動力革命と日本の科学者

中谷宇吉郎




一 科学者と政治家


 日本の科学及び技術方面の学者たちは、よく日本の政治家や実業家は、科学に対する理解が無いと言われる。敗戦以来、科学による国家の再建が唱えられてからは、ジャーナリズムの面でも、盛んにこの種の議論が為されている。
 この問題は、何も今に始まった話ではなく、昔から日本の政治及び産業界の通弊であった。日本の科学を育成して、発明や発見を大いに奨励し、それを実用化して、国富を増す、という方向には、今まであまり努めなかった。外国の特許を買ってきたり、外国の技術を導入して、手っ取り早く飛行機を作ったり、金を儲けたりするという流儀が多かった。その結果、世界からは、日本人は物真似だけが上手な国民である、という悪評を受け、自国内の科学はいつまで経っても、あまり実用には役立たなかった。
 今日のわが国は、食糧、燃料、工業原料など、生活及び生産の必需品を、多量に輸入しなければならない。それには外貨が絶対に必要である。ところがその大切な外貨を、外国特許の使用料として毎年六十億円も支払っている。これは製品や原料に払うのではなく、知識という無形のものに払うのである。その中には、こういう額とは比較にならないくらいの僅かの研究費を、日本の学者に出せば、日本で立派に出来るものもありそうに見える。それだったら、いかにも馬鹿げた話である。
 これに対して、政治家や実業家の人たちは、別の考えをもっておられることであろう。日本の科学および技術方面の学者たちが、本当に役に立つ研究をすれば、黙っていても、研究施設も拡充し、研究費も出す。しかし議論ばかりしていて、日本国民が生きて行くのに、役に立つ仕事は、あまりしてくれない、外国特許など買いたくはないのだが、買わざるを得ないのだ、と言われる方があるかもしれない。
 もっとも少し意地悪い見方をすれば、百万円の研究費を出せば、多分出来るであろうが、絶対に出来るかどうかはわからない。一億円の外国特許を買っても、その分はコストの中に入れればよいから、この方は確実にいくらかは儲かる、というような考えが、心の底に潜んでいる場合もあり得る。
 しかしこの種の議論は、いずれも単に表面を撫でている話であって、問題の灸所は、もっと深いところにあるのではないか、と思われる。前に書いた「科学と国境」(『知られざるアメリカ』)では、そのうちの一つの要素を、詳述したつもりである。日本では、真理の探求という純粋な科学が偏重され、原理を実用化する方の学問が、それよりも一段低く見られる弊がある。原理の発見はもちろん困難な仕事であるが、それを実用化することの方が、或る場合にはもっと困難な事業であり、また文化的価値の高い仕事であるということが、一般にはよく理解されていない。それが日本の学問が、あまり実用化されない一つの理由である。
 以上の考えは、もちろん今日でも変っていないが、その他に、今一つもっと深い問題がありそうな気が、この頃している。それは科学者と政治家及び実業家とは、ものの考え方に、根本的なちがいがあるのではないか、という点である。
 科学の目的は真理の探求であって、これは再現可能リプロデューシブルという原則を、最初に立てている。同じことをくり返せば、同じ結果が得られるということを、暗黙のうちに初めから規定している。そうでなかったら、真偽の確かめようがなく、真理という言葉自身が無意味になる。
 ところが、政治や社会の問題になると、同じことは、決して二度とは起こらない。死んだ人間が、決して二度とは生き返らないように、社会の状態は、時とともに一方向きに進行するだけで、くり返しということはない。外見上は一寸似たようなことが二度起こっても、内容はすっかり変っているのが普通である。政治家や実業家は、そういう問題を取り扱っているわけであるから、考え方が、根本的に科学者とは違っていても、そう不思議ではない。
 一度しか起こらない現象には、科学は案外無力であって、そういう問題については、科学は、起こった後で、その説明ができれば、類似のことが二度起こらないようにすることはできる。それだけでも、もちろん立派に意義はあるが、生きている社会は、時々刻々その形を変えて行くので、ただ一度しか起こらない現象の無限の連続を、再現可能という基礎の上に立った科学が、律しようとしても、それは不可能のことである。
 そういう意味で、「科学に無理解」な日本の政治家や実業家の方が、少なくも過去においては、日本の進展に、相当大きい役割を演じてきたのかもしれない、というきわめて退嬰たいえい的な考えも、一応吟味してみる必要がある。

