。
×
十月の

杖は、その折、山陽に与えて、
『ほかに何も叱ることはないが、襄よ、ただ酒を過してたもるな。ちと、そなたの体には過ぎましょうぞ』
と、言い残した。
×
『大塩中斎殿が、ぜひ、あなたにお目にかかりたい、お誘い申してくれと、てまえの懇意な近藤梶五郎殿を通じて、二度まで言い越されておりますが、如何でしょうか、一度お訪ねあっては』
篠崎小竹がそう言って来た。
梅

大塩と山陽との会見は、いつか機のなるものとして、その前からも度々同人間の宿題にされていたことである。山陽も会っていいとは考えていた。いや、むしろ近づきたい気もちさえあった。然し、彼の勢力へ
その日は、小竹がしきりと言うので、
『では、参ってもいい』
と、返辞をした。
程なく、書面で、会合の日を報らせて来た。先へ快諾の旨を話すと、中斎は非常なよろこびで、当日を待つというのであった。
それに、もう一つ、用件が添えてある。
誰に聞いたのか――恐らく洗心洞の門生でもよそから聞いて来たのであろうと小竹は書いている。頼先生の手許にいつぞや御母堂から贈られた杖があるそうである。近ごろ床しいお話、ことに春水先生の遺品ということでもあれば、ぜひ当日御持参下さって、見せて賜わるわけにはゆくまいか、と中斎が希望である。
お易いことである、と承知した。
山陽は、すぐに、返書を出しておいた。
二月の初旬である。
どこやら春めいたものが、水にも、陽ざしにも、大地のものにも芽ぐみ始めた
約束のとおり、彼は、梅

大坂の天満に着いて、岸へ上がろうとした時、山陽は、初めて気がついた。
杖がないのである。客をみんな上げて、敷物のむしろ迄払ってみても、杖は見当らなかった。
約束の時間があるので、彼は、ともかく洗心洞へ急いだ。
大塩家では、ただ一人の客に、玄関を清掃して待っていたらしく、
『ようこそ』
と、中斎自身が出迎えて、書院へつれた。
子息の格之進が来てあいさつをする。門下の誰彼が見える。やがて、
山陽の見た中斎は、非常に第一印象がよかった。案外、官僚臭のないところが気に入った。話のうちには、近いうちに官僚をやめたいような
『時に、きょうは初対面から、違約のおわびをせねばならぬ事が
機を見て、山陽の方から、杖の話を持ち出した。そして、象牙がしらに金環が
『惜しい、それは惜しい』
中斎はしきりに言って、
『お話を承れば、まことに涙ぐましい御母堂のお心づかい。その慈愛の杖を失われては、折角お招きいたしても、話が浮きませぬ。すぐ取り寄せますから、それの参る迄、もう一
と、盃をすすめた。
そして、ひとりの同心を呼んで、何やら耳打ちをして退がらせた。
『さ、もう少し如何ですか。酒は、先生がお好みの
『それは口に
『
と、そばから格之進もすすめる。
『いや、遠慮はいたしませぬ』
中斎は、品よくことばを移して、話題は、それからそれへ
然し、陽明学と修史の事だけには、双方から触れなかった。
そして、時を忘れていると、ちょうど明りが
『遅くなりました。御紛失の杖は、これでございましょうか』
と、最前の同心が、ふすま
『お、御苦労だった。頼先生、あれでございましょうな』
山陽は、心のうちで、大塩の勢力に驚嘆した。わずか
駕を断って、大塩家の門から五六町ほど歩いて来ると、うす暗い屋敷塀の蔭から、
『三本木の旦那、三本木の先生』
と、旦那と先生を
山陽が、立ちどまって待つと、
『先程は、とんだ御心配をおかけいたしました』
と、色の小白い、ちょっと
『先程というが、一向覚えがないな。誰だ、おまえは』
『きょう三十石船で、お隣りに坐っておりました、ごまの蠅でございます』
『ふウむ……それじゃ杖を盗んだのは、おまえか』
『へい、手前なんで』
と、にっこと笑う。
『では、ことによると、ずうと以前に、わしの母が広島から便船で参る途中、あとを
『それから、八百長へ生のいい
『あれも貴様か』
『あっしです』
『何でそんな
『仲間の意地です。旦那がたから聞けば、つまらない話でしょうが、その中で生きるあっし共にとってみれば、捨てられない意地でしてね』
『面白いな』
山陽は興につられて――
『それを話すために、わしを待っていたのか』
『ご冗談でしょう、そこまでの道楽気はありませんや。実あ、先生に一札書いて貰いたいものがあるんで』
『詩か』
『そんな物は、ごまの蠅にゃ、用のねえしろ物です。あっしが書いて貰いたいというなあ、その杖を確かに盗まれたという証文なんで。どうでしょう、書いてくれますか。書いてくれなけりゃ、又どこかでその杖を盗んで持って行きますぜ』
山陽は、ごまの蠅の顔を
それに、言うことが面白い。
『よろしい、書いてやろう。
彼も、
『こうなんでさ、ざっとした所が』
と、ごまの蠅が話し出すのである。
×
『あの杖が
と、ひとりが言い出したのに始まって、
『盗れる』
『盗れない』
と、争いになった。
盗れないと主張したのは、ごまの蠅では
おそらく老女の
『ばかを言ってやがら、きっと盗ってみせる』
そう言って、突っ張ったのが、色の小白い
『行って来る』
と、すぐに老女の後を尾けた。それが梅

