牛の丸焼

中谷宇吉郎




 だいぶ前のことであるが、「西洋の浜焼」という題で、チリーのインディアンの料理の話を書いたことがある。
 それはクラントウという料理であって、肉と野菜とを、幅の広い木の葉でつつんで、土の中に埋めて焼いたものである。これは現在、チリーの南端にあるフエゴ島の土人だけにしか残っていない料理法で、チリーやアルゼンチンの人たちもほとんど知らない、珍しい料理である。
 ところが最近変った本が出て、南太平洋の孤島イースター島の土人も、現在この料理をやっていることを知った。そしてこの料理法で、牛を一匹丸焼にすることもあることを知って、非常におどろいた。まことに規模雄大な話である。
 この本は Aku-Aku(アク・アク)という珍しい表題の本であって、著者はノルウェーの考古学者 Thor Heyerdahl である。というよりも、有名な「コンティキ漂流記」の著者といった方がわかりやすいであろう。この本は、世界十何カ国語に翻訳され、日本でもだいぶ評判になった、途方もなく面白い本である。こんど出た Aku-Aku は、コンティキの続編ともいうべき本で、これも既に数カ国語に翻訳され、世界的に評判になりつつある本である。(註 これを書いたあと、日本訳も既に出ているという話をきいて、ちょっと驚いた。山田晃訳・上下各二八〇円・光文社刊)
 イースター島は、南米と濠州との中間、南太平洋のまんなかにある孤島で、いわゆるポリネシア群島に属している。長さ十二マイル、幅八マイルくらいの小さい島であって、広袤こうぼう数千マイルの南太平洋の中では、砂粒のような島である。
 この島は、ほとんど木の生えていない荒涼たる土地である。月世界のような裸の岩山が、島の大部分を占め、その山裾のスロープだけが、葦のような雑草の草原になっている。海岸はほとんど全部、恐ろしく切り立った断崖になっていて、人間の近づくことを許さない。ところでこの島は、考古学者の間で、一つの神秘境とされている。というのは、こういう人外の世界に、驚くべき巨大な石像が散在しているからである。ほとんど人間の住んでいる気配のない荒涼たる草原の中に、奈良の大仏くらいもある大きい石像が、何十となく立っている。そのほとんどは、土に埋もれて、顔だけが草原の中につき出ているのであるが、その顔の長さが、人間の背丈の二倍から、三倍くらいもある。発掘の結果、この石像は、腰から上だけしかないことがわかったが、それでも大きいものになると、五階建のビルディングくらいの背丈のものがある。
 この島は、今から二百三十年ばかり前に、初めてオランダ人によって発見されたのであるが、その時すでに、この巨像は、廃墟の姿で、海から見える草原の中に、存在していたのである。その後、キャプテン・クックを初め、いろいろな探検家が、この島を訪れたが、ある時は、たくさんの土人が海岸に群がっているかとおもうと、ある時は、全島ほとんど無人の姿であったこともある。とにかく不思議な島であった。
 現在は、チリーに属しているが、いまでも、一年に一度チリーの軍艦が、物資をはこぶために立寄るだけで、ほかの世界とは、全く隔絶された孤島である。住民はポリネシア系の土人で、機械文明とは、縁のない人たちである。この土人たちには、もはや巨大石像を造る技術も意力もないので、この石像は、先住民によって造られたものと考えられている。しかしその先住民がどういう人種であったか、見当がつかないので、世界の考古学界の一つの謎となっているのである。
 この点について、コンティキの著者は、一つの学説をもっている。それは南米のインカ文明の前に、プレインカ民族というかなり高度の文化をもった民族がいて、それが大洋を渡って、南太平洋群島へ渡ってきたという説である。巨大石像は、南米の太平洋岸にも点在しているし、そのほか、いろいろな比較文化的研究からいっても、この説は非常に妥当と考えられるのであるが、一つ困ったことは、プレ・インカの時代の人間が、どうして太平洋を横切ることができたかという点にあった。それでこの著者は、フンボルト海流に乗れば、筏によって太平洋を横切ることができるという説を出し、それを実証するために、自分で筏に乗って、南米のリマを出発して、タヒチ島の近くまで漂流することに成功したのである。その記録が、「コンティキ漂流記」である。
 これで一躍世界的の名声を博した著者は、こんどはスウェーデン国王オラフ五世の後援で、探検船を仕立てて、イースター島の考古学的調査に乗り出した。一九五五年から五六年にかけてのことで、ごく最近の話である。そしてその記録が、この「アク・アク」なのである。
 この探検の一番の収穫は、従来知られている巨大石像のほかに、プレ・インカ系統の石像を二つ発掘した点にある。そして層位的研究を加えて、イースター島には、三期の文明があって、その第一期は、プレ・インカと非常によく似た文化をもち、問題の巨大石像は、第二期に造られたものであることを、ほぼたしかめた。現住民は、第三期に属する。そのほかに、今一つ大収穫があったのであるが、それは、現住民が、たくさんの秘密の洞窟をもっていて、その中に奇怪な石の彫刻品を、たくさん秘蔵していることを知り、その収集に成功した点である。ポリネシア人、或いは原始民族の怪奇な空想力をのぞき見るには、貴重な資料である。
