雨を降らす話

中谷宇吉郎




 人間の力で雨を降らそうという願望は、昔からどの国にもあった。いろいろな祈祷や、雨乞いの歌の話などは、その一つのあらわれである。
 そういう話は別として、科学の力で雨を降らそうという企ても、もうずいぶん前から、いろいろ試みられている。それが最近になって、遂に成功したというニュースが、この頃アメリカから伝えられて来た。リーダーズ・ダイジェストなどにも紹介され、日本でも大分注目をひいている話である。もっともこの話は、いつでも好きな時に雨を降らせるというのではない。大気中に水分が充分あるのに、雨が降らない場合に、人工で降雨を発生させるというのである。
 それではつまらないと思われるかもしれないが、それが実はたいしたことなのである。というのは、大気中には、たいていの場合、水分はかなりたくさんあるからである。よく晴れた日でも、空に全然雲がないという日は、日本などでは、一年に数日しかない。空には雲があるのが当り前と、誰でも思っている。雲はもちろん非常に小さい水滴の集りであるから、水分は充分にあるわけである。
 ところで雲も雨も水滴であるのに、雨ならば降るが、雲は降らないという理由は、極めて簡単である。雲も降るのであるが、その落下速度があまり小さいので、浮いているように見えるだけである。それならば、充分な時間をかければ、雲もやがて地上に届くはずであるが、実際は途中で蒸発してしまうので、水としては地面に達しない。
 雲は直径百分の一ミリ程度の微水滴である。こういう小さい水滴が、何らかの経路で大きくなって、直径半ミリとか一、二ミリとかの水滴になれば、雨となって降って来る。それで人工で雨を降らす術は、結局雲粒をいかにして成長せしめるかという点に帰する。それならば、天然に雨滴が出来る経路を研究して、その機構を人工的に加速してやればよいということになる。
 ところが、この天然に雨滴が出来る機構がまだよくわかっていない。これくらい科学が発達したのに、「どうして雨が降るのか」という小学生の質問に、世界中の気象学者と物理学者とが、総がかりでも答えられないというのは、極めて奇妙な話であるが、実際のところ、まだよくわかっていないのだから仕方がない。地面から水蒸気が蒸発して、上空に上って行く。上空はいつでも寒いから、その水蒸気は、何か芯になるものに凝縮して雨になる。というふうに、一般にはいわれている。そして教科書などにも、そのようによく書いてある。しかしこれは間違いであって、この経過で出来るものは、雲である。即ち直径百分の一ミリ程度の微水滴が、このようにして出来る。ところがこの微水滴が、さらにどういうふうに成長して、雨滴になるかは、まだわかっていない。
 微水滴が、そのままだんだん成長して、大粒の水滴になれば、一番話は簡単であるが、そういうことは起り得ないということが物理学の方でわかっている。今までに知られている一番無難な可能性は、こういう小さい水滴即ち雲粒が、互いに衝突によってくっつき合って、大きくなるという説である。
 これは、主としてドイツの気象学者たちが唱えだした説であって、この説に有利な観測事実も、かなり沢山出ている。しかしドイツ以外の国での研究では、必ずしもこの説に有利な結果にはなっていない。日本などで調べた結果も、否定的に傾いている。しかしこの説に従うような降雨の存在も予期されるので、大気に攪乱を与えて、雲粒を結合させようという線での実験は、今までに少なくも数回は試みられている。
