米粒の中の仏様

中谷宇吉郎




 ミミーはまだ生れて二月にしかならぬ仔猫であるが、ペルシャ猫の血が混っているということで、ふさふさとした毛並みの綺麗な猫である。毎日ひまさえあれば子供達にぶら下げられて可愛がられるので閉口しているようであるが、感心におとなしい行儀の良い猫である。一番感心なことは、台所の隅に子供達の古いお椀を置いて、それに御飯を入れて置いてやると、いつの間にかすっかり喰べてしまって、洗ったように綺麗にしてしまうことである。とかく猫というと御飯を残したり散らしたりして汚くして置きやすいものなのにこれはまたちょっと珍しい猫である。
 今朝も朝陽を浴びながら、四畳半の茶の間で子供達と一緒に朝食を喰べていて、その話が出た。ミミーもすぐ横の台所の板敷の上に、暖かい御飯に味噌汁と鰹節をかけたのを貰って、立ち上る湯気を迷惑そうに眺めながら、側におとなしく坐って御馳走の冷えるのを待っていた。その少し薄暗い台所に白い湯気の立っている景色からの連想からか、ふと子供の頃の田舎の家のことを思い出した。その頃家に居た大きい白猫のことをよく祖母が可愛がっていて、「御米の粒の中には、一粒々々に仏様がいらっしゃるんだが、猫が喰べようとすると、その仏様が皆逃げ出されるので、猫が喰べても人間が喰べた時のように美味しくはないのだ。それで猫はきっと御飯を残すものにきまっているのだが、可哀そうなものだ」といっていたのが思い出された。それでその話を皆にして見たら、この四月から学校へ上るという一番上の女の子が眼を円くして聞いていた。そして御飯がすんだ時に、空の茶碗を私の方へ見せながら、「ほら、仏様が一つもついていないでしょう」といった。
 天恵の少い北国の寒村では、昔はすべての物資が皆大切であった。特に米に対しては特別の信仰を持っていたらしく、私の祖母などの眼には、一粒々々の米の中に、皆仏様が見えたのであろうと思われる。従って子供達に対する教育といえば何よりも物を粗末にしないという点が強調されていた。食事の時にこぼした御飯を拾って喰べるということなども、衛生とか経済とかいう立場を離れた絶対的のものであった。それは本当に一体々々の仏様なのであった。こういう考えは日本中の農村に行きわたっていたのであろうが、特に北陸地方や東北のいわゆる裏日本には、都鄙を通じて根強く浸み渡っていたものである。もっとも少し都会地になっている所で育った私の妻などは、同じことながら少しちがった教育を受けていたようである。この話の出た時にも、妻は「私達も子供の時から、米は粒々辛苦なものだから一粒も粗末にしてはいけないとよくいわれていました」という話をした。米粒の中の仏様という表現と粒々辛苦という表現との差は、本当に米を作るものと、作らないものとの違いからきたのであろう。もっとも十年の年代の差によるのかも知れない。
 こんな話は子供達には分らないだろうと決めてかかって、平気で二人で話していたのであるが、子供達には意外な衝撃を与えたらしかった。「ぼうやちゃん、頬っぺたに仏様が附いていますよ」と姉が注意をする程度はまだ良かったのであるが、畳の上にこぼれた仏様達まで拾って喰べようとするので少々面喰らった。全く思いがけず薬が利き過ぎた形となってしまった。それで早速旧説を少し変形モディファイして、畳の上にこぼれた御米はもう仏様が逃げて行ったのだからという話にして、それは止めさせることとした。もっとも自分の趣味からいえば止めさせなくてもよいのであるが、子供の病気には懲りているので、まあ急に変ったことは一切させない方が良さそうである。
