おばけの声

柳田國男





 オバケ研究の専門雑誌が、最近に盛岡から出ようとしている。又宮崎県の郷土志資料には、あの地方の妖怪変化へんげの目録が、先々月から連載せられている。ばけ物はもちろん至って古い世相の一つではあるが、それをようとする態度だけがこの頃やっとのことで新しくなり始めたのである。私たちの見た所では、人が今日の問題などと珍しがるものでも、たいていは以前何度となく、だれかが考えてみたものばかりだ。今頃だしぬけに現われてくるという問題は、もうこの人生にはない方が当り前である。単にこれまで気のつかなかった実例、それを機縁として新しく見直そうとする心持、今一つはむしろ久しい間ほったらかしていたという事実が、次々に問題を新たにしてくれるのである。この意味からいうと、ばけ物なども大いに新しい部類に属する。たとえばわれわれがこれに興味を抱いているというと、すぐ「あるものかないものか」を問おうとする人が、まだ世間には充満しているのである。こうした一方からしか問題に近よることのできぬ人たちが、いわば現代のためにいろいろのおもしろい題目を貯蔵しておいてくれたので、新たな怪談と観察との学問が、ちょうど起こらずにはおられぬように世の中はなっている。


 最初まだ当分のうちは、いわゆるまじめな人々は相手になってくれぬかも知れない。しかし気楽で時間の多い子供とか年寄とかが、仲間に入ってくるならばそれで結構である。何でもできるだけ単純な目標、ことにもっとも実際的なる毎日の言葉からたどって行くのが便利なようである。私はある時同志の青年を集めて試みに「ばけ物は何と鳴くか」を比較してみたことがあった。東京などの子供はたわむれに人をおどす時、口を大きく開きとがらせた十本の指を顔のそばへ持って来て、オーバーケーとうなるように発音するのが普通のようだが、これは近頃になっての改造かと思われる。というわけはオバケという日本語は、そう古くからのものでないからである。関東の近県から、奥羽北陸の広い地域にわたって、化物の鳴き声は牛のように、モーというのだと思っている人は多い。それがどういうわけかは考えてみた人もあるまいが、大よそ人間のしたりいったりすることに理由のないものがあろうはずがない。もし今以てそれを解説しあたわずとすれば、すなわちその根源にはいまだ究められざる事実があるのである。
 多くの動物の名がその鳴き声からつけられているごとく、オバケもモーと鳴く地方では、たいていは又それに近い語を以て呼ばれている。例えば秋田ではモコ、外南部なんぶではアモコ、岩手県も中央部ではモンコ、それから海岸の方に向かうとモッコ又はモーコで、あるいは昔蒙古人を怖れていた時代に、そういい始めたのだろうという説さえある。しかし人間の言葉はそんな学者くさい意見などには頓着なしに、土地が変ればどしどしと変化して行っている。今日私たちの知っているだけでも、まず福島県の南の方ではマモウ、越後の吉田ではモッカ、出雲崎ではモモッコ、越中の入善にゅうぜんでもモモッコ、加賀の金沢ではモーカ、能登にはモンモだのモウだのという呼び方がある。信州でも伊那は普通にモンモであるが南安曇あずみ豊科とよしなではモッカといい、松本市ではモモカといっている。これから考えてみると、江戸で「むささび」のことをモモングヮ、それから一転して一般に野獣の肉をモモンジーなどといったかも知れぬ。上総かみふさの長生郡などでは、今でもモンモンジャといえば化け物を意味しているのである。


 オバケの地方名は、大げさにいうならば三つの系統に分かれている。その一つは九州四国から近畿地方までに割拠するもので、主として、ガ行の物すごい音から成り立っている。鹿児島県でガゴ・ガモ又はガモジン、肥後の人吉ひとよし辺でガゴーもしくはカゴ、日向の椎葉山でガンゴ、佐賀とその周囲でガンゴウ、周防すおうの山口でゴンゴ、伊予の大洲おおず附近でガガモ又はガンゴ同じく西条でガンゴーというなどがその例である。
 対馬つしまでは子供が両手の小指を以て目のはたを張り、こわい顔をすることをタンゴウスルといい、又はガンゴメともいうそうである。これで思い当たるのは東京などのベッカッコウも、本来は又目ガッコであって、即ちばけ物の顔という意味であったらしい。それから小児の遊びのカゴメカゴメなども、「いついつ出やる、夜明けの晩に」というからは、やはりオバケを囲んで伏せておく仕草しぐさであったのかも知れない。化け物をガンゴという言葉は奈良にもあれば、越中でも富山の周囲や五箇山ではガーゴンといい茨城県などにもゴッコ又はガゴジという語が残っている。それを大和の元興寺の昔話から、始まったように称えていたのは、本を読んだ人たちだけのひとり合点であった。
 次に第三の種類はモーとガンゴとの結合したもので、九州でも薩摩のガモだの長崎のガモジョだのがある他に、紀州の熊野でガモチといい、飛騨は一般にガガモといっている。私の想像ではこれが多分は古い形であって、他の二つはそれから分かれて出たもの、即ち最初にはかれ自身「かもう」と名乗って、現われてくるのを普通としていたために、それが自然に名のようになったのかと思う。人が既にオバケを怖れぬようになって、「かもう」ぐらいではこわさがたらず、「取って食おう」とでもいわないと、相手がオバケだとも思わぬようになってしまった。そうしてカモーを無意味なる符号のごとくに、自分勝手に変形して使っていたことはちょうどわれわれの固有名詞も同じであった。しかもただこれだけの単に一語からでも、なおばけ物に対する以前の感覚は推測しえられるのである。
(附記)
家庭朝日という雑誌は、昔朝日新聞で新聞購読者に無料で配布したもので、編集長は津村秀夫氏だった。今は保存している人も少なく、朝日新聞社にすらないということである。幸い奈良の水木直箭氏の手許にあり、筆写させてもらったが、きけば水木氏も八戸の夏堀謹二郎氏より送られたものとか、「妖怪古意」と内容が重なっているが、いろいろの思い出のため、加えることにした。





底本:「妖怪談義」講談社学術文庫、講談社
   1977(昭和52)年4月10日第1刷発行
   1978(昭和53)年9月10日第2刷発行
初出:「家庭朝日 第一巻第六号」東京朝日新聞社発行所
   1931(昭和6)年8月1日
入力:青井優佳
校正:津村田悟
2022年5月27日作成
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