異魚

中谷宇吉郎




 ロフティングの『ドリトル先生アフリカ行』の中に、名前は忘れたが、アフリカでもめったに見られない珍獣中の珍獣ともいうべき動物の話が出ている。それは頭と尻と両方に首がある動物のことである。眼も口も耳もぜんぶ揃った首が、両方にあるので、一方の口で物を食べながら、いま一方の口でお喋りができる。それで「ものを口に入れながら話をするというような御行儀の悪いことはけっしてしない」礼儀正しい動物なのである。
 ロフティング先生、あまり馬力をかけて、大まじめになって、この珍獣のことを書いているので、本当にアフリカには、こういう動物がいるのかと、ついだまされそうになるくらいである。もちろんこれはお伽噺とぎばなしであって、いくらアフリカでも、そんなべらぼうな動物がいるはずはない。
 ところが、話が魚になると、この珍獣を地でいったような奇魚が、アフリカには本当にいるのである。以前に、『イグアノドンの唄』という大人のための童話を書いたことがあるが、その中の主人公の一人、すなわち南アフリカ喜望峰の一角に突如として出現した一億年前の化石魚シーラカンスなども、もちろんその一つである。しかしそういう異例的な話でなく、アフリカ奥地の川に現在棲んでいる魚の中にも、ちょっとわれわれの想像を絶する奇妙な魚がいる。その一つは「四つ目魚」である。これは八つ目鰻や、蝶々魚の一種の四つ目魚とはちがう。それ等は眼のような形または模様から名づけられたのであるが、その「四つ目魚」は、正真正銘の眼が四つあるのである。頭の左右に、おのおの二つずつの眼が、上下に並んでついている。四つともちゃんとした眼なのであって、しかも面白いことには、上の二つは、遠視で、下の二つは近視になっている。
 この魚は、たいてい水面に浮んで泳いでいるので、その時は、上の二つの眼は水面上に出ていて、下の二つの眼は水中にはいっている。すなわち空気中の眼は遠視で、水面上に浮んでいる餌などを見つける役をする。水面下の眼は、水中を見るのに適当した近視になっていて、水の中の害敵などを警戒しているのである。まことに便利な話であって、ドリトル先生の首二つの獣と、ちょっと似た感じがする。あまり話がおもしろすぎるので、かつがれるのではないかと思われる方があるかもしれないが、本当にそういう魚がいるのであって、学名は、ANABLEPIDAE 科の Anableps anableps というのであるから、信用されていい話である。
 シカゴには、世界一を誇るりっぱな水族館があって、この魚は、そのカタログの中に、ちゃんと写真も出ている。アメリカでは、なにかというと、世界一という形容詞をつけたがるが、この水族館は、まあその誇称に値いするといっていいであろう。非常にりっぱな水族館であって、魚の種類も多く、海水魚と淡水魚と両方にわたり、世界中から、いろいろな魚を集めている。太平洋、大西洋の魚はもちろんのこと、アラスカの魚、アマゾン河の怪魚、アフリカの珍魚、各種の熱帯魚などなど、千差万別の魚がいる。メキシコの大洞窟に棲んでいる眼のない魚がいるかと思うと、アマゾン流域の沼沢地に棲む原始魚の一つ肺魚もいる。シナ広東の奥地深く白雲山脈の渓流で発見された、やなぎばえの新種白雲山魚ホワイト・クラウド・マウンテン・フィシュもいるという具合である。
 まあそういう珍奇な魚は、金に飽かせて集めるとすれば、できない話ではないであろう。それよりも、シカゴのような大陸の真中で海の魚を飼うということ自身が、大問題なのである。海の魚は海水、しかも新しい海水でなければ飼えない。それで世界中の、どこの国でも、水族館といえば、海岸近いところにあるにきまっている。シカゴのように、いちばん近い海までが八百マイル近くもあるというようなところで、海の魚を飼おうという気を起すだけでも、ちょっといい度胸である。