 この考えを助けるものとしては、大戦闘のあとによく大雨が降るという話が伝えられている。ウォータールーのあとでもそうであったという。このいわば伝説を確かめるための一番大がかりな実験は、アメリカでもう五十年も前に試みられている。雲粒結合の理論が出たよりもずっと昔の話である。テキサスの沙漠地帯で一日がかりで、雲を砲撃したことがある。無数の大砲弾の他に、爆弾を四百七十五発爆発させ、爆発性のガスをつめた気球を六十八個とばし、合計六百五十トンの火薬を消費する大実験を行なった。この場合は、一日中このようにして雲を撃って、夕方になって、ようやく二、三滴の雨が降ったという話である。日本でも、明治の中期頃、九州に大旱魃があった時に、師団に頼んで実弾演習をしてもらったことがある。その時は、全然雨が降らなかったという記録が、旧い『気象集誌』に出ている。要するに、大気に単なる機械的攪乱を与えて、雨を降らそうという試みは、まだ成功した例がないようである。
 大気の攪乱の他に、帯電した砂を雲の中にまいて、それで雲粒を結合させようという実験も、方々で行われた。巧く正帯電の雲粒と負帯電の雲粒とが出来れば、互いに結合してもいいわけである。或いは帯電の作用で水滴の蒸気圧が変化して、そのために水滴が成長するというようなことが、起るかもしれない。一九二六年に、ロサンゼルスで、二人の技師が、高い塔を作り、そこから放電を起して雨を降らせたという話があった。またドイツでも、霧をはらすために、飛行機から帯電した砂をまいたら、雨が降ったという実験があったそうである。しかしこれらの実験は、皆断片的なものであって、組織立った研究とはいえないものである。
 ソ連では、この方面の研究に、かなり力を入れているらしい。ソ連については、イリーンの通俗科学書による知識しか得られないのであるが、それによると、レニングラードの実験気象研究所では、人工降雨の科学的研究が、組織的に進められているらしい。その他にもトルクメニアの沙漠の中には、降雨研究所というのが出来ているということである。所長は物理学者のフェドセーエフであって、一九三一年に、既に煙幕弾を用いて、二千立方メートルの帯電した煙を空へ放ち、八分間続いた降雨を得たという話である。
 トルクメニア降雨研究所では、その後この方面の研究をつづけ、フェドセーエフとその研究所員たちは、化学的方法にも一応の成功をみたということである。十年くらい前の報道では、「飛行機が雲の上から、特にこのために研究所が発明したところの、一部分は極く細微な粉末状の、また一部分は溶液を霧にしたような化学的物質をまき散らす」実験をした。この実験を開始してから約七分経ったら、灰色の密雲の中に明るい帯が出来、それが雲全体に拡がった。やがて雲が一面に乳白色を呈し、その雲が明るくなるのと同時に、小粒の雨が降り出した。それが次第に繁くまた大粒になってきて、最後には自然の降雨と同じような雨が降ったということである。
 この種の実験は、何回もくり返して行われ、九十パーセントまでは成功したという。しかしその後ソ連におけるこの方面の研究は、知る由もない。或いは秘密にされているのかもしれないが、立派に実用化されるまでには、成功していないように思われる。
 以上の話は、雲の粒即ち微水滴を結合させて、或いは成長させて、大粒の水滴を作るという線に沿っての研究である。ところが、降雨の機構については、全く別の話がある。それはいわゆるベルゼロンの説であって、上空が零度以下の低温になっている場合、其処で雪の結晶が出来、それが地表近くの暖かい気層へ落ち込んで来た場合に、融けて雨となって地表に達するというのである。この場合ならば、雪がどうして出来るかということがわかれば、あとは問題がない。夏でも六千メートルも上がれば、充分零度以下になっているから、寒さの方にも問題はない。
 もう十年くらい前の話であるが、人工雪の実験が出来上がって間もない頃、岡田武松先生が、私達の低温室を訪ねられたことがある。一通り実験を見て、低温室を出られたあと、先生は「今度は雨だね。雨が出来たら大したことだから」といわれた。それで「この結晶を低温室の外へ持ち出せば雨になりますが」というと、「なるほどね」と大笑いになったことがある。
