自由と進歩

中谷宇吉郎




一 自由論争


 新年を迎えて、過去一年間をふり返ってみると、まことに多事であったという気がする。鳩山総理のモスクワ訪問と日ソ交渉、砂川事件など、何となく急迫した空気が、日本の空におおいかぶさってくる気配が感ぜられる。
 こういう気持を一層強めたものは、昨年の春から夏にかけて、一時日本を風靡した、いわゆる自由論争である。この方は、砂川事件ほど刺戟的ではなかったが、有識階級の間に発生した事件として、案外根強い影響を残したように思われる。
 ジャパンタイムスによれば、ことの起こりは、私と桑原武夫氏との対談に始まったということになっている。文藝春秋に出た『自由過剰の国・日本』という対談で、われわれ両人は、日本には自由が多過ぎると論じた。しかしそれは大したことではなかったが、その後一月ばかりして、石川達三氏が、朝日新聞に『世界は変った』を書かれて、俄然議論が沸騰する騒ぎとなった。恐らく、日本で評論家と目されている人の大多数は、この問題に口をさしはさまざるを得ないような情勢になった。事実、いわゆる第一線の評論家或いは文化人は、ほとんど全部がこの問題について、意見を述べられた。
 問題は、それほど重大であったのである。というわけは、この論争をつきつめて行けば、結局日本は、自由国家群の考え方を可とするか、共産圏諸国の考え方に落ちつくか、というところに帰するからである。あまりにも簡単に割り切ると言われるかもしれないが、理念や文章の粉飾をとり去って、煎じつめたところは、個人主義を重視するか、全体主義的な考え方を取り入れるかという点に行きつく。
 この点を説明するには、発火点となった石川氏の論文からはいる方が、一番わかり易いであろう。石川氏の説を要約すれば、次のとおりである。日本には自由が多分にあるが、その自由には方針がない。知識人は各々自己の小自由に安住していて、建設的な意図をもたない。ソ連や中国では、自由は制限されているが、建設がある。国力がどんどん充実して行き、国民の生活水準が上がることが、大きい意味での自由である。日本も何とかしなければ、近い将来に、すっかり取り残されてしまうであろう。
 言葉はもちろんちがうが、本筋は大体右のとおりと思われる。この意見に対しては、知識人の間には、概して反対が多く、全体主義への復帰を危惧する声が高かった。しかしそれは中央のジャーナリズムの話であって、地方では、とくに若い人たちの間では、この石川氏の論文は、相当熱意をもって受け入れられたそうである。
 ソ連や中共の急速な進歩、とくにその建設ぶりの華々しさには、瞠目すべきものがあるらしい。そうかといって、日本でも全体主義の体制を採るべきかといえば、尻込みをする人が多い。しかし今のままでは行き詰まるか、取り残される心配が相当濃厚である。亀井勝一郎氏は、全体主義への復帰を危惧する人々は、それでは具体的にどうすればよいかと聞かれると、皆口ごもってしまう、と言っておられる。そしてどういう幼稚な説でもいいから、各々が自分の思っていることを、具体的にはっきり言うべきだと付け加えている。そのとおりであって、そういういろいろな具体的な意見が沢山出て、それがだんだんと絞られて行って、中庸を得た具体案に到達するのが本筋であろう。

