稲の一日

中谷宇吉郎




 一日が二十四時間であることは、人間ならば、子供でも知っている。しかし稲がそれを知っているかどうか、それは多分稲専門の農学者にも、よくわかっていないであろう。
 稲がもし一日が二十四時間であることを知っていたら、話はそれでおしまいである。しかしもし稲がそれを知らないとしたら、これは大変な大問題にまで展開する話である。少し大袈裟にいえば、七千八百万の日本民族の生死にかかわる問題が、その点にかかっているといえないこともない。
 少し話が唐突のようであるが、少しく説明すれば、誰にも理解される簡単な話である。早稲について考えてみて、籾をまいてから米の出来るまで、例えば四カ月かかるとする。この百二十日で米が穫れる場合、稲はその百二十日という日数を何によって知るかが問題の焦点である。稲がカレンダーを見るわけではないから、百二十日の日というのは、あまり問題にならないであろう。
 此処で問題は二つに分れる。その一つは、百二十日間の時間、即ち二千八百八十時間(24×120=2880)という時が必要なのであるか、或いは夜昼が百二十回くり返すことが必要なのであるか、そのいずれかであろう。もし前者であるとしたら、稲が一日が二十四時間であることを知っていることになる。ところがもし後者であったならば、稲が絶対的の時の長さというものを知っている必要は無いので、ただ温度と照射との変化が、百二十回くり返されたことを知っていればよいことになる。われわれの知っているこの地球上で、日変化をするものは、温度と明暗ばかりでなく、気圧、イオン量、その他いろいろな要素があるが、話を簡単にするために、その中で最も重要らしい二要素、即ち温度と照射だけを採り上げて考えてみる。もし必要があれば、その他の要素についても同様に考えて行けばよい。
 種から芽が出て、それが生長をして、炭酸ガスと水とから澱粉を作る。この神秘な作用は、生命という不思議な力の賜物である。一つの生命が、自分の生長をして、さらに次の時代の生命を作るという神秘な過程を完了するのに、或る一定の時を要することは、疑う余地のないところである。しかしその時というのが、物理現象などを支配している時とは、少しばかりちがうのではないかということは、一応考えてみてよいことである。
 例えば東北や北海道などで、普通の苗代時期に籾をまくと、水温は十度を一寸越した程度であって、発芽には十日くらいかかる。ところが水温を四十度に上げると、一日で立派に芽が出て来る。即ち発芽に要する時間は、外界の条件によって、十分の一くらいに縮めることが可能である。
 この考えを進めて行って、もし稲をその各生長段階において、最適の条件に保ってやれば、籾をまいてから米の出来るまでの期間を、ずっと縮めることができるはずである。事実それは縮められるのであるが、その方の専門学者の話によると、何にしても相手は生命力のあるものであるから、いくら外界の条件を最適に保っても、生長はするであろうが、そう勝手に結実までの期間をひどく縮めることは出来ないであろうということである。
 それは如何にもそのとおりであろう。しかし私には、稲の生命力が一日が二十四時間であることを知っているようには思われない。そこで一つやってみたい実験がある。
 それは温度と照射とを自由に変化し得る恆温箱を作って、その中で、稲の壺栽培ポットカルチュアをする実験である。温度といっても、稲の場合は、気温と水温とがあるが、まず水温を自由に変化し得るような装置を作れば、箱の壁の断熱さえよくしておけば、気温は大体水温と似た値になる。それで初めての実験では、水温さえ支配してやれば充分であろう。水温を任意の値に保ったり、或いは必要な温度の上下に、必要量だけ変化させることは、電熱を使って、自動的に作動する装置を作れば簡単に出来ることである。例えば三十度に六時間保って、次に二十度に下げて六時間保ち、さらに三十度にするというようなことを、自動的に調節させる装置は、少し厄介な機構が要るが、原理は簡単である。厄介な機構といっても、目覚時計を一つ買って来れば、あとは手細工で出来る程度の装置である。
