詩人への註文

中谷宇吉郎




「絵なき絵本」には、たいへん立派な作品がある。
 それにあやかるというのも不遜な話であるが、「詩なき詩論」を考えてみようという気になった。それは表題の「詩人への註文」という無理な題を押しつけられた苦しまぎれに、ふと頭に浮んだテーマである。
 私はほとんど詩を読まない。別に理由はないので、面白味がよく分らないからである。昔高等学校時代には、御同様に文学熱に少々浮かされたこともある。その頃の友人たちは、夢中になって外国の詩の翻訳などに入れ揚げていたものであるが、私にはそれ等の近代詩はよく分らなかった。そして分らないと思われるのがいやさに、適当に敬遠してしまったのが、つい今日まで根をひいたものらしい。
 私が時々ひろげてみた詩は、藤村詩集くらいのものである。少々気恥しくもあるが、あの程度の甘いものが、ちょうど身に合っていたのであろう。もっとも商売がまるでちがうので、悪びれる必要もなく、藤村くらいのところがちょうどよいのだなどといってすましていたわけである。そして相手がおとなしい学生などの場合には、時たまそれに輪をかけることもある。漢詩の意識で育て上げられた日本人に、日本語の詩を教えたものは藤村だよなどと、少々いい気になっていたものである。「夕波くらく啼く千鳥」ではじまるあの『草枕』がよほど気に入っていたらしく、もう藤村詩集をはなれて二十年以上になるが、妙にあの詩は今でもうろ憶えながら大半はおぼえている。陸奥の海辺の旅路に、まだ寒い早春の藪鶯の稚い声をきき、「色なき石を花と見」る旅寝のあかつき、押し寄せる春の潮とともに、ほのかに日本語の詩の黎明を感ずる若い藤村の姿を、まぼろしのように思い見たこともある。
 この頃は流石さすがに藤村でもないので、人にきかれても体裁の良いような詩を時々読んでいる。岩波文庫の『杜詩』である。値が安いのと、型が小さいのと、知らない漢字が沢山あって時間がかかるのと、三拍子揃っているので、専ら『杜詩』に凝ることにしている。墨絵を描く時などは、特に妙であって、どんな絵を描いても、どんな気分の時でも、『杜詩』さえ見れば、必ずその場にうまく合うような文句がある。それに落款を押す時には下敷にちょうど手頃であるし、あんな重宝な本はない。