二 目に見えない科学


 日本の科学や技術が、欧米諸国に比して、立ち遅れていることは事実である。しかしそれ等を日本の国情に合わせて、実社会に活かす点においては、必ずしも遅れているとばかりもいえない面がある。例えば、水力電気とか、鉄道とかいうものが、その例である。
 鉄道は、一時大分評判が悪かったが、狭軌という不利な制約の下に、著しく過重な輸送を強要されている点は、認めなければならない。それでいて、時間の正確な点、及び運賃の低廉な点では、欧米諸国に類を見ないようである。アメリカのディーゼル電気機関車だの、ジュラルミンの車輛だの、時速九十マイル(つばめの約二倍)だのという話だけで、日本の鉄道と、アメリカの鉄道とを比較するのは、半面だけを見た議論である。
 シカゴの郊外を走っている「省線」は、なるほど速いし座席もよいが、その代り八王子・東京間くらいの距離で、片道運賃が一ドル十セント(約四百円)である。アメリカ人は収入が多いから、それでもよいが、われわれには、今の汽車賃でも高過ぎることは事実である。しかしそのことと、汽車賃が非常に安いこととは、別の問題である。原材料の鉄でも、石炭でも、電力でも、日本は決してそう安くはないからである。それでいて、運賃が四分の一以下で、とにかくちゃんと走っているのであるから、或る意味では、アメリカよりも進んでいると強弁できないこともない。
 それほどに言わなくても、消極的ではあるが、とにかく日本の鉄道は、日本の国情という条件の下では、欧米のいわゆる先進国と、立派に対抗しているわけである。ところで問題は、こういう業績の基盤となっているものは何か、という点にある。それは、オリンピック的な意味での日本の科学ではなくて、下積みの大勢の技術者の多年にわたる努力である。そういう人たちの名前は、恐らく一生の間に、一度も新聞などには、出ないであろう。しかし与えられた条件の下で、最も能率をあげるということが、科学の任務の一つである。われわれの学生時代、大正年間の日本には、中村清二先生のような学者がおられて、こういう教育をみっしり仕込まれたものである。中村先生は、日本における物理実験学の父とも称すべき人である。実験の指導中、くり返し諭されたことは、「十分の一ミリまで測れる機械で、十分の一ミリまで精確に測ることが精密な測定である。千分の一ミリまで測れる機械で、百分の一ミリまで測っても、それは不精確な測定である」というのである。
 科学を人生から切り離して、純粋に科学だけの世界についていえば、もちろん百分の一ミリまで測る方が、十分の一ミリまで測るよりも、精度は高い。しかし科学の真理が如何に客観的であるといっても、結局それは、人間と自然との協同作品である。人間を離れて科学は無いのであって、科学の非人間的な面ばかりを押し出して行くと、とかく抽象論に陥り易く、人間的な肉付けが薄れて行く虞れがある。一番恐ろしいのは、科学の真理そのものについてではなく、科学者の考え方にそういう傾向が出てくることである。そういう風潮が瀰漫びまんすると、科学はますます現実の社会から離れて行き、「科学に理解のない」政治家や実業家の言説を支持する結果になる。
 こういう風潮を助長するものに、ジャーナリズムがある。「科学に理解のない」のも困るが、「有り過ぎる」のもまた危険である。動機は、科学に対する国民の関心を高めようという、善意から出たものであろうが、善悪ともに、とにかくセンセーションを捲き起こすような科学だけを、大々的に報道する傾向がある。ジャーナリズムの本質の中には、たしかにそういう面もあり、現在の商業新聞雑誌では、止むを得ないことかもしれない。しかし新聞種になり得るような科学は、科学の全体から見たら、九牛の一毛に過ぎない。十分の一ミリの精度の測器でもって、毎日精確に十分の一ミリまで測っているような仕事は、ジャーナリズムの対象にはなり難い。しかしそういう性質の科学によって、われわれの日常生活が、少しずつ良くなって行くのである。
 科学尊重は大いに結構であるが、副作用として、こういう目に見えない科学を、置き去りにするような風潮が漲っては、功罪いずれとも定めがたいことになる。

