今のことはよく知らないが、一昔前のいわゆる大阪商人は朝、人に会うと「おはようございます」の代りに「もうかりまっか」と言ったそうである。それには「いやあきまへんで」という受言葉がある。
東京の実業家の中には、この例をひいて大阪商人を軽べつする人がある。しかし私は、そういう大阪人をひどく尊敬している。というのは、われわれの仲間のうちで、朝、人に会った時に、最初に「実験は巧く行っていますか」と聞く人は、滅多にないからである。
戦争前の話であるが、日本の繊維工業が、ランカシャーを打倒した陰には、女工哀史もあるが、そればかりではない。この商魂があったからである。戦前のいろいろな方面における日本の発展は、たいていの場合、その陰に武力があった。本当に実力で先進国と争って、堂々と勝ちを制したのは、水泳と繊維工業くらいのものである。そしてそれを為しとげた功績の一半は「もうかりまっか」が「おはよう」の代りになるという商魂にある。
この商魂が生まれたのは、大阪に政治の中心が無かったからであろう。実業家が政治、即ち権力と結びつき易いところには、こういう商魂は生まれない。政治と結託して金をもうけるのは、陸軍を背景に満州を開発するようなもので、誰にでも出来ることである。
商人が実力で金をもうけるのは科学者が勉強によって真理を発見するのと、同様に価値のあることである。実力で金をもうけることは非常に困難で、それには努力によって良いものを安く供給するより他に道がない。ごまかしや機転も一時は効くかもしれないが、そんなことでもうける金はたかがしれている。とてもランカシャーを破ることは出来ない。
大阪人は科学と縁遠いとよくいわれるが、私には案外深いところで、大阪の商魂に科学精神と通ずるものがあるように思われる。科学は実力だけのものである。ニュートンの子供でも、アインシュタインの弟でも、それだけでは誰も科学者とは言わない。
統制経済の余弊として役所へ行ってうまく判が一つ貰えれば、十年間寝食を忘れて働くよりも金がもうかることもあったそうである。現在の大阪実業界へも、その風習が少ししみこんでいるかもしれない。それでもうけた金で、研究所を一つぐらい作っても、それは科学を尊重することではない。一つ遠慮なく「もうかりまっか」という朝のあいさつを奨励した方がよいだろう。
(昭和二十五年十一月)