宇宙旅行の科学

中谷宇吉郎




宇宙旅行の夢


 宇宙旅行の夢くらい、素晴らしくて、又罪のない夢はない。そういう夢に、いよいよ実現の可能性が出てきたのならば、これは戦争の悪夢にうなされているわれわれには、何よりの清涼剤になるであろう。アメリカの海軍が、時速五千八百マイルのロケットを註文したことは、この可能性を実証するものだが、まず人工衛星をつくることが、宇宙旅行の第一歩である。これさえ出来れば、それを足場にして、そこから宇宙船をとび出させれば、比較的容易に、天体までの旅行が出来るのである。地球からすぐ天体へとび出すのは、ベース・キャンプをつくらないでエヴェレストへ登ろうとするような話である。エヴェレストの頂上をきわめようと思ったら、まずベース・キャンプをつくらねばならない。そして人工衛星が、この場合のベース・キャンプなのである。
 それで人工衛星をつくることの可能性如何が、宇宙旅行が科学の問題になるか、空想小説の種になるかという岐れ目である。今度アメリカ海軍が発註したロケットの規格は、この人工衛星をつくる一つの可能性を示した点において、かなり重要な意味がある。
 第二次世界大戦の末期頃に、ヒットラーが、この人工衛星をつくる研究を指令したことがある。この話は、当時の日本の新聞にも出ていたので、記憶に残っている方もかなりあるであろう。もっともあまりにも突飛な話なので、たいていの人は、法螺話か新聞記事のデマとして、気にも止めず、読み棄てられたにちがいない。しかし今から考えてみれば、ヒットラーが、大真面目にこの問題をとり上げたとしても、ちっとも可笑おかしくないのである。というのは、現在アメリカで、一部の人たちの間ではあるが、本気で人工衛星のことを考えているのは、けっきょく第二次大戦中に独逸ドイツで発明されたV2号ロケットの改良の問題に帰するわけである。
 それならば、ヒットラーが、V2号の完成に引きつづいて、人工衛星の問題に着眼したとしても、何も不思議ではない。むしろきわめて自然な経過であり、且つ頭も良かったといっていいであろう。というのは、もし人工衛星がヒットラーの夢想どおりに、本当に出来たと仮定したら、独逸は戦争に敗けなくてすんだからである。逆にアメリカも、イギリスも、ヒットラーの膝の下に屈しなければならなかったであろう。
 もっとも、これは非常な大事業であって、そう急にはどうにもならない。現在のアメリカの科学力及び工業力を総動員し、且つ今日のアメリカがもっている金の力を、ほとんど無制限に注ぎ込んだとしても、少くも十年はかかるであろうと、一部の専門家たちは言っている。それで当時の独逸の力では、とても戦争に間に合うはずはなかった。

ヒットラーの夢アメリカに引きつがる


 今度の戦争がすんで間もない頃、即ち一九四五年のうちに、独逸のロケット関係の研究者たちは、アメリカへ渡った。そしてV2号の改良を、アメリカで大仕掛けにやることになった。その中には、V2号の協同発明者の一人であるブラウン博士や、独逸ロケット協会創立者レイ氏などもはいっていた。
 そのうちブラウン博士は、陸軍関係の研究所で、技術所長として、ずっと人工衛星建設の研究に専念して来たようである。もっとも直接の目的は、人工衛星にはなくて、誘導可能の長距離ロケットをつくるところにある。
 戦後のアメリカは、長距離ロケットの研究に、大いに力瘤を入れている。ニュー・メキシコ州の白砂原ホワイト・サンド・グラウンドにつくられた、ロケット研究所は、全米の各方面で研究された、ロケットの試射地として、大いに活用されている。一九四六年十二月十七日に、ここでつくられた高度一一四マイルという記録は、単一ロケットとしては、世界最高の記録である。戦争末期に、独逸のV2号が、バルチック海中の小さい島で、一〇九マイルという記録をつくったが、それがここで更新されたわけである。しかし親子ロケットによれば、高度二五〇マイルの記録が得られている。高度二五〇マイルというのは、驚くべき高さである。成層圏は、約七マイルの高さのところから始まり、五〇マイルくらいで終っている。それ以上はいわゆる電離層になるが、これも大体一八〇マイルくらいまでである。事実一二〇マイル以上の高さになると、大気の抵抗はほとんど零になり、真空といってさしつかえない。もちろん大気は次第に稀薄になるので、どこから真空というはっきりした境はないが、抵抗がほとんど零になるところから上の上空を、空間スペースといい、これは地球からは外の世界と見ることになっている。それで二五〇マイルの高度に達した親子ロケットは、既にその行程の半ばを、大気圏外に乗り出したのである。即ちわれわれは、既に宇宙旅行に、第一歩を踏み出したということが出来よう。
 三段のロケットをつくり、孫ロケットの初速を、時速一四、三六四マイルにすることが出来れば、この孫ロケットは、永久に地球の上空を廻りつづけるという計算になる。即ち人工衛星になるのである。そして孫ロケットに、それだけの速度を出さすためには、子ロケットの初速を、時速五、二五六マイルにすればよい。ところが今度マーチン会社が海軍から註文をうけたロケットは、時速五、八〇〇マイルという規格になっている。それが出来上れば、孫ロケットの方も当然製作可能になるものと考えられる。即ちヒットラーの夢は、最近のアメリカにおいて、着々と実現の可能性を示して来ているのである。

