西洋の浜焼

中谷宇吉郎




アルゼンチンの浜焼


 アルゼンチンから来ている氷河学者から、南米インディアンの料理の話を聞いた。クラントウというのだそうで、原理からいえば、鯛の浜焼のようなものであって、別に珍しい話ではないかもしれないが、ただ規模の大きいところが、ちょっと変っている。これは野外で、大勢の仲間があつまって食事をする場合に限られている。アルゼンチンの草原の広々としたところが舞台である。
 まず地面に大きい穴を掘って、その中に石塊をたくさん放り込む。そして丸太をその上に積んで、盛大な焚火をする。丸太がだいたい燃え終る頃は、石塊も土も赤熱に近いくらい熱くなっている。おきはそのままにして、燃え残りの丸太だけを取りのけて、この、いわば炉になっている穴の中にいろいろな材料を放り込むのである。
 最初は肉であるが、これが甚だ規模雄大な話で、ふつう羊か、子牛かを一頭丸ごと入れるのだそうである。牛を一頭放り込んだという話は、この頃はあまりないが、昔はやったという話である。羊でも子牛でも、文字通り[#「文字通り」は底本では「文子通り」]丸ごとであって、頭も皮もそのまま、毛までついたままで放り込む。もっともはらだけは出しておく。
 それから何とかいう木の大きい葉をたくさん用意しておいて、それを何重にも羊の上にかぶせる。そしてその上にいろいろな野菜類をならべて、また、葉でおおう。何でもこの葉は非常にたくさん使うので、何重にも重ねて、蒸気の洩れる隙間がないようにするのだそうである。そしてまたその上に、今度は、蝦だの、貝だの、魚だのを一杯にならべて同じように葉をかぶせる。その上にさらに、一番早く蒸せる野菜類をならべて、また葉でおおう。
 こういうふうに盛り上げていくうちに、穴はいっぱいになり、さらにどんどん上に積み上がって、小さいドームのような形になる。最後には、葉を二寸くらいも重ねて、ぴったりとおおってしまう。少しでも蒸気の洩れるところがあると、そこへ葉をかぶせて止めるわけである。
 こうしておいて、お客たちは、その周囲にたむろしながら酒を飲んで待っている。だいぶ経って、もうよかろうという頃になると、既に酒は相当まわっている。やがて上機嫌のお客たちの前で、おおいの葉がとりのけられて、山海の珍味がくりひろげられるという寸法である。
 茫々たるアルゼンチンの草原の中で、丸蒸しの羊の肉を切り取りながら、大盃をあげてさらに飲む、というのは、大いに景気のよい話である。少し野蛮ではあるが、原始的な健康性もある。もっともこれは私の空想であって、実はまだこの料理は食べたことがない。話をきいただけである。それで味のことはぜんぜん書く資格がないわけで、雰囲気を想像して、羨ましがっているだけである。しかしこの話をしてくれた氷河学者は「ああいうおいしい料理は、他には決してない。一度ぜひアルゼンチンへ遊びに来ないか。このクラントウを御馳走するから」と言っていた。
 いかにも勇しそうな料理なので、一つこの話を紹介しておこうかと思ったが、食べたことのない料理の話を書くのは、どうもむつかしいので、控えていた。ところが最近米国の東部、ニュー・イングランドの大西洋岸にある町で、このクラントウと非常に似た料理を食べたので、前書として、この話を持ち出したわけである。

