果物の天国

中谷宇吉郎




 この夏、アメリカの友人から妙なことを頼まれた。それは岡山の白桃と二十世紀とを食べておいてくれ、という依頼なのである。この男は、前に日本へ一度来たことがあるが、アメリカへ帰ってからも、どうしても忘れられないのは、白桃と二十世紀との味であるという。ところが、どうしてもあれは、アメリカまで送ってもらうことは出来ない。それで日本へ帰ったら、代りに食べておいてくれ、という依頼なのであった。
 日本では、アメリカを果物の天国のように誤解している人がよくある。しかし種類の豊富な点、味のよい点では、日本は果物の天国である。それもこの二、三十年来、とくに果樹の栽培技術が発達したためで、私たちの子供の頃からみると、まるで違った見事な品種が、次ぎ次ぎと出て来ている。
 アメリカで聞いた話では、中国地方からアメリカへ移民として行った人たちが、果樹の栽培技術を身につけて、郷里へ帰ったので、それ以来、日本の果物が非常に良くなったということであった。白桃や二十世紀はいうまでもないが、柿などもこの頃は非常に見事なものが出来ている。柿は外国では珍しいもので、昔ベルリンの果物屋などでは「日本のカキ」といって、売っていたものである。柿はドイツ語でもカキである。
 アメリカにはパーシモンというものがあって、これは辞書では柿となっているが、まことにつまらないもので、大きさも味も、まるで別物である。まず日本の野生の小さな柿と思えば間違いない代物である。この頃加州の日本人が、日本種の柿を栽培しているので、シカゴなどへも本物の柿が来ているが、これはひどく高くて、われわれの口にははいらない。
 蜜柑なども、お正月に食べるごく普通のあの蜜柑が、アメリカでは、相当の貴重品である。オレンジとそれに類似のもの、すなわち柑橘類は沢山あるが、日本の蜜柑のようなものはあまり見当らない。
 それで蜜柑の罐詰が、相当量アメリカへ輸出されていて、これは非常に喜ばれている。だいたい食後に、アイスクリームをかけて出すのであるが、かなり値段が高いので、半贅沢品である。パーティの時に出すくらいのもので、一般の家庭ではふだんは一寸食べられない。
 こういうふうに考えてみると、日本はまことに果物の天国である。地味もよいのであろうが、一番の原因は、秋が永いという点にあるのではないかと思われる。加州のように、年中合服一着ですむところでも、シカゴのように、夏からすぐ冬になるところでも、ともに日本のような高級な果物は出来そうに思われない。
 秋空高く菊薫るというような感じのところは、世界中にそう沢山はないのであろう。





底本:「中谷宇吉郎随筆選集第三巻」朝日新聞社
   1966(昭和41)年10月20日第1刷発行
   1966(昭和41)年10月30日第2刷発行
底本の親本:「百日物語」文藝春秋新社
   1956(昭和31)年5月20日発行
初出:「西日本新聞」
   1955(昭和30)年9月
入力:砂場清隆
校正:木下聡
2021年5月27日作成
青空文庫作成ファイル:
このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(https://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。




●表記について


●図書カード