人工衛星の力学


 地球は一年かかって、太陽のまわりを廻り、月は約二十九日で地球を一まわりする。地球が太陽に落ち込まず、月も地球へ落ちて来ないのは、万有引力と軌道運動から来る遠心力とが、釣り合っているからである。バケツに水を入れてふり廻すと、バケツが逆さの位置のところでも、水が落ちて来ないのと同じことである。
 万有引力は距離が近くなると大きくなるので、地球に近いところに人工衛星をつくろうと思うと、その遠心力を大きくする、即ち軌道上の速度を大きくする必要がある。この計算は簡単に出来るので、例えば地表から二二、三〇〇マイルの高さのところに軌道をもつ衛星をつくると、それは二十四時間で、地球を一廻りする。こういう計画を提唱した人は、もう三十年も前にあったのであるが、その頃は、ロケットが今日のように進歩しようとは、誰も考えていなかったので、科学小説の域を出なかった。前にいったV2号の発明者ブラウン博士が、近年アメリカで提唱しているのは、二時間で地球を一廻りするものである。これだと高さはずっと低くなるので、一、〇七五マイルの高度のところに軌道があればよいことになる。そのかわり速度は著しく大きくする必要があって、時速一五、八四〇マイルにしなければならない。即ちこの速度をもたせれば、万有引力即ち地球の引力と、遠心力とが釣り合って、このロケットは永久に、一、〇七五マイルの高度のところで、地球のまわりを廻っていることになる。この軌道のことを二時間軌道ということにする。このいい現し方にすれば、月の軌道は二十九日軌道である。
 ことわるまでもないが、ロケットは、この高速に達するまで、噴射をさせる必要がある。しかし一旦この速度に達したら、もう噴射をつづけさせる必要はない。ロケット・エンジンは切ってしまってよいので、あとはいつまでも慣性でこの運動をつづける。投げた石が、手を放れてから或る距離は、自分自身でとんで行くのと同じことである。石の場合は、地球の引力にひかれて、間もなく落ちて来るが、この場合は、引力と釣り合う遠心力がはたらくので、落ちて来ない。もっとも月は何もエンジンを持たなくて、いつまでも地球のまわりを廻っている。それと同じことである。それでこのロケットは、所定の軌道即ち二時間軌道に達して、そこで必要な速度を得るだけの燃料をもっていればよい。もっとも帰りのことも考えねばならないので、少し余分の燃料をもって行く必要はあるが、それはきわめて少量ですむ。
 人工衛星とロケットとが、少し入りまじった話になったが、ここで少し問題をはっきりさせておこう。第一の問題は、二時間軌道(一、〇七五マイル)に達して、衛星速度(時速、一五、八四〇マイル)を得るロケットを造ることである。もしこれが出来たら、それに大仕掛けの合成樹脂タイアの材料を積んで行って、空間でそれを組み立てて、人工衛星をつくるのである。
 ここで面白いことは、一旦この軌道に乗ったら、人間にも、物にも、何にも地球の引力がはたらかない点である。はたらいてはいるのであるが、遠心力が反対方向に作用するので、すべてのものは宙に浮いてしまう。そして本当は全部のものが、時速一万六千マイルに近い速度で動いているのであるが、この軌道に乗ったものは、全部同じ速度で動くので、すべてのものが、真空の宙に浮いてじっと止っているように見える。
 空気はもちろん無いから、人間は潜水服のようないわゆる宇宙服を着て、空気のボンベを背負っていなければならない。この服は一気圧弱の内圧に耐えればよいので、潜水服のような部厚のものはいらない。それでかなり自由に活動が出来る。こういう服を着た人間が、ロケットの外に出ると、真空中に浮いていることになる。この点は、この頃の天体旅行の映画によく出て来る場面であるが、あの場面は、科学的にも正しいと見てよい。
 大きいタイアの材料を、一度に運ぶことは出来ない。それで二十くらいに分けて、ロケットを何度もとばせて、軌道までもって行く。そして引力のない空間で、これ等を組み立てるというのが、現在考えられている方法である。

