捨てる文化

中谷宇吉郎




一 清潔・整頓・能率


 日露戦争のとき、東北の田舎の一農夫でロシア側の捕虜になった男があった。本国に護送され、欧州各国を次ぎ次ぎと送られて、数年がかりで、やっと日本へ送還された。
 当時の東北の一寒村で、欧州各国の現状を、数年がかりで見て来た男といえば、非常に珍しかったにちがいない。それでいろいろな連中が、その男のところへ話をききに行った。しかしその男から得られた知識というのは、「えらいもので、立派な大きい町があって、人間がいっぱいいた。次ぎの町へ行っても、立派な町で、えらい繁華なものだった。港はまたとても立派で、人間が大勢いた」というだけであった、という話を最近きいて、思わず苦笑した。
 われわれのアメリカ見聞記というものもそれに類した点が、大いにあることであろう。この流儀で、アメリカ生活の便利さを鼓吹され、生活の改善などを唱えられたら、一番迷惑するのは国民である。現に北海道全土から、地方の有識夫人たちを札幌に集めて、真空掃除器の話をしたという噂をきいたこともある。案外なことが、実際に行われているものだと、大いに感心した。
 現在アメリカ生活の特徴は、清潔、整頓、能率の三語につきる。そしてその基調は、物を捨てる点にあるように、私には思われる。このアメリカの文化の基調にあるものは、「捨てる文化」である。だからこれを日本へ適用することは、なかなかむつかしい。

二 捨てる文化


 前に『花水木』の中の「アメリカの婦人生活」で、アメリカの家庭における台所のことを一寸書いたことがある。少し二重になるところもあるが、話の順序として今一度説明をしよう。
 台所の正面には、真白なタイルの大きい流しがあり、その横には、焜爐が四つくらい並んだ黒いガス台がある。一方の壁には、白エナメルのぴかぴかした大きい電気冷蔵庫が立っていて、それと並んだガラス張りの食器棚には、皿とコップがきちんと積み重ねてある。白ペンキ塗りの戸棚が、別の壁に沿って作りつけになっていて、その中には貯蔵食料品がいっぱいはいっている。台所といっても、外に出ているものは、何も無いので、清潔と整頓の標本みたようになっている。
 しかし、こういうふうに台所をいつも綺麗にしておけるのは、いらない物をどんどん捨てるからである。街で買物をすると、小包用の渋紙みたいな立派な紙で包み、純綿の細い丈夫な真白い紐で、十重二十重にしばってくれる。アメリカ人は無器用だから、むやみとたくさん紐を使う。マッチの軸木よりも一寸細い紐であるが、大人が力いっぱい引っぱっても切れないくらい上等な紐である。この包みを開く時に、紐をほどいたりはしない。鋏でぶつぶつと切って、包紙ごとまるめて棄ててしまう。
 食料品にはガラスの罎詰が多いが、この空罎も、どんどん捨てる。広口の角罎で金属のねじ蓋がついたものが多く、一つ拾って日本へ持って帰ったら、どんなに重宝するかと思うような罎がある。それを平気で捨てる。罐詰のあいたものはもちろん棄てる。罐切りであけたものは論外であるが、日本では大いに尊重している共蓋のキャンディの容器でも、コーヒーの罐でも、しまっておく家庭の方が珍しい。もっともいちいちとっておいたら、たちまちにして、空罎と空罐とで、台所も食堂もいっぱいになってしまうであろう。
 料理は普通、大鉢か大皿に入れて出し、各自の皿にとり分ける。食事がすんだ時、鉢や大皿に沢山料理が残れば、冷蔵庫に入れておくが、そんなことは滅多にない。少量ならば、皿にとった食べ残りとともに、全部棄ててしまう。食後は皿類をまとめて流しに持って行き、残品はどんどん棄てて、器物を流しに入れる。だからいろいろな食物の残りが少しずつ皿にはいって、それが食器棚の中に並んでいて、戸棚の戸をあけるとぷんと臭うというようなことは決してない。
 四角なタイルの流しは、深さ五、六寸あって、排水口に栓をすると、大盥になる。温湯はどの家庭でも出るので、あつい湯をこの流しにいっぱい入れ、粉石鹸を一握り加えて石鹸湯にする。そしてその中に食器を放り込んでしばらくおいて洗う。だから脂気のものでもすぐ綺麗になる。汚れた石鹸水を棄てて、また温湯をみたしてすすぐ。熱い湯から取り上げた皿は、しばらく並べておくと、簡単に乾くので、すぐ食器棚に納められる。
 こういう調子だから、食後の後片付けという、主婦にとって一番いやな仕事も、十五分くらいですんでしまう。捨てる文化の有難さである。日本のように、三べんも使った、いろいろなアドレスの書いてある小包紙まで、丁寧にしわをのばしておく家庭では、アメリカ風の清潔と整頓とは、なかなかむつかしい問題である。

