霜柱と白粉の話

中谷宇吉郎




 寺田寅彦先生門下の中に、M君という私の友人がある。M君の家は関西でも有名な旧家で、化粧品の製造では日本でも有数な家である。私とは高等学校時代からの同窓で、一緒に大学で物理学を修めた因縁があるので、霜柱と白粉という妙な題目の話が生れたわけなのである。
 大学を卒業する間近になって、M君は卒業後二、三年大学で研究生活をして、それから家へ帰って化粧品の製造と研究とに入りたいという希望をもち出したのである。ところで大学院に入るにしても、白粉の研究に直ぐ間に合うような知識を授けてくれる先生などがどこにもある理由わけもなく、折角のM君の大望も指導教授の点でまず困ってしまったのであった。それで色々考えた揚句、結局寺田先生の所へ持ち込むより外に方法がないということになった。
 ある土曜の晩、例の曙町の応接間へ乗り込んで、愈々この御願いを切り出すことになったのであるが、流石さすがの先生もこの話には少々面喰らわれたようであった。「どうも白粉の研究までは流石に僕も考えたことがないのでね」と、いつものように顔一杯皺だらけにして苦笑された。しかし頼む方は本気なので、先生もそれでは何か考えてみようということになって、後は色々な話になったのであった。その中に先生は何か急に思い付かれたことがあったらしく、「そうだ一つやってみるか」と切り出されたのである。「君、霜柱の研究でも良かったら一つやって見ませんか」という話なのである。普通だったら少し度胆を抜かれるところであるが、前々から実験室の中ではこの程度の指導振りにはもう馴れているので、一議に及ばずかしこまりましたということになったのであった。かく電気火花をパチパチと飛ばせて覗き込みながら、「うんそうかこれは君、電子エレクトロンの針金が出来ているのだね。そうだ、一つこの電子エレクトロンの針金の写真を撮る工夫をしてくれ給え」などという命令を受けて、平気でかしこまりましたという位なのだから、白粉の研究に霜柱を作ってみる位は勿論吾々の仲間には何でもないことなのであった。
 霜柱と白粉との関係の表向きの理由は、先生は前から霜柱の現象に興味を持っておられて、あの不思議な氷の結晶が関東平野の赤土という特殊な土で見事に発達する原因を、この土の膠質学的の特殊の性質によるものと考えておられたのであった。それでこの膠質の物理的性質の研究というのが、即ち化粧品の科学的研究の基礎をなすものであるということになるので、聞いてみればいかにもその通りである。しかしそれだけのことならば、何も寺田先生を煩わすまでのこともないのである。それより膠質の物理的性質の研究に霜柱のような妙なものを特に選ばれたという点が問題なのであるが、今になって考えて見ると少し分るような気がする。その理由は色々あるのであろうが、第一に化粧品のような沢山の要素があってその各要素の総合的の効果が問題となるようなものの研究には、なるべく一つの目的をもって複雑な現象を解析して行く訓練を受けておく必要があって、その目的には霜柱のようなものの研究がいかにも恰好である。今一つには現在の物理学には物性の研究に大きい欠けた部門がある。今の物理を論ずる時には、一定の大きさを持った均一な物体について、その色々の物理的性質を調べるか、それでなければ、その物質の窮極の姿である分子や原子の構造を論ずるかであって、その中間の姿即ち粉体や膠質の性質は兎角とかく物理的な研究の範囲外に取り残されている傾向がある。ところが化粧品の場合と限らず、日常の吾々の生活に密接な関係のあるものは、中間的性質に支配されるものが多いのである。即ち霜柱の研究には、氷塊の物理的性質や、氷の原子の構造ばかり調べていたのでは分らないことが沢山残るであろうということは直感的にも分ることである。もっともこんなことを仰々しく並べ立てても、地下の先生にニヤニヤされるだけかも知れない。何か外にもっと深い意味があるのですかと聞いてみたら、きっと昔先生に五月蠅うるさく根掘り葉掘り何かをきいた時のように、「今に分るよ」といわれることだろう。
 卒業後M君は霜柱の研究を始め、私も同じく先生の下で火花の研究を続けることになって二年ばかり一緒に暮した。M君は実験室の前の廊下の片隅に冷蔵庫を据えつけて、学校へくるとその中で水晶の粉で作った「土」から霜柱を生やすことに専念していた。そしてその年の冬には学校の工事場から荒土を一杯車に積み込んで自分の家の庭へ運び、霜柱の苗圃を作って、その中で出来る天然の霜柱の観測をしていた。いかにも立派な花壇のように見えるので、よく何を御作りですかと聞かれたそうである。そして霜柱を生やすのですと答えると、大抵の人は妙な顔をしたという話である。霜柱は夜の中に生長するので、その生長の過程の写真を撮るためには夜中に何度も起きねばならぬことは勿論である。新婚の美しいM夫人が夜中の二時頃起されて、星月夜の庭でフラッシュを焚かされたことも勿論であった。初めの中は皆も少し同情したのであるが、ある時M君から「何、あれもとても面白がっているんだよ。そして研究の手伝いだといって喜んでいるよ」とやられたので、その後は誰も同情をせぬことに決めた。
