老齢学

――長生きをする学問の存在――

中谷宇吉郎




 国際雪氷委員会の前会長、チャーチ博士は、三十年以上も、ネバダ大学の教授をつとめ、昨年春引退した。同時に国際雪氷委員会の会長の地位も、スウェーデンのアールマン教授へ譲った。
 チャーチ博士とは、実は十数年前から文通をしていて、一度も会ったことはなかったが、何だか非常に親しい間柄のような気がしていた。いつも親切な手紙をくれ、方々へ私の仕事の紹介をしてくれるので、大いに徳としていたが、ただ一つ気に喰わぬことがあった。それは無闇と私を青年扱いして、「東洋の若いジェネレーション」というような言葉をちょいちょい使う点であった。
 もっともそれはこっちが迂濶だったので、一寸調べればわかることだったのに、チャーチ博士の年齢について、全くの誤算をしていたのである。昨年初めて会って、きいてみたら、八十二歳だという。アメリカ流の八十二歳であるから、前の日本流儀では、八十四歳ということになろう。これでは少しくらい青年扱いをされても、文句はいえないわけである。
 ところで、この誤算の因って来たところは、チャーチ博士のヒマラヤ登山にある。印度の水資源として、ヒマラヤの積雪調査をする必要があり、チャーチ博士がその指導に行ったのは、ごく近年のことである。それから一昨年は、南米のアルゼンチン政府に頼まれ、アンデス山脈の上を縦横に六カ月もとび歩いていたはずである。
 きいてみると、ヒマラヤに登ったのは、八十歳の時であり、アンデスの調査は、八十一歳の夏であったという。これくらい話の桁がはずれていれば、こちらの誤解にも愛嬌が出て来る。御本人は、昨年の春大学から引退をすすめられたのが、大いに不服らしく、「大学は僕を老人扱いしている」と、初対面の日に私に文句をいっていた。
 ところが、上には上がある。チャーチ博士の紹介で、ミシガン大学のホップス先生に会ったら、「僕は八十九歳だ」という。念のために日本流でことわっておくと、九十一歳である。このホップス先生は三十年前に、ミシガン大学がグリーンランドへ探検隊を出した時の隊長である。地質学者であるが、気象学にも興味をもち、グリーンランドの大氷原の上で空気が冷え、その大冷気塊がのび出して来て、世界の気象を支配するという大論文を書いたことがある。
 この大論文は、もちろん現代の気象学者からは、態よく敬遠されている。老先生は、それが大いに御不満であって、「昨年もあの説を少し修正して雑誌に出しておいたのに、誰も何ともいって寄こさない」といっておられた。
 一時間ばかり名誉教授室で話をして、それから昼食の御馳走になった。食事の終り頃になると、先生少しもじもじしていたが、「実は僕は二時の汽車で、ノースペニンシュラへ夏休みに行くことにしているから」と席を立たれた。一緒に玄関まで出ると、「失敬」といいながらタクシーを呼び止めて、さっさと停車場へ行ってしまった。九十一歳という概念は、大修正を要することになった。
 今度のアメリカ訪問で、一番印象に残ったのは、老人が沢山いて、それが皆矍鑠かくしゃくとして、元気で働いていることであった。街の綺麗になったことも、道路が田舎の隅までよくなったことも、自動車が多くなったことも、何もかも驚異であったが、それよりも、人間が健康で長生きをしていることが、一番羨しいことであった。
 チャーチ先生や、ホップス先生は、決して例外ではないのである。オッタワで、ボストン行の飛行機を待っているうちに、隣にいた老夫人が、見送りに来たらしい人に話をしていた
「昨日、アイスランドから飛んで来たのですが、グリーンランドの上で、丁度日が落ちましてね。あの広い氷原の入日は、まるで妖精の国フェアリイランドでした」というふうな話であった。痩形の八十歳をとっくに越したらしい銀髪の夫人の口から、こういう言葉が出るのを、意外な気持で聞いた。すらりとした上品な老夫人で、絵に描いた老貴婦人のようなしゃんとした姿勢の人であった。
 機械文明の極度の発達には、いろいろ議論も出ることであろう。現に水素爆弾で大騒ぎをしているのは、それを作り得る国、アメリカ自身である。しかし科学が、人間の寿命をのばし、よぼよぼの年齢において、なお矍鑠たる健康を保たせることに、反対をする人は一人も無いであろう。そういう意味で、われわれは、アメリカの兵器や機械の発達だけに眼を奪われていることはいけない。アメリカの科学が、人間の幸福にほんとうに寄与している方面にも、もっと注意する必要がある。