人工衛星の構想


 衛星軌道に到達出来るロケットが出来たら、それに人工衛星の構築材料を積んで、とび出して行く。一台には三十五トンくらいしか荷物を積めないので、最初の衛星構築の時期には、四時間おきくらいに、つぎつぎとロケットを送り出してやる必要があろう。これ等のロケットは、軌道上の一地点に行くように、発射の時刻を精密に調整しておく。衛星構築地点に達したら、荷物をおろすのであるが、これ等の荷物は、引力のはたらかない世界であるから、そのまま宙に浮いている。人間はもちろん宇宙服を着て、これも宙に浮いたままで、この構築材料の組立て工事を始めるわけである。
 要するに、さし渡し四十二間のドーナツみたようなものをつくればよいので、材料は二十くらいの小室分にわけて運ばれて来る。この合成樹脂の袋の中に空気をつめてふくらませ、それを環の形に組立てる。空気ももちろん地球から運んだものである。空気が漏らないようにする必要があるが、それは潜水艦が水のもらないようになっているのと同じことである。
 このドーナツ型の人工衛星を、たくさんの小室に区切っておくことは、流星にうたれた場合に有利である。流星の速度は非常に大きいので、これを防ぐことは出来ない。ぶち抜かれたら、その小室だけを閉鎖して、壁の孔を修理して又空気をふき込むより外に対策はない。流星は、こういう上空では、非常に数が多い。しかしこの人工衛星が流星でぶち抜かれる確率は、大都市の街上で、歩行者が自動車にひかれる確率よりもずっと少い。それでそう心配することはいらない。流星の外に、宇宙塵という非常に小さい粒子が無数にあるが、これは外壁に薄い金属板をはって防禦する。
 さし渡し四十二間のこの大型ドーナツは、太さも太くて、切口の直径が約五間ある。太平洋の上をとんでいる旅客機も、胴体は円筒形で、あの円筒の直径は、二間足らずである。まず渡洋旅客機の胴体の三倍くらいの太さの円筒が、大きいドーナツ型になったものと思えばよい。そこで人工衛星の内部は、かなり空間的にゆとりがあって、その中を三階に仕切って使うことは容易である。
 唯一つ厄介なことは、重力がないので、三階に仕切るといっても、どっちが天井か床かが分らない。器械を設置するにしても、一寸さわればふらふらと浮いて来るし、中に住んでいる人間も宙に浮いているので、腰をかけることも出来ない。それで人工重力をつくって、上下をきめてやる必要がある。こういうドーナツ型にしたのは、この人工重力をつくるのに便利なためである。
 人工重力をつくるといっても、何もむつかしいことはない。このドーナツをゆっくり廻転させてやればよいのである。即ちこの人工衛星も自転をするわけである。そうすると、内部のものに遠心力がはたらいて、それが重力と同じ役目をしてくれる。即ち内部のすべてのものが、この車輪の中心から見て、外側の方向に圧しつけられる。それでその側の壁が床になり、車輪の中心に向う方向が天井になる。唯遠心力は重力とちがって、内部で運動をするものにとっては、コリオリス加速度というものを生ずる。人間が歩いたり、頭を動かしたりすると、少しふらふらする。それで人工衛星の自転は、なるべくおそくする方がよい。二十二秒で一廻転するくらいにすると、このコリオリス加速度は、非常に小さくなり、大して不便はない。その時の遠心力は、重力の三分の一に相当する。即ちこの衛星の住民は、体重が三分の一になった感じで生活が出来るので、却って軽快な気持で働けるであろう。この人工衛星の自転は、小型のロケット・エンジンを一つつけておけば、簡単に与えられる。これも所定の廻転速度になったら、エンジンを切ってしまってよいので、あとは永久に自転をつづける。
 一寸面白いことは、車輪の中心に対して反対側にいる人は、上下が逆になっていることである。両方とも中心が上だと思っているわけである。それも別に珍しいことではなく、東京に住んでいる人と、南米のブエノス・アイレス附近に住んでいる人とでは、上下が逆向きになっているのであるが、別に何の不自由も感じない。それと同じことである。
 人工衛星が自身で廻転していると、一つ不便なことがある。それは地球から補給品を運んで来たロケットが、とっつきにくい点である。それでドーナツの中心を通って、一本太いスポークを通しておく。これも胴体と同じ材料で作ってあって、内部にはしごがついている。ドーナツの部分から、このはしごを上って行くと、次第に重力が感ぜられなくなり、中心へ行くと、全く身体が宙に浮いてしまう。その点は自転の中心になっているので、遠心力がはたらかないからである。そこを通り抜けて向う側のはしごにかかると、今までとは上下が逆になって、今度は向う側が下になる。
 地球から来る輸送ロケットの取附き場所、即ち埠頭は、この中心地点につくっておく。そこは廻転の中心であって、その点自身は動かないから、とっつくのに便利である。もっとも補給用のロケットが、直接にこの点に「着陸」するのではない。速度の調節がちょっと狂うと、衝突をするおそれがある。それでロケット自身は、この軌道上の近くの点へ来て、人工衛星と同じ速度で、軌道の上に乗ってしまう。するとロケットと人工衛星とは、相互間の位置が変化しないので、両者とも空間に静止した恰好になる。そこでロケットから必要な補給品をつんだ「はしけ」を送り出すのである。このはしけ即ち空間タクシイは小さいロケット・エンジンをもっていて、重力のはたらかないこの世界で、自由に動き廻れるようにつくられている。そういうものの製作は、宇宙ロケット自身などからみたら、きわめて簡単である。この空間タクシイは、円筒形をしていて、両端は半球になっている。
 取附き場所は、この円筒形のタクシイがはいれるような、少し大きい円筒になっていて、外側と内部とに、気密の扉がある。初めに内部の扉を密閉して、外側の扉をひらく。すると円筒内は外の真空に通じ、その中にタクシイがすっぽりとはまる。そうしたら外側の扉をしめて、内部の扉をあけ、空気のある衛星内の世界と連絡してやる。そこで初めてタクシイの扉を開いて、地球から来た人と対面するわけである。こういう風にすれば、人工衛星への補給の問題、人員交代の問題などは、うまく解決されることになる。