ニュー・イングランドの浜焼


 ニュー・イングランドの「浜焼」は、クラムベークという名前である。辞書を見ると「焼蛤の会」となっているが、それでは何のことか、よくわからない。
 クラムは海産の二枚貝で、蛤よりもむしろ形は鳥貝に似ている。大きさは長い方で二寸から三寸、蛤よりはだいぶ大きい。この貝は、この付近の渚でいくらでもとれるそうで、ちょうど日本の潮干狩のように、家族連れでこの貝を掘りにいくのが、土地の風習になっている。他の都市からのお客などがあると、クラム掘りに案内して、それを家庭で料理して出すのが、ちょっとしゃれた御馳走でもあり、また趣味のよいもてなしということにもなっている。日本だったら松茸山に案内するというところであろう。
 ところでクラムベークというのは、この貝とロブスターと玉蜀黍とスイートポテトなどを、クラントウ風に「浜焼」にした料理である。もちろん野外でやるので、木の葉の代りに海藻をつかうところが変っているだけで、あとは全くクラントウと同様である。
 ニュー・イングランドの海岸地方は、海岸線が非常に屈曲していて、入り曲った湾がたくさんある。海岸からちょっとはいると、一望の平地であるが、耕地はほとんどなく草原か灌木の荒地になっている。ところどころに、あまり背の高くない松林が見えるのが、日本の海岸地帯、とくに日本海の沿岸を思わせる。しかし空は妙に澄んで、夕方になると、地平線の近くは、高緯度の土地に特有な紫色に光り、それが青磁色の空に溶け込んでいる。風は全くない。
 まずこういう草原を想像していただいて、そこでクラムベークが始まるわけである。六尺に十二尺くらいの場所を、一尺近く掘り下げ、その周囲に、差し渡し一尺程度の石塊をずっとならべる。その中に大きい丸太をいっぱい放り込んで、盛んな焚火をする。
 やがて石塊も土もすっかり焼け、おき火がこの四角の場所いっぱいに出来る。頃合を見計らって、燃え残りの丸太をとりのけ、このおき火の上いっぱいに、なまの海藻を敷くのである。
 あらめふうな褐色の海藻で、磯の手近なところにたくさん生えている。ごく平凡な海藻である。もちろんおき火の上に海藻をのせるのであるから、もうもうたる湯気が上がる。その上にどんどん海藻を重ねて、厚さ二寸近くまでにする。この海藻のむしろの上に、貝と蝦と野菜類とを載せて、上からすっかりテント用のキャンバスでおおう。そしてしばらく待っていると、貝はすぐ蒸せるので、それを先きに取り出す。キャンバスをあけると、湯気が白々と立って、貝はもう蒸されている。
 この料理をするのは、特別の店で、男衆の気風にも、魚河岸の連中みたようなところがある。たいへん威勢がよくて、銭湯の桶そっくりのプラスチックの鉢に、たくさんクラムをつかみ入れ、それを一人一人に渡してくれる。食卓も、野外に備えつけられた粗末な白木の長机である。
 卓上には、液状バターを入れた小さなコップが、お客の数だけならんでいる。その他には紙ナプキンが、山のように積んであるだけで、何もおいてない。めいめいは、クラムの鉢をかかえて、勝手なところに坐り、ちょうどいい加減に蒸されている貝を、指でつまみ出して、液状バターに浸して食べる。ごく平凡な貝であるが、さっと蒸しただけであるから、非常に軟かく、また磯の香りが強くて、われわれには郷愁をさそう味である。
 驚いたことは、砂を吐かすなどという手の込んだことは知らないので、どの貝も必ず砂をもっている。それで「液体バターで洗って」食べるのである。
 横にはドラム罐みたような空罐が置いてあって、そのなか一杯に罐詰のビールが、氷に埋っている。そのビールを勝手にとって来て、クラムを肴に、盛んにビールを飲む。一わたりビールがまわった頃には、さすがに長いこの土地の黄昏も、少し夕闇めいて来る。その頃、男衆が、もうロブスターがよいと知らせてくれる。
 キャンバスをめくると、夕闇の中に、湯気が真白に立ち上がる。その中に真赤なロブスターと黄色い玉蜀黍とが、際立って鮮かな色彩を見せている。その他、スイート・ポテト、馬鈴薯、ウィンナー・ソーセージなどたくさんある。それ等を各自、真白い皿に好きなだけとってもらって、またもとの座につく。
 一番の御馳走は、やはりロブスターである。このあたりからメイン州にかけたところが、アメリカでのロブスターの本場とされている。ニューヨークの少し凝った料理店で、メインのロブスターを註文すると、初めに生きた奴をもって来て、客に元気のよいのを選ばせ、それを料理してくれる。ちょっとアメリカらしくない話であるが、そのかわり蝦一尾で、七、八ドル(約三千円)はとられる。
 その本場の蝦を、現地で食べるのであるから、うまいはずである。面白いことにはこのクラムベークでは、ナイフもフォークもついていないので、丸のままのロブスターを手で食べなければならない。私たちの子供の頃、北陸の田舎では、よくおやつに子持蟹を一尾ずつもらったものであるが、それも一尾のままであった。手と歯とでうまく蟹一尾を処理することには馴れているので、私は少しも困らなかった。しかし、たいていの人、とくにレディたちは、だいぶ持てあましていた。
 もっとも殻は決して伊勢蝦の鬼殻焼のように堅くはない。長い時間海藻から出る湯気の中で、ゆっくり蒸されているので、非常に軟かくなっている。そして、つゆが内部に一杯たまっている。このつゆが非常においしいので、それをこぼさないように上手に食べるのに、ちょっと技術が要るだけで、殻自身は容易に指先で引きちぎれるくらいの軟かさである。
 肉は適当にしまっていて、海藻から出る塩味と磯の香りとが、まことに結構である。私などは、大いに楽しんだ方であるが、おどろいたことには、ぜんぜん食べない連中が一割くらいもいる。それから申し訳に、蝦の胴のところの肉だけ、少し食べたという仲間が相当いる。聞いて見ると、「死んだ魚のような匂いがする」というのである。われわれが磯の香りと感ずるものが、彼らには生臭いらしい。
 ところでこのクラムベークというのは、ニュー・イングランドでも、御馳走とされているものだそうである。米国でも最も早くから開けた文化地域の代表的なところで第一流の御馳走とされているものが、こんどあつまった連中には、あまり評判がよくない。まことに妙な話であるが、種を明かせば、あつまったのが、大学教授、あるいは研究所に勤めている研究者仲間だったからである。
 アメリカでも、学者や研究者は他に比して一般に待遇が悪く、ふだんから質素な生活をしている。それでこのような貴族的な御馳走にはあまり接したことがない。罐詰と冷凍食品ばかり食べている連中には、磯の香りは生臭いのであろう。
 そう思ってみると、子持蟹をばりばり千切って食べたり、あさりの味噌汁のお代りをしていた私たちは、米国の貴族の生活をしていたわけである。
(昭和三十年十二月)

