雑魚図譜

中谷宇吉郎




 私は昨年の秋から少し静養の意味で、伊豆のI温泉に仮りの住居を定めることにした。今まで北国の生活ばかりしていた私達には、初めて見る南国の冬が色々珍しい経験を沢山もたらしてくれた。高畑の蜜柑畠に日が映えて、雑木林が紫色に光るのも珍しかったし、冬の海に陽光が燦々と降っている景色も愉しかった。何だか周囲が天恵で満ち満ちているような気がして、半年を灰色の空の下で雪に埋れながら暮す人達の生活が遠い国のことのように思い浮べられた。
 それらの天恵の中でも、この伊豆海岸の生活で自分に一番嬉しいことは、いつもあたらしい魚が得られしかもその種類が極めて多いということであった。この町は温泉地として有名であるにもかかわらず、実は今でも町全体の収入を見ると、温泉地としてよりも漁港としての方が多いという話である。それだけに町の姿にも全くの温泉街とは成り切れぬ処があって、微かに残っているその漁村の匂いが、落付いて住もうとする私達に何となく暮しやすいという感じを与えてくれるのであった。
 私がここにしばらく滞在しようとした時に、医師の人から新鮮な魚を沢山喰べるようにと勧められた。もともと私は子供の時から北国の荒海近い田舎に育って、色々の磯の小魚に親しみを持って育ってきたのであるが、その後都会の生活をするようになってから久しくそのような自然の饗宴から遠ざけられていたのである。それで医師に勧められるまでもなく、私は大変喜んでこの南国の海の生活を十分に楽しみたいと思っていたのであった。
 ここでは町の魚屋が、朝早く船から上った魚を真直に持ってきてくれるので、強い魚などは台所へきてもまだ盛んに口を動かしている位であった。それで魚屋によく頼んでおくと、いくらでも新鮮な珍しい魚が手に入るのであった。ここに移って初めての朝、まず温泉に浸ってそれからしばらく机に向っていると、魚屋が来ましたという知らせがあった。軽い好奇心からちょっと裏口へ出てみると、小さい盤台の上に色々な珍しい魚が一杯に並んでいた。それを見た時私は何よりもまずその色彩の美しさに思わず驚きの眼を見張ったのであった。この海で有名な室鰺の水から揚ったばかりの姿は初めて見たのであるが、力一杯張り切るように肥った皮膚が鮮緑色に輝いているのがいかにも美しかった。そして黒鯛とか鱸とかいう有りふれた魚までもここでは皆燦爛たる光彩を放っているのであった。その外色々な形も色彩も著しく異っている磯の雑魚が沢山並べられていた。それら雑魚達の名前と料理法とを一々魚屋から教わって、これから毎日その一つ一つの味を調べてみようということになった。魚屋の方も妙に乗気になって、「これはまだ召し上らない魚です」などといって妙な魚を持ってきてくれるようになったので、一月位したらこの海で獲れる磯の魚を一通り喰べてみたことになってしまった。
 これらの雑魚は私に今まで持っていた魚の種類という概念をすっかり変えさせてくれた。魚の形といえば鯛のような形とか、鰯や鯖のような細長いものとかいう風に分類出来るものと思っていたのは大変な間違いであったことが分った。例えば鰺の一種でしま鰺というのは菱形であり、まとうの頭には化石年代の魚の面影があり、いとひきは五辺形の平板の形をしているのである。模様にもまたほとんど無限の変化があって、子供の絵のように勝手な所に勝手な色の斑痕パッチをつけた魚があるかと思うと、全身が小紋縮緬で蔽われたようなものがおり、全く規則正しい縞模様の魚もあった。その縞にもまた水平なもの、垂直なもの、斜のもの、あるいは上から見ると丁度鷹の羽のように見えるものなどいくらでも種類があった。この最後のものには、たかっぱという名が付いているのも極めて簡明で面白かった。その上色彩がまた非常に豊富で、プリズムで分けたスペクトル光のように恐ろしく純粋な色があるかと思うと、西洋の古い名画のように思い切ってくすんだ色彩のものもいた。これは後に絵に描いてみて分ったことであるが、これらの色彩は変化が速くて、水から揚って半日も経つとまるでその生彩を失ってしまって極めて平凡な色になってしまうのである。まず都会で見る魚の色にはもはや旧の面影がないといっても差支えない位である。これらの雑魚の種類の豊富さは、まあ極端にいえば、普通に想像し得る任意の形を描いてそれに勝手な色を付けてみてもそのような魚は一匹位は必ずいるといって差支えない位である。
