風土と伝統

中谷宇吉郎





 この頃、伝統という言葉がちょいちょい使われるようになった。一時の極端な左傾から、今度は右の方へ揺れが戻って来て、日本の国の古来の伝統を尊重しなければならないというようなことが、よくいわれる。
 そういう単純な復古主義ではないが、私は、一つの民族が持っている伝統というものは、案外根強いものでこれは急には無くならないものと思っている。伝統を破らなければならないなどとよくいわれるが、思想的の場合、即ち無形のものの場合にのみそういうふうに簡単にものがいえるのである。実際の生活に直接結びついていることでは、昔からの伝統というものは、なかなか破れないものである。その理由は一寸気のつかないところに、生活と強く結びついた実在のものがあるからである。
 こういうことを言っても、抽象的な話であって、何のことかよくわからないであろう。それで一つ食生活のことを例にとって、日本料理という一つの伝統について考えてみよう。もちろん、この文章では日本料理の栄養価値などという問題には全然ふれない。御馳走という観点から、日本料理のことを考えてみる。御馳走という観念はどんな未開人でも持っているもので、それが人間の生活に強く結びついた観念であることには、誰も異論がないであろう。この「御馳走」の内容について少し考えてみると、それが如何に伝統に強く支配されているかがすぐわかるのである。


