アメリカの旅

中谷宇吉郎




 昭和二十四年七月六日に羽田を立って、三カ月の予定で、アラスカ、米本国、カナダを廻って、十月五日に、南方空路経由、羽田へ帰り着いた。その間、わずか九十日の間に、十年前ならば、一年以上もかかるくらいの旅行をして来た。
 そういうことが出来たのは、ほとんど全部飛行機を使ったからである。飛行機というものが、ほんとうに実用になったことがよく分った。現在では、東京からアメリカまでの距離が、東京札幌間の距離よりも近くなってしまったのである。
 初めはリノのネバダ大学に落着いて、そこで旅程を立てて貰って、二、三カ所廻って来るくらいの暢気のんきな気持で出かけた。ところが着いてみたら、私を招いてくれたチャーチ博士が、既に全米の各大学や研究所に打合せをしておいてくれたので、とんでもない大旅行になってしまった。
 地図で見られるように、ちょいちょいと次の大学へ寄るといっても、たいていは東京から札幌までくらいの距離である。しかしそれが現在の飛行機だと、二時間半くらいのものである。それで例えば、札幌の大学に夕方四時までいて、ホテルへ帰って夕食をすませ、六時に飛行場へ行くと、八時半にはもう東京に着いている。ホテルへ行って、風呂にはいって少し仕事をして寝ると、翌朝はもう八時から東京の大学へ顔を出すことが出来る。旅行の時間というものをほとんど旅程の中に入れなくてもいい。疲労の点も汽車と較べれば、全然問題にならない。
 ちょっと面白い話は、TVAを見るために、ナックスヴィルへ行くというちょっと前に、ミネアポリスのミネソタ大学から手紙が来た。ここの大学で雪の綜合研究所を作ることになって、今準備をしている、君がアメリカへ来ていることを最近知ったので、帰る前にちょっと寄って貰いたい、相談したいことがあるからという意味のことが書いてあった。私は初めナックスヴィルから、ラスヴェガスへ飛んで、ボルダー・ダムを見て帰るつもりだったが、その手紙を見て、ちょうどいい機会だから、ミネアポリスへもちょっと寄ってみようという気になった。それですぐ承諾の返事を出した。
北アメリカの図
 そのこと自身は、別に興味のあることではないであろうが、この地図で、ナックスヴィルからミネアポリスまでの距離を、日本に翻訳してみると、この話の面白味が分るであろう。それは「鹿児島へ来たのなら、ちょうどいい都合だから、ちょっと札幌へ寄ってくれ」という話である。そしてアメリカに行っていると、私自身も、簡単に「それでは」という気になるのである。速度は距離観を変える。そして距離観のちがいは、世界観のちがいになる。戦争に敗けて一番損をしたことは、日本人の世界観がかわってしまったことである。その点は、知っておいてよいことである。知ってもどうにもならないかもしれないが、知らないよりはいいであろう。少くも議会の乱闘病の治療くらいには役に立つであろう。
 アメリカ人の能率は、その世界観から来る。そしてその世界観は、科学と技術とによって、時間と空間とをある程度まで征服したために生まれたものである。それでアメリカに行っていると、私なども、いつの間にか、その高度の意味での能率生活の中に溶け込まされてしまう。その一つの実例として、附録に今度の旅行の実施旅程を附けておいた。ひょっとすると、今後訪米される方に、何かの参考になるかもしれない。
 三カ月の間に二十カ所以上も廻る旅行をして、日本へ帰ってから考えてみると、ずいぶんまめに廻ったものと自分ながら少し可笑おかしいくらいである。しかしアメリカにいる間は、こういう旅程を別に無理とも思わなかった。事実、あの暑いアメリカを、三カ月こういう旅行をして来て、帰ってみたら、目方が一貫五百匁増えていた。だから無理ではなかったのである。食い物が良かったのも一つの主な理由であるが、国の組織がこういう風になっていると考える方が至当であろう。
 この本の大部分は、この旅行中、暇をみては書いたものである。そういう意味では、かなり余裕のある旅行だったということも出来るであろう。





底本:「中谷宇吉郎紀行集 アラスカの氷河」岩波文庫、岩波書店
   2002(平成14)年12月13日第1刷発行
   2011(平成23)年12月16日第3刷発行
底本の親本:「花水木」文藝春秋新社
   1950(昭和25)年7月15日初版発行
初出:「花水木」文藝春秋新社
   1950(昭和25)年7月15日初版発行
※図は、「「花水木」文藝春秋新社、1950(昭和25)年7月15日初版発行」からとりました。
入力:門田裕志
校正:najuful
2021年9月27日作成
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