 前置きがだいぶ長くなったが、現代人がこの秘密の洞窟へはいり込んだのは、これが初めてであって、それに成功した場面のところに、クラントウの話が出てくるのである。
 この秘密の洞窟は、戦争中にかくれたり、或いは家の宝物をかくしておくためのもので、少し勢力のある家族は、それぞれ自家の洞窟をもっている。家族が死ぬと、屍体もここに入れておくので、宝物と白骨とが入り乱れている、不気味なところである。
 この島は、海底噴火で出来た島で、火口も五つばかりあり、全島熔岩から成っている。それで熔岩洞が到るところにあって、洞窟には不自由しない。しかし原始民族の動物的感覚から、その秘密を守るためには、その入口を、極度に巧みにかくす必要がある。入口は家族の者にも知らせず、家長だけがその秘密を知っていて、死ぬ直前に、後継者に知らすことにしている。
 この秘密保持には、単に宝物をかくすためというだけでなく、原始宗教的な迷信がともなっている。タブーがまだ生きている社会であるから、家霊アク・アクがその洞窟を護っていると、固く信じ込んでいる。そのアク・アクの許しを得ないで、他人を洞窟に入れたり、宝物を持ち出したりすると、必ず祟りがあるといわれている。そして事実、そういう祟りがあるのである。
 いろいろないきさつがあって、この著者が遂に秘密の洞窟へ入ることを許されるのであるが、その度毎に、アク・アクを慰めるために、鶏のクラントウをたてまつるのである。行動は全部真夜中、暗闇の中で行わなければならない。部落を遠くはなれた、熔岩の原のなか、人影などはもちろん無い。案内の家長は、洞窟の入口近いところにしゃがみ込み、素手で砂を掘り始める。そこには、朝からクラントウが仕込んであったのである。
 初めに、夜目にも光る緑の芭蕉の葉が出てくる。葉は何枚にも重ねられていて、だんだんめくっていくと、次第に褐色にかわっていて、湯気が立ち、汁気が出てくる。そして最後に丸焼にされた鶏の白い肉が現われる。さつま芋も一緒に、こんがりと焼けている。経験したこともないような甘美な芳香が、夜気の中にまじって立ちあがる。この大地の蒸釜は、土の中に穴を掘って、その中で焚火をして、焼けた石の熱と土の余熱とを利用したものである。詳しくは、「西洋の浜焼」に書いたとおりである。
 そこで家長は、今夜の主客に、その鶏の尻尾をちぎって、噛みながら、ポリネシア語の魔法の呪文を唱えることを命ずる。これには閉口したらしいが、勇猛心をふるって、無事任務を終えて、そのあとは皆で鶏をむしりながら、さつま芋を食う。非常にうまいものだそうで、これなら充分、アク・アクも満足するだろうという気がした。これで無事洞窟の中にはいることができ、貴重な資料が充分に集められたのである。
 ところが、イースター島のクラントウは、これなどはまだ序の口であって、牛を一匹丸焼にする場合もある。この著者は、昔の原住民たちが、どうしてこの巨大石像を運搬したかという問題を解決するために、現住民たちに、その運搬のテストをしてもらった。かねのほとんど通用しない島のことであるから、この時は駄賃として、牛の丸焼を二匹提供した。地下の大きい穴の中で、まるのままの牛と、さつま芋と、とうもろこしと、南瓜とを一緒にして、芭蕉の葉でつつんで、蒸し焼にする。これが住民たちの最高のご馳走であるが、恐らくわれわれの世界でも、最高のご馳走であるかもしれない。「世界中で一番おいしいビーフ・ステーキの香が、はしゃいでいる群衆の間にひろがり、男も女も、湯気の立っている大きい肉の塊りを手づかみにして、草原の中に坐っている」。そして百八十人の住民たちで、無事二匹の牛を片づけたそうである。効果は覿面てきめんで、テスト用の巨大石像は、やすやすと、草原の上を曳いていかれたと書いてある。
 土の中に穴を掘って焚火をして、焼石と土熱とで、材料を蒸し焼にするというこの方法は、いかにも原始的である。しかし考えてみると、これは高度に文明化した料理法ともいえる。われわれ文明人の調理場の中には、牛を一匹丸焼にする容器は、備えつけられていない。そして恐らく誰も、牛の丸焼の味は知らないであろう。そういう料理を、土人たちは、簡単にやってのけているのである。
 文明人の方で口惜しがって、大きいオーヴンを特別につくらせて、牛を一匹入れて対抗してみても駄目である。それなら象といわれたら、きっと困るにちがいない。家から建てなおさなければならないからである。野外でやればいいといわれるかもしれないが、それなら下等なクラントウになってしまう。鉄の容器よりも、土の容器の方がしゃれている。
(昭和三十四年五月)





底本:「中谷宇吉郎随筆選集第三巻」朝日新聞社
   1966(昭和41)年10月20日第1刷発行
   1966(昭和41)年10月30日第2刷発行
初出:「あまカラ 第九十三号」甘辛社
   1959(昭和34)年5月5日発行
入力:砂場清隆
校正:木下聡
2021年12月27日作成
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