 例えば、日本ではうなぎといえば、まず第一等の御馳走である。ところが欧米の諸国では、鰻が最下等の食物とされている。鰻以下のものといえば章魚たこくらいのもので、これは悪魔の魚デビル・フィッシュといって、犬も食わないものになっている。この点既に日本とは大分変っているが、それよりも鰻の方がもっとわかりよい。鰻は人間も食べるが、しかし最下級の貧乏人の食うものになっている。
 それについては、私が実際に経験をしたので、少なくも英国やフランスではそうである。もう二十年以上昔の話になるが、ロンドンに留学をしていた頃、巧い手蔓があって、オーチス・エレベーター会社の技師長の家においてもらっていた。そこの夫人はフランス人で、料理自慢の人であった。またじっさいに自慢に値する料理の上手な夫人であった。
 毎日いろいろ変った御馳走をしてくれ、それが皆美味いので、大いに喜んでいた。ところが、或る日「日本では何が一番御馳走か、好きなものがあったらいいなさい。作ってあげるから」と親切に言ってくれた。それで、私は「ここの家の御料理は皆とても美味いから、何も日本の料理を食べたいとは思わない。しかし日本で一番の御馳走は何かときかれれば、まあ鰻くらいなものでしょう」と言った。
 そしたらその夫人が、大変大袈裟な身振りをして、びっくり仰天してみせた。そして「まあ、日本では鰻が一番の御馳走なんですか。こちらにもあれは、場末の市場へ行けば、あることはあるが、よほど貧乏人でないと食べないのですよ」と言う。私も外国へ行きたてで、事情が少しもわからなかった頃なので、そういうものかと大いに驚いて、それで、その場はすんでしまった。
 ところが四、五日して、夕方学校から帰って来たら、その夫人が「今日はあなたのために、鰻の料理を作っておいたから」と言ってくれた。どうも親切なものだと、大いに感激して、夕食の席についた。いつも家族四人と、私との五人で食卓につくので、今日は皆で鰻を食うわけである。ところが出されたものを見ると、それは鰻のスープなのである。
 スープといっても、透明なコンソメの方である。薄黄色の汁の中に、鰻を一寸くらいの長さに輪切りにしたものが、五つ六つ浮いている。骨ごと鰻をぶつ切りにして、塩味の水でただ煮ただけである。皮が白くふやけて、ぶよぶよになっている。そして汁の表面には脂がぎらぎらと、肝油を入れたように光っている。一目見ただけで、もううんざりしてしまった。とてものどに通るものではない。しかし夫人は「うちでは鰻は食べたことがないが、今日はあなたのために初めてこの料理をしたのだ」と、甚だ親切である。こうなってはどうにもならないので、我慢して到頭食ってしまった。あんなまずいものは、一寸無い。嘘だと思ったら、一度ためしてみれば、すぐわかる。気の毒なのは、ここの主人と子供たちであって、皆妙な顔をして黙って汁を吸っていた。
 なるほど鰻はまずいものであるということが、この時初めて身に沁みてわかった。蒲焼にしない鰻というものは、こういうものである。それでしばらくして後、この夫人を、ロンドンに一軒あった日本人の鰻屋へつれて行った。そして蒲焼を食わせたところが、非常に驚いて、なるほど、日本で鰻を珍重する理由がよくわかった。こういう料理をすると非常に美味いとひどく感心していた。料理法を鰻屋の主人からいろいろと聞いていたその夫人は、なるほどこれはヨーロッパでは出来ないはずだ。醤油(ジャパニーズ・ソース)がないとこの料理は出来ないからと感心していた。私もなるほどそうだなと、初めて日本料理の重大要素が、醤油であるということを発見した。
 気がついてみれば何でもないことで、日本料理の構成要素のうち、一番大切なものは、醤油なのである。日本料理が、普通の西洋料理と異なる点で、代表的なものは、刺身である。なまの魚肉は、スカンジナビアなどでは、時々食う由であるが、英、米、仏、独などのいわゆる西洋では、決して食わない。ところが、このいわば日本独特の料理である刺身は、けっきょく醤油があるから成立する料理法なのである。醤油なしで刺身を食ってみれば、これも一度でこりてしまうにちがいない。
 牛肉の料理であるが、すき焼は日本独特の料理であって、西洋人も皆喜ぶものである。すき焼は、鍋で煮ながら食うのが特徴だなどと考えるのは、まだ皮相の見方であって、あれは西洋料理とは、本質的に異なるものである。というのは、西洋では、肉の料理には決して砂糖を使わない。もっとも何とかいう特殊の料理では、肉にも砂糖を使うというようなことがあるかもしれないが、一般には使わないのが常識になっている。
 ヨーロッパへ行った人は十中九人までベルリッツの本で、語学の勉強をする。世界的に有名な実用語学勉強の本である。その初めのところにきわめてわかりきった質問がたくさん並べてあって、それに Yes か No かを答えることになっている。その第一にコーヒーに砂糖は美味いかというのがある。これは Yes と答えればよい。次に肉に砂糖は美味いかというのがあって、これは No と答えることになっている。肉の料理に砂糖を使わないことはそれくらい常識になっているわけである。ところがすき焼だけは、砂糖を使う。そして西洋人も皆美味いといって食うわけであるが、これも考えてみれば醤油があるからである。醤油がなかったら、すき焼は出来ない。しかもそれは本質的に必要なのである。
 同じような例は、いくらもあげられる。以上いった以外でも日本料理の特徴的なもの、例えばおひたしでも、てんぷらでも、お煮しめでも皆醤油が必要である。てんぷらのたれの一番大切な構成要素はやはり醤油である。
 こういうふうに考えてみると、普段は何の気もなしに使っている醤油のようなものが、われわれの食生活に案外大切な役割を果していることがわかるであろう。少し極端にいえば、醤油がなければ、現在の日本料理の伝統は出来上がらなかったともいい得る。
 このことを別の言葉で表現すると、日本の国土から生産される食料品を、最もよく日本人の嗜好に合うように料理するためには、醤油のようなものが必要であり、また醤油が出来て、初めて現在の日本料理が出来たのである。食品の歴史のことは全く不案内であるから、醤油がいつ頃、どういうふうな経路で出来たかというようなことには全然ふれない。しかし伝統というものは、その国の風土的条件から生まれるもので、それが民族の生活に巧く適合した時に、初めていわゆる伝統として残るものであるという一つの例として、この醤油のことを考えてみるのも一興であろう。