 もっとも岡田先生の真意は、ベルゼロンの説の適用出来ない場合の雨を含めての話である。比較的低い雲から雨が降ることもしばしばあって、その場合は、上空が零度以下であるとは、どうしても考えられない場合がある。結局、雨の降る機構はまだよくわかっていないので、雪か霰かが融けて出来た雨もあるが、そうでない場合もあるということになる。
 人工降雨の場合には、雨さえ降らせばよいのであるから、ベルゼロン流の雨を降らす企てがあってもいいわけである。その方ならば、いかにして人工で雪を作るかということがわかれば、それでよいことになる。それならば私たちが、この十年来やって来た実験である。しかし私たちの人工雪の研究は、結晶の形とその生成条件との関係を、主として調べたもので、最初に雪の結晶がどうして出来始めるかという点にはふれていなかった。
 普通には、水は零度で凍るといわれている。しかしこの表現は非常に拙いので、水は零度では決して凍らない。氷と水とを接触させておいた場合、凍結が進行もせず、融解も起らないという温度があって、それが零度なのである。別の言葉でいえば、氷の芯があれば、水は測定し得ないほどほんの少し零度より低い温度、即ちほとんど零度で凍結するのである。
 極めて簡単な実験は、試験管の中に蒸溜水を入れ、その中によく洗った寒暖計を立てて、それを氷と塩とで冷やしてみれば、すぐわかることである。寒暖計は零下三度くらいまで下がっているのに、水は液体のままでいるのが普通である。こういう零度以下でも液体の状態になっている水を、過冷却の水という。この過冷却の水に、小さい氷のかけらを一つ入れてやると、全体がほとんど瞬間的に凍ってしまう。過冷却の状態は、水滴が空中に浮かんでいる場合に、最もよく起りやすい。冬の上空にある雲は、もちろん零度以下である。しかしあの鼠色に見える冬空の雲は、ほとんど全部過冷却の水滴のままでいるもので、氷の粒になっている場合は極めて稀である。もっともずっと高いところにある、刷毛ではいたような形の雲は、氷の粒の雲である。この過冷却の水滴から成る雲を雨雲と呼び、氷の粒から出来ている雲を氷雲と呼ぶことにする。
 氷雲の粒は氷の極めて小さい結晶である。これは氷晶と呼ばれている。この氷晶と雪の結晶とがどう違うかというと、それは単に大きさだけの問題である。雪の結晶はもちろん氷の結晶であって、その大きさは、六花のごとく普通の型のものでは、直径二、三ミリくらいのものが多い。ところが氷晶は、直径百分の一ミリ程度の極めて小さいものである。丁度雨雲の粒と雨滴との関係が、氷雲の氷晶と雪の結晶との関係に相当するわけである。
 雪の結晶の出来方は、次ぎのように説明される。初めに氷の極めて小さい粒、即ち氷晶が出来て、それが氷雲を作る。この氷晶が極めてゆっくりと落ちて来る間に、水蒸気が飽和以上にある気層へくると、その氷晶に水蒸気が凝縮し、その時の条件によっていろいろな形の結晶になる。結晶が相当大きくなると、落下速度も大きくなるのでどんどん降って来るのである。
 ところで私たちの人工雪の研究では、この氷晶が最初にどうして出来るかという点については、全然触れなかった。雪の結晶を充分発達させるためには、三十分くらいから数時間の間、結晶を空中に吊しておく必要がある。それで兎の腹毛の上に雪の結晶を造って、この毛で吊したのである。兎の腹毛の上には、極めて小さい瘤がところどころにある。それが芯になって、まず氷晶が出来るのである。暗い低温室の中で顕微鏡を覗いていると、毛の一点が、ピカリと光り出す。これが氷晶なのである。氷晶が出来てからあと、気温と水蒸気の供給度とをいろいろ変えてやると、それぞれの条件に従って、各種の雪の結晶が出来て行く。その雪の結晶の形と、生成条件との関係を調べるのが、私たちの主な研究課題であった。
