北国の春

中谷宇吉郎




 ウィネツカは札幌と大体緯度が同じくらいで、風物にも似たところがある。とくに春は感じがよく似ている。ともに北国のおそい春であるが、それにもまた捨てがたい情趣がある。
 二度目のウィネツカの春を迎えて、異国の生活にも大分馴れたが、やはり少し草臥れたのかもしれない。二十年間住んだ札幌のことなどが、時々思い出される。アメリカから北海道へというような気持で、北国の春を、思いつくままに綴ってみた。

ウィネツカの早春


 シカゴの郊外、このウィネツカの町にも、ようやく春がきて、毎朝目をさますと、春の陽があたたかく、ガラス戸越しにさしこんでいる日がつづく。
 今年は何十年ぶりとかで、雪の少かった年で、おかげで芝生は、早くから緑の姿をとり戻している。しかし何といっても緯度が高いので、立木はまだ冬の姿のままである。このあたりは、針葉樹は全然ないところで、街路樹も庭木も、みなエルムとか、樫とか、柏とかいう、闊葉樹ばかりである。それらの木は、まだ一月もしないと、新芽が出ないので、今のところは冬姿のままである。
 街路樹はもちろんのこと、庭木といっても、日本でいう庭木とは、全く意味がちがっている。全然人工の加わっていない自然のままの立木である。このあたりは拓けてからまだそう年月が経っていないので、もとの原始林の立木を、そのまま残したものが多い。それでこれらの庭木は、たいていは、三階建の家の屋根をはるかに越す背の高い木が多い。そういう大きい立木が、芝生の中に、きわめて無造作に、にょきにょき立っているのが、即ちこの土地での庭なのである。
 こういう風景は、日本内地では、ちょっと見かけられないが、札幌では、何も珍しいことではない。札幌の北大の構内は、エルムの学園などといわれて、戦前のまだ豊かであった日本では、東京などの若い人たちの間に、大いに人気があった。あの北大のエルムも、原始林の立木を、そのまま残したものである。
 十分に生長した闊葉樹の冬姿には、一種の魅力がある。葉がない点は、全く枯木と同じであるが、どこか枯木とは、ちがったところがある。葉は全然ないが、それは生きている。やがて緑の天蓋をもって、地上における人間の生活をまもってくれる気配が、その姿の中に秘められている。
 葉がないという点では、枯木も冬姿の闊葉樹も、全く同じはずである。しかしわれわれの目には、生きているものと、死んだものとの差が、ちゃんと分る。いわゆる科学的にいったら、ちょっと変な話であるが、事実分るのだから仕方がない。
 もっともこの差は、案外簡単なところにあるようにも思われる。それは枝振りである。亭々とそびえる樫の大樹が、空一杯に枝を張り、その梢が無数の小枝に分れて、網の目のように交錯している。その一本一本の小枝の先端にまで生命がみなぎっているように見える。それは生きている枝の微妙な形から受ける印象であろう。枯木だったら、第一そういう細い枝などは、大半落ちていようし、また少し残っていても、形はかなり崩れてしまっているにちがいない。
 いずれにしても、北国の春に特有な単色の雲を背景に、葉のまだ出ない大きい闊葉樹の群が、細い小枝の網を空一杯に張っている姿を、窓越しに眺めていると、北海道のおそい春が思い出される。
 ワシントンの新木さんから、ポートマスの桜が四、五日早いらしい、皆で花見にきたらどうかというたよりがあった。何だか、残雪の札幌にいて、新聞で東京の花のたよりを読んでいるような気がした。