三 水力発電と原子力発電


 明治大正時代における日本の躍進は、今日になれば、いろいろな批評も出るが、とにかくちょんまげを結っていた日本人が、半世紀のうちに、近代国家の仲間入りをしたことは、事実である。
 明治の先覚者たちは、西欧文明の摸倣及び輸入によって、明治時代の日本の国力を培った。その点には間違いないが、その摸倣もまた輸入の仕方も、当時としては、甚だ進取的で、かつ日本の国情に即した、きわめて巧みなものであった。中には、摸倣をしながら、一歩英米諸国に先んじた面もあったくらいである。その良い例が、日本の水力電気である。
 TVAやドニエプル発電所など、いわゆる綜合開発熱の流行以来、水力電気といえば、すぐ米国とソ連とが引き合いに出される。しかし水力電気を実用に供した国としては、日本は世界でも早い方なのである。少なくとも英国などと較べては、日本は驚くべく早い時期において、相当の田舎まで、電燈がいていた。
 私たちの育った北陸の片田舎でも、近くの小さいD川で水力電気を起こし、人口数百の村にまで電燈が点いた。それはたしか明治天皇崩御の二、三年前のことで、私が小学校の四年か五年の頃である。電球は炭素線の五しょくとか十燭とかいうもので、今から言えば玩具のようなものではあったが、それでも、「D川の水が電気になったんだ」と言って、母や祖母たちは、大いに驚嘆していたものである。日中はもちろん送電がなく、夕方になると、電気会社の出張所の人が、長い竹竿の先に針金のフックをつけたものを担いで来て、電柱の上に取りつけてあるスイッチを引いた。すると村全体の電燈が一斉に点いたものであった。きわめて原始的な方法であったが、とにかく電気は点いて、今までの石油ランプの掃除はなくなり、またランプによる火災も後を絶った。
 それから中学、高等学校、大学、理研生活と、十五年近い年月を経て、昭和三年に、英国のロンドンに留学した。そして何よりも一番驚いたことは、その頃のロンドンには、まだ電燈のない家がかなりあったことである。私はオーチス・エレベーター会社の技師の家に置いてもらったが、この家にも電燈はなかった。中流のやや上位の家庭で、自動車ももち、玉台も二台あったが、電燈はなかった。照明は全部ガスであった。英国人の趣味で電燈をつけないのではなく、主婦の人はいつも、「電燈があると便利なんだが」と言っていた。
 この家は郊外の住宅地にあったが、ロンドン市内でもやはり、電燈のある家は、そうざらとはいえなかった。面白いことには、ロンドン・タイムズやイヴニング・ニューズのような大新聞に出る貸間フラットの広告に、よくエレクトリック・ライティング(電燈付)というのがあった。たいてい電燈付というのを、初めに頭文字で大きく出し、そのあとに部屋の広さやベッドの数などが小さい字で出ていた。電燈がついていることに、広告価値があったわけである。
 昭和三年頃の東京で、もし貸間の広告に「電燈あり」と書いたら、と想像してみると、一寸愉快である。日本だったら、恐らくよほどの僻地へ行っても、電燈のない村を探すには、骨が折れたことであろう。
