兒童語彙解説

柳田國男




外遊び


 或は庭遊びと謂つた方が、軒遊びに對してわかりがよいかも知れない。ホカもソトも本來はさう遠くのことでは無く、なほ屋敷うち、家のまはりだけを意味して居た。九州地方ではホカといふのが表庭の物乾し場のことであり、他の府縣でも屋内の内庭と區別して、こゝをソトとも外庭ともいふ者が多い。つまりは兒童の生活の、獨立して行く中間の一段階である。ところがさういふホカ又はソトを持たない小家が多くなつて、追々と彼等は路上に出た。道路で遊んではいけませんと言はれるやうになつて、外遊びは少しづゝ變質して來たやうだが、田舍では實は道路ほど、この年頃の子供にふさはしい遊び場は無く、從つて又我々にとつて、彼等の自由な行動を觀察するのに、最も得やすい機會でもあつたのである。是が少しづゝ抑制せられるやうになると、小學校の校庭はちやうど好都合な代用になるが、こゝでは次の章にいふ「辻遊び」の影響が強過ぎる上に、加入者の年齡が幾分か高く切上げられる嫌ひがあつた。いはゆる外遊びの效果の最も大きかつたのは、滿四年前後に始まり、それからの三年四年ほどが、人を社會人に仕立てる適切な期間だつたやうに私には考へられる。大げさな語でいふならば平等思想、又は正義感の客觀價値ともいふべきものが、徐々に體驗せられるのもこゝであつた。幼稚園託兒所の設備が完全になつても、果して以前だけの效果が擧げられるかどうか。舊式な自分等はなほ大いに危ぶんでゐる。具體的な例を一つ出すと、外遊びの幼兒等の最も喜ばなかつたことは、兄姉から親祖父母までの、一切の年長者の干渉であつた。もちろん腹を立てたり言ひつけたり、泣いて歸つたりする子も澤山あつたが、それをすると此次の遊びが、目に見えて面白くなくなる。故によつぽどあまやかされる家の子でも、この群の樂しみといふ共同の大事業の爲に、性來のやんちや我儘を自ら抑制しようとしたのである。親の教へなかつた言葉や行動を、こゝで學んで來ることは相應に多い。それを一括して皆有害のやうに、斷定して居たのが近世の中流常識であつたが、それを防衞するのには、隔離が唯一の對策であつたかどうか。又之に伴なふ損失はあるか無いか。有るとするならば何で補充をしなければならなかつたか。それ等はすべて皆是からの問題である故に、ここには其參考になるやうな、以前の外遊びの若干の例を拾つて見た。是が一つ/\、すべて古い兒童からの相續であつて、成人指導者の裁定を經たものでないところに、この本の編者たちは、言ひしらぬ興趣を感じて居る。さうして同時に現在人生の最も省みられざる期間が、斯んな無心にあどけない年齡の頃にあることを、歎き悲しまうとして居る。

辻わざ


 辻は和製字の一つで十字路頭のことであるが、國語のツジ・ツムジといふのは意味が少しく弘く、方々から人の集まつて來る場處の名だつたと思はれて、現在は山の頂上、家の屋根裏もツジであるのみならず、旋風や頭の旋毛にもツムジといふ語がある。或は邑里の中の少し小高い處を、市場とか色々の集まりとかに、使はうとした名殘りかもしれない。沖繩島でも特に此目的の爲に、十字路を幅廣にして居るが、普通には之を馬場と呼び、ツジはたゞ岡の頂點などの名になつて居る。爰でも或は馬を馳せることが、辻の見ものゝ主要なるものであつたものかどうか。本州の方にも馬場といふ地名は多いが、それは神社や城砦の前面などの、現實に馬を乘りまはす場處に限られ、たゞ稀に山中のやゝ開けた通路を、戲れて猿が馬場などゝいふ者が有るのみである。辻と馬場と、もとはこの二つの語の意味が近かつたのであらう。私たちのこゝに「辻わざ」といふのも、その路の辻の遊戲であり、馬場も常の日は是に使はれるから、乃ち外遊びの中に算へてよいのであるが、此方は群が大きくなる傾向をもち、從つて個々の兒童から遠くなり、是に携はる子の年齡にも制限が付くと共に、更に今一段と著しい差異は、是が成長して群と群との對立となり、單なる通りがゝりの見物といふ以上に、背後に關心を持つ者の聲援が期待せられ、次第に今日のファンといひ、選手といふものが現はれて來ることである。それから今一つは技術の錬修の可能なこと、或は最初に訓育の方法として、又は少なくとも壯丁の身のたしなみとして、遊戲としてで無く始められたものを、其必要を認めなくなつて後まで、兒童だけが保存して居るのかと思はれることである。小さい人たちの生活の中には、他にもこの種類に屬するものが多い。現在はすでに模倣では無いけれども、かつて成人と共に、又は其傍に於て、同じ形を以て行ひ試みた行動が、御手本はすでに消えて、寫しばかりがなほ傳はつて居るとすれば、それを見て居る人たちの興味も深く、兒童もまた其背後の眼を豫期して、勢ひ餘分の注意努力をすることになる。年齡の上から見ても是が一つの段階をなし、單なる外遊びの幼稚な連中は、幾らか輕視せられ、疎外せられることにもなるのである。ワザは技術のことでもあると同時に、見せる見られるといふ意識が、其行爲の底にあることを意味する。さういふ點からでも通例の外遊びと、引離して考へる必要が有るのである。「小さき者の聲」といふ一書の中に、かつて私は足けん/\といふ童戲が、武藝の一つであつた時代が、あるのでは無いかと考へて見たことがある。角力の如きは現に一方にはまだいはゆる國技として行はれ、それが又小兒のこの遊戲の興を高めても居る。私の今住む住宅地の中央の廣場でも、夕方から先づ少年、それから段々と若い衆親爺たちの、力競べになつて行く素人相撲が、毎年夏になると必ずくり返されて居る。綱曳も多くはそれであれば、はま矢なども最初は同じだつたかと思はれる。分類兒童語彙の第二の用途として、或はこの方面からも、前代常民の生活ぶりに、近より親しみ視ることが出來るやうになるのかもしれない。