北海道の山うど


 前の戦争中、ニセコの山頂で、雪中飛行に関係のある研究をしていたので、ニセコ附近には、たくさん知り合いが出来た。
 そのうちの一人に、K村のYというおばさんがいた。山頂へ登る足場として、そのY家へは、始終立寄っていたが、そこでいろいろ北海道独特のものを御馳走になった。そのうちで、一番印象に残っているものの一つに山うどがある。
 北海道の山うどは、少しかおりが強すぎるくらいで、香気の方では全く申し分がない。しかし一面その野性味が勝ちすぎて、少しあくどいのが欠点である。ところがYのおばさんのところで時々出してくれた山うどは、東京の一流の料理店で出すうどに、北海道の山の香気だけを添加したような趣きがあり、味もかおりも、全く申し分のないものであった。
 こういう山うどは、北海道に二十年も住んでいて、その時まで食べたことがなかった。それである日、おばさんに「このうどはどこで採ってくるのですか」ときいてみた。そしたら、おばさんは我が意を得たりとばかりに、「先生はこのうどが好きですか。これは私の自慢の品なんです。実は山うどをとってきて、畑で作ってみたが、どうも香気が抜けるので、近所の山を拓いて、そこに植えてみたら、こういううどが出来たんです」と、種あかしをしてくれた。
 考えてみると、もう十年近くも昔の話である。十年前の山うどの香気を、今ごろになって思い出すというのも、ずいぶん妙な話で、われながら少し可笑おかしくなる。どうもその理由は、アメリカの食い物が一般にまずいからであるらしい。
 これは何も奇矯の言を弄しているわけではなく、本当にアメリカには美味いものが少いのである。もちろんうんと金を出せば、何でもあるだろうが、一般にはそういうことは望めない。普通のアメリカ人が食っているものは、ビフテキか、鶏のフライか、豚の揚げたのかである。品名だけ並べてみると、如何にも御馳走らしく見える。また若い中学生諸君にとっては、本当の御馳走であろう。しかしわれわれ年配のものにとっては、これらはいずれも人体に対する燃料であって、御馳走とはいい兼ねる。というのは、いずれも冷凍か、低温貯蔵品であって、味としては、牛も豚も七面鳥も、いずれも蛋白質の味しかしないのである。
 もっともこういう蛋白質には、栄養価は十分ある。それで山うどの香気を知らないアメリカ人は、こういうものを美味しい御馳走だと思って毎日食っているらしい。そして凄い馬力で一日中働いて、どんどん生産を上げている。しかしその生産品のかなりの部分は、諸外国への援助で消えてしまったり、また朝鮮で消耗されたりしている。考えてみれば、少し気の毒な気もする。
 こういうことをいっても、何もアメリカ人の勤労をわらうわけではない。日本人が、食物を人体の燃料として生産を上げ、アメリカ人が山うどの香気を解するところから、人間の幸福が生れるのではなかろうか。それはかなりむつかしいことではあるが、不可能とは考えられない。山を拓いたところに山うどを栽培した話などが、案外こういう問題の解決に参考になるような気がする。


 北海道はもう鰊も大分終りに近づいた頃であろう。北海道の食物の中で、一番美味しいものといえば、けっきょく鰊に落ち着くのではないかと思う。
 東京などでは、鰊といえば、およそ不味いものの代表のようになっているが、あれは配給制度から受けた悪名で、鰊の罪ではない。鰊の味は、とくに鮮度によって、ひどくちがうので、北海道の鰊は、けっきょく北海道でなければ味わえないのである。
 ところがアメリカでは、案外に美味い魚が食べられる。冷凍食品が普及しているお蔭である。肉の方は、どうも冷凍は有難くないが、魚の方は案外にいい。初めは食料品店グロッサリィの冷凍魚などは、大いに軽蔑していたが、料理法を少し工夫すると、なかなか美味いものがあるので、この頃は少し見直している。
 冷凍魚は、非常に便利である。いろいろな種類があるが、どれもちゃんともとの味をもっているので、ちょっと感心する。アラスカの蟹の肉の冷凍などは、巧くもどすと、北陸の蟹そっくりである。驚いたことには、烏賊いかの冷凍まであって、これは刺身にして食って、ちっとも変でない。生姜もあるし、醤油はひどく上等品がきているので、ほとんど不自由しない。鰊の冷凍したものがあったら、庭で炭火をおこして、もうもうと煙を立てて焼いて、近所の連中を驚かしてやりたいのだが、妙なことには、冷凍の生鰊は見当らないようである。たいてい温燻にするらしいので、それもちょっと煙らしただけで、半分生のようなのを、低温で保存したものである。これはなかなか美味い。
 鰊や鰯は、アメリカと限らず、欧洲の諸国でも、上等の魚とされている。もっともアメリカのヘリングと、日本の鰊とが、全く同じものであるかどうかは知らないが、もし同じものだったら、鰊にはとんでもない大きいものがいることを、アメリカへきて初めて知った。というのは、シカゴの水族館には、三尺近い鰊が悠々と泳いでいるのである。
 シカゴのように、一番近い海から、六百マイル以上もはなれている、大陸の真中で、海の魚をかっている水族館があるのだから、ちょっと驚かされる。しかも魚がどれも皆非常に元気で、身体にこけの生えているような奴が、一匹もいない。この水族館は、私のお気に入りの場所で、もう三回も行ったのだから、大ていの魚とは、もうお馴染になっている。三尺の鰊も、もちろんお馴染の中の尤たるものである。
 ところが、先日フィルド博物館という、自然科学と人類学との博物館へ行ったら、とんでもない魚がいた。もっともこれは水族館ではないので、魚の標本は全部剥製になっているのであるが、その中に、長さ六尺近い大きい青魚が、壁の正面にかかっていた。形が鰊に似ているので、何だろうと思って、名札を見たら、ヘリングと書いてあるので、ひどく驚いた。
 ヘリングと鰊とが同じものかどうかは、専門家の人にきいてみなければ分らないが、非常に似たものにはちがいないであろう。とにかくアメリカには、長さ六尺の鰊がいるということは、私も初めて知ったが、鰊の本場の北海道の方の中にも、御存じない方が多いだろうと思って、ちょっとお知らせする。