地球から運ぶもの


 人工衛星構築の材料や、各種の装置及び機械などは、初めの建設時代中に運び終ったとして、いよいよこのドーナツが出来上った時に、地球から運ぶべきものの中で、一番重いものは何であるか。
 後に述べるように、科学上及び軍事上の各種の仕事をし、且つこの衛星を運営して行くためには、ここの住民は八十名近い数になる。それだけの人間が生活して行くには、水も食物も相当補給してやらなければならないが、それよりももっと大切で、且つ目方もかかるものは、空気である。
 さし渡し四十二間のこの大きいドーナツと、スポークとの容積は、合計一八、四〇〇立方メートルになる。一立方メートルの空気の目方は、一・三キロであるから、初めに衛星内にみたす空気は、約二万四千キロ、即ち二十四トンの目方になる。空気というものは、とんでもなく重いものである。
 初めに二十四トンの空気を運んだだけではすまないので、その後もずっと補給をつづけなければならない。もっとも消費されるのは、酸素であるから、あとは酸素だけ補給すればよい。人間一人当り一日に酸素を約一キロ半消費するので、八十人では一日に百二十キロくらいになる。この補給の方は、ロケット船一隻で、約四ヶ月分の酸素が送れるから、大したことはない。酸素は圧縮ガスの形で運ぶと、ボンベの目方が中身の十倍くらいかかるので、液体酸素にして、大型の魔法瓶に入れて運ぶ。そうすると、風袋ふうたいは中身と同じくらいの目方ですむ。
 ところで初めに運ぶ空気であるが、これは必ずしも普通の空気である必要はない。空気は窒素が五分の四を占めているので、空気の目方といっても、大部分は窒素の目方である。この窒素をヘリウムにかえると、目方が約七分の一に減る。そうすれば、風袋を入れて、ロケット船一隻で最初の充填が出来る。しかもヘリウムと酸素とでつくった人工空気の方が、この場合には、普通の空気よりも有利な点がある。それは流星にうたれた場合である。普通の流星は、前にもいったように、とても防げないから、不幸にしてあたったら、胴体をぶち抜かれる覚悟にしている。それでたくさんの小室に区切ってあるわけであるが、その災害をうけた小室にいた人は、別室へ救い出されるまで、一時急激な低圧にさらされる。そうすると、いわゆる潜水病になって、ひどい場合はたいてい助からない。この潜水病は、血液中にとけ込んでいた窒素が、急に圧が下ったために、小気泡になることが、一番大きな原因である。ところがヘリウムは血液中にあまりとけ込まないので、潜水病の予防の点では、最適のガスである。それで人工衛星の空気はこのヘリウムと酸素とでつくった人工空気を使う計画になっている。
 空気の次は水である。一日一人あたり約一升の水が必要で、住民全体では、一日八斗、目方にして約百五十キロの水を使う。目方では所要酸素量よりも重いが、この方は容器が軽くてすむので、風袋まで入れると、かえって酸素よりも軽くなる。風袋を軽くするには、氷にして運ぶのが一番利口で、これだと薄いプラスチックの袋一枚ですむ。氷がとける心配はない。というのは、ロケットには、次に話すように、冷凍装置をつくっておく必要があるので、その冷蔵庫に入れておけばよい。
 一日一升の水というのは、すこし少なすぎるように思われるであろう。これは飲用と料理用とだけの水である。その外、研究にも水を使うこともあろうし、又顔を洗ったり、ひげをそったりするための使い水が要る。とアメリカの本には書いてある。地球の外へとび出しても、毎朝ひげをそる気でいるらしい。この使い水の方は、回収した水で賄うことになっている。人間が一日に一升の水を飲んだとしても、この水は無くなるわけではない。約半分は生理的に排泄され、残りは汗と息になって空気中に発散する。空気は常に浄化して、酸素を追加しているわけであるが、この浄化の際に、汗や息から出た水蒸気は、水として回収される。それと小便の水とを集めて浄化すると、もとの綺麗な水になり、量は減らない。それを使い水として用いるのである。本当は一度初めに少し余分くらいの水を運んでおくと、永久にその水を循環して使って居ればよいはずである。しかし化学的には純粋でも、排泄物から回収した水を飲む気はしないと見えて、飲料水だけは、地球から運ぶ計画にしてある。ロケット船一隻で、氷にして運べば、四五ヶ月分の水は運べる。
 酸素についても、実は回収の道がある。呼吸で使われた酸素は、炭酸ガスになって出て来る。地球上の自然界では、この炭酸ガスは、植物の同化作用によって、再び酸素と炭素とにわかれる。この作用の一番強いのは、クロレラという緑藻で、日光が十分与えられると、一時間に自分の体積の五十倍の酸素をつくる。空間スペースでは、日光は十分すぎるほどあるので、これのタンク培養によって、酸素を回収することが、十分可能である。
 空気と水の次は食物である。これはなるべく軽量で栄養価のあるもの、とくに出来るだけ完全に吸収されるものでなければならない。人工衛星内の生活で、一番困るのは、ものの棄て場がないことである。人間が生活している以上、ごみはどうしても出る。空気浄化の際にとり除かれる塵埃なども、すぐ相当な量になる。それよりも厄介なのは、排泄したものであって、これ等のものを棄てるところがないのである。というのは、外へ放り出しても、重力がはたらいていないので、そのまま宙に浮いていて、眼の前に止っている。これはまことに厄介である。空気のはいっている状態で、真空中に放り出せば、細かく粉砕されるであろうが、その粉はそのまま人工衛星のまわりに漂っていて、次第に視界を悪くしてしまう。それでけっきょく、これ等のごみ排泄物は、一まとめにして、補給に来たロケット船に、地球へもって帰ってもらうのが、一番簡単な解決法になる。ロケット船は、帰りには、汲取舟の役目をするわけである。