 事実、海水には非常に苦労したようであるが、けっきょく総計二百万ガロンの貯水槽を作り、その半分は真水、半分は海水を貯えることにした。真水はミシガン湖から、直接にパイプで引き、海水はフロリダから鉄道で運んできた。それには百六十台のタンク貨車を必要としたそうである。いろいろ研究した結果、この海水を何年間も新しい状態のまま保存することに成功したので、やっとこの問題は解決された。
 いちばん感心することは、単に魚の種類が多いとか、珍稀なものがいるとかいうことではなく、どの魚も、非常に元気で、魚体がきれいな点である。先だって、渋沢敬三さんが見えて、一緒にこの水族館見物をした時に、渋沢さんもその点をいちばん感心しておられた。日本にも小さい水族館が以前には方々にあったが、たいてい魚は半ば病気になっていて、魚体にいろいろ汚いものがついていることが多かった。
 この水族館では、よほど魚の衛生設備がよく行き届いているらしい。専門外のことであるから、詳しいことはわからないが、水温一つを見ても、ちゃんとした注意が行きとどいている。水槽には五種類の小さい色紙が貼ってあって、その色によって、温海水、冷海水、温淡水、冷淡水、普通の淡水と、五種類の水が、それぞれ区別されている。温かい海に棲んでいる魚には、赤紙の水、すなわち最低七十度以上に保ってある海水、北の海の魚には、緑紙の水、すなわち五十八度ないし六十二度の範囲内まで冷やした海水というふうに、それぞれ魚のもとの環境に合った水の中で飼っている。この水を冷やすためには、百五十トンの冷凍機が三台備えつけてあるそうである。
 水族館では、動物園とは少しちがった注意が要る。何しろ相手が魚で、水を離れては瞬時も生きていられないものである。それでいろいろな設備も、ぜんぶ二重にしておく必要がある。どこかのタンクに故障があったら、それを修理している間に、魚は死んでしまう。それでタンクなども、ぜんぶ二通り揃えてあって、一方が動いているうちは、いま一方は休むというふうにしてある。しかもこれらのタンクは、天井近いところに設置してあって、水は重力で自然に魚槽に流れ入る。タンクを一杯にしておけば、暫くくらい停電があっても、致命的な故障にはならない。停電などめったにないのであるが、念には念を入れているわけである。パイプはぜんぶアンチモン鍍金の鉛の管になっている。この材料は強度もいいし、とくに海水による腐蝕に、すばらしい抵抗力がある。ちょっとでも配管が腐蝕すると、水質を悪くして、それが魚には致命的なことになるので、パイプの材料は重大な問題なのである。水質はもちろん始終精密な化学分析をして、いつでも初めの成分を保つように注意しているそうである。魚槽の水がいつもきれいに透きとおっているのには感心するが、その陰には、これだけの注意が払われているのである。これならば、大陸の真中で、海の魚が飼えるのも当然であろう。
 この水族館の中の王者は、アリゲーターガールである。非常に大きい魚で、体長七尺に及ぶものが珍しくない。魚体は円筒形であって、太い電柱を七尺くらいに切ったものが、水の中に浮いていると思えば、まず間違いがない。全身真黒な大きい鱗につつまれ、口ばしは鰐のような形をしている。一見古代魚の風貌がうかがわれる怪魚である。事実この魚は、現世のどの魚よりも、太古の化石魚に似ているものだそうである。一番奇怪な感じを与える点は、この巨大な魚はほとんど泳ぐことなく、いつもじっと構えている点である。こういう大物は、長さ五間、奥行十尺、深さ六尺という大魚槽の中におさまっているのであるが、薄明の緑色がかった水の中に、六尺の真黒な巨体を悠然と浮べて、いつまでもじっと動かない姿は、何となく怪しい雰囲気をかもしだしている。
