単純な質問

中谷宇吉郎




 最近日本から帰って来たばかりという一世の老人に会ったら、矢つぎ早にいろいろな質問をされて、大いに返答に窮した。
 アメリカにおける日本人一世の大部分は、昔カリフォルニア州へ移民として渡って来た人たちで、いわゆる高等教育を受けていない。中には小学校もやっと卒業した程度という人も相当ある。しかしそういう人たちの中には、非常な苦労をして、子供たち、すなわち二世には、立派に大学教育を受けさせ、欧州系統のアメリカ人に伍してひけ目を感じさせないように、育て上げた人が沢山ある。
 今度会った一世の人も、そういう型の一人で、日本の田舎で時々見られる、いわゆる単純で旧弊な人であった。こういう人たちは、ほとんど例外なく、熱心な愛国主義者で、日本の将来のことを、真剣に心配している人が多い。
 前にいった矢つぎ早の質問というのも、結局日本の将来にかんする懸念である。「高等教育」は受けていないので、イデオロギーのような話は何も出ない。その方面の術語など、恐らく一つも知らないのであろう。質問はいずれもひどく素朴で、卑近なことばかりなのであるが、返答にはまことに困るような話ばかりである。その例を二つ三つ挙げてみよう。
「今度三十年ぶりで、日本へ帰ってみたが、日本があまりよくなっているので、びっくりした。女の人の服装なんかアメリカにちっとも負けていないんでね。だが、聞いてみると、月給が随分少ないような話だが、月に八千円か九千円貰っていて、二千円だ三千円だという靴を平気で買う娘がいるという話だが、どういうわけなんでしょうなあ」
「会社の方も、何処の会社の話を聞いてみても、皆赤字のようだが、ああいうふうに、皆が赤字赤字でやっていて、いつまで続くんでしょうかね」
「温泉へ行ってみて驚きましたよ。たいへんな繁昌でね。どうしてウィーク・デーに、ああ大勢温泉に出かけられるのかと、初めは変に思ったが、聞いてみると、日本じゃウィーク・デーでもそうやかましく言わんようですなあ」
 アメリカの生活は、計画と組織との生活である。そういう生活にすっかり馴染み込んだ一世の人たちが、何十年ぶりかに日本を訪問する。そういう場合には、とくに日本人のこの非計画性が、よほど不思議に感ぜられるのであろう。
 こういう非計画性というのも、結局は、国民が前途に希望をもてない、あるいは持たないところから来ているのではないかと思う。この根元について、何か見通しがつかないうちは、こういうきわめて単純な質問にも、一寸答えられないわけである。





底本:「中谷宇吉郎随筆選集第三巻」朝日新聞社
   1966(昭和41)年10月20日第1刷発行
   1966(昭和41)年10月30日第2刷発行
底本の親本:「百日物語」文藝春秋新社
   1956(昭和31)年5月20日発行
初出:「西日本新聞」
   1955(昭和30)年9月
入力:砂場清隆
校正:木下聡
2021年8月28日作成
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