三 ぼろのつくろい


 この捨てる文化は、衣類の場合にも、やはり成り立つ。ぼろをつくろって、何とかして着るとか、夫の古外套を更生して、子供の通学服を作るとかいうことは、アメリカではほとんどない。ごく下層階級のメキシカンなど、例えば農場の日傭労働者たちの間では、或いはあるのかもしれないが、日本でいう普通の労働者の家庭でも、ぼろをつづくるというようなことは、例外的のことである。そういう階級ほど、やぶれた服は捨てなければならない。というのは、そのぼろをつくろうのに必要な時間だけ外で働けば、新しい服が一着買えるからである。
 中産階級でも同じことである。日本でいう、いわゆるサラリーマンの家庭でも、奥さんが、ストッキングのつくろいをするということは、あまりない。電車が一本走れば、さっさと捨ててしまう方が多い。というのは、そういう家庭ではたいてい夫婦共稼ぎをしているので、時間が何よりも惜しいからである。そんなものにかまっている時間だけ外で働けば、新しいストッキングが立派に買える。だから靴下のつくろいが、日本では美徳であり、孔のあいた靴下を捨てることが、アメリカでは美徳なのである。
 もっとも捨てるといっても本当に芥箱の中に捨てるのではない。坂西志保さんに教わった話であるが、そういう着られなくなった衣類などは、それを集めて困窮している人たちに配るので、そういう社会政策が非常に巧く行っているそうである。

四 アメリカの土地


 捨てる文化に意味があるのは、その裏に「それだけ外で働く」という条件がついているからである。そして現代のアメリカは、まさにそのとおりになっているようである。
 それで捨てる文化が成り立つか否かという問題は、いつでも外で働けるほど、仕事が何処にでも沢山あるか否かという点に帰する。即ち資源がほとんど無限にある国でのみ、こういう文化が成立するのである。しかしこの「資源が多い」という言葉くらい、誤解を招き易い言葉は少ないという点も、注意しておく必要がある。
 日本では、アメリカといえば、たいていの人は、それはもう天恵にみちみちた国のように思っている。例えば農作物にしたら、気候が年中非常によく、土地は豊饒で、作物は放っておいてもいくらでも出来るように思い勝ちである。しかし事実は、むしろその逆である。
 アメリカの真ん中から、西半分の方は、ほとんどその大部分が、沙漠と半沙漠地帯である。太平洋からの水気は、カリフォルニア州の狭い地帯を抜けて、すぐネバダ山脈につき当る。一万フィート級の山がずっと連なっているこのネバダ山脈は、太平洋の水域からネバダ、コロラドなどの各州を、ほとんど完全に遮断してしまう。大西洋の水域の影響も、大陸の半ば以西までは届かない。それで西部一帯及び中部の一部は、年中ほとんど雨が降らない。
 これ等の地方では、水資源というのは、冬の間に降る雪が、その大部分を占めている。これ等の雪が春になって融けて川に流れ出る。その水がほとんど唯一の水資源なのである。春さきのこの水を利用して、小麦をまく。しかしその後はほとんど雨が降らないので、極端な乾燥農業になってしまう。
 そういう乾燥農業を連年つづけると、地力はすぐ減退してしまう。それでよく小麦の中に牧草の混播をする。麦を苅ったあとにこの牧草がのびて来る。それをその年と次ぎの年とにわたってたびたび苅って、飼糧をとる。第三年目に、掘り返して、緑肥にする。そしてまた小麦を蒔く。即ち二年一毛作しか穫れない。こういうやり方が、中部及び西部では例外の話でなく、むしろ一般の主食農業の姿であるといっていい。こういう土地からみれば、日本のような国は、まさに天国といって差しつかえない。