 このような雑魚が都に近い海で、全体としてはかなり多数に獲れているにもかかわらず、都会地へは余り送り出されないというのも面白いことである。これらの雑魚の中には形からいっても味からいっても、一流とされている魚達に決して劣らぬものが多いのであるが、現在の経済組織の下では、実用的の商品となり得るために必須な条件は、ある程度まで「数が揃う」ということであるらしい。この点今の教育制度と経済組織との間には共通した所があるようである。最もそれは当然のことであろう。しかしその御蔭で漁村に住む人達にこれらの自然の饗応が存分に恵まれるのは有難いことである。
 これらの雑魚は丁度雑草のようなものである。雑草の豊富な種類とその各々が持つ特殊の美しさとは十分に説かれている。雑魚の世界は雑草の世界よりも単に地域的に広いばかりでなく、生存の範囲が立体的になっているために、その種類と変化とがさらに著しく豊富になるのは当然なのであろう。もっともここでの雑魚というのは、地図にも載らぬ位の小さい一つの湾の中でしかも磯に近い所で普通に獲れる極めてありふれた魚のことをいっているのであるが、それでも初めて漁村に近い土地の生活をする者の眼を驚かすには十分であった。前に「海底九百何十メートル」というような題の独逸ドイツの本を見せて貰ったことがあるが、特殊な金属球を作ってその中へ這入って海底の動物達の生活を見ると、まるで想像を絶した奇怪な姿のものがいくらでもうごめいているのである。深海魚の話は勿論専門外の私などの立ち入るべき筋ではないが、海といっても魚の棲息する所は海面に近い所か、海の底と決っているように聞いていたのであるが、実際金属球で沈んで行くと各層で色々不思議な魚に遭うようである。千メートルの海底といえば、水圧は百気圧を越えているはずで、そして日光もほとんど届かぬ永遠の闇の世界である。そのような所にある怪物の世界の姿を想像してみることも、この頃のような世情の下に生活している人々には幾分の清涼感を与えるかも知れない。
 磯の魚には磯の匂いがあるということはよく聞く話であるが実際判然とした匂いがある。その良い例はかさごであろう。この魚が身体に不相応に大きいあの顎を脹らませて忿おこったような顔をしているのはちょっと滑稽である。肉はかなり強靭でそれに脂が濃いために少しばかり口の中で滑べるような感じがする。この機械的の感触は鯛や鱸などの名流の魚にはないもので、これもいわゆる磯の匂いの一つの要素になっているのではないかと思われる。不思議なことには、この魚を喰べると私は妙に日本海の年々に目立ってさびれて行く漁村を思い出すのである。中学時代に一夏をそのような寒村に送ったことがある。難船騒ぎと砂丘の後退とトロール船とに傷めつけられながら、国勢調査の度ごとに何割という人口の減って行く村の中で、よくこの魚を喰べたものである。その時の記憶がよほど深く脳裏に彫みこまれているためらしいのである。
 トロール船といえば、この頃のように漁獲の方法が一般に進歩してくると、一度にあまり沢山獲れて困ることがあるらしい。実際問題としては、なかなか漁獲の調節などということは出来ないものだそうである。獲れるだけ沢山獲って、値段を下げたり腐らしたりして、いつでも収支の最後の所では、散々苦労して必要以上の労力を費した揚句、手一杯の経営をして行くのが人間の仕事であるらしい。もっともそれは経済的な事業に限らず精神的とされている仕事にでも同じようなことがいえそうである。北海道では烏賊が沢山獲れる時期があるが、烏賊の値段というものは、烏賊の本質で決まるものではなくてその日の天候で決まるものであるという話を聞いて驚いたことがある。