付記

「あまカラ」の第五十二号に書いた前文のクラントウのことは、ウイルメットの雪氷研究所に来ている、アルゼンチンの氷河学者コルテ博士から聞いた話です。それについて疑問の点があるという津田さんの記事が第五十五号にあったので、コルテ博士に詳細をきいてやりました。その返事が来たので、追記を致します。
 クラントウは、本来はチリーのインディアンの料理で、アルゼンチンでは、南米の尖端にある Tierra de Fuego(フエゴ島)の土人が、現在実際にこの料理をやっている唯一の種族だそうです。Onas 族といいます。日本でたとえてみれば、利尻島のアイヌ人(そんなものはいないが)の特殊料理みたようなもので、アルゼンチンでも、たいていの人は知らないそうです。
 起源はチリーの中央部に近い Chiloe 島の Chilotes 族と、その一寸北にいる Aravcanos 族らしく、それより北部では、広葉の植物がないので、その料理は出来ません。此処からチリーの南部に移って来て、最後にアルゼンチンのフエゴ島へ来ておしまいになっています。チリー南部では、稀に残っているところもあるらしいが、ほとんど絶えてしまっているそうです。発祥地からフエゴ島へ伝わって来たのは、インディアンの手によったものか、白人が伝えたのか、よくわかっていないとのことです。
 あの記事にあったアサードのことは、コルテ博士も言っていました。この方はもっと普及されている料理だそうです。





底本:「中谷宇吉郎随筆選集第三巻」朝日新聞社
   1966(昭和41)年10月20日第1刷発行
   1966(昭和41)年10月30日第2刷発行
初出:本文「あまカラ 第五十二号」甘辛社
   1955(昭和30)年12月5日発行
   付記「あまカラ 第五十八号」甘辛社
   1956(昭和31)年6月5日発行
※底本のテキストは、著者訂正稿によります。
※付記の初出時の表題は「クラントウ後記」です。
※誤植を疑った箇所を、初出の表記にそって、あらためました。
入力:砂場清隆
校正:木下聡
2022年3月27日作成
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