安倍さんとタゴール

中谷宇吉郎




 先日安倍(能成)さんが見えていたと思ったら、もう今日屆いた『心』の五月號に、安倍さんを圍んでの皆さんの座談會の記事が載っていた。アメリカと日本との距離も、ずいぶん近くなったものである。
 安倍さんは、非常に元氣で、方々アメリカを見て歸られたから、御土産話がたくさんあることと思うが、その中に決して出て來ない話を一つ紹介しよう。というのは、安倍さん自身が御存じのないことなのである。一寸變った話で、安倍さんが居眠りをしているうちに、タゴールになったという話である。
 少し突飛な話なので、まずこの町のことから説明する必要がある。ここのウィネツカという町は、金持がたくさん住んでいるので、税金の集りがよいと見えて、贅澤な施設がたくさんある。その中でも、教育に妙に力瘤を入れていて、たいへんな設備をもった學校を二つもっている。一つはクロー・アイランドという小學校で、今一つはニュー・トリアという高等學校である。教育方針がひどく變っていて、いわゆる新教育を徹底的にやっている。小學校の方がとくに目立つのであるが、一番の特徴は、個性を重んずるというので、少し大袈裟にいえば、生徒一人一人について、その才能に應じた教育をしようというのである。
 うちの末っ子が、このクロー・アイランド小學校へ通っていて、その受持の先生、ミセス・ヘンダースンとは、家庭的にもかなり親しくつき合っている。なかなかの美人で、初等教育の方では、よく知られた人だそうである。先日大英百科映畫會社エンサイクロペディア ブリタニカ・フィルムで、『プラス・マイナス』という、算術を取扱った教育映畫を作るとかいって、わざわざクロー・アイランドのミセス・ヘンダースンの教室と指定して、ロケに來たくらいであるから、相當有名なのであろう。
 ところで、この先生が、安倍さんのことを女房からきいて、一晩そのうちへよんでくれた。相客は、その小學校の校長さんであった。この校長さんは、ミス・カーズウェルといって、英國生れの人である。これがなかなかの大物で、國際聯盟華かなりし頃に、ジュネーヴに行っていたことがある。その頃ジュネーヴには、聯盟のおえら方の子供たちのために、特別な學校があったので、その學校の校長さんをやっていたそうである。クレマンソーでも、ロイド・ジョージでも、みな個人的に知っているので、話がなかなか大時代である。
 ジュネーヴでは[#「ジュネーヴでは」は底本では「シュネーヴでは」]、新渡戸さんも、杉村陽太郎さんもよく知っていて、とくに杉村さんの家庭とは、かなり親しくしていたそうである。安倍さんは、杉村さんとは、一高時代から知って居られたというので、この校長さんは、安倍さんに會うのを、樂しみにしていたわけである。
 ミセス・ヘンダースンの家は、イリノイ南部で、大きい農場を持っているので、いわばアメリカの健全な中産階級に屬する人である。ホテルの料理には飽きられただろうから、純粹なアメリカ料理を御馳走しようと、鷄を「田舍風」にやいてくれた。安倍さんはたいへん御機嫌で、マルチニを一杯のんで、さかんに英語で氣焔をあげて居られた。
 長與(善郎)さんの場合もそうであったが、あの時代の方たちは、酒がはいると、英語で氣焔をあげられる癖があるらしい。措辭きわめて宏壯且つ深遠で、兩婦人すっかり煙にまかれたようであった。通譯の篠田君は、全く用事がないので、マルチニのお代りをしながら、にやにやしていた。
 そのうちに安倍さんは、例によって居眠りを始められた。肘つき椅子に深か深かと倚って、ぐうぐうといかにもいい氣持のようである。白髮と白い鬚とに電燈が輝いて、なかなかの美觀である。うちの娘たちも一緒によばれていたので、末っ子が起しに行こうとすると、ミス・カーズウェルが、手で押えて、「寢かしておきなさい。實に立派な顏じゃないの」という。安倍さんは風貌がよいので、こういう時には、大いに得である。
「ほんとに立派な顏だ。私はタゴールを思い出しましたよ。ジュネーヴで、タゴールと一緒によばれたことがあるが、タゴールがやはり少しお酒をのむと、ああいう風に寢込んでしまうんです。あの寢入った顏付が、ほんとにそっくりだ。さんざん寢てから、ふと眼をさまして、話を始めるのだが、その一言一言が、實に美しい詩なんですよ。アメリカ人は、タゴールなんていっても、たいていは名前も知らないんですから、話になりません」といかにも感にたえたような話し振りである。
 ミス・カーズウェルは、なかなか立派な體格の婦人で、齡は七十歳に近いはずであるが、元氣で、まだ若々しいところがある。安倍さんは十二歳以下及び六十歳以上の婦人にもてるという風説があるが、その法則は、國際的にも通用するようである。
 これで安倍さんがタゴールになった話はおしまいであるが、少し樂屋咄のそしりが出るかもしれない。それで樂屋咄でない資料をつけ加えておく。クロー・アイランド小學校の一年間の經費は、兒童一人當り四百七十弗である。授業料は一年間五弗であるから、うちの末っ子は、年に四百六十五弗稼いでいるわけである。この金はもちろん町費でまかなわれている。兒童一人について、十七萬圓の割で金をかけ、タゴールの知人を校長さんにつれて來て、というのであるから、この實驗學校もなかなかたいへんである。
 小學校の兒童に、一人當り四百七十弗も金をかけて、とにかく理想的と信じている教育をやっているわけである。金持の道樂といってしまえば、それまでの話であるが、そういうことを、とにかく實行しているところに、アメリカの理想主義の一つの姿が見られるように思われる。





底本:「百日物語」文藝春秋新社
   1956(昭和31)年5月20日発行
※誤植を疑った「シュネーヴでは」を、本文中の他の箇所の表記にそって、あらためました。
入力:砂場清隆
校正:木下聡
2023年3月20日作成
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