低温室だより

中谷宇吉郎





 御名前の記憶ちがいだったら大変失礼であるが、楚人冠先生か誰かの随筆の中にこんな話があった。
 先生が、大分昔の話であるが、どこかの田舎で講演をされたことがあった。聴衆は村の人たちで、知識階級などというものとはおよそ縁の遠い、ただの農家の主人とか娘さんとかいう人たちであった。
 その講演がすんで辞去されようとしたら、世話役の人が、とんでもなく大きい籠に卵を一杯入れて、御礼にくれたそうである。昔のことで、卵などふんだんにあった時代の話なので、先生は少し持て余し気味ながら、折角の厚意と思って貰って帰られたそうである。
 ところが、家へ帰ってその卵を喰べようとしたら、一つ一つにそれぞれ名前が書いてあることに気がつかれた。即ちその時の聴衆が、御礼心にそれぞれいくつかの卵を自分の家から持ちよったものであった。
 毎日その卵を一つ一つ召し上った時の先生の嬉しそうな顔がその文章のどこかにほの見えていた。
 この話と関連して思い出したのは、御礼状のことである。この頃、特に夏休みになると、色々な人が、ひっきりなしに私どもの低温研究室を見学に見えるので、いささか閉口している。もっともそういう方たちに実験の結果や低温室の設備の説明をすることも、広い意味でのつとめの一つなので、出来るだけ時間を繰り合せて案内をすることにはしている。
 ところで、そういう人たちの大多数の方は、帰られてから御礼状をよこされる。それは大抵きまって邦文タイプライターの書状か、或は奉書の巻紙に楷書で丁寧に認めたものかである。邦文タイプライターの方は、主として官庁関係に多く、巻紙の方は実業方面で、秘書が丁重に認めたものである。こちらはつぎつぎと仕事に追われているので、こういう御礼状などは貰っても、それを印象に留めることは出来ないのであるから、少し無駄だという気もするが、先方にしたら、見学や出張の締めくくりをするという意味でも、全然放っておくことも出来ないのであろう。
 勿論そういう儀礼上の手紙ばかりではなく、本当に丁寧に自分で認めて、色々と見学の際の印象などを詳しく言ってよこされる方もあるので、その方はいささか恐縮ものである。
 ところが、この頃儀礼でも恐縮でもない極めて朗かな御礼状を貰ってちょっと愉快だったことがある。それは東京の或る女学校の専攻科の人たちが見えたことがあって、その人たちの御礼状であるが、葉書二枚に、一行三十人ばかりで寄せ書をしてよこされたのである。
 一枚の葉書に十五人ばかりの割で、それぞれ二三行ずつ御礼の言葉だの印象だのを書いて寄こされたので、大体蟻位の大きさの字でぎっしり一面に書き込んであった。まだまだ若いつもりであったが、流石にこの葉書にはちょっと眼がまじまじとしたので、眼鏡をとり出して、一つずつ拾って読んで見た。
 色々な文章があって、特にこういう場合は大抵皆同じ意味の言葉になってしまうので、それを逃れようと色々苦心のあとが見えたことも大変面白かった。適当な文句は皆初めのうちに書く人が使ってしまうので、後に廻った人が、辛苦の末に警句を吐いたり、或は簡単に降参してしまったりした形跡があって、なかなか愉快だった。そしてこの寄せ書を読みながら、ふと前に言った卵の話を思い出した。研究室の生活にも、案外の役徳があるものである。
 こういう修学旅行の組は、六月、大学の楡の梢に郭公が鳴き始めると間もなく、例年の行事のように札幌を訪れて来る。そして白い日傘が、よく鮮かな緑の芝生の間に見かけられるような日がしばらく続く。それにもいつの間にか気が付かないようになると、もう夏休みである。セルの感触を乾いた肌に楽しんでいるうちに夏休みになってしまうのは、少し贅沢なようであるが、研究室の仕事の能率が上って来るのは、休みに入ってからである。まあそういうことにして、清々しい札幌の夏を、出来るだけ長く享楽することにしている。
 もっとも低温室の中は、普通零下三十五度位になっているので、その中で働く者にとっては、札幌も東京もない筈だろうと思われるかも知れない。しかし実際は大変な差があるので、東京の夏だったら、とても今のような低温室生活は出来ないだろうという気がする。それは外気温と低温室内の温度との差が、結局一番身体にこたえるので、札幌でも冬にくらべると、夏の方が恐ろしく閉口なのである。
 低温室への御客様には、今までは皆ちゃんとした防寒具をつけて貰っていたのであるが、完全な身仕度をした場合は、十分や二十分間入ったのでは、余り寒さの体験を得られない。研究室の人たちは、もう馴れてしまっているので、十分間位なら普段のままで入っても大してこたえない。それで少し人が悪いようだが、この頃はよくお客様に防寒服なしで低温室内へはいって見て貰うことがある。そうすると十分位すると、皆縮み上って出て来られる。そして「なる程寒いですなあ」と言われる。