 ロンドンでは、キングス・カレッジにかよっていたが、学校へ行って、いろいろな科学関係の雑誌などを見ていると、よく水力電気開発のスローガンが、広告面に出ていた。水力は白い石炭ホワイト・コールであるなどと、大いにホワイト・コールという言葉を宣伝していた。世の中が十年くらい後戻りした感じがした。
 ロンドンは特別な例かもしれないが、とにかくこの印象は、強く残っている。日本における電力開発の歴史については、詳しいことは何も知らないが、世界的に見て、相当早い時期に、水力電気を採り入れたことは、事実のようである。
 明治の中期において、水力が電気になるという新しい考えは、今日の原子力発電にも匹敵すべき、革命的なことであったにちがいない。そういう新しい構想を、率先して受け入れて、水主火従という日本の電力問題、すなわちエネルギー問題の基盤を造ったのは、よほど偉い科学者がいたからであろう、と最近までぼんやり考えていた。
 ところが先頃松永安左エ門氏が、欧米視察の旅から帰って、たしか東京新聞だったかに書かれた短文『原子力の鬼』を読んで、ひょっとしたら、この考えは間違っていたかもしれないという気がし出した。日本に水力電気を導入したのは、偉い科学者ではなく、科学など知らない実業家だったかもしれないのである。「私は従来電力の鬼とは言われてきたが、これからは原子力の鬼になるつもりだ」というのが、その骨子である。欧米の原子力発電の進捗ぶりを見て、かつて水力発電という革命的な新構想にとびついた壮時の勇猛心が、再び振い起こされたのであろう。
 原子力発電に反対される人の中には、「八十歳の老実業家に、原子力のことなどわかるはずがない」と言われる方があるかもしれない。そのとおりだと思うが、しかしそれはわからなくてもよいのである。
 今日既に原子炉は、葉書一枚出して註文すれば、ちゃんと造って納入してくれるところまで、世の中は進んでいる。もう二、三年もしたら、原子力発電所も、註文書一通で、出来ることになるかもしれない。電力会社の社長に、モーターの修理ができなくても、ちっともかまわないので、すべて分業の世の中である。
 一寸お断わりしておくが、私は原子炉問題を葉書一本で片付けたらいいとは、決して言っていない。外国に安くて良い自動車があっても、その輸入は禁止して、国産自動車を奨励しなければならない場合もあるからである。
 新しいエネルギーが発見され、それが実用化されるようになれば、好むと好まざるとに拘らず、それは旧いエネルギーにとってかわってくる。人間界の中にある一種の自然現象であって、如何いかんとも致し難い。そういうことを、頭で考えることは、科学者にもできる。しかしこの真理を身体で感得して、行為として実践することは、科学者には不向きである。場違いの話であるからである。明治時代における最大の電気学者といえば、マックスウェルの電磁気学を導入された長岡半太郎先生がまず挙げられよう。しかし日本で水力電気を起こすのに、長岡先生を煩わす必要はなかったし、また頼んでも先生にはできなかったであろう。
 もっとも科学者の中にも、実践的な能力をもっている人があり、そういう人が、こういう問題に乗り出されることは、大いに結構である。しかしその場合は科学者としてよりも、むしろその人の中にある行動人の要素が、大きい役割を演ずるのである。