二 国家の建設と自由の制限


 国家の建設を推進させるためには、或る程度まで個人の自由を制限することも止むを得ない。ソ連や中共では、なるほど個人の自由は制限されているが、そのかわり完全就業で、若い人たちは、皆※(「口+喜」、第3水準1-15-18)々として、建設の仕事に励んでいる。国を良くするのだという希望に燃えて、喜んで政府の命令に従っている。自由は制限されても、それを喜んで受け入れているのならば、ちっともかまわない。
 こういう考え方も、たしかに成り立つ。しかしそれは程度の問題であって、本人が喜んで受け入れたからよいといえば、特攻隊の制度も是認しなければならない。特攻隊の中には、周囲に引きずられていやいやながら参加した人もあったが、本心から希望した青年もかなりあった。現に北海道で、その両親の嘆きを聞いた例もある。本人が承知するか否かは、それは個人の問題であって、社会全体としてみるときは、一応論議の外におくべきであろう。
 国家的な建設事業をする場合に、全体主義的な権力でもって、強行すれば、どんどんはかどるに違いない。例えば、中共の最近の華々しい建設なども、その裏には、強権が相当強く動いているのではないかと思う。昭和三十年九月号の『心』に、茅さんや和達さんたちとやった座談会の記事が出ている。その中にある和達さんの話では、北京の近くの官庁ダムをつくるときは、四万人の住民を動かしたそうである。四万人の人間が住んでいる土地を、平気で水底に没することのできる国では、建設のはかどるのも当然である。只見川の場合には、一軒の農家に一千万円程度の補償をしても、まだ赤旗を立てた応援団がかけつけた。これではダムなど到底造れるものではない。四万人の住民全部に、一戸当り一千万円級の補償をしたのか。補償はそうしなかったが、全住民が自ら進んで政府の命令に従ったのか。資料がないので、何とも言えない。中共訪問者は、そういう点も聞いて帰られたら、参考になる点が多いであろう。
 同じ座談会で、茅さんは、三河水門のことを話しておられる。これは大内さんも、中国の誇るべき建設工事と言っておられるものである。淮河の流域は、六千万人の人間が住んでいる大切な土地であるが、ときどき大洪水に襲われて、住民は非常な難渋をするところである。その淮河につらなる洪沢湖に、高さ九・五メートル、幅十メートルの大水門を六十三個つくり、これで水位の操作をしようという大工事をやり遂げたのである。同時に大規模な放水路をつくったので、一昨年の洪水が、完全に防禦できた。こういう大貯水湖は、洪水防禦に役立つばかりでなく、豊富な灌漑水を供給してくれるので、旱魃かんばつも防げる。
 ところでこの工事は、どういう方法でやったかというに、ソ連の指導によって、機械力は使わず、全部人力でやり遂げたのである。五万人の人間を動員して、九百日かかって造ったそうで、「万里の長城式にやった」わけである。五万人の人間が、もっこをかついで、土を運んでいる状景を、頭に描いてみると、どうしても、強権の匂いが感ぜられる。これは、何も中共を悪くいうのではない。革命直後の苦しい財政で、これだけの大事業を強行しようと思えば、そしてそれが国民の幸福を増進させることになるのであれば、或る程度強権を発動させることも、是認されるであろう。
 こういう例をひいた真意は、中共やソ連の国家建設は羨ましいが、その方法を、日本で真似ようと思っても、できないという点を、強調するところにある。今一つ別の例を挙げれば、大都市の過剰人口の問題は、日本でも重大な問題である。中共でも同じ悩みがあって、上海に人間が集まり過ぎて困った。それで一定数の人間を、上海から奥地の方へ移したという記事が、数カ月前の新聞に出ていた。そういうことができれば、政府は大いに楽であろう。東京都の人口増加は、毎年仙台くらいの都市が、一つずつ付け加わる計算になるそうである。これでは都市計画などできるはずがなく、非生産的な人間を殖やすばかりである。命令一本で、二百万人くらいの東京の人間が、北海道の奥地へ移って行ってくれれば、問題は一遍に片づくが、日本ではできない。それが中共ではできるのである。