バターの洪水


 アメリカでは、時々思いがけないものが、生産過剰になって、政府が大いに面喰うことがあるらしい。その一つの例は、最近のバターの洪水である。
 バターの生産が、近年加速度的に増していたところに、この頃マーガリンが著しく進出してきたので、ひどく生産過剰になったわけである。政府は既に多量のバターの手持ちがあるのに、その上まだ毎日二百万ポンドの割合で買上げを余儀なくされているそうである。五月になると、バターの生産が最高期にはいるので、一日に五百万ポンドずつ買上げねばならなくなるだろうといわれている。
 アメリカの政府について、一つ感心することは、農民を非常に大切にしている点である。今までの例では、馬鈴薯の生産過剰が一番ひどかったらしいが、その時も政府の大量買上げで、どうにか農民が破産をまぬかれたそうである。一昨年だったか、その前の年だったか、コーンが生産過剰になった時も同様である。ところが今度は、バターがひどく余ってきたので、これも酪農保護のために、政府が一手に引き受けて、買上げをしているらしい。何でも今の見込では、この六月の末(アメリカの会計年度の終り)までには、五億ポンドのバターを手持ちすることになるだろうといわれている。
 五億ポンドのバターというと、日本のバターの年間生産量からみて、その何十倍になるか、何百倍になるかよく知らないが、とんでもない量であることにはまちがいがない。ところで五億ポンドというのは、この六月末までの話で、その後も、速度は少し減るかもしれないが、生産が需要を上廻ることは確実であるから、政府の手持ちはどんどん殖えて行くであろう。いくらアメリカの政府が、酪農の保護に熱心でも、無制限に買上げることは出来ないから、いつかはこのバターの洪水が、もっと表面に出てくるにちがいない。
 現在政府の買上げ値段は、一流品が六十七セント四分の三であるから、日本金にして、一ポンドが約二百四十五円である。二流品はそれより二セント安いので、一ポンド二百三十八円弱である。ところが貯蔵費が一ポンドについて、月に十七セント(六十一円強)かかる。四ヶ月も手持ちをすると、原価が倍になってしまう計算になる。それで政府の方でも、いつまでも手持ちをしていることは出来ないであろう。いよいよ持ち切れなくなった時には、その一部をなんらかの形で放出することになるにちがいない。
 バターが安く放出されることは、一般庶民の食生活にとっては結構なことであるが、酪農家にとっては、重大問題である。もし国外放出ということになったら、差し当り日本などが、その禍福を同時に蒙るわけである。一般の日本人にとっては有難いことであるが、それは同時に日本の酪農を潰してしまうことになり得る。そのところ痛しかゆしである。
 酪農は、乳製品による金銭収入という以上に、地力の保持に絶対必要なものである。それで外国における酪製品の生産如何によって、日本の酪農が左右されては、これは重大な問題である。世界の中の日本というと、体裁はよいが、わずかな浪風でも、すぐひびいてくるところは、ちょっと厄介である。

