日本の将来

中谷宇吉郎




 しばらく日本をはなれていると、いろいろなことを考えるが、結局のところやはり一番気になるのは、日本の将来という問題である。
 何も憂国の感情云々というような、大袈裟な話ではないが、誰でも外国にいると、少しは身仕舞などに心を配るようになる。何か不体裁なことがあったときに、日本ならば、「誰々がどういうことをした」という話ですむが、外国にいると、「日本人がこういうことをした」ということになる。それで知らず知らずのうちに、日本人という意識を、心の底にいつでも持っていることになる。
 それに今一つ、心を惹かれる問題がある。それは外国に永住している日本人、とくにいわゆる一世の老人たちの、日本に対する愛情である。アメリカや南米の場合が、とくに著しいのであろうが、四、五十年も異国の土地に住みついて、一生困難な事情のもとに、激しい労働をつづけ、やっと暮しが立つようになって、一息ついたという人たちが沢山ある。そういう老人たちの、一生の望みは、一度日本へ帰ってみたいということである。
 いつか、日本の雑誌に、誰かが書いて居られた話を思い出す。そういう人たちの中には、何十年ぶりかで日本を訪れることになり、横浜に着いた時には、そっと地面に坐って、日本の土に口をつけてみる人もあるそうである。故国への思慕というもの、また民族の血のつながりというものは、それほど根強いものなのである。外国にしばらく住んでみた経験のある人ならば、誰でも、こういう気持を理解することが出来るであろう。それでこの頃は私なども、柄にもなく、日本の将来のことなどを考えてみる場合が時々あるわけである。
 そういう気持に拍車をかけるものは、この頃日本から来る手紙や新聞などである。新聞の紙面は、相もかわらず、陰惨な記事か、うつろな話ばかりである。親しい人たちからの手紙にも、言葉の末々に、日本の前途に対する暗い見透しがちらついていることが多い。要するに今の日本では、「どうしたらよいのか」誰にもわからないように見える。国民全体が、五里霧中の姿で、ただ無暗と忙しくかけ廻っているという恰好といっていいかもしれない。
 本当は一般の国民は、国の前途などという大それたことを考えず日々平穏に自分のつとめを果しておればよいわけである。そして信用して選挙した人たちに、国政のことや、国の前途のことはまかせて、自分は自分だけで、つつましやかに生きて行けば、よいはずである。しかし今の日本では、どう贔屓目にみても、肝腎な為政者たちからして、一番肝腎なこと、即ち「どうしたらよいのか」がわからないように見える。少なくも、それがわからないような行動が多いようである。
 この「今の日本はどうしたらよいのか」というのは、民族に課された一番大きい問題であって、それがわからなくては、どうにもしようがないわけである。この問題を、「日本はアメリカにつくべきか、ソ連の勢力圏内にはいるべきか」という問いであると解釈される方があるかもしれないが、私はそういうつもりで言い出しているわけではない。「どうしたらよいのか」に対する私の答えは、「現在の四つの島で、九千万人の日本人が、自力で生きて行く道を発見する」というところに落着くのである。その道が発見されたというのではない。しかしそれは必ずしも不可能のこととは思われない。非常に困難なことにはちがいないが、どんなに困難であっても、これをやりとおすより外に民族の生きる道はない。いわば絶体絶命の道のように、私には思われるのである。
 外国の助けをからず、自分の国で生産されるもので、全国民が生きて行く。これは当然すぎるほど、当然のことであって、今さら言い出すまでもない。しかしてこの明白な事柄に対する努力が、とかく忘れられがちになっていはしないか。
 現在の日本人の中には、アメリカか、ソ連かと、眼に角立てて言い争っている人もかなりあるらしいが、そういうことよりも、もっと大切な問題は、その前にあるのである。即ち、自国の資源を活用し、生産をあげることによって、われわれはわれわれだけで生きて行く。それが可能であるか否か。此処に本当の問題があるのであって、その可能性に対する考察もせず、また努力もしないで、初めから外国に頼ろうという考え方に知らず知らずのうちに、全国民が陥っているのではなかろうか。此処に為政者の一番大きい罪があるのであって、「自国の資源によって民族が自立する」という方向に国民を嚮導する、この一番大切なことを忘れているか、或いは知らないでいる。
 ところでこの話の灸所は、果してわが国には、それだけの資源があるか、という点に帰する。日本は資源に乏しい国と、昔からいわれていて、それがほとんど常識になっている。明治大正の時代になって、日本が世界の一流国の中に顔を出してみると、いろいろな資源に非常に乏しいことがよくわかって来た。近代文明の基礎をなす鉄にも石油にも、著しく欠乏している。食糧の生産も人口の増加に追いつけず、毎年多量の米を移輸入しなければならない。近代工業には、絶対欠くことの出来ない鉄以外の金属類も著しく足りない。世界三大漁場の第一を近くにもっていても、漁船の燃料をはじめとして、ロープや網の材料まで、大部分輸入しなければならない。現在辛うじて必要量の九割近い食糧を生産しているが、その生命の綱たる燐酸肥料の原料は、全部輸入に待つより仕方がない。
