油を搾る話

中谷宇吉郎




 いつか江戸前の天ぷら屋で天ぷらを喰った時に主人から聞いた話である。
 油は榧の油と胡麻油とを半々に割って使っています。手搾りの油があれば胡麻ばかりの方が良いのですが、この頃じゃ機械搾りしかありませんから胡麻だけでは少ししつこくなりますので。
という話なのである。しかし機械の方が巧く搾れそうなものだときいたら、「駄目ですね、とことんまで搾ってしまいますから」という返事であった。
 これはなかなか面白い話のようである。機械で、手搾り程度に搾って、それを手搾りと機械搾りとの中間くらいの値段で売れば、天ぷら屋も喜ぶし油屋も儲かるはずであるが、なかなか実行はされないことらしい。この話は大仰に云えば、現代の経済組織の一つの相であると見られないこともない。もし以上のことをよく了解した製造家があったら、その人は機械を使って手搾り程度に止めて置くかというに、多分それはしまいと思われる。理由は本当に了解するということが、このような簡単な場合にも殆んど不可能に近いくらい困難なことであるからであろう。
(昭和十一年十一月)





底本:「中谷宇吉郎随筆選集第一巻」朝日新聞社
   1966(昭和41)年6月20日発行
底本の親本:「冬の華」岩波書店
   1938(昭和13)年9月10日第1刷発行
入力:砂場清隆
校正:きゅうり
2021年2月26日作成
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