弾丸道路


 東京大阪間に、弾丸道路をつくる案が、いよいよ実現されそうである。少くもその調査と予算の編成とには、とりかかったという話をきいた。どうも本気でとりあげるらしい。
 アメリカの道路のことを思えば、東京大阪間に、こういう弾丸道路が一つくらいあるのは当り前のことで、またそれが出来れば、輸送上非常な便宜が得られることも事実である。一千億円くらいかかるそうであるが、道路がよくなれば、ガソリンの消費量も減るし、車体の持ちもよくなるので、数年にして採算がとれることも本当であろう。
 しかし日本としては、そういう弾丸道路よりも、もっと手近かなところに、金もあまりかからないで、さらに重大な懸案がたくさんありそうである。第一、この弾丸道路で、現在の東海道線と同じだけの貨物をトラックで運ぶと、一年に二百三十億円のガソリンが要る。ディーゼル・トラックでも、重油を年に七十億円使わねばならない。これらのガソリンにしても、重油にしても、全部輸入しなければならないものである。もし輸入が止まれば、一千億円かけた道路が死んでしまう。ところでこれを鉄道にすると、石炭代四十億円ですむし、電化をすれば、電力代はわずか四億五千万円になってしまう。しかも石炭も電気も、国内で間に合うものである。これらの数字は、運輸方面では、日本有数のエキスパートS君の話であるから、十分信用していいと思う。これくらいはっきりしたことが分らないのだから、不思議な国である。
 一体現在の日本で、なるべく外国にたよらず、自分で生きて行く道は何かといえば、開発が一番おくれている、北海道と東北とに望みをかけるのが、一番自然な考え方である。ところがたとえば北海道の開発にしても、一つ盲点が残されているが、それは輸送問題である。何といっても、最大の消費地である東京との連絡をよくしなければ、どうにもならない。北海道の山奥で、熊笹を切って荒地を拓くことだけを開発だと思ったら、とんでもない間違いである。
 この頃は大分よくなっているのであろうが、数年前には、東北線の貨車をとるのに、一ヶ月も二ヶ月もかかったことがある。あの細い糸のような東北線一本で、四国九州を併せただけの面積の北海道をぶら下げていて、それをあまり不思議に思わないのだから、まことに可笑おかしな話である。北海道の開発、即ち今日の日本の開発は、まず輸送問題を解決し、ついで住宅問題に手をつけるというような順序をとるべきであろう。日本の中心地との連絡を良くして、人間がまず普通に生活出来るようにすることが、開発の基礎である。その一つとしては、例えば東北線の複線化などが、まず第一に採り上げられるべき問題であろう。これだと恐らく弾丸道路の五分の一くらいの金で片附く問題で、しかも輸入云々の心配はいらない。
 弾丸道路にしても、東北線の複線化にしても、こういう風に考えると、皆北海道の問題である。このように世界も日本も、それぞれひどく狭くなったところに、近代文明の特質がある点が、ちょっと面白く思われる。

バチラーさんの話


 ここの研究所の工場に、B氏という七十歳くらいの老職長がいる。年にもめげず、身体も達者だし、眼もいいので、細かい機械類の細工は、たいていこの老人がしてくれる。一生涯職工で通して、ずっと精密機械をつくっていたというが、如何にもそういう感じの老職工である。
 毎日十時には、この工場の片隅で、珈琲をわかして、皆でのむことになっている。普通は十分間の珈琲時間コーヒー・タイムであるが、時には少し駄弁ることもある。
 今日、この老人が、珈琲のあとに、思いがけない話をし出した。それは、今バチラーの本を読んでいるが、非常に面白いという話なのである。まさか札幌のバチラーさんとは思わなかったので、初めはいい加減に聞き流していたが、そのうちに、アイニュウアイニュウといい出したので、やっとアイヌのバチラーさんと分って、ちょっとびっくりした。
 それで「そのバチラーさんなら、僕は少し知っている。私の大学のある街に、ずっと住んでいた。一生アイヌの研究をした人だろう」というと、その通りだといって、向うも非常に喜んでくれた。それから話がはずんで、怪しげな私のアイヌの知識を、大分披露させられた。もっとも熊祭やユーカラの話を英語でやるのだから、多分通じなかったことだろうと思う。
 それにしても、こういう老職工が、バチラーの本などに興味をもつというのは、如何にも不思議な話である。一体どうしてそんな本が好きなのかときくと、「なに、アイヌと限ったわけではないので、僕は何でも文明の移りかわりということに、非常に興味をもっているんだ」と、とんでもないことをいい出した。そして一くさり文明論をやり出した。
 まことに老職工らしくない話であるが、B氏の説というのは、なかなかちゃんとしたところがあって、大いに感心した。
 文明というものは、常に変化しているもので、進歩するか、退歩するか、どちらにしても、始終動いている。アイヌとか、外の少数民族とかの場合は、他の強い民族の文明によって、著しい影響を受けるので、たいへん分り易い。しかしその強い民族のもっている文明自身が、やはり始終変化している。例えば、アメリカの文明でも、五十年前と今日とでは、本質的に、著しいちがいがある。
 五十年前までは、例えば、選挙などの場合、皆が本気になって、良い人を選ぼうとしたものだ。しかし今日では、誰が当選したって、大したちがいはないから、本気になって選挙のことなど誰も考えない。政治というものは大切なものだが、こうなっては仕様がない。物質的には進歩しているかもしれないが、この国の文明も、下り坂になったのだろう。文明というものは、始終動いているものだから。
 B氏のこういう議論は、七十くらいの頑固な老人の意見としては、世界中どこの国にもある話で、別に特記すべきことでもない。しかしシカゴの郊外、ウィルメットの研究所の工場で、バチラーさんの話に花が咲いたということは、ちょっと珍しい話であろう。