 もっともペニシリンやストレプトマイシンのように、すぐ眼に見えるものについては、日本人は決してぼんやりしていない。しかし八十歳の老人が、ヒマラヤに登り、銀髪の老夫人がグリーンランドを翔破出来るのもまた科学の力である。そうしてそういう科学については、あまり誰も注意を払わない。もっとも保健や厚生方面の専門学者は、とっくに注意しておられるのであるが、少なくも一般市民やジャーナリズムの世界には、あまり登場していないようである。
 老衰の現象は、本来は生理現象である。ところが従来は、アメリカなどでも、病理現象の老衰の方があまりにも一般的であったために、本来の老衰現象の研究は、あまり行われていなかったらしい。老齢学ゼロントロジイのまとまった本や、論文が出始めたのは、十年くらい前からのようである。今度の戦争の一寸前くらいから盛んになった学問ならば、日本へまだあまり紹介されていないのも、当然のことである。
 老齢学といっても、生理現象としての老衰を問題とするのであるから、結局は大部分のところ栄養学に帰するのである。ところで栄養に関するアメリカ人の常識は、近年に到って、著しく進歩したようである。その点を痛感させられたのは、到る処で食品中の鉱物質ミネラルの話をきかされたことである。
 その第一は、シカゴにおける濃縮牛乳協会の人たちとの会話に始まる。日本の食糧事情の話をしているうちに、「一体日本人は一日平均どれくらい牛乳を飲むか」という質問が出た。そんなことは知っているはずもないので、「日本では牛乳は統制品で、病人と赤ん坊の飲むものになっている。大人は牛乳なんか飲まない」と無責任な返答をした。そうしたら先方が、非常に驚いたような様子をして、「それでは日本人は一体、何からミネラルを摂っているのか」ときく。まさか牛乳の中に鉱物があるのですかと、きき返すわけにも行かないので、「日本人はポテトを腹いっぱい喰えればいい方で、ビタミンもミネラルも要らないのだ」と逃げてしまった。
 その話を、後になって、ボストンの友人のところで出したことがある。そしたらその友人が「どうも日本の野菜には、ミネラルが十分でないようだ。もっとも北海道の人参は非常にいい。アメリカの人参よりも鉄が多いようだが、知ってるか」という。これにもいささか閉口した。北海道に二十年も住んでいて、そんなことは夢にも知らなかった。
 日本では、栄養といえば、まずカロリーの話が出る。そしてビタミンを口にするのは、少なくも女学校くらいは出ているインテリ婦人である。今度の旅行で知ったことは、日本のカロリーに相当する常識が、アメリカではビタミンであり、日本のビタミンの知識に相当するものが、ミネラルであるということであった。
 私は元来、栄養学というものには、あまり信用をおいていなかった。理由は、無闇とカロリー、カロリーというからである。人間は機関車とちがうという、人道主義的誇りからも、どうしても承服出来なかったのである。
 それで新婚当時、細君が女学校と料理の講習会とで教わったばかりの知識をふり廻して「松茸なんて、栄養になりませんよ。カロリーがほとんど無いんですから」と主張しても、私は平気で松茸を喰っていた。それからしばらくして、ビタミンが流行し出したら、今度は「ビタミンの補給には、松茸がいちばんいいんですって」ということになった。徹底的健忘性くらい強いものはない。しかし私は「そんなことわかるものか、今に何かが出て来るよ」と相手にせずに、しかし松茸は依然として喰っていた。下手に相手をすると、半搗米を喰わされる懼れがあったからである。
 今二、三年もしたら、またミネラルで悩まされる時代が来るかもしれない。もっともそういう時代がくれば、日本のためには、まことに慶賀すべきである。もっともミネラルといっても、いろいろ種類があるから、次ぎ次ぎと各種のものが出て来るであろう。それからそれが行き渡った頃には、また何か別の話が出て来ることであろう。しかし私としても、いつまでもこの方面の科学にそっぽを向いている気はない。ただ生兵法は困るが、栄養学もそろそろ信用していい頃であろう。