 この魚は、ここの水族館の中でも、呼び物になっているらしく、中央の奥の、いちばん大きい魚槽があてがわれている。その魚槽の中には、ナース・シャークという鮫の一種も同居していて、底の砂の上には、鈍重な姿のこの鮫が、不気味なその鰓孔をぱくぱくと動かしている。これも六尺近い鮫である。魚体はクリーム色に近い薄い黄褐色で、それが底の黄土色の砂の上にじっと横たわっているので、初めはちょっと気がつかない。薄暗いことが必要らしく、魚槽の底までとどく光を制限してあるので、猶のことである。その薄明の中に、じっと眼をこらすと、この怪異な姿の鮫が、自若として鎮座している。これも不精者らしく、動いているところを見たことがない。いつもじっと寝そべったまま、唯生きている証拠に、四列か五列かの鰓孔を、ぱくッ、ぱくッと、大きく開閉しているだけである。それが奇妙に、ひどく薄気味悪い印象を与える。
 アリゲーターガールは、この鮫の頭上、水面近いところに、じっと浮んでいる。水面近いところは光が比較的よく届くので、水が薄緑色に透け、その中に真黒い巨大な魚体が、シルエットの姿に浮び出ている。ちょっと見たところでは、魚体のどの部分も、まるで、化石したかのごとく、微動だにしないように見える。しかしよく見ると、胸鰭だけは、きわめてゆるやかに動いている。その胸鰭というのが、団扇くらいの大きさであって、頑丈なくせに、妙にしなやかな運動をする。分厚いこの鰭を、ゴム膜のように、ゆっくりと、微妙に動かしながら、巨大な魚体の安定を保っているのである。
 この魚は、ミシシッピイ河の沼沢地に棲んでいて、北アメリカ最大の淡水魚とされている。非常に珍しい魚であって、世界中で、この土地だけにしか産しない。現生のほかの魚との類縁は遠く、いわば古代魚の名残りなのである。天然の棲息状態も、水族館の魚槽内の姿と、まったく同じだそうである。一体、ミシシッピイ河というのは、南米のアマゾン河と並び称される、巨大な河川であって、いろいろ怪異な動物の棲息地なのである。アマゾンの上流地帯は、人跡が稀れなために、未だに「拓かれざる秘境」として、人々の関心をつないでいる。それに比して、ミシシッピイ河は、北米合衆国の真中を北から南へ流れて、メキシコ湾にはいっているので、もうその流域には、秘境めいた地帯など、ぜんぜん残されていないような印象を、一般には与えている。しかしミシシッピイの下流地域には、依然として未だに拓かれざる地帯が残されているのである。そこには、陸とも海とも河とも区別のつかない、特殊の沼沢地が、広い地域にわたって存在している。こういう沼沢地帯は、まことに人間の近付きにくいところであって、その鰐ガールは、そういうところに棲んでいるのである。そこは、この古代魚の名残りが棲むには、いかにも適当した環境であって、この魚の外にも、河七面鳥だの、人喰亀だの、マッカシン(毒蛇の一種)だの、大鯰だのという奇怪な生物がたくさん棲息している。
 ミシシッピイ流域の下流地帯は、きわめて平坦な土地であって、河川勾配は、ごく僅かである。河口から数百マイルの上流に達する広大な地域は、陸とも水ともいえない土地であって、不断は水が引いているが、ちょっとした出水があると、すぐ水面下になってしまう。出水でなくても、メキシコ湾が少し異常高潮になると、海水が逆流してきて、広大な地域にわたって氾濫が起きる。河口から七百マイルも離れているセント・ルイスの市街でも、メキシコ湾の高潮から、数尺しか高くないというのであるから、土地の平坦さが思いやられるであろう。
 こういう土地では、いくらアメリカでも、完全な堤防などは造れないので、原始河川に近い姿のままで放置されている。堤防といっても名ばかりのところが多く、腐蝕土を数尺積んだというくらいが普通なので、少し水が出ると、数時間のうちに、崩れ去ることが多い。河は著しい蛇行メアンダリングをしているので、彎曲点が方々で切れて、馬蹄型の湖を至るところに残している。この湿地と沼沢との地帯は、池にも川にも入江にも、皆、どす黒い水がおどんでいて、人間の生活にはきわめて不健康的である。腐蝕土の灰汁と泥土とで、黒褐色に濁った水は、茫々たる原野に、ひとしお荒涼の感を与えている。しかし、ところどころには、河床が砂地または砂礫地になっているところがあって、そういう場所では、比較的水が澄んでいる。そして鰐ガールの棲んでいるところは、こういう清流のある所なのである。