 真夏の東京の苦熱を逃れて来たお客様たちは、よく「結構な研究を始めたものだね」と初めは言われるが、防寒服なしで、低温室内で一度縮み上って出て来られると、大抵の人は、「やはり、余り有難くもないね」と言われる。その度に私たちは「これが計略なんです」と言ってお客様を苦笑させることにしている。


 この頃、私たちの低温研究室は、大変の繁昌である。
 そろそろ夏休みが近づいて、構内の楡と芝生とが、鮮かな初夏の緑の粧いを完成するにつれて、例年のように、東京からの修学旅行の組がいくつも訪れて来る。そしてその時期が過ぎると、夏休みに入って、よく学会などがある。この近年は、夏の北海道で学会をすることが流行はやるらしく、毎年二つや三つの会があるのが普通になっている。
 修学旅行の人たちも、学会のお客様方も、よく低温室を見に来られる。夏の北海道で雪の結晶を見るというのが、何か言葉の上からも、一つの魅力アトラクションになるのかもしれないが、要するに、分り易いからであろう。
 今までは、低温室の中もまだ大分余裕があったので、出来るだけ中へ案内して零下三十五度を満喫してもらうようにしていたが、この頃はどうにもそんな余裕がなくなってしまった。
 それというのは、低温の仕事も始めて見ると、つぎつぎと問題が出てきて、というよりも担ぎこまれてと言った方がよいのであるが、それが又どれもやって見ると、非常に面白いことばかりなので、もう低温室はすっかり満員の盛況になってしまったのである。
 今の低温室は、八畳間位の大きさである。それが主室で、それにその半分の大きさの副室がついている。主室の方は年中零下五十五度までの任意の温度に保てるようになっているが、副室の方は零下三十度までである。そして外部から先ず副室へはいって、それから主室の方へ行くようになっている。実験は大抵主室が零下三十五度、副室が零下十五度程度ですることが多い。夏は特にそれ以下の温度にすると、人間の方が参ってしまうので、滅多に零下四十度以下にすることはない。
 ところで、ただ今はこの二室で八つの実験が並行に進行中なのである。この狭い室で、これだけの実験をするのは、ちょっと潜水艦の中で働くような味があるのでその様子を書きとめておく。
 先ず主室の方であるが、この八畳間で殆んど全部の実験がなされるので、その実験台の配置はなかなかむずかしい。色々模様変えをした揚句、結局一番平凡なところに落付いたのであるが、真中に一坪位の空地をとって、周囲の四方の壁に沿って、ぎっちり実験台を並べることにした。
 最初に断熱の重い扉をあけると、そのかげのちょっとした隙間に上下二段になった台がある。その上には四角に切った色々な石だの煉瓦だのが一杯に並べてある。これは工学部の方の仕事で、時々水に浸してはこの室の中に持ち込んでおいて、どの石や煉瓦がみ割れるかという実験なのだそうである。
 この方は半ば貯蔵の実験であるから、その台の上はあいている。それで、その上五尺位の高さのところに、丈夫な棚をつけて、その上に空気恒温箱がのせてある。その中には各種の泥を入れた硝子ガラス器があって、熱電対で、室の外から泥の氷点降下を測ることになっている。これは勿論凍上の研究の一部である。天然の場合凍結線の深さまで凍土を掘って見ると、一番下では、薄い氷板が土の間に何枚も重り合っているが、その氷板間の泥土はまだ軟いことが多い。それで泥土から氷板が凍結によって分離して析出する現象を調べるには、泥土の氷点降下を測っておく必要があるのである。これはI君の仕事である。
 石を並べた台に隣って、壁の一側の半ばを占めて、六尺の実験台が置いてある。これは医学部の実験用であって、その上に籠に入れた兎だの、モルモットだのが沢山置いてある。凍死の生理学的研究だの、防寒具の研究だのをするので、時にはその上で解剖もすることがある。可哀そうな話だが、どうも仕方がない。
 次の壁側には三尺の実験台が二つ並べてある。その一つでは、I'君が凍土の熱伝導度を測っている。極端に空間スペースを節約する必要があるので、その上には十センチ角くらいな凍土のブロックが周囲を断熱して置いてあるだけである。その上面に電熱板を置いて、それに正弦サイン波形の熱を加えて、内部の温度変化を熱電対で測るという方法である。正弦波形に熱を与えるには、スライダックという変圧器を、特別の形のカムで徐々に廻して、正弦の平方根に比例する電流を通してやるのであるが、そういう装置は皆、低温室の外の廊下に置いてある。