似たようなことはどの魚にでもあるのであるが、烏賊は特に腐敗しやすいので著しいのである。天気が良くてするめに出来る日に比較すると、雨の日の烏賊は値段が十分の一位に下ってしまうそうである。先年北海道の水産の学校へ物理の教授になって行ったI理学士が、この問題に手を付けてみたいといってきたことがあった。こういう問題の物理的研究というとよく誤解されることがある。何か巧い方法を見付けて手品のように烏賊を鯣にする仕掛けを考えてでもいるようにとられるか、あるいは結局役には立たないがそんなことをいい立てて研究費でもとるのだろうという風に解釈されがちである。しかし私達の採る方法はこの場合ならば次のようにするのである。まず烏賊の肉の一片を皿に載せてそれをゼンマイで吊すのである。肉が乾くと蒸発した水分だけ目方が軽くなるので、ゼンマイが極めてわずかばかり縮む。それを適当に拡大してみると、烏賊の肉が乾いて行く情況を見ることが出来るのである。I君がこのようにして採った乾燥曲線を見せて貰ったが、肉に含まれている水分に二種あってそれが段々に取れて行く有様がよく見えて面白かった。次には全装置を容器に入れて、温度と空気の乾燥度と風の速さとをそれぞれ変えて、この乾燥曲線がどのように変化して行くかを見るのである。最近知らせて貰ったその結果を見ていると、色々なことがちゃんと現われているので面白かった。例えば温度が大変利いて五十度にもすると常温の時の倍以上も早く乾くのに、湿度の方はそれほど利かず、ある程度以上乾いた空気を送るとかえって悪いというようなことが出ているのである。それは表面だけが急に乾いて固まってしまうためであるらしい。結局常識で大体見当の付くことが多いのであるが、科学的の研究というものは第一歩としては常識の整理であることはいうまでもないことである。そしてそれが実用に役立つかどうかという問題もこの場合ならば、差し当り腐敗を防止し得る程度まで乾燥するのに最も有利な条件を選び出せば良いのであって、それでもなお経済的に引き合わなければ肥料にしてしまえば良いのである。その場合この仕事の価値は事柄をはっきりさせたという点にあるのであって、実際のところ、事柄をはっきりさせるということはそう容易やさしいことではないのである。

 この土地の雑魚も一通り喰べ終って大分親しみが出てくると、何だかそれだけでは惜しいような気がしてきた。それで永らく放っておいた絵具箱を取り出してきて、一つこれらの雑魚を油絵に描いてみようという気を起した。勿論この考えはかなり大それたものであることは描きかけてみたら直ぐ分った。最初にまず容易しそうなものと思っていしだいを買ってきた。この魚は鯛のような形で縦に太い縞があるのである。外の魚は例えば鰺や鯖のようなものはどうもあの金属的な光沢がとても歯が立ちそうもないので、まずいしだいを選んだのであったが、それでもよく見ると色が非常に困難である。地肌が既に複雑な色をしている上に、模様がまた簡単な色ではなく、その上蔭の色が重り、さらに厄介なことには表面での反射がある。その反射が妙にぬめりとした感じを与えるものらしいのであるが、よく見るとどうも表面が粘液で蔽われていて、その液層の表面からは周囲の色がそのまま反射してきて、それに粘液層の底から反射してくる少し色の違った光が加わっているらしい。どうもこれでは魚を描くことはまず絶望のようである。それでもやりかけた以上はと良い加減な色をあたりかまわず上へ上へと塗って行ってみると、何だか少し魚らしくなって行くようである。困ることにはこのような鮮魚は直ぐ表面が乾いて行くので二時間もするとまるで最初の時とは似もつかぬ色になってしまうのである。仕方なく少し投遣り気味にバックを塗ってまず仕上げてしまった。そして魚はその晩煮て喰ってしまったが流石にあまり美味いとは思わなかった。翌日起きて直ぐ昨日のいしだいを眺めてみると、案外良い出来に見える。魚が側にある時はまるで贋物のように見えていた絵の中の魚が、今朝はちょっと本物らしく見えるのだから愉快である。