五 沙漠の征服


『沙漠の征服』にくわしく書いたように、近年のアメリカの開発事業は、こういう地域の開発である。それは一口にいえば、沙漠の征服なのである。雨が夏の間ほとんど降らないということは、毎日毎日灼きつくような日光に直射されどおしということである。即ち日光は有り余るほどある。それで水さえあれば、作物はいくらでも出来る。即ち灌漑溝を作って水を引けば、一躍収穫は三倍も五倍もにはね上がるのである。
 しかし川はどれも、灌漑水をとるには不適当である。春さきの雪解水は恐ろしい氾濫を起し、日本でいえば、小さい県一つをまるまる濁流の下に葬るくらいの洪水を、ちょいちょい起す。例えばコロラド河などは、日本の面積の二倍近い流域面積をもっている。その流域の半分近い土地に降った雪が、春さきになると一度にとけて、一本の川に流れ出て来る。日本では想像の出来ないような洪水が起きるのも、そう不思議ではない。しかも肝腎の水の必要な夏には、この川の水量は著しく減退してしまう。それで灌漑をやるといっても、まずこの川の制御からしてかからねばならない。即ちダムを作って、春さきの雪解洪水を全部貯水湖に貯え、それを年間を通じて一定の量だけ下流の方へ流すようにする必要がある。それが出来れば、あとは貯水湖なり一定水位の下流なりから、小運河によって農耕地帯まで水を引くことは、大した土木工事ではない。
 コロラド河の場合を例にとると、まず第一の仕事は、全雪解水を収蔵し得る貯水湖を作るために、ボルダー・ダムを構築することであった。このダムは高さ七百二十六フィートあり、その構築には、エジプトの大ピラミッドよりも大きい土木工事を必要とする。そういう大土木工事を、従来全く無人の境であった熱砂と岩塊との沙漠の中に遂行しようというのであるから、その困難の度は一寸想像も出来ない。しかしアメリカの科学と技術、それとそれよりも偉大な貢献をした敢闘精神とが、この難事業を遂に完遂したのである。一九三一年に着手、わずか五年にして、一九三六年には、もうこの奇蹟の大土木工事が完成した。コンクリートをうち出してからは、昼夜三交替、八時間の重労働を敢行して、一瞬の休止もなく、遂にやり通したのである。あの熱砂の荒野の中で、こういう労働をやり抜く精神力は、一寸想像外である。灼熱の太陽、乾き切った砂礫の広野、岩塊、熱風、一時間も外に立っていたら昏倒しそうなところである。この地理的及び気候的条件を忘れては、この偉業の意味は理解されない。
 ボルダー・ダムの完成によって、下流のインペリアル・ヴァレイは、一変して沃野となり、その一地方だけで、毎年九千万ドル(三百億円)の農産物収入を挙げるようになった。しかしそれはまだこの大事業のほんの一部の結果であって、それよりもっと重大なことは、このダム一つによって、百四万キロワットという、一寸考え及ばない莫大な水力電気が得られた点である。この途方もない量の電力は、ロサンゼルスに送られて、其処でアメリカ第二の大工業都市を生んだのである。このロサンゼルスおよびその近郊のいわゆる南カリフォルニア工業地帯では、今度の大戦中に、新しい工場が、この電力によって沢山生まれた。世界最大のマグネシウム工場、人造ゴム工場を初めとして、総計千八百の新しい工場が出来たそうである。それによって、今度の戦争中のアメリカの飛行機の大量生産が可能となったのである。

六 資源と資源化


 日本ではよく「アメリカは資源が豊富だから」という一言で、万事の説明をつくしているような傾向がある。しかしアメリカのジュラルミンとて、自分で山から出て来て、飛行機に化けるのではない。有り余るアメリカの電力とても、決して、そこらに転がっていた電気を拾って来たものではない。人間の生存し得る場所でない沙漠の真ん中に、エジプトの大ピラミッドよりも大きい大土木工事を完遂したことが、即ち「アメリカには資源が多い」ことなのである。
 ロサンゼルスでは、千八百の大工場が新しく建設されたために、著しく人口の増加をみた。この十年間に、百万人の人口増加があったというが、これは世界の都市発達の歴史の上でも珍しい現象の由である。これ等の人々は、他の都市及び田園から移住してきたものであるが、その移住の原因は、いうまでもなく、新しく出来た職場がそれだけの人間を必要としたからである。
 アメリカでは、前にいったように、損耗した物を捨てて、それを修理する時間だけ外で働く。それによって、大いに生産を上げる。それが可能なのは、外で働く職場がいつでもあり、働いた時間が、そのまま生産になるからである。ところがそれだけの職場がいつでもあるのは、資源が豊富だからである。そして資源が豊富だということは、捨てられていた自然の勢力エネルギー及び物質を、労働力によって資源化したことなのである。そうすると、働くから資源が生まれ、資源があるから職場が出来る。職場が出来るから働けるという理窟になる。何だか胡麻化されたように思われるかもしれないが、これが本当なのである。職場がないから働けないのではなく、働かないから職場がないのである。