地球へ帰るには


 ロケットが、衛星軌道から地球へ帰る時にも、非常な難問題がある。ただ降りて来ればよいというわけには行かない。そんなことをしたら、ロケットは、空気との摩擦のために、非常な高温になり、途中で燃えてしまう。流星というものが、そういうものなのである。
 ロケットは、昇る時と降りる時とでは、条件が全くちがっている。昇る時は、速度がまだそんなに大きくならないうちに、大気の濃い層を通り抜けてしまうので、摩擦熱のことは、そう大した問題にならない。しかし降りる時は、地球に近づくに従ってだんだん速くなり、非常な高速で大気中に突入して来る。それで流星になってしまうのである。
 相当の高温になることは避けられないが、問題は、耐熱用の鉄でつくった機体が、どうにかその熱に耐え、内部の冷凍装置の能力の範囲内で、人間が蒸しやきにならないですむには、どういう降り方をすればよいかという点にある。
 まず軌道から逸脱するには、速度をおとすことが必要である。それで初めに、逆向きのロケット・エンジンを、暫くの間だけはたらかせて、速度を時速一、〇七〇マイルだけおとす。即ち最初に二時間軌道にとりついた時の速度にする。そうすると、ロケットは軌道をはずれて、エンジンを切ったまま、少し下向きの運動にうつる。即ち楕円軌道にうつるわけである。そして上昇の時と逆の経過をとって、地球を約半まわりしたところで、五〇マイルくらいの高度まで降りる。その時の速度は、時速約一万八千マイルである。この辺では大気の抵抗は既にかなりあるので、機体は熱しはじめる。この時パイロットは機体を巧く操縦して、この五〇マイルの高度を保ったまま、水平飛行をさせる必要がある。
 この状態を保ったまま一万マイルくらい飛ぶと、速度はやっと時速一万三千マイル程度に落ちる。そのかわり機体の表面温度は、空気との摩擦のために、摂氏七百度くらいまで上る。時速一万三千マイルまで下れば、楕円軌道を描いて又上空へとび上る心配はなくなる。そして翼面荷重がきいて来て、機体は超音速ジェット機の滑空と同じ状態になる。この状態でどんどん滑空しているうちに、機体の表面温度は更に上り、最高摂氏七百四〇度近くまで上る計算になる。それからあとは、熱の放散の方が大きくなるので、だんだん冷めて、高度一五マイルまで降りた時には、百度以下の温度になる。この時の速度は、時速七五〇マイル、即ち音波の速度と同じになっている。これからあとは、普通の飛行機と同じことになり、だんだん速度がおちて、着陸する時は、時速六五マイル、即ち普通の旅客機の着陸速度以下になってしまう。それで着陸の心配は全然いらない。
 問題は、摂氏七百度以上の高温期間が、相当長くつづくことである。これは、簡単にいえば、流星の状態になっている期間であるが、この間機体はにぶい赤色に見える程度まで、けているわけである。赤くやけたロケットが、天空から矢のように落ちて来る状景は、一寸ものすさまじいものであろう。しかしこれくらいの温度ならば、耐熱用の鉄板でつくってあれば、機体自身には問題はない。中にいる人間は困るが、熱の絶縁材料で、機体内部をおおい、強力な冷凍機を働かせて、内部の冷却をすれば、人間のいるところくらいは、常温に近い温度に保てるはずである。窓は二重硝子にして、その間に冷却した液体を流す必要があろう。問題は軽量で強力な冷凍機をつくるところにある。
 この問題は、何も宇宙ロケットについて新しく出て来た問題ではなく、超音速ジェット機に対しても、程度は低いが、同じことがあり、その対策も既に行われている。それでこの流星化の問題は、困難ではあるが、解決可能の問題と信ぜられている。