 照射の方は、実は夜昼を人工的にくり返すというのが目的なので、日光と同じ性質の光を人工で作って、それを或る一定時間ごとに、照らしたり消したりするのである。植物の同化作用には、幸い緑や黄色の光線、即ち普通の電燈の光が一番よく効くので、無理に太陽の光と同じ性質の光を作るまでもないであろう。温室の硝子越しの日光では、紫外線は殆んど全部硝子に吸収されてしまっているが、それでも結構メロンや苺が出来ている。それで少し光の強い電燈と、それに念のために、紫外線を出す水銀燈とを併用すれば充分であろう。そういうランプの光を必要量だけ所要期間中与えることは、水温の調節の場合よりもさらに簡単である。
 そういう装置が出来たら、その箱の中で稲の栽培を始める。水温は最適と思われる温度、最初は例えば三十度を中心にして、上下十度くらいの幅で変化させることにする。まず一日を十二時間に縮める実験をしようと思えば、六時間だけ水温を三十五度に保ち、その間は電燈の照射を与え、次の六時間は電燈を消して、真暗にして、水温を二十五度に下げる。即ち一日の日変化を真似た変化を、十二時間中に与えるのである。
 問題は稲がこれでだまされるか否かである。もし十二時間で生ずるその変化を、一日だと思ってくれれば、そういう変化を百二十回与えれば、稲は四カ月経過したと思って、米を作ってくれる。ところが実際は二カ月しかかかっていないわけである。それで栽培期間が半分に縮まり、年六回の収穫が得られることになる。
 この場合、稲の全生涯にわたって外界から与えられる勢力エネルギーの総量のことは、まず問題にならないと考えられる。いつでも最適の条件に保たれているので、二倍くらいの勢力の吸収はわけないであろう。現に十日間かかって発芽するものを、水温を上げるだけで、一日に縮めることが出来ている。満州の北方では、小麦など初めのうちはひどく生長が悪いが、七月になると急に発育して、一寸留守をしているうちに見ちがえるほど伸びていて驚くことがあるそうである。先輩の言葉によれば「作物は急ぎますから」大丈夫である。稲の場合でも、積算温度が大分重視されているが、特に限界気温を割るようなことさえ無ければ、大体は積算温度が生育を支配するとみてよい。気温十五度の二日と、三十度の一日とは、積算温度は同じであるから、この点からみても大分有望である。
 こういう装置の中で栽培をするとなると、さらにいろいろな便宜がある。発芽してから穂が出るまでの期間、即ち栄養生長期間は、日光が沢山あたった方がいいので、昼を長くして夜を短くする方がよいであろう。例えば八時間くらい照射して、次に四時間暗くして休ませるというふうにすれば、どんどん生長するであろう。四時間の休養で充分か、五時間にした方がよいかというようなことは、いろいろ実験してみれば、わけなくわかることである。
 長日短夜で必要程度まで栄養生長をさせたら、今度は短日長夜に自動装置を切り換える。稲は短日性の植物であるから、日が短くなると、慌てて穂を出して生殖細胞を作り、大急ぎで米を作るはずである。こういう点を一つ一つ細かく調べて、最適の栽培方法を選べば、二カ月よりもっと早く米が出来ないとも限らない。
 それでは一日を十二時間にせず、八時間くらいにしたら、収穫までの期間を三分の一に縮めることが出来るかもしれない。さらに六時間にしたら四分の一、その流儀で行けば、見る見るうちに米が出来ることになる。そんな馬鹿なことが出来るはずはない。こういう生物の生長を支配する時間の中にも、物理的な時の要素も、もちろんはいって来る。例えば根の細胞膜を透して、肥料成分が瀰散ディフュージョンに類似の経過で吸収される速度などの中には、物理的な意味での時がはいっている。肥料の吸収と限らず、植物体内の成分の移動などには、この瀰散的な経過が到るところで生じているはずである。それで稲の一日を縮めるのに、或る限度があることはもちろんである。そういう点も大切な研究題目になることであろう。