 この方は、私たちの教室の花島博士が、非常に根気のいい実験を三年近くもつづけて、やっと一応のことがわかった。今度の戦争中のことである。それで最初の氷晶がどうして出来るかということがわかれば、雪の結晶の出来かたは、完全に解明されることになる。そしてこれをやったのが、スケネクタディにあるG・E研究所のシェファー博士たちである。その最初の実験は、終戦の翌年に行われた。
 シェファー博士は、G・E研究所で、ラングミュア博士の研究室に属している。ラングミュア博士は、もう七十歳の老先生で、三十年近くも昔に、単分子層の研究で、ノーベル賞を貰った有名な化学者である。化学者ではあるが、いろいろな方面に興味をもった人で、この頃はすっかり気象学者になっている。シェファー博士は、まだ四十歳にもなっていないくらいであろう。極めて簡単な装置を使って、非常に面白い実験を次ぎ次ぎとやる点で、アメリカの学者仲間でも、評判になっている人である。
 シェファー博士が、最初に氷晶を作った実験というのは、極めて簡単なことである。家庭用の旧式な電気冷蔵箱に、上蓋式のものがある。二尺に三尺くらいの四角な箱で、その底に冷却管が配置してあって、それに上蓋がついているだけのものである。冷凍装置を働かせながら、上蓋をまくっておく。すると冷たい空気が箱の中におどんだ状態になる。底に近い空気は、零下三十度近くまで冷え、上部は室内にあいているので、常温近い空気になっている。上が暖かいのであるから、冷蔵箱内の空気はこのまま安定な状態になって、おどんでいるわけである。
 そういう冷たい空気の中に、息を吐き込むと、息は白い湯気のようになる。寒い冬の朝、外に立って息を吐くと、息が白く見える。あれと全く同じことである。この湯気は、零下三十度くらいまでも過冷却した微水滴のままでいて、氷の粒にはなっていない。部屋を少し暗くして、電燈光のビームで照らして見ても、にぶく白く光っているだけである。氷晶ならば、きらきらと結晶面が光るから、氷だということがすぐわかる。ところがこの時に、液体空気で冷やした銅の小さい棒を糸でつるして、それを冷蔵箱の中で、ぶらぶらさせてみる。すると急に、白い湯気の中に、きらきら光った点が見え出して来る。それだけのことであるが、これが、過冷却の微水滴を氷晶にかえた最初の実験である。
 問題は液体空気で冷やした銅の棒の作用であるが、第一に考えられるのは、温度の問題である。水は氷と接触していない限り、零度では凍らないというが、氷さえなければ、零下百度までも過冷却の水になっているか。そういうことはありそうもない。或る限度の低温になると、氷が無くても、過冷却の水は突然に氷にかわるのであろう。そういうことがあれば、それが本当の水の凍結温度なのである。
 それで銅の棒を零下のいろいろな温度に冷やして、それをぶらぶらさせてみた。そしたら銅棒が零下三十九度より温かくては氷晶が出来ないが、それより一寸低温であれば、いつでも氷晶が出来ることがわかった。それならばドライアイスの昇華点は、零下七十八度であるから、その粉をまけば、過冷却水滴を氷晶にかえるには、充分な低温のはずである。それで冷蔵箱の上で、ドライアイスの塊をナイフで一寸削って、その粉を湯気の中に落してみると、果してきらきらと光り出した。ドライアイスは、炭酸ガスの「氷」であるが、この場合は炭酸ガスの化学成分が效くのか、低温が效くのか、或いはその両者かもしれない。