昨夜一晩中贋物に眺め入っていたので、頭の中にそのような像が出来てしまったものらしい。案外一般の人の頭の中にある色々な事物の像は皆贋物であるのかも知れないという気がした。よく考えてみると吾々が色々な自然の事物について持っている像は絵とか写真とかいうものを通じて作ったものが多いようである。その贋物に馴れてしまうと本物を見た時でも自分の持っている像をその上に投影して見るようになって、かなり大事な点を見落すようにならぬとも限らない。俳句のようなものがあの短い詩形でちゃんとした芸術になるのもそのような大事な点を捕えるためかも知れない。もっともそのようなことは十分いい古されていることであろう。
 どうも芸術品としての雑魚図譜には閉口したので、珍しい魚の図譜を作って見ようと魚屋に頼んでおいたら、早速妙な魚を持ってきてくれた。全身が赤い魚で、頭は猿のような顔をしていて、背鰭が非常に長い針になっているのである。この針は激しい毒を持っているので、死んでからもこれに刺されると二日位は苛い疼痛に悩まされるそうである。それで普通は獲ると直ぐこの針を切り落してしまうのですと魚屋は説明してくれた。一番の特徴は胸鰭で、全身を蔽う位の大きさの鰭が孔雀の尾のような形をしていて、その上豹のような斑点があるという念の入ったものなのである。名前を聞いたら、やまのかみという魚ですという。本名はと聞いたらそれが本名ですと魚屋は澄ましていた。魚もこれ位変っていると描くのもかえって楽なような気がした。どうせ滅多に見た人もないのだから色なんか少々どうでも、ただ毒々しく見えるようにという気があったのかも知れない。しかし描き上ったところを見ると、どうも嘘の魚のように見えて仕方がない。非常に変った物を、見たこともない人に、こんなものが実際いるのだと納得させるように描くのはやはり一層難かしいものらしいということが分ってちょっと面白かった。「魑魅ちみを画くはやすし」などと嘯いていた支那の昔の画家は、相手が素人だと思って勝手な熱を揚げていたのかも知れない。魑魅だって内界までも入れた広い意味での自然界には実在の動物なのである。まあそういうことに独り決めをしておいて、この絵は早々に失敬してしまった。
 次にはまとうを描いてみた。これはかわはぎに似た形の魚で、味噌汁の実にするとなかなか美味いものである。この魚は光沢はそれほど難しくはなかったが、その代り色が厄介で妙に燻んで暗緑色をしていた。そしてその下に基調をなす紫色があって、その紫が所々に顔を出しているのに、ちょっと手を焼いた。もっとも身体の真中に天保銭型の暗紫色の斑点があるので、それを描けばまとうだということは分るはずであるが、その環がまた妙に難かしい。皮膚の一部がそのように染っているのか、何か黒い環が載っているのかその区別がなかなか出来ない。よく見るとその環の周囲に余色らしい緑がかった黄色の隈取がある。この余色の隈取は色の対照コントラストからくる網膜の錯覚からも起る現象であるが、この場合にはそれではなくちゃんとまとうの皮の上に着いている色なのである。もっともこの二ツの現象には何か関係があるのかも知れないという気もする。冬彦先生だったらここで何か一つセオリーが出るところだろうがなと描きながらふと思ってみた。
 まとうの次にはめばるを描いてみたが、これも大した傑作にもならず片付けてしまった。それから二、三日したら今度は魚屋が大変な難物を持ち込んできた。それはいとひきである。この魚は全体が平たくて、直線から成る五辺形をしている。頭と尾とが左右の角に当り、それを連ねる線から上に二辺、下に三辺がある。そして背鰭と腹の鰭の一部が伸びて身長の三倍近くも長い糸を曳いているのである。もっとも普通店先に出る時にはこの糸が邪魔になるので切ってしまってあることが多いそうである。ところでこの魚が難物である所以は形よりもその色にあった。全体が銀白色でそれが赤、黄、コバルトなどにきらきらと輝いているのである。その色がまた非常に純粋でほとんど完全な単色のように見えるのである。