 こういう点からみれば、資源に乏しい国日本という標語も、一応はうなずける。しかし日本は、果して資源に乏しい国であるかときかれると、少なくも私は、否と答えるであろう。子供の頃から、日本くらいよい国はないと思い込ませられて来たせいも幾分あるかもしれないが、冷静に考えてみても、面積の割には、日本くらい資源に恵まれている国は少ないように、私には思われるのである。
 戦争以来、食糧の問題が、切実に国民の胸にひびいているので、まず食糧の例について考えてみよう。日本は食糧の自給自足が出来なくて、全体の一割五分くらいは輸入しなければならないが、このことは、日本が食糧の生産に恵まれた条件にないということにはならない。この狭い耕地で、九千万人に近い人間の食糧を、八割五分まで生産し得ることが、既に一つの驚異なのである。アメリカの西部には、日本全国とほぼ等しいくらいの面積をもった州が、いくつもあるが、そういうところは、大体半ば沙漠地帯であって、食糧の生産量は、日本の千分の一くらい、まずほとんど無いといって、いいくらいである。
 それは極端であるが、日本の土地は、単位面積からの農作物の収量という点では、世界的に見て、優位を占める豊饒な土地なのである。そればかりでなく、われわれの祖先は、この恵まれた日本の風土に、最も適した主食の生産法を採用して来たことも、日本の農業に一つの特徴をもたせている。それは水田米作であって、これくらい優れた農業は、世界にも珍しいのである。
 畑作では、どうしても、輪作ということが必要であり、アメリカなどでは、六年くらいの輪作形式を採用しているところが多いが、それだと、同じ畠には、六年目ごとに初めて同じ作物を作付するのである。たいていは、順番に畑を一年遊ばせて、地力の恢復をはかっているので、五種の作物を、かわりがわりにつくっている。この輪作ということは、農業のいわば常識である。
 ところがこの現代の農学の根本知識を、完全に無視したものが、日本の水田米作である。奈良朝時代から、千年以上も、同じ田に、同じ米をつくって、今日までつづいている。千年以上の連作ということは、世界の農学者の常識を超越したことであるが、それを、現にわれわれの祖先は、なしとげて来ているのである。もし米をつくる場所を、毎年変えなければならないとしたら、日本は、一割五分食糧が足りないなどと、いってはいられない。半分近く足りないことになるであろう。
 こういう農学上の奇蹟を現出したのは、千年の昔にさかのぼる代々の「無知」な日本の農家の人たちであった。「無知」というのは、農科大学も出ていないし、外国の農学の専門雑誌も読んでいなかったという意味である。しかしそういう知識はもっていなかったが、そのかわりに、生活そのものから体得した知恵があったのである。こういう知恵は、本能に近いものであって、教わって得られるものではない、人生の体験によってのみ自得されるものである。もう少し具体的にいえば、燐酸肥料の輸入はなかったが、その代り、藁は大部分を田に返していた。また山間から引いて来た灌漑口の水を、始終田に流し入れていた。
 この点については、昨年アメリカで出版された高等学校の東洋歴史の教科書には、面白いことが書いてあった。日本は面積がせまいばかりでない、大部分の土地は山岳地帯で、耕地は一割五分程度しかない。しかしその狭い土地を極度に利用して、水田を作っているが、この水田には山から直接に水が始終流れ込んでいる。この水に溶解した微量の鉱物質が、日本の水田の地力を、永久に保持している、というような意味のことが書いてあった。われわれの祖先のもっていた知恵に、本当に驚嘆したのは、ひょっとすると、アメリカの学者かもしれない。著者はニュー・トリア高等学校という、アメリカでも一、二を争う有名な高等学校の教授で、ミス・ウォルツという先生である。この「極東の歴史」という教科書は、ニュー・トリア高等学校を初めとして、他の高等学校でも使われているらしい。
 日本には、耕地が一割五分しかないということも、必ずしも悲観の材料ではない。八割五分の山岳地帯は、木材資源の宝庫となり得るところである。近代の文明国では、木材は食糧にも劣らぬ大切な資源であり、石炭がいくらあっても、坑木がなければ掘れないし、枕木がなかったら、汽車も走れない。大部分の人造繊維の原料も、紙も、もとは木材である。日本では、住宅問題が、今一番の大難関であるが、この解決には木材が不足しては、手のつけようがない。木造家屋が比較的少ない外国でも、屋内の造作や、家具には、たくさんの木材を使う。木材資源に乏しい国は、近代国家として生きて行くのに、非常な困難がある。
 日本でも近年は、木材の不足に非常に悩んでいるが、それは奥地山林の開発がおくれているためと、木材を恐るべく無駄に消費しているためである。世界的にみても貴重な資源である木材を、木炭や薪として、われわれほどふんだんに燃している国民は、世界中何処にもないであろう。
 もちろん、現在までのところは、この木材燃料にかわるべき家庭用熱エネルギー源がなかったのであるから、こういう無駄も、止むを得なかったわけである。しかし今まで利用し得る熱エネルギー源がなかったということは、今後もないという意味ではない。エネルギーそのものは、日本には有り余るほどあるのである。それは水力資源である。