 その点を確かめる実験も為された。空気には、急激に膨脹させると温度が下がるという性質がある。それで急激膨脹で氷晶が出来るか否かを実験した。といっても、何もむつかしい装置を使ったのではなく、薄いゴム膜を拇指と人差指との爪の先でひねって、南京玉くらいの小さい球をつくる。それをぎゅうぎゅう絞って、ゴム膜が透明になるくらい薄くなった時、冷蔵箱の底に近い所で、爪で押して、パチンと潰す。すると、きらきらと氷晶が見え出すのである。ゴム膜の小さい球が破裂する時の急激な空気の膨脹で、温度が下がるからである。だから或る限界以上の低温になれば雲粒が氷晶にかわることは確かである。
 シェファー博士のこういう研究が発表されてから、方々でこの限界温度の測定が為された。英国では、低温室の中で、ウィルソン霧函を膨脹させ、初めから微水滴でなくて氷晶が出現する温度を決める実験をした。そして水の凍結温度が、零下三十七度付近にあることを確かめた。水の氷点は零度であるが、凍結温度は零下三十七度なのである。もっともこれは空中に浮いている小さい水滴の凍結温度であって、器に入れた水の過冷却限界は、今までのレコードが零下二十度くらいである。
 過冷却水滴を氷晶にかえることが出来れば、雨雲を氷雲にかえることが出来るはずである。それでシェファー博士らは、零度以下の低温にある過冷却した雨雲の上から、ドライアイスの粒をまいてみた。するとそのまいた道に沿って、雨雲が氷雲にかわって雲の色と濃さとが、判然と違って来た。ドライアイスは、粉をまくのではなく、粒をまけばよい。小砂利くらいの粒が、雲の中を落ちて行く間に、周囲の空気を冷やし、さらに後に述べる結晶核をたくさん与えるので、過冷却の雲粒を氷晶にかえる。そして自分は昇華蒸発をしてしまう。雲の厚みを落ち切った時に、昇華蒸発を完了するくらいの大きさのドライアイスの粒が、理想的なわけである。
 こういうふうにして、雲の中に氷晶が出来るが、この時、全部の雲粒が氷晶にかわるのではない。ドライアイスの粒の落下した道に沿った雲粒だけが、氷晶にかわる。水滴が氷になると、一グラムについて八十カロリーの割合で潜熱が出る。また雲の中にドライアイスの粒で冷やされた部分と冷やされない部分とが出来るので、大気中に温度の複雑な分布変化を生ずる。それが雲の中に細かい擾乱を生ずるので、過冷却水滴と新しく出来た氷晶とが、入り混じった状態の雲になる。
 こういうふうになると、大変巧いことが起る。というのは、同じ温度、例えば零下十度でも、過冷却した水と氷とでは、飽和蒸気圧が違い、氷の方が低いのである。それで過冷却水滴から水蒸気が蒸発して、それが氷晶の上に凝縮を起す。即ち水滴は蒸発して、氷晶が肥るのである。その結果は、沢山の雲粒が消えて、大きい氷晶、即ち雪が出来ることになる。そうなれば地上に落ちて来るので、これで雪を降らすことが出来るわけである。地表近いところが暖かい時は、この雪はとけて、雨となって降って来る。雲粒を互いにくっつけることは困難であるが、一度雪にかえれば、結果として、雲粒をたくさんくっつけて大きい雨滴にしたことになる。これが現代の人工降雨術である。
 話は大変巧いし、また事実シェファー博士たちは、もう三年も前に、雨雲を氷雲にかえる実験には成功していたのである。ところが、それで雪なり雨なりが、どんどん降ったかというに、実はなかなか降らなかった。氷晶までは巧く出来るのであるが、それが雪の結晶に成長するという第二段の現象が、巧く起きてくれなかったからである。それで極く最近までは、アメリカでも、この新降雨術は、あまり評判がよくなかった。
 その間シェファー博士たちは、ドライアイス以外の方法で、氷晶を作る研究も行なっていた。ドライアイスは、蒸発し切るまでの短時間内だけしか有效でない。それでもっとずっと長い間空中に浮游していて、いつでも過冷却の雲粒にくっつくと、それを氷晶にかえるようなものが無いかと探してみた。