 夢のついでに、この実験が成功裡に完遂されたとする。そうすると、話が面白くなって来る。この作米装置の中で六毛作が出来るとなると、どれくらいの面積があれば、人間が一人生きて行けるかという問題を計算してみたくなる。
 それには現在の水田を使って、天然の風雨にさらさせながら、最も沢山の収穫をあげた例をみる必要がある。専門外のこととて、充分な資料は調べられないが、反当り二十俵を一寸越した例があるそうである。そうすると理想的な条件の下では、反当り二十二俵即ち一坪当り三升の収穫というのは、そう無理な話ではない。ところでこれをその五倍に上げられないかと考えてみよう。
 第一に考えられるのは、思い切って密植することである。加藤完治氏の話によると、苗を一本植えにして一坪に四千本植えてみられたことがあるそうである。結果は非常に良好で、内原のあの地味の良くない湿地帯の水田で、反当り十五俵とかの収穫をあげたことがあるという話であった。もっとも一坪に四千本も植えて、それぞれを普通に分蘗ぶんけつさせては、穂と穂とがぶつかって、穂だらけになってもまだ余ることになろう。それで加藤氏は、思い切って深植えにして、分蘗をなるべく少なくさせて、親穂で主な収穫を挙げることを狙いとされ、それが巧く成功したのである。
 親穂の方が、分蘗して出来た第二位、第三位の穂よりも、粒の数が多く、従って密植して親穂で収穫をとる方が増収になるのは、この方面では常識になっていることである。しかしこの方法には、普通の場合ならば一寸危険な点がある。それは丁度全部の穂が一斉に出揃った一番肝腎な時に、一寸気候条件の悪い時期にぶつかると、全部が一遍に駄目になってしまう。ところが親穂や分蘗穂の各種のものがまじっていると、開花や登熟の時期が穂によって時間的にずれているので、危険分散になるのである。それで従来はあまり出穂を揃えて親穂だけで増収をはかるのは警められている。しかしわれわれの作米装置の中では、そういう危険は全然無い。肝腎の生殖細胞の減数分裂期などに来たら、一層注意して最適気温に保ってやればよいわけである。それで思い切って密植して、親穂を器械を並べたように一斉に揃えても、ちっともかまわない。むしろその方が始末が良いわけである。
 一坪に一本植えにして三千本を植えることは、そのこと自身は問題がないであろう。それと普通に三本植えにして坪当り百株植えた場合とを比較してみるに、後者の場合分蘗によって穂数が四倍或いは五倍になったとしても、この程度に密植することだけで、三倍近い収穫を挙げることは不可能ではないように思われる。
 次に一穂につく籾数を増やすことも大切である。幼穂が出て来て、それが分化し始める時に低温に遭うと、完全な枝や籾が出来ない。そういう場合には、不完全な籾や枝の痕跡が穂に残って、収量は著しく減って来る。それで北国の米作では、この分化期の気候条件が、被害の一つの要素として警戒されているわけである。そういう問題もわれわれの人工米の場合には、何も心配は無い。むしろこの分化期における最適条件を探して、そういう条件の下に、栄養細胞組織を完全に分化させて、穂全体に籾をぎっしりつけるようにするという方向に、研究を進めればよい。変化し易い天然の気象条件の下でも、一穂に例えば五十粒つくところを八十粒にしようというふうに、耕種的にいろいろ研究が為されているのであるから、完全条件の下では、五割や六割の増収を目差すことは、そう無理ではないであろう。
 もし一穂に着く籾の数を五、六割増すことが出来れば、密植による三倍の増収と併せて、それだけでも五倍の増収は、全く不可能なことではない。もっともそれには肥料の問題がはいってくる。栄養生長期間中にも、もちろん肥料は大切であるが、その方は完全な肥料を充分に施して、健全な稲を作ることにする。そして幼穂が形成し始めるまで、その肥料を充分に効かしておく。その時までに窒素や燐酸が不足すると、籾数が減って来るということが知られているので、そういう点はよく注意しておくことにする。ところがこの時期以後になってもまだ窒素が多いと、かえって稔実機能に障害を来し易いという研究が為されている。それと類縁の研究は他にも既に沢山為されているであろう。