四 国情に即するということ


 動力源は、国家の摂取カロリーであって、このカロリーが不足すれば、国家は餓死してしまう。ところで現在の日本にとって、一番憂うべきことは、近い将来における動力源の不足である。水資源そのものには、日本は著しく恵まれているが、その開発には莫大な資本がかかる。終戦以来、いわゆる電源開発はかなり進行しているが、電源を開発すればするほど、電気代は値上げになる。
 十年先の日本を考えるならば、どうしても新しい動力源に目をつけなければならない。十年くらいは、まごまごしていれば、すぐ経ってしまう。終戦以来、既に十年は経っているのである。この間ガリオア、エロア資金として米国から援助を受けた金額は、七千六百億円に近い。それだけの金は結局消費生活に使われたので、基礎産業に投ぜられた額は、雀の涙くらいである。例えば電源開発に使用された分は、僅か〇・四パーセントに過ぎない。これでは電気代が値上がりになるわけである。七千六百億円の金を無計画に使っておいて、三百億円足らずの防衛分担金の削減に、あの騒ぎをするのでは、話にもならない。
 ここで、こういう意見が出るかもしれない。日本の水力電気が、それほど早くから着手され、また電力界にも、下積みになって目に見えない科学に精進している技術者が、大勢あるにちがいない。それにも拘らず、今日の行き詰まり状態に陥ったのは、初めに科学者の意見をよく聞かないで、無計画にことを始めたからではないか。原子力の場合は、日本の学問の将来を考えて、慎重に科学者の意見を聞くべきである。
 もちろんそのとおりであって、科学者の意見をよく聞いて、長期にわたる計画性をもたすことは、良いことにちがいない。しかしこの場合必要なのは、抽象的の意見ではなく、日本の国情に即した具体的な知識である。電力の場合がわかりよいのであるが、電源を開発すればするほど、電気代が高くなるという矛盾は、きわめて簡単なことからきている。それは現在の電気代が安過ぎるからである。昭和九年から十一年までの指数を標準にとると、昭和二十八年では石炭は四三〇倍に上がっているが、電力は一一六倍にしかなっていない。食糧なども、平均して四百倍くらいにはなっているのである。
 それで電力代金を、今の三倍くらいにすれば、問題は一遍に解決してしまう。しかしそういうふうに「合理的」に解決しようと思ったら、俸給は少なくも今の三倍にはしなければならない。今日の生活では、電力はもはや空気や水と似た程度のものになっている。その値上げは、収入の増加を伴わない限り、できない相談である。すなわち無理は承知の上で、何とかして打開しなければならない。それが国情に即したことなのである。
 ところが日本の産業を復興させ、民族の自立をもたらすためには、電力の需用は、今後ますます増加してくる。近代産業と電力とは切り離し得ぬもので、ボルダー・ダムの建設によって、ロサンゼルスに千八百の大工場が生まれたことは、よく知られているとおりである。日本の勢力エネルギー消費率を見ても、戦争前には、電力は石炭の六分の一に過ぎなかったが、一昨年は、逆に一・一倍にはね上がっている。今後も毎年約一割ずつの電力の増産をしなければ、近代産業の競争にはついて行けない。しかも電力の値上げは、最小限度に食い止めなければならない。競争に落伍すれば、食糧の輸入もできなくなり、バスも止まってしまう。
 こういう羽目に陥って、日夜苦慮している責任の地位にある人にとっては、科学者の議論などが、抽象的に響くのも、無理からぬ点がある。ところでこういう焦眉の急を要する問題について、科学者側から、何らかの具体的な提案が為されたという話は、不敏にして、未だ知らない。ところが科学などに理解のないはずの八十歳の老実業家から、最近この問題について、提案があり、それが新聞紙上に松永構想として、報道されたのを読んで、いささか忸怩じくじたる感を抱いたわけである。