 この頃になって、いよいよとなると大切なものはかねでなくて物であるということが大分問題になってきたようである。分り切ったことで、今までそれがあまり問題にならなかった方が不思議なのである。そういえば子供の頃に燐寸マッチを粗末にしてはいけないということをやかましくいわれたことを思い出したが、何でも一本の燐寸はお米十七粒とか二十七粒とかなのだから大切にしなければならないと教えられたものであった。そういうことはなかなか忘れられないものである。一時、銀座の街頭を歩くと無闇と燐寸をくれたり、喫茶店などの入口に山のように燐寸を積んで置いて誰でも持って行ってよいようにしてあったが、ああいう光景を祖母などに見せたら何というだろうかと思ってみたこともあった。もっともマッチに税金がかかることになれば、この日本独特の風景ももう見られなくなるであろう。燐寸の軸木に用いる木はかなり限定された種類のものときいている。日本中で毎年燐寸の材料に用いられる木材の量がどれだけにのぼるかはよく知らないが、相当大変な量になっているのであろう。そしてその半分位は全く不必要に消耗されているのではないかという気もする。日本人が皆、普通の西洋人程度にでも燐寸を大切にするような習慣になったら確かにその使用量は半分位になるであろう。もっともそういうことになったら、燐寸製造家が困るし従ってその従業員などがどうなるかというような抗議が出るかも知れないが、北海道の奥地などであの立派な木がどんどん切り出されて行く光景を思ってみると、燐寸の場合はほんの一例であるが、とにかく材木を大切にすることが悪いことは決してないと思われる。十勝岳へ、ある仕事のために冬の最中に度々行ったことがあるが、その時山番の老人の木を大切にする話をきいて内心感心したことがある。一抱えも二抱えもある立派な木がどしどし切り出され、雪の中を馬橇で引かれて行くのを見送りながら、その老人は、寒国の針葉樹がいかに生長の遅いものであるかという話をしてくれた。ちょうど目の前にあった直径五寸位のとど松の若木の植林したものを指しながら、あれでも二十年位はかかっているのだからと嘆息するのであった。この老人の眼には、山奥の木の生命がまるで国家の生命のように見えるらしかった。内閣がどうなろうが、対英米問題がどうなろうが、この老人にとっては、雪に枝を垂れた針葉樹の密林が亭々として聳えている間は、日本の国は安泰だと思われるように見えた。
 この老人にとっては、木というものがそれほど大切なものなのに、皮肉なことには材木を商売にしている人々にとっては木そのものはそれほど大切なものではないという話をきいて非常に意外に思った。それというのは、材木の商品としての価値は、それを要求する都会地での値段から、そこまでの運賃を引いたものだというのである。なるほど聞いて見ればもっともな話で、どんな立派な材木でも運び出すのにあまり金がかかれば結局商品としての価値はないわけで、もしその差し引がマイナスになれば、立木というものは借金みたようなものになるのかも知れない。この話をきいた時には経済組織というものも随分妙なものであると思ったのであるが、もっとも石炭だって何だって同じことなのだから、そんなことを今頃不思議がる方が妙なのかも知れない。
 北海道のような所で、特に奥地にある木は、冬でなくては運び出せない。雪が十分深く積ると、夏の間は足も入れられないような山奥迄も馬橇が通うようになって、一抱えも二抱えもある材木が、案外容易に運び出されるようになるのである。北海道では昔はたま橇という簡単な橇を使ったが、現在の雪路運搬に用られる橇はちょっと面白いのである。普通の橇を前後二つに切り離したような形のものが二つで一組になっていて、長い材木の頭と尻とにそれを一つ宛履かせたような格恰に材木を積み上げ、その前の橇を馬が牽くのである。この橇にはバチバチという妙な名前がついているが、非常に巧い考えであって、曲りくねった狭い雪道を長い材木を運ぶには、このような橇でなくてはいけない筈である。このボギー車の原理を多分自分で発見して、それをたま橇に応用した天才が誰であったかは分らない。いずれ名も無い出稼ぎの人夫の一人であったのであろうが、昔は普通の橇を用いていたので短い材木しか運べなかったという話であるから、此のバチバチの発明者は材木の雪上運搬の問題には非常な功績を残したわけである。材木の商品価値の向上にこのような偉大なる貢献をしたこの男は、多分親方から御褒めの言葉位は貰ったことであろうが、今きいて見ても誰も名前を知っている人はないようである。