 どす黒くおどんだ大きい沼沢の縁に沿って、低い堤防を歩いていくと、やがて水の澄んだゆるやかな流れに出会う。そして稀れにではあるが、その水の底に、真黒な太い丸太が数本ころがっているのに気がつく。妙な丸太だと思って、よく注意して見ると、それが巨大な魚なのである。この土地の住民たちは、時々こういう異変に会って、おどろくことがあるそうである。中には、銛を探しだすべく、村へ駈け戻っていく男もある。
 この男が銛をもって、もとのところへ帰ってくるまでには、相当の時間がかかる。しかし帰ってみると、鰐ガールどもは依然として、旧の場所に、六尺の巨体を横たえたままの姿でいる。この古代魚たちにとっては、時間の単位が、人間などとは、全くちがっているのである。かの男は、とどろく胸をおさえてしっかりと狙いをつけ、満身の力をこめて、そのうち最も大きい奴に銛をうちつける。第一回は失敗。魚でなくて、石に銛をぶちつけたらしく、刃先を調べてみると、少し傷んでいる。しかし、幸いなことには、魚はまだ逃げていない。いま一度試みる。今度もまた駄目である。二三度そういうことを繰り返しているうちに、その男は、さっきから数回銛をぶちつけていたのは、石ではなくて、アリゲーターガールそのものであったことに気がつく。全身をおおっている堅い鱗が、銛をはね返していたのである。鱗が銛をはね返しても、そう驚くことはない。鱗がそういう堅い物質からできているのであれば、それは、当然のことである。それよりも驚くべきは、大きい銛が命中しても、まったくそ知らぬ顔で、悠然として動かないこの魚の神経の太さである。薄明の水槽の中で、身体に似あわぬ小さい眼玉を半眼に開き、団扇のような胸鰭をきわめて緩慢に動かしながら、泰然と水中に静止しているこの魚の姿には、ミシシッピイの下流地域、広茫たる沼沢地帯の主の面影を思わせるものがある。
 この魚の本名は、Lepisosteus tristoechus というのだそうで、銛をはね返した話も、シカゴの自然科学博物館発行の専門的な小冊子に出ていた話である。鱗は人間の歯と似た構造になっていて、内側は歯質と同じような物質から成り、外側は琺瑯質の極めて堅い層で蔽われている。形はやや菱形に近い四角形で、それがちょうど鎧のように、というよりも、瓦葺の屋根のような恰好にといったほうがわかり易いが、各鱗の一部だけが重り合って、丈夫な皮膚の上に並んでいる。この鱗の堅さは、斧で叩き切ろうとしたら、刃先から火が出たというストーリイが、一般に信ぜられているくらいである。火花のほうは、ストーリイであろうが、銛をはね返したという程度くらいまでは、どうも本当らしい。とにかくこういう怪物の生きた姿が、シカゴの街の真中で見られるのだから、驚いた話である。
 この鰐ガールと同じように、堅い鎧で全身をかためている魚は、いま一種類あって、Polypterus bichir という魚だそうである。写真を見たところでは、鯰が鎧を着たような怪物である。こいつも相当なもので、その鱗は、燧石くらいの堅さであるというから、あるいは一枚上手かもしれない。棲息地はアフリカの北部及び中部にかぎられ、これも古代魚の名残りだということである。どうもこういう連中の話になると、いつでもアフリカの奥地とか、ミシシッピイの大沼沢地帯とか、アマゾンの上流とかいうことになってしまう。そういう土地がまだ残されていると考えてみるだけでも悪くはない。別になんの役に立つというわけでもないが、アメリカでも有数の狂躁都市シカゴの真中で、現代アメリカ人と、生きた古代魚とが、毎日対面しているわけであるから、考えてみれば、愉快な話である。