エスキモーの生活


 エスキモーは、だんだん減ってきて、現在では、アラスカと加奈陀カナダの北部、それにグリーンランドとに、わずかに残っている。一部は大分現代化して、ゴム長などはいている連中もいるそうであるが、それはごく一部のことであろう。
 エスキモーの昔からの生活は、氷の家に住み、あざらしの皮をつづった着物を、じかに着ているというのが、本来の姿である。食物は海獣と魚の肉しかない。海獣肉と魚肉だけで、一年中生きるためには、相当な量が要る。それに唯一の輸送機関である犬橇の犬たちは、うんと肉を食う。それだけの量の肉を、漁猟だけで手に入れることは、並大抵の苦労ではない。それでエスキモーの生活は、食物を得るだけに、全勢力を使う生活であって、家や着物までは、手がとどかないのである。
 人間は、働いていろいろなものを生産するが、そのうちで、食物は食べればなくなるものである。着物や家も、長い期間には消耗するが、食物とは大分意味がちがい、蓄積されるものである。そういう蓄積が、いわゆる文明の主な要素なのである。
 それで一つの国について、その全生産量に対して、消費する食物が占める割合が大きいほど、生活程度が低くなる。あざらしの皮を着て、氷の家に住んでいるエスキモー人が、そういう意味では、一番生活程度が低く、食糧が全生産量の九割に相当するということである。
 ところが、終戦直後の日本の状態は、生産が著しく落ちた。あの状態が今少しつづくと、日本は必要食糧が生産量の九割に相当するという程度、つまりエスキモーの水準まで落ち込むおそれがあったそうである。東畑さんの『一農政学徒の手記』に出ていた話である。
 幸いにして、その後の再建が目覚しく、エスキモーになるどころか、大都市の消費面だけを見ると、戦前の日本よりも、もっと華々しいくらいだという。けっきょく案外に生産の復興が速かったわけである。しかし一つ心配になることは、その復興というのが、どうも朝鮮事変の「恩恵」によるところが多いのではないかという点である。というのは、朝鮮事変に限らず、世界情勢などとは、全然関係のない生活をしている人たち、例えば北海道奥地の貧農などは、エスキモー人と、そう変らない生活水準に落ち込むおそれが、全くなくもない。
 エスキモー程度の生活は、敗戦前の日本にも、実はあったのである。ニセコの山で研究をしていた頃、働きに来ていた出面でめんの人の家で赤ん坊が生れた。お祝に行った人の話では、入口の戸のかわりにむしろが垂れていて、産婦と赤ん坊とは、真裸で藁の中にねていたという。一枚切りの着物を汚さないためである。これは極端な例であるが、「藁と雑木の家」は即ち「氷の家」であり、「着た切りの着物」は「あざらしの皮」なのである。
 選挙の演説だけが華々しく、本当の国民の姿は、エスキモーの生活水準に向っているというようなことのないことを祈る次第である。