 過冷却の水は、普通に試験管内で実験すると、零下三度ないし五度くらいで、突然に凍ってしまう。とても零下三十七度まで過冷却させることは出来ない。この場合はほとんど全部、器壁から氷が出来始める。それで壁についている眼に見えないような小さい塵埃が芯になって、最初の氷粒が出来、それが出来ると、「氷と接触」する条件になるので、あと全部の水に凍結が伝わるというふうに説明されて来た。
 それならば、過冷却した水滴に、塵埃を付着させると、その刺戟で氷晶になるはずである。この場合も過冷却は必要であるが、零下三十七度というような低温は不必要で、例えば零下十五度とか十度とかいう寒さでよいであろう。試験管内では零下三度くらいでも凍るのである。
 この線に沿って、いろいろな塵埃を過冷却した雲粒にくっつけて氷晶を作る実験を行なった。これを「種蒔きシーディング」といっているが、水滴が直径百分の一ミリくらいの小さいものであるから、種の方は、そのまた百分の一ミリくらいの極微な塵である必要がある。冷蔵箱内の温度をいろいろな低温にしておいて、その中に息を吐きこみ、その湯気の中に各種の微粉をまいてみた。そして零下十度くらいで氷晶が出来るような粉がないかと、探したのである。
 煙草の煙、各種の土の埃、いろいろな薬品の粉末、その他あらゆる粉を、合計何十種もためしてみたが、なかなかそういう粉は見付からなかった。ところがそのうちに気のついたことは、氷と同じ結晶型の物質を使ったらどうかという点である。結晶系と結晶格子の大きさとが、氷とよく似ていれば、水の分子は、氷の結晶かと思って凍りつくかもしれない。そういう考えでいろいろ探してみると、沃化銀が、氷と同じく六方晶系に属し、かつ結晶格子の大きさも、一パーセントくらいしか違わないことがわかった。この粉は非常に細かくて、電子顕微鏡で辛うじて六角形をしていることがわかるくらいである。
 この沃化銀の粉を使ってみたら、果して非常に有效であった。零下五度くらいの過冷却水滴に、この粉を種蒔きすると、大部分が氷晶にかわることが確かめられた。零下十度ならば完全に全部氷晶になってしまう。零下五度や十度くらいの低温ならば、自然界でも少し上空には、いつでも存在する。それで沃化銀をまけば、ドライアイスで冷やす必要はなく、自然の低温そのままでよいことになる。更にいい点は、粉が細かいことで、一ポンドも蒔けば、何百平方マイルにも散らばすことが可能である。実際にやるには、特殊の噴霧器で、飛行中の飛行機からまくのが一番いいのであるが、地上で噴出させて、上昇気流に乗せて、簡単に上空に送り上げることも出来る。その噴霧器も、優秀な性能のものが考案された。
 ドライアイスの実験も、沃化銀の実験も、その後数回くり返された。しかし実用的の結果はあまり面白くなかった。稀に雨が降ることがあっても、たいていは量が足らず、また果してこのために降ったかどうかわからない。百発百中ではないのだから、たまに巧く雨が降っても、それは丁度雨が降る時であったのだといわれれば、反駁のしようがない。
 昨年の夏、スケネクタディにシェファー博士を訪れた時は、この人工降雨術がまだ不評判な時であった。いくらアメリカでも、飛行機を使う実験は、そう頻繁には出来ないから、シェファー博士の方では、その後研究があまり進捗しない。ワシントンの中央気象台の方からは、同じ実験を何度もくり返したが、結果は否定的である、少なくも経済的には成り立たないことは確かだという大部な報告が出る。新聞は面白がって、はやし立てる。一昔前の日本で、大学と気象台との「震源地争い」が、新聞の好餌になったのに一寸似ていた。
 もっとも気象学者の中にも、味方はあった。パサデナのアメリカ気象研究所を訪ねた時、所長クリック博士は、肯定的な実験結果を知らせてくれた。この研究所は、昨年初め頃出来た新しい研究所で、加州工科大学が終戦後気象学科を廃止したので、そのメンバーが集まって作った研究所である。国立でもなく、商業的コマーシャルな研究所だという話であった。局地的な天気予報を出したり、工場建設の際に気象条件を調べてやったりして、それを商売にして成立している所だということである。
