産婆を意味する方言

柳田國男




 又一つ新しい問題を提出して見たい。産婆を單にバアサンといひ、又はババ、ババサ若くはオンバといへば、此職業の婦人をさす處も少なくは無いが、それでは不便である故に、地方で工夫し出した色々の名前があるらしい。それが産婆といふ職業の發生、又その社會上の地位ともいふべきものを、推定せしめる手がかりになるのみならず、一歩を進めては常人の家庭に於て、誕生といふ事實をどう考へて居たかといふ、かなり大切な問題も答へ得しめるやうになるかと思ふから、今後讀者の注意を乞ひたいのである。
 現今は若い婦人に氣の毒とは思ひつゝも、サンバサンといふ語をそつと用ゐて居るのは、其他の名が更に今一層不適當な爲であらう。私などはトリアゲバアサンの手にかゝつた一人であるが、此名は餘程古くからの標準語と言つてもよからう。貞享版の節用集には、世話詞として「穩婆トリアゲババ」と出て居る。陰では男たちが皆さう呼んだのである。それが今日も實用に供せらるゝ區域は廣い。
トリアゲババ            大和北葛城郡
トリアゲバアサン          伊勢山田
トラゲババ             近江八幡
トリアゲババ            美濃山縣郡
トヤゲババサ            三河碧海郡
トラゲバアサ            備後沼隈郡
 取上げるといふ語は、今はたゞ抱き取るといふ位の感じに用ゐられて居るが、事によると最初今少しく込入つた意味があつたのかもしれぬ。さうで無いと關東奧州に今も行はるるコトリといふ語がわからないからである。
コトリババ             常陸上野等
コトリ               福島伊達郡
 此例は消えて行かうとして居るが、尋ねるとまだ弘いらしい。足利時代には京に子取尼といふ妖婆が居て、屡※(二の字点、1-2-22)人の子を殺したので刑に遭うたといふ記録はあるが、是は今でいふなら貰ひ兒殺しの亞流で、「取る」といふ動詞には、鬼などの人を捕るやうな意味は無かつたものと思ふ。養子を取るといふのも古いことだから、トルは即ち採用、家族の一人に加へるといふだけの、例へば嫁どり聟とりの取りであらう。即ち恐らくは斯ういふ常任の役目が始まらぬ前から、子とりといふ行爲はあつたのを、後に或老女の名の上に附添へただけかと考へる。
 奧州の例を一瞥すると、意味のはつきりせぬのは津輕地方のテガクババ、之に對して外南部のテヤクババ、若くはテンニャクである。典藥かといふ説もあつたが、私は些しも成程といふ氣にならぬ。尤も是と大抵は併存して、コナサセといふ語も行はれて居た。
コナサセババ            青森縣處々
コナサセ              秋田縣處々
コナサセ              岩手縣一般
コナサセガカ            仙臺附近
 ナスとは産むこと、子をナサセる女だから意味はよく判つて居る。鳥取縣西部でウマラカシババなどといふのも、是と同樣に少し明瞭に失する位である。
 其以外の一つの方言群は九州に在つて、是のみは東北との一致が無い。
コズリババ             博多
コーヂーババ            筑後三瀦郡
コゼンボウ             佐賀地方
などの僅かの例を見ると、何とでも臆説は立てられるが比較をして見ると疑の餘地は少ない。即ち
コゼンボ、コゼンバ         肥前北高來郡
コゼンバ              同 平戸邊
コゼウバ、コゼバンバ        同 五島魚目
コウゾエバンバ           同三井樂
コゼババサン            長崎
コゾイババ             肥後球磨郡
コズヱババ、コゼンボ        鹿兒島縣
コズヱババ             宮崎縣
コズイ               豐後日田郡
の諸例が示す如く、もとは子をスヱルといふ語の、色々に變化したものである。而うしてスヱルといふことは、「手に取りすゑる」即ち把持することで、粗末な語を使ふならば、「生存の承認」であつたらうかと思ふ。
 尚二三の異例を擧げて見ると、仙臺ではコナサセの他に、ウシロガカといふ名もある。後から抱いて介抱する役であつたのである。山梨縣では一に又アラチバーサンと謂つた。或はもと子おろしの方を主たる事務としたものかと、三田村玄龍氏は言つて居らるゝが、アラチは單に産穢のことだから、之に携はる婦女といふだけであらう。但しその任務が若干宗教的であり、祈祷まじなひと關係して居たといふことならば想像に難くない。只其はつきりした痕跡が見えぬのみである。淡路の島の方言にはヲマキといふ名があつたといふが、是はどういふ意味だらうか。此點に關しては殊に島々の慣習と名稱とを調べて見る必要がある。といふのは是を專門とする職業の餘地が無くて、久しく昔ながらの仕來りに從うて居たものが多かりさうだからである。





底本:「定本柳田國男集 第十五巻」筑摩書房
   1963(昭和38)年6月25日発行
初出:「民族 三卷一號」
   1927(昭和2)年11月
入力:フクポー
校正:津村田悟
2022年9月26日作成
2022年10月31日修正
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