三 二種類の自由


 国家の建設のためには、個人の自由を制限するという問題は、何もソ連や中共に始まった話ではない。昔の専制君主時代は、皆そうであり、ナチのドイツや東条軍閥時代の日本もそうであった。ただ、ソ連や中共の場合は、目的が違っているので、「国民大衆の利益のため」に制限するのであるというのが、最近の自由論争の一つの骨子となっている。
 日本のように、各人が自由々々と言っていては、自分には都合がよいかもしれないが、そのために国の貧困をきたし、「失業の自由」や「疾病の自由」も出てくる。自由を束縛することによって、より大きい自由を獲得することを考うべきである。自由よりも大切なものは進歩である。
 こういう一方の議論に対しては、自由は目的であって、手段では無いという信条の人もかなりある。事実、昨年の日本のジャーナリズムを賑わした自由論争は、その後もずっとあとを引いているのであるが、この両方の考え方の交錯であったと見なされるであろう。しかしあれだけの論争があったにもかかわらず、互いの議論がそれ合う場合が多く、結局うやむやのうちに立ち消えになった傾向が、多分にある。煎じつめれば、自由は目的であるか、手段であるかという問題であるから、左右いずれかに岐れることはあっても、うやむやにはなり得ない性質の問題である。それが立ち消えになったのは、問題の取り扱い方に曖昧なところがあったからではないかと思われる。その第一は、自由という言葉の定義が、はっきりしていなかった点にあるのではなかろうか。
 日本語では、自由という言葉は、一つしかない。自由という観念は、西欧から輸入されたもので、その翻訳をする時に、何でも自由という一つの言葉にほうり込んだ傾きがある。これは小林秀雄氏の説であるが、英語には、フリーダム(freedom)とリバティ(liberty)と二つの言葉があるが、日本語では両方とも「自由」になってしまう。
 具体的に考えてみても、自由という言葉は、正反対の場合に、同様に使われることがよくある。旅行の制限などがその例で、国内の旅行が制限されたら、自由を剥奪されたと感ずる人が多い。そういう人たちにとっては、その規則は、非常な不自由である。しかし旅行嫌いでかつ現在のところに安住している人にとっては、その方がかえって自由であるというであろう。義理でいやいやながら、郷里の冠婚葬祭に出席しなくてもよいからである。ソ連では、革命後四十年経った今日でも、まだ国内を自由に旅行することは、許されていないそうである。しかし旅行などしたくない人にとっては、何もそれは自由の制限にはならない。
 こういう場合の自由は、「心の自由」であって、この方は、法律や規則の埓外にあるものである。個人のこころの問題で、はたからあれこれいうべき筋合のものではない。といっても、些細な問題という意味ではなく、建設だの進歩だのと騒いでも、結局は、この「心の自由」に落着くことであろう。いわば高次の問題なのである。
 社会とか、国家とかいうものを背景に置いて論議をする場合の自由は、「法律で規定された自由」に制限すべきである。信仰の自由、職業選択の自由、居住の自由、旅行の自由、言論の自由など、これ等は法律で護られた自由であって、前に言った「心の自由」とは、別のものである。この両者を混同すると、話がこんがらかってくる。
 英語のフリーダムとリバティとが、丁度巧くこの分類に合うかどうかも知らないし、また訳があたっているか否かもわからないが、話をはっきりさせるために、前者をフリーダムとし、後者をリバティとして、話を進めよう。
 現在の日本人は、広範囲のリバティに恵まれているので、その有難味をあまり感じていない。しかしこれは非常に感謝すべきことなのである。「建設のためには、自由も制限すべきである」などということは、もしリバティを指すのならば、軽々には論断できないことのように思われる。下手をすると、人間解放という人類の歴史に逆行することにもなりかねない。一番警戒すべきことは、そういう議論をしていると、無意識のうちに、制限する側に立ったような錯覚に陥る点である。いざとなって、制限される身になった場合、慌てても手おくれである。

四 米ソいずれに学ぶべきか


 以上のような話は、いわばわかり切ったことである。問題は、それならば、現在のままでよいかという点にある。それは悪いにきまっているので、現在のままでよかったら、誰も騒ぎはしないはずである。
 ソ連では、大学教育に、相当厳しい制限がある。在学中はほとんど官費で賄われるが、卒業後は職業及び任地の指定を受けるといわれる。ソ連については、新聞や雑誌に散見される知識だけによるが、一般の日本人としては、それ以上の知識は得られない。それで日本に流布されている知識だけで論ずる方が、かえってよいのではないかと思う。問題は「日本における自由論争」についての話であるからである。
 大学を卒業すると、職業を指定され、同時に任地も決められる。これは職業の選択及び居住に関するリバティを制限されることである。たしかに望ましくないことではあるが、それでも大学を出て就職口がなく、失業苦に悩んでいるよりはよいというのが、恐らく一般の感じであろう。大学出の失業者という深刻な悩みを体験した人にとっては、なおさらのことと思われる。
 現在の日本の悩みは、ここにあるので、基本的人権の一つである自由を束縛されるよりも、もっと不幸な境遇があるとされている。ソ連や中共における建設の進捗ぶりが、一種の焦躁感をもって迎えられることにも、理由はあるわけである。
 しかしここで考慮すべき問題がある。それは建設とか生産とかいう問題だけならば、何もそこまで飛躍する必要はないので、その前に考えてみる道がある。それは建設や生産の面では、ソ連や中共よりももっと進んでいる国がある。それはアメリカである。それでアメリカが、如何にして今日の状態をかち得たかという問題を、もっと考察してみる必要がある。
 アメリカの総合開発、国土の建設、天文学的な数量の生産などは、既にあまりにも多く日本に知られ過ぎている。そして日本との規模の差が、あまりにも著しいために、アメリカのことは、全然日本の参考にはならないというのが、今日の常識になっている。しかし私はそうは考えない。なるほど現在の情勢を比較してみれば、規模の上において、比較にはならない。しかし二十年前のアメリカと、今日の日本とを較べてみると、国の生産能力において、そう劣ってはいない。
 二十年前のアメリカと比較するなどというと、如何にも劣等感の極致の如くに思われるかもしれない。しかし現実の姿を冷静に見れば、残念ながら、それは認めざるを得ない事実である。日本における建設事業の花形は、佐久間ダムである。昨年秋これは一応出来上がって、三十五万キロの発電能力を、東洋第一と、われわれは誇っている。しかしアメリカで、佐久間ダムの三倍の発電能力、すなわち百万キロのボルダー・ダムが完成したのは、一九三六年で、今から丁度二十年前の話である。
 それで時間的にはおくれているが、敗戦のあの傷手から、かくも急速に恢復しつつある国情を思ってみると、アメリカ流のやり方を採り入れても、建設を進めることが可能のように思われる。
 アメリカ流というのは、個人の自由は充分認めながら、それで建設を進めて行くという意味である。ここでも、また今後も、自由というのは、もちろんリバティのことである。資源の問題がすぐ出てくるが、私は「日本は資源に乏しいから貧乏だ」という説には大いに疑問をもっている。たびたび書いたことがあるので、本文では略するが、水資源、森林資源、農産資源、さらに地下資源すら、日本は平均以上に恵まれた国である。今まで不足していたものは、資源を資源化する科学と技術とであって、資源そのものではない。
 それにしても、資源の量や土地の広さでは、日本はアメリカに比して、不利な条件にあることは事実である。しかしソ連や中共流にやろうとしても、大きいハンディキャップがある。命令一本では、百万人はおろか、一万人の東京の住民を、北海道の奥地へ移すことも、日本ではできない。両方とも真似がむつかしいとしたら、比較的困難の度が少ない方を選ぶべきである。それには、アメリカ流の自由と進歩とを共存させて行くやり方をまず検討してみる必要がある。

