泥炭地双話

中谷宇吉郎




美しき泥炭地


 北海道の景色の美しさの中で、比較的看逃されているのは、泥炭地の景色の美しさである。特に私は、晩秋の泥炭地の風趣とその色彩とに心を惹かれる。
 冬を間近にひかえて、北国の空は毎日のように、鼠色の厚い層雲に蔽われる。そしてそういう空の下では、よく地平線の近くだけが綺麗に晴れていることが多い。そういう時には、その晴れ間は大抵は薄青磁色に冷たく透明に光っている。荒漠たる泥炭地の地平線は、水平な一線となって、この光った空の下をくっきりと区切っている。
 みずごけや背の低い雑草で蔽われた一望の草原は、よしすげの叢がせめてもの風情である。稀に痩せたはんの木が二本三本ようやくに生い立っていることもあるが、それらはむしろ心を痛ましめる点景である。夏の間じめじめと足を濡らしていたこの湿地帯も、秋の水枯れとともに、すっかり乾いて来ている。足を踏み入れてみると、軟かい蒲団の上を歩くように、土地が一足ごとに浮き沈みする感じである。
 晩秋のこの草原の美しさは、そういう感触よりも、むしろその色にある。よしもすげももう半ば枯れて、その生命のしるしである緑の色は、土黄色オークルジョーンの枯葉の底に、かすかに残っているに過ぎない。その土黄色にも沢山のホワイトが雑っている。この白の勝った土黄色と、名も無い雑草どもの茶色との混淆が、晩秋の泥炭地帯の草原を特徴づける基調の色である。眼に立つ色ではないが、人の心を惹く美しさである。それは手近に譬えるものがない独特の色彩であって、正倉院に秘められている纐纈こうけち染の色くらいが、これに比さるべきものであろう。
 こういう色彩が、強く人の心を惹くのは、それがこの北国の冬をひかえた空の特殊の光と、よく調和しているためかもしれない。しかしそれよりも、もっと人間の生命に直接関係した理由があるのであろう。それは土地の乾く喜びとでも言うべきものが、蔭の深いところで働いているためではなかろうか。
 雪国の遅い春を待ち佗びる人々にのみ、春先の道の白く乾く歓びが感ぜられるものならば、夏の間中一足ごとにその足跡に水の浸み出る土地が、ふかふかと乾いて来る歓びが、晩秋の泥炭地帯の美の一つの根源をなしているのかもしれない。雪国の道が白く乾く晩春は、間もなく陽光が燦々と若葉の上に降る北国の初夏につづく。しかしようやくにして水の引いた泥炭地帯の晩秋は、この地方に特有な烈しい吹雪をすぐ間近に待つばかりである。それなればこそ、単調な土黄色の一色の景色の中に、千年秘められた織物の色の静まり返る美しさを見るのであろう。
 みずごけや雑草はもとより、よしもすげも間もなく枯れて、雪の下に埋れてしまう運命にある。六カ月の冬が過ぎて、春の陽が再び戻って来ても、気温の低いこの北の国では、それらの枯草の遺骸は腐ることもなく、冷たい水の中で次ぎ次ぎと重なって行く。そして人間の生涯などとは較べられない長い年月のうちに、次第に炭化されて黒い泥炭に変って行くのである。
 こういう土地の上でも、人間はその営みをして、わずかにその生命をつないで行く。長い排水溝を掘り、新しい土を入れて、三十年の年月をかけて、一望千里の原野げんやの中に、数町歩の畑を作る。そして篤農家という名前を貰って、小さい賞状を額に入れて爐の上に飾るのである。その賞状も畑に黒く煤けて、暗い部屋の中では、文字もはっきりとは読まれない。泥炭地にその生涯を送るこれらの人々に一番気の毒なことは、自分が住んでいる土地の美しさを知らないことであろう。
 泥炭そのものは、作物にそうひどい害はないそうである。泥炭の苗代で作った稲には冷害が無いと言う人さえあるくらいである。その真偽のほどは知らないが、泥炭地の開発は今後国家的の事業として、大きく採り上げられることになるであろう。やがては、こういう土地にもトラクターが走るようになるかもしれない。そういう日が来たら、何よりも先に、此処に住む人たちに、この土地の晩秋の色の美しさを教えてやりたいものである。
(昭和二十一年三月)