 毎日朝の八時から夕方の五時まで、寸暇もない勤労に、心身をすり減らした中年のアメリカ紳士は、子供たちをつれて、日曜には動物園とか水族館とかいうところへ行く。そのうちの何割かは、この鰐ガールの魚槽の前に立つ。そしてこの怪異な古代魚の姿を指さして、子供たちになにか口早やに説明をしている。もちろん大部分の人たちは、この魚のもつ動物学上の意義などは知らない。つぎつぎと同じような連中が、あとからあとからと詰めかけるので、ところてんのように押し出されながら、きわめて短い時間のうちに、なるべく多くの説明を、子供たちにしようとしている。もっともその説明というのが、いちばん上等なところで、せいぜい「ごらん、北アメリカ洲で、いちばん大きい淡水魚だよ」というくらいである。多くは「ほら、おおきな魚がいるよ。アリゲーター・ガールだね。ちょっと凄いじゃないの」という程度であるから、そう時間はとらない。一九三一年という旧い統計であるが、その年の五月二十一日には、一日に約七万九千人の人間が、この水族館を訪れたそうである。その年の年間来訪者の総数は、四百六十万人以上に達したのであるから、開館日だけについていえば、平均一日二万人近い人間が、この鰐ガールの魚槽の前で、一応は感嘆の声をあげたわけである。こういう数字は、この水族館の案内書から採ったものである。その案内書では、これ等の数字は、この水族館がいかに科学普及に甚大な功績を挙げているかを示すために引用されている。
 まことにその数字の示すごとく、この水族館が、少なくもこの都市の住民に対して、その科学知識の普及に果した役割は大きい。しかしそれは人間の側から見た話である。鰐ガールのほうからいえば、毎日二万人近い人類が、水族館の中を、左から右へ動いていく光景を、悠然と水中に静止したまま、半眼をもって眺め暮しているわけである。銛をぶちつけられても知らなかったこの偉大なる王者にとっては、「空族館」中に群がる人間どもの姿は、まったく意識に上っていないかもしれない。いずれにしても、ガラス一枚を隔てた二つの世界はまったく別の世界である。
 考えてみれば、ずいぶんふしぎな光景が、原子力時代の現代において、現にアメリカの大都市の真中で、毎日平常茶飯事として、見られているのである。しかしそういうことは、異邦人たるわれわれのほうが、かえってよく認識されるのかもしれない。当のアメリカ人のほうは、あんがい気楽であって、私たちの周囲の仲間連中は、水族館などにそう興味はもっていないようである。アメリカの強味は、そういうところにあるのだといわれれば、あるいはそうかもしれない。
 渋沢さんがシカゴへ見えた時に、あるアメリカ人に「この日本の元大蔵大臣は、水族館を見にこられたのです」といって紹介したら、そのアメリカ人はきょとんとした顔をしていた。そして「水族館とは、それはまたどういうわけですか」という質問に対して、渋沢さんは「魚は口をきかないから僕は好きなんです」と、鰐ガール的の返答をしておられた。この光景なども、いささかガラス一枚隔てて、二つの世界を現出している風趣があった。
(昭和二十七年十二月)





底本:「中谷宇吉郎集 第七巻」岩波書店
   2001(平成13)年4月5日第1刷発行
底本の親本:「黒い月の世界」東京創元社
   1958(昭和33)年6月30日
初出:「文藝春秋 第三十巻第十七号」文藝春秋新社
   1952(昭和27)年12月1日発行
※初出時の表題は「原子力時代のふしぎ――武装した鰐ガールの話――」です。
入力:kompass
校正:岡村和彦
2018年8月28日作成
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