 人工米の場合には、稲の生長結実の各段階で、それぞれどういう肥料が要るかをよく調べて、その時期ごとに必要な肥料の配合を変えて行くので、この点は心配しなくてもいい。むしろ適時に適当な肥料を必要量だけ与えてやることにより、しかも化学肥料ですぐ吸収し得る状態にしてやれば、その効果は明らかに出て来ることと思われる。もし出てこなかったら、やり方が悪いか、研究が不充分なのであるから、出るまで研究すればよい。結果が出るまで根気よくやってみるというのが研究なのである。
 作物の収穫が肥料によって決定的に支配されることは、今さらいい立てるまでもない。作物のいろいろな生長の段階において、それぞれ最も必要とする肥料を、最も吸収し易い形で与えてやることが出来れば、それだけでも飛躍的な増収が出来そうである。そういうことも、われわれの人工米の場合には、研究さえすれば出来るに決まっていることであろう。
 稲の生長結実の各段階で、外的条件をそれぞれ最適に保ち、肥料を必要に応じて最適量に与えて行くということは、稲が米を作る作用を、一つの化学変化と見做すことである。必要な薬品を適量だけ混じて、化学変化を起すのに最も適した温度及び圧に保ってやると、反応が急速に進行する。それと同じことを、稲の場合にもやらせようということになる。
 この場合、稲が米を作るのは、生命の一つの現われである葉緑素の作用によるので、化学変化とは根本的にちがうという議論は一考の余地がある。化学変化の場合にも触媒というものが要ることがある。水素と酸素とを混ぜておいても爆発はしない。即ち反応は起らない。しかしその混合気体を白金綿に触れさせると、ただちに爆発が起きて、水蒸気になってしまう。この時白金綿は、反応の初めと終りとに変化が無く、反応は水素と酸素との間だけで起り、白金綿は単に反応を促進させる役目だけをつとめる。即ち触媒として働くだけである。
 米の主成分たる澱粉は、炭酸ガスと水とだけから出来るもので、酸化すれば、再び炭酸ガスと水とに分離してしまう。従って化学的に炭酸ガスと水とから澱粉を合成することも出来るはずである。しかしこの反応は実際には非常に困難であって、今日の進歩した有機化学の力をもってしても、殆んど不可能である。それを葉緑素は簡単に為し遂げるのであって、炭酸ガスと水とから、殆んど瞬間的に澱粉を作ってしまうのである。しかも葉緑素自身はその反応の前後に変化はないので、丁度触媒と似た作用をつとめているにすぎない。
 そういうふうに考えてみると、今日触媒化学が非常に進歩して、アンモニアの合成とか、硫酸の製造とかいうふうな、各種の大化学工業が、触媒の作用を利用して立派に大量生産をなしていることを思えば、葉緑素の触媒作用を、単に自然条件に依存する農業にだけ任せておかないで、これを工業とすることを考えても、そう不都合ではないであろう。そしてわれわれの人工米の研究が丁度それに当るのである。
 今日まで葉緑素による澱粉の合成を、農業だけに任せておいた一番主な理由は、面積が沢山要るということに尽きるであろう。勢力エネルギーの方ももちろん考える必要があるが、その方はいよいよやるとなれば、風力の利用というようなことによって解決の見込みは充分ある。それでまず面積の方を考えてみよう。
 密植と親穂の重視と籾数の増加とによって、従来の天然水田における優秀成績たる一坪当り三升を五倍にすることは、少なくとも計算の上では、不可能でない。それに数値では現わし得ないが、適性な肥料を適時に与えることによって、それをさらに増すことも容易であろう。以上の条件を満たすことが出来れば、五倍ということはそう突飛な数値ではなく、むしろそれ以上を期待することも出来そうである。今のところでは、まず五倍を目標として、坪当り一斗五升を穫ることに努めてみよう。問題は前に言った作米装置の中での実験の結果にかかる。もし一日を十二時間に縮めることによって、稲が二カ月で米を作ってくれれば、六毛作の実施によって、坪当り九斗の米が穫れることになる。一年一石といえば、それは戦前の自由食糧時代における一人分の主食糧である。それでわれわれの研究が予期どおりの結果に到達したならば、一坪で一人の人間を養うことが出来ることになる。それならば工業として成り立つ見込みは充分あるであろう。