それを白い皿に載せて窓際に置いてさてよく見ると益々大変である。ちょっと眼の位置を変えると今までコバルト色に光っていた所が真赤に輝いたりするのだからこれはどうしても薄膜による光の干渉の色に違いない。その上に頭の部分に意外に強い鮮かな青色があるのが妙だと思ってよく見ると、それは澄み切った冬の空の色が鏡面反射で映っているのだということが分った。そう思って身体の全体を見直すと、前の干渉の色に混ってこの種の反射の光も所々に見える。これを皆描くとなるとどうも只事ではないのだが、まあ試しの心算で根気よく一々の色を拾って少し大胆に純粋な色を思い切って塗り始めてみた。個々の色はかなり似たような色が出るのでそれに力を得て、一気に大体描き上げてしまった。案外巧く行ったかなと思いながら、内心少し得意になってちょっと離れて見直して見ると、まるで何のことはない、下手な千代紙細工のようなものになっているのですっかり落胆してしまった。それにしてもあまり可笑おかしいので今一度魚と絵とをよく見較べてみると理由は極めて簡単に分った。それは陽差しの方向が刻々に変って行くにつれて魚の各部分の色がまるで変ってしまうのに気が付かなかったためである。この時間的の変化におかまいなしに、次々と違った部分を「忠実」に似せて塗って行ったのではどうしても嘘になるより仕方がないのである。それにしても死んだ魚がこのように刻々に色を変えて行くのは少々薄気味悪い位である。もっともそれは当り前のことには違いないのだが、自分で絵に描いてみなくてはなかなか分らないことであろう。子規が「草花を写生していると造化の神秘が分ってくるような気がする」といった意味を私はこのように解釈してみた。
 この魚の持っているところの光の干渉による色彩は次のようなものなのであろう。表面にかなり透明で薄い鱗からなる薄層があって、その下に銀白色のよく光を反射する皮膚があると光の一部はその薄層の表面で反射し、残りが内部へはいって行って下の銀白色の面で反射して出てくる。この両者の光の波が干渉を起して色が着くのであろう。丁度水面に落した油の一滴が薄膜になって拡がって色々の色に輝いて見えるのと同じことである。このいとひきを見ている中に、今のレーレー卿が孔雀の尾や玉虫の翅の光を研究した論文が数年前の英国の雑誌に出ていたことをちょっと思い出した。あの特有な輝きも主な原因はこの干渉の色であるということである。レーレー卿のように、英国のあの綺麗な郊外の地に立派な邸宅を構えて、その中に実験室を作って好き勝手な研究を楽しんでおれたら、それが人間の享有し得る最大の幸福であろうという気がする。物理などをやろうという日本の学徒の中にもそれ位の金持の人もないことはないのであるが、レーレー卿のような生活を楽しもうという人はまだ出てこないようである。理由は色々あろうが、子供の時から、人生は奮闘すべきもの、学問は克服すべきものと教え込まれていることも一つの原因かも知れない。もっともこの種の教育で国民を鍛え上げておいてこそ、戦争にも勝つことが出来、国力の充実も出来るのであるから、今の教育を決して悪いというのではない。
 生れて初めての南国の海辺の生活で、そこの雑魚の豊富さに興味を惹かれて、色々なことを思い出すままに並べて見たが、内容があまりに雑然としているのには我ながらおかしい位である。あまり雑魚ばかり喰べていたので、脳味噌の細胞が雑魚の細胞で置き換えられたのではないかと少々不安にもなる。
(昭和十二年三月『中央公論』)





底本:「中谷宇吉郎集 第一巻」岩波書店
   2000(平成12)年10月5日第1刷発行
底本の親本:「冬の華」岩波書店
   1938(昭和13)年9月10日
初出:「中央公論 第五十二年第三号」中央公論社
   1937(昭和12)年3月1日発行
入力:kompass
校正:岡村和彦
2021年1月27日作成
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