泥炭地の物理


 私たちは今度農業物理の研究所を作ろうとしている。その話をきいて、友人のS君がやって来て、その研究所で一つ泥炭地の農業物理的研究をやってみないかという話をもちかけた。
 この頃火のついたように食糧問題がやかましくなり、それについて新しい土地の開墾を奨励する声が盛んに挙げられている。しかし北海道のように広い所でも、そうすぐ簡単に開墾が出来るような土地は殆んど残されていない。今残されている所は釧路や根室の原野げんやの湿地帯か、それで無ければ泥炭地方である。その湿地帯の方は雨期には馬が溺れるような所で、とても急に手をつけるわけには行かないが、泥炭地ならば、何とかなるはずである。現に札幌付近の泥炭地などは、篤農家たちの三十年とか五十年とかの苦心の結果ではあるが、とにかく作物が出来ている。そんなに時をかけないで、何とかしてこの泥炭地の開発が出来たら、北海道だけで、何万町歩という耕作地が得られるはずだがという話である。
 これは大変面白い話で、農業物理学では恰好の問題である。気に入ったのは、三十年とか五十年とかの時と労力とをかければ出来るに決まっていることで、現にそれは出来ている、そういう問題を科学の力で時を縮められないかという点である。それは科学を最も正当に使う道である。科学というものは、可能なことを実現するための学問で、ただ全然科学を知らない人がやるよりも、無駄を少なくして、時と労力とを節約する点にその効能があるのである。
 それでは一つ泥炭地の研究を始めようかという話になり、一体泥炭地がどういう点で困るのかをきいてみた。泥炭地が何故農耕に適しないかも知らないで、その研究を始めるというのも大胆な話であるが、泥炭地の物理的又は地球物理的な研究というものは、今まであまり無いように思われる。そういう手の付いていない問題ならば、やれば必ずやっただけの値打はあるものである。これは研究の委託などを持って来られた場合に使う極り文句で、本当に困っている問題ならば、研究をすれば、先方で予期されるような効果は出ないかもしれないが、やればやっただけの効果は必ずあるものである。
 いろいろ話をきいてみると、結局泥炭地で一番困るのは、排水の問題と、無機質土壤の不足と、それに地温の低い点とに帰するらしい。排水はこの頃流行の暗渠排水をやればいいし、無機質土壤の不足は客土をすればすむ話だと思われるかもしれない。しかし暗渠を作るとか、客土をするとかいうのは、問題の解決ではなくて、提出なのである。どういう暗渠をどの程度の深さに埋めるか、どういう土をどれくらい客土するのが一番有利か、それは各々の土地の泥炭の性質と地球物理的条件とによって決まるので、それが問題なのである。
 S君はもしこの研究をやってくれるなら、自分の所有している泥炭地を提供してもいいと言っているが、その土地などは、風の非常に強い所で、排水をして余り土を乾かしてしまうと、大切な無機質土壤が皆吹きとばされてしまって、かえって土地が悪くなってしまうという話である。客土だって良い土を沢山入れればいいに決まっているが、量と効果とは比例しない。必要な最少量の客土によって、最大の効果をあげることが問題なのである。
 地温の上昇が、一番困難な問題で、しかも一番大切な問題らしい。この方は農業物理的な研究によって、解決される見込みがあるかどうかもまだはっきり言えない。しかしその研究に採るべき道は、この問題に全然手をつけていない今の時期でも、はっきりと指示することが出来るように、自分には思われる。
 考えようによっては、問題は極めて簡単である。泥炭地の地表面近い所の地温は、太陽からの輻射熱と、地下からの地熱の伝達とによって上昇し、冬の間に積った雪を融かすに必要な潜熱と、大気中に奪われる熱とによって低められる。このプラスマイナスとの差によって地温が決定されるはずである。問題は正の方を出来るだけ多くして、負を少なくするように努力するのが唯一の道である。
 負の方についてみると、一冬の間に地表に積る雪の量を左右することは、実際問題として当分は不可能である。それで大気中に逸散する熱を出来るだけ少なくするように試みるより外に方法は無い。大気中に逃げる熱は、輻射や伝導はあまり問題でなく、主なものは対流である。というと大分学問的なようであるが、結局風があると冷え易いということである。即ち防風林を作ればいいということになる。防風林は作物の育成にも直接必要なもので、今さら言うまでもないが、防風林の高さと密度とその間隔とが、地熱の保持にどう効くか、一番有効な植林の方法はどうかというようなことも、まだあまりよく研究されていないように思われる。
 もっと手近いところで、風がある場合、固体の表面から奪われる熱量と風速との関係は、熱工学方面では充分よく研究されている。しかしそれは平滑な面上を層流の風が吹く場合が詳しくわかっているだけで、畑の上を天然の風が吹く場合には、その公式は全然使えない。作物のある畑の上を吹く風は、常に渦流になっていて、その渦の様子は畑の条件によって皆異なる。従って熱の奪われ方もそれぞれの場合によって異なるはずである。もう大分以前にウィーンのシュミット教授がこの渦流の研究をして面白い結果を出しているが、その後この方面の研究で劃期的と思われるようなものはあまりよく知らない。秋の稲田に立って、稔った穂が風に靡く姿を見た人は、穂が決して一様には動かず、時々蛇がのたくるような形をして、田の面が極めて複雑に動くことを見ているであろう。あれが天然の実際に吹く風の構造なのである。風がああいう複雑な構造をしているとすれば、それによって地表から奪われる熱の量もそう簡単には決められないことがよく了解されるであろう。
