アメリカ種の落語

中谷宇吉郎




 二十年ぶりにアメリカを廻ってみて、一番感じたことは田舎の隅の隅まで、道路が非常によくなったことである。大都会やその近郊なら、そう驚きもしないが、例えばニューハンプシアの北の果て近い僻地までがそうである。二十キロくらいも行かねば、次の村がないようなところでも、自動車の影がうつりそうなアスファルト道路が、縦横に走っている。こういう道路は何も中央政府が造るのではなく、全部自動車の使用者が造るのだそうである。ガソリン一ガロンについて、何セントだったか、税金がかかっている。その税金は道路の修理のためにとるもので、ほかの目的に使ってはいけないことになっている。ところが、その金が案外大きい金額になるので、なかなか使い切れない。こういうところの道路まで、ぴかぴかにしても、まだ余って困るのだそうである。
 そういえば、マサチューセッツ州などでは、方々で、日本なら第一級の立派な道路を、盛んに掘り返して修理していた。それも何セントかの口の由である。最近こういう話があった。道路という道路は、全部ぴかぴかにしてしまったのに、まだ金が余って困ったところがある。それでその残り金で、施療病院でも建てようという案が出た。ところがそれには法律を変える必要がある。それでその法律改正案を出そうとしたら、強烈な反対論が出て困っているという。道路のためにとった税金を、他の目的に使用するというようなことは、悪い前例になるというのであるらしい。金が余って困る話は、落語以外にも、実際にあるということがわかって、非常に面白かった。
 金が余って困る方は別問題として、政府にしたら、無料ただで国中の道路がぴかぴかになるのだから、こんな結構な話はない。損をするのはガソリン消費者、すなわち一般国民だけである。というふうに、早まってはいけない。何故かといえば、ガソリン消費者の方は、道路がよくなったために、ガソリンの消費量が半分以下になり、自動車の持ちが三倍以上になるからである。何セントどころか、何十セント払っても、この方が得なのである。
 そうすると、一般国民は、ガソリン一ガロンについて何セントかの税金を払うことによって、莫大な利益をうける。政府は金を一文も出さないで、国中の道路がぴかぴかになる。みんなによいことばかりである。欠点といえば、金が余って始末に一苦労することだけである。
 どうも少し話が変であるが筋に間違いはない。もし話が変であると感ずるならば、そう感ずる日本人の頭の方が間違っているのであろう。
 それならば、何処が間違っているかというと、話は極めて簡単である[#「簡単である」は底本では「簡単でである」]。日本人は、ガソリンは何のために消費するかという一番大切な点だけを忘れて、その他のことに、一所懸命に頭を使っているからである。
 アメリカ人はガソリンは物を輸送するために使うものだと思っている。日本人はその一番肝腎なことを知らない。同時に、自分たちが、ガソリンを石ころとタイヤとの衝突に原因する、いろいろな摩擦エネルギーとして消耗していることも知らない。要するに何にも知らないのであるから、無邪気といえば、まことに無邪気な話である。
(昭和二十四年十二月)





底本:「中谷宇吉郎随筆選集第二巻」朝日新聞社
   1966(昭和41)年8月20日第1刷発行
   1966(昭和41)年9月30日第2刷発行
底本の親本:「花水木」文藝春秋新社
   1950(昭和25)年7月15日初版発行
※誤植を疑った箇所を、親本の表記にそって、あらためました。
入力:砂場清隆
校正:岡村和彦
2020年7月27日作成
青空文庫作成ファイル:
このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(https://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。




●表記について


●図書カード