 この話はいわば農業物理学の一つの夢であって、まだその研究が為されたわけではない。しかし同じく夢をみるならば、充分見甲斐のある夢をみることにしよう。というのはこの話はまだこれで済んだわけではない。もしこの研究が完成したならば、殆んど肥料無しで永久に米が出来るという不思議なことが、その結果として出てくるのである。
 壺栽培をするには、肥料として純粋な化学薬品が多量に要る。それに肥料なしで栽培が出来るというのは、矛盾しているようである。しかしその謎は簡単に解ける。まず人工米が出来るようになったら、政府の方で白米しか喰ってはいけないという法律を出すことにする。それも思い切って精白して、猿の歯のような米だけを皆に喰わすのである。米粒の内部は殆んど純粋な澱粉で、ビタミンや、蛋白などは少量しかはいっていない。それ等はむしろ精白の時に出る糠の中にはいっている。もともと澱粉は炭酸ガスと水とから出来たものであるから、その中には窒素だの加里カリだの燐だのという肥料の大切な元素ははいっていないわけである。
 窒素や加里や燐はもちろん必要で、初めにはそれ等を含んだ完全肥料を充分に施す必要がある。しかし人間が喰うのは白米即ち澱紛だけとすると、結局人間は炭酸ガスと水だけ喰うので、加里や燐は稲の生体や籾殻や糠などの中にあるわけである。いずれにしても、それ等の元素は、栽培した物の中にあるにはちがいない。それでそれを全部集めて回収すれば、入れただけの物は出て来るはずである。即ち第二回目からは、回収した元素を薬品に戻して使えばよいので、肥料は第一回に用意したものだけでよいことになる。もちろん実際には回収に際して流亡する分もあるので、それだけは補給する必要がある。しかし原則としては、貴重元素は回収して使うというのが、工業の立前である。何だか話が巧すぎるようであるが、理窟はたしかにそうである。そしてこれと同じことを、極めて原始的な形で、われわれの祖先は、二千年来日本の水田において行なってきていたのである。というのは、加里や燐は、もともとわが国では非常に乏しい元素であって、そういうものの輸入の無かった明治以前の時代には、その補給の道が魚肥以外には殆んど無かったはずである。その難点をわれわれの祖先は、藁を水田に還元することによって、一応の解決をつけて、古事記以前の時代からの水田稲作を、今日まで続けて来ていたわけである。一年や二年燐酸の輸入が杜絶したといって騒ぐのは考えものである。人工米工業においては、加里や燐の輸入などを懇請しなくてもすむようにしたいものである。
 肥料として加里や燐などを必要とする理由の一つとして、茎を丈夫にするというような点も挙げられている。稲の品種改良のことは、専門外のこととて、詳しいことは知らないが、多収穫性とか早熟性とかいう方面の改良の他に、茎を丈夫にしたり、冷害に耐えたり、病害虫に対する抵抗性を増したりする方向にも、随分力をつくしていることと思われる。ソ連がシベリアで小麦を栽培するためには、あのシベリアの曠野を吹く強風に耐えるような丈夫な桿の小麦を作るのに、大分苦心したということである。稲の場合にもそういうことがあるにちがいない。
 ところが人工米工業では、それ等の点についてはあまり考慮を払う必要がないので、ただ無闇と沢山穫れるような品種を作ればよいであろう。いわば一種の片輪を作ればよいのである。稲の背が低くて穂だけが長く、それに籾がいっぱいついて、いわばヒヤシンスのような感じの稲を作るように努力すればよいことになる。それでも倒れるような心配は無いので、必要とあらば、新宿御苑の菊のように、花の一つ一つに針金の受け台を作る塩梅に、適当に支持してやればよい。それも何もむつかしいことをする必要は無いので、例えば適当な高さのところに針金の網を水平に張って、その目の一つ一つから穂を出させてやるくらいで充分であろう。