実現は可能か


 以上話したように、今日の科学の眼からみると、人工衛星の問題は、既に科学小説の域を脱して、科学の問題となっている。そして原理的にはもちろんのこと、技術的にも、かなりの確実性をもって実現可能と考えてよいようである。
 もっとも実際にやるとなると、いろいろな問題がたくさん出て来る。まず切り離した第一段及び第二段の部分を、回収することが大切である。いくら金がかかってもいいといっても、ロケットは何百遍も往復する必要があるのに、その都度九割に達する部分を棄てては、ちょっと困るであろう。それで第一段及び第二段ともに、切り離してからあとは、自動的にパラシュートが開いて、大した損傷なく、海中に墜落するようにする。海中に落すのは、回収の目的以外にも、人間の住んでいないところという意味もある。パラシュートは、細い金網でつくった丈夫なものにする。
 ところで第一段は、切り離されてからあとも、慣性でとんで行くので、落ちるのは、発射地点から、水平距離で一八九マイルはなれたところになる。第二段は、三三二マイルはなれたところで切り離されるが、これは高さも高いので、ずっと先までとんで行く。落下地点は、七〇五マイル離れたところになる。事故のために途中で落ちることも考えねばならないので、その間ずっと海上になっていることが望ましい。そういう意味では、一例として太平洋上の孤島、ジョンストン島が、基地としての条件を備えている。
 そういう基地がきまったら、そこにまず要員の住宅を初め、燃料タンク、機械工場、ラジオ及びレーダー装置、天文台及び気象観測所などを作らねばならない。とくに燃料のヒドラジンは、現在のところ需要が少いので、大量生産がされていない。それでヒドラジンの製造工場も、ここに設けた方がよいかもしれない。その外第一段及び第二段を海中から拾い上げる装備をもった船も数隻必要である。それ等の船は、落下地点の近くまで来ていて、レーダーで落ちて来る経路をつかまえる。そして落下と同時に、その地点へ急行する。
 こういう問題は、金さえかければ、必ず出来ることである。それよりも根本的な問題で、まだ話し残したことがたくさんある。そのうち、解決のついている、又は見込のあるものから、片附けて行こう。
 第一に、人間の身体及び機体が、そういう高速又は大きい加速度に耐えるかという疑問である。以前には、飛行機は音速を超すと破壊するといわれていたし、又英国のジェット機が、実際にこわれた例が、最近にもあった。しかしこの疑問は、もう完全に片がついている。先年アメリカで、ブリッヂマンが、スカイ・ロケット機で、一五マイルの高度に達し、時速一、二三八マイルという、音速の二倍に近い高速の記録を、立派に樹立している。詳細の公表はないが、この飛行中、少くも五十秒間は、全く重力のはたらかない状態にあったと信ぜられている。
 重力のない世界で、人間が生きているのに、差しつかえないかという点も、研究を要する。人工衛星の中では、人工重力があるが、一般に宇宙旅行には、重力のない状態が必ず伴うからである。この研究は、航空医学の方面で、かなりよく進められていて、結論は肯定的である。
 ブリッヂマンの例もそうであるが、もっとくわしい研究は、猿や鼠について行われている。猿や鼠をロケットで上空に打ち上げると、それが自由落下している時間内は、重力がはたらかない。そういう状態で、脈のうち方、血圧、呼吸運動などを、ロケット中に仕掛けた自記装置に描かしてみると、ほとんど変化がない。少しは乱れるが、それは驚愕のためと解釈される程度である。こういう一連のくわしい実験は、オハイヨ州ディントンにある航空医学研究所で、ヘンリイ博士が主となって、大勢の学者たちが、多年にわたって行って来た。その結論は、重力のはたらかない世界でも、多分人間は普通に活動出来るだろうということになっている。
 加速度の方は、もっと厄介な問題である。ブラウン博士たちが計画している三段ロケットでは、第一段を切り離す直前に、一番大きい加速度がはたらき、地球上の重力の九倍に達する。第二段を切り離す直前にも、八倍くらいになる。あと本体だけの飛行になると、速度は時速一万何千マイルという、とんでもない値になるが、加速度は重力の二三倍に減り、軌道に乗れば零になる。
 人間の身体が、重力の八倍九倍という加速度に耐えられるかというのは、大きな問題である。人体に対する加速度の影響は、ペンシルヴァニア州にある海軍の加速度医学研究所などで、大規模な設備をもって行われている。加速度は、遠心機で与えるので、目方一八〇トン、瞬間出力一万六千馬力という直流モーターで、ゴンドラを急激にふり廻し、始動から七秒後には、周辺速度が時速一七四マイルになるというのであるから、実験設備の規模が想像されるであろう。
 ロケット自身は製作し得る見込がかなりあり、又人間も乗り込めそうだというと、今にも月世界への旅行が出来そうに思う人がたくさんあろう。しかし以上の話は、全般に亙って、贔屓ひいき目に見ている点が大いにある。その点を忘れて、今にも実現されるように思ったら、大きな間違いである。