五 マイナスのリバティ


 敗戦以来十年後、今や日本は完全にアメリカ化されている。今更、アメリカの流儀を検討するとは、一体何を意味するのか。恐らく読者はこういう疑問を抱かれることであろう。これに対する答えは、きわめて明瞭であって、日本はちっともアメリカ化されていないのである。
 日本へ輸入されているアメリカ文化は、全く皮相なところだけである。服装、化粧法、遊覧バス、ジャズ、ハリウッド映画など、もしああいうものだけが、アメリカ文化であったならば、アメリカは決して世界一流の強国になれるはずがない。強国というのは、武器が多いというだけでなく、役所の黒人掃除夫でも、自家用車と電気冷蔵庫とがもてることを含めている。そのような物質面だけで、人間の幸福は論ぜられないという種類の議論は別の話である。ここでは建設と生産の問題だけを論じているからである。
 民族的に見れば、世界八十何カ国からの移民が大部分を占め、それに黒人問題という深刻な悩みを内蔵している。気候や土質からみても、日本などよりもずっと悪い条件にあって、国の半ばは、沙漠または半沙漠地帯である。そういう不利な条件を克服して、今日の建設をなし遂げたのは、国に秩序があるからである。
 アメリカは自由国家の先導をもって自ら任じているが、注目すべきことは、個人の自由は充分尊重しながら、秩序を立てている点である。自由リバティと秩序とは、立派に共存できるので、決して矛盾するものではない。
 秩序を立てるには、或る種の制限が要る。自分の好きなとおりにやることまで、自由という言葉に含めれば、「制限」とはどこかで衝突する。しかしリバティは法で定義されかつ護られた自由であるから、秩序のための制限とは矛盾しない。というのは、リバティに抵触することは、法でもって規正しておくことができるからである。
 リバティは集団生活の中の個人の自由であって、個人というのは、集団の中のすべての人を指している。それで他人のリバティを尊重するために、リバティには必ず「マイナスのリバティ」が付加さるべきものである。信仰の自由は、別の言葉でいえば、信仰の強制を禁止することである。
「マイナスのリバティ」などと、奇矯な表現を用いたが、結局、法律や規則のことである。そしてその性質は、リバティと同じ次元にあって、方向が反対という意味である。そういう意味で、自由リバティの侵害を防ぐための拘束は、自由リバティの制限ではない。
 アメリカは、非常に法律や規則のやかましいところで、実に細かいところまで、一々規則がつくられている。その点非常に不自由な国であるが、それは国家の建設のために、個人の自由を制限するのではなく、個人の自由を護るために、「自由」を制限するのである。そしてその制限によって、国の秩序を立て、生産を高めている。秩序と生産との間には、案外に深くかつ密接な関係がある。生産は能率によってきまる。そして能率は組織が整備され、それが有機的に働くときに向上する。すなわち国全体として秩序が立って、初めて近代産業の能率が上がるのである。
 この間の消息は、個人の生活について見るのが、一番わかり易い。ものを探すのに使う時間くらい、無駄になる時間はない。そしてそれがわれわれの日常生活では、相当な時間になるが、この時間を活かす問題は、整頓だけで解決される。ものを整頓されたところへ戻すには、三十秒もあればよいが、それを怠ると、探すときには、十分も二十分もかかる。整頓は秩序の中のほんの一部に過ぎない。社会の秩序という高次元の整頓が、如何に国全体の能率にひびくかは、深く考察してみる必要がある。