 科学の基礎を論じたい時は、Uniformity of Nature(自然の調和)がちゃんと桜ん坊の詩で詠んであるから、それを引用すればよい。
万顆※(「鈞のつくり」、第3水準1-14-75)円訝許同  万顆ことごとくつぶらにしてかくも同じきかをいぶかる
 この頃の社会政策や農村政策を暗示した文句が欲しい場合にも、うまいのがちゃんとある。今こそ米々と皆が常軌を逸しているが、七八年前には農林省に米穀利用研究所というものがあって、いろいろ研究した揚句、一番経済的な米価安定策は、米を海へもって行って棄てることだなどといっていたものである。世界的食糧過剰を眼前にして、無理な開拓に巨額の国費を浪費して居られる方々には、お誂え向きの文句がある。
去年米貴闕軍食  去年米たかくして軍食を
今年米賤太傷農  今年米やすくしてはなはだ農を傷む
 その文句のつぎには、グレーシャムの法則がちゃんと出ている。ちょっと話が間接になるが、金融政策でインフレを防禦しようとして居られる方々にも、ちょっと参考になる文句である。
往日用銭捉私鋳  往日 銭を用いて私鋳を捉う
今許鉛錫和青銅  今 鉛錫 青銅に和することを許す
刻泥為之最易得  泥に刻して之をつくること最も得易し
好悪不合長相蒙  好悪こうお 合わずして長く相おお
 戦争中にちょっと面白い話があった。北海道で新聞記者が、戦死者の遺族を訪ねるために、農村を廻ったことがあった。その時或る村で、ついでに戦傷者の家も訪ねたら、その細君が「負傷ではもの足りません」とけなげな応対をしたそうである。戦後でも人民はいじらしいものである。ゼネストなど華々しい御連中が、ストーブを囲んで煙草を喫んでいる建物の外には、全身雪をかぶった人たちが、黙然として寒風にさらされながら、徹夜をして切符の売出しを待っていたこともある。
況復秦兵耐苦戦  況やた秦兵の苦戦に耐うるをや
被駆不異犬与鶏  駆られて犬と鶏とに異ならず
長者雖有問    長者問うこと有りと雖も
役夫敢伸恨    役夫敢えて恨みを伸べんや
 戦争中によく出征する学生の国旗に字を書かされたが、そういう時の難文句も『杜詩』を見ればちゃんと出ている。海軍へ行く男には
仰看明星当空大  仰いで明星の空に当りて大いなるを看る
というのがあり、陸軍へ行く男には
春来万里客  春来 万里の客
乱定幾年帰  乱定まって幾年か帰らん
という文句が用意されている。ちょっと見た漢字ではよく分らないから、当時としても叱られる心配は無かった。実に便利なものである。
 それに『杜詩』のよいことは、易しい漢字でたいへん巧い文句が出来ていることである。いつか小宮(豊隆)さんと絵を描きながら、杜詩専門の賛をして遊んだ時に、「杜詩は易しい字でいい文句があるからいいですね」と言ったら、小宮さんも「ふふん」と同意されたことがある。
 賊を避けて彭衙ほうがの道を走る杜甫は、「痴女飢えて我をむ」稚児をいだいて、泥濘の道に悩む。
早行石上水  早行 石上の水
暮宿天辺煙  暮宿 天辺の煙
という二句が、どこがいいのか分らないが、この旅の姿と旅人の心情とを描き出して余すところがない。妙な勘所かんどころを押えることの天才である。ひょっとすると、それが詩人なのかもしれない。
 私たちの年代のものの中には、少年の日の懐しい人の一人として、諸葛孔明の名をあげる人が多いであろう。武侯廟の五言絶句の中には
遺廟丹青落  遺廟 丹青落ち
空山草木長  空山 草木長し
という句がある。この武侯廟は多分支那の奥地の、戦乱も文化もあまり影響を及ぼさない草莽の土地にある廟であろう。苔むした祠は、世人からは棄てられた形であるが、なお名も無き民の心の底に生きている祠である。その環境の姿と、それにつながる民の心とが、この二句の中に先験的世界に於ける交渉として、われわれの心にひびくのである。
 この詩人は更に、王宰の山水画には
十日画一水  十日 一水を画き
五日画一石  五日 一石を画く
と題し、『麗人行』のはじめには
三月三日天気新  三月三日 天気新たなり
長安水辺多麗人  長安水辺 麗人多し
と詠じている。実に自由自在なものである。もちろん杜詩には難しい字も沢山あり、故事も甚だ多く、文献が無くてはとても読めない詩の方がずっと多い。乱に追われ流浪の旅をつづけたあの身の上では、大きい辞書や文庫をもって歩いたわけではなかろうから、大した学識のものである。
 しかし杜詩は学識から生れたものでないことは確かである。ああいう不思議な勘所かんどころを押える力は天賦のものであろう。もっとも今さら杜詩をひき出すまでもなく、芥川の芭蕉論などにも、この勘所を押える力については、見事な説明がある。

