耳たぶの穴

柳田國男




 瀬川清子さんの見島聞書を讀んで、人はどうだか私だけは非常に面白がつて居る一條は、「蛇を平氣でつかむ人を、フヂワラトウと謂ふ。その人の耳の後には小さい穴があいて居る」といふ記事(同書八三頁)である。十數年來心がけて居るのだが、まだ此問題は一向明らかになつて居ない。本誌を仲立ちにして一度山國の人たちにも尋ねて見たいと思ふ。
 曾て秋田縣の大館に一泊した晩に、館資次君といふ人が來て色々の話をせられた。此地方は淺利與一の舊領と傳へられる處で、眞澄の日記にもそれが詳しく説かれて居るが、館君は曰く、私の家は勇婦板額の後裔だといふことですが、この血筋を引く者は皆耳たぶに穴があると語つて居ます。御覽下さい此通りにと、向ふをむいて見せられたのを見ると、穴とは謂つても拔け通つて居るわけでは無かつた。たゞ耳たぶの表面に皺の溝が多く、それがまん中に集注して、それだけ著しく窪んで居るのであつた。以前耳環をはめて穿つた穴が、もしも固定して遺傳したならば、斯ういふ風になるのでは無いかとも思つて、非常に興味を動かされたのであるが、勿論是は數多くの例を知つてから、其家系の特徴を比べて見なければ假定を下すことも六つかしい問題だと思つて還つて來た。
 それからふと思ひ出したのは、自分の兄嫁の實家は下總の猿島郡、若林といふ村の舊家鈴木氏であるが、そこの若主人からも、私の家の者は皆耳に穴がある。耳に穴のあいた人はさう珍しくないものだといふ話を聽いたことがある。よく見ようと思つて居るうちに、此家の人たちは皆亡くなつてしまひ、手近に其血筋を引いて居る者と謂つては、其兄嫁の子が三人と、七八人の孫があるばかりだが、たま/\逢つても耳を談ずる折も無く、又すなほに耳を出して見せてくれさうにも思へない。最初は私は絲や針金の通るやうな穴が、ぽつんと明いて居るやうにも想像して居たが、是もやはり大館の館氏のやうに、耳たぶの表面に溝があつて、中央が窪んで居るのだつたかも知れぬ。さう思ふと何だか變つた耳たぶをして居たやうな氣がするが、是はもう極めて覺束ない。とにかくに鈴木といふ苗字の東國に多いのは、熊野の信仰と關係があるらしいので、私は特にこの家の耳の話を、聽き流しにすることが出來ぬのである。
 斯ういふ特徴は假に遺傳するものだとしても、次々母を通じて他の家にも入つて行くだらうから、是たゞ一つによつて原因を推すことは無論出來ない。それには幽ながらでも、之に伴なふ家々の言ひ傳へを、數多く採集して行くの他は無いのである。見島聞書のたつた一行の記事も、此意味では私たちには中々の値打ちがある。
 書物を注意して居ると又別方面の暗示があるかも知れない。東作誌といふ江戸期末の地誌に、今の岡山縣勝田郡北和氣村大字行信に、唐人といふ苗字の家が十數軒あることを記して、更に次のやうな記事がある。
豐公征韓のとき、山本與次右衞門兄弟、朝鮮人及び海人を隨供して還る。海人の子孫は倉見村に住し今亡し。朝鮮人の子孫は此村に住み唐人(カラヒトか)を姓とす。子孫必ず耳に穴ありといふ云々。
 即ち此地では人も我も、朝鮮人の子孫だからといふ風に、考へて居たらしいのである。此時の歸化者の明白に知られて居る者も、相應の數はあると思ふし、近頃は又莫大なる數になつて居る。果して朝鮮人なるが故に耳に穴があるといへるかどうか。之を立證反證することはさして困難であるまい。
 耳の穴を大昔の耳環の名殘と見ることも、勿論獨斷であるが、是は生理學上に想像し得べき其他の場合を少しでも掲げない限りは、先づ當分は假定説として存在を許すの他はあるまい。さうすると次の問題は、果して日本人自身は大昔から、耳環を丸ではめなかつたかどうかになるのであるが、是は赤木清さんなども知つて居られるだらう。古い埴輪の中には正に耳輪とおぼしきものを、附けて居る人形があるのではないか。普通では無かつたといふのみで、我同族の中にも是を附ける風が、ある時代までは存したものと私は思つて居るがどうであらうか。
 右の長門見島の記事は、事によると日本の耳環階級の存在と、其條件とを暗示して居るのかも知れぬ。朝鮮に近いから朝鮮式と、此島だけでなら或は看做されるであらうが、それでは都合のよくない實例が、他の地方から幾らも出さうな氣がする。蛇を怖れず、蛇の方で却つて怖れるといふ特殊の能力をもつ人は、數は少ないけれども全國到る處にある。ニガテといふ語は今は轉用せられて居るが、本來はさういふ能力を持ち、蛇取り蛇使ひなどを業とする者の手のことであつた。其手の筋肉の動き方が竝とちがふともいひ、遺傳家筋といふことはあまり説がなかつたか、私たちも小學校で細い手を出し合ひ、果してその惠まれたる手を持つか否かを試みた覺えもある。又まむし指と謂つて、指の上端の關節のみを、自在に屈伸し得る者が蝮蛇の毒を怖れず、押へることが出來るとも謂つて居た。白状すると自分もそれであつたが、實は怖ろしくて一遍も此天賦の技能を試みないうちに、今日はどうやら平凡になつてしまつた。或はこの蝮指は、癪を押へるとすぐによくなるとも、又指で物を指ざすと何とかの力があるとも、人は次々にいろんな神祕を説いて居たやうだが、もしも之を法術に利用しようとすれば、最初の開業試驗はやはり蛇取り位なものであつたらう。この素質者をカヂワラといふ處が、たしか九州のどこかにあつたやうに記憶する。見島の藤原黨は其誤りと見てもよいやうだが、何れにしたところで後に附けた名だから、耳の穴の由來を説明するたそくにはならぬ。
 此文を公表する私の趣旨は、現在抱いて居る一假定説乃至は空想、即ち我邦でも可なり近世になるまで、呪ひや祈祷に從事する女子又は童兒のみは、耳たぶに何か金屬の環をはめて居たのでは無いか。さうして其職業が世襲であつた爲に、代々の耳たぶの形が普通とは變り、その後天的の特徴が固定してしまつて、久しく業を罷めてたゞの百姓になつて後まで、子孫に其形を遺傳するのでは無いか。斯ういふ考への夢が正しいか、何れであるかを決するやうな事實資料を少しづゝでも集めて行きたいのである。學理といふものからも此假定は批判することが出來るだらう。しかも是だけの僅かな事實でも、原因無しには起り得ないことを考へると、單にさういふことは有るべき理由が無いといふ否定だけでは、自分は承伏せぬつもりである。現に學理は新たなる事實によつて、今でもどし/\と成長しつゝあるからである。





底本:「定本柳田國男集 第十五巻」筑摩書房
   1963(昭和38)年6月25日発行
初出:「ひだびと 六卷八號」
   1938(昭和13)年8月
入力:フクポー
校正:津村田悟
2024年9月15日作成
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