にが手の話

柳田國男




 苦手といふ言葉の用ゐ方が、東京では此頃變つて來て居るやうである。たとへば酒好きが、牡丹餅は僕にはニガテだと謂つたり、又は我まゝ息子が伯父さんはニガテだなどと謂ふのは、單に「是ばかりは閉口」といふやうな意味で、大抵はどうしてニガテなのかを知らずに、たゞ人がさういふからといふだけで使つて居る。地方には全くこの單語の無いところ、又は新たに都會から學んで行つたところも有らうが、もしも古くから使はれる土地があるとすれば、きつとちがつた意味をもつて居ることゝ思ふ。試みに誰か年を取つた人に尋ねて見てもらひたいものである。
 別にわざ/\古い用法に復歸する必要も無いが、言葉は知らぬうちに誠にたわいも無く、中味をかへてしまふものだといふことを、心づくことは何かの參考になる。さうして少なくともこの一語の關する限り、是から聽いたり讀んだりする時に、注意と興味とが多くなるであらう。私の記憶が誤らぬならば、ニガテはもと碁將棋球突きなどの勝負に就て、主として用ゐられて居た時代があつた。本當は自分も弱いのでは無いが、不思議にあの男だけにはよく負ける。どうも彼は私にはニガ手だ。斯ういふ風によく我々は使つて居たのである。外國でも同樣らしいが、勝負事の言葉はよく應用せられるもので、ダメとか岡目八目とかいふ言葉は、碁など打たない人までも今はよく使つて居る。ニガテも多分その一つであらうが、勿論そこが最初だつたら、斯んな言葉は生れないのである。
 他の多くの人には相應な勁敵である者が、奇妙に或一人だけには頭が揚がらず、いつでもきまつた樣に押へ付けられるといふ場合、その特別の優勢をもつ者をニガテと謂つたのは蝮捕りであつた。まむしは現實に手を以て押へるのだから、恐らくは此方が今一つ前の用法であらう。蝮捕りのニガテは蝮を怖れず、手を出しても咬まれず、或は又是に逢ふと蝮は動けなくなつて、安々とつかまるとまで信ぜられて居る。どこまでが眞實か、まだ檢して見たことは無いが、斯ういふ能力を具へた人は何百人に一人といふほど少なく、何か其手には特徴が有るやうに言はれて居る。たとへば蝮指と謂つて、手の指の端の關節だけを曲げて、次の節を突き張ることが出來る。中指一本位なら誰でもするが、蝮指の人は五本揃へて熊手などのやうに、たやすく上だけを屈められる。或は又何腕とか謂つて、掌を下に突いたまゝで、腕を百八十度以上も※(「廴+囘」、第4水準2-12-11)轉することが出來るなどといふ。是なども荒仕事に強ばつてしまつた手で無ければ、誰にでも出來さうなことであり、現に白状すれば自分なども其一人だつたのだが、それだけではまだ蝮を試みるほどの自信も起らず、又そんな機會も無かつたのである。
 注意すべきことには、この苦手の能力はソンを引く、即ち遺傳するものと信ぜられて居た。それから又應用の範圍は可なり弘く、たとへば女の癪などを押へるにも、此手を用ゐると忽ち治するといふことであつた。現在その俗信はどの程度に傳はつて居るか、諸君の協力によつて調べて見たいのだが、或は事によると蝮捕りは看板であつて、めつたにさういふ技能を發揮する折は無く、寧ろその他のもつと安全な目途だけに、利用せられて居る方が、多いのではないかと想像して居る。
 それからなほ一つ、このニガテの能力を遺傳して居る家を、外部の者がよく知つて居る場合の多いことも注意せられる。たしか九州北部の實例だつたかと思ふが、このニガ手の特質を持つ家又は一まきを、カヂハラとかフヂハラとか謂つて居る地方があつた。どうして斯んな名が付いたかはまだ私には考へられないが、もう一つ變つたことには耳たぶに穴のある人といふのが折々あつて、中國の某地では、それをも亦カヂハラと呼んで居る。耳たぶの穴の問題は、大分以前から私も氣を付けて居るのだが、自分で少しも知らずに居る人までを入れ、且つその穴といふのにたゞ小さな耳たぶの窪みまでを算へると、其數は隨分多いものゝやうに思はれる。この二つの身體の特徴が、もしも頻々として併存するものであつたならば、斯ういふたゞ漠然たる言ひ傳へにも、行く/\は何か人種學上のかはつた事實が跡づけられる日が來るかも知れない。今はまだ一つの空想に止まるが、或は特殊の家筋の呪術を業とする者が、昔はあつたといふ痕跡とも、見られぬことは無いのである。
 或は全く意外な原因があるのを、私たちが知らずに居るといふこともあり得る。それだつたら更に一段と有難いので、とにかくに原因無しには、斯ういふ珍しい現象は起らぬ筈だから、考へて見なければならぬ。今までは單に注意を拂はうとしなかつた故に、年月と共に不明に歸したのである。是からは多分少しづゝ、色々のことが知れて來るであらう。最近目に觸れたものでは、田中梅治翁の遺著「粒々辛苦」といふ本に(アチックミューゼアム彙報四八)、島根縣邑智郡の事實として斯ういふ話が出て居る。此地方では、人の手に苦手と甘手とがあるといふ。苦手の手に掛かつた料理は何もかもうまくない。芋莖を煮ればえぐくて喉を掘り、クサギの葉を※(「火+喋のつくり」、第3水準1-87-56)でても苦味が多過ぎて食はれず、梅漬に紫蘇の葉を入れても梅が黒くなる。之に反して甘手の漬けた梅干は赤色がとても美しく、芋莖くさぎ葉その他も皆味がよい。苦手の女に添ふ男は一生のうちに大分の不しあはせだが、之を見分ける方法は無く、たゞ先づ梅を漬けさせて見るか、芋の莖を※(「火+喋のつくり」、第3水準1-87-56)でさせて見るより他は無いと謂つて居る。この苦手と、蝮捕り蜂捕りなどを得意とするニガテと、全然別のものか又は同じ人の隱れた反面なのか、さういふ女性の苦手にもやはりソンといふものがあるかどうか、尋ねたら幾らでも答へてくれられる田中翁であつたが、遺憾なことにはもう黄泉の旅に立つてしまはれた。しかも一つの土地だけから拾つた材料では、まださう確かなことは言へないのだから、寧ろ斯ういふ空隙の殘つて居るのを機縁に、もつと懸け離れた地方の偶然の傳承を、是から注意して集めて行くことにしてはどうかと思ふ。





底本:「定本柳田國男集 第十五巻」筑摩書房
   1963(昭和38)年6月25日発行
初出:「民間傳承 八卷五號」
   1942(昭和17)年9月
入力:フクポー
校正:津村田悟
2024年11月4日作成
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