中谷宇吉郎




 勘というものは、不思議なものである。和英の辞書をひいても、勘に相当する適当な言葉は見当らない。勘がよいというのには「見通しが早い」とか「第六感がすぐれている」という言葉があてはまるが、いずれも「勘」とは少しちがうように思われる。
「見通しが早い」場合には、それが推理の速い場合もあり、勘がよい場合もある。即ち勘は早い見通しがきくための要素の一つであって、見通し自身ではない。第六感がはたらくというのは、胡麻化しであって、勘が五感以外のものであるか否かは、わかっていない。
 勘の問題を考える場合に、一番大切なことは、勘というものが、実際にあるか否か、それを科学的に実証できるかどうかという点にある。普通勘がよいとか、悪いとかいうが、それ等は全然定性的のことで、しかも主観が大いに働いている。客観的に、勘の良否を判定する材料を集めることは、非常に困難である。
 例えば、日本人は勘がよいが、アメリカ人は非常に鈍いということが普通に言われる。しかしそれが本当かどうか、もし本当だとしたら、平均して、日本人はアメリカ人よりも、何割勘がよいか、というようなことは、全然わからない。そういう調査をするための客観的材料がないからである。
 ところが、ここに一つ、たいへん面白い材料がある。それは鶏の雌雄鑑別である。アメリカでは、卵を非常に沢山食べるので、雛のうちに雌雄を鑑別して、雌だけ育てることは、飼糧節約の上でも重大問題である。それで、これは一つの事業として成立しているわけであるが、面白いことには、この鑑別は、日本人に限ると言われている。
 中部だけでも、毎年十五人ばかり、鑑別士を日本から呼んでいるが、アメリカ政府も、この人たちには、査証の点などで、いろいろ便宜をはかっている。前からいる人を集計したら、何百人となるであろう。
 鑑別には時期があって、普通春から夏にかけて、約四カ月がその時期とされている。この間に鑑別した数によって、金を貰うわけであるが、優れた鑑別士は、四カ月に七千ドル(二百五十万円以上)も儲けるそうである。このシーズンのあとは、他の仕事をしていればよいので、まことに結構な話である。
 そういう仕事であるから、アメリカ人もできればやりたいにちがいない。それを日本人の専門みたいにしているところをみると、勘が実在しているからであろう。カナダ人なども来ているが、日本人の方が評判がいい。この鑑別には、たくさんの資料があるはずだから、勘の研究には、いい材料であろう。





底本:「中谷宇吉郎随筆選集第三巻」朝日新聞社
   1966(昭和41)年10月20日第1刷発行
   1966(昭和41)年10月30日第2刷発行
底本の親本:「百日物語」文藝春秋新社
   1956(昭和31)年5月20日発行
初出:「西日本新聞」
   1955(昭和30)年8月
入力:砂場清隆
校正:木下聡
2021年5月27日作成
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