 食生活の話のついでに、醤油などよりももっと重大な問題、即ち米のことを考えてみよう。米は中国、印度、南洋などで盛んに食われていて、これ等の民族は現在では、パンを食っている西洋人よりも、文明の度が低いと言われている。そして日本人も、なるべく米食を止めてパンとバターを食うようにしなければならないという議論をする人がよくある。澱粉ばかり食わないで、蛋白質や脂肪をもっと摂れという意味では、この議論は正しい。しかし日本人から米を取り去ることは絶対に不可能である。というわけは、水稲以外の作物は、どの作物でも同じ場所に何年もつづけて作付をすることはできない。輪作といって、毎年作物の種類をかえる必要がある。ところが水田だけは、千年以上も同じところに同じ米を作っている。千年間の連作が出来るものは他にはない。
 もし水田に連作が出来ないとしたら、これは大変なことで、主食の生産が三割も四割も減ることになるであろう。この狭い国土に、これだけの人間が生きて行けるのは、千年間連作可能の水稲を作っているからであろう。そういう意味で、日本人から米を取り去ることは不可能である。
 ところで水田が日本でなぜこんなに発達したかというに、それは雨が多くて、水に恵まれているからである。とくに田植時に梅雨があって、田植が出来ることが、非常に有利な点なのである。梅雨時になると、誰でも毎日雨ばかりで、じめじめしていると不平をいうが、あの梅雨のおかげで、われわれは生命をつないで行けるのである。田植というのは、稲の苗を移植することであって、主食作物の移植栽培というのは、現代の西洋農学でも最高の技法である。それを千年も昔から、われわれの祖先は実行していたわけである。そしてそういうことが可能であった一番の理由は、丁度移植時期に梅雨があるからである。こういうふうに考えてみると、梅雨と米と日本人とは、切りはなし得ないものであって、けっきょく人間の生活は、その生まれた国の風土によって支配されているのである。そして伝統というものは、そこから生まれて来るものであるから、非常に根強いものである。
 食物のような、いわば卑近な問題だと、こういう議論もわかりよいので、たいていの人は納得してくれる。しかし思想方面のことになると、どうしても話が抽象的になるので、とかく議論が単純でかつ極端に走り易くなる。しかし人間の思想などといっても、ごく身近な衣食住の問題によって、案外に強く影響されているものであって、生活を離れた思想などというものはない。だから風土と伝統を全然無視した思想は、決して発展するものではない。
 もっともこういうことをいっても、私は何も旧来の伝統だけを固守しているというのではない。学問は刻々に進み文明は日々に進歩している。それで伝統にも次ぎ次ぎと新しい内容をつけ加えて行く必要がある。しかしその基盤になるものは、その国の風土および自然条件から生まれた伝統でなければならない。
 具体的な例としては、再び米の問題にかえるのがわかり易い。日本人の精神労働力の向上には、食生活の改善が先決問題であるが、即ち澱粉偏重主義を止めることが大切であるが、そうかといって米を排斥することは出来ない。これ以上米の増産に狂奔することは愚であるが、米食廃止の宣伝をするのはさらに愚である。そんなことをしたら、国民の半数近くが餓死してしまうであろう。
 米の話ならば、こういうことは、今さらいい立てるまでもない自明のことである。しかし抽象的な思想の話になると、米食廃止の宣伝に類する議論が時々出て来る。伝統というものは、適者生存の理によって残ってきたものであるから、案外に根強いものである。そしてそれには、ちゃんとした理由があるのである。
(昭和二十六年十二月)





底本:「中谷宇吉郎随筆選集第二巻」朝日新聞社
   1966(昭和41)年8月20日第1刷発行
   1966(昭和41)年9月30日第2刷発行
底本の親本:「イグアノドンの唄」文藝春秋新社
   1952(昭和27)年12月20日発行
入力:砂場清隆
校正:岡村和彦
2020年10月28日作成
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