 その後M君は予定通り家へ帰って、只今は化粧品の研究と製造とに没頭している。私は時々大阪へ行くごとにM君に会うのを楽しみにしている。ある時M君は、「霜柱の研究は今になって考えてみると随分役に立っている」と述懐したことがあった。白粉の原料の酸化亜鉛の中に極めて微量でも鉛がはいっていると、健康の上に非常に恐ろしい悪作用があることは、今では常識になっているが、いわゆる舶来の白粉の中には随分ひどいものがあるそうである。亜鉛の中の極微量の鉛を化学的に検出するのは非常に困難な問題であって、物理的に調べる方が良いのである。それもいわゆる現代の正統派の物理学者だったらスペクトル分析でも行うところであろうが、M君は特殊な顕微鏡調査の方法を案出して、亜鉛の粉の中にある鉛の微粒子を検出することに成功していた。「やはり目で見るのが一番確実だよ。まず自然をよく見よという先生の教訓はいかなる場合でも本当だよ」という話であった。
 この話が大変面白かったので、次の機会に一度研究所と工場とを見に行ったことがあった。そして非常に驚いたのである。白粉なんかは酸化亜鉛の粉に匂いをつけた位のものと思っていたのは大変な間違いであったことが分った。第一に白粉を付けた時に金属的な光沢があってはいけないので、特に粉白粉の場合にそれが大切な問題になるのである。普通に酸化亜鉛の粉を非常に細かくすると皆丸い微粒子になってしまうのである。ところがこの丸い粒子の表面から反射する光は拡散度が十分でないためか、どうしても金属的な光沢を帯びて感ぜられるのである。それで個々の粒子が丸くならないように粉を摩り潰すことが必要になるのであるが、これは随分無理な注文である。普通に考えたらとても出来そうもないことが、多年の経験と研究との恐ろしさで、特殊の摩鉢と摩棒とを使って、そして摩る速度と摩棒の運動とを適当に選ぶことによって、可能になったのだそうである。
 それにも増して大切なことは、いわゆる化粧映えの問題である。ある種の白粉を使った場合に、何となく輝いた美しさが出てくるのが化粧映えであるが、その物理的研究があるのである。化粧映えは勿論白粉の粒子の大きさや粒の大小の揃い方などにもよるのであるが、その上粒子の表面に炭酸瓦斯ガスを吸着させるという意外な方法のあることをきかされて大いに驚いたのであった。酸化亜鉛の粉が巧く摩り上った時に、適当な筒の中で上から撒いて落し、炭酸瓦斯を下から送ってやると、個々の微粒子の表面に炭酸瓦斯の分子が極めて薄い層となって吸着されるのである。考えてみれば、外から当った光線が炭酸瓦斯の薄層を通って中に入り、酸化亜鉛粒子の表面で反射されてまた出て来ることになれば、いわゆる薄層による光の干渉が起きて良いはずであって、理想的に行けば、銀色の魚の肌のように輝くかも知れないのである。勿論粉のことであるから鏡面反射は起きないので、白粉を塗った顔が七色に輝く心配もなく、ただ何となく輝やかしい感じを与える程度に止っているのであろう。そういえばいつか固体表面に吸着した炭酸瓦斯の薄層の光学的性質を研究した論文が、英国の物理雑誌に出ていたことがあったが、あれが化粧映えの研究だとは知らなかった。
 これらはほんの一例で、外に実は色々細かい点でしかも実際問題としては大切な研究があったのであるが、それは余り公表しない方が良いのかも知れない。ところで面白いことは、このようにして色々条件をかえて作った白粉の優劣を比較する方法である。それには専属の美顔師がいて、毎日次ぎ次ぎと試作されてくる白粉で実際に御化粧をしてみるのである。そして白粉の色々な性能を何十項目と並べた採点表に点数をかき込んで、その総点をとって毎日廻してくるのである。何よりも驚いたことには、その総点は普通三、四百点になっているのであるが、時々前に一度調べた資料をまた黙って渡してみると、その総点は前の採点の時と最後の数字が少し違う位で、何百何十という所までは大抵一致した値を出してくるという話であった。どうも人間の感覚というものも恐ろしいものである。もっとも食通の人の味覚などのことを思ったら当然なことかも知れないが、白粉ののりとかつきとか化粧映えとかいうものが、それほどはっきり分るものであるとは全く知らなかった。これらの採点化粧の試験台には、研究所や工場に勤めている若い娘さん達が代り代りにくるのだそうである。夕方 No.532とか No.533とかいう御化粧をした娘さん達がいそいそと家路につく姿を想像したら独りで微笑まれた。
 M君が化粧品の研究と製造とに、霜柱の研究法を応用し始めてからもう十年近くになる。その間物理的研究や科学的経営を売り物にしたり、広告に使ったりしたことはないが、成績は大変良いそうである。M君の意見では、こういう仕事に物理的研究態度を導入する際に、一番役に立つものは物理の研究で培った頭の勤勉さと根気とであって、知識の集積や学位などではないというのである。実際にどんどん品質を良くして、また大いに儲けて見せてくれるので、これはいくら威張られても仕方がない。
「万ず研究御誂え所とささやかなる看板を掲げ、後生を送るもあわれなりける」と御機嫌であった先生に、この君の話を伝えられないのは誠に残念である。
(昭和十二年十二月『思想』)





底本:「中谷宇吉郎集 第一巻」岩波書店
   2000(平成12)年10月5日第1刷発行
底本の親本:「冬の華」岩波書店
   1938(昭和13)年9月10日刊
初出:「思想 第一八七号」岩波書店
   1937(昭和12)年12月1日発行
入力:kompass
校正:砂場清隆
2017年1月20日作成
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