 バチバチのことなどをこのように詳しく書くというのは、実は昨年の冬から、ちょうど良い林学関係の協力者が得られたので、バチ橇の物理的研究という妙な仕事を始めたのである。自分ながら少し妙だとは思うのであるが、始めたのだからまあ仕方がない。物理的研究などといっても別に何も難しいことをするのではなくて、雪橇の抵抗を測って雪質や荷重などとの関係を見るというだけなのである。まあその実験の味噌とでもいうべき点は、本当の馬とバチバチとを使って、本当の材木を積んで、雪山の道へ行って測定をするということででもあろう。昨年の実験は全部協力者のI君がやってくれたので、まだほんの予備的の実験ではあるがかなり面白い結果が出てきたようである。実験器械というのはゼンマイ秤一つだけであって、それを馬と橇とを連絡する鎖の途中に入れて置くと、馬の牽引力がゼンマイの伸びで読めるのである。その牽引力と材木の目方とから抵抗を計算して見ると、驚いたことには、少し雪質が異ると抵抗が二倍も三倍も違うのであった。抵抗が半分になると、同じ馬で二倍の材木が積めるのだから、運賃が従って半分になることになる。いわばゼンマイ秤の針の動きから材木の商品価値が直ぐに分るのである。
 もっともこれはほんの予備的の実験であって、実際は馬の牽く力は一歩々々ごとに違うのである。それにある雪質の場合には、雪が橇に凝着するようなこともあるので、ちょっと休んで動き始める時とか、あるいは歩いている間にも所々で一瞬間馬は非常な力を出さねばならぬことがある。その力が馬の最大牽引力を超過していれば、平均としては十分牽き得る程度の荷重でも動かせないことになる。そういう点を調べるには、どうしてもゼンマイ秤の針の動きを連続的に紙の上に描かすようにしなければならない。ちょうどそういう目的に適うような自動記録ゼンマイ秤というものがあるので、それを用いて今年の冬も大いにバチ橇の研究をやることにした。
 抵抗の測定が完全に出来るようになれば、色々の型のバチバチの性能の比較従ってその改良、雪道の作り方の影響、冬期間の各時期における抵抗の標準、地方による差など、調べることはいくらでも出てくる。そしてそれらの色々の要素の中から搬出費用の極小になる条件を求めれば、それでバチ橇の物理的研究としてまず通用するのである。一々その測定資料を挙げて、これらの実験をすっかり書いたら恐ろしく大部な研究になることであろう。外国にバチ橇があるかどうかは知らないが、独逸ドイツなどの本にも、雪の摩擦係数は零コンマいくつというような呑気なことが書いてあるところをみると、こんな研究をやっていないことは確からしい。一つ間違えば、新聞の地方版に、世界的の研究などと書かれないものとも限らない。しかしこういう「大」研究と、バチバチの発明者の功績とを較べて見たら、公平なところ後者の方が格段に優れていることは問題のないところであろう。バチバチの発明などは、十年雪の中に暮した人でなくてはちょっと出来ないのではないかという気もする。企業家などは、きっと学者なんて役に立たぬものさということであろう。しかし今いったような物理的研究が本当に不必要かどうかは急には分らないことだと自分では思っている。

