桃林堂の砂糖づけ

中谷宇吉郎




 シカゴに、フルーツ・ケーキをつくっている会社がある。菓子の名はサラ・リイといい、アメリカでも、一流品とされている。もっとも大量生産としての一流品である。
 そこの主人が、細君をつれて、先日、日本へ遊びに来た。シカゴにいた頃、家庭的に親しくしていたし、その後も娘たちをたいへん可愛がってくれていたので、大いに歓迎しようということになった。
 しかし厄介なことには、相手は非常な金持ちで、世界中を遊び廻るのが道楽である。ヨーロッパはもう見あきているので、昨年は、アフリカを一廻りした。アルジェリアから始めて、コンゴを通り、南端の喜望峰まで、主なところは全部廻ったそうである。
 今年は、欧州の東部から、印度、マレーなどを廻って、日本が旅程の最後になっていた。もうたいていのことには驚かなくなっているにちがいない。それで何かかわったところと考えていたところ、たまたま暮しの手帖の大橋鎮子さんから、八尾の桃林堂の話をきいた。
 サラ・リイの工場では、フルーツ・ケーキを焼く炉は、長さ五百メートルくらいある。その中を、幅五メートル近いベルトが流れている。ケーキはそのベルトいっぱいに並べられ、この五百メートルの間を流されていくうちに、焼き上がる仕掛けになっている。毎日トラックに八十台のフルーツ・ケーキがつくられ、それが全米に送り出されている。
 桃林堂は、新鮮な野菜や果物の砂糖づけをつくっているが、全部手仕事で、家の人たちと、少数の手伝いだけで、自分の家の片隅で全部やっているという話である。一日にトラック八十台の製品を出している家の主人と、かやぶきの旧家で、ふきやセロリーの砂糖づけをつくっている主人との対面は、ちょっと面白いかもしれない。
 これに限るということになって、奈良を案内したあと、八尾へ立ちよった。結果は上首尾で、この東西両極端の対照は、非常に面白かった。
 桃林堂のことは、関西のかたには、珍しい話でもなかろう。しかし初めて訪ねた私には、非常な驚きであった。今頃よくこういう人たちがいたか、という驚きである。
 小雨の中を、私たちは、二、三度桃林堂への道をききながら、八尾の町に車を馳せた。大都会の場末らしい感じの町で、こんなところに、大橋さんの説明にあったような家があるかと、ちょっと妙な気持であった。しかし桃林堂へ着いてみると、なるほどと思った。大きいかやぶきの母屋の屋根が、雨空を背景に、どっしりとおさまっている。しもたや風の表も、なかなか感じがよい。
 奥の座敷に通された一行の目の前には、簡素な庭があって、立派なザボンの木が一本繁っていた。大きいザボンがたくさんなっていた。
 サラ・リイの主人は、窮屈そうに、畳の上に坐り、初対面の挨拶をした。抹茶をすすめながら、この家の主人は、いろいろと、この自家製の砂糖づけの苦心を語り出した。
 材料は、いちじく、あんず金柑きんかん、グレープ・フルーツの皮など、果物はもちろんであるが、その他にも、野菜に重きをおいているそうである。一番苦心をするのは、自然の香気を、いかに保存するかという点で、それには、何よりも新鮮さが肝腎であった。香気はもちろんのこと、色にも一切人工のものは加えない方針なので、頼るところは、品質と新鮮さだけである。
 野菜は、蕗、茄子なす、人参、セロリー、蓮根、わらびなど、ほとんど全部の野菜を、砂糖づけにしているが、しゅんの時期は、一カ月くらいしかない。果物の方も同じことである。一番困るのは、この点であって、一定の材料がごく短期間しか供給されないのでは、工業生産の方式は採れない。従って、いつまでも家内工業の域を脱することができないのである。
 この話は、サラ・リイの主人には、非常に意外らしかった。年間を通じて、毎日トラック八十台のフルーツ・ケーキをつくっているのにくらべては、あまりにも時代ばなれのした話である。「どうして、保存の方法を考えないのか」というのが、最初の質問であった。
「桜んぼうが、一番むつかしいが、あれでも濃いブラインにつけておけば、一年は充分もつ。それをよく洗って使えば、大丈夫ですよ」
「しかし香気はなくなりましょう」
「もちろん、香気はつけなきゃあ。非常によい香料が出来ていますから」
「色の方は、どうでしょう」
「色はよく抜けているから、新しく着色するのは容易です」
 こういう問答をしているうちに、大きい手編みのざるに、いろいろなものの砂糖づけを一杯ならべて、娘さんが、しずしずと現われた。その中から、一片ずつを白紙にとりわけて、この主人は鄭重に、来客の前にそれをさし出した。新しい抹茶がまた運ばれてきた。
 大橋さんが、あんなに褒めていたので、期待をもって、試食してみたが、なるほど褒めるだけの値打ちはある。蕗にも、わらびにも、ちゃんと春の香気が浸みこんでいる。歯をあてた瞬間に、その香気が、口いっぱいにひろがり、それぞれの野菜の新鮮な香りが、そのままである。セロリーや、グレープ・フルーツなどは、むせるような香気である。
 サラ・リイの主人は、一片一片を、じっとかみしめていたが、やがて納得したような顔をして、静かに口をひらいた。
「今まで言ったことは、全部取り消す。日本でいわれる自然の香気ナチュラル・フレーバーというものの意味がはじめてわかった」
と言った。
 未開な原始工業を、近代的に教導しようとした「親切心」と、「全部取り消す」というあっさりした納得ぶりと、いずれも如何にもアメリカ人らしいところがあって、たいへん面白かった。
 夕食を大阪の友人によばれていた私たちは、丁寧に謝意をのべて、間もなくここを辞去した。夕闇は迫り、雨は本降りになっていた。
(昭和三十六年六月)





底本:「中谷宇吉郎随筆選集第三巻」朝日新聞社
   1966(昭和41)年10月20日第1刷発行
   1966(昭和41)年10月30日第2刷発行
初出:「あまカラ 第118号」甘辛社
   1961(昭和36)年6月5日発行
入力:砂場清隆
校正:木下聡
2022年3月27日作成
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