 というのは、アメリカ人の平均寿命の統計には、実は内心舌を捲いたからである。一九〇〇年、即ち明治三十三年における、アメリカ人の平均寿命は、四十七歳であった。ところが、それが四十年後の一九四〇年には、一躍六十三歳に延びている。一九四〇年といえば、今度の太平洋戦争勃発の前年である。ところで、それから二年のうちに、それが更に延びて、一九四二年には六四・八二歳になっている。日独同盟だ、シンガポール陥落だ、ソロモン海戦だと、日本の方では無我夢中になっていた時代の僅か二年間に、平均寿命が一・八二歳も延びているのだから、驚いた話である。
 一九三〇年には、アメリカに、六十五歳以上の人間が、六百七十五万人いた。ところがそれから十年後、即ち一九四〇年には、この六十五歳以上の老人の数が、九百万を突破しているのである。この十年間の全人口の増加率は、僅か七・二パーセントであったのに、六十五歳以上の老人の増加率は三四・一パーセントに達している。人間がなかなか死ななくなったという、これくらい顕著な例は、ちょっと世界中にも珍しいであろう。そしてこういう老人たちが、皆ヒマラヤに登れるのだったら、これもまた世紀の一つの奇蹟というべきであろう。それで私も、西洋風の医学と栄養学とを信用することにした次第である。
 世界中で、一番早く年をとるのは、南洋の土人だという話をきいたことがある。四十歳にもなると、もう完全に老人になってしまうそうである。日本でも、この頃は大分よくなったが、まだ田舎へ行くと、五十歳くらいでもう立派な老人になっている連中がある。若い間は、ひどい粗食に耐え、過激な筋肉労働をして、それでも非常に元気であった人が、五十歳近くになると、急に衰えて、見る影もない年寄になってしまう。アメリカの老齢学が要求する栄養と、それらの人々の食事とを較べてみると、当然のことではあるが、惨ましい気もする。
 もっともこういう話をしかけると、最後まで聞かずに、すぐ口を入れる人がよくある。「わかっているよ。しかし現在の大衆には、そんな栄養なんか摂れないんだよ」と、これを単に経済の問題として片づけてしまう傾向がある。しかしこの中には経済の問題ももちろんあるが、「知識がない」という点にも、一半の原因があるのではないかという気もする。というのは、どんな高価な栄養品でも、ピースやかすとりよりは大抵はずっと安いからである。
 例えば蛋白の問題などにもよく誤解があるらしい。老人には肉食は禁物で、新しい野菜とか、魚でもなるべくあっさりしたものがいいとよくいわれている。しかし人体の組織は、常に消耗と補給との平衡状態にあるので、老年に入っても、新しい蛋白の補給は、常に必要である。もし老齢に入ってなお、壮者の活動を続けようとしたら、より以上の蛋白が必要なのである。専門以外のことに広言を吐くつもりはないので、ただ最近のアメリカの老齢学者が、そういう意見であるらしいということを伝えるだけである。
 もっともこういう意見も出るであろう。老人は一般に高蛋白食には食慾がなく、淡白なものを好む。食慾がないということが、何よりの証拠であって、浅はかな人間の智慧で、自然の理法に逆うことはできないというのである。一応もっともな考え方であるが、老人の食慾減退は、少なくもその大部分は食事中のチアミン即ちビタミンB1の欠乏によるということが知られている。蛋白が必要だといって、蛋白だけを与えるのが、浅はかな智慧なのである。現代の科学は、栄養学のように比較的後れて発達した部門でも、既にその域はとっくに抜け出しているようである。
 もっともアメリカの老齢学者とても、老齢期を壮年期と同様に取扱おうというのではない。老の現象は、必然的な生理現象であって、これは胎児の最初の発生とともに出発して、死まで続く現象である。そしてそれは、いわゆる老年期に入って、はっきりと現出して来るのである。この外に現われる現象、即ち老衰現象には、組織中の水分の減少、蛋白質の減少、弾性の欠乏など、どうしても免れられない要素が沢山ある。そういう時期においてなお、栄養のバランスを取りながら、正常な生活状態を続けさせるのが、この方面の科学の任務である。
 それで老衰期における栄養には、成熟期における栄養以上の注意が必要なのである。そういえば、赤ん坊を人工栄養で育てる場合には、月数によって牛乳の薄め方を加減し、いろいろな滋養剤を入れたり、果汁を加えたりしている。それと同様な注意を、老齢期における食事にも払うのが当然なのである。
 従来はそういう考慮を全然しないで、脂ぎっているものは制限し、柔かくするためによく煮込んだものを食べる習慣になっていた。従って蛋白不足に陥り、特にビタミンと鉱物質との不足のために、慢性的な疲労状態になっていた人が多かった。