七 日本の場合


 この考え方で、日本の現状を今一度ふり返ってみると、いろいろなことがはっきりするであろう。
 日本の今の悩みは、働きたくとも、働く仕事がないという一点に尽きる。せんじつめたところ、現在の四つの島では、九千万人の人間が生きて行くだけの資源が足りないのである。しかし前の考え方によると、それは資源を生み出すだけの働きをしないからである。ところが日本人は働かないかというと、決してそうではない。農家の人たちの労働を見ると、朝は暗いうちから畑に出て、日いっぱい過激な労働に従事し、夜おそくなって疲れ切って家に帰り、泥のように眠る。主婦の一日の仕事も、少なくも精神的にはこれに劣らぬ労働である。朝から晩おそくまで、食事の用意、後片付け、家の掃除などという、眼に見える仕事の他に、つくろいや洗濯や、いろいろなやりくりなど、ありとあらゆる雑用に追い廻されて、一日を無我夢中で過ごしているのが、今日の日本の主婦の実状である。その上最近までは配給などという言語道断な制度、少なくもその制度を運用している連中の言語道断なやり方に、せめさいなまれていたのが、家庭の主婦の姿であった。職場をもって外で働いている男も、やはり一日中追い廻される生活をしている。交通難、電話難が、その無駄な忙しさに拍車をかけている。
 こうしてみると、日本国中の人間が、誰も彼も一所懸命に働いている。怠けている人間もあるが、好きで怠けている人は極く稀で、本当は誰も働きたいのである。そして事実皆が夢中になって働いている。少なくも生活に追い廻されているという意味では、働いているのである。

八 文明への逆行


 そうすると、前にいった理論、即ち働くことによって職場が生まれるという理論は、日本では当てはまらないことになる。そして事実現在の日本には、それは当てはまらない。その理由は、働くという言葉の内容が、アメリカの場合と日本の場合とでは、まるでちがっているからである。日本ではせっかくの労働が、ほとんど全部空転している。今度の戦争の初め頃から、その傾向がだんだん表面に出て来たが、敗戦後は特にひどくなったようである。
 現在の日本では、全国民が身体と精神とを磨りへらしていながら、その労働が空転している。その点は、少し心のある人は、皆が認めていることであろう。その原因はというよりも、その現象を別の言葉でいい現わせば、日本には「組織がまだ出来ていない」からである。百人の主婦が一時間ずつ時間をつぶしてする洗濯物の総量を、一人の洗濯屋が多分一日ですませてしまうであろう。器械を使えば千人分も、或いはもっとたくさん出来るであろう。一番主な理由は、湯を沸かしたり、たらいを持ち出したりする無駄な時間が、百人別々にやれば、百倍かかるからである。まして湯を沸かすべき燃料の入手にまで遡れば、無駄に消える労力はさらに多くなって来る。
 家庭菜園を作り、食糧を背中にのせて人もろともに客車に乗り、衣類を自分で作りまたつくろいをすること、すべて自給自足の態勢をとることは、文明と逆行する傾向をとることなのである。組織をこわす、或いは組織を作らない方向に進んでいるのであるから、これは近代文明に背を向けて、原始生活に後戻りしているのである。生産が上がらず、生活が苦しくなるのも、当然のことである。敗戦直後、或いは一、二年間の混乱期には、それも止むを得なかった。ただ「それは止むを得なかったが、間違った方向であった」ということだけは、知っておく必要がある。
 もっともそれを知ってもどうにもならないではないかという抗議が出ることであろう。しかしその抗議が出るのは、短時日のうちに、われわれの生活が楽になるような、何か巧い方法が他にあるような錯覚に陥っているからである。これだけの大戦争に完敗したのであるから、そういう巧い方法などは、どうせあるはずがない。ここ十年や二十年のうちに、再び戦前の比較的楽であったあの生活が戻って来ることは、到底期待出来ない。この頃急に物資が出廻って、銀座の店頭は、戦前と同じような景観を呈しているが、あれは変態的な仇花であろう。本当の国力の復帰は、じりじりと自然恢復の生じて来るのを待つより仕方がないものと思われる。その場合、少しでもその恢復速度を速めることが出来れば、大成功である。
 ところが、今日のいろいろな動きは、せっかくの労働がただ空転しているだけならまだよい方で、悪くすると、自然恢復の邪魔をするような場合すらありそうである。病気の根源を知らずに、無闇むやみと解熱剤や下痢止めを飲むことは、却って病状を悪化する。どんなに恢復を熱望しても、あせって悪い場合には、あせることは禁物である。この場合何よりも大切なことは、病源に対する根本的な知識の把握である。知っただけでは何にもならないかもしれないが、知らない方はもっと危険である。