五 電力の問題と科学者


 この構想の詳しい紹介または批判を、ここでするつもりはない。しかし新聞記事では、従来の水主火従を止めて、火主水従という革新的な案を提出した、ということになっていた。日本のような水に恵まれた国で、そんな馬鹿な話があるはずはない。どんな素人にもわかることである。
 それで原報告、すなわち電力設備近代化調査委員会の報告書を覗いてみたら、そんなことは、全然書いてない。依然として水主火従であって、「この計画は、大容量貯水池式水力発電設備の完成が前提であり、これなくしては高能率新鋭火力の経済的かつ技術的運転は全く不可能であるとの結論に達している」と、第一ページにはっきりと明記してある。こういう明白な誤りが、日本の一流新聞の記事中に見られるというのも、何でも革新的にしなければ納まらないからであろう。
 この構想の骨子は、きわめて平明かつ順当な話である。従来の日本の水力発電は、大部分流込式であって、河川の流れをそのまま送水管に流し込んで、発電用水車を廻すやり方である。それで渇水時には、電力が不足するので、火力で補っていた。ところがその火力発電所が、大部分旧式のもので、熱効率は二〇パーセント程度のものが多い。ところが近年ドイツなどでは、火力発電設備の能率が非常に高まり、三〇パーセント以上になっている。それで旧式低能率の火力施設を、新鋭高能率の施設に更新しようというのである。
 もちろん主は水力であるが、これから造るものは、年間発電量が比較的一定している、大容量貯水池式にする。すなわちダムの構築は止めるのではなく、地形条件の許す限り、今後もどんどん造るのである。しかし貯水池式でも、少しは年間発電量に変化があり、また需用にむらがあるので、不足分を補うために、新しい火力設備も造る。それももちろん新鋭高能率のものにする。話はこれだけのことである。
 一々もっともな話で、何も問題になるような点はない。昔の設備は能率が悪いから、新しい能率のよい設備に変える。それだけのことが、革命的な大事件のように騒がれる、というところが、この問題において、重要な意味のある点である。
 もっとも効果からいうと、もしこの構想が計画どおりに行くと、たいへんな利益になるのであって、そういう意味では、革命的な構想ともいえるのである。提唱されている案は、六年計画であって、完成後は、年間水力四三七億キロワット時、火力二一七億キロワット時が生産される。他に電源開発会社のものなどがあって、総計七四五億キロワット時になる。これは現在の約五割増で、これだけあれば、産業界もちっとも困らない。水力と火力との割合は、昨年度が七七対二三の比率であったが、この案の完成後には、それが七一対二九になる。火力の割合が少し殖えることは事実であるが、その殖え方は僅か六パーセントである。「水主火従を火主水従に切り換える革命的な新構想」などという新聞記事だけ見ると、ダムの建設は取り止めるのかとびっくりさせられるが、内容は右のとおりである。
 もっともこれだけの変更でも、その効果はたいへんなものである。発電量は六年間に五割も殖え、もう電力には心配が無くなる。しかも電力原価の増昂は、六年間に僅か六パーセントにしか達しない。内容は立案者の用いられた資料を信用するより仕方がないので、鵜呑みにしての話であるが、とにかく日本の動力問題解決の可能性が提案されたわけである。仔細に資料を吟味したら、少し贔屓ひいき目に資料を解釈してある点もあるだろうが、結論に本質的な変更をみるようなことはないものと思われる。
 一番不思議に思われる点は、聞いてみれば何でもないことなのに、そういうわかり切ったことが、なぜ今まで問題にならなかったか、という点である。現在のドイツの火力発電設備が、非常に能率のよいものであることくらいは、電気関係の人なら、皆知っていることにちがいない。現に日本でも、最近建設された新鋭設備は、三〇パーセント以上の高能率になっている。単に盲点として残されているとしても、あまりに話が可笑しい。ダム建設による総合開発熱が嵩じて、一種の流行性熱病になっていた、というふうなことも考えられなくはない。そういう状態では、すぐ脚下にある問題が、つい見逃され易い。火力発電設備の近代化によって、ダム建設に要する多額の資本を、一部だけ節約する。水火の配分は、経済的に最も有利な割合にする。それが今度の新構想であるらしい。
 そうだとすると、もしこの構想が採り上げられ、計画どおりの成果が納められたとしたら、まことに妙なことになる。民族の死命を制する動力源問題の中でも、一番重要な課題である電力問題の解決は、科学には理解のないはずの実業家によって成就され、科学者は無関心でいた、というふうな形に、少なくとも結果としてはなってしまう。しかしそれでも結構なのであって、要するに民族の生きる道さえ開ければよいのである。
 もっともこの案の作成には、多くの科学者及び技術者の協力があったにちがいない。しかしその協力は、具体的な知識の供給であって、この頃問題になっている、原子力の場合における「科学者の発言」とは、性質が大分違っている。こういう、いわば科学行政の問題に、科学者が発言すべきか否かは、一つの問題である。この頃の風潮では、「科学者は象牙の塔を出て、大いに民衆の為に発言すべきだ」という傾向が強いようである。しかしそれは本当に民衆の為になるものを持っている人が、発言をすべきであって、それを持たない人は、些細な具体的知識の供給者で満足しているより仕方がない。消極的なように見えるが、そういうことが、案外役に立つのである。要するにこの問題は、個人の能力と性質とによって、自由に採択さすべきことで、自分のイデオロギーで、他を律しない方がよいように思われる。