 電流の変化が正弦の平方根になるので、電熱は正弦波形になる。するとその熱が凍土の上面に与えられるので、表面の温度が時間とともに正弦波形に変る。その熱が伝導度の如何によって少しおくれて凍土の中へつたわって行くので、凍土内部の温度変化を測ると、伝導度が分るという仕組なのである。
 今一つの台の上では、湿土の凍結による膨脹収縮をA君が測っている。凍上という以上、凍結によって膨脹するのは当然と思われるかもしれないが、膨脹は寒さの侵入する方向、即ち普通ならば上向きだけに生じるので、側面方向では収縮を起すのである。三十センチに二十センチ位の土の塊で凍上を生ぜしめ、左右の側に小さい板を埋め込んで、その動きを鏡で拡大して廻転ドラムに巻いた印画紙上に描かすのである。少くとも一昼夜、普通は二三日もかけて凍らすので、その間低温室内に入り切りで観測することは出来ない。それで写真を使って自働的に描かすより仕方がない。しかしそれを低温室内でやるのはちょっと厄介である。それに印画紙を使うので、全体を黒い幕で蔽って、室の片隅に急造暗室を作ったような恰好でやらなければならない。
 その次の壁に沿って、人工雪の仕事場がある。この方はもう現在の設備の範囲内では、仕上げ仕事になっていて、H君が専ら引き受けてやっている。主な仕事は結晶の一々の型について、その生成の外的条件、即ち気温と水蒸気の過飽和の度合とをはっきり決めようというのである。
 それで従来の装置を空気恒温箱の中に入れて使って、室温の変化の影響を無くしている。この恒温箱はどの実験にもよく使うもので、簡単なトルオールの自働調節器で、箱の中の加熱電流を加減するものである。例えば室温が零下三十二度から三十五度の範囲内に変化する時に、零下二十八度の恒温を得るという風にやるので、一度室を冷して又温めて使う、いわば贅沢な話である。もっとも低温室全体の温度を一定に保つようにする話もあるが、それは大変なことで、そんな費用があったら、その百分の一くらいの金で、この種の恒温箱を必要に応じて作ればよいのである。
 雪の結晶の色々な型について、それが出来る時の外的条件を決めるのは、実は厄介な話で、出来る条件を求めるのは簡単であるが、出来ない条件を決めるのが大変なのである。例えば、羊歯状の結晶について見ても、気温が沢山の実験をして求めた或る限界の外になった時、その他の条件を色々変えて見てもどうしても出来ないということを確めるのに大変骨が折れるのである。この方は三百回以上の実験をしてやっと決ったので、ただ今は針状結晶についてやっている。この調子で十何種の全結晶形を調べるのは考えただけでも閉口だが、やらないわけにも行かない。もっとも後になって、結晶形を単一ユニーク的に決める条件が見付かれば、こういう仕事は馬鹿を見るわけであるが、一度くらいはそういう馬鹿を見たいものである。
 こういう仕上げ仕事で、いわば常規ルーチン的な仕事でも、注意してやっておれば、色々新しい現象が見付かって来るもので、その一つは、極微水滴の問題である。普通大気中にある雲粒や霧の粒は直径0.03ミリ程度の小水滴で、これは「安定」な水滴である。そういう水滴が雪の結晶に附着すると、その水滴の形のまま凍りついて、いわゆる雲粒付結晶になる。これは人工的に作って見ても、その通りである。ところが過飽和水蒸気が冷い空気と混じる時には、これよりも一桁小さい極微水滴が出来る。直径が千分の一ミリ級の粒である。面白いことには、この種の極微水滴が雪の結晶の面に附着すると、その途端に結晶面に拡がってしまうらしく、結晶は透明な氷として生長し、従って雲粒付結晶にはならない。水蒸気が昇華作用で凝縮した場合と同じ結果になるのである。そうすると、この極微水滴は初め球形をしていたという点では、液体であるが、凝縮の際の行動は全く気体と同じである。H君はこういう極微水滴の新しい問題にも捕まって、大分御難の態である。
 これでもう低温室も殆んど一杯である。それで最後に残された壁際には、幅一尺五寸の細長い実験台をやっと入れて、その上でY君が雷の電気の成因をやっている。
