ものは考えよう

中谷宇吉郎




 また夏がやって来て、新聞面には、時々水泳競技の話が出る。
 そういう記事を見るたびに、一つ思い出す話がある。それは一九五二年のオリンピックの水泳である。その前に古橋がアメリカへ来て、日米競泳に勝ち、同時に世界記録をつくった。その時、日本では号外を出した新聞社もあったそうで、たいへんな騒ぎだった。
 それで戦後晴れのオリンピックでは、日本を挙げて、水泳に力こぶを入れた。しかし古橋が期待を裏切って、案外の不調であった。百メートル、四百メートルも、継泳も、日本選手は意外に振わない。待望の日の丸は、いつまでも、メーンマストに翻らない。
 そのうち一番有望だったのは、橋爪であった。それで日本側では、最後の望みを橋爪にかけて、最終日の千五百メートルにおける橋爪の優勝を、祈念していた。しかし結果は、この全国民の待望を裏切って、橋爪二着、今一人のホープ北村は六着であった。当時私はアメリカにいたが、日本の新聞が届いたのを見ると「橋爪惜しくも優勝を逸す」という大見出しで、如何にも残念そうな記事が載っていた。
 ところが、此処にちょっと面白いことがあった。アメリカでは、主として日本人一世の間に、日本語の新聞が出ていて、サンフランシスコやロサンゼルスはもちろんのこと、シカゴなどにも、四ページくらいの新聞が出ている。
 その新聞でも、このオリンピックのことは、もちろんトップ記事として、大きく出ていたが、その取扱い方がまるでちがっていた。大見出しは「一着紺野(米)二着橋爪(日)三着岡本(伯)日本人選手ずらり」というので、日本人が揃って、一着から三着まで占めたといって、大いに慶賀しているのである。事実この時は、一着アメリカの紺野も、三着ブラジルの岡本も、皆二世だったので、日本国人ではなくても、日本人であったことには間違いがない。
 或る一つの事件を、一方では「惜しくも優勝を逸す」と残念がり、他方では「日本人選手ずらり」と慶賀する。両方とも本当のことを言っているのに、これだけ正反対の結果になるところが、大いに興味のある点である。要するにものは考えようなのである。
 世界は現在では、非常に狭くなっている。戦国時代の日本では、日本が世界であり、今の一つの県が国であった。そして「主の馬前に死ぬ」ことが終戦前の「天皇陛下のために死ぬ」ことであった。
 原子力の世の中になっては、われわれも世界の中の日本人という気持が必要であろう。国家観念も、もちろん大切であるが、いつまでも、甲斐の国や越後の国が、国家であるような考え方でも、一寸困るであろう。





底本:「中谷宇吉郎随筆選集第三巻」朝日新聞社
   1966(昭和41)年10月20日第1刷発行
   1966(昭和41)年10月30日第2刷発行
底本の親本:「百日物語」文藝春秋新社
   1956(昭和31)年5月20日発行
初出:「西日本新聞」
   1955(昭和30)年7月
入力:砂場清隆
校正:木下聡
2021年7月27日作成
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