六 火力と原子力


 この案では、完成後三六〇万キロの新鋭火力発電設備で、年間二三四億キロワット時の発電をすることになっている。それには石炭約一二〇〇万トンが必要である。熱効率がよく、また性能がよいためにやや低品位の石炭で間に合うので、発電量は現在の火力にくらべ、八九パーセント増すが、石炭代は一五パーセントしかふえない。
 まことに結構な話であるが、これだけの石炭をずっと発電に使えるか、という問題が出てくる。現在のところは、貯炭量の激増につれ、炭鉱の不況はまさに極限に達している。火力発電の面に石炭の需要が増せば、炭山はやや息を吹き返す形になるであろう。当分の間は、それで、石炭の面からいっても、この案は歓迎すべきである。
 現在の貯炭量の激増は、一時的の現象であって、それをもとにして考えられないことは、もちろんである。しかしこういう問題は、電力だけを切り離しては論ぜられないので、石炭の増産およびコストの低下についても、電力の場合に払ったのと、同じ考慮を払わなければならない。現在の日本の採炭の非能率は、既に定評がある。炭坑労務者一人あたりの月採炭量は、一二トン以下と言われている。アメリカはもちろんのこと、ドイツでも、月採炭量は二〇トンを越えている。これほどの差があるならば、増産の見込みは充分あるはずである。
 さらにもっと永い将来にわたっての見通しはどうかということになると、どうしても原子力発電の問題がはいってくる。現在のところは、学界の一部に反対もあるようであるが、文明の動きというものは、自然法則であって、遅かれ早かれ、日本も原子力時代の国家群の中にはいるに違いない。
 それが案外早かったら、これから築造する新鋭火力発電施設が、無駄になりはしないか、という心配も出るかもしれない。その心配が実現するようだったら、まことに芽出度い話であるが、そうは行かないだろうと思う。アメリカにしても、ソ連にしても、それほど多量の原子核燃料を、すぐ日本へ売ってくれるとは、今のところ一寸考えられないからである。
 まずこれから造る火力発電施設が、そうひどく旧式にならないうちに、原子力発電に切り換えられたら、それで結構と思わなければならない。もしそうなったら、多分これ等の火力施設は、そのまま簡単に原子力発電の施設に切り換えられるであろう。それは原子力についての専門的知識が無くてもいえることである。というわけは、現在各国で造られている原子力発電所にしても、アメリカの原子力潜水艦にしても、原子力をすぐ電力に変えるのではなく、原子力をいったん熱にかえて、その熱を機械的エネルギーおよび電気に変えるのである。それで現在の火力施設は、石炭ボイラーを原子力ボイラーに置き換えるだけで、そのまま原子力発電所になるわけである。実際にやるとなったら、いろいろ困難も出てくることであろうが、少なくも原理的には間違いないと私は思っている。
 それについては、面白い話がある。先日某新聞の記者が「ソ連の原子力発電所が、いよいよ出来上がったそうで、その写真が手に入りました」といって、五、六枚の写真をもって来た。一枚は建物の外観で、これは問題がない。他は内部の施設であるが、それが私たちのような素人にも、普通の火力発電施設の一部のように見えた。しかしそれでよいのであって、発電施設そのものは、火力も、原子力も、差がある必要はないのである。
 今度の新提案に、そこまでの含みがあるかどうかは知らない。あればまことに敬服すべき達見である。もし無かったら、将来の国民から、たいへん運がよかったと、少なくも感謝される可能性はある。どちらかといえば、提案者が、「原子力の鬼になる」と言っておられるところを見ると、含みがありそうに思われる。

