寺田先生と銀座

中谷宇吉郎




 寺田寅彦てらだとらひこ先生の連句の中に
春の夜や不二家ふじやでて千疋屋せんびきや
という句がある。
「銀座アルプス」や「珈琲コーヒー哲学序説」などでよく分るように、先生は銀座へよく出かけられた。
 先生は、毎日のように、十一時半頃になると、実験室へ顔を出され、「ちょっと失敬」といって、銀座へ出かけられた。そして※(「凪」の「止」に代えて「百」、第3水準1-14-57)ふうげつか不二家で、ゆっくり昼飯を食べて、珈琲をのんで、銀座をぶらぶらして、三時頃にまた理研へ帰って来られた。後には、銀ぶらのかわりに、映画をのぞくか、玉を突かれた。いろいろな映画論は、それから生れたのである。
 先生と銀座については、妙にはっきりした印象が、一つ残っている。それは先生と、千疋屋でメロンを食べた場面である。考えてみると、もう三十年以上の昔の話であるが、メロンという西洋の非常に高貴な果物が、その頃初めて、千疋屋で売り出された。何処どこの帰りだったか忘れたが、る夕方、二、三人の教室の連中と、先生につれられて千疋屋へはいった。
「何にしようか」と見廻みまわすと、いろいろなものの名前を書いた白い紙片が、たくさんぶら下っていた。その中に「メロン五十せん」と書いたのがあった。メロンの名前は、もちろん知っていたが、それは遠い世界の話で、自分でメロンを食うなどということは、思いもつかなかった。だいたい五十銭という値段は、大学前の洋食屋で、毎日食べるランチの、二日分である。それで先生が「どうです、諸君、メロンを食べてみませんか」といわれた時には、思わずドキッとした。
 持ち出されたメロンなるものは、厚さ一センチくらいの薄緑の薄片である。今から考えてみれば、ごく普通のマスクメロンを十六人前くらいに切ったものであった。しかしこの初めて見るメロンは、外側が浅いあざやかな緑色で、それが内側のだいだい色にとけ込んでいる様子が、如何いかにも美しく、また高貴に見えた。
 初めてではあるが、大体見当はつくので、内側からスプーンでけずって食べ始めた。まくわうりの味を少し淡くしたようなものであったが、これがメロンの味かと思って注意して食べた。三分の二くらい行って、まだやわらかい部分が大分残っていたが、こういう高貴なものは、そう下品に食べては悪いと思ってした。他の若い連中も皆そうした。
 ところが先生は、ずっと皮に近いところまで、削りとって食べられた。そしてひょっと私たちの皿を見て「君たちは、メロンは嫌いですか」ときかれた。一同はあわてて「いいえ」といって、また残りのところを食べた。
(昭和三十年二月一日)





底本:「中谷宇吉郎随筆集」岩波文庫、岩波書店
   1988(昭和63)年9月16日第1刷発行
   2011(平成23)年1月6日第26刷発行
底本の親本:「百日物語」文藝春秋新社
   1956(昭和31)年
初出:「銀座百店」
   1955(昭和30)年2月1日
入力:門田裕志
校正:川山隆
2013年1月4日作成
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