 クリック博士の研究は、そういう所だから、飛行機などはもちろん使えないので、地上で沃化銀をまくという極めて金のかからぬ実験である。痩尾根やせおねとまでは行かないが、なるべく幅の狭い山脈を選び、その風上側八合目くらいのところに、噴霧器を設置して、沃化銀の粉を風に乗せて吹き出してやる。粉は山越の気流に乗って、かなり高くまで上がり、傘雲の中の雲粒に種蒔きされる。山脈を越した風下側の平地に、山脈に並行に、たくさんの雨量計を並べておいてみると、沃化銀を運ぶ気流が通ると推定される場所の付近が、雨量が一番多いという結果になった。
 この研究方法は、飛行機を使う場合ほど直接的ではないが、金がかからないので、何十回でもやってみることが出来る。それで一番有效な人工降雨条件を探すには、いろいろな気象状態の時にこの方法を試みてみるのが、一つの巧い方法である。氷晶が出来ることは確かなのであるが、それが雪の結晶に成長するのに有利な気象条件を知ることが、残された問題であったのである。
 私たちの人工雪の研究が、丁度それにあたっているわけであるが、自然界へ応用するまでには、まだいろいろやってみなければならないことが沢山ある。むしろ低温実験室の中で、実験的にわかった条件を指導方針にして、クリック博士流の野外実験をやってみるのが、一番悧巧なやり方であろう。
 人工降雨の実験は、昨年の夏頃が一番不人気な時期であったようである。しかしその後も、方々で実用化試験が引きつづいて行われた。アメリカの西半分を占める広大な地域は、沙漠または半沙漠地帯である。年中特に春から秋にかけては、ほとんど雨が降らない乾燥し切った土地である。そういうところでは、もし人工で雨を降らすことが可能ならば、文字どおりに人力で自然を征服することが出来る。それは大変なことである。それで実用化試験は、主としてこの沙漠地帯で行われた。そのうちでも、一番大がかりなものは、昨年七月二十一日に、ニュー・メキシコ州で行われた実験である。
 その前にも、昨年の一月に、ハワイでドライアイス法によって七十三ミリの雨を降らすことに成功したという報告がある。しかしその時は、世間もあまり注意を払わず、また気象専門家の間では、黙殺されてしまった。前にいったように、ドライアイスを撒かなくても降ったかもしれないからである。
 ニュー・メキシコ州での実験は、リーダーズ・ダイジェストの九月号に紹介されているが、この時は、沃化銀の粉を撒いたのである。沃化銀は、化学操作によって作るので、出来たばかりの粉は、表面が極微量の不純物で蔽われているらしい。普通の粉のままで使ったのでは、效果が少ないので、空中に撒布する直前に、一度灼く方がいい。それで噴霧器で吹き出し、水素の焔を通して灼いてから、撒布する。この噴霧器付きの燃焼装置を、沙漠の中に設置した。この装置の研究は、やはりラングミュア研究室のヴォネグート君が担当し、もう二年も前に完成していたのである。
「この朝、日の出直後から、彼らは摂氏約一千四百度の高熱で燃える水素の焔の中に、沃化銀を加えはじめた。微細な結晶が、目に見えない蒸気となって、雲一つない空へ立ちのぼっていった。そして時速十六キロの北風に乗って運ばれた。この蒸気は二時間半ばかりで、四十キロの南方にあるムンザノ山脈に達するだろうと科学者たちは計算していた。果して午前八時三十分になると、山脈の肩の上にただ一つ大きな積雲が、ぽっかりできはじめた。」この雲が雨雲であるか、氷雲であるかは、これだけの記載ではわからないが、ぽっかり積雲が出来たのならば、雨雲であろう。