七 科学の本質


 原子力発電の問題が、新聞紙上を賑わすようになってから、よくいろいろな質問を受ける。一番多いのは、ダムなどは、そのうち要らなくなりましょうか、という質問である。これもジャーナリズムの魔力であって、新聞に大きく出る問題だけが、当面の大問題であり、かつ強力なものという印象を受け易い。しかし原子力発電は、今のところは、まだ経済的には引き合わないので、これが現在の火力にとってかわるのはまだまだ先のことである。当てずっぽうにいって、十年程度の年月はかかるであろう。いわんや既設の水力にとってかわることはまず考えられない。少し乱暴ないい方をすれば、水は無料ただだからである。
 十年後火力が原子力に変った場合は、炭鉱業者が困りはしないかという心配もない。石炭は本来は燃やすのが勿体ないので、立派な化学工業の原料である。他に動力源が無いから、仕方なく燃やしているので、原子力が肩代りをしてくれれば、石炭はもっと有効に使える。
 ついでに片付けておくが、原子力時代になっても、新しいダムの建設はやはり、有利な地点では、続行されるであろう。少なくもアメリカでは、そうであろうと思う。有利というのは、広い意味での言葉である。アメリカの総合開発におけるダムの役目は、第一に洪水防止、第二に灌漑用水であって、発電は副産物に考えられている。電気を起こしても、水は減らないからである。無料の電気ならば、いつの世になっても歓迎されよう。日本ももう少し国力がついて、計算ずくでその判断ができるようになったら、洪水の被害のことを思えば、有利なダムが建設される地点は、まだかなりあるであろう。
 今の問題に関しては、どうでもいいような話であるが、ダムというと、日本中がダム熱にかかり、原子力発電というと、今にも日本中の電気が皆原子力で賄われる時代がくるような幻覚を描き易い。しかし科学というものは、そういうものではなく、既存のものに、少しずつ付け加わって行く、或いは範囲を徐々に拡げて行く性質のものである。そして科学のそういう性質が、科学を人間の生活に役立たせているのである。
 科学上の何か新しい大発見があると、世の中が一度に暗転して、まるで違った世界が出来るように思う人がよくある。もしそういうものがあったら、それは魔術であって、科学ではない。科学の歴史の上で、最も劃期的な発見といわれるアインシュタインの相対性原理が、初めて世に出たときは、「万古不易の」ニュートン力学が打破されたかの如く、騒がれたものである。しかしこの新しい力学は、ニュートン力学のいわば拡張であって、変革というと誤解を招き易い性質のものである。天文学は数十年先の日食を、一秒程度の精確さで算出し得る。現在の科学の中には、これほど精密な測定理論は、他にはない。そしてその算出は、今日でもニュートン力学でもって計算されているのである。
 科学の力を、魔術的に盲信する傾向は、一般の人々の間だけでなく、科学者の中にも生じ易い。科学はもちろん非常に強力なものであるが、それはあくまで、存在ザインの世界のものである。科学が人間の生活の中にはいって行き、人間の幸福を齎すためには、今一つ行動の要素が加わる必要がある。
 日本のエネルギー問題というような、国民の生活にとって最重要な問題について、少なくも過去においては、科学者はそう大した関心を示さなかった形になっている。しかしそれは科学者の定義の問題であって、眼に見えない科学を行動によって実践している大勢の科学者たちによって、日本の動力は産み出されてきたのである。ただそういう人たちのことが、新聞や雑誌にあまり出ないだけのことである。
(昭和三十年六月)





底本:「中谷宇吉郎随筆選集第三巻」朝日新聞社
   1966(昭和41)年10月20日第1刷発行
   1966(昭和41)年10月30日第2刷発行
底本の親本:「文化の責任者」文藝春秋新社
   1959(昭和34)年8月20日発行
初出:「文藝春秋」文藝春秋新社
   1955(昭和30)年6月
入力:砂場清隆
校正:木下聡
2022年1月28日作成
青空文庫作成ファイル:
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