もし人工衛星が出来たら


 人工衛星の軌道をどういう位置に作るかは、目的によってちがうであろうが、その軌道面を地球の公転面にほぼ直角にしたとする。この衛星は前にもいったように、二時間で地球を一まわりするが、地球の方は、二十四時間で一廻転する。それで衛星の上からは、地球の全表面を、一日で全部見ることが出来ることになる。
 例えばシベリアの東部から、東京の上空をとおり、赤道を越え、ニュージーランドの上をとんで、地球を一廻りして来る間に、地球は十二分の一だけ廻っている。それで今度はシベリア中部、マレイ半島、濠洲の上を通る。一地点でみていると、毎日同じ時刻に、この人工衛星が、上空をとんでいることになる。軍事目的というのは、主として、この点を指しているので、強力な望遠鏡をもって居れば、全地球上で起っている現象を、始終ここから監視が出来るのである。
 もし百インチの反射望遠鏡を設置しておけば、一、〇七五マイル下の下界は、四千尺くらいの高さから下を見たのと、同じように見える。写真にとって詳細に調べれば、一尺五寸くらいまで識別される。即ち一尺五寸の大きさのものがあれば、見えるわけである。それは極端な話としても、まず普通の民家ならば見えるであろう。その程度までくわしく、始終見透しになっていたら、こっそり戦争の準備をしたり、又は秘密裡に軍事行動を起したりすることは、到底出来なくなる。
 人工衛星は自転をしているので、大型望遠鏡をそなえつけても一寸困るが、望遠鏡は別につくった空間天文台に設備することに計画されている。この軌道上で、人工衛星から少し離れたところに、デュラルミンの骨組だけの枠をつくり、その中に反射望遠鏡と、写真装置と、ジャイロ利用の方向安定機とを設置する。この天文台も宙に浮いているので、始末がよい。そして時々宇宙服を着た人間が、携帯用の小さいロケットをもって、それで勝手に空間を泳いで、撮影ずみの写真乾板のとりかえに行く。地球上で目で観測する場合に相当するのは、この望遠鏡からテレビで衛星内へもって来る。テレビをそういう目的に使うことは、既にアメリカの工場で、実用化されているところがある。
 人工衛星の中で、乗組員の生活や、いろいろな研究、及び衛星の運営などに使われる動力は、全部電気である。この電力は、太陽熱を利用して十分に賄えるので、勢力源エネルギーを地球から運ぶ必要はない。必要電力は五〇〇キロと推定されているが、これくらいの電力ならば、水銀蒸気を用いたボイラーで発電すれば、小型のものですむ。人工衛星自身は、太陽熱で熱しすぎないように、白色に塗ってあるが、一部に黒色の熱吸収鏡をおき、そこで水銀を熱して気化させ、ボイラーに送るのである。温度は調節され、空気はいつも浄化されている。それに電力は豊富なのだから、案外住みいいであろう。
 人工衛星をベースにすれば、月までの旅行は簡単であるといったが、とくに月に着陸しない旅行ならば、非常に簡単に出来る。軌道に届いたロケット機、即ち頭部の部分から、ロケット・エンジンをとり出し、それに乗組員のはいれる球形のゴンドラと、燃料タンクとを組合せて、デュラルミンの枠で固定すれば、それで十分月まで行くことが出来る。随分妙な形のものであるが、真空中だけ動くのならば、何も流線型にする必要はない。
 軌道上で、既に一五、八四〇マイルの時速をもっているわけであるが、その上このエンジンでちょっと加速して、時速二二、一〇〇マイルにしてやれば、そのまま月へとんで行くのである。エンジンを噴射する時間は、二分間だけでよいので、あとはエンジンを切ってしまう。そうすると月の向う側までとどく長細い楕円軌道を描いて、慣性でとんで行く。この場合、地球を廻る運動ではないから、遠心力は人工衛星の場合のようにはたらかず、このロケット船は次第に速度がおちる。地球の重力は、弱くはなるが、ずっと先まではたらいているからである。そして月の向う側、五〇マイルの高さのところまで行って、又戻って来る。戻る時には地球の重力に引かれて、速度が増し、もとの軌道へ帰った時には、初めの二二、一〇〇マイルの時速になっている。それでロケットを二分間逆に噴射して、軌道速度まで落せば、無事軌道へ「着陸」出来る。月の引力は弱いので、補正のタームに効くだけである。
 月はいつも半面だけしか地球に向けていないので、地球上の人間には、向う側は永久に見られない。ちょっと不思議に思われるかもしれないが、事実そうなのだから仕方がない。円形のコースを馬が走っている場合、人間が中心で立って見ていると、馬の向う側を見ることが出来ないのと同じことである。しかしこのロケットが出来れば、この永遠の謎であった月の反対面を、五〇マイルの距離から見ることが出来るのである。この旅行には、片道五日かかる。
 月への旅行よりも、科学的に見て一番の収穫は、天文学が文字どおりに飛躍的の進歩をすることが、期待される点にある。大気の底から見ていた天界が、急にひらけて来るので、いわば深海魚の作った地理学が、人間の作った地理学にかわるわけである。『空間スペースのフロンティアを越えて』の著者の一人、ハーヴァード大学の天文学主任教授ウィップル博士は、この本の中で、七つの大きい問題を挙げ、それ等は、人工衛星からの観測によって、容易に解決の見込があるといっている。
 その中の一つに、超新星の問題がある。銀河系は一つの小宇宙ガラキシイで、その中には約一千億個の太陽があるが、三百年くらいに一度、このうちの一つが突然爆発して、いわゆる超新星になる。もっとも三百年は待てないが、他の小宇宙の星にも、この現象があり、わりに頻繁に発生する現象である。この時に出す「光」のうち、地球上では、大気を通過し得るものだけしか観測出来ない。肝腎なのはX線、極紫外線、放射線などであって、それ等は大気圏外に出なければ観測が出来ないのである。人工衛星の問題に対して、天文学者が真面目に熱意を見せているのも当然のことである。
 現代の天文学は、原子物理学と非常に密接な関係がある。むしろ宇宙という実験室をもった原子物理学といっていいかもしれない。それで天文学が人工衛星の建設によって、飛躍的の発展をすることは、即ち原子物理学がそれによって画期的の進歩をすることになる。十九世紀が分子の時代とすると、二十世紀は原子の時代である。その前半に於て、原子力の解放は既に達成された。後半において宇宙実験室における原子核反応を研究する最大の装置、即ち人工衛星の建設が提唱されているのは、人類の歴史の歩みという観点からみて、まさに正常な経路である。