 この雨雲は次第に上昇する。地上ではその後も引きつづいて沃化銀の蒸気を送り出している。さらに一時間半発焔噴霧器を働かしつづけると、その雲が崩れ出して、やがて「稲妻が閃めき豪雨が降ってきた」そうである。
 この時の雨は次第に拡がって、ニュー・メキシコ州の大部分の土地に降雨があった。そしてこの雨によって、今まで沙漠の中に旱上がっていた河床は、一時的に再び川の形にかえった。種蒔きを始めてから三十時間のうちに、ガリステオ川だけでも、合計約二十五億リットルの水が流出したそうである。
 アリゾナ州も、全州ほとんど熱砂と岩山との土地である。農民にとっても、水力電気会社にとっても、都市居住者にとっても、水は何よりも貴重な資源である。人工降雨を依頼された現代の魔術師たちは、この乾燥し切った地域の気候、川の流量、貯水池の水位などを、過去十五年間に亘って、統計的に調べた。そして適当な気塊が、近くの分水嶺の上にくると、契約してあった二人の飛行士に出動を命じ、ドライアイスと沃化銀とで、雲を攻撃させた。
 雨は降り、沙漠の中の川に水が流れ、貯水池の水位は日毎に上昇した。一季節間に、過去十五年間の統計では、六千三百万立方メートルの増水が期待されるところに、五億立方メートル以上の水量増加を来たしたという。この水は十六万八千ドルの価値があるが、人工降雨のための総経費は、三万ドルであったと報じている。
 この人工降雨術が、本当に実用化され、人類が気候を征服出来るようになれば、それは確かに現代の魔術の一つである。この最近の降雨術をもって、ラングミュア博士は、「人力で天気図を変更する」ことを夢みている。それに対しては、肝腎のアメリカの中央気象台が、まだ否定的、少なくも消極的態度をとっているので、科学的にその基礎が確立されたとはいえないかもしれない。一番の難点は、地球表面という「人工のもの」とは比較を絶した広大な面積と、颱風などの持っている勢力エネルギーの、これも想像を絶する莫大な量との問題である。
 しかし現在の発焔装置でも、一台で、六百五十平方キロ以上の地域に、沃化銀をまくことが出来るから、その威力には、まことに驚嘆すべきものがある。それから天候の支配には、その全勢力を打ち消す必要はないので、引金作用を与えて、大気の持っている勢力を、巧くそらすことが出来れば充分なわけである。例えば雹を止めるには、積乱雲発生の初期において、人工でその雲の中に雨か雪かを降らせて、その頭を一寸押えればよい。これはラングミュア博士の提言によって、数回の実験が為され、かなりの效果を納めたというのである。
 九月上旬の新聞紙は、シェファー博士が、国連に、世界各国の科学者が協力して、天候を支配することを提議したと報じている。如何にもシェファーらしい提言と微笑されたのであるが、私はこれを全くの夢物語とは思っていない。
(昭和二十五年十一月)
付記
 降雨生成の機構が今だにわからないといったが、一九五〇年あたりから主としてアメリカで、この方面の研究が非常に盛んになり、雲粒結合の理論がたくさん出て来た。近いうちにこの問題も一応の解決を得ることであろう。それにしても今頃、世界中のこの方面の学者が大勢かかって、雨滴がどうして出来るかという研究をしているのは、一般の方々には却って意外なことであろう。





底本:「中谷宇吉郎随筆選集第二巻」朝日新聞社
   1966(昭和41)年8月20日第1刷発行
   1966(昭和41)年9月30日第2刷発行
底本の親本:「日本のこころ」文藝春秋新社
   1951(昭和26)年8月15日発行
入力:砂場清隆
校正:岡村和彦
2020年11月27日作成
青空文庫作成ファイル:
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