本当に人間が住める人工衛星が、いつごろ出来るかは、いまのところまだわからない。しかし十年ぐらいのうちには出来るだろうというのが、一般の見通しになっている。数年の誤差はあっても、いずれ出来るには、ちがいない
ところでそうなった時に、一番困るのは
重力のないところでは、ものを捨てても、そのままいつまでも目の前に浮いている。そんなものがいつまでも窓の外に浮いていられては困る。爆薬をしこんで、外で爆発させても、そのチリは軌道に近いところを宇宙塵となって回ることであろう。地球のまわりに、そんなもので「土星の環」ができるのは、どうもありがたくない。
それでは小さいドラムかんにつめて、小型ロケットをつけて放り出し、軌道速度と逆の方向に噴射させたらということも考えられる。そうすれば速度が落ちるので、ドラムかんは軌道をはずれ、地球に向って落ちてゆく。そして大気圏にはいると、流星となって燃えてしまう。これもどうも、何となく後味の悪い案である。中秋の明月の晩、月をめでていると、スーッと流星がとぶ、これがあれだと思うと、月見の宴もだいぶ興がそがれるであろう。
一番よいのは、地球へもって帰って捨てる案である。どうせいろいろな物資を補給するための宇宙ボートが、人工衛星へものを届けるにちがいない。その帰りに持って帰ってもらうのが一番簡単である。帰りは
宇宙時代になっても、やはり汲取舟は必要だというのが、人間なのである。
(昭和三十二年十二月)