 風で奪われる熱よりも、何と言っても問題は太陽熱と地熱とである。そのうちで、太陽熱は結局地表に達する量だけしか利用出来ない。ただその中で無駄に反射されて逃げる熱量を出来るだけ少なくすることが、科学の務めである。反射で逃げる輻射熱で一番大きいものは、春先の雪面からの反射であろう。三月の中頃雪が大体降り止んでから、五月に入ってやっと雪が消えるまでの間、地面は白い雪に蔽われていて、春先の強いあの日射を大部分反射してしまうのは如何にも惜しいことである。従って雪の融け方もおそく、作付が遅れて、北国の乏しい収穫をますます乏しくするのである。
 融雪の促進という問題が、それで泥炭地の開発には、一つの重大な問題となる。この方は既に研究が相当進んでいるので、資材と労力さえ許せば、太陽熱の利用によって二週間くらい早く雪を消すことは可能である。何百町歩という、広茫たる土地でも、雪上トラクターさえ使えば、その雪を消すことは充分見込みがあり、また、雪上トラクターも既に出来ているものがある。今のところ経費だけの問題で、わが国ではそういう研究に金を出さないだけのことである。北国の春に特有なあの強い日射しを、一カ月の間無駄に棄ててしまわないで、半月の日射しを利用して雪を消し、残りの半月の日射しを黒土に吸収させたならば、泥炭地の地温上昇に何らかの寄与があることは確実である。その量がどれくらいになるかは、実験をしてみなくてはわからない。
 最後に残る問題は、地熱の伝達である。泥炭地は大抵は一望千里の広漠たる平地で、それを遮る立木も稀である。冬の間中烈しい吹雪に曝されて、雪の積り方も比較的少ないところが多い。豪雪地方ならば、融雪の問題だけ解決すればすむが、寒さが厳しくて比較的雪の少ない地方では、土地の凍結という難問がある。北海道の泥炭の凍結はまだよく調べていないが、樺太のツンドラの下にある泥炭層の凍結様式から考えてみて、やはり霜柱氷層が沢山入った凍結になることが多いだろうと思われる。霜柱と同じ成因からなる氷の層が、完全に土から分離して、水平な氷の板となって凍ったものである。この種の氷層は下から水が吸い上げられて、土から分離して凍って出来たものである。それで融かしてみると、余分の水が上澄水となって出て来る。
 こういう余分の水が下から吸い上げられて、それが凍って、沢山の氷が出来ると、それが春になって融ける場合に、例の一グラムについて八十カロリーという潜熱を必要とするので、融け方が非常に遅くなるのである。そればかりでなく、この氷の層が地熱の伝達に対しても断熱の作用をなすことが考えられる。その上厄介なことには、春先こういう凍土が太陽の輻射熱によって上面から融ける時に、下層に水を透さぬ凍結層が残っているために、上澄水の行場がなく、地表は泥濘と化するのである。この泥濘の水は、下から吸い上げられた水なので、肥料分を含んでいる。それが結局流れてしまうので、土地はだんだん痩せて来るはずである。
 此処で排水の問題が再び検討を必要とすることになって来る。この種の問題の解決には、泥炭の凍結様式の研究とか、熱伝導度と含水量との関係とか、透水度の測定とかいうような実験室内の研究がまず必要である。それと同時に、泥炭地の地中温度および水分の分布と、その季節による変化、特に凍結融解の際の熱の伝達と水の移動の状態とを、天然の泥炭地について、気象学的測定と並行して通年行う必要がある。この実験室内における実験物理学的研究と、天然の泥炭地における地球物理学的測定と、その両者の結果を総合して初めて地温上昇に及ぼす排水の影響が科学的に闡明せんめいされることになる。泥炭地の排水問題を科学的に解決するには、一寸考えただけでも、これだけの順序を踏む必要がある。実際にやってみたら、まだ気の付いていない問題が沢山出て来るかもしれない。政治的の解決ならば、助成金をいくら出すという紙一枚で片が付くが、科学的の方は世話の焼ける話である。
 再建すべき日本に残された僅か四つの島で、七千何百万という人間が生きて行く道は、結局科学に頼るより外に方法は無い。泥炭地の開発などは、その中でも真先に手を付けるべき問題であろう。少しくらい世話が焼けてもそれくらいは当然のことである。
(昭和二十年十二月)





底本:「中谷宇吉郎随筆選集第二巻」朝日新聞社
   1966(昭和41)年8月20日第1刷発行
   1966(昭和41)年9月30日第2刷発行
底本の親本:「春艸雑記」生活社
   1947(昭和22)年1月30日
初出:美しき泥炭地「科学と芸術」
   1946(昭和21)年3月
   泥炭地の物理「農業朝日」
   1946(昭和21)年3月
入力:砂場清隆
校正:岡村和彦
2020年7月27日作成
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