 近代の文明諸国で、資源として一番重要視されているものは、水である。日本では、TVA(テネシー流域開発公社)を初めとして、アメリカ各地の総合開発を、非常な羨望の感をもって眺めているが、これ等の総合開発というのは、一言にしていえば、洪水の防禦と、利水とである。日本はあまりにも水に恵まれているので、水の有難さを知らない。カリフォルニアの一州よりも狭い国土の、さらにその一割五分の土地で、足らずながらも、とにかく九千万人に近い国民の必要とする食糧の大部分を生産し、残りの八割五分の土地は、半ば以上放置しておきながら、なお途方もない量の木材を燃して、それでいて、不自由ながらも、何とかして全国民が生きているのである。こういう現代の一つの奇蹟を現出しているのも、日本の国が水に恵まれているからである。
 日本には、水害という言葉があって、近年は、これが日本における最大の災害になっている。今年も、北九州、和歌山県、京都府、と相つづいて恐ろしい水害に見舞われている。一つの洪水の被害が、物質面だけでも一千億円を越すと、新聞紙は報じているが、そうかもしれない。国土の開発につれて、天災の被害も増大するからである。
 ところで、水害というのは、水が多過ぎて、それが氾濫して、被害を及ぼすことである。だから水害がたびたびあるということは、水が多いということの、一番はっきりした証拠である。水に乏しくて困っている国では、いくら頼んでも水害の起こりようがない。問題は、同じ水が、水資源として一国の動力源ともなり、或いは農林産の基本要素ともなるか、またそれが人間生活を根底からくつがえす洪水になるかという、その分岐点にある。その答えは、簡単明瞭であって、水を人間が統御し得るか否かにある。統御し得れば、それは水資源であり、得なければ、それは水害である。
 この論に対しては、きっと反対意見が出ることであろう。それは、日本のように天災の多い国では、水害に限らず、台風でも、地震でも、とても人力で何とかしようといっても、不可能のことであるという議論である。
 こういう意見は、日本では通ずるかもしれないが、世界的には通用しない。というのは、天災は日本ばかりにあるものではないからである。水害の話のついでに、アメリカの昔の洪水の例をひこう。今日メキシコとの国境に近いカリフォルニア州の南部に、ソールトン湖という湖がある。どの地図にも出ている、ちゃんとした湖であって、面積は、琵琶湖と、ほぼ同じである。ところでこの湖は、昔からあったものではなく、一九〇五年のコロラド河の大氾濫の時に出来た水溜りが、今日まで残っているものである。氾濫当時は、琵琶湖の二倍の面積であったのが、現在は、その半分くらいになっているのである。
 こういう水害から見たら、日本の水害などは、いくら大きくても、多寡がしれている。琵琶湖程度の水溜りが、ちょいちょい出来るくらいでなくては、水害として、世界に顔は出せないのである。ところが、こういう日本では一寸考えられないような狂暴な大河、即ちコロラド河も、今では、ボルダー・ダムの完成によって、完全に人力の統制下におかれ、水害の話は、もはや昔語りとなっている。そしてこの水害を起こした水は、現在百万キロワットの電力と化して、アメリカの工業に著しい寄与をしているのである。詳しい話は、前に『沙漠の征服』に書いたことがあるので略するが、アメリカにしても、またソ連にしても、現在世界で覇をとなえている国は、いずれも、自国の科学と技術との力によって、与えられた天然資源を、人力の統制下に置くことによって、禍を転じて福となし、その国力を培って来ているのである。
 科学は魔術ではないから、無から有をつくることは出来ない。しかし有るものならばそれを人間生活に有利に利用することは出来る。日本の水資源などは科学の対象として、最も面白い問題であって、有り余るほどあるこの水を、水害とするか、水資源とするかは、国の科学力及び技術力の如何によってきまることである。
 以上のほか、われわれは世界有数の水産資源にも恵まれているし、また地下資源とても決して乏しくはないのである。日本が「資源に乏しい国」という迷信(私は迷信だと思っている)は、「外国の立地条件に適した科学を直輸入したのではすぐ開発出来るような資源に乏しい」という意味と、私は解釈している。日本人は、少なくもわれわれの祖先は、水田米作において示したような知恵をもっていた。だからこういう知恵に、西洋の近代科学がもっている知識を充分にとり入れたならば、立派に、民族の自立が出来るのではないかという気がする。資源はあるのであるから、問題の解決は困難なだけであって、不可能ではない、と、少なくも私にはそういうふうに考えられる。
(昭和二十八年十二月)





底本:「中谷宇吉郎随筆選集第三巻」朝日新聞社
   1966(昭和41)年10月20日第1刷発行
   1966(昭和41)年10月30日第2刷発行
初出:「民族の自立」一時間文庫、新潮社
   1953(昭和28)年12月20日発行
入力:砂場清隆
校正:木下聡
2022年11月26日作成
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