 ところが今度アメリカへ行ってみたら、ちゃんと老人用の牛乳というものが出来ていたので、一寸驚いた。老人のビタミン及び鉱物質の必要量は、まだはっきり決っていないようであるが、大体成人の必要量と同じとみてよいそうである。もっともアメリカでも、従来の食事は、鉱物質の不足、特にカルシウムの不足に陥る傾向があったそうで、そういう点も充分留意してある。
 蛋白の中で人体の栄養に一番いいものは、牛乳の蛋白であるから、牛乳に他の必要な要素を加えたものが、けっきょく一番いいわけである。例えば、アメリカでも第一流のB会社で売り出している老人用粉乳は、肝油やビール酵母などから必要のビタミン類を補給し、第一燐酸ソーダや枸櫞くえん酸鉄などを加えて、鉱物質を添加するというふうに、大分進んだ考え方になっている。少なくとも広告には、そういうふうに書いてある。
 広告のそのままの受け売りであるが、この粉乳を約三合の水に溶かしたものが、一日の使用量となっている。その標準溶液、というよりも、この老人用牛乳三合の成分は、次のようになっているという。
蛋白             二六グラム
カルシウム       八三〇ミリグラム
燐           八〇〇ミリグラム
鉄            一六ミリグラム
ビタミンA      六五〇〇USP単位
ビタミンB1       二・二ミリグラム
ビタミンB2       二・七ミリグラム
ニコチン酸アミド     一八ミリグラム
ビタミンC        八五ミリグラム
ビタミンD       七〇〇USP単位
 この成分量は蛋白を除いては、ビタミンも鉱物質も、アメリカの学術研究会議で、一九四五年に決めた成人の必要量を数割突破している。蛋白はもちろん他の副食物から充分摂れるから、これだけ飲んでいれば、老齢期の栄養は充分だというのである。
 広告どおりに効くかどうかは、保証の限りでないが、これくらい綿密にやってあると、つい信用する気になる。ところでこの老齢学を適用して、一番効き目のあるのは、五十歳くらいから始めるのだそうである。
 丁度老衰現象が始まろうとする時期から、これで梃子てこ入れをすると、八十歳になってもヒマラヤに登れるというのである。八十歳まで生きることは、そう羨ましくはないが、八十歳でヒマラヤに登れることは、誰でも一寸羨ましいであろう。
 もっともこういうことを書くと、若い人たちには、人気が悪くなるかもしれない。今の日本は、たださえ老人が威張っていて困るのだから、この上老齢学など発達されては大変だという議論も出ることであろう。しかしそういう人たちも、六十歳くらいになったら、きっとこっそりこの牛乳を飲むにちがいない。それでそういう議論は別として、科学の進歩という点からみると、栄養学の進歩にもまことに恐るべきものがある。
 戦争中に、毎日新聞社の友人T君が、スクリプス・ハワード系新聞社で出している世界年鑑の中から、物理学及び化学の分を抜き書きして送ってくれたことがある。それを見て驚いたことは、合成ゴムの研究や、マグネシウム鉱の製錬法のような、直接軍事用に必要な研究と、光速度の再測定や、サイクロトロンによるダイヤモンドの緑色化というような研究とが、平気な顔をして並んでいたことである。戦争になっても、科学界がちっとも息を切らしてはいなかったのである。
 如何なる状態の時でも、広い範囲に亙って、学問全体の調和を保ちながら、悠々と、しかも確実に進んで行くということは、偉大なことである。アメリカは原子爆弾も作ったが、老齢学も進歩させていたのである。
 湯川さんのノーベル受賞を契機とする理論物理学振興策と、戦時中のあの騒々しかった戦時研究とは、表面は正反対のようであるが、深いところでは一脈通ずるものがあるような気がする。その点は心すべきことである。全然専門外の老齢学の話などをずうずうしく紹介して、専門学者の憫笑を買う危険を冒すのも他意あるわけではない。
(昭和二十五年二月)





底本:「中谷宇吉郎随筆選集第二巻」朝日新聞社
   1966(昭和41)年8月20日第1刷発行
   1966(昭和41)年9月30日第2刷発行
底本の親本:「花水木」文藝春秋新社
   1950(昭和25)年7月15日初版発行
入力:砂場清隆
校正:岡村和彦
2020年7月27日作成
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