四郎次は失敗した。いきなり杖に手をかけてはと思って、

所が、その手を捕まえられた途端に、
『どうしたい、杖は』
と、
眼の高いのを充分に誇り得た前の男は、
『今の腕じゃ、四郎次には、一年かかったって、あの杖は盗れッこはねえ。どうして、婆あさんの方が遙かに役者が
と、恥かしめた。
『きっとだな』
『持って来い、首をやらあ』
『よし、洗っておけよ』
四郎次は、それから、もう

考えてみると、彼は、その梅

こう意地の仕事になってみると、そんな金を貰っているのは不快な気がしたので、大坂へ着いた日、八百長に落着くのを見届けてから、魚の贈り物にして、返してしまった。
以来、彼は、梅

四郎次の意地は、だんだんに躍気となった。そのうちに、梅

杖は、三本木の家に残して行ったという事は明白だが、そこへ忍んでいったのでは、仲間の者に大きな口がきけない。
やはりごまの蠅の手際をもって
然し、それを手に入れて、大坂の町を二刻と歩かないうちに、辻々の自身番から、忽ち怖い眼が自分に光り出した。
で、或る想像がついたので、すぐ杖を捨てて、それを持ってはいった大塩家の外に立ち、山陽が帰るのを待って居たのである。――と、ごまの蠅の四郎次は
『ふふむ。愉快だな、お前たちの世の中は。陽明学の世話もやけないし、やっかみ屋の道家先生の蔭口もない。ありのままだ。もしおまえ達が戦国に生れていたら、或は、わしの筆にのる人間だったかも知れない』
『とにかく、書いておくんなさい、あれを』
『それを持って、仲間に示すというのか』
『何しろ、半年以上もかかりましたから、威張るわけにゃ行きませんが、顔が立ちます』
『よろしい、書いてやる。ここでは筆墨がない』
『旦那、いや先生、失礼でございますが、この方はいけませんか』
と、四郎次は、指で輪をこしらえて、飲む真似をしながら、
『どうでしょう、ちょいとそこらで。今夜あ、思いを達したんで、欣しくてしようがありませんから、あっしがお
山陽は、吹き出したくなった。
『来い、来い。わしが運れて行ってやる』
そして、新町へ行ってしまった。
×
しんしんと三味線の革が頭に痛い。酒、酒、酒、酒。
そんな光彩とそんな音律が、山陽の頭のなかに、ぼうっと、紅色の
肩先の寒さに、眼をさました。
そして、
どうしたろうか。
その顔は一つも見えない。四郎次もいない。
今まで持して来たものを、何できのうは態度を曲げて、自分から彼の門へと足を運んだろうか。
もし、外史の完稿後、その出版と同時に、彼の批評や勢力下の援助をも吸収しようという考えを持たなかったならば、自分は、昨日の訪問をしなかったに違いない。
同時に、大塩父子が、自分を迎えた態度も、決して、白紙の好意ではなかった。
何かある。後になって考えれば、杖の事なども、一種の
山陽は自分の
安閑としているには耐えられない弾力で、夜具を
夜が明けかけている。
源氏ぶすまの
彼は、つかむように、水差をとって、茶碗に二はいほど、がぶがぶと飲んだ。
『あ、お目ざめでございますか』
隣りの部屋から、四郎次が、すっぽんのように首を出した。――あ、と眼を
『おまえは、まだ居たのか』
『ひと言、お礼をいってお別れしたいと存じまして』
『礼を』
『へい、あれを書いて
『そんな辞儀には及ばない』
『あっしあ、今朝みたいなこんな嬉しいこたあ今だに覚えません。先生がお偉い人だということも、ここに来て皆さんのお話しぶりを聞いて
『うむ、お前はそれで、とにかく一つの仕事をしたわけだな』
そう呟いた山陽の心には、
四郎次は、にっこりとして、
『それや先生、こちとらの身に取れば、立派な仕事でございますとも。金にならねえが、仲間の奴らにゃ、これからずんと押しの利く、一代の語り草でございますからね』
『もう辞儀はいい。早く行け』
『じゃ、ごめんなすって』
寝床から立つと、四郎次の足には、新しい草鞋がついていた。
『待て、待て、四郎次』
『なんですか、先生』
『そこに、杖があったな』
『たしかに有りますぜ。安心しておくんなさい』
『いや、疑ったのではない。その杖を持って、わしの五体を打ちすえて貰いたいのだ』
『えっ、撲ってくれというんですか』
『そうだ、骨にこたえるほど打ってくれ』
『ご冗談でしょう、先生』
『頼むのだ、打ってくれ。その杖をもって、打ってくれるものは、お前よりほかにはない。妻にはその力がない。友も打ってはくれまい。山陽の
『いいんですか、ほんとに』
『おお。強く』
『打ちますぜ』
四郎次は、杖をふりかぶって、膝を正した山陽の肩を打ちすえた。
なおと、求めるような彼の
突然立ち上って、奪うように杖を自分の手に収めた山陽は、四郎次より先にその家を出て、大坂へ来れば必ず立ち寄る小竹の家にも顔を見せず、淀の一番船のうちに活々と朝の大気を吸っていた。
(昭和五年)