六 自由と進歩は共存し得る


 国の秩序は高次元の整頓であるというと、何かむつかしそうに聞こえるが、その第一歩は規則を守ることである。アメリカの事務能率が高いのは、いろいろな機械が完備しているからと、一般に思われているが、機械化などは、その一部であって、一番大切なことは、イエスとノーでことを割り切っているからである。そしてこの割り切り方の底には、小学校における「嘘をつかない教育」がある。
 規則を守る習慣なども、深いところでは、この点と関連している。規則がある以上、守るのが当然であって、イエスはイエスなのである。規則ではそうだがというのは、イエスにノーが忍び込むことである。
 アメリカでは、ほとんどの州で未成年者に酒を飲ますことはもちろんのこと、売ることも禁止している。それで子供が、親爺の晩酌の酒を買いに行くという孝行はできない。日本人はよく若く見られがちなので、れっきとした大学教授が、ビールを飲みに行って、断わられたというような逸話がよくある。未成年者とみると、断乎として酒を売らないというような身近なことが、日本では到底できそうもない。「まあいいだろう」と言われれば、たいていにやにやとして売ってくれる。
 大きい社会問題の中にも、きわめて簡単な規則で片付く問題が、いくらもある。例えば、この数年来国会をあれほど騒がした売春禁止の問題なども、結婚をしていない男女は一緒に宿屋に泊れないという規則をつくり、それが守られれば、一遍に片付いてしまう。
 日本では、こういうことを言っても、一笑に付されてしまうであろう。男女一組の客が来たときに、結婚しているかいないか、どうして決められる、まさか戸籍謄本をもって歩くわけにも行くまい、と言われそうである。ところが、アメリカでは、このまさかを平気で実行しているのである。
 もっとも一々の客を、皆尋問するわけではないが、怪しいと思えば、結婚証明書を見せろということができるようになっている。それで自動車の免状、生誕証明書、疾病傷害の保険書などと一緒に、結婚証明書をもっている男がよくある。皆規格のサイズになっていて、手帳型の合成樹脂の「パス入れ」に入れて、いつでも身につけている。
 アメリカという国は、結婚証明書がないと、若い男女が宿屋に泊れない、少なくもそれを本筋としている国である。何でも規則でしばられては、生活にうるおいが無くなるといわれるかもしれないが、日本には少しうるおいが有り過ぎるのである。
 それでは子供に酒を売らなければ、また結婚していない男女を宿屋に泊めなければ、国の生産が上がるのかと聞かれるであろう。しかしそれ等はほんの表面の現われに過ぎないので、大切なことは、規則がある以上はそれを守ること、また社会道徳に反することは、それを禁止する法律を、びしびしつくっていることである。生産と道徳との関係は、別の機会に譲るとして、結論だけいえば、国家全体の生産を上げるのに、一番大切なものは、社会道徳であると、この頃考えるようになった。そしてその裏付としては、リバティを守るためのマイナスのリバティ、すなわち規則をつくり、それを守ることが、第一に着手すべきことと思われる。
 個人の自由を制限しても、国家の建設ができれば、そこに進歩があるという考え方は、一面においては正しい。しかし進歩が、建設とか生産とかを、主として意味するとしたら、そこまで行く前に、打つべき手はある。それは国家の秩序を立てることによって、内攻或いは空転している国民のエネルギーに、目標を与えることである。
 秩序を立てるには、或る程度の制限は必要であるが、この制限は、他人の自由リバティを侵害する「自由」を制限するのであって、リバティを制限するのではない。こういうふうにして、国家の建設ができれば、自由と進歩とは、共存して伸びて行けることになる。
(昭和三十年一月)





底本:「中谷宇吉郎随筆選集第三巻」朝日新聞社
   1966(昭和41)年10月20日第1刷発行
   1966(昭和41)年10月30日第2刷発行
底本の親本:「文化の責任者」文藝春秋新社
   1959(昭和34)年8月20日発行
初出:「心」平凡社
   1957(昭和32)年1月
※本作品中で言及されている「自由過剰の国・日本」は、「文藝春秋(1956(昭和31)年8月)」に載っています。
入力:砂場清隆
校正:木下聡
2021年11月27日作成
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