 其処まで行けば、稲は試験管となり、その中で葉緑素の触媒が炭酸ガスと水とからどんどん澱粉を作ってくれることになる。試験管の形は、取扱いに便利なように勝手な形に作ればよいのであるから、稲もせいぜい片輪の稲を作るべく努力することである。稲を試験管にしてしまっては可哀想であるが、人間を機械の歯車の一つにするような近代工業のことを思えば、それくらいのことは仕方がない。何十年自動車製造会社に勤めていて、その何十年を後輪の何番目かのナットだけ締めて暮してきたというような職工にくらべたら、稲も充分我慢出来るであろう。
 もっともこの人工米を喰う人間も、あまり威張るわけにはゆかない。澱粉だけでは身体がもたないから、蛋白やビタミンは他から補給する必要がある。柿の葉や雑草や魚の腸から採ったビタミンをのみ、魚粉の蛋白質を摂取する必要が出て来るであろう。炭酸ガスと水とから出来た澱粉を喰い、妙な粉を少し嘗めて、それで元気で働けるようになったら、有難いことでもあり、情けないことでもある。
 それよりもこの人工米工業で、全面的に食糧問題が解決したら、第一番に出て来るのは、農民救済の問題である。全国の非農家が全部自分の家に八畳くらいの米作室を持って、それで米はもう要らないと言い出したら、これは大問題である。それで取りあえずは、全国で一千万石くらいだけ作ることを許可するようにした方が良さそうである。所要電力の計算は実験がすんでからでないと、確かな数字は出せないが、全国で一千万石くらいならば、電力の供給も出来そうである。
 人工米は人造米ではないので、これは本当の米である。しかしいよいよ人工米が出廻って来ると、いろいろ贅沢を言う連中も出てくるであろう。「やはり天然米の方がいいね、味に風格があるよ」などと言う先生方もあることであろう。もっとも私も出来ることならば、柿の葉の粉をまぶした人工米よりも、真白な天然米の海苔茶漬の方が有難いから、そういう人たちを非難するわけではない。
(昭和二十一年四月)
付記
 この実験を実際にやってみたところ、第一回の試験では、七十五日で盃に一杯くらいの米がとれた。小さいブリキ筒の中に、籾を三粒まいてやった試験である。恆温箱は、前に他の実験に使った木製のものを利用した。調節装置、自動装置、すべてH助教授の手製である。本当は六十日で作りたかったのであるが、七十五日かかっても、とにかく米がとれたので、一寸面白かった。H君は「このお米はどうしましょうか」という。「今に博物館におさめてくれと言ってくるから、大切に試験管の中に入れて、封をしておいてくれ給え」と言っておいた。
 第二回の実験は、途中で停電があって、駄目になってしまった。正直なもので、生長曲線が、停電のところで一寸止まったら、あとはどうしても恢復しない。それ切りで、この実験を止めてしまった。やはり少し研究費をかけて、ちゃんとした設備をしてやらないと、巧く行かないようである。
『稲の一日』の話は、真面目な話か、冗談か、誰にもわからないであろう。実は私にもよくわからないのであるから、他の人にわからないのは当然である。この話の中で一番面白いところは、とにかくこの実験を大真面目にやってみたという点であろう。
 進駐軍の野菜の大規模水耕栽培がこの頃もの珍しく報道されている。あれと同じことではないかと思われるかもしれないが、この話の灸所は、稲が十二時間を一日と思ってくれるか否かを知りたいというので、問題は別なのである。もし巧く稲をだますことが出来たら、第二段として大規模水耕法の問題が出て来るわけである。





底本:「中谷宇吉郎随筆選集第二巻」朝日新聞社
   1966(昭和41)年8月20日第1刷発行
   1966(昭和41)年9月30日第2刷発行
底本の親本:「楡の花」甲文社
   1948(昭和23)年8月30日発行
初出:「世界」
   1946(昭和21)年12月
入力:砂場清隆
校正:岡村和彦
2020年7月27日作成
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