 十勝の山番の老人が木を大切にする気持の純粋な点は誰にでもよく分る。ところが材木商が木そのものにはあまり愛着を持たず、それを紙幣に換えた時に初めて価値を認めることも決して不純な考えとはいわれないであろう。材木の大切な所以はそれを利用し得る点にあるのだから、利用価値という点のみから材木を見るというのもまた一つの筋の通った見方である。そういう見方のちがいというものは随分色々な所に出てくるもののようである。物理の実験室などでも、不用なものはどんどん棄てて、いつも砥ぎすました鎌のような気持で仕事を進めて行く人もあるし、随分くだらぬ木の端や真鍮板の片のようなものまで溜め込んで、玩具箱をひっくり返したような中で研究をしている人もある。倫敦ロンドンの大学の地下室で実験をしていた頃、三寸か五寸位の針金の切端までちゃんと木箱に入れてしまっておいて、針金が欲しい時には、それをはんだ付けして使っているのを見てひどく驚いたことがある。すっかり感心してその話をしたら、ある人から「随分不経済なことをしているものだね、英国の先生方の月給のことを思えば、金の針金を使っているような気がする」といわれて、またひどく感心した。こう一々感心していたら、自分の場合にはどうしたら良いのか迷ってしまわなければなるまい。もっとも日本の月給では金の針金に相当する心配はないのであるが、それにしても新しく装置を作る時などには、古い器物の部分品を利用して自分で作るか、完備品を買うかという場合にぶつかってよく考えて見るとかえって迷うことがある。
 この問題は物を大切にするということに道徳的意味を付けて考えれば簡単に分る話である。しかしそういう道徳的の意味を離れても、物理の実験のような場合ならば、煙草の錫箔を継ぎ合せて静電場の遮断シールディングに用いたり、針金の切端をはんだ付けして使用したりする趣味に対してはある程度の言訳は立つのである。それはある種の人々にはそういうことが非常に良い頭の休養になるのである。休養という言葉は少し妙なのであるが、読書家が沢山の本を所蔵して、書棚にかこまれることによって「本の雰囲気」に浸るというのと同じような意味での休養なのである。非常に頭の強い人ならば、職工に出来ることは全部職工に任せ、助手の手に合う所は全部助手に頼んで、自分は自分でなくては出来ないことだけをちゃんと遂行して行くという風なことも出来るのであろう。しかしそういう人は結局理想的に考えられるというだけであって、まあ大抵の人ならば、そんな生活を一月もやったら病気になってしまうのではないかと思われる。針金を接いだり、やすりをかけたりするような「休養」がなくては、普通の人だったら、とても長い研究生活などには耐えられないのであろう。よく劇務についている人で、小使や小僧の仕事まで自分でやるといわれる人がある。そういう話をきくと、私には小使にも出来る仕事まで自分でしないではいられないほど過重な仕事を持たされている人のことが気の毒に思われるのである。もっとも非常に傑い人ならばそのような休養を必要としないし、またずるい人ならば外の方法でもっと目立たない手段を用いて休養をとっているので、まずそのような批難を受けずに済むのであろう。しかし大抵の人は少し過重な負担をかけられると、つい細かいつまらぬ仕事までも自分でしなくては気が済まなくなるらしい。そしてそのような人はどこか性格に弱い処があって正直な人なのである。
 こういう風に考えると、たとえば物理の研究などの場合に、本当に自分のやっている実験の意味を考察したり、その理論セオリーに喰込んで考えたりしている時間が本当の仕事をしている時で、実験準備の細々こまごました手仕事などをしている時間は頭に休養を与えているのであるというような結論になりそうである。しかし人間の頭の作用はそのように、本当に働いている時とか休んでいる時とかいう風に分けられるものではないのであろう。器械の埃を拭いながら、その螺子の一つ一つの締め方の手触りを楽しんでいる中に、その器械が自分の思う通りに働いてくれそうな気持になる。そしてそういう気持になる頃には実際器械もちゃんと動くようになるのである。それと同じように、非常に複雑な現象で初めは何が何かちっとも分らないような事柄が、「休養」をしながらぼつぼつと実験をしている中に、暁の空がいつ明けるともなく白んでくるように分ってくるというのが多くの場合研究の完成ということになるのである。