紙の洪水

中谷宇吉郎




 アメリカの話も、もう皆鼻についているので、あまり書くこともない。しかしホテルに泊っていたのでは、一寸気のつかないこともあり、そういう話なら、少しは面白いことがあるかもしれない。しかし私はまだそのホテルに住居をしているので、書く資格が出来ていない。もう十日くらいすれば、家族の連中も到着するので、そうしたら、また種が出て来ることであろう。
 ところで、家をもつと、一寸気のつかない点で、いろいろ困る問題がありそうである。その一つに、紙の始末という問題があるという話をきいた。一寸油断をすると、すぐ何貫目という紙がたまり、それに紙袋だの、汚れた紙食器だのというものは、嵩も大きくなるので始末に困るそうである。もちろんそういう廃物を集めに来る男があるが、あまり嵩張ると、大分チップを奮発しないことには、持って行ってくれないという。
 アメリカの新聞は、御承知の如く、普段の日でも、十六ページくらいあるのが普通で、日曜などは、二十四ページにもなる。それに付録がつくことが多い。なるほどああいう新聞を、二種類もとっていたら、みるみるうちに、新聞紙の山が出来ることであろう。それから買物に行くと、どんな小さいものでも、馬鹿げた大きい紙袋に入れてくれる。少し目方のかかるものは、いやに丈夫な大きい紙袋で、太い紐でぶらさげられるようになっているものに入れてくれる。葡萄酒の罎を六本入れて下げてもよい紙袋だから、その丈夫さの程度は、想像されるであろう。
 この頃は、夏休みのシーズンであるから、ドラッグストアや十セント店には、ピクニック用のものが、たくさん出ている。ほとんど全部紙製の食器である。「なぜ汝は皿を洗うか」というようなスローガンが書いてある。
 牛乳は、この頃日本へも来ているような、カートン入りのものが、大部分である。いずれも人手よりは紙が安いから、大いに紙を浪費しているわけである。荷造りの箱も、御承知の如く、特別に重い場合を除いては、ほとんど全部紙函である。もっともこの方は木箱にするよりも、ずっと木材の消費節約になるので、日本も早くこの紙函工業を起こした方がよい。
 アメリカのこの紙の洪水が、どう始末されているか、一寸聞けばすぐわかる問題であるが、まだその暇がない。多分再製されているのであろうが、無駄になる部分が、相当多いことであろうと想像される。
 アメリカの森林状態も、近年はずっと過伐になっているので、関係者は大いに心配しているそうである。しかし現実には、紙の洪水は止みそうにもない。浪費する方が経済的なのだから、始末が悪いわけである。
(昭和二十七年九月)





底本:「中谷宇吉郎随筆選集第三巻」朝日新聞社
   1966(昭和41)年10月20日第1刷発行
   1966(昭和41)年10月30日第2刷発行
初出:「図書」
   1952(昭和27)年10月
入力:砂場清隆
校正:木下聡
2022年7月27日作成
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