 これも問題はなかなか面白いのである。もう一昨年のことであるが、シンプソンが気球をとばせて、雷雲内の上層の電圧傾斜を測定した結果を発表した。それによると、雷雲内の主な電気分離の起きる場所は案外高層で、従って気温も低く、大抵は夏でも、零下十度ないし二十度くらいのところであることが知られた。そうだとすると、以前からの水滴分裂によって電気が出来るという問題は一応片がついた恰好になるので、これは結局雪か氷の粒子かの問題になる。それで、低温室内で、雪か氷かで何とかして沢山の電気分離を起すことが出来れば、妙なところで雷の研究が出来ることになるのである。
 この問題で最初に調べて見るべきことは、摩擦電気である。一般に粉体の摩擦電気の研究は可成り面倒で、今まで色々な粉についての研究は沢山あるが、まだどうも標準的な方法がないように思われる。
 Y君がこの仕事を引受けることになって、低温室の天井の冷却管に附着している霜の結晶だの、氷を鋸でひいて作った粉だのを用いて、それを色々に吹きとばせたり落して見たりして、その粉をファラデイ函に受けて電気量を測って見ている。
 初めのうちは、事柄が余り複雑で、電気分離は盛んにあるのであるが、その現象の解析となると、何のことか五里霧中の状態であった。それでも根気よくやっているうちに、氷粒の温度差と大きさのちがいとが、電気分離の符号を決める要素であることが分って来た。例えば零下十五度の氷粒と零下三十度の氷とが触れ合うと、冷い方が正に帯電し、比較的温い氷が負になるというようなことが分ったのである。大きさについても同様なことがあるのであるが、その外にも、結晶形が可成り重要な問題になるらしく、まあ本式の仕事はこれからである。
 この仕事の中で、ちょっと面白いのは容器の問題である。氷粒が他の物質に触れ合うと、そこで著しい電気分離を起して、結果を目茶苦茶にしてしまうので、Y君はビーカーだの皿だのを、全部氷で作って、一切の操作を氷の容器でやることにしている。この室の中は、年中零下二十度以上にはならぬので、水の常態は固体であり、その点ちょっと便利なこともある。雷の電気の成因が本当にすっかり分ったら、一つ氷のコップで葡萄酒の乾杯くらいはしても良いかもしれない。
 以上で主室内の実験装備の配置は大体つくしたが、その外に、作った雪の顕微鏡写真撮影の装置が実験台の隙間に備えつけてあったり、邪魔にならぬところには棚をつけて、その上に植物の種が沢山貯蔵してあったり、八畳の実験室もまあ遺憾なく利用されている形である。植物の種は、何ヶ月か零下三十五度に保っておいて、それを蒔いた時の発芽率とか、冷害に対する抵抗力とかを調べるのだそうである。
 副室の方は、半分は通路になっているので、奥の半分に恒温箱を二つ持ち込んで、一つの中ではM君が人工凍上をやっている。今一つの中ではI"君が、低温用湿度計の実験を始めるばかりになっている。人工凍上の方は、この冬北海道の各地で凍上現場を掘って見た時に持って来た色々な土で、天然の複雑な凍上現象をそれぞれ再現してみようというのである。
 これだけでまず一杯になるので、一番奥の壁だけがあいている。そこには五段くらい狭い棚が作りつけてあって、色々な細菌を入れた試験管がずらりと並んでいる。結核菌だの、コレラ菌だのという有難くないものが顔を揃えているので、初めは少し気味悪かったが、馴れてしまえば余り苦にもならない。これは勿論医学部の方の仕事である。
 以上で低温室内の繁昌振りは尽くしたことになる。この低温室の仕事も先ずこの辺が手一杯のところで、こんな無理が長くつづくこともないであろう。今にもっと拡張でもされたら、こんな話も昔語りになるであろうという意味で、貧乏話を書きとめておく。
 もっとも書いて見たら、まだ完成もしない研究のことを、無暗と広告ばかりしているようになって、少々気恥しい思いもする。一年も経って、このうちのどれもが立ち枯れになってしまったら、その方がもっと滑稽な昔語りになることであろう。
(昭和十五年七月)





底本:「中谷宇吉郎集 第三巻」岩波書店
   2000(平成12)年12月5日第1刷発行
底本の親本:「第三冬の華」甲鳥書林
   1941(昭和16)年9月25日
初出:一「婦人之友 第三十四巻第八号」婦人之友社
   1940(昭和15)年8月1日発行
   二「岩波講座物理学 月報十九号」岩波書店
   1940(昭和15)年8月29日発行
※底本は、物を数える際や地名などに用いる「ヶ」(区点番号5-86)を、大振りにつくっています。
※「一」の初出時の表題は「低温研究室余談」です。
※「二」の初出時の表題は「低温室だより」です。
入力:kompass
校正:砂場清隆
2021年6月28日作成
青空文庫作成ファイル:
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