昨日までは全く分らなかった現象が、今朝ある霊感を得て一大原理に到達したためにすらすらと解決されたというようなことも、非常な天才の場合にはあるのかも知れないが、普通の平凡なそしてそれが大多数を占めている人々の間にはまずないのであろうと思われる。実際にはあるヒントを得て問題が解決されるということはしばしばあるのであるが、その場合のヒントというのは全く引き金に過ぎない場合が多いのであろう。ポアンカレのような人でさえ、啓示というようなことは結局頭の作用の有鈎原子が互にひっかかったというに過ぎないので、その有鈎原子を活躍させるには相当意識的あるいは無意識的にその問題に頭を突込んでいる必要があるという意味のことをそのフックス函数の研究の経験として述べているようである。もっともこれは岩波文庫の「科学と方法」から手軽に教えられたことであるが、ポアンカレにとってさえ啓示というものがそのような意味のものとすれば、普通の人だったら、まず何よりも有鈎原子に出来るだけ活動の自由を与えるように心掛けることが肝心であろう。前にいったような頭の「休養」の時間も、無意識の中に有鈎原子に活躍をさせている時間とすると、その時間もまた勉強している時間の中に算えることが出来るであろう。
 世の中には頭の良いといわれる人と、鈍いといわれる人とがある。このように考えると、頭の良し悪しという問題は、ごく特別の例外的な人の場合を除いては、精神活動の有鈎原子がひっかかった時に直ぐそれを自覚してその後の仕事を早く纏めるか、あるいはその原子の連鎖が完全に出来てひとりでに事柄が分ってきて初めて気が付くかという位の差に帰するものらしい。それならば単に時間の問題であって、頭の悪いことは何も心配するほどのことではない。研究と限らず、どんな事業でも本当に良い仕事は一生の間にさういくつも[#「さういくつも」はママ]出来るものではないのだから、まあゆっくり針金のはんだ付けでもしながら、研究室の内部の設備でも見廻して、独りで悦に入っているのも一つの趣味として看逃がせないことでもない。
 米粒の中の仏様の問題になると、話は大分変ってくる。しかし研究生活などにも勉強している時と休んでいる時とが本質的に区別の出来ないものであるという見方があるとすると、米粒の中に仏様がいるというような迷信は早く打破しなくてはならないなど躍気になって主張するのも考えものである。畳の上にこぼれた米粒を拾って食べることは衛生上に危険であるとか、一粒の米を産出するに要する労力は殆んど零に近いとか、あるいはその一粒から得られる栄養価値は問題にならないという風な議論は一々もっともではあるが、あまり極端に人間の生活を衛生とか経済とか換算とかいう風に科学的にきざんで考えるのは、ある場合にはかえって本当の科学的の考え方から遠のいてしまうおそれもないでもない。もっとも経済学の原論では人間の生活の中から経済活動の方面だけを抜き出して、その経済人の生活を研究するのではまだ不十分であるという議論もあるそうであるから、何も事新しく述べ立てるほどのことでもないのであろう。
 米粒の中の仏様の話を思い出させてくれたミミーは、こんな人間の議論などには何の関係もなく火燵こたつの上に丸くなって眠っている。そして「ミミーとなくからミミーという名にしましょう」といったこの仔猫の命名者達も火燵の中で絵本の切り抜きに夢中である。ミミーの生活や子供達の生活を見ていると、あの中から自然科学や文化科学や道徳論などをすっかり引き去っても、まだまだそんなものとは較べ物にならぬほどの沢山のものが残されているような気がするのである。
(昭和十三年二月)





底本:「中谷宇吉郎集 第二巻」岩波書店
   2000(平成12)年11月6日第1刷発行
底本の親本:「冬の華」岩波書店
   1938(昭和13)年9月5日刊
入力:kompass
校正:岡村和彦
2017年4月15日作成
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