結び


 人工衛星の問題は、戦争目的或は戦争防止の目的で、採り上げられているものではあろうが、今少し広い眼で見れば、これは人類の歴史の正常な一こまである。それでこれは実現するであろうと、私は思っている。もっとも、日本の新聞や雑誌にも、「月世界旅行は実行の域にはいっている」とか「宇宙旅行は可能である」とかいう風な記事は、既にたくさん載っている。それで、今更何もこと新しくいうまでもないと思われるかもしれないが、私は少しちがった見方をしている。本文で詳しく書いたように、これほどの研究が為され、且つ技術的にも日進月歩の形になっているが、「月世界旅行」は、まだまだかなり遠い先のことであると思われる。しかしそれは既に科学小説の域は脱したので、科学の問題として遠い先のことなのである。
 アメリカでも、天体旅行が、卑俗な意味でのジャーナリズムの好餌となることを嫌い、もっと地味な研究が必要であると力説している人もある。海軍省から、『研究評論』という小冊子が出ているが、昨年(二十七年)の十二月号に、ローゼン氏がこの点を、大いに論じている。
 一番困るのは、百何十マイルとか、二百何十マイルとかいう高度記録が出ると、その本当の意味を理解しない人が、無闇と騒ぎ立てることである。というのは、失敗した実験が、その蔭にたくさんあることを思わないで、今にも天体旅行が出来るような誤解を、一般の人たちに与えることである。百マイル以上の高度を目指したロケットが、数マイルで不規則な運動を起して駄目になるというようなことが、しばしばあるものと考えられる。ロケットが指定どおりの運動をするためには、数千の要素が全部完全にはたらく必要があって、その中の一つが狂っても駄目なのである。人を乗せないロケットの場合は、金さえあれば、何回でも繰り返して実験が出来る。そのうちに新しい記録が出て来るのである。しかし人間を乗せた場合は、そうは行かない。
 人間の到達した最高記録は、ロケットではなく、多分ブリッヂマンが、スカイ・ロケット機でつくった一五・一マイルであろう。親子ロケットは、既に二五〇マイルの記録をつくっているが、人間を乗せたロケットとしては、現在の目標は、高度五〇マイルである。それも機体は棄てていいから、人間だけ無事に地表へ帰ればよいとしての目標である。五〇マイルという目標が出たのは、この高度が、現在までのところ、落下傘で無事に降り得る限度なのである。人間まで行かなくても、各種の測定機械類も、自動落下傘で下降させ、その記録を研究資料にしているのであるが、その限界高度も、今までのところは、約五〇マイルである。先年地球の円みが初めて写真にとれたといって、大いに騒がれたが、あの写真なども、五〇マイルを一寸越した程度の高さで撮影されたものである。要するに、現在のところでは、人間を乗せるロケットでは、五六〇マイルの高度が目標である。その点を考えてみれば、一、〇七五マイルの高さのところに、人工衛星をつくる話は、まだまだ先の話である。
 高度一一四マイルの記録を、単一ロケットがつくったのは、一九四六年である。それから三年後の一九四九年には、親子ロケットによって、二五〇マイルの記録が得られた。この調子で行けば、もう三〇〇マイルくらいまで行っても、よさそうなものである。しかしここのところ、少し足踏みをしている形である。ロケットは、非常に広範にわたる各方面の、基礎科学の知識を綜合して、初めてつくられるものである。そして今のところは、基盤とすべきこれ等の科学知識を、食いつくした形になっている。それで足踏みの状態にあるのは、止むを得ないのである。今後の飛躍的な発展は、地味な基礎研究がもっと進捗するまでは、ちょっと期待出来ない。それで、単なる興味本位で、今にも月世界まで行けるように騒ぎ立てることは、人類の夢である天体旅行の実現に、邪魔になっても、役には立たない。
 こういうことをいっても、何も天体旅行は見込みがないということにはならない。それは、現在の科学が間違っていない限り、必ず出来ることで、しかもそう何百年も先のことではない。感じだけであるが、恐らく今世紀の末頃までには出来るであろう。但しそれには、縁の下の仕事に相当する各方面の基礎科学が、今一段の進歩をする必要がある。
「アメリカでは、もうすぐ月まで行くロケットが出来るそうだ」という話だけにしているのは、北海道の奥地の農民が、「アメリカでは、飛行機で種をまくそうだ」という話をしているのと、似たところがある。この問題は、今の日本には、直接の関係はないであろうが、人類創生以来最大の問題と、真剣にとり組んでいる国もあるのである。現在の国力の範囲外の話ではあるが、「どうせアメリカだもの」と、話を投げないで、その内容のはっきりしたところを知っておいてもよいであろう。
(昭和二十八年八月)





底本:「中谷宇吉郎集 第七巻」岩波書店
   2001(平成13)年4月5日第1刷発行
底本の親本:「知られざるアメリカ」文藝春秋新社
   1955(昭和30)年5月25日
初出:「文藝春秋 第三十一巻十一号」文藝春秋新社
   1953(昭和28)年8月1日発行
※底本は、物を数える際や地名などに用いる「ヶ」(区点番号5-86)を、大振りにつくっています。
※初出時の副題は「人類の夢は実現するか」です。
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校正:岡村和彦
2018年12月24日作成
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