根強い北陸文化

中谷宇吉郎




 私が四高の学生だったころに、金沢から一人の若い青年が突如として、すい星のごとく日本の文壇にあらわれた。それは『地上』でもって、一躍世に出た島田清次郎であった。
 当時私は、寺町の医師の住宅に下宿していたが、この家は、そのころ金沢でも一流の料亭であった「望月」の並びにあった。犀川べりの高い岸の上に建っていて、縁先からは、はるかに医王山が望まれ、犀川の流れは、一望の下に脚下にひらけていた。月の夜などは、犀川の流れにくだける月影が、まことに美しかった。
 この家の若主人は、病院へ通っていたお医者さんであって、家で患者はみていなかった。おとなしい文学好きの人で、島田清次郎とは、遠縁にあたっていた。生田長江から「若きドストエフスキー」として文壇に送り出された当時の島田清次郎は、文字どおりに、旋風を巻き起こしていた。
 このお医者さんは、清次郎の中学時代をよく知っていた。西の郭の芸者屋で、母と二人で部屋住みの生活をしていたころのことである。少年時代からの文学狂で、よく短編小説のような作文を書いてその文章を直してくれといって、このお医者さんのところへ持ってきたこともあるそうである。
 最近の十一月号の雑誌「自由」に杉森久英氏が「天才と狂人の間」という題で、島田清次郎のことを書いておられる。そのなかには清次郎の身辺のことばかりでなく、当時の北陸および金沢の文化的ふんいきがよく描写されているので、なつかしかった。
 いまから考えてみると、当時の北陸にはたしかに、一つの地方文化があった。松任町の明達寺には暁烏敏がいて、親鸞思想普及の開拓者として多くの信者を集めていた。信者はこの地方に限らず全国から集まって来た。北陸の田舎の一小寺にこもって全国からの求道者をその膝下に集めるというのはあまり例のないことである。
 文学の方では、室生犀星が、二十六、七歳の若さで、すでに名を成し、東京に半年、金沢に半年という生活をしていた。金沢における文運復興の機運は目ざましく、五種以上の同人雑誌が発刊され、土地の新聞の文芸欄も、異常な活気を呈していた。
 のちに考古学を専攻した私の弟なども、この熱に浮かされ、中学時代にすでに同人雑誌を出して短編をいくつか発表していた。その一つが芥川竜之介に認められ、弟は菊池寛のところで横光利一などと一緒に、ごろごろしていた時代もあった。
 あの時代は少し特別だったかもしれないが、北陸とくに金沢には、こういう特殊の地方文化が育成される基盤は、今日までつづいているように思われる。この基盤は、前田家の百万石の文化につらなるものであろう。
 その感を深くしたのは、最近機会があって、金沢を訪れたときのことである。兼六園内に新しく出来た美術館で、名宝展を見たが、これはまことに驚くべきものであった。仁清の鶴の香炉はいうまでもないが、足利時代にまでさかのぼるといわれる能衣装の豪華さ、古九谷の逸品など、目を見はるものが相当にあった。絶対価値からいえば、もちろん国宝展などには及ばないが、驚くべきことは、これらの名品が全部、石川県下の隠れた収集家の手元から出品されたという点である。隠れたというのは、ジャーナリズムなどに騒がれないという意味である。
 仁清の鶴の香炉は、最近美術館に寄贈されたもので、国宝の中でも一級品と認むべきものである。これなども代々金沢市内のごく普通の家に伝えられてきたもので、その家は茅ぶきの屋根に石を置いた家であるという。美術が土に根ざした土地という気がする。
 金沢が今度の戦争で、爆撃にあわなかったことは、金沢のためばかりでなく、日本の文化のためにもありがたいことであった。日本の文化の将来はかなり危虞すべき状態にある。何ごとも、中央と地方という言葉で分類され、パリくらいの規模の大都市大阪までも地方の中に入れられている。こういうバカげた話は、世界中どこにもない。
 明治時代の政治面における中央集権主義が、文化の面にまで、その圧力を加えてきて一国の文化の根源になるべき地方文化は、どこへ行っても非常に影が薄くなっている。
 その責任の一半は地方の側にもあるので、東京の模倣にきゅうきゅうとして、自ら地方文化の基盤をくずしてきた傾向がある。その点、金沢を中心とした北陸の文化には、まだ基盤が残されているような気がする。第二の文運復興の期が、再びこの土地に芽ばえることを祈っている。
(昭和三十五年十一月)





底本:「中谷宇吉郎随筆選集第三巻」朝日新聞社
   1966(昭和41)年10月20日第1刷発行
   1966(昭和41)年10月30日第2刷発行
初出:「北陸中日新聞」
   1960(昭和35)年11月
入力:砂場清隆
校正:木下聡
2022年2月25日作成
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