漱石の俳句の中に
寅彦桂浜の石数十顆を送る
涼しさや石握り見る掌
という句がある。如何にも涼しさのあふれる名品である。そしてその涼しさの中に、寅彦の漱石に対する思慕の情と、漱石のそれに応えるこころとが、感じとれる。
この句は、明治三十二年の作で、当時漱石は五高で英語を教えていて、寅彦はその愛された生徒の一人であった。この年の夏、寅彦は五高を卒業して、東大の物理学科に入学した。桂浜の石を贈ったのは、多分その夏休みの時であろう。
寅彦先生の逝去以来、一度墓参りをかねて、高知を訪ねたいと思っていたが、戦争や終戦後の混乱に災されて、その折がなかった。ところがこの夏、夏期大学を機会に、待望の高知行が実現された。講義は朝夕の二回で、日中は全く自由な時間が得られたので、寅彦の「遺跡」巡りをすることが出来た。その中には、桂浜も含まれていた。
桂浜は、高知近郊の遊覧地になっていて、坂本龍馬の銅像や、桂月、貢太郎の碑で、よく知られている。平凡な海岸で、一方に断崖の岩が見られるというくらいのところである。しかし外海の色が濃く、砂と細石の色が美しい。しかし高知の日盛りのことであるから、石を探して、海浜をさまよう気力はなかった。ところが、仕合せなことに、海岸の土産物を売る茶店で「桂浜の石」を売っている。白と、褐色と、薄緑の石、いずれも波にあらわれて、円い砂利になっている。水盤に入れて、水をはったら、さぞ
水盤に雲呼ぶ石の影すずし 漱石
の面影が現出するであろう。
案内の人は、こういう俗化したところで、と遠慮されたが、大都市の近郊の名勝地で、この浜程度の俗化ならば、まず褒めてよい。
酒を飲ますような家も、もちろんあるが、それもある程度までは仕方ないことである。それにここの水族館は、なかなか立派で、かつ良心的である。
海水をふんだんに流し込んでいるので、これらの魚は、いずれも非常に元気がよいので、気持がよい。大海亀など、すっかり人に馴れていて、餌をねだるところが、ひどく可愛い。
桂浜は、幻想をこわされないごく少数の名勝地の一つであった。
(昭和三十年八月『西日本新聞』)