北海道の位置


 現在の日本における北海道の位置というものを、少し離れたところから考えてみるのも、ちょっと変っていて面白いかも知れない。
 現在の日本における最大の問題は、再軍備の問題である。今度の総選挙でも、この点が論争の的になったことであろうし、今後憲法改正というようなことにでもなったら、それこそ大騒ぎになるであろう。
 ところが、この再軍備の問題については、一番肝腎なことが、抜けている。あるいは第二義的に取り扱われている、というように思われて仕様がない。それは食糧問題が、再軍備の議論の中に、あまり表向きに出てこない点である。考えられてはいるのであろうが、少くも一番大切な問題として、表向きには取り上げられていないようである。
 とくに再軍備絶対反対を唱えている人たちは、この点にもっと留意すべきではなかろうか。戦前でも食糧は不足していたので、昭和六年から十年までの五ヶ年間の平均を見ても、毎年一千二百万石以上を輸入していた。戦後はとくにひどくて、総輸入額の四割から五割が食糧である。この代金は大部分進駐軍の落す金と、朝鮮事変の「恩恵」とで賄われてきた。即ち再軍備の方向に向うことによって、食糧を輸入していたのである。
 それで再軍備を拒否するならば、その前に食糧の自給の問題を、もっと真剣に考える必要がある。敗戦の年の冬を、今一度思い起してみよう。みみずのはいっている澱粉かすを背負って、汽車の窓を破って乗り込んだことを思えば、再軍備も平和もあったものではない。
 こういうことをいっても、何も早く再軍備をして、朝鮮へでもどこへでも出かけて行って、それで食糧を買えというのではない。そういうことは反対なので、それをせずに済ますには、まず食糧の自給をはかる必要があるというのである。
 ところでこの食糧の問題は、今さら私などが述べ立てるまでもなく、政府の方でも十分留意をされている。一割増産とかに、何百億円の予算を計上するとか、しないとかいって騒いでいることを、新聞記事で見た。しかしこの一割増産というのが、相もかわらず澱粉の増産を指しているらしい。
 日本の食糧問題には、どうも一つの盲点があるように思われて仕方がない。食糧という言葉が、米と同じ意味に使われていることである。米即ち澱粉は、食糧のうちの一つの要素であって、それよりも蛋白質と脂肪の方が、実はもっと大切なのである。脂肪と蛋白質とを必要量とれば、澱粉の方はずっと少くてもよい。そしてその方が健康にもよく、また体力もつくのである。それで現在の日本で、食糧増産といえば、まず脂肪と蛋白質との増産に力を注ぐべきである。米も大切であるが、もし脂肪と蛋白質とが増産されれば、現在の米の生産量でも、まだ余るくらいであろう。
 ところでその具体策といえば、酪農の奨励と、水産の増進、畑作では大豆の増産ということになるであろう。これらは、皆北海道の問題である。それで北海道開発の問題は、今後の日本の国是を左右するともいえよう。日本における北海道の位置は、こういう風に考えると、非常に大切なものになる。
(昭和二十九年四月 於ウィネッカ)





底本:「中谷宇吉郎集 第八巻」岩波書店
   2001(平成13)年5月7日第1刷発行
底本の親本:「知られざるアメリカ」文藝春秋新社
   1955(昭和30)年5月25日刊
初出:ウィネッカの早春「北海タイムス」
   1953(昭和28)年5月19日
   北海道の山うど「北海タイムス」
   1953(昭和28)年6月7日
   鰊「北海タイムス」
   1953(昭和28)年5月9日
   バターの洪水「北海タイムス」
   1953(昭和28)年6月16日
   弾丸道路「北海タイムス」
   1953(昭和28)年8月8日
   バチラーさんの話「北海タイムス」
   1953(昭和28)年8月22日
   エスキモーの生活「北海タイムス」
   1953(昭和28)年8月16日
   北海道の位置「北海タイムス」
   1953(昭和28)年7月11日
※底本は、物を数える際や地名などに用いる「ヶ」(区点番号5-86)を、大振りにつくっています。
※「ウィネッカ」と「ウィネツカ」の混在は、底本通りです。
※「ウィネッカの早春」の初出時の表題は「北国の春」です。
※「鰊」の初出時の表題は「米国のニシン」です。
※「バチラーさんの話」の初出時の表題は「バチラーの話」です。
※「エスキモーの生活」の初出時の表題は「エスキモーか」です。
入力:kompass
校正:岡村和彦
2017年3月29日作成
青空文庫作成ファイル:
このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。




●表記について


●図書カード