 科学に縁の近い立場から、こういう勘所について、我流の解釈をしてみよう。今日われわれがものを書く場合はもちろん、話す場合でも、更に考えること自身においてすら、いつでも論理の形式を借りているのである。論理の形式などというと、いやにむずかしいことになるが、何も論理学でとり扱うような厳密な意味ではない。ただ筋を立ててものを考えているという意味である。筋の立て方には、精粗巧拙の差はあるが、何等かの意味で筋を立てなくては、考えることすら出来ない。
 ところが、人間の精神活動は、その原始的な姿では、こういう意味での論理以前のところに、広い世界がある。いろいろな感覚の集積のうち、何等かの脈絡をもって、意識の上に出て来るもの以外に、単なる集積として残っているものが沢山あるのであろう。そしてわれわれは、そういういわば未生以前の意識に対して、憧憬に近い気持をいつも持っているのではなかろうか。詩というものが、もしそういう意識以前の世界を覗かす機縁となる文字であるならば、話は極めて簡単になる。
 蘆花の『自然と人生』の中に、「春の悲哀」という短文がある。
「野を歩み、霞める空を仰ぎ、草の香を聞き、緩かなる流水の歌を聴き、撫づるが如き風に向ふが中に、忽ち堪へ難きなつかしき感の起り来るあり。捉へんとすれば、已に痕なし。
 吾霊其の離れて遠く来れる天の故郷を慕ふにあらざるなきを得むや。」
 この「捉へんとすれば、已に痕な」き甘美なる悲哀は、散文即ちわれわれの意識に上った文字では捉えられない。ただ詩によってのみ、それに対する共感が得られるのではなかろうか。この場合詩もそれを捉えることは出来ないので、ただ共感を与えるだけであると思われる。というよりも、それを捉えたら、もはやそれは詩でなくなるのであろう。
早行石上水
暮宿天辺煙
は流離の悲しみに先立つ悲哀に対して、読む者の心をひらかしめるのであろう。
 いやに悲哀ばかりを挙げるようであるが、別に悲哀と限った話ではない。どうせ捉えられないものであるから、巧い表現は出来ないが、意識に上る以前のわれわれの感覚、それには悲哀に先立つ悲しみもあろうし、歓喜に先立つ喜びもあろうが、それ等に対する共感に、引き金の役目を果すものが詩の一つの要素なのであろう。そしてその引き金が巧く働けば、それが勘所にひびくのであろう。こういう風に考えれば、少くも話がたいへん分り易くなることだけは確かである。

 今までのところでは、意識に上る以前の感覚の集積というような言葉を使って来たが、これは実は感覚に限った話ではない。もっと複雑な感情や情操をふくめた広い意味の精神活動にも、これと似た現象があるように思われる。厳密に分析をしてちゃんと組立てれば、筋を通すことも出来、従って文章に現わすことも出来るはずであっても、実際には余りに複雑であり、又微妙であるために、そういう分析をして筋を通すことが不可能であるような感情がある。あるというよりも、実際に生きている人間の精神作用は、そういう種類のものが大部分で、科学や論理学の手に負えるものは、極く小部分なのである。それで「負傷では物足りません」というような世界にも、詩の広い分野があることになるのであろう。
長者雖有問
役夫敢伸恨
の十字だの
遺廟丹青落
空山草木長
の一句だのを、分析と組立、即ち説明で片をつけようと思ったら、たいへんな騒ぎになるであろう。十枚や二十枚ですむ話ではない。何百枚の説明をしても、本統のところは結局伝えられないであろう。詩でなくては表現が出来ないのである。
 こういう考え方は、科学者としての詩の見方、というよりも私の我流の詩の見方であって、専門家の眼には苦笑ものかもしれない。よく田舎の役場などにつとめている人に、科学の熱心家があって、大原理を発見して意見を求められて返答に困ることがある。どうもあれに似たようなところがありそうである。しかしここまで書いた以上、何か詩人への註文を付け加えておかないわけにも行かない。
 それで註文というのは、どの詩にも一つのテーマが欲しいということである。そのテーマは、何でもよいのであるが、とにかく科学や広い意味での論理の以前にあるものを、一つの詩に必ず一つは呈示して欲しいのである。われわれの日常の意識の奥にある感覚や感情をテーマとして採り上げて貰いたい。それは捉えることの出来ないものでなければならない。捉えることの出来るものならば、詩による必要はないからである。
(昭和二十二年七月十九日)





底本:「中谷宇吉郎集 第五巻」岩波書店
   2001(平成13)年2月5日第1刷発行
底本の親本:「立春の卵」書林新甲鳥
   1950(昭和25)年3月30日刊
初出:「至上律 第二輯」
   1947(昭和22)年11月30日発行
入力:kompass
校正:砂場清隆
2020年12月27日作成
青空文庫作成ファイル:
このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(https://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。




●表記について


●図書カード