鬼ごと


 明かに是も「辻わざ」の一種であるが、他の多くのものと異なる點は、群が二つに分れて對峙することなく、いつも一人のシテの役を立てゝ、それに特別に重い任務をもたせ、手足や心の働きを試みようとすることであつて、この試錬は兒童の發育の上に、相應の效果をもつて居たかと思はれる。今一つの相異は其起原で、是も本來は成人の行事であつたのを、後々時にも場所にも構はずに、小さい人たちが眞似し且つ保存したことは同じでも、此方には單なる競技といふ以上に、見る目を悦ばしめる色々の所作の加はつて居るのは、御手本になつた行事の性質に基づくのである。鬼ごとと名づけてもよい成人の同種演技は、全國數十箇處の神社の信仰行事として、つい此頃までも現存して居た。私たちは是を總稱して鬼祭と呼んで居るが、土地によつては鬼追ひとも又鬼むけ祭とも、其他色々の名を設けて、子供の鬼ゴッコとは別のものゝやうな印象を與へて居る。終局には神の威光を以て邪鬼を退治したことを、記念する演技ではあつたけれども、それに歸着するまでには多量の自由を鬼に認めて、盛んにあばれまはらせ、女や子供たちは巧みに鬼の手から逃げあるくことを、其日の昂奮の中心にして居た。是と現在の童戲との聯絡は、證明するまでも無くまだ之を意識して居る者も多いのである。隱れ鬼は後の發明、もしくは別種の遊びとの融合だつたかもしれぬが、今一つの盲鬼だけは、假面を被つて居た鬼の所作を保存して居る。神態の鬼の面の中には、眼の穴をあけたものと、全く外の見えないものとがあつたらしく、後者は殊に無鐵砲に人を追ひまはして居たかと思ふ。私の生れ故郷の文珠堂の正月の追儺などは、赤鬼はこはくないが青は特に怖ろしいと謂つてゐた。勿論熟練があり口傳があつて、めつたに怪我は無かつたらうが、是には特別のスリルがあつて痛快であつた。さうして外遊びのハマ矢などゝ同じく、一年一度の運だめしのやうな意味もあつたらしい。その遠い昔の成人の感動を、兒童の遊戲が幽かながら傳へて居るのだが、それは屋外の廣場や路上で、時とも無く行はれるとなると、盲は何分にもあぶなく、次第に眼を開けて飛びまはる方が盛んになり、それにはちやうど學校の庭などがふさはしく、競技の流行する以前の或期間に、鬼ごとは特に我邦で發達し、種類も多く又規則も細かくなつた。この中には勿論先生たちの考案も入つて居るが、もと/\此遊びはワザヲギであり、之に參加する者の智巧と趣味とが流露する機會でもあつた。それで色々の口實を構へて、幼童の仲間に加はるのを防ぎ、一方には同じ年頃の女の兒の間に、この遊びの廣がつて行くのを妨げなかつた。それが又普通の辻わざとの目に立つた一つの差別である。





底本:「定本柳田國男集 第二十九巻」筑摩書房
   1964(昭和39)年5月25日発行
※底本のテキストは、「分類兒童語彙下卷」(生前未刊行)のための原稿によります。
入力:フクポー
校正:津村田悟
2020年5月27日作成
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