九 精神と物質


 以上のような議論に対しては、反対意見の人もたくさんあることであろう。敗戦の傷手は大きいが、お陰でアメリカ流の民主主義が輸入され、男女同権なども確立され、われわれは自由を得たという人もあろう。しかし本当の民主主義や男女同権が、一朝にして確立されるはずはない。アメリカにおいてさえ、それは数百年の年月を経て、漸く今日の姿に成長したものであることを忘れてはならない。
 わかり易い例として、男女同権の問題を採り上げてみよう。アメリカ流の男女同権は、婦人の経済的独立にその基礎があるように、私には思われる。この婦人の経済的独立は、家庭の主婦の場合にも存在する。一般の労働者はもちろんのこと、日本ならば相当裕福な階級にあたるアメリカの中産階級の家庭でも、主婦が外に働きに出ることは珍しくない。むしろ家庭にいて、掃除と食事の用意だけしている主婦の方が、例外的な存在である。
 ちゃんとした家庭を持ち、それを立派に維持しながら、主婦が外に働きに出れるのは、食事や掃除など、いわゆる家庭内の雑用に使われる主婦の時間が、極めて少なくてすむからである。その理由は、捨てる文化と台所の機械化とにある。もっとわかり易くいえば、電気冷蔵庫があるからである。電気冷蔵庫が無かったら、現代のアメリカの食生活は出来ない。主婦が働きに出ることも不可能になり、従って経済的独立は成り立たない。もっとも電気冷蔵庫の無かった三十年前でも、アメリカには男女同権があった。しかしその時代にもやはり、その時代に相当した「電気冷蔵庫」はあったのである。
 それでもし今日のアメリカの男女同権をそのままの形で日本へ輸入しようとするならば、私はまずダムの建設を提唱する。まずダムを作って、電力を無制限に、ほとんど無料ただのような料金で供給する。一方工業を興して電気冷蔵庫をたくさん作り、冷凍食品で生活出来るように、食生活を改善する。また真空掃除器も、ふんだんに作って、安く売り出す。そうして主婦は、家庭で無駄に消費される労力を省いて、外へ出て働き、経済的独立を確保する。そうすれば男女同権は、自然と生まれてくる。
 この議論は、もちろん極端な話であって、精神的の方面を全く無視した暴論である。しかし物質的方面を忘れた議論は、全くの空論であることを強調するためには、こういう議論もたまには必要であろう。男女同権はもちろん人道上の原則であり、当然そうなくてはならないことであるが、そのことと、それが一枚の法令さえあれば可能であるということとは、また別問題である。
 男女同権のような、いわば精神的の問題でも、やはり物質の制約を受けている。いわんやその他の問題では、推して知るべきである。
 アメリカの今日の繁栄は、別の見方をすれば、それは捨てる文化である。そして捨てる文化は、働く文化である。ただこの場合注意すべきことは、働くという言葉の内容が、日本の場合とは著しくちがうことである。
(昭和二十五年二月)





底本:「中谷宇吉郎随筆選集第二巻」朝日新聞社
   1966(昭和41)年8月20日第1刷発行
   1966(昭和41)年9月30日第2刷発行
底本の親本:「日本のこころ」文藝春秋新社
   1951(昭和26)年8月15日発行
入力:砂場清隆
校正:岡村和彦
2020年5月27日作成
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